世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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和田夏十という人

もうずっと以前のことになりますが、名優・仲代達矢の半生を紹介する特集番組を見たことがあります。

幼少期から青年期に掛けてとても苦労された生い立ちや、俳優になってからの幸運な出会いの数々が、主演した思い出深い舞台写真とともに精密に語られていたそのなかで、もっとも印象的だったのは、やはり宮崎恭子夫人との出会いと別れを、こみあげてくる昂ぶりを抑えながら、努めて冷静に語ろうとしていた部分だったでしょうか。

話題が彼女の回想に向けられるたびに、遠くを見さだめるような遥かな眼差しで、恭子夫人のことを訥々と話していたことが、いまでも忘れられません。

掛け替えのない盟友として、いかに彼女を必要としていたか、そして頼っていたかを、彼女を失ってから既に相当な歳月を経ているのに、その痛手から未だに立ち直れていないかのような、取り返しのつかない悔恨で自分を責めているみたいに語られていた恭子夫人の面影が、仲代達矢にとって、この世の中で結ばれるべき唯一の伴侶であったに違いないと思わせる、出会いから別れに至るすべてのことが、おそらく「運命」だったに違いないと思えた秀逸な特集番組でした。

しかし、これらのことを、僕が、何の脈絡もなく不意に思い出したわけではありません、ちゃんとした切っ掛けがありました。

それは、久しぶりに見た「炎上」1958によってでした。

生涯最高の演技と絶賛された市川雷蔵を向こうに回して、一歩たりともひけをとらず、戸刈という屈折した人間像を濃密に演じ切った仲代達矢を見ていたら、彼が語っていた恭子夫人との絆の話を、ごく自然に思い出したのです。

「炎上」を見て、そんなふうに思うなんて、あとから考えると、随分と不思議な切っ掛けだったんだなあと思います。

なにしろ、夫婦の関係が盟友と呼ぶのに最も相応しいといえる象徴的なカップルといえば、むしろ「炎上」を撮った市川崑監督と脚本家・和田夏十の方が、巷間に認知されていたからでしょう。

いまは亡き夫人を回想するときのご両者の雰囲気が、とても似通っていたものがあったことも、あるいは想起させた一因だったかもしれませんが。

ですが、その時点において、僕の和田夏十に関する知識(それさえ、きわめて僅かなものでした)といえば、亡き市川崑監督が語っていたものがほとんどで、独自に収穫した情報など、正直言って皆無だったと思います。

そんなふうな気後れを抱え込んでいた矢先、その頼りなさを払拭するような読み物に遭遇しました、最近キネマ旬報社から刊行された「シネアスト・市川崑」です。

かつて「キネマ旬報」誌に掲載された市川崑監督に関する記事を集めて編まれた旧記事のアンソロジーのような特集本です。

アイデアが枯渇し、貧弱な企画しか捻り出せない現状において、窮余の一策として、昔の記事を蒸し返して一冊でっちあげたなどという悪口もあるのかもしれませんが、どの出版社も同じような台所事情を抱えている昨今、「それを言ったらオシマイだよ、おいちゃん」という気もしますし、また、僕のように昔の記事を読みたい者には、却って、とてもありがたい書籍ではあります。

そして、その収録記事のひとつに、和田夏十のインタビュー記事が収録されていました、題して「文学・シナリオ・映画」です。

本誌掲載が、1960年2月下旬号というのですから、市川作品でいえば、「鍵」「野火」「女経」「ぼんち」「おとうと」「黒い十人の女」「破戒」「私は二歳」「雪之丞変化」「太平洋ひとりぼっち」など、まさに市川監督の絶頂期にあたり、市川カラーがしっかりと確立されていった時期と重なります。

「和田夏十」という命名が、名優ロバート・ドーナットに由来しているという話から始まって、自分はミッションスクール出なので、きれいな話とかテーマへの共感に拘る部分(限界とは認識されていないのが、彼女の強さだと思いました)があり、正反対の市川監督からは「道徳派」と揶揄されていて、考え方の食い違いを意識しながら、という前提で自分の脚本作法(原作を理解するために、一度原作をバラバラにして、組み立て直す)を語っています。

ほとんど自分一人が喋り、散々喋べらせておいて、おもむろに市川監督が良いところだけ取るというディスカッションをユーモラスに語りながら、イメージを固めていく様子がリアルに語られています。

たとえば「鍵」。

もっとも映画化しにくいといわれた小説を苦労して脚色していく部分です。

「あのモラルが理解できるほど、自分は大人じゃない。」と考えている和田夏十は、市川監督に、まず、この主人公を肯定するのか、否定するのかを聞きます。

市川監督「否定」。

ひとまず安心・・・それなら、その否定の表し方はどうするのか、「否定」の立場なら、当然全員を殺すという視点から考え始めなければならない。

そして「殺す」段取り(誰が殺す)を新たに作っていきます。

殺しのサンプルを作り、監督の反応を聞く。殺す方法を決めていくという感じです。

そして、そのあと、脚色化しにくい小説と、しやすい小説について話しはおよんでいきました。

プロットの多い新聞小説は苦手だし嫌いだと話したあとで、一番好きなタイプの小説をこんなふうに語っています。

完結した思想を表現しなければならない映画にとって、作者の頭の中でトコトン燃焼され、こちらがどこまで突き詰めていっても、きちっとまとまっていて、底の底まで分析しても筋が通っている小説でないと映画にならない。

そういう小説なら最初から枠組みがしっかりしているからやりやすい。

そのひとつとして上げられた作品が泉鏡花の「日本橋」1956でした、この小説が映画化されたとき、たしか淀川長治がボロクソに酷評したという作品です。

そして、こんなふうにも話しています。

その作品の作者の書いた前作と、後作を読むことにしている。

そしてそこに作者の曲がり角の作品に遭遇することがある。

前に書かれた作品はその作者の無限に広がる可能性のようなものを感じさせるし、後に書かれた作品は、おのれの限界を知ったその作者が、自分の世界に深く入っていこうとしているような姿を感じさせる。

このふたつの間に挟まった、曲がり角の混沌とした作品にぶつかることがあるのだ。

その混沌とした不思議な魅力がある作品が「日本橋」だったような気がすると。
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by sentence2307 | 2008-08-31 09:50 | 映画 | Comments(436)

僕は妹に恋をする

知識としてこの作品の内容を知ったとき、恋愛映画も遂に題材がなくなり、タブーを侵して、くるところまできてしまったかという感じがして、ぞっとしました。

恋愛映画の素材として、「近親相姦」に手をつけるというのは、余程の覚悟が必要なのではないかと思い込んでいる自分には、まるで、そんな拘りや危惧を嘲笑うかのようなこの映画の軽々しい行き方に、ちょっと賛同しかねる部分がありました。

最近の映画で言えば「涙そうそう」が似たような題材を扱っていましたが、アチラの方は、まだ父親が異なるという辛うじての緩衝があり、このシビアなテーマとのモロな対峙を避けてはいましたが。

まあ、いかに妹が可愛いからといって、「兄が妹を性交渉の対象とする」ということは僕の理解を遥かに超えており、さらにそのシチュエーションをこうして文章化してみれば(パゾリーニ作品のような観念的な絵空事ならともかく)、そのおぞましさはよく分かろうというものですし、描くとしても題材の禁忌を乗り越えるためのそれなりの苦悩をしっかりと緻密に描き込まなければ、作品として根源的な部分で鑑賞に耐えるものにならないのではないかというのが僕の考えです。

しかも、こうした綿密なアプローチなしに、フツーの恋愛として軽々しく、そして堂々と描かれてしまうことに対して、表現者としての深刻な欠落を感じてしまいました。

それとも、「常識」に縛られ、この程度のことに取り乱して、「近親相姦」くらい受け入れられずにジタバタしている自分の方が、この時代から既に取り残されてしまっている「時代遅れ野郎」なのでしょうか。

いまのトレンドじゃ、兄は妹と、親父も娘と、母親は息子と、という取り組み(相撲か?)でやりまくっているのがごくフツーのことだとでも言うのでしょうか。

そうそう、ここでちょっと話は飛びますが、少し前、水谷豊の「相棒」っていう映画、やってたじゃないですか。

まだその作品についてまったく予備知識がなかったとき、出勤の途中で始めてこの映画のポスターを見かけました。

その朝、さっそく映画好きの女の子から、その映画のことを話しかけられました。

「水谷豊の今度の映画、面白そうですね」

「ああ、あの『すもう』っていうヤツ?」

口に出してみると、水谷豊と相撲の取り合わせは、いかにも変だなと気づきました。

女の子もキョトンとしています。

実は、この時点で「相棒→相撲」の読み間違えに瞬間的に気がついたのですが、彼女のほうが「キョトン」のままだったので、この話は彼女の方の「?」のままで終わってしまいました。

大爆笑でもあれば、それで済んだ話だったのですが、彼女、どこかで突然気がついて場違いな大笑いをしているのではないかと思うと、顔から火が出る思いです。

それ以後も毎日顔を合わせているのですが、一向に彼女の態度に変化はありません。

もしかしたら、とっくのムカシに気がついていながら、お腹の中では笑っているのかもしれませんが、どちらにしたところで当分のあいだの冷や汗ものには変わりありません、やれやれ。

さて、話の腰を折ってしまって済みません(「すもう」のキイワードに釣られて、つい脱線してしまいました)、「僕は妹に恋をする」の途中でしたよね。

僕の言いたかったことは、こういう微妙なテーマは、相当な覚悟をもって作らないといけないのではないか、という趣旨なのです。

実は、この映画を見ながらある映画を思い浮かべていました。

フレディ・M・ムーラー「山の焚火」1985です。

聾唖者のために将来を閉ざされた弟のことを、姉は、とても心を痛めて心配し哀れんでいます。

あるとき仕事がうまくこなせないことから癇癪を起こした弟が、一家の大切にしていた農機具を壊して父親の怒りをかい、遠い山小屋に追いやられます。

姉が心配して久しぶりに訪ねていくと孤独な弟はとても喜び、姉は哀れみからひとつ布団に寄り添って一夜をともにします。

そして、姉の妊娠、父親の逆上と、弟を撃ち殺そうとした銃が暴発して父は死に、そして母もショックで死んでしまいます。

これだけの周囲の動揺と一家の破滅を描いてこそ、それに対する「近親相姦」というものが、いかに重大な禁忌であるか、はじめて観客の納得を得ることができると思うのです。

この「僕は妹に恋をする」では、この兄妹のひそかな交情を、周囲は気づきながら、母親も友人たちも、ただ遠くで見守っているだけで、ドラマに熱く関わってこないというのは、作劇上随分と不自然な感じを受けますし、説得力もありませんでした。

深刻なドラマ性の衰弱と演出力の無能をただ痛感しただけでした。

(2006)監督・安藤尋、原作・青木琴美、製作・尾西要一郎、脚本・祢寝彩木、音楽・大友良英、撮影・鈴木一博、照明・上妻敏厚、録音・横溝正俊、美術・松本知恵、編集・冨田伸子、
出演・松本潤、榮倉奈々、平岡祐太、浅野ゆう子
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by sentence2307 | 2008-08-25 18:46 | 映画 | Comments(43)

死の十字路

「父親たちの星条旗」についてぼんやり考えていたら、いつの間にか「若き獅子たち」の連想に辿り着いていました。

もう何年も思い出すことのなかったあのエドワード・ドミトリクの名前もとっさに思い出すことができたなんて、われながらちょっと驚きです。

かつて世界二極化の冷戦時代にあって愛国思想を試されながらハリウッドの多くの映画人たちは、業界で微妙なバランスをとりながら踏み絵的な映画を作ったのだと思いますが、ドミトリクもそのうちのひとりだったかもしれません。

そうした時代と権力に踊らされたこれらの人々の哀しく無様な醜態のなにもかもを、決して王道を歩んできたわけではない傍流俳優だったクリント・イーストウッドは、しっかりと見てきたはずで、だからこそハリウッドにおいて名を成した現在においても、映画作りの原点を「B級」映画に見据えているのだと思います。

それなら、この「父親たちの星条旗」もB級映画なのかと問い詰められれば、残念ながら、「そうだ」と主張するほどの自信はありませんが、少なくともこの作品に込められた精神は、あらゆるメジャー的なものからは一線を画し、浮ついた華やかさからは、はっきりと背を向けて作られていると感じられます。

さて、ドミトリクを思い出したとき、実は、同時に思い浮かんだ名作「十字砲火」1947を素通りして、迷走した思いは日活作品「死の十字路」に落ち着きました。

その理由は、単に「最近観た」というだけの、タイトルが似通っていたというそれだけのことだったのですが、しかし意外にも、これがなかなかに見応えのある作品でした。

それに、この作品が江戸川乱歩の結構有名な探偵小説であることも初めて知りました(「推理ミステリー」という言い方は清張以後で、それまでは「探偵小説」というのだと聞いたことがあります)。

不倫の隠れ家に踏み込んできた逆上した妻を、はずみで殺してしまった男が、犯行を隠そうと必死に足掻きながら次第に追い詰められていくというストーリー展開を持つこの映画、主演が三國連太郎と新珠三千代ということから、観ていくうちにこの傑出した名優たちが後に演技を開花させた作品、「飢餓海峡」と「女の中にいる他人」を彷彿とさせないわけにはいきません(このシチュエーションから、多くの人が同じ連想を持ったらしいことを、あとになってネットで知りました)。

しかし、あれらの作品と、この「死の十字路」という作品が決定的に異なる部分は、描写の深度というかシリアスさの度合いにあると思います。

そして、もし観客が、深刻であるのなら芸術作品で、軽妙だったらB級作品にすぎないという偏見に囚われていなければ、この作品は、もっと自由な気持ちで鑑賞を楽しめる作品だと思います。

死体処理に右往左往しているうちに、いつの間にかもうひとつ死体が増えており、しかし、いまは自分が殺した死体の隠蔽処理に懸命になって動揺しまくっている男が、その不条理に驚くのはほんの一瞬、それならそれでと、目の前のもうひとつの現実をすべて受け入れ、あれこれ迷うこともなく二体纏めて処理してしまおうという破滅に転がり落ちていく負の疾走感の心地よさのなかで、事件に関わるすべてのものを死に至らしめるこの作品の爽快感は、「死体」を弄ぶ密かな嗜好を秘めたヒッチコック作品「ハリーの災難」1956の気品に匹敵するのではないかとさえ思いました。

これらの描き方は、あきらかに、「飢餓海峡」や「女の中にいる他人」とは、別の次元で語られなければならない映画であり演技だという気がします。

それに、芦川いずみの兄・大坂志郎を殴り倒し、死の直接的な原因をつくったフィアンセ・三島耕の罪はいったいどうなるのだという気掛りが残ってしまうあたりも、いかにもB級映画らしい手落ちさ加減でとても素敵です。

一切の罪を、死んだ三國連太郎に押し付けて、口をぬぐってまんまと芦川いずみと結婚しようとしているフィアンセ・三島耕こそ、腹の中で舌を出しているに違いないとんでもない「ワル」に見えてきました。

(1956日活)監督・井上梅次、製作・柳川武夫、原作・江戸川乱歩、脚色・渡辺剣次、撮影・伊藤武夫、音楽・佐藤勝、美術・中村公彦、録音・福島信雅、照明・吉田協佐、編集・鈴木晄
出演・三國連太郎、新珠三千代、山岡久乃、芦川いずみ、大坂志郎、澤村国太郎、三島耕、藤代鮎子、多摩桂子、安部徹、永島明、小林重四郎、澤村國太郎、山田禅二、東谷暎子、福田トヨ、鈴村益代、小柴隆、峰三平、山村邦子、星野昌子、三島謙、光沢でんすけ、美川洋一郎、鴨田喜由、
1956.03.14 10巻 2,751m 白黒
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by sentence2307 | 2008-08-25 10:21 | 映画 | Comments(133)
以前、東電OL殺人事件の詳細を知ったとき、とっさにこのダイアン・キートンが主演した映画「ミスター・グッドバーを探して」を思い出しました。

確かそのときのポスターには、こんなふうな宣伝文句が書いてあったように記憶しています。

「酒場で男を漁り、挙句の果てにオカマに殺される聾唖学校の女教師」

テレサには、ポリオ後遺症の脊髄彎曲も、大学講師との失恋も、この社会から受ける痛手のように残っていきます。

テレサが求めた男たちとの邂逅と別離は、けっきょく克服せざるを得ないひとつの社会的象徴としてのものであり、男を得、そして彼女自身の意思で別れることが、誰にも頼らず、何者からも拘束されずに自立して生きるテレサの確信を更に深めたのだと思います。おそらく、こうした確信だけが、劣等感に抗して、辛うじて生きていく彼女の自信の原点だったと思います。

小さな平穏だけを後生大事に抱きしめて生きる父親は、一見幸福そうな安定のなかで、生活する家庭の俗悪さの象徴にしか過ぎませんし、彼女に言い寄り求婚するジェームズにしても、外見だけの健全さと良識の体裁を取り繕い、自ら望む一切の欲望から隔たった場所でしか得ることのできない家庭の平穏へ、いぎたなくのめり込むことしか求めてはいません。

そうしたもの総てに対するテレサの拒絶は、その背後にある多くの女たちの、生活の安定と引き換えに、あらゆる人間的欲情を自制して、男たちから選ばれることを待ち続けていることに対する反撥なのだと思います。

家庭の擬制の幸福に浸り、一見穏和な微笑をたたえながら男たちや女たちは、望んでもいない生活に耐え続けなければならない、そういうことへのテレサの鬱勃とした怒りが、さらに彼女を欲望の赴くままに生きさせたのだと思います。

テレサはちょうど、自分の運命を選ぶかのように男を選び、そして、自らの生活の自立を証かすために、男との別離を繰り返します。

自分の快感だけを、生きる唯一の拠り所とし、見せ掛けだけの愛や幸福や希望を得るための取引の道具にしかすぎなくさせてしまう性の頽廃を拒んだ彼女が、しかし、本当は何を求めていたかといえば、おそらく彼女が、ただ劣等感によってのみ生きたように、その悲惨な孤独を知る同じ劣等感を抱え持った男を探し求めていたような気がします。

だからこそ、ひとりのオカマに繋がる社会の惨めさに殺されなければならなかったのかもしれません。

負と負を掛け合わせれば正になるという数学の鉄則は、しかし、この現実においては、結局冷笑を浴びせかけられるだけのお伽噺にすぎないことを、この映画「ミスター・グッドバーを探して」は教えてくれているような気がします。

(1977アメリカ)監督脚本・リチャード・ブルックス、製作・フレディ・フィールズ、原作・ジュディス・ロスナー、撮影・ウィリアム・A・フレイカー、美術・エドワード・C・カーファグノ、音楽・アーティ・ケーン、編集・ジョージ・グレンヴィル
出演・ダイアン・キートン、チューズデイ・ウェルド、ウィリアム・アザートン、リチャード・カイリー、リチャード・ギア、アラン・フェインスタイン、トム・ベレンジャー、レヴァー・バートン
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by sentence2307 | 2008-08-25 10:12 | 映画 | Comments(4)

父親たちの星条旗

少し前「父親たちの星条旗」は観たものの、「硫黄島からの手紙」の方を観る機会がなくて、最近になって、やっと「硫黄島からの手紙」も観ることができました。

それは、とにかく「硫黄島からの手紙」を観なければ、「父親たちの星条旗」を語ることは絶対に出来ないのだと思い込んでいたからだと思いますが、その先入観が自分の単なる思い込みにすぎなかったことを実際に観て知りました。

「先入観」というのは、この2作品を観なければ、統一したイメージを得ることができず、片方を観ただけでは、もう片方の作品について一切語るべきではないという思い込みです。

きっと、僕の中では、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」は、エドワード・ドミトリクの「若き獅子たち」1957のような作品なのだろうと考えていたからかもしれません。

敵対する国の若者(もちろん2人には何の繋がりもありません)が、それぞれ戦争に対する迷いと葛藤を抱えながら戦場に赴き、そしてなんの脈絡もなく不意に・偶然に戦場で遭遇し、「射殺する者」と「射殺される者」との一瞬の関係が結ばれるだけの、それは単なる一過性の儚い無残な関係にすぎず、たまたまそのとき生きている側になった「射殺する者」は、次の戦場に赴いて、また次の「一瞬の関係」(「射殺する者」か「射殺される者」かのどちらになるかは分かりません)に身を晒すことになるという、殺す方も殺される方もそれぞれに掛け替えのない重たい生活を持っていることを並行的にリアルに描いた作品でした。

射殺されるナチ青年将校をマーロン・ブランドが演じ、射殺するアメリカ兵をモンゴメリー・クリフトが演じていました。

ハリウッドが描いてきた、愛で二人を結び合わせる出会いを運命論的にいう「赤い糸」の考え方からすれば、未知の二人を「死」の待つ戦場へと引き寄せ合う運命の「黒い糸」を描いた作品だったのかもしれません。

「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」をそういう作品だと思い込んでいた僕の先入観は、見事にはずれました。

逆に、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」を見た目からすれば、「若き獅子たち」は、もしかしたら「戦争」を「恋愛」のようにロマンチックに描いただけの戦場のロマンス(偶然であって必然的でもある甘甘な出会いの物語)にすぎないような気がしてきたのでした。

「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」には、出会いのロマンス(ボーイ・ミーツ・ア・ボーイ)の連想など決して許すことのないもっと熾烈な戦場と、戦時国債を国民に買わせる広告塔としての「英雄」を必要とした国家の腐敗と、誰でもよかった「英雄」像を単なるイメージとして消費し食い尽くす銃後の国民の退廃、そして、「英雄」として祭り上げられた彼ら自身が、果たして自分は英雄なのかと絶えず自問し、違和を感じた彼らは過去の栄光に縋り、振り回され、やがて失意の果てに口を閉ざして、苦渋に満ちたイバラの戦後を歩かねばならなかったと厳しく描かれています。

星条旗の英雄へと祭り上げられていくことに懐疑しながらも戦時国債販売の広告塔になることを割り切るジョン、政府の仕事に携われることを誇りに思うレイニー、英雄扱いの欺瞞に苦悩する先住民ピマ族のアイラ、やがてそれぞれに使い捨てられていく彼とともに、その影には、戦場で無意味に死んでいった多くの名もないマイノリティたち、「英雄」として祭り上げられながらも結局は使い捨てられ、そして、手の平を返すような戦後社会の冷たい仕打ちのなかで、無念のうちに斃れていった不運なマイノリティたちへ向けたこれは怒りの鎮魂歌なのだと思いました。

人種差別が仄見える白人社会の「もっともらしさ」や虚飾に背を向けたイーストウッドの、マイノリティへの差別に対する怒りと熱い思い入れが、この映画に孤高の輝きを与えています。

そのマイノリティのなかには、インディアンのみならず、たぶん黄色い肌をした僕たちの血につながる若き日本の兵士も含まれていることを「硫黄島からの手紙」は教えてくれたのかもしれません。

(2006ワーナー・ブラザース)監督製作音楽・クリント・イーストウッド、製作・スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・ロレンツ、(共同製作)ワーナー・ブラザース、ドリームワークス、撮影(照明)・トム・スターン、第二班撮影監督・リチャード・ボーウェン、空中シーン撮影監督・デヴィッド・ノリス、カメラ・オペレーター・スティーヴン・S・カンパネリ、特撮(視覚効果)デジタル・ドメイン社、原作・ジェームズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ『硫黄島の星条旗』、脚本: ポール・ハギス、ウィリアム・ブロイルズ・Jr、美術・ヘンリー・バムステッド、リチャード・C・ゴダード、衣装・デボラ・ホッパー、編集・ジョエル・コックス、スタント・コーディネーター・バディ・ヴァン・ホーン、編曲・レニー・ニーハウス、カイル・イーストウッド、特殊メイク・ヴィンセント・J・ガスティーニ、
出演・ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ、ジェイミー・ベル、バリー・ペッパー、ポール・ウォーカー、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、    ジョン・スラッテリー、ロバート・パトリック、ジェイミー・ベル、メラニー・リンスキー、ジュディス・アイヴィ、ジョセフ・クロス、スターク・サンズ、デヴィッド・パトリック・ケリー、ジョン・ポリト、ゴードン・クラップ、カーク・B・R・ウォーラー、デヴィッド・クレノン
上映時間:132分 
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by sentence2307 | 2008-08-24 11:39 | 映画 | Comments(1)
小林正樹監督作品「壁あつき部屋」の当時の評価を読んでいくと、この作品で汚れ役に挑戦した岸恵子の演技に対する高い評価をときどき見かけます。

「壁あつき部屋」の公開年月日をガイドブックに記載されているとおり、うっかり1956年10月31日というイメージで思っていると、この岸恵子の演技への評価なども時系列的にチグハグな認識をもってしまうかもしれません。

「壁あつき部屋」が、城戸四郎により3年の公開延期を命ぜられたことを思い起こせば、この作品が作られたのは1953年、それはまさに大庭秀雄監督によって撮られたメガヒット作「君の名は」と同じ年であり、岸恵子の絶頂期の時期と重なっていることが分かります。

しかし、あの「君の名は」に出演した岸恵子が、同時に「壁あつき部屋」にも出演していることに、自分としては何か割り切れない違和感みたいなものを持ち続けてきました。

会社に所属している俳優ですから、会社の指示のままに、どのような作品にも出演しなければならないことは、なんの不思議でもないのでしょうが、方向性がまるで異なるこの2作品(「君の名は」の興収は、9億6000万円にのぼり当時の全国民が一人残らず見たことになると言われたのに対して、一方の「壁あつき部屋」は公開延期になったほどの挑発的な問題作です)の奇妙な対照に、どうしても引っ掛かるものがあったのだと思います。

思いついたが吉日とかいいますので、この機会に長年気にかかっていたこの辺りの事情を少し調べてみました。

やはりコトのスタートは、「君の名は」の大ヒットにあったようですね。

この超弩級の大ヒットによって松竹製作部は、歓喜とともに、むしろ同じくらいの不安を抱えたというのが実態だったようで、あとに続く作品への影響(収益の安定に走るあまり、「柳の下」を狙うメロドラマの量産など企画の画一化を招来し、そのことで作品全体の質的低下を招きかねないこと)を危惧したとされています。

その対処としては、企画に躍動性を与えるような意欲的な作品を作っていこうというコンセプトのもとに、松竹社内に新鋭プロダクション(代表・月森仙之助)なるグループを作りました。

そしてその第一回作品として企画されたのが、巣鴨プリズンにおけるBC級戦犯の獄中生活を描いた「壁あつき部屋」でした。

同年10月、この「壁あつき部屋」が完成していよいよ封切りという矢先に、東宝が製作した「赤線基地」(谷口千吉監督)が、米軍基地を批判的に取り上げているという在京米人からの非難を受けて公開延期になるという事件が起こります。

この報を受けて、松竹の城戸四郎も慌てて占領軍政策に批判的な「壁あつき部屋」を自粛的に公開延期としました。

この作品には、捕虜虐待の罪で裁かれたBC級戦犯たちの、上官の命令に従っただけなのに戦争犯罪の責めを負わされる不条理を突き、すべての罪を立場の弱い下級兵士の個人的な行為としただけで、真の命令責任者は一向に罪に問われることなく逃げおおせてしまうという日本軍隊の「無責任の体系」を活写しており(同じテーマで「わたしは貝になりたい」も作られました)、加えて、さらに連合軍側の裁判にも少なからぬ不備があったのではないかという糾弾(これは後年の「東京裁判」に繋がっていきます)があったために、アメリカへの遠慮から、城戸四郎は、「映画は芸術であって演説であってはならない」として公開延期を命じたとされています。

このとき、木下恵介の「二十四の瞳」も反戦的な傾向があるとして、製作を無期延期にされました。

それでも東宝作品「赤線基地」の方は3ヶ月の延期で12月には公開されたのに、「壁あつき部屋」は、結局1956年10月31日まで公開が延ばされました。

ただでさえ鮮度を失いかねないこの3年という時間は、しかし、若き小林正樹監督の意欲的な演出と、勇気ある製作意図への評価に、いささかの影響も与えることは出来なかったといわれています。
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by sentence2307 | 2008-08-21 09:03 | 映画 | Comments(2)

壁あつき部屋

先日、いつものようにテレビのチャンネルをあちこち回しながら、たまたま行き当たったNHK教育TVのETV特集「シリーズBC級戦犯」というのを見ていたら、その重いテーマに思わず引き込まれ、結局膝を正すような思いで、その第1回目「韓国朝鮮人戦犯の悲劇」(1時間半もありました)という番組を最後まで見とおしてしまいました。

内容は、とても深刻なお話です。

戦時中日本軍の募集に応じて(どうも本当のところは、軍部が最初から支配下にある朝鮮の各村落に、必要な人員を具体的に課した事実上の徴用だったみたいですが)朝鮮の若者が捕虜収容所の監視員として東南アジア各地の捕虜収容所に配されたというものです。

当時にあっては、おそらく差別的に扱われていたであろう朝鮮の若者たちが、まがりなりにも「日本軍人」として、しかもかなりの高給で遇されたということですから、当然相当に彼らのプライドは充たされたであろうし、また、それなりに自尊心も擽られたに違いないと考えることは容易かもしれません。

番組の骨子は、元BC級戦犯のイ・ハンネ氏(李鶴来)が、あれから何十年を経た現在、韓国に生存する元BC級戦犯の旧友とその家族を訪ねて回る(亡き旧友の墓参もありました)というものですが、当時の回想のなかで一応に語られる「上官から毎日殴られ続けた」という述懐に、僕は微妙なニュアンスを感じ取りました。

日本の軍人によって四六時中行われたというその凄惨な鉄拳制裁を、もちろん彼らは憤りをもって恨みがましく語っています。

しかし、それらの言葉の中には、制裁は一面「軍人教育」だったのだから仕方なかったのだという、決して諦観などではない、微妙な肯定(「支持」とまではいきませんが)のニュアンスを感じ取ったのでした。

その制裁に耐えることは、「日本の軍人」であることの当然の自己証明だったという「感情の揺れ」が、「自分は、日本の軍人である」というプライドに根ざしたものだったなら、その延長線上に、敗戦後彼らが捕虜たちから告発された「虐待の罪」(もちろん彼はその罪を否定しています)の内実にかかわるものがあるように思えてなりません。

プライドを持つ彼らは、立派な「日本の軍人」として、軍務(捕虜の抑え)を忠実に勤めたと考える方が自然なような気がします。

そして、多分悲しいことに、それは日本人以上だったかもしれない。

数十年経った現在も、捕虜虐待の事実を必死に否定する元BC級戦犯の姿を見ながら、ふとそんなふうに思いました。

テレビ画面に映された古い写真の中の軍服姿の彼らは、幾分肥えており、充たされた温和な感じを受けました。

それはきっと、日本名を名乗った彼らが、プライドをもって充実した毎日を送っていたことを示唆していて、その写真の「彼」が、本当に当時「朝鮮人」だったのかどうか、突き詰めて考えていくと、だんだん自信がなくなってきました。

写真に写ったその表情から、当時植民地支配を受けながら差別的に虐げられ、無残に殺されていった「朝鮮人」の影を見出すことはとても困難です。

「朝鮮人」であることを許されなかったために、「朝鮮人」であることを棄てざるを得なかった彼らの祖国への裏切りが、しかし、敗戦後「日本人」であることをも拒まれた報われざる悲劇のなかで、行き場のない「BC級戦犯」という膠着に追い込まれていったのだと思います。

ここまで書いてきて、ひとつのエピソードを思い出しました。

捕虜収容所でのこと、捕虜たちから収容所司令部に抗議がありました。

それは、捕虜たちには到底食すことの出来ないような「草の根っこ」を食べさせているくせに、日本軍の監視人たちは「肉」を食べているではないか、という抗議でした。

「なにを言っているのだ」と日本の司令官は静かに諭します。

「君たちには畑で収穫した大切なゴボウを提供し、自分たち日本の軍人はネズミを捕まえて飢えを凌いでいるのだ」と。

所詮、捕虜虐待などというものは、こういう食習慣の違いがうみだした誤解が多いのだ、ということを言いたいエピソードだと思います。

話のニュアンスからみれば、多分、日本軍の側から弁解風に語られた眉唾ものだと思いますが、テレビ画面に映し出されたふっくら肥えた幸福そうな若き収容所監視員(BC級戦犯)と、やせ衰えて骨と皮になった餓死寸前の捕虜たちの凄惨な姿を対比させながら、このエピソードをぼんやり思い出していました。

(1956新鋭プロ・松竹)製作・小倉武志、監督・小林正樹、脚本・安部公房、原作・BC級戦犯の手記より、撮影・楠田浩之、音楽・木下忠司、美術・中村公彦、録音・大野久男、照明・豊島良三、
配役・浜田寅彦、三島耕、下元勉、信欣三、三井弘次、伊藤雄之助、内田良平、小林トシ子、北龍二、岸恵子、小沢栄、望月優子、林幹、長尾敏之助、樋口道也、鈴木彰三、早野寿郎、佐野浅夫、北見治一、井上昭文、竹田法一、遠山文雄、稲川忠完、永井智雄、道三重道、谷崎純、南部一夫、青木富夫、土方功、横山運平、高木信夫、高松栄子、戸川美子、水木凉子、小藤田正一、
1956.10.31 製作1953年10月12巻 3,068m 白黒
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by sentence2307 | 2008-08-20 10:22 | 映画 | Comments(4)

東京暮色

漫然と本を読んでいて、突然、緊張感に満ちた一文に遭遇し、雷に撃たれたようなしたたかな衝撃を受けることが、たまにあります。

例えば、こんな文章、
「烈しい言葉で人を傷つけないではいられない切なさが迫る。」

その前に位置している文は、
「無軌道に見える行動の裏側がふくらんでこそ、そうした人間の悲しみが伝わる。」

これは、高橋治の「絢爛たる影絵―小津安二郎」のなかの「東京暮色」について書かれた、最後には自殺にまで追い込まれていく次女について記述された文章です。

誰にも理解されない孤独を抱え込み、そしてそのために生活の荒みにも囚われて、しかし、その悲しみと鬱屈を誰にも伝えられない苛立ちを募らせることで、平穏に暮らしている周囲の鈍感な家族や世間の人間たちに向かって何か酷い言葉を吐き掛けてしまいたい怒りの衝動が、とてもリアルに表現されていて鮮烈な印象を受けました。

積み重なっていくやり場のないその怒りの衝動が次第に肥大していくことをどうにもできないまま、それはやがて不甲斐ない自分自身に向かい、有馬稲子演ずる次女は、まるで「怒り」のような刃を自身に突き立てて自滅に突き進んでいったのだと、それらの文章は示唆していたのだと思います。

高橋治のこの「絢爛たる影絵―小津安二郎」を通して読んでいくと、「東京暮色」について、気配りの利いたキメの細かい記述が随所にあって、とても印象に残ります。

それは、失敗作とする世評は十分に意識しながら(高橋治自身も、その評価を取り立てて否定しているようには感じられません)、しかし、この作品のそうした出来如何にかかわりなく、筆者高橋が、この「東京暮色」という作品をとても好きだったのだと感じられました。

だから、この自滅していく次女が抱え込んだ深い悲しみや怒り、激しい苛立ちを小津安二郎が、果たして十全に表現することができたのだろうかという思いが、なおさら緻密なアプローチを試みさせ、やがてそれは互いに理解を拒むような母と子の底深い孤独の在り様の省察にまで至ったのだと思います。

次女の死を長女(原節子)から知らされた母親(山田五十鈴)の描写は、繰り返し読むことに耐える迫力がありました。


「一本つけてよ」
そういうだけなのだが、それだけで、山田の過去がすべて浮き上がってくる。
男をつくって逃げた日々。
そのなかで置いてきた娘二人を思い眠れなかった夜々。
その男に死なれた空虚。
次の男に身をまかせていく諦観。
(そしていま、捨てた我が子の死の知らせを聞いて)脚本では、裏話でしかないことどもを、山田は眼に見るよりもまざまざと表現する。
・・・このやりとりの間、山田の科白らしい科白は二本だけである。
だが、次女への死の自責、過去への後悔、それとは裏腹な自足、頼りない相棒との未来への予測、初老の二人がいたわり合い、温め合うしか生きようのない卑小な現実、それらを悉く観客に伝える。

このひたすら重い人間認識・現実認識は、小津安二郎のもうひとつの本質なのだろうなと感じられました。

(1957松竹大船)監督脚本・小津安二郎、脚本・野田高悟、企画・山内静夫、撮影・厚田雄春、音楽・斉藤高順、美術・浜田辰雄、録音・妹尾芳三郎、照明・青松明、編集・浜村義康、監督助手・山本浩三、
出演・原節子、有馬稲子、笠智衆、山田五十鈴、高橋貞二、田浦正己、杉村春子、山村聡、信欣三、藤原釜足、中村伸郎、宮口精二、須賀不二夫、浦辺粂子、三好栄子、田中春男、山本和子、長岡輝子、桜むつ子、菅原通済、
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by sentence2307 | 2008-08-14 09:17 | 映画 | Comments(150)

太陽のない街

「太陽のない街」は、今回はじめて見た作品でした。

自分としては、先入観無しに、まっさらな気持ちで見た積りだったのですが、しかし、なぜか「場違いな憤懣」だけが残ってしまいました。

展望のない労組幹部たちの場当たり的な指導によって、食うに事欠くほどの生活の困窮に晒された労組員や家族たちは、本当にあれで良かったのだろうか、という「憤懣」です。

この作品を「名作」と持ち上げていたカイドブックがありました。

しかし、そこには、なにをもって名作と結論づけたかまでの根拠は書かれていません。

組合指導部からなんの補償もされない怠業を強いられ、生活に困窮したために玉野井の女郎屋に身売りさせられた娘の悲しみが描かれていたためでしょうか。

身重の娘が警察の過酷な拷問にあって理不尽な死をとげた悲惨さが描かれていたためでしょうか。

中風の老父が前途を悲観して縊死したむごたらしさが描かれていたからでしょうか。

この作品は、大正15年に起こった共同印刷所大争議(映画では、「大同印刷」となっています)を扱った作品だそうですが、この映画を見ただけでは、この争議の結果がどのように収束されたのか、さっぱり分かりません。

ネット検索によって、共同印刷の経営者が操業短縮と鉛版工38人を解雇したことに抗議して、全職工がその家族とともにストライキに突入したことを受け、経営者側も工場を逆封鎖してストライキに対抗した60日間にもおよぶ大争議となった事件ということをで知ったのですが、そもそものコトの始まりは、この労働組合が日本共産党と共同歩調をとる日本労働組合評議会系の組合だったために、経営者側が組合の弱体化を狙ったことが発端だということも知りました。

そして、この作品では、その結末まで描かれているわけではありませんが、会社側の硬軟取り混ぜた策謀に嵌まって、組合が徐々に弱体化され、また逼迫した政治状況に挟撃されて押し潰されていく様子が、特に生々しく描かれているところから見ても、この争議が無残な結果に終わったであろうことは容易に察することができました。

それに、この映画が、あえて「結果」を描くことを必要としなかったのではないか、つまりこの映画が救いの無い「過程」(凄惨な弾圧と狡猾な挑発とによって、労組員とその家族たちは、いかに絶望的な闘いを果敢に闘い抜いたか)を描くことだけを主眼としていたからなのではないかという気がしてきました。

言ってみれば「私たちは、権力からこんなにも酷いことをされました」という哀訴だけが綿々と描かれているだけであって、それ以外のものが描かれているわけではありません、例えば「革命」をちらつかせた労組側の展望の欠けた戦略の誤りとか。

過酷な争議に耐えた労組員とその家族たちが抱いていた概念としての「革命」は、まるで絶対不可侵の「天皇制」と絶妙なバランスをとっているかのような印象(同じ質の「聖性」です)さえ受けました。

この争議で生活の困窮に晒される民衆が、争議に関わっていないそれ以外の民衆と区別できるようなものは、何もありません。

当時の大衆が「天皇」を無条件に絶対と信じ込んでいた(あるいは、権力につながる世間の監視下の手前、「信じる振り」をしなければならなかった)のと同じ思考回路で、なんの根拠もなく「革命」を信じ込まされていたにすぎないように僕には感じられました。

もし、この作品が、「弾圧される民衆の悲しみ」を描こうと意図したものなら、それは権力と反権力の両者からの狭撃にあい、どちらの側からも「それらしく」振舞うことを強いられ、そしてその両者から「弾圧される」民衆の悲しみが描かれなければならないのではないか、そのようなマルチな視点を獲得することによって、偏り歪んだ視点で撮られたこの映画が、「人間の自由」の傍にもうすこし近づくことが出来たのではないかと感じられました。

これは新星映画第4回作品です。

(1954新星映画=独立映画)監督・山本薩夫、製作・嵯峨善兵、原作・徳永直、脚本・立野三郎、撮影・前田実、音楽・飯田信夫、美術・久保一雄、録音・岡崎三千雄、照明・吉沢欣三、
配役・日高澄子、桂通子、薄田研二、永田靖、加藤嘉、二本柳寛、信欣三、玉川伊佐男、原保美、神田隆、多々良純、清州すみ子、小田切みき、田中啓子、徳永街子、岸旗江、滝沢修、東野英治郎、殿山泰司、三田国夫、野々村潔、三島雅夫、福地悟朗、水村靖、清村耕二、北林谷栄、小峰千代子、赤木蘭子、三好久子、戸田春子、田中筆子、宮口精二、原ひさ子、安部徹、高原駿雄、原泉
1954.06.24 13巻 3,836m 白黒  キネマ旬報ベストテン6位 チェコ国際映画祭名誉作品賞
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by sentence2307 | 2008-08-10 08:38 | 映画 | Comments(5)

暁の脱走

その作品があまりにも有名すぎて、タイトルはもちろん、見る前から、だいたいの内容まで知悉してしまっている映画を見るのは、その先入観が、かえって障碍になる場合もあると、この谷口千吉監督作品「暁の脱走」を見て思いました。

その先入観というのは、例えば「信じていた軍隊から裏切られ、その欺瞞性にとことん絶望して、ついには軍隊を見捨てた純情な兵士の物語」とか、あるいは「愚劣な軍隊に留まるよりも愛のための脱走を選択し、やがて日本の軍隊から銃殺された恋人たち」という、既にいろいろなメディアから自分の中に刷り込まれているそれらの固定観念を抱えながらこの作品を見始めた結果、どこまでが借り物で、どこまでが純正な自分の印象なのか、考えながらの鑑賞というのは、やはり煩わしく、僅かながら苦痛でした。

そんななかで抱いたシンプルな疑問が、ふたつ残りました。

①三上上等兵は、晴美を心の底から愛していただろうか、

②三上上等兵は、日本の軍隊に絶望したから脱走したのか、です。

そして、この①と②の関係は、もちろんそれぞれが重要な影響を及ぼし合っています。

しかも、僕のこの疑問の立て方自体が、三上の側からしかこの作品にアプローチできないと最初から考えてしまったあたりに、僕の中では既にある程度の考えが固まっていることを示唆しているのかもしれません。

最初、慰問団の歌手・晴美は、三上上等兵にひと目惚れして、一方的にアタックします。

ただ「三上が好きだ」という自分の気持ちだけをぶつける晴美の行為には、軍隊という閉ざされた社会の制約に縛られている「三上の都合」など考慮するわけもありません。

その典型的な場面は、副官に随行して酒房にやって来た三上を晴美が誘惑し、初めて性交したあとの夜の場面にうかがわれます。

初めての情交に昂揚した晴美は、三上との別れを惜しんで、未練がましく共に戸外に出ようとしたところを巡回の兵に誰何され拘束されてしまいます。

このようなことをすれば相手がとても困ることになる、深刻な窮地に追い込まれるかもしれないなどとは少しも考えず、ただひたすら自分の感情だけを押し通す晴美は、身勝手な自分の行為がどんどん事態を悪化させ深刻にしていくことなど当然のことながら配慮などしていません。

この晴美の「愛がすべて」という思想が、三上をひたすら破滅にまで導いていきます。

この映画は、「真空地帯」や「モロッコ」のように見えて、しかし、実は「嘆きの天使」なのだと思い当たりました。

あのままなら、実直な三上上等兵は、それまで忠誠を尽くしてきた軍隊に、その後も同じようにして疑問など持つこともなく忠誠を尽くして過ごせたはずです。

軍隊への失望とはいっても、それはきわめて個人的な(成田中尉に対する)恨みから発せられたものにすぎず、「真空地帯」のような軍隊の組織そのもの・それに繋がる日本そのものに対する絶望が描かれているわけではなく、したたかな女の誘惑に惑わされ、引き摺られ、仕方なく中国の大地に逃げ場を求めたがために銃撃されたにすぎないように思えてなりません。

捕虜となった兵は、再び帰ってきた場合は銃殺も有り得るというのは、レッキとした「軍規」ですから、副官に保身のための邪心があったからといって、「自分をかばってくれない」ことを恨むのは、なんだか筋違いのような気がします。

本編を忠実に辿ったうえでのこのラストシーンから、僕は、それほどの感動を受けることはできませんでした。

素朴な三上上等兵が、日本の軍隊に対して極めて実直に尽くしたように、身勝手な誘惑女に対しても実直に尽くしたにすぎず、どちらの側にも散々に振り回された挙句に、銃殺されてしまった哀れな青年(奇麗事を疑いもせずに頭から信じ込んでいた本人にも相当な責任があるように思えます)にしか見えませんでした。

それはちょうど、傷の手当てをしてくれた中国兵の将校に「欧米では捕虜は、捕虜になるまで闘ったということで尊敬されている。捕虜になっただけで自決を迫られる日本の軍隊と比べてどちらが人道的か」と語らしめ、暗に中国の度量の広さを無条件に信じ込んだこのシナリオが抱え込んでいるコンプレックスに通じていて、それは明らかにシナリオの弱さだというしかありません。

そして、それは同時に、時に似つかわしくない奇妙な「ヒューマニズム」を描き込み、作品を方向違いの弱々しさに導いた巨匠・黒澤明の弱点だったかもしれません。

黒澤明の資質とは明らかに異なるこの軟弱さは、「黒澤教」信者でない一般市民からは、あからさまに「裸の王様」と忌避された理由だったのかもしれません。

(1950新東宝=東宝)製作・田中友幸、監督脚本・谷口千吉、脚本・黒澤明、原作・田村泰次郎、撮影・三村明、音楽・早坂文雄、美術・松山崇、録音・神谷正和、照明・大沼正喜
出演・池部良、山口淑子、小沢栄、伊豆肇、田中春男、若山セツコ、利根はるゑ
1950.01.08 10巻 3,180m 116分 白黒
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by sentence2307 | 2008-08-03 21:11 | 映画 | Comments(0)