世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2008年 06月 ( 17 )   > この月の画像一覧

十三人の刺客

以前、時代劇ファンの人たちの「十三人の刺客」の高い評価を知ったとき、正直、意外な感じを受けました。

特筆するほどの物凄いものが、なにかこの映画にあるのだろうかという意外さです。

そのことを知ってから、注意してこの映画に関する記事を読むようになりました。

折に触れて読んだ幾つかの記事の内容をまとめると、だいたいこんな感じになるでしょうか。

①1963年に隆盛をみせた集団抗争時代劇(東映京都撮影所で撮られた作品に限る)を代表する傑作である、

②従来の時代劇を否定したリアリズム・タッチが斬新である、

③従来の時代劇になかった権力者に対する政治的テロリズムが描かれている、

よく考えてみれば、これらに示唆されていることはどれも、それまで東映という会社が撮ってきた自社の時代劇作品に対する自己否定でしかないことを思うと、「十三人の刺客」という作品を(「日本映画史上」ではなく、「東映時代劇の」)「傑作」たらしめている風評には、眉に唾して限定的に考えないといけないかなという気がしてきました。

つまり、東映時代劇が、そのマンネリからの脱皮しようとした模索(その模索の動機づけは、前年比21億5000万の減益のショックです)の過程で、例えば「集団抗争時代劇」というひとつの形を思い至ったとしても、しかし、その実態は、東映が抱えていた「スターシステム」を全否定することが出来ないまま、ずるずると到達した折衷案にすぎなかったのではないかと思えて仕方がないのです。

例えば、こんなふうに考えたことってありませんか、あの13人の侍たちのうちの果たして何人を、個人として認識することができるだろうかと。

スター俳優はすぐにも思い出せるものの、端役の侍たちを個々に識別することはどうしても出来ません。

それは観客の注意力が足りないからではなく、それまでの東映時代劇が「そう」だったように、端役などどうでもいいという撮り方をしているのだから当然の結論だったのです。

「七人の侍」において、あれほど細心周到に時間を割いた人物紹介など、だからこの映画に求めることなど最初から所詮無理なことだったかもしれません。

日本経済新聞の木曜日の夕刊に連載している「時代劇映画のたのしみ」の執筆者・縄田一男氏は、よほど「十三人の刺客」に思い入れがあると見えて、2008.6.19の記事の中で、読んでいても赤面してしまうほどの賛辞のあとで、この作品の持つ意義のひとつとして、
「千恵蔵が、嵐寛寿郎が、里見浩太朗が、脇役の俳優たちと共に刀を振り回し、体力の限りを尽くしてぶつかっていく。そのことはとりもなおさず、スターシステムの崩壊を意味する」という西村雄一郎という人の文章を抜粋しています。

「脇役の俳優たちと共に刀を振り回す」ことが、スターシステムの崩壊ではなく、むしろ証明だったからこそ、東映時代劇の崩壊があったのだと何故理解できないのかと僕とても不思議ですが、この作品が依然として集団抗争時代劇を代表する傑作であることにはいささかの疑いも持っていません。

しかし、この集団抗争というヤツ、どうしたって小学校の運動会を遠目で見ているような緊迫感の欠落したお祭騒ぎみたいに間延びしていて、退屈以外のものを感じることが出来ませんでした。

この無様な戦闘場面のどこに、それまで東映時代劇が長い間培ってきた舞うような殺陣より優れたものがあるといえるのか、リアリズムって、いったい何なんだ、という思いです。

この作品が一見群像劇に見えて、しかし、その実態がどこまでもスターシステムに支配されている映画にすぎないからに違いありません。

東映時代劇を支えていた「勧善懲悪」という営業理念に手を付け、ただ単に商魂から昂然と反権力の立場を装おうとした自己否定の賭けによって得たものが、「止揚」などではなく、皮肉な「凋落」だったことを思うと、この「十三人の刺客」は、その記念碑的な意味において忘れられない作品だったのかもしれません。

 * * *

【別バージョン】いつ書いたのか、記憶にないのですが・・・古いファイルにありました。

自分のブログを読み返していて、突然あることに気がつきました。

「七人の侍」を取り上げる頻度が物凄く多いのに、その他の時代劇映画というものを取り上げることが皆無に近いということに、です。

自分の好みもあるのですが、「七人の侍」が、従来の「時代劇作品」とは、まるっきり違う作られ方をした作品なので、「七人の侍」を語っていく過程で、他の時代劇に言及するということがない(優劣という意味ではなく、語られる「叙情性」というもののタイプが全然違うという意味において)ということだと思います。

長谷川伸が描く股旅もの、例えば「はぐれ者の悲しみ」という思想を、「七人の侍」の壮絶なリアリズムの延長線で語ることの困難は容易に想像できると思います。

義理のために斬らなくてもいい相手を斬り殺し、罪の意識に苛まれて遺された女房と遺児を助けながら、彼女に恋心を抱いてしまう自分の気持ちを厳しく諌め、やくざはやくざらしく、人間のクズとして生きていくことをニヒルに選ぶという筋立ての延長線上に「七人の侍」という作品を置きにくいということと同じことかもしれません。

しかし、そういう「時代劇」の成り立ちが崩れていく過程で作られた映画として、「集団時代劇」というか「群闘時代劇」というジャンルがあって、それらの作品の象徴的な存在としてよく語られる作品に東映作品「十三人の刺客」1963があります。

語る人によれば、この「十三人の刺客」が、「七人の侍」のように世界的に評価されなかったのは、東映の宣伝が足りなかったからだ、それくらいに優れた作品だ、という意味らしいのです。

僕も、その話題性に釣られて、この作品を見てみました。

手におえない暴君を、公儀の手前オオヤケには手出しができないので、謀って密かに暗殺するという物語です。

その侍の人数が13人、しかし、七人の侍ほどには個々のインパクトが薄く、せいぜい覚えているのが四人という印象の希薄さでした。

希薄さということから言えば、その「群闘」というカタチも、極めて希薄でした。

それぞれが必死になって、やたら刀を振り回しているだけで、見ている側に緊迫感を与えることができないばかりか、シラケてしまいました。

「七人の侍」が群闘劇だと思い込んでいるとしたら、それはただの勘違いでしかありません、個々人が斬り合うという研ぎ澄まされた緊迫感を丹念に重ねていくことで成り立っていた作品だったと思います。

そして、どうしてこんなふうに誤解を増幅させて、「時代劇」が変な方向に反れてしまったのか考えてみました、それはもしかすると、この作品が撮られた60年安保の影響かもしれません。

皇居前の写真で有名な例の無味乾燥なあの乱闘場面の影響かも。

だが、しかし、多分それだけではないと思います。

きっと、なによりも乱心に狂う「暴君」の扱い方が、ただ不可解で、旧態依然の人間味を感じさせない絵空事だったからかもしれません。

(1963東映・京都撮影所)
製作=東映(京都撮影所)企画・玉木潤一郎 天尾完次、監督・工藤栄一、助監督・田宮武、脚本・池上金男(池宮彰一郎)、撮影・鈴木重平、音楽・伊福部昭、美術・井川徳道、装置・西川春樹、装飾・川本宗春、録音・小金丸輝貴、照明・増田悦章、編集・宮本信太郎、語り手・芥川隆行、スチール・江崎洋
配役・片岡千恵蔵、里見浩太郎、嵐寛寿郎、内田良平、西村晃、丹波哲郎、月形龍之介、阿部九州男、菅貫太郎、山城新伍、水島道太郎、加賀邦男、汐路章、沢村精四郎、春日俊二、片岡栄二郎、和崎俊哉、丘さとみ、藤純子、河原崎長一郎、三島ゆり子、高松錦之助、神木真寿雄、高橋漣、水野浩、原田甲子郎、北龍二、明石潮、堀正夫、有川正治、小田部通麿、香川良介、松浦築枝、藤井貢、尾上華丈
1963.12.07 11巻 3,438m 125分 白黒 シネマスコープ
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by sentence2307 | 2008-06-28 12:43 | 映画 | Comments(0)

あしたの私のつくり方

1本の映画を1週間かけて、あれこれ捏ね繰り回して考え続け、その週末に短いコメントにまとめるという作業を、日常的な愉しみのひとつにしています。

通勤電車の中だとか、売上伝票に捺印しているときとか、会議の真っ最中などに、不意に脳裏に浮かんできた感覚的な言葉を書き留めておいて、それを膨らませたり圧縮したりして、なんとか小文に纏め上げています。

きっと、ひとつの言葉を捏ね繰り回しながら、ああでもない、こうでもないと迷ったりしながら、煮え切らない中途半端な状態に居るのが、自分にはとても居心地いい場所なのだと思います。

だいたい1週間も考えれば、作品のテーマだとか、それに沿った自分なりの感想が大方固まってくるものですが、しかし、そうじゃない場合だって、たまにはあります。

この市川準監督の「あしたの私のつくり方」という作品が、ちょうど「そういう作品」だったかもしれません。

この作品について、当初の理解は、学校で仲間はずれにされないために、自分を偽って「いい子」でいることに戸惑う少女たちが、迷いながらも「本当の自分」を探し当てる物語(宣伝文句そのままですが)みたいな認識から考えをスタートしました。

しかし、いじめられても、いじめられっぱなしという、理不尽なそうした歪んだ状況に手向かうどころか、むしろひれ伏すみたいに迎合していくこの作品の弱々しさが、どうしても馴染めませんでした。

とはいえ、トバグチでそんなことに拘っていたら、この作品の核心には迫れません。

この映画の核心は、きっと寿梨(成海璃子)が、日南子(前田敦子)に対して持ち続けていた負い目とヤマシサをどのように克服したか(あるいは出来なかったか)にあるのだと思います。

仲間はずれにされて苦しむ日南子と、仲間はずれにされまいとすることで「加害者側」に加担してしまった寿梨の、その贖罪の思いから、甲府に転校していった日南子に「好かれる女の子」を携帯メールで影ながら演出して、まんまと人気者に仕立て上げることに成功したことが、逆に「本当の自分」とのギャップに迷わせ、なおさら日南子に自己欺瞞の思いを抱かせてしまいます。

失ってしまった「本当の自分」として生きていきたいと悩む日南子の姿が描かれています。

それは、そのまま寿梨の問題でもあったのかもしれません。

しかし、普通に考えれば、寿梨に比べて、日南子の痛手の方が遥かに大きいという印象は拭えません、そのような二人が果たして対等な関係で交友関係を結ばせることができるのだろうかというのが、当初僕が抱いた素朴な疑問でした。

しかし、本当に、「いじめられ続けた日南子の痛手」の方が大きかったといえるでしょうか。

日南子が、たとえ「偽りの自分」によって人気者になったにすぎないことを否定的に悩んだとしても、一度「人気者」になったという記憶を、友人たちの中からそう簡単に消すことなどできはしません。

東京にいたときの日南子が、級友たちの記憶によって執拗にスポイルされる対象にされたように、甲府の日南子は、一度確立した「人気者」という消し難い強烈な印象によって常に受け入れられ続けるに違いありません。

しかし、寿梨の方はどうかといえば、日南子に送信した架空の物語が、結果的に、コト半ばにして彼女に拒絶されて失敗したということの裏に、目立つことを極力恐れた寿梨の、もし、こんなふうに振る舞うことができれば、きっと自分も人気者になれるに違いないと夢見た「あこがれ」が全否定されたという事実を見逃すわけにはいかないと思います。

寿梨が夢見た処世術(その有効性は、現実において、一度は日南子によって成功し証明してみせました)を日南子に否定されたとき、この二人の間の交友関係を結び合えるような接点が、断たれたとみるか、あるいはそんなものは最初から存在さえしていなかったのだということを、あのラストシーンは描いているのかもしれないと思えてきました。

(2007日活)監督・市川準、原作・真戸香「あしたの私のつくり方」(講談社刊)、脚本・細谷まどか、撮影・鈴木一博、照明・中須岳士(JSL)、美術・山口修、
音楽・佐々木友理、主題歌:シュノーケル「天気予報」(SME Records)
出演:成海璃子、前田敦子、高岡蒼甫、石原真理子、石原良純、奥貫薫、近藤芳正、田口トモロヲ
97分
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by sentence2307 | 2008-06-25 23:20 | 映画 | Comments(0)

七人の侍

終戦時、日本映画界の状況について、「日本映画史年表」は、1945年8月の項には、衰退した映画界についてこんなふうに記しています。

「終戦時の映画界は、劇映画製作会社として、松竹、東宝、大映の3社、ニュース文化映画3社、配給団体(映画公社)1、劇場1000館、劇映画製作本数は月3本、戦前規模の半分以下という戦災を受けていた。終戦により一週間の興行停止。」
とあり、そして9月の「島津保次郎監督死去」の記事のあと、11月に映画製作に関してGHQが指令を発した記事が掲載されています。

「占領軍マッカーサー司令部は、軍国主義、国家主義、排外主義、仇討ち、自殺以下13項目の製作禁止条項を発表、これにより時代劇は製作不可能となった。」

いわゆる「反民主主義映画の除去に関する通達」です。

具体的には、「封建的法典の遵守、生活に対する侮蔑、武士道精神の強調、日本民族を無比だとする優越感、アジアにおける日本の特殊的役割」などで、そのような思想のもとで作られた映画(上映待機作品も含めて)225本を焼き捨てたとありました。

主君の仇討ちをとげ、潔く腹掻っ捌いて果てるという時代劇の思想は、そのまま軍国主義を支えた思想として禁止されたました。

「忠臣蔵」など、到底許されるはずもないお達しだったわけですよね。

そのような制約のなかから、再び時代劇映画が復活していく状況と、その復興過程で旧来の時代劇映画のあり方が徐々に変遷していく様子を、「七人の侍」と「笛吹童子」を上げながら論じられていたのが、縄田一男氏の「時代劇映画の楽しみ②」(「日本経済新聞」2008.6.12夕刊)でした。

「武力に勝る文化を表現」と題されたこの小論の中で、筆者は、「七人の侍」において百姓が侍を傭兵として雇うという考え方が戦後を象徴する画期的な意味があったのだと結論づけています。

最後の「勝ったのはわしらではない、あの百姓たちだ」という勘兵衛の象徴的な言葉をその論拠としてあげています。

しかし、苦衷にあった百姓たちを救うために戦ったあの侍たちの位置づけを「傭兵」のひとことで括られてしまうことに、「七人の侍」の一ファンとしては、かなり抵抗があるのです。

助力する浪人を物色する場面で、通りがかった山形勲演じる鉄扇の浪人が、勘兵衛の求めに答えて、吐き棄てるように言うセリフ「馬鹿な! 拙者の望みはもうちょっと大きい!」と激怒するあの気持ちこそは、侍たち誰もが持っていたに違いない偽らざる心境だったとしたら、そのまま彼らを「傭兵」と括ってしまうことには、単なるヒューマニズムだけでは説明のつかない、相当な理由付けが必要になるはずだと思いました。

勘兵衛のセリフは、戦いで斃れた4人の侍たちの墓(土饅頭)の前で語られています。

しかし、この戦闘で死んでいった百姓たちの数は、それを上回ってさらに多かったはず。

この戦いを勝ち取るために百姓たちが払わなければならなかった犠牲は、侍たちをただの「傭兵」とみなすことをガエンジさせないものを感じます。

侍たちは単なる「戦争馬鹿」の傭兵ではありません、百姓たちにしても怯えているばかりの無力で哀れな虫けらのような存在と描かれているわけではない。

侍たちと同じように、百姓たちも武器をとり同等に戦ったことに、この作品の斬新な意味があったのだと思います。

黒澤明が、上記のGHQの指令を踏まえて、さらに一歩進めた考え方・自覚的な民衆への思いが、そこにはあったような気がします。

あるいはそれは「戦後」に抱いた黒澤明自身の夢だったかもしれない。

しかし、民衆が自主的に武器を取り、立ち上がることを理想として描いたこの指令のなかに潜む民主主義にたいする妄想と、過度の大衆へのかいかぶりが、やがてモンスターと化して東宝大争議を誘発し、自らの手で鎮圧しなければならなくなった皮肉を思えば、「七人の侍」に描かれた民主主義は、ひとつの「蜜月」の無残なナゴリだったような気もします。

《スタッフ》
製作・本木壮二郎、脚本・黒澤明・橋本忍・小国英雄、撮影・中井朝一、同助手・斎藤孝雄、照明・森茂、同助手・金子光男、美術・松山崇、同助手・村木与四郎、音楽・早坂文雄、同協力・佐藤勝、録音・矢野口文雄、同助手・上原正直、助監督・堀川弘道(チーフ)・清水勝弥、田実泰良、金子敏、廣澤栄、音響効果・三縄一郎、記録・野上照代、編集・岩下広一、スチール・副田正男、製作担当・根津博、製作係・島田武治、経理・浜田祐示、美術監督・前田青邨・江崎孝坪、小道具・浜村幸一、衣装・山口美江子(京都衣装)、粧髪・山田順次郎、結髪・中条みどり、演技事務・中根敏雄、剣術指導・杉野嘉男、流鏑馬指導・金子家教・遠藤茂、

《キャスト》
三船敏郎(菊千代)、志村喬(勘兵衛)、稲葉義男(五郎兵衛)、千秋実(平八)、加東大介(七郎次)、宮口精二(久蔵)、木村功(勝四郎)、津島恵子(志乃)、高堂国典(儀作)、藤原釜足(万造)、土屋嘉男(利吉)、左ト全(与平)、小杉義男(茂平)、島崎雪子(利吉の女房)、榊田敬二(伍作)、東野英治郎(盗人)、多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、渡辺篤(饅頭売り)、上山草人(琵琶法師)、清水元(町を歩く浪人)、山形勲(町を歩く浪人)、仲代達矢(町を歩く浪人)、千葉一郎(僧侶)、牧壮吉(果し合いの浪人)、杉寛(茶店の親爺)、本間文子(百姓女)、小川虎之助(豪農家の祖父)、千石規子(豪農家の嫁)、熊谷二良(儀作の息子)、登山晴子(儀作の息子の嫁)、高木新平(野武士の頭目)、大友伸(野武士の小頭・副頭目)、上田吉二郎(野武士の斥侯)、谷晃(野武士の斥侯)、高原駿雄(野武士・鉄砲を奪われる)、大村千吉(逃亡する野武士)、成田孝(逃亡する野武士)、大久保正信(野武士)、伊藤実(野武士)、坂本晴哉(野武士)、桜井巨郎(野武士)、渋谷英男(野武士)、鴨田清(野武士)、西條 悦郎(野武士)、川越一平(百姓)、鈴川二郎(百姓)、夏木順平(百姓)、神山恭一(百姓)、鈴木治夫(百姓)、天野五郎(百姓)、吉頂寺晃(百姓)、岩本弘司(百姓)、小野松枝(百姓女)、一万慈多鶴恵(百姓女)、大城政子(百姓女)、小沢経子(百姓女)、須山操(百姓女)、高原とり子(百姓女)、上岡野路子(百姓の娘)、中野俊子(百姓の娘)、東静子(百姓の娘)、森啓子(百姓の娘)、河辺美智子(百姓の娘)、戸川夕子(百姓の娘)、北野八代子(百姓の娘)、その他、劇団若草、劇団こけし座、日本綜合芸術社、
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by sentence2307 | 2008-06-22 10:23 | 映画 | Comments(1)

灰とダイヤモンド

むかし村上春樹が「風の歌を聴け」で群像の新人文学賞を受賞したときのことは、その頃あった出来事も含めて、鮮明におぼえています。

それにあの小説を読んだときの強烈な印象も忘れられません。

だからかもしれませんが、この小説を映画化した作品の出来の悪さには、ほとんど「憎しみ」さえ感じたくらいでした。

きっと、そのくらいの思い入れがあったからだと思います。

その「風の歌を聴け」のなかの一節に、こんなクダリがありました。

「僕と妻はサム・ペキンパーの映画がくるたびに映画館に行き、帰りには日比谷公園でビールを二本ずつ飲み、鳩にポップコーンをまいてやる。
サム・ペキンパーの映画の中では僕は『ガルシアの首』が気に入っているし、彼女は『コンボイ』が最高だと言う。
ペキンパー以外の映画では、僕は『灰とダイヤモンド』が好きだし、彼女は『尼僧ヨアンナ』が好きだ。
長く暮らしていると趣味でさえ似てくるのかもしれない。」

ペキンパーが持て囃されていたその当時、意表をつくこの取り合わせの奇抜さには、ちょっと衝撃を受けました。

当時猛烈なブームを巻き起こしていたペキンパーの映画と、まるでジャンルも年代も違う政治色の強いこの反帝反スタの旗印のようなアンジェイ・ワイダ作品「灰とダイヤモンド」とを、同列に置いた発想が物凄く新鮮だったのだと思います。

あらゆる映画を「ジャンル」という先入観と偏見でしか理解していなかった頭の凝り固まった自称映画通の僕たちには、並べて論じ立てることなど決して考えられなかった取り合わせでした。

僕たちにとって「灰とダイヤモンド」が、それほどまでに高められていた「抵抗の映画」だったことを、それは示していたのかもしれません。

「抵抗」の一点でペキンパーと「灰とダイヤモンド」とをナンナク結びつけた村上春樹の透き通った直感、状況に囚われることのないどこまでも自由な村上春樹の感性に眩しいものを感じたのだと思います。

去る15日の日曜日の夜、NHK教育テレビの「ETV特集」で、アンジェイ・ワイダ監督の特集番組「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男」が放送されました。

その番組を見ながら、そんなむかしのことを思い出していました。

番組は、ソ連軍によるポーランド兵士の虐殺事件を描いた映画「カティン」の製作にいたるまでの権力当局との駆け引きの経緯(戦争中に起こったこの事件は、戦後もずっと語ることをタブー視されていた事件でした)を、ワイダ監督のインタビューをまじえて綴った記録です。

ワイダ監督が、映画「カティン」の製作にこだわった執念は、あの森で多くのポーランド兵が極秘裏に虐殺され、しかも、長い間歴史の闇に葬られていたという事実を暴くことで、自由のために権力に抵抗するとか、ソ連の国家犯罪を告発するとかといったお定まりの思想的な動機からなどではなく、その虐殺された兵士たちのなかに、ワイダ監督の父親も含まれていたのだというあまりにも衝撃的な、無残というしかない痛々しい切実な怒りの姿勢が潜んでいたことを思うと、以前からずっと持ち続けていた「灰とダイヤモンド」に対する違和感も氷解しました。

ワイダが描いた「抵抗」とは、抽象的な権力に対してなどではなく、まさにソ連そのものに対する具体的な抵抗だったことを知りました。

たとえ最後は犬のように惨めに射ち殺され、それが作劇上建前として反面教師的に括られていたとしても、いみじくも反革命的存在であるテロリスト青年マチェックが、共産党幹部を撃ち殺してしまうという衝撃的なエピソードが、どのようにして検閲を潜り抜けることができたのか、ソ連権力下にあった当時のポーランド政府内の戦々恐々たる混乱ぶりも機密書類をもとに描かれていていました。

そこには父を殺した権力に追随する者たちへのワイダの憎悪をもまた描かれていました。

映画「カティン」は、ポーランド兵たちがソ連軍に残酷無残に射殺され、まだ息をしているうちに土を掛けられ、もがき苦しみながら息絶えていく姿を克明に描き切った作品です。

悪意に満ちた邪悪な政策の一環としての不正な陰謀にはめられ、背後の至近距離から銃撃を受け、まだ息のあるうちに葬られ、土を肺いっぱいに詰め込んで苦悶のうちにのたうちながら息絶えた耐え難いシーンを、あえて再現した映画です。

しかもそこには、父親もおり、彼の最後の姿でもあり得たことをひとつひとつ確認しながら映画を撮り続けたのだと思うと、ひとりの息子として想像を絶するほど壮絶な、とても辛い作業だったはずです。

父親が殺される惨たらしい場面を正確に再現すること、そんな辛い思いが伴う映画をなぜ撮らねばならないのかという当然の疑問のかなたに、既に答えは出てしまっているように思います。

それは、あの見捨てられた若者たちの死を描いた「地下水道」や「灰とダイヤモンド」にしても同じことだったのだと思う。

命を掛けて圧制に抗する者たちの威厳に満ちた生と死を直視することをやめようとしない強靭な意思こそは、映画作家ワイダのものだったのだと感じられたからでした。

(1958ポーランド)監督脚色・アンジェイ・ワイダ、原作脚色・イェジー・アンジェイエフスキー、撮影・イェジー・ウォイチック、美術・ロマン・マン、音楽・フィリップ・ノワック指揮ウロツラウ放送五重奏団
出演・ズビグニエフ・チブルスキー、エヴァ・クジジェフスカ、アダム・パウリコフスキー、ボグミール・コビェラ、スタニスラフ・ミルスキー、ズビグニェフ・スコフロニュスキー、バクラフ・ザストルジンスキー
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by sentence2307 | 2008-06-21 09:53 | 映画 | Comments(0)

一期一会

土曜の夜は、どういうめぐり合わせか、NHK教育TVの「一期一会」という番組にチャンネルが合ってしまいます。

昨夜もスポーツ・ニュースを見終わった後で、何の気なしにコントローラーをあちこち押していたら、その「一期一会」に行き着いてしまいました。

ここに登場する人たちの設定は、多くの場合、世渡り下手な若者が、世渡り上手の同世代の若者に会い、アドバイスを受けるという部分にあります。

まあ、「世渡りの下手な」理由というのは、だいたいのところ、他人のアドバイスを受け入れられないその「頑なさ」にあるのでしょうから、人付き合いの巧みな、要領のいいC調野郎からのアドバイスなど、当然最初は反撥もあり、そう簡単には受け入れません。

その辺の葛藤というかぶつかり合いが、この番組の醍醐味であり面白いところです。

昨夜の主人公は、不登校だった過去をどうしても親友に話せないで悩んでいる高2のマリナちゃんが、全員不登校経験者のロックバンドのシロー君のサジェッションを受けにいくというものでした。

僕などは、親友といえども、そんなことまで「話す必要なんかあるのか」とつい考え勝ちですが、それはサラリーマン生活で、すっかりスレてしまった「おじさん」の考えることで、マリナちゃんの、告白しなければ親友に対する背信行為になってしまうと思い悩む純粋さと真摯さには胸を突かれ、少しずつ番組に引き込まれてしまいました。

両親の離婚によって幾度かの転校を余儀なくされ、友達ができないまま学校にも馴染めず、馴染めない分だけ無視と陰湿ないじめを受けて、毎日毎日いじめを受ける怯えと不安から、ついにマリナちゃんは学校に行けなくなります。

その背後には、母親の期待に応えられないばかりか、重荷になってしまっている自分なんか、この世に存在しない方がいいのだという自責の思いが、さらに気持ちを弱くさせたのだと思います。

シロー君とロックバンドのメンバーの前で、過去の思い悩んだ日々のことを、涙を流しながらマリナちゃんは話します。

そして、そう話すことで、彼女の気持ちが少しずつ軽くなっていく様子が、TV画面にも、はっきりと映し出されていました。

泣くという自浄行為に加えて、胸につかえていたものを誰かに聞いてもらうことで自分を客観視し、直面することを恐れて避け続けていた自分の過去と始めて向き合えたのだと思います。

そのあとでマリナちゃんは地元に帰り、親友たちに、引きこもりだった過去のことを告白します。

すべてを話して、感動した友人たちとの友情が、さらに深まるという終わり方でした。

番組が終わり、きっと、これはこれで正しい選択だったに違いない、とマリナちゃんの「告白」のことを考えていました。

しかし、自分なら「親友に、そんなことまで話す必要なんてない」という気持ちが揺らぐとは、どうしても思えません。

それはきっと、そういう友人関係というものがどういうものか、それなりの経験を積み重ね思い知らされてきたからでしょうか。

裏切りとか背信行為とかいう大層な理由なんかなにひとつなくとも、些細な言葉の行き違いや微妙な感情のズレによって、徐々に回復不能な「疎遠」に見舞われてしまう繊細で頼りない関係であることを知ってしまったからかもしれません。

こういう諦念に囚われること自体、まさに若さを失った証しなのだろうなと実感しました、少し淋しいことではありますが・・・。

マリナちゃんが、親友に「本当のこと」を話すことに、ひたすらこだわった部分を見ながら、最近見た映画、市川準の「あしたの私のつくり方」でも、「本当の自分」にこだわった同じような部分があったことを思い出しました。
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by sentence2307 | 2008-06-15 17:51 | 映画 | Comments(1)

吹けよ春風

検索していたら、最近の韓国映画にも同じ題名の作品があるんですねえ、配給会社がネーミングにツマって、まさか過去の邦画作品の題名を流用する「安易な掘り起こし」なんてことでお茶を濁したんじゃないでしょうね。

そういうことは、やめて欲しいと思います。

検索ヒットしたその韓国作品に関するおびただしい項目の中から、この邦画の題名を探し出すのは、ホント一苦労だったのですから。

とはいえ、念のため原題の「불어라 봄바람」を翻訳サイトに掛けて訳してみたら、なんと「吹きなさい、春風」と訳されました、なんだなんだ、「吹けよ春風」というタイトルそのままで、結構正しいじゃないですか。

因縁をつけたのは僕の方で、これではまったく立場がありません、トホホ、揚げ足とられたような感じです。

負け惜しみにひとつ、タケシなら「吹けよバカヤロー春風」くらいのネーミングにはするだろうなんてね(関係ないですけれども)ちょっと苛々していたら、続いてケッタイな考えが湧いてきました。

同じタクシー運転手を主人公に据えたあのスコセッシ作品と比較してみたらどうだという発想です。

瞬間うーんこれは面白い、とは思いましたが、しかし、だいたいのところ、この2作品になんか共通するものでもあるのか、「あっち」のタクシー・ドライバーは、半端じゃないですよ。

なにしろ、職業柄、社会の穢れた裏側を見すぎてしまったために、「世直し」の使命感(それ自体、すでにキレてしまった妄想なのですが)に燃えて、大統領暗殺を企てたり、果ては完全武装でマフィアに殴り込みを掛けたりという、どこまで本当か分からないような超弩級の「怒りの映画」なのに対して、この東宝作品の方は、ノホホンとした「人間バンザイ映画」なのですから、どう考えてみても共通点なんてありそうにも思えません・・・と普通なら思うでしょう? 

ところがそうでもないのです。

この谷口千吉監督の「吹けよ春風」には、黒澤明が共同で脚本を書いていて、あのスコセッシといえば黒澤明作品に出演したことのあるくらいの信奉者だったのですから、そこで、あれです、ナンカ、こう、繋がる、というか、関係があるというか・・・まあ、とにかく、なんていうか、つまりその、いってしまえば単にこの程度のことなのですが、でも、どうにか繋がったみたいなので良かったです、やれやれ。

しかし、このオムニバス形式という作り方は、世の中の諸相を捉えるのに適した方法論ですよね。

しかも、人が入れ変わり立ち代り出入りすることに何の不自然さも感じさせないタクシーという場所が舞台です。

同じオムニバス映画「舞踏会の手帖」が、ひとつの場所からそれぞれに散っていった人生のその後を厳しい視点で追跡した運動体としての時間観察だとしたら、この「吹けよ春風」は「タクシー」という点を通過する人々を定点観察したようなものかもしれませんね。

さて、この作品「吹けよ春風」は、8つのエピソードで構成されています。

①喧嘩する恋人が仲直りする話(若き岡田茉莉子が物凄く清楚です)、
②まだ自動車に乗ったことのない貧しい家の子供たちを乗せ、東京見物をしてあげる話、
③家出娘を心配しながら夜の街で見失ってしまう話(ラストでは母親と連れ立っている元気な彼女・青山京子と再会し、安心します。まかり間違えれば「ヘッドライト」みたいなストーリーになりますよね。東京山の手とおぼしき住宅街の深い闇の描写が素敵でした)、
④日劇前でファンに揉みくちゃにされているスター(越路吹雪が演じています)を救って外苑前で楽しいひと時を持つという話。
⑤早慶戦帰りの酔っ払い(小林桂樹・藤原釜足)が「窓抜けの天井渡り」の曲芸を夜のタクシーで延々と続けるという話、
⑥銀婚式を迎えた老夫婦が生きる希望を見出す話、
⑦タクシー強盗(三國連太郎)に遭遇した恐怖を描いたストーリーで、まるでヒッチコック作品のような迫力でした。
⑧子供たちには刑務所にいたことを隠して復員兵として帰ってきた夫(山村聡)を迎える一家の話、まさに「幸福の黄色いハンカチ」とか、家族描写にネオリアリズモ作品のような空気を感じました、例えば「屋根」とかでしょうか。

それにしても物凄い豪華キャストにビックリする映画ですが、特に②と⑥とに黒澤明の雰囲気を強く感じました素晴らしい作品でした。

(1953東宝)製作・田中友幸、監督脚本・谷口千吉、脚本・黒澤明、撮影・飯村正、美術・小川一男、音楽・芥川也寸志、助監督・堀川弘通、録音・三上長七郎、照明・森茂、編集・笠間秀敏
(出演)三船敏郎、山根壽子、越路吹雪、岡田茉莉子、三好栄子、島秋子、青山京子、山村聰、三国連太郎、小林桂樹、藤原釜足、小泉博、小川虎之助、三好栄子、島秋子、
1953.01.15 9巻 2,264m 白黒
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by sentence2307 | 2008-06-14 15:46 | 映画 | Comments(2)

雄呂血

先週あたりから「日本経済新聞」の夕刊で「時代劇の楽しみ」という連載が始まりました。

筆者は、未知の人ですが、縄田一男という文芸評論家です。

どのくらいの期間連載されるか、よく分かりませんが、第一回目は、まさに日本の映画が本格的にスタートしようという時期の、旧劇から「時代劇」へと変遷していく状況が記されています。

築山光吉監督・尾上松之助主演の「渋川伴五郎」1920 or 1922と、二川文太郎監督・寿々喜多呂九平脚本・阪東妻三郎主演の「雄呂血」1925の二作品をあげながら説明されていました。

オーソドックスなこの進め方からすると、「きっと長い連載になるだろうな」と考えるか、それとも、時代劇の二度の隆盛期と、二度の試練の熾烈な時期を交互に経てきた盛衰を完結にまとめていけば、「せいぜい五回くらいが、適当なところか」という見解もあると思います。

しかし、そこのあたりはどうあれ、その記事の「まえがき」にあるとおり、名作の名場面を思い出させてくれて、「時代劇映画の尽きせぬ魅力と楽しみ」を堪能させてくれるだけでも、それでもう十分という気持です。

その第一回目が、この「渋川伴五郎」に対する「雄呂血」というわけですよね。

つまり、カメラを据えっぱなしで撮っていた旧劇に対しての時代劇、つまり、その思想として必然的に持たねばならなかった活劇としての「ちゃんばら」→「主人公の斬って斬って斬りまくる修羅の中にこそ示されなければならなかった」その作品が「雄呂血」だったのだと書かれています。

この「雄呂血」を見て、スタンバーグがスクリーンに一礼したという逸話を始めて知りました。

なるほど、世の中の矛盾や不正に対して筋を通そうとすればするほど落魄し、ついには無頼漢の汚名を着せられ、最後には大立ち回りの末に捕縛されるというこの物語、考えてみれば身動き出来ない苦境に追い込まれていく人間のあがらいようもない破滅の不条理を描き続けたスタンバーグが如何にも愛しそうな作品なのだなと膝でも叩きたくなる思いで読みました。

この「終始一貫、封建的階級制度に対する弱者の不満、疑義、反抗が憤りの爆発として飛沫をあげてほとばしっている」という活弁独特の「言葉自体」に酔ってしまうような部分を、無意識にでも「昭和初期のニヒリズムによる反権力のドラマ」と重ね合わせている部分が面白いと思いました。

その時代的な雰囲気としての「反権力的な気分」が愛された延長線上に、伊藤大輔による意識的な映画作りが位置していたのだと思うと、日本で育った社会主義思想が、必ずしも切羽詰まった生活困難上の必然によるものではなく、むしろ判官贔屓的なコンプレックスとか同情レベルから発した極めて雰囲気的なブーム程度のものにすぎなかったのではないかと、ぼんやりと考えました。

「モボ」とか「モガ」とかと同レベルの流行的なものにすぎず、その一時の現象性は、強権による弾圧によって(根強いレジスタンスを生み出すでもなく)、なんのこだわりもなく、またたくまに壊滅してしまったことを見ても分かるような気がします。

その「雰囲気」的な空気を示唆するものとして、よく知られるこの「雄呂血」を締めくくる活弁の
「無頼漢と称されるもの、必ずしも真の無頼漢にあらず。善良高潔なる人格者と称せられるもの、必ずしも真の善人にあらず。善人の仮面をかぶって世を欺く大偽善者、いまの世にも数多く棲息するを知れ」
が、その辺をよく伝えていると思いました。

さて、このことをブログに送信しようとした矢先、秋葉原における通り魔の無差別殺人という衝撃的な事件の一報に接しました。

まさに「雄呂血」というこの作品は、数多くの人間(斬り殺される側の彼らが、単に権力の走狗、権力の手先だから「数」として殺されても一向に構わないという想定です)が斬り殺される凄惨な映画です。

そして、そうした「殺戮」を正当化しているその思想が、反権力的な「時代の気分」にすぎず、「権力の犬」は殺してしまえという空気に裏打ちされているものであるのなら、ここであからさまに描かれている「死への不感症」は、ニュースで報じられていた斬り付けられて路上で蹲って苦悶している人々の映像にダブらせて考えるとき、身の毛もよだつ恐ろしい考え方なのだと、ちょっとパニクってしまいました。

同胞は命を掛けて守るけれども、敵の命なんか徹底的に殺し尽くし殲滅してしまえという考え方を内包している「雄呂血」という作品が、なにか恐ろしいモンスターのように思えてきて、しばし送信する勇気が萎えてしまったのです。

こうしてパソコンに向かってブログに書き込むという行為自体も・・・。

さて、この欄の次回のテーマは、体制の破壊者としての「大菩薩峠」の机竜之助の紹介だそうですので、これまた楽しみにしています。

(1925阪東妻三郎プロダクション・マキノプロダクション)
総指揮・牧野省三、監督・二川文太郎、助監督・村田正雄、宇沢芳幽貴、原作脚本・寿々喜多呂九平、撮影・石野誠三、撮影補助・稲葉蛟児、岡本勝人、舞台装置・川村甚平、電機照明・奥貫一、字幕・坂本美根夫、
配役・阪東妻三郎、関操、環歌子、春路謙作、中村吉松、山村桃太郎、中村琴之助、嵐しげ代、安田善一郎、森静子
1925.11.20 浅草大東京 11巻 2,537m 白黒 無声
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by sentence2307 | 2008-06-14 10:10 | 映画 | Comments(1)

わが「キネマ旬報」体験

一時期「キネマ旬報」を定期購読していた時期がありました。

映画通のための映画専門誌と聞いていたので、どんなものなのか、一種の憧れみたいなものもあって定期購読してみたのですが、結論から先に言えば、しっかり失望しました。

まあ、超難解な論文があったり、砕けすぎた読み物があるのですが、べつにそれが失望の理由ではありません。

情報も写真も、それこそ贅沢なくらいに掲載されていて、ただ見ている分には満足します。

しかし、いざ手元に置いて読んでみると、ハマってしまうような魅力的な記事が全然ないのです。

全ページが、これひたすら映画の話題ばかりなのですから、定期購読でもすれば、それこそ座右において四六時中読み耽るだろうなという憧れに近い予想をしていたのですが、実際に読んでみると、ほとんどの記事は、要領よくまとめられた「あら筋」か、配給会社の宣伝の片棒担ぎの「ヨイショ記事」ばかりだったので、ちょっとした脱力感に捉われてしまいました。

そういうわけで、次第に、この映画専門誌が届けられることにトキメキを感じなくなってしまい、遂には配本されても読まずに、その辺にホッポリ出しておくことが多くなり、とうとう定期購読をやめてしまったという経緯があります。

やっぱり本屋の店先でパラパラと立ち読みするくらいが、きっと、ちょうどよかったのだろうなというのが、僕の苦い「キネマ旬報」体験の結末です。

しかし、だからといって、それに懲りて「映画ばなれ」をしたかというと、そんなことはありません。

あの当時、「キネマ旬報」を隅から隅まで読んでいくうちに、映画に対する興味がどんどん失せていった理由が何にあったのか、ある程度時間が経過してから、僕なりに冷静に考えてみました。

そして得たことは、あの雑誌に寄稿している人々が、すべて映画好きというわけではなくて、最初から「映画」なんて、これっぽっちの興味もないのに、ただ世過ぎ身過ぎのために、映画の知識を切り売りして生活の糧にしているような人々の書いたものを、延々と読まされることで気持ちが荒んでしまったせいではないかという結論に至りました。

もちろん、これとて八つ当たり的な邪推でしかありませんが、一端の真実くらいは、きっとあると思っています。

きっと、「そんな情報なら、いらない」と嫌気がさして、「キネマ旬報」の購読をやめたのだと思います。

しかし、新聞の映画記事は、相変わらず読んでいます。

なにしろ情報源が、「新聞」だけというわけですから、情報源は極端に少ないのですが、全然不自由は感じていません。

かえって、情報が少ないほど、平凡な記事も、想像力をめぐらせて面白く読んでしまうのかもしれませんね。

それに、新聞記事が、一部のマニアでなく、一般読者を対象としているせいもあり、変なケレン味もなくて、率直で読みやすく、とてもイイ感じです。

なにしろ、「経済紙」から映画の情報を拾おうというのですから、相当乱暴な話ではあるのですが。

そしてこれからがやっと本題、前置きが長くて、中身が貧弱なのが、僕のブログの特徴ときていますのでアシカラズ。

6月に入り、日本経済新聞の夕刊に「時代劇の楽しみ」という連載が始まっています。

毎週木曜日の掲載で、筆写は縄田一男という文芸評論家です。

その第一回目が、6月5日に掲載されました。

内容は「雄呂血」の紹介でした。
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by sentence2307 | 2008-06-14 10:07 | 映画 | Comments(1)

鉄塔 武蔵野線

映画「鉄塔武蔵野線」は、とても不思議な映画です。

父母の離婚話から話が始まり、夏休み明けには母方の実家・長崎に旅立とうとしている直前の少年のひと夏の冒険が描かれています。

とはいっても、その冒険に同行する親友との堅い友情が描かれているわけではありませんし、母親の子供に対する愛情とかが描かれているわけでもありません。

もちろん、父親のそれでもない。

別れを直前にしながら、父との別れが辛そうだなどという特別な感情が描かれているシーンも存在しませんし、父親との別居後、しばらくして死亡した父の葬儀のシーンでも、少年が肉親の死にのぞんで動揺したり悲しんだりというような場面らしきものもない。

なんなんだ、この映画は。

人間臭というものを一切排除したまま、この少年は、鉄塔には番号というものが記されていることに気づき、憑かれたように「一号鉄塔」をめざして、一塔一塔たどって行くという冒険(これが冒険といえるシロモノならの話ですが)の物語です。

ただ、それだけなのです、はっきり言って、この映画作りの杜撰さには呆れ返りました。

まさか、アーサー・ペンの「泳ぐ人」でもあるまいし、なにかに固執すること自体に、社会への絶望感とか、あるいは「日常性を突き破る破壊願望」とかが暗示されているようにも見えません。

ひどいのは、年下の親友・アキラ君の描き方です。

主人公・ミハル君は、その冒険の旅に、親友・アキラ君を伴いますが、「一号鉄塔」を目前にして日暮れてしまい、心細くなって「帰ろう」というアキラ君の心細そうな提案を退けて、「帰るなら帰れ!」とムゲに撥ね付け、「オレは、野宿する」と宣言するシーンがありました。

考えてみれば、これは極めつきの尋常ならざるシーンです。

小学生の低学年の親友を自宅から遠く離れた夜の見知らぬ街にほっぽりだしたのですヨ。

この親友のことは、その後、父親の葬儀のために久しぶりに(どのくらい時間が経過しているのか分かりませんが)長崎から上京してきた「ついで」に、アキラ君の家を訪ねる場面があるきりです。

そこはもう荒れ果てた廃屋のようになっていて、人の住んでいる気配もありません。

主人公・ミハル君は、「もう、ココには、いないのか」というくらいの無表情で、別段の感慨があるようには見受けられません。

普通なら、あの夜、親友を自宅から遠く離れた夜の街に見捨てた後に続いている「廃屋」の場面です。

あの後、彼になにかあったのではないかと不安に思っても、一向におかしない場面です。

あれが原因で発病し、死んでしまったのかもしれないじゃないですか。

話のつながりとは、そういうものじゃないですか。

モンタージュ理論など屁とも思わないこの下品でフテブテしい不感症的な無神経さには、ただただ呆れ帰り、さらに驚かされました。

この映画、どう考えても変なのです。辻褄が合いません。

そもそもこの冒険・鉄塔の番号狩りなるものを、納得させるほどの明確な理由が示されているわけではありません。

それがとても不思議な感じを与えます。

前述したように、「人間との繋がり」に対しては、おそろしく淡白なのに、鉄塔の番号をたどっていくことには、異常なほど固執する「こだわり」のアンバランスが、人間味を欠いた寒々しい印象を与えます。

こうなったら、インターネットに頼るほかないとばかりに、「クリック・クリック」です。

ああ、ありました、そうですか、これは、日本ファンタジーノベル大賞とかを受賞した作品の映画化だったのですね。

「ファンタジー」なら、ファンタジーらしく撮ってくれていれば、おじさんも、こんなにカッカしなくとも済んだのにねえ。

ハハハハ・・・

(1997)監督脚本編集・長尾直樹、製作・岩沢清、井上弘道、長尾直樹、岡本東郎、主題歌・「SAJA DREAM」おおたか静流(アルバム「LOVETUNE」収録)、撮影監督・渡部眞
出演・伊藤淳史、内山眞人、菅原大吉、麻生祐未、近内仁子、小野田英一、田口トモロヲ、塩野谷正幸、梅垣義明
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by sentence2307 | 2008-06-09 23:23 | 映画 | Comments(3)

眉山

あるとき、コピーをとっていたら(コピー機は給湯室に設置されています)、背後で女子社員たちが、お茶の準備をしながら、夢中になって映画「眉山」の感想を話している現場に立ち会ってしまいました。

「ラストシーンで、泣いちゃった」
と誰かが言うと、それを受けて、最近入社したキャピキャピの「女の子」(すこし前「その言い方、やめてくれませんか」と女子社員に抗議されたばかりなので気をつけているのですが、油断すると、つい出てしまいます)が、
「東京からわざわざ逢いに来たのに、あの父親、あそこで何にも出来ずに、ボケーと突っ立っているだけだったよね、なんか馬鹿みたい。」
と極めて辛辣・率直な意見を言っていました。

それは、かつて自分の家庭を守るために、愛人を見捨て、そのままほったらかしにしていた身勝手で無責任な男・篠崎孝次郎に対する彼女なりの軽蔑と憎悪がこめられた言葉だったと思います。

その刺々しい非難に満ちた言葉は、ひとりの男である僕も、面前で難詰されたようなショックを受けました。

映画を見る限り、この父親に対する同情的な弁解は、この作品のどこにも語られていません、イメージとしては、ただ母親・龍子が語った「あの人を心から愛していたの」という一方的な思い入れの中で気配として語られる存在くらいでしかなく、本当のところ、男の側の気持ちは「どう」だったのかは分からないまま、観客は、この「拠りどころの無い」不安定な気持ちを抱えて(それは娘・咲子の心の状態と重なります)映画を見続けなければならないかもしれません。

しかし、祭りの喧騒のなかで、愛人を見捨てた情けない男に、いったい何が言えただろうかと考え込んでしまいました。

あのシーンで、観客の涙を絞るための感動的なストーリー展開なら、ほかに幾らでも作り得たと思います。

身勝手な男が、迷惑をかけた母娘に土下座して謝罪し、やがて黄泉に旅立つ母親を安らかに見送るという設定にしても、それなりに受け入れることができたと思います。

しかし、映画に描かれていた「男」は、このラストにおいて、なにひとつ為すべもなく、「ボケー」と突っ立っていたに過ぎません。

雑踏の中から呼び掛ける「お父さん!」という娘の声に気づき、父は娘を見、そして、その娘の視線の先にいる末期癌におかされ、病み疲れた瀕死の愛人を見出します。

そこで視線を交わした彼らが、それぞれに目顔で軽く頷いたとしても、しかし、それはそれ以上の描写に発展していくようなものではありませんでした。

瀕死の彼女は、不意に現れたかつての愛人を、単に強く深い視線で捉えたに過ぎない。

きっと、この場面の、あからさまに涙を欠落させた素っ気無いクライマックスが、あのキャピキャピ娘から泣く機会を奪い取り、失望させ、一層苛立たせたのでしょう。

しかし、最愛の男から見捨てられた惨めさと屈辱に、生涯の最後まで耐え続けてきた女が、命のホムラが尽きようとしているそのとき、不意に現れた男に、いったいどういう顔をして、なにが言えたでしょうか。

恨み言を言ったり、詰ったり、許したりするには、積み重ねた時間が、あまりにも重過ぎたのだと思います。

愛を拒まれ、捨てられ、絶望のすえに、せめて残された子供とともに生きていこうと決意するまでの時間の重さにかろうじて耐えてきた母と、日陰者の娘という予感に怯え、肩身の狭い思いを克服して孤独のなかで辛うじて生きてきた娘の、そこには、この社会から踏みつけにされた者にしか分からない「意地」があったのだと思います。

見捨てられても、こうして生きてきたことを、この母娘は、父親に見てもらえれば、それだけで十分、それ以上の繋がりを父・篠崎孝次郎に求めてはいなかったという、そういうラストシーンだったのだと思います。
(2007東宝、フジテレビ、幻冬舎、博報堂DYメディアパートナーズ、関西テレビ放送、PPM、キアロスクーロ)監督・犬道一心、原作・さだまさし、脚本・山室有紀子,撮影・蔦井孝洋,音楽・大島ミチル、照明・疋田ヨシタケ、録音・志満淳一、美術・瀬下幸治、編集・上野聡一、主題歌・レミオロメン「蛍」
出演・松嶋菜々子、大沢たかお、宮本信子、夏八木勲、円城寺あや、山田辰夫、黒瀬真奈美、永島敏行、金子賢、本田博太郎、中原丈雄、本田大輔
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by sentence2307 | 2008-06-08 20:22 | 映画 | Comments(2)