世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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《参考文献》

一冊の本を読み終わり、その読後感が充実したものだったにしろ、あるいは残念ながら失望感だけしか残らなかったにしろ、やれやれ、やっと読み終わったという開放感に浸っているときに、もし巻末に、「参考文献リスト」でもあれば、さらにもうひとつ得した気分になって、そのリストをじっくり眺めて楽しんでいます。

いわば「余韻を愉しむ」というやつでしょうか。

そのことを周囲の人に話したら、「あんなもの読まないよ」というのがだいたいの答えでした、これにはちょっと意外な感じを持ちました。

だって、もったいないじゃないですか。

例えばですよ、自分に置き換えてみて、一月に何冊くらい本が読めるかなと考えたとき、どうでしょう、学者でもなければ5本の指だって余ってしまうというのが精々のところでしょうし、それに、いざ何かを読もうかという段になって、それが分からないということは往々にしてあるのであって、そこで自分などは、新聞の日曜版に載っている書評を眺めたり、ネットの書評サイトに目を通しているのですが、それにしたって、いままで別に興味もなくて、そのうえよく分からないような分野の本を、いくら名だたる有識者の先生方が強く推薦しているからといって、そこで唐突に読み始めるなんてことは抵抗感もあるし、なかなかできることじゃありません。

そもそも「読書という技術」になんの素養もない凡人には最初から「無理」なので、その選択肢というのは、かなり限定的というか、閉ざされていると考えた方がいいのかもしれません。

それに総花的な書評欄(下世話な小説から高邁な哲学書までごちゃ混ぜ状態に紹介されています)というのを闇雲に追いかけていくと、その行き着く先というのは、自分なりの体系も見失ったつまみ食い的な単なる濫読(そもそもその選択には自分の意思というものがまったく存在していないので、惨憺たる不毛な結果が待ち受けています)に陥るオソレがあります。

だからです、その点「参考文献」というのは、ズブの素人の読書家にとっては、活用次第で本選びの「よき導き手」ともなる優れものなのです。

しかし、なんで突然、こんなことを書き始めたのかと訝しく思われる方もいらっしゃるかもしれません。

実は、自分の手元には、かなり前に読了した一冊の新書版が置いてあって、これをいままで捨てきれないで悩んでいました。

磯田道史の書いた「武士の家計簿・加賀藩御算用者の幕末維新」新潮社です。

ベストセラーになって、さらに映画にもなっていて、自分としても、結構面白く読み、それなりに愛着もある本なので、手元に置いていままで処分できなかったというわけなのですが、しかし、居住スペースには限界というものがありますし、いつまでも手元に置いておくこともできません。

いってみれば、あの「楢山節考」みたいな母親を捨てなければならない息子の苦しさと似たシチュエーションに見舞われています。

そこで、自分を納得させるには、どうしたらいいか考えました。

その答えが、これまで書いてきた「前振り」です。

実は、「前振り」を書きながら、自分がなぜ、この「武士の家計簿」を手放すことに躊躇していたのかを、書きながら探っていたという部分もあったのですが、そこで分かったのです。

処分することを自分に躊躇させていたのは、巻末の充実した「参考文献」にあったのだと。この「参考文献」をはたして自分は捨てることができるのかと。

じゃあ、捨てる前にその部分を転写してしまえばいいのではないかと、自分なりに納得しました。

しかし、控えなど取ったとして、将来のいつか、この「武士の家計簿・加賀藩御算用者の幕末維新」の参考文献なるもののリストが、はたして役に立つときがくるのか、という考えが兆したとき、あっ、と気がつくことがありました。

これは、本を処分できずにいつまでも取って置きたいということの単なる代償行為にすぎないのではないか。

こうでもしなければ「捨てる」ことに踏み出せないという、ずいぶん未練たらしい話です、わがことながら。やれやれ、なんという・・・。

以下が、「武士の家計簿・加賀藩御算用者の幕末維新」の参考文献です。

●著書
古林亀治郎編「現代人名辞典」中央通信社、1912年
和田文次郎「郷土談叢」第3輯、和田文次郎1921年
日置謙編「加賀藩史料」全18巻、前田育徳会、1929~43年
日置謙「石川県史」全4巻、石川県、1931年
石林文吉「石川百年史」石川県公民館連合会、1972年
大植四郎編「明治過去帳物故人名辞典」東京美術、1971年
J・F・C・フラー「制限戦争指導論」原書房、1975年
S・ハンチントン「軍人と国家」原書房、1978年
盛善吉「シーメンス事件・記録と資料」現代史出版会、1976年
小野武雄「江戸物価事典」時潮社、1984年
西川俊作「日本経済の成長史」東洋経済新報社、1985年
J・F・モリス「近世日本知行制の研究」清文堂、1988年
富永健一「日本の近代化と社会変動」講談社学術文庫952、1990年
野村昭子「加賀藩士族島田一良の反乱」北国新聞社、1990年
忠田敏男「参勤交代道中記・加賀藩史料を読む」平凡社、1993年
笠谷和比古「近世武家社会の政治構造」吉川弘文館、1993年
中村隆英編「家計簿から見た近代日本生活史」東京大学出版会、1993年
園田英弘「西洋化の構造、黒船・武士・国家」思文閣出版、1993年
太田素子「江戸の親子」中公新書1188、中央公論新社、1994年
田川捷一編著「加越能近世史研究必携」北国新聞社、1995年
園田英弘・濱名篤・廣田照幸「士族の社会学的研究」名古屋大学出版会、1995年
速水融「歴史人口学の世界」岩波書店、1997年
高野信治「近世大名家臣団と領主制」吉川弘文館、1997年
廣田照幸「陸軍将校の教育社会史」世織書房、1997年
落合弘樹「秩禄処分」中公新書1511、中央公論新社、1999年
成松佐恵子「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000年
高澤裕一他「石川県の歴史」山川出版社、2000年
金沢市史編纂委員会編「金沢市史 資料編14 民俗」金沢市、2001年
鳥取市歴史博物館やまびこ館「大名池田家のひろがり」鳥取市歴史博物館、2001年
坪内玲子「継承の人口社会学」ミネルヴァ書房、2001年
徳田寿秋「加賀藩における幕末維新期の動向」私家版、2002年
鬼頭宏「文明としての江戸システム」講談社、2002年
速水融「江戸農民の暮らしと人生 歴史人口学入門」麗澤大学出版会、2002年
高野信治「藩国と藩輔の構図」名著出版、2002年
宮崎克則「逃げる百姓、追う大名」中公新書1629、中央公論新社、2002年
速水融「近世日本の経済社会」麗澤大学出版会、2003年
磯田道史「近世大名家臣団の社会構造」東京大学出版会、2003年

●論文
斉藤修「徳川後期における利子率と貨幣供給」(梅村又次他「日本経済の発展」)
見瀬和彦「稲葉左門と寛永期の加賀藩政・勘定機構の成立をめぐって」(「国学院雑誌」86巻10号、1985年)
朝尾直弘「18世紀の社会変動と身分的中間層」(辻達也編「日本の近世10 近代への胎動」中央公論新社、1993年)
落合弘樹「ある古河藩士の幕末・明治」(「茨城県史研究」第74号、1995年)
高木侃「武士の離縁状」(「愛知学園論叢法学研究」第37巻1・2号、1955年)
磯田道史「大名家臣団の通婚構造」(「社会経済史学」63・5、1997年)
木越隆三「武家奉公人の社会的位置」(共著「近世社会と知行制」思文閣出版、1999年)
磯田道史「近世大名家における足軽の召抱と相続」(「日本歴史」628号、2000年)
磯田道史「近世大名家臣団の相続と階層」(「地方史研究」50・6、2000年)
川口洋「牛痘法導入期の武蔵野国多摩郡における疱瘡による疾病災害」(「歴史地理学」43巻1号、2001年)
磯田道史「幕末維新期の藩校教育と人材登用」(「史学」71・1・2、2001年)
蔵原清人「金沢藩明倫堂の和算教育」「金沢における洋算教育の展開」(幕末維新学校研究会編「幕末維新期における「学校」の組織化」第5章、第6章、1996年)
蔵原清人「金沢に洋算を伝えた戸倉伊八郎」(「市史かなざわ」第6号、2000年)

●未公刊史料
「旧金沢藩士 猪山家文書」「先祖由緒井一類附帳」明治3年


どうです、この充実ぶり。

実によく勉強していて関心させられます。

まあ、大学教授なら四六時中本を読むのが商売なのですから、これくらいは当たり前なのかもしれませんが、でも、心底好きでなければ、こんなマニアックな研究は続けられるものじゃありません。

こういう中から「武士の家計簿」が、ブレイクしたのも、こうした地道な学術的な研究を積み重ねた下地があったからなんでしょうね。

まあこうして参考文献を書き取ったので、これで安心してこの本を処分できる踏ん切りがつきました。

しかし、かなりの分量の「参考文献」を筆写したのですが、これが将来なにかの役に立つとは、到底思えません。

ただ自分の荒ぶる気持ちを鎮めるため、そして「捨てることを正当化する」理由を無理やりひねり出しただけのことであって、そこにいささかの「本」への愛情などない随分自分勝手な奇妙な手続で、我ながら暗澹たる気持ちにさせられますが、こうでもしなければ本を捨てられないのですから、まあ仕方ありませんか。ハハハハ・・・
笑っている場合か
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by sentence2307 | 2012-12-23 07:41 | 徒然草 | Comments(4)
最近、西村昭五郎監督作品「競輪上人行状記」1963が、日本映画専門チャンネルで放映されたことから、6年くらい前にアップしたこの作品の感想(実際に書かれたのは、もう少し前のことかもしれません)に多くの方のアクセスをいただき身に余る光栄と感謝しながらも、なんだか少し戸惑っている部分もあります。

改めて読み返してみて、苦笑を通り越して恥ずかしさに思わず赤面してしまいました。

ここに書かれていることは単なる愚痴というもので、まさに半分は映画の感想とはなにも関係のないものなのではないかと思えてきました。

ブログというものが個人的な日記的性格でOKということなので、その辺は許容してもらえるのかもしれませんが、しかし不特定多数の方に読まれることを前提に書かれるものなら、それなりの配慮というか覚悟というものがなければいけないのではないかとすれば、この感想文にはそうした「身構え」が無残なほどに伺うことができないような気がします。

そう思うと、なんだか物凄い自己嫌悪にとらわれ、ここしばらくは気の抜けたような気分に落ち込んでしまいました。

というのは、いまの自分なら、到底このような書き方はしないだろうなと思うからです。

我ながらこの感想文のなにが気に食わないかといえば、作品を評価する際、まずは否定から入り、そしてさらに否定に次ぐ否定を書き連ねておいてから、おもむろに「肯定」に転じようとする、考えてみれば随分姑息でもったいぶったヒネクレタやり方です。

当時の自分が、書く行為だけではなく、人間関係においても斜に構えた嫌みたらしい、そういう生き方をしていたことを見せつけられたような感じで、そうしたことに対する自己嫌悪だったのだと思います。

しかし、いまの自分なら、こういう行き方・書き方には、絶対にしません。

優れた作品には、まずは素直に「諾」と表明してから、傑出した部分を数え上げていくことに専念しています。

この「競輪上人行状記」についてなら、そうですねえ、まずは以下の3点あげておくと思います。

①現代仏教への告発(宗教の本意を失った金拝葬式主義を批判する「道徳観」)、

②元教師・春道が少し知恵遅れの教え子・をどこまでも守り通そうとする「正義感」、

③最後に車券で大穴をとることによって憑きものが落ちたように描かれる春道なりの「悟り」、

これら3点を指摘しておいて、さらに、これらの部分を支えるものとして、春道の「真面目さ」を挙げると思います。

つまりその彼の「真面目さ」こそ、この映画の物語性のすべてを支えている核心になるもので、子供たちに対して何も為し得ない現在の教育の無力さへの憤り・現代仏教の金拝主義への疑念にいたる春道の数々の失望と義憤が、そのまま破滅の瀬戸際まで自分を追い詰めていく競輪へ入れ込む春道の異常さの精密な描写を支えていることが分かります。

また、この役を小沢昭一が演じているところから、今村昌平監督の「エロ事師たちより 人類学入門」のスブやんがエロを追及するあまり、その過剰さがエロをはるかに突き抜けてしまうあの歯止めの利かない「真面目さ」とどこか共通したものがあるように思えてなりません。

さて、ここまで書いてきて、改めて読み返してみると、現在の自分のこの「肯定」から入る書き方にすると、随分と「掴み」の衝撃度が薄まり、インパクトに欠き、読み手にとっては読む推進力になる興味もその持続力をも損ないかねないものになってしまうのではないか。

ただでさえ退屈な自分の文章を考えれば、やっぱり「掴み」の花火を一発ぶち上げるような書き方に頼らなければ、到底全文を通して読んでくれなくなってしまうのではないか、という若干の危惧が残りました。

どうしようかなあ~という感じです。

さて、本作「競輪上人行状記」のラストシーンで小沢昭一演じる場立ちの予想屋・競輪上人の圧巻の場面、その素晴らしい口上を筆写しました。

稀代の名優・小沢昭一氏のご冥福をお祈りしながら。合掌

≪バカ者どもが。
いったいどういう積りで大事な金をドブに捨てるんだ。
いまお前らの失くした金があれば、かあちゃんに新しいパンティ買ってやれるんだぞ。
子供にバットもミットもグローブも買ってやれるんだ。
ろくに調べもしないで大事な金を、つまらんサイコロの目に賭けて失くすバカがあるか!
一日汗水たらして働いて、やっとこ500円取れるか取れないお前達が、どきどき震えながら1000(円)だ2000(円)だと車券を買って、それで儲かると思ってんのか!
はい、ありがとう。
お前達何も悪い事してるんじゃないんだぞ!
いいか、高い税金取られたうえにまだ足りなくて、100円券1枚について25円も役場に寄付している、道路作らせたり学校建てさせたりしている功労者じゃないか。
もっと大きな面をしろ!
胸を張って威張るんだ!
そうすりゃ心も落ち着いて目も見えてくるから損をしない。
お前たち素人には、なにものにも捉われず心を空しゅうして予想を立てるということは難しいよな。
だから、お前たちの代わりに俺の立てた予想どおりに買ってこい。
1000や2000は必ず儲けさせてやる。
はい、ありがとう。
いいか、余計なものを買うなよ。俺のいうとおり一本で買え。
本当に救われようと思ったら、あれこれ構わず迷わず念仏一筋に生きろ。
俺たちの宗祖さま法然さんも選択本願集のなかでいっておられる。
あらゆる雑行を捨てて、念仏という正行一本に生きるんだ。
どうせおれたちは、煩悩というものが体の中にこびりついている。
断ち切ろうと思っても断ち切れるものじゃない。
だから、きたない体のまま、よごれた体のまま阿弥陀さまにおすがりしろ。
おれも、このおれも坊主の身でありながら、お前たちと同じようにギャンブルの世界に飛び込んできた。
そのおれがお前たちに教えるものはこれだ。
いいか。車券は外れることを怖がっちゃいけない!
取れる時は一本で取れ!
わかったか、あれこれ迷うな!
…救われることを望んじゃいけない!
救いというのは一度きりしかないんだ!≫

実は、画面を見ながら、セリフを追いかけてタイプしたのですが、最後から2行目がどうしても聞き取れません。
「…救われることを望んじゃいけない!」と聞こえたので、そう打ちましたが、どうもこれでは少し違うかもしれないと思えてきました。
法然の考え方からすると、ここは「…救われることを諦めちゃいけない!」あるいは「恐れちゃいけない」みたいな方がふさわしいのかも。
どなかたお分かりの方がいらしたら、なにとぞご教示ください。

(1963日活)監督・西村昭五郎、原作・寺内大吉、脚本・大西信行、今村昌平、企画・大塚和、撮影・永塚一栄、美術・大鶴泰弘、音楽・黛敏郎、編集・丹治睦夫、録音・八木多木之助、スクリプター・石川久宣、照明・三尾三郎
出演・小沢昭一(伴春道)、南田洋子(伴みの子)、河合健二(伴玄道)、加藤嘉(伴玄海)、伊藤アイコ(小酒井サチ子)、高橋昌也(佐山了雲)、松本典子(佐山徳子)、高原駿雄(芳順)、初井言栄(シマ)、加藤武(色川)、渡辺美佐子(辰代)、竹川清明(伴道夫)、土方弘(源二)、高山千草(セキ)、佐々木景子(館野トミ)、武智豊子(ブラック婆)、江角英明(オサム)、嵯峨善兵(山県)、漆沢政子(石井カツ)、山口哲(石井金次)、小山田宗徳(鏡味)、福田トヨ(ヤス)、三崎千恵子(作子)、水木京二(川村)、玉村駿太郎(山上)
1963.10.13 9巻 2,699m 99分 35mm 白黒 シネマスコープ
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by sentence2307 | 2012-12-16 13:28 | 映画 | Comments(5)
昨日の読売新聞夕刊(2012.12.14)をざっと読んでいたら社会面対向の紙面の片隅に≪「リンカーン」7部門に≫という小さな見出しが目に飛び込んできました。

ごく小さな記事ですが、あわてて読み返しました。

そうですか、ゴールデン・グローブ賞のノミネートの発表があったんですか、もうそういう時季なんですね。

うかうかしていると1年なんてすぐに経ってしまいます。

むかしは、アカデミー賞などあまり関心もなくて別に気にも留めておらず(ゴールデン・グローブ賞は、アカデミー賞を占う前哨戦として位置づけられている賞です)情報が必要になった時にはじめて検索して確認する程度でした(賞の「権威づけ」ということにも、距離を置いてみるタイプだったので)。

しかし、ある時から「宗旨」を変えました。

何事もないようなだらだらとした日常生活は、「平穏無事」というそれなりの言い方もあるかもしれませんが、一方で、そういうぬるま湯的状況のなかで、時間がどんどん過ぎるに任せておくことは、とても危険なことではないかと思い始めました。

それまでは「行事」というものを軽視していたのですが、数年前の旧友の急死を切っ掛けに、失われ続けていく時間の怖さを悟ったのかもしれません。

「行事」というものの持つ意味と、そういう節目のときに、濃密に関わっていくことの重要性にやっと気が付いたのだと思います、そういう意味で「アカデミー賞」と「アカデミー賞への道(前哨戦的な位置づけの賞が幾つもあって)」をたどることに興味を持ち始めました。

読売新聞夕刊は、こう報じていました。

「米アカデミー賞の行方を占う第70回ゴールデン・グローブ賞の各候補が13日、ロサンゼルス近郊ビバリーヒルズで発表された。
今回の注目作は、第16代米大統領エイブラハム・リンカーンの最晩年の姿を感動的に描いた「リンカーン」(スティーブン・スピルバーグ監督)で、作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門でノミネートされた。受賞作は、来年1月13日に発表される。」

えっ、これだけ? ちょっと待ってヨ~。ずいぶんじゃないですか、こういうの、蛇の生殺しっていうんですよね。

もう少し詳しく知りたいじゃないですかぁ。なんてったって、たったこれだけじゃ、この賞でアカデミー賞の風向きを占うもなにも、できるわけがありませんよね。

う~ん、もうちょっと、ちゃんと報道して貰わなければ困ります。

まあ、文句をいってみたところで、どうなるものでもありません。

そこで仕方なく検索してみました。

やっぱり、ネットは頼りになりますね。載ってました、載ってました。

第70回ゴールデングローブ賞授賞式は、第85回アカデミー賞ノミネート発表のある2013年1月17日(木)より前の、現地時間1月13日(日)にロサンゼルスのビバリーヒルトン・ホテルで開催されることになっており、アカデミー賞への影響も含めて、結果が楽しみ。

ハリウッド外国人映画記者クラブ(HFPA)の会員の投票によって選出される、第70回ゴールデングローブ賞のノミネーションが12月14日(現地時間)に発表された。

 作品賞と監督賞、主演男優賞、助演男女優賞を含む最多7部門でノミネートされたのは、スティーブン・スピルバーグ監督、ダニエル・デイ=ルイス主演の歴史劇「リンカーン」。次いで「アルゴ」と「ジャンゴ 繋がれざる者」がそれぞれ5部門、「ゼロ・ダーク・サーティ」「レ・ミゼラブル」「世界にひとつのプレイブック」が4部門のノミネートで追う展開になった。

アメリカ大統領選が行われた2012年は、スティーヴン・スピルバーグ監督『リンカーン』(2013年4月19日公開)、ベン・アフレック監督『アルゴ』(12)、キャスリン・ビグロー監督『ゼロ・ダーク・サーティ』(2013年2月15日公開)など、社会派の作品が多くノミネートされているのが特徴で、大方の予想通り、『リンカーン』が最多7部門と圧倒的な勝利を収めた。

一方で「『ツーリスト』(10)と『アリス・イン・ワンダーランド』(10)の2作品でジョニー・デップを主演男優賞にノミネートした外国人映画記者クラブ(HFPA)は、今年も例外じゃなかった」とmoviefone.comが報じている通り、今回のノミネート発表に際し、今年も悲喜こもごものドラマが誕生している。

各メディアが取り上げている、辛酸をなめた作品・人物とサプライズ受賞作・受賞者をピックアップしてみた。

米ABCニュース、NBCニュースが大きく取り上げたのは、世界中で10億ドル以上を稼ぎ出した『ダークナイト』シリーズの最終章となった『ダークナイト ライジング』(12)が総スカンを食らった点だ。

『ダークナイト』(08)で、故ヒース・レジャーが第81回アカデミー助演男優賞を獲得したのは、やはり故人となったからだったのか。

アカデミー賞ならいざ知らず、アメコミ映画といえども、アメリカ映画産業界に絶大な影響力と興行成績をもたらした同シリーズのフィナーレで、クリスチャン・ベール、クリストファー・ノーラン監督らが無視されたのは、残念な結果であると共に、ゴールデングローブ賞に疑念を残す結果となった。

そして、多くのメディアが取り上げている俳優が、『Bernie』とスティーブン・ソダーバーグ監督の大ヒット作『Magic Mike』で、あの厳しいニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒーだ。

ゴールデングローブ賞の主演男優賞は、カテゴリーが分かれていない助演男優賞と違い、ドラマ部門とコメディー・ミュージカル部門があり、広き門となっているが、ジャック・ブラックがコメディー・ミュージカル部門の『Bernie』で主演男優賞にノミネートされているにもかかわらず、マシューがノミネートされなかったことは、Usウィークリー誌など多くのメディアがサプライズとして挙げている。

だが、「2013年公開の『The Dallas Buyers Club』で演じるHIV患者の役作りのため、約17kgも体重を落としたマシューは、2013年までチャンスを待つしかない」と、早くも2013年のノミネートを期待する声も挙がっている。

その助演男優賞を混乱させている一因には、『ジャンゴ 繋がれざる者』(2013年3月1日公開)でレオナルド・ディカプリオとクリストフ・ヴァルツのふたりがノミネートしている点にあると指摘されている。

こちらも主演男優賞のジェイミー・フォックスが無視されたことと同様に、ゴールデングローブ賞らしいサプライズだと言われているのだ。

一方で、想定外のビックサプライズノミネートとなったのは、2012年3月に公開され、興行成績がわずか900万ドルと振るわずに、賞レースの話題にもなっていなかった『砂漠でサーモン・フィッシング』(日本公開中)だ。

コメディー・ミュージカル部門の作品賞に選ばれているほか、主演男優賞にユアン・マクレガー、主演女優賞にエミリー・ブラントがそろい踏みする結果となったのは、業界誌ハリウッド・レポーターでも想定外だったようだ。

他にはヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイ、そして作品賞にもノミネートされている『レ・ミゼラブル』(12月21日公開)で、トム・フーパー監督とアマンダ・サイフリッドがノミネートされていない点や、ブラッドリー・クーパーやジェニファー・ローレンスがノミネートされている『世界にひとつのプレイブック』(2013年2月22日公開)のデヴィッド・O・ラッセル監督がノミネートから外れたこと、ドラマ部門の主演男優賞に『ヒッチコック』(2013年春公開)のアンソニー・ホプキンスではなく、『Arbitrage』のリチャード・ギアが選ばれたことや、トミー・リー・ジョーンズが、メリル・ストリープ主演の『Hope Springs』ではなく、『リンカーン』(2013年4月19日公開)で助演男優賞にノミネートされたことなどが挙げられている。

授賞式は2013年1月13日に開催される。

第70回ゴールデングローブ賞(映画部門)ノミネートは以下の通り。

◆作品賞<ドラマ部門>
アルゴ(ベン・アフレック監督)
ジャンゴ 繋がれざる者(クエンティン・タランティーノ監督)
ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日(アン・リー監督)
リンカーン(スティーヴン・スピルバーグ監督)
ゼロ・ダーク・サーティ(キャスリン・ビグロー監督)
◆作品賞<ミュージカル/コメディ部門>
マリーゴールド・ホテルで会いましょう(ジョン・マッデン監督)
レ・ミゼラブル(トム・フーパー監督)
ムーンライズ・キングダム(ウェス・アンダーソン監督)
砂漠でサーモン・フィッシング(ラッセ・ハルストレム監督)
世界にひとつのプレイブック(デヴィッド・O・ラッセル監督)
◆監督賞(共通部門)
ベン・アフレック(アルゴ)
キャスリン・ビグロー(ゼロ・ダーク・サーティ)
アン・リー(ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日)
スティーヴン・スピルバーグ(リンカーン)
クエンティン・タランティーノ(ジャンゴ 繋がれざる者)
◆主演男優賞(ドラマ)
ダニエル・デイ=ルイス(リンカーン)
リチャード・ギア(Arbitrage)(原題)
ジョン・ホークス(The Sessions)(原題)
ホアキン・フェニックス(ザ・マスター)
デンゼル・ワシントン(フライト)
◆主演女優賞(ドラマ)
ジェシカ・チャステイン(ゼロ・ダーク・サーティ)
マリオン・コティヤール(君と歩く世界)
ヘレン・ミレン(ヒッチコック)
ナオミ・ワッツ(The Impossible)
レイチェル・ワイズ(The Deep Blue Sea)(原題)
◆主演男優賞(コメディ/ミュージカル)
ジャック・ブラック(Bernie)(原題)
ブラッドリー・クーパー(世界にひとつのプレイブック)
ヒュー・ジャックマン(レ・ミゼラブル)
ユアン・マクレガー(砂漠でサーモン・フィッシング)
ビル・マーレイ(Hyde Park on Hudson)(原題)
◆主演女優賞(コメディ/ミュージカル)
エミリー・ブラント「砂漠でサーモン・フィッシング」
ジュディ・デンチ「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」
ジェニファー・ローレンス「世界にひとつのプレイブック」
マギー・スミス「カルテット!人生のオペラハウス」
メリル・ストリープ「Hope Springs」
◆助演男優賞(共通部門)
アラン・アーキン(アルゴ)
レオナルド・ディカプリオ(ジャンゴ 繋がれざる者)
フィリップ・シーモア・ホフマン(ザ・マスター)
トミー・リー・ジョーンズ(リンカーン)
クリストフ・ヴァルツ(ジャンゴ 繋がれざる者)
◆助演女優賞(共通部門)
エイミー・アダムス(ザ・マスター)
サリー・フィールド(リンカーン)
アン・ハサウェイ(レ・ミゼラブル)
ヘレン・ハント(The Sessions)(原題)
ニコール・キッドマン(The Paperboy)(原題)
◆脚本賞(共通部門)
マーク・ボール「ゼロ・ダーク・サーティ」
トニー・クシュナー「リンカーン」
デビッド・O・ラッセル「世界にひとつのプレイブック」
クエンティン・タランティーノ「ジャンゴ 繋がれざる者」
クリス・テリオ「アルゴ」
◆作曲賞(共通部門)
マイケル・ダナ「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」
アレクサンドル・デプラ「アルゴ」
ダリオ・マリアネッリ「Anna Karenina(原題)」
トム・ティクバ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル「クラウド アトラス」
ジョン・ウィリアムズ「リンカーン」
◆主題歌賞(共通部門)
“For You”「ネイビーシールズ」
“Not Running Anymore”「Stand Up Guys(原題)」
“Safe & Sound”「ハンガー・ゲーム」
“Skyfall”「007 スカイフォール」
“Suddenly”「レ・ミゼラブル」
◆アニメーション映画賞
「メリダとおそろしの森」
「フランケンウィニー」
「モンスター・ホテル」
「Rise of the Guardians(仮題)」
「シュガー・ラッシュ」
 ◆外国語映画賞
「愛、アムール」(オーストリア・フランス・ドイツ)
「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」(デンマーク)
「最強のふたり」(フランス)
「Kon-Tiki」(ノルウェー・イギリス・デンマーク)
「君と歩く世界」(フランス)
◆セシル・B・デミル賞
ジョディ・フォスター


なるほど、すごく参考になりました。

そうそう、ところで、いわゆるアカデミー賞への道【前哨戦スケジュール12月~2月】というヤツ以下に書いておきますね。

2012年12月
1日(土)  協会賞授賞式
1日(土)  ヨーロッパ映画賞
3日(月)  サテライト賞ノミネーション
3日(月)  ニューヨーク映画批評家協会賞
3日(月)  アニー賞ノミネーション
5日(水)  ナショナル・ボード・オブ・レヴュー賞
8日(土)  ワシントンDC映画批評家協会賞ノミネーション
9日(日)  ロサンゼルス映画批評家協会賞
9日(日)  ボストン映画批評家協会賞
9日(日)  英国インディペンデント映画賞
10日(月)  アメリカ映画協会賞
10日(月)  ワシントンDC映画批評家協会賞
11日(火)  ブロードキャスト映画批評家協会賞ノミネーション
11日(火)  サンディエゴ映画批評家協会賞
12日(水)  アメリカ映画俳優組合賞ノミネーション
13日(木)  ゴールデン・グローブ賞ノミネーション
13日(木)  シカゴ映画批評家協会賞ノミネーション
14日(金)  デトロイト映画批評家協会賞
16日(日)  サテライト賞
17日(月)  第85回アカデミー賞ノミネーション投票開始
17日(月)  シカゴ映画批評家協会賞
17日(月)  インディアナ映画批評家協会賞
17日(月)  アフリカン・アメリカン映画批評家協会賞
17日(月)  ロンドン映画批評家協会賞ノミネーション
18日(火)  フェニックス映画批評家協会賞
18日(火)  ダラス-フォートワース映画批評家協会賞
19日(水)  フロリダ映画批評家協会賞
24日(月) オンライン映画批評家協会賞ノミネーション
30日(日) セントラルオハイオ映画批評家協会賞ノミネーション
31日(月) ヴァンクーヴァー映画批評家協会賞ノミネーション


2013年1月
3日(木)  17:00 第85回アカデミー賞ノミネーション投票締切
3日(木)  アメリカ製作者組合賞ノミネーション
3日(木)  アメリカ脚本家組合賞ノミネーション
3日(木)  アメリカ美術監督組合賞ノミネーション
3日(木)  セントラルオハイオ映画批評家協会賞
3日(木)  デンヴァー映画批評家協会賞ノミネーション
5日(土)  全米映画批評家協会賞
7日(月)  視覚効果監督組合賞ノミネーション
7日(月)  ヴァンクーヴァー映画批評家協会賞
7日(月)  オンライン映画批評家協会賞
8日(火)  アメリカ監督組合賞ノミネーション
8日(火)  アメリカ録音監督組合賞ノミネーション
8日(火)  デンヴァー映画批評家協会賞
9日(水)  英国アカデミー賞ノミネーション
10日(木)  05:30 第85回アカデミー賞ノミネーション
10日(木)  ブロードキャスト映画批評家協会賞
10日(木)  アメリカ編集組合賞ノミネーション
13日(日)  ゴールデン・グローブ賞
13日(日)  アメリカ視覚効果監督組合賞ノミネーション
14日(月) USCスクリプター賞ノミネーション
18日(金)  アメリカ音響効果監督組合賞
19日(土)  国際シネフィル協会賞ノミネーション
20日(日)  ロンドン映画批評家協会賞
26日(土)  アメリカ製作者組合賞
26日(土)  アニー賞
27日(日)  アメリカ映画俳優組合賞

2013年2月
1日(金)  NAACPイメージ賞
2日(土)  アメリカ監督組合賞
2日(土)  アメリカ美術監督組合賞
4日(月) ノミニーズ・ランチョンパーティ
5日(火) アメリカ視覚効果監督組合賞
7日(木) ベルリン国際映画祭開幕
8日(金)  第85回アカデミー賞最終投票開始
9日(土)  科学技術賞ディナー
9日(土)  国際シネフィル協会賞
10日(日)  英国アカデミー賞
16日(土)  アメリカ編集監督組合賞
16日(土)  アメリカ録音監督組合賞
17日(日) アメリカ脚本家組合賞
17日(日) アメリカ音響効果監督組合賞
17日(日) ベルリン国際映画祭閉幕
19日(火) 第85回アカデミー賞最終投票締切
19日(火) アメリカ衣装デザイナー組合賞
23日(土) インディペンデント・スピリット賞
24日(日)  第85回アカデミー賞授賞式
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by sentence2307 | 2012-12-15 23:31 | 映画 | Comments(3)

中村勘三郎逝く

12月5日に亡くなった中村勘三郎のあまりにも若すぎる死を報じた読売新聞(24.12.6朝刊)は、その「編集手帳」で「死なれてみて惜しくない人などこの世にいないが、許された齢ひのあまりに短き中村屋は格別である。」として、樋口一葉の随筆「あきあはせ」から「鈴虫はふり出てなく声のうつくしきければ、物ねたみされて齢ひの短きなめり・・・鈴虫は鳴き声がひいでて美しいので、妬まれて寿命が短いのだろう」と書いています。

旧態依然の権威に胡坐をかいていた閉ざされた歌舞伎を、古典の座から引きずり出し、現代演劇と互角に拮抗する演劇として、権威に傷がつくのも恐れず、また、「古色」の側からの批判にもさらされながら意欲的な数々の試みを果たしてきた中村勘三郎の死は、歌舞伎界にとって、相当なダメージだったと思います。

はたして、あのカリスマ・パワーを引き継げるだけの力量ある役者が、いまの歌舞伎界にいるだろうか、これから歌舞伎はいったいどうなるのだと暗澹たる気持ちにならざるをえません。

世界に発信した勘三郎の数々の試みは、それほど、世界に対して「歌舞伎」という演劇を再認識(というより「新認識」)させるに大いなる功績があったと思います。

そのことに関連して、ちょっとしたエピソードがあります。

今年の春先、最近歌舞伎にはまっているという欧州からの留学生からこんな話を聞きました。

来日した当初の彼のオペラ好きはとても有名で、酒席などでは、壮大勇壮なオペラ自慢と、それにひきかえ日本文化・伝承芸能のチマチマとした後進性を縷々あげつらう「演説」には、一同ホトホトうんざりさせられていました。

とりわけ「歌舞伎」については、とても厳しい見解を持っていました。

しかし、だからといって当の本人も「歌舞伎」のことを熟知して話しているとは思えず、表面的な印象の話のうちはともかく、話が核心に迫ると、ほとんどが推測で強引に押し通していることが察しられるくらい、突っ込みどころはたくさんあるような気がしましたが、しかし、なにせこちらの方は、歌舞伎もオペラもなにも知らない二重苦のズブの門外漢です、とても怖くて反論なんか一言だってできるわけがありません。

そういう彼が、あるとき(これもお酒の席でした)こんなことを自分にはなしてくれました。

いままで自分は、歌舞伎は、所詮どうもがいても西洋のオペラには劣るものと思ってきた。

しかし、歌舞伎のことを知るにつれて、考えが変わってきた。

オペラは、もともと王がその威勢を誇示するために発展してきたもので、王が歌劇場を造り、興行を主催してきた。

劇場の平土間が民衆に開放され、桟敷は貴族の社交場として利用された。

当然、豪華のものが求められ、王制がなくなっても、そのDNAはオペラの中に受け継がれ、今でも入場料収入だけではとても採算がとれない状況がある。

豪華なオペラは、恒常的な公的支援や企業等の支援を受けて「盛大に」興行されているのが現状だ。

それに反して、歌舞伎は、その起源から江戸時代にいたるまで幕府=権力からの保護を受けたことは一度もない。

むしろ幕府=権力からの禁圧とか干渉とかの制約を受け続けてきた歴史だった。

それでも民衆の支持を受けて、変幻自在に変容し、姿を変えて不死身のように再生し、発展してきた・・・と話してくれました。

きっと彼も勘三郎の早すぎる死を悼んでいるに違いありません。
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by sentence2307 | 2012-12-12 21:33 | 徒然草 | Comments(3)

オズの魔法使

昨日の夕方、買い物に商店街にふらりと出掛けました。

あまり景気が良くないといわれている昨今ですが、やっぱり12月ですね、すごい人出で、それなりに活気もあり賑やかでした。

夕食のためのちょっとした惣菜をスーパーで買ったあと、薬局の量販店に寄って、そろそろ補充しなければならないサプリメントを物色して購入し(マルチビタミンのほかに、その都度適当なものを組み合わせて飲んでいます。確たる効き目があるとは思いませんが、「止めたら怖いぞ~」という薬品会社の「健康」を人質にとった脅迫のロジックに上手に嵌められているひとりでして、思えば、最初に無料サンプルというのを貰ったのがいけなかったのかなと思っています)ぶらぶら歩いていたら、それまで気がつかなかったのですが、電柱に掲げてある拡声器からナニヤラ心静まるゆったりとした曲が流れていることに気がつき、なんの曲だろうと思わず耳を澄ませました。

いつもならAKB48の曲とか、そのほかヤタラ元気のいいJポップだとかKポップだとかが耳をつんざくばかりにガンガン流れていて、嫌でも(いえいえ、「嫌」ということは決してありません。ゴメンナサイ)耳に入ってくるのに、こんな静かな楽曲では雑踏のざわめきに掻き消されてしまい気が付かなかったのだと思います。

よく聞くと、その曲は「オーバー・ザ・レインボウ」でした、「オズの魔法使」であのジュディ・ガーランドが歌った名曲です。

考えてみれば、人で賑わう12月の商店街には、なんだかそぐわない感じで、こんな優雅な音楽では宣伝効果も疑わしいのではないかと思いながら、しかしこの意外な出会いに、しばし足を止めて、その美しい旋律を耳で探しました(周囲があまりにやかましく、曲がよく聞こえないので「耳を澄ます」とか「聞き惚れる」とはいきません、むしろ「音を探す」という方がふさわしい感じです)。

しかし、突然立ち止まり、ぼんやりとクウを仰いでいる挙動不審の中年男を、通行人は訝しそうに避けながら、なかには、あからさまに「このクソ忙しいときに、なにやってんだよ、バカヤロー」とばかり舌打ちして通り過ぎる人もいました。

しかし、それにしても実に美しい曲です、まるでこれは奇跡の旋律・天上からの妙なる調べといってもいい感じでした・・・長いあいだ忘れかけていた記憶が一挙に戻りかけたとき、そうだ、その頃のハリウッドで作られたミュージカル映画のほとんどは、実際に楽曲を歌っているのは女優ではなくプロの声楽家で、主演女優はその声のテープに合わせてクチパクするだけだったのではないか(「マイ・フェア・レディ」のオードリーヘップバーンが、そうでしたよね)ということを思い出しました。

そうか、それならその真偽を確かめなければ、と急いで帰宅して、パソコンの前に座り、さっそく検索してみました。

キーワードですか、そうですねえ、まずは「ジュディ・ガーランド クチパク」でいきましょう。

そして、その検索結果を見て驚きました、ジュディ・ガーランドは、1962年に「Judy at Carnegie Hall」というアルバムでグラミー賞・最優秀アルバム賞を受賞している正真正銘の「本人」じゃないですか。

これはこれは大変失礼しました、ワタクシの認識不足です。

あのCarnegie Hallで歌っているくらいですから、それだけでも相当な実力の歌い手だったことが分かりますよね。

それから、こんな記事もありました。

≪つい先日、全米芸術基金 (National Endowment for the Arts) と全米レコード協会 (Recording Industry Association of America) が主催して、20世紀のアメリカを代表する曲を選出するというアンケートの結果発表があった。
そのベスト・スリーは、3位がウディ・ガスリーの「我が祖国 (This Land Is Your land)」、2位がビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」で、そしてその他の名だたるクラシックを抑えて見事1位に輝いたのが、「オズの魔法使い」でジュディ・ガーランドが歌うクラシック中のクラシック、「虹の彼方に (Over the Rainbow)」だった。
確かにこの曲を聴いたことのない人間というのは、アメリカ人ではまず一人もいないだろうし、世界を見渡しても、よほど文化鎖国をしている国でもなければ、この曲を知らないものはまずいないと思われる。≫

なるほど、なるほど。

冒頭にある「つい先日」が、いつの「つい先日」なのか、このサイトからでは、定かでありませんが、しかし、プロの業界人がこぞって「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドが歌う「虹の彼方に (Over the Rainbow)」こそは、全米第1位のクラシック中のクラシックの名曲だと断言しているのですから、たとえわが街の商店街を行き交う極東の島国に住む黄色い肌をした東洋人が「よほど文化鎖国をして」いる未開地の文化後進国民などと決め付けられるに値する無知度加減をあらわにし、事実、その妙なる楽曲に耳を済ませている善良なおじさんを突き飛ばしたあげく、舌打ちで報いるような粗暴な痴呆的暴虐性を示したとしても、この曲が「世界から愛されている楽曲」ナンバー・ワンであることには、ナンラ影響を与えないことは明らかです。

そうそう、方々のサイトを見ていたら、数年前にABC放送が製作したテレビドラマ「ジュディ・ガーランド物語」Life with Judy Garland: Me and My Shadows というのが日本でも放送されていたことを知りました。

その感想を書いているブログ氏は、最後にこんなことを書いています。

《MGMのボス、ルイス・B・メイヤーが、いったんは獲得した「オズの魔法使い」の映画化権を、シャーリー・テンプルを擁するFOXに譲ろうとしていたということを初めて知った。
もしそうなっていたとしたら、「虹の彼方に」を歌ったのはテンプルで、我々が今知っている「オズの魔法使い」とはまったく異なった作品ができあがっていたはずだった。
テンプル主演の「オズの魔法使い」なんて、今となっては想像することすら不可能だが、それが歴史というものの面白さである。
ちょっとした運命のいたずらで「オズの魔法使い」はガーランド主演に決まり、われわれが今知っている「オズの魔法使い」ができ上がった。
それでも、「オズ」がなかったら、ガーランドはいったいどんな人生を歩むことになったんだろうか、ドロシー役を手に入れたガーランドは、果たして運がよかったのか悪かったのか、などとふと考えてしまう。
そう思わせてしまうところが、この番組がよくできていることの証拠なんだろう。》

へえ~、そうだったんだ、はじめて知りました。

そして、ガーランドの晩年についても、こんな記述がありました。

《ガーランドも他の多くのハリウッド・スターと同じように、薬漬けの一生を送った。
他のスターと違うのは、それがコカインやヘロインとかのドラッグではなく、ほっておくとすぐに太る体質や、あがり症を抑えるための薬、あるいは睡眠薬だったということだが、いずれにしてもこれらの薬に依存しないではいられないようになり、結果として中毒症と様々な副作用、さらにそれを抑えるための薬の常用という悪循環に陥った。
そのうえ、リタイアとカムバック、そしてまた忘れられた頃に以前を上回るほどの成功でカムバック、過食症による過度の肥満、金持ちになったかと思えばIRS (アメリカの税務署だ) の手入れによって破産、豪邸に住みながら毎日コーンフレークを食べて飢えをしのいだというガーランドの人生は、ハリウッド、というかアメリカ人好みのドラマティックこの上ないものだった。
人々はまるでハリウッド映画を見るようにガーランドの現実の生活に注目していたのだろう。》

たまたま商店街で遭遇した「虹の彼方に (Over the Rainbow)」から、関心がどんどん膨らんでいきました。

きっと普段なら「ああ、懐かしい」くらいで聞き流していたかもしれません。

しかし、そのとき、なんだか気持ち的に聞き流せなかったのは、たぶんぼく自身にも自分だけが持っているこの作品に対する思い入れと、それからライザ・ミネリが語っていた母ジュディ・カーランドとの確執や悲惨な晩年のこと、そして、この映画自体が有している独特の物悲しさを感じ続けていたからかもしれません。

あの例の、かかしには脳みそがなく、ブリキマンの木こりには心がなく、そして、ライオンには勇気がないというやつ、かかしが自分の空っぽの体に藁を詰め込むシーンを見るたびに、なんだか痛切なものを感じてしまい身につまされます。

そうそう、そういえば少し前の新聞に、ビバリーヒルズの競売でジュディ・ガーランドが演じたドロシーの衣装が、3800万円で落札されたという記事がありましたよね。

古い新聞を引っ張り出してその記事を写しておきました。

以下のとおりです。

「ドロシーの衣装、3800万円で落札 映画「オズの魔法使」でジュディ・ガーランドが着用 」
《ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズの競売会社で、映画「オズの魔法使」(1939年)で主演女優のジュディ・ガーランドが身に着けていた青いギンガムチェックのドレスがこのほどオークションにかけられ、13日までに48万ドル(約3800万円)で落札されたとAP通信が伝えた。
オークションは9~10日、米カリフォルニア州ビバリーヒルズでジュリアンズ・オークションズが開催。
衣装は、ガーランドが演じた魔法の国へと迷い込む少女ドロシーが着ていたもので、ブラウスと細かい格子模様のジャンパースカートの組み合わせ。
同作品の撮影に使われた「ルビーの靴」4組のうち1組は今年2月、俳優レオナルド・ディカプリオらの支援で、ロサンゼルスに開設予定の映画芸術科学アカデミー博物館が入手していた。
このほか「帰らざる河」(1954年)のカナダロケでマリリン・モンローが着た紫色のスカートが5万ドル、金色のブラウスとカプリパンツのセットが4万3750ドルで落札された。
また、スティーブ・マックイーンのレーシングジャケットに5万ドル、ジュリー・アンドリュースが映画「サウンド・オブ・ミュージック」で着用したドレスに3万8400ドル、ジャクリーン・スミスが「チャーリーズ・エンジェル」で着た黒のロングドレスに1万5000ドルの値が付いた。
最近の映画では「レオン」(94年)でジャン・レノが使用したサングラスに8320ドルの値が付いた。
「オズの魔法使い」関連の宣伝写真などのコレクションに3万3750ドルを出した落札者もいた。
ハリウッド映画の歴史を彩る品々が出品された。【ロサンゼルス共同】》
「日本経済新聞 平成24年11月13日」

(1939MGM)製作:マーヴィン・ルロイ、監督:ヴィクター・フレミング、原作:ライマン・フランク・ボーム、脚本:ノエル・ラングレー、フロレンス・ライアソン、エドガー・アラン・ウールフ、撮影:ハロルド・ロッソン、音楽:ハロルド・アーレン、ハーバート・ストサート、編集・ブランシュ・セーウェル
出演:ジュディ・ガーランド、フランク・モーガン、レイ・ボルジャー、バート・ラー、ジャック・ヘイリー、ビリー・バーク、マーガレット・ハミルトン
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by sentence2307 | 2012-12-09 21:08 | 映画 | Comments(4)

婚前特急

大人気ないと言われてしまえば、ホント、弁解の言葉もないのですが、前田弘二監督作品「婚前特急」について、最近、若い女性とちょっとした論争をやらかしてしまいました。

いま思い返しても、恥ずかしさで顔から火がでる思いです。

しかも、その場所というのが、各課交流の懇親会の席だったものですから、社内の皆がその現場のモロ立会人みたいに一部始終を見ていて、しばらくは、社内で会う人ごとに、まずはそのときの話を振られ、ちょっと閉口してしまいました。

おまけに、そのあとの管理職会議でも、多くの社員の前だというのに、総局長が冒頭でその話に触れ「管理職たるもの、若い女性社員と同じ目線で真剣に熱く語り合うことは、とても結構なことだ」とお褒めの言葉をいただいたものの、ホントかな~という思いしかなく、冷や汗が噴き出しました。当然、周囲の好奇の目もあるしで、素直に喜べるようなことではありません、会議中は、顔を上げられないくらい困惑と恐縮のしまくりでした。

まあ、当の「論争」というヤツですが、べつに双方が感情的になって声を荒げたとか、片方がくったかかったなんてことがあったわけではありません。

相手の女性社員(まさに「婚前特急」の主人公・池下チエと同年代と思ってください)は、入社2~3年目くらいの、若いながらも、とても物静かで落ち着いた女性です、きっと近い将来、秘書室にでも抜擢されるのではないかと思われるような知的で品のある素直なお嬢さんです。

逆に言えば、日ごろ、そういう感じの人が、映画「婚前特急」について、一変して、ちょっとこだわった喋り方をしたので、なおさら周囲の注目を集めてしまったのかもしれません。

懇親会でたまたま隣り合った彼女と、最初のうちは気候だとか旅行だとかの差しさわりのない話をしていたのですが、あまりにも年代が離れすぎているために、すぐに共通の話題も尽きてしまい、その気まずい空気を察した彼女が気を使って、「最近印象に残った映画がありますか」と聞いてくれました。おじさんの得意分野です。

そこで、自分は、なにも考えないままに「婚前特急」と答えたのが、そもそものコトの発端でした。

あそこで小津作品とか黒澤作品とかを答えておけば、なんらコトなきを得たのでしょうが、たぶん数日前に見た「婚前特急」における前田弘二演出の力量に至極感心し、迷うことなく「婚前特急」と答えたのだと思います(しかし、これから前田弘二吉監督が、吉高由里子という素材を離れ、もっと違ったタイプのストーリーを変わらぬ演出力で撮れるのか、今後を注目していく必要がありますが)。

自分が「婚前特急」を話題にのぼらせた時の彼女の目の一瞬の輝きを見て、彼女もまたこの作品に一方ならぬ関心を寄せていることが察しられました。

それから会話が、この映画の内容に及んでいったのは、まあ当然の成り行きだったでしょう。

5人の男たちと気ままな交際を楽しんでいた池下チエは、親友・トシコの結婚と幸せそうな家庭生活を間近に見て、真実の恋人を絞り込む決心をし、査定表を作って恋人仕分け(消去法の振るい落とし作戦)にかかります。

メリットとデメリットを書き連ねて査定した結果、メリットなく、ただ「楽」としか書きようのない最低ランクの男・田無タクミに別れ話を持ちかけると、「オレたち付きあってないじゃん、いままでどおりSEXだけの関係でいようよ」と言われて、いままで付き合っていたと思い込んでいた池下チエは、ひどくプライドを傷つけられ、なんだか一方的に馬鹿にされたような立場に立たされたことに憤慨し、キレて、自分のことを好きにならせてから捨てるのでなければ絶対気がすまないと、復讐計画を立てます。

懇親会の席で、彼女がこだわったのは、池下チエが、この査定表に、田無タクミのメリットとして「楽」と書いたときから、チエの気持ちはすでに田無タクミに決まっていて、それからのグダグダは、恋愛を深めるためのデートみたいなものだったんですよね、という感想を述べました。

そのとおりです、そのとおりなのですが、田無タクミに言葉に「なぜ池下チエが、キレるのか」が自分には分からないのです、そう彼女に言いました。

だって、そうじゃないですか。

5人の男たちを取っ替え引き換え付き合ってきたんですよ、チエ自身彼らの「メリット」をテキトーに楽しませてもらいながらSEXも楽しんできたというなかで、特にこれというメリットもなく資産もない田無タクミに対しては、突き詰めてゆけば、なにもない彼とは、ただ「カラダ」目当てに付き合っていたということにならないだろうか、だから、改めて田無タクミから「オレたち付きあってないじゃん」という事実の、そのあからさまな言い方に対してカチンときただけで、実態は「いままでどおりSEXだけの関係」はそのまんまの現実だったのであって、本来それは、チエが怒ることでもなんでもないことだったはず、と彼女に言いました。

話がコングラガって本質が見えにくいかもしれませんが、彼女が言った「楽」→「結婚」という短絡で直な図式には、「結婚」というものの本質を忌避した少女特有の夢のような考え方・見方でしかなく、そのような見方では、この映画の本質も、たぶん「結婚」というものの本質も見誤る、本当に大切なのは、田無タクミが後半で言った「いままでどおりSEXだけの関係でいようよ」の方で、その証拠にこのストーリーが、チエの「復讐」とは、まるで裏腹な結果に至っていることを見れば明らかじゃないですか。

そう彼女に言いました。

しかし、冷静になってからそのときの情景を思い返すと、若い女性の「結婚観」に対して、おじさんが生々しい「結婚観」を無理やり押し付けているだけで、なんだかトウのたった中年男が若い娘さんに対してやっかみ半分で「あんたねー、結婚なんてそんなものじゃないぞー」とかなんとか一生懸命からんでいた異常な情景が展開していたのだなあ~と思うと、いまでもゾーッとして最悪の後悔と冷や汗にみまわれています。

(2011ビターズ・エンド、ショウゲート)監督脚本・前田弘二、脚本・高田亮、撮影・伊藤寛、製作・根岸洋之、定井勇二、日下部雅謹、製作総指揮・三好保洋、編集・佐藤崇、美術・谷内邦恵、音楽・きだしゅんすけ、装飾・堀千恵、録音・高田伸也、整音・山本タカアキ、照明・金子康博、衣装(デザイン)・馬場恭子、メイク・望月志穂美、ライン・プロデューサー・三好保洋、アシスタントプロデューサー・平田陽亮、助監督・松尾崇、製作会社・マッチポイント、ビターズ・エンド、主題歌・monobright「DANCING BABE」、スチール・広瀬順子、SFX/VFX/特撮・菅原悦史、特殊造形・百武朋
出演・吉高由里子(池下チエ)、浜野謙太SAKEROCK(田無タクミ)、杏(浜口トシコ)、石橋杏奈(奥田ミカ)、青木崇高(出口道雄)、吉村卓也(野村健二)、吉岡睦雄(トシコの夫)、宇野祥平(堀アキラ)、白川和子(老女)、榎木孝明(三宅正良)、加瀬亮(西尾みのる)、柳英里紗、高橋真由美、梅野渚、鈴木なつみ、夏目大一朗、小野孝弘、津村和幸、河野智典、土屋裕樹、川屋せっちん、ボブ鈴木、三浦景虎、杉山文雄、清水昭博、主題歌・monobright「DANCING BABE」(デフスターレコーズ)
*受賞、TAMA CINEMA FORUM 第3回TAMA映画賞・最優秀新進監督賞・前田弘二『婚前特急』、第33回ヨコハマ映画祭(2012年)2011年日本映画個人賞 新人監督賞・前田弘二、同主演女優賞・吉高由里子、同最優秀新人賞・浜野謙太、日本映画ベストテン 第8位、第21回日本映画プロフェッショナル大賞・新人監督賞・前田弘二、ベスト10第9位
上映時間107分、
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by sentence2307 | 2012-12-08 15:06 | 映画 | Comments(5)

はたらく一家

ここのところインターネットの無料動画にハマっています。

未見の映画が何本も公開されていることを知り、片っ端から見てやろうと頑張っています。

つい先日も成瀬巳喜男の1938年製作「はたらく一家」を見ました。

この作品は、自分のところにも録画したものがあるのですが、TVの前に座っている時間よりも、パソコンの前にいる方が、はるかに長い最近の生活習慣からいうと、パソコンで映画(「だけ」でないところも凄いことですが)を見られるということの計り知れない利点を痛感しています。

たとえば、映画鑑賞が机の上でできるので、近くの書棚からキネマ旬報社の「日本映画監督全集」をすぐに取り出せたり、「俳優名鑑」やそのほかの資料も傍らに積み上げておいて映画が見られるので、自分の映画鑑賞環境は、このところ激変した感じです。

この「はたらく一家」もそういう環境下で見た1本でした。

さて、この作品の見終わったあと、はたしてこの作品が、本当に成瀬らしい作品といえるのか、それとも、らしからぬ作品なのか、ちょっと思い悩んでしまいました(どのような映画を見たあとも、シンプルな質問を一応設定し、自分に問い掛けてみることにしています)。

というのも、この作品は、プロレタリア作家・徳永直の短編小説を成瀬巳喜男が脚色したということなので、本来なら「貧乏好き」の成瀬巳喜男のことですから、プロレタリア文学とは感覚的にごく近しいはずなのに、まあ、製作年からみて、いまだ「成瀬演出の未成熟」という部分を一応差し引いて考えたとしても、なんだかたどたどしく、後年僕たちが見るような、主人公が縷々煩悶し絶望し失意に向けて下降しながらも、諦念の中にあって微かな光明を見出していくという成瀬演出の核というか、繊細な部分を見い出すことができなかった、いわば「ミスマッチ」というか、違和感がどうしてもぬぐえませんでした。

この違和感は、いったいなんだろうと思い悩んだわけで、手元にあった幾つもの資料をめくり・めくり読んだのですが、そこには、どれもだいたい同じような書き方・見方をしているものばかりでした。

代表的なものをちょっと書き写してみますね(資料といっても、目に付いたものを手当たり次第に複写してアナログ的に編綴しているだけなので整理が行き届かず、出展を明記できない場合も多々あり、これもそのひとつであることをオコトワリしておかねばなりません、乞寛容)。

《貧しい大家族を舞台に、自立するために家を出て苦学して資格をとりたいと願う長男と、その長男に同情し、兄の思いに自分たちの将来の不安をも投影せざるを得ない弟たち・否応なく家族の家計を背負わされた子供たちの反抗を受けて、その苛立ちを心情的には理解しながらも、大家族を抱えて息子たちの収入を当てにしなければならない不甲斐ない父親の、息子の自立をどうしても認めてあげることができない父親の葛藤の物語が、成瀬の温かい眼差し(この指摘は、あきらかに間違っています)によって描写されている。
日常的生態描写の連続のなかで、そこから脱出しようとする長男の焦りと、それを理解しながら叶えてやることのできない父親の苦衷と葛藤が、この映画の主題として浮上している。
成瀬にとっては、かつて体験した現実に近く、後年《たいへん気持ちよく撮れた、好きな作品です。僕の一番よく分かっている貧乏の話ですからね。》と回想しているくらいだが、それだけに、視野が一家の貧困の現実に限られ貧困の環境にまで及んでいない。
「はたらく一家」といいながら、彼らが実際に働いている場面がないのは、彼自身が脚色したことによる客観性の不足だろうか。
したがって貧困の構造も見えず、曖昧で無意味な結末に終わってしまったのは当然であった(原作でも未解決のままだが)。
とはいえ、これは安定した技術をもとに久々の成瀬らしい作品となった。》

ここに書かれた批評の要諦は「視野が一家の貧困の現実に限られ貧困の環境にまで及んでいない」の一文に集約されます。

しかし、これは、なんの見識もない左翼批評家が、プロレタリア文学の立場と称し、多くのすぐれた芸術作品を批判する(実は「批判」でもなんでもなく、オトシメルというのが実態でした)ときの常套句みたいにして乱用されたものと同質のものにすぎず、カレらは、この無思考で愚劣なフレーズを駆使することによって、多くの芸術家たちの若い芽を摘み取ってしまったことを改めて想起する必要があります。

つまり、この成瀬作品が、一家の貧困の描写ばかりにとらわれ、「貧困の環境」を一向に描いていないと批判しているわけですが、その「貧困の環境」とかいうのは、いったいなんなんだということでしょう、逆に、そんなものを描いてどうするのだという気がします。

あらゆる芸術が、大衆を教育することや、啓蒙するためだけに「有効な手段」でなければならないという定型の観念に成瀬作品を無理やり取り込もうとした愚かな一文というしかなく、この成瀬作品の要点をはずした、まったくの見当違いの評文というしかありません。

極貧のなかの一家の困窮を救うために、息子は、もっといい給料を得ることのできる資格を取ることを思い立ちます。

そのためには、自分に勉強する時間を与えてほしい、たとえいまは苦しくとも、この時期を耐えれば、いつの日か近い将来にきっと希望が持てる時がくる、と家族を説得します。

家族を現在の苦境から救い出し、将来の展望を断たれたような自己犠牲ではない、自分の将来につながる家族再生のための計画なのに、いま息子たちの給料を当てにしている目先のことしか見えない親には、どうしてもそれが届きません。

ここには、苦しすぎる「いま」を乗り越えられない「貧困」の苛烈さ残酷さが描写されているのですが、しかし、この成瀬作品は、ただそれだけを描こうとしているわけではないと感じました。

夢を断たれ、仕方なく家族のために再び将来の見えない「労働」に戻ることを決意した長男・希一の思いの中には、不思議に「悲壮感」というものは感じられません。

そこには、静かな諦念のなかで、延々と続けられる日常に立ち戻っていく庶民の揺るぎないリアリズムが、しっかりと捉えられているからかもしれません。

この作品「はたらく一家」が撮られた1939年は、苛烈を極めた戦時下にあって、その実力を発揮できずに低迷を余儀なくされたことが「日本映画監督全集」を読んでいると実感できます。

それなりにキャリアのある日本映画界の巨匠たちが、若い世代の監督たちのように軍部の求めに呼応し、変わり身早く時局に迎合して器用な戦意高揚映画を撮るなど、そうやすやすとできるはずもなかったことを考えれば、その「低迷」も当然の結果だったかもしれません。

時代に対して超然と距離を保った小津安二郎にしろ、どうにか自分なりに「時代」を消化しようとして七転八倒した溝口健二などに比べると、成瀬巳喜男の「時代」への対し方は、いかにも成瀬らしい、消極的で女々しい印象(もちろん、テコでも動かない頑固な芯の強さを隠して、ですが)を受けます。

だからといって、その軍部の圧力の反発から、素直に「ブロレタリア文学」的な思潮に同調できたかということの答えが、クシクモこの「はたらく一家」に描かれているのだと思います。

(1939東宝東京撮影所)製作・武山政信、原作・徳永直、監督脚色・成瀬巳喜男、製作主任・大岩弘明、演奏・P.C.L.管弦楽団、装置・撮影・鈴木博、美術・松山崇、音楽・太田忠、録音・下永尚、編集・岩下広一、照明・岸田九一郎、
出演・徳川夢声(職工・石村)、本間教子(女房・ツエ)、生方明(長男・希一)、伊東薫(次男・源二)、南青吉(三男・昇)、平田武(四男・栄作)、阪東精一郎(五男・幸吉)、若葉喜世子(長女・ヒデ)、大日向傳(小川先生)、椿澄江(喫茶店の娘・光子)、真木順(工場の組長)、藤輪欣司(職工)、
65分、35mm、1787m(8巻)白黒スタンダードサイズ 3月11日・日本劇場 1939.03.11 
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by sentence2307 | 2012-12-02 11:30 | 映画 | Comments(3)