世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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霧の音

この作品「霧の音」が、清水宏監督作品だと知って、これはなにがなんでも見なくてはという強い気持ちで見ました。

この作品の優れた部分と、あるいは甘々な部分は、あとで書くとして、実はその前に、この作品の情報をネットで拾っていたとき、経験した奇妙な体験を書かないわけにはいきません。

この清水宏監督作品「霧の音」を見たあとで、ネットサーフィン(最近はちょっと言わなくなりましたが)この映画について検索していたら、gooの「解説」に、「相愛の男女が、三年目ごとの中秋名月に、信州高原の山小屋に再会を約しながら、遂に結ばれることなく終る愛情の悲劇」という記述があり、ちょっと驚いてしまいました。

というのは、この映画の中には、ふたりが「三年目ごとの中秋名月に、信州高原の山小屋に再会を約束する」という場面など、まったく存在しないからです。

信州の山小屋で世捨て人のように研究に勤しんでいる大学教授・大沼一彦(上原謙が演じています)のもとで、彼の身の周りの世話を甲斐甲斐しくやいているつる子(木暮実千代が演じています)とのふたりの満ち足りた穏やかな日常が描かれています。

その安定した暮らしの様子は、このふたりが相思相愛の愛人関係にあるらしいということが分かります。

この何年か後の大沼教授の回想で、この時のふたりの関係を「まだ清い関係だった」と述懐していることから、この山小屋でのふたりが、確かにいまだ清い関係だったにしても、かなり「成熟」していて「触れなば落ちん」状態だったことは確かだったと思います。

しかし、そんなとき不意に大沼教授夫人が現れ(乱入し、という言い方のほうが相応しいかもしれません)、その穏やかなふたりの生活を滅茶苦茶にかき乱します。

この大沼夫人という人が、家庭をかえりみることなく、婦人開放運動に熱中するただの政治オタクみたいに描かれているのですが、夫人の側の立場からすれば、東京の家を放ったらかしにし、手紙を出しても返事も寄こさない夫のことが気がかりで、いざ山に訪ねてみれば、いやに色っぽい若い女性となにやら楽しそうにしているのを見て、ついに切れ、逆上してふたりの穏やかな生活を掻き乱したり、愛人つらした女を罵倒したとしても、なんだかそちらのほうが当然で、夫人を非難する側に立つことにいささか躊躇を覚えました。

いや、むしろ、肝心なことには口を閉ざし、いっさいの決断をすることなく、すべてのことを成り行き任せている無責任きわまりない大沼教授の優柔不断さというよりも狡猾さとでもいうしかないその態度の方にむしろ苛立ちを感じたくらいでした。

やがて、物語は、大沼夫人に罵られたつる子が別れを決意し、置き手紙を残して大沼教授のもとを去るのですが、しかし、つる子が残したその手紙のどこにも「三年毎に逢瀬を約束する」などということは、いっさい書かれていませんし、また、つる子が大沼のもとを去る理由というのも、くだんのgooの解説にあったような「つる子は、子供まである大沼教授の家庭を破壊することを恐れ、秘かに山を下る。」などという種類のものでもありません。

つまり本編の内容とは全然違うのです。

実は、つる子には、同じような境遇の女友だちというのがいて、彼女もまたつる子同様、妻子ある男と不倫関係の真っ只中にあり(にっちもさっちもいかない、かなり煮詰まってしまった感じです)、たまたま彼らが信州に遊びに来た日の夜、出口のないその不倫関係の行き詰まりを精算するかのような心中事件を起こしてふたりが死んでしまうというショッキングな事件が起こります。

たとえ彼女の残した書き置きに「子まである大沼の家庭を破壊することに罪悪感を持った」と書かれていたとしても、しかし、彼女が大沼と分かれる決心をした本当の理由といえば、それはもう同じ境遇にあった親友の心中事件に自分の境遇を写し見て悲観したと見るのが、彼女が別離を決断した理由とするのが当然かと思います。

なぜgooの解説が、一度ならず二度までも本編の内容とこれほどまでに食い違うのか、どうしても不可解でした。

その後、ほかのサイトを幾つか閲覧したのですが、gooの解説の引き写しのような誤った情報がコピーされていました。

誤った情報がどこかにあって、検証されることなく、それがそのまま流布されたに違いありません。

しかし、これほどまでに疑いもなく頭から信頼し、偽りの情報が易易と広まってしまうというのは、その情報源がよほど信頼のおけるものか、よほど重要人物の書いた評文とか信憑性のある資料の裏付けがなければ起こり得ないことです。

ぜひそのミナモトを知りたいと思いました。

そんなことも忘れかけていたとき、偶然にその「情報源」に遭遇しました。

キネマ旬報の「日本映画作品全集」(1973年発行のもので、いまだ日常的に愛用しています)の「霧の音」の項を読んでいてびっくりしました。

書き出しの部分には、はっきりと「相愛の男女が、三年目毎の中秋の名月に信州高原の山小屋に再会を約しながら、ついに結ばれることなく終わる愛情の悲劇で、北条秀司が新国劇のために書き下ろした名作である。」と書かれています、執筆者は岸松雄。

これだったのか、とそのときは、パッと目の前の視野が一挙に開ける感じでした。

ビッグネームの信用というか、ブランドだけが誤情報を抱えて一人歩きしてしまう皮肉な現象(ネームバリューというバックがあれば、誤謬さえ堂々と市民権を得てしまう皮肉)を目の当たりにした体験でした。

そんな思いでその一文を何度も読み返していると、そこに書かれている「相愛」という言葉にもなんだか疑問が湧いてきて、絡みたくなってきました。

ふたりが本当に「相愛」なら、なにも三年目毎の中秋の名月に、よりにもよって信州高原の山小屋で会うなんていう、なんともまどろっこしい逢い方をしなくたって、とるべき手段はいくらでもあったのではないかという気がします。

特につる子は、大沼教授の居場所や動静をいつでも知ることができたわけですから、この悲恋の理由として「夫人の生存」だけを殊更に上げるのは、かなり見当外れのような気がします。

大沼教授の恋情としては確かに「そう」だったかもしれませんが、はたして、つる子の方に教授に対する強い気持というものが本当に存在していたのかどうか、意地悪い見方をすれば、ふたりの間を阻んでいるとされている「夫人の生存」は、彼女にとって本当は恋の障碍でもなんでもなく、むしろ逢いに行かないことの口実に使われただけなのであって、つる子の「恋情」ということでいえば、諦めようと思えば諦められる程度の薄いものだったのではないかという気がしてきました。

ラストの場面、大沼教授は、つる子の死を知らされ、ついに結ばれずに終わった儚い恋に声を殺して、囲炉裏端でひとり嗚咽します。

教授の周囲にいる人々も彼の悲しみに気がついており、いま悲しみにくれる彼のことを気づかない振りをして「しばらくは、そっとしておいてあげよう」というような心優しく繊細に見えるかもしれない場面として描かれてはいます。

しかし、よく考えてみれば、大沼教授が、その囲炉裏端で果たして何に対して落涙したのか、なんだかよく分からなくなってきました。

早世したとはいえ、つる子の生涯は、決して不幸だったわけではありません。

妻思いの優しい夫に大切にされ、可愛い子供たちに囲まれた幸福な半生だったといえます。

だとすると大沼教授の涙が、彼女の「不幸」に対して流したものという言い方はできないことになります。

むしろ、あえていえば、大沼教授の涙は、つる子と一緒になれなかった自分自身の「不幸な恋」に対して流したナルシックな涙でしかなかったような気がします。

さらに考えようによっては、自分の欲望が遂げられなかったことに対して嘆くというずいぶんと身勝手な涙だったかもしれません。

成瀬巳喜男の「浮雲」のラストにおいて、絶海の孤島で薄幸のまま絶命したゆき子の骸に対して慟哭した富岡の涙とは、ずいぶん違う感じがします。

富岡の慟哭には、少なくとも不甲斐ない自分が、腐れ縁のはてにゆき子を無残に死なせてしまったことの贖罪の気持ちとともに、身勝手だった自分自身にも忸怩たる悔恨の気持ちがあったからこそ、その悲痛な物語に観客たちは、せめてもの救いを感じ取ったのだと思いますが、しかし、この「霧の音」において、大沼教授は、自分の身勝手さに気づくことなく、いままさにつる子の忘れ形見の手を引いて今は亡き彼女の墓参に向かおうとしているその自己愛に酔いしれた大沼教授の涙に、どこまで観客が共感できるか、果たして「浮雲」に見出したような「救い」を観客は感じ取ることができるだろうかと、幾分の危惧が残りました。

(1956大映京都)製作・永田雅一、企画・辻久一、監督・清水宏、原作・北條秀司、脚本・依田義賢、撮影・相坂操一、美術・神田孝一郎、音楽・伊福部昭、録音・大谷巌、照明・伊藤貞一、スチル・松浦康雄、助監督・渡辺実、製作主任・竹内次郎
出演・上原謙、木暮實千代、川崎敬三、藤田佳子、浪花千栄子、柳永二郎、江島みどり、浜世津子、見明凡太朗、坂本武、浦辺粂子、万代峯子、上田寛、石原須磨男、丸山修、横山文彦、三浦志郎、長谷川茂、大崎四郎、遠山泰裕、清水紘治、仲上小夜子、滝のぼる、戸村昌子、種井信子、須山礼子、里中位子
1956.11.21 9巻 2,294m 84分 白黒
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by sentence2307 | 2012-03-20 14:45 | 映画 | Comments(288)