世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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この作品の出演者たち(子供とは限りません)のたどたどしいセリフ回しとか、ぎこちない演技を「なんだ、これ」などとみくびって見ていると、最後には、とんでもない感動に叩きのめされてしまいます。

今回は、正編とともにこの「その後の蜂の巣の子供たち」も一緒に見ることができました。

ですが、この両作品、タイプとしては両極端と言いたくなるほど異なっていて、例えば正編が安住の地を求める苦難の旅を描いたロードムービーなら、続編は少年たちが定着の地を得たあとの「安定」を協力しながら築き上げていくという葛藤が描かれています。

子供たちが、その安住の地で自分たちの生活の基盤を作り出そうと一生懸命になればなるほど、そこには自ずから共同生活を維持していくための制約と厳しいルールが生まれ、そのルールを守ることのできない放浪癖の抜けない子供たち(見ていると、少し可哀想になってしまいます)は排除されてしまうという、いわば子供たちが「社会」を形成していく過程で、自分たちの生活を守るために選択される「不適応者の排除」が、厳しく描かれています。

少し前までは同じ浮浪者同様の戦災孤児だったはずの子供たちが、ルールに馴染めない「仲間=不適応者」をシビアに見捨てる姿が、罪悪感なしに、ここでははっきりと描かれていて、この生きていく厳しさと苦渋を真正面から描いた続編の免れがたい重苦しさを考えれば、たぶん当時評価を受けたのは、きっと軽やかで爽やかなロードムービーの正編の方だったのだろうなと容易に想像することができました。

こんなふうに言ってはいけないのかもしれませんが、映画としては、正編の「自由気儘に生きる戦災孤児たち」のどこまでも自由で快活な旅を生きた少年たちを見た目で、続編の品行方正で規律正しい分別くさい少年たちを見ることは、はっきり言って苦痛です。

ちゃんとした生活に馴染めず、疎外されて不貞腐れ、友達の衣服を盗み、再び「戦災孤児」の群へと舞い戻ってしまう少年たちの孤独に、つい同情を感じてしまう自分を諌めながらも、映画の中から、親や社会や国家に「見捨てられた孤児たち」の孤独の深さを繰り返し考えてしまいました。

「その後の蜂の巣の子供たち」の中に、こんなエピソードが描かれています。

冒頭で、この「子供たちの村」を取材に来た女性記者が、あの雑誌の特集記事を見た生き別れた母親が、子供(よし坊)にひと目会いたいと申し出てきたことを伝えてきます。

駅で落ち合う段取りをつけ、いよいよ子供を駅に連れて行くとき、しかし、子供は母親に会えるという話をハナから信用せず、大人たちは自分をからかっているに違いないと言い続けながら、無表情のまま列車の到着を待っています。

やがて到着した列車から降り立ってきたのは女性記者ただひとり、彼女は、その母親が来なかった理由をこんなふうに語ります。

母親が既に別の男性と結婚していること、会えば別の子供たちがひがむだろうし、「生きていさえすれば、いつでも会える」から会いに来なかったのだと。

自分が産み落とし、生き別れたわが子とようやく会うことが出来るというそのとき、それを諦めなければならない理由というのが、本当にこのコメントの中に存在しているのか、結局僕には分からずじまいでした。

ただ分かることは、実の母親が、彼女の現在の幸せを守るために、子供の自分に会うことを拒んだということ、子供は見捨てられたというその記憶の痛みを抱えながら大人へと成長しなければならないという惨たらしさだけでした。

終始無表情の「よし坊」は、「やっぱり、大人は自分をからかっただけなんだ」とぶっきらぼうに言い残し、海岸まで走って、海に向かって3度「お母さん」と叫び、このシーンは終わります。

十分に訓練された職業俳優なら、たとえ子役だとしても、ここは入念に「悲しみの演技」を誇張せずにいられないところだったでしょうが、しかし、そのような僕たちの思い込みに反して僕たちをさらに深刻な感動で叩きのめしたのは、きっと、あの醒めたような無表情にあったのだと思います。

この社会の大人たちが差し伸べる好意や善意の、その裏側にある嘘と悪意に満ちた偽善に傷ついた者たちだけが持つに違いないあらゆる感情を殺した「無表情」、二度と騙されまいと決意し、誰にも頼ることなく一人だけで生きていこうと決意した底深い孤独の、当事者だけしか持つことのできなかった静かな「無表情」だったのだと思います。

(48蜂の巣映画部・東宝)製作・清水宏、製作同人・古山三郎 関沢新一 杉山新一 大庭勝 高田輝子 山本茂樹 高村安治 林文三郎、監督脚本・清水宏、撮影・古山三郎、音楽・伊藤宣二、演奏・管弦楽郡青社、録音・杉山政明 金谷常三郎、擬音・木村一、
出演・島村修作、夏木雅子、御庄正一、伊本紀洋史、多島元、矢口渡、植谷森太郎、久保田晋一郎、岩本豊、三原弘之、平良喜代志、硲由夫、中村忠雄、川西清、千葉義勝
1948.08.24 10巻 2,350m 86分 白黒
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by sentence2307 | 2006-04-29 17:35 | 映画 | Comments(1004)

愛と希望の街

貧しい少年が、売った先から戻ってくる鳩を再び繰り返し売り続ける「詐欺行為」を、果たして非難することが出来るのか、この作品の衝撃的なラスト、富める者が貧しい少年の生活の糧である鳩を撃ち殺すという行為が、「決して融和することの出来ない階級の断絶」を象徴しているのだと、学生の頃、多くの「進歩的な」人たちから、賞賛の言葉とともに聞かされ続けてきた大島渚監督の衝撃のデビュー作です。

その過大とも思える評価は、あの「政治の季節」という時代が言わせた部分もあったのでしょうが、その手の押し付けがましい決め付けをあまりに度々聞かされてきたので、多分うんざりし、それでなくとも、そういう政治的な主張だけの作品というものが僕にはちょっと苦手なこともあって、見る機会を先送りにしてきた作品でした。

しかし、今回実際にこの「愛と希望の街」を見て、あの頃聞いていた印象とは、随分違っていたので驚きました。

まず、最も意外だったのは、主人公の少年です。

僕が自分なりにイメージしていたこの物語の少年像は、もっともっと抑圧された陰鬱で反抗的な少年でなければならないような気がしていました。

多分、「絞死刑」の少年Rや、日本全国を渡り歩いて各地で交通事故を装いながら示談金を詐取して回った当たり屋一家のあの「少年」のイメージが、この「愛と希望の街」の少年とダブってしまっていたのかもしれません。

しかし、この作品で描かれている少年は、異常なほどの母親思いで、言いつけを素直に聞いては忠実に実行する、いわば母親の言いなりになっているだけのただの孝行息子です。

しかも、この作品の「売り」である「鳩を売る」という極めて挑発的で悪意に満ちた発案も、実は少年ではなく母親から出たものであることを思えば、少し複雑な気がしてきました。

当の少年は、そのいささか不正な商売に疑問を感じながらも、母親の唆しを拒みきれずに渋々言いなりになっている従順で小心な孝行息子にすぎません。

その極めて消極的な彼の中に、貧しさの底辺にあって豊かな社会を絶望的に仰ぎ見、「階級闘争」という意識的な敵愾心を「報復→テロ」にまで燃え上がらせているという、憤激を自らの内部で肥大させている過激な反抗者の姿を見つけることは困難です。

もし、この少年に怒りらしきものがあるとすれば、社会の善意に甘え掛かろうとする屈辱感に根ざした自身への憤激でしょうか。

しかし、もし鳩好きの貧しい労働者が、なけなしの金をはたいて鳩を買っていってしまったらどうなるのだ、それこそ「同じ階級の者に対する裏切り行為」ではないかという素朴な疑問も残りました。

つまり、どう見ても「詐欺」としか思えないこの犯罪行為は、「貧しさ」を盾に取った社会への甘えを正当化している独善でしかなく、きっとどのような体制であっても、この「商売」を思想的に正当化するには、やはり重大な欠陥があるとしか思えません。

むしろ、最初から破綻しているこの「商売の論理」を、「貧しさ」を理由に強行に言い張り、少年に実行を強いる望月優子演じる母親にこそ問題があるのではないかと思えてきました。

僕にとって、望月優子といえば、すぐに思い浮かぶのは、木下恵介監督の「日本の悲劇」です。

苦労してようやく育て上げた子供に裏切られ、見捨てられた絶望から鉄道自殺を遂げるという悲惨なラストを持つ衝撃作です。

同じ母親でも「愛と希望の街」の母親とは随分違うという印象を持つかもしれませんが、とても似通っているところもあります。

子供たちの前で、自分がいかに犠牲になって苦労したかを、くどくどと愚痴り続け、恨めしげに泣き口説いて子供をおびやかし、その結果子供たちに母親を悲しませることを何よりも恐れさせて罪の意識=強迫観念を抱かせるという部分です。

それを受け止める子供たちの側に、見捨てる非情さを設定するか、あるいは追従する気の弱さを設定するかの違いだけが、この2作品(悲劇と喜劇?)の分かれ目だったように思えます。

これは「階級差」への怒りをウンヌンする前に、なによりも母親の反社会的な歪んだ申し出に疑問をもちながらも、拒みきれない不自然な母子関係を論ずるべき映画ではなかったかと考えざるを得ません。

観念だけで構築された「超えられない階級の断絶」という奇妙奇天烈な設定を、大真面目に恋愛関係に持ち込んだあまりにも不自然なシーンが、たとえ失笑をかったとしも、それは仕方のなかったことかもしれません。

考えてもみてください、付き合っている彼女から突然、二人の間には超えがたい「階級差」の深い溝があるのだから別れるしかないのよ、サヨナラ、なんて突拍子もない宣告をされて去られるところを。

言いたい放題のことを言うだけ言って、さっさと立ち去っていく彼女の堂々たる後姿をただ呆然と見送るしか為すすべがないにしろ、彼女が視野から消えるまで冷静に彼女と同レベルの「深刻さ」を保っていられるかどうか、きっと、彼女には失礼かもしれませんが、彼女の後姿が消えない前に、吹き出してしまうことを僕自身我慢できるとも思えません。

この「愛と希望の街」という未成熟な作品は、きっと誰もが同じ深刻さを持つに違いないと妄信した独善が作らせたそういう映画だったのかもしれないなという気がしてきました。

(59松竹・大船撮影所)製作・池田富雄、監督脚本・大島渚、助監督・田村孟、撮影・楠田浩之、撮影助手・赤松隆司、音楽・真鍋理一郎、美術・宇野耕司、装置・山本金太郎、装飾・安田道三郎、録音・栗田周十郎、録音助手・小林英男、照明・飯島博、照明助手・泉川栄男、編集・杉原よ志、現像・中原義雄、衣裳・田口ヨシエ、進行・沼尾釣
出演・藤川弘志、富永ユキ、望月優子、伊藤道子、渡辺文雄、千之赫子、須賀不二夫、坂下登
1959.11.17 5巻 1,705m 62分 白黒 松竹グランドスコープ
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by sentence2307 | 2006-04-23 09:57 | 映画 | Comments(6)

少年

ある女流作家が、ジャン・ヴィゴの「新学期・操行ゼロ」を、それこそ読む側が気恥ずかしくなるくらい褒めちぎっていました。

この映画を、少年映画の原点と書いています。

ヴィゴが、その生涯にたった4本しか作品を残さずに夭折したことも母性本能だか悲愴感だかをくすぐる一因になったのかもしれません。

確かに、既成の概念に囚われない自由奔放な精神は、その生き生きと躍動する映像からも十分に感じ取ることが出来ますし、その辺の事情や雰囲気は、ジュリアン・テンプル&アン・デブリン監督の映画「ヴィゴ」でよく分かりました。

しかし、そんな風な「褒め倒し」を目の当たりにすると、逆に、その気取った「おフランス」が鼻について、ひとこと反撥したくなってきます。

だいたい、ヴィゴの生き方にしろ、その作品「新学期・操行ゼロ」にしても、あるいは、この作品に影響を受けたといわれる諸作品が描いているフランスの少年たちの反抗や非行にしても、結局のところ豊かな社会から甘やかされて増長した甘えか、さらには、媚びでしかないという思いが常に僕の中にあって、結局「いい気なもんだ」という苦々しい思いから自由になれないのです。

なぜそんなふうに考えるかというと、それはきっと僕の中に大島渚の「少年」阿部哲夫が、いまも大きな領域を占めているからかもしれません。

大島渚にとって、創造社における仕事のうちで「少年」という作品は、その「普通さ」において、極めて異質です。

「新宿泥棒日記」や「東京戦争戦後秘話」、「儀式」などと同時期に撮られた作品と比べるとき、この「少年」には、信じがたい程の確固とした物語性が保たれています。

映画を撮り続けていくことの困難と真正面から対峙し、あらゆる方法論を模索しながら、それらの選択肢の中から選び取られた実験的手法によって、閉塞した時代を切り開こうとした大島作品の奇を衒った挑発的な自己解体の要素が、この作品には微塵も見られません。

静かな怒りを内向させながら、受身でしか生きられなかった無力な少年の、自分を傷つけることでしか表わし得なかった深い絶望と哀しみの果ての怒りを、簡潔なリアリズムの深い静けさにおいて、「少年」は、他の作品を圧して、より強烈なメッセージ性を備えることに成功した作品といえると思います。
交通事故をよそおい示談金を詐取しながら、日本縦断の旅を続けた当り屋一家のこの映画の中で、悪夢のように繰り返し甦ってくるひとつのシーンがあります。

少年が、堕胎する継母に付き添い、病院に行く一連の場面です。

その日の生活費にも事欠く毎日を、示談金でどうにか食い繋いでいる状態下での妊娠です。

夫に堕胎をしぶしぶ納得させられた継母は、病院には来たものの、もとより堕胎する気は全然ありません。

少年を、2時間したら戻って来いと言い含めて追い払い、立ち去ったのを確認してから自分も病院から立ち去ろうとします。

しかし、まだそこらにぐずぐずしている少年を見つけ、継母は、出産を許さない父親に命ぜられて少年が自分の中絶を見届けに来たと邪推します。逆上した彼女は、日頃の憎悪をもあからさまにして少年の頬を打ちます。打ちながら、しかし、彼女は、少年も自分も同じような悲惨な境遇のサナカにあることを徐々に理解し始める場面でもあります。

これが、この悲惨な物語の中で、ほとんど唯一と言ってもいい少年が「他人」と始めて気持ちを通わせる(ように見える)場面です。

疑いを本音で少年に叩きつける継母、口汚い罵りを吐きつくすことによって、少年に少しずつ心を開いていく重要なシーンなのです。

映画もその方向で作られたのだろうと思いますが、しかし作品の意図を裏切って、固く表情のない阿部哲夫少年の顔からは「継母と絆を深めていく」痕跡を見出すことはできませんでした。

僕はこの少年・阿部哲夫の表情に、誰からも愛されたことのない、誰に対しても心を開いたことのない無残なほど痛ましい少年の深い孤独を見ました。

残されたスチール写真の彼の表情はどれも感情をあらわにすることなく、ただじっと他人を見据えています。他人との距離を測りながら人間関係をつなぎとめるために、自分の位置を定めようと努めたり、また、とりつくろうことも必要としなかった少年の、孤独のうちに生きてきたうち棄てられた者の眼差しだと思いました。

しばらくあとで知ったことですが、養護施設にいた阿部哲夫少年がこの映画に起用され、撮影の終わりに撮影チームのスタッフから養子の申し出があったのを断わり、再び養護施設へ戻ったと記されていました。
実は、前回、病院前で継母が少年に駆け寄り殴りつける部分のセリフをシナリオから拾い書きしたのですが、なにせ少年を激しく「誹謗中傷」するその言葉のあまりに激しさに、このまま忠実にリライトしていいものかどうか迷いました。

迷った結果、やはり引用した全文を削除し、代わりに、それらの言葉を「口汚く罵り」という一言に言い換えることとしました。

そこには、父親と息子という一般的な概念に対しての継母の嫉妬が、暴力を伴って土佐弁丸出しの激しい言葉で少年に投げつけられた訳ですから、そこは、どうしても生の言葉の開示が必要だったのですが、どうしても思うに任せずに、その強烈な言葉群の提示を欠きながらの「繰り返し悪夢のように甦る」場面の紹介は、迫力に欠けた不十分なものとなってしまいました。

社会の片隅で犯罪者としてゴミのように生きる人間同士の無残なぶつかり合いを、セリフ抜きで説明的に書かなければならなかったことで、田村孟が残した作品群における映画「少年」が位置する意味を検証するとっかかりも失いました。

しかし、いまとなっては、むしろそれで良かったのかなとも思っています。

ひとつは、差別的言語などに満ちたそれらのセリフを、ストーリーの流れを欠いたまま記したところで、脚本の真意を伝えられずに、不愉快な印象を与えるままで終るかもしれないこと、その部分のみのセリフの提示は、激烈なだけに、もしかすると、田村孟の意図に反する懼れもあると思えてきました。

もうひとつは、年譜をみながら思ったことですが、創造社解体以後の田村孟の、なにか拠り所を失ってしまったような元気の無さが後半生の印象として得たことでした。

ひとつの時代が終わり、その時代の最先端で、あらゆる勢力と対峙し前衛の役割を担った誇り高い充実期にあったひとりの芸術家も、創造社解体以後その役割を終えて退場していくような、そんな寂しさを感じてしまったからでした。

「少年」は、そのような田村孟の仕事のピークを示すものと思っています。

(69創造社=ATG)製作・中島正幸 山口卓治、監督・大島渚、助監督・小笠原清、脚本・田村孟、撮影・吉岡康弘 仙元誠三、音楽・林光、美術・戸田重昌、録音・西崎英雄、編集・浦岡敬一
出演・渡辺文雄、小山明子、阿部哲夫、木下剛志
1969.07.26 7巻 2,676m 97分 カラー シネマスコープ
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by sentence2307 | 2006-04-23 09:52 | 映画 | Comments(3)
改めて「二十四の瞳」という作品を見て、あることに気が付きました。

この映画から受ける感動は、他の多くの木下恵介作品から受ける印象とは、どこか大きく違うような気がします。

確かにこの作品も、他の多くの作品と同じようなパターン化した類似点はあります。

たとえば戦争の時代に翻弄されたひとりの女教師の年代記風なタイプの作品とか。

まあ、それはそのとおりなのでしょうが、「二十四の瞳」は、そうした木下作品のパターン化されたストーリーの枠を大きく踏み越えるような、まるで絶叫するみたいに驚くほどの強い調子で、戦争から子供たちを守りきれなかった「不甲斐ない大人」のやりきれない悲しみが見事なほど率直に描かれた物語なのだなと改めて感じました。

いつも感じていることなのですが、木下作品に特徴的なことは、主人公が自分の悲しみに夢中になって恍惚と浸り込んでしまうような自己陶酔的なひとりよがりの部分があり、時には観客を置き去りにしてまでも独走していってしまって、僕などは、そのナルシズムに付いていけなくて、常にストーリーから「置き去り」にされてしまう組でした。

しかし、この「二十四の瞳」の印象は、明らかに他の木下作品とは違う異質の感性を感じました。

「子供を守り切れなかった」という大石先生の視点を通して、そこにはまず、戦争で傷ついた子供たちに対して何もできなかった大人たちの率直な気持ちが表明されています。

このような、「不甲斐ない」、「すまない」という思いを顕わにした大人が、かつて日本の映画の中で描かれたことがあったのか、寡聞にして推測で書くことしかできないのがとても残念ですが、この「二十四の瞳」は、木下作品が持つ自己陶酔的なあの独特な「くさみ」から幸いにもまぬがれることができた稀有な作品だと思いました。

実は少し前、観客に若い世代が多いある上映会で、とてもショッキングな場面に立ち会ってしまいました。

上映された作品は、木下恵介監督の「日本の悲劇」53です。

ご存知のように、この作品は、戦争未亡人が、戦後のきびしい時代に女手ひとつで子供を育て上げること、ただそれだけを楽しみに、懸命になってどんなにいかがわしい仕事にも耐えて頑張ってきたというのに、成長した息子は、そんな堕落した母親を責めて、さっさと資産家の養子になってしまい、見捨てられた母親は絶望して鉄道自殺をとげるというなんとも衝撃的な作品で、公開当時はかなりの評価を得た作品でした。

この年のキネマ旬報ベスト10をみると、

①にごりえ(今井正)
②東京物語(小津安二郎)
③雨月物語(溝口健二)
④煙突の見える場所(五所平之助)
⑤あにいもうと(成瀬巳喜男)
⑥日本の悲劇(木下恵介)
⑦ひめゆりの塔(今井正)
⑧雁(豊田四郎)
⑨祗園囃子(溝口健二)
⑩縮図(新藤兼人)

となっているくらいですから、この作品「日本の悲劇」がいかに高い評価を得たかが分かろうというものですよね。

しかし、この上映会における雰囲気には、この作品のそうした過去の栄光に敬意を払うという空気など、残念ながら微塵もありませんでした。

敬意のかわりにあったものと言えば、そう、しいて言えば「冷笑」でしょうか。

こよなく「映画史」を愛する者にとっては、物凄いショックでした。

大げさではなく、自分の過去の一部を辱められた気分にもなりましたが、しかし、「場の空気」というものは、その拒否反応の理由を分からせてもくれるものなのですね。

その上映会における木下恵介監督作品「日本の悲劇」に浴びせられた若い世代からの「冷笑」の意味を自分なりにしっかりと納得しておかないと、そこで受けたショックから二度と立ち直れないような暗澹たる気持ちになったのは確かでした。

大げさではなく、自分の過去の一部を辱められたような気分にもなりました。

それは僕自身の価値観の切実な問題だったからでしょうか。

だから、混乱する頭を必死になって整理しながら、「その場の空気」から、考えうる幾つもの拒否反応の理由を探しだそうとしたのだと思います。

たとえば、息子に見放された母親の置かれた状況が、はたして自殺を考えねばならない程の「不幸」だったのか。

たとえば、見返りを期待して子供を育て上げるという感情に何か歪んだものがなかったのか。

たとえば、子供の自立を、自分への裏切りとしか思わず、また、子供が自分の言いなりになる奴隷やロボットだったのなら、親としてそれで満足だったのか。

たとえば、曖昧宿で酔客相手にきわどい商売をしている母親が客にまとわり付いて媚を売っているあのシーン、それを見た子供たちが母親を軽蔑する契機になる問題のシーンをどう見るか、とか。

酔った好色そうな客に体中をまさぐられ、媚を売りながらも一方で嫌悪をあらわにするというあのなんとも複雑な表情を映し出すあの場面です。

子供を育てるために自分のことはすべて犠牲にして、嫌悪しかもよおさないような嫌な仕事に耐えながら、結局は子供に裏切られて自殺するというこの母親の惨憺たる最後に、それでも感情移入できなかったのは、彼女が抱え持っている、そして、木下恵介が抱え持っているすっかり古びた奇妙な道義心にあり、その女性像がいまではすっかり普遍性を欠いているからかもしれないことを痛切に感じました。

独りよがりの古臭い道徳観がすたれるのと同じ速度で、木下作品のある部分(この母親の道義心)が確実に若い世代から拒まれ、やがて忘却されてしまうのではないかという恐れもそのとき感じました。

若い世代の冷笑を受けてみると、いままで「悲劇のヒロイン」の美しい死も、結局は、自分だけの悲しみに酔うという自己陶酔の延長として、思うように周囲を動かせない憤懣を、そのまま身勝手な「あてこすり自殺」につなげただけの愚劣なものに見えてきました。

「二十四の瞳」がそうした古臭さからまぬがれているのは、きっと自己陶酔から距離を置いた主人公・大石先生の子供たちへの謝罪の気持ちを、まず前面に押し出たからだと思います。

いままで撮られた映画の中で最も美しいシーンは何かと問われたら、僕は躊躇なく「二十四の瞳」の前半のシーン、櫻の花びらが舞い散る下で、大石先生が幼い子供たちとともに汽車ごっこをして遊んでいるあの場面を挙げると思います。

高峰秀子演ずる大石先生は、子供たちの先頭を駆けながら、軽く振り向いて笑顔で子供たちを見守っています。

縄をしっかりと握った子供たちは、連なって満面の笑顔で先生のあとを追っています。

この映画「二十四の瞳」を最初に見たときは(今ではすっかり忘れてしまっているのですが)、きっと最後のシーンの、教え子から自転車を贈られる感動的な場面で泣いてしまったのだろうなという気がします。

しかし、幾度も繰り返して見るうちに、逆に、この冒頭の場面のあまりにも美しく、それだけに一層悲しい追憶の残酷さが僕の胸を締め付けずにはおかなくなりました。

その子供たちの幾人かは戦場で命を落とし、あるいは病没し、あるいは行方知れずとなることを既に知っている僕たちには、楽しそうに遊び興じる子供たちの笑顔の無邪気さを、一層哀切なものとして感じずにはおられないのでしょう。

人が生きていくうえで、何が大切で、何が愚劣なことか。

優れた映画は、本質的なことを一瞬のうちに分からせてくれます。

この映画には、大声で叫ぶようなアジテーションも、激昂した怒りの主張もありません。

辺境の孤島の小さな分教場で、女教師と子供たちとの間に交わされた日々の小さな喜びと悲しみ、その何気ない日常の描写のひとつひとつを、すぐ背後に迫り来る戦争の暗い影を怯えのように感じ取りながら、まるで残された一瞬一瞬を惜しむかのように大石先生との平穏な日々の永遠を切実に願う幼い子供たちのささやかな、そしてあまりにも儚い祈りのように思えました。

心に残る二つの場面があります。

ひとつは、2里の道を歩いて見舞いに来てくれた子供たちに、大石先生がバスの中から気づく場面です。

自分たちが仕掛けた悪戯のために先生に怪我を負わせた罪悪感に泣いている子供たちへ、大石先生は「あなたたちのせいではないのよ」と言いながら抱き締めます。

もうひとつは、貧しさのために、学校を諦めて家のために働いているかつての教え子に逢いに行く場面です。

大石先生は、ただ「がんばってね」と励ますことしか出来ません。

否応なく大人たちの世界に呑み込まれていく幼い子供たちへ、何もしてあげられない自分の無力を大石先生は、悲しむことしかできません。

しかし、何も出来ないと嘆く彼女の深い悲しみにこそ、心から子供を思う人間の本質的な愛情の姿を感じます。

この映画は、これからも鋭い刃のように僕たちの胸を刺し、幼い者たち、力ない無力な者たちへの愛を忘れ掛けた時にはいつでも、人を愛する力の在り場所を教えてくれる作品だと思いました。

   *       *

あるとき、慌ただしい出勤前に、その辺にあった高峰秀子の執筆した文庫本を鞄に突っ込んで家を出たことがありました。

それは、「いっぴきの虫」というタイトルの、高峰秀子が親交を深めた著名人について書いた人物評みたいな著作です。

ずっと前、この本について書かれた書評を読んで以来、この本の読む気をすっかり失っていました。

いわく、「有名人との交際を自慢気に書いた鼻持ちならない本」みたいな書評です。

別に僕としては、著名人との交際を自慢気に書くことに対して偏見はありません。

別にいいじゃないかとという感じです。

むしろ、下卑た嫉妬に満ちた悪意だけのそうした書評(まあ、はっきり言えば、この本は、「私はこれだけの有名人の知り合いを持っている」といった感じの単なるヨイショ的な自慢本だと言う非難でしょうか。)に嫌悪感を覚えましたし、そんなものを平然と掲載した雑誌編集者の見識も疑います。

そういうことなら、つまり罪が本にないなら、この「いっぴきの虫」を読んでもよさそうに思われるかもしれませんが、一旦ケチをつけられた本に向かう気の重さが、僕にはクリアできませんでした。

これが、いままでこの本を遠ざけていた理由です。

さて、前置きが長くなりました。

この本を読んで得た「思わぬ収穫」というのを書きますね。

電車に乗り込んで、「いっぴきの虫」を取り出してざっとページを繰ってみてみました。

いちばん面白そうな部分から読んでしまうのが僕の行き方なので、まずは「美味しいところ」から入っていきます。

数々の著名人の名前の羅列の中に「『二十四の瞳』の子役たち」というひときわ目立つタイトル(字数の多さで)がありました。面白そうです。

文庫本のページにして20ページに満たない短さですから、たとえ詰まらなくて、そのときはすぐに止める積りで読み始めました。

前半は17年振りに会った「二十四の瞳」に出演した子役たちと思い出を語り合う楽しそうな座談会です。

しかし、あれこれの懐かしい思い出話のあとで、不意に、アメリカ人夫婦の養女になって渡米したひとりの少女のことに話が及んだところで、この座談会は不意に途絶えます。

高峰秀子のこんな述懐とともに。
「あの子は日本が好きだったのよ。アメリカへ行っちゃって・・・。私、なんだか可哀想なことしちゃったみたい。」

高峰秀子のこの述懐には、映画の中で肺病を病んで物置小屋で死んでしまうコトという幸薄い役を演じた少女の像と、アメリカへ貰われていった寂しげな実在の少女の面影とが、高峰秀子の贖罪の思いの中でほとんど区別されることなく語られているからでしょうか。

母をなくし、面倒見切れなくなった少女の父親からに相談を受けて、養子を探していたアメリカ人夫婦に少女を紹介した高峰秀子が、なぜ罪の意識を持ったのかというと、きっとその独り残された孤独な少女が、母親のぬくもりを自分に求めていたことが分かっていたからではないかという気がします。

高峰秀子は、こんなふうに書いています。

「ねえ、コトやん。小石先生も小さいときお母さんが死んで、新しいお母さんのところに貰われてきたのよ。
でも、そんなことは、たくさんたくさんあることなの。
自分だけがこんな悲しい目に遭うなんて思っちゃ駄目よ。
生きているお母さんをお母さんだと思って元気に暮らすのよ。
小石先生だってホラ、こんなに元気でしょ。
コトやん。もう七つだもの、分かるわね。
新しいお家へ行って、うんと勉強してアメリカへ連れてってもらって元気に暮らす? 
東京にいる間は小石先生も遊びに行くし、寂しくないと思うけど・・・」

私は、自分が何を言っているのか分からなくなってきた。
涙でガラス窓がにじんで見えた。
コトやんは、じっと前を見詰めてまばたきもせずにコックリコックリとうなずいていた。


ここには、この少女の薄幸さと共鳴する高峰秀子という女優のクールさの秘密が、語り尽くされているのかも知れませんね。

*日本の悲劇(53松竹大船撮影所)
製作・小出孝 桑田良太郎、監督脚本・木下恵介、撮影・楠田浩之、音楽・木下忠司、
出演・望月優子 桂木洋子 田浦正巳 上原謙 高杉早苗 高橋貞二 佐田啓二
1953.06.17 13巻 3,172m 白黒

*二十四の瞳(54松竹大船撮影所)
製作・桑田良太郎、監督脚本・木下恵介、原作・壺井栄、撮影・楠田浩之、音楽・木下忠司、
出演・高峰秀子、天本英世、夏川静江、笠智衆、浦辺粂子、明石潮、高橋豊子、小林十九二、草香田鶴子、清川虹子、高原駿雄、浪花千栄子、田村高廣、三浦礼、渡辺四郎、戸井田康国、大槻義一、清水龍雄、月丘夢路、篠原都代子、井川邦子、小林トシ子、永井美子
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by sentence2307 | 2006-04-23 09:51 | 映画 | Comments(123)

苦労人・永田雅一

いま「日本映画専門チャンネル」で「独立プロの監督たち」という特集を放映しているので、録画して少しずつ見ています。

ここのところ立て続けに「蜂の巣の子供たち」と「その後の蜂の巣の子供たち」、そして「夜明け前」を見てしまったので、頭の中が混乱してちょっと錯綜気味です。

時間がないので、見られるときに集中して見るしかないのですが、タイプとして1本ずつ丹念に長い時間をかけて楽しみたい方なので、続けて見るというのは、やはり避けた方がいいのかもしれません。

まあ、感想の方は少し時間を置いて、熟成させてからそのうちに書こうと思っています。

この特集「独立プロの監督たち」を少しずつ見ながら、平行して読んでいる本のことを、心覚えに少し抜書きしておこうと思います。

「独立プロの監督たち」を理解するためには、どうしても「あの時代」の基本的知識が必要になってくるのですが、なんといっても、まずは「独立プロ」の立役者・新藤兼人の著作にあたってみるのが早道といえるかもしれません。

そこで、新藤兼人の「追放者たち・映画のレッドパージ」(岩波書店)を読んでいるのですが、実はいままでこの本を敬遠していた理由というのが、この本の「堅苦しさ」の印象にありました。

その第一印象が、単なる誤解でなかったことが、今回読んでみてよく分かりました。

この本の全部がカチカチの「裁判記録」というわけではないのですが、多かれ少なかれその「カチカチ」と大差ないことが、今回の読書でよく分かりました。

会社からパージされた映画人の多くが泣き寝入りしたなかで、敢然と解雇無効仮処分申請を訴え出た勇敢な人々の記録なのですから、中途半端な揶揄など決して許されるわけもありません。

ましてや、映画会社を理不尽な理由で解雇されたことによって、その後の就職もままならなくなった人々は、そのために厳しい半生を強いられたことを思えば、なおさらですよね。

しかも、さらに生真面目な新藤兼人が、映画史上類のない汚点としてこの無謀な政治的処分を風化させないために後世に残しておくという使命感から書いた生真面目な記録なので、緊張して読もうと思っているのですが、当の本人(僕のことです)が、あまり「生真面目」とは縁が薄いほうなので、読んでいくうちに視点がどうしてもズレてしまいます。

悪を許さず、正義のために敢然と立ち上がって戦い抜く闘士よりも、ズルさや間抜けさを合わせ持った俗人の方に、より関心がいってしまうという捻くれたタイプなので、どうしても読書に「ハカ」がいきません。

そんな俗人のひとりに「永田雅一」がいます。

彼の魅力的な(?)スピーチが残されているので紹介するのですが、この「レッドパージ」、進駐軍の指令とはいえ、会社側がその時局(GHQの指令)に利用して(ワルノリ、といったほうが相応しいような気もしますが)、鬱陶しい連中を片っ端から処分したというのが本当みたいなので、多くの処分を実行しなければならなかった管理職たちは、それなりに緊張して生真面目な「通告者」の役どころをこなしたのでしょう。

管理職にして苦労人・永田雅一のスピーチは、そんな一筋縄ではいかない屈折したものがありました。そこにはこんなふうに書かれていました。

「今回のレッドパージは、会社としても永田個人としても不本意なものであるが、当局の命に基づくものであるからやむを得なかった。
該当者は優秀社員が多く、まことに遺憾であるが、いまのところ会社としていわゆる助命の方法がない。
しかし、人間のやったことであるから、ミスもあると思うので、該当者の中に不当を確信するものは、そのシロであるということをなんらかの形で証明してほしい。
そのときには、会社は再び喜んで受け入れることは勿論だが、責任の一端は会社にもあるのだから、納得のいく相当の慰藉も講ずる。永田は全員がシロであって復職することを希望する。」

この文章だけ読んだら、あるいはほろリとしてしまう人がいないとも限りませんが、要するにこのスピーチの骨子は、「早いとこ吐いて、楽になっちまいな。そしたら、会社に受け入れてやってもいいよ」と言いたいところを、実に巧みな人情味溢れる言い回しに捏造しているのです。

「指導者の器」という意味でなら、確かにそうだなという気がしました。
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by sentence2307 | 2006-04-19 23:59 | 映画 | Comments(1)

どっこい生きてる

まだ人気のない明け方の道を、同じひとつの方向に向かって追い立てられるように走る日雇い労務者たちの、殺気立ったシルエットの疾走を望遠で撮らえるところから、この映画は始まりました。

やがてそれが、その日限りの仕事を得るために、夥しい労務者たちが粗末な職業斡旋所に血相変えて殺到し、僅かな仕事を奪い合う場面に繋がっていくことがすぐに分かります。

一点に向かって蝟集するこの冒頭の迫力に満ちた労務者たちの異様な「熱気」の正体が、一日でも働かなければ食えないという切羽詰った思いに追い立てられたぎりぎりの人間たちの途方もなく無残な活力であることを、この映画は徹底的に僕たちに見せ付けてくれます。

失業者・毛利修三は、その日の日雇い仕事にあぶれ、落胆しながら、目ぼしい落し物がないかと街中をさまよい歩き、どぶ川を浚い、そしてなんの収穫もないまま帰宅すると、彼を待っていたのは、既に人手に渡り取り壊しの決まった家からの追い立ての催促です。

家を失うことが、貧しい者にとってどれほどの痛手か、ここからこの映画は、ひとりの失業者の、そしてその家族の痛ましい破綻を静かに語り始めます。

失業者・毛利修三は、家族が再び一緒に暮らせるだけの金を稼ぐまで、妻の実家に家族をかえして、自分は木賃宿に寝泊まりしながら仕事を探します。

そして、ようやく町工場の旋盤工のクチを見つけながらも、しかし就職できない顛末を、今井正監督は、さりげなく語っています。

日雇い労働者がなぜ安定した職業につけないのか、いささかの蓄えもないその日暮しの日雇い労働者にとって、給料がでるまでの一月のあいだを、どのようにして食いつないでいけばいいのか、万策尽きた毛利は仕方なく工場主に給料の前借を申し出ますが、その申し出の断わりが、同時に解雇の言い渡しでもありました。

小奇麗に身だしなみを整えるなど職に就くために必要な余裕のある金など、そもそも最初から持ち合わせてないその日暮らしの人間にとって、みすぼらしい自分自身こそが就職するための「障碍」になってしまっているのです。

結局毛利は、日銭の入る日雇い仕事を選択するしかなく、安定した給料が保証されている月給取りになど到底なれない自分を悟ります。

この地獄のような悪循環が彼らを見舞い続けます、この映画はそのほんの一巡りの地獄絵を僕たちに垣間見せてくれたのだと思います。

そして途方にくれた毛利は、日雇い仲間の花村のすすめで鉛管の切り取りに手を貸し、その盗みの現場を見咎められて追いかけられます。

ようやく逃げ帰った木賃宿で、待っていた警官から、田舎にやっていたはずの家族が、東京へ帰ってくるために無賃乗車で捕まり、留置されていることを知らされます。

働く機会のすべてを奪われ、もはや八方塞りになった毛利にとって、やっと一緒になった家族に自分ができることといえば、盗みで手に入れた不浄な金で家族を養うしかなく、自分たち家族が、もはやそういう薄汚い金によってしか生きていくことしか出来ないのだという惨めさに堪えることができません。

絶望のどん底で、毛利は、その不浄の金を使い切ったうえで一家で死んでしまおうと妻に言い出します。

このシーンは、この緊迫した作品の中の白眉ともいえる優れた場面です。
(テープを幾度も巻き戻して台詞を必死で書き留めました。)

「おい、ミカンだよ。なんだ、もう寝たのか。よし、布団敷いてやろう。」
「あんた、こんなことして、どうしようっていうの? そんなお金があるなら渡して。」
「金なんか、みんな遣ってしまうんだ。」
「そんなことして、明日っからどうするのさ。」
「どうにもならねえんだよ。もう、やっていけねえんだよ。おらあもう腹を決めたんだ。」
「死ぬんだね。そうなんだね。だれが、だれがそんなこと。いやだ、いやだ、いやだ。そんなこと、させるもんか。」
「静かにしろよ、おい。聞こえるよ。のたれ死にだよ。親子4人して乞食にでもなるしかないんだよ。」
「アカ拾いでもゴミ拾いでも何でもやる。」
「散々やったじゃねえか。幾らやっても、この様だ。」
「違う違う、私どんなことでもやってみる。」
「お前、この金も泥棒した金なんだぜ。子供をこれ以上惨めにしたくねえんだよ。お前だってそうだろう。分かってくれ、分かってくれよ、分かったか、分かってくれたね。」

納得できないながらも、妻は顔を伏せたまま、それ以上夫の「一家で死のう」という意思の固さの前に何も言い返すことができません。

この映画の解説書が存在していたら、このラストのクライマックスを、きっとこんなふうに書いているのかもしれません。

「翌日一家心中を決意して遊園地で子供を遊ばせていたとき、池で溺れかけた長男雄一を咄嗟に毛利が救ったことによって、子供の生命の尊さを悟り、その翌日から再び毛利の姿が職安の窓口に見られるようになった。」

今井正がこの「どっこい生きてる」を作るにあたって、触発されたといわれるイタリア・ネオリアリズム映画の傑作「自転車泥棒」をどの程度までなぞろうとしたか、僕には大変興味があります。

きっとそこには、日本とイタリアの国情や国民性の違いを超えた映画そのものの考え方の違いが示唆されているかもしれませんよね。

「自転車泥棒」のラストは、それがなければ仕事に就けない大切な自転車を盗まれてしまい、街中を必死に駆けずり回った挙句ついに見つけ出せなかった絶望のどん底で、思い余って他人の自転車を盗むことを決意し、そして失敗し、大勢の人々から罵られ小突き回されながら、まさに警察に突き出されようとしている父親へ、子供は泣きながら縋り付いて、いわば父親のために「命乞い」をすることで同情をかい、かろうじて盗みの罪を許してもらうという痛切なラストです。

おそらくこの作品の卓越しているところは、父親が、子どもに自分のした「盗み」と、その屈辱的な成り行きのすべてを見られてしまったという惨めさに加え、子供にとっても、父親のために泣きながら(あるいは、「泣く振りをしながら」)自分たち親子の惨めさを人々に訴えて「同情」と許しを乞うという行為によって、子供心に父親と同じような屈辱の記憶を生涯の傷として持つことで、父と子が固い絆を共有したからでしょうか。

父と子がかわす絆の正体が、普通なら「尊敬」と「情愛」だとするなら、この「自転車泥棒」の父子が共有するであろう絆は、他人には決して語れないような、ただ痛ましいばかりの「共感」だったはずです。

では、「どっこい生きてる」の場合はどうでしょうか。

毛利は、家族みんなを道連れに殺して、自分も死のうと決意します。

貧しい暮らしを続ける彼は、「子供をこれ以上惨めにしたくねえんだよ」と思いつめながら、子供には死ぬこと(殺すこと)を伝えようとはしません。

きっと子供の不意を突いて殺してしまい、そしてその後で自分も死ぬ積りでいます。

子供は何も知らされないまま、殺されようとしているのです。

しかし、その思惑は、はからずも子供が溺れ掛けるという不慮の事故によって、死の瀬戸際にいる子供に「息子よ、生きてくれ」と願う気持ちを毛利に起こさせ、死の意思はついえさり、毛利を生きていく方向へと導くことになりました。

しかし、助かったとはいえ、たまたま手に入れたこの「生」は、殺されかけたことを何も知らされていない子供たちとって、依然として不安定なものであることには変わりありません。

父・毛利が、精神の均衡を崩して再び一家で死のう(殺そう)と「決意」するかもしれない危険な要因は、一切取り除かれないままで、父親は厳しい競争社会に出て行こうとしています。

そこは、一度は死を決意したほどの挫折を味わった厳しい社会です。

思えば「自転車泥棒」における父子の濃密な関係と比べたとき、日本のこの父子のあまりの希薄さには、少なからず戦慄めいたものを感じてしまいました。

これは、とてつもなく大きな違いだと思わずにはいられませんでした。

(51前進座・新星映画社)製作・松本酉三、宮川雅青、監督脚本・今井正、脚本・平田兼三、岩佐氏寿、撮影・宮島義勇、中尾駿一郎、植松永吉、美術・久保一雄、音楽:大木正夫
出演者・河原崎長十郎、中村翫右衛門、河原崎しづ江、岸旗江、飯田蝶子、木村功、河原崎労作、町田よし子、市川笑太郎、今村いづみ、寺田勝之、寺田健、中村梅之助、中村公三郎、坂東秀弥、瀬川菊之丞、川路夏子、河原崎国太郎
1951.07.04 10巻 2,805m 103分白黒4:3スタンダード
キネマ旬報ベストテン5位・ブルーリボン賞4位・NHK映画賞8位
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:22 | 映画 | Comments(0)

七人の侍 ⑥

百姓たちに村の防御を懇願されたとき、勘兵衛は、まずは「出来ぬ相談だな」と歯切れの悪い断わり方をした後で、「相手は野武士とはいえ、四十騎だ。侍を二人三人集めても防ぎはつかん。」と躊躇し、やがて、「守るのは、攻むるより難しいでな。どう少なく見積もっても、わしを入れて七人。」と徐々に気持ちが揺らぎ始めている様子が描かれます。

「このわしも、戦には飽きた。もう年だでな。」という戦いに明け暮れた日々の虚しさを抱えながら、それでも、百姓たちの苦衷を救おうと何の名利も伴わない戦い踏み出す勘兵衛の魅力が、重厚な人間味をもって描かれているところです。

村に来て、五郎兵衛と村の四方の地形を見回って、勘兵衛は防御の具体策を練ります。

「後ろは馬の通える山、前は畑で、田に水を引くまでは、どこからでも馬で攻められる。四方に備えるだけでも四名、後詰に二名、どう少なく見積もっても、わしを入れて七名。」

そして、村が一望できる丘に立った勘兵衛は、地図を広げて、五郎兵衛に「おぬしなら、この村をどう攻める。」と問い掛けます。

この映画の本当の魅力が、侍や百姓たちや野武士たちよりも、もしかしたら、壮絶な死闘を展開するのにはうってつけのこの地形にあったのではないかと思わせる場面でもあります。

こんなお誂え向きの場所が本当にあったのか、という疑問に、「村木与四郎の映画美術」という本が答えてくれました。

美術・松山崇について村木与四郎氏は、この作品でチーフとなっています。

「まずロケハンが長丁場になった。・・・それで美術、照明までメイン・スタッフが何週間もゾロゾロ廻ったんだけど、ロクな場所がない。あんな風景いくらでもありそうなのに。しかしね、冷静に考えてみれば、そんな理想的な村なんてあるわけない。だって、敵からの防御のために具合よく構想された村なんだ、シナリオで。後ろが山で、東が小川。西に広い道があって、南が田圃。合戦の準備のために柵を作ったり、橋を落としたり、田圃に水を入れたり・・・つまり、ストーリーと村の設定が密接に絡み合っているんです。結局それらしい所をツギハギして作るしかない。」それで、村を四つに分けて撮影することになったそうです。正確には5箇所。

①下丹那。丹那トンネルの上から俯瞰で村の全景を狙うためだけにロケ・セットは組まれました。
町からやって来た侍たちが村を見下ろしながら、「これが俺たちの城か」と言うあの場面です。
これは、冒頭の野武士登場の場面にも使われています。

②伊豆修善寺。高堂国典の村長(むらおさ)の水車小屋がある村の東側。

③御殿場用沢。柵の向こうにやって来た野武士を望遠で撮っている村の西側の道。

④御殿場二の岡。村の北口、野武士を一騎ずつ通して、討ち取るために迎え入れる山の入り口。

⑤砧。撮影所の奥の干上がった田圃にセットを組んだ、村の南側の田圃。

実は、という前置きの後に村木氏の述懐は続きます。

「砧の近くの川と、御殿場・堀切の川の流れが反対なんです。幸いにも、誰も指摘した人はいませんが。」だそうです。

侍探しの本拠地になる木賃宿を始め、水車小屋や村の家々でも、板の間や柱の質感が圧倒的です。木目が浮き出て黒光りしている。

これこそ黒澤組18番の「焼き板」ですが、その手間ひまのかかることを証明するものとして、例えば、木下恵介監督が「楢山節考」で焼き板を試してみて、十分に効果がだせなかったという話が残っています。

焼いたのはいいけれども、泥絵の具とかを塗って十分に艶をだすことをやっていないから、あまり見栄えのしないものになってしまったらしいのです。

別に手抜きをしたという訳じゃない、並大抵の手間ではあの「七人の侍」の中で見られたような家々の黒光りのする木目が浮き出すまでに仕上げることは出来ない、という話につながる前振りとして常に引き合いに出されています。

「楢山節考」の場合は、様式的な実験作ということもあって、別にリアルを追求した作品じゃなかったから、それはそれでよかったのかもしれませんが。

さて、その焼き板の作り方ですが。

まず石の台の上に新品の板を渡して、下から炭で焼く。

それだけだと、単に黒いだけだから、あとはブラシでゴシゴシこする。

すると木目が浮いてくる。

今度はこの上に泥絵の具を塗る。

それを拭き取ると木目の上だけは黒味がでます。

今度はワックスをかけて、しばらく立てかけて乾かす。

それから、ただひたすら磨く。

これが黒澤組の日課です。

美術部のみならず、スタッフみんなで磨く。

役者だって総出でやらされたという話は有名ですね。

セットに入る前の日に丸一日かけて磨きます。

監督が率先してやるから、みなやらざるを得ない。

この技法は、村木与四郎と塗り師の中村義雄が考えた技法だといわれています。

隅々にまで眼を行き届かせて手を抜かない黒澤明の映画の作り方の厳しい一面がよく分かるエピソードですね。

撮影にあたり、ことあるごとに黒澤監督が、「カメラが芝居(演技)するな!」と言っていたのはよく知られています。

人物が静止しているシーンなのに、カメラだけがひとり歩きすることを極度に嫌いました。

観客にカメラの存在を意識させてしまうような無意味な動きをすることで、緊張感の只中にいる映画鑑賞者の注意力をそれだけで削いでしまうことを、とても気にしていたのです。

作り手の側にとっても、それは折角の努力を無駄にしてしまいかねないマイナスであるといえる訳で、張り詰めた緊張感をとても大切にしていた黒澤監督は、スタッフにもそのことを求めたと聞いています。

人物が動きだして始めて、カメラもその動きを追うというコンヴィネーションを、僕たちは黒澤作品のなかでしばしば眼にします。

それはまた、その役に集中して演技の高揚を役者に求めた黒澤監督の、緊張感を止切らせないよう細かなカットを避けたという演出にも通じているのでしょうか。

村のはずれに住居があるために、村落防衛の必要から退去を申し渡された茂平が、怒って槍を投げ捨て戦列から抜けようとするあの場面が思い浮かびます。

立ち去ろうとする茂平を威嚇するように、勘兵衛は突如抜刀して茂平たちを追います。

最初はまず茂平たちの動きに合わせるようにカメラが移動を始め、やがて勘兵衛の背後からカメラは茂平たちをとらえました。

戦線離脱者に向かって猛然と肉薄してゆく勘兵衛のその殺気立った迫力に気圧されて、茂平は怯えきった表情で逃げ惑います。

不意の緊迫した事態に動揺した村人たちを背景にして疾駆する勘兵衛の虚をつくような素早さは、同時にこの映画を見ている観客にも緊迫した緊張と不安、あるいは恐怖感さえ伝えました。

行く手を遮られた茂平は、あわてふためいて行き場を失い逆方向に逃げ惑い戦列に追い戻されます。

そして、その向こうには驚愕と動揺をあらわにして成り行きを伺いながら、やはりただ右往左往している群集が映し出されます。

このそれぞれの集団を奥行きある縦位置に配して、複雑に錯綜する群集を見事なパン・フォーカスでひとつ画面におさめた圧倒的なシーンでした。

Internet Movie Database のなかに 「トップ250」という記事があったので寄り道気分でクリックしてみました。

全部で250位までリリースされている中で、「七人の侍」が1万4313票を得て7位にランクされています。

欧米におけるこの作品の人気の根強さが分かります。

そして、このBEST250の男女別それぞれの内訳が更に記されていたのですが、総得票と男性票が同数なのが少し気になりました・・・。

ちなみに第1位は、「ゴッド・ファーザー」で6万2240票です。

僕の場合、英文のサイトは、もっぱら Excite のWeb 翻訳に頼っているのですが、この翻訳が壮絶なのです。

一応、訳されるのですが、ほとんど意味が通じません。

掲示板のようなコーナーがあってかなり充実した書き込みがされているのですが、すべて英文なのでどうしてもこの翻訳に頼らなければならないのです、・・・が、残念ながら、さっぱり意味が通じません。

ちなみに、「七人の侍」は、この翻訳では「Shichinin,サムライはない」となります。

「~の~」を「ない」と訳した苦心の作です。

結局、撮影は、昭和28年5月から始まり、翌年3月に終了、撮影日数148日。

白黒スタンダード、上映時間は、休憩をはさみ3時間27分。

制作費2億1000万円。当時一般の作品は3000万程度の予算で作られていた時代です。

昭和29年4月26日から全国130館の東宝系劇場で公開されました。

当時邦画の劇場公開は一週間のローテーションで年間60本を超す新作が封切られていた中で、2週間の続映とはなったものの、しかし、この超大作が、たった2週間の興行とは、なんと贅沢なことか。

量産体制を背景としたプログラム・ピクチャーを運営していくうえでの宿命とでも言えばいいのでしょうか。

ヴェネチア国際映画祭へ出品するに際し、映画祭規定に合わせ黒澤監督自身が、2時間44分に再編集して出品し、銀獅子賞を受賞しました。

受賞凱旋公開として、9月12日から5日間全国邦画系劇場で再編集版が上映されました。

その後、昭和42年6月24日「用心棒」とともに海外版ニュープリントで1週間、再上映されるまで、(2番館3番館は除く)ニュープリントでの上映の記録はありません。

再上映の要望がありながら実現できなかったのは、上映時間の長さと、洋画ロードショー館で邦画がかけられるようになった「日本映画特別上映制度」(昭和40.6)発足が背景にあったためといわれています。

昭和50年9月20日、初公開から21年ぶりに3時間27分の完全オリジナル版が公開されました。

そして、平成4年11月から黒澤作品が順次ビデオ化され、版権問題が絡んだ「七人の侍」も最後にリリースされてゆくこの企画に先立つ平成3年11月「最後の劇場ロードショー」と銘打って日比谷映画、新宿武蔵野館でこの作品が劇場公開されたのが、リバイバル公開の最後の記録となっています。

こう書いてきて、この「七人の侍」という作品も、いばらの道を歩んできたんだなあと、つくづく思いました。

《スタッフ》
製作・本木壮二郎、脚本・黒澤明・橋本忍・小国英雄、撮影・中井朝一、同助手・斎藤孝雄、照明・森茂、同助手・金子光男、美術・松山崇、同助手・村木与四郎、音楽・早坂文雄、同協力・佐藤勝、録音・矢野口文雄、同助手・上原正直、助監督・堀川弘道(チーフ)・清水勝弥、田実泰良、金子敏、廣澤栄、音響効果・三縄一郎、記録・野上照代、編集・岩下広一、スチール・副田正男、製作担当・根津博、製作係・島田武治、経理・浜田祐示、美術監督・前田青邨・江崎孝坪、小道具・浜村幸一、衣装・山口美江子(京都衣装)、粧髪・山田順次郎、結髪・中条みどり、演技事務・中根敏雄、剣術指導・杉野嘉男、流鏑馬指導・金子家教・遠藤茂、

《キャスト》
三船敏郎(菊千代)、志村喬(勘兵衛)、稲葉義男(五郎兵衛)、千秋実(平八)、加東大介(七郎次)、宮口精二(久蔵)、木村功(勝四郎)、津島恵子(志乃)、高堂国典(儀作)、藤原釜足(万造)、土屋嘉男(利吉)、左ト全(与平)、小杉義男(茂平)、島崎雪子(利吉の女房)、榊田敬二(伍作)、東野英治郎(盗人)、多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、渡辺篤(饅頭売り)、上山草人(琵琶法師)、清水元(町を歩く浪人)、山形勲(町を歩く浪人)、仲代達矢(町を歩く浪人)、千葉一郎(僧侶)、牧壮吉(果し合いの浪人)、杉寛(茶店の親爺)、本間文子(百姓女)、小川虎之助(豪農家の祖父)、千石規子(豪農家の嫁)、熊谷二良(儀作の息子)、登山晴子(儀作の息子の嫁)、高木新平(野武士の頭目)、大友伸(野武士の小頭・副頭目)、上田吉二郎(野武士の斥侯)、谷晃(野武士の斥侯)、高原駿雄(野武士・鉄砲を奪われる)、大村千吉(逃亡する野武士)、成田孝(逃亡する野武士)、大久保正信(野武士)、伊藤実(野武士)、坂本晴哉(野武士)、桜井巨郎(野武士)、渋谷英男(野武士)、鴨田清(野武士)、西條 悦郎(野武士)、川越一平(百姓)、鈴川二郎(百姓)、夏木順平(百姓)、神山恭一(百姓)、鈴木治夫(百姓)、天野五郎(百姓)、吉頂寺晃(百姓)、岩本弘司(百姓)、小野松枝(百姓女)、一万慈多鶴恵(百姓女)、大城政子(百姓女)、小沢経子(百姓女)、須山操(百姓女)、高原とり子(百姓女)、上岡野路子(百姓の娘)、中野俊子(百姓の娘)、東静子(百姓の娘)、森啓子(百姓の娘)、河辺美智子(百姓の娘)、戸川夕子(百姓の娘)、北野八代子(百姓の娘)、その他、劇団若草、劇団こけし座、日本綜合芸術社、
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:14 | 映画 | Comments(1)

七人の侍 ⑤

村を見下ろす高台に突如現れた野武士たちの一団が 「麦が実った頃に、また襲いに来るべえ」 と言い残して去っていきます。

その言葉を偶然に盗み聞いた百姓たちが、恐慌をきたして緊急に寄り合うところから、この物語は始まります。

為すすべもなく、ただ悲嘆にくれる百姓たちの中にあって、野武士に妻を奪われた利吉だけが徹底抗戦の強硬論を主張します。

「竹槍つくるだ。二度と来ねえように、みんな突っ殺すだ。」 というこのセリフが、この作品の基本的なイデオロギーを端的に表しているのですが、まだ大戦の記憶が生々しい当時の日本にあっては、このセリフに込められた 「ただ黙って殺されるのだけは御免だ。」 という至極当然な考え方も、いわゆる 「進歩的な知識人」 といわれた人々の卑弱な神経を逆撫でしたのでしょう。

たとえ、まやかしの平和であっても、平和ならそれでいいんだ、という思潮が支配的だった状況下でのこの 「七人の侍」 が彼らに及ぼした衝撃の度合いは、多分当時の冷ややかな遇され方によって推し量ることができます。

では何故この 「七人の侍」 が、それ程までに冷遇の憂き目にあったのかといえば、それは、この作品が、やむにやまれぬところから、致し方なく選択せざるを得ない「戦争」 の真実の姿を描いているからだと思います。

理不尽な暴力に屈服して、屈辱のなかで生き延びるよりも、大切なものを守るための戦いを、たとえ死を賭してでも誇り高く戦うことの人間的な素晴らしさを、黒澤明は、百姓と七人の侍たちとの壮絶な死闘に仮託して、その綿密な戦略を微にいり細に亘って具体的に描く忌憚ないリアリズムによって描き切ったからでしょう。

殺すべき敵の数を正確に把握し、敵の武器を綿密に分析し、そのために村の要塞化と百姓たちの軍事訓練を徹底的して図ることによって、敵の襲来に対抗し、そして完膚なきまでに敵を殲滅すべく死を賭けて戦います。

味方にも多大な犠牲を払いながら、いささかの躊躇もなく敵をひとりずつ具体的に殺していく。

これは本当の戦争です。

そして、単なる厭戦的気分によって、戦争の真実から、ただ眼を逸らしていた当時の知識人にとっては、そのどれもが悉く「知りたくない」耳の痛いことだったに違いありません。

それまでの (いままでの、と言い直してもいいのですが) どんな地形の戦場で、どういう武器を備えた敵を何人殺さなければならないのか、映画が戦争を描くに当り、ここまで綿密に、まやかしのない、観客を大人扱いして作られた映画が、かつて存在したかどうか僕の乏しい知識からは残念ながら判断がつきません。

しかし、自分の手を汚したくないこの国の知識人とマスコミにとっては、そこまでは知りたくなかったのだというのが、この作品への冷遇と拒否反応の本当の理由だったのだろうと思います。

僕たちが、これまで幾度も経験してきたことですが、これも海外の評価によって初めて、娯楽作品だからというレッテルだけで見下だしていた作品の本来の価値を、逆に示唆されて驚くというあのとても残念な卑屈な一例なのでしょうか。

        *              *       

かなり以前のことですが、本作中、侍探しの百姓たちが泊まる粗末な木賃宿のシーンで、渡辺篤の饅頭売りが百姓や人足たちに売れ残った饅頭を無理に売りつけようとする場面があり、そのなかのひとりとして登場する琵琶法師役の役者が、あの「バグダッドの盗賊」で有名な上山草人と知って驚いた記憶がありました。

驚いたというのは、「バグダッドの盗賊」と「七人の侍」とでは、時代があまりにも違い過ぎるという思いがあったからですが、それ以上に(僕にとって)高名な上山草人が、あんな見せ場のないチョイ役ででていることに、驚きと同時に、なにか割り切れないものを感じたからです。

東野英治郎や仲代達矢や山形勲など、同じようなチョイ役とはいえ、それぞれの印象は鮮明で、その使われ方にしても、花も実もある監督の敬意も十分に感じ取ることができます。

しかし、あの上山草人の琵琶法師役にどんな花があったといえるでしょうか、などと考え始めたとき、しかし、僕がもっていた彼の印象の内実は、結局「バグダッドの盗賊」ただ1本だけの強烈なイメージに基づく浅はかなものでしかなく、本当は上山草人という役者のことをなにひとつ知らなかった自分に初めて気づいたのでした。

せいぜい僕の経験的知識からすれば、「バグダッドの盗賊」から、突然「七人の侍」に飛ぶしかないわけですから、この見当はずれな印象は無理のないことだったのかもしれません。

そこで、Internet Movie Database や日本のサイトで、それぞれに活躍した時期の filmography を検索してみました。

アメリカでの出演作の第1作は「バクグダッドの盗賊」1924で、そして第49作目「Way for a Sailor」1930がアメリカでの最後の出演作のようです。

また、日本での出演第1作は、「愛よ人類と共にあれ・前編」1931からで、第61作目「宮本武蔵」1954が最後の作品となっています。

最後の出演作を「七人の侍」としている多くの記事を読んでいたので、これは少し意外でしたが、邦画を結構見てきた積りの僕自身にとって、110本におよぶ出演作にもかかわらず、上山草人という役者への印象の希薄さ(なさ、と言うべきなのですが)には驚かざるを得ませんでした。

上山草人にしても早川雪洲にしても、またアンナ・メイ・ウォンにしても、きっとその「不在観」は、ハリウッド初期の映画の中で、作られた「東洋人」を演じた多くの東洋人が、宿命のように受け入れねばならなかった当然のギャップだったかもしれません。

ハリウッドで俳優であるために、東洋人であることの実体から徐々にずれながら、ついに引き裂かれた無残な現実がそこにはあります。

ハリウッドで「不気味な日本人」を演じて名を馳せた雪洲は、祖国日本では国辱俳優として非難されて、早々に帰国を余儀なくされました。

そのことを知っていた上山は「不気味な東洋人」は演じても、決して日本人を演じることはなかったということです。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:13 | 映画 | Comments(0)

七人の侍 ④

野武士に愛妻を奪われ、憎悪から徹底抗戦を主張する利吉と、どうせ勝ち目はないと戦いには消極的な万造は、なにかにつけて反撥し合います。

長老・儀作の裁断に従って、侍探しに町に出た百姓たちは、目的を果たせぬまま疲れ切った町はずれで、徒労と失意から、再び利吉と万造は言い争います。

万造が「談合するより手はねえ」と言うと、利吉はずるそうな薄笑いを浮かべて「野武士の談合には今年は何を出す。お前んとこの娘出す積もりか。志乃はべっぴんだでな。」と言い放ちます。

万造は愕然とし、狼狽します。

この狼狽が、万造が一足早く村へ帰り、娘・志乃の髪を切る場面のモチーフになっています。

消極的とは言え、侍探しに狂奔した志乃の父・万造は、いざ、侍集めが順調にいくと、野武士ばかりでなく、村に来る侍たちも同じように、娘にとっては危険この上ない存在であることに違いなく、いち早く村に戻り、志乃を断髪して「男」にしようとします。

(その行為が、村民の不安を掻き立て、村を救いに来た侍たちを、その恐怖心から無愛想な歓迎をすることになります。)

死闘に継ぐ死闘の果てに、血なまぐさい殺戮の限りが尽くされるこの映画「七人の侍」の中で、ドキッとするほど艶かしい場面が、万造が娘の髪を強引に刈る場面に先立つ志乃の洗い髪のシーンでしょう。

黒澤作品には、本当に珍しい色っぽいシーンです。

黒澤明は、幾分ローアングルで、背後から洗髪している津島惠子演じる志乃をとらえます。

両肌脱ぎになった着物を、胸の少し上あたりで強く引き絞って結び、そのふくよか胸が、脇の下あたりの肉の盛り上がりに強調されて、うっすらと脂肪ののった艶めいた背中から、豊かに張った腰にかけての官能的な曲線は、モディリアーニの裸婦像を見ているような恍惚感さえ覚えてしまいます。

父・万造の気配に肩越しに俯き加減で振り向く津島惠子のつややかな黒髪の中の彼女の戸惑いの表情も実に美しく、不意に振り向く志乃に直視されることになる観客は、盗み見を咎められたような戸惑いで、思わず視線を逸らし気味にしてしまうくらいです。

そう言えば、勝四郎と志乃の恋も、とてもプラトニック・ラブとは言えないような熱い入り方でしたよね。

断髪された志乃が裏山で花を摘んでいるところを勝四郎に見咎められて、この「恋」は始まります。

男と思い込んだ勝四郎が、「来い、鍛えてやる!」と言うと、志乃は逃げ、勝四郎が追いかけて押さえつけ、はずみで志乃の胸に手が触れて驚いて飛び退くシーンは、洗い髪の官能的なシーンからひと続きにつながっています。

男は、彼女の美貌や知性や気立てに引かれた訳ではありません。

はからずも胸のふくらみに触れたことで、その「女」に魅かれ、そこからこの恋は始まっています。

そして、志乃も万造が心配するほど、ただの「被害者」でいるような娘ではありません。

むしろ、積極的に勝四郎に誘いかけ、すがりついて「オラ、かまわねえ。先でどうなったって・・・そんなこたぁ知らねえ。」と熱く掻き口説きます。

昂ぶる情欲に突き動かされて、思いを遂げようとする成熟した女の切羽詰った熱い思いが、うわ言のような剥き出しの生の言葉で語られている場面です。

そして、勝四郎と志乃の激しい恋が描かれた夜、娘を「きずもの」にされて逆上した万造に向けられる七郎次と利吉のそれぞれの言葉が、この映画の全編を牽引してきた大きな流れを、完結させる役割をもった重要な言葉だと思いました。

利吉の「好きで一緒になったものを、ぐずぐず言う事ねえ。野武士にくれてやったのとは、訳が違うど。」という一言によって、この物語のひとつの原動力ともなっていた利吉と万造の確執が、ここで一応収束されます。

また、七郎次は、万造に慰めるように言います。

「人間、明日の命も分からぬとなると、ちょっと浮ついたことでもせにゃ息苦しくてかなわんのだ。」と。

この一言は、勝四郎と志乃の恋が「うわついた」ものとすべきものだと示唆しています。

ラストの田植えのシーンでの、志乃に向けて追いすがるような視線を投げる勝四郎に対して、その視線を振り切るように顔をそむけて田圃に入る彼女の素振りが、この映画の全編を支配した虚無感を象徴しているように思えてなりません。

死ぬことには、些かの恐れも示さない侍たちも、「生きる」ことに関して、百姓たちのような貪欲さが、果たしてあったかどうか、それは疑問です。

燃え上がるような恋に体ごとぶつかっていく志乃のような生きることへの情熱が、格式や対面にこだわる勝四郎にあったかどうか。

遠く田植えをする女たちを背景に置きながら、勘兵衛は言います。

「今度もまた、負け戦だったな。いや、勝ったのは、あの百姓たちだ。俺たちではない。」と。

死ぬことにのみ名利を見出し、「生きる」方へ顔を背けている以上、侍たちにとって、あらゆる戦いは、常に負け戦なのかもしれません。

考えてみれば、「七人の侍」の志乃の印象が、あまりにも強烈すぎて、津島惠子という女優さんが、どういう活躍をされたのか、あまり知識がありませんでした。

NHKの朝ドラ「さくら」の祖母役でちょくちょく見かけていたので、何となく知っているような積もりになっていたのですが。

もともと、松竹の女優さんだったことは、知っていました。

デビュー作が「安城家の舞踏会」で、松竹在籍の最後の作品が「お茶漬けの味」、フリーになってからの第1作が、たしか「ひめゆりの塔」だったですよね。

「安城家の舞踏会」から「お茶漬けの味」までの出演作と、フリーになってからの出演作を比べてみると、やはり後者の方が突出して意欲的な印象を受けます。

それは、松竹でのぬるま湯的なお嬢さん役に納得できない思いを抱えてのフリーだったのか、と思える作品群と言えるかもしれません。

*沖縄戦ひめゆり部隊の凄惨な最期をセミ・ドキュメンタリー・タッチで描いた今井正の「ひめゆりの塔」1953、
*師木下恵介を思わせる清潔な出会いと別れを、貧富の差を絡めて情感豊かに描いた小林正樹監督昇進2作目の「まごころ」1953、
*岩間鶴夫監督「姉妹」1953(同タイトルの家城作品1955とは別物)、マキノ雅弘「美しき鷹」1954、伊藤大輔「お菊と播磨」1953、
*軍国主義の重圧の中で生きる青春を描いた吉村公三郎「足摺岬」1954(吉村=新藤コンビの最も息の合った作品といわれました。)、
*「七人の侍」1954、
*新国劇総出演の日活戦後再開第1作・滝沢英輔監督「国定忠治」1954(足摺、七人、国定、と続いたこの年の津島惠子を報ずるマスコミは、「清楚な美貌の頂点にある」という形容詞を付しました。)、
*煙突の見える場所に続く椎名麟三=五所平之助路線2作目の「愛と死の谷間」1954、
*下山事件を扱った社会派作品・山村聡監督2作目の「黒い潮」1954、
*君の名は、を意識して作られたと言う今井正監督「由起子」1955(50年代に作られた今井作品のうちで、唯一のキネ旬Best10選外作品となった作品として知られています。)、
*吉村公三郎「嫁ぐ日」1956、内川清一郎「口から出まかせ」1958、瑞穂春海「恋は異なもの味なもの」1958、
*貧しさの中でも両親の愛情の中で清らかな心を失うことなく全国の作文コンクールで入賞を果たした兄妹の実話を基にした久松静児「つづり方兄妹」1958、
*鈴木英夫「燈台」1958、
*堀川弘通「すずかけの散歩道」1959、
*松森健「二人だけの朝」1971、
*木下恵介「スリランカの愛と別れ」1986、

こう見てきますと、この女優さんにとって「七人の侍」を撮った1954年という年が本当の意味でピークだったことが分かります。

ピークに達した以上、退潮は当然の経緯だったのでしょうか。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:11 | 映画 | Comments(106)

七人の侍 ③

この作品が、もし勘兵衛の立場から描き始められていたら、随分と印象の違った映画になったと思います。

同情心の厚い侍たちが、哀れな百姓たちを「助けてあげる」という図式にしたなら、一方的な押し付けがましさだけが強調されるなんとも鬱陶しいやりきれない映画になってしまったかもしれません。

テンポのいい痛快な作品「用心棒」は、そういう要素を逆に生かして、ひとつのドラマに仕立て上げたようなアイロニカルな味が確かにありましたが、作品的には「七人の侍」の持つ奥行きのある重厚さを得るには至りませんでした。

その物足りなさの因は、一言でいってしまえば、武力装置を持つ侍の側からのみ描くことで、痛快ではあっても、そこには免れがたいある種の鈍感さを帯びてしまう宿命のような、つまり一方的な押し付けがましさだけが強調されて観客の思い入れを拒む鬱陶しさだけが、どうしても僕たちの感興を殺いでしまうことになったのだと思います。

それは、以後の黒澤作品が徐々に失っていったもののひとつでもあったのでしょうか。

「七人の侍」の立体的な重厚さを支えているのは、なんといっても百姓像の的確な描写にあります。

一方に侍の高潔さが描かれるとき、かたや救いがたい百姓たちの悲惨がリアリズムで描かれていくわけですが、その絶望的な状況にも挫けずに何とか野武士に立ち向かおうとする百姓たちの知力、ちっぽけではあっても精一杯の勇気、そして弱者が生き抜いていくために発せられる懸命な狡猾さが余すところなく描かれることとなります。

これらのすべてが絶妙なバランスを保ちながら神話のような壮大な叙事詩の世界を描き切れたのは、それはまさに、この弱者の多面性を描き得たからだと思います。

百姓たちが初めて勘兵衛に助力を請う場面①と、落ち武者狩りの事実から百姓の狡猾さを思い知らされ怒った侍たちに菊千代が百姓の悲惨を絶叫する場面②のその二つの場面にそれは端的に示されているといえるでしょう。

①多々良純の人足「死んじまえ、死んじまえ。早いとこ首括っちまえよ。その方がよっぽど楽だぜ。」
勝四郎「下郎、口をつつしめ!」
人足「本当のこと言っただけじゃねえか。」
勝「貴様には、この百姓の苦衷が分からんのか。」
人足「笑わしちゃいけねえ。分かってねえのは、お前さんたちよ。わかってたら、助けてやったらいいじゃねえか。おい、侍。これを見てくれ。こりゃ、お前さんたちの食い物だ。百姓は稗食って、侍には白い飯を食わせてるんだ。百姓にしては精一杯なんだ、これが!」 
「もう喚くな」と勘兵衛、飯椀を受け取り、「この飯、おろそかには食わぬぞ」というあの名セリフが続きます。

②菊千代「ハハハハ、こいつぁいいや。一体、百姓を何だと思ってたんだ。百姓ぐらい悪びれした生き物はねえんだぜ。米も麦も何もかもないと言う。しかし、何もかもある。床板の下に、納屋の隅に、瓶に入った米、塩、豆、酒、何でも出てくる。山の中には隠し田があり、戦があれば落武者狩り。百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだ。ハハハハ。でもな、そんなケチくさいケダモノを作ったのは誰だ。お前たちだぜ。侍だってんだよ。おい、どうすりゃいいんだ。百姓はいったいどうすればいいんだよう。」と泣きながら絶叫する菊千代。

三船敏郎生涯最高の演技と見ました。

そして、勘兵衛の「貴様、百姓の生まれだな」というひとことに、侍と百姓との避けがたい身分の溝がクリアされたことが示唆されています。

そして、この言葉の優しい響きは、冒頭で東野英治郎の盗人を斬った直後の菊千代に発せられたあの「おぬし、侍か」「どうかな」と揶揄して無視した場面とは大違いです。
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by sentence2307 | 2006-04-17 00:10 | 映画 | Comments(0)