世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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女の暦

むかし、久松静児の「女の暦」は、「東京物語」に匹敵する作品なのだと言い張って、その言葉に反撥した小津ファンから取り囲まれ、総攻撃されたことがありました。

なんでそんな挑発するみたいな無謀で軽率なことを言ってしまったのか、実は、その切っ掛けというのも、はっきりと記憶しているのです。

雑談のなかで、好きな映画監督と、その代表作を幾つか上げていこうという話の流れになって、まずはじめに庶民を描くことに卓越した映画監督を幾人か上げていったとき、たまたまほんのツイデみたいに久松静児監督の名前が出て、誰かが言った「代表作といっても、『警察日記』くらいしかないだろう」という言葉にカチンときて(相手も不機嫌だったのかもしれませんが、そのとき当方としても相当ムシの居所が悪かったのだと思います)、とっさに上記の「『女の暦』は、『東京物語』に匹敵する作品だ」という断定の言葉が出てしまいました。

そして、そのあとの「映画十字軍」の総攻撃に対して自分がどう答えたのかは、全然記憶にはありません。

きっと僕のことですから、相当な詭弁を弄して反論したに違いありませんが、しかし、いまにして思えば、「女の暦」が「東京物語」に匹敵すると言ったのには、まったく根拠がなかったわけではないと、最近になって論証できるような気がしてきました。

「東京物語」は、老夫婦が東京で暮らす子供たちを訪ねて行く話ですが、久松静児の「女の暦」は、小豆島で暮らす二人の姉妹の元に、東京や大阪で離れて暮らしている三人の姉妹が両親の法事のために戻ってくるという物語です。

「東京物語」の老夫婦は、親として期待していたのとは裏腹に、実は東京で厳しい生活を強いられている子供たちから邪険にされ(子供たちが「そう」しなければならなかったことを十分に理解したうえで)、落胆と失望の気持ちを抱えて故郷・尾道に帰ります。

「女の暦」の、それぞれに都会の暮らしに疲れ切った姉妹たちは、両親の法事に集まり懐かしい昔話に興ずることで元気を取り戻し、再び都会へ帰っていくというラストでした。

子供たちへの期待がことごとく裏切られ、失望し、まるでその代償のように掛け替えのない伴侶さえも失うという絶望の果ての孤独のなかで閉じられる「東京物語」と、厳しいけれども微かな希望が暗示されるという終わり方をする「女の暦」とに、なにか「共通するものがある」と見るのか、「まるでない」と見るのか、「小津ファンからの総攻撃」に逢ってから、ずっと考えてきたことでした。

そして、最近、少しだけ見えてきたものがあるのです。

このラストの終わり方は、両監督の資質の違いというよりも、ストーリーをどこから語り始め、そして、どこで断ち切るかという、最初から求められていた「作品」のタイプによって選択されたその違いだけだったように思えてきました。

こう書くと、なんだかまた論客の方々に反論されそうです。「あなたねえ、芸術作品の『東京物語』と、たかがプログラムピクチャーの『女の暦』とが、『最初の選択』ということだけで出来あがるとでも思っているんですか」と。

もし「ええ」とでも言ったら彼らの憤怒逆上する顔が見えるようですが、僕はやっぱり「ええ」と言うしかありません。

そうなんですよ、小津安二郎が映画会社から求められていたもの・許されていたものが「東京物語」であったように、端的にいってしまえば、久松静児が映画会社から求められていたもの・許されていたものこそが「女の暦」だったのだと思います。

求められていたものが違っていて、描き方、括られ方が違っていただけであって、描こうとしていた本質は同じものだったのではないか。

「東京物語」のラストで、伴侶を失い一人きりになってしまった失意の老父が遠い眼差しを虚空に投げかけ、虚脱してじっと座り続けているその姿が、まさに、徐々に迫り来る死を待つしかない諦観そのものだったように、一見希望に満ちたラストをもつ「女の暦」もまた、姉妹たちの和気藹々とした交歓の華やぎを大きく覆っているものが、既に死んだこの世にいない5人の亡き姉妹たちの眼差しに絶えず捉われていることを思えば(存命の5人姉妹の意識には亡き5人の姉妹の思い出が、まるで霊のように絶えず甦ってきます)、やはり、久松静児の「女の暦」は、「東京物語」に匹敵する作品なのだ、といっても言いすぎではないという気がしてきました。

(1954新東宝)製作・坂上静翁、監督・久松静児、原作・壼井栄「暦」、脚本・井手俊郎、中河百々代、撮影・鈴木博、音楽・斎藤一郎、美術・下河原友雄、録音・片岡造、照明・小山正治、助監督・小野田正彦
出演・杉葉子、香川京子、田中絹代、十朱久雄、花井蘭子、三島雅夫、轟夕起子、細川俊夫、大谷伶子、鮎川浩、新井麗子、永井柳太郎、三好栄子、小高まさる、清川玉枝、鳥羽陽之助、藤村昌子、舟橋元
1954年日本映画 上映時間:1時間39分 
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by sentence2307 | 2008-12-28 11:44 | 映画 | Comments(4)

千姫御殿

いわゆる「芸術映画」好みのマニアの中には、最初からプログラム・ピクチャーを心底毛嫌いする人がいて、そういう人の前では映画について、たとえ雑談的なものであっても、会話をするときには、相当神経を遣いました、遠い学生時代のこと、いま思えば独特な雰囲気でした(いまの言い方でいえば空気感とでもいえばいいのでしょうか)。

そもそも、大衆向けに量産されたプログラム・ピクチャーなど、あんなもの、映画のうちに入るものかと考えているらしく(まさか、軽蔑まではしていないでしょうけれども、会話が佳境に入るにつれて、大衆は「愚衆」のことであり、プログラム・ピクチャーは「おしなべて駄作」と言い換えられることが、薄々分かってきます)、そういう人たちと溝口健二や小津安二郎、それに成瀬巳喜男や黒澤明、くわえてブニュエルやゴダールやアラン・レネの話をしたことはありましたが、松田定次や三隅研次の作品について話をした記憶がありません。

それこそ、口に出したりしたら軽蔑でもされそうな(やっぱり「軽蔑」でしたね)雰囲気です。

しかし、そうは言うものの、それらの人たちが、そうした「駄作」を実際に見たうえで、そう判断したのかといえば、どうもそうではないらしい。

それらプログラム・ピクチャーなるものを、いままで一度として見たことがないのに、「芸術作品」じゃないということだけで(単に、超有名大学の高邁な大先生の書かれた映画芸術の解説本に、タイトルが出てこないという理由だけで)、最初から問題にしないのだという姿勢というのが分かってきます。

その「ナーバスな毛嫌い」を突き詰めていけば、自分の「知らないこと」は、むしろ最初から排除してしまえという「怯え」であることがだんだん分かってくると、「な~んだ」という感じでたちまち気が抜けてしまいました。

彼らこそ逆に、映画を見ることの楽しさと素晴らしさから、選ばれて排除されている者たちなのだろうなと思い当たり、なんだか気が晴れた気分になりました。

たぶん、彼らの「見る」ことのできないものはプログラム・ピクチャーだけでなく、あれほど愛し、そして「見た」積もりになっている小津安二郎や溝口健二の作品こそ、本質をはずして、随分と歪んだ側面しか見ることが出来ないでいるのではないかと、根源的な資質の歪みと限界を感じて次第です。

長い歳月にわたって、民衆の中で繰り返し演じられることで淘汰され研ぎ澄まされてきた民衆文化としてのストーリーを、安定し、手馴れた技巧で描くダイナミズムを味わうというプログラム・ピクチャーの楽しみが、小津や溝口や黒澤が描こうとしたものと無縁であるという認識に誤りがあるのであって、小津や溝口や黒澤作品が、エンターテインメントから隔絶され孤高に屹立したもの(そうあって欲しい)というマニアたちの誤った思い込みが、むしろ彼らの偏狭な資質と限界と脆弱さを晒す結果となってしまっていることを痛感します。

小津や溝口や黒澤作品でさえも、日本映画のプログラム・ピクチャーと同じ幹を持つ一本の枝として派生したものであったろうし、その進化したひとつの作品として認識を持つことが日本映画という大河を理解するうえで是非とも必要なことではなかいと、幼い頃からプログラム・ピクチャーをごく身近にしながら育ってきた僕としては考えています。

前置きが長くなりましたが、しかし、これだけのエネルギーを投入しなければ、プログラム・ピクチャーを見もしないで、ただ排除しようとする悪しきマニアたちに対する、僕の「抵抗感の大きさ」を証明できないと思ったことを理解していただきたかったのですが。

さて、この三隅研次監督の「千姫御殿」です、いままでは運命に翻弄されるだけの悲劇のヒロイン、政略結婚の犠牲者・哀れな姫君として描かれることの多かった人形のような千姫を、一歩進めて、自分を政治戦略の道具として利用した祖父・家康や父親・二代将軍秀忠に対する恨みと反撥とで自暴自棄になり、不貞腐れて非行を重ねるという、はっきりとした意思を持った女(意思とはいっても、祖父や親を散々困らせて気を引こうとした幼稚で身勝手な「意思」程度のものにすぎないので、高らかに断定するのには、やや気が引けますが)として描いていて、「豪華絢爛」という言葉が些かも大仰でない大映美術部の完璧な仕事を堪能できたことと共に、大変面白く鑑賞しました。

父親や肉親の愛情にカツエテいるために、近づいて来て好意を寄せる男たちの誰彼なしに、すぐ同衾してしまうかのように描かれている千姫の人物像(孤独な女性→すぐにOK《このパターンが繰り返されれば「誰でもOK」ということになり》淫蕩というイメージが形作られます)という安易な連想は、現在でも健在でしょうが、しかし、千姫が将軍家の息女ということで、言い寄ってくる男たちの真意が計りがたく(彼女への愛情ではなく地位が目的かもしれないという疑惑が、だいたいにおいて当たってしまうので、更に彼女は孤独感を増幅させねばなりません)という疑心暗鬼から千姫は常に自由になれない。

ここには、同じ年に撮られた大映作品「忠直卿行状記」(森一生監督)に通じる、身分ある者の孤独というテーマに加えて、最愛の人を幾たびも失い続ける封建時代の高貴な女性の悲惨が重層的に描かれています。

なにしろ権謀術数が渦巻く戦国時代を引きずっている物語ですから、親の都合で無理やり嫁がされ、その相手が誰であろうと、どうにかうまくやらなければ生きていくことができない当時の女性に課された・そして許された唯一の生きる技術でもあったと思います。

ここまで書いてきて、千姫が「悲劇のヒロイン」と呼ばれる理由が、ちょっと分からなくなってしまいました。

そりゃあ、あなた、可哀想に政略結婚させられた最愛の人を幾たびも失い続けたからでしょう。

「最愛の人」というのが、そう何人もいるものでしょうか。

そもそも「政略結婚」という言葉と「最愛の人」という言葉を並べると変な取り合わせであることが分かります。

それに、いたとしても一向におかしくはありませんが、最愛の人が幾人もいるというのも、言葉の矛盾であるなら、幾人もの愛する人と言ってもいいじゃないですか。

もっと正確にいえば、状況に迫られて愛そうと努力した人、ですかね。

つまり、時代に翻弄された千姫が、相手が変わるたびに、新たに愛そうという「努力」をし直さねばならなかったことになりますが、それで、どこまで相手を本当に好きになれたかは、ちょっと疑問です。

新たな相手を新たに愛するために、たびたびリセットしなければならなかったその努力のことを、この作品は、ちゃんと描いているように感じました。

ここに描かれている千姫の男狩り伝説の淫蕩さが、たとえば事実だったとしても、それは、絶望感によるアグレッシブな自暴自棄から自滅的な淫蕩へと突っ走ったというよりも、度重なる「努力」に疲れ、むなしい徒労感から「どうにでもなれ」と思ったか、さらに進んで生きながら既に死んでいる状態だったために、側近が元気付けようとした程度のことだったという辺りくらいの方が、なんだか説得力があるような気がしてきました。

(1960大映京都撮影所)製作・三浦信夫、企画・税田武生、監督・三隅研次、助監督・西沢宣匠、脚本・八尋不二、撮影・竹村康和、音楽・斎藤一郎、美術・内藤昭、録音・大角正夫、照明・中岡源権、編集・西田重雄
出演・山本富士子、本郷功次郎、山田五十鈴、中村鴈治郎、志村喬、滝沢修、中村玉緒
1960.01.14 7巻 2,653m 97分 イーストマン・コダック&アグファカラー 大映スコープ
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by sentence2307 | 2008-12-28 08:20 | 映画 | Comments(1)

夜の女たち

昭和51年にキネマ旬報社から刊行された「日本映画監督全集」は、僕にとっては、常に身近に置いて、折に触れ繰り返し拾い読みしたくなる優れものの一冊です。

ただ、残念なことに、この本の執筆陣のなかには、その証言がやがて後世において貴重な証言となるかもしれないという認識がなく、きわめて個人的・主観的なこだわりで露骨に好悪を晒した聞き苦しい暴言のたぐいもないではありません。

そういう露悪的な私情が執拗に顔を出す部分には、ほとほと閉口させられますし、またそれがこの本を随分と読みにくくさせてしまっている一因かもしれません。

それ加えて、個々の作品に対する評価なども、公正さを欠くことが感受性の証明だ、みたいな押し付けがましい独善が気になり、思わず首を傾げたくなるものもありました。

なぜこの本の編集者は、こんな人にこの監督の評伝を執筆させたのか、おそらく過去のシガラミに捉われただけの理由で選ばれたにすぎないその人選が、はたして本当に最適だったといえるのかと釈然としない気持ちにされられることも一度や二度ではありませんでした。

これではまるで贔屓の引き倒しになってしまうではないかという感じを受けました。

例えば、溝口健二の項を例にとれば、というのは、いまでもこの項を何度も繰り返し読み込んでいる自分なので、ここに述べられている個々の作品に対する芳しからぬ評価(この評伝によるとスランプ期に撮られた溝口作品をひとまとめに駄作と切り捨てています)は、きっと読者である僕もそうした評価の影響下にあるに違いないという思いは、いままでに戦後すぐの溝口作品を見ようとしたときに感じた抵抗感を思い返せば、なんとなく思い当たります。

そして、これらの作品のそうした悪先入観を排除するためには、まずは自分の中に刷り込まれた悪印象をまず払拭してからでないと、この時期の溝口作品と真正面から対峙できないのではないかという意識が常にありました。

そういうわけで、戦後すぐに撮られた溝口健二の諸作品を見るときには、相当な恐怖感を抱いてきたと思います。

溝口健二がこの時期に撮った諸作品は、すべて駄作にすぎず(と思い込み)、ですからたとえ見るチャンスがあっても、自分の気持ちのが「たじろぎ」をどうすることもできなかったのだと思います。

その部分を「日本映画監督全集」の「溝口健二」の項のなかから抜粋してみますね。

「・・・いずれにしても、戦後のこの時期の溝口作品は、彼の周囲の人間たちが溝口健二という着せ替え人形に、あれこれと新規な衣装を選んで着せていただけの感が強い。1946年の『女性の勝利』から1949年の『わが恋は燃えぬ』までの作品群がそうだが、『夜の女たち』1948にしても戦後風俗の上っ面をなでているだけで、溝口独特の凄みがみられない。」

つまり、これら溝口作品は、「『現代』という時代を捉えることも、そして消化することもできず、世相の上っ面をなでただけの時代遅れの作品」らしいのです。

こんなふうに断定のされ方をしたら、どんなに好意的な観客も怖気づいてしまいますし、見る意欲を失ってしまうのは当然でしょう。

暴言ともいえるこうした緻密さを欠いた軽率な断定が、評論家のなすべき仕事なら、評論家とは実に愚劣な仕事だと思わざるを得ません。

ものを書くという行為が如何に難しいか、こうした論評が読者に与える影響の怖い側面を、身をもって見せ付けられた気持ちです。

しかし最近、たまたま「夜の女たち」を見る機会がありました。

実際に見て、その力強さに圧倒されました。

それはまさに、見ることを敬遠してきた自分のつまらないこだわりを嘲笑うかのような力強さでしたし、その力強さに圧倒されることによって、長年のトラウマから一挙に解き放たれた感じです。

「夜の女たち」が、《『現代』という時代を捉えることも消化することもできずに、世相の上っ面をなでただけの時代遅れの作品》などではないことをこの眼でしっかりと確認したのだと思います。

この作品には、溝口監督が、やがて出会うであろう研ぎ澄まされた「古典」の風格とか、流れるような映像美によってたたみ掛けるような途切れのない巧みな語り口という「洗練」はないにしても、しかし、だからといって、観客は卓越した技量だけに感動するわけではありませんし、抑制の効いた美しい「洗練」だけが、人を感動させるわけでもありません。

むしろ逆に、「稚拙」だからこそ率直に伝えることが出来るものもあると思います。

溝口健二の「夜の女たち」は、敗戦という過酷な時代にあって、それでも生き続けなければならなかった女たちが、身につけねばならなかった逞しさの残酷な意味とその無残な生態とを重厚なリアリズムで描き切った卓越した作品です。

いままで僕が読んできたこの作品に対する評価の多くは、おしなべて、ラストのこの田中絹代演じる房子が、この世の中と男たちを呪って絶叫する悲憤の場面を、ストーリー的にこなれていない生硬なラストだとして批判的に論じたものばかりでした。

たぶん、「現実の社会において堕ちるところまで堕ちつくした売春婦たちが、新派の愁嘆場みたいなラストにおいて、あんなふうな大芝居じみた泣き叫び方をするものか」という、つまり、その当時にあって溝口健二が最早「現代」を的確に描くことのできない既に古くさい映画監督であるという断定が、「夜の女たち」という作品を、まるで現実から取り残された骨董品のようなものとして揶揄を込めて論じられていたのだと思いますが、その裏には、同年に撮られた田村泰次郎のベストセラー小説「肉体の門」にえがかれた売春婦に対する考え方の違い(時代的風潮)が大きく反映していたからだと思います。

パンパンと呼ばれた彼女たちが、不運なめぐり合わせから肉体的堕落を余儀なくされたとしても、しかし、彼女たちは決して社会の被害者などではなく、あらゆる拘束から解き放たれ、体裁も棄て、誇り高くアグレッシブに本音で生きようとした存在として描かれ、肉体の穢れなどなにものでもないのだという描かれ方をしており、どこまでも倫理という社会的観念=「純潔思想」という旧来の価値観に捉われた悲劇的な社会抗議作品「夜の女たち」とは対極に位置する象徴として「肉体の門」はあったのだと思います。

しかし、さらに時代を経たいまとなっては、そのどちらが本当に真実に近い姿なのかは、判断の難しいところだとは思います。

しかし、ただひとついえることは、「夜の女たち」のなかで溝口健二が描いた鮮烈なリアリズムは、膨大な時間を超えて僕の気持ちに確実に届いています。

溝口の長回しに一歩も引かなかったあの田中絹代の壮絶な慟哭の演技をいつまでも映画の記憶の中に大切に仕舞っておきたいと思っています。

そんなんやったら、このまま泥沼に入れ。
こんな、来い。
生意気な。病気になって、この眼もメクラになれ。
鼻も崩れてしまえ。
骨まで腐れ。
心の底まで腐ってしまえ。
そして、カタワのバケモノの子供を産め。
そして日本中の男という男、女という女、人間という人間を目茶目茶にしてしまえ。
あほ、あほ、あほ。

画面を見ながら急いで書き止めたので正確ではないかもしれませんが、とにかく素晴らしい場面でした。

(1948松竹・京都撮影所)企画・絲屋寿雄、監督・溝口健二、助監督・酒井辰雄、岡田光雄、脚色・依田義賢、原作・久板栄二郎 『女性祭』、撮影・杉山公平、撮影助手・太田真一、荒井満次郎、音楽・大沢寿人、演奏・中沢寿士とM・S・C楽団、美術・水谷浩、装置・松野喜代春、装飾・山口末吉、録音・高橋太郎、照明・田中憲次、編集記録・坂根田鶴子、衣裳・中村ツマ、床山・井上カミ、結髪・木村よし子、普通写真・三浦専蔵、移動・吉田六吉、演技事務・藤井キヨ、製作進行・桐山正男、製作担当・清水満志雄、
出演・田中絹代、高杉早苗、角田富江、永田光男、村田宏寿、浦辺粂子、富本民平、大林梅子、毛利菊江、青山宏、槇芙佐子、玉島愛造、田中謙三、加藤貫一、加藤秀夫、岡田和子、西川寿美、林喜美子、滝川美津枝、忍美代子
1948.05.26 国際劇場 一般封切 27日 8巻 2,042m 75分 白黒
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by sentence2307 | 2008-12-20 13:49 | 映画 | Comments(202)

女優・田中絹代

岩波書店刊の「講座 日本映画8」のなかに、田辺聖子の「大阪的風土と映画」という小文が掲載されています。

大阪人の気性を、強欲さと善良さを、ユーモアを交えた物哀しさの側面から描いたなかなか読み応えのあるエッセイでした。

そこで取り上げられている作品のタイトルをただ列挙するだけでも、この小文が「ああ、そういうことを言おうとしているのか」とすぐに著者の意図を察知できてしまえるような開けっぴろげな印象も、好感をもってこの小文を読み易くしている一因のような気がします。

暖簾(1958宝塚・東宝)川島雄三監督、森繁久弥、山田五十鈴
浪花女(1940松竹)溝口健二監督、坂東好太郎、田中絹代
王将(1948大映)伊藤大輔監督、阪東妻三郎、水戸光子
大阪物語(1957大映)吉村公三郎監督、中村雁治郎、市川雷蔵
世にも面白い男の一生・桂春団治(1956宝塚・東宝)木村恵吾監督、森繁久弥、淡島千景
夫婦善哉(55東宝)豊田四郎監督、森繁久弥、淡島千景
猫と庄造とふたりのをんな(1956東宝)豊田四郎監督、森繁久弥、山田五十鈴
細雪(1950新東宝)阿部豊監督、花井蘭子、山根寿子
悪名(1961大映)田中德三監督、勝新太郎、田宮二郎

リストアップした作品をざっと眺めただけでも、田辺聖子がこれらの作品を挙げた意図が「面白うて、やがて悲しき」大阪人気質を検証しようとしているのだなということが分かり始めてきます。

ここに描かれている強欲だけれども、肝心なところで抜けている憎めない飄々とした大阪人の善良さが、しかし、すべての大阪人に当て嵌まるかというと、そんなことはないのだろうと思いますが、こうした人物像が田辺聖子の理想なのだなということだけはよく分かりました。

小説家のこうした独断的な思い込みを巧みに綴った文章を読む楽しみも一興なのでしょうが、反面、こうした身内の者を貶しておいて他人様のご機嫌をとるようなタイプの毒のある文章は、抵抗もあります。

この小文は、溝口健二監督「浪花女」の名人・豊沢団平の女房・お千賀(田中絹代が演じています)を取り上げています。

その書き出しは、こんなふうに始まっていました。

「一見して暗い映画だと思った。三味線の名人・豊沢団平に尽くす女房・お千賀の物語であるが、この映画で明るい要素というのは、ほとんどない。お千賀は内助の功という以上に、積極的に亭主を引っ張りまわす女房である。
亭主の芸のためとはいいながら、亭主のみならず周囲を不幸にしていく。
最後はハッピーエンド風にはなっているものの、どこやら救いのない暗さである。
若い私が、暗い映画だなあと直感したのは、お千賀という女の賢妻ぶりが、ため息をつかせるテイのものだったからだ。
いま、この年になって再び見たらどういう感懐を持つか分からないが、いまだにこの映画をわすれられないところをみると、あるショックを受けたのであろう。
然り、大阪女にはこういう、ため息をつかせるテイのタイプの良妻賢母が多いということだ。
溝口健二も依田義賢も、女の根元の業のひとつである「支配欲」に気付いていられたのであろう。
田中絹代のお千賀は、優しく強く清く正しく、という風情で花びらの唇からきつい言葉を吐く。
田中絹代という女優さんは、どこか無表情の表情とでもいうべき風情があり、芯の強い女をやらせると、テコでも動かぬという強さを見せる。
いかにもぴったりというヒロイン像だったが、このお千賀は、生き生きと類型を脱した大阪女であった。」

このクダリを読んだとき、生涯女優として意地でも生き続けようとした田中絹代という女性の実像に少しだけ近づけたような気がしました。
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by sentence2307 | 2008-12-20 11:22 | 映画 | Comments(152)

勝手にしやがれ

ゴダールの「勝手にしやがれ」で、ジャン・ポール・ベルモンド演じるミシェルが、虫けらのように撃ち殺されるラストシーンを見たとき、すぐに「灰とダイヤモンド」のラストシーンを思い出しました。

あのとき、もしかしたら「勝手にしやがれ」のラストは、「灰とダイヤモンド」の痛切なラストシーンにささげられたオマージュなのかもしれないと、なんとなく考えながらも、しかし、結局のところ確認することもなく今に至っています。

あえて積極的に調べようとは思わなかった理由は、きっと、僕の中では、あのラストシーンが、物語の在り方からすると、それぞれが質的にまったく別ものだという明確な判断(あえて調べるまでもないという認識)があったからだと思います。

「灰とダイヤモンド」のラストシーンに「痛切な」という形容詞が似合っても、はたしてゴダールの「勝手にしやがれ」のラストシーンに、そんな叙情的な言葉が似合うものなのかどうか疑問に感じ、調査するまでもないと結論したのではないかと考えています。

しかし、それが、どういうふうに違うかまでは、突き詰めて考えたわけではありませんでした。

アマタいる他の映画監督たちからすると、ゴダールは特別扱いの映画監督だと思います、関連の研究書や映画批評関係の本はダントツで、それこそ溢れ返るような出版量ですから、それらの書籍群によって言い尽くされているという思いと、その膨大な情報量を前にしては、「素人」なんぞが、いまさら稚拙な感想を吐くことを躊躇してしまうのは、無理からぬことだと思います。

しかし、最近、僕の中で、ある「充たされない思い」が大きく育ち始めていることに気がつきました。

それらゴダール関連の多くの批評本は、たしかに難解な作品に真摯に取り組んで論評しようとする姿勢にこだわるあまりに、かえって見た目の「難解」に振り回され、作品に分け入って、それ自体の魅力の解析までは為し得ないまま、まるで息切れするような自己不全と自家撞着に陥ってしまっているような印象を受けるのです。

ゴダール作品のなかでも「勝手にしやがれ」という作品は、「ゴダール」を読み解くための、またとない恰好な作品と考えています。

しかもそのラストシーンということになれば宝庫のようなものなのかもしれません、在来のすべての価値観を打破するためにゴダールが仕掛けた猥雑な諧謔と韜晦の武装の奥底に、「難解さ」の解釈だけでは見えてこないキラリと輝くものがひそんでいるに違いないという思いは、抱き続けてきました。

「愛」の拘束よりも自由を選んだパトリシアの裏切りによって、路上で警官に背後から銃撃されたミシェルは、それでも無様に走りながら、やがてよろめき倒れ、コト切れる直前に「俺は最低だ」とつぶやきます。

その言葉が聞き取れなかったパトリシアは、警官に「何て言ったの」と聞きます。

すると警官は、「お前は最低だ、と言ったのさ」と答えます。

その人生の最後にミシェルによって痛烈な拒絶のひとことを浴びせ掛けられたパトリシアは、その絶望と孤独を抱えて生きていかねばならないことを暗示させたこのラストシーンによって、ゴダールは、どうにでも発展させることができる物語の可能性・自由な想像力を解き放つことのダイナミズムを示唆したのだと感じました。

そこに至るまでのパトリシアとミシェルの約束された恋物語は、警官の微妙な言い換えのひとことによって、突如破綻し解き放たれる不安定のなかで、物語の構造そのものが瓦解してしまう衝撃的な大展開を来たし、だからこそ、どうにでも発展できる「自由」を獲得し得たのだと思います。

映画の作劇の常識を根底から覆すようなその衝撃に比べれば、「虫けらのように射殺されるラスト」の他作品からの影響の有無に心捉われることなど、さして重要なことではなかったのかもしれませんね。

(1959フランス)監督脚本ジャン=リュック・ゴダール、製作ジョルジュ・ド・ボールガール、原案脚本フランソワ・トリュフォー、監修クロードシャブロル、撮影ラウール・クタール、音楽マルシャル・ソラル
出演ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジェ、ジャン=ピエール・メルヴィル、ジャン=リュック・ゴダール
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by sentence2307 | 2008-12-13 13:42 | 映画 | Comments(466)
小学生の1年から6年の間、担任していただいたそれぞれの先生に必ず「ずいぶん気分にムラがある子だ」と言われ続けてきました。

その習性は、いまもあまり変わっていません。

年を重ねた現在でも一冊の本を最初から最後まで通して読み切るということがほとんどない、というあたりにもその痕跡が残っているのかもしれません。

ですので、僕の「ツマミ食い」のようなチマチマした読書の仕方では、通して読まなければどうしても得ることのできないトータルな感動というものからは、当然に見放されていると思いますが、しかし、たとえ「ツマミ食い」の読書でも、それはそれなりの収穫があるはずだと信じています。

文脈から孤立し、前後のシガラミから解放されたた文章が、その部分だけしか読まないからこそ、それ自身一層不思議に輝きをはなっている文意に遭遇したりします(こう書いてしまうと、ずいぶん無理なこじつけだということがバレてしまいますが)。

例えば、そういう読み方(許されるはずもありません)が、どうにか通用する本に、岩波書店から出版された「講座 日本映画」全8巻があります。

テーマごとに編まれたそれぞれが、小論文のアンソロジーになっているので、それほどの(「岩波書店」という言葉のイメージから受ける重々しさ、という意味ですが)重圧を感じずに読むことができます。

そして、さらにそれらの小論を「ツマミ食い」的に読み飛ばしたとしても、深刻な罪悪感に囚われることもないうえに、得るところも「大」という優れものの本だと思っています。

最近、そういったケースに遭遇したので、ちょっと書いておきますね。

第8巻「日本映画の展望」のなかに収録されている馬場当という人の書いた「極私的戦後映画史その2」のなかのこんな一節です。

「故人になってしまった人の言を軽々に使用するのは憚られることだが、黒澤明自殺未遂の直後、仕事の打ち合わせで渋谷実さんと横浜の中華街で食事をしたとき、私は黒澤明について、黒澤明映画について、極私的な感情を話したことがある。
『おっちゃん(小津安二郎)でもなく、溝さん(溝口健二)でもなく、もちろん俺でもなくか、そうか、君は黒澤明の信奉者かい』と例のごとく、からかう口調で渋谷さんは上目で私を見た。
『俺を飛ばされて、あまり大きい声では言えないけどね、そう、黒澤だ』
黒澤だ、ぼそっと渋谷さんがそう言った。
私は巨匠渋谷実の人柄に感動した。
生涯、何日いい日があるだろう、その日、渋谷さんのために実にいい日をもらった感が今もある。」

いい言葉だなと思いました。

生涯のうちで、何日いい日に出会うことができるだろう。

きっと、その日があるから、人は、また明日も生きていく気になれるのだと思いました。

そして、「おっちゃんでもなく、溝さんでもなく、もちろん俺でもなく、そうか、君は黒澤か」

日本映画という広大な地平を、一挙に見渡してしまうようなこの淡々としたひとことの壮大さ・力強さ・優しさと物悲しさに深く感動してしまったのは、きっと僕だけじゃないと思った次第です。
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by sentence2307 | 2008-12-12 23:56 | 映画 | Comments(123)

樹の海

単なる僕の先入観なのかもしれませんが、作る側にとってオムニバス映画という形式は、観客に与えるインパクトという観点から考えると、作品として随分不利なのではないかなと、ある時期までずっと考えていました。

個々のストーリーが、互いに印象を薄め合ってしまうという逆効果が避けられないのではないかという思いがあったからだと思います。

例えば、あるオムニバス作品を見て、その幾つかあるストーリーのうち、必ずといっていいほど、どうしても思い出すことのできない物語がひとつやふたつはあって、そのために苛々した覚えは、確かに僕にもあります。

しかし、その先入観も、ある名作に出会って以来、解消しました。

それは今井正監督の「にごりえ」でした。

優れた映画なら、形式がオムニバスであろうとなんだろうと、その内容や感動を忘れるはずがないのです。

そのとき以来、「印象に残らない」→「忘れる」という人間の記憶のメカニズムというものは、ごく自然な生理なのであって、それを忘れまいとしてジタバタして自然の摂理に逆らう必要もない(無理して覚えておく必要もない、いわばこれは記憶の浄化作用のようなもの)という考えにどうにか落ち着き、納得しました。

それ以来、僕は自分の感受性を信じて「オムニバス映画」に接しています。

しかし、この「面白い」か「つまらない」かだけの二分法の判断基準では、作品を仕分けするうえにおいておのずから限界というものもあります。

それは、ストーリー自体が、もうひとつ認識・理解できないために、自分が感動すべきか失望すべきなのか、全然判断のつかない場合です。

この「樹の海」を見ていてそのことを強く感じました。

ある時、この作品をこんなふうに解説している一文に出会いました。

それは、この作品が
「富士の樹海に自殺しにやってきた男女が、死に直面して“生きること”を問う4つの異なるエピソードからなっている作品」
と書かれている文章でした。

この一文を読んで最初に感じたことは、そんなに簡単に「生」と「死」とを結び付けてしまっていいのだろうか、という違和感でした。

4つのエピソードに登場する人物というのは、こんな感じです。

①殺され樹海に捨てられるが、生きのびてしてしまう帰れない公団職員(萩原聖人・サラ金のチラシ)。

②金のために樹海に足を踏み入れる、今だけを生きるチンピラ(池内博之・東京タワーの模型、樹海に張り巡らされたロープ)。

③鬱屈したものを胸に秘め樹海に向かう、過去と今の間に生きる駅売店員(井川遥・ネクタイ)。

④樹海とは何の関わりもない、それなりに幸せに生きるサラリーマン(津田寛治・いつ撮ったかわからないツーショットの写真と名刺)。
樹海で死んだ他人を、考え、思う探偵(塩見三省)。

ここに登場した彼らは、単に死に損なっただけであって、それ以上のものとは思われません。

それはきっと、ここで描かれている「死のすぐ傍まで接近した人たち」の誰もが、その死を、この世の猥雑な過失の数々を清算しようとした「手段」としか見なしていなかったことを考えれば、なにかの手違いでたまたま生還したとしても、そこには「死」を打ち消し、いままでの負の意志を凌駕するほどの「生きる」ことのベクトルを獲得したとは、どうしても考えられないのです。

彼らにとって、「今回」は、たまたま助かったとしても、そこにはなにひとつ解決されていない現実があり、「死ぬしかなかった」状況は依然としてあるのですから、やがて彼らはふたたび、少しずつ「死」の安らぎの彼岸へ引き寄せられるに違いないとしか思えません。

僕が知識として知っている多くの自殺は、死んだあと、自分の死体を関係者や世間に晒して、嫌悪や罪悪感を催させるためだけの「あてこすり自殺」という認識でいました。

しかし、青木が原に踏み込んでいく多くの自殺志願者は、そういう俗世間への仕返しの一種のような自殺などとはまったく異なる、人知れずこの現実からひそかに自分の存在を抹殺してしまおうというタイプの人たちです、自分が死んだことさえ悟られないように、この現実という表舞台からひそかに退場し、自分がこの世にいたことさえも抹殺してしまおうという人たちです。

自分が死んだあと、遺された肉親縁者たちが自分の墓に詣で、いまは亡き自分を偲び悲しむであろう甘美な空想を拒否した人たちです。

失意の果てに、この世の関わりのすべてを拒んで、死地に赴く彼らの絶望と寒々しい決意は、考えてみれば、ぞっとする、生きている人間が、決して関わってはいけないような禁忌を感じますよね。

(2004ビターズ・エンド)監督・瀧本智行、製作・高橋紀成、川島晴男、川崎代治、プロデューサー・青島武、永田芳弘、協力プロデューサー・森重晃、脚本・瀧本智行、・青島武、撮影・柴主高秀、音楽・吉川忠英、編集・高橋信之、特殊メイク・岡野正広、美術・金勝浩一、音楽プロデューサー・石川光、主題歌・AMADORI『遠い世界に』、VFX・岡野正広、照明・渡部嘉、製作統括・安達武生、鈴木径男、録音・吉田憲義
出演・萩原聖人、井川遥、池内博之、津田寛治、塩見三省、余貴美子、大杉漣、小嶺麗奈、小山田サユリ、中村麻美、田村泰二郎、宮本大誠、蟹江一平、北村栄基、鈴木淳評、古川貴稔、冷泉公裕、でんでん、田中要次、余貴美子、大杉漣、
2004年 東京国際映画祭-日本映画・ある視点部門-作品賞・特別賞受賞
119分
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by sentence2307 | 2008-12-03 20:13 | 映画 | Comments(10)

助監督の回想

成瀬巳喜男監督についた助監督・石田勝心はこんなふうに回想しています。

成瀬監督が、予算と期日はきちんと守ることは有名でした。

なにしろ他の監督の撮影現場では、撮影が深夜に及ぶのは当たり前だったのに、成瀬組には残業はほとんどなくて、撮影は、午前9時から午後5時の定時できっちり終わります。

俳優の撮影開始時刻も、監督が告げた予定とほとんど狂ったことがありません。

カメラは、多くが固定で撮影します、アップを嫌い、わざとらしい芝居は徹底して排していました。

普通は場面の進行に合わせてカメラ位置を変えながら撮影するのですが、成瀬巳喜男監督は、カメラ位置の同じ映像をまとめて撮る「中抜き」をいといませんでした。

淡々と撮影を進めていく成瀬監督の撮影の進め方に、そういう進行に慣れていないスタッフのなかには、場面がどうつながるか見当もつかないと言っていた人もいましたし、また、俳優さんたちのなかにも、監督がOKを出した場面で、俳優さん自身が、その抑えた演技に納得できず、物足りないとスタッフにもらしていた人も幾人かいたようですが、みんな出来上がった作品を見て、全体を見通す成瀬監督の演出の的確さに納得し、成瀬演出の見事さに感嘆したものでした。

どんなに激しい場面を撮るときでも、撮ること自体のペースが変わったことはありません。

一場面一場面淡々と撮り進んでいくだけです。

決して大きな声を出すこともないし、何度もテストを繰り返して俳優をしごくなどということもありません。

そんなふうでしたから、OKを出したあとでも演技した俳優に対して「良かった」とも「悪かった」とも言いません。

「そこんとこ、もうちょっと早く立って」とか、そんな感じでした。

短いカットを重ねていく成瀬監督の演出の方法は、長回しの溝口監督とは、撮るリズムみたいなものが根本的に違っていたのかもしれませんね。

長い芝居をさせない代わりに、目線の動き、座り方、顔をちょっと動かすなどの微妙な動作のなかに人間の感情の機微を表現しようとしたのだと思います。

場面に移っている人物のそのような動作によって、場面外にいる移っていない人物の動きをも的確に表現してしまう技術は相当なもので、やはり成瀬巳喜男監督が持っていた天性の才能だったのだと思います。

しかし、そんな成瀬監督の撮影現場を、静か過ぎてお通夜みたいだと嫌う人がいました。

なにしろ監督の口数は少なく、スタッフは、足音をしのばせるように準備をしたり、ヒソヒソ声で話したりしていたのは本当です。
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by sentence2307 | 2008-12-03 11:21 | 映画 | Comments(1)