世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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おくりびと

きっとそれが優れた映画の証なのだと思うのですが、見たあと、かなりの時間が経過したにもかかわらず、ある特定のシーンがどうしても気になって、繰り返し思い出すという作品があります。

ここ最近でいえば、やはり「おくりびと」が、自分にとってそういう作品のひとつだったといえるかもしれません。

気になるシーンというのは、お風呂屋のおばちゃん(吉行和子が演じています)が、妻・広末涼子に幼い頃の本木雅弘のことを話す場面です。

本木という子供は、どんなに悲しいことがあっても、人前では決してつらそうな顔は見せず、表面では快活を装いながら、陰でひとりだけで耐えるような子供だったと。

彼がまだ子供の頃、父親と母親が離婚したときも、人前では平気な顔をしていたけれど、お風呂屋で一人きりになったとき、本木少年がひそかに泣いているところを見てしまったと、おばちゃんは、妻・広末涼子に話します。

だから妻のあなたには、彼の「そういうところ」を十分に理解してあげてほしいのと。

夫の性格形成期の子供時代に遭遇した深刻な事件のことを、かなり的確に知っている人から、夫がどういうふうに育ってきたかという示唆を受け、そして、そういう頑ななところがある不器用な彼を十分に理解してあげてね、と言われたら、妻はどういう思いでこの言葉を受け止めたのだろうかということが、ずっと気に掛かっていました。

あるいは、おばちゃんは、このことをただの世間話として妻に話したわけではないのではないか、という疑いも生じてきました。

「あの子のことを、もっと分かってあげて」と乞う言葉の裏には、彼のことを少しも分かろうとしない彼女の冷ややかさがあからさまにあって、そのことが夫婦のあいだに溝を生じさせてしまっていることにも気づきもせず、また、その行き違いを直視しようともしないままに、ただお互いが避けているだけで、どうすることも出来ないでいる無力な妻に、見るに見かねたおばちゃんは、暗にそのような助言をしたのではないかと、ふと考えてみました。

もし、若い妻に、そのように暗示される「性格的欠陥」が本当にあったとすれば、当然彼女の方も(そのような「彼女」だからこそ)おばちゃんの示唆には、ただただ不快感を禁じるだけであっただろうし、素直にその言葉を受け入れることなど到底できなかったことは容易に想像ができます。

妻は当初、決して夫の「おくりびと」という仕事を理解しようとも受け入れようともせずに、ただ激しく拒絶し、結局、予期せぬ妊娠が判明するまで彼の元には決して帰ろうとはしませんでした。

夫にしても、「おくりびと」という仕事に、次第に意義を感じ始めた時点でさえ、妻に告げることを躊躇し、どうしても告げられないまま、結局は彼女が「葬儀の教材ビデオ」を発見するまで、ずるずると時を過ごすばかりでした。

そして、夫が、その忌まわしい仕事を続けるのなら、自分は家を出ると妻が脅しをかけてきた時でさえ、彼は妻を引き止めず、躊躇なく仕事を選んでいます。

それなら妻が、どの時点で、夫の仕事に対して理解を示し始めたかというと、おばちゃんの急死を受けて、夫がとり行う荘厳な「おくりびとの儀」を間近に見、死者を送るその儀式のなかに、この世に生き残る者たちに対する癒しとか優しさの意義を見出したからだろうと思います。

それは、きっととても説得力のある結論かもしれません。

しかし、女性たちのこだわりと長年格闘してきた自分としては、到底納得できる結論とはいえず、違和感に満ちた奇麗事の結論のようにしか思えませんでした。

僕の知っている女性たちなら、多分、まさに映画が終わろうとしているときでさえ、こんな恨み事を言い続けると思います。
「あのとき、どうして追いかけてきてくれなかったのよ。あんたは、そういう薄情な人なのよね。」って言い続けるに決まってるんだ。

決め付けるんですよね、女の人って。

死者への畏敬など、彼女たちにとっては何の興味もない、ただ自分を選択しなかった恨みの方がよっぽど重要であり、その恨み言を終生言われ続ける覚悟がなければ、自分などとても「おくりびと」の仕事など勤まるわけなどありません。

もし、この妻役を宮沢りえが演じていたら、果たしてどういう夫婦像になっていただろうか、ないものねだりとは、十分に認識していながら、内に籠もって我慢してしまう不器用な男の孤独を、遠くからもう少し温かく見守るようなひたむきな演技がみられたかもしれないな、とふと考えた次第です。
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by sentence2307 | 2009-07-25 13:41 | 映画 | Comments(2)

鉄道員

久しぶりに「鉄道員」を見て、いろいろな思い出がよみがえってきました。

当時感じたことなど、例えば、この作品の描いている家族愛とか人情描写の世界が、きわめて日本的で、まるで木下恵介監督の作品のようだと勝手に思い込み、人にもそんなふうに吹聴していたことなどです(それほど木下恵介作品を見ていたわけでもないのにね)。

しかし、いま思えば、それはただ、耳学問で知った木下恵介という監督のイメージをたよりに何となく連想しただけのことで、いまなら、木下恵介作品に「鉄道員」に匹敵するストレートに下町的な義理人情を扱った作品など存在しないのではないかと考えています。

むしろ、初期の小津安二郎監督作品のなかにこそ、そのような下町情緒ならありそうだなという気がします(「出来ごころ」だとか「長屋紳士録」とか)。

たぶんその頃、すでに小津安二郎の名前は、もはや忘れられた古臭い映画監督で、きっと誰もがそのように考えていて、ひとむかし前の過去のものとなりつつあるその大御所の名前など、あえて語ろうとする映画評論家も映画ファンなども誰ひとりいなかったように記憶しています(海外からの示唆がなければ、日本人が独自で小津安二郎を過去から再発見することなど、まずなかっただろうという記憶しかありません。)。

時代は、すでに才人・木下恵介の全盛期であり、撮るたびにその斬新な試みは話題となり、飛ぶ鳥を落とす勢いの大監督として持て囃されていたことも合わせて思い出されます。

「鉄道員」を見て、自分のその見当違いな思い込みに気がついたことに加えて、もうひとつ大きな思い出があります。

それは、イタリア語の独特の響きの美しさです。

当時、その物悲しいイントネーションに心引かれ、全編を見終わった後でもう一度、目を瞑ってただ聞いていたいとさえ欲したことも思い出しました。

そういう思いは、フェリーニ作品を見たときにも感じましたし、また、ジャン・ギャバンやアラン・ドロンの話すフランス語の美しさにも同じように魅せられていたと思います。

そういえばベルイマンのスウェーデンの言葉の響きにも魅せられました。

しかし、そのとき、思いました、外国人も日本の映画を観て、自分が感じたように日本語の美しさを感じるようなことがあるのだろうかと。

試みに、目を瞑って映画の中で語られる日本語のセリフの響きに耳を傾けてみます。

映画にもよるのでしょうが、しかし、どうのように聞き込んでみても、日本語には、あのイタリア語やフランス語のような音楽的な響きに恵まれているとは思えません。

決して卑下ではなく、このような抑揚のない一本調子の話し方では、外国人が日本語の言葉の響きに魅せられるとなどということは、到底有り得ないだろうなと若いときからずっと考えてきました、ある時期、その考えを他人に話してみたこともあります。

賛同を得たこともありますし、反発されたこともあります。

しかし、多くの反応は、「そんなこと、どうでもいいじゃないか。要するに映画がおもしろいか、そうじゃないか、というだけのことだろう。」というものでした。

まったく、そのとおりかもしれません。

「鉄道員」が作られた同時代のイタリア映画にだって、汚いイタリア語を話す下卑た映画もあったでしょうしね。

そして同時に、このことを人に話すことの無意味さと、そのように考えた自分の意図に気がつきました。

自分としては、ただ聞くに堪える美しい日本語というものが、はたして存在するのだろうかという疑問に、なんらかの回答を誰かに示唆して欲しかったのだと気がつきました。

それからずっと、ついに最近にいたるまで、その回答を見つけることができませんでした、つい最近まで。

あるとき、テレビを見ていたら、秋田県男鹿半島のナマハゲの紹介番組が放送されていました。

突如ナマハゲが民家になだれ込んできます。

そこで待ち受けた戸主が、酒をふるまいナマハゲと問答する様子が写されています。

子供たちは、隣の部屋や押入れに隠れ、母親に抱かれて恐怖に震えています。

ナマハゲ「うぉー。泣ぐ子いねえが。怠け者いねえが。言うごど聞がね子どらいねえが。親の面倒み悪りい嫁いねえが。うぉーうぉー。」

戸主「ナマハゲさん。まんず座って酒っこ呑んでくなんしぇ。」

ナマハゲ「おめでとうございます。」(大晦日の夜に各戸に降臨します)

戸主「おめでとうございます。なんと、深け雪の中、今年も来てけで、えがったすな。」

ナマハゲ「親父、今年の作なんとであった。」

戸主「お陰でいい作であったすでば。」

ナマハゲ「んだが。子どら、皆まじめに勉強してるが?」

戸主「おらいの子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だがら。」

ナマハゲ「ほんとだが? 学校から帰ってけば、すーぐテレビゲームばりして、勉強さねで、手伝いもさねでねが?」

戸主「なんも、なんも、ナマハゲさん。おらいの子どら、ゲームばするども、その後、勉強さして、手伝いもしてけるすよ。」

ナマハゲ「んだが。親父、子どら、言うごど聞がねがっだら、手っこみっつただげ。へば、いづでも山がら降りてくるがらな。どれ、もうひとげり探してみるが。うぉーうぉー」

戸主「ナマハゲさん。まんず、この餅っこで御免してくなんしぇ。」

ナマハゲ「親父。子どらのしづけ、がりっとして、えの者皆まめでれよ。来年まだ来るがらな。」

さて、ナマハゲを紹介する番組は、以下のようなコメントで締めていました。

子供たちは、恐ろしいナマハゲに早く帰って欲しいと願っているのに、父親はのんびりとナマハゲに酒や餅をすすめて、むしろ、できるだけマナハゲの滞留時間を長引かせているかのようにも見えるほどです。

「この習俗の真の姿は、この問答それ自体にあるように考えられます。
戸主は、ナマハゲと問答しながら、ナマハゲの口を借りて、ここで家族に対し言いたいことを言わせ、別室に隠れている家族にあえてそれを聞かせることによって、家族を守らねばならないという戸主の役割・強さと優しさを示し、家族に伝える意味があるのではないか、そして、家族もまた戸主に見守られているという安心感を得るとともに、その期待に応えるために一層努力しようと決意して、家族の絆を深め、各家族が協調し合う集落の人間関係を構築するとともに、それを後世に伝え遺そうとしているのではなかろうか。」

ナマハゲと戸主のあいだで交わされる言葉のイントネーションの美しさに、思わず聞きほれてしまいました。

「標準語」というものに、散々に侵食されてしまったとはいえ、日本には、まだまだ豊かな言葉が、こうして各地にのこされているのであって、かつて日本語の響きに失望した自分の不明をこそ恥ずべきだったことを思い知ったのでした。
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by sentence2307 | 2009-07-20 09:14 | 映画 | Comments(3)

純喫茶磯辺

仲里依紗の隠れファンにとって「純喫茶磯部」(吉田恵輔監督2008)は、見過ごしにできない作品でした。

もちろん、封切したとき「いの一番」に見た作品ですし、期待通りに彼女は素晴らしい演技をしたと思います。

特に、最後の場面、通学途中の咲子(仲里依紗が女子高生を演じています)が、父親(宮迫博之)が無計画に始め、しかし結局はつぶれてしまった「純喫茶磯部」の、いまは閉鎖されている囲いの破れ目から、暗く荒れ果てた店内をのぞき見、かつての賑わいを思い起こして思わず涙を流してしまうシーンに、ちょっと共感してしまいました。

この涙を、ただの少女の感傷と見過ごすこともできるのかもしれませんが、しかし、ある程度の人生の時間を空費してしまった人間にとっては、このラストシーンは痛切なシーンでもあったと思います。

咲子の心には、この場所「純喫茶磯部」で過ごした時間と、出会った人たち、そして、そこで経験したおびただしい出来事のすべてが、瞬時の回想として描かれているその場面に、失ったものへの懐かしさとともに、もはや取り戻すことのできない悔いと空しさとが込められていて、そうして流した涙に「老成した感慨」めいたものを感じたという共感もあったのでしょうが、しかし、それが単なる「失ったものへの懐かしさの中の、もはや取り戻すことのできない悔いと空しさとが込められて」いるだけのものなら、そんなふうな共感を覚えることもなかったかもしれません。

むしろ、「失ってしまった」はずのものが、依然として、いまだにその辺にウロウロと存在し続けることに対して、言い知れぬ衝撃を受けたのだと思います。

父親は自転車に乗って、閉鎖され、いまや売り店舗となっている店の前を日常的に行き来しています。

娘も通学の行き帰りにその店の前を通り過ぎます。

かつて父親が思いを寄せ、北海道へ帰ったはずの素子も、よその男の種を受けて妊娠し、近所で暮らしているらしい様子が描かれています。

ある時は心通わせ、同じ場所で過ごした人間たちも、時を経れば、みんなバラバラになってしまう。

例えば、その別れが、確固とした「死」とか大仰な「永遠の別れ」などによるものなら、まだしも納得できるだけの言い訳の逃げ道は残されているかもしれません。

しかし、つまらない成り行きが拗れ、気持ちが行き違い、気まずくなり、そして不本意に別れ別れになったとしても、少し離れた場所で、なおも何ごともなかったかのような顔をして別々に生きていかなければならないような人間の悲しい不条理に撃たれたのだと思います。

誰もが幸福になることを望みながらも、それぞれの思いが互いを深く傷つけ、別れ別れになり、そして、もはや修復することのできない痛手を負った家族や人間関係の不条理に撃たれたのだと思います。

多くの映画を見てきた者の先入観からすると、当然特別な役割をになわされているはずと考えてしまうであろう素子(麻生久美子)も、結局はその期待はあっけなく肩透かしをくわされる程度の普通の「尻軽のヤリマン女」でしかない設定も、「現実」を普通に生き続けていくことによってスレてしまう人間の残酷さを描く一貫性を示していてかえって心地よさを感じました。

現実を前にしたときの虚構の無力をこの吉田恵輔作品は描き出そうとしているのかもしれません。

閉ざされた塀の破れ目から咲子が垣間見たもの、そして流した涙が、「そのような現実」であったことを彼女がしっかりと認識していたことを感じることのできたシーンでした。

(2008「純喫茶磯辺」製作委員会、ムービーアイ・エンタテインメント)監督原作脚本編集:吉田恵輔、撮影:村上拓、照明:山田真也、録音:湯脇房雄、スタイリスト:小林純子
出演・宮迫博之、仲里依紗、濱田マリ、近藤春菜(ハリセンボン)、ダンカン、和田聰宏、ミッキー・カーチス、斎藤洋介、麻生久美子
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by sentence2307 | 2009-07-19 10:55 | 映画 | Comments(80)

サヨンの鐘

多くの解説書を読んでいると、清水宏監督という人の生涯やその人物像について、「豪放磊落」という言葉が、たびたび使われていることに気づかされます。

しかし、そんなふうに、あまりにも潔く、きっぱりと言い切られてしまうと、かえって物足りないというか言葉足らずの不満が残ってしまい、バランス的にもちょっとした説明的な言葉を付け足さなければならないのではないかという誘惑を感じます。

そうチラリと思った途端、「豪放磊落」などというその言葉自体何もかもを捻じ伏せてしまいそうでありながら、しかし実は隙だらけの安直な言葉を補足する単語が、次から次に湧き出てきました。

例えば、「孤立」とか「へそ曲がり」とか「独断的」とか。

「豪放磊落」という言葉を契機としてあふれ出してきたそれらの言葉は、清水宏監督という人が、自分からは決して体制や集団にオモネッたり協調したりしない(松竹から離れた後半生が、きっと「そう」でした)頑なな人物だったという印象を、僕も世間と同じようなレベルで共有していたのだなと気づかされます。

しかしそれに反して、社会や集団の側からすり寄ってくる分には(松竹における全盛期ですね)、一向に構わなかったという複雑な彼の感情の在り方なども、見過ごすことはできません。

このことは、一筋縄では理解できにくい清水宏という錯綜した人間性をよく表していると思いました。

いくらなんでも、そんなに単純なものではなかったかもしれませんが、一言でいえば、「孤独なお山の大将」だとか「自尊心の強い裸の王様」だとかいった感じなのでしょうか。

そういった天邪鬼みたいな印象を裏付けるタグイのエピソードなら、それこそ数限りなく聞いてきました。

この昭和18年7月に封切られた「サヨンの鐘」という作品をめぐる惨憺たるエピソードや、あるいは必ずしも芳しいわけではなかった作品の評価など、この偏屈な天才肌の奇人監督(そんなに酷く言わなくともいいかもしれませんが)を理解するうえでの強力なヒントになったと思います。

さて、「サヨンの鐘」という作品を知るためには、ちょっとした予備知識というか時代背景の理解が必要かもしれません。

これは、当時日本の植民地だった台湾で実際に起きた出来事を映画化した作品です。

出来事といっても、そんじょそこらの出来事とはワケが違います、軍国美談というヤツなのです(なんですか、「ヤツ」とは!とよく母親に叱られたものですが)。

山奥の台湾の子供たちの教育のために熱心に尽くしてきた日本人教師が出征することとなり、いよいよ軍隊に入るために山を下りようかという当日、運悪く物凄い豪雨となってしまいます。

地元の人たちは、こんな豪雨のときに下山するのは極めて危険であるから入隊する日を延期するがよろしかろうなどと忠告しますが、日本人青年の決意は固く、ニッポン男子たるもの、栄誉ある入隊の日を、こんな大雨くらいのことでタガえるわけにはいかんじゃないかと下山を決行します。

そこで出てくるのが高砂族の乙女たちです、敬愛する日本人恩師の難儀を見て、いまこそ日頃の恩に報いるときだと、彼の荷物運びを手伝います。

そして、その下山途中で、17歳の乙女サヨン・ハヨンが橋から足を滑らせ、激流に呑まれて落命するという事故が起こります。

このサヨンの死を報じた新聞は、
「サヨン・ハヨンのうら若き生命は、かうして恩師の首途の前に捧げられた。師を思う純情。国家の急に馳せ参ずる勇士へ示す赤心。そこには、サヨン・ハヨンが、17年の間、山に生まれ、山に育ちながら、日本国民として尊い誇りを片時も忘れなかったひたぶるな真心が香っている。」
と、サヨンの行為を称賛しました。

この記事によって、サヨンの事故が、戦時下の台湾における愛国乙女の死を賭した献身と祭り上げたことから、一挙に愛国美談として有名になりました(いつの時代でも新聞ていうヤツは、権力のお先棒を担いで、活字の暴力を総動員し、なんでもないフツーの人を英雄に仕立て上げたり殺人犯に仕立て上げたりしておいて、あとは知らん顔、そして最後には破滅していく人間の顛末をさらに逐一書きたて、そのデッチ上げと活字の暴力の自作自演による虚妄をネタに売り上げを伸ばしていくのが、なにしろ得意中の得意ですから。)。

当時、戦況逼迫の折から、切羽詰った軍部は台湾人の青年の徴兵を思いつき、昭和17年2月に志願兵制の実施に踏み切り、新聞もまた、それまで植民地の人間は入隊しても、せいぜい軍属にしかしてもらえず、正規の帝国軍人にはなれなかったのであり、このたびの志願兵制の実施によってお前ら無知で愚鈍な土人どもも日本臣民の最高栄誉たる大日本帝国軍人の一員になれる途がひらかれ、皇国臣民たる資格が名実共に実現されようとしているのだから有難く思えと書き立てて、軍部の大宣伝に一役買っています。

そして、ご丁寧にも、日本臣民になれるという栄誉に感謝し、感涙にむせぶ台湾人の無数の談話をこれ見よがしに掲載しています。

しかし、マスコミが露骨な大衆操作の意図をもって、マスコミ自身が「かくあれかし」と思う談話しか採用しないことは、今も昔も同じです。

誰が見ても明らかに不自然なこれほどの露骨な大宣伝が何故必要だったのかといえば、そこには根強い現地の抵抗運動の存在があり、日本の軍部がその鎮圧に手を焼いていたからに他ありません。

これだけの政治的な背景があって、軍国美談「サヨンの鐘」は、ついに清水宏監督によって作られました。

しかし、封切り当時の映画評は、どれも惨憺たるものでした。

それらの批評におけるどの1行にも、罵倒か揶揄か皮肉か嘲笑かの言葉が出てこないものがないくらいの几帳面さで記されているか、あるいは、「てにおは」を縦横に駆使して、罵倒と揶揄と皮肉と嘲笑を一挙に込めた見事な文章を書き上げた批評家もいました。

要は、愛国美談をこんなミュージカルくずれの出来損ないのただの恋愛映画とした、製作者の時局無視、総督府の意向無視への怒りと苛立ちの言葉が連ねられていたのでした。

たぶん清水宏監督の印象の前述した「孤立」とか「へそ曲がり」とか「独断的」とかは、こうした官製の(あるいは、会社や世間の)一方的なエピソードの積み重なりによって形成されているとしたら、逆にその作られたイメージをうかうか信用するわけにはいかないかもしれないという気持ちになってきました。

権力のあからさまな強要と、大勢に流される大衆に決して与することのなかった、これが清水宏なりの「天邪鬼」だったのかもしれません。

この軍国美談、クリント・イーストウッドだったら、どう撮るだろうという考えが、ふと脳裏をよぎりました。

(1943松竹下加茂撮影所・台湾総督府=満州映画協会)監督・清水宏、脚本・長瀬喜伴 牛田宏 斎藤寅四郎、撮影・猪飼助太郎、音楽・古賀政男、挿入歌・「サヨンの歌」、詩・西条八十、曲・古賀政男、唄・李香蘭「なつかしの蓄社」、唄・霧島昇 菊池章子「サヨンの鐘」、唄・渡辺はま子、美術・江坂実、装飾・井上常次郎、録音・妹尾芳三郎、編集・猪飼助太郎 斎藤寅四郎、衣裳・柴田鉄造、字幕・藤岡秀三郎
出演・李香蘭、近衛敏明、大山健二、若水絹子、島崎溌、中川健三、三村秀子、水原弘志、中村実、桜蕃社
1943.07.01 紅系 9巻 2,520m 92分 白黒
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by sentence2307 | 2009-07-13 21:20 | 映画 | Comments(3)

有りがたうさん

長い期間、名作といわれる作品の高い評判ばかり聞かされていても、その作品をいつまでも見る機会にめぐまれないでいると、自分のなかで妄想ばかりが膨らんで(逆に言えば「こうあってほいし」という期待感が増してしまい)、やがてその作品を実際に見てみた時には、膨れ上がった期待と現実のギャップの大きさに失望してしまうなんてことが、よくあります。

しかし、それは、勝手に妄想を肥大させた自分の方が悪いのであって、なにも作品自体が悪いわけではないのですが、でも、自分が培ったその「妄想」というヤツを、なんだか大事にしておきたいなという気分が、たぶん一種のパネになって、僕にこの「映画雑念ブログ」を書き続けさせている活力源になったのかもしれません。

しかし、まったくその逆のケースもあります。

僕が思い描いた予想など遥かに裏切って、予期せぬ感動に不意打ちされる場合です。

清水宏監督の「有りがたうさん」は、僕にとって、そういう作品でした。

いままでヨソからの「耳学問」だけで思い描いてきた「有りがたうさん」という作品が、どういう作品だったかといえば、都会へ身売りさせられていく村の貧しい娘を、若い運転手が、苦労して貯めた独立資金(シボレーのセコハンの購入資金です)を投げ打って救うという、いわばヒューマンなロードムービーだろうという認識でいました。

それはそれで間違っている認識ではなかったと思いますが、たぶん、そうした粗筋的な思い込みだけなら、清水宏のこの実験的な映画の試みの大方を見失ってしまうことになるという危惧を感じました。

この映画には、留まることのない流れが、「思想」そのもののように存在しているのだと思います。

バスの中にカメラを持ち込み、実際にバスを走らせながら、同じ車体の動きに身を任せる人々と、車窓を同じようにブレて流れ去る風景とが一体となる世界の、あわゆる同時的な存在を丸ごと映し込もうとする映像作家の強い意欲を感じます。

それは当時としては画期的な試みだったでしょうし、また、その意欲は、ドラマというよりも、おそらくドキュメンタリーの範疇に属する欲望かもしれませんが、「映画」というジャンルが宿命的に抱えている究極的な欲求であることは間違いないと思い当たりました。

「世界の法則」をほんの思いつきで突き止めてしまったみたいな安直さへの疚しさは当然ありますが、しかし、そのことを最も強く感じたのは、「有りがたうさん」をめぐる女性の描き方でした。

上原謙演じる若きバスの運転手「有りがたうさん」は、なるほど女性が放っておくわけのない滅茶苦茶なイケメンで、しかも誰にでも優しい善良な青年です(親切で男っぷりがいいときてるから、街道の娘っ子が騒ぐのも無理はないのです)。

街道を巡回する彼のバスには、多くの若い女性が親しげに声を掛け、頼みごとをし、あるいは、すがるようにして恋の思いを告白する場面も描かれています。

流れ者の酌婦(夭折した桑野通子の鋭い目つきが鮮烈な印象です。この年に阿部定事件が起こっていることを思えば、閉塞したこの時代の息詰るような雰囲気が分かるような気がしますし、彼女の投げやりな演技にリアル感が増してきます。)は、彼の運転するバスに乗るためにバスを一台遅らせて待っていたのだと思わせぶりに告げたり、追い抜く村娘からは町でレコードを買ってきてくれと頼まれたり、温泉町をめぐる芸人の踊り子たちに親しげに言付けを伝えながら、徐々に山懐深くに進み、金の採掘に囚われ娘ふたりを犠牲にした男を山の中で下ろしたり、朝鮮人工夫の群れを追い抜くあたりになると、娘たちに慕われるだけの「ありがとうさん」が見続けてきたものが、ただの軽快さではなく、重苦しいものであることが、更にこのあとの二つのシーンによって徐々に観客に伝えられます。

ひとつは、峠のトンネルの手前で小休止をしたとき、東京に売られていく娘と「有りがたうさん」は、初めて言葉を交わします。

「おっかさんは、一人きりになると淋しくなるだろうね。手紙だけは時々出して慰めてやるんだね。」

最初から始終うつむき続けていた娘は、ここではじめて、毅然として顔を上げ、ありがとうさんに語り掛けます。

「わたしの手紙、やっぱりこの乗り合いに乗せてもらえるのねえ。いつもありがとうさんの車だといいわねえ。あたし、ありがとうさんにも手紙出していいかしら。」

「いいとも、俺だって返事くらい書けるよ。」

「そお、じゃあきっと返事くれるわねえ。」

語らうそのふたりの様子を流れ者の酌婦・桑野通子は、遠くからじっと見つめています。

そして、ふたつめは、バスが追い抜いてきた朝鮮人工夫の群れから、バスを追って駆けて来た朝鮮人の娘との語らいの場面です。

この作品において白眉という言葉を当てはめるもっとも相応しいシーンがあるとすれば、おそらくこの朝鮮人労働者たちに向けられたシーン(当時にあっては、画期的なことだったと思います)以外にはありません。

「もうあそこの道路工事、終わったのかね。」

「ええ、今度は信州のトンネル工事。ありがとうさんとも、お別れだわ。」

「これからは、あっちは寒いだろうね。」

「あたし、ありがとうさんにお願いがあるの。あたし、お父さんを置いていくの。だからあそこを通るときは、お墓に水を撒いてお花を挿してあげてね。」

「そうそう、おとっつぁんは、死んだんだっけねえ。」

「あたし、あそこの道ができたら、一度日本の着物を着て、ありがとうさんの自動車に乗って通ってみたかったわ。でも、あたしたち自分でこしらえた道、一度も歩かずに、また道のない山奥へ行って道をこしらえるんだわ。」

ありがとうさんは話の矛先を逸らすように「駅までこれに乗ってったら。送ってやるよ。」と語りかけます。

しかし、疲れ切って山道を歩く朝鮮人同胞の姿を振り返り、朝鮮人工夫の娘は言います。

「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に。」

「そうかい、じゃ、さよなら。」

「お花と水、忘れないでね。さようなら」

トンネルを抜けて走り去っていくバスをいつまでも見送る朝鮮人の娘を、バスの中から身売りされようとしている娘が、じっと振り返って見続けています。

この過酷なシーンで清水宏がなにを言おうとしているのか、このあとに続く娘の「峠を越えると、もう遠くの国に来たような気がするわ。」という言葉を受けて、「有りがたうさん」が語るセリフに、序実に示されています。

「この秋になって、もう8人の娘がこの峠を越えたんだよ。製糸工場へ、紡績工場へ。それから、それから方々へ。俺は葬儀自動車の運転手になった方がよっぽど良かったと思うことがあるよ。峠を越えた女は、滅多に帰っちゃこないからね。」

このようにして、帰ってこない多くの娘たちを見送り遣り切れない思いを抱えた「ありがとうさん」だからこそ、都会に身売りされる目の前のひとりの娘をどうしても救いたいと思ったのだろうかという映画のこのラストに、自分としては少し違和感を覚えました。

確かに、この若き運転手は、あまりにも多くの悲惨を見すぎてきたかもしれません。

しかしまた、映画の冒頭で、道を譲る人たちに対して「ありがとう」を連発する若き運転手の示した「快活さ」が、すでに「悲惨な8人の娘」を既に見送ってきた後の、相も変らぬ「快活さ」であることも見過ごしにはできないような気がするのです。

「悲惨」と「快活」が彼のなかでは両立できる観念であり、この青年の快活さが、なにものにも影響を受けることのない強靭なもの、生来そなわった不屈の(「鈍感な」と言い換え得る「不屈さ」です)感性であることの証のような気がしました。

彼には、身売りされていく多くの娘たちの悲惨を勿論理解しながらも、同時に道の端に飛び去るニワトリに対して「ありがとう」と声に出して感謝することのできる感性をも持ち合わしている稀有なヒトなのです。

身売りという悲惨から救われた娘が、もし、救い主の「ありがとうさん」という青年に、自分の悲惨に対して共に涙を流してくれるに違いないという幻想を抱いているとしたら、近い将来、あるいは傷つくかもしれないなという危惧が、ふっと過ぎりました。

なぜ、そんな余計な考えが兆したかというと、あるサイトの書き込みを見ていたら、川端康成の原作の結末とこの映画の結末とが、どうも違うようなのですね。

「ありがとうさん」に娘が思いを寄せているらしいことを知った老母は、明日は売り物のカラダとなってしまい男たちの慰みものになるのだから、娘のためにも今夜、「ありがとうさん」に娘と一夜を共にしてくれないかという老母の申し出を諭されスゴスゴと引き下がるという結末だそうなのです。

しかし、そうあってもありがとうさんという「善良な好青年」の在り方は崩されていない、それでは面白くないと思いました。

好演した今は亡き上原謙には誠に申し訳ありませんが、ここはやはり天邪鬼の自分としては、「生来の鈍感さ」で考えたいと思います。

はたして原作がどうなっているのか、いまから楽しみなところです。

これがまあ僕の「妄想遊び」というヤツなのですが・・・。

「どっこい生きてる」など戦後の日本映画、とりわけ1950年代前半の独立プロ諸作品に対するイタリア・ネオレアリズモの濃密な影響が語られるとき、その反証のようにあげられる象徴的な作品として清水宏監督のこの1936年作品「有りがたうさん」があります。

イタリア・ネオレアリズモが隆盛を迎えるはるか以前、1930年代の日本映画は、すでに成熟したリアリズムが確立されており、多くの優れた成果をあげていたのだという論証です。

小津、成瀬、溝口の諸作品、それにこの「有りがたうさん」をはじめ「土」、「綴方教室」など、あるいはまた40年代に撮られた「馬」なども含めて、日本独自のリアリズムによって数々の傑出した成果をあげていたといわれています。

多分その解説には、こんなふうに記されていたかもしれません。

イタリア・ネオレアリズモの特徴だとされる貧しい階層にそそがれる共感、日常的な細やかな描写を通して特権階級や社会の諸矛盾に向けられた鋭い批判的リアリズムの視点を確立し、あるいは、地方性と長期ロケなど写実に徹したドキュメンタリー的性格は、既にこの清水宏の野心作「有りがたうさん」において達成されたと。

しかし、最近では更に、海外から、ヌーヴェルバーグ以前に作られた日本におけるヌーヴェルバーグ的作品としてどのような作品があるかと意見を求められたとき、まっさきにあげられた作品が「有りがたうさん」だったと聞いたことも記憶に新しいところです。

(1936松竹大船)監督脚本・清水宏、原作・川端康成、撮影・青木勇、音楽・堀内敬三、監督補助・沼波功雄、佐々木康、長島豊次郎、撮影補助・吉田勝亮、斎藤毅、森田俊保、撮影事務・田尻丈夫、編曲・篠田謹治、伴奏・松竹管弦楽団、小道具・井上恒太郎、録音、土橋晴夫、橋本要、音響効果・斎藤六三郎、配光・佐野広志、現像焼付・納所歳巳、阿部鉉太郎、衣裳・柴田鉄蔵、結髪・遠藤末子、自動車操作指導・武内秀治、村田均造、記録・前島一雄、字幕・藤岡秀三郎、
出演・上原謙、桑野通子、築地まゆみ、二葉かほる、山田長正、石山隆嗣、仲英之助、河村黎吉、忍節子、堺一二、河原侃二、青野清、金井光義、谷麗光 、小倉繁 、河井君枝、如月輝夫、利根川彰、桂木志郎、水上清子 、県秀介、高松栄子、久原良子、浪花友子、三上文江、小池政江、爆弾小僧、小牧和子、雲井つる子、和田登志子、長尾寛、京谷智恵子、水戸光子、末松孝行、池部鶴彦、飯島善太郎、藤松正太郎、葉山正雄、
1936.02.27 帝国館、丸の内松竹、新宿松竹館 10巻 2,152m 白黒 76分 
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by sentence2307 | 2009-07-05 12:31 | 映画 | Comments(134)