世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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緑の故郷

この作品は、以前、「日本映画専門チャンネル」で、「原節子特集」が企画された際に放映された作品のひとつだったことを思い出しました。

しかし、この作品が放映されたのが、いつのことだったのか、だいたいの見当さえはっきりとは思い出せないくらい相当前の出来事だったのか、それとも、「そんなこと、どうでもいいか」と無関心でいられるくらいに興味がなかったのか、いずれにしても、この明快な「忘れっぷり」は、すでに録画しようと思いついたときに、この作品そのものに左程関心がなかったことを証明してしまっているような気がします。

それに、録画したあとで、多くの作品のうちから、どの作品を見ようかという優勢順位みたいなものがあるとするなら、(僕だけでなく、多くの人がそうだと思いますが)それは当然、その作品自体の知名度とか話題性とか、あるいは監督の名声に惹かれるということになるのでしょうから、僕にとって明らかに「渡辺邦男」という監督に対する関心度の低さから、この「緑の故郷」という作品を後回しにし、あるいは、改めてこの作品を見てみようかと思い立たせるまでには、どうしても録画した日時や行為自体を忘れ去ってしまうくらいの時間を要したのは、多分仕方のないことだったかもしれません。

ですから、どのくらいの期待をもってこの「緑の故郷」という作品を見たのかと問われれば、明確な答えに窮するかもしれません。

たとえば、この作品を見て落胆しても(その可能性を前提にしていたかもしれません)、後々までひきずるような気持ちの負担にだけはならない程度の心積もりと軽さとをもって、この映画に対し、あるいはやり過ごそうとしていたことは容易に想像されます。

なにしろ渡辺邦男監督といえば、僕たちにとっては、どうしたって長年刷り込まれた確固たるイメージがあります。

東宝争議の際のスト破りとか、あの名だたる「明治天皇と日露大戦争」を監督したことに象徴される反共の旗手というあのイメージです。

そういう先入観とかイメージとかをもって「どうせ大した作品じゃあないだろう」ぐらいな「冷笑」的なスタンスでこの作品を見ていたことは認めなければなりませんが、しかし、この「象徴的」というイメージが、どうも「くせもの」なのだということを、実際の作品を見て、今回あらためて思い知りました。

この映画は、戦争が終わって戦場から帰還した復員兵が、ともに戦った戦友の死を、故郷の両親に告げに行こうとするところから始まっています。

しかし、息子の生還を信じ、楽しみに待っている老いた両親の前にいざ出ると、復員兵には、どうしても彼の死を告げることができません。

復員兵が村に来る途中でひとりの女教員に出会います。

原節子演じるその女教員の兄は、すでに北支で捕虜となっており、「生きて虜囚の辱めをうけず」の戦陣訓にあるとおり、一家は村民から非難と侮蔑にあって無視されて、村八分の状態にいます。

しかし、圧巻は、この映画のラストシーンにありました。

「農地改革」について話し合う村の寄り合いで、戦中から依然として村の権力を握っている有力者から、例によって捕虜になった兄のことを侮蔑的にねちねちと非難されることに対して、女教員・原節子は必死に兄のことを弁護します。

その場で復員兵は、女教員・原節子をかばって、立ち上がります。

大日本帝国軍隊の玉碎精神がいかに人間性を無視した無謀な教育であったかと演説する感動的な場面です。

戦争というものの痛切な実態は、内地で喧伝されていたような奇麗事では決してなく、いかに過酷なものであったかと説いたあとのシーン、寄り合いの場所における高揚を持続して、原野で原節子と語り合うクライマックスです。

彼は、戦友の死を老親に隠し通すことの疚しさに耐え切れず、女教員・原節子に、真実を告げるべきなのではないかと原節子に告げる場面です。

実は、戦友の死は単なる戦死ではなく、重傷を負い動けなくなったため、自決せよという戦陣訓のとおり、自分が手榴弾を渡して自決させた、この自分こそが、彼を殺した張本人だという負い目を持っています。

自決したこと、そして自分が手を貸したことを老親に告白するという彼を、女教師・原節子は押し留めます。

そんな残酷なことは言うべきではない、知らないでいることがいいことだってあるのだし、むしろ、あの老いた親たちの傍にいて慰めてあげることが、あなたにできる最良のことなのではないかと。

復員兵はその言葉に感動して、新らしい人間として生きていくことを宣言します。

とにかく、その部分が圧巻なので、再録せずにはいられません。

原「どうして、そんなにご覧になるの」(文にしてみると、随分カマトトぶった嫌味なセリフですが)

復員兵「まきさん(彼女の名前です)、僕は勇気をだそう。生まれ変わった積りでこれからの人生を生きていこう。こんな戦争のために家を失い、肉親も失い、一時は思想まで失った敗残の一兵卒でした。だからこれからは、失ったものの何倍かのものが得られそうだ。僕の背中の暗いものは今日この場限り、きれいさっぱり棄てる。僕はこの両手で光を摑む(なんだか、このあたりから、調子がおかしくなってきますが)、平和と希望にキラキラと輝く希望をしっかりと握り締める。握り締めたら、僕はもう話さない(バーゲンセールのおばさんみたいなことを言ってます)。僕はもう決して後ろを振り返らない(高村光太郎もそうでした)。僕は進む。」

言い終わり方がなんだか少しおかしいような気がしますが、すかさず入る原節子のセリフだって、前後のつながりを無視して相当唐突ではあります。

原「ここを一面の耕地にするのだわ(「するのだわ」の語調は、とても奇妙に響く分だけ魅力的でもあります。いまどきの人で、こんな言い方をする人は、まずいないでしょうしね。)。小作農だった私たちは(このサナカにあっても、さすが原節子、ちゃんと「わたくしたち」と言っていました)自分の土地を持つんだわ。そしてこの土地にはトラクターが走り回るんだわ。おたがいに都会だとか農村だとかっていって、憎みあったりなんかしたくないわ。いがみあったり、殴りあったりなんかしたくないわ(原節子が言うにしては「殴りあったり」はいかにも変ですが、何度聞き返してもそうとしか聞きとれません)。そういうニッポンにしていきましょうよ。」

復員兵「ええ、まず自分たちの村から、やっていかなくちゃあ。」

原「自分たちの村? あなたは村にいてくださるのね。」

復員兵「僕はきっと村の役にたつ。」

原「うれしいわ。兄さんもどんなに喜ぶでしょう。あの優しい兄さん、あの優しい兄さん。ご苦労様(まさに「桜の園」ですね)。戦争なんて言葉、なくしましょうね(って、現実では、すぐに思い出さなければならない事態が持ち上がります)。」

こんなふうに、戦争直後の、まだ混濁していないで済んでいた民主主義の理想が、とうとうと語られていきます。

しかし、職人・渡辺邦男ともあろうテダレが、こんなにも青臭い甘々な理想を大真面目に宣言しようとは、少し意外でした。

でも、よく考えてみれば、この時期、占領軍の指導のもとでこの手の啓蒙映画がワンサと作られたわけですから、これはまあひとつのトレンドたったわけで、しかし一方では、「作らされました」というものまであったこともそれなりに確かでしょうから、自発性と占領軍=権力側からの要請の間において実に多くの作品が作られたなかで、この渡辺邦男作品「緑の故郷」の立ち居地を考えるのも面白いと思いました。

この「緑の故郷」が撮られた1946年という年には、ほかにも実に多くの民主主義の啓蒙映画が発表されています。

例えば隠遁物資の横流しの摘発と土地解放の民衆デモを描いた斎藤寅次郎の「東京五人男」、例えば戦時中の自由主義者の弾圧と軍人の横暴を描いた木下恵介の「大曽根家の朝」、例えば女性の人権の主張を描いた溝口健二の「女性の勝利」、例えば軍需産業の資本家を告発した今井正の「民衆の敵」、例えば反戦活動家への弾圧を描いた楠田清の「命ある限り」、そして軍国主義の歩みを描いた亀井文夫の「日本の悲劇」などですが、たとえばこれらの啓蒙映画の一本として、この「緑の故郷」をもこれらの作品群と同列に位置づけられるか考えてみました。

ためしに、こんなふうな言い方ができるだろうかと。

「この作品は、渡辺邦男にとっての「わが青春に悔いなし」いえるだろうかと。

しかし、こう言い切ってしまうと、この映画が描いているような「民主主義」を当の渡辺邦男自身が本気で信じていたかどうかはきわめて疑わしいところだという気がしてきました。

ちょっと前までは、強いられて戦意高揚映画を撮ったように、たまたま今日は民主主義啓蒙映画を撮っているにすぎない、と考えたのではないか。

多くの芸術家肌の巨匠たちの豹変ぶりを横目で見ながら、映画職人・渡辺邦男は、単にトレンドを模倣しただけで、別に「民主主義」を心の底から信じたわけてはない、その必要もなかったのだと思います。時勢の要請がありさえすれば、いかなるものでもナンナク撮ったのだと思います。

そして、その延長線上に「明治天皇と日露大戦争」が位置したとしても、何の不思議も違和感もありません。

なにしろ、渡辺邦男こそは、与えられた素材は、どのようにでもこなすことのできるテダレの映画職人だったのですから。

目の前を去来した多種多様な思想を、渡辺邦男がどこまで本気で信じていたかはともかく、小学校しか出ていない(と言われ続けた)渡辺邦男の根底には、かつて「芸術映画を撮りたい」といって池永浩久所長から「お前などは、夜店でも売っているような安物のステッキみたいな映画を撮っておればええ」と一喝され、自分の「分」を悟った彼のルーツにつなげて、そのことを考えてみたいと思いました。

(1946東宝)製作・伊藤武郎、監督・渡辺邦男、脚本・八木隆一郎、撮影・川村清衛、音楽・伊藤昇、美術・小川一夫、録音・岡崎三千雄 宮崎正信、照明・田畑正一、
出演・黒川弥太郎、原節子、進藤英太郎、中北千枝子、菅井一郎、小杉義男、英百合子、田中春男、藤間房子、光一、矢の島ひで子、花澤徳衛、三田國夫、一條眞一郎、望月明、落合富子、石田鉱、篠原實、小森敏、高松政雄、伊東健、米倉勇、伊達満、小柳久子、豊原みのり、

1946.02.28 10巻 2,380m 白黒
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by sentence2307 | 2010-02-13 11:54 | 映画 | Comments(1)