世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307

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全米監督組合賞に、女性ボクサーの人生を描いた映画「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッドが選ばれたそうですね。

驚きです。

「許されざる者」でイーストウッドが全米監督賞を受賞して以来、受賞したのはこれで2度目ですが、その年の1992年には、そのままアカデミー監督賞も受賞しています。

とにかく、過去この監督組合賞を受賞者した56人のうち、50人までがアカデミー賞の監督賞を受賞しているというくらいの「お墨付き」の賞ですから、多くの関係者が、もはやイーストウッドの監督賞は約束されたも同然とみるのも無理からぬことかもしれませんね。
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by sentence2307 | 2005-01-31 23:07 | 映画 | Comments(0)

かたつもり

この40分足らずのフィルムの中には、ただ畑の雑草とりに精を出している老婆の姿しか映ってはいません。

ただ、じっと見つめているキャメラに向かって、時折老婆は、はにかみながら笑顔で話しかけてきます。

その柔らかく穏やか語りかけの表情によって、撮られている者と撮っている者との、心を許しあっているその関係の距離の近さが一挙に分かります。

それでもなお、おばあちゃんの額にマイクの影が映りこむほどの極限の至近距離までキャメラは近づき、老婆をド・アップで捉えることを止めようとしません。

近づき、さらに近づいても、しかし満足することなく、キャメラは老婆にまとわり付きます。じゃれかかっている、といった方がいいかも知れない。

このとき、キャメラは、不自然に見つめ続けることを可能にする「緩衝材」みたいな物なのだなと感じました。

そして僕たちは考えます。

その、抱き締めても抱き締めても飽き足らないような執拗さを促しているものは、おそらく、やがて来るに違いない「老婆の死」への怯えに駆り立てられている焦燥感に基づいた恐怖感であることを。

そして、それだけ強い絆で結ばれている河瀬直美と河瀬宇乃の関係を。

これだけの愛情表現は、例えばあのジョナス・メカスの「リトアニアへの旅の追憶」でも僕たちは見ることができなかったかもしれません。

この短いフィルムの中のすべてに、河瀬直美の「あばあちゃん、死なないで」という祈りが刻印されていて僕たちを打ちのめさずにはおきません。

キャメラが、勝手口の窓をそっと開けて老婆の姿を捉えた後、河瀬直美の指が遠い老婆の姿をなぞる場面がありました。

遠景の姿をなぞるその指先に込められた執拗さには、愛情と、そして、いつかはきっと残酷な時の流れに呑み込まれていくに違いない失われ逝く者に対する苛立ちが込められていました。

キャメラは、急いで戸外に飛び出して老婆の傍らに近づき、その姿を至近距離で撮らえるとともに、河瀬直美は自分の手で老婆に触れます。

映像で捉えるだけの心許なさとでもいうべきなのか、彼女は映像の虚妄を突き破って始めて愛する者にその手を届かせたのだと思います。

命ある者すべてが、やがては息絶える定めであるとしても、「まるで生きているかのような映像のリアル」の残酷な限界に手を差し伸べて挑んだ河瀬直美の、いつまでも生きていて欲しいと願うおばあちゃんへの率直な愛情表現に心打たれるとともに、ガラス戸の向こうにある青空や雲を痙攣するような指先で「まさぐる」仕草に、過ぎ行く時を捉えきれない苛立ちを見てしまったのは、僕だけだったでしょうか。
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by sentence2307 | 2005-01-31 00:12 | 映画 | Comments(0)
いろいろな賞の受賞リストを眺めていると、ときどき素朴な疑問にぶつかることがあります。

例えば、作品賞を受賞した作品が、監督賞を受賞できないのは何故だろう、とか。

結構類例はたくさんあると思うので、こんなこと疑問に思う方が変なのかも知れませんが。

単純に考えれば、作品賞とは作品総体に対して与えられるものだから、きっとスタッフやキャストなどその作品に関係した全員の仕事に対して顕彰するものと解することができるでしょうし、監督賞は文字通り演出に対して贈られるものと理解すればいいのだとは思います。

ただ、賞にはまた別に個々の技術的な専門部門での顕彰がそれぞれ用意されているのですから、作品賞との矛盾というか齟齬というか、そんな感じのものが付きまとうのではないかなんて考えてしまうのです。

何故こんな考えを持ったかというと、日刊スポーツ映画大賞で作品賞を受賞した「血と骨」(崔洋一監督)と、監督賞を受賞した黒木和雄(「父と暮せば」「美しい夏キリシマ」)の活字をパッと見て、その奇妙な配列(当たり前ですが作品賞には作品名が、監督賞には監督名が掲げられています)に違和を感じ、ふとそんな考えが浮かびました。

作品賞を受賞しながら、その背後に括弧書きで記される監督は、いったいどんな顔をしていればいいのか・どこまで喜んでいいのか困惑して、きっとその奇妙な立場に戸惑うのではないか。

だって、彼の横には正真正銘の「監督賞」を受賞した人物が立っていて、たとえ作品賞の監督が優れた仕事でその作品にかかわったとしても、少なくとも自分は隣に立っている演出家以上の評価を得ているわけではなく、つまり素直に手放しで喜べるような立場にいる訳ではないと感じてしまうのではないか、というようなそんな考えに囚われてしまいました。

ここまで読んでくれた人たちは、きっと僕が、「賞というものの在り方」についてみたいな展開で話を進めようとしていると思われるかもしれませんが、自分としては黒木和雄監督と「青の会」について書こうと思っていたので、実のところ文章に変な勢いがついて制御できないまま、話が思わぬ方向に進んでしまったことに戸惑っています。

また明日、整理してから改めて書き直そうかと思っています。
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by sentence2307 | 2005-01-30 00:06 | 映画 | Comments(0)

女の街 (40東宝)

頻度的に結構見ている「日本映画専門チャンネル」で、原節子主演映画を1月から3月の3ヶ月にわたり24作品を放映するという特集企画をとても楽しみにしているひとりです。

全作品がTV初登場というコピーにも惹かれています。

1月放映分の8作品はすべて録画したものの、現在のところ見ることができた作品は、山本薩夫監督の「田園交響楽」38と今井正監督の「女の街」40の2本だけです。

いずれの作品も「原節子の美しさ」という到達点まで、どれだけ無理なくストーリーを心地よく押し上げることができるかという演出の技量が問われる作品だろうと思いますが、その意味で僕は今井正の「女の街」という作品の方を採りました。

山本薩夫の「田園交響楽」は、話の辻褄を合わせるために話し運びをはしょったような粗雑で強引な部分が気になりました。

聖職者のもとで清らかに育てられた少女が成熟して美しい女になったとき、聖職者の弟(彼女を愛してます)から世俗の醜さを知らされて初めて驚くという場面には、カマトトぶったわざとらしさしか感じられませんでした。

きっと少女が成長していく過程の説明が舌足らずだったためにそう感じたのだと思うのですが、映画の冒頭、納屋の片隅で母親が行き倒れ孤児となった少女を聖職者が救ったとき、貧しさのどん底で母との放浪がどんなに悲惨だったか、そのみすぼらしい衣服や異常な怯えなどによって象徴的に描かれています。

まあ、普通に考えれば、長い放浪生活で、食うや食わずの生活を送っているとすれば、時には、飢えを凌ぐために娘を働かせて金を得るという「際どい方法」なども当然の選択肢としてあったかもしれませんし、そうでなくとも、世間の冷たさや、あるいは誘いや危険に絶えず曝されることによって、少女が、たとえ肉体は親によって守られたとしても、そうしたことを見聞きすることによる世間知への早熟さは当然にあっただろうと思います。

深窓の令嬢ではないのですから、「世間の醜さに」初めて接したような不自然な驚きの描写は、それこそ無理があると思いました。

かたや今井正監督の「女の街」は、出征した夫の留守を守る若妻・原節子が、夫の留守中誰にも頼らず自分独りの力で生活していこうと決意して、夫の正業だった洋服屋を閉めて一時居酒屋を始めるという話です。

当然そこには周囲との軋轢が生じて、例えば水商売に手を染めることに対する親類からの忌避とか、なまじ繁盛してしまうために近隣の同業者から反発を招くなどの描写もしっかりと描き込まれています。

どの今井正監督作品にも感じることなのですが、「冷ややかな周囲の眼差し」への必死の闘い、というか冷ややかな視線に晒される被差別者たちの怒りと哀しみの萌芽みたいなものが、この作品にも微かですが感じることができました。

どの今井作品も感じるその蔑視こそ日本社会の根底にある差別感を醸成しているものなのだ、という切実な主張が常にあるような気がしてなりません。

この作品「女の街」にも、隣近所の「ひそひそと交わされる陰口と、冷ややかな眼差し」は、しっかりと描かれていました。

山本薩夫と今井正は、戦後「手の平を返したように変節した」映画人の代表のようにいわれた映画作家です。

しかし、あの時代、フィルムを確保して映画を撮ることと、政府の意向を受け入れて仕事をすることとは不可分のものではありませんでしたから、そのことを全否定してしまったら、それこそ論ずべきものが何一つなくなってしまいます。

要するに、何が言いたかったのかという「質」を問うこと、少なくともその兆しを個々の作品のなかに見ていくことが大切なのではないかなどとつい思いながら、誰にとっても厳しかったこの時代の映画を僕は見ることにしています。

(40東宝映画・京都撮影所)製作・森田信義、監督・今井正、原作・川村花菱、脚色・岸松雄・山崎謙太、撮影・立花幹也、音楽・清田茂、美術・中古智、録音・矢野口文雄、
出演・原節子、大川平八郎、野村秋生、林喜美子、沢村貞子、藤輪欣司、小高まさる、片桐日名子、清川玉枝、山田長正、真木順、三條利喜江、深見泰三、山川ひろし、中村彰横尾誉次郎、柳谷寛、寺尾新、生方賢一郎、一ノ瀬綾子、加藤欣子、戸川弓子
(8巻 1,899m 69分 白黒)
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by sentence2307 | 2005-01-29 20:22 | 映画 | Comments(1)

恋恋風塵

僕の旧い友人で、ルキノ・ヴィスコイティの作品が物凄く好きな男がいます。

お互い社会人ともなれば会う機会も次第になくなり、疎遠になればなるほど、ますますこちらからも連絡がとりづらくなってしまい面倒な気持ちになりかかっているようなとき、本当に何年か振りくらいに連絡がきたりします。

そんなときは、むかしツケがきいて飲みまくった馴染みの店でサカズキを交わして、結局は懐かしい映画の話・お互いの得意分野の映画のことなどを延々と話したりします。

例えば会社の同僚と飲むときなどは、なんのためらいもなく話せる会社の人事や仕事の段取りの話も、学生時代をともに過ごした旧友となると何となく気恥ずかしくて、どうしても話せません。

なぜなのか、なんとなく不思議ですが、考えてみれば、きっとお互いの若かった頃、夢を語りあった者同士、脂ぎった生活臭のある生臭い話を実務的に交わすことなんて、とても出来そうにないのだと思います。

夢を語る、その延長線上にあるのが、もしかしたら「映画」を語ることなので、生活の中に功利で計れないそういう部分があってもいいかなと最近感じ始めています。

彼の話す映画は、もちろんヴィスコンティ作品、そのなかでも特に彼が好きなのが、初期作品です。

なぜか退廃美に満ちた後期の作品、つまり「地獄に堕ちた勇者ども」や「ルートヴィヒ」や「イノセント」は、ヴィスコンティらしくない、とはっきり嫌っています。

初期と後期のどちらがヴィスコンティらしいかは、きっと意見が分かれるところでしょうけれども。

逢ったその日、ネオリアリズモに強く傾倒していた懐かしい彼を髣髴とさせる熱弁を久し振りに聞きました。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」です。

素晴らしい作品です。

僕もあの映画はいい作品だと思います。

しかし、彼には悪いのですが、ある思いに囚われてしまい、僕は彼の熱弁を上の空で聞いてしまいました。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」というタイトルから、僕がどうしても連想してしまうのは、申し訳ないのですが、侯孝賢の「恋恋風塵」です。

ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、郊外の寂れたドライブインで社会から見放されたような生活を強いられている女が、行きずりの恋に燃え破滅していく物語でした。

欲望剥き出しのリアルな描き方には感動はしましたが、しかし、その「感動」は、少なくとも自分のものではありませんでした。

ドライブインの欲求不満の人妻とともに亭主を殺し愛欲の逃避行を決行するかと問われれば、自分とは無縁の世界のことだというしかありません。

しかし、幾度も残念な恋愛を経験した身にとって「恋恋風塵」で描かれている恋の破綻は、決して他人事の「痛み」とは思えません。

彼女にラヴレターを送り続け、そしてその手紙を配達し続けた郵便配達と彼女が結ばれてしまうという皮肉な寓話のような話は、しかし僕にとって客観的に笑えるような話ではありませんでした。

恋を失った男が「声を上げてベッドの上で泣く」というシーンを見たとき、ああいう風に自分の気持ちをあからさまにする方法もあったのか、という自虐的な思いに囚われたことを鮮明に思い出しました。

彼の熱弁を上の空で聞いた挙句に、生返事で返してしまい、旧友には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
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by sentence2307 | 2005-01-28 00:19 | 映画 | Comments(0)
第77回アカデミー賞のノミネート作品が1月25日に発表されました。

ゴールデン・グローブ賞で作品賞(ドラマ部門)受賞の追い風を受けて巨匠マーティン・スコセッシ、レオナルド・ディカプリオ主演の、ハリウッド黄金時代に壮大な夢を追い続けた実在の大富豪ハワード・ヒューズの半生を描いた「アビエイター」が、作品賞のほか監督賞、オリジナル脚本賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞など主要11部門で最多ノミネートされました。

これに続く「ミリオンダラー・ベイビー」と「ネバーランド」がそれぞれ7部門、「Ray/レイ」が6部門、「サイドウェイ」が5部門などを見る限り、やはりディカプリオとスコセッシの「呪縛」が解かれる瞬間が近づきつつあるような予感がします。

ハリウッドのコダックシアターで開催される授賞式2月27日(日本時間2月28日)が本当に待たれますよね。

 過去の最多ノミネートは、「イヴの総て」50と「タイタニック」97の14部門。

オスカー獲得では「ベンハー」59と「タイタニック」97の11部門で、いずれもディカプリオ主演の「タイタニック」が記録に並んでいるとはいえ、しかし、ディカプリオ本人は、「タイタニック」では主演男優賞にノミネートすらされずに、主演、助演ともに男優賞の受賞はなく、いわゆる「タイタニック」の呪縛が語り伝えられてきました。

今年ゴールデン・グローブ賞主演男優賞の獲得が、はたして呪縛からディカプリオを解き放ち、彼に悲願のオスカーをもたらすこととなるのか、スコセッシの監督賞受賞と並んで、いま全世界の最大の注目が集まっています。

技術部門で、ほぼすべてにノミネートされていることを見ても『アビエイター』への評価の内容が、業界人や現場からいかに好意を獲得しているか推測できるような気がします。

しかし、『ミリオンダラー・ベイビー』の演技3部門も、作品それ自体の質的な評価の証明のような気がします。

『サイドウェイ』の主演男優賞の落選は、ホント意外でしたね。



11『アビエイター』(作品・監督・主男・助男・助女・脚本・撮影・編集・美術・衣装・音響)

 7『ネバーランド』(作品・主男・脚色・編集・美術・衣装・作曲)
  『ミリオンダラー・ベイビー』(作品・監督・主男・助男・主女・脚色・編集)

 6『Ray レイ』(作品・監督・主男・編集・衣装・音響)

 5『サイドウェイ』(作品・監督・助男・助女・脚色)

 4『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(美術・衣装・メイク・作曲)

 3『Hotel Rwanda』(主男・助女・脚本)
  『Mr.インクレディブル』(ア作・脚本・音響・音効)
  『ヴェラ・ドレイク』(監督・主女・脚本)
  『パッション』(撮影・メイク・作曲)
  『オペラ座の怪人』(撮影・美術・歌曲)
  『ポーラー・エクスプレス』(音響・音効・歌曲)
  『スパイダーマン2』(視覚・音響・音効)

 2『クローサー』(助男・助女)
  『コラテラル』(主男・編集)
  『コーラス』(外国・歌曲)
  『エターナル・サンシャイン』(主女・脚本)
  『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(視覚・作曲)
  『モーターサイクル・ダイアリーズ』(脚色・歌曲)
  『ロング・エンゲージメント』(撮影・美術)
  『海を飛ぶ夢』(メイク・外国)
  『シュレック2』(ア作・歌曲)

 1『Being Julia』(主女)
  『そして、ひと粒のひかり』(主女)
  『Kinsey』(助女)
  『ビフォア・サンセット』(脚色)
  『LOVERS』(撮影)
  『トロイ』(衣装)
  『アイ,ロボット』(視覚)
  『ヴィレッジ』(作曲)
  『シャーク・テイル』(ア作)


【参考】

▼作品賞
「アビエイター」
「ネバーランド」
「ミリオンダラー・ベイビー」
「Ray/レイ」
「サイドウェイ」

▼監督賞
マーティン・スコセッシ(「アビエイター」)
クリント・イーストウッド(「ミリオンダラー・ベイビー」)
テイラー・ハックフォード(「Ray/レイ」)
アレクサンダー・ペイン(「サイドウェイ」)
マイク・リー(「ヴェラ・ドレイク」)

▼主演男優賞
ドン・チードル(「ホテル・ルワンダ」)
ジョニー・デップ(「ネバーランド」)
レオナルド・ディカプリオ(「アビエイター」)
クリント・イーストウッド(「ミリオンダラー・ベイビー」)
ジェイミー・フォックス(「Ray/レイ」)

▼主演女優賞
アネット・ベニング(「ビーイング・ジュリア」)
カタリーナ・サンディノ・モレノ(「そして、ひと粒のひかり」)
イメルダ・スタントン(「ヴェラ・ドレイク」)
ヒラリー・スワンク(「ミリオンダラー・ベイビー」)
ケイト・ウィンスレット(「エターナル・サンシャイン」)

▼助演男優賞
アラン・アルダ(「アビエイター」)
トーマス・ヘイデン・チャーチ(「サイドウェイ」)
ジェイミー・フォックス(「コラテラル」)
モーガン・フリーマン(「ミリオンダラー・ベイビー」)
クライブ・オーウェン(「クローサー」)

▼助演女優賞
ケイト・ブランシェット(「アビエイター」)
ローラ・リニー(「キンゼイ」)
バージニア・マドセン(「サイドウェイ」)
ソフィー・オコネドー(「ホテル・ルワンダ」)
ナタリー・ポートマン(「クローサー」)

▼オリジナル脚本賞
「アビエイター」
「エターナル・サンシャイン」
「ホテル・ルワンダ」
「Mr.インクレディブル」
「ヴェラ・ドレイク」

▼脚色賞
「ビフォア・サンセット」
「ネバーランド」
「ミリオンダラー・ベイビー」
「モーターサイクル・ダイアリーズ」
「サイドウェイ」

▼外国語映画賞
「As it is in Heaven」(スウェーデン)
「コーラス」(フランス)
「Downfall」(ドイツ)
「海を飛ぶ夢」(スペイン)
「Yesterday」(南アフリカ)

▼美術賞
「アビエイター」
「ネバーランド」
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
「オペラ座の怪人」
「ロング・エンゲージメント」

▼撮影賞
「アビエイター」
「LOVERS」
「パッション」
「オペラ座の怪人」
「ロング・エンゲージメント」

▼衣裳デザイン賞
「アビエイター」
「ネバーランド」
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
「Ray/レイ」
「トロイ」

▼編集賞
「アビエイター」
「コラテラル」
「ネバーランド」
「ミリオンダラー・ベイビー」
「Ray/レイ」

▼メイクアップ賞
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
「パッション」
「海を飛ぶ夢」

▼作曲賞
「ネバーランド」
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
「パッション」
「ヴィレッジ」

▼オリジナル歌曲賞
“Accidentally in Love”(「シュレック2」)
“Al Otro Lado Del Rio”(「モーターサイクル・ダイアリーズ」)
“Believe”(「ポーラー・エクスプレス」)
“Learn to be Lonely”(「オペラ座の怪人」)
“Look to Your Path(Vois Sur Ton Chemin)”(「コーラス」)

▼音響賞
「アビエイター」
「Mr.インクレディブル」
「ポーラー・エクスプレス」
「Ray/レイ」
「スパイダーマン2」

▼音響編集賞
「Mr.インクレディブル」
「ポーラー・エクスプレス」
「スパイダーマン2」

▼視覚効果賞
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」
「アイ,ロボット」
「スパイダーマン2」

▼長編ドキュメンタリー映画賞
「Born into Brothers」
「らくだの涙」
「スーパーサイズ・ミー」
「Tupac: Resuppection」
「Twist of Faith」

▼短編ドキュメンタリー映画賞
「Autism is a World」
「The Children of Lenigradsky」
「Hardwood」
「Mighty Times: The Children's March」
「Sister Rose's Passion」

▼長編アニメ映画賞
「Mr.インクレディブル」
「シャーク・テイル」
「シュレック2」

▼短編アニメ映画賞
「BIRTHDAY BOY」
「Gopher Broke」
「Guard Dog」
「Lorenzo」
「Ryan」

▼短編実写映画賞
「Everything in This Country Must」
「Little Terrorist」
「7:35 in the Morning」
「Two Cars, One Night」
「Wasp」
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by sentence2307 | 2005-01-27 00:34 | 映画 | Comments(0)

その年の最低な映画や俳優に贈られるゴールデン・ラズベリー賞のノミネートが発表され、ハル・ベリー主演の『キャット・ウーマン』が最低映画賞を含む7部門でノミネートされました。

また、『華氏911』のブッシュ大統領が、最低男優賞に名を連ねるというブラックなユーモアたっぷりの驚きのラインナップになっています。


■最低映画賞
 『アレキサンダー』
 『キャットウーマン』
 『Superbabies: Baby Geniuses 2』
 『Surviving Christmas』
 『White Chicks』

■最低主演男優賞
 ベン・アフレック『世界で一番パパが好き!』、『Surviving Christmas』
 ジョージ・W・ブッシュ『華氏911』
 ヴィン・ディーゼル『リディック』
 コリン・ファレル『アレキサンダー』
 ベン・スティラー『ポリーmyラブ』、『Anchorman』、『ドッジボール』、『Envy』、『スタスキー&ハッチ』

■最低主演女優賞
 ハル・ベリー『キャットウーマン』
 ヒラリー・ダフ『A Cinderella Story』、『Raise Your Voice』
 アンジェリーナ・ジョリー『アレキサンダー』、『テイキング・ライブス』
 オルセン姉妹『ニューヨーク・ミニット』
 ショーン&マローン(ウェイアンズ「姉妹」)『White Chicks』

■最低助演男優賞
 ヴァル・キルマー『アレキサンダー』
 アーノルド・シュワルツェネッガー『80デイズ』
 ドナルド・ラムズフェルド『華氏911』
 ジョン・ヴォイト『Superbabies: Baby Geniuses 2』
 ランベール・ウィルソン『キャットウーマン』

■最低助演女優賞
 カルメン・エレクトラ『スタスキー&ハッチ』
 ジェニファー・ロペス『世界で一番パパが好き!』
 コンドリーザ・ライス『華氏911』
 ブリトニー・スピアーズ『華氏911』
 シャロン・ストーン『キャットウーマン』

■最低スクリーン・カップル賞
 ベン・アフレック&ジェニファー・ロペスもしくはリブ・タイラー『世界で一番パパが好き!』
 ハル・ベリー&ベンジャミン・ブラットもしくはシャロン・ストーン『キャットウーマン』
 ジョージ・W・ブッシュ&コンドリーザ・ライスもしくは彼の「ペットの山羊」『華氏911』
 メアリー=ケイト・オルセン&アシュレー・オルセン『ニューヨーク・ミニット』
 ウェイアンズ兄弟『White Chicks』

■最低監督賞
 ボブ・クラーク『Superbabies: Baby Geniuses 2』
 レニー・ハーリン&ポール・シュレーダー『エクソシスト ビギニング』
 ピトフ『キャットウーマン』
 オリバー・ストーン『アレキサンダー』
 キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ『White Chicks』

■最低リメイク・続編賞
 『エイリアン VS. プレデター』
 『アナコンダ2』
 『80デイズ』
 『エクソシスト ビギニング』
 『スクービー・ドゥー2/モンスター パニック』

■最低脚本賞
 『アレキサンダー』
 『キャットウーマン』
 『Superbabies: Baby Geniuses 2』
 『Surviving Christmas』
 『White Chicks』
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by sentence2307 | 2005-01-26 00:21 | 映画 | Comments(11)
◎作品賞

『アビエイター』The Aviator(ミラマックス)
『ネバーランド』Finding Neverland(ミラマックス)
『ミリオンダラー・ベイビー』Million Dollar Baby(ワーナー・ブラザース)
『Ray レイ』Ray(ユニヴァーサル)
『サイドウェイ』Sideways(フォックス・サーチライト)

◎主演男優賞

ドン・チードル(Hotel Rwanda)
ジョニー・デップ(ネバーランド)
レオナルド・ディカプリオ(アビエイター)
ジェイミー・フォックス(Ray レイ)
クリント・イーストウッド(ミリオンダラー・ベイビー)

◎主演女優賞

アネット・ベニング(Being Julia)
カタリナ・サンディノ・モレノ(そして、ひと粒のひかり)
イメルダ・スタウントン(ヴェラ・ドレイク)
ヒラリー・スワンク(ミリオンダラー・ベイビー)
ケイト・ウィンスレット(エターナル・サンシャイン)

◎助演男優賞

アラン・アルダ(アビエイター)
トーマス・ヘイデン・チャーチ(サイドウェイ)
ジェイミー・フォックス(コラテラル)
モーガン・フリーマン(ミリオンダラー・ベイビー)
クライヴ・オーウェン(クローサー)

◎助演女優賞

ケイト・ブランシェット(アビエイター)
ローラ・リニー(Kinsey)
ヴァージニア・マドセン(サイドウェイ)
ソフィー・オコネドー(Hotel Rwanda)
ナタリー・ポートマン(クローサー)

◎監督賞

クリント・イーストウッド(ミリオンダラー・ベイビー)
テイラー・ハックフォード(Ray レイ)
マイク・リー(ヴェラ・ドレイク)
アレクサンダー・ペイン(サイドウェイ)
マーティン・スコセッシ(アビエイター)

◎脚本賞

アビエイター
エターナル・サンシャイン
Hotel Rwanda
Mr.インクレディブル
ヴェラ・ドレイク

◎脚色賞 

ビフォア・サンセット
ネバーランド
ミリオンダラー・ベイビー
モーターサイクル・ダイアリーズ
サイドウェイ

◎外国語映画賞

『As It is in Heaven』(スウェーデン)
『コーラス』The Chorus(フランス)
『Downfall』(ドイツ)
『海を飛ぶ夢』The Sea Inside(スペイン)
『Yesterday』(南アフリカ)

◎長編アニメーション映画賞

『Mr.インクレディブル』
『シャーク・テイル』
『シュレック2』
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by sentence2307 | 2005-01-25 23:12 | 映画 | Comments(3)
中村登監督の52年度松竹作品で「波」という映画を、先日BS放送で放映していたので、たまたま見ることができました。

決して名作だとか、珠玉の名品などと呼べるような作品ではありませんが、しかし、この作品には「日本の男のエゴイズム」というものが、明確に描き込まれていて、とても面白いなと感じました。

ストーリーは、教え子が家庭の貧困のために芸者になり(そこでは、「売られた」というリアルな表現がされています)、暫くして芸者の辛い仕事に堪えられなくなった彼女が逃げ帰ってきた先というのが、かつての教師(主人公です)だった男の下宿で、やがて夜になって彼女には帰る所がないというので泊めてあげたことが、その二人の結婚した主たる理由です。

別に教師が教え子や芸者(現実的には、どちらにしても少しは躊躇くらいした方がいいかもしれませんが)と結婚することが悪いとか倫理に反するとか思っている訳ではありませんが、躊躇するくらいの葛藤や迷いの描写はあってもいいかなと感じました。

登場人物がどういう職業にあり、どういう倫理観に囚われていて、そしてどんな風に悩んだり苦しんだりするのか、作品や人物描写に奥行きを持たせるということは、多分そういうことなのだろうと思いますし、この部分がしっかりと描き込まれてないと、作品との距離を縮められずに醒めきったままの観客は、いつまでも作品の中に感情移入できないで終わる可能性があります。

この作品には、随所にそうした「肩透かし」を食らわせられる場面が幾つも出てきます。

例えば、妻が不倫の末に若い男とともに駆け落ちし、夫が投宿しているその温泉宿まで会いに行く場面が、ひと悶着とともに描かれていますが、なぜ妻が若い男と不倫をしたのか、その動機が一切描かれていません。

駆け落ちという穏やかならざる行動にでた妻に責められるべきところがあるのと同じように、そうした行動に追い詰めた夫にも責められるところが当然あっただろうと観客は考え、夫婦の間にあったはずの軋轢の理由を知りたいと思うのは無理からぬところです。

「なぜ、あんなことをした」と夫が問い詰め、あるいは「あなたのそういう卑怯なところが堪らないのよ」とかなんとか、夫の人間性をめぐって夫婦の言い争いくらいあっても少しもおかしくない場面です。

しかし、夫の側の「負の部分」が伏せられたまま真実の追究は描かれることなく、産褥の死の床にある妻は、不自然なほど、ただひたすら夫に詫びるばかりなのです。

また、生まれた子が本当に自分の子かどうかと夫が疑惑を抱く場面でも、そして里親の妹と「あやまち」を犯す場面でも、この同じパターンが繰り返されています。

男の側の「負の部分」が伏せられ、真実は突き詰められないまま、いつの間にか親子は和解し、自分への好意を踏みにじった里親とも難なくヨリが戻りそうなラストでした。

結局、最後まで解消されることのなかった「わだかまり」は、本編の進行にはなんの支障もなかったものの、しかし、観客の心の中にはしっかりと根を張って残ってしまっていることを、中村監督が、はたして分かっていたかどうかは、はなはだ疑問なところでしょう。
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by sentence2307 | 2005-01-23 23:11 | 映画 | Comments(632)
会社という所は、どうしてああも会議が好きなのか、ほとほと理解に苦しみます。

実は、このセリフをそのまま、入社したての時に上司だった人に訊いたことがありました。

答えは、「会社の会議とは、会社のある方針をみんなで決定するというよりも、その方針を全社員に遍く理解させることの方が目的なので、出席することは強制だが、会議の場で居眠りしても一向に構わない。」でした。

しかし、その上司は、電話応対などで会社の方針を正しく理解していないような受け答えをしようものなら、係りに厳しい叱責を与えた人でした。ですので僕としては、会議には立ち会いますが、意識的に「参加」したことはありません。

あからさまに寝たりはしませんが、「発言」を求められれば積極的にはぐらかして、だいたいはぼんやりと他のことを考えています。妄想とか連想とか、そんな感じです。

そして、どんなことが多いかというと、なんといっても映画のこと、なかでもギネス・ブック的なことが多いかもしれませんね。

そんな時に考えたことのひとつが、映画のタイトルで一番長い題名は? というものでした。


まあ、だいたいは、キューブリックの通称「博士の異常な愛情」、つまり「博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を挙げると思います。

僕もそうでした。

しかし、すぐにもうひとつの長いタイトルを思いつきました。

あれです、通称「マラー/サド」、つまり「マルキ・ド・サドの演出により、シャラントン精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」です。

英国の有名な舞台演出家ピーター・ブルックの作品でした。

この極めて刺激的で挑発的な作品を思い出した時、切っ掛けの「タイトルの長さ」など、もうどうでもよくなっていました。

この映画の設定は、サド侯爵が精神病者たちに治療法のひとつとして寸劇を演じさせるというものなのですが、鉄格子のこちら側で寸劇を眺めている貴族階級と、その映画を現在見ている観客とが同位置に置かれてしまうような、革命の激しい息吹を背景に持っていた動乱の時代の貴族階級へ向けられた糾弾であるとともに、現代の観客に対する糾弾という二重構造になっているという刺激的で素晴らしい作品でした。

素晴らしいと感じながら、しかしまた、同時にどこか嘘っぽいなという感じも抱いたのかもしれません。

登場人物たちの動きが、リアルで素晴らしいと感じたということは、逆に言えばそれらがすべて指示され統制された「演技」にすぎないと思ったからでしょう。

もし本当の精神病者によって実際に演じられる映画というものが撮れたとしたら、どんなに素晴らしい映画が撮れるだろうかとチラッと考えたかもしれません。

しかし、この考えは、人権問題など映画にとって自殺行為とも言い得るとても危険な考えなのは僕自身も認識していた積りです。

映画は常にフィクションに守られている部分がありますものね。

そのことをすっかり忘れてしまった頃に、ひとつの映画についての紹介記事に出会いました。

フレデリック・ワイズマン監督の「チチカット・フォーリーズ」・マスチューセッツ州ブリッジウォーター精神病院刑務所の日常、という副題がついていました。

そして、この映画がアメリカ映画史上猥褻罪と国家保安上の理由以外で上映が禁じられた唯一の映画なのだそうです。

1991年に上映が解かれたときに明らかにされた上映禁止の理由「受刑者たちのプライバシーの侵害を保護する」という大義名分が、この映画の公開それ自体、そして内容そのものによって突き崩された、とその紹介記事はさまざまな例を挙げて論証していました。

そこには人間の人間に対する過酷にしてもっとも本質的な陵辱のカタチが描かれているといっています。

僕がもっとも感動した箇所の一文を引用します。

「看守の多くは彼らなりの人間的限界の中でまじめに仕事をしている。」

例えば、「看守」という言葉の前に「ナチスの」と書き加えれば、あるいは、より多くのイメージが見えてくるかもしれません。

そこらの気のいい勤勉なオッサンたちが、時間通りに強制収容所に出勤し、そしてユダヤ人を疑いもなくせっせと、そして真面目に、ただの仕事としてマニュアルどおり忠実に、殺戮を「日常的にコツコツとこなしていった」あのアウシュヴィッツの日常=狂気を思うと、本当に空恐ろしくなりますものね。

僕にとって、是非とも見てみたい映画の一本となりました。

会議の内容は終了後、同僚によく聞いておきました。
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by sentence2307 | 2005-01-22 23:43 | 映画 | Comments(2453)