世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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ノルウェイの森

この村上春樹作品「ノルウェイの森」には、僕自身の原作への愛着もあり、大いに期待して見たのですが、その分だけ、実際以上の失望感の相乗効果に見舞われて、おそらく実態以上に、さらに低く見てしまったかもしれません。

正直、これは僕が読んだ「ノルウェイの森」なんかではないという苛立ちを強く感じました。

そして、もし、村上春樹の小説が、この映画に撮られたように、こんなにも暗く陰鬱なだけのものだったなら、きっと僕は、いままで村上春樹の愛読者でいつづけることはなかっただろうという気がします。

いや、むしろ、この映画を見てはじめて「ノルウェイの森」という小説が、こんなにも深刻で絶望的な「あらすじ」を持っていることを「発見」したといってもいいくらいです。

しかし、小説は、決して「あらすじ」なんかではありません。

そして、小説を読むということが、ただ「あらすじ」を追うことであってはならないと同じように、その映画化となれば、映像表現を駆使して映画独自の表現の高みを目指すべきものという、アカラサマに結果を問われるなら、この作品は、僕にとっては、もう二度と見返す必要などない作品という気がします。

いくらセリフを忠実になぞっても、そこに「時代」が描かれていなければ、ただ無残な空回りを見せ付けられるだけの話です。

そして、映画「ノルウェイの森」において、もっとも忌避すべき点は、小説において作品全体を覆う「陰鬱さ」を凌駕してしまうように書き込まれた村上作品独特な「奇妙で醒めた軽さ」の欠如です。

若さの陰鬱と苦渋を強烈に打ち消して、まるでバランスをとるかのように描き込まれているその「奇妙な軽さ」の輝きをつかみ損ねたこの映画は、バランス感覚を欠いて一層の貧弱さを見る者に強く印象づけたのではないかと感じました。

それは、1960年代末から1970年代初頭にかけて、あの過酷な「時代」と否応なしに青春を併走させなければならなかった世代が、身につけねばならなかった他人に対する距離のとり方、状況への絶望を回避するために必要な「バランス感覚」の生きる姿勢の認識がなければ、この映画は、きっと見るに耐えない身勝手なエゴイストたちの裏切りの物語にすぎない愚劣な作品に堕してしまうに違いないと思いました。

当時の切迫した時代性を描き込むこと(しかし、実際に描かれていることといえば、せいぜいチマチマした学内デモ風景程度です)に失敗したこの程度の映画では、新しい世代に、例えば、他人を愛することが同時に傷つけてしまうことの「生きることの不全感」みたいなものを理解させることは、当然ながら難しかったに違いありません。

多くの若い観客が、この映画の「性」の描き方に対して生理的な拒絶をあらわにしたコメントをいままで数多く読んできました。

あるいは、この物語が、なぜ、これほどまでに「性交」にコダワルのかが、その観念的な「性」に対する考え方がどうしても理解できないしつまらない、「馬鹿みたい」という趣旨でした。

考えてみれば、僕たちを取り巻いていた当時の映画状況といえば、健さんが怒りを炸裂させて斬りまくる「仁侠映画」と、異性・同性はおろか犬・馬・羊とさえ交わるという歯止めを失った「ポルノ映画」の暴走と氾濫でした(それこそ、観念の暴走にすぎなかったのですが)。

そして、これらの状況が僕たちに示唆し・強いたものは、当然のことながら、「暴力による解放」と「自由な性(交)」であり、そうした「時代」に囚われ、あと押しされながら、旧態依然の観念を抱いたままの僕たちは、必死に「時代」に合わせるために稚拙な恋を無理やりに背伸びさせたり(性交までしなければ今風な恋愛ではないみたいな思い込みのもとで)、大切な人間関係を悉く壊し、失ってしまった苦い経験を積み重ねてきました、シチュエーションはどうあれ、それは「ノルウェイの森」に描かれたとおり、「観念」に引きずり回されたあげくに、しかし、結局はそのようになど生きれるわけもなく蹉跌し傷つき諦念のはてに、ある者は精神の均衡を崩して沈黙し、また、ある者は早すぎる老成の準備をはじめた世代といえるかもしれません。

この映画においても、最後に語られる直子の述懐が胸を打つのは、女として愛する人の性器を受け入れることができない体の不全を嘆きながらも、しかし同時に、「不全」のまま生きる選択も有り得たかもしれない途を、みずから断たねばならないという「その時代」の要請から逃れられない者たちの限界と絶望をも語っているからかもしれません。。


【参考】
直子の告白(抜粋)

「彼のが入ってきたとき、私痛くて痛くてもうどうしていいかよくわかんないくらいだったの」って直子が言ったわ。「私初めてだったし。濡れてたからするっと入ったことは入ったんだけど、とにかく痛いのよ。頭がぼおっとしちゃうくらい。彼はずっと奥の方まで入れてもうこれくらいかなと思ったところで私の脚を少し上げさせて、もっと奥まで入れちゃったの。するとね、体中がひゃっと冷たくなったの。まるで氷水につけられたみたいに。手と脚がじんとしびれて寒気がするの。いったいどうなるんだろう、私このまま死んじゃうのかしら、それならそれでまあかまわないやって思ったわ。でも彼は私が痛がっていることを知って、奥の方に入れたままもうそれ以上動かさないで、私の体をやさしく抱いて髪とか首とか胸とかにずっとキスしてくれたの、長いあいだ。するとね、だんだん体にあたたかみが戻ってきたの。そして彼がゆっくりと動かし始めて・・・ねえ、レイコさん、それが本当に素晴しいのよ。頭の中がとろけちゃいそうなくらい。このまま、この人に抱かれたまま、一生これやってたいと思ったくらいよ。本当にそう思ったのよ。」
「そんなに良かったんならワタナベ君と一緒になって毎日やってればよかったんじゃないの?」って私言ったの。「でも駄目なのよ、レイコさん」って直子は言ったわ。「私にはそれがわかるの。それはやって来て、もう去っていってしまったものなの。それは二度と戻ってこないのよ。何かの加減で一生に一度だけ起こったことなの。そのあとも前も、私何も感じないのよ。やりたいと思ったこともないし、濡れたこともないのよ」

(2010東宝)監督脚本・トラン・アン・ユン、原作・村上春樹、エグゼクティブプロデューサー・豊島雅郎、亀山千広、Co.エグゼクティブプロデューサー・マイケル・J・ワーナー、バウター・バレンドレクト、製作統括・寺嶋博礼、石原隆、プロデューサー・小川真司、共同プロデューサー・福島聡司、撮影・リー・ピンビン、美術・イェンケ・リュゲルヌ、安宅紀史、音楽・ジョニー・グリーンウッド、音楽プロデューサー・安井輝、主題曲主題歌・ザ・ビートルズ、録音・浦田和治、照明・中村裕樹、編集・マリオ・バティステル、キャスティング・杉野剛、アソシエイト・プロデューサー・松崎薫、池田穣、ライン・プロデューサー・宿崎惠造、製作担当・田口雄介、アシスタントプロデューサー・小川未央子、助監督・片岡章三
出演・松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、高良健吾、霧島れいか、初音映莉子、玉山鉄二、柄本時生、糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏、
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by sentence2307 | 2012-01-22 18:30 | 映画 | Comments(0)
もう何年も会っていない友人から、久しぶりに電話が掛かってきました。

嫁いだ娘さんが無事男の子を出産し、初孫ができたのだそうです。

すこし高齢出産だったということで、彼も随分心配したらしいのですが、母体も赤ちゃんも何事も無く出産できたので嬉しかったのだと思います。電話の声が小躍りしていて、終始上ずっていました。

さっそく、お祝いの席をもうけ、久しぶりに旧交を温めました。

最近彼は、日本に在住する外国人たちを相手に日本語を教えるボランティアにはげんでいると聞いていました。

充実した忙しい日々をおくっていることと、初孫誕生の嬉しさも加わって、羨ましいほど生き生きしていました。

まずは初孫誕生の祝杯をあげ、病院での誕生の様子などを聞いたあとで、話は当然、お孫さんにつけた名前をさっそく聞いてみました。

彼は、「それがさあ」と言いながら、目にも止まらぬ早業で、カバンからタブレット端末を取り出すやいなや、パッパッバッと手馴れた指さばきで「最近の男の子の命名ランキング」という画面を表示させ、ぼくの目の前に突き出しました。

なるほどなるほど、この「命名ランキング」という人気の名前をサカナに、お孫さんの名前の話をしようというわけですね。

とにかく、これを見れば、最近の人気の名前の様子が一目瞭然です。

ちなみに「最近の人気の男の子の名前」というのは、以下のとおりだそうです。

大翔、蓮、颯太、樹、大和、陽翔、陸斗、太一、海翔、蒼空、翼、翔、翔太、歩夢、湊、優真、悠真、悠斗、陽向、一輝、海斗、悠太、陽、陽斗、颯介、一真、光希、蒼真、蒼太、蒼大、大雅、優、悠人、悠翔、颯、颯斗、レン、瑛太、瑛斗、航、春馬、潤、蒼、大空、大智、歩、優斗、陸、琉生、玲央、煌、颯人、愛斗、一翔、健太、仁、拓真、隼人、唯斗、優希、悠馬、遥斗、遥翔、陽太、陸翔、琉斗、龍之介、諒、琥太郎、颯真、颯汰、伊織、瑛翔、空、圭吾、慶人、健、康太、皇成、航輝、航大、春輝、駿、駿介、匠、真聖、迅、奏太、奏輔、爽、蒼介、太陽、大芽、大希、大輝、大地、智久、智也、柊真、彪雅、風雅、歩武、優月、勇斗、勇翔、悠雅、悠希、悠仁、悠大、遥輝、陽希、陽大、理人、璃空、亮、亮太、遼太、蓮介、蓮斗、和希、和真、昊、琥珀、翔太郎、翔斗

・・・それでね、と彼「婿さんが付けたのも、ほら、ここにちゃんとあるだろ。これこれ」と指差したのを見ると「蒼空」とあります。

ランキングでいうと、だいたい10位くらいですから、かなり人気の高い名前なのでしょう。

ただ、コレってどういうふうに読んだらいいのか、とっさには読めませんでした。

というのは、この字面から、このまえ北京でちょっと話題になった女優の蒼井そらの艶かしいイメージが瞬間的に過ぎり、やや動揺してしまい(あとから思えば、動揺する理由などなにもなかったのですが)、しかし、とにかく彼にとっては可愛い初孫の名前なのですから、迂闊な読み方をするわけにはいきません。

ここは慎重のうえにも慎重に、恐る恐る「あおぞら・・・くん?」と聞くと、

「だろ。でも、これで『そら』って読ませるらしいんだ。役所では、常用漢字や人名漢字でありさえすれば、読みはどうであれ受理するんだと。」

そうそう、自分もそんな話、どこかで聞いた覚えがありました。

しかし、漢字はそれだけガチガチに規制しておいて、「読み方」を野放しにするなんて、考えてみれば随分ルーズな規制だなという気がします。

「それでさ、オレいまボランティアで外国人に日本語教えているんだけど、時と場合によって微妙に使い分けなければならない漢字の読みを理解させるのが、これがまた、なかなか大変なんだよなあ」

日本人が、何気なく使い分けている漢字の読みを、改めて外国人に教えようとすると、この場合にはコレ、あの場合にはアレ・・・みたいな極めて煩雑なその規則性がよく分かるということらしいのです。

(以下は、彼の話したことの概略です。)

数年前に麻生首相が「未曾有」を「みぞゆう」と読み間違えて、みんなで笑いものにしたことがあったよな。

確かに、日本では、仏教語は呉音で発音することになっていて、例えば、有名、有限などは漢音で「ユウ」と発音するけれども、仏教語の有為、有無などは呉音で「ウ」と発音することになっている。

したがって、仏教語である「未曾有」は「ミゾウ」と呉音で読まなければならない。

その辺の漢音と呉音の使い分けができないと(それが「教養」ということになるのだろうが)、呉音で読むべきところを、謝って漢音で「ミゾウユウ」などと読み、笑いものになってしまうということになるんだよな。

しかしさ、そもそもの原因は、日本語における漢字の読み方が複雑すぎることにあるのであって、それからすれば「未曾有」を「みぞゆう」で読んでしまうというのも仕方のないことのように思える。

中国語では「有」という字には「ヨウ」という読み方しかないのに、日本語では有無や未曾有の時は「う」、保有、有機、有償などの時は「ゆう」と読み分けなければならない。

同じ「有為」でも「有為の青年」と書いてあれば「ゆうい」と読まなければならないし、「有為転変」と書いてあれば「うい」と読まなければならないという具合で、およそ規則性というものがないんだよな。

こう見ると、どうやら大勢は「ゆう」で、仏典に出てくるような言葉は「う」という使い分けになっているのらしいと推測できるが、要するにどの場合も「ある」という意味なのだから、あえて読み分ける必要など本来ないのではないかと思えてしまう。

繰り返すけれども、中国語では、ほとんどの字は一つの読み方しかない。

もともと一つの音しかないはずの「有」という漢字に、日本語を反映させるために日本人が「あ(る)」という訓読みを付け加えたのはいいとしても、なぜ漢語を表すときに「ゆう」と「う」という二つの読み方(音読み)が存在するようになったのかといえば、それは日本人が飛鳥時代から室町時代に至るまできわめて長い時間をかけて中国語を日本語の中に取り入れてきたために、中国の様々な地方と時代の読み方がそれぞれに伝わってきたからなんだ。

「有」という字の「う」という読み方は呉音と呼ばれ、奈良時代以前に長江下流域の言葉が朝鮮半島経由あるいは直接に日本に伝わってきたものとされている。

一方、「ゆう」という読み方は奈良時代末から平安時代にかけて遺唐使や留学生として唐に赴いた人々が伝えた長安の発音で、漢音と呼ばれる。

ただし、呉音が実際どの程度正確に呉の地方の発音を写し取っているかは疑問だといわれている。

いずれにせよ、「有」という字には本来一つの意味→音しかなかったものが、日本人が長い間に中国語を様々な地方の中国人、あるいは中国語を知っている朝鮮人などいろいろな人たちに教わったために、各地の方言が混ざってしまったということらしい。

つまり、そういう成り立ちの「読み」に、それほどこだわることがあるだろうかということなんだが、どうだろう。

奈良時代の末に、遣唐使が伝えた漢音に漢字の読み方を統一すべきだという勅令がだされたことがあったらしいが、「仏教語は呉音で発音しなければならない」的な既にそれなりの勢力を得た教養派閥が、そういう是正案を潰したであろうことは、想像に難くないと思う。

麻生首相は、あのとき、本当は、日本語にとって、とても深刻な問題提起を為したのであって、少なくとも僕たちは、彼を笑うべきではなかったのかもしれない、と彼はポツリと言いました。


ちなみに、男の子の名前のランキングだけ掲げるのでは片手落ちなので、女の子の名前のランキングも載せておきますね。
陽菜、結愛、結衣、杏、莉子、美羽、結菜、心愛、愛菜、美咲、葵、心結、凜、愛莉、杏奈、希、咲希、柚希、玲奈、莉央、さくら、愛奈、花音、心優、美桜、優月、美優、優衣、あかり、愛美、愛梨、芽依、七海、心菜、美空、未来、莉奈、こころ、ひなの、叶愛、琴音、結月、彩葉、心美、美月、百花、夢、優芽、優菜、優奈、陽愛、陽向、里桜、栞奈、ひなた、華音、芽衣、芽生、菜々美、桜、心花、真央、美結、楓、萌愛、優香、和、和奏、莉桜、あおい、愛桜、綾乃、杏樹、光希、彩羽、彩花、咲、紗希、朱里、心音、心陽、桃音、桃花、日和、美海、穂香、萌々香、陽菜乃、璃桜、瑠菜、怜奈、凛、莉菜、莉乃、ひかり、ひまり、りん、愛乃、音羽、花帆、花歩、花梨、結花、結華、結子、光、彩華、彩乃、菜央、咲良、紗那、紗良、春花、心春、心寧、真奈、晴、蒼依、虹心、美音、美緒、美陽、萌花、望愛、優亜、優羽、優花、柚咲、柚奈、遥、陽葵、陽莉、梨乃、璃子、里咲、里奈、琉愛、瑠愛、瑠花、麗、麗奈、和花、莉愛
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by sentence2307 | 2012-01-10 22:49 | 徒然草 | Comments(1)

夜の緋牡丹

京橋のフィルムセンターでは、1月6日から約1ヵ月かけて、1949年~1960年に製作された「新東宝映画」作品をニュー・プリントで特集上映しています。

それらの作品は、今回新たに収集され、いままで見ることのできなかったもので、新しくライブラリーに加えられる作品だそうです。

そうそう、特集のメイン・タイトルには「映画保存のための特別事業費によるよみがえる日本映画」とあるとおり、ナニシロ国家予算がらみの重々しい公的プロジェクトと銘打つ真摯な企画で、思わず膝を正したくなるような仰々しい取り組みですが、しかし、上映作品されるという当の作品が新東宝作品というところが、ちょっと笑っちゃうじゃないですか(当然笑ったりしてはいけませんが)。

いえいえ、なにもメジャー作品が良くて、新東宝作品などマイナー作品が悪いなんていっているわけではありません。

むしろ自分は、新東宝作品大好き人間で、しばしばチャンネルnecoなどで珍しい作品が放映されていれば、積極的に録画して見るようにしているくらいですが、もっとも、同じ時間帯で他社の未見作品などが放映されていたりすると、あっさりと宗旨替えしてしまう程度の信用のおけない大いに薄いファンではありますが。

まあとにかく、見てみなければ分からないというタテマエと、一方経験則から、だいたいは「期待」が裏切られ肩透かしを食わされるに違いないことを前提にそれなりに身構えたうえで、一作ずつ慎重に見ていきたいと考えています。

しかし、そうはいうものの、新東宝映画をこだわって見てきたおかげで分かったこともありました。

「映画とは、こういうものでなければならない」という頑なな思い込みというか、狭い固定観念(芸術的でなければならないとか、勧善懲悪でなければならないとか、深刻的でなければならないとか、道徳的でなければならないとか)から解放され、自由な立場で映画をもっと気楽に見てもいいのだ、というか、「もっと芸術的な作品を見たい」という欲求と、「もっと淫乱な映画を見たい」という欲求は、それほど隔たったものでないことが分かりました。

いまでは、それが映画を見る上でのぼくの指針です。

要は、見るこちら側の問題に過ぎないのであって、映画は、芸術的であろうと、淫乱であろうと、それらはそのままで全然構わない、その総体こそが映画という生きものであることに気づかせてくれたような気がします。

今回の上映作品は、以下のとおりですが、このなかでは、島崎雪子のデビュー作であり、また、「島崎雪子失踪事件」で話題になった千葉泰樹監督の「夜の緋牡丹」が入っていて、ぜひ見たいと思っている作品です。

ちなみに、フィルムセンターのこの「新東宝」カタログの第一面の表紙は、「夜の緋牡丹」のスチール写真が使用されており、それは、島崎雪子が真っ白い太ももをあらわに天井から逆さにブラ下がって(それだけでもズイブン変態的で異様です、とっさに衝撃的な体位なのかという妄想にとらわれました)、いままさに伊豆肇と接吻しようという扇情的・官能的な場面です。

島崎雪子のプロフィールには、「島崎雪子失踪事件」前後の事情についてこんなふうに紹介されています。

《25年、新東宝製作【山のかなたに】のフレッシュガール募集に応募し、トップで合格。【青い山脈】の原節子の役名を芸名とし、オキャンな女子軍団の1人に扮し十数名のグループの中の1人だったが存在感を示した。
藤本プロダクション専属となり、続いて【夜の緋牡丹】に出演が決まった。
当初、主役の「芸者・たい子」に抜擢されたが、突然、轟夕起子に変更になるとの報道が流れ、その後スタッフ・会社間のゴタゴタなども起こり、一連の騒動に島崎雪子は精神的なショックを受けて失踪した。
これが有名な『島崎雪子失踪事件』だが、事件は新聞の三面記事で大きく扱われ一時騒然となったものの、結局のところ藤本プロデューサーが仕組んだ新人売出作戦だったともいわれ、ほかにも共演者の伊豆肇が島崎雪子に恋をしたなどというゴシップもアエテ流したらしい。
当の島崎雪子は、騒動中、撮影所近くのアパートに潜んでいたという。
ていよく利用されたカタチとなった轟夕起子は大いに激怒したが、島崎雪子の謝罪で納まったらしい。
結局、無事「たい子役」を得た島崎雪子は、伊豆肇を相手に大いに官能的演技を披露した。》

当時ポスターに使われた宣伝惹句は、
・泥まみれの愛! ぎりぎりの欲! 屋根裏に燃えあがる熱っぽい女の体質
・男を殺す眼! 狂わせる肢体! ぎりぎりの愛欲が火と燃える!
・娼婦の肉体と少女の感情を持つダンス芸者・瞬間の刺戟を求めて男を漁る奔放女性
・泥まみれの恋情が火と燃える!! 
・晩秋のエクランを飾る芸術巨篇! 日本版「情婦マノン」!! 
・赤裸々になげだされた女の体臭と真実! 胸打つ情炎の大メロドラマ!
という「これ以上もうない」というくらい相当なものでした。

(1950銀座ぷろだくしょん・新東宝)監督・千葉泰樹、製作原作脚本・八田尚之、撮影・鈴木博、美術・下河原友雄、音楽・早坂文雄、制作補・島村達芳
出演・伊豆肇、島崎雪子、千明みゆき、田崎潤、月丘夢路、龍崎一郎、山本禮三郎、北澤彪、勝見庸太郎、高堂國典、澤蘭子、志村喬、小島洋々、菊地双三郎、山室耕、伊藤雄之助、冬木京太、
 1950.12.08 11巻35mm 2,890m 105分 白黒


★フィルムセンター 新東宝作品上映作品
1 【流星】(1949新東宝)(監督脚本)阿部豊(原作)富田常雄(脚本)館岡謙之助(撮影)山中進(美術)進藤誠吾(音楽)服部良一(出演)山口淑子、大日方傳、山村聰、若原雅夫、野上千鶴子、千明みゆき、伊澤一郎、中村彰、鳥羽陽之助(82分・35mm・白黒)
2 【湯の町悲歌(エレジー)】(1949新東宝)(監督)野村浩將(脚本)佃血秋(撮影)横山実(美術)梶由造(音楽)古賀政男(出演)山根壽子、近江俊郎、清川荘司、田中春男、宮川玲子、千石規子(60分・35mm・白黒)
3 【恐怖のカービン銃】(1954新東宝)(監督)田口哲(監督脚本)浅野辰雄(撮影)井上莞(美術)吉山雅治(音楽)伊藤宣二(出演)天知茂、三原葉子、村山京司、加藤章、三砂亘、児玉一郎、上野綾子、有馬新二、倉橋広明、川部守一、近藤宏(45分・35mm・白黒)
4 【帰國 ダモイ】(1949新東宝)(監督)佐藤武(監修)渡邊邦男(脚本)岸松雄(撮影)山崎一雄(美術)伊藤寿一(音楽)飯田信夫(出演)井上正夫、野上千鶴子、和田信賢、堀雄二、大日方傳、莊司肇、山室耕、田中春男、山口淑子、堀越節子、泉麗子、池部良、藤田進(90分・35mm・白黒)(90分・35mm・白黒)
5 【憧れのハワイ航路】(1950新東宝)(監督)斎藤寅次郎(原作)サトウ・ハチロー(脚本)八住利雄(撮影)友成達雄(美術)加藤雅俊(音楽)上原げんと(出演)岡晴夫、美空ひばり、花菱アチャコ、キドシン、古川緑波、柴田早苗、吉川満子、清川玉枝 (78分・35mm・白黒)
6 【夜の緋牡丹】(1950銀座ぷろだくしょん)(監督)千葉泰樹(原作脚本)八田尚之(撮影)鈴木博(美術)下河原友雄(音楽)早坂文雄(出演)伊豆肇、島崎雪子、田崎潤、月丘夢路、龍崎一郎、山本禮三郎、北澤彪、勝見庸太郎、高堂國典(105分・35mm・白黒)
7 【桃の花の咲く下で】(1951新東宝)(監督脚本)清水宏(脚本)岸松雄(撮影)鈴木博(美術)鳥井塚誠一(音楽)服部良一(出演)笠置シヅ子、日守新一、柳家金語樓、花井蘭子、中川滋、大山健二、北澤彪、鳥羽陽之助、清川玉枝、伊達里子、堀越節子、江戸川蘭子、花岡菊子(73分・35mm・白黒)
8 【惜春】(1952新東宝)(監督脚本)木村惠吾(撮影)小原讓治(美術)下河原友雄(音楽)飯田三郎(出演)上原謙、山根壽子、笠置シヅ子、齊藤達雄、清水将夫、田中春男、伊藤雄之助、東野英治郎(97分・35mm・白黒)
9 【ハワイの夜】(1953新東宝・新生プロ)(監督)マキノ雅弘、松林宗惠(原作)今日出海(脚本)松浦健郎(撮影)三村明(美術)進藤誠吾(音楽)渡辺弘(出演)鶴田浩二、岸惠子、水の江滝子、御園裕子、水島道太郎、三橋達也、小杉勇、江川宇礼雄、横山運平、田中春男、滝花久子(84分・35mm・白黒)
10 【アジャパー天國】(1953新東宝)(監督)齋藤寅次郎(原作)サトウ・ハチロー(脚本)八住利雄(撮影)友成達雄(美術)加藤雅俊(音楽)服部正(出演)花菱アチャコ、伴淳三郎、古川緑波、田端義夫、堺駿二、清川虹子、南壽美子、高島忠夫、田中春男、星美智子、キドシン、トニー・谷、泉友子、柳家金語楼(84分・35mm・白黒)
11 【もぐら横丁】(1953新東宝)(監督脚本)清水宏(原作)尾崎一雄(脚本)吉村公三郎(撮影)鈴木博(美術)鳥井塚誠一(音楽)大森盛太郎(出演)佐野周二、島崎雪子、日守新一、宇野重吉、若山セツ子、森繁久彌、和田孝、片桐余四郎、千秋實、磯野秋雄、杉寛、田中春男、堀越節子、天知茂、尾崎士郎、壇一雄、丹羽文雄(93分・35mm・白黒)
12 【戰艦大和】(1953新東宝)(監督)阿部豊(原作)吉田満(脚本)八住利雄(撮影)横山実(美術)進藤誠吾(音楽)芥川也寸志(出演)藤田進、舟橋元、高田稔、佐々木孝丸、小川虎之助、見明凡太朗、伊沢一郎、片山明彦、高島忠夫、三津田健、中村伸郎、宮口精二、竜岡晋(101分・35mm・白黒)
13 【日本敗れず】(1954新東宝)(監督)阿部豊(脚本)館岡謙之助(撮影)横山実(美術)進藤誠吾(音楽)鈴木靜一(出演)早川雪洲、藤田進、山村聰、柳永二郎、齋藤達雄、小川虎之助、髙田稔、小笠原弘、舟橋元、沼田曜一、細川俊夫、丹波哲郎、宇津井健、北沢彪、安部徹、佐々木孝丸(102分・35mm・白黒)
14 【忍術児雷也】(1955新東宝)(監督)萩原遼、加藤泰(脚本)賀集院太郎(撮影)平野好美(美術)鈴木孝俊(音楽)高橋半(出演)大谷友右衞門、若山富三郎、田崎潤、瑳峨三智子、新倉美子、利根はる惠、大河内傳次郎(80分・35mm・白黒)
15 【逆襲大蛇丸】(1955新東宝)(監督)加藤泰(脚本)賀集院太郎(撮影)平野好美(美術)鈴木孝俊(音楽)高橋半(出演)大谷友右衛門、若山富三郎、田崎潤、瑳峨三智子、新倉美子、利根はる恵、大河内傳次郎(70分・35mm・白黒)
16 【番場の忠太郎】(1955新東宝)(監督)中川信夫(原作)長谷川伸(脚本)三村伸太郎(撮影)岡戸嘉外(美術)伊藤壽一(音楽)淸瀨保二(出演)山田五十鈴、若山富三郎、桂木洋子、森繁久彌、鳥羽陽之助、阿部九州男、伊澤一郎、三井弘次、滝花久子、光岡早苗、花岡菊子、坪井哲、冬木京三(86分・35mm・白黒)
17 【母の曲】(1955新東宝)(監督)小石榮一(原作)吉屋信子(脚本)笠原良三(撮影)岡戸嘉外(美術)朝生治男(音楽)飯田三郎(出演)三益愛子、安西郷子、宇津井健、田中春男、增田順二、淸川玉枝、花岡菊子、坪井哲、上原謙、木暮実千代(98分・35mm・白黒)
18 【アツカマ氏とオヤカマ氏】(1955新東宝)(監督)千葉泰樹(原作)岡部冬彦(脚本)笠原良三(撮影)西垣六郎(美術)朝生治男(音楽)三木鶏郎(出演)小林桂樹、上原謙、久保菜穂子、三原葉子、遠山幸子、花井蘭子、細川俊夫、井上大助、上田みゆき、相馬千恵子、森繁久彌、三遊亭金馬、美舟洋子、沢村昌之助、関三十郎(85分・35mm・白黒)
19 【風流交番日記】(1955新東宝)(監督)松林宗惠(原作)中村貘(脚本)須崎勝彌(撮影)西垣六郎(美術)黑澤治安(音楽)宅孝二(出演)小林桂樹、宇津井健、加東大介、多々良純、丹波哲郎、高田稔、志村喬、安西郷子、阿部寿美子、野上千鶴子、花岡菊子、千明みゆき、英百合子、御木本伸介、天知茂(91分・35mm・白黒)
20 【リングの王者 栄光の世界】(1957新東宝)(監督)石井輝男(脚本)内田弘三(撮影)鈴木博(美術)小汲明(音楽)齊藤一郎(出演)宇津井健、池内淳子、中山昭二、細川俊夫、鮎川浩、小髙まさる、若杉嘉津子、伊沢一郎、林國治、米山廣人、旗照夫、天知茂(75分・35mm・白黒)
21 【女の防波堤】(1958新東宝)(監督)小森白(原作)田中貴美子(脚本)小山一夫、村山俊郎(撮影)岡戸嘉外(美術)鳥居塚誠一(音楽)古賀政男(出演)小畑絹子、荒川さつき、筑紫あけみ、細川俊夫、三原葉子、城実穂、万里昌代、鮎川浩(87分・35mm・白黒)
22 【黒線地帯】(1960新東宝)(監督脚本)石井輝男(脚本)宮川一郎(撮影)吉田重業(美術)宮沢計次(音楽)渡辺宙明(出演)天知茂、三ツ矢歌子、三原葉子、細川俊夫、瀬戸麗子、矢代京子、魚住純子、鮎川浩、宗方祐二、大友純(80分・35mm・白黒)
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by sentence2307 | 2012-01-09 22:44 | 映画 | Comments(278)

左ききの狙撃者 東京湾

この1962年作品「左ききの狙撃者 東京湾」を見ていて、野村芳太郎監督が後年(1974年)に撮ることとなる「砂の器」が、いかに野村監督にとって生涯の集大成となる重要な作品だったかということを今回あらためて思い知りました。

しかし、この「左ききの狙撃者 東京湾」を、「砂の器」が撮られるための布石的な準備作品だとか、野村監督の映画作家としての「方程式」にあてはめた作品にすぎないとか、あるいはまた「定番」的な作品だなどというミもフタもない話をしようとは思いません。

出世とは縁の無い下積みの刑事の視点を借りて、事件を捜査していく過程で明かされていく陰惨な「犯罪」と名づけられた「現象」のなかに、社会の底辺に追いやられ、抑圧され虐げられ続けた差別に苦しむ無力な者たちの怒りの反映としてある「犯罪」にこめられた苦しみと悲しみを、痛切な共感をもって見つめる野村監督のドラマツルギーを正当に評価したいという衝動にかられました。

製作されて既にかなりの時間がたってしまった現在から、「砂の器」を意識しつつ(当然「そう」なりますが)、おびただしい予備知識をまといつかせながら「左ききの狙撃者 東京湾」を見るしかない僕たちにとって、その作品独自の価値を正当に見定めることなど、やはり、かなり困難なことに違いありませんし、ただただ絶望的なことだろうと思います。

しかし、その不運な状況にあっても、「左ききの狙撃者 東京湾」を撮られたことによって、「砂の器」の完成度がさらに深められたという予定調和的な視点とかではなく、あるいはまた、「砂の器」の成熟を明かすために「左ききの狙撃者 東京湾」の未成熟さを貶めるというような、時間を逆行するという倒錯した認識の限界を避けて、この野村芳太郎作品にアプローチしたいと考えました。

「左ききの狙撃者 東京湾」において、刑事・澄川(西村晃が好演しています)が、かつての戦友であり、そして、射殺事件の容疑者としてきわめて重い嫌疑のかかっている井上(玉川伊佐男が演じています)に対して、その「情」と「職務」のハザマで、澄川がどのような行動をとったかが、「砂の器」との違いの意味を知る手立てになるのではないかと考えました。

はたして、容疑者・井上に対して、刑事・澄川は「逮捕」をためらうような何らかの「情」みたいなものがあっただろうかということです。

例えば、澄川は、捜査を共にする若い刑事・秋根と妹・ゆき子との結婚を反対し続けています。

その理由というのが、彼だっていまに刑事の仕事が面白くなって捜査に夢中になって当然家庭など顧みなくなり、やがては自分がそうだったように早晩家庭崩壊をまねく、だから妹には、刑事となど結婚はさせない、というのが理由です、というか、理由にならない理由です。

しかし、ここで語られている重要なことは、妹の結婚如何などてはなく、むしろ「いまに刑事の仕事が面白くなって捜査に夢中になる」と語らずにはおられない犯罪捜査に取りつかれた澄川のマニアックな部分です。

いままで多くの映画の中で見た治安維持法にもとづく捜査の陰惨な拷問の場面を支えていたものは、悪を憎む「正義感」であるよりも、「権力の後ろ盾を得た捜査の異常な加虐嗜好」のような気がします。

黒澤明の「野良犬」においてさえも、その雰囲気が充満していたような気がしています。

あの作品においても、戦争によってなにもかもを失った青年復員兵の為した犯罪に対して三船敏郎の刑事は、一応の理解は示したものの、同情とか、ましてや共感などは決してあらわしてはいませんでした。

「砂の器」全編において明らかにほのめかされていたあまやかな「同情」など、この「野良犬」や「左ききの狙撃者 東京湾」には、いささかの気配もありはしません。

「犯罪者」への理解や同情など、随分近年の話にすぎないのです、社会が豊かになり、人の道義感が緩み、価値観が多様化したことによって(「多様化」とは、実に便利な言葉ですが、要は「凋落」とか「堕落」の隠蔽程度の意味合いしかなく)生じただけで、「死刑廃止」同様「社会の進歩」や「知性」の問題とは、なんら関係ありません。

この作品「左ききの狙撃者 東京湾」を貫いている理念は、「犯罪に対する確固たる憎悪」です。

たぶん、その象徴的な場面は、逃亡をはかった容疑者・井上を列車の中に追い詰め、遂に井上の持つ「現金」という物的証拠をつかんで逮捕におよぼうとする場面に描かれています。

澄川は、刑事として容疑者・井上に手錠を掛けたのであり、そこには恩ある戦友への配慮など微塵もありません。

そして、もみ合いの末に手錠につながれたまま、列車のデッキからともに転落する凄絶な場面と、そのあと、一対の轢死体として鉄橋にぶら下がっている無残なラストシーンに、刑事としての執念が象徴的に描かれているのだと感じました。

(1962松竹大船)製作・白井昌夫、企画・佐田啓二、監督・野村芳太郎、脚本・松山善三、多賀祥介、撮影・川又昂、音楽・芥川也寸志、美術・宇野耕司、録音・栗田周十郎、照明・青松明、編集・浜村義康、声・田口計
出演・石崎二郎、榊ひろみ、葵京子、三井弘次、玉川伊佐夫、西村晃、織田政雄、細川俊夫、高橋とよ、加藤嘉、富田仲次郎、浜村純、佐藤慶、穂積隆信、上田吉二郎、末永功、山本幸栄、今井健太郎、山本多美、水木涼子、
1962.05.27 6巻 2,261m 1時間23分 白黒 シネマスコープ
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by sentence2307 | 2012-01-04 23:19 | 映画 | Comments(5)