世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307

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ドナルド・リチーは「小津安二郎の美学」で、デヴィッド・ボードウェルは「小津安二郎 映画の詩学」で、1926年から公開された『弥次喜多』喜劇シリーズのウォーレス・ビアリーとレイモンド・ハットンのコンビの映画の類似を指摘しています。

小津監督のアレンジということからいえば、例えば、鍋の蓋で卵を割るショットが、更にあとでもう1度繰り返される時には、まったく別の意味に変化していくというようなスピード感るカッテイッングの妙に現れています。

また、朝御飯作り、交通事故、ヒロインの登場と黒塗りから白塗へのヒロインの変身、恋のさや当て、そして失恋とが、ロケとセットを巧みに織り混ぜながら小道具を生かした流麗なカッティングで構成されいきます。

例えば、トラック、これが小道具といえるかどうか分りませんが、娘との出会いの道具として使われたトラックが、最後は別れの道具に変化していきます。

なんか、このトラック、「学生ロマンス 若き日」でオープニング・ショットとクロージング・ショットで使われた小道具「貸間あり」の札の役割と似ていると思いませんか。

これが小津監督初期の映画作りのカタチだったのかもしれませんね。

猛烈なスピードで走る列車をトラックが追いかけ、そして追いついて列車と並んで走る。

トラックに気づいた娘が窓から手を振る。

列車からトラックを見るショットとトラックから列車を見るショットが交互につながれる。

列車とトラックは共に踏み切りへと近づき、遮断機によってトラックは止められ、列車はそのまま走り去っていくというこの一連のパンに継ぐパンを繰り返すスピード感溢れるあの場面は、きっとロイドやキートンからの影響というだけで十分に説明がつくのでしようが、しかし、それにしても、後年の円熟期にある小津監督の固定したキャメラからやや仰角で人物を静謐の中で捉えるという小津話法に慣れきってしまっている僕たちの目から見ると、その目まぐるしさには本当に驚かされてしまいます。

残念ながら青年と姉のエピソードなど欠落している部分のあるという短縮版ですが、この時期の小津映画の力量を十分にうかがい知ることの出来る軽快でスマートな貴重な作品といえるでしょう。

この作品に出演している浪花友子は、蒲田ナンセンスで活躍した女優で、小津作品には、この作品の他に「引越し夫婦」で渡辺篤の相手役に抜擢され認められ、「一人息子」の笠智衆演じる大久保先生の妻といったシリアスな役でも確か出演していましたよね。

(1929松竹蒲田)監督・小津安二郎、原作脚色・野田高梧、撮影・茂原英雄、

出演・渡辺篤、浪花友子、吉谷久雄、結城一朗、若葉信子、高松栄子、大国一郎、

(14分・35mm・白黒・無声・パテベビー短縮版・デジタル復元版)
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by sentence2307 | 2004-11-28 16:59 | 映画 | Comments(1)
小津作品のうちで、脚本が存在しながらネガ、プリントのいずれもが散逸した作品は11作品ありますが、この「和製喧嘩友達」と「突貫小僧」(いずれも1929年作品)は、ともにプリントが一部発見されながら脚本(前者が野田高梧、後者が池田忠雄)が存在していないという作品でした。

この4月に刊行された井上和男編「小津安二郎全集・上卷」には、井上和男が、発見されたフィルムをもとに撮影台本を復元したものが掲載されていまから、参照するには好都合ですね。

ストーリーは、二人のトラック運転手仲間の渡辺篤と吉谷久雄が、身寄りのない清純な娘を助けて同居して恋の鞘当てを演じますが、喧嘩した挙句、娘には恋する青年がいることを知り共に失恋し、結局は仲直りして男らしくその娘の門出を祝福するという軽いタッチの喜劇です。

こうした軽喜劇は、当時アメリカ映画が盛んに製作していたジャンルで男同士の友情物語のひとつですが、それを小津監督が巧みにアレンジして和製化した作品ですが、そこにはなみなみならぬハリウッド映画への「傾倒と消化」ぶりが窺われる興味深い佳作となっています。

仲のいい男友達同士がいつも女のことや金のことなどで喧嘩したり相手を出し抜きあったり、地団駄を踏ませては面白がったりするという弥次喜多風のシリーズ喜劇が当時アメリカでは数多く作られており、この小津監督の「和製喧嘩友達」もそうしたアメリカ映画を下敷きにしたオマージュ的な作品として撮られたものだろうと思われます。

タイトル的には1927年に公開されたアメリカ映画リチャード・ウォーレス監督「喧嘩友達」を連想させますが、ストーリーは、アメリカで不動産業を興すアイルランド人チャールズ・マリとその親友のスコットランド人チェスター・コンクリンの立身出世一代記というまったく異なる物語なので、小津監督がタイトルだけを拝借し、単にアメリカ映画への近接を端的に示したという考えるべきかもしれません。
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by sentence2307 | 2004-11-28 16:58 | 映画 | Comments(1)
先だって、復元されたこの作品が、フィルムセンターにおいてサンプル版の約2分の比較試写というかたちで報道陣に公開されて、あの画面上の傷や汚れがきれいに補正されたデジタル技術の威力の凄さを目の当たりにして、多くの報道関係者を驚嘆させました。

この小津安二郎生誕100年記念特集で「和製喧嘩友達」が上映されるのも、そうした復元の成果を一般に公開するという重要な意義を持つものといえるかもしれません。

今回発見された9.5mmフィルムというのは、家庭で映画を楽しむためにフランスのパテ社が開発したパテベビー映写機(資料では手動で映写できる玩具状の映写機らしいのですが)にかけるために製作されたもので、オリジナル作品77分の本編を14分に短縮編集して販売に供した9.5mmパテベビー短縮版のことなのですが、それを今回、逆に35mmに復元し直したプリントで上映するというわけです。

作業の過程を簡単にいうと、まず、ハーゲフィルム映画保存社において、長さ14分の1コマ1コマ、つまり2万160フレームくらいをスキャニングして、1フレームずつフィルム用の自動修正ソフトウェアで画像処理します。

その作業を受けて日本では、ソフトウェアで修復できなかった細かな傷や汚れを手作業で修復していきますが、結果的に修復を要する部分が1万フレームほどあったということで、ここまでがデジタルの形態=デジタル・テープ・フォーマット(DTF)による処理ということになります。

それを再びドイツに持ちこんで、35mmネガフィルムにレコーディングして、最終的にそのネガから35mmプリントを起こしてデジタル復元が完成されるということだそうです。

16mmや9.5mmというフィルムが不燃性だったために比較的消失を免れる可能性が高いという条件もあって、オリジナル版が消失した作品については、今回のように国内だけでなく海外のコレクターなども保管している可能性なども探りながら、もしかしたら貴重な発見につながるのではないかという微かな希望も込められた、貴重な映画の保存のためにも意義ある公開ということができるでしょう。
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by sentence2307 | 2004-11-28 16:57 | 映画 | Comments(0)
小津監督が1929年に撮ったこのサイレント映画「和製喧嘩友達」は、長い間、失われた幻の映画とされていましたが、幸運にも1997年に新潟・越後湯沢の商家の土蔵から発見され、その数年前に神奈川で見つけられた「突貫小僧」に続いた出来事だったので本当に驚いてしまいました。

そのフィルムは、家庭用に販売された短縮版ということで状態はかなり悪く傷だらけだったということでしたが、それにしてもまるで夢のような話で、こんな奇跡みたいなことが実際に起こるのかと最初はとても信じられませんでした。

東京国立近代美術館フィルムセンターと松竹が、デジタル復元の作業に着手したと報じられたのは、まだ記憶に新しいところですよね。

この作品は、小津作品で現存する最も古い作品「学生ロマンス 若き日」1929に続く作品で、小津監督の第9作目にあたります。

発見されたそのフィルムが9.5mmという特殊なものだったために、当初、国内の修復会社が、拡大映写しながら35mmフィルムに写し取る光学的な方法で修復して1999年に一度ブローアップ版が公開された経緯がありました。

しかし、2万を超えるコマに無数に残る傷や汚れを手作業で修正するという作業は難しく、十分な修復ができなかったという状態でした。

今回上映されるものは、専用の技術を持つオランダ・アムステルダムのハーゲフィルム映画保存社に依頼・復元したものを、日本の現像所IMAGICAが補修を施したデジタル復元版とのことで、オランダ・ハーゲフィルム映画保存社は、前回伊藤大輔監督の、やはりそれまでは幻の時代劇映画といわれていた同じ9.5mm版の「斬人斬馬剣」をデジタル修復した実績があります(奇しくも、この「和製喧嘩友達」は、1929年7月5日、浅草帝国館と横浜常設館で伊藤大輔監督・市川右太衛門主演の「一殺多生剣」の添えものとして封切られたそうです)。

作業的には、映像を一旦デジタルデータに変換して修正して35mmに焼き付ける方法で、かなりの段階まで修復することに成功しています。

またフィルムの傷をコンピューター・プログラムによって自動的に修復するのでコストの大幅な節減にも繋がりました。

この経験がそのまま今回の小津作品への修復に生かされて、さらにコンピューター処理ではカバーできない傷を国内の修復業者が手作業で処理するという作業で精度を高めながら、技術委譲も視野に収めた仕事が行われました。
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by sentence2307 | 2004-11-28 16:55 | 映画 | Comments(0)
さて、小津安二郎初期の7作品(懺悔の刃1927、若人の夢、女房紛失、カボチャ、引越し夫婦、肉体美1928、宝の山1929)が残念ながら失われているために、この第8作目が今のところ現存する最も古い小津監督作品となっています。

監督になってすぐの25歳で撮られたみずみずしいこの映画は、彼が愛したアメリカのコメディ映画の影響が色濃く見られる佳作で、調子のいい軟派学生のツッコミをぐうたら学生のボケが受けて展開していくというどこまでも明るい学生喜劇です。

後半の軽井沢のスキー場の場面で連発されるギャグは、洗練された後年の小津監督のスマートさの原型を思わずにはおきません。

当時の松竹では現代劇は蒲田撮影所で撮影されていたことから、若き俊英の監督たち(小津安二郎、五所平之助、斎藤寅二郎、成瀬巳喜男ら)は、撮影所長・城戸四郎の製作方針、いわゆる城戸イズムによって鍛えられました。

助監督時代に徹底的に脚本修行を叩き込まれ、監督昇進時には中・短編の喜劇を数本撮らせたということで、小津安二郎も1928年には5本のナンセンス・コメディやドタバタ喜劇を撮ることとなりますが、アメリカ映画に深く傾倒していた小津安二郎が、そこから学んだ数々のギャグを自分の作品に取り込みながら独特の映画的テンポを習得していったことは容易に想像することができます。

前半は、東京の下宿で暮らす貧乏学生の日常生活が描かれ、例えば、下宿の窓に「貸し間あり」という貼紙を出しておいて男の客がやってくると追い返し、若い女性がくると、これから引っ越すところだと言い置いて越す振りをした後で、再び忘れ物を取りに来たといって引き返してきて友達になってしまう、そんな軟派学生を結城一朗が演じ、彼の友だちで一緒にスキーに行って散々な目にあわされる学生を齋藤達雄が演じています。

「貸間あり」のオープニング・ショットが、そのままラスト・ショットに結構していくあたり、円熟を加えていく晩年の小津調にどこか繋がる若々しくのびやかな作風に意外に近いものを感じるかもしれませんね。

「若人の夢」以来ほとんどの小津作品に出演している当時大部屋の役者だった笠智衆がスキー部の学生役で、また、部の主将の役で日守新一が出ています。

そして、あの厚田雄治の名前が撮影補助の名前の中に見つけることができます。

年譜によると、小津作品の撮影は、前半の茂原英雄が33作、後半の厚田雄治が15作を担当したことになっていますね。

(1929松竹蒲田)
監督潤色・小津安二郎、原作脚色・伏見晁、撮影編集・茂原英雄、監督補助・小川二郎、深田修造、撮影補助・九里林稔、厚田雄治、山口辰雄、配光・中島利光、撮影事務・金森哲、現像・納所歳巳、阿部鉉太郎、舞台設計・脇田世根一、装置・田中未次郎、角田民造、装飾・川崎恒太郎、松原松之助、列車製作・関五郎、タイトル・堀川善一、

出演・結城一郎、齋藤達雄、松井潤子、飯田蝶子、高松栄子、小藤田正一、大国一郎、坂本武、日守新一、山田房生、笠智衆、小倉繁、一木突破、錦織斌、蜂野豊夫
(10巻2854m、103分・35mm・白黒・無声)
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by sentence2307 | 2004-11-28 16:53 | 映画 | Comments(148)
老婆心ながら確認の意味で、小津安二郎の「再評価」をざっとおさらいしておきます。

というのは、先日「キネマ旬報」誌で、小津に傾倒しているヴェンダースや蓮實重彦は、小津作品を単に錯覚しているだけという、この「小津再評価」の意味を取り違えたある落語家のコラムを読んだからです。

彼は言います、もともと、とても奇妙な日本人を描いていた小津作品を純正な日本映画だと持て囃すのは錯覚もいいところだと。

なにも外人監督の訳の分らない解釈の尻馬に乗って馬鹿騒ぎすることもないだろう、というのです。

しかし、それは、僕たちの文化では決して持つことが出来なかった新たな解釈を突きつけられて、それを理解できないからといって錯覚と断ずること自体、自分の価値観だけに囚われて他の文化圏の価値観を認めようとしない固陋な立場を既に露呈しており、それはつまり、日本独特の静謐な小津の世界観を外国人には決して理解できないだろうと深く思い込んでいたそういう日本人の劣等感や自己卑下、捻じ曲がった価値観の延長線上に、例えばあの某落語家のコラムが位置していたということにすぎないのです。

僕たちが子供の時に見ていた小津作品は、いま見ている小津作品とは本質的に違うものだと思っています。

決して極論ではありません。

時代の変遷や新たな解釈が小津作品に秘められていながら見えなかったものを異文化から来た新たな価値観が見えるようにしてくれたと思っているのです。

それはもともと「そこ」にあったものなのかもしれませんが、しかし、僕たちが従来から持っていた価値観では、いつまでたっても決して読み解くことが出来なかった「もの」だったろうと僕は考えています。

小津安二郎再評価が始まったのは、佐藤忠男の「小津安二郎の芸術」朝日選書71とか蛮友社の「小津安二郎 人と仕事」72あたりからでしょうか。

あれ以後、ドナルド・リチーの「小津安二郎の美学 映画のなかの日本」フィルムアート社78とか、極めつけの高橋治の「絢爛たる影絵」文芸春秋82や蓮實重彦の「監督小津安二郎」筑摩書房83へと続いていったのですが、もし、この再評価の潮流がなければ、きっと「日本だけの巨匠」の名に封印され、この小津安二郎の初期作品「学生ロマンス 若き日」も見る機会を持つこともできなかったかもしれませんね。
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by sentence2307 | 2004-11-28 16:51 | 映画 | Comments(2)

チョコレートと兵隊

この作品は「銃後の守り」を宣伝する時局映画として作られた1938年東宝作品で、長らくアメリカに没収されていた作品として知られているものだそうです。

物語は、ある日召集令状が届いて、大陸の戦線に送られた釣り好きの印刷工・藤原釜足は、戦地にいても子供が集めていたチョコレートの包み紙を送り続けていますが、あるとき、戦地からのチョコレートの包み紙が届くと同時に、父の戦死の報ももたらされるというもので、多分、日本人研究用の教材として使われていたらしということなのですが、最近発見されて国立近代美術館フィルムセンターの収蔵フィルムの一本として加わった幻の国策映画だそうです。

この作品を観たフランク・キャプラが、

「このような映画に我々は勝てない。こんな映画は10年に1本作れるか作れないかであろう。大体役者がいない」

という意味不明のコメントが残されているそうです。

「戦意高揚映画」として優れているという意味なのか、それとも、戦意を高揚させる意図がまったく感じさせないあたりを皮肉っているのか、市井に生きる小市民の生活を淡々としたタッチで描いた佳作といえるかもしれないけれども、果たしてこの作品が子供向けに作られたのか大人向けの作品なのか、一体誰が主人公なのか、チョコレートの贈り物が届いた時点で終わりにすべき不思議な作品だという、そういう意味で述べたのか、いろいろな解釈があるそうです。

この作品で高峰秀子は印刷所の娘・田辺茂子の役を演じました。

(38東宝東京) (監督)佐藤武(原作)小林勝(脚本)石川秋子(撮影)吉野馨治(美術)吉松英海(音楽)伊藤昇

(出演)藤原釜足、澤村貞子、小€€まさる、若葉きよ子、霧立のぼる、横山運平、生方賢一郎、若宮金太郎、一の瀬綾子、小西司郎、水谷史郎 (74分・35mm・白黒)
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by sentence2307 | 2004-11-28 10:28 | 映画 | Comments(0)

タトゥー

おそらくWOWOWあたりで放送していたのを意識しないまま、いつの間にか録画したのだと思います。そんな感じで何気なく見たのが、このドイツ映画「タトゥー」02という作品でした。

アウグスト・ディールとか、ナデシュダ・プレニックという俳優さんは、きっとドイツでは超有名なスターなのだと思いますが、自分としては初めて見る顔ばかりなので、どの顔もオリヴァー・カーンに見えてしまい、かえってあのタイプの精悍な顔の展示会みたいで、その意味でも結構面白く見ることのできた一本だったと思います。

作品自体も、まさにドイツ映画らしく見るからに生真面目な、笑いなどとんでもないという感じの作り方のされた映画でした。しかし、その「ゆとり」など少しも持ち合わせていないという実直でコワモテな印象とか、無骨で融通の効かなさ加減とかには、いつも見慣れているアメリカ映画にはない不思議なユーモアなどを感じ、とても面白い印象も受けました。

話そのものは、とても陰惨な猟奇殺人事件を描いたサスペンス・ミステリー映画です。

とにかく、人間の皮を剥ぎ取るという殺人事件が立て続けに発生して、ベテラン刑事とその娘との確執を絡めながら、若い刑事が謎解きに挑むという、タイプとしては、どこかで幾度も見たことのあるエド・ゲインものの流れを狙った作品ですから、ああ、あれかと思いつく類似の作品はいくらでもあるかもしれません。

例えば、「セブン」とか「羊たちの沈黙」とか。

しかし、言うまでもなく、この作品は、それらの作品と比べてしまえば明らかに見劣りしてしまうことは避けられませんし、そういう見方をすれば、この映画の魅力を最初から見誤ってしまうこととなりかねません。どんな映画でも、その作品独自の魅力って、あるものだと思います。

この映画で描かれている殺人事件が物凄く悪趣味な陰惨なショットで描かれているからといって、決してエド・ゲインもののような猟奇狙いの映画ではありません。

日本の優れた刺青師がドイツ人の背中に彫った12体?の刺青があまりにも芸術的で見事なために、マニアの間で高値で取り引きされるというニーズに導かれて連続殺人が誘発されてしまうという想定です。

そして、さらにこの映画の根底を支えているのが、「日本の刺青というものは、収集マニアが血道を上げるのがもっともな芸術的に優れた価値を持つのだ」という考え方です。

「日本独自のモノ」が、外国から見当違いな奇妙な評価を受け、そして次第に受け入れられることによって、遠回りをしながらも徐々に世界の市民権を獲得していくという多くの過程を見慣れている僕たちからしても、この「刺青評価説」は眉に唾して向き合わなければならないほどに奇異な感じを覚えます。

僕たちの知っている刺青が持つ役割というのが、気の弱い人間が自分をできるだけ大きく見せようとするヤクザの虚栄心に基づくコンプレックス以外のなにものでもないこととか、そのために多くの日本人が日常的に迷惑を受けている煩わしい恐怖の印象とか経験とかがあって、この映画を作ったドイツ人みたいに、刺青がただ優れた芸術作品だと思い込めるほど単純には受け入れられない絶望的な部分があるからかも知れませんね。

いまでも忘れられないひとつの思い出があります。

あるホテルの共同浴場で、全身に刺青を施した父親らしき人が、幼い息子に自分のそばに来てシャワーを浴びるように促していました。

子供は遠く離れた場所で衆目の視線に晒され、そして下を俯いたまま、その場所から一歩も動けないまま固まっていました。

父と子の痛切なその光景を思い出しながら、いったいあの子の将来はどうなるのだと、思い出す度に胸が痛みます。

刺青を芸術作品と看做す前に必ずや立ち塞がるこの道義的な思いというのが、日本人として誰もが抱いているに違いない「刺青」に対する考え方の限界だろうと思います。

そうした僕たちを捉えている思いの限界が、「刺青」を芸術作品と看做すこのドイツ映画の視点と同一な位置を獲得するためには、まだまだ時間が掛かるかもしれませんね。

(2002ドイツ)(監督)ロベルト・シュヴェンケ(製作)ジャン・ヒンター(脚本)ロベルト・シュヴェンケ(撮影)ジャン・フェーセ(音楽)マルティン・トドシャロウ
(出演)アウグスト・ディール、ナディシュダ・ブレニッケ、クリスチャン・
レドル、イルクナー・バハディル、ジョー・バウシュ、ヨハン・レイセン
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by sentence2307 | 2004-11-28 00:03 | 映画 | Comments(5)

新しき土・ドイツ語版

ドイツ山岳映画の第一人者アーノルド・ファンクが、日本においてデビューしたての原節子で撮ったこの映画が、ドイツ国内では「侍の娘」というタイトルで公開されて大当たりをとったことは、よく知られています。

資料には、1937年3月23日から5月18日の間にドイツ主要都市2600の大小映画館で上映されて観客総数600万人を超えたとされています。

これは、それまでのロング・ラン作品テラ・フィルムのポーラ・ネグリ主演「モスコー・シャンハイ」の記録を大幅に破る快挙でした。

この圧倒的な人気はドイツのみにとどまらず、欧州13カ国をはじめギリシャ、ポーランド、ハンガリー、フィンランドからの上映の申し込みが殺到したと記されています。

しかし、日本において、それほどの圧倒的な人気を得ることができたのかどうか、その辺の確認はできませんでしたが、僕の知る限り、それほどのものではなかったように思われます。

その理由のひとつは、日本の観光地をただツギハギしただけの独善的で誠意のない描き方にあったのかもしれません。

原節子が鹿に餌をあげている同じ庭園内から、安芸の宮島が望まれるというようなシーンには、ただただ驚かされてしまいますが、しかしこれが当時の欧米人が夢見た極東の島国の限界だったのでしょうか。

しかし、本当は、日本人が受ける「違和感」は、もう少し違う所にあるのかもしれませんね。

つまり、例えば、冒頭に映し出される傑出した荒々しい富士山の威容を描いている力強い映像はどうでしょうか。

それまで僕たちが見てきた日本人の撮った富士が、どこまでも霊峰としての神々しさを失うことなく、穏やかでごく身近な静謐さをたたえた富士山の映像しか見たことがなかっただけに、やはり、この映像体験は、僕にとってはやはり衝撃といえるものだったかもしれません。

もうひとつ別に作られたという伊丹版が、このあたりをどう処理しているのか未見なので分りませんが、少なくともファンク版における富士は、容易には人を寄せ付けそうにない険しい岩肌に、叩き付けるように逆巻く雪まじりの突風が行き交い、荒々しく吹き荒れる自然の猛威と不気味さを湛えた今まで見たこともないような自然そのものの只中にある猛々しい富士山の姿でした。

そこには、僕たちがいつの間にかこの単なる山に付加してしまっていた価値観とかモロモロの観念(霊峰とか)を打ち砕く「まぎれもない自然そのものの姿」がありました。

この日独同盟が産み落とした政治的な映画が、意外に当時の日本人に不評だったのは、日本人のイデオロギーそのものでもあった富士山をこんな形で剥き出しに描いたこのあたりにあったのかもしれませんね。

この場合のリアリズムが、日本人にとっては受け入れがたい場違いな「否定」を意味していたに違いありません。
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by sentence2307 | 2004-11-27 13:42 | 映画 | Comments(150)

裁かるるジャンヌ ⑦

以前どこかのTVで見たのですが、ヘミングウェイとかヒッチコックがすごいマザコンで、この巨人たちが残した偉大な作品群は、自分の母親の関心を引くために為された仕事だったとかいう、確かそんな番組を見たことがありました(もし、記憶違いだったらゴメンナサイ。)。

しかし、創作をナリワイとするものにとって、「誰かに認められたい、褒められたい」と思うのは当然の欲求ですよね。

どんなに大衆に人気があって、指示されていると思っていても、大衆という不確かな実体のなさに、いつかは不安に駆られて、その虚しさに耐え切れずに自分からペースを乱して表舞台から消えていった才能ある芸能人の失速を数多く見てきました。

人気の絶頂期に自殺した人もいました。

だから、あれだけの人気に支えられていた天才・美空ひばりが、自分の周囲を母親はじめ血縁者で固めていたのは、その辺の虚しさをよく分かっていたからではないかと思えて仕方ありません。

それは、レコードを百万枚売り上げても、母親にひとこと褒めてもらう方がよっぽど励みになったということだと思います。

「実体」というものでいえば、母親以上の存在はないでしょうし、大衆の支持などというものは、それが巨大化すればする程、空虚な実体を逆にさらけ出し、本人を不安にさせてしまうだけかもしれません。

しかし、なぜ、美空ひばりが、カール・ドライヤーなのか、疑問でしょうね。

それは今からお話します。

年譜によるとドライヤーの実の母親は貧しい農夫の娘で、地主の息子と道ならぬ恋に落ちて婚姻外の子(これがドライヤーです)を出産しますが、幼すぎる彼女には子供を育てられず、結局は養子に出して、彼女自身は一年後に亡くなっています。

そこにはきっと筆舌に尽くしがたい悲惨な出来事があったに違いありませんし、成人したドライヤーが養家と気まずくなって家を飛び出してしまうというあたりの事情も、悲惨な母親の死とひと続きのものと考えざるを得ません。

僕たちが初めてドライヤーの映画を見て、なにしろ驚いたのは、奇跡だとか殉教だとか僕たちにはまるで馴染みのない世界を見せ付けられたからですが、しかし、その抽象の世界に、例えば、社会から見捨てられた不遇な女性像を重ね合わせることによって、はじめてドライヤーの苦渋に満ちた世界が完結するのではないかと思えてきました。

従来の定説どおり、この「裁かるるジャンヌ」を始め他のドライヤー作品を人間と神との相克の関係だけに限定し、ドライヤーの閉ざされた作品世界を無理矢理読み解こうとすれば、その強引さは逆に僕たちを出口のない不条理の迷宮に追い込み、ただ意味のない抽象の世界を当てもなくさまよい歩く不毛な泥沼に足を取られるだけの結果しか望めないかもしれません。

おそらく、これまで映画史に残されてきたこの作品のどこかいまひとつ納得できない煮え切らなさを持つ多くの映画批評が、それを恕実に示しているでしょう。

それは、ひたすら「神」のいる方向を仰ぎ見ながら終始したことで証明されていると思います。

彼の描くどの物語にも、その根底には、ただ悲惨だった母親の短い生涯に対する悲憤が込められていたのだと思いますが、きっと敬虔なファンの多い壮大なドライヤーの世界をこんなに小さくまとめてしまっていいものかどうか、申し訳なさでいっぱいです。
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by sentence2307 | 2004-11-27 12:05 | 映画 | Comments(112)