世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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<   2014年 01月 ( 6 )   > この月の画像一覧

インターネットの威力のひとつに、古い名作映画や、遺された名人の映像を手軽に無料で見られるということがありますよね。

ひとむかし前では考えられもしなかった物凄いことだと思います。

思いついた映画の題名(現在ではとても見る機会のないとても古い映画です)を何気なく入力して「動画」のボタンをクリックすると、うまい具合にヒットすれば、たちまちその映画が始まり、まるまる一本を見られてしまうというラッキーに遭遇したことは幾度もあります。

映画もそうですが、テレビドラマとか歌や講演、そして自分として最も多いのは、落語をそんなふうに見ています。

もっとも、じっと「見ている」というよりも、そのお気に入りの落語や歌の画面を別画面で流して音だけ聞きながら、一方で文書の打ち込みをするという「ナガラ作業」がモッカの実態です。

そういう時間が自分的にはとてもリラックスできる「至福の時間」になっています。

いつも聞く落語家といえば、志ん朝とか米朝とかですが、演目としては「中村仲蔵」や「淀五郎」が好きで、志ん生や円生の演じるもの(ほかの演者といえば、立川談志くらいです)のを暇を見つけてはパソコン動画で繰り返し鑑賞しています。

実は、その噺を聞いていて、いつも気になっている部分がありました。

親方・団蔵が、次の出し物を「忠臣蔵」と決めて稽古にかかっていたところ、初日間近になって、急遽判官を演じる役者が急病になり、代役をたてなければならなくなりますが、もう主だった役者はいないというとき、団蔵が「ちょっとコウバンを見せてみろ」というクダリがあります。

この「コウバン」というのは、いわば「役者名鑑」で、名題役者からシモにいたるまでのすべての役者の名前が書かれている帳面です。

その中から若手・淀五郎を抜擢して芝居をさせるというのが、この噺の滑り出しです。

どういう字を書くのか分からないまま、その「コウバン」という響きだけが耳に残っていました。

あるとき、映画用語に「コウバン表」というものがあることを知りました。

漢字では「香盤表」と書くらしく、製作する映画のシナリオのシーンを順番に書き出し、一覧表にしたものだそうで、そこには、シーン・ナンバー、シーン名、内容要約、主要登場人物、その他のメモで成る、とあります。

それを製作前にスタッフに配るのが助監督の仕事の一つだというのです。

なるほど、自分が落語で聞いた「コウバン」とは少しオモムキは違うかもしれませんが、「順番に書く」というあたりは、どうもあやしい。

とくに日本映画の黎明期にあっては、歌舞伎は切っても切れない密な関係があったはずで、その業界用語に影響を与えたに違いないことは想像できます。

その後、検索してみて、「香盤表」が、「元来歌舞伎の世界から来た言葉という」までは、どうにか行き当たりました。
Wikipedia には「香盤」について以下のように説明されていますが、これによると「映画用語」にあたるものは、さしづめ③というところでしょうね。

①香盤(こうばん)は、香道に使われる盤。
香道の香盤は、碁盤の升目のように縦横の直線で構成される。
これと見た目が似ていることから、香盤と呼ばれる事柄がある。

以下は、いずれも興行界の用語であるが、互いに全く別の事柄を指している。

②劇場における香盤は、劇場客席の座席表である。観客がどこに座るかを示す。

③制作裏方における香盤は、出演者と出演時期(出演順番、登場時刻、場面)を対比させた表。
演劇・撮影・イベント等で裏方が用いる進行表。
スケジュール表。細かな時間単位で区切られる。
ストリップティーズなど興行の出演者リスト。および登場順番。10日単位など長い単位で決定される。寄席で、この意味を指す言葉として「番組」という語が使われる。寄席での香盤は下記の通り別の意味になる。

④落語界における香盤は、落語家内部の序列を表す。
表として実在するのでなく、あくまで抽象的なものであり、「落語家相互の順番」である。
これによって、協会内部の序列、落語家相互間の私的交友における上下関係(座る位置、どちらが敬語を使うか、命令できるのはどちらかなど)、寄席の割りを直接決定する。
香盤は落語家の協会内部で作成される。
その順序は他の協会では通用しない。
香盤の順位は身分階級が絶対的な基準となる(この場合、「会長・副会長」も一つの身分である。また、落語協会のみ「役員」という身分がある)。
そして、同一身分階級内での上下は、その身分になった順番により決まる。
1 会長・副会長経験者 - 会長になった順、 2 副会長経験者 - 副会長になった順、 3 現役の会長、 4 (落語協会のみ)役員 - 役員になった順、 5 真打 - 真打昇進順、 6 二つ目 - 二つ目昇進順、 7 前座 - 前座身分になった順(注:現在は、実際の入門のあと、見習いを経ないと前座になれない)
江戸落語では香盤は常に公開されており、現在ではウェブサイト等で一般に公開されている。
上方落語では、香盤は存在するが部外者には公開されておらず、決定基準も明らかにされていない。
協会が落語家に与えるペナルティとして、その落語家の香盤を下げることがある。

なるほどね。よく分かりました。

ここまで調べたとなると、どうにも性分というやつでしょうか、「映画用語」まで検索したくなりましたが、ちょうどお時間となりました、また後日のお愉しみということで。

それではこのへんで、おあとがよろしいようで。
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by sentence2307 | 2014-01-25 14:01 | 映画 | Comments(3)

終の信託

少し前、定期購読をつづけていた「キネマ旬報」を、根っからの無精と怠け癖から読みきれないまま漫然と溜め込んでおいたことが「場所ふさぎ」と家人の猛抗議をかい、積ンドク本の一挙処分と「定期購読」の解約という猛烈な我が家の行政処分に見舞われました。

これから「キネマ旬報」は、主だったものをときどき(決算号は必ず購入するつもりです)買う程度にするということで一応示談に持ち込みましたが、読み終わった本はすぐに処分するか、読まないうちは次の号も買わないという無精者にはなんとも厳しい条件つきです。

そんなことがあってから、もう随分と月日が経って、そうした習慣にもいつの間にか自然と馴染み、どんなつまらない記事でも結構精勤して読めるようになりました(興味のもてない記事・つまらない記事を無理して読むということが、果たして意味のあることかどうかはこの際考えないようにしています)。

この新習慣について別段これといった不自由を感じたことはないのですが、ただひとつ、途切れた連載物を虫食いのまま飛び飛びに読むというのは、なんだか味気なくて結構なストレスになるものなんだなあと実感しているところです。

特に、その文中、筆者が「前回書いたように・・・」などとノタマワッタリすると、なんだか自分だけが仲間はずれにあったようで鼻白み、こんなさびしい思いをするくらいならいっそのこと読むのは止めだと、まるで登校拒否児のようにイジケて、いつの間にか連載物はあえて読むのを敬遠するようになりました。

しかし、いざ読まないとなると、気にかかる記事なら、やっぱりあります。

そのひとつが、川本三郎の「映画を見ればわかること」でした。

鉄道のレアな知識も関連づけたりして、引用する映画題名の豊富さはとても魅力的で勉強になります。

ノートを傍らに置いてメモをとりながら読むこともあり、その楽しさたるや替えがたいものがありました。

そういう読み方に結構ハマっていたので、「キネマ旬報」の定期購読中止は、その当初は、確かに応えました。

しかし、あるとき雑誌を読みに図書館に行ったとき、川本三郎の「映画を見ればわかること」が既に単行本になって何冊も出ていることを知りました。

分かってみれば、な~んだ、そりゃそうだよなという感じです。

さっそく借りて読んでみました。

雑誌に掲載してある記事の一部として、しかも途切れ途切れに読んでいるときには全然気が付かなかったことも、通して読んでみると、はっきりと分かることがありました。

これはあえて最初に申し上げておきますが、これから記すことは、決して悪気で言っているわけでないことをはっきりとお断りしておかなければなりません。

それにしてもこの川本三郎のコラムって、有り余る知識をただヒケラカシテいるだけの、毒にも薬にもならない実に軽い(くだらないとまでは言いません)記事であることにはじめて気が付かされました。

どうしてそのように感じたのかというと、きっと、自分の「雑誌を読む」という姿勢と、「単行本を読む」という心構えとかが、そもそも最初からすこぶる異なるために、川本三郎の「映画を見ればわかること」を、ほとんど小林秀雄や吉本隆明の論評と同レベル・同じ気構えで取り組もうとしていたことに起因すると気が付いたのです。

いわば、自分にとっての普遍的な「単行本を読むぞ!モード」で単行本「映画を見ればわかること」を読み、そして受けた失望は、ですから自分自身の読書姿勢のモードの問題なのであって、決して川本三郎の無能やヒケラカシに帰するものでないことをはっきりとお断りしておかなければなりません。

そして、このコラム「映画を見ればわかること」とは、そういう軽いコラムなのですから、でき得ることならこの手のものは雑誌掲載どまりにしておいて、晴れがましい単行本などはミズカラ遠慮し、読み捨て扱いにすべきものだったというのがボクの私見なのですが、そこはまあ出版各社のそれぞれのお家事情もあったりして、そこまで忖度すべきことではないとは知りつつも、しかしなんですよね、それもこれも結局は、あまりにも本が売れないことにすべての原因があるのかなあなどと考えたりしています。

しかし、なぜ自分がこんな余計なことを考えたかというと、川本三郎先生の同シリーズの最新刊「映画は呼んでいる」を読んでいて、そこに周防正行監督の「終の信託」について書かれたクダリがあり、それがなんとスコブル「映画批評」めいていて、いわば薀蓄先生ここに豹変すという感じで、一挙に興ざめしてしまいました。

「電車が走って嬉しいな」くらいならまだしも、「映画批評」とは穏やかではありません。

その書き出しは、こんなふうになっています。

《国家権力の怖さ、より具体的にいえば、取調べ検事の、権力を笠に着た怖さに戦慄した。
周防正行監督「終の信託」の後半、医師の草刈民代は患者を死なせた容疑で東京地検に呼ばれ、検事の大沢たかおの取調べを受けることになる。
狭く暗い検事室での約四十五分間続く、この場面は、国家権力の怖さ、冷酷さ、非情をあますところなく突き付けてきて圧倒的な迫力がある。
むき出しの権力の前に、無防備な個人がさらされ、いたぶられ、「罪」へと追い詰められていく。
個人の感情、思い、心など一顧だにされず、法律の条文だけによって裁かれていく。
ことの裏側にあるものなど排除され、ただおもてに現れた事実だけが並び立てられていく。
いわば真実が事実の前に消えてしまう。
法律とはそもそもそういうものだといってしまえばそれまでだが、それが、国家権力によって裏付けられているというところが怖い。》

なるほどなるほど、しかし、なんですね、「個人の感情、思い、心など一顧だにされず、法律の条文だけによって裁かれていく」からいいものの、「法律の条文によらず、個人の感情、思い、心などで裁かれていく」のだとしたら北朝鮮みたいな暗黒恐怖社会になってしまいますよね、きっと。

「法の支配」とは、そういう恐怖から身を守るための無力な民衆が、多大な血を流しながら獲得してきたものなのだということをなんだとおもっているんだとちょっと憤りを感じてしまいました。

耳ざわりのいい毒にも薬にもならないような綺麗な言葉を並べたてて、たかがゴロ合わせのために、もっとも重要な理念をも否定してしまうような川本先生の軽薄と愚鈍とにカチンときたのです。

確かに、あの強引な検事の取調べの様子は、迫力に満ちていて近年まれにみる権力の暴走を描いた傑出した場面であることに違いはありません。

「権力の乱用」に対しての義憤と嫌悪感も覚えもしました。

しかし、それなら、多くの観客が、重篤な患者への延命治療を中止して死をもたらしたあの女医に果たして共感できたかどうか、あるいは感情移入するには、少なからず戸惑いを覚えたはずです。

女医・折井綾乃は主張します、患者・江木秦三は、過大な治療費のために、これ以上家族に経済的負担をかけたくない、迷惑をかけたくないという理由で、延命治療を望まなかったのだと。

やがて、患者の遺志の記されたノートが発見されて女医の医療行為は、かろうじて正当化・合法化されるのですが、それにしても観客の「女医に共感できたかどうか、感情移入するには、少なからず戸惑いを覚えた」その気持ちが晴れたわけではありません。

これがこの映画の至らなさです。そして権力批判にだけ夢中になるあまり、この映画の本質を見損なった川本三郎の愚劣な至らなさでもあります。

患者・江木秦三は、自分の病いのことよりなにより、家族のことを心配しています。

もうなにもしてあげられないままに、いままさに命の灯が途絶えようというときに、患者・江木秦三は、自分のことなどで家族に負担をかけるということを気にやんでいるのです。

そこからこそ「(金のかかる)延命治療などしないでほしい」という言葉が出てきたはずで、ここで重要なのは「延命治療」などではなく、「家族への迷惑」なのです。

しかし、トッチラカッタ女医は、早すぎた「延命治療の中止」に熱中するあまり、その不手際から臨終に立ち会う家族の前で、患者のいまだに残されている生命力を懸命になって断つという医者として本末転倒な行為によって、患者の苦しむ断末魔を、嫌というほど家族に見せつけています。

これが患者の望んでいた遺志だったのかという疑問が湧き上がってくるとともに、女医がこだわった「延命治療の中止」が、本当に患者の望んだことの反映の域内にあったと言えるのかどうか。

しかし、「家族へ迷惑」をかけたくない、自分の病気で家族をこれ以上苦しめたくないということだったのなら、「延命治療の中止」はいつの間にか変質してしまい、かえって家族を苦しめるという、患者・江木秦三の希望とは程遠いものとなり、女医が患者に施した措置も誤っていたというべきだったと思います。

前作「それでもボクはやってない」で描いたあの満員電車で女性の尻を触ったか触らなかったかという瑣末な真偽をつきつめることによって、国家権力のシステムの中枢に肉薄し、そのいい加減さを痛烈に暴きたてたあの爽快さは、この作品にはありません。

残念ながら、観客は、こういう的外れの映画には共感しないし、権力亡者・川本三郎の世迷言にも同調しない。

大衆は、あなたが考えているよりずっと賢いし、「チンチン・デンシャ」なんかもそれほど好きでないかもしれませんヨ。

(2012東宝)監督脚本・周防正行、原作・朔立木、エグゼクティブプロデューサー・桝井省志、製作・亀山千広、企画・小川泰、市川南、小形雄二、プロデューサー・土屋健、稲葉直人、土本貴生、堀川慎太郎、音楽・周防義和、撮影・寺田緑郎、照明・長田達也、美術・磯田典宏、録音・郡弘道、編集・菊池純一、エンディング曲・種ともこ 、 キリ・テ・カナワ、製作担当・島根淳、キャスティング・吉川威史、南谷夢、製作進行/プロダクション・マネージャー・前村祐子、助監督・片島章三、製作・フジテレビジョン、東宝、アルタミラピクチャーズ、製作プロダクション・アルタミラピクチャーズ
出演・草刈民代(女医・折井綾乃)、役所広司(患者・江木秦三)、浅野忠信(不倫相手・高井則之)、大沢たかお(検事・塚原透)、細田よしひこ(検事の助手・杉田正一)、中村久美(患者の妻・江木陽子)
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by sentence2307 | 2014-01-18 18:48 | 映画 | Comments(0)

青春残酷物語

映画を見続けてきた者にとって、それぞれの作品に対し、自分なりの好みによって固定観念が形作られてしまうということは、その人の個性という面からいっても当然そうあるべきで、それは仕方のないことだと思います。

例えば、「七人の侍」が、自分にとって機会さえあれば何度でも見たいと思う映画だとすれば、大島渚作品「青春残酷物語」は、一度見れば十分、機会があっても二度と見たいとは思わない作品として、もう、何十年も「二度目」を見ずにきた作品でした。

しかし、「何度でも見たい」と思わせるのがひとつのインパクトなら、「二度と見たくない」と思わせることだって、もうひとつの重要なインパクトなのかもしれないなと、つい最近「青春残酷物語」を再見して痛感しました。

衝撃性の高さからいえば、「二度と見たくない」と思わせる方が、よほど強烈なのは当然だし、監督・大島渚とは、そういう映画作家だったのだということも、遅ればせながら納得しました。

それにこの「二度目」の封印が解かれた(もっとリアルな言い方をすれば「崩れた」とでもいった方がいいのかもしれません)のには、ちょっとした理由があります。

最近読んだ升本喜年の「小津も絹代も寅さんも-城戸四郎のキネマの天地」に書かれていたエピソードです。

この書名を見たとき、販路を広げるために大衆受けを狙った見え見えのずいぶん嫌な書名だなとは思いましたが、そうでもしなければ本が売れないこの時代、このくらいのことは仕方がないのかもしれません。

升本喜年は、松竹の取締役だったときに「松竹映画の栄光と崩壊-大船の時代」という本を書いて社内の顰蹙をかい、取締役会で問題にされて罷免されたという前歴をもつ人です。

自分が取締役をしている会社が、目の前で経営が左前になって危ういというのに、堂々とこういう本を書くくらいの人ですから、大らかというか無神経というか、その「時代を読めない」自覚の無さは、この本でも随所にうかがわれます。

この回顧録の終始一貫した「他人事」という突き放したスタンスが、ここに書かれているあらゆる事象に対して独特の距離感を醸し出していて、それがどこにも切実さを感じさせなくなっている理由になっています。

そしてその姿勢がどこからきているのかといえば、この人が城戸四郎に対して「イエス」としかいえなかった従順な取締役でしかなく、自分からは何の判断も下すことなく、御大の言うがままに動いていただけの単なる腰巾着にすぎなかったことを、奇しくもこの本は明かしてしまっているように感じました。

しかし逆に言えば、むしろそれはきわめてギョーカイジンらしい素直な行き方であって当然なヒトトナリだったのだといえるのかもしれませんが、こういう人たちの無責任の堆積が徐々に映画界を傾かせてきたのには違いありません。

映画界の凋落は、テレビのセイなんがでは決してありません、大衆の性向の変化が読めないまま、それでもなお、かつての成功事例に固執した錯覚がもたらした人為的なものだといわざるを得ない。

そういう意味でいえば、城戸四郎に代わった大谷博の登場と強引な経営改革(いわば挑戦)と、そういうなかで大島渚の「青春残酷物語」が撮られ、「松竹ヌーヴェルバーグ」が勃興したことは、たぶん偶然が重なったとはいえ、経営戦略上密接な関係があったといえます。

ですので、なおさら、こうしたムーブメントが「日本の夜と霧」によって挫折をとげ、旧態に戻ってしまったという終息のダラシナサは、日本映画界の限界と幼さと無力を象徴している随分皮肉な成り行きをたどったのだなと感じられてなりません。

この事件の渦中にあった人物(経営者も映画作家も)のひとりでも、開明的なリーダーがいたなら、虚妄の時代(人の底意を試すような意味で60年安保は、戦時中の「非国民」非難の装置と大差ありません)のもうひとつ先を見通すことができたのにと残念です。

そうそう、残念といえば、自分は、長い間、当時にあって折角の「松竹ヌーヴェルバーグ」が、愚かな時代的妄想(60年安保が生み出したもの)によって失速し尻すぼみになってしまったことをとても残念に思い続けてきた者のひとりなのですが、最近はすこし考え方が変わりました。

「松竹ヌーヴェルバーグ」などというものが、本当にあったのだろうかと。

すくなくともあのムーブメントは、他動的なものにすぎず、湧き出る自らの力によって動き出したものではなかったし、その証拠に、立ちはだかった(それも「芸術的」な理由からは程遠い)ほんのささいな政治的困難さえも切り開くことができなかったことを見れば明らかです。

なにしろ、その政治的圧力に対抗しようというシロモノが、芸術映画とは程遠い稚拙なイデオロギー映画「日本の夜と霧」だったのですからその無力さは歴然で、それを、ただの資本の忌避の現象だけを捉えて論じられた顛末は、(多くの卓越した映像作家たちに沈黙を強いたことをも含めて)考えてみればとても皮肉な話です。


時代が大きなうねりをもって自分に向かってなだれ込んできたとき、それを受け止めることのできなかった大島渚こそ、あの動乱の時代のサナカにあって、もっとも無力を感じたもののひとりだったろうと思えてなりません。

「青春残酷物語」の大ヒットを受けて、撮ろうと思えばなんだって撮れたかもしれない「すべてが許された状況」にあって(大衆は、大島作品をひたすら歓迎しようと、なんでもOKの待ちの状態でした)、そのとき、当の大島渚は、撮ってはならない唯一の作品、稚拙なイデオロギー映画「日本の夜と霧」を世に送り出すことしかできなかった。

それは、どのような言葉で飾り立てようとも、当時の大島渚自身の無力と増長と、そして多くの同時代人とおなじ錯覚に帰すべきものだったと思います。

升本喜年の「小津も絹代も寅さんも-城戸四郎のキネマの天地」に書かれていたエピソードを紹介しながら、「青春残酷物語」の感想を書くつもりだったのですが、話が横道に逸れてしまって、まったく別のアプローチになってしまいました。

ですので「青春残酷物語」の感想だけでも書いておきますね。

今回、久しぶりに再見して、自分がなぜ「二度目」は見なくともいいかなと思った理由が、なんとなく分かりました。

この作品の随所にあらわれる旧世代・姉・由紀(久我美子)とその元恋人・秋本(渡辺文雄)が、興ざめするくらいのステレオタイプの設定で、彼らの語る言葉の端々にはリアリティというものが全然感じられないのです。

彼らは、ことあるごとに失われた「青春」を口にし、敗北と絶望の過去を懐かしみ、抑圧した親達を恨み、再生を願いながらも薄汚い現実(彼ら自信の認識によれば、です)に脚をとられて身動きできないでいます。

そして、まるでその反動のように、やりたい放題の奔放な若者たちに、非難どころか羨望をもって激励し、さらにケシカケテいるかのようにさえ見えます。

清(川津祐介)が、堕胎した真琴(桑野みゆき)を秋本(渡辺文雄)の診療所に訪ねる場面で、一足先に秋本に会いに来ていた由紀(久我美子)が、ヨリを戻せないかと、それとなく秋本に打診する場面です。

それは見ていて気恥ずかしくなるくらい日常では決して使うことのない硬質な言葉が交わされます。

清はすぐ隣の病室で、堕胎したばかりで衰弱して寝入っている真琴(桑野みゆき)の寝顔をみながら、彼らの話を聞くともなしに聞いています。

閉ざされた絶望的な状況に追い詰められた清が、暗闇の中でひとり、真に迫ってリンゴに齧りつき、じっくりと咀嚼するシーンには圧倒されました。「咀嚼する」という行為は、生きることを肯定する行為のはず。

絶望のどん底にあって、生きるために必要な条件をことごとく奪われても、人は何かを食べずにはいられない、生の肯定が絶対条件として運命づけられている人間の残酷さが、じっくりと表現された卓越したシーンです。

これがラストシーンでもいい。

いや、たぶん、そうであるべきだと思いました。

いわば必要以上に長く撮られたシーンが、観客に「ラスト」を暗示させ、それだけでもう十分に映画として表現すべきことは、表現し尽くしたと自分も感じました。

きびしい現実から突き放され、未来もなく閉ざれた貧しい若者たちの「呆然さ」がリアルに表現されていたと思います。

しかし、映画は終わらない。

観客は、「納得」したはずのラストシーンのあとに、さらなる蛇足のようなラストシーンにつき合わされます。

やくざによって犬のように嬲り殺されたり、逃げようとした自動車に服を引っ掛け轢きずられて死ぬ不運な恋人たちの無残な場面を蛇足のように押し付けられます。

見終わったあとでの今回の感想も、この作品を「二度と見ることはないかもしれないな」でした。

(1960松竹大船)監督脚本・大島渚、製作・池田富雄、音楽・真鍋理一郎、撮影・川又昂、編集・浦岡敬一、美術・宇野耕司、録音・栗田周十郎、照明・佐藤勇、監督助手・石堂淑朗、色彩技術・坂巻佐平、撮影助手・舎川芳次、装置・山本金太郎、装飾・石川誠次、録音技術・堀川修造、録音助手・岸本真一、照明助手・高橋利文、現像・東洋現像所、衣裳・斎藤耐三、衣裳考証・松竹流行研究所、デザイン・森英恵、細野久、進行・沼尾釣、資料提供・株式会社国洋 パリステックス
出演・桑野みゆき(新庄真琴)、川津祐介(藤井清)、久我美子(新庄由紀)、浜村純(新庄正博)、氏家慎一(坂口政枝)、森島亜樹(石川陽子)、田中晋二(伊藤好巳)、富永ユキ(西岡敏子)、渡辺文雄(秋本透)、俵田裕子(吉村茂子)、小林トシ子(下西照子)、佐藤慶(松木明)、林洋介(樋上功一)、松崎慎二郎(寺田登)、堀恵子(津田春子)、水島信哉(ぐれん隊の男)、春日俊二(シボレーの男)、山茶花究(パッカードの紳士)、森川信(マーキュリーの紳士)、田村保(フォードの男)、佐野浅夫(取調べの刑事)、宮坂将嘉(取調べの刑事)、園田健二(取調べの刑事)、土田桂司(取調べの刑事)、城所英夫(清の兄)、二本柳寛(紳士)、
1960.6.3 7巻 2,638m  96分 カラー 松竹グランドスコープ
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by sentence2307 | 2014-01-11 16:29 | 映画 | Comments(1)

「七人の侍」就活論

もう去年のことになりますが、最後のお得意さん廻りをした時のこと、当初予定していた訪問先の挨拶が終えて、さあ帰るとするかと同行してきた若手社員をうながすと、彼は、あと1件だけ挨拶しておきたいお得意さんがありまして、そこには自分だけで伺いたいのですがよろしいでしょうか、と言いにくそうに切り出しました。

話によるとその会社は、もっか彼が開拓している最中の会社で、大手の会社と受注を競っており、いまのところ微妙な状態にあるので、このタイミングでイカメシイ肩書きを持った責任者が顔を出したりすると、先方が変に身構えて彼がいままでせっかく苦労して進めてきた話も壊れてしまうのではないかと懸念しているのでした。

苦心して契約直前まで漕ぎ付けた話を、何も知らない上司がしゃしゃり出てきて勝手放題にタテマエ論をぶち上げ、挙句の果てにせっかくの担当者の苦労を台無しにしてしまうという「ちゃぶ台返し」の苦い話なら若い頃の自分にも充分に覚えがあります。

ですので、ここは若い彼の判断に任せて同行は遠慮し、自分だけ最寄りの駅から電車で一足先に帰社することにしました。

普段、営業廻りはもっぱらクルマなので、昼間の電車に乗るなどということは滅多にありませんが、それにしても昼間だというのに、電車内は結構混雑していて、少し驚きました。

それも、乗客が学生とか主婦とかならともかく、パッと見、働き盛りのオッサンたちがラフなチャラチャラした服装で競艇新聞などを堂々と広げたりしていたりしていて、見るからに「いま、ひと勝負してきたところです」みたいな感じです。

まあ、見たところではモロ競艇狂いとか色ぼけした遊び人にはどうしても見えないので、自分のこの第一印象は、せかせかと働くしか能のない貧乏性の自分のひが目にすぎず、彼らが生活の心配のない余裕のある富裕な自由人か、勤務時間に拘束されない社長さんたちに違いないのだと思うことにしました。

さて、その電車がターミナル駅に到着し、ドアが開いたとき、一見してそれと分かるリクルート・スーツを着こんだ数人の就活生がドカドカと乗り込んできました。

話すことは、やっぱり「会社説明会」の話題です。

そうか、早いもので、もうそういう季節になったのかと聞くともなしに彼らの話に耳を傾けていました。

話題は、会社選びに迷っていることから始まって、そもそも自分がどういう職業に向いているのかさっぱり分からないとか、最近行われたらしい就活ゼミの模擬面接のことなどでした。

きっとそこには「想定問答集」みたいなものがあって、テーマ別に「こういう質問には、こう答える」みたいな感じのパターンがあり、そのひとつに「チームワーク」と問われた場合の答え方について、想定できるあれこれの模範解答を熱く語り合っていました。

こう言ってはなんですが、長い間会社に身を置いている者から言わせてもらうと、まるで大学の受験勉強みたいなむなしいこうした努力を強制されて疲れさせられ、入社後の彼らにサラリーマンとしての生活にいち早く失望させて離職にみちびく原因になっているのではないかと思ってしまうくらいです。

「会社は、学校とは違うよ」とでも声を掛けてあげたくなりました。

会社の真実の法則というのはね「もらった給料分くらいは働けよ」ですヨ。

そのとき、交わされる会話の中に「七人の侍」という言葉が聞こえてきたので、反射的に思わず耳をそばだてました。

話の内容というのは、映画「七人の侍」は、七人が互いの長所を生かし合い短所を補い合って苦難のすえに難局を乗り越えて目的を達成するという経営戦略にもつながる重要な示唆があるというくらいのことでした。

つまり、映画でもナンデモ、経営に役立つ素材というのは、注意深く探せば日常ザラに転がっているものだというのが、どうもその「教え」らしいのです。

な~んだ、そんなことか、身を乗り出して聞こうとしたぶん、損した失望もけっこうなダメージとして残りました。

しかし、それにしても、あの「七人の侍」が、そこいらに転がっている素材のひとつにすぎないのかと、一瞬腹立たしい思いに捉われましたが、いやいや、そうではありません、「七人の侍」を「就活映画」として見るというのなら、ずいぶんと面白い発想ではないかと内心ちょっと感心しました。

たしかに、あの侍たちは、仕官するチャンスを求めて全国を渡り歩いている訳ですから、たとえ、たまたまその途上で百姓たちの苦難を見かねて、成り行きとはいえ助けの手を差し伸べ「野武士との壮絶な戦い」という寄り道をしただけであって、それはまさに「就活」(これが本筋です)途中にたまたま遭遇した出来事にすぎない、ひとつのエピソードを描いた映画ということに違いはありません。

初老の勘兵衛は、親子ほども年の違う功名心に逸る勝四郎にこう諭しています、

「わしもお前と同じ年頃だったことはあるで。
腕を磨く。そして、戦に出て手柄を立てる。それから一国一城の主になる。
しかしな、そう考えているうちに、いつの間にか、ほれ、このように髪が白くなる。
そしてな、そのときはもう親もなければ身内もない、自分の眠る土もない・・・。
勝四郎、明日は国へ発て。親御がさぞ心配しとることじゃろう。」

就活に失敗しつづけ生涯の黄昏を迎えようとしている老いた勘兵衛の悲嘆が込められたその痛切な述懐の場に居合わせたのは、勝四郎のほかに、やがて勘兵衛の参謀役となる五郎兵衛と、苦しいときには気の開ける重宝な男・平八、勘兵衛の従者・七郎次です。

そしてまさにこの5人に共通している最大の思いが、いずれも「就活」にあったからこそ、この場を痛切な空気が支配し、勘兵衛の鎮痛な述懐に動揺し身につまされ、5人が深い思いに打ちのめされるのです。

人生の大半を掛けた就活に、ついに失敗し、人として大切なものを失いながら年老いてゆくのかという絶望と後悔は、その場に居合わせた侍たちの共通の悲嘆だったはずで、映画「七人の侍」のなかでも傑出した場面のひとつといわれています。

しかしすぐに、本当にそうだろうかという思いに捉われました。

それというのも、その場面のすぐあとに立て続けに登場する「最後の2人」、久蔵と菊千代という存在があるからです。

自分を鍛え上げることだけに凝り固まったストイックな剣豪・久蔵と、百姓の身分を隠しながら身分制度の呪縛から逃れようと必死に足掻く菊千代(彼もある意味「剣豪」には違いありません)、この2人にとって「就活=仕官する」などということが、どれほどの意味があり現実的なことだったのかという疑念に捉われたのです。

明確に仕官を求めていたあの5人の侍たちにとって、野武士の襲撃から百姓たちを守る結果として引き受けなければならなかった死や、死ぬほどの経験は、それが「仕官」には一切つながることのない、「就活」とは無縁の遭難だっただけに、どうしても犬死とか徒労としか思えない印象を拭えないのに対して、久蔵と菊千代の死は、「就活侍」平八と五郎兵衛の戦死とは明らかに、また本質的に異なるように思えてなりません。

自分を鍛え上げることだけに凝り固まったストイックな剣豪・久蔵にとって、実際に人を斬ることのできる野武士斬りは、彼にとってはまさに腕を磨き、そして卓越した剣技を実証できる絶好のチャンスだったはずで、少なくともそれが「仕官」のためなどということとはまったく無縁の、どこまでも自分自身のために孤高をめざす鍛錬にすぎなかったというべきで、久蔵としてもただそのことだけで満足できたはずです。

しかし、その「鍛錬」の最後で、「剣」とはまるで関係のない「種子島」によって落命を余儀なくされるという皮肉で悲痛な死にみまわれる最期は、だから平八と五郎兵衛たちの戦死とはまったく異質のものというべきと考えています。

そして菊千代にとってもまた、野武士斬りの意味合いは、「仕官」とは無縁の、切実なものがあったはずです。

百姓の身分から離脱しながら、しかし、侍の身分にも受け入れられない拒まれた存在、浮遊民・菊千代にとって、降ってわいたような野武士斬りの計画は、特別な意味合いを持っていたはずだと思います。

武力を持たない無力で従順で狡猾な百姓たちへの苛立ち(まさにそれはかつて彼自身が囚われていた状況でした)を募らせ、その苦衷と憤懣を野武士に向けて炸裂させて斬りかかるという直接的な行為は、差別への怒りをバネにした彼の身分制からの離脱の動機とぴったり重なるわけですから、彼を野武士の殺戮へと駆り立てた情理と行為とは、しごく素朴で素直な直線で当然と必然を結び合わせ得たのだと思います。

そして、そこに「仕官」などという想定は入り込む余地さえなかったと思います。

目の前の就活生たちは、電車の揺れに身を任せながら、まだ経営戦略の宝庫「七人の侍」について盛んに会話をしています。

その会話を聞きながら、よっぽど

「しかし、君たちね。
この『七人の侍』というのはね、最後には就活に失敗する、っていうか、就活中に余計なことをして、結局満足な就活さえできませんでしたという、君たちにとってはなんの知識ももたらさない不吉で悲惨な挫折の物語なのだから、あんまり参考にはならないかもしれないよォ」

とでも言ってあげようか少し迷いましたが、老いぼれが不意にそんなことを言い出すと、また頭のおかしなジジイが繰り言をはじめたなどと思われかねません。

ここはやっぱり就活に踊らされてうんざりしかかっている若者諸君を逆に励ますというのが、やはり本筋で、長老たるもののスタンスかもしれません、映画みたいにね。

そうですよね、長老なら長老らしく、口をもぐもぐさせながら、「やるべす!」とでもここは無責任に煽っておきますか。

若者諸君、もうひと踊り、狂ったように踊ってみてください。

そうやって苦労して苦労して、やっと入った会社というのはね、実はね・・・・。

まあ、辞めときましょう、それに離職率の話とかもあえてやめておきますね。

実際入ってみりゃあ、すぐに分かることですから。

はははは(・・・ここで笑ったりなんかして、いいわけ?)
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by sentence2307 | 2014-01-07 22:41 | 映画 | Comments(90)

スクラップの整理

去年の暮、いよいよ押し詰まった12月31日の午後、急に思い立って、いままで新聞や雑誌からスクラップしてきたものの整理をしようかと思い立ちました。

というか、だいたいは、切り取った記事などを100均で買い求めたクリア・ファイルにそのまま突っ込んでおくだけの話なので、あえて台紙に貼ったりして冊子化しようなどというつもりなど毛頭ありません。

読み終えたものは、片っ端からどんどん棄てていくつもりです。

つまり、興味のありそうな記事を見つけても、そのときは読めないという場合、とりあえず切り取っておいて、あとで読み返そうというだけの話しなのです。

しかし、そのとき読めなかったものを、あとになって読み返すなどということは、経験からいっても達成できたことはほとんどありません。

きっと時間が経過すると、そのとき感じた「興味」も半減するか、忘れてしまうかして、なんでこんな記事をわざわざ取って置いたのかさえも思い出せず、たとえその記事を読んだとしてもチンプンカンプンで何も得るところがないというあたりが実態なのかもしれません。

実は、このスクラップの整理を思い立った背景には、ある出来事がありました。

数日前の読売新聞朝刊のコラムに本居宣長の言葉が引用されていて強い印象をもったことを思い出し、無性に読み返したくなってその新聞を必死になって探したところ、ほんの一昨日の新聞だったこともあって難なく見つけることができました。

その本居宣長の言葉というのは、こういう言葉です。

「才のともしきや、学ぶ事の晩きや、暇のなきやによりて、思いくずおれて、止(やむ)ることなかれ」(うひ山ぶみ)

この訳文はこんなふうに書かれていました。

「才能がない、学び始めが人より遅い、時間がたりない」

本居宣長先生は、すべてこれ、怠け者の言い訳とおっしゃりたいのだろう、とそのコラム氏は、この一文を結んでいます。

なるほど・なるほど、いいですねえ、なんだか年の初めに(まだですが)ぴったりの示唆に富んだ素晴らしい言葉じゃないですか。

しかし、もし、この記事をスクラップなどにしていたら、果たしてこんなふうに気に掛けたり、あせって新聞捜しなどしただろうか、いやいや、スクラップしたこと自体に充足してしまって思い出しもしなかったのではないかと一瞬不安になりました。

なんか、これってスクラップというものの危うさを象徴していますよね。

自分なりの情報として消化しておかなければ、なんの意味もないことに今更ながら気が付いた次第です。

そういえば、捨て切れないままに部屋の隅に積み上げてある新聞には、やたら傍線を引っ張ったものがあって、そのとき感じた「興味」が消化できないまま「未練」みたいに凝固して、部屋の隅にわだかまるように積みあがっただけなのだということに今更ながら気が付きました。

しかし、ひとつひとつ消化していくには、相当な量です。

試みに、その中の一枚を引き抜いて読んでみました。

そして、その「日経新聞」をなぜ取っておこうと(当時)思ったのか、なぜ棄てるに棄てられなかったかということが、一目見てすぐに分かりました。

文化欄に稲葉真弓が書いた「漂流するものたち」(2013.12.15)と題する記事のためです。

記事の内容というのは、作家という仕事柄、本(自費出版のものあります)を寄贈されることが多く、しかし、どうしても読めないまま、だから一層、むげには棄てられないという悪循環の中で部屋が次第に本に侵食される様子と、その状況に為すスベもないともらす無力感が描かれています。

「買う本に加えて友人知人のものはともかく、届く本が半端ではないのだ。
中にはあきらかに自費出版されたとおぼしき個人史も含まれていて、亡き親を偲ぶ追悼の歌集やら詩集もある。
ほとんどが見知らぬ人のものばかり。
すべてに目を通していたら、切実な時間や体験を抱えているであろう個人史に、おぼれ死ぬことにもなりかねない。
結局は床に積み上げ、部屋に流れ着いた見知らぬ人の本の背を、視線で愛でるだけになってしまう。」

そして「為すスベもないという無力感」を吐露した圧巻の一節です。

「何十年も迷いに迷ったうえで書かれたと推測できる、凄絶な戦争体験記、孤児として生きた半生を記録したもの・・・。
そんな本を簡単に捨て去ることができるだろうか。
結局本は、届いたときのまま部屋を漂流することになる。
無言を強いられ監禁され、この先行き着く場所のめども立たず、同じ所にじっとしていなければならない本たち。
かといって私に、なにができるだろう。
せいぜい月に一度程度、埃を払うことくらいだ。」

おこがましくって問題意識が同じだなどとは言えませんが、心の琴線にふれるとは、こういうことなのかもしれないなと、この一文に傍線を引いたとき、そう感じたのかもしれませんね。

【稲葉真弓の著作】一応五十音順です
☆稲葉真弓・エンドレス・ワルツ(河出書房新社) 1992/03 (女流文学賞)
☆稲葉真弓・環流(講談社) 2005/08
☆稲葉真弓・ガラスの愛(河出書房新社) 1997/01
☆稲葉真弓・ガーデン・ガーデン(講談社) 2000/08
☆稲葉真弓・午後の蜜箱(講談社)2003/07
☆稲葉真弓・さよならのポスト(平凡社) 2005/08
☆稲葉真弓・砂の肖像(講談社) 2007/04
☆稲葉真弓・千年の恋人たち(河出書房新社) 2010/01
☆稲葉真弓・抱かれる(河出書房新社) 1993/04 
☆稲葉真弓・猫に満ちる日(講談社) 1998/07
☆稲葉真弓・半島へ(講談社) 2011/05 (47回・谷崎潤一郎賞 平成23年度)
☆稲葉真弓・風変りな魚たちへの挽歌(河出書房新社) 2003/04
☆稲葉真弓・繭は緑(中央公論社)1995/05
☆稲葉真弓・水の中のザクロ(講談社) 1999/11 
☆稲葉真弓・海松(新潮社) 2009/04(34回・川端康成文学賞 平成20年度)(60回・芸術選奨・文部科学大臣賞 平成21年度)
☆稲葉真弓・ミーのいない朝(河出書房新社) 1999/04 
☆稲葉真弓・森の時代(朝日新聞社) 1996/03
☆稲葉真弓・私がそこに還るまで(新潮社) 2004/10
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by sentence2307 | 2014-01-07 22:33 | 徒然草 | Comments(3)

龍馬暗殺 実行犯と黒幕

なんだか今年は、年明け早々、坂本龍馬の話題にたびたび遭遇しています。

まず、一つ目は、1月4日の読売新聞の夕刊に、「お龍の写真は別人?」という大見出しで、従来から若い頃のお龍のものとされてきた写真が、どうも違うらしいという記事です。

5~6年ほど前だったかに、警察庁の科学警察研究所に鑑定を依頼し、よく知られる晩年の写真(こちらの方は、お龍自身が自分のものだと認めているそうです)と比較した結果、かなりの確率で「同一人物の可能性が高い」との見解を得ている写真です。

しかし、このほど、あきらかに同一人物と思われる女性の、ほとんど同じポーズで撮られた芸者の写真が複数枚発見されたというのです。

再婚するまで生活苦にあったというお龍が、当時高額だった写真を、何枚も撮るなどということは、ちょっと考えにくいと記事には書かれていました。ちょっとその部分を再録しますね。

《東京都内の古書店で、軍装・勲章研究者の平山晋氏が昨年、芸者や華族を撮影した6枚組のブロマイドを発見。
その中に、「お龍」とされる座り姿の写真と同一人物とみられ、ほぼ同じポーズを取った写真があった。
さらに別の収集家が、「お龍の立ち姿」とされてきた写真とまったく同じ写真を他の芸者や華族のブロマイドと組み合わせた「組み写真」を見つけた。
お龍は、龍馬暗殺ののち、明治8年(1875)に再婚するまで生活苦だったとされる。
森重氏によると、当時、写真撮影は高額で、庶民が複数カット撮ることはないという。
一方、写真館は人気芸者らを無料で撮影し、大量に販売していた。
撮影された写真館の場所などを考慮すれば、新橋芸者の可能性がある。
また、当時、芸者や華族の女性の複数のブロマイドを集めて一枚にしたものも人気があった。
今回の「組み写真」もその一つと思われる。》

あれって芸者さんのブロマイドだったんですか。

しかし、晩年のお龍の写真というのも見たことがありますが、「若い頃はさぞかし」と思うような、とてもきれいなおばあさんでした。

あの若く美しい女性の写真をお龍だと十分に信じることができる気品も感じられました。

逆に複数枚残っているというあの神秘的なまでに美しい「芸者」は、いったいどういう人だったのかとか、その後たどった生涯なども気になってきました。

ところで、同じ正月の2日の夜、たまたま見ていたヒストリーチャンネルで「坂本龍馬」暗殺の実行犯と黒幕についての話を再放送していたので、つい最後まで見てしまいました。

総合タイトルは「THE ナンバー2 歴史を動かした陰の主役たち」というシリーズで、そのうちの一人として坂本龍馬が取り上げらたというわけです。

要旨は、幕末の動乱期に龍馬が果たした傑出した業績を辿るという番組です。

画像の荒れ具合から察すると、かなり以前に製作されたものなのかなという気がします。

そういえばずっと以前、周恩来が「優れたナンバー2」として、やたら持ち上げられた時期があったような・・・、そうそう、それって堺屋太一の「豊臣秀次」がテレビドラマ化された時期と一致するのではないかと。

だんだん記憶が鮮明になってきました。

2日に見たこのシリーズで取り上げられていた人物は、勝海舟、小松帯刀、大久保利通、柴田勝家、河井継之助、千利休、天海、島左近、真田幸村、豊臣秀次、加藤清正、直江兼続、松永久秀、そして坂本龍馬です。

番組の最後でコメンテーターは「龍馬暗殺 実行犯と黒幕」について、こんなことを言っていました。

龍馬は剣で脳天を割られて絶命したのですが、龍馬ほどの剣の遣い手が、よほどのこと(油断するくらいに近しい仲とか)がなければ、むざむざ脳天を割られるなどということは、ちょっと考えにくい。

刺客が物凄い勢いで階段を駆け上がってきて、障子を開けはなった瞬間に斬りかかってきたとしても、その刺客が至近距離まで迫るまでの刹那、たとえそれがほんのわずかな時間でも、つねに危険に身をさらしてきた龍馬であれば、なんらかの防御(何かをかざすとか)を講じたに違いなく、むざむざ脳天を割られるなどということは考えられないというのです。

そして、この番組では、真犯人は、実は、その夜、龍馬とともに刺客に襲われ重傷(数十箇所の斬り傷があったとか)を負ったとされている中岡慎太郎自身だったのではないかという仮説を立てていました。

これには、いささか驚きました。

親しい間柄だった中岡だからこそ龍馬は油断し、スキを突かれて脳天に斬りかかられたのではないかと。

もちろん龍馬も一撃を受けたあと、とっさに拳銃で応戦したので、銃弾を浴びたであろう中岡のそういう死体が公になれば陰謀も露見しかねないことを恐れた黒幕が、その銃弾の傷を隠すために中岡の死体に後日無数の刀傷をつけたのではないかという仮説です。

そして、この暗殺を陰であやつっていた黒幕というのが、岩倉具視と大久保利通だというのです。

龍馬暗殺の理由は、封建的身分制度をそのまま反映した「大政奉還」などを実現されると、下級公家や下級武士出身の彼らが権力の座につけないどころか追われかねない危機感を感じ、龍馬を暗殺したというのです。

あまりに大胆な仮説なので、驚きながらも面白く見ていたのですが、最後にそのコメンター氏が、この説のネタ本を明かしました。

加治将一の「龍馬の黒幕」(祥伝社文庫)です。

英国の武器商人(フリーメーソン)が銃取引を通じて幕末の混乱に大きく関わっていったというあの仮説ですね。

なるほど、なるほど。

ではさっそく読んでみようかな~と思ったとき、そうそう、「龍馬暗殺説」について、ずっと以前にスクラップしておいた新聞記事があったのを思い出しました。

スクラップ帖を繰ってみて、ありました、ありました。

日付を見ると「2009.12.25 読売新聞」の朝刊とあります。

タイトルは、「龍馬暗殺 実行犯と黒幕」そのままです。

筆者は、「武士の家計簿」を書いた磯田道史で、龍馬を暗殺した実行犯と黒幕を具体的な資料を掲げて理路整然と絞り込むように解き明かしています、きっとその論理の明快さに心惹かれたのだと思います。

実は、現在にあっては、龍馬暗殺の実行犯についてほぼ特定できている、という書き出しでこの記事は始まっています。

それは、傑出した小太刀の遣い手・桂早之助と渡辺吉太郎のふたり、そして、現場で暗殺の指揮をしたのが見廻組頭・佐々木只三郎、いずれも幕府見廻組で、これを証かす有力な資料として掲げられている田中光顕「維新風雲回顧録」では名前の記述に若干の誤りがあるそうですが、暗殺者が「小太刀の遣い手」いうことなら自分も以前、狭い部屋で龍馬を確実に仕留めるためには、どうしても小太刀の卓越した遣い手でなければならず、この暗殺が最初からこうしたことを熟知したうえでの襲撃だったという説は聞いたことがありました。

ただ、ここに名前が出た3人が、いずれも鳥羽伏見の戦いで全員戦死してしまっているために、龍馬の暗殺がさらに謎めいたとも書かれています。

容疑者が全員戦死したために、裏で糸を引いた肝心の黒幕も分からなくなってしまったというわけです。

疑心暗鬼の各藩が、日々猫の目のように変わる情勢のなかであっちにくっついたり寝返ったりして、そうでなくとも各勢力の思惑が複雑に錯綜した幕末ですから、とんでもない説も囁かれたのだそうです。

その幾つかを紹介しています。

もちろん新撰組という説もあったでしょうが、海難事故の賠償金でもめた紀州藩説とか、土佐藩の政治や商取引の主導権を狙っていた後藤象二郎や岩崎弥太郎説、あるいは近年人気のある説として薩摩黒幕説なども紹介しています。

「龍馬が大政奉還の妙案を思いつき徳川家に存続の余地を与えてしまったために、武力倒幕をめざす薩摩は龍馬が邪魔になり、所在情報を見廻組に提供して暗殺させた」という説です。

しかし、磯田氏は、龍馬が武力倒幕の途も棄ててはいなかったことを資料で明かしたてて薩摩黒幕説を否定したうえで、さらに有力な文献を挙げています。

それは、手代木家が私家版として出した「手代木直右衛門伝」(現在は全国に3冊しか残っていないレアものです)、明治37年、岡山において76歳で亡くなった手代木直右衛門勝任は、元会津藩御用人で、京都守護職・松平容保の側近として幕末の政局に深く関わった人物であり、龍馬暗殺の実行犯のひとり、佐々木只三郎の実兄でもあって、彼が死ぬ数日前に、恐るべき事実を告白したと記されているそうなのです。

その部分。

「坂本を殺したるは実弟只三郎なり。
当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して倒幕に一致せしめたるを以って、深く幕府の嫌忌を買ひたり、此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命をうけ、壮士ふたりを率い蛸薬師(通)なる坂本の隠家を襲いこれを斬殺したり」

そして、さらに「諸侯とは誰か」と疑問に迫っています。

「実はふたりほどに絞られる。
見廻組は京都守護職が支配。
指図できる大名は会津藩主松平容保かその実弟松平定敬しかいない。
会津・桑名両藩は大政奉還論も反幕行為とみなしていた。
おそらく手代木と佐々木の兄弟が龍馬の動きを察知。
容保か定敬の承認を得て、天井の低い龍馬の隠家を襲うため、小太刀の名人2人を佐々木が連れて突入。
龍馬の脳天を割ったのではないかと思う。」

なるほど・なるほど、そういうことですか。

いやいや、実に「ため」になりました。

どちらの暗殺黒幕説が真実に近いかは、まだ分かりませんが、しかし、なんですよね、これだけ充実したことが書かれている新聞を、読まずにむざむざ廃棄するなんて考えられますか。

だってそうでしょう、とか言いながら、まあ、呑気にこんなことを書いていられるのも、正月休みならではのことですから、どうぞお気遣い無く。

やれやれ、これでやっとスクラップ一枚を棄てることができますよ。

てか、しかし、あとドンダケ新聞あんだっけかなあ、(と言いながら恐る恐る部屋の隅を振り向き)「ギャー!」と叫ぶわたくしではありました。

お・し・ま・い。
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by sentence2307 | 2014-01-06 22:15 | 映画 | Comments(1)