世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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その後の早撮り伝説

以前、このブログで「早撮り伝説」という短文を書きました。

当時、大映の取締役でもあった溝口健二監督に、小津監督は「いずれ大映で1本撮ろう」と約束したことを受け、松竹で「お早よう」を撮ってすぐ、引き続き大映で「浮草」を撮ったという短文で、小津監督が「俺も、ちょっとした渡辺安二郎だろ」という言葉を残した経緯を説明したものでした。

いつのまにか小津監督は、作品を撮るのは「年に一作」という慣例のようなものが既成事実のようになっていたので、リメイクとはいえ、その「多作振り」を「俺も、ちょっとした渡辺安二郎だろ」と、テレ隠しもあって、そうとでも言わなければ納まりがつかないくらい、これは格別のことだったのだと思います。

この「渡辺」というのは、いわずと知れた東宝の早撮り監督・渡辺邦男のことを指しています。

当初、僕は、この小津監督が述べたという言葉のニュアンスに、娯楽映画を量産する渡辺監督への揶揄というか、軽い親しみをこめたカラカイみたいなものを感じ取っていました。

そうでなくとも、一方は寡作の巨匠、一方は会社の意のままに娯楽映画を量産するプログラムピクチャーの監督です、ふたりを並べれば、おのずとそういう構図ができあがってしまうと考えたのも無理なかったと思います。

しかし、その短文を書いたときの僕の「認識」の端っこには、かすかに小津監督が自分の早撮りのテレ隠しに、渡辺監督の多作振りを不用意に引き合いに出し、このように茶化してしまったことへの後悔みたいなものがあったのではないかと考えました。

小津監督の言葉を漏れ聞いた第三者が、その言葉に巨匠の傲慢を感じ取りはしないかと危惧し、もしかしたら言い過ぎを後悔したのではないかと考え、ブログにもその辺の印象を書きました。

結論としては、「早撮り」は、会社も観客も巨匠たちにとっても、誰もが必要としたものであって、それもまた映画という大衆芸術の在り方のひとつであり、寡作の小津監督自身、直接に恩恵を受けていたといっても過言でないくらいの認識は持っていたに違いないという、なんだか煮え切らない結論を書いたと思います。

いま改めてそのコラムを読み返すと、そんな微温的な「言い訳」など払拭してしまうくらいの渡辺監督の「早撮りテクニック」の魅力に惹かれ、そのテクニックを紹介することに熱中していることがアリアリと読み取れるちぐはぐさに我ながら思わず失笑してしまいましたが。

その部分をちょっと再録してみますね。

《渡辺邦男監督の映画の作り方は、物語の頭から尻まで、何回も繰り返し出てくる場面は、いっぺんに全部まとめて撮ってしまいます。

しかも、カメラは据えっぱなしで、俳優には衣裳やメイキャップをどんどん変えさせ、つぎにその反対側の場所からカメラを置き換えて、さらに全部撮る。

あとはちょいちょい全場面に出てくる二人入れ込みや、クローズアップや全景ひろい、これを場面別に撮って、ハイ出来上がり。

こんなふうな撮り方だったので、俳優の方は、衣裳を全部セットに持ち込んで早変わりに次ぐ早変わりに忙殺され、いったい自分がいまどの場面のどのカットで演技しているのか、どのセリフをしゃべっているのか、皆目分からないままカメラの前に立って、ひたすら指示されたセイフを喋るだけなのですが、しかし、これをカチンコの番号どおりにあとで並べると、ちゃんとひとつの物語になっていて、しかも筋もしっかりとおっているのだから摩訶不思議です。

あるときなどは結髪で、片半分しかまだ髪ができていない女優さんを、そのままでいいとセットへ連れ出して、出来ている片面横顔だけで撮影して間に合わせました。

渡辺監督の方は、頭に血がのぼってカッカして撮っているから、いちいち女優の名前なんかきちんと呼ぼうなんてハナから思ってない。

入江たか子だろうが、山田五十鈴だろうが、
「オイコラ! 女、出てこい! セリフ!」

その場に来ていない俳優なんか、どんどん抜かして作業を進める。

しかし、それでもちゃんと話はつながるのだから、渡辺邦男映画はホントに不思議です。》

最近、ある本を読んでいたら、このクダリを補足するような素晴らしいエピソードに遭遇しました。

それは、瀬川昌治監督の書いた「乾杯! ごきげん映画人生」の中の「早撮りの巨匠渡辺邦男、志村敏夫」の部分です。

《1時間半の劇場用映画を撮影するには、セットとロケを含めて昔はほぼ1ヵ月かかった。

予想される興行収入から割り出す原価計算だと製作日数は自ずと限られてくる。

その原則は、いまも変わらない。

テレビ映画の場合、1時間半のドラマは10日前後で作られるから約三分の一の割合だ。

ところが、渡辺監督の映画には一週間で撮り終わった作品もある。

すべてが神業的な「中抜き」のお陰だが、時として監督はもっと驚く撮影をされた。

例えば室内で対座している男女の場合、床の間を背に上座の男の芝居を立て続けに撮る。

次にその場所に下座の女を座らせて背景の襖を床の間の前に立てさせた。

編集すると2人が向かい合って話しているように見えるのである。

しかも熟達の演出力で芝居を作られるから、格調高い緊迫した内容は観客を魅了して、渡辺作品は常にヒットした。

倒産寸前の新東宝にとって渡辺監督は、神様仏様、いやそれ以上の、まさに天皇のような存在になられたのである。

経営不振で退任した前社長の服部知祥に代わって、大蔵貢が乗り込んできた時期でもあった。

大蔵社長は渡辺監督を取締役に任命して、緊縮路線の中心に据えた。》

しかし、この抜き撮影のエピソードだけ紹介することについて、たまらない恐怖感を抱きます。

この手のエピソードだけを散々紹介しておいて、「渡辺監督はいい加減な映画監督だなんて誤解するな」というほうが無理な注文かもしれません。

それこそ「小津監督の暴言」の二の舞です。

《不況のどん底にあった昭和三十年代の新東宝は低予算主義と下番線向けの娯楽作品の量-安く、早く、面白く、という新社長・大蔵貢の徹底した製作方針がカンフル注射の役割を果たして、徐々に勢いを取り戻してきた。

もちろん、原動力は渡辺監督の非凡な手腕であるが、その監督の下で早撮りを支えたスタッフたちの存在を忘れてはならない。

「細雪」「西鶴一代女」「縮図」「おかあさん」「煙突の見える場所」等々映画史の残る名作を次々と作ってきたエリート技術者たちである。

それが一転して「亡霊怪猫屋敷」「怪談乳房榎」「人食海女」といった三流館向きのゲテモノ映画の製作に取り組んだのである。

高級家具作りに至芸の腕を振るってきた職人に、バーゲン用の勉強机を作れというに等しい。

不平不満が募るのは当然である。

しかし彼らはそういう屈託を抑えて、陣頭指揮に立った渡辺監督に協力した。》

過酷な環境にあって、いかなる映画であろうとも、目の前の映画製作それぞれに精魂こめて立ち向かった日本の活動屋たちの輝かしい軌跡が描かれている文章だと思いました。

なにも名作ばかりが映画じゃない、そうだよね、ちょっとすがすがしい気分にさせてくれた一文でした。

そして、ここまで書いてきて、渡辺監督の「背景差し替え」と、小津監督の「ローアングル」のイッタイどこが違うというのか、分からなくなってきました。
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by sentence2307 | 2011-07-30 22:21 | 映画 | Comments(3)

自分の穴の中で

内田吐夢監督の「自分の穴の中で」1955年日活作品は、少し前に日本映画専門チャンネルで放映された映画です。

キネマ旬報社から刊行された「オールタイム・ベスト・映画遺産200」(とかいう本があるのだそうです)の中から、埋もれた名作を映画評論家が掘り起こし推薦するという斬新な企画で、たしか「日の当らない名画・名作たち」とかタイトルされ放映されたうちの1本だったと思います。

実は、この映画「自分の穴の中で」を見たとき、たまたま「帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史」(與那覇潤著・NTT出版)という小津安二郎が中国大陸に出征したことを論述した本を、ほとんど同時に読み、このふたつの奇妙な一致が面白くて、そのとき感じたことを書き残しておこうかなと思いたちました。

内田吐夢監督と小津安二郎監督は、監督第一作を撮ったのが同じ年だった(1927)ということもあって、とても親しかったという話を、なにかで読んだことがあります。

映画界に入るまでが、さほど順風満帆だったわけでもなかったことが、お互いを引き寄せたのかもしれないと考えたこともありました。

そして、このふたりの交流を知ったとき、ごく限られた友人との付き合いしか持たなかった小津監督の交友関係の中でも、内田吐夢監督との付き合いは、腹の底から本音をぶつけ合うことができた仲だったのではないかとツイ想像してしまいました。

作品に対する内田吐夢監督の真摯な態度とか、融通のきかない愚直な、切羽詰ったギリギリの極限にからだごとぶつかっていくような内田監督の生き方の姿勢に対して、そういう真摯な部分を絶対他人には見せたくない、むしろ茶化して誤魔化そうとするタイプの小津監督には、そのストレートな生真面目さが却ってとても好ましく、羨ましく、常に気に掛かっていた存在だったのではないかと思えてなりません。

「帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史」は、多くのページを割いて、この2人の映画監督の、中国大陸に対する考え方の違いを明らかにしようとしたとてもヘビーな論稿なのですが、いかんせん叙述が、自分の本音を隠したところで為される責任逃れの引用ばかりで(大学教授の書いたものなので当然といってしまえば、それまでですが)読後感の消化不良加減は最悪なものでした。

しかも、小津の「晩春」を「血槍富士」と無理やり対比し、一向に共通点のない2作品を摺り合わせることによって、書籍のあらゆる部分に軋み音を発しさせ、綻びの生じまくった惨憺たる著作でした。

「晩春」と「血槍富士」のどこにいったい、対比できるほどの共通点があるといえるのでしょうか。

そんなふうに苛立たしく感じていたところ、たまたま「自分の穴の中で」を見たのでした。

すぐに、この論者・大学教授は、不運にも、この内田監督作品を見ていなかったのだと直感しました。

もし、見ていたとしたなら、この「自分の穴の中で」こそ、まさに「晩春」に対する明確なメッセージ映画であることに気がついたはずです。

この映画が始まる直前の数分間、この作品について、実に要領よくまとめられた解説が付されていました。

それは、この映画を推薦したという映画評論家(らしいのですが始めて聞く名前です)齋藤敦子という人のお薦めコメントで、これがまた、精緻を極めたなかなかの名文でありまして、この映画を見る意欲をかきたてずにはおきませんでした。

というか、この映画を見ているあいだじゅう、それらの言葉が脳裏を行き交い舞い騒いで、どうしても意識せずにはおられなかったというのが本当のところでした。

推薦文というのは、まあこんな感じです。

《「自分の穴の中で」は、内田吐夢の傑作群の中で最も特異な作品である。
テーマは名家の娘の結婚だが、主人公の多美子と、小津の「晩春」の紀子には目も眩むような落差がある。
嫉妬と欲望に翻弄され、すべてを失う娘は、他の登場人物同様、何一つ共感を持って描かれていない。
その突き放した、覚めた視線には、戦後の日本に対する吐夢の嫌悪感が込められている。
原節子に失われた日本女性の美徳を夢見た小津と、北原三枝の硬質な美貌の下で打算と性欲が蠢く様を暴いた内田吐夢。
映画のまん中に置かれた、ごろりとした嫌な感じが、見終わった後もずっと何かを問いかけてくる。》

どうしても「意識」せずにはいられなかったのは、「晩春」に描かれた紀子と、この「自分の穴の中で」で描かれた多美子との、目も眩むような「落差」という部分です。

つまり、このごく短い小文から窺い取ることのできる「落差」というのは、「日本女性の美徳」に対する「硬質な美貌の下で蠢く打算と性欲」という「隔たり」のことらしいのですが、これだけはっきり言われてしまうと、あっさり「はい、そうですか」と聞き流すわけにはいきません。

聞き捨てにすること自体、罪なのではないかとさえ思えてしまいました。

はたして「晩春」の紀子には、打算も性欲もなかったのか。

小津監督は、紀子をそのように描いているのだろうか、確かめてみたくなりました。

「晩春」の紀子を象徴する最も代表的なセリフがあります。

それは、銀座で偶然、父周吉の友人の大学教授・小野寺と出会った紀子が、小料理屋「多喜川」において、小野寺と交わす短い会話の中で、「小父さま、奥さまお貰いになったんですって。」というセリフのあとに引き続いて語られています。

「そうかしら、でも何だかいやねえ」
「なんだか、不潔よ」
「きたならしいわ」

ここで紀子があからさまに表明している異常なほどの性への嫌悪感と恐怖心は、ただ「未経験」であるというだけで否定的に話さずにいられなかったものの、それだけで紀子が「性欲」までをも否定しているのかと考えるのは、早計です。

あえていえば、紀子は、自分に「性欲」があることを認めたくないだけで、小野寺の再婚を嫌悪をもって否定することによって、逆に自分の中の「性欲の存在」を認めてしまったのだとさえ言えるような気がします。

紀子にこのセリフを吐かせている背景には、そろそろ婚期を逸しかけている彼女の元に結婚話が幾つか寄せられており、目下紀子にとって、差し迫った現実問題として考えねばならないことと、彼女のその「結婚観」が語られている場面と考えていいと思います。

それは、「不潔」で「きたならしい」ものと生理的な感覚として表現されていることによって、彼女にとって「結婚」とは、イコール「性生活」と認識していることが分かります。

しかし、確かに性生活が結婚の一部ではあっても、別段結婚のすべてが性生活であるわけのものでもない、彼女が結婚に踏み切れないでいる理由(過剰な妄想)が語られているにすぎないと考えてもいいかもしれない。

そしてそれは、紀子にとっての、もうひとつの「硬質な美貌の下で蠢く打算と性欲」だったのではないかと考えました。

(1955日活)監督・内田吐夢、製作・岩井金男、脚色・八木保太郎、原作・石川達三(朝日新聞連載、新潮社・版)、撮影・峰重義、美術・木村威夫、照明・三尾三郎、音楽・芥川也寸志、録音・神谷正和、編集・辻井正則、助監督・牛原陽一、樋口弘美、藤田敏八、特殊撮影・日活特殊撮影部、製作主任・野村耕祐
出演・月丘夢路、北原三枝、三國連太郎、宇野重吉、金子信雄、利根はる恵、宮城道雄、滝沢修、清水将夫、左卜全、北林谷栄、広岡三栄子、関弘子、相馬幸子、高田敏江、木室郁子、明美京子、志摩桂子、若原初子、土方弘、澄川透、雪岡純、稲垣實、峰三平、歌川まゆみ、木室郁子、江沢葉子、明美京子、三鈴恵以子、芳川千鶴、三船明子、紀原土耕、光沢でんすけ、志賀夏江、芝あをみ、河上信夫、伊丹慶治、坂井美紀子、明石淳子、橘田良江、里実、須藤孝、井東柳晴、高野誠二郎
製作=日活 1955.09.28 13巻 3,422m 125分 白黒
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by sentence2307 | 2011-07-02 21:03 | 映画 | Comments(1)