世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2007年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

愛妻物語

新藤兼人監督初の監督作品「愛妻物語」を見て以来、自分なりの感想を書こうとして気持ちだけはハヤルのですが、これといった書き出しの「ひとこと」が思いつきません。

気持ち的には、ツボを得た書き出しの「ひとこと」さえ思いつけば、あとは一気呵成に最後まで書き上げてしまえる気だけはあるのですが、しかし、考えてみれば、この取っ掛かりのなさこそ、深刻な致命傷なのであって、結局自分が何を言いたいのか全然掴めていないというのが本当のところなのかもしれません。

そこで、「自分が、何故一歩も前に踏み出せないでいるのか」というところから考え始めてみました。

それは、まずこの「愛妻物語」というタイトルに引っ掛かるものがあるからだと思いあたりました。

この物語は、夫がシナリオ・ライターとして独り立ちできるまで、陰ながら励まし、応援し続け、やがて苦労のしどおしの果てに肺結核で亡くなった糟糠の妻に対して、新藤監督が彼女をいかに愛し、同時に、妻の苦労に報いられなかったことを「すまなかった」と詫びる悔恨の情が作らせた懺悔の作品のはずなのに、実のところその「悔恨の真情」とかいうやつが、僕には少しも伝わってこなかったのでした。

ただの甘美な「愛妻物語」なら、この作品を見た後に残る苦々しさはいったい何なんだ、というわけで、それならいっそ自分からこの作品に相応しいタイトルを考えてみたのです。

それはすぐに思いつきました。

「溝口健二と愛妻の相克の物語」、いやいや「愛妻を殺した溝口健二の物語」くらいにしなければ、甘美という煙幕で隠したこの作品の本質を暴くことなどできないかもしれません。

このことに最初から気がついていれば、この作品の感想を書くうえで、こんなにも迷うことはなかっただろうと思います。

シナリオを書くために、そして映画を作るために、自分の生活や家族のすべてを犠牲にし、そうしなければ果たせない活動屋の夢の非情さが、そこでは描かれています。

自分の仕事に関わる者たちに、そのような犠牲を求めた溝口健二という人の残酷さ・非情さも描かれています。

どのようにしてでも、助けようがあったかもしれない瀕死の妻を、「シナリオ」を選択したために(その選択こそ奥さんが求めていたものでもあったのですが)、なんの手当てもせずに傍観して死なせたことと、それらの悔恨と贖罪によって作品を甘美な追憶の物語として体裁を整えたこととの間には、実は深い亀裂が存在していて、新藤監督が本当に言いたかったこと、言い淀みながら明言を避けたこととは、自分の仕事に関わる者すべてに対して徹底した犠牲を強いた溝口健二の狂気に対する「恨みごと」だったのではないか、という気がしてきました。

この映画を見た最初、作品に込めた新藤監督のメッセージをこんなふうに考えていました。

「妻は死に、自分はシナリオ・ライターとして生まれることができた」と。

しかし、この文章を書きながら、だんだん考えが変わってきました。

「妻は、溝口健二と、自分と、そして《映画》が殺したのだ」と。

この作品が描いているのは、みずからの個人的で悲惨な物語も、「映画」として客観視し、「物語」という体裁に整えてしまう非情さのなかに、自らの不幸を無限に描き続ける活動屋の絶望と、どうしようもない宿命が描き込まれているのかもしれませんね。

(51大映・京都撮影所)監督・脚本: 新藤兼人、撮影: 竹村康和、美術: 水谷 浩、音楽: 木下忠司、助監督・天野信、撮影助手・田中省三、美術助手・内藤照、録音・中村敏夫、照明・岡本健一、照明助手・辻井義男、編集・西田重雄、特殊撮影・松村禎一
出演・宇野重吉、乙羽信子、香川良介、英百合子、滝沢修、清水将夫、菅井一郎、原聖四郎、伊達三郎、殿山泰司、大美輝子、堀北幸夫、菊野昌代士、柳恵美子、大河内伝次郎、玉置一恵、羽田修、旗孝思、玉村俊太郎、小林叶江、三星富美子
10巻 2,654m 97分 白黒 スタンダード モノラル1951.09.07 



この「愛妻物語」を検索していたら、面白い記事を見つけました。

タイトルは《監督とその妻、出会いあるいは最初の仕事》、態様ごとに8つのカテゴリーに分類されていて、資料的にも面白いので、覚書き程度に引用させてもらいました。

【A:この伴侶あってこその名声。運命の赤い糸で結ばれた二人】
道(1954/伊) フェリーニとジュリエッタ・マシーナ
お葬式(1984/日) 伊丹十三と宮本信子
大誘拐 Rainbow Kids(1991/日) 岡本喜八と岡本みね子
ガラスの動物園(1987/米) ポール・ニューマンとジョアン・ウッドワード
瞳の中の訪問者(1977/日) 大林宣彦と大林恭子
愛の奇跡(1963/米) カサベテスとジーナ・ローランズ
人間模様(1949/日) 市川崑と和田夏十
愛妻物語(1951/日) 新藤兼人と乙羽信子

【B:夫婦で数々の作品を世に送り出す】
ブラッドシンプル(1985/米) ジョエル・コーエンとフランシス・マクドーマンド
秋津温泉(1962/日) 吉田喜重と岡田茉莉子
日本の夜と霧(1960/日) 大島渚と小山明子
暗殺(1964/日) 篠田正浩と岩下志麻
河の女(1955/伊) カルロ・ポンティとソフィア・ローレン
ゴーストハンターズ(1986/米)カーペンターとサンディ・キング
いとこ同志(1959/仏) クロード・シャブロルとステファーヌ・オードラン
宿命(1957/仏=伊) ジュールス・ダッシンとメリナ・メルクーリ
ジェラシー(1979/英) ニコラス・ローグとテレサ・ラッセル

【C:夫婦だったのか】
青いパパイヤの香り(1993/仏=ベトナム) トラン・アン・ユンとトラン・ヌー・イエン・ケー
ショコラ(2000/米) ハルストレムとレナ・オリン
フレンチ・ドレッシング(1964/英) ケン・ラッセルとシャーリー・ラッセル
夜行列車(1959/ポーランド) イエジー・カワレロウィッチとルチーナ・ウィンニッカ
名もなく貧しく美しく(1961/日)松山善三と高峰秀子
乱菊物語 谷口千吉と八千草薫
ふたりだけの窓 ロイ・ボールティングとヘイリー・ミルズ
にがい米 ディノ・デ・ラウレンティスとシルバーナ・マンガーノ

【D:家庭に入り夫を支える】
Shall we ダンス?(1995/日) 周防正行と草刈民代
インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説(1984/米) スピルバーグとケイト・キャプショー
下宿人(1926/英) ヒッチコックとアルマ・レビル
一番美しく(1944/日) 黒澤明と矢口陽子
狼と豚と人間(1964/日) 深作欣二と中原早苗

【E:せっかく上手くいっていたのに】
恐怖の報酬(1952/仏) アンリ・ジョルジュとベラ・クルーゾー
ボギー!俺も男だ(1972/米) アレンとダイアン・キートン
ヘンリー五世(1989/英) ケネス・ブラナーとエマ・トンプソン
吸血鬼(1967/米)ポランスキーとシャロン・テート
仮面 ペルソナ(1966/スウェーデン) ベルイマンとリブ・ウルマン
小さな兵隊(1960/仏) ゴダールとアンナ・カリーナ
サマー・ナイト(1982/米) アレンとミア
嘆きの天使(1930/独)スタンバーグとディートリッヒ

【F:どうなのよ?】
タイタニック(1997/米) キャメロンとスージー・エイミス
TATTOO〈刺青〉あり(1982/日) 高橋伴明と関根恵子
夕映え(1974/米)
ボルジア家の毒薬(1952/仏) クリスチャン・ジャックとマルチーヌ・キャロル

【G:離婚しちゃったけどね】
キャリー(1976/米) デ・パルマとナンシー・アレン
ニキータ(1990/仏) ベッソンとアンヌ・パリロー
紅いコーリャン(1987/中国) チャン・イーモウとコン・リー
ターミネーター(1984/米) キャメロンとリンダ・ハミルトン
フィフス・エレメント(1997/米=仏) ベッソンとミラ・ジョヴォヴィッチ
モダン・タイムス(1936/米) チャップリンとポーレット・ゴダード
中国女(1967/仏) ゴダールとアンヌ・ヴィアゼムスキー
情事(1960/伊) アントニオーニとモニカ・ヴィッティ
次郎物語(1941/日) 島耕二と轟夕起子
悪徳の栄え(1962/仏=伊) ヴァディムとカトリーヌ・ドヌーヴ
危険な関係(1959/仏) ヴァディム(2度目)とアネット・ストロイベルグ
妻よ薔薇のやうに(1935/日) 成瀬と千葉早智子
バーバレラ(1968/米=仏=伊) ヴァディム
彼女と彼(1963/日) 羽仁進と左幸子
江戸の悪太郎(1939/日) マキノ正博と轟夕起子
若草の頃(1944/米) ヴィンセント・ミネリとジュディー・ガーランド
ザ・フォッグ(1979/米) カーペンターとエイドリアン・バーボー
のらくら(1921/米) チャップリンとリタ・グレイ
アウトロー(1976/米) イーストウッドとソンドラ・ロック
素敵な悪女 ロジェ・ヴァディムとBB
媚薬 リチャード・クワインとキム・ノヴァク
女体蟻地獄 アルマンド・ボウとイサベル・サルリ

【H:失敗のうえに離婚】
ストロンボリ 神の土地(1950/伊) ロッセリーニとバーグマン
カットスロート・アイランド(1995/米) レニー・ハーリンとジーナ・デイビス

とりあえず、覚書まで。
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by sentence2307 | 2007-02-21 23:02 | 映画 | Comments(1)

からっ風野郎

ある人から、三島由紀夫の出色の映画出演作といえば、増村保造の『からっ風野郎』60だろう、という言葉に触発されて僕の乏しいライブラリーの中から、お蔵入りさせていた「からっ風野郎」を引っ張り出して見てみました。

以前から増村保造と三島由紀夫なんてミスマッチもいいところだという思いが強くて、きっとこの作品も見ないままお蔵入りさせていたのだろうと思います。

この映画を見てみると、確かに作家・三島由紀夫の「形容詞の世界」にどっぷりとハマっていた時には見えなかったものが見えてきました。

エキストラに囲まれている彼は意外なほどの小男で、グラビア写真で見たときの筋肉隆々に見えた肉体も、スクリーンの中のそれは、未熟児のひ弱さを後遺症のように引きずりながら成人してしまったような貧弱な猫背の体型に、無理やり過剰な肉付けをしてみせたアンバランスな一種の「畸形」の印象をどうしても拭えませんでした。

虚勢をはって自分を大きくみせようとすればするほど、かえってその「小ささ」を曝け出してしまうような無残な姿が強く印象づけられるものがあります。

冒頭で一瞬写る刑務所の庭でバレーボールを打つ彼の仕草は、スポーツがあまり得意ではない自意識過剰な優等生の少年そのままのぎこちなさで、見ているほうが赤面してしまうくらいです。

「そんなに無理しなくてもいいじゃないか、誰も君ことを馬鹿になんかしていないよ。」とでも言ってあげたくなるような、これはそんな映画なのだと思いました。

「仮面の告白」、「青の時代」、「金閣寺」など、この頃の三島由紀夫は、すでに数々の衝撃的な名作を執筆しており(ただ、この頃が三島のピークだという見方もあるようですが)、その確固とした名声に支えられ、自信満々すでにその存在感を不動なものにしていた三島由紀夫が、この映画の中の「鉄砲玉」のチンピラなどには、どうしても見えませんでした。

残念ながら僕には、この作品の三島が、悪達者な取り巻きにおだてられて格好だけはつけている世間知らずのわがままな若社長の「宴会芸」程度にしか見えません。

それがどのようなものであるにしろ、社員たるもの(三島からの影響度からいえば、僕も社員の末席を汚すのだろうなとは思います)、もちろんヤンヤの拍手喝采を惜しむものではありません。

しかし、この映画、そんなふうに卑下ばかりしなくてもいいじゃないかという、救いもないわけではありません。

子供を身籠った若尾文子が、堕胎の薬を飲まなかったことを三島に告げて、怒り狂った彼に殴る蹴る(ここでのDV演技も極めてぎこちないのですが)の暴行を受ける場面です。

ここの三島が自分のことしか考えてない小心のチンピラを十分に演じられたかどうかはともかく、若尾文子はお腹の子供を庇いながら「畜生! そんなに私が憎いなら、いっそのこと殺しやがれ」と毒づき必死に抵抗するこのシーンだけで、この映画は増村保造作品として生々しい濃密な息を僕たちに吐き掛けてくれました。

そこには、確かに「刺青」の、したたかに生きたおセツが息づいていました。

ちなみに三島由紀夫の写真集「聖セバスチャンの殉教」という、木に縛られている三島の全身に無数の矢が突き刺さっていて、当の三島は恍惚としてのけぞっているという写真集があります。

僕の記憶が正しければ、確かその本は、ウチラの村の書店では、いまは廃刊になった(と以前新聞には出てました)雑誌「薔薇族」の隣に並べられていたくらいのシロモノで、村では、三島由紀夫はもっぱらヘンタイ作家扱いされていました。

これもひとつの見識かなあと、当時妙に感心してしまった記憶があります。

三島由紀夫が太宰治の虚無のポーズを嫌悪して「あんなものは早起きして、ラジオ体操でもすれば直ってしまう種類のものだ」と一蹴にふしたエピソードを知ったとき、三島由紀夫自身こそが、もっと深刻な虚無に囚われていることを感じたものでした。

映画「からっ風野郎」は、彼がその生涯で残した数々のパフォーマンス(盾の会とか同性愛嗜好とか)のひとつとして、三島由紀夫というひとりの男の痛ましい虚勢と受け取ったので、その視点から作品の感想を書き始めてみて気がついたことは、作品自体について、そこでも書いたように若尾文子の描き方に、増村の最高傑作「刺青」を思わせるシタタカな女の魅力的な描写もあったりして、僕にとってはどこまでも愛すべき作品であり、決して失敗作などではないと思っています。

ですので、《「巨人と玩具」「陸軍 中野学校」「妻は告白する」でなく、「からっ風野郎」「セックス・チェック 第二の性」「でんきくらげ」の、そして「赤い天使」の若尾文子でなく「赤い衝撃」の山口百恵を演出した増村保造に長く疑問を持っていた》とある人の明確に書かれている部分には、「そうかなあ」という感じを持ちました。

かつて「増村保造の最後の作品が『この子の七つのお祝いに』では、あまりにもひどすぎる。」と書いたある映画評論家のコメントも読んだ記憶がありますが、それなりに増村らしい女が活き活きと描かれているという感じをもっていたので、それらの批判をすんなりとは納得できないでいます。

「溝口健二監督の死で『自然主義的なリアリズム』が終わり、『社会的リアリズムの時代』の到来を予想した増村保造」が、なぜあえて「出来の悪い冗談のようなリアリズム」を実践しなければならなかったのか、その関連性がよく分からなかったのだと思います。

以下は、僕なりにチェックしてみた増村保造の溝口健二論です。

休日を利用してじっくり読んでみたいと思っています。

①「本能の作家―溝口健二」(キネ旬1958.5上旬号)
②「巨匠の晩年」(キネ旬1961.9下旬号)
③「溝口健二と邦画の確立」(中央公論1965.9)
④「溝口健二―最も日本的作家」(キネ旬1967.8上旬号)
⑤「谷崎潤一郎と溝口健二」(キネ旬1967.9上旬号)
⑥「溝口におけるリアリズム」(キネ旬1967.9下旬号)
⑦「シーンとショット」(キネ旬1959.4上旬号)

増村保造の溝口健二論のうちのひとつ、「本能の作家―溝口健二」を読み進むにつれ、若き増村が溝口健二という卓越した先達に取り憑かれ、溝口美学の核心に迫ることで理性的な節度だけは守りながらも次第に高揚し、激していくという部分の、増村自身の力のこもった肉声に知らず知らずのうちに引き込まれてしまいました。

その言葉は、活き活きと躍動していて、溢れ出る若き増村保造の情熱がモロに脈打っているといった感じです。

例えば、
「溝口さんは人間の感情を台詞でとことんまで描かせる。しかし、決して台詞に頼らない。屈曲する台詞を通して、人物の奥深い感情を揺り動かし、滲み出させ、集中させ、衝突させ、狂乱させ、デモーニッシュな昂揚にまで高める。それは本能とも呼ぶべき根深い人間感情の噴出である。」
とか、
「本能の美点は、感情のすべての豊かさを渾然と孕んで、たゆみなく流動し、時として激しく、ダイナミックな奔流と化し、行方も知らず躍動するところにある。溝口作品に見られる華麗な豊かさ、緊迫した流動美、人間感情の鮮烈で意表をつく爆発、それらはすべて本能の美しさであり、強さである。」
と力説しながら、しかし、溝口がそのように人間の本能を描き極めることで、逆に人間の社会性を描き切ることから眼をそむけ、歴史性や社会性のある題材、つまり「現代」を描くことができないと数々の失敗作(元禄忠臣蔵、楊貴妃、新平家物語、赤線地帯)をあげて論証しています。

この増村の小論「本能の作家―溝口健二」が落ち着くべき結論もこのあたりにあるのですが、しかし、それがまったくの否定的な論調でないことところが、増村保造にとっての「溝口健二」なのだと感じました。

そして、溝口が歴史や社を描けなかったのはなぜかと突き詰めていく結論が「溝口健二の無学なためのコンプレックス」と結論付ける大胆さには、この不世出の天才に真っ向から対峙しようとしている増村保造の覚悟みたいなものも感じずにはおられません。

小津安二郎や溝口健二が生きた時代に比べると、増村保造の生きた時代は、どんなに晴れがましいキャリアも、ときには卓越した力量でさえも必要とされない、はるかに過酷で酷薄な打算の時代だったといえるでしょう。

時代が求めていたものは、そうした晴れがましいキャリアでも重厚なリアリズムでもなく、時勢に素早く対応できる軽さと目先の変わったスキャンダラスなエロティシズムが表現できる、しかも取替え可能な消耗品としての「才能」ならなおさら歓迎された時代だったのだと思います。

そういう過酷な状況で映画を撮り続けたひとりの映像作家が、そうした中で、たえず溝口健二のリアリズムにこだわり、その方法論を論じ続けたということに何故か不思議な感動を覚えます。

きっと、ここに「溝口から学んだ役者に対する執拗な凝視を敷衍することによって観念ではないリアルというモチベーションを根底にすえた、一つ間違えば荒唐無稽な設定を、増村はパロディーではなく大真面目なリアリティーとして格闘しているのではないか、という過酷な打算の時代を逆説的によってしか生きようがなかった不遇な天才の姿があったのかもしれません。

彼は、きっとそのようにして「からっ風野郎」を撮り「セックス・チェック 第二の性」を撮り「でんきくらげ」を撮り、そして「赤い衝撃」を撮ったのだと思います。

(60大映・東京撮影所)製作・永田雅一、企画・藤井浩明 榎本昌治、監督・増村保造、助監督・石田潔、脚本・菊島隆三 安藤日出男、撮影・村井博、色彩技術・西田充、音楽・塚原哲夫、主題歌・「からっ風野郎」、作詞・歌・三島由紀夫、作曲・深沢七郎、美術・渡辺竹三郎、装置・岡田角太郎、録音・渡辺利一、照明・米山勇、編集・中静達治、スチール・薫森良民、制作主任・大橋俊雄
出演・三島由紀夫、若尾文子、川崎敬三、船越英二、志村喬、水谷良重、小野道子、根上淳、矢萩ふく子、山本礼三郎、神山繁、高村栄一、杉田康、飛田喜佐夫、潮万太郎、浜村純、土方孝哉、此木透、小山内淳、三津田健、花布辰男、小杉光史、伊東光一、杉森麟、倉田マユミ、佐々木正時、守田学、須藤恒子、津田駿二、山口健、大塚弘
1960.03.23 7巻 2,627m 96分 カラー 大映スコープ
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by sentence2307 | 2007-02-12 10:55 | 映画 | Comments(5)

かつて、ある友人が、三島由紀夫の小説について、こんなふうに語った言葉が、いつまでも耳から離れないでいます。

「三島の小説は、絢爛たる数々の形容詞を堪能することはできても、内容的には空疎なものばかりだ」と。

しかし、はたして小説というものの魅力が、「実用的」な内容にだけあると断定するのはちょっと難しい問題かもしれません。

僕としては、「スタイル」とか「文体」とか、様々な楽しみ方があってもいいかなという立場でいたいと思いますし、また、三島由紀夫の小説が「まったく空疎だ」と一言で片付けられてしまうとするなら、ひとこと弁明したい誘惑にも駆られます。

しかし、だからといって、自分がそれほどの「三島ファン」というわけでもないので、マニアックな論理展開など期待されても出来るはずがないのですが、まあ太宰治も川端康成も高橋和巳もそれなりの主張があって決して「空疎」ではなかったという程度のことならナニカ言えそうな気がします。

実は、僕も一時期、三島由紀夫の小説に嵌まりました。

皮肉と逆説と虚勢の、奇を衒った多面的な含みのある言葉を縦横に弄ぶ知的遊戯の醍醐味を存分に堪能させてもらい、その小説の読後感ではどの作品にも「もの凄いことを言っている」という充実感を持ったものでした。

そういう意味では、小説の映画化に際して、よく聞くあの「小説を読んだ後で、その映画化された作品を見て失望した」という感想を、僕もまた多くの三島作品の映画化で実感してきたような気がします。

しかし、その「三島体験」から既にかなりの時間が経過したいま、当時の「実感」は僕のなかでは徐々に変質し逆の意味を持ち始めているかもしれません。

あれほどまでに夥しい言葉群を費やし、絢爛たる形容詞で飾り立てた世界が、内実は「この程度の主張でしかなかったのか」という苦い失望です。

映画は残酷なまでに細部にわたる物語の「筋」を緻密に辿り、良くも悪しくもあらゆる夾雑物を映し出し、白日の下に曝け出さずにはおかない写実の芸術です。

どんなに優れた文学作品でも、それを見るに耐える名画に転化するためには、どうしても映像の文法が必要になってきます。

そういう意味では三隅研次の「剣」は、比較的三島由紀夫の「主張」が素直に見えている作品のような気がします。

大学の剣道部の主将・国分が、合宿で部員たちが犯した規律違反を、統率力不足の自分の責任だと絶望して自殺するというこの物語に対する幾つかのコメントを読んで、ある共通している感想に気がつきました。

自分に厳しいのは勝手だが、他人にも同じ厳しさを求めるこのストイックな時代錯誤の考え方が、もし三島の美学であるなら到底理解しがたい、というものでした。

その感想には、暗に、ひとりで燃えて自衛隊に決起を呼びかけ、総スカンを食らって自決した「あのこと」とぴったりと符合するものが潜んでいます。

この映画で描かれた「信じていた部員に裏切られて自殺する主将」という象徴的な部分だけ摘出すれば、どのように好意的に見ても、随分と当て付けがましいグロテスクな物語にすぎません。

だから、映画の最後で登場人物たちは寄り集まって、主将の不可解な死を理解しようと必死に話し合います。

「俺には統率者の資格がない。強く正しい者になるか、自殺するか、ふたつにひとつだ」と、部長は国分が最後に残した言葉を読み上げます。

そして「国分は生きることに負けたんじゃないね。自殺することで、彼の正しさと強さを永遠のものにしたんだよ。」と国分の死を弁護します。

また、同期の賀川の「あいつは永遠に俺の勝てない相手になってしまった」という説明的な言葉を受けて、再び部長がこんなふうに結論づけています。

「誰も国分を理解できなかったんだよ。国分は単純で素朴な願いで生きていただけだ。」

純粋であることを許さない俗世間の嫉妬が、国分を自殺にまで追い詰めた状況を「国分は生きることに負けたんじゃないね。自殺することで、彼の正しさと強さを永遠のものにしたんだよ。」と捻じ曲げる観念のアクロバットを、活字をたどることでなら理解できても、より客観化された映像のなかで理解できるかどうかは、すこぶる疑問です。

このような種類の小説的な言葉が語られる時、文学の世界でなら「崇高な死」で有り得たものも、映像の中では、「あてつけ自殺」の言い訳的な説明以外の何物でもないという気がしました。

(64大映・京都撮影所)企画・藤井浩明 財前定生、監督・三隅研次、助監督・友枝稔議、脚本・舟橋和郎、原作・三島由紀夫、撮影・牧浦地志、音楽・池野成、美術・内藤昭、録音・奥村雅弘、照明・山下礼二郎、編集・菅沼完二、スチール・藤岡輝夫
出演・市川雷蔵、藤由紀子、川津祐介、長谷川明男、河野秋武、紺野ユカ、小桜純子、稲葉義男、角梨枝子、矢島陽太郎、高見国一、風間圭二郎、木村玄、舟木洋一、堀川真智子、橘公子、新宮信子、水原浩一
1964.03.14 8巻 2,596m 94分 白黒 大映スコープ
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by sentence2307 | 2007-02-11 19:03 | 映画 | Comments(1)
小津監督が、大映で「浮草」59を撮ることになったイキサツについては幾つかの説があって、「彼岸花」58で大映から山本富士子を借りたお礼だとか、あるいは、旧友・溝口健二と交わしていたかねてからの約束をはたしたまでで、小津監督はその義理を果たすために仕方なく旧作「浮草物語」34をリメイクすることで、どうにかお茶をニゴシタのだとかいう誠に芳しくない話まであるくらいです。

しかし、小津監督は松竹と年に1本仕事をするという契約の下で仕事をしていて、たまたま前作「お早よう」59が早く撮り上がり余裕が出来たので、そこで「浮草」を撮ったというのが本当のところらしく、まあ、山本富士子説にしろ、あるいは溝口健二説にしろ、とにかく義理がらみでコナシタ仕事かもしれないという説には、ある程度の信憑性があるのかもしれません。

そう感じてしまうのには、年1本のペースを崩したということもさることながら、大映東京撮影所における自己主張に固執しなさすぎる小津監督のあまりの優しさにあります。

この辺のことは、渡辺浩著「映像を彫る・撮影監督宮川一夫の世界」の中に詳しく綴られていまが、例えば、そのエピソードのひとつ、例の「赤いヤカン」事件についてのクダリは、こんなふうに記されています。

宮川一夫がフレームを決めると、いつの間にか隅に赤いヤカンとコップが置いてある。

なにしろロー・ポジなので邪魔だからどけておくと、いつの間にか、また置いてある。

「いったい誰なんだ」と言うと、小津監督だと美術の下河原友雄から耳打ちされる。

そこで、宮川一夫は小津監督に言う。

「この赤でなければいけませんか。
この色を出すにはある程度の光量がいるんで、それだけの光量を当てると周りをセードしなければならないんです。
人物の動きがない板付きならいいんですが、人物が立ったりすると、必ずモレが当たってしまうので、そのためちょっとはずした角度と位置からライトをあてることになるんで、見た目の色ではなくなりますが、いいですか。」と。

すると小津監督はあっさりと「いいですよ」と答えたそうです。

そして更に、本番前にそのヤカンがなくなっていて、スタッフに聞くと小津監督がどけたと知り、宮川一夫は、巨匠小津監督に気を使わせてしまったなと感じます。

松竹の撮影所では、まず考えられない答えだし対応ですよね。

川又昂キャメラマンがチーフの時に、厚田雄春氏の絶対従順の対応に耐え切れず、小津監督に直接「ここはキャメカを振り回した方がいいのでは。」という提案した答えが、けんもほろろに「ああそうか、それは、お前がキャメラマンになった時にやればいいんだよ。」といったというのですから、これは相当な違いですよね。

そして、このエピソードには、更に追い討ちをかけるような逸話が用意されているのです。

その日、宿屋に帰ってから、夜に「もう寝ましたか」と小津監督が宮川一夫の部屋にやってきたのです。

そして「ライトの角度で色が変わることを初めて知ったよ」と言ったと記されています。

いわゆる巨匠と呼ばれていないような監督でも、素直にそういうことを話す人は、まずない、と宮川一夫は改めて小津監督の人柄に惹かれたとされています。

この部分だけ見ても、宮川一夫キャメラマンの仕事に対して、小津監督が深い敬意を表していることがよく分かりますよね。
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by sentence2307 | 2007-02-11 18:56 | 映画 | Comments(723)
もう随分と時間が経ってしまったような気がしますが、小津監督生誕100年の記念番組で印象に残っていることのひとつに、淡島千景が小津演出についてインタビューに受け答えている部分がありました。

出演した作品は、「麦秋」や「お茶漬けの味」、そして「早春」です。

小津演出に思いを馳せながら女優淡島千景は、当時をこんなふうに回想していました。

役者自身の創意工夫など思いも寄らない、ただただ小津監督の指示のままに一挙手一投足をまるで器械体操のような段取りで、ただ忠実になぞるだけの演技をしただけだと答えていました。

しかし、そう話しながら、淡島千景は、きっと一方で、「にごりえ」において示した俳優としての最高の演技に自負を抱きながら、そう語っているに違いないと、僕は自分ひとりで勝手に確信し、そのテレビのインタビューを眺めていました。

俳優にとって小津作品とはいったいどういうものなのか、それは長い間の僕の疑問でした。

はたして、小津演出のように、役者がみずからの演技の工夫を強引に押さえ込まれたような演技指導を受け、たとえその映画自体は高い評価を受けたとしても、それが演技者として自負につながる仕事といえるのかどうかという疑問です。

たとえば、「麦秋」が51年、「お茶漬けの味」が52年、「早春」は56年の作品で、そして、あの渾身の演技を見せた「にごりえ」は、その時期の真っ只中に位置すると言ってもいい53年度の作品です。

たしか、その特別番組の中でも淡島千景は、このような世界の映画史に残る名作に出演できて光栄です、みたいな答え方はしていました。

そして同時に、それらの作品はどこまでも「小津監督の映画」であるとも強調されていました。

その発言の裏側をあえて勘繰れば、それは言下に「小津作品には、俳優としての自分はないのだ」と言っているようにも聞こえます。

「早春」において、深夜、紅をつけたワイシャツで帰宅した亭主の不実をなじる倦怠期の妻を演じた淡島千景の存在感は、本当に素晴らしいの一語に尽きる演技だったのですが、しかし、あの「にごりえ」の、卑猥な酔客に執拗に胸や体を撫で回され、肉体の隅々までまさぐられる酌婦=淡島千景が、屈辱とやり場のない憤怒と自己嫌悪のなかでいたたまれなくなり、顔を歪めながら夜の色街の雑踏のなかに飛び出して当てもなくさまよう鬼気迫るシーンには到底及ばないと長い間確信していたのでした。

しかし、最近ある本を読んで、とてもショックを受けました。

社会思想社刊・現代教養文庫の「日本映画俳優全史・女優編」の中の「淡島千景」の項です。

彼女の解説の最後にはこう書かれています。

「結局、彼女はふたつの芸流をわが身につけたといえる。
ひとつは、「麦秋」「花の生涯」「早春」「絵島生島」といった静かな人間味をしみじみ訴えるもの、そしていまひとつの流れは、「てんやわんや」「やっさもっさ」「夫婦善哉」「駅前旅館」といったやや滑稽味の勝ったもの、そのどちらをも、さらりとこなすところが彼女の大女優たるゆえんといえよう。」

この解説の全文の中はおろか、《主なる出演作》の中にさえ「にごりえ」については、ひとことも触れられていませんでした。

これは、実にショックでした。

かつてのキネマ旬報「第1位」の評価が時代の変遷の中でじりじりと後退し、そこで演じられた一女優の激しい演技も、いまでは最初から存在しなかったみたいに記録から無残に抹消されてしまったような寒々しい感じを受けました。
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by sentence2307 | 2007-02-06 22:45 | 映画 | Comments(0)

愛の世界 山猫とみの話

高峰秀子が問題児(少女)を演じる教育映画ですが、1943年という戦時下に作られていることを考えると、施設内で喧嘩した子供たちを諭す四辻院長の、「今、戦争に参加していないのは君たちだけだ。一日でも早く更生して、御国の役に立てるようにしっかりしなさい」というその言葉は、いま聞くと随分と複雑な思いにさせられます。

「子供を守ることは、国を守ることだ」という国策メッセージの向こう側にあるものは、やがて子供も貴重な戦闘員として戦地に送り込もうという意味も含まれているのでしょうからね。

この作品で久しぶりの主役を張っている高峰秀子には、「山猫」と呼ばれるほどの「凄み」は感じられず、まあせいぜい、ちょっと内気な子といったくらいのおとなしい印象です。

幼いときに父親を亡くし、7歳で母親とも死別した少女・小田切とみ(高峰秀子)は、荒川千造という曲馬団の男に引き取られますが、こき使われるうちに強情で粗暴な振る舞いが目立ち始め、気に入らないと何ヶ月も無言でいたり、また逃避を繰り返すなど「山猫」と呼ばれる16歳の問題児となっていきます。

少年審判所から引き取り人となった施設の山田先生(里見藍子)は、とみとともに列車を乗り継ぎ、ようやく地方の山の中にある少女専用施設の付近まで連れてきたところで、あやうくとみに逃げられそうになる場面も用意されています。

そして施設に入所してからも、とみは周囲に馴染もうとせず、言葉さえも一切発しないという頑なな態度に、入所者たちの反発を買うようになります。

そんなとみに、特別な愛情を注ぐ山田先生の態度が、さらに他の入所生たちの反発を募らせてしまいます。

ことあるごとに入所生たちの反発を受けている山田先生の苦悩を、たまたま夜中に盗み聞いたとみは、ある日、常日頃から彼女に辛くあたってきた女生徒が、山田先生に当てつけがましい反抗的な態度をとったのを見て、我慢できず彼女を殴りつけて気絶させると施設から逃亡してしてしまいます。

施設では、四辻院長(菅井一郎)が、大急ぎで、逃亡の知らせを各所に連絡します。

しかし、当のとみは、列車の走る様子を丘から見ている内に気分が晴れ、そのまま楽しい気分で山の中を彷徨い歩いていました。

やがて、夜が訪れ、恐ろしい思いで一夜を過ごしたとみは、翌朝、とある山小屋を見つけます。

忍び入ったとみが囲炉裏にかかっていた粥を夢中になって啜っている内に、この家の住人らしき幼い兄弟が戻ってきます。

このあたりは、どこかで聞いたような話です。

勘一(小高つとむ)、勘二(加藤博司)というその兄弟は、母親を亡くし、猟師の父親松次郎(進藤英太郎)が権次郎という熊をしとめに出かけている間は、二人きりで留守番をしていたのでした。

健気な二人の様子に、ようやく心を開き、言葉を取り戻したとみですが、やがて、小屋にあった食料も食べ尽くし、やむなく村から食料を盗み出したりします。

こうした事態を憂慮した駐在(永井柳筰)や山田先生は、応援を率いて、山狩りをすることになりました。

逆境に生きる少女が人々の愛情によって健やかに更生して行く過程を描いた感動策です。

そろそろ「少女」の殻が窮屈ななりかけてきた微妙な年齢になって、このまま女優業を続けていくことができるのか、迷いの中で演技をしていた頃の映画だったのでしょうか。

(43東宝映画)(製作)藤本真澄 (監督)青柳信雄(原作)佐藤春夫、坪田讓治、富澤有爲男の合作小説(脚本)如月敏、黒川愼(撮影)伊藤武夫(特殊撮影)円谷英二(美術)中古智(編集)長沢嘉樹(音楽)鈴木靜一(調音)長谷部慶治(照明)佐藤快哉(現像)西川悦二(演出助手)市川崑(演奏)東宝映画管弦楽団
(出演)高峰秀子、小高つとむ、加藤博司、里見藍子、三谷幸子、谷間小百合、田中筆子、一の宮敦子、加藤照子、高津慶子、羽島敏子、広町とき子、相川路子、河野糸子、豊原みのり、西垣シズ子、泉つね、菅井一郎、進藤英太郎、永井柳作、下田猛、清川莊司、矢野島ひで子、下田猛、清川荘司、鈴木左門、榊田敬二、山形凡平、築地博、松林久晴、渡草二、長島武夫、尾上栄二郎、 (11巻2556m,93分・35mm・白黒)
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by sentence2307 | 2007-02-06 22:28 | 映画 | Comments(4)
「南京大虐殺」が真実だったのか幻想だったのかと盛んに議論されていたとき、そのニュース記録映画「南京」38を撮影したキャメラマンとして白井茂(1899.3.6-1984.9.27)の名前を始めて知りました。

そして、白井茂という人が関東大震災の記録映画を撮ったことで、後年日本に記録映画という概念を確立させた、いわば日本の記録映画界におけるキャメラマンとしての草分け的存在だったということも、それからもう少し後になってから知ったくらいなので、何の根拠もなく、ただ漠然と「信濃風土記より・小林一茶」41から受けた強烈な印象から、亀井文夫監督と組んだ仕事がもっとたくさんあったのではないかという僕の無知からくる思い込みというか勝手な錯覚も、当然といえば当然だったかもしれません。

1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災は、予想以上の大惨事となったので、文部省社会教育課課長乗杉嘉寿は、急遽その実情を文部省記録映画として残すために、各映画会社に電話連絡をとったところ、壊滅的な通信状況のなかでようやく連絡のついた教育映画業者の東京シネマ商会に、その製作を委託することとなります。

たまたま同年に松竹から東京シネマ商会に入社していた白井茂が撮影技師として3日間にわたって被害現場を奔走し、全長5000呎におよぶ撮影をはたしました。

多くの虐殺もあったいとう殺気に満ちた現場を渡り歩いて撮影が行われた時のことを白井自身、命の危険を感じながらの撮影だったと、彼の残した「記録映画について」という一文のなかで生々しく残しています。

このことを機に文部省社会教育課は、文部省活動写真班を課内に設置して、その企画になる映画の製作を、次々と業者に委託するという道筋が確立されることとなり、日本の記録映画界にとって大きな転機となったということです。

日本における記録映画の草分け的存在のキャメラマンである白井茂が、小論「記録映画について」という一文を残しているのですが、その中で当時の日本の記録映画に多大な影響を及ぼした2本の海外記録映画について言及し、賞賛している部分があります。

ヴィクトル・トゥーリンの「トゥルクシブ」29とロバート・フラハティの「アラン」34です。

「トゥルクシブ」を撮ったトゥーリンは、1912年から1922年まで、アメリカに渡ってボストンの技術研究所からハリウッド入りし、プロット・ライターや俳優の経験も積んだ変わった経歴の持ち主でした。

そして、その作品「トゥルクシブ」は、シベリア鉄道建設を記録した長編記録映画で、ソビエト連邦の国策映画として撮られた作品です。

1976年10月に未来社から復刊された名著「ドキュメンタリー映画」(僕の数少ない蔵書の一冊です)の著者ポール・ローサは、そのなかで「技術的スタイルとアプローチの双方において、新しいドキュメンタリーの方法の始まりを記録した。

それは、おそらく、他のいかなる映画よりも、それ以後の発展に大きな影響を及ぼしたといえよう。」とその歴史的価値を高く評価する一文を残しています。

かくのごとく「トゥルクシブ」は、草創期の世界の記録映画界に大きな衝撃を与えました。

それは、ひとつの建設事業の科学的解明であると同時に、時間的記録であり、集団的な人間労働への力強い讃歌であり、しかも完全なアピール、第一次5ヵ年計画のプロパガンダをクライマックスにしている点について、映画の持つ社会的意義をこれほど明確に現したものは稀であったこと、映像による社会科学的試みとしても大胆であったことが、驚異をもって評価されたのだろうと考えられます。

日本の記録映画の草分け的キャメラマン白井茂が、「記録映画について」のなかで絶賛している記録映画に「トゥルクシブ」29と、そしてもう一本あげているのがロバート・フラハティ(1884.2.16-1951.7.23)の伝説の記録(実写)映画「アラン」34です。

映画史的にいえば、フラハティは、「極北の怪異」22によって映像のもつ表現の可能性を大きく広げ記録映画の地位を高めた人として、「国民の創生」を撮ったグリフィスと並び称される記録映画作家です。

彼は、荒々しい自然と闘いながら厳しく閉ざされた環境で生きる人々の「生活」を活写することで、それまで誰も見たことがなかった「人間」をキャメラが初めて発見し、「映像という言葉」によってその「生活」を語り出し始めた人といわれています。

極論ではなく、「アラン」は、まさに、リアリズムという映像言語を世界に明確に示し、そして、その後の映画史に与えた影響は、はかり知れないものがあるとされている作品です。

ポール・ローザは、その著「ドキュメンタリィ映画」のなかで「人間と自然の闘争がかつてこれほど巧みに映画化されたことはなく、海や波の視覚的な特色がこれほどうまく撮影されたことはなかった。」と賞賛の言葉を残しています。

「アラン」の影響を他の作品に求めるとなると気が遠くなるくらいたくさんあるとは思いますが、似たような設定から、例えば、ルキノ・ヴィスコンティの「揺れる大地」などが思いつきます。

網元の搾取のもとで極貧の生活に耐えながら、ついに階級差別に目覚めるというあの漁民の怒りを支えている全編にわたる緊張感は、明らかに「アラン」で描かれていたものと同質の、曖昧な思い入れを一切排して、対象を客観視できる位置まで突き放した厳しく緻密で冷徹なリアリズムによって支えられていた作品ですね。

とにかく、物珍しさだけが売りの本編の添え物でしかなかった従属的な記録映画という貶められていた地位を、自立した独自のジャンルとして成り立たせた功績でフラハティは記憶に値する映像作家といえると思います。
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by sentence2307 | 2007-02-05 21:38 | 映画 | Comments(0)

三尺左吾平

以前「時代劇専門チャンネル」で「三尺左吾平」という1944年の東宝作品に遭遇しました。

喜劇王エノケン生誕100年という2004年、しかもキャストには高峰秀子の名前もあったので、引き寄せられるように「当然、ひと笑い」という心積もりで見始めた作品だったのですが、まず、全編をおおう不気味な暗さには驚きました。

喜劇王エノケンが出演しているからといって、お気楽な喜劇とみくびって接すると大火傷をしてしまうかもしれません。

この映画の製作年度は1944年、太平洋戦争の末期、敗色の濃くなった絶望的な戦況のもとでヒステリックでナーバスになっている内務省の干渉によって映画の製作環境が極度に悪化し、それはちょうど三谷幸喜が「笑の大学」で描いてみせたあの最悪の環境の下で、強引に滅私奉公の精神を注入しようとする検閲官の手で「喜劇」が「喜劇」たり得ないまでにずたずたにされ、無残な残滓のようになってしまった深刻な実例が、この「三尺左吾平」なのではないかと思えるほどの「不気味な喜劇」に仕上がっていました。

物語は、あの有名な伊達藩のお家騒動、エノケンの役どころは、健脚でお人好しの足軽・左吾平、軽輩ながら忠義の気持ちは人一倍強く、江戸にいる敬愛する若君に「じきじきにお声を掛けていただく」ことを夢見ながらも、同時に、足軽の身分ではそんなことは思いよらないことも重々分かっている忠義者です。

江戸屋敷で原田甲斐に毒を盛られ暗殺の危機にあるその若き主君の命を救うというストーリーなのですが、最初、左吾平の「忠義の気持ちは人一倍」という一本気な気持ちが、逆に敵陣営の付け入るスキを作り、おだて挙げられ、うまく利用されて、結果、左吾平が深く敬愛していた主君擁立派の重要人物(黒川彌太郎)は、結局詰め腹を切らされてしまいます。

エノケン=左吾平は、自分の不注意から起きた失態を大いに悩み、仲間からも裏切り者と謗られるなどの紆余曲折のなかで、いつの間にか変質させられてしまった自分の「忠義」について思い悩み、どうすれば主を思う自分の真心=忠義の気持ちを主君にお伝えすることができるのか、そのためには自分は何をすればいいのか、などと真剣に考えます。

エノケン=左吾平が悩むその気持ちにぴったりと寄り添っていくことになる観客も、いつの間にか「どうすれば主を思う自分の真心=忠義の気持ちを主君にお伝えすることができるのか、そのためには自分は何をすればいいのか」と反芻しながらエノケンの気持ちの流れをそのまま受け入れていくことになるのかもしれません。

この映画を見ていた僕も、だいたい似たようなプロセスを経て、同じような心境に至りました。

観客がこの「主君」像をどう読み替えるか、この映画を「料理」した検閲官は、本当に優れていた人だったのだなあとつくづく感心します。

しかし、この映画を観ながら、なぜ自分が、これだけ容易に「主君につくす滅私奉公」の気持ちを受け入れることができたのか、そのマインド・コントロールの方程式を知りたくなりました。

きっと、この映画のどこかに庶民の気持ちを「主君」へと揺り動かすキイワードがあるはずだと思いました。

子供の頃、杉浦茂のシュールなギャグ漫画「猿飛佐助」などをこよなく愛読してきた者にとって、このエノケンの映画を見て真っ先に注目したのは、彼が持っている長い刀の先につけられた車輪です。

画面であの奇妙な車輪を見た瞬間、思いは瞬時にあの漫画に夢中になっていた子供の頃の思いに連れ去られてしまいました。

確かあの漫画にもその珍妙なアイデアが使われていた記憶があったからです。

エノケン演じるこの左吾平は足軽ながら居合い抜きの名人、手挟んでいる刀というのが身の丈にあまる長刀です。(それでなくとも、ごく単身のエノケンです。)

それを腰に差そうというのですから、あまりの長さに刀の先が地面に届いてしまい、そのために、その先端には車輪が取り付けられていて、背の低い左吾平ことエノケンが歩くと、地面の上を刀の先の車輪がガラガラと回るという仕掛けで、きっとその「刀ガラガラ」の場面では、エノケンや製作者は、観客を「笑かす」ねらいだったのだろうと思います。

その奇妙な動作で歩く姿は、あきらかに滑稽に演じているはずなのに、その奇妙な格好にさえ笑えないような凄みというか重苦しさが、無残にもこの国策映画全体を支配していました。

喜劇が喜劇でなくなってしまっているという、これは象徴的な作品でした。

江戸屋敷にいる幼い主君が、伊達藩だけで獲れるという珍しい魚を所望し、それを江戸表に届ける役を仰せつかった左吾平(エノケン)は、その魚を途中で死なせてしまいます。

厳罰を覚悟して主君の前でかしこまっている左吾平に、殿は、彼のあやまちを一言もなじることなく、労をねぎらい休息を命じます。

この喜劇くずれの「滅私奉公を説く国策啓蒙映画」におけるこれは最も重要な場面です。

敬愛する殿に一目でもお会いしたい、恐れ多いとは知りながら一言でもお言葉を掛けていただきたい、命を捧げて忠義を尽くそうという左吾平に対して、殿は忠臣の辛い思いのなにもかもをすべて分かっているうえで、あやまちをなじるどころか優しい言葉で労をねぎらうという、ここに主君と足軽が一体となる封建武家社会の主従関係の基本的な精神的連繋を突き抜けて、本土決戦が迫った危機感のなかで軍部が国民になにを求めようとしていたのかが分かるような気がしました。

それは、この映画を見ている観客の気持ちの中では、きっと「臣民たるもの、ありがたくその一命をカシコキアタリに捧げよ」という明確なメッセージとして伝わっていったであろう、「見事な」国策映画だったのだと思います。

(44東宝)製作・氷室徹平、演出・石田民三、脚色・三村伸太郎、撮影・友成達雄、音楽・栗原重一、美術・島康平、録音・村山絢二、照明・横井総一、
出演・榎本健一、高峰秀子、黒川弥太郎、伊藤智子、横山運平、志村喬、清川荘司、尾上栄三郎
1944.07.06 白系 7巻 2,011m 74分 白黒
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by sentence2307 | 2007-02-04 10:10 | 映画 | Comments(3)

ラクダの馬さん

日本の喜劇王・榎本健一の生誕百年にあたっていた2004年、TVで「エノケンの幻の映画発見」として「ラクダの馬さん」が、50年振りに浅草で上映されたというニュースを流していたことを思い出しました。

実は、落語ネタを結構気にしているほうなので、落語そのままの乗りを生かした映画化のハチャメチャなヤツが、結構好きなのですが、しかし、意外にも、「落語もの」が、全部が全部ハチャメチャにスカッと仕上がっているかといえば、そんな成功作に出会うことは滅多にありません。

三木助、志ん生、円生(しかし8代目文楽だけはこの噺をレパートリーにしていなかったのか、記録をどうしても探し出すことが出来ません)などの天才的な落語家たちの、その卓越した話術によって笑わされてしまうのは、それはただただ話者の優れたテクによるからで、その話術の支えがなくなれば、話そのものは随分とシンプルで、かつ陰惨なだけに、力量のないコメディアンや着想の乏しい演出家にかかると、それはもう陰々滅々たる物凄い映画に出来上がってしまうという場合の方がずっと多いのです。

だからでしょうか、開き直ってその逆を突いたような川島雄三の「幕末太陽傳」の斬新な毒には、衝撃を受けました。

さて、幻の映画「らくだの馬さん」がいかなる映画か、パソコンで検索してみて、同じ題名の作品が2本あることを発見しました。

50年の松竹作品と、57年の東映作品です。

それにしても、1950年度の松竹作品は既に消失してしまっており、今回公開された「幻の映画」は、東映作品とのことですが、1957年に撮られた映画が既に「幻の映画」になってしまうなんて、日本の映画の保管体制って、随分怖いことになっているんだなあなんて変な関心をしてしまいました。

参考のために、この2本の映画の戸籍調べをしてみましたので、以下に記します。

★1950.3.25 製作=松竹(京都撮影所)=エノケンプロ 監督・大曽根辰夫、製作・小倉浩一郎、脚本・藤田潤一、撮影・太田眞一、音楽・栗原重一、美術・桑野春英、録音・森沢伍一、照明・寺田重雄、
出演・榎本健一、中村是好、黒川弥太郎、志織克子、進藤英太郎、折原啓子、森健二、清水金一、山路義人、飯田蝶子、田中謙三、玉島愛造、草島競子、国際劇場 10巻 2,311m 白黒

★1957.2.12 製作=東映(東京撮影所)企画・依田一郎、監督・石原均、監督補佐・梨岡元、脚本・舟橋和郎、撮影・藤井静、音楽・山田栄一、美術・森幹男、録音・小松忠之、照明・銀谷謙蔵、編集・祖田富美夫、進行主任・田島作也、スチール・鈴木敏雄・鈴木敏雄、
出演・榎本健一、於島鈴子、宮川玲子、原国雄、藤田淑子、岡田みどり、杉狂児、小峰千代子、月丘千秋、中村是好、花沢徳衛、益田キートン、日野明子、曽根秀介、山本いさむ、河童六十四、富士山竜、長谷川晴男、清見淳、滝島孝二、沢彰謙、丹羽一郎、潮健児、久保一、青山定司 6巻 1,647m 白黒 
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by sentence2307 | 2007-02-04 09:48 | 映画 | Comments(1)
ある日、プログラムを見ていたら、なんとチャンネルNECOで亀井文夫の「信濃風土記より 小林一茶」41を放映するというので、あわてて録画予約をしたことがありました。

こんな感じで貴重な作品を自分の不注意から見逃してしまうことがたびたびあります。

わずか30分足らずの小品とはいえ、いまだ未見のこの作品、本による予備知識ばかりを詰め込むだけ詰め込んだ状態で、僕にとっては期待ばかりが過剰に肥大してしまった作品のひとつといえます。

なるほど、噂にたがわず、亀井文夫のあの独特の映像美を心ゆくまで堪能することができて満足でした。

僕の友人には亀井文夫のイデオロギーがらみの姿勢を辛辣に批判する(映画を政治の道具にしている、ということに対する嫌悪です)ものもいるのですが、僕としては、それは少し違うかなと思っています。

政治的な映画を、ただ政治的な価値観だけで解釈しようとすれば、どこまでいっても結局そこには意味あるものは何ひとつ見出せない不毛な世界しかないでしょう。

この「信濃風土記より 小林一茶」の中で、たとえば大凶作に苦しむ農民たちが、ことごとく立ち枯れた桑の葉を荒涼たる原野に立ち尽くして、じっと凝視し続ける絶望的なあの場面でさえも、友人ならきっと「あれは、ヤラセだ」くらいには言うかもしれません。

しかし、それがヤラセかどうかなど、荒廃した原野に辛うじて立っている病馬のような農民たちの強烈なあの映像の前にあって、なにほどの意味があるといえるでしょうか。

いかなる作為をほどこそうと、映画は時代を写してしまう鏡です。

キャメラは、しっかりと凶作に荒廃した田畑をとらえ、そして、困惑し落胆し絶望した農民のなにもかもをとらえてしまっています。

絶望の表情を撮影のためにキャメラの前で改めて演じ直させる作為が、もし亀井にあったのなら、真実の伝達を演技というカモフラージュに加工して伝えようとした、それこそ権力に対するあからさまでない異議申し立てを、一茶に託し語り出そうとしていたのかもしれませんね。

この亀井作品を見た後で、高原登監督の「俳人芭蕉の生涯」49を見ました。

ナレーションは同じ徳川無声、製作はともに東宝映画文化映画部となっているので、当時東宝の文化映画部で俳人を描く特集でもあって、その一環として作られたのかもしれません。

録画する際、最近はテープを止めずにそのまま回しっぱなしにしています。

名作や著名な作品ばかりがターゲットの「予約」では決して見ることもない無名な作品を任意に録画して、時間が出来たときに見るようにしているのです。

そこで得た収穫として「姿なき108部隊」(56大映)という作品に出会いました。

笠智衆がキャストの一番になっていました。

監督は、高峰秀子の「チョコレートと兵隊」38がテビュー作だった佐藤隆で、佐藤監督が最後から2番目に監督した作品のようでした。

1940年に長野県の観光課の協力で「信濃風土記」3部作として企画され、1作目の「伊那節」(フィルム現存せず)に続く2作目の作品で、3作目になるはずだった「町と農村」は、ついに完成しませんでした。

信濃出身の19世紀の俳人・小林一茶の俳句をモチーフにして、県の8割以上が山岳地帯で占められた信濃の農民が厳しい自然と格闘する苦難に満ちた生活を、「関東大震災記録」23、「怒涛を蹴って」37などのカメラマン・白井茂が撮影した詩的なドキュメンタリーで、否定的にいう友人がいる一方で、この作品を亀井文夫のドキュメンタリー最高傑作だという友人もいます。

それは、ひとつには、この作品の中に映し出される、群れ遊ぶ多くの信濃の子供たちの表情に「ここにいる子供たちは、まさにオレたち自身なのだ」という土俗的な魅力を感じるからでしょう。

そこには冷害による大凶作を前にして呆然とする大人たちも含めて、それらはまさに「未開の原住民というニュアンスをこめた日本原人」とでもいってみたくなるようなナマの表情が映し出されています。

そして、彼らをさらに魅力的に見せているものは、多分「貧困」です。

亀井は、この作品を発表したあと、思いもよらず検挙され投獄されました。

検挙の理由は、「上海」以来、一般大衆の反戦的共産主義の啓蒙昂揚を図ったということでの投獄でしたが、この「戦中投獄された映画監督は亀井ただひとりだった」という勲章にも似た経歴が、あるいは亀井の戦後をある意味で困難にしてしまったのかもしれませんね。

そして、彼のメッセージにどうしても必要だった「貧困」が、日本から徐々に解消されてしまったことも、もうひとつの大きな原因だったかもしれません。

亀井に烙印されたこの「反戦」というものに対する戦後日本の微妙な空気を、丸谷才一は、その著「笹まくら」で見事に活写していました。

(41東宝映画文化映画部)監督・亀井文夫、製作村治夫、撮影・白井茂、録音・酒井栄三、音楽・大木正夫、解説・徳川夢声、35mm、3巻743m、28分・モノクロ、1941.2.18日本劇場
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by sentence2307 | 2007-02-03 23:56 | 映画 | Comments(44)