世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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君美しく

このところWOWOWで中村登監督特集として、幾つかの作品を放映していたので、録画しておいたのを休みに少しずつ見ています。

まず最初に見たのは、1955年製作の「君美しく」でした。

太平洋戦争で一家の大黒柱の父親が戦死したあと、つづいて長男も戦死し、男手を失った一家が、苦難の戦後を生き抜くという家族の物語です。

戦死した長男は、長女に「老母と幼い弟妹たちのことを、よろしく頼む」と、家族の行く末を託した遺書を残しています。

まだ19歳かそこらの長女には、その兄の残した言葉は、あまりにも重くのしかかりますが、責任感の強い長女は、「若い娘」でいることを捨てて、家族のために懸命に働きます。

しかし、当然ながら、その懸命さが彼女に余裕を失わせ、余裕の無いその厳しさが、弟妹との間に、いつしか溝を作り、息詰まるような渇々の生活のなかで、弟との関係にさらに深刻な亀裂を生じさせていきます。

弟には、兄の死を知った当日ひそかに着飾る姉の秘密の背信行為を垣間見て不信感を抱いたという記憶があり(最後に姉の口から、それは家族のために「青春」を捨てる彼女なりの決意の儀式だったことが明かされますが)、そのために姉とどうしても融和できず、だから姉のその口うるささ・厳しさにますます反撥して、そむくことになっていきました。

妹もまた、出征したのちにずっと連絡がとれなかったむかしの姉の意中の人・国友(日航の操縦士として彼女の前に現れます)と、成り行きから婚約したことを知らされ、姉は愕然とします。

これだけ家族のために尽くしてきた代償として、弟の反撥と妹の裏切りにあった長女は、ひとり家族を支えなければならなかった責任の重圧と、経済的にも追い詰められ婚期も逸してしまった過酷な生活に耐えてきた意味のむなしさを自問します。

亡兄の遺児のためにひそかに援助をし続けるなど、家族のために自分の人生を犠牲にしてきた代償のむなしさと焦燥感に苛立つ長女を好演しているのは、淡島千景です。

この作品の次に撮られる「夫婦善哉」と、その翌年に撮られることとなる小津監督の「早春」を思い合わせてみれば、洗練された目を持つ監督たちが、思い描いた淡島千景という女優から受けるインスピレーションというかイメージみたいなものが、なんだか分かるような気がします。

「夫婦善哉」からは、婚期を逸した幸薄い中年女が、やっとめぐりあった男に寄せる執着のごとき濃い情愛の、しかし、それだけに突けば崩れてしまいそうな脆さも感じますし、「早春」には、夫の浮気によって、愛する者に従順であろうとする思いを裏切られた屈辱感に対しても、背をぴんと伸ばして毅然として立ち向かおうとする誇り高い女の強さも感じます。

しかし、それらは決して矛盾したものではなく、おそらくひとつながりのものなのであって、そのどちらにも共通しているものは、縋りつこうとする男からは皮肉にも決して癒されることない虚無感と、底深い女の孤独です。

弟・俊二を演じたのは高橋貞二、将来を嘱望されながら飲酒運転による自動車事故で早世した松竹の、佐田啓二と並び称された若手俳優でした。

奇しくも、佐田啓二も自動車事故で亡くなっていますが。

高橋貞二は、小津監督の作品にもよく起用されていて、早すぎるその死を、小津監督がさかんに残念がっていたという記述をどこかで読んだことがあります。

それから、俊二の部屋の向かいに住むバーの女給を演じているのは岸恵子。

「早春」において、妻・淡島千景が、夫・池部良をめぐって対決する愛人役として出演していていますが、この作品の後半でも、ほんのチラリと描かれている女の対決を見ていると、映画監督たる者、持ち味のまるで違うこのふたりの女優をモロに対決させて、演技の火花を散らさせてみたくなる誘惑を感じるのかもしれませんね、

毅然として誇り高く生きてきた潔癖な女・淡島千景に対して、岸恵子は、世なれたバーの女給を演じています。

いまどき、「女給」などという言い方は、多分死語になっているかもしれませんが、しかし、ここに登場する女たち(桂木洋子も含めて)の、悲惨な境遇のなかで水商売に入るしかなかった彼女たちの、まるで社会の蔑みにいどむように肩を怒らせて生きる虚無と、そのなげやりな感じには、いかにも「女給」という言葉こそがふさわしい、と感じました。

さて、険悪になり、煮詰まった兄弟間の調停役(むしろ、救世主といったほうがふさわしいと思います)として登場するのが、長女がむかしひそかに思いを寄せていた兄の後輩・現在は日航の操縦士をしている国友サンです。

彼は、失職した弟には安定した空港の整備の仕事を紹介してあげたり(ただし、入社10日くらいで、旅客機のエンジンルームの蓋を開けて、なにやらネジをさかんに回しているシーンがありました。入社早々の新入りにあんなことをさせて、それで日航機が墜落したのではないかと、ちょっと不安になりました)、そして、妹には1000人に10人とかいう競争率のスチュワーデスになる世話をやいています。

いまでこそ、大きすぎて潰せない地に落ちた国民のお荷物会社ですが、当時にあっては、日航の操縦士というのがいかにオールマイティで、絶大な職業であったかが分かろうというものですよね。

それから、かつての思い人、淡島千景には、なにをしてあげたのか、と考えてみたのですが、皮肉にも、結果的には、彼女から「すべてを奪った」としか思えませんでした。

憧れの職業・スチュワーデスになった妹と、かつての思い人で結局は裏切ったカタチの操縦士・国友サンを乗せた羽田空港を飛び立つ飛行機を見送りながら、姉・淡島千景が考え深げに終わるラストシーンに、もしマジで突込みをいれるとしたら、この映画は根本的なところで総崩れになるかもしれません。

しかし、それにしても、小津作品でも見かける役者たちが、この作品においては、同一人物かと目を疑ってしまうくらい、その表情の精彩のなさには、ちょっと驚かされてしまいました。

気品の欠けた淡島千景をはじめ、岸惠子や北龍二など、その生気をなくした表情からは、どう見ても別人としか思えず、思わず乗り出して見直してしまったくらいです。

(1955松竹大船)監督・中村登、製作・山口松三郎、脚色・井手雅人、瀬川昌治、原作・田井洋子、佐々木恵美子、撮影・生方敏夫、美術・浜田辰雄、照明・小泉喜代司、音楽・古関裕而、録音・大村三郎、
出演・淡島千景、高橋貞二、野添ひとみ、浦辺粂子、桂木洋子、菅佐原英一、岸惠子、船山裕二、日守新一、水上令子、松山恒夫、北龍二、永井達郎、末永功、竹田法一、南郷佑児、春日千里、
1955.12.28 9巻 2,522m 白黒
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by sentence2307 | 2010-09-26 08:03 | 映画 | Comments(1)

北林谷栄のこと

最近とみに、テレビをつけたまま、居眠りしていることが多いらしく(これがなんとも気持ちよく、うたた寝は、もちろん自分自身でも十分に自覚していたことですから、正直なところ、放って置いてほしいというのが本音だったのですが)、そのうたた寝を家人から指摘されたとき、思わず「寝てない」と頑なに否定したら、それ以来、こちらが気持ちよく居眠りしかけているところを、絶妙なタイミングで突っつかれて起こされます。

なんだか老いたトルストイになったような悲惨な心持です、家人のその所業の理不尽さは、ホント納得できないのですが、こちらとても非がないわけじゃないので引っ込みもつかず、なんだか強情者同士の意地の張り合いみたいになってしまいました。

しかし、本当に責められるべきは、居眠りさせてしまうような退屈な番組しか提供できないテレビ局の方にあるのではないかと、なんだか釈然としない気持ちもあります。

まあ、そんなふうに思わなければ、気持ちの持って行き場がないというのもあるかもしれません。

それに、常日頃、見てもいないのにテレビをつけっぱなしにしておくという悪い癖もあるので、コチラとしても、家人の暴挙をことさらに非難して、この些細な家庭争議を拡大させようなんて気は毛頭ありません。

こだわってグズグスとゴネていたら、それこそ日頃のだらしなさの方を指弾されるという好ましからざる事態を招来し、どう考えても当方に得策ではないことは明らかですので、そこのところは適当に和睦に持ち込むということで治めています。

そんな感じで、先日、ウトウトと居眠りしながら、耳だけでぼんやり聞いていた番組がありました。

なんだか、北林谷栄がインタビューに受け答えしている番組です。

あの独特のしゃがれ声は、ベティ・デイビスの吹き替えでむかしから慣れ親しんできた声です。

夢うつつながらも、北林谷栄は、今年だったかに、たしか亡くなったよなあ、などとぼんやり考えながら、ときどきは、薄目を開けたりして、ぼんやりと眺めたり、聞いたりしているうちに、いつの間にか眠ってしまいました。

そして、例のように家人に突っつかれてムゲに起こされ、仕方なく、なにやかやの家事仕事をしぶしぶ手伝い、いつもながらの夕食も終えたころになって、不意に、その夢うつつの中で、ぼんやり聞いていた番組のことが、鮮明によみがえってきました。

そこには、北林谷栄が出演していた映画「阿弥陀堂だより」2002の一場面や、「楢山節考」をもとに芝居にしたような一場面も紹介されていました。

それと、その合い間に、北林谷栄に対するインタビューの場面(そこまでが、古い番組みたいです)が挿入され、それを受けて現在スタジオにいるゲストがコメントするというものでした。

北林谷栄がインタビューに答えている時点と、ゲストがコメントしている時とのあいだに、どれだけの時間の開きがあるのか、まるで見当もつきませんが、北林谷栄のコメントに対して、見ている方が気恥ずかしくなるくらい褒めちぎる大仰さ、節操のないワザとらしさや、薄っぺらな当たり障りのない内容からして、北林谷栄とコメンテイターとの間には、生死の境という決定的な溝が穿たれているのだろうなということは、容易に察せられました。

あの番組が、どういう番組だったのか、知らずにはいられなく、すぐさまインターネットで検索しました。

分かりました、分かりました。

9月19日(日曜日)午後1時35分から2時45分にかけて放送された70分の番組「日本のおばあさん役者・北林谷栄の世界」という番組でした。

ゲストは、作家の佐江衆一とシンガーソングライターの植村花菜、キャスターはアナウンサー桜井洋子。

僕が気になっていたのは、桜井アナウンサーが、ゲストたちに、「なぜ、北林谷栄さんは、おばあさん役ばかりなさったとお思いですか」と問い掛けた部分です。

思い返してみれば、この何気ない質問は、北林谷栄という女優の人生の根源を問うような途轍もなく重要な質問です。

なぜ北林谷栄は、おばあさん役ばかりを演じたのか、その問いに対してあのゲストたちが、どのように答えたのか、あるいはまた、古い番組のなかで北林谷栄自身が、その重要な問いに答えていたのかどうか、残念ながら、自分は、そこでも居眠りをしていて聞き漏らすという体たらくを遣らかしています、あるいは、ゲストたちの相も変らぬ月並みな回答に失望し、さらなる退屈さを増す結果となり、抵抗しがたい眠りに落ちていったというケースも考えられないわけではありません。

すくなくとも「びっくりして目が覚めた」というような答ではなかったことだけは、確かだったのではないかと思います。

「なぜ北林谷栄は、おばあさん役ばかりを演じたのか」という疑問は、数日間、僕の頭の中を駆け巡り続けました。

たしか番組のなかでも、北林谷栄は、お婆さん子で、身近にそうした格好の教材があったので演じ易かったのではないか、みたいなことをいっていたような気がします。

しかし、身近に教材があったというだけでは、北林谷栄が生涯老婆役に固執した特異な女優の一生を説明するには、とても説得力のある理由とはいえません。

こんなふうに、いろいろと考えているうちに、jmdbの北林谷栄出演作一覧表に彼女の映画出演作の2番目の作品として成瀬巳喜男の「白い野獣」1950の記載を見つけました。

婦人補導院に収容された三浦光子を相手に、街娼同士お互いの髪の毛を引きむしる大立ち回りを演じたのが、なんと北林谷栄だったのを知って、思わずのけぞってしまったのを鮮明に覚えています(のけぞったのは、おそらく、その若さに対してではなく、彼女が「若さ」を演じた時期があったことに対してでした。)。

たぶん、あの映画でも、彼女は、その役を一生懸命に演じていたに違いないのでしょうが、その印象は、彼女の懸命さほどには伝わらず、猛り狂えば狂うほど、きわめて凡庸にして希薄、たぶん誰が演じても、あのくらいには演じられるだろうなと思える程度の低調なものだったように記憶しています。

それに比べたら、後年の「原爆の子」「ビルマの竪琴」「オモニと少年」「キクとイサム」「にあんちゃん」「キューポラのある街」など、老婆を演じた彼女の強烈な印象は、あの「白い野獣」の比ではありません。

「白い野獣」から「原爆の子」に至るまでの時間差は、なんとたったの2年、「にあんちゃん」までですら、9年にすぎません。

つまり、「白い野獣」と「原爆の子」「にあんちゃん」のあいだにこそ北林谷栄の答えがあるということなのだと思います。

「白い野獣」において街娼を演じた彼女は、演じれば演じるほど演技が空回りし、行き詰まりと限界を感じているのではないかというのが、そのときの僕の印象でした。

そこには、女であること、若いこと、その満たされない欲望を体全体でぶつかって演技したとしても、ますます凡庸で希薄な表現にしかならない限界を感じたに違いないという印象です。

そして、ここからは、僕の単なる想像にすぎませんが、北林谷栄は、そのとき、こんなふうに感じたのではないかと思います、自分の演技がどこまでいっても「希薄」なものにすぎないのなら、その「希薄さ」をこそ観客にリアルと感じさせる演技をすればいいのではないか、自分に足りない「女らしさ」や「若さ」や「欲望表現」をすべて否定し失わせたうえでのリアルな存在として、そこに「老婆」を演じるという線が見えてきたのではないか(身近にいた祖母の存在が、そのとき始めてヒントになったかもしれません)と想像してみました。

彼女のなかでは、それくらい驚異的な大転回が行われたに違いないと思いました。
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by sentence2307 | 2010-09-23 23:07 | 映画 | Comments(2)

ハルフウエイ

この映画を見たあと、すぐに素朴な疑問にとらわれました。

どうしてヒロ(北乃きいが演じています)は、シュウ(岡田将生が演じています)に対して、あんなにも我侭を押し通すことができたのだろうか。

そして、また、シュウにしても、なんで、あそこまで、ヒロの我侭に対して従順であろうとしたのだろうかと、そこらあたりが自分としては、どう考えても不可解で理解できませんでした。

シュウは、まるで、ヒロの我侭のすべてを、限りなく許してしまおうとしているみたいな印象です。

どうして彼は、あんなにもヒロに譲歩しなければならないのか、そうしなければならないような、なにか「負い目」とか「引け目」みたいなものでもあったのだろうかと、二度目はそのあたりを注意して見直した積りでしたが、それらしい葛藤など、この映画のどこにも描き込まれてはいませんでした。

普通に考えてみても、相手への愛情の証しに自分の進路を変えるなんて、相当な負の理由でもなければ、到底考えられるわけがないとしか思えません。

なにしろ大切な自分の将来が掛かった志望校の選択です、それをタカが恋のために変えてしまおうなんて、ちょっと考えづらい、フツーならできるわけないじゃないですか。

オヤジ的発想からいえば、例えばカラダの関係ができてしまったからとか? まさかね。

でも、それくらいでなければ、自分などは到底納得できない、とまあ、こんなケガラワシイ発想しかできないこのワタクシをどうぞお許しくださいナンテネ。

とにかく、そこまでじゃないにしても、このヒロの「我侭」とシュウの「従順」との関係は、やっぱり僕にとっては相当に謎で、不自然で、理解できなくて、尋常じゃないし、なにしろ、大切な自分の進路と愛情を天秤に掛けて、愛情の方を選ぶなんて・・・とここまで書いてきて、
思わず「あっ!」と叫んでしまいました。

「これってだから、ラブストーリーだったのか」

へんな納得の仕方をしてしまいました。

誰からのものであろうと、どんなものであろうと、愛情なんて名の付くものには一切無縁で、だからまるっきり信じてない自分が、これでバレバレになってしまいましたが、もともと愛情なんてハナから信用してないのですから、自分としても彼らの執着が理解できなかったのも当然というわけだったのです、別に開き直るわけじゃありませんが、我ながら十分に納得がいきました。

ただこんな胴体着陸みたいなオチで、この映画感想文を締め括ってしまっては、ミも蓋もありませんから、もう少しゴネてみようかと思います。

オヤジの自分には、この恋人たちの根拠の無い不自然な主従関係が到底理解できない、というところまで書きました。

しかし、親密になった男女間というものは、お互いの気持ちを確かめるために、ときには無理難題を持ち掛けあったり、それに対して相手の媚びのような従順さを改めて確かめて楽しんだりと、それはまるで性的前技のようなもので、それって一種の愛情表現のマナーみたいなものらしいのですが、不運にしていままで桃色系の経験に恵まれなかったせいか、そういう男女間の駆け引きの微妙なアヤみたいな?その辺のところが、もうひとつよく分からない、不運な境遇にあった残念な自分には、どうしてもそこのところ(ヒロVSシュウのじゃれあいの部分)が理解できなかったのだと思います。

悩みに悩んだすえに、この素朴な疑問を友人にナニゲに投げ掛けてみました。

答え「女も女だけど、そりゃあ男のほうが輪を掛けて優柔不断だったということだったんじゃない、だからドジ踏んで、さらにドツボに嵌っちゃったんじゃないの。最近多いよ、そういうの」ときっぱり断言され、まるで取り合ってもらえませんでした。

しかし、シュウが、ヒロに自分から終始東京行きを告げなかった理由を、その優柔不断さだけをもってして説明ができるのか、という疑問はずっと残りました。

もちろん「否定的」にです。

とにかく、シュウの不実(そう見えました)が原因で、このたどたどしくぎこちない恋人たちのあいだに、小さなサザナミというか亀裂が生じ、やがて別れる別れないのヒト騒動が持ち上がったわけですから、「なぜシュウは東京行きをヒロに話さなかったのか」という疑問の探求は、この映画を理解するうえで、とても重要な要点整理となるに違いないと思いました。

「付き合って欲しい」とシュウがヒロに告白したとき、なぜシュウは、同時に早稲田大学を受験すること(そのことの延長には、彼女を残して東京へ行こうとしていること)をヒロに告げなかったのか、ヒロが彼のその行為(不作為なので、あえていえば「不行為」とでもいうべきでしょうか)に対して不安に揺れ、ましてや、その事実を、ヒロは、シュウからではなく、彼の友人を通して始めて知ったのですから、彼の不実に憤慨し、彼に向けられた怒りは何十倍にも膨れ上がったというのは、彼女にしてみれば至極当然のことだったと思います。

しかし、ここでよく考えてみなければならないことがあります。

この付き合いの本当の発端が、シュウの告白から始まったわけでないことを、観客は十分に知らされているということです。

例の土手道で彼が彼女に告白する以前に、シュウは保健室で偶然、ヒロが自分のことを好きで、まさにその当日にも、彼女が自分に告白するらしい決意を口走っている場面に遭遇しています。

もちろん、ヒロの方は「知られてしまっている」ことなど、まるで気がついていません。

その辺の事情をすでに知っている観客にとっては、土手の道で、なかなか告白することのできないでいるヒロに代わって、いちはやく(というか、むしろ「業を煮やして」)告白してしまうシュウが、「真正の告白者」でなく、うまく言い出せないでいる彼女に代わって告白してあげた、いわば単なる代弁者にすぎないことは、周知の事実というところだと思います。

だから、自分に告白し、付き合う前に「早稲田大学行き」のことを話そうとしなかったシュウの不実を憤慨するヒロの怒りは、少し違うかなと。

あの土手の場面では、シュウは、既にヒロの気持ちのすべてを分かっていたから、あえて彼女に告白する負い目を持たせないために、いち早く自分が告白する側に廻ったにすぎなかったように、彼女に負い目を持たせないために、東京行きを話さなかったのではないかと思います。

確かに、シュウが東京行きを彼女に告げなかったのは、ヒロの思い・ヒロの気持ちを傷つけまいとして、その時点ではまだヒロへの思いがそれほどではなく、ゆくゆくは穏便に別れようと思っていたということは十分に考えられます。

しかし、たとえそれがヒロの勘違いから始まったことであっても、シュウの不実をなじる彼女の気持ちのひたむきさに向かい合う過程で、シュウのヒロへの気持ちも徐々に深まっていったのだと思います。

ただ、その愛情のカタチをいえば、終始「同情」の要素のとても強いものだったには違いないだろうという印象は受けました。

ラストシーン、東京へ向けて旅立つシュウを、ヒロはひとりホームにたたずんで見送ります。

それはまるで「置き去りにされた女」という印象です。

このラストシーンを見ながら、なぜだか、しきりに浦山桐郎の「私が棄てた女」が連想されてなりませんでした。

出世していく男の躊躇と贖罪、そして置き去りにされ忘れられる女の哀しみ、溝口健二の作品にも、ちょうどそんな映画があったのを思い出しました。

(2009シネカノン、幻冬社、ロックウェルアイズ)製作総指揮・岩井俊二、小林武史、監督・脚本:北川悦吏子、製作・李鳳宇、見城徹、岩井俊二、撮影・角田真一、美術・柘植万知、音楽・小林武史、編集・北川悦吏子、岩井俊二、主題歌・Salyu「HALFWAY」
出演:北乃きい、岡田将生、仲里依紗、溝端淳平、成宮寛貴、白石美帆、大沢たかお、
2009.2.21
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by sentence2307 | 2010-09-19 09:14 | 映画 | Comments(984)

箱根風雲録

ときおり、映画を集中的に見始めた頃のことを思い出しては、ひとり顔が赤らむ思いに駆られます。

昼夜ぶっ通しで映画館に入り浸り、見た映画の本数なら誰にも負けないと豪語していた怖いもの知らずの傲慢な頃のことです。

思い出すだけでも、顔から火が出るような身の縮む思いがします。

ただ平穏に移ろうだけの日常に苛立ち、もって行き場のない鬱積と憤りを、ただ映画を見るということだけにぶつけていたその頃、知識の裏づけもなく誰彼構わず無茶苦茶な議論を、まるで言い掛かりのように仕掛けて、喧嘩をせずにはすまない居たたまれない思いを持て余しながら、あてどなく彷徨していたちょうどその時期と重なるかもしれません。

いま思えば、そんな自分の傲慢さによって、どれだけの人たちを傷つけ、そして、どれだけの友人を失ったか、考えるだけでぞっとしますし、申し訳なさと、あまりに世間知らずだった自分の傲慢さと無謀さにひとり赤面し、後悔に駆られ、遅すぎた冷や汗をひとりかいているという始末です。

その報いとして、当然のことながら、どんどん孤立を深めざるを得なかったわけですが、当時の自分としては、それとても「望むところだ」くらいにしか考えていなかったに違いありません。

なんという傲慢、なんという厚顔、これぞ「断腸の思い」と呼ぶにふさわしい・・・などというレベルにも届かない、身を切られるような恥ずかしさ、顔を上げていられないような自己嫌悪に駆られる今日この頃です。

しかし、そんななかでも副産物がなかったわけじゃありません(やれやれ、まだ全然反省していません)。

あのとき連発して、きっと多くの人の失笑をかったに違いない「裏づけの無い無茶苦茶な仮説」のなかに、いま思い返すと、俺の直感も決して捨てたものじゃないなと思えるものもありました。

そのひとつが、この山本薩夫監督の「箱根風雲録」と、黒澤明監督の「七人の侍」との比較した関係性の指摘です。

そのとき、もう少し自分が冷静で周囲を見るだけの余裕があったら、僕の話に耳を傾ける多くの映画マニアの、遠慮深いため息や、さりげない失笑を相手の表情から読み取ることができたかもしれません。

映画史の常識を知る者なら、山本薩夫の「箱根風雲録」と、黒澤明の「七人の侍」を比較したり結びつけて考えたりする無謀を口にするはずもなく、見当違いもはなはだしい、検討の余地などアルワケないと断じられたに違いなかったでしょう。

山本薩夫はご存知「真っ赤っか」の映画監督だし、黒澤明はその手の思想性を嫌悪してはっきりと距離をとるエンタテインメントを目指した世界の巨匠なのですから、比較する方がドダイ無理な話なのであって、全然ハタケが違うじゃないか、ソンナモノただの思い付きにすぎないじゃないかと一蹴されても仕方なかったと思います。

確かに、「箱根風雲録」と「七人の侍」との比較論は、ただ単にシチュエーションの共通性から思い付いただけの無謀な仮定にすぎなかったのかもしれません。

しかし、あるとき「日本映画専門チャンネル」で黒澤監督のインタビュー番組を見ていて、黒澤監督が東宝の助監督時代を回想しながら、山本薩夫監督のことを「さっちゃん」と愛称で呼んでいるのを耳にしました。

大袈裟にいえば、これは従来からの自分の思い込みを一挙に覆す驚天動地の出来事でした。

映画を数多く見、各監督それぞれの思想性やその立ち位置みたいなものを知れば知るほど、山本薩夫と黒澤明とに接点などあるわけがないという確信が兆していた矢先のことでしたから、そのときの黒澤監督の懐かしげに「さっちゃん」と呼んだ述懐の場面は、僕の中で完成しかけていた「映画監督思想相関図」を混乱させ、深刻な懐疑をもたらし、そして潰えさせた一瞬だったといえる出来事でした。

そして、その瞬間、単なる妄想と思い掛けていたあの「箱根風雲録」と「七人の侍」を関係付けが、それこそ一瞬のうちに現実味を帯び、復権したのだと思います(製作年度からいえば、正確には「箱根風雲録」の「七人の侍」に対する影響とでもいうべきかもしれません)。

改めて山本薩夫の「箱根風雲録」1951と黒澤明の「七人の侍」1954におけるシチュエーションの共通性を考えてみると、そこにはとても大きな違いがあることに気がつきます。

「箱根風雲録」は、一町人が水不足に苦しむ貧しい農民のために山を貫通させるという灌漑工事を企て、そして農民とともに力を合わせて難工事を成し遂げる物語です。

物語の始めに据えられているもの、企画されたその事業計画を支えている動機はといえば、灌漑によって新たに多くの水田が開かれ、それによって見込まれる「巨額な利益」です。

やがて、その「我欲」に根ざした動機を悔いて、農民たちの前にひれ伏し民衆への奉仕に目覚めるというこの手の映画によく見られる思想開眼映画の常套手段とはいえ、その事業の動機が、決して「正義感」からではないこと、見え透いた「浅はかな欲望」にあるところに、この映画が「七人の侍」とは到底違う「大人の部分」を心憎いばかりに持ち合わせている(かに見える)巧妙の計算に感心させられるかもしれません。

また、幕府の権力者たちでさえも成功させることができなかったこの難工事を、たかが一町人が農民の支持を得て挑むこと自体、ましてや成功などされてしまってはその面目は丸潰れ、権力の威信に関わるという権力者の切実な危機感が、その背景に更に描かれていて、映画好きの誰が見ても、これは映画における完璧なシチュエーションといわないわけにはいきません。

しかし、このような完璧な手練手管を尽くした作品構成の巧妙さによって、はたして「箱根風雲録」が「七人の侍」よりも観客を感動させることができたかといえば、やはりそれは映画史において退けられたという事実を認めないわけにはいかないでしょう。

それなら何故、この完璧なシチュエーションだったはずの作品が、観客を感動させることが出来なかったのか、考えさせられてしまいました。

しかし、そんなことは、考えるまでもありません。

「七人の侍」において最も顕著なのは、侍たちの劣らず、「農民たちの顔が、ひとりひとり明確に識別できる作品」だったということではないでしょうか。

残念ながら、そのことが民衆の擁護を謳い上げた映画だったはずの「箱根風雲録」を、「民衆の顔」さえ捉えることに失敗した単なる生臭い権力争いのエピソードを描いただけの作品にオトシメタのだと思います。

「どっこい生きてる」やこの象徴的な作品「箱根風雲録」によって迎えた独立プロ運動のピークは、同時にその衰退を内部に抱えこんでしまったことは、時代の残酷な皮肉といわなければなりません。

まさに独立プロ作品の根幹であるむき出しの左翼的イデオロギーが観客に敬遠され、民衆の共感を急速に失い、観客層が狭められていくに従ってますます先鋭化して、その題材が更に押し付けがましくなり、大衆の指示を失って、ついにその役割を終え、時代の牽引力を急速に失っていったのだと思います。

実は、この箱根用水を研究した裾野市の郷土史研究家・佐藤隆という人が各地区の旧家に残された古文書を調査して著した「箱根用水史」という本が、インターネットで以下のとおりの要約されて紹介されていました。

そこには、
①箱根用水は小田原藩が領内の米の増産をはかり、農民のくらしの向上と藩の利益を目的に計画した。
②友野与右衛門は その工事の請負人であった。
③工費は9,700 両、うち自己資金3,700 両、幕府の貸付金6,000 両であった。
④友野や大庭は小田原藩の御厨代官の指図に従いながら工事をした。
⑤芦ノ湖の水を深良川に落とし、下流に新川を掘って黄瀬川に合流させ、古来の黄瀬川の潅漑の補助用水とし、用水路を増設して新田開発を促した。新川の用水の利益を受けない広範囲の小田原藩の農民も動員された。
⑥友野等は新田の年貢米を7年間取りたてて資金回収し、さらに利益をあげる目論見であった。しかし、1年の予定の工期が4年もかかり、畑地に水路が出来たので畑を水田に作り替えたところが多く、新田開発は200 町歩に満たなかった。
⑦友野等は年貢米が予定通り入らず、資金の回収が困難となり、経済的破綻に追い込まれ、最後には沼津領農民の幕府への上納金を横領して訴えられる。
とありました。

「どの」歴史が真実なのか、僕には確認するスベなど、もとよりありませんが、「七人の侍」を対照的に考えるとき、ある素材を映画へと構成するについて、視座というものが如何に重要であるかを感じないわけにはいきません。

田中純一郎の「日本映画発達史 第4巻」(中公文庫)の第76節・独立プロの反省の項には、「どっこい生きてる」や「箱根風雲録」等を作った新星プロの岩崎昶の反省の弁として、こんな記述が紹介されていました。

「リアリズム(といっても独立プロの場合は多くは否定的だが)を目指しながら、主題の押し付けが目立つのは、芸術家の能力に関係することだと反省してみても、独立プロ製作を応援する労組や一部の団体が、独善的に主題のむき出しを要求したことも、過去の独立プロ作品には多かった。それらが、度重なる経営上の失敗や、北星映画社の敗退などで、ようやく深刻な反省期に入ったのが、昭和30年頃からである。」

(1952新星映画・前進座)製作・松本酉三、宮川雅青、監督脚本・山本薩夫、監督協力・平田兼三、楠田清、脚本・楠田清、小坂哲人、原作・タカクラ・テル『ハコネ用水』(理論社、1951)、撮影・前田実、仲沢半次郎、美術・本木勇、江坂実、音楽・大木正夫、特撮・円谷英二
出演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、山田五十鈴(ブルー・リボン主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞)、轟夕起子、河原崎国太郎、瀬川菊之丞、河原崎しづ江、坂東調右衛門、橘小三郎、中村進五郎、飯田蝶子、岸旗江、三島雅夫、清水将夫、石黒達也、清水元、嵯峨善兵、加藤嘉、薄田研二、野々村潔、林孝一、沼崎勲、花沢徳衛、市川笑太郎、谷晃、内田礼子
1952.03.14 14巻 3,741m 白黒 配給・北星株式会社
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by sentence2307 | 2010-09-12 16:02 | 映画 | Comments(130)