世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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<   2013年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

きのう、妻の従兄の一周忌の法要があったので、女房は朝から夕方まで隣県の寺に出かけていきました、自分は留守番です。

女房の実家には長男がいるので、法事の出席なら彼だけで義理は十分に果たせるのですが、亡くなった従兄の人柄とか、それに、久しぶりに親戚連中にも会えるというので、彼女、親しい従姉妹たちと連絡を取りあってイソイソと出かけていきました。

亡くなった従兄という人(なんと、わが敬愛する巨匠と同名の「安二郎さん」というのです)は、定年までずっと地方の役場に勤めていて、そこを退職したあと、役場から紹介された葬儀社で何年か働いたあと、さらに近所の旅行会社でアルバイトを1年ちょっとして、そこも退職し、さあこれからいよいよ悠々自適の生活を満喫しようかという矢先に、深夜、酒に酔った帰り道で転倒して縁石に頭を強打し、それがもとで亡くなりました。

しかし、「深夜に酩酊」などという気ままな感じからすると、もう「悠々自適」だったのかもしれませんが。

生前は随分世話好きな人だったらしく、親戚の法事などあると真っ先に駆けずり回り、うるさがられながらも重宝されるという、そういう愛され方をした人だったと聞いています。

だからウチの女房も取り立てて義理のない法事に自分からすすんでわざわざ出向いていったのでしょう。

去年の葬儀の席でも、「お酒が好きだったから、きっと本望だったわよ」など好意的な悔やみが多く、自分などがひそかに思っていた「犬死説」を口走る人など一人もいなかったということですから、やっぱそこは安二郎さんの人徳なのかなと感心した次第です。

しかし、世話好きの父親を持つと、エテシテその子供たちは、親の庇護で何もやらされなかったことが、結果的に「なにもできない」状態におちいりがちになるみたいで、シキタリとか、予約押さえの手際が全然分からなくて、突然、自分たちが当事者になったときなど、どうしていいかわからず右往左往し、相談する相手もなく、たいへんに苦労するという皮肉なことが起こります。

本人は子供に負担を掛けまいとしてしたことなのでしょうが、それがすべてマイナスに作用してしまった感じですよね。

可愛い子には旅をさせよ、ですか。

1年前の葬儀のときもそうでしたが、今回の法事も段取りが悪く、随分バタバタしたみたいで、結局恒例の食事会もないまま、午後1時からの開始という異例の法事となりました。

女房など盛んに「なんなの、これ。いくら包めばいいのか分からないじゃないの」とか文句を言っていました。

さて、そういう当日(昨日です)桜満開とはいえ、その寒さは半端じゃありませんでした。

妻は、仕舞い込んだ冬のコートをまたごそごそと引っ張り出し、さらに暖かめの下着を数枚着込む重装備です。

そして、出掛けに「ご飯、炊けてるけど、おかずの仕度ができなかったから、適当に買ってね」と言い置いて、嬉しそうに出かけていきました。

きっと、久しぶりに会う従姉妹たちと夕方まで、たっぷりペチャクチャやってくるに違いありません。

自分は、土曜と日曜の午前中は、メタボ解消のため、というか、座りっぱなしの仕事なので、脚力の衰えに不安を感じて、少し前から各10kmのウォーキングを何年も続けています。

おかげで脚力にも自信がつき、以前は体重0.1トン・あと僅かでメートル超えしそうだったウエストもぐっと細まりました。

いつもなら、午前中にはウォーキングに出発して、午後1時過ぎには帰ってきて、妻の用意した食事をとるという段取りなのですが、妻が出かけてしまうとなると今日の昼食をどうするかというのが当面の問題です。

まあ、ウォーキング途中のコンビニで弁当でも買ってしまうとか、松屋か吉野家あたりで済ませてしまうというのも手です。

なにしろ支度も食後のあと片付けも必要なしというのがいいですよね。

そんな心積もりでいつものコースを歩き始めたのですが、遊歩道はいやに閑散と静まりかえっていました。

こんなにも桜が満開だというのに、寒さのために遊歩道には、まさに人っ子ひとり歩いていません。

桜満開だというのに、当の遊歩道には人の気配がまるでないというのは、異常事態です、こんな風景ついぞいままで見たことがありません、不気味な空虚が支配する異常な光景です。

多くの人がひきもきらず行き交う雑踏や、散る花びらを浴びて感嘆の声が上がる談笑などがあって、はじめて満開の桜がそれらしい華やぎを持つことができるのだと知りました。

「満開の桜」と「人の雑踏」とは、どうしても切り離せない・なくてはならない車の両輪だったのです。

「満開の桜」があって「人の雑踏」が欠けたとき、はじめて人は、そのアンバランスの重みというか、「満開の桜」という異常に歪められた磁場に気がつくのではないかと思いました。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」や梶井基次郎の「桜の樹の下には」などの作品の持つ不気味さには、そういう止むに止まれぬ思いが込められていたのかもしれません、そして、そのような「満開の桜」を自分がただ一人で引き受けなければならない無謀さと圧迫感に、なんだか膝が崩折れるような恐怖感を感じました。

世界の人間がすべて死に絶え、この地上にひとり取り残されてしまった自分を、まるで嘲笑うかのように振り掛かってくる桜の花びらを愛でる気持ちなど、もはや自分にはありません、居た堪れないような孤独感ばかりです。

むかし愛したアントニオーニの人気の無い荒涼とした市街の場面がよみがえってきます。

もはやウォーキングなんかしている気分じゃありません。

世界の終末を目の前にして、孤独感と恐怖心を抱えたまま、のそのそコンビニまで行って「おいしいお弁当、ひとつ下さいな」なんて暢気なことが言えますか。

そうだ、出掛けに女房が「ご飯は炊けているからね」と言っていた言葉を思い出しました。

同時に「おかずは、適当に用意してね」というのも思い出しましたが、もはや「おかずの手当て」ができるような気分ではありません。

だいたい、おかずが買いに行けるくらいなら、おいしいお弁当だって当然買えてしまえるのですから、そんな矛盾は文脈上許されるわけがない。

まあ、以上の経緯を簡単に言ってしまいますと、「今日は寒いので、ウォーキングは、お休みしま~す」というだけのことなのですが。

さて、早々に家に立ち帰り、着替えてから食事のしたくに取り掛かりました。

とは言っても、現在目の前に「ある」のは、炊けたご飯だけ。おかずになるようなものが何かないかと冷蔵庫を物色しましたが、妻の言った言葉のとおり中はからっぽ、寸分タガワズ「なにもない」といったら、本当になにもありませんでした。

妻がこんなにも正直にものを言ったのは結婚以来初めてのことではないかと思えるくらいの驚愕の言行一致状態です。

「だからあ、そう言ったっしょ」という妻の声が遠くから聞こえてきます。

やれやれ、仕方ない、外で食べるかと思ったとき、キッチンの引出しの隅にクッキーの型が目に留まりました。

「そのとき、わたしの中で、なにかが裂けた」とアルベール・カミュなら、きっとそう言ったに違いありません。

型はいろいろありますが抽象的なハート型とか「うさちゃん」など「可愛い系」は「おかず」には相応しくないので、最初から除外しました。

つまり、お皿に鎮座しておかずとして不自然さを感じさせないもの、お魚とか、豚とか牛とか、と見てくると全体像を晒しても一向に不自然でないものといったら、せいぜい「お魚」くらいしかないことにはじめて気がつきました。

そうか、「像」にこだわっていたら、おかずが足りなくなってしまいます、ここはあまり「像」などにこだわる必要はないのではないか、というのなら、「小鳥」もいけるし「犬」「猫」だって多少は許容してもいいかもしれません。

なにしろ中国では、犬を食用にしている所もあるとか聞いたことがありますし、猫だってそう言われなければ適当に油が乗ってて歯ごたえもあり、かなりの美味だっていうじゃないですか。

なるほど、こういうのを規制緩和っていうんですね。

さて、調理器具がそろいました。

ご飯茶碗とお皿も二枚、テーブルにきちんと並べました。

まずは炊飯ジャーから茶碗にご飯を盛ります。

それから、ひとつのお皿の方には、お魚の型で取ったもの(ご飯ですが)を何匹か並べてみました。

う~ん、とてもいい感じですが、ただ、全部同じ形なのでなんだか変化に乏しく(というか、変化が全然なく)ドラマチックでないことは確かです。

もう一方のお皿は、「豚」「牛」「馬」「小鳥」「犬」「猫」の型のグループですが、全部の型を使うとなると、かえって収拾がつかなくなる(それって、どんなおかずだ?)ので、まず「豚」「牛」を選び、つぎに「馬」か「小鳥」のどちらにするかで迷いました。

しかし、「馬」の姿をじっと見、「小鳥」の姿をじっとしばらく見ていたのですが、いずれもその姿を「おかず」の観念にまで昇華できないことが分かり諦めました。

ご飯をクチに運んで咀嚼し、「お魚」のおかずをクチに運んで咀嚼し、ご飯をクチに運んでは咀嚼し、「豚」のおかずをクチに運んで咀嚼し、ご飯をクチに運んでは咀嚼し、「牛」のおかずをクチに運んで咀嚼し、ご飯をクチに運んでは咀嚼し、とやっているあいだにいい加減いやになってきました。

要は、ご飯をおかずにして、ご飯を食べているだけの話なのですから、食欲も減じ、いい加減うんざりするのは当たり前です。

夕方、妻が帰ってきて、従姉妹たちの近況報告をしながら、台所の流しにあるご飯茶碗と皿を見て、「お昼は何を食べたの」と聞いてきました。

自分は「魚のおかずで食べた」と応えておきました。

「魚と豚と牛」で食べたと言うべきだったかもしれませんが、なんだか話がややこしくなりそうなので、やめました。

それにしても、食品パッケージの残骸もなく、台所も全然汚れていないのを見て、彼女、一瞬の疑念にとらわれたかもしれません。

しかし、すぐに反応を返すようなヒトではなく、いずれジワジワ皮肉で武装した探りを入れてくるので、どう考えたかは、おいおい判明すると思います。
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by sentence2307 | 2013-03-31 13:57 | 徒然草 | Comments(3)

メリエスの450本

「ヒューゴの不思議な発明」の感想の末尾で、ジョルジュ・メリエスが、その生涯に撮った映画の本数に関するクダリは、キネマ旬報の「世界映画人名事典 監督(外国)編」を参考にしました。

外国の映画監督のことを調べたいときは、一度は目を通しておきたい全幅の信頼を寄せている本です。

ごく僅かな自分の所蔵本のなかの「優れもの」の一冊としていまだに重宝している本なのですが、奥付を見ると、なんと発行日は、昭和50年12月21日なんですよね。

その使い勝手の良さの長寿ぶりには実に驚かされるものがありますが、これだけ長期間、座右に置かれて重宝される本なんて、そうざらにあるものではありません。

編集者冥利につきる仕事だし、本もきっと本望だと思います。

こう考えると、ろくに読まれもしないのに新刊のまま雨の日に路上に棄てられてしまうような不幸な星の下に生まれた本があるかと思うと、何十年も大切にされる本もあるのですから、なんか人間の運命みたいなものを感じます。

それにまた、そういう古い本に掲載されている当時の雑誌の広告や映画の古い広告を眺めるというのも、これがまた楽しいものですよね。

この「世界映画人名事典 監督(外国)編」の「表3」(表紙裏)には、「サンチャゴに雨が降る」(ヘルビオ・ソトー監督)というフランス映画の広告が載っています。

その惹句は、「堂々完成! アジェンデ政権の最期を描いて『アルジェの戦い』以来最高の傑作」です。

ふ~ん、この映画に関する知識も記憶も全然ないのでコメントできないのが残念ですが、しかし、この作品がかもしているアルジェリア独立(「『アルジェの戦い』以来の最高の傑作」と書いてあります)に対するフランス知識人の独特の高揚感(一言でいえば「負い目」でしょうが、今となっては見え透いた「偽善」としか感じられません)みたいなものは伝わってはきますが、その浮ついた調子には、あの日本人駐在員がターゲットにされ惨殺されたというショッキングなテロ事件の記憶が生々しいいま、諸手をあげて同調できませんし、そういう意味で「歴史のフルイ」に掛けられた作品の一本かのかもしれません。

この映画のキャストの一番に掲げられているのは、若き日のジャン=ルイ・トランティニアン、最近スクリーンで、物凄いおじいさんに変わり果てた姿を見て愕然とさせられました。

自分としては当時見た「離愁」の痛恨の渋い名演がいまだ眼に焼きついていて、彼の老醜(決して醜くなんかはありませんが)とかではなく、まさにその「隔世観」というか「時間」そのものに呆然とさせられたのだと思います。

そして、政治的な思惑が幾重にも複雑に絡み合った状況下でわが同胞を虐殺した惨たらしい凶行を前にして、そもそも「アルジェの戦い」という作品を諸手を上げて評価した当時と同じ気分で、「アルジェリア解放 バンザイ」などとは日本人として素直に言えるものではないことを、いまさらながら痛感しています。

さて、話が横道に逸れてしまいましたが、メリエスの生涯製作本数について、「世界映画人名事典 監督(外国)編」のメリエスの項の末尾に書かれている記述

「メリエスは約4000本の映画を作ったという説もあるが、これは誤りで、タイトルの変更された同一作品が何度も数えられているためにこの膨大な数字となったのであり、実際には約450本だといわれている。そのうち長さが108メートルを越えたものが100本くらいで、残りは20メートル前後の作品である」

を受けて、あとはインターネットの情報で補強しようかと楽観し、チョコチョコ検索を試みたのですが、発売されているDVDに収録されている作品についてのほんの僅かな情報はあったものの、そのほかの詳細な作品情報など、まったくありませんでした。

フランスやアメリカの国立図書館とかにアクセスすればいいのでしょうが、たとえアクセスできたとしても、こちらは言葉が全然分からないので、おそらく満足な成果は得られないと思います。

仕方がないので、ジョルジュ・サドゥールの「世界映画全史」(国書刊行会)を繰って、一本ずつ拾っていくしか、いまのところ自分にできる具体的なことは、これ以外にないかもしれません。

はたして何本カウントできたか、以下が調査結果です。

【1896年】 第1作・トランプの勝負(リュミエールを真似た20mの作品)、草を焼く庭師、撒水夫、ヴァンサンヌ駅への列車の到着、ヴィベール工場の出口、防波堤に押し寄せる満ち潮、子供たちと若い娘たち、先生より力強くあるいは自転車の訓練、メリー・ゴー・ラウンド、洗濯女たち、小さな悪魔、貼り紙禁止、ジプシーの野営地、トゥルーヴィルに市の立つ日、パリで撮影された街頭場面(三景)、軍隊風景(六景)、海の光景(十二景)、スピーディなデッサン画家(三景)、ミス・ヴェール(イギリスのジーグ・ダンス)、スネークダンス、ぶしつけな人たち、猛烈トム、恐ろしき一夜、ロベールウーダン劇場における婦人のすり抜け、悪魔の館、インドの神秘・行者など71作品

【1897年】 歌うポーリュス、最後のカルトゥーシュ、トゥルナヴォスの占領、スパイの死刑執行、クレタ島の虐殺、イギリス衛兵の攻撃、インドにおける市街戦、最後の弾薬筒、モンブランの危険な通行、気球の上昇、海水浴場の不躾な人、カレーとドーヴァーの間、ギリシャにおける海戦、海上での衝突と難破船、ハバナ港の波止場と戦艦メイン号の爆沈、気で病む人、おどけ者の回教徒、婿たちの学校、フィガロとオーヴェルニュ人、アメリカの外科医、パリジェンヌの入浴、個室で、酔っ払いの幻影、アルルカンと炭焼き人、錬金術師の幻覚、催眠術師、悪魔の屋敷、魔法の宿屋、メフィストフェレスの実験室(75m)、ファウストとマルグリートなど50作品(累計121本)

【1898年】 悪魔的な魔術(停止のトリックと差し替え)、戦艦メイン号の海底訪問、ピグマリオンとガラテア、ウィリアムテルの冒険、天文学者の夢、呪われた洞窟(二重焼き付け)、芸術家の夢、画家のアトリエ、魔術的な分身、しっかりした男(しぼりと溶暗)、など31作品(累計152本)

【1899年】 クレオパトラ、花嫁の就寝、修道院の悪魔(65m)、水上を歩くキリスト、ドレフュス事件(20シーンからなる最初の大作)、シンデレラ(最初の夢幻劇)、セーヌ川のパノラマ、など43作品(累計195本)

【1900年】 一人オーケストラ、分身する手品師と動く頭、幻想の花束、ジャンヌ・ダルク、クリスマスの夢、魔法の本、奇妙奇天烈な交霊術、とんでもない脱衣、など36作品(累計231本)

【1901年】 小さな赤頭巾、青ひげ、ちょっと頭のおかしい人たちの乗合馬車、シャラントンの脱走者、ゴム頭の男、魔法使いの卵、マドンナの奇蹟、伸び縮みする大隊、巨大な悪魔、小人と巨人、など27作品(累計258本)

【1902年】 月世界旅行、ロビンソン・クルーソー、非常に小さな踊り子、ガリヴァ旅行記、マルティニック島の火山噴火、空飛ぶ女、蠅人間、など13作品(累計271本)

【1903年】 地獄のケーク・ウォーク踊り、音楽狂、妖精の王国にて、地獄のファウスト、交霊術肖像写真、幻灯機、など29作品(累計300本)

【1904年】 ファウスト、セヴィリアの理髪師、不可能を通る旅行、など37作品(累計337本)

【1905年】 クリスマスの天使、千一夜物語の宮殿、ロンドン塔、パリ=モンテカルロ間2時間の自動車旅行、リップ・ヴァン・ヴィンクルなど22作品(累計359本)

【1906年】 煙突掃除人ジャック、放火犯人、悪魔の400の悪ふざけ、老婆の妖精カラボスなど17作品(累計376本)

【1907年】 海底二十万哩、英仏海峡の海底トンネルなど19作品(累計395本)

【1908年】 日蝕、ハムレット、ジュリアス・シーザーを書くシェクスピア、各時代にわたる文明、火の精、テーベの預言者、馬子にも衣裳、ルリ、タラスコンのタルタラン、パリ=ニューヨーク間を自動車で急行、純潔な少女のキリスト昇天祭、おばあさんの話と子供の夢、酒のみ女の神、鏡の精、妖精リベリュル、生きている人形など47作品(累計442本)

【1909~1910年】 幻想的な水療法、気まぐれな幻想、もし王様だったらなど10作品(累計452本)

【1911年】 ミュンヒハウゼン男爵の幻覚(累計453本)

【1912年】 極地征服、シンデレラ(累計455本)

【1913年】 雪の騎士、ブーリション家の旅行(累計457本)
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by sentence2307 | 2013-03-20 17:24 | 映画 | Comments(8)

七人の侍

どの会社でもきっとそうだと思いますが、あるポストに就くと、その職責として、必ず果たさなければならない会社恒例の「記念事業」みたいなものが課せられていて、その取り組みと達成の如何が、あからさまではなくとも全社員の注目の的に晒され(自分も第三者のときは「そう」でした)、仕事の完成とかよりも、むしろそちらの方が結構、物凄いプレッシャーだったりします。

去年、その順番が、ついに自分のところに廻ってきました。

その仕事というのは、ある有資格者(推定掲載者数3万人)の名鑑を3年毎に出版するという企画で、準備も含めて仕事の期間は、ほぼ1年と決められています。

会社の記念事業ということで、投入できる人数には特に制限はありませんし、責任者の判断に一任されているのですが、それは、後日問題が生じた場合の責任の所在をあきらかにするため(そう聞いています)、人材はすべて社外からの雇用することになっているとされています。

つまり、アルバイトは何人使っても構わないが、社内の人間は使うなよという会社の方針ですよね。

こう書くと、この事業に対する会社の姿勢がなんだか冷ややかなものに聞こえるかもしれませんが、これは、仕事上なんらかのトラブル(調査ミスとか校正ミスとか)が生じた場合に、責任が会社に及ばないようにするための当然の配慮であって、会社人間の自分にとっては、こうした仕事の距離の取り方には、なんら違和感は覚えません。

それに、この事業を同じ条件下で取り組んだ歴代の先輩たちの苦労を思えば、不甲斐ない愚痴など吐けるものでもありませんし。

仕事自体は、別に難解なものでもなんでもなく、単に多種膨大な情報をどう捌くかの問題だけなのですが、なにしろ対象とするのが3万人、その人たちがそれぞれに結婚して改姓したり、離婚して前姓に戻ったり、あるいは戻ったものの姓だけは替えずに職業姓としてそのまま名乗ったり、改名したあとに死んだ人の同姓同名者が行方不明者も入れて10人もいたりするなど、同姓同名者の取り違えを生じさせないようにすることに神経をすりへらすくらいですが、それぞれに地位のある大先生方なので、掲載事項(同姓同名者の取り違えで、最悪は「死亡」と錯誤することです)にひとつでも誤りがあったときの対処を考えて、会社がそれなりの距離をとっているので、直接の担当者からすれば、むしろ、そうしてもらった方が、かえって気が楽なくらいです。

そんなこんなのドタバタの一年をどうにか乗り切って、名鑑は、さしたる誤りもなく完成しました。いまのところ誤りの指摘はなく、評判も上々です。

一応「成功」といってもいいかな、くらいには考えています。

そして最近、人事課長と昼食を共にしたとき、彼から、今回の事業で手伝ってもらったアルバイトさんの質について聞かれました。

事業の「成功」の如何は、やはり、お手伝いしていただくアルバイトさんの「質」が、大きな問題であるには違いありませんから、それは当然の質問だと思います。

ですので、そういう質問のされ方をしたら、その答えもまたお座なりな「お陰様で優秀な人材がそろったので・・・」というような言い方でしか返すことしかできません。

もちろん、人間の「質」は、大きな問題です、今回の「成功」もそのお陰ですし、感謝もしています。

しかし、本音のところは、少し違いました。

問題は、きっと「質」にあるのではなくて、たぶん「数」にあると言いたかったのですが、人事課長相手にその辺を上手く伝える自信がなかったし、それに、食事しながらチョコチョコと言うようなことでもないだろうという思いも強かったので、その場は「お陰様で・・・」と言っておきました。

自分のデスクに戻り、忘れないうちに「いま」の考えをメモに残しておこうと思って鉛筆を握り、相応しい文章をしばし懸命に考えたのですが、どうしても一文にまとめることができないまま、その昼休みも終わってしまいました。

相応しい文章も考え出せず、結局、記憶のヨスガとなるようなものないまま、ほとんど忘れかけていたときに、新聞のある記事に出会いました。

はたして、自分のいいたかったことは、まさに「これだ」という感じです。

ちょっと引用しますね。

《「いま就活をする学生たちが本当に気の毒」。
神戸女学院大名誉教授の内田樹さんがブログで書いている。
映画「七人の侍」を論じた中での発言だ。
野武士に狙われた農民らに請われ、村を守ると約束した侍は腹心、参謀、剣の達人を集める。
残り三人が変わっている。
腕はもうひとつだが、場を和ませ、「苦しいときには重宝」な浪人。
元は農民という型破りな男。
そして、頼りない若者。
出身や経歴にこだわらず、あえて多様な人材を抱える。
今で言うダイバーシティー経営だ。
均質な集団は想定外の事態に対応できない。
弱肉強食だけでは内部でつぶしあいを招く。
多様な資質が強さを生む。
見落とされがちなのが若者の役回りだと内田さんは見る。
集団が力を発揮するのは、最も非力な仲間を皆で育て、共同対を未来につなごうとするときだからだ。
現実はどうか。
リーダーはイエスマンや達人ばかり求め、若者は即戦力であれと言われたり、安く使い捨てられたり。
内田さんの目に「気の毒」と映るゆえんだ。
経営学者・今野浩一郎氏の近著に制約社員という言葉が登場する。
育児、介護、病、障害、年齢などの制約を抱えつつ働く人を指す。
増える制約社員を生かす多元的な人事制度を作れれば、日本企業の新たな強みになると今野氏。
若者の志、シニアの知恵、子育て社員の視野の広さ。
人事部は貴重な社内資源を生かせるか。》
日経新聞2012.12.25「春秋」
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by sentence2307 | 2013-03-18 22:19 | 映画 | Comments(9)

ヒューゴの不思議な発明

この映画を見たあと、ネットでこの映画の当時の惹句を探し回りました。

だいたいこんな感じだったでしょうか。

「1930年代のパリを舞台に、駅に住む孤独な少年ヒューゴが、過去の夢を捨てた映画の父ジョルジュ・メリエスと出会い、彼の頑なな心を開いてゆく、マーチン・スコセッシ監督が、黎明期の映画にオマージュをささげた愛と冒険のファンタジー。第84回アカデミー賞5部門を受賞。」

う~ん、なるほどなるほど、やっぱりそうですよね。

この作品で、スコセッシが、丹念に描いているのは、「孤独な少年ヒューゴ」の方で、時代に懲り残され、駅ナカの小さな玩具店で店番をしていたという映画の父メリエスの晩年の落胆ぶりの方ではなくて(相対的に、です)、単にヒューゴの物語を盛り上げるという「付け足し」みたいな感じになっている、というか、映画史を大学で教えていたというスコセッシのことですから、最晩年のメリエスの落胆の日々と「発見」のイキサツは十分に認識しての映画づくりだったのだと思います。

映画の黎明期を切り開いたメリエスの失意の物語を、十分に抑制をきかせながら、むしろ、「孤独な少年ヒューゴの物語」として描いたあたり、さすが、映画の通人スコセッシの真骨頂ですよね。

直接に「桶屋が儲かった」などと最初から声を張り上げて無粋な語り出しなどせず、「そもそも強い風が吹いてね」とやるあたり、実にみごとです。

実は自分も、晩年のメリエスが、駅ナカの小さな玩具店で店番をしていたという事実を知ったときは、あまりにも意外だったので物凄くショックを受けたことを覚えています。

きっと名声に包まれ、何不自由ない恵まれた晩年を送ったに違いないと思い込んでいたぼくたちの知っていたメリエスの晩年というのは、実は、小売店で店番をしていたところを「発見」され、「救済」されたのちに「庇護」された、そういう状態での晩年だったわけですよね。

その辺の事情(成功と挫折)は、先日WOWOWでこの作品と同時放映されていたセルジュ・ブロンベルグ、エリック・ランジュの「メリエスの素晴らしき映画魔術」(2011)で確認することができました。

実は、自分も、その辺の事情を始めて知ったのは、映画関係の本からではありませんでした、前川道介という人の書いた「アブラカダブラ 奇術の世界史」(白水社)という本によってでした。

この本は、そのタイトルどおり、世界のそれこそ、ギリシャ・ローマ時代から現在までの奇術師たちの逸話を集めた奇想天外なとても面白い本なのですが、このなかにメリエスの最盛と悲惨な晩年とが紹介されていました。

むろん、おもに「奇術師」のエピソードに焦点をあてた本なので、メリエスが映画と出会い、映画にかかわった全盛期を経て破産するまでの事情は、実にあっさりと記されているだけなのですが、むしろその「淡白さ」が、かえって自分にはショッキングだったのかもしれません。

ちょっと引用してみますね。

「彼は既に移動撮影を行い、ガラスの水槽を通して海底の様子を写したりしているが、クロースアップの技術はなぜか使わず、たとえば鍵の大写しが必要なときは巨大な鍵を作らせていたし、別々に撮影したシーンを編集せずに、あらかじめ作っておいた舞台で演じられる物語をそのまま撮影する方法をとった。
そのため競争者が雨後の筍のように現れると、とうてい製作が間に合わず、次第に左前になって、1914年には由緒あるロベール=ウーダン劇場を手放した。
そのうえ第一次世界大戦では全財産を失い、モンパルナスの駅でひっそりと小さな玩具屋を営んでいた。
だが1929年、映画記者がこの落魄した先駆者をたずね当てたおかげで、養老院に収容され、1932年、さびしくこの世を去った。
劇映画は、当時すでに大衆娯楽の王座につき、奇術ショーはさびれていく一方だった。
だが、その映画の創始者が、奇術の熱愛者だったのは、なんとも皮肉な話である。」

最後の「なんとも皮肉な話である」を受けているのは、リュミエールからシネマトグラフの特許を買おうとしたときに、映画の無限の可能性に気がついていなかったリュミエールから言われた言葉をもまた受けています。

「お若いの、わしにお礼を言ってもらわんといかんよ。この発明は売り物じゃない。こんなものに手を出したら身の破滅だ。しばらくは、科学的な娯楽としてちやほやされるかもしれんが、じきに飽きられる、ただそれだけのことさ。商業的な将来性なんか、まったくないからね」

それにしても、1861年生まれのメリエスがモンパルナスの駅の小売店でひっそりと生きていたのを「発見」されたのが68歳、そして、養老院に「収容」され、その3年後に「さびしく」この世を去ったというこの突き放した書き振りが、自分にはずいぶんとショックでした。

そこでつい自分の性分から、このメリエスの晩年の「落魄と失意」「発見」そして「死」に至るまでの経緯をウィキ情報をベースにしながらいろいろな書籍からの記述によって肉付けしながら自分なりにまとめてみました。

まあ、「悪趣味」といえば「悪趣味」には違いありませんが、そこはスコセッシ先生だって、同じような所に心惹かれたからこそ、この「ヒューゴの不思議な発明」を撮ったんじゃないんでしょうか。

しかしなんですねえ、この「不思議な発明」とはずいぶんと軽々しくも余計なタイトルを付けたものですね。こんな罪なシロモノ、いったい誰が考え出したんでしょうかね。えっ、原作のタイトルどおりなの? 

それにしてもねえ、作品の格が一段落ちた感じがします。

《全てを失いモントルーユを追われたメリエスは、ラファイエット通り107番地のアパルトマンに住み、公の場には姿を見せなくなった。

ジョアンヌ・ダルシ、いまは本名に返ったシャルロット・ファエスは、しばしばこのアパルトマンを訪ね、やがて1925年12月10日に結婚した。

メリエス64歳、シャルロット60歳。

シャルロットは、モンパルナス駅で子供相手の駄菓子と玩具を売る小さな店を持っていて、メリエスはここの店番をした。

白い立派な髭、ベル・エポック時代の外套は、駄菓子屋の店番にはいささか奇異だったが、メリエスは10時に出勤し、シャルロットが運んでくる昼食を二人で食べ、午後は一緒に店番をし、駅の乗降客に絵葉書や駄菓子を売っていた。

1928年、週刊誌「シネ・ジュルナル」の社長レオン・ドリュオが、世間から忘れられていたこのメリエスを見つけ出し大騒ぎになり、彼に新たな関心が集まるとともに、業績が再評価された。

1929年12月、パリのプレイエル・ホールで映画人による盛大な回顧展が開催された。メリエスはその回想録で「人生の最高の瞬間を経験した」と記した。

1931年10月、レジョン・ドヌール勲章を授けられた。プレゼンターはルイ・リュミエールが務めた。リュミエールはメリエスを「映画的スペクタクルの創造者」と評した。しかしどんなに賞賛を受けても、生活は楽にはならなかった。Eugène Lauste という映画製作者に宛てた手紙でメリエスは、「運よく、健康状態はよい。しかし毎日14時間休み無く、冬の寒さの中や夏の暑さの中で働き続けることは難しい」と記している。

1932年9月、映画界はメリエスと孫娘マドレーヌと妻ジョアンヌ・ダルシに La Maison du Retrait du Cinéma(パリ南郊オルリーに映画人共済組合によって建設された映画人老人ホーム)の部屋を提供した。メリエスはこれに感激し、あるジャーナリストに「これでパンと住処を心配しなくて済むのは、最高の満足だ」と手紙を書いた。オルリーでは若い映画監督と共同で脚本を書いたりしたが、どれも実際の作品にはならなかったが、ハンス・リスターとミュンヒハウゼン男爵の新たな脚本を書き、アンリ・ラングロワ、ジョルジュ・フランジュ、マルセル・カルネ、ジャック・プレヴェールと共に Le Fantôme du métro と題した作品を構想した。晩年にはラジオに出演したり、プレヴェールと共に広告の仕事を行た。

1935年、ラングロワとフランジュはルネ・クレールを伴ってメリエスと会い、翌年にはオルリーの老人ホーム内の使われていない建物を映画フィルムのコレクションの保管所として借りた。そして、その保管所の鍵をメリエスに預けており、メリエスは後にシネマテーク・フランセーズの一部となるコレクションの最初の管理人となった。結局1913年以降新たな映画は製作できなかったし、1923年以降は舞台に立つこともなかったが、亡くなるまで絵や脚本を書き続け、若い映画製作者らに助言し続けた。

1937年末に重い病気にかかり、ラングロワがパリのレオポルド・ヴェラン病院への入院を手配した。ラングロワが手厚く看護し、死の直前にはフランジュが見舞いに訪れた。彼らが病床を訪れると、メリエスは最後のシャンパンボトルのコルクがはじけて泡があふれている絵を見せた。そして「友よ笑え、私と笑ってくれ。私はあなた方の夢を見たのだから」と言った。

1938年1月21日、パリ市16区のレオポル=ベラン病院で癌により死去した。享年76歳。その数時間前にはもう1人の映画の先駆者エミール・コールも亡くなっている。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。

なお、メリエスは、約4000本の映画を作ったという説もあるが、これは誤りで、タイトルの変更された同一作品が何度も数えられているためにこの膨大な数字になったのであり、実際には約450本だと言われている。そのうち長さが108メートルを超えるものが100本ぐらいで、残りは20メートル前後の作品である。

シャルロット、かつてのジョアンヌ・ダルシは、1956年まで生き、92歳の長寿をまっとうした。》

(2011パラマウント)監督マーティン・スコセッシ、脚本ジョン・ローガン、原作ブライアン・ セルズニック『ユゴーの不思議な発明』、製作グレアム・キング、ティム・ヘディントン、マーティン・スコセッシ、ジョニー・デップ、製作総指揮エマ・ティリンガー・コスコフ、デイヴィッド・クロケット、ジョージア・カカンデス、クリスティ・デムロウスキ、バーバラ・デフィーナ、音楽ハワード・ショア、撮影ロバート・リチャードソン、編集セルマ・スクーンメイカー、
出演ベン・キングズレー(ジョルジュ・メリエス)、エイサ・バターフィールド(ヒューゴ・カブレ)、クロエ・グレース・モレッツ(イザベル)、サシャ・バロン・コーエン(鉄道公安官)、レイ・ウィンストン(クロードおじさん)、エミリー・モーティマー(リゼット)、ヘレン・マックロリー(ママ・ジャンヌ)、クリストファー・リー(ムッシュ・ラビス)、マイケル・スタールバーグ(ルネ・タバール)、フランシス・デ・ラ・トゥーア(エミーユ夫人)、リチャード・グリフィス(ムッシュ・フリック)、ジュード・ロウ(ヒューゴの父)、ケヴィン•エルドン(フーツ警官)、ショーン・アイルウォード(浮浪児)、アンガス・バーネット(映画館の支配人)、マックス・ロッテスリー(機関士①)、エミル・ラジェ(ジャンゴ・ラインハルト)、エドマンド・キングズレー(撮影技師)、ダグラス・フェアバンクス(バグダッドの盗賊(映像)・ノンクレジット)、チャールズ・チャップリン(トランプ(映像)ノンクレジット)、バスター・キートン(ジョニー・グレイ(映像)・ノンクレジット)、ハロルド・ロイド(ボーイ(映像)・ノンクレジット)、マーティン・スコセッシ(カメラマン・ノンクレジット)
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by sentence2307 | 2013-03-09 21:55 | 映画 | Comments(1)

夜の緋牡丹 ふたたび

作家志望の貧しい青年・小熊隆介(伊豆肇が演じています)は、酔った勢いで金もないのに座敷遊びをし、アプレ芸者・たい子(島崎雪子が演じています)を呼んで夜通し騒ぎますが、酔いが醒めたあと、支払う金など持ち合わせていない隆介は、たい子に事情を話して詫び、花代を踏み倒して、その場を逃がしてもらいます。

これが、ふたりの出会い。

それから少し経ったあと、隆介が、その日暮らしの貧乏生活の中からどうにか工面して僅かな金額を送金してきたことから、彼の律儀さに好感を抱いた彼女が、少しずつ隆介に惹かれていく様子が描かれています。

しかし、たい子が隆介に惹かれていく理由というのは、彼のその真っ正直な「律儀さ」にというよりも、むしろ、彼の「インテリ」の部分に惹かれているらしいことが、たい子の、あまり幸せではなかった生い立ち(幼い頃サーカスで働いていた過去など)が語られることで分かります。

いままで満足な教育を受けてこられなかったという彼女の負い目が、隆介の「インテリ」性に惹かれる理由でもあることが徐々に明かされていきます。

しかし、そうした未熟なたい子からの思いは、小説の執筆に集中できない隆介にとっては、むしろただ煩わしく、彼女の天真爛漫さは却って彼の神経を逆なでし、彼女との放縦な暮らしは、彼の焦燥感を煽るばかりです。

それに、たい子が、隆介への愛の証しに「隆介いのち」と二の腕に刺青を彫りたいなどという希望を聞かされたりすると、彼女の価値観がとうてい理解できず、むしろ嫌悪しか感じることのできない隆介は、彼女の間違った生き方を必死に解き聞かし、刺青など強く否定・拒絶しますが、しかし、これだけのスッタモンダの葛藤がありながら、たい子は後日、二の腕に彫り込んだ刺青「隆介いのち」を何事もなかったかのように大らかに見せつけます。

それに対する隆介の反応が映画の中では別段描かれていたかどうか確たる記憶がないのですが、たとえあったとしても、「刺青」という行為を非難・激怒した最初ほどの印象はなく、なんだか全体的なストーリーの流れからするとずいぶんと「未処理」の印象が強く感じられました。

しかし、隆介が、暴走するたい子の奔放さに対して、もはやお手上げ状態で為すすべがなく、彼女に対して制御不能に陥ったと痛感し、彼女の矯正をほとんど放棄した「無作為無反応」を表現したという演出意図なら、あるいはそれも「有り」かな、と一応は納得しましたが。

男女の愛情関係においては「対等」こそが理想であり望ましいと考えている隆介にとって、たい子が、とりたてて罪悪感もなく売春をし、それで得た不浄な対価で自分の生活が支えられており、そういうたい子との生活をなにごともないかのように送ることの苦痛や、「愛の証し=刺青」を彫るという善良な市民感覚からかけ離れたたい子のヤクザな価値観を見せ付けられることは、彼には、とても耐え難かったに違いありません。

だからなおさら、やがて、懸賞小説に同時受賞する夏川美樹(月丘夢路が演じています)という志を同じくする女性に出会ったことで、たい子との生活では決して満たされることのなかった(文学的雰囲気にカツえていた)隆介の空虚な思いが、急速に彼女に傾いていったであろうことは無理なく理解できました。

しかし、ここまでなら、この作品が、コンニチまで伝説的に語り伝えられるなどということは、おそらく、なかったでしょう。

隆介があれほど望んだ、自立心を持った女流作家・夏川美樹との知的な同棲生活において、満たされるはずだった隆介の理想はアエナク空転し、どんどん煮詰まっていく過程が、映画の後半に描かれています。

この作品におけるもう一人の主人公、作家志望の夏川美樹の境遇として、まず最初に描かれているのは、不倫関係にあった北大講師・谷川(北澤彪が演じています)の不実をなじって別離を切り出したために、激昂した谷川に切りつけられて負傷するという修羅場です。

確たる愛情もなく、ただ功利・栄達のために結婚しただけだと嘯く谷川は、その現在病床にある妻とはすぐに別れるから一緒になろうと言いながら、実はその裏で、何人もの女を騙しては棄てているではないかという不実をあげつらって美樹はなじり、この関係を終わらせたいと谷川に申し向けたことで、激昂した谷川の凶行を誘っています。

確かに、谷川という男は、美樹の言うように、なじられても当然なくらいの卑劣漢であることは、おそらく確かです。

女にだらしなく、関係が深みにはまってこう着状態におちいり、身動きがとれなくなって手に余れば、相手のことなど構わずに関係を強制的に終わらせてしまう(棄てる)という短絡を繰り返しています。

しかし、考えてみれば、男女関係にあって、こんなことは別に特異なことでもなんでもない、こんなトラブルなら普通でも有りがちなことだし、また、こじれた関係をこんなふうに対処する人間なら自分の周りにもザラにいるような気がします。

しかし、彼らがそのようにするのは、別に「狡猾さ」からとはどうしても考えられない、むしろ自分と他人との距離を測ることができず、引き際を見極められないままズルズルと深みにはまり、ある日突然、深刻などん詰まりで回復不能な「破綻」を突きつけられ、はじめて驚愕し、うろたえ、仕方なく激怒するという、単に処世に疎い、極めて不器用な人間なのであって、それは美樹を諦められずに付きまとい、罵られても追いすがり、果ては、絶命させるほどの激しい第二の凶行に及ぶという運命に翻弄されるばかりの谷川の一連の行為を見ても明白です、そして、それは決して「狡猾」などという種類のものではない。

そういえば、隆介もまた谷川と同じように、別れを切り出した美樹をどうしても諦め切れず彼女を追いかけています。

それ以前にも、美樹は、キャバレーに出入りする客・吉岡社長(田崎潤が演じています)からの誘いを巧妙にはぐらかし、適当に煙に巻いている。

はたして美樹という女は、男を迷わせ、破滅させる毒婦なのか、それとも悪女なのかといえば、決してそんなことはありません。

美樹が毒婦でも悪女でもない証拠の幾つかのシーンが、この作品には散りばめられています。

ひとつは、作家志望の夏川美樹が、キャバレー勤めをする理由を、友人に「小説執筆のための人間観察だ」と語っている場面、それはこの現実を女ひとり「小説」を書いて生きていく、そのためには色恋などにかかずらわっている暇などないという並々ならぬ彼女の決意が語られているシーンです。

そして彼女のその生き方のクールな姿勢は、宣言どおり終始一貫しているということができます。

しかし、それに引き換え、隆介はどうだったか、あれほど「文学的雰囲気」を求め、たい子との生活を棄てて望みどおりの生活を手に入れたというのに、結局、彼が求めていたものは、美樹の作家として生きていこうという熾烈な決意とはまったく無関係の、「日常的な安らぎ」にすぎなかったことを思えば、結局それは、たい子が求め、そして彼に与えてくれたものと同じものではないか、という結論に達します。

すべての夢破れ、泥酔してたい子の元に帰ろうとしていた凡庸の人・隆介のそのときの表情が、いったいどんなだったのか、いまはどうしても思い出すことができません。

(1950銀座ぷろだくしょん・新東宝)監督・千葉泰樹、製作原作脚本・八田尚之、撮影・鈴木博、美術・下河原友雄、音楽・早坂文雄、制作補・島村達芳
出演・伊豆肇、島崎雪子、千明みゆき、田崎潤、月丘夢路、龍崎一郎、山本禮三郎、北澤彪、勝見庸太郎、高堂國典、澤蘭子、志村喬、小島洋々、菊地双三郎、山室耕、伊藤雄之助、冬木京太、
1950.12.08 11巻35mm 2,890m 105分 白黒
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by sentence2307 | 2013-03-03 17:51 | 映画 | Comments(2)