世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

<   2005年 08月 ( 1 )   > この月の画像一覧

戦後の花井蘭子

ちょっと不思議な雰囲気を持っているこの作品「煙突の見える場所」を見るたびに、どうしても小津作品「風の中の牝鶏」と比較して考えてしまいます。

きっと、どちらの作品にも田中絹代が出演しているから程度に思っていたのですが、最近どうもそれだけではないような気がしてきました。

「風の中の牝鶏」は、世評では小津作品の失敗作のひとつと看做されている作品ですが、世間で言う「失敗作」と、小津監督自身がもらしているという「失敗作」という意味が、微妙に食い違っているように思えて仕方ありません。

「風の中の牝鶏」は、どういう事情があれ、妻が犯した不倫をどうしても許せない夫の苦悩を描いた作品です。

全編を通して描かれる妻を責める夫の執拗さは、同時に小津安二郎という人が「女性」に求め続けた異常なまでの潔癖さ(それは、同時に女性への根深い失望をも示しているのですが)を現しているような気がしてなりません。

妻が他の男とカラダの関係を持ったこと自体が、夫には生理的に許せないでいます。

怒れる夫がアヤマチを犯した妻に与えられる執拗な暴力描写を見ていると、夫には、妻と男とが剥き出しの肉体を絡ませながら互いの肉欲をせっせと満たしている生々しい具体的な性的描写が妄想的に実感されていて、そのリアルさゆえに苦しんでいるのだと分かります。

この作品「風の中の牝鶏」は、「女の『性』なんて、所詮あんなものさ」という小津監督の素直な心情(女性に対する落胆とか嫌悪感とか恐れとか)を率直に描きすぎてしまった作品だからこそ、ご本人はどうしても「失敗作」というしかなかったのだという気がします。

同時にそれが小津作品中で、僕がもっとも愛する作品のひとつとしている理由かもしれません。

「煙突の見える場所」の性についての「おおらかさ」を書こうとして、つい「風の中の牝鶏」に描かれている小津監督の「性」について長年思っていたことを書きすぎてしまいました。

「煙突の見える場所」は僕が愛して止まない不思議な魅力を持った作品なのですが、今回久しぶりに見て驚いたことがありました。

上原謙と田中絹代の間に置去りにされた赤ん坊の生みの親の役というのが、花井蘭子だったのですね。

迂闊にも今回はじめて知りました。

ここのところ戦前の映画ばかりを見ていて、花井蘭子について、どうしても楚々とした可憐な娘役の印象が強烈に刷り込まれてしまっていたので、不貞腐れ・毒づき・開き直る堂々たる「戦後の花井蘭子」との遭遇には、いささか虚をつかれた感じで驚いています。

自分の不明を明らかにしてしまうみたいで気恥ずかしいのですが、「戦後の花井蘭子」というのもあったのかという驚きで、僕にはちょっとしたショックというかパニックでした。

そこで、彼女が戦後どのくらいの映画に出演したのか、「戦後の花井蘭子」を知るために、ちょっとネットでカンニングをしました。

戦後第1作出演作は、1946年の東宝作品「命ある限り」で、それが通算132本目の作品となっていて、ラストの通算195本目の新東宝作品「桃色の超特急」61まで、戦後16年にわたって64本の作品に出ていることになっています。

その作品群には既に見た作品も結構あるのに、「花井蘭子」の印象が全然残っていないのは、それが、不貞腐れ・毒づき・開き直る僕の知らない堂々たる「戦後の花井蘭子」だったからでしょうか。
[PR]
by sentence2307 | 2005-08-20 16:25 | 映画 | Comments(134)