世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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<   2012年 09月 ( 6 )   > この月の画像一覧

兄とその妹

島津保次郎監督の「兄とその妹」について評された解説書とか、ネットでの多くの人のコメントを読むと、もうそのほとんどが、この作品の一場面、出勤前のほんのわずかな慌しい時間のなかで交わされる兄と妹の日常会話の絶妙なやりとりの素晴らしさと、そのリアリティに満ちたきめ細かい描写の秀逸さを絶賛する感想ばかりなので、なんだか奇妙に思えて仕方ありませんでした。

なにもそこまで「右へならえ」しなくてもいいのではないかという違和感が、僕の中には長い間ありました(確かに、この場面の高い評価は、公開直後「キネ旬」1939.4.11号掲載の水町青磁の評価から、「日本映画史」における佐藤忠男の高評価に至るまで歴史的な一貫性はあります)。

しかし、この作品の圧巻は、あきらかにラストで畳み掛けるように描かれている会社内でのトラブルであり、卑劣な同僚への怒りの鉄拳制裁(会社人間を長い間やってきた自分などから見ると、あの行為は、どう見ても自制心を欠いた間宮の短慮としかいいようがなく、むしろ間宮の異様な潔癖さこそ気がかりです)と、そのために日本での生活の場を失って追い立てられるように向かう中国大陸を「新たな希望の新天地」として描いたその観念のあり方をまず論じなければ、兄とその妹の「軽妙で爽やかな会話」を絶賛するなど本末転倒であってなんの意味もないように思います。

あえて言えば、衝撃のラストと「希望の新天地」を視野を欠いた部分で、あの兄と妹の朝の会話のシーンだけを抉り取って絶賛などできるわけもなく、むしろ、取るに足らない見当違いな賛辞と極言しても差し支えないのではないかと思えてしかたありませんでした。

考えてみれば、中国に行くと決意した間宮に従順につき従う妻と妹(どう見ても非のない好青年からの求婚を諦めてまで、それでも兄に従っていく目算というか理由があったのかが理解できません)の人形のような無意思な描き方の方に、とても違和感が残ります。

たとえば、この一連の出来事と間宮の選択を象徴的な語句にして並べてみると、こんな感じになるでしょうか。

「突然の激昂と鉄拳制裁」→「いさぎよすぎる退社」→「家族の意向など気にかけることもなく、さっさと中国行きを決めてしまう独善」

この映画が前半で描いているように、間宮が会社にとってかけがえのない有為の人材なら、会社として、少なくともこの社内トラブルの事実関係を把握するくらいのことはしてもよかったのではないかと思われるのに、会社が調停に動いたり、間宮を慰留したりした形跡などこの映画からはまったく伺われません。

無策としか言えないようなその対応ぶりは、あまりにも冷たく、間宮の栄達をねたみ、彼が夜遅くまで重役の囲碁の相手をするなど、そのゴマスリ振りを陰で誹謗嘲笑し、そのために間宮の怒りをかって鉄拳制裁を受けた卑怯な同僚にしても、間宮に対する会社の冷たい対応にはさぞや驚いたのではないかと考えてしまうくらいです。

まあ、当時の事務職のサラリーマンには、労働者という意識が乏しく、工場労働者のように労働組合を結成して権利侵害には労働争議でもって実力で対抗するなど想像さえできなかったであろうし、その立場はとても弱くて不安定であり、加えて当時の不景気という時代背景を加味して考えれば、上役に対する異常なまでの卑屈さや迎合振りは理解の範囲内だったと考えて差し支えないように思います(それにその「上役」にしても、立場としてはそれほどの大差はなかったでしょうから、そういう意味で、会社の「冷たい対応」も二重の意味で当然だったと思います)。

そして、間宮がその後の身の振り方を決める際に、彼のとった家族の意向を無視した独善的な選択が、自分などはずっと気になっていました。

自分の決意をことごとく家族から否定され、誰もついてこないという惨憺たるさびしい孤立を幾度も経験している自分などからすると、妻と妹が自分の選択を支持しないはずがないというこの間宮の揺ぎ無い確信、自信満々な独善がどこからくるのか、自分などはとても想像できず、だからそう簡単には納得などできるはずもありませんでした。

「こういうのを男の横暴っていうのじゃないの」という思いばかりがありました。

男の横暴など一度として通してもらったことのない存在感のないトーサンのひがみと取られても仕方ありませんが。

キャストもそうでしたが、とてもよく似たラストを持つ小津安二郎監督の「戸田家の兄妹」1941で描かれた大陸行きには、これほどの違和感は覚えなかったので、この違いなども、とても気になるところでした。

この辺のことを考えるヒントとして、この作品が松竹で撮られた島津監督の最後の作品というところにあるのかもしれないと気づいたことがありました。

実は、当時、松竹の顔といってもよかった島津保次郎監督が、なぜこの時期、東宝に移籍したのか、長い間の疑問でした。

そこのところの事情をはっきり書いたものを、残念ながら読んだ限りの資料から探し出すことはできませんでした。

それに、なぜ、そのことにこだわり続けてきたかというと、「まさか金銭問題が絡んでいるわけでは」という思いがあったからかもしれません。

この「兄とその妹」が撮られた時期の松竹を、田中純一郎は「日本映画発達史Ⅲ」第9章「映画の運命」第43節「新しい映画美の創造」のなかでこんなふうに記載しています。

《この頃城戸四郎は新興キネマの重役を兼ねて、同社の製作方針を指導していたが、主力は依然として大船撮影所に注がれていた。
しかし、リベラリスト城戸の方針が、娯楽本位に走り、当時の国家理念から見て好ましくない、社会感覚に相反する、という意見が依然として取締官憲の間に行われ、それが昭和15年に入ると、つぎのごとき検閲方針の一般的強化となって現れたので、松竹映画もついに転換を余儀なくされた。》

この文に続いて、内務省から示された通達が掲げられているのですが、要するに松竹は、もっと時局に協力する作品を撮れという国の指示があったということなのでしょうが、続く《時たま、2、3のヒット映画はあっても、大多数の松竹映画は、混迷と低迷を辿った》と記述されています。

そして一方、東宝の項目では「東宝、時流に乗じて躍進」の見出しのあとに《日中事変勃発の頃から、日本の全体主義的政治体制が次第に形造られつつあったが、東宝映画の首脳部は早くも製作方針を軍官に協調、接近させたので、いわゆる時局感覚を持つ幾つかの大作を発表し、ことごとく時流に投じ、興行的に大成功をもたらした。》と記述されていました。

この「松竹」と「東宝」の項目を比較して読み、先に掲げた間宮の行為の軌跡を当てはめていくと、「潔癖」な島津監督の時流を捉えようと、生ぬるい松竹を捨てて東宝を選択した性急な島津監督の焦慮の姿が浮かび上がってくるような気がしてなりません。

論創社刊「今井正映画読本」のなかで、今井正監督が、東宝にやってきた頃の島津監督の印象を語っている部分があります。

《そのころは島津監督も東宝にきて寂しかったんでしょう。
衣笠貞之助さんなんかが評判よくてね。
島津さんに僕が丁寧にいろいろ教えを乞うているものだから、藤本につれられて、よく一緒に飲みましたよね。
でも「望楼の決死隊」以後は全然駄目。
ある程度、わがままだったんだね、あの人》

華々しい実績を重ねた松竹を出、東宝に移ってこれといった作品を撮れずにいる老練監督か、まだ駆け出しの若い監督からこんなふうに突き放して見られていたということ自体、島津監督がどんどん孤立していった姿が伺われてなりません。

(1939松竹大船)監督脚本・島津保次郎、撮影・生方敏夫、音楽・早乙女光、美術・金須孝、録音・大村三郎、合唱指揮・鏑木欽作
出演・佐分利信、三宅邦子、桑野通子、河村黎吉、坂本武、上原謙、笠智衆、菅井一郎、水島亮太郎、奈良真養、小林十九二、新井淳、遠山文雄、大塚君代、草香田鶴子、藤原加弥子、小桜昌子、菅井一郎
1939.04.01 帝国館・新宿松竹館・横浜常設館・銀座映劇 11巻 2,841m 104分 白黒
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by sentence2307 | 2012-09-30 16:50 | 映画 | Comments(1)
「キネマ旬報」7月下旬号掲載の「新藤兼人が遺した言葉」は、新藤監督の映画人生にとって、大きな影響を与えた人たちの思い出が記されたとても興味深いコラムです。

そこには、小津安二郎、乙羽信子、依田義賢の3人を回顧するエピソードが紹介されているのですが、どのコラムにも溝口健二の影が大きく覆い、溝口監督を生涯の師と仰いだ新藤監督らしいコラムになっています。

この号に掲載された文章も、まずは冒頭から、溝口監督の「最近、小津君は、どうしてますかね」という、新藤監督への問い掛けから始まっています。

当時、新藤監督が、松竹大船で仕事をすることの多かったことを溝口監督も十分に承知しての問い掛けだったのですが、続けてすぐに、大船撮影所の小津監督の方でも溝口監督のことを大変気に掛けておられたエピソードを紹介しています。

ただ、読者としては、この心温まるエピソードの余韻を、さらに発展的に書き綴って余韻をもっと楽しみたいと思っている矢先に、新藤監督は、早々に「二人の芸術家は、・・・互いに相手を信頼しておられるようであった。」と切り上げて、読者の期待を断ち切り、まるで急き立てるような書き方で、病床にあった最期の小津監督に逢ったことについて書き出しています。

急速に文章のトーンが重々しくなるその変化には不吉なものを感じざるを得ません。

時折、苦しげに息遣いをととのえながらも、懸命になって客の応対に心を配る様子が、いかにも小津監督らしいと書き継ぎながら、新藤監督は、ふと「晩春」の一場面に思いを馳せています。

うっとりするような名文なので、雑誌が失われてしまう前に是非とも書き残しておきたいと思いました。


《「晩春」のなかで、いまも私の眼に残っている一つのシーンがある。
娘の婚礼が終って父がひとり帰ってくる。
画面の奥の暗がりから出てきて、左側のわが家の門の格子戸を開いてはいる。
ややロングの情景で門のなかには二階屋がひっそりとある。
何ともいえない場面であった。
しいていうなら人生がそこにあるという場面であった。
もちろんこういうところでは、俳優のうまさも必要であるし、カメラの技術も重要な支えになるし、演出もうまくなくてはいけない。
しかしそれだけでは、「うまく作る」だけのことである。
そこに生きているものをみるのは、それらの背後に何があるかである。
作者が生きて、画面の中を歩いてきて、門の戸をあけねばならない。

〔芸術家は潔癖を失ったとき職人となる。映画の創造には、潔癖は最後の壁である。〕

安全弁のように潔癖は自動装置となって、そこに穴があることをしらせてくれる。
潔癖は窮屈な世界へ自己を押しこめて、はじめて生まれる。
知恵で感得しただけではしようがない。
作家の肉体化とならないと有用ではない。
独身生活ということがまずさっぱりしている。
借金もないし、ぼう大な財を貯えられたわけでもない。
収入はうまい具合に消費される生活だった。
こういう人の作った作品が極めて特徴的な個性を持つのは自然の理である。
小津作品の、シーンが変るたびに、2カット、或いは3カット介入してくる静止した空間は、小津作品のスタイルというよりは、小津作品の内容の呼吸が介在しているといっていいようである。
小津さんのインサート(いや、生きたワン・ショット)はまことに美しい。
それは、画面一ぱいの枝をひろげた大木だったり、ビルの壁の明暗と窓だったり、無人の砂浜だったりする。
それは独立した創りあげられた存在であって、在るものをそのまま写したものではなく、在るもののなかから創りあげられた、あるがままのものである。
エイゼンシュテインが、「戦艦ポチョムキン」でみせた、めざましいフィルム革命のモンタージュ、あれに存在したフィルムの断片とは質的にちがうのだが、生きて存在し、他の関連においてぬきさしならぬという点では、同じ意見のものであろう。
小津さんに、このことについてきいてみる機会がなかったのは残念なことである。
いや、問うても笑ってこう答えられるだろう。
新藤やん、あれはね、ただおいてあるだけだよ。
小津さんがいよいよ絶望的になられて、私たちには暗い気もちがつづいた。
シナリオを書いていてもふと思い出す。
麻雀で遊んでいるときも頭をはなれない。
この瞬間にも、小津さんはベッドのなかで、苦しい、生きるたたかい、をつづけていられるかと思うと、たまらなかった。
小津さんは、生きて、もう一度仕事をしようと思っておられた。
ベッドで小津さんが、こういわれたそうだ。
「こんな病気で死んでたまるか」と。
12月12日の晩、小津さんは北鎌倉の家に帰ってこられた。
棺の中の小津さんにお別れをした。
静かなお顔だった。
もう楽になられたな、と思った。》
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by sentence2307 | 2012-09-16 21:44 | 映画 | Comments(0)

坂本龍馬関連本

本棚を整理していたら、埃をかぶったものすごく古いクリア・ファイルが出てきました。

なにやら複写した書類だとか、すっかり変色した新聞の切り抜きだとかが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれています。

しかし、このファイル、作った覚えは、うっすらありますが、一度でも開けてみたという記憶など全然ありません。

中身は、新聞の書評だとか、インターネットで興味をもった記事などを片っ端からプリントアウトしたもので、読まないままファイルしたみたいなのですが、「時間ができたら、いつか読む」というつもりが、結局現在まで手つかずのままだったらしいことが察しられます。

しかし、そのときに読めなかったものが、「いつか」になろうと読めるようになるわけがないのは明白で、「いま」読まない限り、「読むべきもの」は、あとからあとから溜まる一方なのですから、事態はどんどん悪化し、絶望的になるばかり、結局ゴミの山も比例してどんどん築上げてしまうという結果になるのは自明の理なわけです。

まあ、ここは「一挙に断捨離」断行とばかり、捨てにかかったのですが、しかし、「いつか」ではあっても、当時は読みたいと思って切り抜いたわけですから、ぼんやりながらもそのときの興味の部分がよみがえり、いちいち読みふけり始めてしまい、なんだか仕事がはかどりません。

そのなかのひとつ、変色した新聞のまるごと1ページ「出版広告」というのが、大事そうに保存されていました。

日付は、2009年12月20日、広告のメインタイトルは〔「幕末」を読む。「今」を読む。〕とあります。

それぞれの出版社が、おすすめの幕末関連本の表紙写真を掲載しているのですが、ざっと見ると坂本龍馬と岩崎弥太郎がメインという感じです、なるほどなるほど、この次の年に大河ドラマで「坂本龍馬」をやるという時期だったのでしょうか、本屋さんも商魂たくましくリキを入れて、関連本を広告したらしいのですが、この広告を見たとき、自分としても、これを参考にして、いつかはこういう本の何冊かは読みたいと考えたのかもしれません。

しかし、「関連本」というのは、時期的にブームで世間も盛り上がっているときに、その勢いで読むというのがスタンダードな読み方だとすると、すっかり時期をはずし、いまでは誰も龍馬のことなど口にしないという時局の中で幕末ものを読むというのは、相当しんどいことかもしれないとここまで考えたとき、チョイ待ち草、自分の性癖を考えれば、将来、読むために広告を取っておいたとは、どうしても考えにくく、単に資料として残しておきたかったのかもしれません。

とにかく「幕末人気」というのは、不滅なものがありますから。「平清盛」なんかよりは、ずっとね。

まあここは、紹介されている書籍を控えてから、新聞の方はあっさり捨てると、そうだ、この方針でいきましょう。そうしましょう、そうしましょう。

① 安藤優一郎「龍馬を継いだ男・岩崎弥太郎」(アスキー新書)三菱の創始者・岩崎弥太郎の原点は、幕末維新にあった。明治の経済人のイメージが強い岩崎弥太郎を、龍馬を支えた幕末志士の一人として捉えることで見えてくる幕末維新の表裏。NHK大河「龍馬伝」のもう一人の主役の知られざる真実。

② 河合敦「誰が龍馬をつくったか」(角川SSコミュニケーションズ)坂本龍馬といえば薩長同盟、大政奉還といった数々の政策や構想を実現させた幕末のヒーロー。しかし、実は坂本龍馬を英雄に仕立て上げた人々が存在する。それは誰か。勝海舟をはじめ坂本龍馬に多大な影響を与えた人物にスポットをあて彼の生き様を明らかにする。

③ 村上元三「人物文庫・岩崎弥太郎・上下巻」(学陽書房)チャンスをいかに掴むか、日本経済の礎を気づいた男の生涯を描いた傑作長編小説。幕末という一大変革期に坂本龍馬と出会い新時代の息吹を知り、ぶれない信念と圧倒的な行動力で、商業で国を興すことを志した男の勇姿を描く。

④ 山村竜也「史伝 坂本龍馬・増補改訂」(学研)NHK大河ドラマ「新選組」や「龍馬伝」の時代考証を担当した著者が、坂本龍馬の凝縮された33年の生涯を、豊富な資料に基づきながら辿り、熱き魂の本質に迫った一代記。坂本龍馬とその時代がよく分かる「坂本龍馬年表」「関連人物辞典」も充実。

⑤ 清水克之「世界の歴史を変えた日本人・明石元二郎の生涯」(桜の花出版)「あいつは大物なのかクズなのか」幕末の騒乱に生を受けた九州の怪童が、やがて帝国ロシアを震撼させ、世界を動かす人物となった。あの「坂の上の雲」の陰の主役といわれる第7代台湾総督・明石元二郎の生涯を描いた豪快・痛快な物語。

⑥ 木村幸比古「時代が動いた 幕末・維新」(主婦の友社)幕末から明治維新にかけての時代背景をオールカラー・図解で分かりやすく解説した幕末入門。当時の人物関係や思想の潮流に焦点を当て、時代とともに移り変わる複雑な力関係も把握しやすい。巻末には史跡巡りと雄藩の勢力マップ付き。

⑦ 雑学おどろき学会編「幕末・明治維新が10倍面白くなる人物伝」(新講社)幕末・明治維新を「面白人間の宝庫」という視点から掘り起こす驚きの人物伝。勤皇の志士や旧幕臣、維新の元勲から時代に埋もれたエリートまで、知れば知るほど面白いエピソードが満載されている。幕末ファンには見逃せない一冊。

⑧ 童門冬二「坂本龍馬に学ぶ」(新人物往来社)幕末の袋小路に第3の道を開くことで、維新史にその名を遺した坂本龍馬。その広い視野と奔放な行動力は、幕末と同じような閉塞感に満ちた21世紀のいまこそ学ぶことが多い。土佐が生んだ地球的発想の持ち主の人間味あふれる魅力とは・・・。

⑨ 永倉新八「新撰組顛末記」(新人物往来社)幹部の最期の生き残りであり、幕末屈指の剣客でもあった永倉新八その人が、死の直前に語り残した幕末動乱の日々。近藤、土方らとの交友や、池田屋斬り込み、朝敵として戦った戊辰戦争まで、歴史の当事者ならではの生々しい証言が胸に迫る。

⑩ 東京都歴史教育研究会監修「図解 幕末・維新」(成美堂出版)幕末前夜から明治政府の船出まで幕末・維新期のポイントを地図や写真、イラストを駆使して多面的に解説。豊富な図版で主要な事件、戦乱の様子など激動する時代が一目瞭然オールカラーの図解歴史ヴィジュアル最新版。

⑪ 榎本秋「徹底図解 坂本龍馬」(新星出版社)今も絶大な人気を誇る幕末の動乱期を駆け抜けた快男児・坂本龍馬。その生い立ちから最期の瞬間まで、日本に大きな足跡を残した波乱万丈の生涯を豊富なヴィジュアルで紹介。これ一冊あれば、幕末・維新の時代背景、人物関係が丸わかり。

⑫ 木村幸比古「坂本龍馬の足跡」(青春出版社)いち脱藩浪士であった坂本龍馬が、薩長同盟、大政奉還といった幕末史に残る大業を成し遂げられた鍵は、その「足」にあった。東奔西走と呼ぶに相応しい圧倒的な行動力を示す龍馬の足跡を、豊富な地図と図解でおったファン必読の一冊。

⑬ 大石学「幕末1000人」(世界文化社)坂本龍馬からペリーまで、幕末の歴史を動かした1000人超の人物データを、圧巻の情報量で収録。ドラマチックなエピソードや゜貴重な図版や写真を満載。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で時代考証を担当している大石学が監修。大ボリューム352ページの永久保存版。

⑭ 「坂本龍馬」(双葉社)フルカラーCGを駆使し、坂本龍馬が生きた軌跡とその時代を色鮮やかに蘇らせた「龍馬に会える本」。ゆかりの地から事件現場まで徹底した現地取材を元に、圧倒的なヴィジュアルで再現している。ページをめくれば、そこはもう幕末。

⑮ 週刊ダイヤモンド別冊「歴学 幕末と維新」(ダイヤモンド社)幕末維新を切り開いたリーダーたちに学「歴史の知恵」を特集。坂本龍馬という人材の検証を入口に、現代という大変革の時代に大いにイカされるべき洞察やヒントが満載されている。太平洋戦争に焦点を当てた「日本軍 失敗の本質」も必見。

⑯ 志村有弘「坂本龍馬事典」(勉誠出版)坂本龍馬とその時代を知り尽くすための決定版事典。同士、家族、幕臣などの関連人物はもとより、事件、地名、関連事項140以上の項目で坂本龍馬のすべてを網羅する。主要文献目録や坂本龍馬語録など付録も充実。

⑰ 菊地明「英雄坂本龍馬はなぜ生まれたのか」(大和書房)一介の浪人にぎなかった坂本龍馬が、なぜ幕末の英雄になれたのか。多くの伝説と通説に彩られた生涯を追いながら、その真偽を問う、もうひとつの龍馬伝。中岡慎太郎、桂小五郎、西郷隆盛ら、幕末の重要人物の視点から見た龍馬の素顔に迫る。

⑱ 山村竜也監修「幕末英雄伝・坂本龍馬 上 青春編」(ポプラ社)2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」の時代考証を担当した山村竜也監修による本格コミック。上巻では、激動の時代に生まれ、悩み、もがきながら夢に向かって突き進む坂本龍馬の少年時代から青春時代までが描かれる。

⑲ 子母沢寛「新選組始末記」(中公文庫)新選組にまつわる確かな史実と豊かな巷説を現地踏査によって再構成し、隊士たちの様々な運命を鮮烈に描き出した不朽の実録。徳川家の御家人を祖父にもち、新選組研究の第一人者として知られる著者の原点となった「新選組三部作」の第一作。

⑳ 百瀬昭次「坂本龍馬・感動の人生哲学」(KKロングセラーズ)自らの値打ちを知り、自己変革を繰り返すことで、自分を大きく成長させていった坂本龍馬に学人生哲学。その奔放な行動論理や、常に未来に向かって自らのビジョンを描き続けた龍馬ならではの人生観を、激動の「いま」を生き抜く手本に。

といわけで、これですべて写し終えました。

う~ん、こうして打ち終わって読み返してみると、なにもわざわざ3年も取っておくほど価値あるものだったのか、という疑問が湧いてきました。

やっぱり、とっとと、捨ててしまっておいた方が、どうも正解だったみたいですかね、「断捨離」哲学は、やっぱり正しかったのか、と思いかけたとき、いやいや、そうじゃない、という思いが湧き上がってきました。

この記事が、たまたま不運な内容だったとしても、大切なのは、あの新聞を保存しておこうと思いついた時に、自分の頭の中で描いた「あるべきもの」の方で、たとえ、目の前にある現実が、少々失望させられたものであったとしても、それをすべて受け入れる必要もないのではないか、その新聞には不完全な「龍馬本」しか紹介されていないのなら、自分で作ればいいのではないかと思い至りました。

いますぐには、できませんが、おいおい資料を集めて項目を追加していこうと思います。

これはこれで、第1歩ということで、十分なのではないかと。
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by sentence2307 | 2012-09-16 21:31 | 徒然草 | Comments(2)

わが青春に悔なし


9月7日の朝刊で堀川弘通監督の訃報に接しました。

黒澤組ゆかりの人々が次々に逝ってしまい、さびしい限りです。

最近、偶然に見た「わが青春に悔なし」のスタッフのなかに助監督として堀川氏の名前も見ていたのですが、黒澤作品としてはあまりにも当然という名前だったので、別段気にも止めずにいつものようにやり過ごしてしまった数日前の自分を思うと、あまりにも迂闊だったことを痛感しています。

なにも考えずに毎日をだらだらと鈍感にやり過ごしている緊張感を欠いた情けない自分に動揺しています。

残酷に刻々と進行している時間は、確実に人間の生命を捉え、片っ端から呑み込んでいることを思い知らされました。高倉健だって、もはや81歳なんですよね、居たたまれない焦りみたいな思いに追い立てられるというか、なんだか感無量の毎日です。

NHKのBSで黒澤明の作品を集中的に放映しているので、ついつい見てしまいます。

賛否はともかく、どの作品も、映画を作ることの確固たる自信と、人間描写の掘り下げの執拗な意欲、そしてなによりも確信に満ちたテーマ追求の徹底した姿勢には圧倒される作品ばかりなのは、いまさら言うまでもありませんが、今回、久しぶりに「わが青春に悔いなし」を見て、長年感じてきた違和感を少しばかり書いてみたくなりました。

「わが青春に悔いなし」を最初に見たとき、そのひとつひとつのショットの強烈な映像に、ことごとく圧倒され続けた割りには、それに伴う内容的な感動というか、共感というのが正直全然なくて、その落差になんだかひとり戸惑い、人にまうまく話せずにモヤモヤしたものだけが残ったというのが、まずは最初の印象でした。

その理由を自分なりに納得するための理由付けとして、この作品が女性を主人公に据えたために黒澤明の本領が発揮できずに、また、黒澤自身の思い入れも乏しく、作品的が弱々しいものになってしまったのかもと一応の理由づけをしてみたのですが、それから少し経ったころ、女性が主人公という設定は同じ「一番美しく」について、むしろ共感をもって感動したという感想を、「わが青春に悔なし」への失望と絡めて対比的に書いたところ、ずいぶんの数の抗議のコメントをいただいたことがありました。

理由は、明快だったように思います。

「一番美しく」が、戦前に撮られた戦意高揚の国策映画にすぎないというのに褒め上げ、戦後民主主義を高らかに謳いあげた賞賛すべき戦後の記念碑的名作「わが青春に悔なし」をけなすとはどういうリョーケンなんだ、けしからん、というものだったと思います。

だいたい戦前の戦意高揚映画と民主主義映画とを比較すること自体が、おかしいではないかというものでした。

そういうマニア気取りで、斜に構えた本末転倒の駄文を「屁理屈の映画評」というのだ、あるいは、天邪鬼でへそ曲がりの奇をてらった愚にもつかない映画批評というのだという内容の随分なお叱りだったと思います。

「わが青春に悔いなし」が、内容の「空疎」な単なるプロパガンダ映画にすぎず、同じ「国策映画」なら、「一番美しく」の方が、作品的にはるかに優れており、また、一見熱演に見えるかもしれない原節子の演技にしても、随所にほころびが露呈していて見るに耐えなかったこと、それは彼女が演じなければならなかった明晰でそれだけに孤独な女性像を原節子が摑みきれないまま「わがままで気まぐれな癇癪持ちの令嬢」としか表現することができず、僕たちが目にした迫真の演技(と見えたもの)は、実は彼女自身の戸惑いと苛立ちの反映でしかなかったこと、つまり原節子の役者としての限界を表出したものでしかなかったと分析し、その自信なげな空回りした上滑りな演技に比べたら、「一番美しく」の矢口陽子の素朴で真摯な演技の方がはるかに好感がもてるし、黒澤明の「熱」も感じられると指摘した部分に対しての多くの方々からの反発の抗議だったのかもしれません。

たぶん、寄せられた多くのクレームが、「戦後民主主義の賞賛映画」より「戦前に撮られた戦意高揚の国策映画」を評価したことへの抗議や非難というよりも、むしろ、原節子の熱演をムゲに一蹴・全否定した素っ気ない書き方が、原節子ファンの怒りをかってしまったのかもしれません。

しかし、俳優の演技の評価の基準は、人それぞれの価値観とか情緒とかに密接に関わるきわめてナイーブで主観的なものなので、それを理論的に説明するということは難しいとしても、「わが青春に悔なし」という作品に対する失望の方なら、どうにか説明することができるかもしれません。

「わが青春に悔なし」は、CIE(民間情報教育局)のデイヴィッド・コンデの要請と指導によって製作を促された「民主主義映画」作品群のなかの一本で、そのほかの作品としては、今井正の「民衆の敵」、楠田清の「生命ある限り」、木下恵介の「大曽根家の朝」、千葉大樹の「瓢箪から出た駒」、大庭秀雄の「喜劇は終わりぬ」、成瀬巳喜男の「浦島太郎の後裔」、マキノ正博の「まちぼうけの女」、溝口健二の「女性の勝利」、山本嘉次郎と黒澤明の「明日を創る人々」(後年、黒澤明は、この作品から監督としての自分の名前を消すように求めます)などがありますが、しかし、どの作品をみても、それぞれの監督の持ち味が十分に発揮された作品とは言い難く、ずいぶん無理して撮ったなという感じの時代迎合的な作品ばかりです。

時間の洗礼を経た現在においても一定の評価を保っているのはせいぜい「わが青春に悔なし」と「大曽根家の朝」くらいでしょうか、しかし、「大曽根家の朝」に描かれているテーマが、木下恵介本来の作風に叶っているかといえば、やはり否定せざるを得ないとしても、「わが青春に悔なし」に比べれば、その「らしさ」は、まだしもの感があるといえます。

多くの作品が、「民主主義賛美」という結末を義務付けられたために、その「戦前」を一層陰惨強権非情に描くことを迫られたことが、どのようなストーリーにおいても、GHQの顔色をうかがい、ご機嫌取りのために、自国の過剰な自己卑下から語り起こし、お約束のファシズムの断罪と絵空事の民主主義賛美(やっぱりアメリカさんは、すごいね)に無理やり結びつけるという物語構成の画一化を強いられていて、どの作品も必然的に低俗な思想映画の様相をていし、考えられないような突飛な現実離れした作品を量産させてしまったのだと思います。

それでは、「わが青春に悔なし」のどこが、絵空事の現実離れした作品かというと、滝川事件にゾルゲ事件を無理やりくっつけた題材設定の強引さと突飛さにあります。

もし、この作品が、戦時下の言語統制・言論弾圧の象徴的な「滝川事件」だけを描いたものなら、こんなにも作品としての破綻は、まぬがれたかもしれません。

当時にあって、国家権力による言語統制・言論弾圧の監視の目は、社会の隅々・国民生活の端々にまでおよび、熾烈を極めた巧妙な監視体制だったことは、「笑の大学」を見るまでもありません。

どのような描き方をしても「言論弾圧」と「言論の自由」という道筋だけの物語だったのなら、その暴虐を骨身にしみて認知している国民を納得させることは、それほど困難なことではなかったと思います。

しかし、「スパイ行為」について、たとえそれが苛烈な軍国主義下の思想弾圧と、抵抗運動の圧殺を象徴するような無残な事件だったとしても、現在の「ソビエトの不在」と「共産主義体制の破綻」をすでに知っている僕たちにとって、日本を裏切り、ソビエトに内通し、日本を混乱させ、他国からの侵略の道案内をして、やがては日本を消滅させる手助けに至りかねない逸脱の国家反逆罪としての「スバイ行為」までも容認できるか、というかなりヤバイ問い掛けが、この「わが青春に悔なし」には仕掛けられています。

この映画の後半部分で、非国民として村八分の差別を受けている夫の実家に住みついた嫁・原節子が、姑・杉村春子とともに折角耕した田圃を夜陰に乗じて村民たちに荒らされるという陰険な差別行為をうけるシーン、絶望から怒りの再起までを演じ分けるという俳優冥利につきるような、この映画一番の鬼気迫る場面があります(資料によると、同時期に同題材の映画が企画されていたため、「新人監督をつぶすつもりか」との労働組合の圧力を受けて、黒澤の意図に反して映画後半の展開を大幅に変更しなければならず、この農村シーンに込められた凄惨な気迫は、その圧力に対する反感もあったと黒澤監督の述懐があるそうです。労組に対する嫌悪も徐々に意識していったかもしれません)。

荒らされた田圃の中央には、「スパイは出て行け」と書かれた筵旗が幾本も陰険に立てられています。

嫁も姑も、筵旗を引き抜き、投げ込まれたゴミを放り出し、黙々と再びの田植えをやり直します。

そして終戦、一転した状況のもとで、原節子は、まだまだ立ち遅れている村の女性たちの「民主教育」解明のために奉仕しようと再び村に帰るシーン、村人たちの乗ったトラックが通りかかり、親愛に満ちた作り笑顔で村人たちは原節子をトラックに引き上げます。

その村人たちは、つい昨日まで、陰険な村八分・差別的な行為を散々にしてきた彼らなのですが、そんなことはすっかり忘れてしまったようなニコヤカナ顔を作って親愛の情を示しています。

しかし、あの苛烈にして執拗な村八分を陰険に実行してきた彼らの、いくら敗戦を経たからといって、手のひらを返したようなあの柔和な表情を信じるという方が、むしろ不自然なような気がします。

あの田圃をひっくり返し荒らした行為としての「村八分」というものが、なにも国の体制が「軍国主義」だったから為されたわけではなく、そこには古来から歴然としてある固有の「村の秩序」に反した行いがあったから為された懲罰なのであって、たとえそれが「民主主義」の時代になったからといって、固有の秩序維持の考え方が変容するとは、どうしても思えません。

ラストシーン、トラックに同情している青年団らしき若者たちが、原節子を取り巻いて、薄気味悪く微笑み掛けています。

頑迷な村民の意識改革に成功した(と思い込んでいる)原節子は、それらのへつらい笑いに、自己満足で悦に入って、さらなる微笑みを返す、「顧みて悔いのない青春」などといういやに薄っぺらな言葉だけが虚しく響く壮絶なラストシーンではありました。

(1946東宝)製作責任:竹井諒、製作:松崎啓次、監督:黒澤明、脚本:久板栄二郎、撮影:中井朝一、美術:北川恵司、録音:鈴木勇、音楽:服部正、演出補佐:堀川弘通、照明:石井長四郎、音響効果:三縄一郎、編集:後藤敏男、現像:東宝フィルムラボラトリー
出演・原節子(八木原幸枝)、藤田進(野毛隆吉)、大河内傳次郎(八木原教授)、杉村春子(野毛の母)、三好栄子(八木原夫人)、河野秋武(糸川)、高堂国典(野毛の父)、志村喬(毒いちご)、深見泰三(文部大臣)、清水将夫(筥崎教授)、田中春男(学生)、光一(刑事A)、岬洋二(刑事B)、原緋紗子(糸川の母)、武村新(検事)、河崎堅男(小使)、藤間房子(老婆)、谷間小百合(令嬢A)、河野糸子(令嬢B)、中北千枝子(令嬢C)、千葉一郎(学生A)、米倉勇(学生B)、高木昇 (俳優)(学生C)、佐野宏(学生D)
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by sentence2307 | 2012-09-13 22:57 | 映画 | Comments(675)

妖精は花の匂いがする

う~ん、「妖精は花の匂いがする」・・・ですか、原作どおりのタイトルだそうですが、それにしても、こういうタイトルをつけられた日には、作品として、それだけで充分マイナス・イメージになってしまうでしょうね。

しかも、この小説、ジャンル的にはユーモア小説に分類されているとのことですが、こんなふうに粗筋だけ忠実になぞって描かれると、まるで「清純」をエロ・グロ・ナンセンスで汚すところを晒して見せて、荒廃した世相の人身御供にするというか餌食にするみたいないかがわしい姿勢が見え見えで、その映画自体の「もの欲しげ」な受け狙いの姿勢は、下手するとカストリ雑誌的な節操のない世相へのおもねりのレベルに堕してしまいそうな危惧さえ感じました。

ただでさえ、それはもう目を覆いたくなるような惨憺たるストーリー(ひとりの教師をめぐる女学生の駆け引きと葛藤の物語に友情が絡みます)なので、この暗い物語のどこに「ユーモア小説」の要素があるというのか疑問に思ったくらいです。

それに、久我美子の役どころというのが、病身の姉を抱えてバイトに明け暮れる、授業料も満足に払えない貧乏な女学生という役なのですが、しかし、当時にあって、久我美子が貴族院議員だった侯爵・久我通顕の娘であり、そういう旧侯爵家の姫君が下世話な映画女優になったというのですから、それだけでもう充分なスキャンダルだったことは想像に難くありません。

〔久我(こが)家は、村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする平安朝の前期(10世紀)から続く公家の名門であり、当時の朝廷が藤原氏一色だった時代に、師房は、他の姓にもかかわらずに、右大臣、太政大臣になった人物で、公家の家格には、第一等の「摂家」から、順に「清華家」「大臣家」「羽林家」「名家」など、久我家は、その第二等に位する「清華家」の家格が与えられ、しかも「清華家」の九家の中においては筆頭に上げられる。〕

1946年、久我美子は、学習院女子中等科在学中に、東宝第一期ニューフェイスに合格します。

同期には三船敏郎、堀雄二、伊豆肇、若山セツ子、堺左千夫らがおり、その翌年の1947年、学習院を中退した彼女は『四つの恋の物語』で映画デビューを果たしています。

考えてみれば、ヌードモデルになって学校中が大騒ぎになるこの映画も、なんだかずいぶん暗示的だったんですよね。

それに加えて、その旧侯爵令嬢を、あえて授業料にも事欠く苦学生・小溝田鶴子として描いた設定の面白さはあったかもしれませんが、如何せん、強力なライバルとして描かれる金持ちの令嬢・米川水絵を演じた木村三津子のおどおどした上ずった薄い演技を前にした久我美子の落ち着いた気品が、なおさらに浮かび上がってしまう感じで、その鷹揚さを保ったまま借金の言い訳や金の無心をするというのですから、その辺の事情に痛いほど熟知・精通している自分などからすると、苦笑ものの「お嬢様芸」にしか見えませんでした・・・とはいえ、しかし、ちょっと待ってください。

別に、いぜん侯爵だったからといって、太宰の「斜陽」にもあるように、戦後の諸改革に晒された華族が、「借金の言い訳や金の無心」とまったく無縁だったかというと、あるいは、「そう」ではなかった可能性の方がむしろ大きかったのではないかと思います。

とすると、零落した高貴な者が「借金の言い訳や金の無心」をするについてのあの演技もまた、「鷹揚さ」を捨てきれない旧公爵家の令嬢の羞恥と悲しみの表現であったと考えられなくもないと思えてきました。

もしかして、彼女の「女優志願」も、そういうことと無縁ではなかったかも、としたら、その後、久我美子が日本映画史に残した名演の数々は、その「鷹揚さ」が時勢の変遷によって突き崩され、あるいは、自ら捨て去ろうとした痛ましさの記録だったかもしれません。

あ、そうそう、もう1回「ちょっと待ってください」です。

このコメントを少しずつ書いては読み返し、書いては読み返して書き継いできたのですが、突然、いま、あることに気がつきました。

うかつにも、この稚拙な作品を、その稚拙さゆえに、かなり初期の作品と思い込み、そういう前提で書いてきてしまいましたが、久我美子のデビュー作はオムニバス作品「四つの恋の物語」1947の第1話・豊田四監督の「初恋」だったし、それに黒澤監督の「醉いどれ天使」1948もある。溝口監督の「雪夫人絵図」1950だってあるわけだし、今井正監督の「また逢う日まで」1950だって忘れるわけにはいきません。

さらに黒澤監督の「白痴」1951があるじゃないですか、市川崑監督の「あの手この手」1952だってあるわけだし。

しかも、自分としては、久我美子という女優の印象が物凄く強烈な木下惠介監督の「女の園」1954は、この「妖精は花の匂いがする」の翌年に撮られているとすると、同じような学園騒動ものだけに、なんだか感無量な思いがします。

そう、たしか映画は映画史の流れの中で見ろ、といったのはゴダールでしたよね。

と、ここまで書いてきて、最近読んだ小説の中に、たまたまこの映画とイヤに符号するクダリがあったことを思い出したので、書き留めておきますね。

その小説は、矢川澄子が書いた「受胎告知」(新潮社刊)という小説の第2章「牧子のモノローグ」の部分です。

父親とずっと二人きりの生活をしてきた父子家庭の牧子は、ある日、心から打ち解け合っている親友の絵美に自分が妊娠したこと、そのための結婚もしないことを告げます。

とっさに「それって父親との子?」と反応する絵美に対して、怒った牧子は、絵美の人間としての下品さ・愚劣さを語気を荒げて一方的になじります「あんたの頭、どうかしてんじゃないの」と。

しばらく黙って聞いていた絵美は、牧子の非難をひととおり聞いたあとで言い返します。

「あんた、まだ時間あるの? いいよ、そんならこっちも、ついでに言いたいこと言わせてもらおう。ちょうどいい機会だ。」

そして、逆ギレした絵美の反論が始まります。

貧しさの中で成長した娘が、自分より遥かに恵まれた環境の中で生育した「お嬢さん」に対して苛立ちをもって憤りをぶつける僻みと鬱憤の激しい言葉の数々は、この映画と不思議に共鳴するものがありました。

「あんたに、前々から一度言おうと思ってたんだ。
お父さんと親友だっていま言ったね。
そこんとこだよ。
それ以上のこと、あたしが邪推してたんだったら、そりゃ謝るよ。
ごめんなさい、だよ。
だけど、あんた、あんたみたいな東京の文化人家庭のお嬢さんたち、考えたことあるの? 
それ、まったく、インテリの特権なんだよ。
あんた、自分がどんなに特権階級だかなんて、考えてもいないでしょう。
ね、あんたの考えてることなんて、インテリにしか通じないんだよ。
あんたも、あんたのお父さんも、死んだお母さんも、みんなインテリ、インテリずくめなんだよ。
インテリなんて、お互いどうし分かっているだけで、部外者にはぜんぜん思いやりがないの。
あたしが、小学校のとき、どういう暮ししてたか、わかる? 
あすこの家買って、東京には出てきたけど、うちのお父ちゃん半年もしないうちに、出てってほかの女と暮しはじめたんだよ。
はじめのうちは羽振りがよくて、二つの家にお金入れてたんだけど、だんだん傾いてきちゃってさ。
月々のものをうちに送ってこないんだよ。
うちのお母ちゃんは、それをあたしに取りに行かせるの。
まさか旦那が次の女と暮しているところへ、自分は行けやしないでしょう。
あたしはあの頃、毎月弟の手をひいて、お父ちゃんのいる家へお金をもらいに行ってたんだよ。
うちのお父ちゃんなんて、マンガしか読んだことないんだよ。
札束で面ひっぱたいたる、っていうのがお父ちゃんの口ぐせだったけれど、そんな親を持ってごらん。
それこそ目に一丁字もないんだよ。
あんた、自分では気がついてないんだろうけど、もうはじめっから、インテリ弁でしか話していないんだよ。
インテリどうしでしか通じない世界におさまってるんだ。
お父ちゃんと親友ってことも、そりゃよくわかるよ。
いまではあたしも傍目にはいっぱしのインテリだからね。
でも、あんたみたいに、インテリの家に生まれたからそうなったんじゃない。
あたしは、なりたくてなったインテリだよ。
でもそのまえの、札束で面ひっぱたいたるっていう親の次元だって知ってるんだよ。
あんたひとりの罪じゃない、あんたみたいな子って山ほどいるよね。
何も知らないくせして、自分がどんなに得なところに生まれたのかも気がつかないで、大きい顔して、お父ちゃんと親友だなんてほざいてるんだ。
そのいやらしさがわかる? 
ああもう、情無くなっちゃうよ。
ほんと、あんたなんて東京のインテリのお嬢さんの代表みたいなものだよ。
みんな、そんなの嫌がってるよ。
あんたなんて、その嫌がられてることにも気がついてないんでしょう。
だけど世の中、そんなものじゃないよ。
そんなものと思ってたら大間違いだよ」
じっさい、絵美のいう通りだった。わたしはそれまで、漠然と、うちと世間とは違うようだと考えていたものの、その違いが何によってもたらされているのかにはまったく無頓着で、そこがインテリと世間並みとの相違だなんて思ってもみなかったのだ。
絵美がいま、それをはっきり言い渡してくれたことによって、わたしははじめて自分が生まれながらの特権階級であることに思い至ったのだ。」

この「妖精は花の匂いがする」という作品全体に対する自分の思いが、込められているような一節でした。

(1953大映京都)企画・浅井昭三郎、原作・藤沢桓夫、脚色・田中澄江、若尾徳平、監督・久松静児、撮影・竹村康和、音楽・斎藤一郎、照明・島崎一二、美術・小池一美、録音・海原幸夫、
出演・久我美子、木村三津子、根上淳、森雅之、千秋実、羅門光三郎、青山杉作、上田寛、原聖四郎、伊達三郎、石原須磨男、船上爽、北見礼子、杉山道子、小柳圭子、浪花千栄子、毛利菊枝、岩田正、玉置一恵、由利道夫、滝川潔、清水浩、仲上小夜子、宮田暁美、谷口和子、前田和子、戸村昌子、中目順子、嵯峨野静、竹内陽子
1953.02.19 11巻 2,496m 白黒
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by sentence2307 | 2012-09-02 17:12 | 映画 | Comments(1)

ゴダール映画史(全)

相性が悪いというか、こらえ性がないというか、何度挑戦しても最後まで読み通すことのできない本というのがあります。

その理由の1つには、当然「難解さ」という要素があるかもしれませんが、しかし、興味をもって読み始めた本なら、多少「難解」だったとしても、結構読み通してしまえることを思えば、難解さが決定的な要素でなかったことは、その貧しい経験からいっても分かります。

例えば、僕のその「読み通すことのできない本」というリストの中に、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」があって(なにしろ小学校の頃から現在に至るまで、幾度も挑戦しては挫折を繰り返しています)、あれなどは、別に難解でもなんでもないのに、どうしても最後まで読む切ることができないでいます。

おそらく、あの小説のなかに、どうしても受け入れることのできない(生理的に拒否せずにいられない)独特な「なにか」うだうだしたエグイものがあって、どうしても先に進めないでいるのかもしれません。

どうしても読み通すことができないなら、別に読まなければいいようなものなのでしょうが、それが、なかなかそうできないところが悩ましいところなのであって、この「読み通せない」でいることが、いつまでも心に引っ掛かって、その挫折感みたいなものがいつまでもわだかまり、それでまた懲りずに再度挑戦、再々度挑戦と、無駄と分かっている試みをせずにいられないのかもしれません。

そんな自分にとって、「ジャン・クリストフ」に匹敵する本として(比較にはなりませんが)「ゴダール映画史(全)」(ちくま学芸文庫)があります。

この本、何度読み返しても、一向に頭に入ってこない、それどころか、そこにいったい何が書いてあるのか、数頁読み終わった直後に思い返しても、自分の頭の中に何も残っていないという絶望的な空虚を確認するくらいなのです。

今回、三十年振りにこの本が文庫本になったということで、一念発起して再度挑戦してみることにしました。

しかし、結果は、当然のことながら「同じ」です。

しかし、これでも、細心の注意を払って、かなり気合いを入れて読んだつもりでしたが、ぶっちゃけ、そこになにが書いてあるのか、全然残らないのです。

まあ、そういうことで前回も挫折したわけですから、今回はおめおめ引き下がるわけにはいきません、ぎりぎりまで粘ってみることにしました。

とにかく、ここを克服しておかないと、また未練から、再び無益な挑戦を繰り返すだけなので、ここではやれるだけのことはきちっとやっておくことにしました。

まず、なにが障碍になっているのか、ここはじっくり考えてみました。

そして、その答えは、意外に近いところにありました、巻末にある「訳者あとがき」です。

この本を訳したのは、奥村昭夫。

そこには、こんなふうに記されていました。

《この訳文は、いわゆる忠実な訳文と比べると、訳者の解釈がいくらか多く加えられた訳文であるということ、それにまた、どうしてもゴダールの真意をつかめないまま訳さなければならなかった箇所も幾つかあるということを断っておかねばならない。
原書が、語られた言葉をほとんど手を加えずに(しかも、質問の部分を除いて)採録したものであるうえに、ゴダールの語りには、しばしば(トリュフォーが1963年に指摘したように)くわしく説明するということをしないまま、いきなり判断を下してしまうといったところや、説得的というよりはむしろ、注意を自分の内側に向け、(しばしば主題を少しずつずらしながら)思い浮かぶ考えを次々に言葉に変えていくといったところがあって、いくらか解釈を加えなければ、訳文として読むやすいものにならなかったり、あるいはまた、その解釈さえはねつけられたりするのである。
おまけに、このいわば詩人的哲学者には、「言葉を、その意味を少しずつ逸脱しながら使い、ついには、その意味を破壊したり、もっぱら声だけでなにかを言おうとしたりする」ことさえあるのである。》

なるほど、なるほど、重要なのは、この部分ですね。

「ゴダールの語りには、しばしば・・・くわしく説明するということをしないまま、いきなり判断を下してしまうといったところや、説得的というよりはむしろ、注意を自分の内側に向け、(しばしば主題を少しずつずらしながら)思い浮かぶ考えを次々に言葉に変えていくといったところがあって、いくらか解釈を加えなければ、訳文として読むやすいものにならなかったり、あるいはまた、その解釈さえはねつけられたりするのである。おまけに、このいわば詩人的哲学者には、「言葉を、その意味を少しずつ逸脱しながら使い、ついには、その意味を破壊したり、もっぱら声だけでなにかを言おうとしたりする」ことさえあるのである。」

分かってしまえば、なんてことない、つまり「破壊」ですよね。

いままでどうしてそこに気がつかなかったかなあ。

「ゴダールの映画」がめちゃくちゃ破壊的な映画だったのですから、「ゴダール映画史」が破壊的な映画史でないわけがない、それを一生懸命文脈をたどって理路整然と理解しようとしたその方法が、そもそも誤っていたということになるのかもしれません。

なにしろ「敵」は、「言葉を、その意味を少しずつ逸脱しながら使い、ついには、その意味を破壊したり、もっぱら声だけでなにかを言おうとしたりすることさえある」のですから、その場の勢いに任せて話す内容など重きをおくわけもなく、ことごとく「破壊」しまくるというスタンスの「ゴダール映画史」は、あの「ゴダールの映画」群と同じだったというわけです。

ここにきて、なんだか、長年の憑き物が落ちたみたいで、気分がすっきりしました。

必死になって内容を理解しようとしながら、真剣に、そして一生懸命この本に立ち向かい、しかし一向に理解できないまま、自分を責めていた日々が思い返され、その長年の罪悪感から一瞬のうちに解き放たれた開放感は、まるで「ジェーンに何が起こったか」のベティ・デイビスの気分です。

しかし、ちょっと待ってください、「開放感」はいいですけれども、最初から中身のない、あるいは、論旨を著者から悪意を持ってはぐらかされているような絶望的な本を一生懸命理解しようとしていたコチラの立場はどうなります? 

これは、出版業界の常識からいうと、誠実さを欠いたまさに読者に対する執筆者の背信行為・裏切り行為じゃないですか、そんないかさまみたいな本を堂々と出版などしてほしくないという「金返せ」的な怒りが徐々に沸き起こってきました。

しかし、怒ったって仕方ありません、ゴダールというブランドに惹かれてこの本を手にしたのは、まぎれもない「自分」なのですから、やっぱり、その「責任」は読者の側にあるというしかないか。

考えてみれば、むしろ巷には、「金返せ」的な書籍の方がよっぽど多いくらいで、「ゴダールの映画史」なんか、まだまだ可愛いくらいじゃないですか・・・という自分なりの結論に達し、「ゴダール映画史」を読み通せないという罪の意識から、ようやっと解放されたある日、ゴダール好きの友人にここに書いたとおりの「心の旅」を告白しました。

すると、「あんたねえ」が、まずは彼の第一声、「それじゃあ、分からないことを分からないまま、無理やり自分を納得させただけのことじゃないか。だいたいあんたはいつだってそうなんだ。自分の限界を棚に上げて、自分の理解を超える真理さえ平気で否定しくさる人間なんだよ」

なんだか雲行きがあやしくなってきたので、自分に向けられた話の矛先を反らすためもあって「それなら、どうすればゴダールの映画史を理解できるのか教えてくれよ」と彼の迫力に負けないように畳み掛けました。

「あのなあ」と彼はさびしそうな微笑みを浮かべて諭すように教えてくれました。

「そういうときは、索引を見るんだ」

「はあ?」

索引くらい、そりゃあ自分だって何度も見ました、何度も見ましたヨ、そこに示されているページを開いて、本文でその映画タイトルに見合った解説を探そうとするのに、そこにはそれらしい解説はなにも書かれていない、まともに書かれていたためしがない、だから、そうしたフラストレーションが溜まりに溜まって「分からない」になっているんじゃないですか。

すると彼は静かに言いました。

君が読みたいと考え探そうとした作品の解説なら、すでに君自身の中にあるはずだろ、自分の知識と照合して大差ない解説に接して安心するだけのオザナリな解説書を読みたいなら「ゴダールの映画史」はふさわしくない。

むしろ、この本に書かれていることは、映画史という大きな時間の「流れ」なんだ、その総体に身を浸すことが、この本の魅力なんだよ。

嘘だと思ったら索引に書かれているタイトルだけでも、もう一度読み返してみるといいよ、繰り返しね、と友人は言い置いて去っていきました。

お経じゃあるまいし、「繰り返し」ってなんだよ、と反発する気持ちと、その反面、そんなふうな目で索引を見たことがなかったので、試してみるのもなんだか面白いかもしれないという気持ちになってきました。

夜、落ち着いたところで、さっそく「索引」を開きました。

まあ、どうしても知っている作品のタイトルだけを拾っていくことになります。(当然、ゴダール作品は、省きますけどもね)

「アメリカの友人」
「アメリカの夜」
「アレキサンドル・ネフスキー」
「暗黒街」
「暗黒街の弾痕」
「イタリアにおける闘争」
「イタリアの旅」
「雨月物語」
「ウンベルトD」
「黄金時代」
「堕ちた天使」
「大人は判ってくれない」
「オペラ・ハット」
「海外特派員」
「怪物団Freaks」
「カッコーの巣の上で」
「神の道化師フランチェスコ」
「カメラを持った男」
「帰郷」
「ギーズ公の暗殺」

う~ん、なるほど、なるほど、頭のところを少し見ただけですが、確かに趣味はいいかもしれない。

なんてったって、天下のゴダールだもんねえ。
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by sentence2307 | 2012-09-01 08:23 | 映画 | Comments(254)