世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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バリー・リンドン

「バリー・リンドン」の映像の美しさに言葉を失うほどの衝撃を受けたとき、同じようなショック(魅せられたというべきかもしれません)を受けた作品として、フェリーニの「カサノバ」を思い浮かべました。

きっと、僕をこの連想へといざなったものは、単にその「映像の美しさ」にあっただけでなく、物語を貫く主人公の破天荒な「遍歴」に続く生涯の最後に仄めかされていた「虚しさ」にあったからかもしれません。

例えば「カサノバ」の場合、次から次へと女漁りを続けていく彼の「欲情」を支えていたものが、決して淫らな「好色さ」への耽溺などではなく、むしろ限りなく繰り返される女性に対する「失望」にあり、理想が裏切られるたびに余儀なくされる「遍歴」が、皮肉にも彼にはっきりとした「理想の女性像」を結ばせることとなって、その失意に追い立てられるかのように「人形」という生命無き女性に辿りつかせるという無残な結果が、しかし同時に、人間に対する深い絶望感をも意味していたことを思うと、そこにキューブリックの不世出の名作「バリー・リンドン」に一脈通ずるものがあると直感した僕の連想は、あながち根拠のないものではなかったのだと思うようになりました。

爵位を持たないわが身の行く末を案じたバリーが、爵位を欲したことから始められた浪費によって、急坂を転がり落ちるように破滅に向かっていく本編後半部分のクライマックス、成長した義理の息子ブリンドンとの衝突、わが子ブライアンの事故死、そして妻レディ・リンドンの失意の果ての自殺未遂を契機に決行されることとなる義理の息子との決闘の場面に、この物語の重要なテーマは語りつくされていると思います。

そこには、かつて幾度かの決闘を経験し修羅場を潜り抜けてきたことで平然と構えているバリーに対して、死の瀬戸際で恐怖に怯える若年者ブリンドンの無様な姿が対比的にリアルに描かれています。

迫り来る死の恐怖から惨めに嘔吐し、極度の緊張から準備の段階で銃を暴発させてしまうブリンドンに、バリーは銃を地面に向けて撃ち放ち、撃つ権利を放棄して、ブリンドンに猶予を与えます。

もしこのとき、バリーがブリントンに向けて発砲していれば、かつての経験と実績から判断しても、義理の息子ブリンドンを撃ち殺していた可能性は大きかったと思います。

なぜバリーは、このときあえて射撃の権利を、それはつまり、あれほど欲した爵位を獲得できたかもしれない可能性をあえて放棄したのか、なぜそのような選択をしたのか、まさか「紳士たる者のマナー」でもあるまいし、というのが、長い間この作品に僕が抱いていた疑問でした。

そして、最近こう考えるようになりました。

バリーは、この決闘の場において、既にこの撃ち合いに勝つ積もりなど最初からなかったのではないか。

多くの貴族たちの前で義理の息子ブリンドンと大喧嘩を見せ付けてしまったことで、以後貴族たちはバリーをあからさまに敬遠します。

貴族たちは、あの事件以来、バリーとブリントンのどちらが「貴族」で、どちらが氏素性の知れない「卑しい成り上がり者」であるのかに、すっかり気がついたのだと思います。

無視と排他の空気をバリー自身も気が付かないわけがありません。

たとえ、この決闘に勝ったとしても、自分を貴族社会が受け入れることなど最早ないことを認識していたからこそ、バリーは、爵位を得ることができたかもしれない可能性=射撃の権利を放棄したのだと思います。

女=人間に対する限りない失意に囚われた絶望的なカサノバを考えるよりも、むしろ従来の世評のとおりカサノバを「好色な女たらし」と理解した方がまだ救いがあるように、詐欺師バリーが貴族の忘れ形見たる息子との決闘によって敗れ、まるで天罰のように片足を失い、表舞台から姿を消したと考えるほうが、救いがあるのかもしれないなと思い始めてきました。

(75WB)製作監督脚本スタンリー・キューブリック、原作ウィリアム・メイクピース・サッカレー『The Memories of Barry Lyndon esq.』、共同制作バーナード・ウィリアムズ、製作総指揮ヤン・ハーラン、撮影ジョン・オルコット、プロダクション・デザイン・ケン・アダム、編集トニー・ローソン、音楽編曲レナード・ローゼンマン、衣装デザイン・ウラ・ブリット・ジョダールント、ミレナ・カノネーロ、サウンド編集ロドニーホランド、録音ロビン・グレゴリー、ダビング・ミキサー・ビル・ロウ、製作会社ワーナー/ホーク・フィルムズ
出演・ライアン・オニール、マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー、ハーディ・クリューガー、スティーヴン・バーコフ、ゲイ・ハミルトン、マリー・キーン、ダイアナ・コナー、マーレイ・メルヴィン、フランク・ミドルマス 、アンドレ・モレル、アーサー・オサリバン、ゴッドフレイ・キグリー、レナード・ロシター、フィリップ・ストーン、リオン・ヴィターリ、ナレーション・マイケル・ホーダーン、ドミニク・サベージ、デイヴィット・モーレイ、ジョン・ビンドン、ロジャー・ブース、ビリー・ボイル、ジョナサン・セシル、ピーター・セリエー、ジョフリー・チェイター、アンソニー・ドウズ、パトリック・ドーソン、バーナード・ヘプトン、アンソニー・ヘリック、バリー・ジャクソン、ウルフ・ケーラー、パトリック・ラファン、ハンス・メイヤー、ファーデイ・メイン、リアム・レドモンド、パット・ローチ、フレデリック・シラー、ジョージ・シューエル、アンソニー・シャープ、ジョン・シャープ、ロイ・スペンサー、ジョン・サリバン、ハリー・タウブ
カラー185分/ワイドスクリーン(1×1.66)ヴィスタ、1976.7.3日本公開、

1975アカデミー賞
作品賞ノミネート、監督賞ノミネート スタンリー・キューブリック、脚色賞ノミネート スタンリー・キューブリック、撮影賞授賞 ジョン・オルコット、音楽(編曲・歌曲)賞授賞 レナード・ローゼンマン、美術監督・装置授賞 ケン・アダム/VERNON DIXON/ROY WALKER
衣裳デザイン賞授賞 ウラ・ブリット・ジョダールント/ミレナ・カノネーロ、LA批評家協会賞 1975年、撮影賞授賞 ジョン・オルコット

★使用音楽
*ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750) 2台のチェンバロのための協奏曲 第1番 ハ短調より第2楽章「アレグロ」 Konzert f в Cembalo, Streicher und Basso Continuo Nr. 9 C-Moll BWV 1060 (F в 2 Cembali) - Allegro (1730頃)、  
*フリードリヒ(二世)大王 Frederick The Great (Friedrich der Gorsse) (1712-1786) ホーエンフリードベルク行進曲 Hohenfriedberger Marsch、
*ジョージ・フリードリック・ヘンデル Georg Friedrich Handel (George Frideric Handel) (1685-1759) ハープシコード組曲 第2巻 組曲 ニ短調 HWV 436 第3楽章「サラバンド」HWV 436: Suite de pi Qce in D minor, Vol 2 No 3 (1733) (オーケストラ編曲版) (ヘンデル版「ラ・フォリア」)
*ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) オペラ・セリア《イドメネオ》Idomeneo K.366より「行進曲」 
*ジョヴァンニ・パイジェッロ Giovanni Paisiello (1740-1816) 歌劇《セビリャの理髪師》Il barbiere di Siviglia より「カヴァティーナ」Cavatina (編曲) 
*フランツ・シューベルト Franz Schubertピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 第2楽章「アレグロ・コン・モト」 Klaviertrio Nr.2 op. 100 D. 929 - Andante con Moto
*アントニオ・ヴィヴァルディ Antonio Vivaldi (1678-1741) チェロ協奏曲 ホ短調 RV.409 第1楽章「アレグロ」 Concerto Pour Violoncelle & Basson En Mi Mineur, Rv409 : Allegro
*Irish Traditional Music by THE CHIEFTAINS (チーフタンズ)
*シューベルト:ピアノ三重奏第2番ホ長調D.929,Op.100から第2楽章、五つのドイツ舞曲より第1番ハ長調D.90-1 Schubert: Piano Trio in E-Flat Op. 100  Performed by RALPH HOLMES Violin (ラルフ・ホームズ)、MORAY WELSH Cello (マリー・ウェルシュ)、ANTHONY GOLDSTONE Piano (アントニー・ゴールドストーン)
*ヴィヴァルディ:Vivaldi: チェロ協奏曲ホ短調RV.409から第3楽章、Cello Concerto in E-Minor  PIERRE FOUNIER, Cello (ピエール・フルニエ)、Recorded on DEUTSCHE GRAMMOPHON
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:58 | 映画 | Comments(1077)
スチール写真を眺めながら、見た映画のことをあれこれ思い出して時間を過ごすのがとても好きなので、多くの作品の様々な場面をそのように眺めてみると、さりげない場面の意外な魅力を発見することもあるのですが、やはり、どうしても大見得をきってキメたポーズの、意識的に作った場面の魅力には、どうしても勝てません。

もっとも、どれもそうなのですが、スチール写真というのは、作品内の時間の流れの中からワン・シーンだけを切り取るわけですから、「静→動・クライマックス」に至る映画本来の動態としての魅力を、静止画によって、ただそれだけですべてを推し量るというのは、ちょっと酷かもしれませんね。

まあ、そういうことを十分に意識したうえで、一番堪能させてくれる映像作家を上げるとすれば、僕にとっては、まず、スタンリー・キューブリックです。

「シャイニング」「時計仕掛けのオレンジ」「2001年宇宙の旅」、「バリー・リンドン」、いやいや、まずは「博士の異常な愛情」を挙げなければいけませんでしたよね。

「アイズワイズシャット」も、ものすごく好きなシーンがたくさんありました。

初期の「現金に体を張れ」や「突撃」「スパルタカス」、それより何よりも「ロリータ」を最初に挙げるべきでした。

ウカツでした。

年齢なんか関係ない、もとより打算であるわけもない生まれたときから身に備わっている女の、男を誘う本能的な媚とか仕草とか。

「打算」とは、破滅から身を守る知恵だったんだなあと、その時、思いました。

さて、ここからが本題です。

最近、キューブリックに関する面白い記事をみつけたのです。

1963年に映画雑誌に要請されてキューブリックが選んだ映画史上のBEST TENです。

①青春群像(53フェデリコ・フェリーニ)
②野いちご(57イングマール・ベルイマン)
③市民ケーン(41オーソン・ウェルズ)
④黄金(48ジョン・ヒューストン)
⑤街の灯(31チャールズ・チャップリン)
⑥ヘンリー5世(45ローレンス・オリビエ)
⑦夜(61ミケランジェロ・アントニオーニ)
⑧ザ・バンク・ディック(40エディ・クライン)
⑨ロキシー・ハート(42ウィリアム・ウェルマン)
⑩地獄の天使(30ハワード・ヒューズ)、

意外とマトモじゃん、って誰だって思いますよね。

あのキューブリックがですよ。

これじゃあ、まるで映研の大学生の初々しさですね。

しかし、⑧のエディ・クライン(バスター・キートンの2巻物の喜劇映画を多数監督したことで有名)、⑨のウィリアム・ウェルマン(多彩な監督で、30年代に秀逸なギャング映画から視野を広げた社会問題と真正面から取り組んだ社会劇に力量を発揮し、手法は極めて直截で一直線に主題に切り込む鋭敏さが高く評価された)、⑩のハワード・ヒューズ(「地獄の天使」は、ジーン・ハーロウを抜擢して新時代のセックス・シンボルとして売り出そうとした名高い作品。

当時としては、異例の1年半の歳月と400万ドルを投入した戦争メロドラマ。

しかし、当時の評価は、「凡庸」でした)など、この辺は、さすがキューブリックらしいなと思いました。
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:53 | 映画 | Comments(159)

新しき土

ドイツ山岳映画の第一人者アーノルド・ファンクが、日本においてデビューしたての原節子で撮ったこの映画が、ドイツ国内では「侍の娘」というタイトルで公開されて大当たりをとったことは、よく知られています。

資料には、1937年3月23日から5月18日の間にドイツ主要都市2600の大小映画館で上映されて観客総数600万人を超えたとされています。

これは、それまでのロング・ラン作品テラ・フィルムのポーラ・ネグリ主演「モスコー・シャンハイ」の記録を大幅に破る快挙でした。

この圧倒的な人気はドイツのみにとどまらず、欧州13カ国をはじめギリシャ、ポーランド、ハンガリー、フィンランドからの上映の申し込みが殺到したと記されています。

しかし、日本において、それほどの圧倒的な人気を得ることができたのかどうか、その辺の確認はできませんでしたが、僕の知る限り、それほどのものではなかったように思われます。

その理由のひとつは、日本の観光地をただツギハギしただけの独善的で誠意のない描き方にあったのかもしれません。

原節子が鹿に餌をあげている同じ庭園内から、安芸の宮島が望まれるというようなシーンには、ただただ驚かされてしまいますが、しかしこれが当時の欧米人が夢見た極東の島国の限界だったのでしょうか。

しかし、本当は、日本人が受ける「違和感」は、もう少し違う所にあるのかもしれませんね。

つまり、例えば、冒頭に映し出される傑出した荒々しい富士山の威容を描いている力強い映像はどうでしょうか。

それまで僕たちが見てきた日本人の撮った富士が、どこまでも霊峰としての神々しさを失うことなく、穏やかでごく身近な静謐さをたたえた富士山の映像しか見たことがなかっただけに、やはり、この映像体験は、僕にとってはやはり衝撃といえるものだったかもしれません。

もうひとつ別に作られたという伊丹版が、このあたりをどう処理しているのか未見なので分りませんが、少なくともファンク版における富士は、容易には人を寄せ付けそうにない険しい岩肌に、叩き付けるように逆巻く雪まじりの突風が行き交い、荒々しく吹き荒れる自然の猛威と不気味さを湛えた今まで見たこともないような自然そのものの只中にある猛々しい富士山の姿でした。

そこには、僕たちがいつの間にかこの単なる山に付加してしまっていた価値観とかモロモロの観念(霊峰とか)を打ち砕く「まぎれもない自然そのものの姿」がありました。

この日独同盟が産み落とした政治的な映画が、意外に当時の日本人に不評だったのは、日本人のイデオロギーそのものでもあった富士山をこんな形で剥き出しに描いたこのあたりにあったのかもしれませんね。

この場合のリアリズムが、日本人にとっては受け入れがたい場違いな「否定」を意味していたに違いありません。

(37J.O.スタジオ・東和商事映画部)総指揮アーノルド・ファンク、監督・日独版 アーノルド・ファンク 日英版 伊丹万作、脚本・日独版 アーノルド・ファンク 日英版 伊丹万作、原作アーノルド・ファンク、撮影リヒアルト・アングスト、撮影助手ワルター・リムル 上田勇 ハンス・シュタウディンガー、音楽・山田耕筰、伴奏・新交響楽団 中央交響楽団、作詞・北原白秋 西條八十、装置・吉田謙吉、録音・中大路禎二、衣装・松坂屋
出演・早川雪州、原節子、小杉勇、英百合子、中村吉次、高木永二、市川春代、村田かな江、常盤操子、ルート・エヴェラー、マックス・ヒンダー
1937.02.04 帝国劇場 12巻 3,143m 115分 白黒
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:50 | 映画 | Comments(149)

大日向村

この作品は、前進座総出演と書かれています。

印象としてなんとなく山中貞雄を思い浮かべてしまうのは、あの「河内山宗俊」や「人情紙風船」に出演していた同じ顔ぶれが、そのままこの映画「大日向村」でも見られるからでしょう。

しかし、悲観と絶望に満たされた痛切なあの山中作品と、どこまでも明るい手放しの楽観と活力溢れる「大日向村」では、そもそも比較するだけの手がかりになるようなものなど、なにひとつ見つけることのできないくらいの、あまりの違いようです。

そこには、単に、かたや「悲観」、かたや「活力」という括りだけでは説明できないような深いギャップが横たわっているのだと思います。

例えば「人情紙風船」なら、全編に漂う暗さのなかで、社会に適応できないまま押し潰されていく馬鹿正直で不器用な人間の無残な挫折を描きながら、しかし、同時に、そこには、なんとも優しい「救い」さえ見ることもできるのは、きっと、そういう純粋さに殉じる弱き者たちを、山中貞雄がどこまでも肯定的に描いているからだろうと思います。

哀れなほど真っ正直で、馬鹿馬鹿しいほど純粋で、苦笑したくなるほど弱々しくとも、そうした社会への適応力の欠落した不器用な人間たちの無残な破滅を、僕たち観衆が嫌悪感なく受け入れることができるのは、その破滅に、どんなに惨めでも生きることに誠実であろうとする者の気高さが描かれているからだろうと思います。

哀れなほど真っ正直で、馬鹿馬鹿しいほど純粋で、苦笑したくなるほど弱々しい人間でも、「それでもいいじゃないか」と肯定する山中貞雄の優しさが、僕たちを感動で撃つのだろうと思います。

それに引き換え「大日向村」の、観る者を拒むような一種独特な白々しさ・よそよそしさは、そのまま国策の側に身を置いて作られた欺瞞的で、すべてが嘘で塗り固められた製作姿勢にあることは疑いないとしても、そこに、なお残る違和感の意味がぼくにはもうひとつ解せませんでした。

いまでは、この大日向村を語るときには、どうしても「悲劇」という言葉が付きまといます。

中国の農民から土地を収奪したうえで為された国策に乗り、新天地を求めて満州へ移住した大日向村の、そして日本の貧しい農民たちに襲い掛かったソ連軍の進攻と、それに先立つ日本軍の敗走によって引き起こされた凄惨な悲劇は、多くの犠牲者と、さらに残留孤児、残留婦人となって現代に至るもなお未解決のままに残されている深刻な問題です。

日本の貧しい農民たちに「バラ色の夢」を与えたに違いないこの映画にある罪深さを感じてしまうのは、きっとその悲惨な結末のためだろうと思います。

その意味では、集団移民に一役買ったこの映画で熱演した「前進座」も、きっと同罪には違いありません。

あの「河内山宗俊」や「人情紙風船」のなかで誠実な人間の真摯な絶望と諦念を演じて見せた前進座が、このような国策映画に疑いもなく出演し、そればかりではなく、このタダならぬ熱の入れようが僕にはどうしても理解できませんでした。

そんなあるとき、なんとなく眺めていた資料によって、前進座が当時「進歩的な劇団」というふうに位置づけだったことを知りました。

この文言で僕の違和感が一気に氷解し、目からウロコが落ちたようにある考えが思い浮かびました。

もしかしたら、この「進歩的な劇団」は、時局柄どうしても国策に従わなければならないという窮地のなかにあって、彼らはこの「全国初の集団分村移民満豪開拓団」の話に、社会主義=共産主義的な集団農場(確かコルホーズとかいいましたよね)の解釈を重ねて、この国策映画のなかで精一杯彼らの理想を演じたのかもしれない、などと妄想してみました。

戦時下にあった当時の思想転向者たちの起死回生の論理というものがどういったものなのか、僕などに分かるはずもありませんが、そのような「夢」が、当のソ連軍の侵攻によって完膚なきまでに打ち砕かれるという事態に至ったことは、なんとも皮肉で無残な結末としか言いようがありませんけれども。

(40東京発声=東宝)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、脚本・八木隆一郎、原作・和田伝、撮影・小原譲治、音楽・中川栄三、美術・園真、録音・奥津武、照明・北村石太郎
出演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、杉村春子、中村メイ子、伊藤智子、藤輪欣司、岬たか子、中村鶴三10巻 2,297m 84分 白黒1940.10.30 日本劇場
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:48 | 映画 | Comments(1)

カルラの歌

物語は、無賃乗車をした外国人カルラを、グラスゴーのバス運転手ジョージが見逃してあげるところから始まります。

無賃乗車を見逃したという職務的な怠慢が直接のきっかけとなって、彼の勤務状態を常に監視している会社側との対立が一挙に表面化し、彼は職を失うこととなりました。

それは、自分の首を賭けてまでも彼女カルラのことをかばったことから、結果的に、ジョージがカルラと結ばれ、やがて、彼女とともに、ニカラグアへの危険な旅に出発することになりますが、僕には、この物語の進め方のなにもかもが、不自然に思えて仕方ありませんでした。

ケン・ローチ監督の描く男と女の関係のとらえ方に、拭いがたい違和感をどうしても感じてしまうのです。

この作品のファースト・シーンからのことごとくが、ケン・ローチという監督の資質、つまり、弱者の窮状を見過ごしに出来ない正義感とか、同じテンションで高揚する強権への怒り、などを根底にした映画作りの姿勢というものがよく理解できる分だけ、疑問を感じてしまいました。

そうした図式的な感情のあり方が、どう恋愛に関係するのか、さっぱり理解できないのです。

ジョージは、愛するカルラの「すべて」のことを知りたいという気持ちから、彼女の恋人の安否を確かめるために、命の危険を冒してまで政情不安なニカラグアへ、カルラとともに旅立ちました。

ジョージは、最初「どことなく暗く沈んだ淋しげなカルラ」のことが気になり、強い関心を抱きます。

彼女の「暗く淋しげでいることの理由」を知りたい、そして、なんとかしてあげたいと切望するジョージの感情は、正義感や誠実さに基づくものなのでしょうが、そうした感情が、恋愛に必須な感情といえるかといえば、それは、ほとんど疑問です。

現実では、往々にして正義に反し、誠実さに欠ける恋愛など掃いて捨てる程ありますし、「知る」ことと恋愛感情とは、最初からなんの関係もありません。

ジョージは、このニカラグアが自分のいる場所でないことを知り、カルラのすべてを理解できないことを知り、「なにも分からなかった」とジョージは、ひとりイギリスに帰りますが、しかし、「分かろうとする」次元には、恋愛など成り立つわけがないことの理解が、この映画には決定的に欠けているように思えました。

ケン・ローチに関してよく言われる「感傷的でなく、また安易なハッピーエンドの気休めと救済を拒絶する」姿勢と、人を愛するということの表現の突き詰めていく姿勢とは、本質的にまったく異なるものであると言わざるを得ません。

(96英国)監督 ケン・ローチ、製作 サリー・ヒビン、脚本 ポール・ラヴァティ、撮影 バリー・アクロイド、音楽 ジョージ・フェントン、美術 マーティン・ジョンソン、編集 ジョナサン・モリス、衣装(デザイン) ダフネ・ダール、 レナ・モッサム
出演ロバート・カーライル、オヤンカ・カベザス、スコット・グレン、サルヴェイダー・エスピノーザ、ルイス・グッダール、リチャード・ローザ、ゲイリー・ルイス、パメラ・ターナー
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:44 | 映画 | Comments(1)

黒い画集・寒流

黒沢作品「悪い奴ほどよく眠る」が、松本清張の原作だと言われたら抵抗なく信じると思います。

それくらい雰囲気的には、なんか似ている感じがします。

巨大な権力にひとり立ち向かっていきながら、結局押し潰されてしまうというあたりなんか、共通するものがありますよね。

たまたま、「日本映画専門チャンネル」で放映していた鈴木英夫監督61年東宝作品「黒い画集・寒流」を見ながら、ふとそんな気がしました。

「黒い画集」シリーズの完成度から言えば、やはり、堀川弘通監督の「あるサラリーマンの証言」を挙げねばならないかもしれませんが、この「寒流」も捨てがたいものがあります。

新珠三千代の熱演です。

この「寒流」は、彼女の代表作といわれている小林正樹監督の「人間の条件」と製作年度がダブっているので、もっともアブラののっていた時期の女優・新珠三千代を見ることができます。

僕としては、もう少し若い時期の、川島雄三監督の「洲崎パラダイス赤信号」で蔦枝を演じていた彼女もとても好きです。

新珠三千代の魅力は、品のよさと女らしい情感(あの楚々とした喋り方!)に溢れ、そして凛とした芯の強さ(時には、悪魔のような女も)を不自然でなく同時に演じることのできた素晴らしい女優さんでした。

惜しい女優さんが、どんどん亡くなられて、とても淋しい感じがします。

さて、こう書いてきて、一時期、盛んに作られた松本清張の小説の映画化、最近はあまり聞かなくなりました。

それにしてもどのくらい映画化されているのか、ちょっと調べてみました。

顔(57大曽根辰保)、張り込み(58野村芳太郎)、眼の壁(58大庭秀雄)、共犯者(58田中重雄)、影なき声(58鈴木清順)、点と線(58小林恒夫)、かげろう絵図(59衣笠貞之助)、危険な女(59若杉光夫)、黒い画集・あるサラリーマンの証言(60堀川弘通)、波の塔(60中村登)、黒い樹海(60原田治夫)、ゼロの焦点(61野村芳太郎)、黒い画集・ある遭難(61杉江敏男)、黄色い風土(61石井輝男)、黒い画集・寒流(61鈴木英夫)、考える葉(62佐藤肇)、無宿人別長(63井上和男)、風の視線(63川頭義郎)、花実のない森(65富本壮吉)、霧の旗(65山田洋次)、けものみち(65須川栄三)、愛のきずな(69坪島孝)、影の車(70野村芳太郎)、内海の輪(71斎藤耕一)、黒の奔流(72渡辺祐介)、砂の器(74野村芳太郎)、告訴せず(75堀川弘通)、球形の荒野(75貞永方久)、霧の旗(77西河克己)、鬼畜(78野村芳太郎)、わるいやつら(80野村芳太郎)、疑惑(82野村芳太郎)、天城越え(83三村晴彦)、迷走地図(83野村芳太郎)、彩り河(84三村晴彦)の35作だそうです。
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:42 | 映画 | Comments(4)

国民の創生 ②

1911年に製作された短編からは、職を失い、盗みを働いて捕らえられ、さらに妻を失う老人の救いの無い末路を描いた「老人たちをどうすべきか」(16分)のほかに、「女は嘲笑した」(17分)と薬物の脅威を訴える「息子のために」(16分)の3本が紹介されています。

この「老人たちをどうすべきか」のような悲劇的な結末を持つ作品は、この時期のバイオグラフにおいては一般的な傾向で、観客の強い支持があったのか、類似の作品が多く見られます。

また、「ドリーの冒険」や「国民の創生」にみられるような、いわゆるグリフィスのラスト・ミニッツ・レスキュー(最期の救出)の典型的なパターン(泥棒に襲われた一家を救いに駆けつける)の作品として挙げられるのが「女は嘲笑した」でしょうか。

悪役である泥棒を一途に愛する健気な娘を中心に据え、視点に工夫をこらして、ひとつのストーリーを多面的に描こうとする後年のグリフィスの兆しがうかがわれます。

ルネ・クレールは、「映画芸術は、グリフィス以後、何らかの本質的なものを何も付け加えていない」と言っています。

グリフィスがその手腕をいかんなく発揮した絶頂期「最初のゴールデン・イヤー」といわれる1912年に製作された8本、「女性」(16分)、「老男優」(17分)、「大虐殺」(35分)、「狭き道」(17分)、「厚化粧したレディ」(17分)、「ビッグ横丁のならず者」(17分)、「男性」(15分)、「電話交換嬢と御婦人」(17分)が紹介されています。

ここには、ルネ・クレールの言葉にあったように、クローズアップ、ロングショット、フェイド、アイリス、ソフトフォーカス、移動など、カメラによる自在な表現技法を堪能することができます。

まず、「女性」は、いがみ合いながら砂漠を彷徨う3人の女性を描いた作品ですが、同じ頃に撮られた作品が、1作品平均ショット数82に対して、この作品のショットは62と、緩慢なリズムを強調した編集処理によって砂漠の灼熱と渇きがリアルに表現され一層の効果をあげています。

また「老男優」は、栄光の座から滑り落ち、酒に溺れる俳優の悲哀を描いた作品ですが、後年フランス映画が好んで描いた落ちぶれた俳優たちの物語、例えば「旅路の果て」などを髣髴とさせる佳作です。

つづく「大虐殺」は、2巻ものの大作ですが、この作品が撮られた当時、まだ会社側の長尺ものへの警戒心が根強く、公開は、グリフィスがバイオグラフを去った後の1914年まで持ち越されています。

グリフィスの長尺ものを撮りたいという強い欲求の背景には、イタリア映画「クオ・ヴゥヂス」の空前の大ヒットを目の当たりにして刺激されたという説があります。

2時間という当時にあっては驚異的な長尺の史劇でした。

バイオグラフでは、2巻ものを撮ることさえままならない現実に失望したグリフィスは、「クオ・ウヴァヂス」や「カビリア」に劣らない堂々たるアメリカの史劇を撮ろうと、それに相応しい製作環境を求めたのだろうと考えられます。

また、更に、バイオグラフの役員たちが、同時に映画特許会社の役員を兼務しており、彼らは、ザ・トラストの慎重な製作方針をかたくなに固守して、2巻以上の長い作品を許さず、グリフィスと俳優たちの名前を画面に出すことや個人名を宣伝することも許さなかったという事情もあったようです。

技術を身につけ、自信も持ち始めたグリフィスにとって、これらの規制は窮屈そのものだったに違いありません。

会社との軋轢が少しずつ表面化してきた年でもあったわけです。

ほかには、100を超える短いショットを緻密に構成し、多彩なアクションを凝縮した「狭き道」と、地味な娘が男の裏切りと死を知って徐々に精神を病んでいく過程を繊細に描写した悲劇「厚化粧したレディ」、ニューヨークの街頭で撮影されたリリアン・ギッシュの単独主演作「ピッグ横丁のならず者」(この作品は、ギャング映画の起源のひとつとして知られています。リリアン・ギッシュは、同じ年の「見えざる敵An Unseen Enemy」からグリフィス作品に出演していました。) 、「男性」は、山に出かけた浮気男が田舎娘とカヌーで逃げ出し、娘の兄たちに追いつかれる大騒動のすえ、改心して妻の待つ家庭に戻るという活劇調の道徳譚。

アメリカではフィルムが失われたと考えられていた作品で、唯一の可燃性プリントが日本で発見されたといういわくつきの作品です。

1913年製作の作品として「たかが黄金」(17分)と、ラスト・ミニッツ・レスキューの優れた作品例として引き合いに出される「エルダーブッシュ峡谷の戦い」(29分)、そして、主人公の男女が現代と原始時代を自由に行き来するという卓抜なイメージで作られた「先史時代」(32分)と、これまで日本では、しばしば「ベッスリアの女王」として紹介されてきた史劇「アッシリアの遠征」(60分)が上映されます。

なかでも「アッシリアの遠征」は、バイオグラフが撮ることを許さなかった4巻ものの長編映画の製作をグリフィスがあえて強行することで、この会社を去る直接の契機となった作品であり、「国民の創生」や「イントレランス」の栄光と、そして挫折につながっていく彼の映画人生にとって重要な意味を持つ作品です。

それだけの覚悟でグリフィスは、この作品に臨んだのだと思います。

1913年の冬、グリフィスは、ニューヨーク本社の経営陣には無断で、この聖書の物語を企画し、南カリフォルニア、サン・フェルナンド峡谷の岩だらけの大地に城壁都市の巨大で豪華なオープンセットを建てて撮影を始めました。

彼は、演劇には到底真似のできない独自の映像的スタイルの確立し、あらゆる映画技法を駆使した様々なショットを積み重ねることで、映像空間と映画的時間とを併置させ途切れない物語の連続的な表現を目指しました。

カメラは、あらゆる場所にめまぐるしく移動し、群衆から一人へ、近景から遠景へ、そして地上よりの仰視から一転して城壁よりの俯瞰へと動きます。

当時、この偉大な映像叙事詩「アッシリアの遠征」が世論に与えた衝撃は、いままでの散文的説明的な従来の映画の原理の応用をはるかに凌駕し、映画にのみ可能な表現の様式を確立したという賛辞のあとに、「グリフィスは、動く映像の最初の芸術家であり、かつて誰も見ることのなかったような完全な世界をスクリーンに再現した最初の人物である」という賛辞がつけ加えられました。

バイオグラフの経営陣は、規則をないがしろにしたグリフィスに腹を立て、「アッシリアの遠征」の公開を差し止める措置(1914年3月まで抑えられていたということです。)にでる一方で、皮肉にも遅ればせながら、会社側は、時流に押されて長編物の製作を決定します。

しかし、その人選のなかにグリフィスは含まれていませんでした。

1913年9月、グリフィスは、『ニューヨーク・ドラマティック・ミラー』にバイオグラフを辞職する旨の記事を掲載します。

「バイオグラフの大当たりした全作品の製作者にして、映画劇を改革し、この芸術の近代的技法の基礎を確立し、そして更に発展させ続けているD・W・グリフィスは」、つまり自由になった、という広告を出しました。

スコセッシやスピルバーグ、そしてデ・パルマをハリウッドの第9世代と呼んでいる雑誌の記事を読んだことがあります。

その世代のカウントは、当然D・W・グリフィスを第1世代として数え始められるわけですが、ただ、グリフィス自身、そう看做されることをすんなり受け入れるかどうか、ちょっと想像がつきにくいところがあります。

というのも「イントレランス」の実験的な技法を理解せず、大胆すぎる構成や興業的な失敗のみを冷笑してドン・キホーテ扱いしたうえ、この作品を「葬り去った」多くの批評家や映画産業、果ては一般市民に対してまで及ぶグリフィスの不信と剥き出しの敵意が彼自身の中で深刻なものとして存在していたのではないかとおもわれるからです。

ただ、この作品のあまりにも早すぎた実験的な映画技法への挑戦の真の評価が、オーソン・ウエルズなどによってなされるまで、実際にはかなりの時間を要したことを思い合わせるとき、当時の悪意も含んでいたかもしれない評価が、あるいは、致し方なかったのかなという気もします。

簡潔なカッティングや、手や物の極端なクローズ・アップ、そしてパノラミックな遠景、独特のマスキング画面、テンポの速いクロス・カッティングなど、フランスのフォトジェニー論やソビエトのモンタージュ理論に多大な影響を与えたとされる独自の映画言語確立のための意欲的な映画史的貢献は無視されたうえで、むしろスキャンダラスな副次的な側面が過大に取り上げられました。

ある映画批評家は、当時のこの作品に対する世論の一般的な反応をこう要約しています。

半裸の女が大胆にも脚を広げ、あるいは、別のショットでは、入浴中の女が胸部をあらわにした姿を堂々と撮るなど、グリフィスは、バビロンの官能的な場面を今までにない過激で挑発的な描写によって、良識あるアメリカ市民の道徳感覚に挑戦し、逆撫でし、目をそむけさせ、そして反感をかいました。

さらに、彼は監獄を『ときとして不寛容になる家』と呼び、無実の若者に死刑を宣告する法体系に異議を唱えて、合衆国の法律と規則に対する政府の公的な見解にさえ挑戦的な態度をエスカレートさせていきます。

そして映画は、戦場と監獄の光景から花盛りの牧草地の描写に移り、愛と平和の永遠なる理想郷をほのめかすエピローグで終わります。

あまりに抽象的でおしつけがましい説教口調と一人よがりの感傷に満ちたこの「幼稚な」メッセージは、第一次大戦を背景にしていた当時の世論の好戦的な気分からかなりズレており、観客は、この民衆の良識を大きくはずした超大作に失笑し、無視し、結果的には葬り去ることとなる理由だったと見られています。

当然この『イントレランス』は、切符売り場で致命的な打撃をこうむることになりました。

第1次世界大戦さなか、グリフィスがイギリスに招かれて撮った「世界の心」1918や実写本位的な作品「偉大な愛」1918は、もはや往年の野心は失われた凡庸な戦争宣伝映画にすぎず、その押し付けがましい説教口調は、さんざんの酷評を受けることとなります。

グリフィスの時代錯誤をあからさまに非難し、大戦戦時下の時代風潮に適応しようとしない鼻持ちならない強烈な自我と頑迷さ、あるいは、あまりに素朴で抽象的な彼の幼い歴史観や思想が、過去の栄光にあぐらをかいただけの単なる時代遅れの妄想でしかないと非難するものでした。

そして、その見解の正当性をまるで裏付けるような幾つかのエピソードが同時に語られています。

どう考えても実現不可能な自作を専門に上映するための劇場チェーンの構想を唐突に発表したり、映画の字幕1枚ずつに自分の名前を入れたりするなど、ちょっと首を傾げたくなるようなハッタリとも何ともつかない行動をみせます。

この時期の彼を多くの解説書は、「名声は、とめどなく落下した」という表現を使っています。

何をやってもうまくいかない、ギクシャクする追い詰められた状況のなか、チャップリンやフェアバンクス、ピックフォードとともにユナイテッド・アーティスツを組織したグリフィスは、しかし、この時、まるで奇跡のように繊細な作品、あの名作の誉れ高い「散り行く花」1919を生み出しました。

可憐で儚げな白い花リリアン・ギッシュ、貧しくとも気高い理想に生きようとする中国人リチャード・バーセルメス、そして、欲望のままに生きる「けだもの」のようなドナルド・クリスプと、どの役者の演技もスコブル印象的です。

憂さ晴らしのために娘を殴り続け、死に至らしめる愚劣な父親の凶暴と残忍さ、虐待されるままに微かな希望さえ与えられることなく死んでゆく薄幸な少女の虫けらのような死の悲惨と感傷、そして理不尽な暴力に憤り、その愚劣な男を撃ち殺して自分も自殺を遂げる若き中国人の無念さ、この振幅の大きなドラマ展開のなかで、愛とさえ呼べないような微かな心の触れ合いが、繊細に描かれていきます。

結局は、すべての登場人物の無残な死によって、物語自体をことごとく破壊してしまうようなこの作品の根底にある虚しさは、グリフィスの当時の心情を反映していたのでしょうか。

貧しく絶望のどん底で、社会から完全に見捨てられた者同士が、限りなく傷つけあう救いの無い映画です。

「散り行く花」と同じ年1919年に撮られた「大疑問」は、グリフィスがしばしば描いてきた貧しい白人たちの生活を題材としたサスペンス・タッチの81分の中編作品です。

幼児に殺人事件を目撃した無垢な少女リリアン・ギッシュが、何も知らないままに、かつての殺人犯夫婦の家のメイドになるという設定から物語は始まります。

グリフィスの永遠のテーマである南部のpoor white たちの深刻な生活を、穏やかな田園風景のなかでとらえた不思議な雰囲気をもった知られざる傑作として紹介されています。

1924年製作のスペクタクル史劇「アメリカ」は、130分の大作です。

マサチューセッツの民兵ニール・ハミルトンと富豪の娘キャロル・デンプスターの恋物語に多くの登場人物の去就を絡ませた壮観な一大絵巻と紹介されている作品です。

アメリカ独立戦争に題材を求めたこの作品は、同じ南北戦争を扱った「国民の創生」1915と、第一次大戦を扱った「世界の心」1918とともに、グリフィスの戦争三部作と位置づけられている作品ですが、歴史学者ロバート・W・チェンバースの原作を、その細部に至るまで忠実に再現しようとした繊細な配慮がうかがえる戦争叙事詩の力作です。

1924年製作の「素晴らしい哉人生」は、第一次大戦後にポーランドからベルリンの郊外にやって来た教師一家の物語ですが、実際にドイツで撮影されたことでも知られている後期グリフィスの代表作です。

インフレ、失業、食糧難という苦境の中で懸命に生きようとする男女の生活の苦闘を描いた作品ですが、その中の1シーン、収穫した馬鈴薯を盗まれた失意の男ニール・ハミルトンを、女キャロル・デンプスターが力強く励ますラスト・シーンは、黒澤明の「素晴らしき日曜日」1947に多大な影響を与えたことは、広く知られています。

1925年製作の「曲馬団のサリー」は、ブロードウェイ・ミュージカル「ポピー」の映画化です。

サーカスの道に進んで厳格な父から勘当された娘は、やがてサリーという子を産んで息を引き取ります。

そして、成長したサリーは、サーカスの団長とともに母の故郷を訪れますが、孫と祖父母は、互いの身の上を知らない、というところから物語は始まりました。
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:40 | 映画 | Comments(2)

国民の創生 ①

1915年に製作されたグリフィスのこの作品が、映像処理の基本的技法(フラッシュ・バックによる映画的時間の処理とか、クロス・アップや超ロングによるモッブ・シーンの使い分け、様々な形のマスキングの使用、ふたつの場面進行を交互に見せるクロス・カッティングなど)を確立した作品といわれるだけに、その優れた映画話法の完成度の高さと饒舌とにより、いま見ても左程語り口の古さを感じることなく鑑賞できるので、逆に、そこで描かれている強烈な人種的偏見も一層生々しく感じてしまうのかもしれません。

この作品は、南北に分かれて戦った二つの家族の若者同士が、南北の和解を象徴するかのように結ばれ結婚するというのが主要な話しの部分なのですが、それとは別に、北軍の勝利により、解放された黒人たちの凶悪な暴動に対処するために、自衛のため仕方なくKKKが組織されたという理由付けもなされています。

結成のタテマエは、自由の身となった黒人たちが白人に対し激しい憎悪をもって対抗し、その脅威に、やむを得ず白衣覆面のKKK団が暴徒と化した黒人に制裁を加えるためと説明されています。

実際に南軍の大佐だったという父親をもったグリフィスが、南軍的雰囲気の環境の中で育まれたに違いないこの暴力的な白人優越主義の人種偏見を、ごく日常的な常識として身につけていたことに驚くと共に、それを抵抗なく受け入れていた社会にも脅威さえ感じます。

そこには黒人を奴隷として虐待していた記憶に根ざす白人の根深い恐怖感が当然あったでしょうが、一方黒人自身のなかにも階級化された選民意識のようなもの(自分だけは特別白人に近いというような一種の優越感のようなもの)を持っていたらしいのです。

例えば1930年代のある黒人劇場では、冷酷で無知で野蛮なステレオタイプの堕落した黒人が、金髪の美女に襲い掛かろうとしている描写とのクロス・カットで、その黒人を制裁するために馬で駆けつけるKKK団の描写の場面が大写しになった時、黒人の観客が抗議どころか、KKKへ熱狂して喝采を送っていたという当時の新聞記事が紹介されており、黒人の中にもそれぞれ階層があって、ある選民意識を持った者の存在もあったことが窺われます。

しかし、これとても形を変えた「奴隷根性」でしかなく、黒人たちの隷従に甘んじた精神の打撃がいかに深刻なものであったかを示唆したエピソードだと思いました。

映画技法ばかりでなく、現代に与えた計り知れない影響から、アメリカ映画の父とも、また「天才と呼ばれるに値する創造性を持ったアメリカで唯一の監督」(K・ブラウンロウ)とも言われたグリフィスの、世界的な名声を得るまでのバイオグラフ社時代に撮られた短篇・中篇作品の一部をかつて京橋のフィルムセンターで見たことがありました。

現在、比較的上映される機会の少ない作品(喜劇から、ドラマ、文芸物、社会劇、ホーム・ドラマ、西部劇とジャンルの幅広さには驚かされます)に接することで、短編ながらも随所に「国民の創生」や「イントレランス」そして珠玉の名品「散り行く花」などを思わせるような巨星グリフィスの卓越した才気の煌めきを見ることができたと思います。

ちなみに、バイオグラフ社在職中の6年間(1908年から1913年の間)に監督した作品は、1~2巻ものとは言え、合計457本という驚くべき数字が残っています(ロバート・M・ヘンダースン「DWグリフィス、バイオグラフ時代」)。

なかでも特に、「ドリーの冒険」を見られたことは、大きな喜びでした。

1908年に、グリフィスはバイオグラフ社で61本の映画を撮影することとなりますが、「ドリーの冒険」(12分)は、そのうちの1本。

グリフィスの監督第1作です。

それまでに、少なくとも23本のバイオグラフ作品に出演し、7本の脚本を手がけたとされています。

その年の6月に撮影された「ドリーの冒険」の成功でグリフィスは一躍バイオグラフ社の看板監督になります。

作品は、田舎の良家のドリーという娘が、ジプシーの男に誘拐されたうえに樽に詰められますが、偶然その樽が小川に落ち、あわやという時に助けられるというプロットの、713フィートの作品です。

会社側は、作品の出来に懐疑的でしたが、観客には大受けし、以後1年半にわたり同社の監督はグリフィスただ一人に任されるという状況になりました。

それは、翌1909年に、グリフィスがバイオグラフ社で撮影した141本という驚異的な本数に現れています。

その中でも、グリフィスらしい才走った作品として、11月に撮影された190本目の監督作、小麦相場師の横暴と民衆の困窮を描く「小麦の買占め」(16分)は、初期の傑作として高い評価を得ています。

ほかに、フランスを舞台とする時代劇「毒蛇の飼育」(16分)や原住民と白人との確執を描く西部劇「インディアンの考え」(17分)、そして別れていた家族が再会するというハッピーエンドで終るクリスマス映画「罠にかかったサンタクロース」(18分)と飲酒による家族離散を教訓的に描いた「ロッキー・ロード」(15分)など1909年に撮られた作品の多様なジャンルから選択されています。

また、撮影はGWビッツァー、ここで挙げた作品では「ドリーの冒険」以外の撮影を担当していて、グリフィス監督の流動的で絵画のような独自の描写力を得ることができたのは、このG・W・ビッツァーとの絶妙なコンビネーションがあったからだというのが、もっぱらの通説のようです。

スクリューボールコメディで知られるプレストン・スタージェス監督のショッキングな晩年の逸話をかなり以前に読んだ記憶があり、それを確かめようと資料をゴソゴソ漁っていたのですが、結局確認できませんでした。

それには、最晩年にパリの街角で酔いどれ落ちぶれ果てた彼の姿を見かけたという証言に続いて、更に、その資料には、その時、スタージェスが、まるで物乞いのような卑屈な態度で、誰彼構わず酒代の小銭をねだっていたという惨めな様子が描かれていた、とうっすらと記憶していたのですが、手元にある資料には、亡くなったのが59年8月で、58年の「パリの休日」では俳優として出演していると書かれていますから、きっと僕の記憶違いか、根も葉も風聞を誤解したのだろうと思います。

しかし、なぜ、プレストン・スタージェスを思い出したかといえば、アメリカ映画の父といわれたグリフィスの晩年も、かなり悲惨なものだったらしいのです。

キネマ旬報の「世界映画人名辞典・監督編」には、その最期を、このように記していました。

「1931年を最後に引退するとまもなく、この『アメリカ映画の父』は、映画界から遠ざけられ、48年7月23日、ハリウッドのニッカーボッカー・ホテルでひとりさびしく息をひきとった」とありました。

あまり幸福そうな最期とも思えません。

また、別の資料には、こう記されています。

「映画の発達とともに歩んだグリフィスの初期の大成功と後期の大失敗の物語は、近年このメディアに感心を抱くすべての人におなじみのものとなっている。
バイオグラフにおける成長と革新の先駆者時代、白人優位を謳って論議の的となった長編映画『国民の創生』、いまだに映画史上、最も偉大な作品と主張する人の多い2番目の長編『イントレランス』、年を追って高まる名声、統率力と多産ぶり、彼自身の撮影所、『散り行く花』と『東への道』のようなより古典的な作品、そして財政上のつまずき、独立性の喪失、恥辱と失敗、酒、ケンタッキーでの孤独な年月と南カリフォルニアのパステル調の化粧漆喰の家、そして最期にニッカーボッカー・ホテルでの死。」

とても複雑な気持ちでこの一文を読みました。

「いま」という時代を映す鏡としての映画も、時が移り、その役割を終えて表舞台から退場を余儀なくされるとき、たとえ天才と言われたグリフィスにして、このさびしく惨めな晩年だったのか、と始めはショックでした。

しかし、すぐに自分の考え違いに気づきました。

その最期の瞬間、たとえ映画界から必要とされなくなり、もはや自分が成し得ることが何一つなくなって絶望的な酒びたりの日々を送ったとしも、グリフィスが果たして「惨め」だったかと言えば、違うように思えてなりません。

たとえ時代についていけない自分に苛立ち怒っても、決して「惨め」にだけはならなかったのではないか、と思えてきました。

「成し遂げた誇り」の高さの分だけ彼に絶望感を味合わせたように、それは彼の支えでもあったのではないかと思えてきたのです。

驚異的な量産を続けながら、それら一連の短編作品のなかで、繰り返し描かれながら徐々にひとつのテーマが絞り込まれていく過程を僕たちは知ることになります。

例えば、1910年に撮られた「不変の海」(16分)は、「航海に出た水夫を待つ妻」をテーマとした作品ですが、前の年に撮られた「時は流れて(または、幾歳の後)After Many Years」に連なり、以後も複数の「イーノック・アーデンEnoch Arden」(1911)で様々な形の発展的な変容を遂げ、グリフィス自らが語るべき物語の軸を次第に見出していく過程を知ることができると思います。

また、「国民の創生」(1915)で頂点を極めることになるグリフィスの一連の南北戦争ものの原点のひとつと言ってもいい、同じ1910年作品「境界州にて」(17分)と「鎧戸の締まった家」(16分)は、密書を届ける危険な任務につく兵士とその勇敢な妹をそれぞれ北軍、南軍の側から描いており、ひとつのストーリーを多面的に深めて行くグリフィスの深い洞察力を窺うことができると思います。

そのほかの1910年作品としては、家族を失った少女が新たな家族を見出す「ゲットーの娘」(17分)と、前年の「毒蛇の飼育」に続いてフランス革命に題材をとった「誓いと人間」(17分)が紹介されます。

「誓いと人間」のテーマは、のちに主演リリアン・ギッシュで撮られた「嵐の孤児」(1925)によって大きく開花しました。

バイオグラフ社にいた1908年から1913年の間に、グリフィスが養成した俳優は、リンダ・アーヴィドスン(グリフィス夫人)、マリオン・レオナード、フランク・ポウエル、フローレンス・ローレンス、マック・セネット、O・ムーア、ジェイムス・カークウッド、ヘンリー・ウォルソール、メーベル・ノーマンド、ドナルド・クリスプ、ブランチ・スウィート、ライオネル・バリモア、だそうです。

また、それらの作品の原作には、多くの古典の引用か、または、そこから着想の手掛かりを得たものが比較的多い印象を受けます。

テニスン、シェイクスピア、ディケンズなど、多くの文豪の名前が散見されます。

457本も量産しなければならなかったのですから、それら古典からの剽窃は、あるいは合理的な考え方に基づいてのことだったのかも知れませんし、グリフィスの教養の深さを示しているのかもしれませんが、少しひねった考え方をすると、そこには、早くから社会に出て働かなければならなかった少年の満たされなかった知識欲(悪く言えば、「教養」に対する深いコンプレックス)の表れとか飢えを感じてしまいます。

そして、それは「国民の創生」や「イントレランス」などに見られる一種の異常な事大主義に反映していったのではないか、あれらの巨大な妄想のような作品は、そうした「教養」への飽くなき劣等感が生み出した怪物だったのではなかったのかと思えてしまったのでした。
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by sentence2307 | 2007-04-28 22:39 | 映画 | Comments(55)

裸の島

以前ある友人から、世界的な評価を得ているこの新藤兼人作品「裸の島」について、こんなふうに話していたのを今でも覚えています。

「貧しさのために都市部から離れている孤島に暮らさねばならない家族が、その不便さゆえに子を失い、悲嘆にくれた母親が、その棄民同然の怒りと悲しみのどん底から、再び表情を殺して荒地を耕作する生活に戻っていくあの場面、あれさえなければ、この映画もっと素晴らしい映画になっていただろうになあ」と。

その言葉を聞くまでは、むしろ、母親が、子供を失った悲しみに耐え切れず、それがたとえほんの一瞬だったとしても、怒りを炸裂させて、必死に生活の重圧にあがらう意思を遠慮がちにでも露わにしてみせたあの場面こそが、この物語をドラマチックな感動作にしていた理由だと信じていた僕にとって、彼のその言葉はとてもショックでした。

多分そのときも、僕はきっと、こんなふうに言葉を返していただろうと思います。

「母親が、それまで抑圧していた感情を炸裂させるあの場面がなければ、この映画は、一日の大半をただ水を運ぶことだけの無意味な労働に費いやされる、なんの「やま」もない単調な夫婦の労働の物語で終わってしまったのではないか」と。

しかし、僕がそのように返す言葉を準備することで、実はこのとき同時に、既に僕自身で答えを見出していたのかもしれないという気がしてきました。

映画を見るとき、僕たちはいつの間にか「ドラマチック」なヤマ場を見るため、そのクライマックスを準備する理路整然と説明的していく場面を段階的に見ている、そういう見方に馴れ切ってしまっているのかもしれません。

そんななかで、壮絶なクライマックスの場面が到来するまで、それらの説明的なシーンが流れているときは、とりあえず眠ってやり過ごすなんていう要領のいい「映画の見方」が成り立ち得るのでしょうか。

しかし、現実の生活において、都合のいい「クライマックス」なんて果たしてあるのかといえば、きっとあるはずもなく、僕たちは退屈な日常生活をただやり過ごす無為の苦痛に耐えるという方が、なんだか現実的なような気がします。

近代映画協会が経営の危機にあって、来るべき「解散」が現実的な問題となったとき、もしこれが映画を撮る最後の機会なら、もっとも撮りたい映画を撮ろうではないかということで撮られた作品が、この「裸の島」だと聞いています。

興行収入も観客受けも何も考えることなく、ただ撮りたい映画を撮ったということと、生活のために・そして生きるために、高台にある畑へ注ぐ水を運び上げるという行為自体を執拗に描き続けるだけに徹したこの映画の、もっと純粋な「在り方」を友人は示唆したのかもしれません。

全編を通して観ていけば、この作品で最も重きを置いているのが、子を失った母親が無意味な労働に怒りを炸裂させる場面などではなく、むしろ、重い水桶を小嶋の船着場から一歩一歩踏み締めよろけながら、丘の上の畑まで運び上げる過重な作業の方にこそあったのだと。

その一歩一歩の執拗な描写は、見る者を省察へと導くだけの力強さがありました。

「過重な労働」の向こう側に子を失った母の悲しみが描かれている以上、「労働」への呪詛めいた解釈も当然あろうかとは思いますが、夫を扮した殿山泰司の表情には、その悲しみに拘泥することもできないほどの人間の生きる残酷な力強さみたいなものを見せ付けられたように感じました。

あの「クライマックス」がなければ、この作品がもっといい作品になっていたかどうかはともかく、人が働くという意味を、一歩一歩踏みしめて水桶を運び上げる行為を執拗に描写することによって、人間と、人間が生きていることを描き切ることのできる「映画」の素晴らしさを「裸の島」から教えられたような気がします。

(60近代映画協会)監督脚本美術・新藤兼人、製作・新藤兼人、松浦栄策、撮影・黒田清巳、音楽・林光、編集・榎寿雄、録音・丸山国衛、照明・永井俊一
配役・乙羽信子、殿山泰司、田中伸二、堀本正紀
モスクワ映画祭グランプリ、メルボルン映画祭グランプリ、リスボン映画祭銀賞、ベルリン映画祭セルズニック銀賞、諸国友好のための親善映画祭グランプリ、マンハイム映画祭グランプリ、宗教と人間の価値映画祭国際ダグ・ハマーショルド賞、キネマ旬報ベストテン6位
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by sentence2307 | 2007-04-21 18:06 | 映画 | Comments(104)

不良少年

この羽仁進監督作品「不良少年」は、いままでずっと黒澤明監督の「用心棒」と比較される宿命を背負ってきたような気がします。

それというのも、1961年度のキネマ旬報ベスト10で、この「不良少年」が、「用心棒」を2位に抑え込んでの堂々第1位に輝いたからでしょう。

「用心棒」は、黒澤作品中仕上がりの完璧さと、悠揚せまらぬ余裕とで(このふたつは、往々にして相反する場合が多いのですが)、「七人の侍」と並び称される黒澤明の代表作といわれている作品です。

そして、羽仁進の「不良少年」が、ベスト・ワンに輝いてこの「用心棒」の上にランクされてしまったときから、「不良少年」が語られるときはいつも、この作品が、果たして「用心棒」よりも本当に優れているのか、と常に検証されねばならない運命を荷わされてきたと思います。

僕もまた同じように、ずっとそのことを考えてきたひとりです。

この羽仁進作品に与えられた多大な評価は、「斬新な手法」で撮られた不良少年たちの荒んだ生活が、あまりにも生き生きと凄惨に描かれていたことによって、当時の人々が受けた衝撃性の大きさを反映していることはきっとそのとおりだとしても、果たして、作品それ自体が、「用心棒」よりも評価されるほどの衝撃だったのかどうか、という検証です。

「活劇」と「ドキュメンタリータッチ」を比較することの困難はともかく、当時多くの映画関係者がどちらかに判断を下した結果であることは事実なのですから、その検証はきっと無意味ではないと思いますが、どうアプローチしていくかが問題です。

しかし、きつと、この質の違いを判断することの困難をクリアするためには、映画史的な理詰めのアプローチよりも、むしろこの作品を見た率直な感想を手掛りにして考えていくのが一番いい方法かもしれません。

この映画「不良少年」を見て僕が感じたものは、まずは「嫌悪感」でした。

その種の人間に喝アゲされたことや、理不尽な暴力に晒されたことがある者には、この映画の描き方には耐え難いものが存在しています。

そして、それらリアルなエピソードの積み重ねの集大成ともいえる最後の場面、刑期(とはいわないでしょうが)を終えて不良少年・浅井が少年院を出る場面にこの映画のすべてが語られています。

そこには申し訳なさそうな殊勝な表情が描かれているわけではありません。

後悔しながら、二度と悪いことなんかするものかという改悛の表情が描かれているわけでもありません。

むしろ「そういう」きわめて説明的な従来の映画的描き方こそ羽仁進が拒んだものであり、「彼」の人間性を形成したはずの社会的な関係や背景を作品からことごとく排除し、提示した映像だけで語り尽くそうとする意図・「映像の力」でいまこの現実に存在し息づいている少年の爆発的なエネルギーを描きたかったのかもしれません。

しかし、反面そうした映像は、同時に「イメージの瞬間芸」のような儚さ・頼りなさからも自由ではいられないことも知っておく必要があるのです。

かつて、同様の犯歴を持っているというズブの素人が演じたこの「少年・浅井」は、立ち去ろうとしている少年院をかすかに振り向き、薄ら笑いを浮かべます。

その場面に、この作品の手法でもある不思議な効果で心象風景を鮮烈に浮かび上がらせるあのモノローグを当て嵌めるとすると、こんな感じになるかもしれません。

「ざまあみやがれ、ちょろいぜ、こんな所。あんなお為ごかしの説教ぐらいで反省なんかできるかよ、馬鹿らしい。こんなとこ出ちまえば、こっちのものよ。これからもどんどん好き勝手に生きてやるんだ、馬鹿野郎」

映画は、連鎖する映像の総体としての記憶によって印象されるものです。そして、これがこの映画の僕の「リアル」です。

それは、「衒い」でも「虚勢」でもない、この描き方は、まぎれもなくカメラを意識させず子供たちの日常を生き生きと活写することができた「教室の子供たち」54や「絵を描く子供たち」56の延長線上に位置する同じ描き方と精神によって、不良少年を撮ったにすぎないことを示しています。

そして、爽快無比の活劇「用心棒」に一票を投じるよりも、「教室の子供たち」や「絵を描く子供たち」の「方法論の衝撃」という幸福な記憶の延長線上に位置する「不良少年」に一票を投じた当時の映画関係者たちは、半世紀という夥しい時間の経過の果てに、たぶん忸怩たる思いの中で、何が生き残り(用心棒)何が淘汰されるか(不良少年)を知ることになったかもしれません。

映像の力だけによって彼らの純粋な人間性を汲み上げようとした試みは、「人間性」そのものの不在に裏切られ無残な結果に終わったというのが事実のような気がします。

作品にではなく、その「方法論」を評価されたにすぎない「不良少年」は、いままさに時代の変わり目を乗り越えられるかどうか、そろそろ羽仁進の映画の精神=「人間性の不在」をも問われかねない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。

(61岩波映画制作所・新東宝配給)製作・吉野聲治、原作・地主愛子、監督脚本・羽仁進、撮影・金宇満司、音楽・武満徹、録音・安田哲男、助監督・土本典昭
出演・山田幸男、吉武広和、山崎耕一郎、黒川靖男、伊藤正幸、瀬川克弘、佐藤章、中野一夫、和田知恵子
1961.03.29 8巻 2,454m 90分 白黒
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by sentence2307 | 2007-04-21 18:01 | 映画 | Comments(3)