世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

<   2005年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧

わが愛の記

少し前までは、イベントものに馴染めなくて、あえてその盛り上がりに背を向けていたような天邪鬼みたいなところがありました。

本来お祭り騒ぎがあまり好きな方ではないので、そうした賑わいをわざと外してしまうような偏屈なところを、逆に孤高を守るみたいに錯覚していたのかもしれません。

しかし、小津監督100周年記念の時に数々の素晴らしいイベントに接して、そういう時だからこそ接し得る未知の得がたい数々の出会いが持てて、自分のいままでの行き方が、必ずしも正しかったわけではないことを反省しました。

それほど小津監督生誕100周年で得た多くの情報は、僕の小津観を大きく変えたのだと思います。

今年は豊田四郎監督の生誕100周年に当たる年です。

フィルムセンターでも日本映画専門チャンネルでも普段なら滅多に見ることのできない珍しい作品を数多く上映していました。

まさに、これぞ「チャンス」なのですよね。

新鮮な気持ちで「貪欲に見よう」という決意のもとに見た一篇に、「わが愛の記」41という軍国美談を扱った作品がありました。

奉仕と慈愛の精神で半身不随の傷痍軍人と結婚するという若き看護婦の物語です。

これぞ軍国の乙女、大和撫子とかいうやつです。愛情など二の次、と書きたいところですが、夫となる青年が半身不随の病床で懸命に書いた詩歌に彼女が感動したという部分も描き込まれているので、この結婚がまったくの自己犠牲から為されたものと言うのは少し無理ですが、それにしても体の自由の利かない夫との新婚生活は、とにかく熾烈を極めないわけがありません。

身を起こすのさえ妻の手を必要とするのですから、それはもう大変です。

しかも、体の自由の利かない夫は、小説家になることを志望していて必死になって執筆に打ち込んでみるものの、思うように書けない苛立ちを新妻を怒鳴り散らして神経をピリピリさせています。

才能のない人間が、懸命に努力しても思うような作品が書けずに苛立つという、実に身につまされる場面です。

そうした苛立ちのなかから半身不随の夫が「お前なんか、いつまでも看護婦のままじゃないか」と妻を激しくなじる場面は、ふたりの間にSEXが介在しない形ばかりの夫婦であることを暗示しており、この不自然な夫婦が国家の意向を受けて無理やり作られた権力の象徴的なフィクションにすぎないことが、遅からず来るに違いない破綻によって証し立てられてしまうかもしれません。

しかし、この映画で僕の胸をついたひとつの場面がありました。

病院の中庭で傷痍軍人たちが棒付鉄砲の教練に励んでいる場面です。

おそらく実写なのでしょう。

向かい合った相手に突きを繰り返す訓練をしている彼らの誰もが、どこかしら壊れていて、例えば義足の兵士は、突くたびに不安定に揺らぐ体勢を必死に立て直しながら、なおもたどたどしく付きまくる痛ましい勇姿は、「健康な」人間の残酷さをつくづく感じてしまいました。

人間は、こんなふうに戦争によって壊されながらも、まだ動くパーツが残されている限り、それらを駆使してなおも国家の意向を一身に受け入れながら戦い続けねばならないのか、という悲痛な思いに囚われてしまいました。

(41東京発声映画製作所)(監督)豊田四郎(企画)軍事保護院(製作)重宗和伸(原作)山口さとの(脚本)八木保太郎(撮影)小倉金弥(美術)園眞(音楽)深井史郎(演出補助)春山潤(撮影助手)草刈裕夫(装置)角田竹二郎(装飾)柳沢治太郎(録音)奥津武(照明)若林芳弘
(出演)遠藤愼吾、山岸美代子、三桝万豊、林千歳、矢口陽子、小高たかし、三原純、横山運平、横田儔、林幹、石黒達也、杉村春子、志村アヤコ、末弘美子、関志保子、水上冷子、藤間房子
(99分・16mm・12巻 2,713m 白黒)1941.11.7 日本劇場
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-31 22:22 | 映画 | Comments(135)
素朴な願望というか、ずっと僕の気持ちの中で果たされずに蟠っているひとつの思いがあります。

それは、いままで撮られたすべての「忠臣蔵」をリストアップしてみたいという願いです。

なぜそういう思いを抱いたかというと、ひとつには、いままであまりにも多くの「忠臣蔵」を漫然と見過ごしてきてしまったことへの悔恨みたいなものがあるからでしょうか。

しかし、漫然と見てきた映画なら、なにも「忠臣蔵」に限らず他にも幾らでもあるわけですし、見てすぐに忘れてしまったような映画だって絶望的なくらいの本数が上げられるはずです。

予備知識もなにもなく漫然と見始めても、それでもそれが優れた映画なら、強烈な印象を残さずにはおかないでしょうし、それを、見たことさえ忘れてしまうというのは、その作品が、本来的にインパクトに欠けた凡庸な作品だったからだと思います。

では、それがなぜこの「忠臣蔵」に限って、リストアップしたいと僕が思ったかというと、ひとつには「忠臣蔵」というジャンル(もはや、ひとつの「分野」ですよね)が一種特別なものとして日本映画史上に屹立した特別なものであるからかもしれません。

そして、もうひとつの大きな理由は、実は、かなり以前に御園京平の労作「映画忠臣蔵目録」という魅力的な資料との出会いがあったからでした。

いつもそうしているのですが、魅力的な資料に出会うと、まずは付箋をつけて後日まとめて複写をとっておくことにしています。

そして、それがある程度まとまれば、分類してインデックスをつけて保管棚に収納しています。

こんなふうに書くと、あたかも資料を駆使して日本映画史でも研究しているみたいな「できる人」のように思われてしまうかもしれませんが、実は、これも本を漫然と読み飛ばしていることの虚しさから少しでも逃れたいという足掻きみたいなものなので、複写して保管した書類を読み返すなどということは、本当は極めてマレなことなのです。

仕舞ったまま、活用どころか、そのこと自体を忘れてしまい、単なる紙屑として風化させてしまうというのが、いつものことなのです。

というわけでこの複写という行為も、漫然と映画を見ること(その反省から、映画の感想を書き始めました)や、漫然と読書することとなんら変わることのない一種の自己満足というか、言い訳みたいなものにすぎないことは、誰よりも自分がいちばんよく分かっているからこそ、御園京平の「映画忠臣蔵目録」を、従来の複写してそのまま「仕舞い殺し」にしてしまうことではなく、まず自分でパソコンに打ち込みながら、少しずつオリジナリティを加えていき、自分なりのものを作ってみたいというのが、僕の抱いた素朴な願望でした。

しかし、独自の調査どころか、「映画忠臣蔵目録」の入力自体が満足に進んでいってないのが実は現実です。

至宝のようなこの膨大な資料を自分の血肉化して余すところなく吸収するためには、まずは全文の忠実な入力行為は欠かせません。

これから毎日少しずつでも努力して打ち込んでいこうと思っています。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-30 21:08 | 映画 | Comments(0)

宮川一夫と溝口健二

岩波書店刊講座日本映画8「日本映画の展望」のなかに「キャメラマンの60年」という記事が収録されており、山田洋次と高羽哲夫が、不世出の名キャメラマン宮川一夫にインタビューをするという鼎談のかたちで話がすすめられています。

とにかく、60年間(インタビュー当時)のキャメラマン生活の140本余の仕事のなかでかかわった映画監督たちといえば、稲垣浩監督(無法松の一生)、黒澤明監督(羅生門)、溝口健二監督(雨月物語)、衣笠貞之助監督(地獄門)、吉村公三郎監督(夜の河)、市川崑監督(おとうと)、篠田正浩監督(沈黙)などざっと見ただけでも物凄い顔ぶれなのですから、その思い出話だけでも十分に読み応えがあります。

記事自体のボリュームもたっぷりときているので暇なときには繰り返し読み耽ったり、時間のない時などもパラパラと飛ばし読みするだけですが、それでもそのたびに新しい発見があって飽きるということがありません。

そのなかでも殊に僕が好きな箇所は、溝口監督の仕事ぶりを具体的に熱く語るところでしょうか。

このふたりの天才がスタジオのなかで火花を散らしてぶつかり合う白熱する撮影風景が、逐一臨場感豊かに語られています。


【抜粋】
・・・それは、セットに入る前に、ストーブなんか置いてある所で、セリフが黒板に書いてあって、ここのセリフの遣り取りが難しいとか、このセリフおかしいなとか、消して増村(保造)さんでしたがね、チョークで足したり変えたり、そういうことがまずあるわけです。

最初に、それからリハーサルに入るんですけど、それが立ち稽古ですね。

済んでから、「うん」といって、「あの芝居はよかったよ」、「カット割っていきますか。どうしましょう。前のシーンがアップで終わっているんですけども、強く出るのは、前のもアップだけど、この方もアップでいった方がいいですし、気持ちをふっと緩めるんだったら、ロクグからいったほうがいいし、どっちでいきましょう」そんなことぐらいですね、僕が最初に言うのは。

「そうね、それじゃあロングからいこうか。」

最初はロングだなと、そういうところから出発していく。

それで芝居を見ていて、これはワンカットでもっていきたいんだけど、そこへ回りきれない、だからそこでカット割ってもらえませんか。そんな言い方するわけです。

だったら、カット割らないで、俳優に動きを付けてアップになるよう手前の方へ歩いてこさせるような形をとってみるか・・・。

しかしなぜその俳優がこっちへ来るのかという必然性がないといけないと思って、じゃあそこの所で一回止まってもらえば、僕のキャメラの方でもレールでそこへ乗り換えてこっちへ回る方法があるというと、溝口さんは、いや、そこへ俳優が止まることがおかしいという。

じゃ、そこで止まるという必然性のために、座敷なら、そばに大きな家具があるとか、庭ならそこに木があるとか石があるとか、そういうとこで俳優がいったん止まって、それでキャメラがレールに乗り換えて回るということでどうでしょうかとか、そういうことを溝口さんと話すわけです。

だから、どういうふうに撮れとはおっしゃらない。

そういうふうにしたいんですけど、というと、いいですよと。

なるほど、向こうはカツトを割りたくないんだな、じゃあわかりましたと。

それでセットをその考えに合わせて作ったりね。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-29 17:39 | 映画 | Comments(0)

いま、会いにゆきます

会議と会議の合間に半端な時間が出来てしまったときなど、ちょっとした時間つぶしに(昼なのでお酒を呑みに行くわけにもいきません)、会社の連中とフラリと映画を見にいくことが、たまにあります、専務にはもちろん内緒です。

ちょっと前の話になるのですが、そんな流れでその時の話題の映画「いま、会いにゆきます」を皆で見に行った時のことでした。

終わって場内が明るくなった時に、不覚にも涙ぐんでいたのを隣に座っていた若い女性社員に見られてしまいました。

映画を見て涙ぐむなんて自分でも随分意外でした。

彼女もその場では気が付かない振りをしてくれましたが、社へ帰る道すがら何気なく近づいてきて「あの映画、そんなによかったですか?」と聞かれました。

話し出せば長くなってしまいそうなので、生返事でその場は逃れたのですが、いずれ飲み会の席ででも話さなければならないかもしれません。

映画を見て感動するのは、その映画が素晴らしいからという理由ばかりとは限りません。

世評の高い優れた作品を見ても何も心に響いてこないことだって往々にしてあることですし、B級作品に大泣きしてしまうことだって、きっと大いに在り得ることですよね。

後者の場合、その多くは映画で描かれていることが、きっと私生活の「なにか」に関わりがあるからだと思います。

最近、人の死をこんなふうに感動のドラマに盛り込むことがなんとなく多くなってきたように思います。

「世界の中心で、愛をさけぶ」とか。

でも、愛する人を失うということが、どこかドラマの「素材化」=小道具みたいになってしまったような気が、なんとなくしてもいます。

あの映画「いま、会いにゆきます」を見て、すこしウルウルきてしまったのは、実はあの作品そのものが理由だったからではなく、少し前、同僚の奥さんのご母堂のお葬式で見た光景を思い出したからでした。

彼も彼の奥さんも、もうすぐ40歳というくらいの晩婚でした。

僕もその結婚式には参加させてもらっています。

奥さんのお母さんという人は病気がちと聞いていましたが、結婚式では本当に嬉しそうで、挨拶に行ったときにも娘さんの結婚に「本当に安心しました」と何度も繰り返されていました。

母ひとり娘ひとりの母子家庭で、病気がちの自分を気遣い看病のために婚期を逸し掛けている娘を不憫に思って、渋る娘にやっと結婚を決意させることができた喜びと安心感とが、その言葉の端々に窺われました。

まさに小津映画の世界ですよね。

母親思いの娘さんは、式の間中泣き通しで、鼻が真っ赤になってしまっていたのが印象に残っています。

それから何年か経って、そのお母さんが亡くなられました。

その葬儀のときの「娘さん」は、もう泣くだけの気力もないみたいで、ただ呆然と佇んでいるだけでした。

遺体を花で埋め尽くしてお別れの儀が済んで、いよいよお棺の蓋を閉めようとしているときです。

娘さんは母親の白い着物の裾を両手でしっかりと掴んだまま放そうとはしません。

遠慮がちにではありますが、感情の高まりと、離すまいとしている意志の強さが力の込められた小さな握りこぶしの震えで、遠くからでもはっきりとそれが見てとれました。

傍らの親戚の女性が、彼女の指を一本一本引き剥がしています。

しかし、すぐに彼女は縋り付く子供のように母親の着物の裾を掴んでしまいます。

それまでは感情の消されていた能面のような彼女の顔に、初めて幾筋もの涙が溢れ出ました。

お母さんもう私をひとりぼっちにしないで、私も一緒に連れて行ってとでも言っているかのような、それは抑えながらも痛ましい激しさでした。

ささやかで貧しくても幸せだったに違いない母ひとり娘ひとりで過ごしてきた生活と、そしてそのすべてを失い、この世界にひとりぼっちにさせられようとしている孤独な少女の姿が、そこにはありました。

夫である傍らの同僚は、為すすべもなく、ただうなだれているだけでした。

会社に戻る道々その痛ましい情景を思い起こしながら、やはり会社の女の子には、「いま、会いにゆきます」を見てウルウルきてしまったことにしておこうと心に決めました。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-22 22:49 | 映画 | Comments(0)

波止場

エリア・カザンの「波止場」を名作だと言い切ったとしても異論を唱える人は、きっと誰一人いないと思います。

本当に見ごたえのある重厚な作品ですよね。

しかし、その感動の中身は、よく考えてみれば、幾つもの違和感に満ちた曲がり角を経なければならなかったことに気が付くでしょう。

この重厚な作品を、ただ「名作」というだけでは、なにか物足りない、はたすべき理解を途中で放棄してしまったような違和感をどうしても拭うことができないのです。

たしかに「名作」ですが、これはとんでもない被害妄想にみちた歪んだ「名作」です。

たとえばこの作品を、「若い沖中士が、港を牛耳っている組合のボスを、正義のために叩きのめす話だ」みたいな素直な解説に出会ったら、きっと物凄い戸惑いを覚えてしまうに違いありません。

僕なら、「無知な沖中士が、正義の名の下に周囲から煽られ追い詰められて、港を牛耳っていたボスを叩きのめしに行かねばならなくなった話」とでもいった方がいいような気がします。

この作品のどこを探しても、社会悪に対する怒りにつながるような単純な「正義」を見つけ出すことは、とても困難です。

むしろ、周囲の強烈な個性を持った様々な人間に思うがままに吹き込まれ操られ動かされて、無理やり「悪」に向かわされた気の弱い若者の物語とでもいった方がいいかもしれません。

そこには、「なにひとつ俺は悪くない」という理不尽な蔑視に対する切実な抗議の叫びが聞こえてくるようです。

殺人を唆した組合のボスを、テリーが公聴会で告発する証言をしたあとの民衆からの蔑視を、謂われのない不可解なものとして描いているのが、きっとなによりもの証拠といえるでしょうか。

俺が命を賭けてあえて危険な証言をしたのに、何故仲間=民衆は自分を密告者・裏切り者呼ばわりをして蔑視するのか。

「俺は、正義のために悪を告発する証言をして、お前たちを助けたんだぞ」という切実な叫びです。

単純な正義と悪が図式的に描きやすい映画ならともかく、それを現実のこの社会に当て嵌めたとき、その正義と悪とに当たるものがそれぞれどれなのか、彼が裏切った映画界がどれで、彼がおもねった権力がどれなのか、僕たちは、このあまりにも歪められた作品が象徴するものに戸惑うかもしれません。きっとこの映画が、あまりにも見事に作られている「名作」だからこそ。

マーロンブランドは、「欲望という名の電車」51、「革命児サパタ」52、「ジュリアス・シーザー」53の3度のノミネーションを経て、この「波止場」による連続4度目のノミネートで主演男優賞を獲得しました。

当初、このボクサーくずれのテリー役には、前年に「地上より永遠に」で、友情に殉じるという主人公の唯一の理解者という繊細な兵卒役で助演男優賞を得て高い評価を受けたフランク・シナトラが予定されていたのですが(しかし、この役を手に入れるためにマフィアの手を借りたという黒い噂が囁かれました)、その製作会社コロンビアの意向を無視したエリア・カザンは、ブロードウエイ出身の逸材(助演男優賞に一作品から実に3人ものノミネート者―マルデン、コッブ、スタイガー、を出しました)をそろえたといういわくつきの作品です。

当時のメジャー系プロデューサーは、専属スターや契約俳優の保護のため、ニューヨークの舞台俳優を使うことを歓迎しなかったのですが、サム・スピーゲルなどインディペンデント系の進出によって、メジャー主導のシステムは急速に崩れだし、その影響は演出家にまで波及し、やがてニューヨーク派の台頭を促すことになったといわれています。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-22 21:16 | 映画 | Comments(0)

小津演出試論

故三遊亭円生の「淀五郎」が好きで、ときどきCDを聞いています。

別名を「四段目」または「中村秀鶴」として知られたネタだそうで、古くは名人といわれた円喬や三代目円馬がよくやった噺として有名だったと、ある解説書で読んだことがあります。

忠臣蔵の判官役が急病で倒れ、急遽大役を振り当てられた若手の沢村淀五郎が、舞台上で芸のまずさから市川団蔵に赤恥をかかされた挙句、自分の芸の至らなさに苦しみながらも芸の工夫がつかず、夜逃げでもしようかと暇乞いに行った中村秀鶴(円生の噺では、確か中村仲蔵になっていたと記憶しています)から芸の真髄を授けられるという噺です。

いまから切腹をしようかという高貴な武士の、目線はこう、手の位置はこう、身の内に9寸5分が入ったときの凍えるような所作はこう、そのとき急変するはずの唇の色はこう、そして
「お前には今から切腹するという判官の気持ちなどまったくない。大抜擢を受けた淀五郎が、自分のいいところを見せたいという気持ちで芸をやっているから、なってないのだ。」
と仲蔵が淀五郎に教え諭す場面です。

この噺を聞くたびにある意味特異ともいえる小津演出のことを考えてしまいます。

過剰な所作を極力廃して、細部まで細かく指示することによって、まるで器械体操のような演技を要求した小津監督にとって演技とは一体なんだったのか、その答えのヒントは、もうひとつのエピソードの引用の必要があるかもしれませんね。

BSで放送した生誕100年記念番組で、各作品の放送前に、要領よく纏められている「小津百科」というささやかな解説が放送されていて、とても楽しみにしていました。

そのなかで、確か「生まれてはみたけれど」の直前に放送されていたものが印象に残っています。

小津監督が、青木富夫が飼っていた犬を映画に出演させないかと青木少年に話したところ、
「犬は演技しないよ」
と答えた青木少年に対して、
「お前だって演技しないだろう」
と答えたという部分です。

もちろん、この言葉の響きには、子供や犬が演技しないことを揶揄とか非難をしているのではなく、愛すべきものという親愛のニュアンスが感じられてなりません。

このひと言には、小津監督の含蓄に富んだ演技論が広がっているように思えてなりません。

杉村春子などほんの僅かの例外を除いて、小津監督は、いかなる俳優にも勝手な演技をすることを決して許さなかったといいます。

繰り返しダメだしをされたことに抗議した「早春」の岸恵子に、「それはね、君がとても下手だからだよ」といってギャフンといわせたというエピソードは、あまりにも有名ですよね。

BSの特集番組では「麦秋」に出演していた淡島千景が、紅茶茶碗を持ち上げ、顔を廻らすだけの演技に小津監督のOKが得られず、何時間にもわたる厳しい指導を受けたことを回想していた部分がありました。

しかし、その対極に位置するものが、小津の愛した「子供や犬の、演技ではない自然な演技」ということになるでしょうか。

青木少年に「お前だって演技しないだろう」と答えた小津監督のあの言葉のニュアンスを、そのような「演技」を好ましいもの、愛すべきものと考えての発言だったと捉えるか、またはそうではないと見るかによってこのささやかな試論の趣旨は大分違ってしまうのですが、僕の場合は前者と看做して無謀な仮説をすすめていこうと考えています。

つまり、プロの役者たちに演技をさせない指導と、子供や犬の「演技ではない自然な演技」を愛する小津監督の演出論が、どこかでいずれは矛盾なく合致するのか、僕の長い間持っていた疑問の解明への試みです。

プロの役者たちに「演技」をさせないということと、子供や犬など演技しないで素のままでいることがベストなのだと見る見方は、それ自体が根本的な矛盾を孕んでいます。

つまり「演技ではない自然な演技」という言葉は、演じなければ、それだけで「演技」たり得ず、演じる以上はいかに「自然」に見えようと、どこまでも演技にすぎない、言葉自体互いに否定し合い概念的にも齟齬が明らかで、イメージとして成り立ちようがないと思えてしまうからでしょう。

しかし、実際には僕たちは、子供や犬の無邪気な演技が、ときとして、プロの俳優の演技を遥かに凌駕してしまう多くの例を知っています。

少なくとも小津監督は、それを是とした。

そのような子供にあって、プロの役者にないもの、それは無邪気さ、でしょうか。

無意識といってもいいし、無精神といってもいい。

プロの役者が長年にわたって鍛え上げ練り上げ計算し尽くして作り上げてきた演技が、時として子供や犬のその無邪気さ・無意識・無精神の演技に及ばない。

プロの役者たちに勝手な演技させない小津監督の「抑え」の意味が、このあたりにあるような気がします。

演技の要諦は、きっと自然に「見える」ことにあるのであって、「自然」そのものではない。

小津監督が俳優たちに要求する幾分奇妙な所作は、「自然に見える」ための符号のようなものだったのだと思います。

そして演じないことこそが最高の演技という自家撞着は、あらゆる演技者に課せられた、乗り越えていかねばならない永遠の命題でもあったと思います。

役者にとってそれは、小手先の巧拙や、上手下手のレベルを遥かに超えたところにあるひとつの境地のようなものなのかもしれません。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-20 00:17 | 映画 | Comments(0)

仁義なき戦い

電車通勤者にとってあの朝の混雑はどうにかならないものかと、いつもうんざりしてしまいます。

駅に入って来る電車が、既にもう大変な混雑で、ドアや窓ガラスにプレスされた不気味で奇妙なおびただしい顔が、まるで昆虫標本か商品見本みたいに(しかし、自分もすぐにああした浅ましい姿になるのかと思うと、面白がってばかりはいられませんが)減速しながら電車がゆっくりと目の前で停止するところから僕たちの朝の「仁義なき戦い」は始まります。

しかし、停車しても、まず人の圧力でドアが開かない、やっと開いたかと思ったら乗り込むどころか、まずは車内から目を引き攣らせた人たちが殺気立って溢れ出てくる、こんな状態でまだ乗り込む余地が残されているのかと戸惑うくらい少し気の弱い人なら会社行きを断念しかねないほどの、それはホント絶望的な状態です。

やがて乗り込む人々が乗り口に目の色を変えて殺到し、その間合いを一瞬でもはずしたら視野を完全に遮られた人々の背中の砦の前をウロウロしているだけで、無情に人間を選り分ける機械みたいなドア(なんか現代の象徴ですよね)が強引に閉まって、結局乗り込めないまま駅に取り残されるなんてことは、そう珍しいことではありません。

たまに所要があって出勤時間が少しずれた時など、この殺人的な混雑が嘘のように解消しているところを見ると、混雑のピークはほんの僅かの間に集中しているだけで、そんなうんざりするような時間にわざわざ出向いている自分のアホさ加減がつくづく馬鹿らしく思われてなりません。

毎朝の繰り返しなので、いい加減慣れてもよさそうなものなのに、ドアが開いた瞬間に、空いた場所はないかと瞬時にあたりをキョロキョロと窺うという卑しく哀しい習性は、まだまだ当分直りそうにもありません。

しかし、そんなある日のことでした。混雑した車内に苦労して、ようやっと体を割り込ませた時、本能的に「あっちが空いている」という直感に、咄嗟にカラダがそっちの方に動いてしまいました。

しかし、その卑しい直感も、冷静に考えれば、こんな朝の混雑時に空いているはずのない「不自然さ」にまでは、残念ながら考えが及ばなかったみたいです。

行く手を阻む乗客の間をどうにかすり抜けて(今から思うと、その時の感じは、むしろ「押し出されて」といった方が当たっていたみたいですね)、やっとその「空き地」にたどり着いたとき、そこにはなんと、肩を怒らせたダークスーツ姿のふたりの若き(どう見ても)ヤーさんが、怖い顔で凄みながら、こちらを睨み付けている真っ最中でした。

「近づいてきたらぶっ殺すぞ」みたいな恐ろしい形相でヨタりながら、あたりを威嚇しているこの恐るべきふたりから、乗客はできる限り距離を保とうとして恐々遠巻き状態でいたことが、あの「不自然な空き地」を作った理由だったのだと、その時初めて悟りました。

ほとんどの乗客は彼らと視線を合わせないように背を向け、在らぬ方向を見ている格好でいるのですが、恐ろしくも反面興味深いこの状況(ふたりの前に弾き出された僕は、彼らの威嚇の視線とモロ真っ正面からまともに対峙してしまっている状態です。)を怖いもの見たさで、目の端で窺っているのがよく分かります。

「空き地」までは気抜けする程の容易さで辿り着けたのに比べ、後戻りの途は、堅気の皆様の強固な連帯の砦に阻まれてしまっていて、到底開けそうもない感じです。

まさに、孤立無援のイケニエ状態です。

渡世の裏街道をひた走るヤーさんが、朝の混雑時に堅気の人々と一緒になって電車通勤しなくともいいじゃないか(ヤーさんが通勤ラッシュで組事務所に通勤するなんて似合いませんよね。第一どう考えても、物凄くカッコ悪いです。)と、いまさらながらなじりたい気持ちでいっぱいでした。

座頭市だって素人衆には迷惑かけるんじゃねえぞおって言っているじゃありませんか。

しかし、ユーモアなどとても解しそうにない極限を生きる彼らの鋭い視線に対して、爽やかな笑顔とお愛想でお答えするわけにもいかず(そんなことをしたら、彼らをいたずらに刺激して、僕の死期を早めるだけです。)緊張の面持ちで中吊り広告などを眺めている振りをしていましたが、「ぶっ殺すぞ、この野郎」の彼らまでの距離はほぼ50cm、僕にとっては、まさに余命にかかわる切実な距離だったわけです。

この遠距離通勤電車は、ターミナル駅に着くまで無数の駅に停車し、そのたびに何も事情を知らない無数の乗客がどんどん乗り込んできては力まかせにぐいぐいと背後から押してくるに違いなく、そこで展開されるであろう考えられる限りの数々の惨劇が、ごく近い将来すべて僕の身に降り掛かってくる可能性があります。

そんなことを考えるまでもなく、なんとも頼りない不吉な50cmであることは確かです。

彼らはワザとらしく視線を反らしている僕の頭の先から爪先まで全身の隅々まで何度も視線を這わせていました。

いわゆる「がん」をつける、というやつでしょうか。

正直足が震えました。

恐怖で笑い出しそうになっている自分が分かります。

やがて窓外の静かな田園風景が町の景色にとって変わる頃、電車はようやく次の駅に滑り込んでいきました。

車内では物凄いことになっていることなどつゆ知らず、駅で電車を待っている人々の暢気そうな顔&顔が、本当に恨めしく思えました。

何も知らないって、本当に幸せなことなんだなあって、その時つくづく分かりました。

しかし、恐怖の瞬間が、考えていたように徐々に「ごく近い将来」にくるわけではありませんでした。

背後でドアが意を決したように開き、バタバタバタと乗り込んでくる乗客の勢いで、それがまさに「いま」なのを直感しました。

そして、ヤーさんたちも同じように直感したらしく、そのヤバイ勢いに思わず、改めて凄みを効かせて身構える様子で、それと分かりました。

僕が乗客から背中をぐぐーっと押されて強面のヤーさんへ「わー」状態で急接近しかけたのと、極限を生きる彼らが「押すんじゃねーぞ、この野郎!」と耳を劈くような大声を上げるのとが、まさに同時でした。

その声の迫力だけであの狂騒する群集をピタッと止めたのですから、すごいです。

やはりプロは違います。

彼らは立ち塞がる群集を威嚇して道を作らせながら(あれほどの人並みは大きくふたつに割れて、ヤーさんふたりは肩を怒らせ、棄て台詞を残して堂々と下車していきました。

この事態の思わぬ急展開によって、僕も死なずに済みました。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-15 23:58 | 映画 | Comments(0)

HARUKO

このドキュメンタリー映画の圧倒的な映像の「力」は、在日朝鮮人の息子・金性鶴が、煙草専売法違反で逮捕されていた母・金本春子を、罪を解かれて今まさに警視庁から出てこようとする瞬間・緊張の果て何かに憑かれたような定まらない視線を呆然と泳がせながら歩く母の表情を撮ったあの場面にすべて集約されるだろうと思います。

おそらくプロデューサー・岡田宏記あるいは監督・野澤和之は、このフィルムの存在、わけてもこのシーンがあったからこそ、1本のドキュメンタリー映画として編むことを決意したのではないかと思わせるほど、その母・金本春子=チョン・ビョンチュンの表情を活写した映像は、人の心を捉えて離さない強烈なインパクトがありました。

だから、この映画が一般に告知されるとき、必ず母・金本春子=チョン・ビョンチュンのその表情の映像が使われるのも頷けるのだと思います。

その表情は、決して大袈裟ではなく、例えば、僕たちに「戦艦ポチョムキン」の幼児を目の前で虐殺される主婦の絶望と怒りの表情とか、あるいは「無防備都市」や「アルジェの戦い」など、強権に追い詰められた無力の民衆が死を掛けて権力に挑む絶望的な戦いを描いた傑出した諸作品に共通して見ることのできる「あの絶望と怒りの表情」と同質のものを、僕たちはこのドキュメンタリー映画「HARUKO」に見、まずはその映像それ自体の圧倒的な迫力に押し潰され、ぶちのめされるのだと思います。

崔洋一監督の渾身の一作「月はどっちに出ている」は、今にして思えば日本人の朝鮮人に対する差別意識を余すところなく描き切った傑出した作品であったにしても、しかし、逆に日本で生きる在日朝鮮人の、差別にあがらうリアルな姿を本当に描き切ることができたかということになると、我ながら最近少し確信が持てなくなってきました。

それというのも、きっと僕が、このドキュメンタリー映画「HARUKO」を見てしまったからでしょうか。

もちろん、現代日本の急速に変動する政治状況・社会状況を反映して、当時なら十分に「あった」はずの作品自体の衝撃性というものが、徐々に変質を余儀なくされつつあるということは、おそらく大いにあり得ることかもしれません。

しかし、それにも増して、このドキュメンタリー映画「HARUKO」を見た後の、「月はどっちに出ている」で描かれている崔監督の屈折した「北」への思いには、あきらかに一部のめぐまれた階層・裕福な知識層の、それゆえの負い目に引きずられた甘甘な観念の遊びにすぎない、あまりにも卑弱なものと感じざるをえないのです。

「HARUKO」で描かれている金本春子や金性鶴の「希望」から「失意」に至る象徴としての「北」への憧れと挫折は、もっともっと切実な、生きていること自体の意味と、その喪失とを同時に問う壮絶なものだったように思われてなりません。

故郷を失い、そして家族を失いながら、異国でただ金のために生きる後ろめたさ=過酷な自己喪失を、そうではないと否定することのできる一種の免罪として「北」は、彼らの中では「聖地」であり続けなければならなかったのだと思います。

「北」が彼らの心の中に確固として存在しているからこそ、異国での過酷な差別にも耐えることができたのだろうし、そしてまた、生きるために必要なら、あらゆる脱法行為も彼らの強靭な鎧った気持ちの中だけで十分に正当化され得たのだと思います。

きっとそれは、「北」への仕送り荷物の中にこっそりと現金を潜ませて、せっせと送金し続けるかぎり保証されるというたぐいの「信仰」のようなものだったかもしれません。

そして「月はどっちに出ている」で描かれていたのも、残念ながら「そこまで」だったのですが、この作品「HARUKO」に描かれている87歳の金本春子=チョン・ビョンチュンにとって、この国での数々の脱法行為と摘発、37回におよぶ逮捕、そして起訴や懲役など、なにほどのものでもなかったのだということが証明しているものこそが問われなければならないのだと思います。

この異国における逮捕も起訴も懲役も、彼女には聊かの痛手も与えることが出来なかった。

このドキュメンタリー映画の圧倒的な迫力は、異国にあって過酷な時代を生き抜かなければならなかった彼女に強靭な意志の力を与え、かつ支えることのできた「北」という価値観が、実は地に堕ちたまったくのマガイモノだったという事実を突きつけられたときの喪失感をも図らずもこの映画はしっかりと描き出してしまっていることだと思います。

幾つか読んだこの作品の多くの感想が、この映画の宣伝コピーに沿うもの、つまり「そしてこの作品は、彼女が一番幸せを感じる瞬間を映し出して幕を閉じる」という感じのものがほとんどでした。

しかし、本当に「そう」でしょうか。

ラスト、亡き夫への礼拝を拒みひとり余生を頑なに生きる老婆を撮らえるその姿には、過酷な時代に押し潰されなかった分だけ、そして耐えに耐えていき続けた壮絶さの分だけ、多くの喪失と犠牲を払い深く傷ついた痛ましい不屈な心の荒廃が苦々しく描き出されていることを僕たちは見のがしてはならないのかもしれません。

このドキュメンタリーは、圧倒的な映像の「力」によって僕たちをねじ伏せ、映画が本来持っていた「力」とは、ストーリーを捏ね繰りまわすことではなく、なによりも映像それ自体の「力」であることを、この作品は思い出させます。

*岡田宏記、代表作に「アラカワストーリーズ」「グルを失った人々」など。「短い命を刻む少女・アシュリーの生き方」で2004年ニューヨークフェスティバル・ドキュメンタリー部門銀賞受賞。
*野澤和之、主な作品に「涙の川・野宿の夫婦愛」(ギャラクシー賞)、「母よ・引き裂かれた在日家族」(ギャラクシー賞)「生きる力を求めて・中村久子の生涯」(文部省選定作品)

(04フジテレビジョン、ポレポレ東中野) 監督・野澤和之、製作・亀山千広、太田英昭、企画・西渕憲司、プロデューサー・岡田宏記、協力プロデューサー・宮澤徹、企画協力 大槻貴宏(ポレポレ東中野)、構成 上久保直哉、ナレーション・原田芳雄、エンディングテーマ「Day Dream feat. chimin」 KP、製作・フジテレビジョン、製作協力・湧源社、ジャパンビジョン(出演)金本春子、金性鶴
(カラー、35mm 82分)
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-10 08:33 | 映画 | Comments(0)
実は今日、取引先の大事なお得意さん(とてもエライ人なのです)との約束の時間をすっかり忘れスッポカしてしまい、それはもう大変な目にあいました。

普段ならすぐに担当者に伝えて情報を共有するのですが(常日頃みんなにはそう言っている自分です)、大切なお得意さんでもあるので、挨拶がてら今日ぐらいは伺おうと思って誰にも言わずにいたのでした。

そんなときに限って、つまらないことで課にゴタゴタがシュッタイして、それに気を取られているうちに約束の時間がすでに30分は経ってしまったとオボシキ頃、そのエライさんから直接電話がかかってきました。

「いえ、決してお約束を忘れていたわけではございません」とかなんとか冷や汗もので誤魔化して1時間後に再び約束を取り付けることができました。

今度約束をたがえたら、もう取り返しがつきません。

年内に課せられているわが部の予算の達成が確実に危ぶまれる事態が招来します。

その会社まで歩いて5分と掛からない場所にあるのですが、約束15分前には1階のロビーで待機していました。

いかに緊張していたかがこれでお分かりいただけると思います。

しかし、いま思えばその緊張がいけなかったのかもしれません。

約束8分前に突然たまらない尿意に襲われ(ブルブルと胴震いしました)、我慢できそうにないので仕方なく焦りまくってトイレに駆け込みました。

冷静に考えれば、まだまだ時間は十分にあるのです。

「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて、無事用も足し「さて」とチャックを上げようとしたところ、上がりません。

「よっ」とかなんとか頑張っても、何かに引っ掛かってしまったみたい(あとでよく見ると、チャックが布の部分を巻き込んでしまったみたい)なのです。

既に約束の時間まで5分を切っています。

いい歳をしたオヤジが朝顔の前で首を鋭角に俯けて何やら前のあたりをゴソゴソとやっていたのですから、第3者から見たら相当不気味な図だったに違いありません。

しかし、もうこれ以上の猶予はできない時間です。

そのままの状態でなんとか行く決断をするしかありません。

きつく締めたベルトにズボンの上の部分を託し込むようにして上に引き上げれば、閉まっていないチャックも、どうにか閉まっているようには見えます。

カバン(持っていって良かったです)を前に当てがってエックス脚歩きでエレベーターに乗り込み、ようやく約束の時間内にお得意さんの所に伺うことができました。

かつてゲリピーの時にこんなカタチで歩いたという記憶が脳裏をかすめ、我ながら実に情けない思いで接客室に通されました。

勧められたソフアに座るとき、約束の時間に間に合った安心感で少し油断していたこともあって、不用意に腰を下ろした途端、ズボンの前が全開し、慌ててカバンで前を隠しました。

カバンを頑なに膝の上に乗せて一向に手放そうとしない奇妙な訪問者に幾分怪訝な顔のお得意さんでしたが、商談も恙無くまとまりました。

帰りはエレベーターに乗る気にもなれず、非常階段で1階まで歩いて降りました。

重要な商談がまとまった安心感もあって、きっと上の空だったのかもしれません。

途中で若いOLとすれ違ったときに、脇を突然疾風のごとく死に物狂いの勢いで駆け上がっていく彼女の後姿を見ながら、ズボンの前が全開のまま歩いていたことをその時初めて知りました。

そのあと、遣り切れない思いで1階のトイレの個室の中でチャックが巻き込んだ布地を時間をかけて丹念にはずしました。

わが社に帰り、商談が無事終わったことを皆に伝えたとき、余程憔悴しきった表情をしていたと見えて、課の若い子に慰労の言葉などをかけて貰いました。

実はその彼女は、日ごろ短い休憩時間などにお茶を飲みながらよく雑談をしている若い女性たちのうちの一人です。

自分がもう少し若かったときは、一応彼女たちの「意識の対象」の端くれに位置していたときもあったのですが、いまはもうすっかり「おじん」なので、彼女たちの異性に対する余計な意識もすっかりなくなり、いまはもう彼女たちも結構本音で話してくれ、いろいろ勉強になっています。

まあ、「本音」とは言っても、もう少し上の年齢の女性たちのあからさまな「本音」と比べると、まだまだ恥じらいとか微かな見栄とかがあって、妙齢の女性たちの夢見るようなそんな感じが、また可愛いのですが。

そんな彼女たちと語らいながら、些細な言い間違い(「大河ドラマ」を「おおかわ」ドラマと言っていました)が少しずつ気になりだしました(持ち上げといて、落とすみたいでちょっと気が引けます)。

「おそかれはやかれ」の「早晩」をハヤ晩(どちらにしても、難しい言い回しですよね。なにも無理して言わなくとも)といっていました。

そして極め付けは、「横暴」を「ヨコ暴」と言い放ったときの衝撃です。

平然としている美しい彼女の顔をしばらく見とれてしまいました。

専務に急な仕事頼まれたときなんか、アクビ噛み殺した涙目でじっと見つめて脅かしてあげるの、と言っていた彼女です。

「横(よこ)暴という名の電車」―きっとテネシー・ウイリアムスだって感心しないわけがないと、しばらくの間そのことばかり考えていました。

もうなんでもいいや、というような捨て鉢な気分だったのかもしれません。

でも、ああいう人になら今にきっと、石川ブタ木だって現れてしまうかも知れないなと希望に似たような、あるいは絶望のような妙な気分にしばらくの間囚われてしまいました。

結果的に見ると、なんか彼女のことを悪く言っているみたいになってしまい、思ったことを上手く表現できないまま、あまつさえ趣旨に反して悪く言ってしまうという自分の文才のなさには、今更ながらホトホト愛想が尽きました。
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-08 00:05 | 映画 | Comments(0)
フィルムセンターで今年生誕百年を迎える6人の日本映画監督の回顧上映(これまで稲垣浩、豊田四郎、成瀬巳喜男特集を実施してきました)も、いよいよ喜劇映画の神様・斎藤寅二郎と、「愛染かつら」1938などのメロドラマ作家として知られる野村浩将監督の特集です。

 斎藤寅二郎(1905-1982)は1922年に松竹蒲田に入社して助監督の修業を積んだあと、1926年にわずか21歳で監督デビューします。現存する「石川五右ヱ門の法事」1930をはじめ、数多くのナンセンスなスラップスティック・コメディをつぎつぎと発表し、またたく間に喜劇映画の旗手となります。東宝に移籍したあとも、「エノケンの法界坊」1938を皮切りに、古川緑波、横山エンタツ、花菱アチャコ等が主演する娯楽映画の傑作を生み出し、豊かな発想とギャグの連発により日本映画史に残る喜劇の傑作の数々を残しました。

 野村浩将(1905-1979)は1924年に松竹蒲田に入社し、1930年に監督デビュー、彼の初期のヒット作は、磯野秋雄、三井秀男(弘次)、阿部正三郎の3人が繰り広げる喜劇、「与太者」シリーズですが、このシリーズは1931年から1935年までの間に11作品が製作され、野村は全作を監督しました。さらに野村の名声を決定付けたのは、1936年の「人妻椿」(川崎弘子主演)や、1938年の大ヒット映画「愛染かつら」(田中絹代主演)などに代表される女性メロドラマです。戦後は主に新東宝で、喜劇、メロドラマ、サスペンス、戦記ものなど会社が求めるあらゆるジャンル映画を柔軟にこなす監督として活躍しました。


【斎藤寅二郎】

★モダン怪談 100,000,000円[松竹グラフ版]
斎藤寅二郎の絶頂期といわれている無声映画期の作品は残念ながらほとんど現存してないが、この作品は2004年に映画保存協会が発掘した16mmのダイジェスト版(松竹グラフ版)を35mmにブローアップしたもの。駆け落ちした若い男女(斎藤達雄・松井潤子)が赤城山に迷い込み、国定忠次の埋蔵金を発掘する人々や、忠次の幽霊(小倉)に遭遇するというナンセンス喜劇。松竹蒲田が「モダン怪談」というテーマで脚本を募集し、当選した脚本を映画化した。封切時は1399mの作品であったが、現存部分は2割ほどである。
(29松竹蒲田)(監督)斎藤寅二郎(原作)大森文雄(脚本)池田忠雄(撮影)武富善雄
(出演)斎藤達雄、松井潤子、坂本武、吉川満子、小倉繁
(15分・16fps・35mm・白黒・無声)

★のど自慢狂時代
当時の人気ラジオ番組のNHK「素人のど自慢」(1946年開始)を題材にした喜劇。東映の前身である東横映画は1947年に大映京都第二撮影所(現在の東映京都撮影所)を借用して映画製作をはじめた。本作は斎藤が美空ひばりを映画デビューさせた作品として知られるが、上映プリントにひばりのシーンは存在しない(公開当時は約80分)。ピアニストの和田肇は日活アクション・スター和田浩治の父である。
(49東横映画) (監督)斎藤寅二郎(原作)サトウハチロー(脚本)八住利雄(撮影)友成達雄
(出演)灰田勝彦、並木路子、花菱アチャコ、古賀政男、和田肇、清川虹子
(50分・35mm・白黒・不完全)

★石川五右ヱ門の法事[パテベビー短縮版]
「モダン怪談 100,000,000円」と並び、無声期の斎藤寅二郎作品の魅力を堪能できる快作。石川吾郎(渡辺篤)は、恋人の父親(坂本武)から結婚を反対されて撲殺される。成仏できずに幽霊になって甦った石川の前に現れたのは、先祖の大盗賊・石川五右衛門の幽霊であった。松竹の名子役である青木富夫(突貫小僧)が五右衛門の従者として腕白振りを発揮。上映プリントは、近年発見された9.5mmのパテベビー版を35mmにブローアップしたもの。
(30松竹蒲田) (監督)斎藤寅二郎(原作)絹川秀治(脚本)池田忠雄、伏見晁(撮影)武富善雄
(出演)渡辺篤、香取千代子、坂本武、横尾泥海男、青木富夫
(21分・16fps・35mm・白黒・無声)

★突貫驛長
古川緑波演ずる駅長の人情あふれる活躍を描くことで、戦時における陸運の重要性を強調する喜劇。「あまりにいわゆるドタバタ喜劇的構成」であったため、脚本検閲時に改訂を要求された。原作は「陸運新報」に連載された松下井知夫の4コマ漫画。映画の封切直前に、古川緑波は同名作品の舞台化も行っている。
(45東宝) (監督)斎藤寅二郎(原作)松下井知夫(脚本)如月敏、志村敏夫(撮影)立花幹也(美術)北川恵笥(音楽)伊藤昇
(出演)古川綠波、英百合子、志村喬、山根壽子、岸井明、藤間房子、渡邊篤、高勢實乘、三谷幸子、河野糸子、石田守英、堀井英一、横尾泥海男、坊屋三郎、白川道太郎
(62分・35mm・白黒)

★爆彈花嫁
1932年に佐々木啓祐監督が無声映画として完成させた「花婿奮戦」は、長い間お蔵入りとなっていたが、この作品は斎藤寅二郎が追加撮影して、改題のうえサウンド版として再編集をほどこしたもの。尺八の師匠(谷麗光)の娘(柳井小夜子)をめぐって、裕福な弟子(小倉繁)と貧乏な弟子(阿部正三郎)が恋の鞘当を繰り広げる。ロシアのゴスフィルモフォンドより里帰りしたフィルムの1本。
(35松竹蒲田) (監督)佐々木啓祐(原作脚本)池田実三(撮影)前野直之助(編集)斎藤寅二郎
(出演)谷麗光、柳井小夜子、小倉繁、阿部正三郎、出雲八重子
(23分・24fps・35mm・白黒・サウンド版[一部無声])

★子寶夫婦
斎藤寅二郎がしばしば好んでとり上げた題材のひとつに、子沢山の大家族を巡る喜劇がある(「子宝騒動」1935、「金語楼の子宝騒動」1949、「お父さんはお人好し」シリーズ[1955-56年])。本作は曽我廼家五郎の舞台を映画化したもので、15人の子供を持つ平田家の物語。娘のひとり純子(三谷幸子)は、クラスの恵美子(三邦映子)に怪我をさせてしまう。恵美子は、純子の父が働く会社の社長令嬢であり、それを知った父は当惑する。
(41東宝東京) (監督)斎藤寅二郎(原作)曽我廼家五郎(脚本)志村敏夫(撮影)木塚誠一(美術)北猛夫(音楽)飯田信夫
(出演)徳川夢声、英百合子、三谷幸子、月田一郎、岸井明、渡邊篤、淸川玉枝、三邦映子
(59分・35mm・白黒)

★エノケンの法界坊[短縮版]
1938年、斎藤寅二郎は前年に創立された東宝に招かれ、古巣の松竹をあとにした。この作品は移籍後の第1作で、歌舞伎の演目「隅田川続俤」に題材をとったオペレッタ風時代劇。金に目のない生臭坊主(榎本健一)が宝物「鯉魚の一軸」を手に入れるために悪戦苦闘。本作以降、斎藤は東宝で古川綠波や横山エンタツ・アチャコといった新たな俳優たちと出会いながら、戦時下の喜劇映画を模索してゆく。
(38東宝東京) (監督)斎藤寅二郎(脚本)和田五雄、小川正記、小國英雄(撮影)鈴木博(美術)中古智(音楽)栗原重一
(出演)榎本健一、宏川光子、小笠原章二郎、柳田貞一、中村是好、如月寛多、英百合子
(53分・35mm・白黒)

★思ひつき夫人[短縮版]
大阪朝日新聞に連載された平井房人の漫画「家庭報国・思ひつき夫人」の映画化。映画化にあたり、さまざまな思いつきで近所の人々に奉仕する“思ひつき夫人”よりは、八百屋の夫婦(花菱アチャコ・清川虹子)とその娘(霧立のぼる)が主に描かれている。上映プリントは「アチャコ青春日記」として戦後に改題再公開されたときのもので、“思ひつき夫人”を演じる竹久千恵子はほとんど登場しない(公開当時は約77分)。
(39東宝京都) (監督)斎藤寅二郎(原作)菊田一夫(脚本)小國英雄(撮影)友成達雄(美術)吉松英海(音楽)山田英一
(出演)竹久千惠子、花菱アチャコ、清川虹子、霧立のぼる、岸井明、山野一郎
(50分・35mm・白黒・不完全)

★親子鯨
南氷洋の捕鯨船で働く船員父子の愛情を描いた喜劇。ただし捕鯨場面は実際に南極ロケを敢行した訳ではなく、捕鯨の様子を捉えた記録映像を挿入したもの。捕鯨会社の小間使いをしている父の横山(渡邊篤)は、息子の福太郎(川田義雄)に捕鯨船の砲手をしていると偽っていた。福太郎が学校を卒業して帰省するので、横山は船長に頼んで一日だけ砲手にしてもらうことになる。
(40東宝東京) (監督)斎藤寅二郎(脚本)志村敏夫(撮影)立花幹也(美術)北辰雄(音楽)服部良一
(出演)渡邊篤、川田義雄、英百合子、山根壽子、小宮一晃、清川虹子、立花潤子、柳谷寛、若宮金次郎、杉寛
(75分・35mm・白黒)

★東京五人男
終戦後に疎開先から東京へ帰ってきた5人の男たちが、復興のために尽力する物語で、占領軍が指導した“民主主義思想の育成”という啓蒙性と、喜劇俳優たちの演技がかもし出す娯楽性がうまく融合した傑作。数多くのロケーション撮影によって、終戦直後の東京市街の様子が映し出されている点も興味深い。「のんき節」で人気のあった演歌師の石田一松は、翌年衆議院議員に当選して政治界で活躍した。
(45東宝) (監督)斎藤寅二郎(脚本)山下與志一(撮影)友成達雄(美術)北辰雄(音楽)鈴木静一(特殊技術)圓谷英一(円谷英二)
(出演)古川綠波、横山エンタツ、花菱アチャコ、石田一松、柳家權太樓、高勢實乘、鳥羽陽之助、永井栁筰、高堂國典、小高つとむ、石田守英
(84分・35mm・白黒)

★青空天使
中国大陸から引揚げる途中で母親(入江たか子)と生き別れてしまった少女マリ子(美空ひばり)が日本で母を尋ね歩くという、当時流行の「母もの」の1本。この作品は長らく失われたフィルムだと思われていたが、近年大阪で16mmの上映用ポジが発見され、大阪芸術大学を中心に復元プロジェクトが立ち上げられた(封切時は82分)。1947年に設立された太泉映画のスタジオは、現在の東映東京撮影所である。
(50太泉映画) (監督)斎藤寅二郎(脚本)山下與志一(撮影)友成達雄(美術)北辰雄(音楽)萬城目正
(出演)美空ひばり、入江たか子、花菱アチャコ、横山エンタツ、川田晴久、伴淳三郎、清川虹子、清川玉枝
(63分・35mm・白黒・不完全)

★花吹雪 御存じ七人男
法界坊、髪結新三、切られ与三郎など、歌舞伎の主人公たちが勢ぞろいする時代劇で、江戸の長屋に住む人々が、狡猾な兵蔵(山茶花究)の長屋乗っ取りに立ち向かう。与三郎を演じる中村錦之助は映画デビュー2作目で、本作出演後、東映に入社して時代劇スターとしての確固たる地位を築いた。
(54新東宝) (監督)斎藤寅二郎(原作)旗一兵(脚本)八住利雄(撮影)服部幹夫(美術)川村芳久(音楽)米山正夫
(出演)花菱アチャコ、田端義夫、伴淳三郎、嵯峨美智子、中村錦之助、鮎川十糸子、月丘千秋、川田晴久、益田喜頓、山茶花究、堺駿二、香川良介、野沢英一
(79分・16mm・白黒)

★ハワイ珍道中
日本初のイーストマン・カラー劇映画は大映の「地獄門」1953であるが、本作はその翌年に製作された新東宝初のイーストマン・カラー作品。斎藤組はハワイ・ロケを敢行して、南国の鮮やかな色彩を巧みに表現した。15年ぶりにハワイから日本へ帰国した花村(花菱アチャコ)は、親戚に預けた一人娘のチエミ(江利チエミ)と再会できず、さびしくハワイへ帰る。その後、歌手のチエミはハワイへ興行におもむき二人は邂逅するが。
(54新東宝) (監督)斎藤寅二郎(脚本)八住利雄(撮影)友成達雄(美術)加藤雅俊(音楽)原六朗
(出演)花菱アチャコ、田端義夫、堺駿二、伴淳三郎、江利チエミ、安西郷子、宮川玲子、清川虹子、斎藤達雄、潮万太郎、小倉繁、益田キートン、神楽坂はん子
(88分・35mm・カラー)

★大笑い江戸っ子祭
大金を拾った魚屋を描く「芝浜」、言葉が丁寧すぎる妻をもった男の悲喜劇「たらちね」、富くじをめぐる「千両富(宿屋の富)」など、名作落語を題材にした娯楽時代劇。斎藤の前作「勢揃い江戸っ子長屋」1959と同じ「長屋もの」の1本で、豪華な喜劇俳優たちが脇を固めている。
(59東宝) (監督)斎藤寅二郎(脚本)蓮池義雄、淀橋太郎(撮影)西前弘(美術)鳥居塚誠一(音楽)宅孝二
(出演)三木のり平、有島一郎、雪村いづみ、南部雄二、ミヤコ蝶々
(85分・16mm・白黒)


【野村浩将】

★涙の愛嬌者
監督デビューした翌年の中篇作品で、野球好きの少年とその家族の純朴な親子愛をやさしく描いた佳作。ユニフォームやバットを持っていない少年(小藤田正一)は野球チームに入れてもらえず、父に買ってくれるよう頼む。しかし、露天商として細々と生活を立てている父(新井淳)は、息子の将来を思い、なかなか首を縦に振らない。
(31松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作脚本)伏見晁(撮影)髙橋與吉
(出演)小藤田正一、髙尾光子、新井淳、阪本武、関時男、山口勇、半田日出丸、突貫小僧、小倉繁、大山健二
(41分・18fps・35mm・白黒・無声)

★玄関番とお嬢さん
就職口がみつからずに下宿を追い出された大学出の善吉(藤井)が、子供を助けた縁で屋敷の玄関番になり、家族とドタバタ喜劇を繰り広げる。主演の藤井貢は慶応大ラグビー部出身で、清水宏監督の「大学の若旦那」シリーズ(1933-34年)など、「カレッジもの」を得意とした。
(34松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作脚本)北村小松(撮影)高橋與吉(美術)浜田辰雄(音楽)今澤將矩、早乙女光
(出演)水久保澄子、藤井貢、伏見信子、齋藤達雄、吉川滿子、突貫小僧、葛城文子、坂本武、飯田蝶子、磯野秋雄、三井秀男、阿部正三郎、若水絹子
(67分・35mm・白黒)

★令嬢と與太者
磯野秋雄、阿部正三郎、三井秀男の3人組がくりひろげる「与太者」シリーズ(1931-35年)の第1作で、不良少年の収容施設で生活を送る3人組の更生物語。のちに類型化する「与太者」の人物造形とは異なり、この作品では3人の不良性と暴力性が強調されている。
(31松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作)一木歓(脚本)柳井隆雄(撮影)高橋與吉(美術)浜田辰雄
(出演)磯野秋雄、阿部正三郎、三井秀男、結城一朗、若水照子、武田春郎、井上雪子、大野秀郎、河村黎吉、阪本武
(118分・18fps・35mm・白黒・無声)

★與太者と藝者
「与太者」シリーズの第5作目。「与太者」トリオは呉服屋に勤める奉公人として登場。あるとき呉服屋が破産してしまい、若旦那の誠一郎(結城)は恋人のふみ江(若水絹子)を残して樺太へ旅立ち、誠一郎の妹(光川京子)は芸者として働くことに。5作目ではすでに「与太者」たちの役名が本名の磯野、三井、阿部となっており、彼らのネーム・バリューの高さを示している。
(33松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作脚本)柳井隆雄(撮影)高橋與吉(美術)脇田世根一
(出演)磯野秋雄、三井秀男、阿部正三郎、若水絹子、花岡菊子、光川京子、若水照子、結城一朗、市村美津子、河村黎吉
(104分・20fps・35mm・白黒・無声)

★應援團長の戀
1931年の「マダムと女房」の成功で日本映画はトーキー時代に入ったといわれるが、実際に多くの監督がトーキーに取り組むのはその数年後である。本作は野村のトーキー第1作で、当時の批評は野村が「相当トーキーをこなしている」と評価した。大学の応援団長・塚本(岡譲二)と下宿の娘・お美津(田中絹代)は仲が良かったが、ある日、塚本はピッチャー宮嶋(江川宇礼雄)の家で出会ったアヤ子に心魅かれる。
(松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作脚本)野田高梧(撮影)高橋與吉
(出演)岡譲二、田中絹代、江川宇礼雄、逢初夢子、沢蘭子、若水照子
(78分・35mm・白黒)

★與太者と花嫁
「与太者」9作目は、トリオがひとりの女性の結婚を成就させるまでを描いた人情味あふれる物語。道場の師匠だった緒方(岩田祐吉)は、2人の弟子(磯野秋雄、阿部正三郎)と、初恋の女性の遺児・きぬ子(大塚君代)を率いて田舎から上京する。きぬ子は幼馴染の松岡(加賀晃二)に再会して愛情を深め合うが、緒方は二人の結婚に反対する。「与太者」のひとり・三井秀男は物語の途中から登場する。
(34松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作脚本)柳井隆雄(撮影)髙橋與吉(美術)浜田辰雄(音楽)万城目正
(出演)磯野秋雄、三井秀男、阿部正三郎、岩田祐吉、大塚君代、加賀晃二、齋藤達雄、新井淳、水嶋亮太郎
(93分・35mm・白黒・サウンド版)

★與太者と小町娘
「与太者」シリーズ10作目。木曽の山中で森林伐採業を営むふたつの組はいつも縄張り争いでもめていた。「与太者」トリオは親方(上山草人)の娘(坪内美子)の苦境を救うために相手グループに戦いを挑む。本作完成後に三井秀男が東京発声へ移籍したため、11作目の「与太者と若夫婦」1935では代役が立てられたが、結局シリーズは11作をもって終焉を迎えた。
(35松竹蒲田) (監督)野村浩将(原作)野村浩将(脚本)池田忠雄(撮影)高橋與吉
(出演)磯野秋雄、三井秀男、阿部正三郎、坪内美子、上山草人、山口勇、大日方傳、河村黎吉、関口小太郎
(72分・35mm・白黒・サウンド版)

★人妻椿 前後篇
野村浩将のメロドラマ作家としての演出力が存分に発揮された大作。本作の興行的成功によって野村は松竹のドル箱監督として一目置かれる存在になった。殺人を犯した恩人の罪をかぶり、矢野(佐分利信)は国外へ逃亡。矢野の妻・嘉子(川崎弘子)は、幼い息子を育てながら夫を待ち続けるが、嘉子の前に次々と世間の荒波が押し寄せる。1956年に原研吉監督、1967年に市村泰一監督が同名タイトルでリメイクしている。
(36松竹大船) (監督)野村浩将(原作)小島政二郎(脚本)柳井隆雄(撮影)高橋通夫(美術)浜田辰雄(音楽)万城目正
(出演)川崎弘子、佐分利信、小嶋和子、上原謙、藤野秀夫、山内光、三宅邦子、上山草人、野寺正一、坂本武、飯田蝶子、笠智衆、大山健二、磯野秋雄、阿部正三郎、忍節子、河村黎吉、吉川満子、水島亮太郎
(142分・35mm・白黒)

★女醫絹代先生
タイトルが示す通り、田中絹代が聡明な若医者を演じる恋愛喜劇。漢方医である山岡家と、外科医の浅野家は先代から犬猿の仲。医学生の山岡絹代(田中絹代)と浅野安夫(佐分利信)は、両家の確執ゆえにライバル心を燃やして喧嘩ばかりしていたが、どこかお互いに魅かれるところもあった。本作と類似した物語設定に「お絹と番頭」1940がある。
(37松竹大船) (監督)野村浩将(原作)野村浩将(脚本)池田忠雄(撮影)髙橋通夫(美術)周襄吉(音楽)万城目正
(出演)田中絹代、佐分利信、坂本武、東山光子、吉川満子、島田富美子、水島亮太郎、谷麗光、大山健二、磯野秋雄、小林十九二、縣秀介、山田長生
(91分・35mm・白黒)

★愛染かつら[新篇總輯篇]
日本映画史に輝くメロドラマの名作で、看護婦の高石かつ枝(田中絹代)と病院の若い院長・津村浩三(上原謙)のすれ違い恋愛物語。「愛染かつら」1938の大ヒットを受けて、1939年に「続篇」と「完結篇」が製作された。現存プリントは戦後の再映時に3篇を再編集した総集篇。「花も嵐も踏み越えて」ではじまる主題歌「旅の夜風」を作曲した万城目正は、戦後も「悲しき口笛」1949や「東京キッド」1950の主題歌を作曲して活躍した。
(38-39松竹大船) (監督)野村浩将(原作)川口松太郎(脚本)野田髙梧(撮影)高橋道夫(音楽)萬城目正
(出演)田中絹代、上原謙、佐分利信、大山健二、水戸光子、三桝豊、桑野通子、藤野秀夫、葛城文子、森川まさみ、河村黎吉、吉川満子、小島敏子、斎藤達雄、坂本武、岡村文子、出雲八重子、東山光子、忍節子、草香田鶴子、久原良子
(89分・35mm・白黒)

★絹代の初戀
松竹大船が得意とする明朗な庶民劇の要素が凝縮された作品。せんべい屋を切り盛りする絹代(田中絹代)は父と妹の3人暮らし。ホテルのポーターとして働く父(河村黎吉)は物忘れがひどくて解雇される。妹(河野敏子)は勤務先の社長の息子から求愛されるが相手にしようとしない。絹代はある日、友人と歌舞伎見物へおもむき、偶然知り合った男性(佐分利信)に恋をしてしまう。
(40松竹大船) (監督)野村浩将(脚本)池田忠雄(撮影)高橋道夫(美術)濱田辰雄(音楽)早乙女光
(出演)田中絹代、河村黎吉、佐分利信、河野敏子、三桝豊、葛城久子、水戸満子、吉川満子、坪内美子、東山光子、久原良子、山口勇、寺門修、宮島健二
(82分・35mm・白黒)

★舞台姿
旅回りの一座を率いる芸熱心で頑固な座頭(河村黎吉)と、父のもとで一座を取りまとめる気丈な娘・お絹(田中絹代)の一種の「芸道もの」。この年、野村浩将は、池田忠雄(脚本)・田中絹代(主演)と組んで「絹代の初戀」や「お絹と番頭」といった快活な作品を監督したが、この作品には、お絹の恋人が軍需工場で働くプロットや結末部分などに、戦争の影が色濃く現れている。
(40松竹大船) (監督)野村浩将(脚本)池田忠雄、荒田正男(撮影)齋藤正夫(美術)浜田辰雄(音楽)伊藤宣二
(出演)田中絹代、島崎潑、河村黎吉、坂本武、小林十九二、水島亮太郎、阿部正三郎、磯野秋雄、三井秀男、飯田蝶子、吉川満子、小藤田正一
(102分・35mm・白黒)

★お絹と番頭
野村組の息の合った製作風景が目に浮かぶような微笑ましい正月映画。足袋商店・福屋の若い番頭幸どん(上原謙)と、福屋の一人娘で勝気なお絹(田中絹代)は、喧嘩するほど仲のよい間柄。しかし、ある日幸どんは地主(河村黎吉)の娘との縁談を持ちかけられ、それを知ったお絹はいつもの元気を失い、部屋に閉じこもってしまう。「与太者」トリオも福屋の職人として登場している。
(40松竹大船) (監督)野村浩将(脚本)池田忠雄(撮影)齋藤正夫(美術)濱田辰雄(音楽)伊藤宣二
(出演)田中絹代、上原謙、齋藤達雄、三宅邦子、藤野秀夫、小林十九二、磯野秋雄、阿部正三郎、三井秀男、岡村文子、近衛敏明、沖田儀一、河村黎吉、坪内美子、青山萬里子、久原良子、大塚君代、東山光子、草香田鶴子、葉山正雄
(73分・35mm・白黒)
[PR]
by sentence2307 | 2005-10-07 23:54 | 映画 | Comments(0)