世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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空気の無くなる日 ②

前回の当ブログで、小学校の屋外上映会で見たらしいことを薄っすら覚えている程度で、しかし、それすらいかにも頼りなく、別に忘却したとしても一向に構わないなどと失礼なことを述べた伊東壽惠男監督作品「空気の無くなる日」ですが、しかし、見て以来この作品を意識の外へ徐々に追いやってしまった理由なら、たぶん、明確に説明できます。

限られた自分の蔵書にある「日本映画史」関連の本には、この作品がまったく取り上げられていなかったからでしょう。

このブログに「映画収集狂」などと、ワイラーとゴダール好きを伺わせるような、もったいぶったタイトルをつけたのは、実は自分の「日本映画史」に対する好みを表現したかったことと、それをつきつめれば、自分がいままで見てきたすべての映画をひとつひとつ検証したいという欲求があって「日本映画史」を渉猟させ、ブログ「映画収集狂」を維持させようとしているチカラになっているのかもしれません。

そんな感じで日常的に「日本映画史」を眺めている自分にとって、まずは「日本映画史」に「掲載されている」といることが、まずは最小限の前提となっていて、その手掛かりがない情報希少作品となれば、次第に自分の意識から欠落し、たとえ忘却したとしても仕方なく、ひいては、なんら差し支えないのだと自棄的・自虐的な暴言を吐きたくなってしまう「想定外作品」となり、まさか60周年記念事業上映されるような作品とは、思ってもいなかった」というレベルの意識を形成に堕しても、それは当然の結果だったのと思います。

そいうときにフィルムセンターの60周年記念パンフレットの記事の中に「空気の無くなる日」のタイトルをみつけ、途切れていた記憶が一挙にナダレ込んできました。

もっとも、記憶といっても、ただ単に、ひとりの男が空気をパンパンに入れた自転車のチューブを首にぐるぐる巻きにしているという奇妙奇天烈な映像だけなのですが、それが子供心にはとても不気味に見え、さらに、地球から空気がなくなるのかというなんとも恐ろしい危機感が恐怖となって深く心に刻み込まれたのだと思います、かつて溺れかけた子供にとっては、空気が吸えなくなるというのは、実感が伴うリアルな切迫感がありました。

あっ、だんだん思い出してきました、流れ星が地球にニアミスするそのときには地球の空気が一瞬薄れるので、その無空気状態の時間帯をしのぐために金持ちが自転車のチューブを買い占めたため、貧しい人たちは裸首(そんな言い方する?)で「そのとき」を迎えるのですが、しかし、ついに何事も起こらず、チューブを首にぐるぐる巻きにした滑稽な姿の金持ちが、笑いものになるというストーリーだったか、漠然とですが、遠い記憶からよみがえってきました。

そして、フィルムセンターのパンフレットには、「ハレー彗星の接近で地球の空気が無くなるという噂から、村中が大騒ぎになる。岩倉政治による児童文学の映画化で、現在では特撮技術を駆使したSF映画の先駆としても再評価されている。『世界の児童画』展の開催にあわせて1954年9月の『月例映写会』で上映した」と紹介されています。

なるほど、なるほど。

つまり、ここには「岩倉政治という作家の児童文学の映画化」と「現在では特撮技術を駆使したSF映画の先駆」とされる作品であるという、ふたつの貴重な情報が記載されているというわけですね。

さっそく、家に帰って、まず佐藤忠男の「日本映画史」の索引を検索して掲載頁をチェックしました。

ナンダいまごろ、今日のいままで肝心なものを見てなかったのかと笑われてしまうかもしれませんが、掲載場所が「ニュース映画と教育映画」の項なのですよ、ここだけすっ飛ばして読んでいたとしても一向におかしくありませんから、と山一証券の社長みたいな半泣き顔で弁解させてください。

しかし、これのどこが「教育映画」なのでしょうか、という疑問がわいてきます。

「いくら金があるからって、買占めは、だめですよ」ということか、それを子供のうちから吹き込むってわけ? 

佐藤忠男のこの作品についてのコメントは、たったの3行。

いわく「1949年、日本映画社、製作石本統吉、演出伊東壽惠男。これは俳優座の出演による短編劇映画であるが、教育映画として扱われた。ハレー彗星の出現で地上に空気がなくなると心配された明治時代の出来事を風刺的に描きながら科学的知識を与える。」

なるほど、なるほど。

これって、明治時代に実際にあった出来事らしいじゃないですか。

しかも、民衆の噂に踊らされる浅はかな姿を批判的に描いているというわけですね。

1910年、ハレー彗星の接近が間近に迫った時、欧米各国ではこの世の終焉が訪れるという噂が飛び交いパニックとなったといわれています。

フランスの天文学者で作家のカミーユ・フラマリオンの説を信じて、彗星がもたらす有毒なガスを防ぐためのマスクや携帯用酸素吸入器かが売れたといわれています。

日本では、同年5月19日の『大阪朝日新聞』が「フレンマリオン氏」の説として、彗星が接近する7月28日に5分間だけ地球上から空気がなくなり「彗星の尾の内に含まれる水素が、地球の空気中に存在する酸素と化合すれば、人類は皆窒息して死滅する」と報じました。

この噂について、最初は、だれも信じなかったものの、校長や県庁の役人が、いち早く・しかもひそかに準備しているらしいとのまことしやかな噂が広まり、学校はじめ村中がパニックになります。

まず、子どもたちに5分間呼吸しない訓練をします。

しかし、それが無理とわかると、自転車のチューブや氷袋に空気をためておいて、彗星の接近時の5分間に吸うという方法が考え出されました。

しかし、多くの人々が求めようとすれば当然需要が集まり、1円20銭だった氷袋が一気に何百倍にも高騰して、貧乏な農家が多いこの村では、地主の子ども以外の生徒はだれひとりチューブや氷袋が買えなくなってしまいます。

そうそう、民衆の噂に踊らされる浅はかな姿といえば、ありましたよね、宇宙人襲来をあまりにもリアルに描いたために、全米を震撼させ社会恐慌を惹起させたオーソン・ウェルズのラジオドラマ「火星人来襲」、風評・流言蜚語というか、噂というものの持つ恐ろしさを語るときには必ず持ち出されるエピソードでした。

さて、自分が所持している資料といっても、めぼしいものなどなにもないので、仕方なくインターネット検索を試みました。

まずはウィキペディア、そこにはこんなふうに記載されていました。

「この映画では特撮の比重が大きく、東宝のスタッフのほか、うしおそうじがイントロ部分の特撮を担当した(別のサイトでは「鷺巣富雄」との記載がありました)。
また、渡辺善夫が「合成作画」(マットペイント)を手掛けたが、渡辺善夫は「作画合成」(部分的な合成)だけでなく、画面すべてを画で表現する「全画」という技法を日本で初めて使用し、成功を収めている。
限定された公開方法であったにも関わらず、思い出として語る人は少なくなく、評論家の筈見有弘は、そうした口コミに押され、フィルム試写まで行ったうえで1977年刊のムック「映画宝庫6・SF少年の夢」(芳賀書店)に長文のリポートを執筆している。
映画は、文部省選定作品となり、1950年に発足した映画配給会社「共同映画」の配給網にのって、学校や公民館での移動巡回映画会などで上映された。
劇場での公開は、日本映画社教育映画部が解体され、日本映画新社へと再編された後の1954年となった。」

なるほど、それで、製作年と公開年に時間差があったというわけですね。

それにしても、この文中にある「評論家の筈見有弘は、そうした口コミに押され、フィルム試写まで行ったうえで1977年刊のムック『映画宝庫6・SF少年の夢』(芳賀書店)に長文のリポートを執筆している」との記載があります。

う~ん、購買意欲をかきたてるようなこの言い様、ずいぶんじゃないですか、気になって仕方ありませんヨ。

ここまでネットで書かれてしまっては、もはやプレミア価格がついてしまって入手困難なのではないかと危惧しつつ、猛烈に読みたいという気持ちも抑えられないまま、しかし、諦めも半分という不安な面持ちを抱えて「1977年刊、映画宝庫6・SF少年の夢」を求め、いそいそと神保町の映画専門の古書店に出掛けました。

出掛けばなのこれだけの気負いが、まるでスカされるように、きわめてあっさりと、しかも適正な価格で「1977年刊、映画宝庫6・SF少年の夢」を入手することができました。

なんというラッキー。

しかもSF映画満載で、こりゃなかなか読みでがありそうな充実の1冊です。

さっそく家に戻って問題の部分を開きました。

ありました、これですね。

なになに「幻の日本SF映画『空気の無くなる日』を追って・筈見有弘」ですか。

本文12Q明朝体2段組、全部で7頁というなかなかの論考です。

構成は「①追跡の発端、②採録『空気の無くなる日』、③追跡の結果」というもの。

②は、おそらく「あらすじ」ということでしょうか。

ここはゆっくり時間をかけて熟読することにしました。

冒頭の「終戦直後、田園調布小学校に通っていた時代・・・」という書き出しには、思わずムッときました。

とにかく自分が、場末の青線地帯で自堕落な娼婦や自暴自棄の酔漢たちなど・うらぶれた大人たちを目の当たりにしながら多感な幼少年期を過ごしてきた身なので、この「格差」を見せつけるような部分には腹立たしく閉口させられるものがありましたが、思い出の作品を追想するという姿勢には、自分も同じ「郷愁」があり、まあ、それに免じて許してやるかみたいな気持で、読み進むことにしました。

①には、映画「空気の無くなる日」のフィルムの所在(本文には「大阪の日映という16ミリの業者が持っていた」と記載されていますが、製作会社が日本映画社なのですから、それほどの大発見というわけではないかも)の発見と、関係者の好意によって東京まで移送され、さらには破格の待遇で映画会社の試写室で鑑賞したという経緯が記されています。

う~ん、なんなんだ、これは。

この論考のいわんとしていることは、「とどのつまり」筆者は書斎に座っていて電話1本するだけ、フィルム探査と試写のお膳立ては、すべて「関係者がさせていただきました」ということではないですか。

これじゃ、企画にそったお仕事をこなしただけで、こういう人には、どんなにすばらしい素材を与えても、ワクワクドキドキのルポルタージュなんて、とてもじゃないが書けないだろうな、という気がします。

わずかでも「映画愛」というものがあるのなら、自分の足で歩いて、汗かいて探せよ、です。

しかし、まあワタクシの低俗な出自が災いし、その恥ずべき妬みと反感から、貴重な論考のエッセンスを見誤り、ほんの2頁そこらでこれだけの反発を示して正確な認識を損なうというようなことは、決してあってはなりません。

いけません・いけません。

ここは大同小異の素直な気持ちで読み進めなければ、ね。

さて、②のあらすじは、はしょるとして、③の「追跡の結果」に読み進みました。

その「追跡の結果」の項を簡単に要約すると、筈見が念のために「日本映画監督全集」を調べると、かなり思い入れの強い野田真吉の執筆した「伊東壽惠男」の項目があり、伊東氏が、いまなお存命(当時)で長崎にいることを知ります。

さっそく筈見は幾つかの質問を添えた手紙を送り、丁寧な返信を得ています。

当時、「未知との遭遇」や「スター・ウォーズ」で盛り上がっていた世相を受けて、伊東氏が、筈見の問いかけに対してその手紙のなかで、こう答えています。

「SFのSの面、サイエンスが現実的なジェットや核兵器があまり使われすぎ、もっと空想的なものが使われないものかと感じます。
子供というものは本来、幻想的な着想をするもので、あまり現実的な手段で話を進めなくてもよいのではないか、との感想です。
子供用に限らず、SFは闘争的、暴力的、破滅的なものが多すぎ、もっとロマンティックで心の和らぐものが欲しいと思います」

僕に、二度と思い出したくない窒息の恐怖を改めて思い起こさせた映画「空気の無くなる日」が、はたして「ロマンティックで心の和らぐ」ような映画だったかはともかく、監督・伊東壽惠男氏の「最近のSFの隆盛」についての幾分消極的な感慨に対して、この論考の執筆者・筈見が、どのように反応したかということに非常な興味をそそられます。

つまり、問われているのは、興行支援をハンバ義務付けられている映画批評家=現実肯定業(興行の失敗を支持する否定批評は、とりもなおさず自己存在の否定につながります)にとって、「最近のSFの隆盛」は、闘争的、暴力的、破滅的で実にけしからんという意見に同調できるか、という問題でもあります。

「日本映画監督全集」において「伊東壽惠男」の項を執筆した野田真吉は、その末尾で書いています。

「米ソ冷戦のさなか、アメリカ占領軍の検閲をかわしてつくられた同作品(空気の無くなる日)はハレー彗星の地球衝突の日の迫る極限状況を寓話化しながら、うらはらに彼が原爆記録映画製作で深刻に体験した核戦争の破滅的実態と将来する核戦争が人類絶滅戦争となる先見、危機意識をもとにし、核戦争反対の平和運動をめぐる安易な政治的党派化や生き残りのはかない術策への警告を暗に風刺批判した戦後映画の秀作である。」との絶賛を掲げて、しかし、この野田の手放しの絶賛に対して、筈見は言下に「大げさすぎる」ときっぱり否定しています。

野田真吉が「伊東壽惠男論」を書いた時点、筈見有弘が「幻の日本SF映画『空気の無くなる日』を追って」を書いた時点、そして僕がこのふたつの論考を読んだ時点は、それぞれの隔たりがあり、その逃れ得ない囚われの「時代色」という限界を精密に認識しておかないと、とんでもない「否定合戦」を招くことを、この一節は教えてくれているのかな、と感じました。

(1949日本映画社)配給・共同映画株式会社、製作・日本映画新社、製作・石本統吉、原作・岩倉政治(「空気がなくなる日」より)、監督・伊東壽惠男、助監督・吉田庄太郎、菅家陳彦、撮影・大小島嘉一、撮影助手・藤田正美、録音・酒井栄三、録音助手・片山幹男、照明・日野正男、音楽・武田俊一、美術・田邊達、進行・水上喜三治、特撮・東宝合成課(合成・向山宏)、鷺巣富雄(イントロ部分)、渡辺善夫(合成作画)
出演・深見泰三、河崎竪男、佐々木浩一、大町文夫、榊田啓二、高野二郎、島田敬一、花沢徳衛、平山均、河合健児、望月伸光、大塚秀雄、日方一夫、北島多恵子、田中筆子、馬野都留子、原緋紗子、戸田春子、一色勝代、登山春子、児童劇団「銀河座」
(51分・35mm・白黒 公開1954年)
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by sentence2307 | 2012-11-18 14:16 | 映画 | Comments(6)

空気の無くなる日 ①

暇を持て余した土曜日の午後、散歩がてら、ふらりと近所の図書館に寄ってみました。

新刊書が入っていれば借りて、学習室でゆっくり読書にでもふけろうかと思ったのですが、さしてめぼしい新刊書は入っていないし、すでに学習室も受験生で満杯の状態で、もはや空席などありません。

「やれやれ、こりゃ大変だ」と思いながら、ふっと自分が受験生だった頃のことを思い出しました。

当時、なにが苦痛だったかといえば、読みたくもない「参考書」を、ただひたすら暗記するためだけに(どうしても覚えられないので)同じ個所ばかりを繰り返し読まなければならないことに、実に辟易させられたことを痛烈に記憶しています。

あの当時、電車に乗り合わせた赤ら顔のオッサンが、愚にもつかない三文エロ小説を夢中になって読んでいるのを猛烈にうらやましいと思いました。

あれこそは「読書の自由」そのものだと。なにも「世界の名著」や「評判のベストセラー」など、そんな「有益性」を求めた読書などなにものでもない、良識ある識者が眉をひそめ、憐笑・嘲笑を浴びせかけるような低俗にして無価値の三文エロ小説であろうと、夢中になれる「本」なら、そして没頭して読みふけることのできる本なら、それこそなによりも贅沢で豊饒な「読書」の時間なのだと実感しました。

以来、その実感は、読書ばかりでなく、「映画」に対する感性についても培われたのかもしれません。

まあ、自分の低俗好みを自己正当化したこじ付けみたいなものかもしれませんが。

さて、図書館で落ち着ける場所が見つからず、いつまでもウロウロしているわけにもいきませんので、しかたなく玄関ホールのベンチで一休みすることにしました。

この時期、玄関ホールは、つねに冷たい風が吹き抜けるので、落ち着いて座っていられるような場所ではありません、なのでベンチはいつもガラ空きなのですが、しかし、そのベンチの脇には公的機関や民間団体の広報誌とか宣伝用パンフレットが置かれているので、時間つぶしにはもってこいの場所です。

実は、「フィルムセンター」の定期催事パンフレットもここで入手しているので、自然と目がいく習慣がついているのですが、でも今日はいつものその場所に、ちょっと絵柄の違ったパンフレットが置かれていました。

たしか、このところのフィルムセンターでは、「日活映画の100年」が企画上映されているはずで、そのパンフレットは、すでにチェック済みです、それとはまったく絵柄の違うパンフを奇異に感じて手に取ってみました。

フムフム「東京国立近代美術館60周年記念・美術館と映画、フィルムセンター以前の上映事業」ですか。

なるほど、なるほど、60周年記念ということで、ここ60年のあいだに上映された作品を選りすぐって上映しようというわけですね。いいじゃないですか。

上映会場は地下小ホールとありますから、大ホールで上映されている「日活映画の100年」とは、また違った企画というわけか。

そして、21項目ある上映プログラムなるものを見て、ちょっと驚きました、それこそ百花繚乱というべきか、はたまた支離滅裂というべきか(実は、各カテゴリーごとに分野別の小見出しがついているので、それを表示すれば、さほどの支離滅裂さはありませんが)、ともかくあらゆる分野の渋すぎる作品が列挙されているではないですか。

映画収集マニアとしては、ちょっと見過ごしにできませんが、実は、その中に、伊東壽恵男監督の「空気の無くなる日」があるのでビックリしました。

これってたしか、小学生のとき、たぶん夏場だったと思いますが、学校の校庭で夜に行われた屋外上映会で見た記憶が薄っすら残っている作品、というか、たとえ忘却したとしてもなんら差し支えない作品くらいに考えていた作品です、まさかフィルムセンターの60周年記念事業などという晴れがましい場所で上映されるような作品とは、まったく想定もしていなかったので、虚をつかれた感じです。

もっとも「風の又三郎」や「ノンちゃん雲に乗る」などという作品も「そう」だったわけで、小学校の屋外上映会だからといって決して侮ってはなりません。

さて、以下が「東京国立近代美術館60周年記念・美術館と映画、フィルムセンター以前の上映事業」で上映されるプログラムです。

【桃山美術】(1952三井芸術プロ)監督・水木莊也、脚本・近藤市太郎、撮影・川村清衞、音楽・松平頼則(18分・16mm・白黒)

【上代彫刻】(1952三井芸術プロ)監督・水木莊也、脚本・千澤禎治、撮影・永塚一栄、音楽・早坂文雄、解説・三神茂(18分・16mm・白黒)

【歌麿】(1952秀映社)撮影・山田耕造(14分・35mm・カラー)

【北齋】(1953青年ぷろ)監督・勅使河原宏、脚本・吉川良、撮影・浦島進、長谷川博美、瀬川順一、音楽・清瀬保二、解説・加藤嘉(23分・35mm・白黒)

【ジークフリート】SIEGFRIEDS TOD ワーグナーのオペラ「ニーベルンゲンの指輪」にも着想を与えた13世紀初期の叙事詩などに基づくフリッツ・ラング「ニーベルンゲン」2部作の第1部。1953年の2月から4月にかけて「特別鑑賞会」の第1回作品として上映された。
(1924ドイツ)監督・フリッツ・ラング、脚本・テア・フォン・ハルボウ、撮影・カール・ホフマン、ギュンター・リッタウ、ヴァルター・ルットマン、美術・オットー・フンテ、エーリッヒ・ケッテルフート、カール・フォルブレヒト
出演・パウル・リヒター、マルガレーテ・シェーン、テオドール・ロース、ハンス・アダルベルト・フォン・シュレトウ、ゲオルク・ヨーン、ハナ・ラルフ(80分・35mm・白黒・サウンド版)

【蛸の骨】(1927横浜シネマ商会)原画・村田安司、原作脚本・青地忠三、撮影・上野行清(9分・24fps・35mm・無声・白黒)

【蜘蛛の絲】(1946三幸スタジオ)監督原画・大藤信郎、原作・芥川竜之介(10分・35mm・白黒)

【すて猫トラちゃん】(1947東宝教育映画・日本動画)監督・政岡憲三、脚本・佐々木富美男、音楽・服部正(21分・35mm・白黒)

【小人とあお虫】(1950東宝教育映画=日本動画)監督・古沢秀雄、原作・肥塚あきら、脚本・松崎與志人、撮影・東理仁朗、音楽・坂本良隆(16分・16mm・白黒)

【こねこのスタジオ】(1959東映動画)監督原画・森やすじ、撮影・石川光明、音楽・山田榮一、ナレーション・中村メイコ(16分・35mm・カラー)

【アッシャー家の末裔】LA CHUTE DE LA MAISON USHER エドガー・アラン・ポーによる複数の小説を下敷きに、スローモーションや多重露光、移動撮影など「フォトジェニック」な技法を駆使して映画の詩的表現を極めたジャン・エプステインの代表作。第3回「特別鑑賞会」(1953年6-7月)で「小宮登美次郎コレクション」の中の1本が上映された。
(1928フランス)監督脚本・ジャン・エプステイン、原作・エドガー・アラン・ポー、撮影・ジョルジュ・リュカス、ジャン・リュカス、美術・ピエール・ケフェル
出演・ジャン・ドビュクール、マルグリート・ガンス、シャルル・ラミー(57分・20fps・35mm・無声・染色)

【或日の干潟】(1940理研科学映画)監督・下村兼史(18分・35mm・白黒)

【霜の花】(1948日本映画社)撮影・吉野馨治、吉田六郎、小口禎三、音楽・伊福部昭、解説・徳川夢声(19分・35mm・白黒)

【いねの一生】(1950日本映画社)監督脚本・太田仁吉、樺島清一、撮影・鈴木喜代治、後藤義彦、音楽・鈴木林藏(21分・35mm・白黒)

【美と力への道】WEGE ZU KRAFT UND SCHONHEIT 古代ギリシャから現代にいたる運動競技や体操、舞踊の紹介を通して人間の肉体的な美と力を追究した、ウーファ社の「文化映画」初期の代表作。第5回「特別鑑賞会」(1953年9月)で、長く文部省に保管されていたプリントが上映された。
(1925ドイツ)監督・ヴィルヘルム・プラーゲル、脚本・ニコラウス・カウフマン、撮影・フリードリッヒ・ワイマン、サイゲン・ヒルシュ、フリードリッヒ・ボールマン(104分・22fps・16mm・無声・白黒・英語版・日本語字幕無し)

【寒椿】小島孤舟の小説を映画化した、井上正夫のアメリカからの帰朝第1作。当時の新派映画の中では革新的な作品として高く評価された。「覆面令嬢」のクレジットで水谷八重子が映画初出演を果たした作品でもある。第6回「特別鑑賞会」(1953年10月、11月)で上映。
(1921国活角筈)監督・畑中蓼坡、原作・小島孤舟、撮影・酒井健三、美術・齋藤五百枝
出演・井上正夫、覆面令嬢、吉田豊作、高勢實、林千歳、水島亮太郎(86分・16fps・35mm・無声・白黒)

【朝から夜中まで】VON MORGENS BIS MITTERNACHTS 銀行の出納係が大金を着服して身を滅ぼすまでの軌跡を、『カリガリ博士』以上に徹底したスタイルで描いた表現主義映画。第7回「特別鑑賞会」(1953年12月-54年1月)で上映。当時は日本で発見された無字幕版が世界的にも唯一の現存する素材であった(本特集では1993年にミュンヘン映画博物館が字幕を加えた復元版を上映)。
(1921ドイツ)監督脚本・カールハインツ・マルティン、原作・ゲオルク・カイザー、脚本・ヘルバート・ユットケ、撮影・カール・ホフマン、美術・ロベルト・ネッパッハ
出演・エルンスト・ドイッチュ、エルナ・モレナ、ローマ・バーン、アドルフ・エドガー・リホ(69分・18fps・35mm・無声・白黒)

【日本百科映画大系 眞空の世界】(1953日映科学映画製作所)監督脚本・中村麟子、撮影・広木正幹(11分・16mm・白黒)

【文部省学術映画シリーズ5 アイヌの川漁】(1953岩波映画製作所)製作スタッフ・渥美輝男、山村圭二郎、吉田六郎、桜井善一郎(23分・16mm・白黒)

【文部省学術映画シリーズ6 ニホンザルの自然社会】(1954三井芸術プロ)監督・矢部正男、脚本・太田仁吉、撮影・鈴木喜代治、坂崎武彦、鈴木武夫、音楽・黛敏郎(20分・35mm・白黒)

【路上の靈魂】「純映画劇運動」の流れをくむ松竹キネマ研究所の第1作。父の逆鱗に触れて帰る場所を失った息子と、その一方で思わぬ親切を受け更正を誓う出獄者たちの対照的な運命が、クロス・カッティングの手法で描かれる。スタッフの一人であった牛原虚彦が現存する素材を再編集して、第10回「特別鑑賞会」(1954年5-6月)での上映が実現した。
(1921松竹キネマ研究所)監督出演・村田實、原作・ウィルヘルム・シュミット=ボン、マクシム・ゴーリキー、脚本出演・牛原虚彦、撮影・水谷文次郎、小田濱太郎、美術・溝口三郎
出演・小山内薫、英百合子、伊達龍子、東郷是也、久松三岐子、澤村春子(112分・18fps・35mm・無声・白黒)

【旅順開城と乃木將軍】(1904イギリス)撮影・ローゼンタール(20分・16fps・16mm・無声・白黒)

【日本南極探檢】(1912Mパテー商会)撮影・田泉保直(20分・15fps・35mm・無声・白黒)

【先代萩】(1915Mカシー商会)出演・中村歌扇(6分・16fps・35mm・無声・白黒)

【豪傑児雷也】(1921日活大将軍)監督・牧野省三、出演・尾上松之助、片岡松燕、片岡長正、大谷鬼若、市川寿美之丞(21分・16fps・35mm・無声・白黒)

【空気の無くなる日】ハレー彗星の接近で地球の空気が無くなるという噂から、村中が大騒ぎになる。岩倉政治による児童文学の映画化で、現在では特撮技術を駆使したSF映画の先駆としても再評価されている。「世界の児童画」展の開催にあわせて1954年9月の「月例映写会」で上映。
(1949日本映画社)監督・伊東壽惠男、原作・岩倉政治、撮影・大小島嘉一、美術・田邊達、音楽・武田俊一、
出演・深見泰三、花沢徳衛、河崎竪男、平山均、佐々木浩一、河合健児、大町文夫、望月伸光(51分・35mm・白黒)

【人生案内】ПУТЕВКА В ЖИЗНЬ戦争や革命で親を失った孤児たちの自立を願い、作業場づくりに取り組む青年。子どもの自立の補助や社会的障害をテーマにしたソ連初のトーキーによる長篇劇映画。第12回「特別鑑賞会」(1954年12月-55年1月)で上映。
(1931ソ連)監督脚本・ニコライ・エック、脚本・アレクサンドル・ストルペル、レギナ・ヤヌシュケーヴィチ、撮影・ワシーリー・プローニン、美術・イワン・ステパーノフ、A・エヴメネンコ、音楽・ヤーコフ・ストリャル
出演・ニコライ・バターロフ、イワン・クィルラ、ミハイル・ジャーロフ、ワシリー・カチャーロフ、ミハイル・ジャゴファロフ、アレクサンドル・ノヴィコフ、マリヤ・アントロポワ(94分・35mm・白黒)

【極北の怪異 [極北のナヌーク]】NANOOK OF THE NORTHカナダ北部の過酷な自然の中に暮らす狩猟民族の生活をフィルムに収め、ドキュメンタリー映画の先駆となったロバート・J・フラハティの第1作。第16回「特別鑑賞会」(1955年6-7月)で上映。(1922アメリカ)監督・ロバート・J・フラハティ(63分・22fps・16mm・無声・白黒・日本語字幕無し)

【二人妻 妻よ薔薇のやうに】歌人の妻と、その妻のもとを逃げ出して愛人宅に住みながら砂金掘りに熱中する男。そしてその男に献身的に尽くす愛人。三者三様の立場を一人娘の視点から描き、キネマ旬報ベストテンの第1位に選ばれた。第21回「特別鑑賞会」(1956年5-6月)で上映。
(1935P.C.L.)監督脚本・成瀨巳喜男、原作・中野實、撮影・鈴木博、美術・久保一雄、音楽・伊藤昇、
出演・千葉早智子、英百合子、伊藤智子、堀越節子、細川ちか子、丸山定夫、大川平八郎、伊東薫、藤原釜足(74分・35mm・白黒)

【外人部隊】LE GRAND JEU愛人のために人生に失敗した男が、虚無の心を胸に地獄の外人部隊に身を投じるが、そこで待っていたもう一つの恋が男をさらなる虚無へと導いてゆく…。ジャック・フェデーのトーキー第1作にして、1930年代フランス映画の黄金時代を代表する1本。第23回「特別鑑賞会」(1956年9月)で上映。
(1933フランス)監督脚本・ジャック・フェデー、脚本・シャルル・スパーク、撮影・ハリー・ストラドリング、美術・ラザール・メールソン、音楽・ハンス・アイスラー
出演・マリー・ベル、ピエール・リシャール=ヴィルム、シャルル・ヴァネル、フランソワーズ・ロゼー(104分・35mm・白黒)

【マダムと女房】土橋武夫・晴夫兄弟が開発した「土橋式」国産トーキーの記念すべき第1作。仕事への集中を妨げられ騒がしい隣家を訪ねた劇作家が、美人のマダムにたやすく丸め込まれるというドタバタ喜劇。第25回「特別鑑賞会」(1957年2-3月)で上映。
(1931松竹蒲田)監督・五所平之助、原作脚本・北村小松、撮影・水谷至宏、美術・脇田世根一、音楽・高階哲夫、島田晴誉
出演・渡辺篤、田中絹代、市村美津子、伊達里子、横尾泥海男、吉谷久雄、月田一郎、日守新一、小林十九二、関時男、坂本武、井上雪子(56分・35mm・白黒)

【カリガリ博士】DAS KABINETT DES DR. CALIGARI催眠術を用いるカリガリ博士の犯罪を実験的なライティング、セット・デザインで描き、ドイツ映画の芸術性を一躍世界に知らしめた表現主義映画の代表作。第29回「特別鑑賞会」(1957年9月)で上映。
(1920ドイツ)監督・ロベルト・ヴィーネ、脚本・カール・マイヤー、ハンス・ヤノヴィッツ、撮影・ヴィリー・ハマイスター、美術・ヴァルター・レーリッヒ、ヴァルター・ライマン、ヘルマン・ヴァルム
出演・ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、リル・ダゴファー(52分・20fps・35mm・無声・白黒・英語版日本語字幕付)

【ピグマリオン】PYGMALION言語学者が親友と賭けをして貧しい花売娘に正しい英語と礼儀作法を教えようとするが・・・。ジョージ・バーナード・ショーによる同名戯曲の映画化。オードリー・ヘップバーン主演で映画化(1964)されたヒット・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原形となった。第31回「特別鑑賞会」(1958年5-6月)で上映。東和映画が所蔵する戦前作品だったが日本公開はこれが初となった。
(1938イギリス)監督・アンソニー・アスクィス、監督出演・レスリー・ハワード、原作・ ジョージ・バーナード・ショー、脚本・W・P・リプスカム、セシル・ルイス、イアン・ダルリンプル、撮影・ハリー・ストラドリング、美術・ローレンス・アーヴィング、音楽・アルテュール・オネゲル
出演・ウェンディ・ヒラー、ウィルフリド・ロースン、マリー・ロー(86分・35mm・白黒)

【チューブ博士の狂気】LA FOLIE DU DOCTEUR TUBE (1915フランス)監督・アベル・ガンス、撮影・レオンス=アンリ・ビュレル
出演・アルベール・デュードネ(14分・18fps・35mm・無声・白黒)

【三面記事】FAIT-DIVERS (1923フランス)監督・クロード・オータン=ララ、撮影・アメデ・モラン、
出演・ポール・バルテ、マダム・ララ、アントナン・アルトー(23分・18fps・35mm・無声・白黒)

【幕間】ENTR’ACTE (1924フランス)監督・ルネ・クレール、脚本美術出演・フランシス・ピカビア、撮影・ジミー・ベルリエ
出演・ジャン・ボルラン、マン・レイ、マルセル・デュシャン、インゲ・フリース、ジョルジュ・オーリック、エリック・サティ(19分・18fps・35mm・無声・白黒)

【バレエ・メカニック】BALLET MECHANIQUE (1924フランス)監督・フェルナン・レジェ、撮影・ダドリー・マーフィ(17分・16fps・35mm・無声・白黒)

【隣人】NEIGHBOURS (1952カナダ)監督・ノーマン・マクラレン(8分・16mm・カラー)

【線と色の即興詩】BLINKITY BLANK (1955カナダ)監督・ノーマン・マクラレン(5分・16mm・カラー)

【算数あそび】RYTHMETIC (1956カナダ)監督・ノーマン・マクラレン、イヴリン・ランバート(9分・16mm・カラー)

【つかの間の組曲】SHORT AND SUITE (1959カナダ)監督・ノーマン・マクラレン、イヴリン・ランバート(5分・16mm・カラー)

【珍説 世界映画史の巻】THE HISTORY OF THE CINEMA (1956イギリス)監督・ジョン・ハラス、解説・フランキー堺(8分・35mm・カラー・日本語版)

【珍説 酒は呑むべしの巻】TO YOUR HEALTH (1956イギリス)監督・フィリップ・スタップ、解説・フランキー堺(10分・35mm・カラー・日本語版)

【猫とネズミ】MYSZKA I KOTEK (1958ポーランド)監督・ヴァディスラフ・ネフレベッキ(9分・35mm・カラー)
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by sentence2307 | 2012-11-17 12:48 | 映画 | Comments(1)

東京の女

インターネット検索で、たとえば「小津安二郎」と打ち込んで、「動画」をクリックすると、めずらしいサイレン映画とか、あるいは吉田喜重の解説付で重要な数シーンを無料で見られることを発見しました。

自分としては、すごい発見です。

既にそんなことは十分に熟知している人にとっては、「な~んだ、そんなことか」と、あまりにも遅すぎる脱力系の旧聞にうんざりしているかもしれませんが。

とりあえず「これはいい、無料というところがすごくいい」とばかりに、最近は、なんだかハマってしまった感じです。

実は、昨夜も清水宏監督の「港の日本娘」という作品を見たのですが、タイトルさえ聞いたことのない未知のサイレント作品なので、映画鑑賞後、さっそく「日本映画監督全集」の「清水宏」の項で、改めて確認しました。

年表によると製作年度は1933年とあります、ちょうどその年の後半には、「大学の若旦那」を撮ったとありますから、「なんでも撮ったんだあ」という印象ですが、その演出の器用さを見せ付けた才走った1本ということになるかもしれません。

自分が見てきた後年の、誠実さがにじみ出るような朴訥な一連の清水作品からすると、随分異なった印象を受けました。

とにかく、この清水監督作品「港の日本娘」については、いずれ書きたいと思っています。

そんなこんなで、実は、小津作品「東京の女」もインターネットで鑑賞しました。

作品の第一印象は、小津監督の強烈な倫理観がモロ全面に押し出された、まるでギリシャ悲劇かと思うような壮絶にしてシンプルな作品でした。

相手に対するそれぞれの思いが食い違い、空回りし、傷つけ合い、やがて深刻な破綻に至るという、研ぎ澄まされた作品です。

年を経て、僕たちが見ることになる戦後の一見静謐と見える小津監督の諸作品のなかにも、この「東京の女」に込められたような、「時代」に対する、そして「人」に対する深い絶望と諦念とを(小津監督の残した宿題を解くように)見出さなければならないのかもしれないと改めて肝に銘じました。

姉・ちか子(岡田嘉子が演じています)は、大学生の弟・良一(江川宇礼雄が演じています)を卒業させるために、昼間はタイピストとして働き、夜もまた、大学教授の翻訳の手伝いのアルバイトをしているといって、帰宅が深夜に及ぶこともあります。

お互いを思い合う姉弟の深い愛情に満ちた穏やかな日常が淡々と描かれます。

しかし、ある日、弟の恋人・春江(田中絹代が演じています)は、その兄・木下(奈良真養が演じています)から、姉が、夜はあやしげなカフェで働いていて、ひそかに売春もしているらしいことを打ち明けられます。

兄は、実は警察官で、警察が姉・ちか子の身辺調査をした情報をいち早く知り、妹・春江に教えたのでした。

姉・ちか子には自分の口から諌めておこうかという妹を気遣う兄の申し出を断って、愛する恋人のために自分から直接姉・ちか子に伝えたいと春江は言い張ります。

その夜、春江は良一の家を訪ねますが、当の姉・ちか子はまだ帰宅しておらず、ひとり良一が彼女を迎えます。

最初のうちは穏やかに談笑していた二人ですが、ついに堪り兼ねた春江は、兄から聞いた姉・ちか子の夜の行状を打ち明けます。

良一を思う一心から話したのに、しかし、良一には春江の気持ちは通じず、そんなふうに姉・ちか子のことを話す春江に対して、むしろ良一は激怒し、彼女を憎み、罵声を浴びせて彼女を追い返してしまいます。

やがて深夜になり、帰宅した姉ちか子に弟・良一は、ことの真偽を詰問し、良一の言葉を否定しない姉・ちか子を打ち据える圧巻のシーンが展開されます。

この部分、あまりにもサラっと見てしまったので、姉・ちか子が、自分の行為をどう正当化し説明しているのか、よく頭に入ってきませんでした。

そこで「ちか子自身が自分の立場をどう弁解しているのか」確かめるために「小津安二郎全集・上」を読み返してみました。

しかし、そこには、弁解らしい弁解は、なにも書かれていません。

例えば
「あんたは姉さんのことなんか考えないで真面目に勉強さえしてくれればいいのよ」
「あんたは姉さんを信じてくれないの」
「あんたは姉さんをぶてばそれで気がすむの」
「あたしの今日までの苦労は、ただあんたの平手打ちだけに代わったんだろうか」
「姉さんはあんたが無事に卒業する日をどんなに楽しみにしてるかわからないのに」
「お願いだわ、良ちゃん、あたしのしてることなんか気にしないで、一生懸命に勉強して頂戴」
「ぶって気が済むんなら、あたしはどんなにぶたれたって恨めしいとは思わないわ」
「そのかわりあんたは学校のことだけに夢中になって頂戴」
あとは、
「ねっ、良ちゃん、ねっ、ねっ」
でこの愁嘆場の一連のシーンは終わります。

そして、翌日、良一の自殺が、春江の兄・木下からの電話によって知らされ、ちか子と春江は愕然とします。

しかし、感情を昂ぶらせた良一の詰問に対して、ちか子の弁解があまりにも素っ気なさすぎるような気がしてなりません。

わざと核心をはずし、肝心なことには触れようとしない(かのような)ちか子の弁解に良一は苛立ち、ただ自分をあしらうだけのような、その場限りの誠実のない受け答えとしか感じられず、そのことも彼が自殺に踏み切った理由のひとつとなったのではないかと、勘繰れないこともありません。

それくらい、このちか子の一連の弁明は「なにかが欠けている」どころか「肝心なことはなにも言ってない」不自然な感じがします。

実は、一説には、この脚本には、本来もうひとつのサイドストーリーがあって、最終的にはその部分を削ってしまったために、結果的に通じなくなってしまった部分(まさに、この「ちか子の弁明」の部分かもしれません)が生じたという説があるので、その幾つかを紹介しておきますね。

「この映画の作られた昭和8年は、地下の日本共産党が弾圧で総崩れになってしまった年である。岡田嘉子が演じたこの映画の女主人公は、たんに弟のためだけではなく、共産党の資金稼ぎの目的もあったようにシナリオでは暗示されている。しかし、映画はその点、ちょっとわかりにくくなっている。暗い世相の描写はするどい。」(佐藤忠男「日本映画作品全集」昭和48.11)

「しかし、これだけでは、弟の自殺は、まったく理解できない。ところで、もとの脚本では、姉は、実は、共産党の資金稼ぎや、連絡もやっていたことになっていたという(「フィルムセンター」1号)。つまり弟は市民道徳を破壊する姉に対して自殺したことになる。そして姉は弟の自殺を嘆き、弟の無理解を残念がるのである。この元の脚本を映画化しなかったこと、弟の市民道徳の保守性から、小津の進歩性の限界を知ることができよう。しかし小津は、現実に対する懐疑を、まだまだ捨て切っていなかった。懐疑という進歩性は少なくともあったのである。」(山本喜久男「日本映画史・世界の映画作家31」)

しかし、どうでしょう、そんな無理やりな理由付けをしなくても、姉・ちか子の「弁明しない・できない」気持ちは、現在あるこのままでも十分に通じ、理解できるような気がします。

いかがわしい夜の商売に手を染めたちか子を責めたい気持ちで良一のもとに駆けつけた春江と、いかがわしい商売で稼いだ金でいままで自分が養われていたことを知った良一の、嫌悪や屈辱感を生み出す倫理観とは、果たして、良一の詰問の前で「弁明できない」でいる姉・ちか子の羞恥(なのかどうかは断定できません)の黙秘の倫理観と、どれほどの違いがあるのか、すこぶる疑問です。

大学卒業こそがすべての幸福につながるはずと思い込み、信じてやまない姉・ちか子にとって、良一の詰問に、ただ「あんたは姉さんのことなんか考えないで真面目に勉強さえしてくれればいいのよ」と言うしかなかったのだとしても、しかし、それが、将来ある弟を大学をだすための、姉としてのひたむきな自己犠牲だけのものだったのか、夜のカフェで妖艶に体をくねらせて男を誘う姉・ちか子のショットは、どう見ても、そういう世界が決して嫌いではない男扱いに長けたすれっからしの酒場女にしか見えず、もし、小津監督自身が、姉・ちか子を真実そのような意図のもとで彼女を奥行き深い人間像として撮ったのだとしたら、所詮、僕の薄っぺらな解釈力では到底届きようはずもなく、またしても眼前に立ちはだかる深淵巨大な小津作品に屈服し、沈黙を強いられなければならないのかもしれません。
(1933松竹蒲田)監督小津安二郎、脚本・野田高悟、池田忠雄、原作・エルンスト・シュワルツ、撮影・茂原英朗、編集・石川和雄、美術・金須孝
出演・岡田嘉子、江川宇礼雄、田中絹代、奈良真養、
1933.2.9帝国館公開 7巻1275m 47分 白黒 無声
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by sentence2307 | 2012-11-11 17:21 | 映画 | Comments(21)

朝日、ヤツの正体

なんという偏見に満ちた下劣で下品なタイトルか、新聞紙上で雑誌広告(週刊朝日です)の惹句とはいえ、このフレーズを最初に見たときに、自分の目を疑いました。

疑うというよりも、あきれ返り、憤りが湧き上がってきて、自分がそうした感情に翻弄されていること自体に、「これが日本の大新聞か」と、なんだか哀れな気持ちになってきました。

これでは、かつてアメリカ映画でよく見たKKKが黒人をリンチに掛ける際のあの偏見や狂気と少しも違わないではないかという怒りに震える感じです。

弱者の権利を守り、差別され虐げられる者の側に立って、正義の代弁者として社会の偏見を正す・権力の不正を告発する・権力の暴走を世論に訴えて阻止するというのが新聞本来の役割だったんじゃないんですか。

それが、どうですか、朝日新聞社は、本来の使命を忘れ、「橋本憎し」のあまり、全社あげての愚劣なキャンペーンに奔走・躍起となっているうちに、いつの間にか自分たちのほうが「差別する側」に回ってしまった痛切で皮肉なその滑稽さにも気づかず(あるいは、気づかない振りをして)、国民に向かって堂々と「ヤツをリンチにかけてしまえ!」と社説(その社の顔といわれる「社説」をですよ)までつかって呼びかけ、その愚劣な言葉を口にしたときにはじめて、あまりに低俗、あまりの愚劣さに気がつくというぶざまな体たらくを国民の前にさらしたわけですが(いや、世論の非難があったから渋々引っ込めただけで、本心はいまだに変わっていないか)、しかし、その滑稽に対して安穏と冷笑を浴びせ掛けてばかりもいられません。

これが見え見えの実に稚拙なキャンペーンだったからこそ、その横暴と愚とが「よく見えた」ものの、もしこれが本格的に朝日系列のすべての子飼いのメディア・お抱え評論家・太鼓もちコメンテーター・利害の絡む悪辣スポンサーを動員し、連携して巧妙で徹底的なキャンペーンを張ったら、たぶん標的になった被害者は、「社会的コンセンサス」を得たみたいな非難を浴びせかけられて、それこそ社会的生命を奪われ、公の場所には二度と立つことができないという、たとえば「非行」に走った芸能人への徹底した数々の排斥キャンペーンによって僕たちはその実力を十分に思い知らされているわけなのですが、しかし、大新聞という巨大化した権力を悪用し、「公器の私物化」に走るそのポリシーの失われた哀れな姿を見ていると、なんだか自滅に向かっている「もうひとつのファッショ」の断末魔の悪あがきをみているような気がします。

実は、ここ一週間「キューポラのある街」の感想を、どの部分から書き始めようかと、ずっと考えてきたのですが(本来このコメントのタイトルは「キューポラのある街」です)、この作品について、どういう感想を書くにしても、まずは、どうしても「在日朝鮮人の帰還問題」に触れずに済ますわけにはいかないだろうなと思っていました。

そして、「日活映画ベスト20」にもあったように、この「キューポラのある街」が、どのような価値観からも一定の安定的な評価を得ているのは、たぶん「在日朝鮮人の帰還」を過剰に描かなかったバランス感覚を有していたからだと思います。

この作品に描かれた在日朝鮮人たちの、北朝鮮に向かう思いの中には、見知らぬ異郷に向かう不安は描かれていても、過剰な期待が描かれているわけではありません。

日本における過酷な差別と、不当な社会的待遇から生活もままならない極貧の窮地から逃れるための選択肢として「北朝鮮への帰還」があったと描いているだけで(韓国が帰還者受け入れを拒んだことによって、在日朝鮮人は北朝鮮に行くしかありませんでした)、そこには楽観的な見通しは微塵もなく、それは当時のマスコミ(特に朝日新聞)の異常な報道ぶりの背景を考えると、作られた世情に動揺しないその毅然としたバランス感覚は、評価に値するものといえたのでしょうか。

今回自分もそのような無節操にチュチェの国を賛美した当時の新聞記事をいくつも読みました。

そうしたマスコミの操作した世情に捉われないその突き放した冷静さこそ、この作品を日本映画史に記憶される作品として確固たる地位を得さしめているのだと思います。

しかし、当時マスコミ特に朝日新聞は、北朝鮮という国について一貫して虚報(北朝鮮に行けば誰もが就職できて安定的な給与を得て生活は保障される楽園のような社会である)を流し、帰国熱をあおっていました。

たとえば「希望者ふえる一方」という大見出しで

「帰還希望者がふえたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。
各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想をつかしながらも、二度と戻れぬ日本を去って"未知の故国"へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。
ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎ぶりや、完備した受け入れ態勢、目覚ましい復興ぶり、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏みきったようだ」(昭和35年(1960)2月26日付の朝日新聞朝刊)

という記事に対して、井沢元彦がこんなふうにコメントしています

「こんなことを、日本で最も「信頼」されている天下の大朝日が書いたのである。
しかも、これは特殊な例ではなく、この論調の記事は何度も書かれている。
こういう記事を読み、自らの迷いに「フンギリ」をつけ「祖国」に渡って行き、過酷な弾圧と労働で死んでいった人々も大勢いるはずである。
朝日は、一体こういう人々に、どう責任を取るつもりなのか。
これは誤報ではない。明らかな虚報である。
というのは朝日は戦後一貫して、共産圏の国々の真の姿を決して伝えようとはしなかったからである。
そして、最も肝心なことは、こういう虚報が現在に至るまで一度も公式に訂正されたことはなく、しかも責任を取ってやめさせられた記者も一人もいないことだ」(「虚報の構造オオカミ少年の系譜」1995小学館)

この異常ともいえる共産主義に対する過剰なコンプレックスによる盲目的で卑屈な追随姿勢を示した新聞社と、そして、戦前、東宝とともに軍部のちょうちん持ちをいち早く買って出て、戦意高揚キャンペーンを張って戦争をあおり、多くの国民を戦地(死地)へと送り出す後押し役を一手に引き受けた戦争犯罪との、いわば歴史的にごく短期間のあいだに左右両極を振り切り、思想的動揺を来たした新聞社とが、はたして同一の新聞社なのかという疑問をどう解釈するか、僕の「キューポラのある街」論は、ここで停滞してしまいました。

そして、今回「○○、ヤツの正体」が出てきたというわけなのです。

そこにあるのは、ポリシーとはなんの関係もない権力に媚びるその「無節操」ぶり、報道する者の矜持どころか、公然と差別に加担して恥じるところのない下卑た大勢に媚びる異常で哀れな御用新聞社の姿が露呈したからだったのかもしれません。

こんなコンプレックスに満ちた卑小な新聞社しか持つことのできない国民でいることを真に恥ずかしく思います。

そうそう、同じようなこの嫌な感覚を最近味わったことを思い出しました、「マイ・バック・ページ」とかいう駄作、ふたこと目には「東大卒」だとか「朝日ジャーナル」だとかと嫌味っぽく強調し、単なる妄想に駆られた殺人を「政治的」だとかなんとか見当違いなかばい方にこだわり、そこがすでに常識からズレていることも分からないまま、ある日酒場で、唐突に、自分がエリート街道をすべり落ちた来し方を振りかえり、突然号泣するというわけの分からない映画を見せられてしまい、「こいつもまた朝日の流れだな」とうんざりしました。

なんにも見えなくなってしまった勘違い男たちの狭窄した世迷言を聞くのは、もううんざりなのですが、この映画に描かれた所感が川本三郎自身の本心からでたものだとすると、そうとう深刻なものがあると思います。

もしかすると、奥さんの亡くなった原因もその辺にあったのかもしれません、もちろん私見です。
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by sentence2307 | 2012-11-03 12:01 | 映画 | Comments(156)