世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

<   2011年 10月 ( 2 )   > この月の画像一覧

最後の忠臣蔵

子供の頃から忠臣蔵が大好きで、年末になって町の映画館に忠臣蔵の映画が掛かると、必ず親に連れられて見に行ったものでした、などと言いたいところですが、しかしそれは、なにもウチに限ったことではなくて、その当時は、日本国中が「年末には忠臣蔵」というのが普通のことだったわけで、その国民的な年末の定番行事・忠臣蔵の映画鑑賞にうちの家族も従ったにすぎなかったのだと思います。

各映画会社が威信をかけて、競うように「忠臣蔵」を製作していた時代です。

各社の抱える専属俳優のうちの主役級から人気急上昇中の新人俳優まですべての役者を揃えて製作されていました。

長い時間をかけて歌舞伎の当たり狂言として練りに練られた「忠臣蔵」というストーリーは、惚れ惚れするほど、それぞれの役に、ぴったりの泣かせどころが用意されており、実に行き届いた物語で、子供心にも感心させられたものでした。

どんな端役も生き生きとしていて、それらのエピソードが丹念に積み上げられ、最後の華麗な「討ち入り」というクライマックスに怒涛のように雪崩れ込んでいくという群像劇は、いつのにか血生臭い殺戮の復讐劇を忘れさせられてしまうくらいのレビューのような様式美にウットリと見入っていました。

あの討ち入りの場面で展開される立ち回りの、まるで踊りのような華麗さも、きっと無関係ではありません。

そんなふうに毎年当然のように見てきた「忠臣蔵」という映画の印象は、自分の中では、もはやほとんど固定観念のように確立されたものになっていたのですが、学校を卒業して社会人になったとき、その固定観念が打ち砕かれる衝撃的な話を友人から聞きました。

それは彼が数年間駐在していたイギリスでのこと。

駐在してはじめての年末を迎え、日本に帰る切っ掛けを失ったまま、仕方なくひとりでさびしいクリスマスを迎えようとしていたとき、それを知った取引先の営業マン(イギリス人です)から、優しさの満ちた強引さで彼の家族のパーティーに誘われました。

ビジネス以外のプライベートでは、礼儀正しく一線を画され、やんわりと無視されることも多かったイギリス人の冷たい対応を幾度も経験してきた彼にとって(それまでは彼らにとって自分が結局は黄色い肌をした極東の「東洋人」でしかないことを常々思い知らされていたといいます)、そのサプライズは、涙がでるほど嬉しかったそうです。

いまにして思えば、それも随分卑屈な反応だったかもしれませんが、当時の彼にはそれが正直な気持ちだったと話していました。

その決して裕福とはいえない中流のイギリス人家庭の、心温まる家族パーティーもそろそろ終わろうかというとき、子供たちが親にせがんで、普段なら見ることもない遅い時間帯のテレビドラマを見始めていました。

クリスマスという特別な夜の、きわめて寛容で例外的な措置であることをイギリス人の奥さんは、まるで弁解するかのように日本人の彼に説明していました。

放送していたのは、「クリスマス・キャロル」です。

その取引先のイギリス人によると、イギリスでは、年末になるとテレビやラジオで「クリスマス・キャロル」が、さかんに放送されるということです。

強欲で偏屈な金持ちの老人スクルージが、いままでコキ使ってきた貧しい使用人や市井の人々が、実は自分のむごい仕打ちに善意で報いようとしていることを始めて知って、深く悔い改め、はじめて心を開いていくという感動的できわめて教訓的な物語です。

こう話しながら、その取引先の営業マンから、日本でも同じようなケースはあるのか、と逆に質問されました。

とっさに彼はあの「忠臣蔵」を思い浮かべたのですが、正直に答えていいものかどうか一瞬躊躇しました。

イギリスの子供たちが、人に施す善意の意味を「クリスマス・キャロル」から学んでいるとき、日本人の子供たちは、その年中行事のように見ている「忠臣蔵」から何を学んでいるのか、血であがなう執念深いあだ討ちや不意打ちの奇襲をこのイギリス人にどう分からせることができるかと躊躇したのだと思います。

このストーリーをただ分からせるだけなら、なんとか話せるにしても、日本の子供たちがこの物語から何を学び取っているのかをイギリス人に分からせる自信が、友人にはなかったというのもひとつありました。

彼の危惧のなかには、きっとこの忠臣たちの奇襲作戦の正当性を説明していく先には、当然パールハーバーの奇襲攻撃をも弁護しなければならなくなる立場に追い込まれてしまうような不吉な予感がヨギリ、まだまだ英語力の乏しかった彼には、イギリス人たちの前で不意打ちの正当性など説明する自信も無く、結局、諦めざるを得なかったと話していました。

公儀の片手落ちの措置や不公平な処分によって主君・浅野匠之守だけが切腹を強いられことに憤った家来たちが、長い年月をかけて、その恨みを晴らすため、喧嘩相手・吉良上野之介をカタキとして執念深くつけ狙い、ついに警備の手薄な雪降る深夜、完全武装して急襲し、吉良上野之介を討ち果たすという小気味良い爽快な復讐物語です。

しかし、その「小気味良く爽快な復讐物語」と感じてきたのは、単にそういう作られ方をしてきた物語を、そのままの形で受け入れてきただけということもいえるわけで、それが果たして、真実「小気味良く爽快な復讐物語」だったかどうかはスコブル疑問です、彼の話から、それ以来「忠臣蔵」の物語に爽快さだけを持てなくなりました。

それ以来、僕のそういう思いに寄り添うように、徐々に「小気味良く爽快」なだけではない忠臣蔵が幾つか作られるようになりました。

この「最後の忠臣蔵」もそうした時代の変化を受けて作られた一本だと思います。

しかし、そうだとしたら、忠臣蔵に小気味よさを感じていた子供の時と同じように、疑心暗鬼で忠臣蔵の暗黒面だけを見るいまの自分の感性もまた、結局は時代の要請に添っているだけにすぎないのか、という思いに一瞬囚われました。

それでも、まあいいか。

映画は、時代を映す鏡なのですから、その時代の「忠臣蔵」を鑑賞するというダイナミズムに身をゆだねるのも一興というわけで、それを「時代に振り回されている」なんて思わない方がいいかもしれませんよね。

(2010)監督・杉田成道、脚本・田中陽造、音楽・加古隆、原作・池宮彰一郎『最後の忠臣蔵』(角川文庫刊)、製作総指揮・ウィリアム・アイアトン、スーパーバイザー・角川歴彦、成田豊、製作・小岩井宏悦、服部洋、椎名保、酒井彰、名越康晃、井上伸一郎、喜多埜裕明、川崎代治、大橋善光、企画・鍋島壽夫、プロデューサー・野村敏哉、岡田渉、宮川朋之、撮影監督・長沼六男、美術監督・西岡善信、美術・原田哲男、照明・宮西孝明、録音・中路豊隆、整音・瀬川徹夫、音響効果・柴崎憲治、編集・長田千鶴子、衣装デザイナー・黒澤和子、装飾・中込秀志、スクリプター・中田秀子、製作・「最後の忠臣蔵」製作委員会、ワーナー・ブラザース映画、電通、角川映画、日本映画衛星放送、レッド・エンタテインメント、角川書店、Yahoo! JAPAN、メモリーテック、読売新聞、製作プロダクション・角川映画、配給・ワーナー・ブラザース映画
出演・役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ、山本耕史、風吹ジュン、田中邦衛、伊武雅刀、笈田ヨシ、安田成美、片岡仁左衛門、北村沙羅、福本清三、柴俊夫、佐川満男、田畑猛雄、芝本正、芹沢礼多、片岡功、鈴川法子
[PR]
by sentence2307 | 2011-10-23 08:51 | 映画 | Comments(0)

もず

生き別れた母娘が久しぶりに出会う場面からはじまるこの渋谷実監督「もず」を見たとき、すぐに小津監督の「東京暮色」との酷似を感じました。

それは、どちらの作品にも、有馬稲子が似たような娘役で出演していて、母親との和解を望みながら、長い別離がもたらした気持のずれは如何ともしがたく、そのたびに関係はますます悪化して、結局はどうしても通じ合えないまま母親が病死するという痛切な葛藤の物語がとてもよく似ていたということだったのかもしれません。

製作年度からいえば、小津作品「東京暮色」1957を意識して渋谷作品の「もず」1961がつくられたのだろうなということが、なんとなく想像がつく作品です。

ちなみに渋谷実は、監督に昇進する直前に、小津監督の「淑女は何を忘れたか」1937で助監督についていたということですから、小津監督に対して独特な感情をもって、「東京暮色」を意識した渋谷監督が「もず」を撮ったという構図を想定しても、あながち根拠の無いものではなかっただろうなとは思います。

こう考えてくると、このふたつの作品の共通点を、かなりリアルに指摘できるかもしれません。

ときおり物凄く暗い作品を撮るといわれている小津監督ですが、確かにそのような作品が幾つかあるなかで、象徴的な(小津ファンからすれば「残念な」という印象なのでしょうか)作品のひとつとして「東京暮色」がよくあげられます。

しかし、自分としては、一般にいわれているその「暗さ」というものが、なぜ「小津作品」にだけ否定的に語られなければならないのかが、よく分かりませんでしたし、また、納得できない気持ちもありました。

つまり、小津的なものを愛するあまり、その「完璧な様式美」を崩すというだけの理由で、「暗さ」を失敗作だとみなして、まず否定されてしまう(もしそうなら、それはあまりに臆病すぎる、いわば「贔屓の引き倒し」みたいなものにすぎないような気がします)、それによって作品の本質的な部分=核心に迫るという道筋をミズカラ放棄してしまうような頑ななそういった行き方こそむしろ本末転倒、もしかしたら皮肉な小津監督が後世に仕掛けた巧みな罠に僕たちはやすやすと囚われているだけなのではないか、そんな気もしています。

そんな禁忌に守られなければならないほど小津安二郎という人も作品も脆弱だったのかと思えてしまいます。

もちろん、そんなことはない、むしろ「暗さ」や「弱さ」の側面からしか照らし出すことのできないものもあるはずです。

とはいうものの、世界の映画史に屹立する巨人・小津安二郎に対してなにもわざわざ「脆弱さ」からアプローチしなくたっていいではないかという見方があっても、そう思うのも至極当然で、その気持は僕だって大いに理解できます。

さて、そういう「脆弱さ」という意味からいえば、1950年代のピークを過ぎて失速を囁かれはじめた時期の渋谷実監督に対してそこ当てはまるような気がしています。

よく言われることに、1960年以後の渋谷監督の失速に対する理由付けとして、よく「長い間、松竹のぬるま湯に浸かりすぎたための弱さがでたのだ」という言われ方をしていたことを思い出しました。

この言葉は、そのまま小津監督にも当てはまるはずです。

そういう意味では、「東京暮色」を意識した「もず」という構図は、その「暗さ」において決して突飛な発想ではなかったと考えています。

(1961にんじんくらぶ・松竹)監督・渋谷実、企画・佐々木孟、製作・若槻繁、渋谷実、原作脚色・水木洋子、撮影・長岡博之、美術・松山崇、照明・小泉喜代司、音楽・武満徹、録音・大村三郎、スチール・堺謙一、
出演・淡島千景、有馬稲子、永井智雄、山田五十鈴、深見泰三、桜むつ子、乙羽信子、高橋とよ、清川虹子、川津祐介、岩崎加根子、辻伊万里、柏木優子、日高澄子、佐藤慶、町田祥子
1961年3月1日公開
[PR]
by sentence2307 | 2011-10-10 07:49 | 映画 | Comments(289)