世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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ふたりの女

火曜日の午前中は、得意先回りを心がけています。

特段の用事がなくとも、定期的にお得意様を訪ねて雑談するだけで、どこかに商機がころがっているものだと、むかし先輩から得意先周りの大切さをよく指導されたものでした。

訪ね先は、いつも顔を出しているお得意様のことですから、行く前にあらかじめの電話など入れて約束を取り付けるなどということはしません。

ちょっと顔を出して挨拶する程度ですから、だいたいは「アポなし」OKなのですが、なかには、それくらいでもアポなしをとても嫌がる人がいます。

3回に1回は居留守を使われたりしますが、それだけのことならなんていうこともありません。

むしろ、アポなし訪問を一向に改めようとしないこちらの態度に業を煮やしてか、見せしめ的な嫌がらせとしか思えない仕打ちを仕掛けてくる人も、なかにはいました。

例えば「15分で戻るから、待っていてほしい」などという伝言を受け取ると、一応その「15分」は、待たないわけにはいきません(たとえ、そのとき社内のどこかにいると分かっていても)。

そういう場面で「また来ますから」とか言って、帰ってしまえるくらい気が強かったなら、あるいはもう少し出世が望めたかもしれないのですが。

さて、その「15分待っていてほしい」のために、仕方なく応接室の片隅に積まれた何日分かの新聞を時間つぶしでながめていたときのことでした。

文化欄に掲載してあるカラー写真が目にとまりました、ソフィア・ローレンです。

もちろん、そこには往年の色香や美しさなど望むべくもありませんが、一目で彼女だということは、そのオーラで分かりました。

記事によれば、もう76歳なんですね。

ここのところ往年の大スターの訃報に接することが多いので、こうした元気な写真や記事に接すると、なんだか自分も元気がでてきます。

ちなみに、「ローレン」は、むしろ「ロレーン」に近い発音をするそうですね。

記事には、高松宮殿下記念世界文化賞受賞で来日したのだと書かれています。

貧しい少女時代から大スターを夢見て育ち、カルロ・ポンティに出会って夢を実現させたのだとインタビューに答えています。

デ・シーカ作品に出ていたあのままの活きのいい女性で、「なり上がり」を恥ずかしいと思うどころか、そんな苦労話も自慢げに話してしまえる屈託のなさが彼女の魅力なんだなと素直に思えるいい記事でした。

しかし、僕が注目したのは、その部分ではなく、記事の後半に「100本以上の出演作のなかでは、『ふたりの女』『特別な1日』『ああ結婚』が思い出ぶかい」と書かれた部分でした。

「へえ~、そうなんだ」という感じでした。

いつも感じていることなのですが、観客がベストの出演作だと感じ、だからまた、俳優自身もそう考えているに違いないという思いが、俳優自身の言葉によって大きく否定されてしまうことをこれまでも何度か経験しています。

ソフィア・ローレンといえば、まずは「昨日・今日・明日」それに「ひまわり」だろうなと思っていた自分にも、これは少し意外でした。

しかし、彼女にアカデミー主演女優賞はじめカンヌの女優賞などをもたらした「ふたりの女」には、異論はありません。

それまでのデ・シーカ作品らしからぬシリアスな作品だったことを覚えています。

そして、代表作を問われて、「昨日・今日・明日」ではなく、「ふたりの女」と答えるあたり、彼女も女優なんだなあという感じを持ちました。

戦火に負われた母娘が、ゆきずりの兵隊たちにお互いの目の前で強姦され、悲しみと絶望に見舞われ自失した娘が、母親に反発し、そしてふたたび母親に心を開くまでを描いた感動作でした。

むかし、この映画を見た友人が、「娘の母親への反発は、筋違いだろう」といっていたことを思い出しました。

たかが中学生くらいの思春期の少年が、この映画を見たら、誰だってショックを受け、戸惑うに違いありません。母娘が、おたがいの目の前で男たちによってケダモノのような強姦されるのですから。

しかし、兵隊たちに犯されたのだから、兵隊たちに憤るのが「筋」だと主張する彼に、そのとき、遣り切れない幼さを感じてしまいました。

この映画に描かれた母親に反発する娘の気持ちが想像できないような彼に、何を言っても通じないかもしれないなと感じたのかもしれません。

彼は、自分が思春期を過ごしていく過程で、親たちもまた「性」持つ同じ人間であることを見出すことに失敗し、だから彼らが「性」をもてあまし、僕たちと同じように「性」に戸惑い、そして、いまだに煩悶している同じ人間であることを意識したことがなかったのだと思いました。

それではあまりにも迂闊な青春です。

親の中に自分と同じように「性」に煩悶する人間を見出したとき、軽蔑や同情や共感や憤懣などの感情を通して、はじめて同じ哀れなひとりの人間として親を許し、超えることができ、決別もできる。

その過程において、もし親への敬愛や尊敬がいまだ存在しているというのなら、それならそれでいいだろうとは思っています。

あるいは、そういう場所にある敬愛や尊敬なら、少しはホンモノに近いかもしれません。

娘は、目の前で無残なかたちの母親の「性」を直視させられ、そして、自分の辱められる「性」を母親の目の前にさらしました。

「性」から目をそらして親に付き従ってきた子供(もうすっかり「大人」のくせに、庇護されるためだけに子供の仮面をかぶった人間)としては、それは耐え難いことだったに違いありません。

見たくないものを直視させられ、その直視している姿を親に見られたという衝撃が、娘を反発させたのだと、「大人」になるために苦しんだことのないこんな友人に、この道理をどう説明すればいいのか、途方にくれました。

いずれにせよ、当時の自分には到底できなかったことであろうことだけは、はっきりしていたのですが。

(1960イタリア)監督ヴィットリオ・デ・シーカ、原作アルベルト・モラヴィア、脚本チェザーレ・サヴァッティーニ、撮影ガボール・ポガニー、美術ガストーネ・メディン、製作カルロ・ポンティ、作曲アルマンド・トロヴァヨーリ、編集アドリアーナ・ノヴェッリ
出演・ソフィア・ローレン、ジャン・ポール・ベルモンド、エレオノーラ・ブラウン、ラフ・ヴァローネ、カルロ・ニンキ、レナード・サルバトーリ、アンドレア・ケッキ、プペラ・マッジョ
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by sentence2307 | 2011-01-29 18:58 | 映画 | Comments(6)

四つの恋の物語・初恋

池部良のデビュー作「闘魚」から数えて4本目の出演作は、第二次東宝争議が収束した直後に製作されたオムニバス映画「四つの恋の物語」です。

この豊田四郎が監督した第1話「初恋」は、久我美子のデビュー作でもあり、他の3作品(成瀬巳喜男監督「別れも愉し」、山本嘉次郎監督「恋はやさしく」、衣笠貞之助監督「恋のサーカス」)と比べても、とりわけ高い評価を得ている作品として知られています。

その高い評価には、久我美子のデビュー作であることも、大いに関係していると思います。

まだ幼さの名残りをとどめたふくよかな顔立ちにあどけなさを残しながら、思春期の悩みと「初恋」に直面して、未知の世界への期待とおびえに揺れる少女の不安定な心の揺れを、久我美子は、健気でひたむきな演技で新鮮な息吹を感じさせました。

母親を早くに亡くし、留守がちな父親との二人暮らしのなかで、少女・由起子は、ひとりぽっちのさびしさをまぎらすために、亡き母の遺していった形見のオルゴールを常に身近に置いて孤独を慰めているような少女です。

冒頭、高等学校から元気よく帰ってきた正雄(池部良が演じています)が、二階からの聞きなれないオルゴールの音を耳にし、母親が二階にいるのかと呼び掛けながら荒々しく階段を駆け上がりかけたとき、不意に階段の上に見知らぬ少女・由起子が立ち現れる対面の場面、少女は荒々しい若い男の勢いに気おされ、驚愕とおびえで表情をこわばらせて思わず泣き出してしまうというその場面は、いままさに「初恋」に直面しようとする少女と青年の奇跡のような出会いを飾り気なく率直に描きあげた美しい場面でした。

まるで神話のような幸福感に満ちたこの物語のはじまりを前にして、観客は、あえて不吉な結末を付け足さずにはおられないほどの嫉妬を感じさせられてしまうくらいです(皮肉にもその予感は、やがて実現されてしまうことになりますが)。

つぎの場面で、父親(志村喬が演じています)の友人の都合で、その娘・由起子をしばらく預かることになったというイキサツが家族の囲む食卓の場で賑やかに語られ、由起子を交えた家族の新たな日常が語られはじめます。

やがて、ゆっくりとした日常の描写の中で、由起子の孤独を理解する正雄が、次第に彼女との距離を縮めていく様子が描かれ、最初のうちは警戒していた由起子も次第に正雄に親しみを覚え、徐々に兄妹のような自然な関係が結ばれていきます。

最初のうちは、近づき合うことなど困難に見えた彼女との気持ちの隔たりを、なんなく飛び越えてしまうことのできた正雄の率直さのなかには、正雄もまた同じような孤独を自分の中に抱え込んでいたことが巧みに語られていて、それはこの「初恋」の脚本を書いた黒澤明のストーリーテラーとしての並外れた力量をいかんなく示したものといえると思います。

しかし、そんなふうに同じ痛みを持つ者同士が、お互いを求め合い、受け入れ、急速に距離を縮めていく正雄と由起子との様子に、危うさ(当然観客は、それを「性」の危うさと考えてしまいますが)をいち早く感じとった母親(杉村春子が演じています)は、傍から不安気にふたりを見守り、やがて引き離す決意を固めます。

息子の初恋を傍らで見守る複雑な心境を繊細な所作で象徴的に演じる杉村春子の演技をここまで見たとき、思わず木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」を連想してしまいました。

あの作品でも、息子(図らずも、彼氏もまた「まさお」でしたよね)と姪(民子さんだったと思います)とが、次第に仲良くなっていく過程で、いつしかふたりが「間違い」を犯すのではないかと危惧する母親は、無理やりふたりを引き離してしまうという、あの母親役を杉村春子が演じていました。

しかし、思い返してみれば、あの母親は、世間の悪い噂が立って民子さんの将来にキズがつくことを恐れ、良かれと思ってふたりを引き離したのであって、ふたりの間に「間違い」が生じるかもしれないとまでは危惧したのではなかったことに思い至りました。

というか、母親は、そのとき二人がどれくらい真剣・深刻に愛し合っていたかということまでは思い至らず、ただ単に「間違い」を犯す状況を封じてしまおうと考えたにすぎなかったと思うのが妥当かもしれないと考えました。

あの母親がもっとも恐れたのは、むしろ、「世間の噂」の方であって、「あらぬ噂」を立てられて閉鎖的で狭い農村社会で地域住民からの無視の制裁を受ける、たとえば「村八分」などの方が、より恐ろしいものだったのに違いなく、到底SEXなどではなかったことは、すでに今村昌平の土俗的諸作品を通して僕たちはよく認識しているところだったことを思い出しました。

しかしなぜ、「杉村春子」が似たようなシュチエーションで母親役を演じていたということだけで、その母親の行為の意味にこだわってしまったかというと、正雄から由起子を遠ざけて、ふたりの仲を裂いたことで息子・正雄を激怒させ、罵りを受け、彼の怒りに為すすべも無く、ただオロオロしながらも、帰宅した亭主に意気消沈して呟いた母親のセリフがどうにも気になって仕方なかったからでした。

「私、なんだか済まないような気がして。正雄にも由起子さんにも。正直に言ってほしいんですけれど、私のしたこと、むごいと思いますか。女親の嫉妬のようなものがあったんじゃないでしょうか。」

ふたりの仲に性の匂いを嗅ぎ取り、「間違い」が起きない前にいち早く由起子を遠ざけた手当てが不満で、息子がどのように怒り狂おうと、親として当然為すべき正当な理由のある処置だったのですから、親たるもの逆にもっと堂々と「怒るあんたこそ、筋違いだ」くらいのことを言い返してもよかったのではないかとずっと思っていました。

「野菊の如き君なりき」ならいざ知らず、この「初恋」こそは、彼らの留まることを知らない恋の暴走の果てには、早晩SEXに発展しかねない要因をはらんでおり、事実、正雄は午睡している由起子さんの胸に手を伸ばしかけているではありませんか。

そして、由起子さんも、迫り来るその手にある程度の衝撃を受けながらも、それは決して嫌悪を伴うものなのではなく、むしろ期待しているふうにも伺われるくらいたったのですから、親としてはやはり、その野放図な性交に至る前になんとか阻止しようとしたことは、至極当然な行為だったと思うべきところ、しかし、母親は、「女親の嫉妬からの行為ではなかったか」などと反省までしているのです。

なにも自分を責めることはないではないかと、そのとき感じました。

母親が、子供たちの将来を考え、「世間の噂」を危惧してふたりを無理やり別れさせ、あとになって深い恋仲であったことを知って反省するというのとくらべると、「初恋」の母親の自身無げな懺悔の言葉は不自然なほど唐突で、なにかが根本的に異なっているように感じられます。

このセリフに対する僕なりの見方としては、おそらく敗戦が日本人にもたらした自信喪失とか、東宝争議が映画人に与えた絶望感に根ざしたうえでのあの「理不尽な懺悔」ではなかったかと僕なりに考えてみました。

果たしてそれが正しい理解の仕方かどうかは、いまだに分かりません。

四つの恋の物語 第一話 初恋(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・豊田四郎、脚本・黒澤明、撮影・川村清衛、音楽・早坂文雄、栗原重一、美術・松山崇、録音・空閑昌敏、照明・田畑正一
出演・池部良、久我美子、志村喬、杉村春子、石田鉱、友坂四郎、
1947.03.11 白黒

四つの恋の物語 第二話 別れも愉し(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・成瀬巳喜男、脚本・小国英雄、撮影・木塚誠一、音楽・早坂文雄、 栗原重一、美術・江坂実、録音・岡崎三千雄、照明・伊藤一男
出演・、木暮実千代、沼崎勲、英百合子、菅井一郎、小林十九二、竹久千恵子、
1947.03.11 白黒

四つの恋の物語 第三話 恋はやさし(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・山本嘉次郎、脚本・山崎謙太、撮影・伊藤武夫、音楽・早坂文雄、 栗原重一、美術・北川恵司、録音・丸山国衛、照明・岸田九一郎
出演・榎本健一、若山セツコ、飯田蝶子、
1947.03.11 白黒

四つの恋の物語 第四話・恋のサーカス(1947東宝)製作・松崎哲次、本木荘二郎、田中友幸、演出・衣笠貞之助、脚本・八住利雄、撮影・中井朝一、音楽・早坂文雄、栗原重一、美術・平川透徹、録音・安恵重遠、照明・平田光治
出演・浜田百合子、河野秋武、田中筆子、清水将夫、久松保夫、進藤英太郎、浅田健三、花沢徳衛、
製作=東宝 1947.03.11 白黒
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by sentence2307 | 2011-01-16 15:44 | 映画 | Comments(1)

闘魚

戦時下で製作本数が激減した当時、東宝に監督志望で入社した池部良が、結局希望した助監督になれないまま、仕方なく文芸部にいたところ、島津保次郎監督に見出され、抜擢されて出演したといういわくつきのデビュー作「闘魚」1941です。

大いに期待して見たのですが、どうも話のまとまりがなく、これはいったいなんなんだろう、と訝しく思っていたら、この作品が厚生省の後援で製作された結核撲滅の国策映画だと知って、その迷走の理由が分かりました。

この映画の主人公は、いまは戦場にいっている婚約者・俊記(灰田勝彦が演じています)の帰りを待っている笙子(里見藍子が演じています)です。

格式を重んじる俊記の実家からは、俊記のいないあいだの彼女に対して、息子の婚約者としてふさわしい節度ある行動を求めてきて、折に触れ細々としたことをうるさく干渉してきます。

格式ばかりを重んじてこちらの事情など一向に理解しようとしない彼らに対し、少し愚れた弟の清(池部良が演じています)と、再婚した頼りない父親を持つ笙子は、厳格な婚約者の実家に対してなにかと肩身の狭い思いをしなければならず、やがて弟・清が結核にかかり多額の治療費を要することなども打ち明けることができないまま、次第に窮地に立たされていきます。

弟が愚れた理由というのも、再婚した父親が後妻に遠慮して前妻の子供に素っ気無くあたり、ナイガシロにしたために、清が家に居づらくなって家に寄り付かなくなったことなどが分かってきます。

また、婚約者・俊記には、相思相愛の芸者(学生時代に笙子と同級生だったらしく、桜町公子が実に妖艶に演じています)がいたことも判明します。

この物語は、見当違いの厳格さ(その厳格さを押し通すことによって、眼前の事態が壊滅的なダメージを受けると察しながらも、なお「厳格さ」を押し通す不可解)と、決断のできない優柔不断さ(「親」を採るか「婚約者」を採るかと迫られた男は、転勤を希望して選択を回避してしまう卑怯さ)とによって、ストーリーが縦横に入り乱れて滞ります。

笙子にしても、不実を犯した優柔不断な婚約者に対して、それでも、できれば婚約破棄をされたくない・したくないと最後まで縋るように語り掛けたすえに、男から単身転勤を決意した旨を打ち明けられ、結果的には笙子は手痛い拒絶に直面しなければなりません。

この映画の登場人物たちの現状認識の甘さと見通しの稚拙さのために、ここに描かれようとした人間関係のすべてが停滞し壊されていくだけのこの物語に、自分のように不可解さを感じてしまうのは、至極当然のことだろうと思います。

これが「いったいなんなんだ」と訝しく思った所以です。

このややこしい物語の中に、さらに無理やり「結核の正しい治療」が割り込んでくる(清を堂々と説諭する警察官や正しい結核治療の現状を力説する医師)ことで、その「公明正大」な向日性の世界観が、ますますストーリーに違和を生じさせ、混乱させ、訳の分からないものにしてしまったのだと思います。

しかし、この国策映画が、懸命になって結核撲滅を高らかに謳いあげていながら、正しい治療を受けることによって病が癒え、健康を取り戻した青年たちは、ようやくお国のために立派にご奉公できる肉体を取り戻し、ふたたび死ぬために戦場をめざすという自己矛盾を孕んだストーリー自体の破綻に気がつき、その時点でこの映画の在り方が空中分解してしまったのだと思います。

なんてったって「征かぬ身は いくぞ援護へ まっしぐら」なのですから、銃後でノンキに結核なんかにかかずらわっている場合ではなかったのでしょうね。

(1941東宝・東京撮影所)製作=東宝映画(東京撮影所) 製作・田村道美、演出・島津保次郎、製作主任・関川秀雄、脚本・山形雄策、原作・丹羽文雄、撮影・友成達雄、音楽・伊藤昇、演奏・P.C.L.管弦楽団、美術・戸塚正夫、録音・下永尚、照明・平岡岩治、編集・岩下広一、現像・西川悦二、後援・厚生省、
出演・高田稔 、志村アヤコ、里見藍子 、池部良 、灰田勝彦 、桜町公子 、山根寿子 、月田一郎 、花井蘭子 、若原春江 、丸山定夫 、清川玉枝 、真木順 、恩田清二郎、 北沢彪 、嵯峨善兵 、三木利夫 、小島洋々 、一の瀬綾子 、小高たかし 、御橋公 、鳥羽陽之助、清川荘司 、藤輪欣司 、大崎時一郎 、生方賢一郎 、伊藤智子 、一の宮敦子 、林喜美子
1941.07.15 日本劇場 15巻 3,401m 124分 白黒
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by sentence2307 | 2011-01-09 12:05 | 映画 | Comments(7)

パパってなに?

のんべんだらりと過ごしてしまった正月明けの昼近くに起きだし、さて新聞でも読むかと朝刊(読売新聞・平成23年1月4日)を広げたら、文化欄にエイゼンシュテインと、その隣に衣装をまとった歌舞伎役者が、ツーショットで写っている写真が大きく掲載されていたので、正月早々、ちょっと驚いてしまいました。

そりゃあもちろん、エイゼンシュテインとツーショットで写っている歌舞伎役者といえば、すぐに、あの伝説の名優、2世市川左団次(1880~1940)だということは、すぐに分かりました。

記事は、1928年、2世市川左団次(1880~1940)が、歌舞伎史上初の海外公演をソ連で行い、モスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルク)で「忠臣蔵」「娘道成寺」などを上演して歓迎を受けたこと、その際に、ソ連政府から現地の新聞記事や写真などを集めた「貼り込み帳」(スクラップブック)が贈られており(遺族が早稲田大演劇博物館に寄贈しました)、いままで一般公開されていなかったその内容が、このほど明らかになったというものでした。

そのスクラップブックというのは、「ソビエト連邦での歌舞伎」と題した革表紙(縦36cm、横53・5cm、台紙66枚)で、現地の新聞、雑誌、写真、劇評や中央アジアなど地方の記事も丹念に集めてあるということです。

しかし、この記事を読んで少し疑問に感じたところがありました。

歌舞伎史上初の海外公演が、なぜソビエだったのかという疑問です。

はじめ、ソビエト政府からの招待されてのことだったのかと考えてみました。

そういえば確か、エイゼンシュテインの後期の作品(「イワン雷帝」だったと思いますが)には、歌舞伎の「見得」に影響されていることを指摘していた評論を読んだことを思い出しました。

記事のなかにも「左団次が、『戦艦ポチョムキン』で知られる映画監督のセルゲイ・M・エイゼンシュテインと一緒に写った写真などもあり(これが新聞に掲載されていた写真です)、ソ連の文化人が歌舞伎に強い関心を寄せたことが分かる。」というクダリもあったので、招待されてのソビエト公演だったのかと考えてみたのでした。

しかし、その文章からは、ソビエトの文化人の歌舞伎への関心が「従来から寄せていた」ものだったのか、それとも「初めて歌舞伎を見たことによって」生じたものだったのかは、判断できません。

たぶん、それは、ソビエト側からの招待というよりも、むしろ逆、日本から押しかけて行った公演だったような気がしてきました。

ほんの数年前に革命をなしとげたソビエトという国への憧れが、この若き歌舞伎役者をソビエトに近づけたと思う方が、つまり、あらゆる演劇に自分の可能性を求めようとした2世市川左団次には、その方が、なんだか自然のように思えてきました。

その時期のことについてWikipediaでは、こんなふうに簡単に記されています。

「歌舞伎役者として活動する傍ら、作家の小山内薫とともに翻訳劇を中心に上演する自由劇場運動を行った(1909〜19年)。
明治17年には、明治座を売却し、松竹専属になった。
また、昭和3年 (1928) にはソ連で史上初の歌舞伎海外公演を行った。」

衰退した歌舞伎の将来をあらゆる演劇の可能性に模索していった過程に当時日本で最も流行していたロシア演劇があり、可能性を追求していった当然の帰結として「歌舞伎史上初の海外公演・ソビエト」があったのではないかと考えるようになりました。

さて、新年早々、そのツーショットの写真自体に驚いたというのはもちろんですが、「エイゼンシュテイン」とかソビエト映画のことを思い出すということ自体が、自分には随分と久しぶりのことだったので、むしろそのことの方に動揺したというのが本当のところだったのかもしれません。

こんなカタチで、忘れかけていた記憶と不意に出会い、エイゼンシュテインの名前さえ忘れかけていたことに、これまで徒過してきた空白の時間を更に思い知らされ、そして戸惑い、郷愁みたいな思いを溢れさせたのだろうなと思いました。

最近では、すっかり「ソビエト映画」について話す相手もおらず、かつて存在したことすらも忘れ去られてしまったのではないかと思うことさえありました。

もっとも、自分だって少し前までは、その「すっかり忘れていたひとり」だったわけで、大きなことは言えないのですが、しかし、エイゼンシュテインと市川左団次のツーショット写真を見たとき、個人的に少なからず動揺したというのには、心当たりがあったのです。

実は去年の暮にパーヴェル・チュフライ監督の1997年ロシア映画「パパってなに?」を見て大変感心し、その監督パーヴェル・チュフライが、かつてのソビエト映画の名作「誓いの休暇」1959を撮ったグレゴリー・チュフライ監督の息子だと知り、しばしソビエト映画に思いに囚われたことがあったからでした。

しかも「パパってなに?」は、オヤジの「誓いの休暇」に引けをとらないくらい優れた作品だと思いました。

父親に対する思いと、その思いを踏みにじられた少年の怒りが、痛切に描かれた苦しいほどの名作でした。

何かにすがらなければ生きていけない過酷な環境の中で、少年は、孤独のあまり大人たちの気まぐれを過信し、そして裏切られていくことの痛切な憤りが描かれていました。

新年早々の大収穫でしたが、ひとつだけ「残念・不満」がありました、このタイトルです。

もう少し内容に即したタイトルが工夫できなかったのでしょうか。

この見るからに軽めのタイトルを敬遠し、この作品と他の作品のどちらかを鑑賞の優先順位を選択しなければならなかったとき、つねに見るのを後回ししてきた主たる原因といえば、この軽々しいタイトル「パパってなに?」にあったことを恨みを添えて記しておかなければなりません。

(1997ロシア・フランス)監督脚本パーヴェル・チュフライ、製作:イーゴリ・トルスツノフ、撮影:ウラジーミル・クリモフ、美術:ヴィクトル・ペトロフ、音楽:ウラジミール・ダシケヴィチ、衣装:ナタリア・モネワ、配給:コムストック、製作総指揮セルゲイ・コズロフ、音響ユーリヤ・エゴーロワ、
出演・ミーシャ・フィリプチュク、エカテリーナ・レドニコワ、ウラジミール・マシコフ、アマリヤ・モルドヴィノワ、リディヤ・サヴチェンコ、アンナ・シツカトゥロワ、オルガ・ペシコワ、
1998年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、、ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノミネート、ロシアNIKA賞(ロシア・アカデミー賞)作品賞・監督賞・作曲賞、主演男優賞・主演女優賞・作曲賞受賞、1997年ヨーロピアン・フィルムアワード作品賞ノミネート、ヴェネツィア映画祭国際若手審査員賞、ユニセフ賞受賞、1997年/ロシア・フランス/1時間37分
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by sentence2307 | 2011-01-08 15:48 | 映画 | Comments(165)