世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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<   2014年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

女性の罠

くまさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。

せっかくお尋ねいただいた「女性の罠」ですが、当方に知識もなく、お答えのしようもないので、
念のためにネットで検索してみましたが、
やはり、「あらすじ」どころか、わずかな情報もアップされている様子はありません。
ただ、
「キネマ旬報」712号(昭和15.4.1)に作品紹介記事が掲載されているようなので、
目次をコピペしておきますね。
古書店とか、復刻版などで確認できればいいのですが。
(★印が、その記事みたいです。)

表紙 / ロザリンド・ラッセル/p1~1
・ 時報/p3~4
・ 旬報グラフィック/p5~8
・ 「ゴールデン・ボーイ」合評 / 筈見恒夫 ; 内田岐三雄 ; 淸水千代太/p15~17
・ 旬報餘滴 / 滋野辰彦/p19~19
・ 海外通信 ニユーヨーク / 滋野辰彥/p21~22
・ 海外通信 ハリウッド / 淸水千代太/p22~22
・ 海外通信 ドイツ / 靑山敏美/p25~25
・ 海外通信 イギリス / 眞木潤/p25~26
・ 海外通信 フランス / 内田岐三雄/p26~26
・ 主要文化映畫紹介・批評/p32~32
・ 文化映畫界彙報/p33~33
・ 短篇映畫/p34~34
・ 日本映畫紹介 そよ風父と共に/p41~41
・ 日本映畫紹介 姉の出征/p41~41
・ 日本映畫紹介 豪傑人形/p41~42
・ 日本映畫紹介 銀翼の乙女/p42~42
・ ★日本映畫紹介 女性の罠/p42~42
・ 日本映畫紹介 都會の新裝/p42~43
・ 日本映畫紹介 南蠻祕法箋/p43~43
・ 日本映畫紹介 晴れ姿/p43~43
・ 日本映畫紹介 私はお孃樣/p43~44
・ 日本映畫紹介 からくり女人峠/p44~44
・ 日本映畫紹介 人情ぐるま/p44~44
・ 日本映畫紹介 登龍武者人形/p44~44
・ 日本映畫紹介 蛇姫狂亂/p44~44
・ 日本映畫批評 絹代の初戀 / 水町靑磁/p50~50
・ 日本映畫批評 與三郎吹雪/p50~50
・ 日本映畫批評 妻の場合 / 滋野辰彥/p50~50
・ 日本映畫批評 大地に咲く/p50~50
・ 日本映畫批評 四季の夢 / 村上忠久/p51~51
・ 日本映畫批評 武道太平記/p51~51
・ 日本映畫批評 名月赤城山 / 村上忠久/p51~51
・ 日本映畫批評 女は泣かず / 村上忠久/p51~51
・ 日本映畫批評 名君行狀記 / 村上忠久/p51~52
・ 日本映畫批評 猛襲小天狗/p52~52
・ 日本映畫批評 仇討戀人形 / 村上忠久/p52~52
・ 日本映畫批評 シベリヤお菊/p52~52
・ 日本映畫批評 奉納長脇差/p52~52
・ 日本映畫批評 僕の花嫁/p52~52
・ 日本映畫批評 お轉婆社長 / 山本幸太郞/p52~52
・ 日本映畫批評 螢の光窓の雪/p52~52
・ 日本映畫批評 龍騎地雷火組/p52~52
・ 撮影所通信/p59~60
・ 映畫館景况調査 東京 / 池田照勝/p65~67
・ 映畫館景况調査 大阪 / 村上忠久/p67~68
・ 映畫館景况調査 名古屋 / 殿島蒼人/p67~68


(1940日活多摩川)監督脚色原作・清瀬英次郎、撮影・山崎安一郎
出演・中田弘二(槙哲平)、風見章子(妹慶子)、上代勇吉(大崎健造)、日暮里子(娘芙美子)、橘公子(娘千恵子)、江原良子(豊田まゆみ)、斎藤紫香(藤沢)、見明凡太郎(鳥本)、若原初子(富子)、

製作=日活(多摩川撮影所) 1940.04.18 富士館 7巻 白黒
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by sentence2307 | 2014-07-30 23:27 | 映画 | Comments(0)

陸軍

映画「はじまりのみち」は、木下恵介と兄・敏三が、空襲の激しくなった浜松市内に住み続けることが困難になったため、半身不随の母親をリヤカーに乗せて、山奥の村に疎開(避難)するというエピソードを描いた、いわばロードムービーです。

浜松市で2件の店舗を経営していた木下一家は、ぎりぎりまで疎開するのを躊躇していたのですが、度重なるB29の波状攻撃により全市が火の海となり(昭和20.6.18だけで)1000人を超す市民が焼死、1万6000戸におよぶ家屋が焼き払われて、木下家の経営していた店舗「尾張屋」も消失するという事態に立ち至り、ついに疎開を決意します。

直接の動機は激化する空襲ですが、まことしやかに囁かれた噂では、「大空襲のあとに、いよいよ米軍が上陸してきて、日本人の男たちは去勢されたうえで銃殺され、婦女子は強姦されて妾にされる」との噂が囁かれたこともあったかもしれません。

情報をまるっきり断たれた極限状態にある人間が、抑えがたい恐怖心から妄想を暴走させパニック状態に陥ったとしても、敗戦が色濃くなった戦時下では無理からぬことだったかもしれません。

しかし、それにしても「半身不随の母親をリヤカーに乗せて山奥に疎開する」、距離にしていえば50キロ~60キロという、とんでもない距離(熾烈な峠越えだってあります)を歩きとおすというこのエピソードを聞いたとき、正直すこし奇異に感じました。

戦時下とはいえ、もっとほかになにか適当な移動手段がなかったのか、母親をリヤカーに乗せ、歩かなくてもよさそうなものじゃないか、という気持ちです。

なんでそこまで、わざわざ自分から苦しい手段を選ぶ必要があるのか、そこのところがどうしても理解できず、これではまるで自虐行為ではないか、としか思えなかったからでした。

もちろん時は激烈な戦時下にあったわけですから、安直な「交通手段」の模索など、当時の状況をまるっきり理解しない愚かな疑問といわれればそれまでなのですが、しかし、それでも「奇異」な感じが払拭できなかったのは、そこに「半身不随の母親」が絡んでいるからだと思います。

しかし、すぐに、そこには木下恵介が母親に対して、単に愛情だけでない、なにか贖罪感のようなものを抱えていたからではないか、という疑いを抱きました。「贖罪」と「自虐」とは、とても親しく寄り添いあう関連概念です。

木下恵介年譜には、「陸軍」が封切り上映される昭和19年12月7日のちょうど一週間前に、木下恵介の身の回りの世話をするため上京していた母・たまが、東京蒲田の家で夜間の空襲に遭遇し、驚愕と恐怖のあまり脳溢血で倒れたと記されています。

自分の世話のために浜松から上京してくれた母が、空襲のショックで倒れ半身不随の体になったことについて、木下恵介は、心から詫び、深く後悔したに違いありません。

「はじまりのみち」において、忘れられないシーンとして記憶される、豪雨の中をやっとのことで峠越えしてたどり着いた宿屋の店先で、木下恵介が、母の顔についた泥のはねをゆっくりと拭い取る美しいシーンには、彼の優しさばかりでなく、木下恵介のもっと違う種類の感情がひそんでいることをなんとなく感じ取ったのは、きっとこのことだったのだと思いました。

映画「陸軍」が、軍部・情報局にとって、あまり芳しい作品でなかったことは事実でしょうが、不評なりにも検閲がとおり、「陸軍報道部委嘱作品」と「陸軍省後援」という輝かしい推薦の金文字を得て上映が許可されたことは、間違いありません。

まがりなりにも現代の僕たちがこの作品を完全な形で鑑賞できるということは、検閲を通過した事実を示しているわけです。

しかし、上映してから、田中絹代の母親が行進中の息子のすぐそばまで駆け寄り、戦地でも、どうか無事でいてと縋り付きながら願うシーンについて、上映当時、軍関係者から、
「なんびとであろうと(母親でさえも)、行進中の軍の隊列を外部のものが乱すことなどということは絶対に有り得ない。こういう作品に許可を与えるとは、検閲官は、なにをしておったか。日本の軍隊でこんなことが許されるはずがないではないか」
などという、情報局の手落ちを厳しく指弾罵倒する声があったとかいう資料を読むと、こうした不評や批判や痛罵も、結局はすべて上映後の出来事であったことが分かります。

だから、こうしたどのような批判も「陸軍」という作品自体には、なんら影響を与えるものではなかったと考えていいわけで、むしろ、影響があったとすれば、次作に撮る予定だった国策映画「神風特別攻撃隊」の企画が、情報局によって反対され、撮れなくなったということの方であって、木下恵介は、そちらの方の企画中止に憤慨して大船撮影所に辞表を叩きつけて郷里・浜松に引っ込んだというのが事実らしいのです。

情報局が、なぜ「陸軍」のラストシーンをパスさせてしまったのかというと、当局としては通すことについて、確かに釈然としないものがあったのだが、木下恵介の力強い演出力に圧倒され許可してしまったというのが通説として伝えられているのですが、その後(上映後)に、好戦的な市民(つまり、ほとんどすべての市民です)から「女々しすぎる」や「あんなのは、英米の母親だ」などの批判が湧き起こり、「陸軍」をパスさせてしまった軍部は、当初感じた「釈然としない思い」が正しかったことに遅ればせながら気が付き、また木下恵介の抜群の演出力に圧倒されて許可を与えてしまった悔しさもあって、次作の国策映画「神風特別攻撃隊」の演出から木下恵介をはずしたとされています。

いまの僕たちは、木下恵介というと、すぐにガチガチの「反戦」とかゴリゴリの「厭戦」のヒューマニストをすぐにイメージしがちですが、ここにいる木下恵介青年は、国策映画「神風特別攻撃隊」を撮れなくなって腐りきり、撮影所に辞表を叩き付けて郷里に引っ込むという、実に可愛げのある愛国青年だったわけですね。

しかし、この「陸軍」のラストシーンの田中絹代の熱演を繰り返し賛美するうちに、「本当にそうなのか」という気持ちに捉われてきました。

もし、田中絹代の周囲を取り巻く民衆の熱狂がなければ、あの熱演が、存在し得ただろうかという思いです。

息子を見失うまいと必死で追う母親を阻み、こづき、押し倒しそうになる熱狂する民衆と、顔を輝かせながら堂々と行進する若き出征兵士たちがいなければ、たぶん田中絹代の演技もあれほどの切迫感を出せたかどうか疑問です。

最初、自分は、これだけの群集を撮影のために用意することなど不可能なこととアタマから考えていました。

つまり、何かの記念行事で行われた実際の兵士たちの行進風景と、実際に集まった群衆の中に木下恵介は田中絹代をひとり紛れ込ませ、出征する息子を送る母親役を演じさせ望遠とかで撮ったからこそ、ドキュメンタリー映画のようなあれだけの臨場感がだせたのではないかと思っていました。

行進する兵士や熱狂する市民の群れは、まさに現実そのものの生々しさと迫力が感じられます、作り物にはどうしても見えませんでした。

しかし、そこにすぐにある考えが覆いかぶさってきました。
そうか、この作品は、陸軍報道部委嘱作品であり、「大松竹の演技陣技術陣の總力を結集、社運を賭してこの豪壮雄大なる劇映画の完成に邁進、一億国民の陸軍精神把握に些か寄與せんとす。」とぶち上げた陸軍省後援作品だったのだから、軍部のメンツに掛けて軍隊や愛国婦人会をエキストラとして幾らでも動員することくらいのことは、なんということもなかっただろうし、「切迫した臨場感」とか「熱狂する民衆」などといっても、むしろそれが、民衆にとって当時のあるがままの日常そのものだったわけなのだから、そういう人たちを軍部の後ろだてを得て、木下恵介は、思うがままに動かすことができたのに違いありません。

そんなあるとき、長部日出雄の「天才監督 木下恵介」を読んでいたら、こんな一節に遭遇しました。

「なにしろ、「陸軍省後援」というお墨付きだから、撮影は、福岡の中心の大通りを完全に交通止めにし、西部軍司令部と市内の大日本国防婦人会や国民学校の全面的な協力の下に行われた。
広い通りの両側を、びっしりと埋めた何千人もの人垣が、日の丸の小旗を打ち振って、熱狂的な歓呼の声を送るなか、整然と隊伍を組んだ出征兵士の列が、果てが知れないほど長く連なって行進してくるのを、ビルの上から俯瞰して撮った画面のスケールの壮大さには、誰もが感嘆せずにおられなかった。
軍隊も含めて何千人もの人間が、木下恵介の思い通りに動くのだ。
クライマックスは、行進する隊列の中の息子と、それを負って走る母親の姿を、延々とカットバックで捉える長い移動撮影である。
移動車に乗せられたキャメラの位置と、レンズの種類を細かく切り替えて、テストと本番が繰り返されるたびに、気合が入った恵介の鋭い指示の声が飛ぶ。
見送る側にとっても、見送られる側にとっても、それは次第に映画の撮影ではなく、現実そのものとなった。国民学校の生徒を含めて、人垣を作った老若男女は、心の底から声を振り絞って「バンザイ」「バンザイ」と叫び、撮影隊もまた感激して仕事を忘れ、テストのときはみんな本気になってそれに唱和した。
恵介もこのとき、確固とした反戦や厭戦の意識はなかったろう。戦場に向かう兵士と、見送る母親の双方の心情を描こうとして「映画の申し子」としての全能力と全感覚を夢中になって発揮したことが、「好戦」とか「反戦」といった一言で割り切ったり決め付けたりすることの出来ない、時代を超越していつまでも生き残る珠玉のシーンを誕生させたに違いない。」

なるほど、なるほど、そういうことだったわけですか。

だからこそ、迫力ある行進や、臨場感あふれる熱狂だって思う存分だせたのであって、出征する息子をおくる母親・田中絹代の殊更な悲しみの名演も一層輝きを増したというというわけですよね。

木下恵介だって、「陸軍」をそういう「官製」の映画であることを十分に意識したうえで、あのラストシーンを撮ったと考えるのが、むしろ自然です。

だから、なにもあのラストシーンに彼があえて「反戦」を込めたとは到底考えにくい。

むしろ「なにを勘違いしているのだ、誤解するのもいい加減にしろ」と憤ったのではないかとさえ感じられます。

雄雄しく行進する出征兵士たちの意気顕揚さも事実なら、民衆の歓呼の声だってきっとそうであるように、その中に「どこの母親が、息子に死んでこいなんていうものか」という思いで無事を念じて見送る母親の思いも、すべてひと繋がりのものとして、あの見送りのラストシーンに同時に存在した、そのどれが欠けても成立しなかった木下恵介のリアリズムだったのであり、木下恵介の国策映画そのものだったのだと思います。

長部日出雄の「天才監督 木下恵介」には、「陸軍」のラストシーンについてこんな後日談が記されていました。

「映画の行進場面に、エキストラとして出演したのは、西部46部隊113連隊の827人。
福岡、佐賀、長崎の北九州3県から、南方軍要員として召集された補充兵で、ほとんどが妻子もちであった。・・・
補充兵ばかりの113連隊は、撮影から1ヵ月後、10月19日の深夜、こんどはひとりの見送り者もいないなか、博多駅まで映画と同じ道を行進し、門司港から南方に向かった。
上陸したマニラで、連隊は二手に分かれ、レイテ島に向かった一隊は、そこで玉砕し、マニラ近郊で戦闘に加わった一隊は、敗走をつづけてルソン島の山奥に入り、飢えとマラリアでつぎつぎに斃れ、祖国に帰還できたのは数十人しかいなかった。」

(1944松竹・大船撮影所)監督・木下惠介、脚本・池田忠雄、原作・火野葦平、製作・安田健一郎、撮影・武富善男、美術・本木勇、録音・小尾幸魚、後援・陸軍省
出演・笠智衆(高木友助、高木友彦)、信千代(友助の妻)、三津田健(息子友之丞)、横山準(友之丞の少年時代)、杉村春子(セツ)、山崎敏夫(友彦の少年時代)、田中絹代(わか)、星野和正(息子伸太郎)、上原謙(仁科大尉)、東野英治郎(桜木常三郎)、長浜藤夫(藤田謙朴)、細川俊夫(林中尉)、佐分利信(機関銃隊長)、佐野周二(金子軍曹)、原保美(竹内喜左衛門)、

公開1944.12.07 白系 10巻 2,392m 87分 白黒
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by sentence2307 | 2014-07-26 19:03 | 映画 | Comments(0)

はじまりのみち

映画を見るとき、どうしても「キネマ旬報ベストテン」というヤツをチラ見してしまいます。

なにしろ、日本で活躍している主だった映画批評家たちが選出するという権威と歴史を兼ね備えた国内最強の総決算ランキングなのですから、「あくまでも参考」というだけでも見ない手はありません。

2013年度の「邦画選出採点表」(2014年2月下旬決算特別号)には、62人もの批評家が名を連ねているのですが、しかし、よく考えてみれば、好みも考え方もまったく異なる個々の先生方が選出したそれぞれのベストテンを、無理やりくっつけて羅列しただけの「総意」(微妙な印象を驚くべき10点法に換算・加算して整然と均してしまおうというのですから、思えばそれだけでもずいぶんと強引な発想です)に、いったいどれほどの信憑性があるかというと、やはりそこには疑問と不安をおぼえないわけではありませんが、「採点表」に掲げられた「はじまりのみち」の「15位」という中途半端な位置づけ・順位には、ちょっと意外な感じを受けました。

たぶんこれが「91位」なら(「草原の椅子」がそうです)いっそすがすがしく、まあこの程度の作品なら当然そうなるかなと納得もできるのでしょうし、憐憫とか同情とか、あるいは慈愛の気持ちとかも持ち易く、その不当な順位を追求するなどというダイソレタ邪心に捉われることもなかっただろうし、むしろ心の平安も得られたりするのですが、しかしそれが「15位」となると、そうはいきません、納得するためにはとても微妙な順位で、なぜベストテンに届かなかったのだという思いに捉われ、あるいは詮索したくなるという興味深い順位なのかもしれません。

10位にランクされた「フラッシュバックメモリーズ 3D」の集計点が90点、その間に4本の映画をおいて、81点の「はじまりのみち」が15位に位置づけられています。

ちなみに、その間にある4本というのは11位「フィギアなあなた」88点、12位「甘い鞭」86点、13位「地獄でなぜ悪い」86点、14位「横道世之介」83点です。

もっとも、10位の「フラッシュバックメモリーズ 3D」が、たとえ14位の「横道世之介」に入れ替わったとしても自分には一向に違和感はありませんが、やはり、ランクというものが、批評家たちの「総意」だとしても、突き詰めればその内実の曖昧さから簡単に空中分解して崩壊すべきもので、あくまでも個人的な好みという地肌がむき出しになってしまうものなのかもしれません。

なので、なにもそう目くじらを立てるほどのこともないかという気持ちが、一方には確かにあります。

ちなみに自分など、邪道かもしれませんが、この「採点表」を活用するときは、自分と似通った映画の見方をする批評家数名だけの採点を参考にしているくらいで、しかしまあ、それはまた別な話ということで、その辺のことはまたの機会に書きたいと思っています。

兎に角ベストテン内に滑り込みさえすれば、「キネマ旬報」誌の決算号には詳細なデータが添えられたうえ大きなスチール写真が掲載されるなど破格の扱いを受けて、その後にはメディアにも頻繁に取り上げられたりして、そのタイトルの露出度たるや相当なものがあるのに引き換え、「15位」となると、どうしても「届かなかった感」ばかりが先立って、残念さも伴って印象の悪さは殊更に際立ち、むしろそのことだけで汚点に近いダメージとなって後の世に伝承されてしまうのではないかという危惧が残るくらいです。

この「採点表」を眺めながら、たった2点差だったとはいえ、「はじまりのみち」が「横道世之介」に届かなかった(極言です)理由とはいったいなんだったのだろうと考えてみました。

いま「採点表」が必ずしも絶対ではないと前置きしておきながら、その舌の根の乾かぬうちに、こんなふうに言うのも、なんだかずいぶんと矛盾する無茶苦茶な話だということは十分に承知していますが、巨匠・木下恵介を敬愛する者のひとりとして、その辺りの感想を少し書いてみたいと思い立ちました。

「横道世之介」はとても不思議な作品です。

かつてのある時期、確かにそうやって浮かれ回って生きていた身としては、軽薄で醜い自身の姿を見せ付けられるようで、苦々しさも痛さも感じました。

世之介もそうですが(自分はあんなに善良ではありません)と彼を取り巻く周辺の者たち、そのちまちまとした姑息さと虚勢と狡猾さのどれもが思い当たることばかり、これでもかと見せつけられる痛切な描写が延々と続く映画の前半部の独特の嫌みったらしい軽みには耐え難いものがありました、恥ずかしさを通り越してただ嫌悪感をもよおすばかりで、いい加減見ることをさっさと放棄しても一向に差し支えなかったくらいで、自分にはどれも過去の嫌な思い出につながるものばかりだったのに、よくぞ我慢して見通した、よくぞ中断しなかったと、むしろ自分の辛抱強さを褒めてあげたいくらいで、その忍耐力を試すような、ただひたすら残酷で明るいだけの前半部分にはかなり辟易しました。

しかし、その前半部分の「浮かれ」の明るさが、世之介の突然の喪失(死)と不在によって、そのまま不意に「哀悼と回想」に織り込まれて、シーンの数々が観客の気持ちの中に在りし日の甘美だった残像となって思い返され、それが明るく甘美であればあるほど胸詰まる懐旧の念と痛切につながってしまう哀悼の思いと同質の、まさに故人をしのぶときに感じる「実にいい人だった」と思い返すあの経験を辿りなおすという、まさに「映画体験」がそのまま個人をしのぶ追想の思いそのもののプロセスが、映像の流れをたどるのと同じ道筋であることに気づかせてくれたのでした。

喪失のなかで回想するしかない今は亡き人は、思い出の中ではただ明るさばかりに彩られていて、そしてその明るさこそ取り返しの付かない悲しみの残酷な色であることを僕たち観客に気づかせたのだと思います(もちろん吉高由里子の名演もあげなければなりません)。

これはまさに「映像のマジック」ともいえるもので、これまで、自分は映画を見続けてきて、こうした映画体験は、初めての経験だったような気がしました。

さて、「はじまりのみち」ですが、かつて自分は、木下恵介作品「陸軍」をあまり評価できないという小文を書いた記憶があります。

「陸軍」のラストにおいて、田中絹代の母親が、息子の出征する姿に両手を合わせて無事を祈るというシーンが、国民の戦意高揚に水を指し、国策映画としても相当でないと軍部に批判されたことについて、むしろ自分はそのとき、軍部の方こそ、この場面を過剰に解釈した買い被りだったのではないかと論じたかもしれません。

「はじまりのみち」のなかでも木下恵介は、「どこの母親が、息子に死んでこいなんていうものか」とこのラストシーンについて激昂しながら言及する場面がありました。

そうそう、「二十四の瞳」には、大石先生が、生徒たちに「兵士になって死ぬことに疑問をもつ」と発言したことを校長から咎められ、戦時下の教育(戦場に送るため、死なせるために子どもたちに教育をほどこすということ)に嫌気がさして、教員を辞職するという場面もありました。

このふたつの場面について、ついつい比較してしまうことがあります、戦時下と戦争直後における黒澤明の対応です。

木下恵介の「陸軍」に相応する黒澤明の作品といえば「一番美しく」があげられるでしょうし、戦争直後の木下作品「大曾根家の朝」や「わが恋いせし乙女」に相応するものは「わが青春に悔いなし」でしょうか。

このいずれの黒澤作品も、(軍国主義であろうと民主主義であろうと)一生懸命な「国策映画」といえるものだったと思います。

上記の一文で強調されるべき語句があるとすれば、それは「軍国主義」でもなく「民主主義」でもなく、もちろん「国策映画」などでもなく、「一生懸命」の一語につきます。

黒澤明が、ぼくたちに残した偉大な遺産は、「一生懸命」映画に取り組む姿勢そのものにあったはずです。

映画は、それだけの価値があるということを教えてくれたのだと思います。

しかし、逆に言えば、面白くさえあれば、「軍国主義」だろうと「民主主義」だろうと「国策映画」だろうと何でも構わないのかという意地の悪い手痛いしっぺ返しに見舞われ、問い詰められ、たじたじとなった黒澤明が、まさか「一生懸命」という子供じみた直截な弁解もできないまま、中途半端な捨て台詞を吐くような言い訳をすることによって、かえって誤解も軋轢も生じてしまった幾つもの場面を思い起こします。

しかし、「一番美しく」を見たとき、自分には黒澤のその真意(映画を作れるという喜びも含めて、目の前の「状況」に必死に取り組むということ)を理解できたように感じました。

ですので、もし、黒澤明が「二十四の瞳」を撮ったとしたら、前記の大石先生が、生徒への発言を校長に咎められて辞職するという場面は、たぶん在り得なかったに違いないとずっと感じてきました。

黒澤明の大石先生なら、なにがあろうと教育現場にとどまり、自分の無力に絶望し、戦死の報に涙をながしながらも(「わが青春に悔いなし」の原節子が村八分に遭遇しながら、村人の理解を得られるまで泥だらけになりながら必死に農作業を頑張ったように)どこまでも子供たちに寄り添い、懸命に生徒たちを見守り、どこまでもともに歩み続けたに違いないと考えてきました。

「どこの母親が、息子に死んでこいなんていうものか」と吐き棄てる木下恵介の激昂よりもむしろ、戦局の絶望的な悪化のただ中で、平然と「自分の息子」の生存のために手を合わせて祈ることのできる母親のエゴイズムに対して、苛立ちをつのらせる軍部・情報局の気持ちの方をなんだか理解できてしまう自分は、やはりちょっと「木下恵介の情感」を理解する資質に欠けているのかもしれません。

木下恵介自身、国策映画というものの在り方が理解できず、自分の息子の安否だけを気遣うような映画を撮っておいて、当然軍部・情報局から批判され、次の企画、国策映画「神風特別攻撃隊」から降ろされたのは、それが「国策映画」である以上当然ともいえる措置であったのに、まるでそれを逆恨みするかのように、直接にはなんの関係もありそうにない会社に辞表を叩き付けるというまったく筋違いで、かなり幼稚な八つ当たり行為に対し、城戸四郎がどういう反応を示したのか、たぶん苦笑せざるを得なかったのではないかと感じてきました。

もし、次回作として予定されていた国策映画「神風特別攻撃隊」を木下恵介が撮ったとしたら、そのラストシーンにおいてもまた、手を合わす母親に今度はなんと祈らせるつもりだったのか、特攻隊員に対して「どこの母親が、息子に死んでこいなんていうものか」などという見当違いな女々しいセリフをまたも用意していたのではないのか、などと意地悪く考えてもきました。

しかし、誰もが死ぬことに弱音を吐けなかったそういう総ヒステリーの時代にあって、女々しくあり続けることもまたひとつの「勇気」かもしれないし、実はそういう優柔不断さこそが、暴走する時代の歯止めとなるものなのかもしれないと、不意にこの「はじまりのみち」を見ながら、思ったりもしました。

黒澤明の潔さは理解できても、木下恵介の女々しさはまだまだ理解できそうもないので、この「15位」というランクをどう納得すればいいのか、あるいはどう反発すべきなのか、いまだ決断できないでいる自分ではありますが。

(2013松竹)監督脚本・原恵一、プロデューサー・石塚慶生、新垣弘隆、撮影・池内義浩、美術・西村貴志、音楽・富貴晴美、照明・原由巳、録音・鈴木肇、編集・橘樹陽児、装飾・佐原敦史、スクリプター・小関ひろみ、脚本協力・丸尾みほ、音楽プロデューサー・小野寺重之、助監督・石川勝己、製作担当・田中智明、ラインプロデューサー・阿部智大、制作プロダクション・松竹撮影所東京スタジオ、制作協力・松竹映像センター、特別協賛・ヤマハサウンドシステム、協力・静岡県浜松市、製作・「はじまりのみち」製作委員会(松竹、衛星劇場、サンライズ、静岡新聞社)、上映時間96分
出演・加瀬亮(木下惠介、正吉)、田中裕子(木下たま)、濱田岳(便利屋)、ユースケ・サンタマリア(木下敏三)、斉木しげる(木下周吉)、光石研(庄平)、濱田マリ(こまん)、山下リオ(木下作代)、藤村聖子(木下芳子)、仁山貴恵(木下光子)、松岡茉優(やゑ子)、相楽樹(義子)、大杉漣(城戸四郎)、宮崎あおい(学校の先生、ナレーター)
第5回TAMA映画賞特別賞、第87回キネマ旬報ベストテン助演女優賞・田中裕子、読者選出日本映画ベスト・テン第10位、
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by sentence2307 | 2014-07-20 20:54 | 映画 | Comments(0)

銀心中

以前はよく出版各社が競って「世界文学全集」や「日本文学全集」という長大な企画を、時間をかけて地道に出版していた時期がありました。

思えば、ずいぶん贅沢で余裕のあった時代だったのだなとつくづく思います。

世界文学全集にしろ、日本文学全集にしろ、それこそ何十巻という、企業にすれば完結するまで何年もの長い時間を要して、それだけのリスクも抱えるわけで、その期間中、刊行部数をいかに保てるか、毎月1冊か2冊の配本ペースで刊行されるその配本開始時には、夏目漱石とか芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、太宰治など超人気作家を連ねて一般読者にアピールし、購買意欲を掻き立て、そのまま成果の見える時期はいいとしても、ネームバリューのあまりない作家の部数の落ち込みをいかに抑えられるか(ならしたときの収支)という工夫に各社の企画力が試されたのだと思います。

しかし、シロウト考えですが、いかに読書好きとはいえ、誰もが「現代日本文学」の(マイナーな)名作までもすべて読み倒したいと思うかという疑問はあります。

誰にも「作家の好み」というものがあって、自分にとって「取っ付きにくい作家」や「苦手な作家」をも、あえて「読まなければならない」と考えたり、自分に課したりするだろうか、偏屈に陥りがちの読書人(自分です)にはちょっと在り得ないことのように思ったからでした。

思春期の青少年ならともかく、捻くれるだけ捻くれて年を重ねてしまった大人が「折角こんな名作があるのに、まだ読んでいないなんて、もったいないヨ」とかなんとか示唆されても、興味のない新しい分野に今更あえて挑戦するなんことはとても考えられないし、その必要などまるっきり感じていませんでした。

誰もが自分の好きな小説だけを読み、それで自分の時間を大いに楽しみ、満足を得られればそれでいい、読書とは、あくまでもそういった「個人的」で嗜好的なものなのだから、それをあえて「文学全集」を全巻所有するなどという発想自体が「読書好き」とは無縁の、つまり百科事典や英会話セットを全巻揃えたいと思う気持ちと大差ない「一応の教養とかハクをつけるためだけ」みたいな俗悪で不純な欲求のような気がしてならず、そういう理由で自分はいままで「現代日本文学全集」などというタグイのものは、一切買わないと決めてきました。

そしていまでも、「全巻揃える」ということに対する忌避の気持ちには変わりはないのですが、しかし、この信条のために「こんな名作があるのに、まだ読めてない」という、自分から作ってしまった垣根を越えられない負い目は感じていました。

近所に小さな古本屋があって、通勤の行き帰りに、店頭に設置されている廉価本(全品100円です)の棚をのぞく習慣がいつの間にか身についてしまいました。

店の中に入ることは滅多にありません。

その店頭の廉価本の棚には必ずといっていいほど、昭和40年代に各社が盛んに出版した「現代日本文学全集」各種が並んでおり、いまさら芥川龍之介や太宰治でもないか(全集の刊行開始時に大量に刷った超人気作家たちです)と思いながら、昭和45年前後に中央公論社から出版されたブルーの箱入り装丁の「日本の文学」(「文学全集」のなかでも結構なベストセラーだったと思います)の幾冊かのなかに、「井上友一郎・田宮虎彦・木山捷平集」を見つけ、へ~え、木山捷平とはね、と思わず手に取りました、しかも、そこには「大陸の細道」が収載されているではないですか。とても懐かしい気持ちで、反射的に購入してしまいました。

「大陸の細道」は、とても愛すべき小品で、抑えた優しい語り口がいつまでも心に残っている作品です。

そして今回も、その快いかつての思い出だけを求めるようにして思わず購入してしまった感じでした。

余談ですが、それから少しあとになって、本棚の奥に、講談社文芸文庫版の「大陸の細道」も見つけてしまいました。

自分はずっと、その「こころよさ」だけを呼び起こすために、こんなふうに、「思い出」に出会うたびに買い求めずにはいられなくなり、読了後も捨てきれないまま本棚の奥に留めておいて、そのことをすっかり忘れた頃に、ふたたび「思い出」に出会い買い求めずにはいられないということを繰り返し同じ書名の本を何冊も溜め込んできたのかもしれません。

しかしそれは、自分にとっては、決していやなことではありませんでしたが。

さて、古書店から購入したその本「井上友一郎・田宮虎彦・木山捷平集」は、三人集なので、当然ほかの作家のものを読むことになります。

田宮虎彦の「足摺岬」は、吉村公三郎監督作品として、いままで幾度も鑑賞しているので、実際にこの小説を読んだことがないとしても(記憶は、はっきりしませんが)、その強烈な暗鬱さが読み見始める切っ掛けを阻み、「足摺岬」と、その脚本段階で加味されたという「菊坂」および「絵本」だけは、真っ先に読もうという気が起こりませんでした。

仕方なく、タイトルだけは聞いたことのある「銀心中(しろがねしんじゅう)」から、まずは読み始めました。

戦中から戦後にかけてのお話しです、東京で理髪店を営む夫婦(喜一と佐喜枝)のもとに、郷里の甥(珠太郎)が理髪師修行のために上京して同居します。

そのうちに夫・喜一に召集令状が届き、留守を託された甥・珠太郎も、すぐに召集されることになるのですが、夫のいない僅かの期間に、妻・佐喜枝と甥・珠太郎のあいだに微妙な感情が芽生えます。

明日は甥・珠太郎が入隊するという夜、妻・佐喜枝は感情の昂ぶりを抑えながら寝床に横臥しています、甥・珠太郎は思いを告白できないもどかしさの中で悶々としながら、息を潜めて別れの夜をやりすごします。

戦地に甥を送り出したあと、妻・佐喜枝は夫の戦死を知らされます。

戦争が終わり、女ひとりで生きることの屈辱的に耐えていたとき、甥が不意に戦地から戻ってきて、ふたりは激しく燃えあがり、そして結ばれますが、苦労してやっと新たな店を構え、ようやく仕事も軌道に乗りはじめたとき、戦死と聞かされていた夫・喜一が突然帰ってきます。

すぐに甥は姿を消しますが、事情を知った夫は、ふたりのすべてを許したうえで「よく話し合おう」というばかりです、いっそ激怒して殴る蹴るで離婚となれば、まだしも甥と結ばれる途が開けるのに、妻と離れることのできない夫・喜一のその優しさ(煮え切らなさでもあります)が、喜一の恩を裏切れない甥・珠太郎を逡巡させ、追いすがる妻・佐喜枝を遠ざけ、拒否し、さらに彼女から逃げることしかできない切迫感に彼を追い詰めます。

甥にしてみれば、夫が死んだと聞かされていたからこそ妻・佐喜枝と結ばれることを決心したのであって、もし夫が生きていることを知っていたら、最初からこの関係は在り得なかったと珠太郎は思い悩み、そもそも自分には、恩ある喜一に対して「背信」を犯すなどという大それた意図など毛頭なかったのだと(自分こそ騙されたのだという思いで)、追いすがる妻・佐喜枝を拒み続けたのかもしれません。

まるで「三竦み」のこの膠着状態の打開策は、やはりラストの「心中」以外になかったのだろうか、と小説を読んだ後、しばらく考えていたところ、なんと、自分の録画ストックのなかに、この「銀心中」があるじゃないですか。

録画したこと自体すっかり忘れていましたが、さっそく映画を見てみました。

なるほど、なるほど、映画では、この「ラストの心中」部分が大きく改変されていたので、少し驚きました。

原作の小説では、佐喜枝が行方不明になった翌朝、崖下の川辺で佐喜枝の死体と、その亡骸に覆いかぶさるように死んでいる源作が見つかります。

佐喜枝は、手首を切ったあと崖から身を投げたらしく、それから4、5時間後に源作が死んだことが判明します。

珠太郎から「東京へ帰れ」と拒否された佐喜枝が絶望して崖から身を投げたのを源作が知り、「理由は分からないが、」おそらく同情からあと追い心中をしたものらしいと、小説はその最後を結んでいます。

(実は、理由というのは、小説の中で、源作が自身の身の上を佐喜枝に語る部分で説明されていて、代々農奴のように差別されてきた自分を分け隔てなく接してくれたのは軍隊で上官だった少尉と佐喜枝さん、あんただけだったと語り掛ける部分があります。)

珠太郎は「東京へ帰れ」と佐喜枝に怒鳴り雪の中を立ち去ったきり、小説のなかでは、もはや出番を作らなかったのは、この小説を作者は、失恋による単なる心中ものとしたくなかったからかもしれません。

しかし、映画においては、佐喜枝の死体が発見されたのとは別の場所で、珠太郎もまた死体となって発見されるという設定になっています。

この別々の場所で命を断った2人に対して、佐喜枝の死体を抱え挙げる源作が、「なぜ、一緒に死ななかったんだ?」とその亡骸に問いかけていますが、しかし、これは観客の疑問を先取りしてしまっただけの、実に空虚に響く不手際な問い掛けでしかありません。

このひとことは、果たして、セリフとして本当に有効なものだったろうかという思いから、どうしても自分は自由になれませんでした。

佐喜枝に「東京へ帰れ」と怒鳴りつけ、吹雪の中を立ち去った珠太郎が、その足で死地に赴いたとは、どうしても考えられない。

もし佐喜枝が彼の死を追って時間差心中をしたというなら、少なくとも珠太郎の死体を確認してからでなければ、辻褄は合いません。

珠太郎にとっては、佐喜枝の思いを受け入れることは、恩ある喜一を傷つけることと同じことである以上、彼はもう佐喜枝に一歩も近づくことができないという身動きできない状況に追い込まれているはずであり、「もういい加減に俺のことを追い掛けずに、さっさと亭主の元に帰れよ」という言葉に込められているものこそ、むしろ珠太郎自身が生きる余地を別の場所に求めたいと願っているからだと思えてならないのです。

ウィキでは、原作者・田宮虎彦の最期をこんなふうに紹介しています。

「1988年1月に脳梗塞で倒れ日産玉川病院にて療養、右半身不随になり、同年4月9日午前9時15分頃、同居人である旧友の子息の不在中に東京都港区北青山2丁目のマンション11階ベランダから投身自殺する。脳梗塞が再発し手がしびれて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。享年77。墓所は多磨霊園にある。」

奇しくも、佐喜枝と同じ投身自殺だったと記されていました。

(1956日活)監督脚本・新藤兼人、原作・田宮虎彦、製作・山田典吾、糸屋寿雄、撮影・伊藤武夫、音楽・伊福部昭、美術・丸茂孝、録音・中村敏夫、照明・吉田協佐
出演・乙羽信子(佐喜枝、梅子)、長門裕之(珠太郎)、宇野重吉(喜一)、殿山泰司(源作)、河野秋武(芳造)、堀込さなえ(芳造の子供)、利根はる恵(さく)、北林谷栄(信代)、細川ちか子(おかみ)、相馬幸子(清水屋の女中)、下條正巳(町内会長)、久松晃(隣組長)、菅井一郎(栗本)、小夜福子(栗本の女房)、島田文子(見習いの少女)、野口一雄(小僧)、千代京二(職人)、田中筆子(白猿旅館の下女)、若原初子(白猿旅館の女中)、清水一郎(伊東の店の主人)、近藤宏(伊東の店の職人)、河上信夫(しろがねの警官)、小田切みき(めしやの女)、浜村純(栗本理髪店の客)、下元勉(喜一の店の客)、安部徹(職人風の客)、山田禅二(うどん屋の客)、三鈴恵以子(うどん屋の客:)、新井麗子(温泉旅館の女中)、
1956.02.05 10巻 2,723m 1時間39分 白黒スタンダード
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by sentence2307 | 2014-07-13 20:18 | 映画 | Comments(0)

川島雄三の性典映画

5月に出版された「監督 川島雄三 松竹時代」を読んでいたら、とても面白い箇所に遭遇したので、そのことをちょっと書いてみますね。

この「監督 川島雄三 松竹時代」という本を出版したのは、ワイズ出版という会社。映画本とか芸能関係の出版では、これまでかなりの実績のある会社で、ちょっといい仕事をしてきた印象のある出版社です。

ちなみにこの会社からどんな本が出ているかというと、ウィキによれば、
『石井輝男映画魂』(1991年、石井輝男/福間健二共著)
『つげ義春漫画術』全2巻(1993年、つげ義春、権藤晋共著)
『日本カルト映画全集』全10巻(1995年-1996年)
『市川崑の映画たち』(1994年、市川崑、森遊机共著)
『完本 市川雷蔵』(1999年、山根貞男・編)
『三島由紀夫映画論集成』(1999年、三島由紀夫著)
『4区』(2000年、森山大道)
『日本映画ポスター集』全27冊(2000年-2003年)
『不死蝶 岸田森』(2000年、小幡貴一、小幡友貴共著)
『残りの花』(2000年、中居裕恭)
『松本清張 映像の世界 霧にかけた夢』(2001年、林悦子著)
『沢島忠全仕事』(2001年、澤島忠著)
『映画監督 深作欣二』(2003年、深作欣二、山根貞男共著)
『映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法』(2006年、澤井信一郎、鈴木一誌共著)
『清/順/映/画』(2006年、鈴木清順述、磯田勉、轟夕起夫編)
『特技監督 中野昭慶』(2007年、中野昭慶、染谷勝樹共著)
『東京ゼンリツセンガン』(2009年、荒木経惟)
『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』(2010年、山田宏一著)
『ワイズ出版映画文庫』※2012年創刊
『よみがえる歌声 昭和歌謡黄金時代』(2012年、林家たけ平著)
となっていて、書名を見ただけでもなんだか歴史の重みを感じますよね。

さて、当の川島雄三ですが、とてもムラッ気のある監督で、なにしろ傑作と駄作の出来がはっきりしており、なかでも最初に監督になった松竹時代というのは、「駄作」の量産期だったというのが定説になっているくらいの低迷期で、あえて「そこ」に焦点をあてようというのですから、この出版、そりゃあもう冒険というか、営業の面からいえば無謀な無茶振り企画というしかなく(編者が「カワシマクラブ」とかいって、どうもこの企画、マニアック集団「川島教」信者の一方的なオダに乗せられて作ってしまったとしか思えない危うさがあります)、どうシロート眼から見ても、川島雄三が松竹を出たあとの1955年以降、他社で撮った傑作群を外してしまっては、現在たとえ微かなブームの再来が囁かれているとはいえ、あえてこうした奇を衒う隙間狙いの「川島」本というのが果たして一般読者に受け入れられるのか、いや、こういう核心を意識的にはずしたマニア好みの本にそもそも市場価値というものがあるのかという問題だってあり得ます。

つまり、川島雄三を語るときに、はたして「洲崎パラダイス 赤信号」(1956日活)や「幕末太陽伝」(1957日活)、それに「貸間あり」(1959宝塚映画)や「花影」(1960東京映画、個人的にはとても好きな作品です)、「雁の寺」(1962大映東京)、「青べか物語」(1962東京映画)、「しとやかな獣」(1962大映東京)をはずしてしまって(「奇を衒う」ことだけに拘り)川島雄三の「才気」を語ろうとしても、それは所詮無理な話なわけで、どれだけ突っ込んだものが書けるか大いに疑問とするところです。

とにかく、そういう川島雄三の後年の「華」の部分を切り捨てて、ことさらに修行時代の「粗製」期に「奇」を探してみても、そりゃあ下手すると、まさに隔靴搔痒「禅問答」みたいなコケ方をしかねない危惧を抱いてこの本を読み始めました。

松竹大船時代の若き川島雄三は、「プログラム・ピクチャー」の担い手として期待されながらも、しかし撮る作品ごとに酷評されては干され、そしてしばらく撮れない冷や飯期をすごしたあと、やっと撮った作品も再び酷評されて干されるということを繰り返しています。

そういう、とても「困難」な時期にあった「松竹大船」時代です。

そりゃあ、後年の川島雄三だって一筋縄でいくような単純で素直な人とは決していえなかったし、そういう意味では、撮る作品をひとつひとつ論じていけば、その作品評の積み上げの彼方に監督のユカシイ人間性が現出するなんて生易しい生き方をした簡単明瞭な人物ではなかったでしょうが、しかし、1955年以降の他社時代に撮られた作品群に共通しているのは、迫り来る死の影に怯えながら、あるいは開き直って、「限られた時間」の虚無とあがらいながら対峙した焦燥感によって、語り口が研ぎ澄まされ先鋭化していく一種の生真面目さ(演出の緻密さとねばり強さが伺われます)があらわになる過程が恕実に見える印象があります。

まあ、そのことを証明するなんて随分オコガマシイ話かもしれませんが、参考のために、世に言う川島雄三の「ベスト10」というのを挙げてみますね。

これを見れば、川島雄三が「先鋭化」した時期を欠いた「低迷期」だけを振りかざして川島雄三論に挑むことが、いかに無謀で空しいことかが分かろうというものです。

ちょうどいい具合に、この本に収載されている立川志らくの評文「松竹大船時代からの作品から見た川島雄三作品の本質」(読むほうが気恥ずかしくなるような大層なタイトルですが、論点は要するに「喜劇を作ろうとしたら、芸術になってしまった」のひとことで要約できてしまうような小銭稼ぎの駄文です)の中に「川島雄三ベスト10」というのがありましたので、引用させていただこうと思います。

以下が、その立川志らくのあげた「川島雄三ベスト10」です。

1位 洲崎パラダイス 赤信号(1956日活)
2位 グラマ島の誘惑(1959東京映画)
3位 とんかつ大将(1952松竹大船)
4位 人も歩けば(1960東京映画)
5位 しとやかな獣(1962大映東京)
6位 幕末太陽伝(1957日活)
7位 貸間あり(1959宝塚映画)
8位 青べか物語(1962東京映画)
9位 喜劇とんかつ一代(1963東京映画)
10位 雁の寺(1962大映東京)

う~ん、これってどうなんでしょう。肌合いがまったく異なる「洲崎パラダイス 赤信号」と「グラマ島の誘惑」をイコールで並べようとする無神経には、ちょっとついていけないものがあります。

ふたつの作品のなかにいささかでも共通するものがあるとは思えない「シリアス」と「破茶目茶」の両極端に位置する作品です、こういうのって、なにを根拠に引き比べて「甲」としたり「乙」とすることができるのか、などと訝しく思いながら眺めていたら、突然気がついたことがありました。

これってただ単に「硬・軟」を意識的に取り混ぜながら、世評とかも意識しつつ、マニアの受けも狙った、なんとも情けない予定調和の公式的折衷案満載ベスト10にすぎないのではないか、このなかに「いったい、あんたの意見は、あるのかよ」といいたくなるようなグズグズのベスト10だということにはじめて気がついたのでした。

でも、こういうベスト10だからこそ、「参考」になるのかもしれないのでしょうが、しかし、またまた、知らなくてもいいような世間知に長けた世渡り上手なヤカラの変な法則性を発見してしまった嫌な感じです。

知識をひけらかし読者をいたずらに攪乱しようとでも考えているのなら、その心根の卑しさは最初からバレバレで、目的を達したとは到底いえません。

ああいやだいやだ、しかしまあ、こういう図図しい人でなければ、落語もできないくせにインテリぶって偉そうに構え落語家でございなんてほざきたおしてえらそうなツラしていられるもんじゃありません、やれやれ、すごく疲れる。

「洲崎パラダイス 赤信号」と「グラマ島の誘惑」を並べ、あるいは「しとやかな獣」と「幕末太陽伝」とを並べ、また、「喜劇とんかつ一代」と「雁の寺」をあえて並べてみせるところなど、《並べる》こと自体に拘っただけの随分見え透いた虚栄心があからさまで、なんてことない総花的ベスト10にすぎませんでした。

「洲崎パラダイス 赤信号」に対して「グラマ島の誘惑」のどこが「2位」なのか、2作品をこうして並べるからには、それ相当の価値基準くらいは明らかに示して欲しいと思いますよね。

さて、この小文のタイトル「川島雄三の性典映画」からどんどん離れてしまうそうなので、あわてて所期のテーマに戻りますね。

この本の中に収録されている評文のなかでひときわ注目した文章がありました。

アロ・ユエカルダ(肩書きは「映画評論家」と書かれていますが、イザヤ・ベンダサンの例もあるので、要注意です)という人の書いた「風俗と風刺の間」、サブタイトルには「性典映画と川島雄三をめぐって」とあります。

この評文には大変に示唆を受けました。

川島雄三と性典映画との出会いとして「娘はかく抗議する」(1952松竹京都)と「純潔革命」(1953松竹京都)の2作品を上げ、性典映画が隆盛した1950年から1952年にかけての時代状況を論じており、川島雄三が、時代の流行をどう付け焼刃的に対そうとしたのか、たいへん面白く書かれていました。

なかで思わずクスッとさせる出色の一文があったので、ちょっと抜書きしておきますね。

《性典映画は性と教育を組み合わせようとした不思議な劇映画のジャンルだった。
松竹は文部省に「娘はかく抗議する」の教育映画指定を訴えたということさえあったらしいが、「性教育のあり方が不明瞭で、青少年には不向きである」と断られた。
もちろん、性典映画はほとんどの場合、性を売り物にしただけのもので、それは製作者にも観客にも明らかだったのである。
表向きに性道徳を訴えるエロ映画のジャンルという最初から極めて人工的に作られた現象だったとも言える。
評判も決してよくはなく、こういう作品は教育的にも映画的にも駄目という意見が一般的だった。》

突っ込みどころは幾つかありますが、まずなんといっても文部省に教育映画の指定を申請したという部分でしょう。

文部省が却下したのは当たり前だとしても、その前にその申請が本気で為されたものだったのかという疑問が残ります。

想像するに、たぶん至極本気だったと思います。

美少女たちの太ももをチラつかせ、ふくらみ掛けた息づく胸を見せつけ、あるいは少女たちの純潔を汚そうと迫る欲情した男たちの、毒牙を必死で避ける苦悶にゆがむ表情をとらえて、そういうものを散々見せ付けておいて(観客の欲情をさんざん煽っておいて)、最後にただひとこと「こういうフシダラナコトは、なりませぬよ」と申し訳程度に教訓をたれて収束するこのエロ映画が、それでも「性教育映画」だと信じて作り、そう言い張るのなら、見解の違いというものがあるくらいなのですから、あるいはそういうこともあるかもしれません。

しかし、つづいて上野一郎(当時の映画批評家らしいです)が、川島作品「娘はかく抗議する」を評した映画批評が掲載されていました。

「主人公の純潔が守られたかどうか、その診察の結果が劇の大きなポイントになっているが、もうこのへんに至るとあまりにも浅ましくて見るに耐えなくなる。
まじめ腐ってそんなことを議論している映画中の人物が、みな精神異常者に見えてくる。要するに、性教育問題を取り上げるにふさわしい準備も誠意もない映画で、こういう映画を見るとスクリーンの純潔を守れと叫びたくなる。」(キネマ旬報1952.8上旬号)

べつに太鼓もちみたいな批評家など期待しているわけではありませんが、少なくとも批評家はなべて「作り手の理解」に身を寄せる優しさみたいなものがあってもいいかなと、この批評を読んで感じました。

ここでこそ必要なのは、「洲崎パラダイス 赤信号」を評する立位置ではなく、まさに「グラマ島の誘惑」を理解しようという「作り手の理解」の共感が求められていたのではないかと感じた次第です。


【参考資料】
監督川島雄三松竹時代 カワシマクラブ 編. ワイズ出版, 2014.5.
阿川佐和子のこの人に会いたい. 9 阿川佐和子 著. 文藝春秋, 2013.12.文春文庫
鬼の詩/生きいそぎの記 : 藤本義一傑作選. 河出書房新社,2013.4.河出文庫
幕末太陽傳 田中 啓一. 川島 雄三. 今村 昌平 2012.1.
阿川佐和子のこの人に会いたい(第902回)撮影所の化粧部屋で、川島(雄三)組と黒澤(明)組が一緒になったことがあってね……。 俳優 小沢昭一 阿川 佐和子. 小沢 昭一2011.12.8
[石原裕次郎ゴールデン・トレジャー~日活映画大全~] [2]石原裕次郎 [出演].日活,[2009.7]
「風俗映画」と「現在」のモビリティー--川島雄三と風景の変わり目 小倉 史2006.3.特集・映画のモビリティー
赤信号 洲崎パラダイス 芝木好子 原作 ; 井手俊郎, 寺田信義 脚本 ; 川島雄三 監督.日活,2006.3.
飢える魂 完全版 丹羽文雄 原作 ; 柳沢類寿 脚本 ; 川島雄三 監督・脚本.日活,2006.5.
銀座二十四帖 井上友一郎 原作 ; 柳沢類寿 脚本 ; 川島雄三 監督.日活,2006.3.
風船 大仏次郎 原作 ; 今村昌平 脚本 ; 川島雄三 監督・脚本.日活,2006.3.
わが町 織田作之助 原作 ; 八住利雄 脚本 ; 川島雄三 監督.日活,2006.5.
愛のお荷物 柳沢類寿 脚本 ; 川島雄三 監督・脚本 ; 山村聰 [ほか]出演.日活,2005.10.
あした来る人 井上靖 原作 ; 菊島隆三 脚本 ; 川島雄三 監督.日活,2005.10.
お嬢さん社長 Hibari memorial ’53富田義朗, 柳沢類寿 脚本 ; 川島雄三 監督 ; 美空ひばり [ほか出演].松竹ビデオ事業室,[2005.2]美空ひばりメモリアルDVD - Box ; 2
貸間あり 井伏鱒二 原作 ; 藤本義一 脚本 ; 川島雄三 監督・脚本.東宝,2005.11.東宝セレクション
暖簾 山崎豊子 原作 ; 八住利雄 脚本 ; 川島雄三 監督・脚本.東宝,2005.11.東宝セレクション
幕末太陽傳 -- コレクターズ・エディション.田中啓一, 今村昌平 脚本 ; 川島雄三 監督・脚本 ; フランキー堺 [ほか]出演.日活,2005.10.
名作映画の周辺(第4回世田谷フィルムフェティバルより) 山内久--映画「豚と軍艦」他を巡って--川島雄三、今村昌平、浦山桐郎監督らとの仕事 山内 久. 水野 晴郎2003.3.
幕末太陽傳 川島雄三 監督・脚本. 日活 (発売),2002.11.
川島雄三と水谷龍二  太田 和彦2001.9.特集 喜劇の向う側
川島雄三 乱調の美学 高平 哲郎 2001.4.下旬特別企画 映画館主義 絶対映画館で観る!
川島雄三、サヨナラだけが人生だ 藤本義一 著.河出書房新社,2001.1.
川島雄三乱調の美学 磯田勉 編.ワイズ出版,2001.4.
花に嵐の映画もあるぞ 川島雄三 著.河出書房新社,2001.7.
柳よ笑わせておくれ 川島雄三, 柳沢類寿 [著].河出書房新社,2001.9.
私の映画回想録-40-川島雄三監督との対立 舟橋 和郎1995.08.
今村昌平,川島雄三作品を語る 今村 昌平. 桂 千穂. 阿部 嘉昭 構成1993.06.15没後30年--川島雄三はサヨナラを言わない<特集>〔含 ビデオグラフィ〕
川島=村井は始源の映画的想像力を覚醒させる--大映時代の川島作品のカットを分析する 筒井 武文1993.06.15没後30年--川島雄三はサヨナラを言わない<特集>〔含 ビデオグラフィ〕
没後30年--川島雄三はサヨナラを言わない<特集>〔含 ビデオグラフィ〕1993.06.15
Kawashima Yūzō & Mori Issei : Japanse meesters van de B-film = Kawashima Yūzō & Mori Issei : Japanese kings of the Bs / [redactie, Hasumi Shigehiko].Film Festival Rotterdam :c1991.Tijger reeks ; 6
居直り太陽伝 塚本 邦雄1989.03.監督川島雄三<特集>
宴会の外--川島雄三の尿意 筏丸 けいこ1989.03.監督川島雄三<特集>
織田作之助の手紙--事実は小説よりも奇?(「東京」昭和23年1月号より再録)織田 作之助 著. 川島 雄三1989.03.監督川島雄三<特集>
囲われた空間--「しとやかな獣」へのオマージュ 高橋 康也1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三を再評価する--その空間造形と距離感覚 加藤 幹郎1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三監督論のための観察ノート 白井 佳夫1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三関連年表 1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三関連文献目録 田中 真澄 編 1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三と喜劇(「中央公論」誌昭和38年7月号より収録)川島 雄三. 岩崎 昶. 草壁 久四郎1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三と戦った日々と工夫の数々 フランキー堺1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三のマジック 内藤 誠1989.03.監督川島雄三<特集>
川島雄三フィルモグラフィー1944-1963 1989.03.監督川島雄三<特集>監督川島雄三<特集>1989.03.
ざっくばらんな話(「キネマ旬報」誌,昭和26年6月下旬号より収録)川島 雄三 他1989.03.監督川島雄三<特集>
師匠・川島雄三を語る--屈折した水面下の明るい光 藤本 義一 1989.03.監督川島雄三<特集>
「失敗」への嗜好 絓 秀実 1989.03. 監督川島雄三<特集>
私的風景のなかの川島雄三 池内 紀1989.03.監督川島雄三<特集>
羞恥心の風俗映画 蜷川 幸雄1989.03.監督川島雄三<特集>
大映作品の川島監督 湯浅 憲明1989.03.監督川島雄三<特集>
ダブルベッドとルノワール--場違いのしとやかな亀裂 松浦 寿輝1989.03.監督川島雄三<特集>
蕩尽の映画,蕩尽の人生そして既成への異議申し立て 西河 克己. 山根 貞男1989.03.監督川島雄三<特集>
何より残念なのは早く死んでくれたということです--川島雄三との仕事,その時代 岡崎 宏三. 稲川 方人1989.03.監督川島雄三<特集>
役者冥利!と乗せられた川島流演出法 小沢 昭一1989.03.監督川島雄三<特集>
<歴史>を目撃する--「幕末太陽伝」のメカニズム 梅本 洋一1989.03.監督川島雄三<特集>
わがあこがれの不健康優良児 岡本 喜八1989.03.監督川島雄三<特集>
悲劇の喜劇映画監督・川島雄三 : 1918(大正七年)~1963(昭和三十八年) 木村東市 著.ジーワン・ブックス,1988.6.
Kawashima club : 鬼才!監督川島雄三の魅力 編集委員会,1985.4.
川島雄三と加藤泰 佐伯 知紀1983.08. 映画の文学誌 ; 映像感覚と文学的感覚
芸術と風土--川島雄三の生涯を軸として池田 博1980.
ミューズの蹠 : 川島雄三の生と死映画監督川島雄三を偲ぶ会 編.映画監督川島雄三を偲ぶ会,1980.6.
かわしま・ゆうぞう考-3-我らが師匠・川島雄三監督の魅力的人間像をさぐる-1-藤本 義一. 小沢 昭一1977.01.01
かわしま・ゆうぞう考-4-我らが師匠・川島雄三監督の魅力的人間像をさぐる-2-藤本 義一. 小沢 昭一1977.01.15
川島雄三について語るには時間が何時間あっても足りない!(かわしま・ゆうぞう考-2-)殿山 泰司. 藤本 義一. 白井 佳夫1975.04.15
川島雄三という映画監督は我々にとって何であったのか?(かわしま・ゆうぞう考) 長部 日出雄. 藤本 義一. 白井 佳夫1975.01.15
サヨナラだけが人生だ : 映画監督川島雄三の一生 今村昌平 編.ノーベル書房,1969.
川島雄三と喜劇--映画・人と作品-4- 川島 雄三 他1963.07.
川島雄三論・作品の見かた 小川 徹1963.02.
年鑑代表シナリオ集. 1957年版 シナリオ作家協会 編.三笠書房,1958.
風鉛 川島 雄三 他1956.01.
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by sentence2307 | 2014-07-05 15:49 | 映画 | Comments(1)