世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2006年 05月 ( 21 )   > この月の画像一覧

戸田家の兄妹

「戸田家の兄妹」は、随所に「東京物語」ととてもよく似た場面があることに気づかされます。

本来なら、後に作られた「東京物語」のほうが「戸田家の兄妹」と似ているのだと書くべきなのかもしれませんが、物語の成熟度からいえば、ここはどうしても、こうした逆転した言い方を許してもらわないわけにはいきません。

この物語の発端になる最初の場面で、吉川満子演じる長女千鶴が、実家の父親が倒れたという危篤の知らせを受け、急遽駆けつけるために慌ただしく支度をしながら、それとなく女中に「喪服」の用意をしておくように指示しています。

この場面は、すぐにあの「東京物語」における一場面、母危篤の報を受けた兄弟たちが、明日にでも尾道へ駆けつけようかと相談をしているとき、杉村春子演じる長女が「喪服どうなさる」となんの躊躇もなく平然と言い放つシーンを思い出さずにはおられません。

そして、この2作品における似て非なるセリフの比重からみると、やはりあの「東京物語」の場面の方が、はるかに強烈な印象をもって観客の脳裏に刷り込まれたと考えられるのは、やはりそこに、小津監督の強調の意図「肉親の人情味のない無神経な一言に対する怒り」にあったからだと見るべきなのでしょうか。

しかし、この無神経で不用意な言葉が、「戸田家の兄妹」においては、考えなしの失言でないことは、住む家を失った母娘が、やがて子供たち・兄弟たちの家々を転々とたらい回しにされた挙句、厄介者扱いされる描写に繋がっていく伏線となっているので、「喪服」の一言が物語の進行に及ぼす効果が、のちに描かれる兄弟たちの不人情な数々の仕打ちを暗示していることと不可分のものとして計算されていたのだと分かります。

そしてその「喪服」という言葉から観客が受けるストレスを完結・終息させるものとして、父親の一周忌の会食の席での、中国から戻ってきた次男・昌二郎が、兄弟たちに母への不実を激しい言葉で詰る場面が用意されています。

その激しい難詰は、わが身可愛さから母親や肉親を蔑ろにする不人情な兄弟に対する小津安二郎の率直な怒りの表明だとしても、しかしあまりに率直過ぎて、見ている側が白けて少し引いてしまう部分も確かにあったと思います。

「東京物語」の成熟は、この生々しい怒りの表明が、かえって劇的効果を薄めてしまうことの教訓の上に立っていると思われてなりません。

母危篤の報を受け喪服の心配をしながら駆けつけた長女は、母の死後、いち早く「形見分け」をねだってさっさと帰京してしまいます。

末娘の香川京子が、その長女の冷たい言動や仕打ちの不満を紀子に微かに漏らすだけで、長女にはその詰りの言葉は届いてはいません。

紀子は答えています「悪意があるわけではない、誰もが自分の生活に囚われて見えなくなってしまうものがあるのだ。仕方のないことなのだ」と。

この驚くほどの優しい言葉には、「戸田家の兄妹」から「東京物語」までの間に小津安二郎が、怒りから徐々に許しの心境に変化していった成熟を感じさせずにはおきません。

「戸田家の兄妹」における次男・昌二郎の難詰の場面に見事に照合する場面が、「東京物語」における紀子の「お母さんに何もしてあげられなかった」と告白するラストでの自責の場面といえるのではないでしょうか。

この「東京物語」を日本映画史上、最も禁欲的な作品と評した日本の映画批評家がいました。

それはきっと、周吉ととみの老夫婦が、東京の子供たちに寄せたかすかな期待が失望に終ったこととか、また、彼らの戦死した息子の嫁紀子が、「戦争未亡人」として生き続けていくことに揺らぐ不安な気持ちを必死に押さえ込んでいる姿を指しているのだと思います。

それを「耐える」という言葉でひと括りにできるかどうかはともかく、この映画のラスト、共に大切な伴侶を失ってしまったこのふたりが対座する場面に、この映画のすべての魅力が凝縮されていると言えるでしょう。

姑とみの葬儀も終わり、紀子がいよいよ帰京するという朝、それまで抑えに抑えていた感情を周吉にぶつけるシーンは、この作品中、最も美しい場面のひとつです。

周吉「あんたみたいなええ人はない言うて、母さんも褒めとったよ。」

紀子「お母さま、わたしを買い被っていらしたんですわ。」

周吉「買い被っとりゃせんよ。」

紀子「いいえ、わたくし、そんな、おっしゃる程のいい人間なんかじゃありません。お父さまにまでそんなふうに思っていただいてたら、わたくしの方こそ却って心苦しくって・・・」

周吉「いやあ、そんなこたあない。」

紀子「いいえ、そうなんです。わたくし、ずるいんです。お父さまやお母さまが思っていらっしゃる程、そういつも昌二さんのことばかり考えている訳じゃありません。」

周吉「ええんじゃよ、忘れてくれて。」

紀子「でもこの頃、思い出さない日さえあるんです。忘れている日が多いんです。わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふっと夜中に考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎていくのがとても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待っているんです。ずるいんです。」

周吉「いや、ずるうはない。」

紀子「いいえ、ずるいんです。そういうこと、お母さまには申し上げられなかったんです。」

周吉「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたは、ええ人じゃよ、正直で。」

これは、笠智衆、原節子の世界映画史に残る最高のシーンなのですが、この場面を最高たらしめたものは、小津監督には明確な「怒り」の意図の後退があったからだと考えられると思います。

「完璧」を目指したという小津安二郎にとって、その「完璧」とはいったいどういうものだったのか、ぼんやりと分かり掛けてきました。

「晩春」において父娘で能を観劇する場面で、紀子は父親が結婚するかもしれない相手を複雑な表情で遠目から窺う場面があります。

その「複雑な表情」とは、父が他の女に心を移し自分が置去りにされるかもしれないことへの不安→父が心を移そうとしている女への抑え難い嫉妬→このような愛憎関係に囚われていることに巻き込まれてしまったことへの嫌悪→そして、独占していた父への愛情をまさに父親自身が破壊しようとしていることへの苛立ち、自分の信頼を裏切ろうとしている父に対する怒り、です。

しかし、その「怒り」の内実は、否定されかけているはずの「父への愛情」とか「甘え掛かる」という媚態と同じ程度の「怒り」でしかないように思われてなりません。

このような紀子の多岐にわたる(どのようにも在り得ると同時に、ただひとつのものに拘るという二面性をもった)感情を、小津安二郎がどのように演出したか、そこにこそ小津安二郎の演出の秘密があると思いました。

つまり、小津安二郎はきっと、この場面における「紀子」には、父の婚約者(となるかもしれない女)への嫉妬だけをシンプルに観客に分からせるだけの演出、逆に言えば、紀子に嫉妬以外の感情を観客に思わせる余地をことごとく封じた演出を目指したのだと思います。

思わせぶりな余計な仕草とか、また、俳優の表情が少しでも動いてしまえば、そこに余計な感情を観客に読まれてしまいかねない恐れが生じる、「笑み」でもなく「怒り」でもなく、ましてや「悲しみ」でもない、すべてを受け入れまいとする頑なな「無表情」、痛ましいまでに抑制された「無表情」こそが必要とされたのだと思いました。

役者は、ひとつの感情を表現するためには、小津監督の指示以外、一寸たりとも動いてはならなかったのだと思います。

この作品「戸田家の兄妹」は、解説書にはこんな紹介をされている作品です。「興業的にも成功したオールスターによる初の小津映画で、以後小津作品は商業的にも安定するようになる」と。

しかし、華やかなオールスターたちが、母親イジメの役をさせられたわけですから、複雑な心境だったでしょうね。

皮肉屋の小津監督らしい独特な衒いなのかもしれません。

(41松竹大船撮影所)製作担当・磯野利七郎、監督・小津安二郎、監督補助・根岸浜男 西川信夫 鈴木潔 山本浩三 田村幸二、脚本・池田忠雄 小津安二郎、撮影・厚田雄春、撮影補助・鈴木一男 松川仁士 阿久津幸一郎、音楽・伊藤宣二、演奏・松竹大船楽団、美術・浜田辰雄、装置・矢萩太郎 大谷弥吉、舞台装飾・三村信太郎 清水敏明、録音・妹尾芳三郎、録音補助・牧鞆之祐 伊藤数夫 松原早春 内田一弥、音響効果・斎藤六三郎、配光・内藤一二、編集・浜村義康、現像・宮城島文一、衣裳・斎藤耐三、結髪・増淵いよの、タイトル・藤岡秀三郎、記録・関口庄之助、事務・生田進啓、衣裳調達・三越

出演・藤野秀夫、葛城文子、吉川満子、斎藤達雄、三宅邦子、佐分利信、坪内美子、近衛敏明、高峰三枝子、桑野通子、河村黎吉、飯田蝶子、葉山正雄、高木真由子、岡村文子、笠智衆、坂本武、西村青児、谷麗光、森川まさみ、若水絹子、忍節子、河野敏子、文谷千代子、岡本エイ子、出雲八重子、武田春郎、山口勇
1941.03.01 国際劇場 11巻 2,896m 106分 白黒
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by sentence2307 | 2006-05-28 10:52 | 映画 | Comments(0)

いちばん美しい夏

もちろん黒澤明作品「一番美しく」とは違います。

この映画は、東京の大学で教師をしているイギリス人ジョン・ウィリアムズという人が撮った2001年の作品です。

「ジョン・ウィリアムズ」なんて、あまりにも出来すぎている名前なので、「ほんとかよ」なんて気になり、不審を拭えず、失礼にも検索してしまいました。

なるほど、なるほど。1962年生まれのイギリス人、子供の頃は毎週土曜日に映画館通いをした映画少年で、ヘルツォークの「アギーレ、神の怒り」に触発されて、14歳のとき16mmカメラで映画を作り始め、紆余曲折ののちに日本にやってきて名古屋に生活基盤をおきながら活動しているというガイジンさんですか、ふむふむ。

そして、この「いちばん美しい夏」が、ウィリアムさんの35mm劇場映画デビュー作というわけですね。

1995年には、映画製作プロダクション・100 meter filmsを設立し、それを1999年に有限会社百米映画社にしたという本格派です。

そのフィルモグラフィをみると、この作品をつくるまでには8mmから16mm、あるいは、10分くらいの作品から徐々に60分、そしてそれ以上の作品へと力をつけ、気が熟すように、この「いちばん美しい夏」に至ったのだということが分かりました。

この作品を見終わった後、妙に感動してしまい、堪らなくなってこの作品をネットで検索しました。

実は、ネットで検索することなど、よほどの作品でない限り、滅多にしないのですが。

きっと、無名の映画を見て「感銘」させられるということ自体が、僕をすごく不安にさせたからだと思います。

自分が、予備知識のまったくない初めて出会う作品に無闇に感動してしまい、これでいいのかみたいな、つまり、自分の感性に対する自信のなさからくる不安がそういう行為に走らせるのかもしれませんね。

自分が感銘したことの正当性みたいな、後ろ盾というか、保証みたいなオスミツキみたいなものが欲しいという卑怯な心情からの、やむに止まれぬ行為だろうと思い、哀れな自分を差し当たり許しています。

さて、検索して驚きました。

以下のような数々の賞に輝く凄い作品だったのですね。

しかし、驚いたのは、単に賞の多さに対してであって、この作品のしっかりした仕上がりからいえば、それらの評価は当然のことなのかもしれません。

その数々の賞とは、

【2001年ハワイ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門最優秀作品賞、2001年カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭、インターナショナル・コンペティション部門NETPAC賞受賞、2001年マンハイム-ハイデルベルク国際映画祭批評家賞受賞、第3回シネマニラ国際映画祭最優秀作品賞、第12回シネクエスト映画祭観客賞、2001年日本撮影監督協会三浦賞(新人賞)、2001年日本映画監督協会新人賞ノミネート】

という具合です。

あらかじめ申し上げておきますが、僕が「いい映画だな」と思ったのは、この数々の賞の羅列を見る以前なのであって、もし最初にこの高い評価群の予備知識を持っていたら、なにしろ天邪鬼な僕なので、きっとその感銘の質も少し違ったものになっていたかもしれません。

誰も知らない「いい作品を掘り当てた」気分になっていたのですから。

スタッフには、横文字の人も混じっていますが、俳優はすべて日本人、撮影場所も話の内容も、外国人の感性を見つけることが困難なくらい地方色に富んでいて(外人というと、都会的と思ってしまうあたりが僕の限界でしょうか)きわめて日本的です。

さて、この映画を見始めて、傲慢にも、最初はすぐに「この映画が見えてしまった」という気になりました。

両親の不和のもとで非行に走る少女の直美、愛人の元へ走る母の家出、そして父の事故死、家庭が崩壊していく無残な現実を前にして、不安に揺れる孤独な少女と、世間から頑なに背を向けるようにして暮らす老婆との、寄る辺ない者同士の心のふれあいを描いた映画とでもいえば、そういう映画なら以前見たことのあるというような既視感から、きっと僕に「見る前からこの映画が見えてしまった」と傲慢にも感じさせたのだろうと思います。

でも、こういう悲惨な話を、映画的には面白くもなんともない、ありふれた設定だと退けてしまう映画ズレした自分が、つくづく嫌になってしまう瞬間でもあります。

映画の虚構にのめり込むあまり、現実が見えなくなってしまう映画マニアとなりきることの恐れが、まだまだ僕の中にはあるのかもしれませんね。

しかし、この作品を観ながら、終始「いちばん美しい夏」というタイトルが気になって仕方ありませんでした。

当然このタイトルが少女・直美のことを指し、僕が「見えてしまった映画」と思い込んだ前半部から次第に話が進展するにつれて、むしろポイントがだんだん遠去かっていくような「見えなくなってしまう」苛立たしさを覚えました。

父の死後さっさと愛人と再婚する母親と決別し、わずかながらも気持ちが通い合った老婆・小出さんとも死に別れ、一人きりで暮らし始めるというラストに至るまで、いったいこの物語のどこに直美の「いちばん美しい夏」が描かれていると言えるのか、「この映画の何処にいったい・・・」という僕の苛立つ気持ちに、やがてのし掛かるように素晴らしいラストが襲い掛かってきました。

むかし女優だったという小出さんが出演した映画「蛍の谷」のビデオを、古物商のような所で偶然見つけた直美は、ひとりの部屋で、画面に映し出される若くて美しい女優・小出さんを見つめています。

直美に逢った最初の頃の小出さんは、女優だった過去をひたすら隠し、やがて、そのことが知られてからも、その女優だった頃のことを吐き棄てるように昔語りしていました。

ひとりきりの部屋で、映画「蛍の谷」をひたすら見つめ続けている直美は、若くて美しかった女優時代の小出さんが映し出されている画面を呆然と見つめているだけです。

凝視する直美と、そして映像の中の若かりし頃の小出さん。

この卓越した場面から鳥肌が立つような思いで、不意に考えさせられることは、例えば、世間では当たり前のようにいう、若いことや美しいことが、そのまま幸せや希望と安易に結び付いてしまうかのような認識に対する腹立たしさみたいなものとか、「若さ」を、なにか特別で素晴らしいものでもあるかのように描くことへの醒めた視点の発見かもしれません。

若さを素晴らしいものと思う感情は、すでに若さを失った立場からの発想でしかないことを証明してしまっているだけのような印象をどうしても受けてしまいます。

きっと、金と引き換えに若さを失った老人たちが、金に飽かせてそのノスタルジィを美化することに駆られた妄想のようにこの「神話」を作ってきたようにしか思えません。

しかし、現実を生きる者にとって、若いということがどんなに「ぶざま」で「みすぼらしく」、孤独で反吐が出るほど腹立たしいものであるかは誰もが知っています。

夜の部屋で、直美と画面の中の小出さんが対峙するあのシーンこそが、この作品のメッセージなのだと直感しました。

この場面を見ながら僕はある言葉を思い出しました。

「ぼくは二十歳だった。しかし、これが人生でいちばん美しい時だとは誰にも言わせまい」

ポール・ニザンのアデン・アラビアの冒頭の一文です。

人は、若いというだけでは、そして美しいというだけでは、なにものでもないのだということを、この言葉は僕に教えてくれました。

(2001百米映画社)脚本・監督:John Williams、プロデューサー:金田和明・Martin B. Z. Rycroft・John Williams、チーフ助監督:高田眞幸、撮影:早野嘉伸、照明:杉山文朗、録音:鈴木昭彦、音楽:Paul Rowe年

出演・真帆、南美江、丹羽努、木全悦子、斧篤、宮島千栄、山川定保、金本京子、七原春夫、佐藤絢子、 壁谷俊介、原智彦、
35ミリ、105分
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by sentence2307 | 2006-05-28 10:42 | 映画 | Comments(99)

赤い風船

子供のときに見た映画で「赤い風船」という映画がありました。

題名や撮った監督のことなど、大人になってから調べて初めて知ったのですが、全編を貫いている繊細な詩のような映像美は、いまでも心に深く残っています。

記憶が正確かどうか自身がありませんが、思い出すままに心の中のスクリーンに映された場面のきれぎれを書きとどめておこうと思い立ちました。

少年が、大きな赤い風船を手にして石畳の街路を歩いています。

町並みからすると、そこは、きっとパリ。

少年に付き従っていく風船は、まるで忠実な犬のように見えます。

そして、少年は、まるでその信頼関係を試すみたいに(映画からの感じは、そんな功利的な狡さは微塵も感じられなかったことを明言しておきます)風船の糸から手を離します。

手から離れたはずの風船は、それでも飛ばずにどこまでも少年についていきます。

それが当たり前のように少年は、大きな赤い風船を笑顔で見つめています。

この場面を見た幼かった自分が、映画というものはこんなにも美しい人の気持ちを、いとも簡単に表現できるものなんだと驚いて感動したと、今でも思っています。

きっと多くの人たちが、失望とか裏切りに出会ってネガティブに「信頼や友情」を理解するとき、僕は幸運にもラモリスの映像によって、そのままの概念をまっすぐに理解することができたのだと思います。

しかし、この映画は、楽観的なただのポエムではありませんでした。

いたずら小僧の悪童たちが、寄ってたかってこの赤い風船を棒で突付いて破裂させてしまいます。

このときの風船のしわしわになって萎んでいく描写が、物凄い迫力だったのを鮮明に覚えています。

このショッキングな情景を言葉で表現するとすれば、おそらく「怒り」と、そして「悲しみ」でしょうか。

子供心にも、人間の悪意を前にしたときのこのふたつの観念が、まったく同じ根から派生するものであることを直感したのだと思います。

風船は悲しみと怒りとによって消滅します。

そのとき、消滅した赤い風船を悼むかのように、街中から悲しみと怒りに呼び寄せられるみたいに、おびただしい風船たちが少年のもとに集まってきて少年を包み込みます。

これが多分この映画のラストシーンだと思うのですが、そのあとの描写が記憶のスクリーンには、はっきりと映りません。

親友を失った少年を風船たちが抱きかかえるようにして大空に連れ去ったという記憶と、悪童を追い払ったあとで大空に消えていく多くの風船たちを呆然と少年が見上げている描写で終わった記憶と、ふたつあるのです。

デ・シーカの「ミラノの奇蹟」のラストと混同しているのかもしれません。

しかし、もし前者だとすると、それは残酷すぎて、とても怖い話になってしまいますが、きっとその前者だったような気もしてきました。

僕の思い出のなかの映画の一本です。
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by sentence2307 | 2006-05-28 10:41 | 映画 | Comments(0)

にごりえ

初対面の外国人と話す場合、まずはお互いが熟知している共通の映画作品をとっかかりにして話しの糸口を見つけようとすることが往々にしてあります。

そんなとき、相手も知っているポピュラーな作品を手がかりにして話を円滑に進めようと、どうしても無難なところで「羅生門」とか「東京物語」の話から攻めて、クロサワのダイナミズムとか、オヅの渋みなどでそれなりに話が盛り上がれば、それはそれで結構間が持つのですが、そんなとき相手が少し日本映画を知っている場合なんかは、思わぬ方向に話が反れたりすることがあります。

例えば、日本人自身は、その当時、世界が評価したと同じように「羅生門」や「東京物語」をベストとして評価したのかを知りたい、などとちょっと困る質問を浴びせかけられることがあります。

外国ではどうなのか詳しいところは知りませんが、日本ではその年の優れたベスト作品をラインナップするという慣習があるというと、まずは知らなかったと驚かれることが多く、その辺の事情を執拗に知りたがります。

僕は、仕方なくこんなふうに言うしかありません。

「日本には昔から映画関係者や批評家が優秀な作品に投票してその年のベスト作品の順位を選出するという習慣がある。あなたの知っている『羅生門』も『東京物語』も当時の日本においては、必ずしもベスト1ではなかった。」

「それなら、『羅生門』や『東京物語』をしのぐ作品とは、どんな作品だったのか。」

「羅生門」の評価は、その年のランクで言えば5位ということになるし、また別の年「東京物語」は第2位にランクされたと言うと、非常に驚き、当然のように「その年の第1位作品は、何と言う作品か。」と質問されます。

僕は仕方なく答えます。

「羅生門」や「東京物語」を抑えた作品は、「また逢う日まで」と「にごりえ」という作品である。

このランキングにおいてベスト1に選ばれた回数を言えば、クロサワは1度、キノシタは2度、オヅも確か2度、しかし、このそれらの巨匠たちを抑えた「また逢う日まで」と「にごりえ」を監督した監督今井正は、実にベスト1作品を5本残している驚異的な監督である。

そうは言いながら、同時に僕は考えます。

あんなにも批評家受けしていた今井正の時代は、もう決して戻ってこないかもしれないと。

貧困がいくらリアルに描かれていても、観客の側が、もはや共感を得るだけの貧しさの感覚を喪失してしまっている以上、きっとそこに描かれている弱者への「怒り」とか、ましてやその叙情など、現代にあっては、変質した「リアル」への違和感に戸惑いを隠せない観客の前で、おそらく無様に空回りするだけでしょうからね。

時代の激流に背を向け、枯淡の境地を描き続けた小津作品を理解するのに世界が要した同じ時間の長さで、いままさに世界は今井正監督作品を忘れ去ろうとしているかのような感じをもっているのは僕だけでしょうか。

しかし、残酷ですが、映画ってホント時代の子供なんだなってつくづく思います。

政治の季節が終わり、今井正監督作品もその役割を終えようとしているのかもしれません。

学生のころ、あの「にごりえ」の「大つごもり」の中で久我美子演じる下女が貧しさのために切羽詰って主家の金に手をつける場面を友人たちと大真面目に議論したことを懐かしく思い出します。

貧しさは盗みを正当化できるのか、なんていう今思ってもとても危ないイデオロギー絡みの議論でしたが、しかし実際は「貧困」とは無縁のお坊ちゃんたちが「貧しさ」を弄んでいたにすぎない机上の空論の域を出るものではありませんでした。

そんな議論の最中、ひとりの友人が怒気をあらわに席を立ち、それ以後彼は二度と僕たちの仲間に入って来ようとはしませんでした。

彼はいわゆる苦学生でしたから、そんな無責任な「議論」の中に身を置くことに居たたまれなかったのかもしれません。

友人から彼が大学を辞めたと聞いたのは、確か同じ年のまだ季節が変わる前だったと思います。

語学教室で見た最後の彼の印象は、講義から顔を背けるようにして、ただ窓外の景色をぼんやり眺めているという、どこか弱々しい拒みの姿勢でした。

彼の目がどういう風景を切り取っているのか知りたいとその当時思ったことが、しばらく経って、小津映画を見ている時に不意に蘇ってきたのです。

不自然なアングルと、役者の演技をことごとく圧殺するようなぎこちない動きやセリフ回し、もし、そいうことに監督の意思が反映しているとしたら、それは現実への絶望と拒みの意思ではないか、あの友人がぼんやりと見ていた風景に通ずる何かがそこにあるという、失った友人への深い後悔の思いのなかで僕は撃たれたのだと思います。

小津監督作品について、アングルがどうの、セリフ回しかどうのというお嬢様芸のような「分析」に出会うと、どうしても苛立ちを抑えられないのは、きっとこんなトラウマがあるからかもしれませんね。

キネマ旬報ベスト10の入賞常連監督としての今井正監督のことを書くついでに、小津監督や黒澤監督のベスト10入賞回数を勘で書いて誤ってしまったので、反省と自戒の意味も込めて、さっそくネットであれこれ検索して「勉強」しているうちに、しばしばこんな記事を見かけました。

「にごりえ」が第1位になった1953年度のベスト10を「自分ならこう選ぶ」というものなのですが、まあ、結論から言ってしまえば、あの名作「東京物語」がどうして第1位じゃないんだという名作としての「東京物語」を本来の位置に確認しなおしたいとする名誉回復衝動みたいなものを多くの人が抱いているということなのかもしれませんね。

僕が見たそのベスト10では、
 ① 東京物語、
 ② 雨月物語、
 ③ にごりえ、
 ④ 妻、
 ⑤ 東京マダムと大阪夫人、
 ⑥ 煙突の見える場所、
 ⑦ 日本の悲劇、
 ⑧ あにいもうと、
 ⑨ 天晴れ一番手柄・青春銭形平次、
 ⑩ ひめゆりの塔、
となっていました。

ちなみに、選外としてプーサン、夫婦、まごころ、抱擁、君の名は、地獄門、学生社長、愛人、十代の性典、雲ながるるはてに、です。  

本来のベスト10にランクされていた作品、雁とか祇園囃子とか縮図がことごとく圏外に後退し、市川監督作品や川島雄三の飄々とした味わいのものが高く評価されているあたりを見ると、この選者の嗜好が分かって面白いと思います。

確かに現在の感覚からすれば
「①東京物語、②雨月物語、③にごりえ」
の順序は至極妥当な線だと思います。

「いま」ならきっとこうなるでしょうね。

去年の小津監督生誕100年の記念番組で印象に残っていることのひとつに、淡島千景が小津演出についてインタビューに受け答えている部分があります。

出演した作品は、「麦秋」や「お茶漬けの味」、そして僕がいちばん好きな「早春」ですね。

そこではだいたい、小津演出について、役者自身の創意工夫など思いも寄らない、ただただ小津監督の支持のままに一挙手一投足をまるで器械体操の段取りのような忠実さでこなす演技をしただけだと答えていました。

しかし、そう話しながら、淡島千景は、きっと一方で、「にごりえ」において示した俳優としての最高の演技を示した自負を抱きながら、そう言っているに違いないと僕は自分ひとりで勝手に確信し、そのテレビのインタビューを眺めていました。

俳優にとって小津作品とはいったいどういうものなのか、それが長い間の僕の疑問でした。

はたして、小津演出のように、役者としての演技の工夫を強引に押さえ込まれたような演技指導を受け、たとえその映画自体は高い評価を受けたとしても、それが演技者として自負につながる仕事といえるのかどうかという疑問です。

たとえば、「麦秋」が51年、「お茶漬けの味」が52年、「早春」は56年の作品で、そして、あの渾身の演技を見せた「にごりえ」は、その時期の真っ只中に位置すると言ってもいい53年度の作品です。

たしか、その特別番組の中でも淡島千景は、このような世界の映画史に残る名作に出演できて光栄です、みたいな答え方はしていました。

そして同時に、それらの作品はどこまでも「小津監督の映画」であるとも強調されていました。

その発言の裏側をあえて勘繰れば、それは言下に「小津作品には、俳優としての自分はないのだ」と言っているようにも聞こえます。

「早春」において、深夜、紅をつけたワイシャツで帰宅した亭主の不実をなじる倦怠期の妻を演じた淡島千景の存在感は、本当に素晴らしいの一語に尽きる演技だったのですが、しかし、あの「にごりえ」の、卑猥な酔客に執拗に胸や体を撫で回され、まさぐられる酌婦=淡島千景が、屈辱とやり場のない憤怒と自己嫌悪でたまらなくなり、顔を歪めながら夜の色街に飛び出して当てもなくさまよう鬼気迫るシーンには到底及ばないと長い間確信していたのでした。

しかし、最近ある本を読んで、とてもショックを受けました。

社会思想社刊・現代教養文庫の「日本映画俳優全史・女優編」の中の「淡島千景」の項です。

彼女の解説の最後にはこう書かれています。

「結局、彼女はふたつの芸流をわが身につけたといえる。ひとつは、「麦秋」「花の生涯」「早春」「絵島生島」といった静かな人間味をしみじみ訴えるもの、そしていまひとつの流れは、「てんやわんや」「やっさもっさ」「夫婦善哉」「駅前旅館」といったやや滑稽味の勝ったもの、そのどちらをも、さらりとこなすところが彼女の大女優たるゆえんといえよう。」

この解説の全文の中はおろか、《主なる出演作》の中にさえ「にごりえ」については、ひとことも触れられていませんでした。

これは、ショックです。

かつての「第1位」の評価が時代の変遷の中でじりじりと後退し、そこで演じられた一女優の激しい演技も最初からなかったものみたいに記録から無残に抹消されています。
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by sentence2307 | 2006-05-28 10:40 | 映画 | Comments(123)

ひまわり

小学校の同級生だった「ともみ」が、輝明の留守電のテープにひとこと「私のこと、おぼえていますか?」という短いメッセージを残したまま、海難事故で行方不明になったと報ずるTVニュースを見るところから、この物語は始まります。

「ともみ」の遺体がまだ発見されないままに彼女の葬儀は始められています。

その葬式に小学校の同級生たちが集まり、そして、つい昨日まで「ともみ」と親しく付き合っていた男たちも交えて、彼女がそれぞれの男たちの元に残していった過去と現在の断片が、少しずつ語られます。

「最後に彼女に会ったのは、オレかもしれない」という語り出しで話される回想の中のどの「ともみ」も、どこか淋しそうで、そして何か言いたげにしながらも、結局は眼を伏せ、口を閉ざしたまま諦めの笑みを凍りつかせて、彼らの前から立ち去りました。

彼女が何を求め、そして、何を言いたかったのか、多くの「何故」が解明されないまま、とらえどころのない印象の薄い少女だった「ともみ」という娘が、「別に、それ程のつきあいがあった訳じゃないから・・・」と回想する男たちによって、体の関係はあったとしても、しかし、その「ともみ」の気持ちが自分のすぐそばにあった訳ではなかったことが徐々に明らかにされていくだけです。

そして、同時に、その言葉がむすぶ悪い噂としての「都合のいい女・ともみ」の深い孤独の影が浮かび上がってきます。

完璧なメイクを終えたあと、暗い部屋のカーテンを勢いよく開けて強烈な日差しを受けるシーンは、飾らない幼い素顔のままの自分を「ひまわり」と呼んで、たどたどしくも愛してくれた初恋への熱い思いが描写されていますが、さらに、現実を生きる「ともみ」の深い孤独と失意が描かれている場面でもあります。

誰だって現在が満たされていれば、もはや取り戻しようもない「初恋」なんか振り返る訳はありません。

そして、その「初恋」が、「ボール、当ててよ」という「ともみ」の言葉によって、「恋」以前のもの、仲間はずれにされていたひとりぽっちの少女の孤独な像と、そうした「ともみ」を少しずつ死のそばまで追い詰めた男たちや女たちの残酷さが静かに見えてきた作品でもありました。

輝明の留守電に残る「ともみ」のメッセージ。

自殺か、そうじゃなかったのかなどという疑問など、人間の生きること、死んでいくことにとって、最初から何の意味も持たないと悟らされる確かな力量を示した行定勲監督の長編初監督作です。
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by sentence2307 | 2006-05-28 10:39 | 映画 | Comments(0)

「貧しさ」の贅沢

黒澤作品の諸作品、例えば「どん底」とか、今井正の「どっこい生きてる」とか、デ・シーカの「自転車泥棒」など、それらの作品に、なぜ自分はこれほどまでに心惹かれるのか、その理由など、いままであらためて考えたことなどありませんでした。

世間的に評価の高い作品を見たとき、それら名作といわれる作品が、必ずしもすべてを「いいな」と思うというわけではなく、「そうでない作品」も結構あったりして、それが何故なのか、あえて疑問さえ感じていませんでした。

しかし、最近になって、その自分なりの「仕分けの基準」みたいなものがどういうものか、漠然とではありますが、ちょっとしたヒントを得ることができました。

たぶん今はもう放送されていないのかもしれませんが、ひと頃、関係者や造詣の深い識者が、黒澤明監督への限りない思いを語るインタビュー番組「トーキング・アバウト・クロサワ」という企画を「日本映画専門チャンネル」が放送していました。

さまざまなジャンルの多くの人々、つまり現場のスタッフや俳優、そして映画評論家から高名な経営者にいたるまでの多くの知名人が出演していたと記憶しています。

もちろんそこには、「黒澤教信者」の「ヨイショ」的・盲目的信仰告白もありましたが、しかしまた逆に、歯に衣着せぬシビアな批判もあったと思います。

おしなべて、それらの述懐は傾聴に値する示唆に富んだものが多くて、毎回楽しみに視聴していたものでした。

それらの「批判」に対して、必ずしも不快感を抱かなかったのは、その意見のひとつひとつが、どのような言い方であったにしろ、黒澤監督への真摯なオマージュに貫かれていたからだと思います。
そのなかで、いまでも強く印象に残っているひとつのインタビューがありました。

キャメラマンの木村大作が、こんなことを言っていました。

黒澤監督の完璧主義とは、あらゆるモノ(物質でも人物でも)ドラマのなかでそれ自体が持つ「相応しい時間」を帯びさせるまで「待つ」ことなのだ、と。人や物、それ自身にリアルさを持たせるために存分に時間をかける、例えば、イクサの場面で使う旗に、それらしい「古さ」を出すために、相当な日時、屋外に晒しておく時間の積み重ねが、黒澤明の完璧主義を象徴しているのだと。

まあ、そんな当然のことに、何をいまさら感心しているのだ、と言われてしまうかもしれません。

しかし、僕には、この言葉は、物凄い衝撃でした。

僕が、Up to dateなバリバリの現代劇に、ペラペラな安っぽさ・非リアルしか感じることができずに、却って、貧しさを表現するための、いかにも古びて汚らしい意匠をまとわせた「どん底」や「どっこい生きてる」や「自転車泥棒」などの作品に、豊かな現実を実感し、強く惹かれる理由が、これでよくわかりました。

それらの映画には、「貧しさ」をリアルに表現するために、成熟を待った豊饒で贅沢な「時間」の堆積があったからだと思います。

秒刻みの時間に追いまくられて、投機的な求めに応ずるために安普請の作品しか造ることの出来ない現状を考えれば、これ以上贅沢な作品の作り方はないのかもしれませんよね。
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by sentence2307 | 2006-05-27 14:36 | 映画 | Comments(3)

多桑/父さん

この映画の監督・呉念眞は、名作「悲情城市」や「戯夢人生」などの脚本を手がけた人で、これは候孝賢が製作をつとめた監督第一作です。

見初めから驚きました。すごい映画です。

金が入れば女郎屋へ女を買いに行く炭鉱夫の父。カモフラージュに幼い息子を連れて行きます。

粗暴で教養もなく、自分の思うようにならなければ妻も息子も半殺しの目に合わせること位いなんとも思っていません。

身勝手で愚劣な男です。

でも、どんな目に合わされようと、憎もうと、この絶対的な父が一瞬垣間見せる哀れさに総てを許してしまう息子、肉親の愛を求めることに何の衒いも躊躇いもない率直さに、哀れさとともに羨望さえも感じます。

「父も苦しんでいるんだ」という息子の思いが伝わってきます。

ただひとつ、父は、自分が日本統治下で日本人としての教育を受けたこと・そこいらの台湾人とは違うんだという誇りがあります。

彼は、妻や息子に自分を日本語で“父さん”と呼ぶことを強要しています。

父親の晩年が描かれるその頃の台湾では、日本に対しての反感が一般的な雰囲気として描かれています。

父親は、高度経済成長を遂げていく台湾の上げ底の貧弱さを罵り、かつての統治国・日本を讃えることで戦後の繁栄の中で富み栄えた台湾で一人置き去りにされた屈辱に耐え、やがて病を得たのち、失意のうちに自殺します。

父が、あんなに愛していた日本へ、遺骨を持って息子はひとり向かいます。

父親に寄せるこの息子の深い愛の姿は、小津安二郎の「父ありき」を思わせる程の哀切な叙情に満ちていました。

日本に憧れ、皇居と富士山を見ることを夢見つつ、遂に果たせぬまま死んでいった父親の無惨な生涯を通して、台湾のひとつの戦後史が見事に描かれた傑作です。
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by sentence2307 | 2006-05-27 14:31 | 映画 | Comments(5)

奇跡の海

「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」を見たときのエミリー・ワトソンの衝撃的な演技は、いまでも忘れられません。

きっと、彼女がその演技で示した、深い孤独感に囚われた女性がその苦痛を紛らわすため、泥沼のような情欲にのめり込んでいくという女の「けもの」のような生臭い痛ましい描写があまりにもリアルすぎて、異性として見ているだけでも耐えられないと感じたからだと思います。

ジャクリーヌの破滅的な自傷行為が、エミリー・ワトソンの不気味な薄ら笑いの凄みある自暴自棄の演技と重なって、男として夢のような憧れのままでいてほしいと願う僕の清浄な女性像が、眼前に示されたいぎたない欲望を剥き出しにした薄汚い女性像への生理的な嫌悪と本能的な恐れから、あの作品を正当に評価し得たかどうか自信がありません。

そこでは、男として見たくない女の本性が赤裸々に演じられていたからだと思います。

すべての愛を捧げ、そして捧げた分だけの愛を相手に求めようとするとき、過剰な愛に生き急いだジャクリーヌ・デュプレのようなその思いの激しさによって、この世では壊れてしまう男と女の関係が実にたくさんあるのだと、僕たちに教えてくれたのだと思います。

それは逆に言えば、円満に持続できる愛の生活=結婚というものが、お互いを求め極めることを諦めた妥協の聖域を持つことで始めて成り立つ関係でもあるということを意味しているのかもしれません。

このラース・フォン・トリアー監督の「奇跡の海」という作品は、まさにその「聖域」を欠いた嘘のない結婚生活の中で、過剰すぎる愛によって破綻していく夫婦の物語と言えると思います。

この不可解な物語のすべての始まりは、そもそも、事故により性的な機能を含めた全身の麻痺によって体の自由を失った夫が、妻に他の男と性交することを勧め、そこでの情事をつぶさに自分に報告してほしいと求める部分にあります。

この夫の願いは、性的に満足させてあげられない妻を思いやる気持ちに支えらており、しかも夫のその異常な申し出を妻が従順に受け入れるという更に納得しがたいような常識では計り知れない異常で奇妙な夫婦関係にあります。

ただ、物語のはじめに妻ベスは、夫を心から愛する信仰心の厚い献身的な妻として描かれていますから、夫ヤンが、妻を性的に満足させてあげられないからといって、あえて、そのことで欲求不満の肉体をもてあますというタイプの情欲に支配されてしまうような女性とはどうしても思えません。

むしろ、夫が、妻を抱けないということを負い目に思い、彼女を気遣う気持ちから、他の男と「寝る」ことを彼女に勧めたのだとしたら、どうして、それをわざわざ報告させる必要があったのか、ちょっと理解できません。

夫にとって、妻の情事や、その悦楽の中にある彼女の状態を「知る」ことが、彼にとって、生きる上でのどういう支えになるのか、普通に考えれば妻の情事など最も知りたくないことだと考えるのが普通だと思うのですが。

妻を満足させられない自分を、それらの「いまわしい事実」をあえて知ることで自身を罰しようとしたのでしょうか。

しかし事故に遭遇したのは、彼の責任ではありませんから、常識的に考えれば、「罰する」必要はどこにもありません。

ラストの「奇跡」どころか、物語の始めのこんなところで躓いているようでは、この深遠な内容のトリアー作品をどこまで理解できるかとても不安です。

そして、不安ついでに、日本人なら、この設定から、どう物語を発展させていくか考えてみました。

日本人の心情からすると、これだけ条件が整えば、これはもう性的不能に基づく「のぞき」や「女体観察」の官能の世界にのめり込むしかないかもしれません。

日本の映画の傾向の中で捉えるなら、妻の情事を知りたいという夫ヤンの願いは、単なる「変態趣味」で十分に説明のつく設定です。

仮に妻ベスの「神への忠誠」や「信仰心の厚さ」、ラストで展開される「祝福の鐘の奇跡」を無視し、この強引過ぎる物語を読み解こうとすれば、上述したような異常さばかりが目に付く不可解な物語展開と言えてしまうのです。

少なくとも日本では、多くの人が表明した、あの唐突に描かれたラストの「奇跡」によって「白けて引いた」という冷淡な感想に、それは端的に表明されていると思います。

僕なりに自分の混乱した頭を整理してみると、この映画についての僕の疑問は、結構単純なものなのだなと思えてきました。

信仰厚い妻が、夫に献身的に尽くすその延長線上に淫乱な娼婦の振る舞いがあって、そのために村の教会から追放されることとなり、死してのちに祝福の鐘が響くという奇跡が示されるこの作品の、ひっかかったのは「娼婦」の行いと「奇跡」の2点です。

村の男たちの誰彼構わず寝たのは夫がそう望んだからですが、その夫の言動の背後に、ベスを最愛の夫と娶せた神の意志を更に彼女が聞いたからだと見るべきなのかもしれません。

妻ベスは冒頭、神と対話のできる女として描かれています。

常軌を逸したと見えるほどの彼女の従順は、それが彼女にとっての神の「みためし」に応えるものだったからと見たならどうでしょうか。

彼女の従順も、そして淫らにまで至るあらゆる意味での献身も、彼女のそのすべての行いが神の意志の下に行われたものなら、彼女を追放した教会や卑俗な村人たちに対する神の怒りの表れとして「奇跡」が行われたと解釈できないでしょうか。

この「奇跡」によって示されているものは、信仰なき者たちへの怒りと、最も卑しい者たち、最も穢れた者たちに向けられた神の愛です。

しかし、現代という時代に、なぜこのような「奇跡」などを描いた映画が撮られたのでしょうか。

それは、すぐに思い至りました。

カール・テオドール・ドライヤーが死者のよみがえりの奇跡を描いた1955年作品「奇跡」の影が、明らかにちらついています。

ラース・フォン・トリアーは、ドライヤー以来のデンマーク映画界の最高の才能と言われている逸材ですから、「奇跡の海」は、おそらくあの作品を極めて強く意識して作られた作品だろうと思います。

ドライヤー作品の「奇跡」が、不信心な者(長男のミッケル)への戒めが強く打ち出されていた作品だとすると、トリアーのこの作品「奇跡の海」は、そのラストに顕著なように、祝福の鐘の音をまるで不吉なものでも聞くかのように顔を歪める人々の畏怖の表情が極めて印象的な作品でした。

神の「み示し」にただ恐れおののくばかりの人々は、些かも歓喜の兆しが窺えない戸惑いを露わにしたまま、神から見放されてしまったような放心と恐れとを描いたあのラストシーンを僕たちはどう解釈すればいいのか、いまは、ただ暗澹たる気持ちでいます。
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by sentence2307 | 2006-05-27 14:29 | 映画 | Comments(1)

エル

ルイス・ブニュエルのメキシコ時代の作品を、すべて否定する評論を読みました。

単なるプログラムピクチャーとして生活の糧を得るために、決められた作品をただ単に消化したにすぎないという趣旨なのですが、しかし、幾らかの作品(スサーナ,昇天峠、乱暴者、エル、嵐が丘、犯罪の試み等)を実際に見て、その完成度の高さと素晴らしさに驚きました。

また当時のメキシコにこんなにも名優がそろっていたのかと意外でした。

前記の評価は、シュールレアリスト・ブニュエルを愛し神聖化するが故の贔屓の引き倒しにしかならない不毛な固定観念にすぎないと思ったのです。

この作品は、美しい妻と結婚したために嫉妬に狂う男の話なのですが、その強迫観念が、決して特殊な狂気として片付けられない「愛すること」と「愛しすぎないこと」との境をどうやって判断すればいいのか、という後年の作品「昼顔」に通ずるものを感じました。

メキシコで撮られた作品を見ていくと、メキシコの俳優たちの過剰ともいえる熱い演技を得て、ブニュエルは、「節度ある愛などというものが、果たして有り得るのか」といっているように思いました。

愛することをラディカルに突き詰めてゆくブニュエルの描く世界では、もはや理性によって愛するという行為を節度あるものとして押し留めることの不可能がメキシコ時代の作品には見られると思います。

なんとも不可解な「嵐が丘」という物語も、ブニュエルの解釈によって、やっと理解することができたのでした。

僕は、むしろこの時代のブニュエルを否定したら、彼の力量の重要な部分を見逃すことになると考えています。

残念ながら、まだ未見の「忘れられた人々」をいつの日にか見ることができる日がくるのを楽しみにしているこの頃です。 
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by sentence2307 | 2006-05-27 14:28 | 映画 | Comments(0)
もし、この世にケン・ローチ作品のような強い信念に貫かれた真面目すぎる映画しか存在していなかったとしたら、とても息苦しくって堪らない気持ちになってしまうかもしれませんね。

しかし、逆にケン・ローチのような社会を真摯に見つめるような映画が、もしこの世に全く存在してなかったら、僕は、とっくの昔に映画なんか観ることを辞めてしまっていたと思います。

そしてこの映画、労働者の日常を熾烈に描いた作品とは言っても、その手の映画によくある薄気味悪いくらいニヤついて、やたら品行方正な、意志強固で健康な「労働者」が描かれているわけでもないし、見ている方が気恥ずかしくなるような左がかった宣伝臭などもない、ただ社会にうまく適用できない無骨な男の、悲しいまでに実直な実にまともな映画です。

むしろそういう意味でなら、極めて厳しい視点で「失格した労働者」を描いている苦渋に満ちた作品というべきかもしれません。

孤高の映像作家の名に相応しい気品さえ感じられると言ってもいいでしょう。

僕がこの作品を見て強く引かれたのは、失業者ジョーと健康管理センターの巡回保健婦セーラの、決して幸福そうには見えない男と女のたどたどしい触れ合いと、ささやかな幸せの前で物怖じする痛ましい姿でした。

もう決して若くはない中年の男と女が出会い、それぞれがそれなりの過去に深く傷ついていて、これ以上傷つくくらいなら、もはや人生の伴侶を無理して求めようとはしない諦めの中で、残された人生を自立して静かにひとりで生きることを選んだ男と、そして女です。

他人と関わることに、とても不器用で、それでも無理して相手に折り合おうとした結果、逆に深く傷ついてしまった繊細すぎる彼らは、もはや人を求めることにとても臆病になっています。

期待や希望を持ちさえしなければ、失望や絶望に見舞われることもないと気がついた自立したオトナの男と、そして女です。

ひとりで生きていこうと決意した彼らにとっての「自立」とは、寂しさや衝動的な性欲の「かつえ」などから距離をとって他人を求めることに無感心でいられる振りのできる生活を確立することでもありました。

しかし、これは理性というにはちょっと違う、むしろもっと自虐的で自罰的なもののような気がします。

この健康管理センターの巡回保健婦セーラを見たとき、僕はいままで映画の中で出会ってきた幾人かの女性像を連想しました。

自分の容貌に自信がなく、こんなにも醜い自分が誰からも愛される訳がないと固く信じて心を閉ざし、男から差し伸べられる数少ない誘いの手にも戸惑いながら悲しそうな曖昧な微笑でやり過ごし、傷つくより先にいち早く自分の殻の中に閉じこもってしまおうとする臆病な少女たち、例えばミア・ファローとかシシー・スペイセクが演じた幾つかの役どころとか、「ロッキー」のエイドリアンや、「フィッシャー・キング」のリディアなどが思い浮かびました。

しかし、実は、それよりもさらに映画史に燦然と残る名作が思い浮かんだのでした。

1955年のアカデミー作品賞を受賞したデルバート・マン監督の「マーティ」です。

友人が苛立たしげに言いました。

「なんだ、こいつら。現実の苦しさに耐えられなくなると安易にドラッグに逃げ、ヤクを買う金がなければヤクザから金を借り、返済できなくなって女房の体で返済しろと脅されると、助けてくれと失業保険で暮らしているジョーに泣きつく。ジョーも、自分の最愛の人セーラを失う危険をおかしてまで体を張って彼らを守ろうとする。」

愚かだ、とまでは言いませんでしたが、友人が言った「なんだ、こいつら。」は、そういうニュアンスが込められていたのだと思います。

つまり、一言でいえば、自分を大切にしない人間の弱さを目の当たりにすると、僕たちはたまらなく苛立たってしまうのは、あるいは仕方のないことかもしれません。

おまけに、なんで愚かな他人のために自分から進んで危ない目に身を晒よような愚かなお節介をしなければならないのか、という思いは、確実に僕たちの神経を逆撫でし、たまらなく腹立たせてしまいます。

しかし逆に、だからこれがケン・ローチの映画の魅力だといってしまったら、実もフタもないでしょうか。

きっと、ケン・ローチ作品がもつ独特の映画の流れに逆らわず、そのまま身を任せるようにして作品を受け入れてしまえば、硬派な内容の中に意外と素朴な主張、例えば「仲間を決して見捨てない」とか「頼って来る者の信頼は決して裏切らない」とか、結構シンプルなものが核になっているのかもしれませんね。

ケン・ローチの描く虚飾のない人間像が、その「弱さ」において極めて辛辣かつリアルに描かれていながら、なお、気品さえ感じてしまうのは、そうした思いの高さにあるからでしょう。

スコットランド・グラスゴーの貧民地区に住む37歳の失業者ジョー(ピーター・ミュラン)は、アルコール依存症からようやく立ち直りかけています。

映画は、ジョーが「My Name is・・・」と皆の前で自分の過去を告解する断酒会のシーンから始まりますが、そこでは酒のために彼が大切な人を傷つけた罪悪感のために酒を断とうとしているらしいことや、そのように酒に溺れ込まなければ、どうにも耐えられなかった彼の弱さも同時に仄めかされています。

しかし現実に押し潰され掛けながら、アルコールに依存することによってしか凌げなかった彼の弱さはまた、ケン・ローチの多くの作品がそうであるように、人間としての「誠実さ」を同時に意味しているように思えてなりません。
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by sentence2307 | 2006-05-27 14:27 | 映画 | Comments(0)