世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2006年 10月 ( 11 )   > この月の画像一覧

東京行進曲

この溝口作品を、こんなふうに紹介している解説を読んだことがあります。

「雑誌『キング』に連載中だった菊池寛の同名小説の映画化で、溝口健二にとっては『朝日輝く』に次ぐ監督作品である」と。

しかし、僕の先入観からすると、「都会交響曲」の直前に撮られた作品という方が、なんだかすっきりとして相応しいような気がします。

多分それは、猛烈な傾向映画として名高い「都会交響曲」(資料もこの作品の方が、遥かに豊富ですが)のイメージが強烈過ぎて、「朝日輝く」をすっかり霞ませてしまっている印象があるからでしょうか。

溝口健二のフィルムグラフィによれば、この「東京行進曲」は、猛烈な傾向映画「都会交響曲」の直前に撮られた映画で、知名度の高さからいえば、たぶん作品「朝日輝く」を遥かに凌いでいます。

しかし、それは別段「都会交響曲」という作品が、溝口健二の作品中において特に優れた作品だからではなく、むしろ逆の意味において、つまり時代の流行に対して過度に反応して、悪乗りとしか見えないような当時流行の傾向映画的手法を駆使しただけの、小手先だけの徹底した暴露的描写によって「いかにもそれらしく即製された作品」という評価が定着しているからでしょう。

その「どんなもんだい」というシンプルな溝口自身の演出的自負が、結局、内務省警保局からの召喚と厳しい叱責というしっぺ返しにあい、溝口にとって予想だにしていなかった権力との直接的な対峙によって、思想的な意思表明を安易に考えていた溝口健二をただただ縮み上がらせ、以後この分野には決して手を出さなかったと伝えられています。

これは迎合し易い溝口健二の象徴的な事例として、「トーキー一番乗り」の逸話とともに揶揄的に語られることが多いもののひとつであり、この猛烈な傾向映画「都会交響曲」を、多くの評者が、溝口健二作品中のあだ花と位置づけている所以とされています。

そしてこの「東京行進曲」のなかでは、それは、富豪の御曹司が高台の家に住み、貧しい娘が低い場所に住んでいるといった程度の紋切り型の階級的視点で対比的に描かれているくらいで、これを「思想的に惹かれていた証し」というには、少し無理があるような気がします。

そこには、自分の描くべきテーマ-花柳界に生きる女の苦悩-を既にしっかりと持っていた溝口健二にとって、このテーマに拘るうえにおいて、たぶん最も恐れていたものは、時代遅れと見られることだったかもしれません。

限られた世界を描く上での危惧・そこには「現代という時代性が欠如しているのではないか」という迷いが、彼を左翼思想に近づけたということは容易に想像できます。

しかし、溝口にとって、この現代から「読み取る」べきものなど、実は何もなかったのだと思います。

溝口にとっての描くべき「現代」は、もっと違った時代の、もっと違った場所にあったはずだからでしょう。

自分の信ずるものだけを、ただ撮り続けていけば良いと気が付くには、もう少し時間が掛かりました。

この「東京行進曲」は、とてもショッキングな映画です。

若い頃、放蕩に耽ったすえに出来ていた隠し子が、息子と恋仲になったことを知って苦悩するという父親の物語。

そのことに気がつくまで、好色な父親は、我が子とは知らずに芸者になった「娘」に言い寄ったりしています。

そして、その「娘」の背後にもまた、芸者だった「娘」の母親のからだをも弄んだすえ襤褸切れのように捨て去った父親の過去の罪業が見え隠れしています。

「罪業を悔い改める」という護符に守られることによって、この物語は、近親相姦というタブーに大胆に踏み込んでいった溝口の飛躍的な情念の在り所を見る思いがしました。

さまざまな映画を観ているうちに、以前こんなことを考えたことがありました。

ある監督の作品にあって、別の監督作品には決して「ない」もの、というようないわば仮説遊びみたいなものです。

例えば、溝口健二作品にあって、小津安二郎監督作品では決して見ることができないもの、というような感じです。

それは、きっと、過酷な状況下で窮地の極みに立たされ、自分の感情を抑えきれなくなり、自滅一歩手前の崖っ淵まで追い詰められた溝口の女たちは、身も心もずたずたにされた挙句、内向させていた怒りを突如迸らせ、逆上し、捨て身で抗議の絶叫を始めます。

それは、どんなに過酷な状況にあっても決して取り乱すことなく、どこまでも自分の感情を押し殺したまま、深い自己抑制のなかで生きる小津安二郎が描き続けた女たちとは、まったく異質なものといわざるを得ません。

深い自己抑制に、時代の移り変わりに動じない強烈な自我を感じるのに対して、溝口の描く「因縁の糸に操られて生きる女たち」には、男たちと時代に翻弄されるばかりの、かよわく儚い女たちの象徴的な姿が見えてきます。

この作品の最初と最後に映し出されるアナーキーな東京の景色の素晴らしさは、必見です。

1929(日活太秦)(監督) 溝口健二(原作)菊池寛(脚本)木村千疋男(撮影)松沢又男、横田達之
(出演)夏川静江、一木礼二、高木永二、小杉勇、入江たか子、佐久間妙子、瀧花久子、島耕二、神田俊二、南部章三、金平軍之助、伊藤隆世、見明凡太郎、谷幹一、笹井末三郎
(22分・18fps・10巻 2,777m 35mm・無声・白黒・部分)1929.05.31 みやこ座/浅草富士館
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-28 16:38 | 映画 | Comments(1)

七人の侍

僕にとって、「七人の侍」は、いままで世界で作られた映画のなかでのキング・オブ・キングスです。

そして、どこがどうキングなのか、その魅力と素晴らしさを折に触れて書き続けていこうと思い立ち、実際に、印象に残っているいくつかのシーンを書いたことがありました。

侍たちの魅力的な個性が、強烈なエピソードとともにそれぞれ紹介されるという侍探しの素晴らしい場面、勝四郎と志乃とのつかの間の恋を絡ませながら、突如武装した野武士集団が襲い掛かってくる破調の、畳み掛けるような場面など、その「ド迫力」につられて縷々書きなぐってみても、なんだか核心を外しまくっているようなもどかしさを感じ続けていました。

それがなんなのか、長い間見当もつきませんでした。

年に数回は「七人の侍」を繰り返し見ています。

シナリオは座右に置いて時折拾い読みをしています。

そんなある時、ふと気がつきました。

それは、冒頭の場面、強奪と殺戮とで猛り狂っている野武士たちが、丘の上から眼下に見える村を見やりながら「やるか・・・この村も」と叫ぶ場面です。

その言葉を受けて野武士のひとりが「待て待て・・・去年の秋、米をかっさらったばかりだ。今いっても何もあるめえ。」と言うと、もうひとりが「よし・・・あの麦が実ったら、また来るべえ」と言い、野武士たちは馬首を立て直すと、埃を巻いて立ち去ります。

野武士たちのそのやり取りを偶然熊笹の繁みの中で聞いてしまった伍作は、恐怖に足をがくがくさせながら村へと駆け下りていきます。

この冒頭のシーンによって、野武士が確実に衝撃してくることと共に、同時に、麦が実るまでは絶対に野武士は襲ってこないという「猶予の時間」が語られることで、この物語に時間的な広がりを持たせることができたのだと思います。

この部分がなければ、つまり、野武士たちがいつ襲ってくるか分からなければ、侍たちの緻密な人物描写もなし得ないままに、ただのパニック映画で終わってしまったと思います。

物語のなかでも、野武士の襲撃に備える百姓たちが、あまりの平穏な日々に「野武士たちはもう来ないのではないか」と思い始めるそのすぐ後で、あの激烈な武闘場面が用意されていることを思えば、緩急を自在に駆使して練り抜かれたシナリオであったことがよく分かります。

そして、この「猶予の時間」を野武士たちが、まずもって最初に宣言したことで、この長大な映画の幾つかのピークを手際よく整理して、僕たちに鮮明なイメージを与えることができたのだと思わずにはいられません。
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-22 23:40 | 映画 | Comments(81)

毒婦高橋お伝

僕の子供の頃は、日本はまだまだ経済的に未成熟で、余暇のための遊戯施設なども十分でなく、休日を安価に過ごせる手ごろな暇潰しといえば映画を観ることくらいしかありませんでした。

日本の映画館が、黙っていたって観客が自然と集まってきた黄金時代だったわけで、それはちょうどTVが各家庭に浸透する直前の、いわばTVに観客を持っていかれる前の蜜月時代だったわけですよね。

電気紙芝居の安直なドラマで満足できる観客がどんどんTVに流れてしまったというこの現象は、きっと映画界にとって、とてもいいヒントを与えてくれたはずだったのに、以後の映画づくりにそれを生かせず、無策のまま凋落の一途を傍観してしまったことが、日本映画の質にとって、より深刻な事態を招いてしまったのかもしれませんね。

しかし、その頃、大人たち(大人といっても、当時二十代前半くらいの近所のお兄さんとかお姉さんだったと思いますが)は、頻繁に子供たちを映画館に連れて行ってくれたものでした。

お兄さんとは東映時代劇、お姉さんとは日活無国籍活劇、家族とは東宝の宇宙戦争ものをよく観にいきました。ごくたまにですが、松竹映画も見に行った記憶が、晩年の小津監督作品の幾つかを記憶していることで確認できます。

その頃は、正直言って小津作品が他のホームドラマとどう違うのか、子供に判別できたわけはないのですが、劇中、軽石を削って呑み、オデコを小突くとオナラが出るというギャグが面白くて(その場面は、朝の通学路で末の子がデコピンの試みに失敗してオモラシしてしまい、お尻を押さえて急いで家に逆戻りするというほのぼのとした場面に笑い転げました)、この監督の子供を見つめる眼差しの確かさ優しさに子供心にも感心したものでした。

そんなふうにして上記4社の映画を週代わりで代わる代わる見に連れて行ってもらったのですが、いまにして思えば新東宝映画作品だけは誰も連れて行ってはくれなかったのだなあと気がつきます。

それはそうでしょう、豊満な肉体の、はちきれるような胸と腰に申し訳程度のわずかな布切れを纏い付かせているだけの、殆ど裸同然の海女が、仁王立ちして挑むような目でこちらを睨み付けているような、あの毒々しい色合いの扇情的なポスターを考えれば、子供連れではなかなか行きにくい映画だったと思います。

そこには、子供心にも決して近づいてはいけない「性の」タブーに触れる危険な大人の性の匂いを嗅ぎ取っていたと思います。

「新東宝映画」が、他の4社とは違う観点から(きっと、「いかがわしい」と感じたと思いますが)大人のために作られた、子供なんかが観てはいけない映画なのだと感じたのだと思います。

しかし、後年、新東宝映画を見るにつけ、そのとき感じた「他の4社とは違う観点」が、それほどでもないと感じたことは事実です。

「性」のモラルに対して、殊更に社会的な制約に挑戦するとか、タブーに挑むとかいった明確な観念に貫かれた意識的な作品などといったものをいままで見た記憶がありません。

むしろ、放埓な性の行為を露悪的扇情的に描いておいて、最後では「だから、こういうことをしてはいけないんだよねえ」みたいな、後出しジャンケン的に破綻させるエゲツナイ結末で括る作品(どちらかと言えば、こちらの方が不誠実なくらいに道徳的な映画かもしれません)が多かったように思います。

いままで見た日本の映画の多くが悪女を描く場合、「こんな女に誰がした」みたいな「社会の被害者面」したスタンスで描くことが多く、正直言って、そのミエミエの性善説が、長い間、僕には鬱陶しくて仕方ありませんでした。

芯からの悪女がこの世には一人もいないとでも言う積もりか、という苛立ちです。

周りを見回せば、男好きの根っからの性悪女=足手まといになればわが子を平然と捨てるか、あるいは捨てる勇気がなければ食事を与えずに餓死させるか、虫けらのように殴り殺してしまう女なら、現実の中にゴロゴロいるのに、です。

この新東宝作品「毒婦高橋お伝」も、きっと「こんな女に誰がした」の観念の中に必死になって括りこもうとしながら、この女の生きた「真実」に裏切られて随所で破綻を見せている映画です。

あたかも連れ添った男たちが根っからの悪党か、運命に翻弄されるだけの優柔不断な意気地のない男だったために、お伝は不本意ながら悪の道に引きずりこまれました、という虚構によって必死に囲い込もうとしているのに、結局は欲情に色づいた彼女の肉体が活き活きとはみ出して見えてしまっている映画かもしれません。どのように囲い込もうと、どのように取り繕うと、理由付けを拒んだ高橋お伝の肉体は、淫らに男に抱かれ、彼女の欲望に答えられずに邪魔になればさっさと殺してしまう女だったと思います。

「それが何故悪い」という観念を正当化する斬新な視点は、おそらくアーサー・ペンの「俺たちに明日はない」の登場を待つしかなかったのかもしれません。

(58新東宝)製作・大蔵貢、企画・津田勝二、監督・中川信夫、脚本・仲津勝義 中沢信、撮影・河崎喜久三、音楽・渡辺宙明、美術・黒沢治安、録音・沼田春雄、照明・折茂重男
出演・若杉嘉津子、松本朝夫、明智十三郎、丹波哲郎、中村彰、舟橋元、山田美奈子、宮田文子、沢井三郎、芝田新、大関啓子、水原爆、明日香実、宗方祐二、西一樹、天野照子、野中吉栄、国方伝
1958.02.25、74分 白黒製作8巻 2,026m
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-17 00:04 | 映画 | Comments(0)

ある詩集との邂逅

探し物をしていたら、処分するためにひと括りして、そのまま仕舞い忘れていた束の中から一冊の詩の本がでてきました。

もうすっかり忘れてしまっていた、かつて愛読していた詩集です。

奥付の発行日は、1968.4.1.

そのなかから好きだった一篇。


ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる。
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる。
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる。
もたれあうことをきらった反抗がたおれる。
ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている
ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす

だから ちいさなやさしい群れよ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら


詩人の名前ですか?

よしましょう。

ただ、自分が倒れたら、この世界へのひとつの直接性が失われるという矜持だけを生きる支えにして闘ってきた男、とでも言っておきましょうか?
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-12 00:37 | 映画 | Comments(1)
今日の夕刊で多々良純の訃報に接しました。

飄々とした渋い演技で僕たちを不思議なイメージの空間に連れて行ってくれた素晴らしい役者さんでした。

かつての映画界が、こういった素晴らしいバイプレイヤーたちの存在によって、計り知れない豊かさと厚みを持てたことを思えば、現在は美男美女ばかり掃いて棄てるほどいるのに、多々良純に匹敵するような渋みのある役者層を欠いているという致命的な寒々しさを感じてしまいます。

財産だったんですよね、戦後の日本映画界の。

代表作は、なんといっても「七人の侍」だったと思います。

野武士の襲撃から村を守るための侍を雇うという村の長老の発案で、町に侍探しに出てきた百姓たちが泊っている安宿に同宿している顔中髭だらけの人足の役でした。

侍探しに疲れ果てた百姓たちの苦衷を見かね、助力に消極的になっている勘兵衛に、コワゴワ百姓たちの苦しさを懸命に訴える素晴らしい場面が忘れられません。

         *        *

多々良純の人足「死んじまえ、死んじまえ。早いとこ首括っちまえよ。その方がよっぽど楽だぜ。」

勝四郎「下郎、口をつつしめ!」

人足「本当のこと言っただけじゃねえか。」

勝「貴様には、この百姓の苦衷が分からんのか。」

人足「笑わしちゃいけねえ。分かってねえのは、お前さんたちよ。わかってたら、助けてやったらいいじゃねえか。おい、侍。これを見てくれ。こりゃ、お前さんたちの食い物だ。百姓は稗食って、侍には白い飯を食わせてるんだ。百姓にしては精一杯なんだ、これが!」 

「もう喚くな」と勘兵衛、飯椀を受け取り、「この飯、おろそかには食わぬぞ」


この人足の一言によって、それまでは必ずしも積極的ではなかった勘兵衛の気持ちが大きく揺らぎ、百姓たちを助けてやろうという気持ちに変わっていく重要な場面でした。

この場面は、百姓たちの落ち武者狩りの事実を知った侍たちが、百姓の狡猾さを思い知らされて怒った彼らに向かって、菊千代が百姓の悲惨を絶叫する場面と並び称される多々良純の一世一代の名演技だったと思います。

享年89歳。

長い間ご苦労様でした。素晴らしい演技をありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

さようなら、多々良純さん
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-10 23:12 | 映画 | Comments(0)

蝉しぐれ

この映画のテレビCMで繰り返し聞いていた文四郎の「忘れようと、忘れ果てようとしても、忘れられるものではございません」とか「それが出来なかったことを、生涯の悔いとしています」とか「あなたの御子が私の子で、私の子供があなたの御子であるような道はなかったのでしょうか」などという台詞が頭の中に渦巻いて、そのままの先入観でこの映画を観始めました。

確かに、この映画が描いているように、思いが叶わなかった初恋の人を忘れることができないまま、それをひとつの悔恨として引き摺りながら、身分社会の抑圧のなかで20年という歳月を生きなければならなかった男の話としても、確かに成立し得た物語だったかもしれません。

しかし、その未練・悔恨を強調することだけが、この物語を映画化するに際して最も適切な選択だったかどうかは、きわめて疑問です。

身分社会にがんじがらめにされ、身動き取れなくされた文四郎が、どうしてまた、家禄を失うかもしれない危険を冒してまで抜刀して反抗の挙にでたのか、そこのあたりをはっきりさせなければ、この映画を説得力のある明確な作品には「到底できるものではございません」。

多分「叶わなかった初恋の人への思い」は、大本から分岐したうちのひとつの動機にすぎず、決してすべてではなかったと思います。

お家騒動の内紛に巻き込まれて詰め腹を切らされた父親の、謀反人の子という汚名にも耐えて屈辱のなかで生きてきた文四郎です。

父親を切腹にまで追い込んだ反対勢力の当事者、いわば父親の仇といってもいい主席家老・里村左内から家禄再興を許されたとき、彼・文四郎にはその申し出を断ることもできたはずです。

「恐れ多いことでございますが」とかなんとか、父親の不忠を理由にしてその申し出を断ることは幾らでもできた、そして、そのようなシガラミに囚われることなく復讐の機会を密かに窺い、機が熟したとき一気に撃つ、復讐譚ならむしろその方が自然のような気がしていました。

しかし、文四郎は、恐れ入って主席家老の申し出を受け入れ、仰せ付けられた村の田畑の見回り役の仕事にも熱心に打ち込みます。

ここのところが僕にはどうしても違和感があって、すんなりとは納得できませんでした。

案の定、文四郎は家禄を復されたことの見返りを主席家老から求められ、主君の世継ぎカドワカシに加担するよう強いられ戸惑っています。

利発に描かれているはずの文四郎のこの無防備さが、いまひとつ僕には理解できませんでした。

父親を陰謀によって切腹にまで追い込んだしたたか者の家老です、もっと警戒心があってもよかったのではないかという思いがしてなりませんでした。

しかし、考えてみれば、この物語にあって文四郎は、彼を見舞う幾つかの事件に対しても悉く受身であることに気づかされます。

理不尽な理由で父親が切腹させられ、その亡骸をひとり運び帰るときも、ほのかに思いを寄せていた初恋の人と別れるときも、文四郎は自分の感情を抑え、ただなりゆきに身を任せているだけのように見えます。

たぶんそれは下級武士に相応しい分をわきまえた行いだったのだと思います。

それが武士道というモラルに適ったことならば、かつて彼が20年の間そうしてきたように、きっと彼はすべてに従順であろうとしたに違いない。

すべての苦渋を剣の道に打ち込むことによって武士道というモラルに生きることを見出し、人生の理不尽を彼なりに受け入れることができたのだと思います。

だから、文四郎は、大抵の苦痛なら耐えることができた、武士道というモラルに反しない限りは。

しかし、敵の手の者とはいえ、心ならずも多くの侍を斬らねばならなかった文四郎が家老の屋敷に乗り込んで里村左内を一喝する言葉は、かつて父を殺された私怨から発せられた逆上の言葉ではなく、侍のリーダーとしての家老の不適格をなじる冷静な言葉でした。

武士道に生きる者として有るまじき振る舞いを非難する怒りを抑えた冷静な言葉でした。

もし「気高さ」という言葉を使うのなら、恋心を告白する言葉よりも、人の道をはずした家老を諌めるこの場面の言葉を上げるべきかもしれません。

お福との別離のシーンのなかに、武士のモラルにそって生きることを貫き通した男の実像がどれほど描き込まれているのか、残念ながらこのラストシーンのすべてがこの映画の仕上がりを物語っていたと思わないわけにはいきません。

(05東宝)製作・俣木盾夫、監督脚本・黒土三男、原作・藤沢周平、音楽・岩代太郎、美術・櫻木晶、撮影・釘宮慎治、
出演・市川染五郎、木村佳乃、緒形拳、原田美枝子、今田耕司、ふかわりょう、石田卓也、佐津川愛美
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-09 21:57 | 映画 | Comments(0)

化粧師

プレゼンテーションなどで人前に出て話さなければならないとき、必ずあがってしまうような女性でも、メイクをバッチリ決めて臨めば、偉い人たちの前でも全然平気という話をよく聞きます。

「化粧師」を見ていて、ふとそんなことを思い出しました。

外面を綺麗にすることで、自分の容貌に対して持っていたコンプレックスから解放された女性たちが、もっと自由にのびのびと生きる力を得ることが出来る、化粧はそういう「癒し」の効果があるのだということを、この映画は、男の僕たちにも、分かりやすく、感動的に教えてくれたと思います。

しかし、確かにそれが化粧の一面的な効果ではあるにしても、すべてではないように思えてきました。

きっと、この映画が、化粧の意味の「すべて」を描き切っていたら、もっともっと観客を感動させることができたと思います。

少し前に、友人とお酒を飲んでいたときに、彼からこんな話を聞きました。

今年中学2年生になった彼の姪が、毎日鏡にじっと向かって、日夜、笑顔の表情づくりに励んでいるのだそうです。

彼の話からすると、女の子が「女」を意識し始めた最初の「仕事」が、笑顔づくりということらしいのです。

近親者に女性というものが皆無の自分には見当もつかないことですが、なかなか面白い話だなと思いながら聞いていました。

そういえば、妙齢の女性は、どの人も、とても魅力的で完成された笑顔を持っていて、自分が特別に好意を持たれているのではないかとつい思い込み、いつも魅了されてしまうあれなども、そうした特訓の成果を試されただけのことだったとすると・・・。

装う女性の舞台裏を知ってしまったみたいで、なんだか複雑な気持ちになりました。

あの笑顔が練習のタマモノで、そして、特に僕に対してだけの特別なものなどでは毛頭なく、誰にでも等しく向けられている「既製品の仮面のひとつ」でしかなかったのだとしたら、少しガッカリです。

最初は、結構女の子も大変なんだなあと素朴に感心しながら、彼の姪のその「笑顔づくり」の話を微笑ましく聞いていたのですが、どうもそれだけではないようですよね。

では、その「仮面」とはなんなのでしょうか。

他人を拒むためだけなら、仏頂面の仮面でも十分なはずなのに、それがなぜ「微笑みの仮面」でなければならないかというところにどうも問題がありそうですよね。

きっとそれは、境界線のこちら側に異性を寄せ付けないことと同時に、拒まないことをもまた意味しているに違いない。

一見矛盾した中途半端なこの立場は、実は「異性」に対する女性心理の微妙な距離感を象徴しているように思います。

女性にとって「お化粧する」ことや「微笑みの仮面」を身につけることは、きっと、誰をも受け入れるように見せて、しかし、誰をも拒むということなので、この「化粧師」という映画は、化粧する若い女性の心理のほんの片面しか描いていないということだと思いました。

それが具体的にどのくらいの差かというと、例えば、「異性との出会いに臆病になって婚期を逸してしまう」から「積極的に異性交渉を発展させすぎて、遂に性犯罪の犠牲者になってしまう」までの、その間のどれかに当て嵌まってしまう、そういう「差」かもしれません、極端な話。

さて、実は、この作品のなかで「ここんところ、いいな」と思う箇所がありました。

貧しくて学校も行けなかった文盲の下女(池脇千鶴が演じています)が、読み書きが出来るようになりたいと夜も寝ずに必死に勉強するエピソードです。

多分これは、最近の日本では、ついぞ見かけることがなくなったテーマかもしれません。

ただ、いまでも、時折東南アジアや、中近東の貧しい国々の映画には取り上げられる題材ですが、かつて日本でも戦前の映画にはこの題材は結構描かれていました。

豊かな現在ではちょっと考えられないことですが、貧しさから勉強することを阻まれた子供たちが、向学心に燃えてひとつひとつ知識を獲得していく過程を描くだけで素晴らしい映画になるに違いない、僕はアーサー・ペンの「奇跡の人」を思い出しながら、なんとなく考えていました。

(01東映)監督・田中光敏、製作総指揮・河端進、プロデューサー・藤田重樹、進藤淳一、原作・石ノ森章太郎、脚色・横田与志、撮影・浜田毅、音楽・大谷幸、音楽プロデューサー・石川光、選曲・坂上賢治、美術・西岡善信、編集・川島章正、衣装(デザイン)・木田文雄、山崎正美、録音・武進、スクリプター・松澤一美、スチール・中山健司、入江信隆、音響効果・柴崎憲治、北田雅也、伊藤瑞樹、助監督・猪腰弘之、照明・渡邊孝一
(出演)椎名桔平、菅野美穂、池脇千鶴、いしだあゆみ、田中邦衛、佐野史郎、柴田理恵、柴咲コウ、大杉漣、 菅井きん、岩城滉一、岸本加世子、小林幸子、あき竹城、秋山拓也、仁科貴、奥貫薫、酒井若菜、平泉成、井上博一、谷口高史、minoru ミノル、北見唯一、内田チエ、泉裕介、松尾勝人、宮田圭子、坂下百合子、勇家寛子、池田真紀、山本奈々、梅林亮太、森田直幸、宮崎信哉、平井景子、岡村亜紀、結城集、三浦優、下元明子、岩井大、中森健、亀谷浩未、堀江麻衣、五十嵐愛生、藤原千咲、木島由利香、松永智、若林遼馬、青木雅大、北方哲太
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-08 21:04 | 映画 | Comments(1)

「夢」の第5話「鴉」

橋本忍は、試写会で黒澤明の「夢」を観たあと、こんな感想を書いています。

自分がプロデューサーなら、黒澤さんに、こんなふうに申し出る。

「第3話の『雪あらし』と、第6話の『赤富士』、ついでに第7話の『鬼哭』をカットしてくれ。いや、そこまで切ると、映画としては短くなりすぎるから、『雪あらし』だけでいい。とりあえず、第3話の『雪あらし』を切ってくれ。」

橋本忍のこの素直な感想には、僕は少なからず驚きました。

違和を感じた部分の違いとか、それをカットしたほうがいいなどと考えるかどうかはともかく、それを黒澤監督に申し入れようなどと思い立つ発想そのものが、さすが「羅生門」・「生きる」・「七人の侍」の脚本を共に練り上げた間柄だったからこそ、有り得たことなのだろうなと思う一方で、それ以後、黒澤明の作品に徐々に距離を取った橋本忍にとって、その「申し出」など、決して有り得なかったことだということも、痛いほど分かるような気がします。

野村芳太郎に、黒澤明を芸術づかせたのはあんたのせいだ、と云われたその裏には、そんなもの(社会性や政治性)を帯びてしまったために、黒澤明が本来持っていたダイナミックで縦横無尽な演出力が、へんな形に変質させられた結果、行き着いた場所が、ただ堅苦しいばかりの「芸術」だったのかという自責の念があったからかもしれません。

黒澤を芸術づかせて駄目にしてしまった責任の一端が自分にもあるという思いがあるなら、「第3話の『雪あらし』を切ってくれ。」は、少し違うのではないかと思いました。

まず上げるとすれば、「第6話の『赤富士』、ついでに第7話の『鬼哭』をカットしてくれ。」でなければならないような気がしていたのでした。

第1話「日照り雨」、第2話「桃畑」、第5話「鴉」、第8話「水車のある村」を撮った監督が、第6話の「赤富士」と第7話の「鬼哭」の陰惨きわまる絶望的な暗さを湛えた映像を撮った監督と同一人物とはちょっと考えられないほどの落差を感じます。

そのことが、ずっと気になっていたとき、橋本忍の「複眼の映像」のなかで、第5話「鴉」について書かれたこんな部分を見つけました。

シナリオで読んだとき、半ペラ39、38枚ほどの短いものだが、私はこの第5話「鴉」が一番好きだった。

素敵なのに、なんかひどく悲しい話である。

だが、映像化されると、絵である跳ね橋の上の幌馬車や、洗濯している女の人たちが動き出したり、動く人が絵の中入ったりし、「あッ、あッ」と息を呑む楽しさで画面にのめり込んでしまう。

だが、話自体はとんでもなく悲しいのだ。

画家のゴッホが顔に包帯をしているので、若い黒澤さんが聞いてみる。

「大丈夫ですか、お怪我をなさっているようですが」

「ああ、これか・・・昨日、自画像を描いていたんだが、耳がうまく描けない・・・だから耳を切って捨てた」

そして、橋本忍は、こんなふうに書いています。

「こんなに悲しい話がこの世にあるだろうか」

耳がうまく描けないから、耳を切って捨てた。

橋本忍が、黒澤明らしくない目を覆うばかりの無残な出来と考えていた「影武者」や「乱」の本質が、はじめて「見えてきた」と感じる部分です。

もう「羅生門」を撮り、「生きる」を撮り、「七人の侍」を撮った黒澤明ではないとしても、耳がうまく描けないなら耳を切って捨て、孤立と孤独を恐れずに老残の身をなおも煽り立てて、うまく描けなければ、なにもかも、自らの命をも切り刻んで捨てながら、極限の場所で映画を撮ろうとしていた黒澤明の姿をはじめて見い出したのではないかという気がします。

橋本忍は、この本の最後をこんな言葉で結んでいます。

「リーダーの黒澤さんにお願いします。みんなに「橋本ももうすぐ来る」といい、私が胡坐を組んでどっかり座り込む場所をひとつだけ空けておいて下さい。」
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-05 23:23 | 映画 | Comments(9)

「東京ローズ」を探せ

戦時下、米兵に向けて放送されていた、いわゆる謀略放送のアナウンサー・「東京ローズ」(日系二世のアイバ・戸栗・ダキノさん)が、2006年9月26日にシカゴで死去したと報ぜられました。

享年90歳だったそうです。

「東京ローズ」とは、戦時中、米国兵士向けに英語で日本の宣伝を語りかけ、兵士の戦意を喪失させる目的で放送されたラジオのプロバガンダ放送のアナウンサーを指しています。

戦争中、親戚の病気見舞いのためにアメリカから来日した日系二世アイバ・戸栗・ダキノさんが、突然の日米開戦によって日本に足止めされ、生活するために仕方なく従事した日本の対米向けプロパガンダ放送の仕事が、戦後、軍・FBI・司法省から国家反逆罪に問われ、有期刑の有罪判決を受けて服役したという事件で、現在では、それが、アメリカの有色人種に対する差別、とりわけ日系二世を巻き込んだ日本人に対する不当な生贄的な弾圧の犠牲と認められている事件です。

ジョン・スタージェス監督の名作「日本人の勲章」に象徴的に描かれていた「ジャップを皆殺しにしてしまえ」という当時全米を支配していた殺意にまで高まった憎悪=反日感情が、この事件の底にも明確に蠢いていて、彼女に課せられた国家反逆の罪が、本当はジャップに対する「密かなリンチ」と同質のものにすぎないことを理解しておかないと、なぜ「東京ローズ」が、特定の一人でなければならなかったのか(このプロパガンダ放送に従事していた女性アナウンサーは複数いたのに、です)、とりわけ「東京ローズ」が、なぜ日系二世でなければならなかったのか、など解せない部分がでてくるかもしれません。

彼女の国家に対する反逆の罪を証明するために為された数々の証言(法廷記録には、日系人同士の醜い罪の擦り付け合いが残されていますが、この謀略放送に従事していたはずの白人の気配は悉く、そして巧妙に消し去られています)の幾つかが偽証と判明しても、なお強引に彼女に下された有罪判決の本当の意味が、人種差別というアメリカの病根に根ざしたものであること、日系人の中にも更に差別・被差別で支配されている階層があって、最も弱い立場にあったアイバ・戸栗・ダキノさんが、その犠牲者にされてしまったことが既に明確であるのに、政府や軍、そして魔女狩りに奔走して「生贄」をでっち上げたマスコミ等は、彼女に対して謝罪のひと言も為されないまま(フォード大統領の退任の日に発令された特赦によって、市民権を回復したアイバ・戸栗・ダキノさんが、当時残したコメント「これを無実の証しと受け取っている」は、「有罪」はそのまま、単に罪を許されたというだけの強権的行政措置にすぎなかったことを示しています)、90歳で彼女が死を迎えるまで、この案件は国家の威信を掛けて「保留」されていたのだと思います。

彼女・アイバ・戸栗・ダキノさんは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒業後、アメリカから日本の叔母の病気見舞いのために母の名代として来日・滞在中に、日本とアメリカが突然戦争状態に突入したために、帰国できなくなってしまいます。

戦争が始まってしまったことで、帰るに帰れなくなった彼女は、当局の監視下で自活の道を探します。

生活は逼迫し、それでなくとも女性の仕事の乏しい戦時下の1942年、やっと英語を活用できる通信局・同盟通信社(共同通信社の前身)の仕事に有り付きます。

そして、やがてNHK海外放送「ラジオ・トウキョウ」のラジオ番組「ゼロ・アワー」を米兵捕虜らとともに担当します。

ジャズやポップスとおしゃべり、宣伝を織り交ぜた番組は、ラジオを聴く米兵に厭戦気分や望郷の念を抱かせることが主たる目的ですが、しかし、若き連合国軍兵士たちは、これら女性アナウンサーを「東京ローズ」と呼んで親しんだといわれています。

それだけに、戦後、米国人記者らが「東京ローズ」探しに熱中したロマンチックな当初の理由が、徐々に国家反逆罪の生贄と変質していく残酷さに、戦争の恐ろしさを感じないではいられません。

連合軍兵士にセクシーな声で「厭戦気分」を起こさせることを目的として呼びかけるアナウンサーであることが、そのまま利敵行為に奉仕する象徴的なアジテーターとして彼女に国家に対する反逆の運命を一身に担わせてしまうことに繋がっていきます。

この仕事をすることによって、のちに彼女が、アメリカ本国から国家反逆罪に問われるわけですが、逆に彼女の母国への忠誠心を証かすエピソードもあります。

日米開戦後、彼女は特高警察から日本国籍取得を強要されますが、米国の市民権を手放さず、むしろ抑留を望んだといわれています。

米軍兵士たちが日本の謀略放送「ゼロ・アワー」の女性アナウンサーを呼んでいた愛称「東京ローズ」とは、そこで働いていた幾人かの女性アナウンサーの総称なのであって、アイバ・戸栗・ダキノさん一人を意味するものでなかったことは、当時にあっても、おそらくアメリカ当局は把握していたと思います。

しかし、白人の国家反逆者・裏切り者が出てしまっては時局柄大変まずかったのだと思われます。

国家の反逆者は、無謀な戦争を起こした極東の島国・黄色い肌をした純正な日本人の血を引く日系二世こそが最も相応しいと考えたとしても、それは無理からぬことだったかもしれません。

戦後になって日米のマスコミが「東京ローズ」探し=魔女狩りに狂奔した結果、その餌食にされて、アイバ・戸栗・ダキノさんがすべての罪を一人背負わされたというのが、現在の共通した認識と聞いています。

終戦直後、その対反米放送活動が戦犯容疑に問われて占領軍に逮捕され、一時巣鴨プリズンに収監されましたが、証拠不十分で一度釈放された1948年6月アメリカ帰国後に再逮捕され、1949年9月サンフランシスコ連邦裁判所で国家反逆罪により禁固10年、罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪の有罪となって服役します。

そして、1954年に仮釈放、1956年1月27日釈放されて、米国外追放となるところを、全米日系市民協会やハワイ州知事、およびカリフォルニアの両院などで特赦を要求する運動が起こって、1977年1月フォード大統領はその退任の日に特赦を発令し、アイバ・戸栗・ダキノさんはようやく市民権を取り返しました。

つまり、アイバ・戸栗さんが特赦で自由の身になるまでに30年以上を要したことになりますよね。

そして、特赦を受ける際に「無実の証しと受け取っている」と語ったそうです。

しかし、実のところ、一応名誉は回復されたものの、まだ米国籍は剥奪されたままなので、日本国籍もない彼女は無国籍でした。

同じケースで、ナチスドイツの謀略放送に荷担したドイツ系アメリカ人もまた裁判にかけられましたが、ほんの短い期間服役しただけで釈放されています。

考えられるその理由は、実に簡単なことです。

東洋の有色人種に真珠湾を完膚なきまでに痛撃された白人の人種的偏見に基づく屈辱を晴らすための報復以外には考えられません。

この「東京ローズ」の話には興味があって一時期調べたことがありました。

しかし、調べれば調べるほど、この日系二世の女性が戦争直後という過酷な時代の、反日感情の犠牲者だったことを痛感しただけでした。

当時アメリカにあっても多くの戦死者を出した生々しい痛みの記憶が依然としてあって、日本に対する報復的な感情がアメリカ世論の根強い反日感情を支え、そうした風潮に抗しきれなかったFBIと軍=政府が、日本人の「顔」を持った女性を格好の生贄とした、いわば1949年という時代の犠牲者だったという当時僕の持った認識が、そのまま現在のアメリカの世論でもあり、少なくとも国家反逆罪を課した措置を疑問視する声が大勢であることをTIMES ONLINE AND AGENCIESは、「1977年にジェラルド・フォード大統領によって特赦された」という例を引いて報じていました。

まあ、名誉回復とまではいかないにしても、国家反逆罪を疑問視する世論が支配的だということは、そのとおりだと思います。

しかし、彼女の仕事が本当に国家反逆罪なのか、を検証されることなく、タブー視されたまま、国家権力はひたすら彼女の死を待っていたような気がします。

裁判においてダキノさんを有罪にできる唯一の根拠となった「太平洋のみなしごさんたち。船が沈んだのにどうやって帰るの?」という放送も実は偽証の産物であることが暴かれたと聞いたことがありました。

偽証と人種的偏見によって滅茶苦茶にされた彼女の90年の人生を考えるとき、その痛ましさに慄然とする思いがしました。

僕の疑問は、東京ローズと呼ばれた人が、ほかに何人もいたらしいのに、頑なに口を閉ざしてひとり罪を被った理由を知りたいと思いました。

仕掛けられた罠に落ちたのか、それとも他に彼女が守ろうとしたものがあったのか、つい推理したくなってしまいました。

戦場で、つねに死と直面しなければならない兵士たちにとって、その恐怖が生み出す緊張や不安を紛らわしてくれる「なにか」に熱中することが必要とされるのかもしれません。

それが「薬物」であるかもしれないし、「女」であるかもしれないし、非戦闘員の「虐殺」であるかもしれません。

「地獄の黙示録」は、恐怖から逃避できるはずのそれら「熱中」が、逆に恐怖心に相乗された肥大した妄想によって、まったく別なものに変質してしまうと描いていました。

恐怖が作り出したモンスターに誰かがならなければならないこと、それがただひとりである必要があることを、誰よりもダキノさん自身が分かっていたのでしょうか。

マスコミが「東京ローズ」探し=魔女狩りをした際に、真っ先に手を上げたのが彼女だったというのを聞いたことがありました。

とにかく彼女がアメリカの歴史上、国家反逆罪の有罪判決を下された7人目の人物として記憶されることには変わりありません。

30年近く市民権を剥奪された日系二世アイバ・戸栗・ダキノさんの老衰死が報じられた同じ時、フランク・ダラボンの監督で「東京ローズ」が映画化される記事も同時に報じられていたので、そのあまりのタイミングのよさに少し驚いてしまいました。

来年に入って製作を開始するので、脚本はほどなく完成の運びというところまできているそうです。

なにしろフランク・ダラボンといえば、名作「ショーシャンクの空に」や珠玉の輝きを放つ「グリーンマイル」を演出した卓越した監督なのですから、期待するなという方が無理な話ですよね。
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-01 19:21 | 映画 | Comments(146)

全身小説家

ドキユメンタリー映画の魅力は、目的の対象をじわじわと追い込んでいく映像作家の執拗な粘りと編集のダイナミズムを味わうこと以上に、おそらく、じっと「見つめ続ける」行為によって、対象それ自身の内部から「本質」が、まるで膿のように溶け出してきて、まるごと明らかにされ白日の下に曝け出されてしまうような残酷な過程を、僕たちが目の当たりにできるからでしょう。

しかし、かつてそこには「見つめ続ける」ための前提として幾つかのルールが、例えばひとつには、撮る側は、対象に対して決して作為をもって、あるいは悪意をもって働き掛けないというような暗黙の了解が求められていたかもしれません。

羽仁進監督の「教室の子供たち」など、撮る対象に対する限りない善意を持ちながら、あくまでもその対象に過剰な感情移入を出来る限り抑えることを自らに課したジャーナリスティックな姿勢(スタンス)をきちんと守ることを忘れなかった代表的な作品だったと思います。

そしてきっと、そういう姿勢があったからこそ、あのような日常の子供たちをあるがままの姿で活き活きと活写することのできた傑出した羽仁進作品が成立し得たのだと思うし、また僕たちに限りない衝撃を、深い感動と同じ意味において与えてくれたのだと思います。

しかし、そうした客観的・第三者的な立場とともに、冷静さと公平さをもって「見つめ続ける」という善意の姿勢というものが映像作家にとって本当はどういうことなのか、原一男は、あの「極私的エロス・恋歌1974」や「ゆきゆきて、神軍」によって僕たちに厳しく問い掛けてきたのでした。

原一男は、躊躇なく対象者に踏み込んでいきます。

時には衝突し、時には対象者を故意に煽り、あえて作り出した緊迫した状況の中で、そこにある「現実」を、むりやり自分の側へ捻じ向けようとさえします。

その過程で、もしかしたら「人権蹂躙」とか「軽犯罪」とかという概念のすれすれのところまで対象に迫り、迫ることによって自分自身も窮地に追い込まれることさえ厭わないという、原一男の執念と迫力に僕たちは撃たれ、また圧倒されもしたのでした。

この「全身小説家」は、前2作「極私的エロス・恋歌1974」や「ゆきゆきて、神軍」に較べると、当初その語り口は随分とソフトな印象を受けるかもしれませんが、しかし、畳み掛ける後半部分の辛辣さは、前2作の比ではないどころか、はるかに凌ぐ厳しさ残酷さを感じました。

小説好きの読者ならきっと誰でもがそうだと思いますが、いつの間にか作家に対して独特の幻想を抱いてしまうものです。

ここに描かれている井上光晴を囲む文学伝習所の女性たちに、もしそうした「文学に対する憧れ」という幻想性を付加できなければ、あの、女とみれば相手構わず性交を誘っていたとされる井上光晴の、その求めに嬉々として応じていた伝習所の彼女たちの姿は、何とも不気味でグロテスクな色情狂以外の何者でもないかもしれません。

埴谷雄高の「三割バッター」の話を語る後で、伝習所で熱っぽく語る井上光晴の姿をとらえた映像のモンタージュを絵解きすれば、明らかに熱っぽい弁舌の底意にあるものは、目の端でなびきそうな女を窺い淫猥に品定めしながら、少しでもその「きざし」があれば、とにかくモノにするために、思いつく限りのあらゆる口説き文句を吐き続ける厚顔無恥なスケコマシ程度の人間にしか描かれていません。

「文学に対する憧れ」に囚われ、そうした幻想から自由ではない読書人(残念ながら僕自身のことなのですが)にとって、戦後の文学史に濃密な場所を占めてきた傑出した作家のこうした虚の部分を、容赦なく暴き立てる原の視点は、途轍もない衝撃でした。

同時代的に井上の作品を読んできて、それぞれの作品にそれなりの感慨を抱いてきた者にとって、こういう描かれ方をされてしまうということは、その時代を生きてきた僕自身のある重要な時間を全否定されてしまったようなショックでもありました。

原一男の、この渾身のドキュメンタリー作品が傑出して優れているだけに、です。

しかし、ひとつ気になったことは、この原一男作品を見た若い世代が、この作品を「そのまんま」受け取ることによって井上光晴をアタマから冷笑し揶揄するだけの感想に接し、もし彼らが井上光晴作品を1作も読むことなく、こうした裏話を仕込まれてしまったのなら、それはある意味ひとつの不幸なのかもしれないなと思ったことでした。

どんな人物であれ、その小説が優れていれば、その小説に感動することに何の障碍もないという気もします、問題行動を起こしながら優れた作品を残した小説家を「問題行動」ゆえに全否定できるのか、逆の意味で、僕たちがかつて愛した「書かれざる一章」、「双頭の鷲」、「虚構のクレーン」、「完全なる堕落」、「死者の時」、「地の群れ」、「他国の死」、「心優しきテロリストたち」などにもう一度立ち戻っていくしかないのかも知れません。

しかし、ただひとこと、弁解じみたことを言わせて貰えば、作家には、本当のことを言いたがらない「衒い」というものもあります。

全部を肯定できないなら、全部を否定することも、あるいは間違っているかも知れません。

大時代な精神分析みたいで少し恥ずかしいのですが、井上光晴の虚言癖の根は、きっと過酷な少年時代に経験した両親に対する深い失望が「恥」となって、癒されないまま彼の中で「嘘」という否定の形(隠し、そして事実を捻じ曲げるという行為)で現れたのではないかと考えています。

満州で行方不明になっていた筈の父親は、実際には同居していて陶器の絵付けをする陶工でした。

映画の中に映し出されたお猪口の底に描かれた父親の作品というのは、女が獣とマグワウ春画まがいの絵でした。

少年が春画を描く父親を恥じ、そして父を否定したとしても、それは無理からぬことだったかもしれません。

子を捨てて再婚した母親を婚家先に訪ねていって、冷ややかに追い返された屈辱と失望を、それが耐え難いものであればあるほど、綺麗な記憶に摩り替えようとした事もまた、無理からぬことだったかもしれないのです。

それらの嘘には、他人を欺くというよりも、むしろ「こうあって欲しかった」と願う、過酷な境遇の中で必死に生きようともがいた孤独な井上光晴少年が抱いたであろう絶望的なささやかな望みだったと見ようとするのは、多分僕が甘すぎるからかもしれませんね。

ドキュメンタリー「全身小説家」に対する僕の素朴な疑問、つまり、作家・井上光晴を描くのに、彼がどのような経歴詐称を行い、あるいは女あさりにふけるような破滅的な人格であったとしても、だからといって、それだけで、彼の過去に残した数々の小説の実績まで、よみがえって否定することができるのか、そもそも小説が、それを書いた作家の人格がただ醜悪だからというだけで、既にそれなりの評価を得て文学史上に残された小説に果たして影響するものだろうか、すっかり混乱してしまった僕は、友人にそれとなく訊いてみました。

「原一男の『全身小説家』ってあるだろ、井上光晴の。あれってさ、どう思う?」

僕の質問の趣旨は、こうです。

あのドキュメンタリーでは、井上光晴についての予備知識のないヤツがみたら、彼が残した既に評価が定着している作品までも「超」いい加減な印象を受けてしまうんじゃないか。

いままでだって、品行方正の作家の方がむしろ少ない位だったんだから、ただそれだけの理由で、その辺を拡大解釈し人格的に問題があるからといって、その作家の作品が最初からまるで劣っていたものであったかのような印象を与えてしまうそういう姿勢っていうのは、ちょっとおかしいんじゃないのか。

逆に、作品の評価によって作家の価値や評価を浮かび上がらせていくほうがドキュメンタリーとしてはむしろ本道なんじゃないのか、みたいな感じです。

「女あさりは、いいんだ」

友人が言います。

「問題は、経歴詐称。お前が言う両親を恥じて嘘の生い立ちを創作したっていう説明だけじゃ、まだまだ理解できないことが井上光晴にはたくさんあった。むしろあの原一男のドキュメンタリーは、井上光晴が数十年にわたる日本文学史に記された彼の実績の名誉を守るために、十分に踏み込めない部分があって、「わが秘密の生涯」だけじゃない、もっと人間の本質にかかわるヤバイものを感じさせてしまうその辺の含みをもたせた中断なんだ。」

このドキュメンタリー映画の感動の質を一言で言い表すとすれば、「後味の悪さ」や、時には嫌悪をさえ伴う映像の数々が描き出す総体としての衝撃を、例えばそれを「感動」というには、僕たちがこれまで経験してきた種類の「感動」とは、あまりにも異質な「衝撃」だったからでしょうか。

その「後味の悪さ」の中身とは、あくまでも嘘をつき通し続けて死んでいった井上光晴という作家の徹底した不可解さ、さらには何ひとつ本質的なことは分らないままに僕たちは「彼」に翻弄され続けたすえ、その中途半端な状態をそのままそっくり受け入れざるを得ない「フラストレーション」と呼ぶしかないような種類の感動を原一男に「強いられた」からだと思います。

原一男という映像作家の、素手で殴り倒すような荒々しく力強い「演出」に、されるがままになることの、いわば強姦される側の快感と同質の映像体験とでもいえば、そうした倒錯した感情の感動を少しは説明できたことになるかもしれません。

虚構を描く「普通」の映画なら、主人公の不可解さは、ラストでそれなりの結論を得て、ともかく最後には「すっきり」と整理された感情を得ることができるのでしょうが、この「フラストレーション」を、例えばドキュメンタリー映画と虚構を描く物語映画のアリカタそれ自体の違いと簡単に結論付けてしまうには、僕たちを躊躇させるに十分な井上光晴という強烈な個性がそこには立ちはだかっています。

井上光晴が残していったおびただしい「嘘」が何故だったのかという疑問だけは何も解明されないまま、自分の「あるがままの生涯」を、まったく別のナニモノかにしようとしていたらしいことだけは何となく分りかけてきました。

きっと、彼の「小説」もそれらの作為の一線上でなされた行為だったのでしょう。

映画の中で埴谷雄高が語っている「適職としての小説家」の意味がまさにそこにあったのだと思います。

井上光晴にとって小説を書くということは、特別な意味など何ひとつなかった。

彼は「生涯」を創作したように、「小説」もまた創作したにすぎなかったのだと思います。

この映画において井上光晴の夥しい嘘を解明していく過程から浮かび上がってくるものは、愚劣なこの世に生き続けることの彼の根深い嫌悪と、そして、この世界のありとあらゆるものに対する彼の「否定」です。

つきつめてしまえば結局は捉えどころのない不確かな自分の人生そのものに嫌気がさし、やけっぱちになり、なげやりになり、すべてのものを軽蔑し、すべてのものを欺き、なにひとつ本心を悟られないような嘘をつき続けました。

しかし、その虚構としての人生の最後に得たたったひとつ確かなものとして「癌とその進行」があったのだと思います。

奇しくも、このドキュメンタリーは、井上光晴の嘘を暴き立てることによって、彼が癌の進行という「真実」に裏切られていく優れて稀有なドキュメンタリーになったのだと思います。

闇の世界に厚い視線を投げ掛け、やがてその真っ黒な情動に突き動かされて僕たちの視野から突然姿を消していく自殺願望者や殺人者などの自己破壊の破滅的な衝動の不可解さを井上光晴もまた持っていて、死んで始めて彼が闇の感情を抱え持ったまま猶予の時間を生きていことに気がつかされるそういう人だったのかもしれません。

なんとなく、ルイ・マルの「鬼火」1963のことを考えてしまいました。

この作品がもし、社会派作家・井上光晴の経歴詐称に対して「公人」としての社会的責任を糾弾するとか告発するとかというスタンスで撮られたドキュメンタリーだったら、僕たちの感性をこれ程の至近距離から直撃するような打撃を与えたかどうか。

原一男にとって、対象者「井上光晴」への射程距離が、「極私的エロス・恋歌1974」を撮った時の武田美由紀とか、「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三までの距離と、それ程のへだたりがあるとも思えません。

そもそも原一男にとってのドキュメンタリーを撮ることの発想の根は、「公人」という社会に向けられた仮面に対してなどではなく、その裏に隠された個人的なものの極限にこそ真実が隠されているのだと見ているからでしょう。

そこに隠された「真実」は、きっと個人史の「恥ずかしい場所」にあって、理性の抵抗が伴うその手法は当然に「暴く」という姿勢になったのだろうと思います。

「恥ずかしい記憶」を虚偽に置き換えてひそかに隠そうとする取り繕いの態度は、それ自体人間の弱さをもまた自ずから露呈してしまうからでしょう。

正義とか強さを強調することによって公的な立場を保とうとすることで、どうしても隠されねばならない自分の「恥ずかしい部分」を虚偽に置き換える弱々しさのなかにこそ、人間の真実の姿がある、という原一男の思いが、図らずも「暴く」とか「晒す」という姿勢に繋がっていくことは、あるいは当然の帰結かもしれませんが、原がその暴露的行為を為すことで、たとえ社会の秩序が一部破壊され、そして混乱をきたすとしても、それがしっかりと原一男の計算のなかにあることは、例えばあの「さよならCP」1972おいて既に実践されています。

原一男は、車椅子を放棄した障害者・横田弘をマチナカに解き放ち、公衆の眼にあえて晒すことによって、健常者たちが暗黙のうちに形成してきたココチヨイ市民社会の共同幻想の歪んだ暗部にその鮮烈な映像を照射し、ひとつのテロルのごとき痛撃を与えました。

思えば「極私的」な視点をつきつめることが、そのまま「取り繕った社会の嘘」を痛撃することの出来る武器になるという思想から出発した原一男のベクトルは、横田弘を突き通し、武田美由紀を突き通し、奥崎謙三を突き通し、井上光晴を突き通して、果たしてどこに向かおうとしているのか分りませんが、いつの日にかきっとさらに極私的な場所へ立ち帰ってご母堂を撮ることになるかもしれませんね。

むかし子供の頃、叱られたときの言い訳に「誰それが、そう言ったから、そうした。」と言い繕うと、「じゃあ、そいつが死ねと言ったら、お前は死ぬのか。」みたいによく大人に返されたものです。

それは、ただ素直でいることで褒められるという年齢にも限界がであって、そういう年齢に差し掛かっている子供にとって、自分がいつまでも子供のままではいられない、自分がいよいよ大人になることを否応なく強いられるという年齢にあることを知らされる痛烈な一言だったと思います。

このドキュメンタリー映画を見ていて、ふとその言葉を思い浮かべました。

井上光晴という人が、他人が聞きたいと思っているとおりの「もの」や「こと」を先回りして本当らしく創り上げたサービス精神の旺盛な人だったというコメントがこの映画の中で随所に繰り返されます。

その視点から言えば、例えば、旅順出生のこと、満州で行方不明になったという父親のこと、進学できなかった中学のこと、娼妓となった初恋の少女との失恋の話、そして戦後初の除名された共産党員だったという話など、あの幾多の眉唾ものの経歴詐称をそうした井上光晴の特異性と考え合わせるなら、あるいはまた別の井上光晴像が浮かび上がってくるかもしれないのです。

いままである程度の量のこの映画に関する感想を読んできたのですが、そのほとんどが、彼の企んだ嘘八百を頭から問題外とする論評でした。

ハナから嘘だと分っていることを誰がマトモに取り合うかというのが、そこに見られる一貫した批評の姿勢で、それは至極もっともなことだと思います。

しかし、見逃してはならないのは、井上光晴は、人が話して欲しい話をデッチ上げてでも喜ばせる、感動させる、そのために、嘘のディテールの細部にわたり細心の洗練をほどこし、練りに練り上げて虚構を真実に劣らないものに仕上げようとした異常な情熱だけは、しっかりと「あった」のだと思います。

それこそが、「人が死ねと言ったら、死ぬのか」という精神だったような気がするのです。

そこには、もはや自分というものがない。

やぶれかぶれの自棄の中で「自分」など、とっくの昔に放棄してしまっているとしか思えない空虚を生きる井上光晴という人は、生きていくために必要な「何か」を若くして既に失ってしまい、抜け殻のような仮の人生を生きてきたことで、だからなおさら虚構のディテールを執拗に飾る必要があったのであり、あんなにも虚構への情熱を傾けることが出来たのかもしれないのです。

僕が、井上光晴のその虚構を形作る力強い技術力に、かつて感動したということを、時間を甦って否定出来るはずもありません。

たとえ虚偽を飾った彼の行為のすべてを否定しても、しかしそれに傾けた「情熱」を否定するまではできないだろうと思っています。

それは、突き詰めていえば、いままで真実だと思い込んでいたことが「嘘」だと知り、そして憤る以前に、過去においてディテールの完成度を堪能したり見事な仕上がりに感動した経験を持った自分自身だけは否定するわけにはいかない、むしろ、たとえそれらが嘘であっても一向に構わないと思い始めている自分を感じているからでしょうか。

この映画の企画に対して、既に「ゆきゆきて、神軍」を見ていた井上光晴が、この映画をどのように撮るかという原監督との話し合いの際に「自分は、奥崎謙三じゃない。」と一本クギを刺したという話を、いろいろなところで読んだ記憶があります。

それは、原一男の既成のフィクションをひとつひとつ突き崩していくあのようなドキュメンタリーの撮り方には承服できないという井上光晴の姿勢を示していたのだろうと思いますが、「あの」という言葉が示している概念は、つまり、被写体の奥崎謙三自身の、犯罪者になることも最初からいとわないような暴力を伴った破滅的なパフォーマンスに満ちた自己顕示と、それを過激に煽る原監督の「演出」を容認する、そのような製作姿勢(イニシアチブの在り様)のことをいっていたのだと思います。

井上光晴は、当初このドキュメンタリーを撮り進めるに当たって自らシナリオを書いて、それを演じてもいいことを提案したということもあったようです。

ドキュメンタリーといえども所詮「やらせ」でしかないのなら、むしろそういう自分を積極的に「演ずる」ことで、演出側のどのような破天荒で破廉恥な要求も「演ずる」というフィルターで守られた行為(というタテマエ)によって自己表現しようとしたのでしょうか。

いまから思えば、それは、真実の露呈を恐れての「演技」ではなく、井上光晴という人はそういういき方でしか自分の「真実」を語ることができなかったんだなあという気がします。

しかし、パフォーマンスという意味でなら、奥崎謙三と井上光晴の違いに、それ程の差があるとも思えません。

誰でもがきっとそうなのだと思いますが、自分を表現しようというとき、ストレートに自分の弱味や醜さや恥ずかしい破廉恥な部分を生の言葉で言ってしまうことが、いかに他人に理解されにくいものか、優れた表現者であればあるほど「知っている」のではないかという気がするのです。

だから、彼らは自分の気持ちの深い部分に蟠るものをナニモノカに託す、演技であっても暴力であっても嘘であってもいい、それが彼らの「真実」にたどり着くための手段であり道具であり観念なのであって、そして、それをまた十分に認識していた原一男監督は、例えば、奥崎謙三の「自分は、この一連の告発と追及の過程で、人殺しをするかもしれないが、その場面もしっかりと撮影して欲しい」という提案に、狂気に囚われた既に常人でない奥崎の言動にたじろぎながらも、眼前に展開するかもしれない殺人の瞬間を躊躇なく撮るかもしれないドュメンタリストとしての自分を感じたという所感のなかには、原監督もまた井上や奥崎と同質の、破滅覚悟で真実の核心を突こうという表現者の姿勢を感じます。

僕にとって「極私的エロス・恋歌1974」は、その頃の「時代」の雰囲気を鮮明に甦らせてくれる衝撃的なドキュメンタリーでした。

あの映画に登場した武田美由紀という女性は、夫婦という人間関係の虚構を否定し、「女」であると決めつける社会的な「性」を歴史的に捉え、そして拒絶することによって自己主張しようとしたウーマン・リブ運動の影響下で生きようとした女性です。

以前の恋人とSEXしてくると夫に宣言して家を出て行く場面とか、ひとりで出産するところを撮影させたりする場面は、単に人間宣言という以上の「自立する女」としての過激な自己主張でした。

ただ、それらの場面は、過激であっても衝撃的ではありません。

それはきっと本質的なものをはずしたあの運動の意外に早かった退潮が恕実に示しているでしょう。

愛によって隷従化する「性」の解放を謳ったあの運動の本質的な錯覚は愛を不動の制度として捉えようとした男への甘えが根底にあったからではないかと思えてなりません。

もともと人を愛するということは極めて理不尽なことなのです。

その人のために自分のすべてを捧げたいとか、あるいは、そういう相手の一方的な思いに耐え切れずただ負担に感じて逃げるとか、あるいは、その思いに応える振りをして相手の気持ちを弄んで徹底的に利用するとか、そういう恋愛の関係そのものが最初から理不尽なものであることを見逃した運動だったのでしょう。

しかし、それらの行為は、「人を愛さないで生き続ける」という行為よりは、まだまだ自然なことだというべきでしょうか。

だから、僕にとってのこの映画の最も衝撃的だったところは、フリーセックスや出産シーンではなく、原一男が、新しい愛人の出来たことを武田美由紀に告げたあとの彼女の激昂する場面でした。

自分こそは、制度としての夫婦関係からどこまでも自由な女でありたいと思いながら、逆に夫が自分の思いから自由になって、新たな女性との関係を築きたいということを知らされた瞬間のリアクションは、男の愛を失って捨てられる定番の惨めな妻=女そのものでした。

「全身小説家」において、最も不気味なのは、破れかぶれともいえる井上光晴の数々の行状が写し出されていく場面の端で、薄笑いを浮かべながら眼を伏せてじっと座っているこのドキュメンタリー作品のすべてを覆い尽くすかのような大きな井上夫人の存在感でしょうか。
[PR]
by sentence2307 | 2006-10-01 18:54 | 映画 | Comments(7)