世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2008年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

愛の流刑地

最初、この設定は面白いなと思いました。

かつて流行作家だった主人公は、いまではどうしても新作が書けないというスランプのなかにいます。

いつかまた、再び小説がバリバリ書けるようになりたいと切望し、また、彼の作品を扱っていた編集者も彼のことをなにかと心配しています(その結果、女性編集者は、彼に刺激を与えるために隣家に住む彼の熱烈なファンである美人の若奥さんを紹介するという、まるで文学に捧げる「つつもたせ」みたいな真似までしています。)。

そう考えると、この物語を形成しているのは、渡辺淳一自身が、いつか自分も小説が書けなくなってしまう日がくるのではないか、明日にでもそういう事態に見舞われるかもしれないという恐怖がひたすら肥大していった妄想がそのまま映画になってしまったような気がしました。

ここでは、あらゆる犠牲を払っても惜しくない「文学」こそが至上のものという考えが支配している妄想の物語であることの認識を欠くと、この映画への失望が深刻なものになりかねません。

もはや「書けない」のなら、せめて以前当たった小説の焼き直しだって構わないとばかり、「柳の下の二匹目の泥鰌を狙った」のがこの扇情的な作品となったのではないかなんて、つい勘繰りたくなりますよね。

そういえば、この作品が出版されたとき、あるいは映画化されたときだったか、渡辺淳一のインタビュー記事なるものを読んだことがありました。

そこで、渡辺淳一は、「社会的緊張感にみちた困難な極限の状況下でこそ、肉体的な圧倒的な愛があり、肉体も精神も深く溶け合って燃え上がる真実の愛が成立する。」

「そういう愛の在り方を法律が裁けるのか」なんて、この物語の種明かしみたいなことを話していました。

公序良俗を踏みにじり、世間の良識に背を向けて道ならぬ不倫におちいれば、そこでは当然社会からの手厳しい指弾を受ける。

確かに「失楽園」は、そこのところを明確に描きぬいた作品だったと思います。

仕事に躓き、日の当たる職場の中枢からはずされ、体よく組織から捨てられた男が、その失意のとき、運命的な性のパートナーと出会うことによって、自分の中にぽっかりと空いた無残な空白を埋めるように性行為にのめりこむ。

お互いの「性」がぴったりと合致する運命のパートナーとの宿命的な出会いがあり(現実の世界では、なかなかそううまい具合にはいきませんが)、ふたりは社会とのつながりを絶って、ひたすら性行為にのめり込むという熾烈なシチュエーションを、すでに僕たちは、「愛のコリーダ」や「赫い髪の女」によって、社会から追い立てられた者たちの絶望の果ての自己破壊といってもいい性行為の在り様を、それらの峻烈な映像によって知らされています。

しかし、そのような性の「つながり」を、作者・渡辺淳一が言うように、はたして「真の愛の形」とまで言い切ってもいいものかどうか、疑わしいとずっと思っていました。

古来、人の歴史は、制度によって「性」を押さえつけようとして、特定の人間の所有物と企てながらも、しかし蹉跌を繰り返してきた破綻の歴史だったという気がします。

主人公の作家・村尾菊治が法廷で「死ぬほど人を愛したことがあるのか」と空々しく絶叫したあの場面の背後に座る傍聴人たちの誰一人として、失笑か冷笑する表情をその画面に映し込んでいなかったことに虚を突かれた思いがしました。

いかなるシロモノであろうと、まず最初にその「愛」とかいうもの、ちゃちなお伽噺をただ盲信しなければ成立しないようなこれは極めて愚劣な子供だまし程度の映画なのだと気がつきました。

もはや往年の勢いは失われたとはいえ、作家の名声にすり寄ってきた人妻・入江冬香を誘惑し、合意のうえで性交し、やがて女からの求めに応じて快楽の頂点で絞殺したことが、なんで「真実の愛」などになるのかが理解できませんでした。

自殺願望のあった女の依頼を断り切れずに(弱みがあったわけですから)ちょっと手を貸しただけの嘱託殺人(おかげで極刑を免れました)でしかありません。

性交し続けることの極点に、反社会性を見据えた「愛のコリーダ」や「赫い髪の女」の持った深い絶望感が、さらに「愛する」ことの意味を照らし返したことと比べると、晴れがましい法廷で堂々と絶叫する茶番に立ち会わなければならなかった僕たちは、「映画」というものが決して進歩するものでも、そして多くの名作群の記憶から学習するものでもないことを思い知らされただけの、そんな貧弱な映画でした。

心底疲れました。やれやれ。

(2006東宝)監督脚本・鶴橋康夫、原作・渡辺淳一『愛の流刑地』(幻冬舎刊)、製作・富山省吾、撮影:村瀬清、鈴木富夫、音楽・大島ミチル、仲西匡、長谷部徹、福島祐子、編集:山田宏司、美術:部谷京子、照明:藤原武夫、プロデューサー:市川南、大浦俊将、秦祐子、協力プロデューサー:倉田貴也、企画:見城徹、主題歌:平井堅『哀歌(エレジー)』、製作統括:島谷能成、三浦姫、西垣慎一郎、石原正康、島本雄二、二宮清隆、録音:甲斐匡、助監督:酒井直人、プロダクション統括:金澤清美、
出演・豊川悦司、寺島しのぶ、長谷川京子、仲村トオル、佐藤浩市、陣内孝則、浅田美代子、佐々木蔵之介、富司純子、津川雅彦、貫地谷しほり、松重豊、本田博太郎、余貴美子、
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by sentence2307 | 2008-04-29 10:07 | 映画 | Comments(29)

母は死なず

久し振りに成瀬巳喜男作品を見ていたら(「桃中軒雲右衛門」です)、ずっと以前、解決できずに保留のままにしておきながら、いつの間にか忘れていた「疑問」が、突然よみがえってきました。

その疑問というのは、戦前の成瀬作品「母は死なず」が、同じく戦前の小津安二郎作品「父ありき」と随分似ているような気がして、いつか製作年月日を調べて比較してみたいなと思いながら、つい忙しさに取りまぎれて、すっかり忘れてしまっていたことでした。

それがいま、まるで天啓のようによみがえってきたのです。

思い立ったが吉日、じっとしてはいられません、早速アクションを起こしました。

ネットで検索しますと、成瀬巳喜男作品「母は死なず」(東宝映画)は、1942年(昭和17年)9月24日の封切で紅系と書いてありました。

小津作品「父ありき」(松竹大船)は、同じく1942年(昭和17年)の4月1日の公開と記されていました。

ふむふむ、そうだろうな、ニンマリという感じです。

成瀬作品のなかに、タイトルからしてかなり小津作品を意識したのではないかと思える至極似たネーミングの作品を見つけたりすると(偶然でしょうが)やっぱりね、ってな気がしてしまいます、「美人哀愁」1931と「女人哀愁」1937とかね。

でもそれはタイトルだけのことであって、内容は、それはもうふたりの作家性がそれぞれ強烈に前面に出ていて、いわば「似て非なるもの」という感じであることはいうまでもありません。

推測ですが、小津安二郎を常にライバルとして意識していた成瀬巳喜男は、目の前の小津作品を見ながら、自分だったら「こんなふうに撮るぞ」とたえず考えていたのではないか、その結果似たような設定ながら、まったく異なる人間関係(男と女の微妙な心理の襞とでもいうのでしょうか)の交錯図を描いたのではないかと思います。

小津安二郎の「父ありき」は、非常時において、私情を捨て公務に尽くすために離れ離れに暮らさなければならない父と子が、たえず互いを思いやり続けるという深い情愛を描いた作品です。

共に暮らしたいと願う息子の父親を慕う思いと、深い慈愛を込めて強く生きろと叱咤する父親の厳しさと優しさが交錯する親子の情愛が、控えめながらも痛切に描かれており、私情を捨てて国のために尽くし犠牲になれという宣伝臭に満ちた本来的にこの作品に要請されていたであろう報国のメッセージを霞ませるほどのものだったと感じました。

成瀬巳喜男の「母は死なず」もまた、少年の頃に母を失ってから大学を卒業して息子がひとり立ちするまでを描いた父と息子の葛藤の物語です。

極貧のなかで父親は、片親であるために道を踏み外しそうになる息子の行く末を絶えず気遣いながら、辛苦を重ねた末にやっと成功を手にし、生活の安定を得ます。

しかし、生活の安定を得た途端、父親に寄り掛かってくる息子の甘えに、父親は、はじめて「母の死」の真相を息子に教えます。

当時、癌に侵された母親は、家族の足手まといになることを憂いて、みずから死を選択したという熾烈な事実と、こんなことに挫けず立派な日本人として強く生きろという母からのメッセージに息子は号泣します。

このシチュエーションは、現代という時点から見ても、耳を覆いたくなるくらいの異常で悲惨なものがあります。

足手まといになるくらいなら進んで死を選ぶという、戦時下、その極限状況のなかで揺れる異常な心の在り様は、つい最近も、沖縄戦の末期に集団自決の強制があったのか否かの論争の際、この悲惨な事件を招いた異常な心情は平和ボケした僕たちに衝撃を与えたことは記憶に新しいところですよね。

しかし、この映画の場合、息子は、果たして「僕のために死んでくれたんだね、ありがとう、お母さん」などと感動できるだろうかと考え込んでしまいました。

親に自殺され、自分を拒まれたことのショックで心が歪んでしまい、親から捨てられたというその虚脱から、もはや立ち直れなくなってしまった子供たちを知っています。

子を思う母親の優しさを描く一方で、荒々しい時代の要請のままに、人の心を鷲掴みにするような物語の異常な設定(武士の娘らしい潔い自決が、ひとつの美談としてあったのでしょう)を据えざるを得なかったこの無残な戦意高揚作品は、小津安二郎の「父ありき」とは、明らかに異質な映画だと言わざるを得ません。

そこには、良くも悪しくも、なんでも引き受けた職人・成瀬巳喜男がいたのだろうなと思います。

(1942東宝映画)製作・藤本真澄、演出・成瀬巳喜男、脚本・猪俣勝人、原作・河内仙介「遺書」、撮影・木塚誠一、音楽・深井史郎、装置・北川恵笥、録音・村山絢二、照明・平岡岩治、
配役・菅井一郎、入江たか子、斎藤英雄、小高まさる、藤原鶏太(釜足)、沢村貞子、轟夕起子、小高たかし、鳥羽陽之助、清水将夫、大崎時一郎、龍崎一郎、佐山亮、深見泰三、生方賢一郎、北沢彪、藤輪欣司、榊田敬二、真木順、、矢口陽子、加藤照子、斎藤秀之助、藤田進、川田晶
1942.09.24 紅系 11巻 2,841m 104分 白黒
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by sentence2307 | 2008-04-27 21:59 | 映画 | Comments(2)

桃中軒雲右衛門

この作品を見て,思わず「芸のためなら女房も泣かす」という歌謡曲の一節を思い出してしまいました。

残念ながら,多分それ以上とは思えないひたすらシンプルな「芸道もの」という印象を受けた作品です。

もう少し「桃中軒雲右衛門」という人物が理解できる作品になっていたら,もっと違った印象を持てたかもしれませんが,監督が成瀬巳喜男ということを考えれば,どうしてもそれなりの期待を持ってしまう分,そのギャップからくる違和感はありました。

中年になり自分の芸の衰えを自覚しはじめた浪曲師が,活気に満ちた若い頃を知っている女房(芸者の愛人ができたこともあって次第に女房の存在が煙たくなって敬遠しています)からの指弾に怯え,全編彼女から逃げ回り続けるというなんとも情けない感じの作品です。

作品のなかで, 雲右衛門自身が「その衰えだって,大衆は魅力と感じているのだ」と弁解すると,女房は,芸の衰弱をさえそのように売り物にしようとする不甲斐ない無様な夫を更に責め,そして拒絶します「昔のあんたは,そんなじゃなかった」と。

この作品で描かれている「浪曲師・桃中軒雲右衛門」という人物を、映画が描いているままに忠実にイメージしようとすれば、きっと臆病なくせに独善的で、鼻持ちならない小心者という印象からは、なかなか自由になれないかもしれません。

たかが浪花節語りのくせに、何を偉そうにふんぞり返っていやがるという、月形龍之介演じるその傲慢不遜な演技に対する反感がまず障碍となって、それから先の解釈(つまり共感とか同情とか思い入れなど)の深化に踏み出す切っ掛けを掴み損なう懼れがあるかもしれません。

市井に生きる庶民の悲しみと諦念を描くことに長けている成瀬巳喜男ともあろう監督が、なにもわざわざ、このような傲慢不遜な虚栄心と虚勢とによって、ふんぞり返って世の中を渡り歩こうとするような権威志向の強い人物を描く意味がどこにあるのだ、どう考えても不可解極まるこの作品をなぜ成瀬巳喜男が敢えて製作しようとしたのかが、僕としてはどうしても理解できなかったのだと思います。

しかし、理解できず、全篇上滑りに終始するその重厚そうに見せ掛けて実は淡白でしかない描写もさることながらも、しかし、そこにも不思議な魅力がないわけじゃない、僕はその「ないわけじゃない」かすかな部分を手掛かりに、もう少しこの作品に踏み込んでみることにしました。

ここに描かれているのは、時代の寵児・いわば一代の「天才」です。

そして、世間的な人気からすれば、彼のその天才は社会的に正当に評価されているといってもいい(そんなふうに描かれていました)。

しかし、それでもなぜ、ここに描かれている桃中軒雲右衛門は、始終苛ついているのか、という疑問が残ります。

きっとその、彼の芸の「世評の高さ」と、それに平衡する「不機嫌」とのギャップが、この作品のテーマなのかもしれないという気がしてきました。

つまり、別に評価されるべき真の「なにものか」があって、その見当違いの世間の評価に苛立ち、そして抱いた不機嫌は、どうしてもその「世評」に向かうしかない、だから雲右衛門は、どうしても始終苛々せざるを得ないのでしょうが、しかし、成瀬巳喜男が描いているのは、残念ながらそこらへんまででした。というか、それから先は、理屈で補強できるような描写自体が「ない」のです。

それはおそらく、桃中軒雲右衛門の苛立ちや不機嫌が何に基づいているのか、そんなことには成瀬監督がまるで関心のないことを示しているのだと推察できます。

そのあからさまな無関心は、傲慢な桃中軒雲右衛門に対して「なんだ、あの男は、えらそうに。たかが浪花節語りじゃないか」という冷ややかな「世間」となにほどの違いもないようにさえ見うけられます。

その原因を、若き成瀬巳喜男の力量の欠如、描写力の未熟さにあると早計に結論づける前に、むしろそれは、「天才」というものを最初から冷ややかにしか見ていない成瀬巳喜男の価値観の方にあるような気がします。

なるほど、分かりかけてきました。この映画は、もともとは(多分原作が)「世間に理解されない天才の苛立ちや孤独」(中原中也とかランボーとか)を描こうとした作品なのに、成瀬巳喜男は、その「天才」には目もくれないで、「苛立ちと怒り」だけを抉り取って描いたために、カクノゴトキ一見気妙な「不機嫌な浪曲師」の物語に仕上がってしまったのだと気がつきました。

前提としての「天才」を描かないうえに、「繊細な感性を理解しようとしない無神経な世間に対する」という部分をも極力押さえ込み、「苛立ちや怒り」だけをひたすら描くといういびつな奇妙さ・滑稽さという印象をこの映画が逃れがたく抱え持たされたそれがその理由かもしれません。

それは、その「いびつな奇妙さ・滑稽さ」というものが、「天才」というものに対する成瀬巳喜男のイメージそのものだからだと思います。

そしてそれこそが「天才」というものに対する庶民の見方でもあるといってもいいように思う。

日常をひたむきに生きる庶民には、荒唐無稽・誇大妄想的な「天才」の虚勢など、最初から理解を超えているのだと。

この「桃中軒雲右衛門」という作品は、日常から掛け離れたようなもっともらしい権威や権力を一切認めず、理解することを拒絶した成瀬巳喜男の気迫のこもった強烈なメッセージなのではないかと思えてきました。

ときあたかも1930年代後期のナショナリズムへ回帰する時勢のなかで、浪花節人気復興の世相が背景にありました。

(1936P.C.L.映画製作所)監督脚本・成瀬巳喜男、原作・真山青果、企画・森岩雄、撮影・鈴木博、音楽監督・伊藤昇、演奏・P.C.L.管弦楽団、装置・北猛夫、録音・山口淳、編集・岩下広一、
出演・月形龍之介、細川ちか子、千葉早智子、藤原釜足、伊藤薫、三島雅夫、市川朝太郎、小杉義男、御橋公、伊達信、澄川久、小沢栄、丸山章治
1936.04.29 大阪敷島倶楽部 8巻 1,918m 70分 白黒
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by sentence2307 | 2008-04-26 08:18 | 映画 | Comments(4)

殴られる男

1949年に撮った「チャンピオン」による絶賛以来,しばらく低迷を続けていたマーク・ロブスンが,50年代の中盤に立て続けに撮った3本のフィルムノワールが高い評価を受けて、久々に彼の存在感を示しました。

金の延べ棒を密輸する「黄金の賞金」,露骨な反共映画として知られる「アメリカの戦慄」,そしてボクシング界の内幕を赤裸々に暴露した「殴られる男」です。

「殴られる男」は,ハンフリー・ボガートの遺作となった作品であったこと,また、ゴダールの「勝手にしやがれ」に,この「殴られる男」が上映されている映画館のシーンが出てくるなど、ゴダールの思い入れが深かったことでも知られている作品です。

この作品のコピーは
「1950年代の腐敗したボクシング界の内幕を暴いた社会派サスペンス」
というものでした。

現場で戦うボクサーを、金儲けのために散々「食いもの」にするプロモーターたちが、廃人同然になるまで彼らを戦わせ、もはや使い途がなくなれば、「はしたガネ」を掴ませて、消耗品のように躊躇なく捨て去る。

ボクシングしか知らない彼らに社会は冷たく、容易につける職もなく、スラムでホームレス同然に生きるしかないという現実もこの作品はしっかりと描き込んでいます。

ここで描かれている新人ボクサーの巨人トロ・モレノも、黒幕たちがマスメディアを煽りたて、過剰な宣伝と巧妙に仕組んだ八百長試合とで連勝を重ねて「強者」の虚名を確立しながら、やがてチャンピオンへの挑戦権を獲得して、しかし、最後のタイトルマッチにおいては、逆にチャンピオンに大きく賭けて、大もうけしようという彼らのしたたかな筋書きのもとで八百長試合がすすめられていきます。

どこかの「なんとかホールディングス」の遠大な投資戦略を髣髴とさせますよね。

そして、さらにもっと熾烈なのは、タイトルマッチに敗れたそのボクサーを別のプロモーターが買い取って、「挑戦者」の名前を利用して地方巡業させ、さらに儲けようという魂胆です。

この巡業においては、もはや彼は「最強の挑戦者」から、不運の挑戦者の役どころを変じ、若い無名のボクサーたちに完膚なきまでに叩きのめされるという醜態を見世物にすることで金が取れる、その見世物は彼が廃人になったとしてもファイトのポーズをとることさえできれば、ただそれだけで十分にカネになると踏んだプロモーターたちの黒い思惑が描かれています。

しかし、ラストにおいて、金につられて、この「最強の挑戦者」の虚像を作り上げる誇大宣伝の陰謀に一役かった食い詰め者のスポーツライター・ハンフリー・ボガートが激怒するのは、複雑な契約書でボクサーをガンジガラメに縛り、稼げるだけ稼いでボクサーを廃人にまで追い込み、最後にはビタ一文も与えないで追い出すという契約のカラクリに対してでした。

なんのためにいままでこの愚劣な茶番に我慢してきたのだ、という思いが怒りとなって爆発します。

弱者をかばうハードボイルドの持つ「優しさ」の精神の一面がよく表れているシーンだと思いました。

しかし、僕が長年思い込んでいた「ハードボイルドの持つ優しさの面」というのが、どうも日本人独特の錯覚なのではないかと指摘する一文に最近接しました。

それは、レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットのハードボイルド小説の翻訳で知られる小鷹信光氏のインタビュー記事のなかで語られている部分です、以下はその抜粋です。

《ハードボイルド小説は、エンターテインメントでありながら読み手に対して生き方やモラルなどを問うところに特徴がある。
描かれているのは権力に屈することなく、自分の倫理に従って生きる男たちの姿だ。・・・
日本でハードボイルドがもてはやされたのは、戦後民主主義教育のアンチテーゼという面があったと思う。
型にはまった教育制度の中で、若者の間には、群れに交わらず個人主義を貫く一匹狼にあこがれる気持ちがあった。・・・
日本では、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」という一節が独り歩きした。
ハードボイルドとは、本来、身を守るためにはペテンもやるような非情さを意味する言葉だか、日本ではロマンティックなイメージが強まった。・・・
現代はハードボイルドという言葉が本来のニュアンスで受け止められる時代ではないかという気がする。新聞を見ても尊属殺人や借金地獄、自殺など、探偵小説顔負けの仮借ない現実がある。・・・
不思議なことだが、最近の若い人にハードボイルド的な感性を感じることもある。
彼らは人と調子を合わせているように見えて、自分に合わない部分にくると、ぽんと相手を突き放すようなところがある。
どこか冷めていて、安易に人と同調しない。
非情な時代にあって、自分の考え方や志向を強く持って生きるという点では、ある種ハードボイルド的といえなくもない。》(2008.2.6 日本経済新聞・夕刊)

そういえば,でっち上げられた凋落の挑戦者・トロ・モレノを国外に逃がそうとするタクシーのなかで、ハンフリー・ボガートが自分の取り分を気前よくあげてしまうシーン(プロモーターがトロ・モレノに与えようとした金額というのがあまりにも少ないためにボガートは言い出せないまま、仕方なくその行為におよびます)に、日本人の多くは「優しくなければ」というハードボイルドの「精神」を日本流の甘美なものと理解したかもしれません。

しかし、この物語のそもそもの発端が、発掘してきた新人ボクサーのトロ・モレノが、実はボクシングはまったくの素人で、鍛えても強くなるような素質もなく、この「巨体」に投資したプロモーターが、資金を回収するために仕方なく陰謀を画策する必要が生じた経緯を考えれば、もし、このトロ・モレノが最初から最強のボクサーであったなら、そもそも陰謀を図る必要もなかったのではないかと思うと、ハンフリー・ボガートが,傷心の挑戦者・トロ・モレノに自分の分け前を気前よくあげてしまうシーンのモノローグは、「やれやれ、お前がもう少し強かったら、お前にオレの金をやらずに済んだかもしれんぞ」くらいは思ったかもしれません。

すくなくとも正義感に基づく義侠心などでは毛頭なかっただろうと思います。

そちらのほうが何だかハードボイルドっぽい気がします。

そして、「モラル」に関しては、黒幕が、切羽詰ってチャンピオンに金を与えて懐柔できないかとボガートに持ちかけたとき、彼は決然と「チャンピオンが八百長に乗るはずがないだろう」と言い放ちます。

チャンピオンは絶対に買収には応じないのだと断じたこの毅然とした一言に、ハードボイルドのもうひとつの精神があったのかもしれません。

そして、それは逆にいえば、ボクシング界に巣食うこの暗黒の部分を描かなければ現実のボクシング映画を語ることにはならないという厳として存在する熾烈な現実によって,多くの名作の誕生が促されたという痛切な皮肉がひそんでいるように思えてなりません。

(1956コロンビア・ピクチャーズ)監督・マーク・ロブソン、製作・フィリップ・ヨーダン、原作・バッド・シュールバーグ、脚本・フィリップ・ヨーダン、撮影・バーネット・ガフィ、音楽・ヒューゴ・フリードホーファー、音楽監督・エミール・ニューマン、美術・ウィリアム・フラナリー、編集・ジェローム・トーマス
出演・ハンフリー・ボガート、ロッド・スタイガー、マイク・レイン、ジャン・スターリング、マックス・ベア、エドワード・アンドリュース、ジェシー・ジョー・ウォルコット、ハロルド・ J ・ストーン、カルロス・モンタルバン、ニアマイア・パーソフ、フェリス・オーランディ、ハービー・フェイ、ラスティ・レイン、ジャック・アルバートソン
上映時間109分


【参考】 思い出に残るボクシング映画一覧
「チャンプ」(1931年)キング・ヴィダー監督/ウォーレス・ビアリー
「倒れるまで」(1937年) /ハンフリー・ボガート主演
「ゴールデン・ボーイ」(38年)ルーベン・マームリアン監督/ウイリアム・ホールデン
「栄光の都」(1940年)アナトール・リトヴァク監督/ジェームズ・キャグニー
「鉄腕ジム」(1942年)ラウォール・ウォルッシュ監督/エロール・フリン
「チャンピオン」(1949年)スタンリー・クレイマー監督/カーク・ダグラス
「罠」(1949年)ロバート・ワイズ監督/ロバート・ライアン
「傷だらけの栄光」(1956年)ロバート・ワイズ監督/ポール・ニューマン
「殴られる男」(1956年)マーク・ロブスン監督/ハンフリー・ボガート
「ボクサー」(1970年)マーティン・リット監督/ジェームズ・アール・ジョーンズ
「ロッキー」(1976年)ジョン・G・アビルドセン監督/シルベスター・スタローン
「ブルックリン物語」(1978年)スタンリー・ドーネン監督/ジョージ・C・スコット
「ロッキー2」(1978年)シルベスター・スタローン監督主演
「チャンプ」(1979年・リメイク)フランコ・ゼッフィレリ監督/ジョン・ボイト
「メーン・イベント」(1979年)ハワード・ジーフ監督/ライアン・オニール
「レイジング・ブル」(1980年)マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デ・ニーロ
「ロッキー3」(1982年)シルベスター・スタローン監督主演
「ロッキー4炎の友情」(1985年)シルベスター・スタローン監督主演
「ホームボーイ」(1988年)マイケル・セラシン監督/ミッキー・ローク
「ロッキー5最後のドラマ」(1990年)ジョン・G・アビルドセン監督/シルベスター・スタローン
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by sentence2307 | 2008-04-19 08:06 | 映画 | Comments(2)

Bogie

≪ハンフリー・ボガート(Humphrey DeForest Bogart愛称はボギー (Bogie)。≫

ハンフリー・ボガートの生年月日が1899年(または1900年)12月25日生まれという説は、悪役専門だったボギーをキリストと同じクリスマス生まれとして、実は悪人ではないと宣伝したワーナーの意図があったとか(「ボギー」の著者クリフォード・マッカーティの説)。
しかし、実際は、1899年1月23日がどうも本当の誕生日らしい。
イギリス系とオランダ系の血をひく父ベルモント・ディフォレスト・ボガートはマンハッタンの開業外科医、母モード・ハンフリーは雑誌の表紙を描くイラストレーターで,父は厳格なプレスビテリアンであり、母も同じく厳格なエピスコパリアンだった。
裕福な家庭の長男として生まれたボガートを、父親はトリニティ・スクールからマサチューセッツ州アンドーヴァーにある医学予備校フィリップス・アカデミーに入学させ、イエール大学への進学コースへ進ませるはずだったが、勉強嫌いの上に学生生活にもなじめずに1年弱で中退して18歳で海軍に入隊、第一次世界大戦に参戦する。
戦闘中の負傷が原因で上唇右端に裂傷を負い、傷が残り部分的に麻痺して喋り方が舌足らずになり、後にこれが彼のトレード・マークの一つとなるが、子供の頃の事故で負った上唇の傷をヤブ医者に下手に縫合されたのが原因だという説もある。
19歳で除隊、帰還。
20歳のとき、隣家に住んでいたブロードウェイの大プロデューサー、ウィリアム・A・ブラディに頼み込み彼の所有する劇団の事務員からニューヨーク・スタジオのステージ・マネージャーとなったが、ブラディの娘で女優のアリス・ブラディの薦めで俳優を志すようになり、22歳のとき、最初はマネージャーを務めていた地方巡業で端役ながら舞台で様々な端役を演じる(The Ruined Lady)など下積み生活を送る。
はじめは遊びのつもりだったのが、ウィリアム・A・ブラディから、俳優の方が稼げると言われ俳優転向を決意したと伝えられている。Driftingでは少し大きな役がついた。
26歳、舞台女優ヘレン・メンケン(26-27)と結婚。翌年、離婚。
27年「Baby Mine」などテニスラケットなどを抱えたロマンティックな若者役が多かったといわれる。
28歳、舞台女優メリー・フィリップスと再婚。舞台で様々な端役を演じる長い下積み生活を送る。
1930年にはニューヨークで撮影した10分の短編『Broadway's Like That』の端役で短編映画に出たが、本格デビューは、20世紀フォックスのスカウトの目にとまり、ハリウッドへ行ってからで、スクリーン・テストに合格して『哄笑の世界』(1930)で本格的な映画デビューを果たすものの、なかなか人気が出ずに映画と舞台を行き来する生活を送る。
その間の出演作は「河上の別荘」(1930) 「肉と霊」(1931) 「Bad Sister」 (1931) 「各国の女」(1931) 「モダーン西部王」け(1931)など週400ドルの契約で6本の映画に出演したが、これといった役が付かず、31年ニューヨークへ舞い戻った。
しかし、ブロードウェイも不況で「After All」のあと役がなく、ハリウッドでコロムビア映画に一本、ワーナー映画に二本出演してからふただび、ニューヨークへ。
四つの舞台をつとめ、映画「Midnight」 (1934)にも出演した、1932年、「Love Affair」で初の主役。その他「Big City Blues」 (1932) 「舗道の三人女」(1932) 「Midnight」 (1934)などに出演した。
1934年、舞台Invitation to a Murder を見た演劇プロデュサーのアーサー・ホプキンスが、彼の次回作「化石の森」に起用した。
作者のロバートシャーウッドも、ボギー自身でさえも、ギャング役など不似合いと思っていたのだが、ぴったりのはまり役だった。
冷酷無比の脱獄殺人犯デューク・マンテー役の好演によって彼のキャリアは上向きになり、36年に映画化の話が持ち上がると、スタジオはマンティ役にエドワード・G・ロビンソンを起用しようとしたが、舞台で共演したレスリー・ハワードの推薦によってボガートが起用される。
ボガートはハワードとベディ・デイビスを相手に強烈な演技を披露して高い注目を集めて、同年にはワーナー・ブラザーズ社との専属契約を勝ち取る。
かくて、ワーナーと契約し、ギャング俳優ハンフリー・ボガートの誕生となったが、1941年の「ハイ・シエラ」までは、主役級ではなかった。
1937年メリー・フィリップスと離婚(1928-37)。
「札付き女」(1937)で共演したメイヨ・メソッドと3度目の結婚。
「化石の森」と、サミュエル・ゴールドウィン社に貸し出されて出演した「デッド・エンド」(1937)は大きな成功を収めるものの、ワーナーはボガートを悪役専門の俳優として使い、「汚れた顔の天使」(1938)、「彼奴(きゃつ)は顔役だ!」(1939)、「愛の勝利」(1939)など5年間に28本の映画で主にハードボイルドなギャング・スターとして人気を得る。
その出演作は、「化石の森」(1936)、「弾丸か投票か!」(1936)、「Two Against the World」(1936年)、「太平洋横断機」(1936) 「Isle of Fury」 (1936) 「黒の秘密」(1937年) 「The Great O'Malley」 (1937) 「札付き女」(1937) 「倒れるまで」(1937年) 「San Quentine」 (1937) 「デッド・エンド」(1937) 「身代り花形」(1937) 「Swing Your Lady」 (1938)「 Crime School」 (1938)「 Men Are Such Fools」 (1938) 「犯罪博士」 (1938年)「Racket Busters」 (1938) 「汚れた顔の天使」(1938) 「King of the Underworld」(1939)「オクラホマ・キッド」(1939年) 「愛の勝利」(1939)「You Can't Get Away with Murder」 (1939) 「彼奴は顔役だ!」(1939年) 「The Return of Doctor」 (1939)「前科者」(1939)「ヴァジニアの血闘」(1940年) 「It All Came True」 (1940) 「ニューヨークの顔役」(1940)「夜までドライブ」(1940)である。
1941年には出演を断ったジョージ・ラフトに代わって主演に起用された「ハイ・シェラ」(ラオール・ウォルシュ監督、共演アイダ・ルピノ)の脱獄殺人犯役ロイ・アール役と、「The Wagons Roll at Night」 (1941)を経て、ダシール・ハメット原作の「マルタの鷹」(ジョン・ヒューストン監督、共演メアリー・アスター、ピーター・ローレ)での私立探偵サム・スペード役に大抜擢され、興行的にも成功したこの二本の犯罪映画での好演によって観客に強烈な印象を与え、一躍ワーナーのトップ・スターに踊り出てハードボイルド・スターとしての地位を確立する。
「マルタの鷹」は、「ハイ・シエラ」の脚本家だったヒューストンの監督第1作で、ダシール・ハメットのハードボイルド映画の伝説的な作品だが、これも他のスターに断られて回ってきた役だった。
ボガート扮するタフで非情な私立探偵スペードのきびきびとした行動、曲者揃いの共演者たちなど、随所に見どころ多く、原作に忠実かつ切れ味の鋭い演出も見事。
監督の父である名優ウォルター・ヒューストンが「2秒間だけ」特別出演している。
「All Through the Night」 (1942)と「The Big Shot」 (1942) 「Across the Pacific」 (1942)のあと、42年メロドラマの傑作「カサブランカ」(マイケル・カーティス監督。共演イングリッド・バーグマン)に出演する。
昔の恋人と出会う酒場の経営者リックを哀愁漂う演技で演じ1943年度の初のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされて大ブレークし、一躍マネー・メイキング・スターの仲間入りをはたした。
作品は同作品賞を受賞。“Here's looking at you, kid.”「君の瞳に乾杯」は有名なせりふ。当時第二次世界大戦において劣勢であったアメリカ国民を鼓舞し、同時に反ドイツ勢力の1つであった自由フランスへの支援を呼びかけるための国策プロパガンダ映画であるが、ハリウッド映画らしい粋な味わいから国民的な人気を博しボガードの代表作の一つとなった。
1940年代~1950年代を代表する名俳優として、ボガートは、この作品とともに、以後時代の象徴的存在に挙げられる。
「北大西洋」(1943) 「Thank Your Lucky Stars」 (1943) 「サハラ戦車隊」(1943) 「渡洋爆撃隊」(1944)のあと、44年、アーネスト・ヘミングウェイ原作「持つと持たぬと」を「カサブランカ」もどきに大改変した冒険ドラマ「脱出」(ハワード・ホークス監督、共演ローレン・バコール)では再び「カサブランカ」的な役を演じた。
監督のハワード・ホークスが共演者として抜擢した25歳年下の新人女優ローレン・バコールと意気投合し、前妻メイヨ・メソッドとの離婚(1938-45)が成立した45年に4度目の結婚した。
24歳年下ではあったが同じニューヨーク生まれのバコールとの息の合ったコンビぶりは観客に好評を持って迎えられ、映画のヒットに気を良くしたスタジオは「三つ数えろ」(1946)、「潜行者」(1947)、「キー・ラーゴ」(1948)でも二人を共演させる。
「追求」(1945)のあと、ハワード・ホークス監督の「三つ数えろ」(46、共演ローレン・バコール)は、レイモンド・チャンドラーの初の長編ハードボイルド小説「大いなる眠り」の映画化。
邦題はクライマックスのセリフからつけられた。
1946年版とは別にローレン・バコールとの絡みを追加した1947年版がある。
その他の作品には、「Two Guys from Milwaukee」 (1946) 「大いなる別れ」(1947) 「第二の妻」(1947) 「潜行者」(1947) 「Always Together」 (1948) がある。
1947年には独立プロダクション「サンタナ・ピクチャーズ」を設立。サンタナは所有するヨットの名前。早川雪舟と共演した「東京ジョー」(1949)やニコラス・レイ監督の「暗黒への転落」(1949)など5作品をプロデュースした。
同年、長男スティーブン誕生。
俳優としても「黄金」(1948)や「孤独な場所で」(1950)に出演して、クールでタフなイメージを売りに安定した人気を獲得した。
その他の作品には、「Chain Lightning」(1950) 「脅迫者」(1951) 「モロッコ慕情」(1951)がある。
ジョン・ヒューストン監督の「黄金」(1948、共演ウォルター・ヒューストン)は、覆面作家B・トレイヴンの小説「シエラ・マドレの黄金」の映画化。メキシコ奥地での財宝探しの末に仲間割れしていく男達の末路を描いたシリアスな作品で、ボガートは演技派としての実力を発揮した。アカデミー賞に多数ノミネートされ、監督賞(ジョン・ヒューストン)・助演男優賞(ウォルター・ヒューストン)を父子で受賞した。
おなじくジョン・ヒューストン監督「キー・ラーゴ」(1948、共演ローレン・バコール、エドワード・G・ロビンソン、ライオネル・バリモア)は、マックスウェル・アンダーソンの舞台劇の映画化。ハリケーンに見舞われたフロリダの小さなホテルを舞台に、退役軍人がギャングの大親分一味と対峙するサスペンス。寡黙なボガートを、共演のベテランであるロビンソンが喰ってしまった印象。ベティ・バコールとは最後の共演作で、ボガートにとっての最後のワーナー作品ともなった。アル中の元歌手を演じたクレア・トレヴァーがアカデミー賞助演女優賞受賞。
ニコラス・レイ監督「孤独な場所で」(1950、共演グロリア・グレアム)は、ボガートが自らのプロダクション「サンタナ・プロ」でプロデュースした異色のフィルム・ノワール。ボガートは現代で言う「ボーダー」型の異常な性格を持つシナリオライターに扮した。
製作当時はヒットしなかったが、近年、ニコラス・レイへの再評価に伴って、フィルム・ノワールのジャンルにおける重要な作品として扱われるようになっている。
なお共演者のグレアムはレイ監督の当時の妻だったが既に別居中で、映画完成後に離婚している。
1940年代末期から1950年代初頭にかけて製作されたサンタナ・プロ作品は、本作に限らず興行的に失敗に終ったものが多かった。
1940年代末期からのハリウッドにおける赤狩りに際して、ボガートやヒューストンは左翼ではなかったが、自由主義の立場から批判的態度を取った。
しかし名声ある彼らとてマッカーシー旋風には抗しきれず、ボガートは政治的発言を控えるようになり、ヒューストンはイギリスに活動の場を移す。
「アフリカの女王」はC・S・フォレスターの冒険小説の映画化で、イギリスで製作された。難行苦行のアフリカ・ロケは、狩猟に熱中したヒューストンの脱線行動など数々の伝説を残す。
ボガートは大女優キャサリン・ヘプバーンと共に、びしょ濡れ、泥まみれになりながらドイツ軍砲艦に戦いを挑むカップルを熱演し、コメディのセンスがあることも披露した。アクション映像や、アフリカの風景を捉えたカラー撮影なども好評で、ヒット作となった。おんぼろランチ「アフリカの女王」号の酔いどれ船長役で、ボガートは1951年のアカデミー賞主演男優賞を受賞している。ボガートとヒューストンは、ロケ地で酒ばかり飲んでおり、すべて酔ったまま演じ、演出されたといわれる。
52歳、長女レスリー誕生。スターとしてブレークした「化石の森」で世話になった主演女優レスリー・ハワードへの感謝の気持ちから命名。
「デッドライン~U.S.A.」(1952)と 「Battle Circus」 (1953)のあと、撮られたジョン・ヒューストン監督「悪魔をやっつけろ」(1953、共演ジーナ・ロロブリジータ)は、ヨーロッパとアフリカにまたがる巨大な密輸組織の悪行を、命を掛けて暴き出すハードボイルド・アクション・スリラー。米国においてもパブリックドメインとなった。
1954年の「ケイン号の叛乱」では、精神に異常をきたした船長という難しい役どころを見事に演じて再びアカデミー賞にノミネートされた。エドワード・ドミトリク監督。共演ホセ・フェラー、フレッド・マクマレイ。米海軍駆逐艦での指揮権剥奪事件と軍法会議を通じ、軍隊の病巣を描き出した重厚な社会派大作。演技派としてのボガートの代表作。
翌1955年にはウィリアム・ワイラー監督と組んで「必死の逃亡者」に出演して、凶悪な逃亡犯を演じて演技を披露した。ボガートの脇役時代の代表作に「化石の森」1936があり、食堂に立てこもる凶悪脱獄犯デューク・マンテーに扮したボガートは、その冷酷非情な貫禄のある演技で注目された。それから約20年ぶりに、同様の役柄に扮したのが本作。「アメリカの理想的な父親」であるフレドリック・マーチを相手に、彼の家に押し入った脱獄犯たちのリーダーを演じ、悪役としてのキャリアの長さを改めて観客に示した。
「麗しのサブリナ」(1954)や「俺達は天使じゃない」(1955)などコメディ映画にも出演して幅広い役柄をこなしてゆく。ビリー・ワイルダー監督「麗しのサブリナ」(1954、共演オードリー・ヘプバーン、ウィリアム・ホールデン)は、オードリー・ヘプバーンが愛らしさを前面に出した豪奢で楽しいコメディ。ボガートとしては珍しく、中年に至って未だ独身の朴念仁をユーモラスに演じた。ワイルダーとホールデンは「サンセット大通り」での初顔合わせ以来、たいへん気が合い、オードリーも彼ら寄りだったので、硬派なボガートにとっては彼らと反りが合わず、ますます不機嫌だったという。
ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「裸足の伯爵夫人」(1954) は、エヴァ・ガードナー主演で、酒場のダンサーから大女優に、そして伯爵夫人になった女の波乱の半生を描いたメロドラマの佳作。脚本家出身の才人マンキーウィッツ監督らしいユニークな作品である。ボガートはガードナーを見出した映画監督に扮して狂言回しとなり、ナレーションも務めた。ボガート最後のトレンチコート着用映画でもあった。
54年には再びマンティ役を演じたテレビ・ドラマ「化石の森」でバコールと最後の共演を果たした。「俺たちは天使じゃない」(1955) 「The Left Hand of God」 (1955) 「必死の逃亡者」(1955)のあと、遺作となったサスペンス映画「殴られる男」(56)ではスポーツ記者を演じ、これが最後の出演作となる。撮影終了後痛みを伴う激しい咳に襲われ、検査の結果食道ガンと診断される。
バコールと5度目の映画共演作「将軍ベッドに死す」の準備中に咽喉ガンで入院、闘病生活の末に1957年1月14日(享年57歳) 帰らぬ人となる。1999年にAFIが発表した「アメリカ映画スターベスト100」では男優の1位に輝いている。「女優のモンロー、男優のボガート」といわれるくらいのハリウッド・スターのシンボル的存在である。晩年に過ごした住居は、 ハリウッド、ホーンビィ・ヒルズ(Holmby Hills)にあった。墓所は、Forest Lawn (Glendale), Glendale, California, USA. Garden of Memory, Columbarium of Eternal Light, to the left of the statue.(ウォルト・ディズニー、サミー・デイヴィスJr.も同じ墓地。)
パロディ作品としては、
「ボギー! 俺も男だ」(1973年) ウッディ・アレン脚本・主演の、ボガートへのオマージュに満ちたコメディ映画。原題 「Play It Again, Sam」 は「カサブランカ」が由来なのだが、厳密にはボガートはもちろん作中誰もこの台詞は口にしていない。
「ハリウッドに別れを」(1975年) アンドリュー・バーグマン作の探偵小説。1950年代のハリウッドが舞台になっており、ボガートが主人公の私立探偵を助ける役回りで登場する。
「ラスト・アクション・ヒーロー』 一瞬だけ登場する。セリフは無い。
がある。
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by sentence2307 | 2008-04-19 07:59 | 映画 | Comments(5)

眠れる美女

高校を卒業してから、もうかなりの時間が経ちました。

劣等生だったこともあり、取り立ててこれといったいい思い出もないせいでしょうか、幹事から時折同窓会の案内状がきていたことは知っていたのですが、いままで一度だってその案内状に返事など出したことなどありませんでした。

しかし、あるとき、新宿の飲み屋で偶然高校の同級生と出会い(彼も相当のワルでした)、思い出話の流れからの勢いで、近々催される同窓会に出席することになってしまいました。

「オレなんかが出席してもいいのか。そもそも,そんな場違いな所に、オレの居られる場所なんか果たしてあるだろうか」という長年の気後れがあって(彼にどうしてもその気後れを説明する勇気がなかったために,結局出席する羽目になってしまったのですが)、また、むかしと同じようなショボくれた「壁の花」になるのだったら、その時はいっそのこと、さっさと帰ってしまえばいいかという悲壮な結論に至り,当日情けない決意を固めながら、いざ会場に着くと、なんだか様子が違います。

下にも置かない歓迎ぶりなのです。

なにこれ?という思いから、歓迎している連中の顔をよく見ると、揃いも揃って、かつてのワルばかりじゃありませんか(別に彼らとそれ程親しかったというわけではないのですが,そこは、いってみれば「同病相憐れむ」の変な連帯意識があったのかもしれません)。

なんだ、こんなことなら、なにも余計な遠慮なんかするんじゃなかったと、途端にリラックスして、その場にすぐに打ち解けました。

かつての優等生連中は、ただのひとりも出席していません。

噂話をつなぎ合わせると、財務省の役人になっているのやら、県議会議員をやっているやつ,はては裁判官(某地裁の部総括で有名刑事事件の裁判を報じるニュースで,威儀を正して法壇に鎮座している彼の雄姿がテレビの画面に大写しされたそうです)になったのまでいるというのですから、てっきり「そういう同窓会」かと尻込みし、怖気づくのもアナガチ理由がなかったわけではないと、我ながら変な納得・安心をしたのでした。

さて、恩師のいない同窓会ですが、出席者の半数にも満たない女性陣,その裁けたオバサンたちの存在感は圧倒的で、酔いが回った男連中のキワドイ冗談なんかも軽く往なして、かえってとっくの昔に時効になっているはずの高校の頃のヤバくて痛い話をシタタカに蒸し返されてヘコまされ、一遍に酔いが醒めてしまったヤツもいました。

久々に騒ぎまくり,十分なストレス解消もできたので、二次会のお誘いの方はお断りして家路につこうと思っていたとき、したたかに酔い、そのために腰が立たなくなった男性が,ガードレールに座り込んでいました、もう一歩も動けない様子です。

その彼は、ぼくを同窓会に導いてくれた「新宿」の彼でした。

出席を勧めてくれた感謝の思いもありますし、それほど遅いという時間ではありませんでしたので、タクシーをつかまえて彼を家まで送り届けてあげることにしました。

首都高に乗って東北道めざして走り続け,やっと郊外のインターチェンジに着いて,それから倉庫ばかりが建ち並ぶエリアを抜けた寂れた市営団地に到着しました。

「少し寄っていかないか」という彼の誘いを断る適当な理由が思いつかず,彼の酔いが大分醒めていたこともあって、彼のあとに付いていきました。

やたらに広大な,パッと見,果たして何棟あるのやら想像もできないくらいに群立している中の一棟に向かって,彼は結構しっかりとした足取りで歩いていきます。

あまりに暗くて何階建てなのか確認することができませんでしたが,エレベーターがなかったのに3階以上はあったような気がします,むやみに階段を歩かされ(息切れしながら、内心こんなことなら,あのとき潔く別れてしまえばよかったかと思いました),やっとひとつのドアの前にたどり着きました。

彼がチャイムを鳴らすと,すぐにドアが開き,待っていた視線を低く修正しなければならないくらい背の低い少女の顔が突き出されました。

彼を見てお帰りなさいと言って自然に出た笑顔が,傍に立っているぼくを見た瞬間に強張りました。

「誰なのコレ」という怯えと緊張のために瞬時に身構え、ナジルように目顔で彼を射る非難の強い眼差しは,反射的にぼくを後ずさりさせ「じゃあ,これで」と言わせてしまうだけの排他的な威圧感がありました。

「いいじゃないか」と止める彼の手を外して階段を足早に下りました,別に不快感があっての固辞ではありません,平穏な家庭にあえて波風を立ててまで,飲みたくもない酒を義理で付き合うような真似だけはしたくないと思ったからでした。

すぐに追いついてきた彼は,「すまなかったな,アイツ客が来ると異常に警戒するんだよな」と言い訳しながら,肩を並べて団地の出口に向かって歩きました。

あの年頃はしょうがないさ、変に潔癖だからねとか,だいたい大人の酔っ払いに対しては相当な嫌悪感と警戒感を持っているだろうしね,と返すぼくの勝手に抱いた「父娘家庭」のイメージと,彼の言い訳とがどうもしっくりと噛み合わないのに気が付きました。

「娘さん,なんだろ?」というぼくの問いを彼はきっぱりと否定して,あの少女と同棲しているのだと告白しました。

「だってお前」とだけは言えても,あとの「大丈夫か?」は言えませんでした。

明らかにあの少女は「大丈夫か?」と言わねばならないような年齢です。

「ずっと居ついちゃって困ってる」

しかし,その言葉の響きは,それほど深刻な「困ってる」ではありません。

取るべき責任があるならあるで一向に構わない,取ってやろうじゃないかという覚悟が感じられる強い言葉でした。

大通りまで来て,空車のタクシーが通り掛るまでの僅かな時間に,彼は,僕が抱いているであろう疑問に,先回りしてすべて答えてしまおうとでもいうような勢いで,一気に話し始めました。

もし体の交わりというものがSEXなら,そういうSEXは、してない,ただ並んで寝ながら,言葉だけでSEXするんだ。

俺が言う「指でお前のあそこをこうしてあげる」
あの娘が言う「私はあなたのあそこをこうしてあげる」
俺が言う「これをこんなふうに,お前のあそことあそこに・・・」

ぼそぼそと果てしなく続けられる彼のその異常な話を聞きながら,確かむかしテレフォン・セックスとかいうのがあったっけなとぼんやり考えていました。

言葉だけで応酬され,形成されていくその快楽(もしあり得るとすれば,の話ですが)は,寒々しい自慰とはいえないにしても,決してSEXともいえないと思いながら。

これらは,本当にほんの僅かの時間で話されたことでした。

タクシーに乗り込み,団地に向かって去っていく彼の後ろ姿を見送りながら,僕はとっさに、性欲を失った老人が全裸の少女に添い寝して一夜を過ごすという物語、川端康成の「眠れる美女」を思い浮かべました。

「性欲を失った」とはいえ、自分の老いた肉体が女性に対して性的に反応しなくなってしまっただけで、「関心」の方は、まだまだ健在という状態があり、だからこそ「添い寝」となるわけですが、その未練というか執着というか、もっと言えば死に直面した悲しい意欲が、この先の限られた余命が明らかなだけに、なんとも哀れな感じを受ける物語です。

そして,肉体の反応を伴わないむなしい「性欲」は、そこでは却って老人を苛む死の棘の役割しか担っていないというその皮肉に、この小説を読んだ当時は慄然とさせられたかもしれません。

彼の場合は,肉体の欲望を圧殺しながらですが,しかし,それだって彼にとっての彼女は「死の棘」であることには変わりない。

いやいや、もしそうなら、それは「眠れる美女」というよりも「嘆きの天使」かもしれないな。

深夜の東北道を疾駆するタクシーの中で、とりとめなく湧き出てくる淫らがましい妄想に煩悶し押し潰されそうになりながら、ぼくは家路についたのでした。
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by sentence2307 | 2008-04-12 11:22 | 映画 | Comments(2)

砂の器(メモ)

物語は、蒲田駅の操作場で中年男の他殺死体が発見される場面から始まる。・・・

東北弁にこだわる今西(刑事)は、国立国語研究所で、島根県出雲に東北弁と酷似した方言を使う地域があることを教えられる。

そこには「亀嵩(かめだけ)」なる地名があり、現地に照会すると被害者は亀嵩駐在所の元巡査であることが判明した。

ようやく事件の突破口をつかんだ今西は、着実に犯人に近づいていく。・・・

「砂の器」には、方言が京を中心に同心円上に分布しているとする方言周圏論を利用した地域の錯誤、戦災で戸籍が消失した時の特例を利用した人物の入れ替え、さらに(擬似科学的ではあるが)電子楽器を使って超音波を発生させ心臓麻痺を起こさせる殺人機械までが登場させるなど、いくつものトリックを有機的に結びつけることで意外な真相を作り上げていくという緻密な構成は、鮮やかで華麗のひと言につきる。

犯人は、保身のために恩人を殺すが、その背後には、過去の秘密が暴かれると差別されるという恐怖が置かれていた。

つまり松本清張は、犯行動機を通して日本社会にはびこる差別意識を告発したのである。

「砂の器」が題材にした差別は、少しずつではあるが改善されている。

だが、国籍、民族、職業など解決されていない差別はまだ多い。

末国善己「新聞小説の世紀」より(日本経済新聞2008.1.30夕刊)


新聞を整理していたら、思わぬ記事があったのですが、手近なところにメモ用紙がなく、ぶしょうして、ついブログをメモ代わりに使わせてもらいました。アシカラズ
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by sentence2307 | 2008-04-06 19:03 | 映画 | Comments(5)