世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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怒りの街

現代から見ると、成瀬巳喜男作品のタイトルのなかで、突出した違和感を覚える作品といえば、1950年製作の「怒りの街」ではないでしょうか。

こんなにストレートなタイトルは、後にも先にも成瀬巳喜男の作品群のなかでは極めて珍しいのではないかと思います。

この堂々たるタイトルの響きからすると、つい山本薩夫監督の作品や今井正監督の作品の戦闘的なイメージを抱いてしまうのも無理ないわけですから、なおさらその落差に違和感を覚えたのは仕方ありません。

実際僕もそうでした。

そこで、タイトルの頭に「怒り」などという言葉の付く映画がどれくらいあるのか、つい調べてみたくなりました、寄り道ですが。

手近にあった資料から拾い出してると、ざっとこんな感じでしょうか。

今井正監督「怒りの海」1944東宝砧、
久松静司監督「怒れ三平」1953大映、
小沢茂弘監督「怒れ!力道山」1956東映、
久松静司監督「怒りの孤島」1958松竹、
長谷和夫監督「怒りの男、続青雲やくざ」1965松竹、

これらの意気のいいアクティブな諸作品と、成瀬巳喜男監督の物静かな作風がマッチするわけがないという確信はあるのですが、しかし、そんなことを検証するために、映画を「観る」ということになれば、ちょっと躊躇せざるを得ません。

映画を見るという素朴な楽しみが歪められ、変な先入観でガンジガラメに縛り付けられて、義務のように強制的に見せられるみたいなのはゴメンです、決していい気持ちはしません。

しかも、実際に「怒りの街」を見るずっと以前に、多くの評者たちのあまり芳しくない文章を散々読まされてきているだけに、気持ち的に一層の重荷になっていました。

批評のほとんどが
「(成瀬巳喜男の)類型的でモタモタした人物描写が、時勢の急激な変化についていけず、結果的に戦後風俗のけばけばしさへの追随に終わっただけという印象で、結果、なおさら成瀬巳喜男の不振を増幅させて、ほとんど過去の人扱いされかけていた。」
といったものだったのですから。

こんなふうな先入観を持たされて映画を見るというのは、実にシンドイ作業なので、この作品を見るのを先送りにしてきたというのは、たぶん仕方のなかったことだったと思います。

そして、つい最近やっと、どうにかモチベーションを高めて、この映画を見ることができました。

どういうふうにモチベーションを高めたかというと、この映画に使われた丹羽文雄の小説が「光クラブ事件」に大きく影響を受けた小説だということを知ったからでした。

東大生が金融業で成功するが、やがて行き詰まって自殺するという戦争直後の目的意識を失った青年たちのアプレゲールという時代的風潮を象徴するような超有名な事件です。

むかし、三島由紀夫の「青の時代」を読んで感動したことを思い出しもしました(この事件をモデルにした小説は、ほかに高木彬光「白昼の死角」、北原武夫「悪の華」などがあります。)。

それまでは確固たるものだった価値観が、敗戦によって脆くも崩壊するのを目の当たりにした青年たちは、戦時下の「純粋な死」をはじめ、総てがただの嘘っぱちにすぎなかったことを知って深く傷つきます。

すべてを失ってしまった彼らは、逆に、この愚劣な社会を生きるためには、有能な者・強い者だけが成功を約束され、そのためのすべての行為が許される戦後を生き始めます。

この選民意識(エリートには、すべてのことが許される)の奥底には、きっと、時代に裏切られた若者たちの虚脱と悲しみの憤りが潜んでいます。

この映画のタイトル「怒りの街」には、そういう意味が込められているのかもしれないなと勝手に解釈しながら、果たしてこの成瀬作品に、その辺りの「時代の苛立ち」みたいなものが描き切れていただろうかをという思いで見てみました。

しかし、この映画に登場する誰もが、どんどんエスカレートしていく須藤の非行を理解不能という眼差しで見つめているだけです。

誘惑して騙して棄てた娘の父親の差し金で、ヤクザに顔を切られた須藤が、「今度は、この傷を売り物にしてやる。」と嘯くラストの場面にそれは端的に示されています。

この男の真意を測りかね、また、どういう理由でこのようなことを言うのか、どう演出したらいいのか、混乱の極にいる成瀬巳喜男の迷いをはっきりと感じることができます。

それは、確かに成瀬巳喜男の時代認識の限界だったかもしれない。

しかし、そのような時代に翻弄されたゲスな心情を理解できないことが、果たして映画監督の限界なのか、僕にはどうしても納得できませんでした。

「限界」を、あたかも衰弱や時代遅れの迷妄のようにとらえる意味での「限界」なら、それは違うと思いました。

小津安二郎の描いた閉ざされたササヤカな世界は、それこそ限界的な世界だったといえると思うし、ひたすら「人間」にこだわり、そして囚われた黒澤明にしたところで、その極端な映画の世界は、いわば限界そのものだったといえるかもしれないではないか、という気持ちです。

この「怒りの街」もまた、成瀬巳喜男のスランプ時代の一作として認識されているのだとしたら、この作品も時代に対して否定的に(理解不能という仕方で)反応した作品であることをしっかりと認識しなければいけないのではないかという気がしてきました。

それらのどれもがすべて「成瀬巳喜男の世界」を形作っている重要な要素としての作品なのだと思いはじめてきました。

(1950東宝・田中プロ)製作・田中友幸、監督脚色・成瀬巳喜男、原作・丹羽文雄、脚色・西亀元貞、撮影・玉井正夫、照明・島百味、録音・三上長七郎、美術・江坂実、音楽・飯田信夫、
出演・宇野重吉、原保美、東山千栄子、村瀬幸子、若山セツ子、浜田百合子、久我美子、木匠久美子、志村喬、岸輝子、柳谷寛、木村功、菅井一郎、立花満枝
1950.05.14 9巻 2,878m 白黒
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by sentence2307 | 2009-04-29 15:52 | 映画 | Comments(2360)

泣蟲小僧

豊田四郎監督が撮った「泣虫小僧」の原作が林芙美子 のものだと知って以来、もしこの原作を、その当時に成瀬巳喜男が撮っていたら、どんな作品になっていただろうという思いに、しばらくのあいだ囚われていました。

その撮られなかった成瀬作品が、例えばこの豊田作品のような痛切な作品に果たして成り得ていただろうかという素朴な興味です。

1938年から1939年にかけての成瀬巳喜男といえば、通説では「『はたらく一家』をのぞいては、なにひとつ、めぼしい作品がなかった」と評されていた、いわば彼の低迷期でもあったと聴いています。

その低迷を脱したのが1951年の林芙美子原作「めし」との運命的な出会いであり、林芙美子の小説群に、自分の描くべき世界をようやく発見するに至って、やっとこの時期に長いスランプから脱する端緒をつかむことができたことを考えれば(「銀座化粧」を上げるべきかもしれませんが)、とにかくそれまでの間、映画監督・成瀬巳喜男にとっては極めて危機的な期間だったはずで、まさにその1938年は、相当深刻な事態の渦中にあったそういう年だったのだと思います。

だからなおさら、成瀬巳喜男が、もしこの時期1938年に林芙美子 の原作に出会い、取り組んでいたら、それから以降の彼のフィルムグラフィも、どのような展開の仕方を見せたのかと想像するだけで、そうした刺激的な妄想に暫し胸を躍らせたのだと思います。

まあ、そうだったとしたら逆に、僕たちは、それから少し後の戦争直後に、産みの苦しみの懊悩のなかから、成瀬巳喜男が血を吐くようにして撮られた、不本意にしてかつ珍妙な作品「浦島太郎の後裔」や「白い野獣」を見ることができなかったかもしれないという負の可能性に怯えも伴ったわけですが。

遅ればせながら、僕は個人的に、これら愛すべき2作品「浦島太郎の末裔」と「白い野獣」を、心から心服していることを「成瀬巳喜男のスランプ期の作品」に深い愛着を持っているマニアのひとりでもあることを付記しておかなくてはならないかもしれません。

さて、この豊田四郎作品「泣虫小僧」を初めて見たとき、僕は咄嗟に大島渚監督の「少年」と共通し合うものを感じました。

その2作品は、ともに、大人たちから一方的に阻害され、虐待されながら、じっと耐えるしかない無力な存在としての「少年の孤独」を、憤りをもって描いた作品ということができると思います。

たぶんこの2作品に異なるところがあるとすれば、大島渚作品に登場した少年・哲夫は、両親からの虐待に対して、むしろ彼らの暴力に共感するかのような素振りで、自分の体をひたすら傷つけ、痛みつけて見せて、彼らの目の前で自分の存在を否定してみせた逆説的な描き方をしたことくらいでしょうか。

愚劣な親たちが憂さ晴らしみたいに子供に投げつける虐待をそのままの姿で見せ付けるかのように、哲夫は自分の存在をこの世から消滅させてしまうための自虐に腐心し、自己存在の抹殺の意思を明かすことで、理不尽な大人たちの暴力に抵抗しようとしたことかもしれません。

しかし、ここでの「抵抗したか・しなかったか」は、それほど重要なことであるとは思えません。

母親からどんなに邪険にされても、あるいは養育放棄という理不尽な仕打ちを受けても、たらい回しにされた先の叔母から、誰が一番好きかと問われれば、「お母さん」と答えてしまう啓吉の母へ寄せる無償の善良さに、僕たちがしたたかに打ちのめされるという衝撃の大きさは、大島作品「少年」に描かれていた、大人たちへの徹底した拒絶の意思を明らかにした痛ましい哲夫の自傷行為と比較しても、それは「勝るとも劣るものではない」などという優劣を許すような種類のものでないことは明らかです。

啓吉が「お母さん」と口にした瞬間、我が子を見捨て、愛欲に狂って九州の地まで男の後を追おうとするだらしのない女、母親として許しがたい観客が抱く侮蔑の思いは、突如として啓吉によって裏切られ、突き放されます。

どのような虐待にあっても母親を許そうとする啓吉の手放しの善良さには、どんな女であっても、子供にとっては、どこまでも掛け替えのない「母親」であり続けることを示していて、しかし同時に、そこには母と子という関係の逃れがたい宿命のどうしようもない残虐さに、遣り切れない思いを突きつけられることになったのだと思います。

親から見捨てられた少年の孤独を描くために、豊田四郎が見逃さなかった少年の仕草やこの一言が示した輝きを、もし成瀬巳喜男がこの作品を撮るのなら、果たしてこの一言に(あえて言えば「敬吉」の存在に)これほど注目することになったかと言えば、僕には、どうしても「そうだ」とは思えません。

なにしろ「浮雲」を撮った成瀬巳喜男です。野垂れ死に覚悟で南海の孤島まで男を追いかけ、愛人への激しい思いを貫き通そうとした極限の愛の物語を撮った成瀬巳喜男なのです。

どんな仕打ちを受けても母を慕う啓吉が、まぶしそうに「お母さん」と呟く淋しく儚げな少年の表情をカメラで追うことなど、ハナから考えもしなかったと思います。

成瀬巳喜男なら、やはり、子供を見捨て、男を追う愛の物語を肯定的に撮ったであろうと想像することは、この架空の妄想(撮られざる成瀬作品)を締めくくる当然の結論だったかもしれません。

(1938東京発声映画製作所・東宝)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、原作・林芙美子、脚色・八田尚之、撮影・小倉金弥、美術・河野鷹思、音楽・今澤将矩、設計・進藤誠吾、装置・角田五郎、録音・奥津武
出演・藤井貢、林文雄、栗島すみ子、逢初夢子、市川春代、梅園竜子、山口勇、一木禮司、高島敏郎、藤輪欣司、吉川英蘭、品川眞人、横山一雄、若葉喜代子、
1938.03.17 大阪東宝敷島 10巻 2,205m 80分 白黒
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by sentence2307 | 2009-04-26 12:22 | 映画 | Comments(3)