世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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マリリン 7日間の恋

つい先だって、wowowで「ショウほど素敵な商売はない」とか「紳士は金髪がお好き」、そして「王子と踊子」や「七年目の浮気」といったマリリン・モンローの一連の主演作品が立て続けに放映されていました。

しかし、自分としては、「お熱いのがお好き」を欠いたプログラムなんて、なんだか物足りなくて、まさに肩透かしを食わされた感じで、まったく見る気を失ってしまいました。

他の作品に比べて、なぜことさらにこの「お熱いのがお好き」が凄いかというと、この作品こそビリー・ワイルダーの底知れない演出力を見せ付けた作品だからでしょうか。

財産目当てとはいえ、モンローが、御曹司の性的不能(しかし、実はその設定のいずれもが虚偽なのですが)を回春させるべく、彼女の持てる性技術のすべてを傾注して男を「その気」にさせようという場面、実際の場面では単に男の眼鏡がくもるという意味深で象徴的なシーンだけで表現を止めているのに、想像力の暴走を止められない僕たちの頭の中には、マリリン・モンローとトニー・カーティスが「くんずほぐれつ」のあられもなくエロチックに絡み合う展開の乱交図までがありありと見えてきてしまいます。

それでなくとも、そのままだって十分にお色気の権化のようなあのモンローが、さらに男の欲情を掻き立てるべく性的技巧をいろいろと凝らして仕掛けてくると思うと、そりゃあ誰だってアラヌ妄想を極限まで昂ぶらせてしまうのが人情というものでしょう。

写さないものまで観客に想像の中で見せてしまうビリー・ワイルダーの力量には、心の底から驚嘆します。

でもまあ、「お熱いのがお好き」を欠いたプログラムでも、それなりにはアピールするわけですから、それはそれで衰えを知らないモンローの不滅の人気と実力を証明しているといえるわけでいいのかも・・・、などとそのプログラムを見ながらぼんやり考えていたところ、「いやいや、そういうことではないかもしれない」ということにやっと気がつきました。

その月のプログラムには、同時にサイモン・カーティス監督の「マリリン 7日間の恋」2011が放映されることになっていて、このプログラムは、それに合わせての関連企画だということがすぐに判明しました。

「マリリン 7日間の恋」は、「王子と踊子」の撮影時におけるマリリン・モンローとローレンス・オリヴィエの確執が軽いコメディ・タッチで描かれた作品です。

演技に自信のないモンローと、表面的にはやんわりと紳士的に接しながら、しかし根は厳格で威圧的なオリヴィエの冷ややかな演技指導に圧倒されて怯えるしかないモンローの戸惑いが描かれています。

そういうふたりの遣り取りを好奇の目で見つめる撮影現場の空気にも、英国特有の冷ややかな底意地の悪さとしか受け取れないモンローにはどうしても馴染めず、演技につまるたびに動揺し、不安に押しつぶされそうになって、耐え切れずに約束をすっぽかし、果ては撮影現場から逃げ出すという行為を繰り返します。

そうした情緒不安定なモンローの行動に撮影所のスタッフは散々に振り回され、そしてオリヴィエも撮影予定を乱されて苛立つというストーリーが展開します。

しかし、悪化していくふたりの関係のナダメ役として、監督と女優のあいだを奔走する助監督の卑弱な青年にだけモンローは心を許し、やがて撮影所を抜け出して彼と密かな7日間を過ごして元気を取り戻したモンローは撮影現場に復帰することができて、映画も無事に完成に漕ぎ着けるというストーリーでした。

う~ん、ここで描かれた一連の事実が、たとえそのとおりだったとしても、しかしこれは、助監督が助監督としての仕事を(監督の真意を女優にやんわりと伝え、女優のやる気を起させるという職分を)過不足なく全うしたという当然なことからどれだけ逸脱し、そしてそれが果たして「恋」とまでいえるのかは、いささか疑問とするところです。

逆に「彼女の好意にその気になりすぎて火傷するなよ。モンローは、そうやって男たちを踏み台にしてのし上がってきたしたたかな女だ」と若手プロデューサーは、モンローの好意にのぼせ上がる助監督に釘を刺して、どこまでも女優として生きるモンローの狡さの部分もチラっと仄めかしています。

純愛物語を惑乱させるようなそんな不意打ちの一言があったとしても、この映画に対する自分の物足りなさは、やはり一向に解消されることはありませんでした。

しかし、よく考えてみれば、自分のこの「物足りなさ」は、しごく当然な感想です。

だって「お熱いのがお好き」という作品がたまらなく好きで、また、そういう「お色気モンロー」を肯定しようという自分と、「マリリン 7日間の恋」が描く世界とは、まさに真逆の関係にあるからです。

マリリン・モンローを人間的に捉え直そうというヒューマンなこの作品に、自分が「物足りなさ」や違和感をおぼえるのは当たり前のことなのですが、しかし、問題は「そこ」にはない。

マリリン・モンローの情緒不安定の根が、なにに根ざすのかを、「厳格で威圧的なオリヴィエの冷ややかさ」や「英国特有の冷ややかな底意地の悪さ」に求めたり、あるいは、助監督と過ごした密かな7日間が、モンローをすっかり再生させたとまで結論付けてしまっていいのか、という点にあるからです。

私生児として生まれたノーマ・ジーン・ベイカーは、母親が精神異常を来たして病院の入退院を繰り返したために親から引き離され、12件の里親をたらい回しにされたといわれます。

そして、その間、たらい回しされた先で、幼くして幾度も性的暴力を受けたといわれます。

しかし、そのとき彼女は、「被害者」にすらなれなかったのではないか、という気がします。

というのは、彼女がまず認識したのは、自分が男たちの性欲の対象として充分に通用することに気がつくと同時に、生きるための手段として役立つ肉体の所有者であることを知ったのではないか、そう考えれば男たちが淫らに言い寄って来たとき、むしろ、さらに表情を作って誘ったのではないかという可能性さえ否定できないような気がしてなりません。

やがて16歳で結婚、もし、先入観なしにそれまでの悲惨な彼女の凄惨な半生を読み通すならば、不意に現れるこのおそらく高潔であるべき「結婚」という言葉にさえ、忌まわしい想像をしてしまいます。

生活のため、生きるために意に沿わないSEXを受け入れてきたその内のひとつにすぎないと仮定してみました。

今いる場所、生活の苦境からどのようにしても抜け出したいと切望する彼女にとって、「結婚」もおそらく生きるための手段のひとつにすぎず、彼女にとって「売春」のようにしか観念されることのなかった結婚は、当然のように破綻を繰り返したのだと思います。

彼女の演技が、サー・ローレンス・オリヴィエの演技とどのようにしても噛み合うことのなかったのは、しごく当然といわなければなりません。

喰うために男を寝床に誘うことで覚えた艶めかしい無残なシナが果たして演技といえるのか、そういうふうに生活の必要に迫られて形作られていった彼女のセックスアピールを本当に「作られた虚像」と言い切ってしまってもいいのか。

淫らに微笑む艶然としたマリリンの表情が仮面だとしたら、その下にはどのような表情が隠されているのか、という疑問に捉われました。

伝記によれば、精神病院に入院した母グラディスに会いにモンローは病院に母親を訪ねたといいます。

決して楽な人生を送ったわけではない気のふれた母にマリリンがどのような表情を見せて接したのか、女優の仮面を脱いだどのような「表情」で母親と対したのか、それはスクリーンでは決して見せなかった薄幸な少女ノーマ・ジーン・ベイカーの本当の「顔」だったかもしれません。

(2011英米)監督サイモン・カーティス、脚本エイドリアン・ホッジス、原作コリン・クラーク、撮影ベン・スミサード、編集アダム・レヒト、製作デヴィッド・パーフィット、ハーヴェイ・ワインスタイン、製作総指揮ボブ・ワインスタイン、音楽コンラッド・ポープ、主題歌アレクサンドル・デスプラ
出演ミシェル・ウィリアムス、ケネス・プラナー、エディ・レッドメイン、ドミニク・クーパー、ジュリア・オーモンド、ゾーイ・ワナメイカー、ダグレイ・スコット、エマ・ワトソン、ジュディ・デンチ、トビー・ジョーンズ、デレク・ジャコビ、フィリップ・ジャクソン

主な受賞・ゴールデングローブ賞:主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)(ミシェル・ウィリアムズ)、ボストン映画批評家協会賞:主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)、シカゴ映画批評家協会賞:主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)、オクラホマ映画批評家協会賞:主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)、ワシントンD.C.映画批評家協会賞:主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)、インディペンデント・スピリット賞:主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
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by sentence2307 | 2014-06-22 11:07 | 映画 | Comments(3)