世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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黒田如水

先日、たまたま吉川英治の「黒田如水」(新潮文庫1333、昭和55.1刊)を本棚の隅で見つけたので、早速、手にとって一気に読んでしまいました。

普段、読む本の選択などあれこれ考えることもなく、手近にある本を端から手当たり次第に読みまくっているという状態なので、明確なモチベーションのもとで系列的・計画的・意識的に読むなどということは、滅多にありません。

これはむかし、学生時代に散々強制させられた「系列的・計画的・必要的」な読書というものへの嫌悪感の反動が、この行き当たりばったりの適当な読書習慣を支えているのかもしれませんが、興味もなにもないつまらない学習参考書を何十冊も読み続けることを強いられていたとき、気持ちは常に、「冒険小説」を一日中うんざりするほど耽読したいという熱望と憧れの側にありました。

しかし、じきに、このせっかくの「自由気まま・行き当たりばったり」の拘りの読書も、度が過ぎれば、やはりただの「強制」でしかなく、それが惰性にでも蝕まれれば、結局、あとにはなにも残らない惨憺たるただの「乱読」でしかないことに気が付きました。

そこで、読書には「切っ掛け」みたいなものが、時には必要なのだなあということを、やっと気が付いた次第です。

今回、吉川英治の「黒田如水」を読もうと思ったのも、やはり、現在NHKで大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されているからですが、以前なら、ドラマの原作本を読むなどというのは、ただの「俗悪」としか思えず、自分では絶対しないことのひとつでした。

しかし、おびただしい本の洪水のなかに溺れかかり、個々の本の読む切っ掛けというものを掴めないで迷い切っていた以前の自分にとって、たとえ大河ドラマが切っ掛けだとしても、ひとつの「絶好のチャンス」と捉えることができるということは、生活習慣の驚異的な変化、長足の進歩といえるものでした。

そして、もうひとつあります、自分にとって吉川英治の文体の読みにくさを相性の悪さと感じてしまい、なかなか馴染めず、ですので、吉川英治の文庫本だけはどうしても敬遠してしまいがちで、いつのまにか棚の隅にまとめて押しやられる運命にあったみたいです。

現在、NHKで大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されていなければ、きっとこの悪習慣や悪印象を払拭できなかったでしょうし、この本を、こんなふうに読むなどということも有り得なかったことだったかもしれません。

この吉川英治「黒田如水」を読みながら、少し気になったことがあったので、覚え書程度に書き留めておこうと思います。

小説「黒田如水」の内容の大筋は、放送されている大河ドラマ「軍師官兵衛」とほぼ同じですが、書かれている時点は天正9年まで、実に「本能寺の変」が起こる直前でこの小説は終わっています。

最初は、なんだか官兵衛の生涯のもっとも面白い部分、肝心なところが書かれないまま突然断ち切られてしまったような奇異な印象を受けました。

解説(木村毅)によれば、官兵衛のその後の生涯は、吉川英治の代表作「新書太閤記」に書き継がれるため、この小説「黒田如水」は、いわば本編に対するサイド・ストーリーの役割を持たされた小説だったと書かれています。あるいは、副産物みたいなものだったのかもしれません。

しかし、「本能寺の変」があって、秀吉の中国大返しがあり、そこから秀吉の晴れがましい天下取りが見えてくるという、官兵衛の「権謀術数」の結果がひとつひとつ確実に見えてくる、小説としても最も面白い佳境の部分で、突然断ち切られてしまったような違和感を覚えていました。

しかし、また、こんなふうにも考えました。

印象として、この大河ドラマで扱われる題材として、「幕末もの」と並んで「戦国時代もの」が多いように感じます。

なかでも、信長や家康よりも、秀吉を扱ったドラマが、遥かに多かったと思います。

明晰ではあっても残虐陰惨な信長とか、忍従狡猾の暗い印象の家康よりも、人を逸らさず知略に長けた秀吉の方が、人間的な開けっぴろげさと人間関係の広がり方から見ても、飛びぬけてドラマにしやすかったのだと思います。

いまでも、緒方拳の演じた「太閤記」は、それ以後の秀吉ものの数々のドラマを遥かにしのぐ強烈な記憶として自分の中に残っています。

ただ、あのドラマにしても、「本能寺の変」以後、トップの信長を失い、同時に「No.2」の座からトップに立たなければならなくなったために疑心暗鬼に囚われていくその恐慌ぶりは、所詮彼がトップの器の人間ではなかったことを証明していますし、その後の迷走ぶりは、あの信長さえもしのぐ陰惨な残虐さは目を覆うばかりです。

それに当の官兵衛に対してさえ、秀吉の疑心暗鬼の外に身を置いて安んじたわけではないことを考えれば、やはり「秀吉の生涯」をドラマ的に面白いのは、彼が「No.2」の座で活躍したところまでで、征夷大将軍にまで登り詰めた後、次第に官兵衛の明晰な知略が疎ましくなり、むしろ疑いの目をさえ向け始めた秀吉のそうしたことをすべて考え合わせると、この吉川英治の小説「黒田如水」の本能寺の変を直前にしての不意の中断は、それなりに十分理由のあったことで、もしかしたらこの中断こそ「正解」だったかもしれないと思えてきたくらいでした。

本文中、どうしても読み捨てにできなかった箇所があったので、心覚えにすこし抜書きしておきたいと思います。

それは、官兵衛が荒木村重に囚われて幽閉されてしまう箇所、「官兵衛捕わる」の報を聞いた信長は、知恵者らしからぬ官兵衛の失態をにわかには信じられず、むしろ密かに村重と謀って自分に謀反を企てた狂言に違いないと疑い、激怒して人質にとっていた官兵衛の息子・松千代の首を刎ねてしまえと命ずる場面です。

黒田家の当主・官兵衛が敵・村重に捕らわれたうえ、一方、味方であるはずの信長が黒田家の忠誠を疑ったうえに、後継ぎ・松千代の命までも断てと厳命している苦しい板挟みの状況下にあって、それでも黒田家は織田につくのか、官兵衛救出のためにいっそ毛利につくべきなのではないかと、黒田家にとっては、とても難しい選択を迫られています。

主だった家臣を含めた一族郎党が、いずれの選択をなすべきかと苦慮しているさなか、官兵衛の父・黒田宗圓は、厳然と言い放ちます。

「官兵衛を捨てるのみじゃ。
なぜといえば官兵衛は、主命をおびて、伊丹城へ赴き、村重が卑劣なる奸計に陥ちて幽囚されたもの。
正邪は歴々、天下の衆目、誰か彼を曲として憎まぬものがあろうや。
もし、わが子官兵衛が獄中に殺さるるとも、それ君命に殉ずるは武士の本分。
宗圓とてなに悔やもうぞ。
・・・それに恋々小情の迷いにとらわれ、いまもしわが姫路の一党が、信長公と結べる一たんのちかいを破棄し、義に背き信を捨て去らんか、たとえふたたび官兵衛がこれへ生きて還ろうとも、われらの上に武門の名もなし誇りもなしじゃ。
ただ辱を負うて武人の中に禄を拾うて生くるにすぎず、人と生まれさむらいの道に立ち、何の生きがいやあるべき。
・・・迷うまでもないことよ。
官兵衛は見殺しにせい、きっぱり思い捨てて策を立てい」

一座の迷いを一喝し吹き払ってしまうようなこの説得力に満ちた明快な爽快さの向こう側に、戦況悪化のなか、鹿児島の飛行場から飛び立っていった特攻隊員の親たちが、御国のために子の命を差し出す理不尽をみずからに納得させるため繰り返し呟き、殉じようとした「大義」を、この格調高い一文のなかに自分は嗅ぎ取ってしまったのかもしれません。

小説「黒田如水」は、1943年(昭和18年)1月~8月にわたって「週刊朝日」に連載された小説です。
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by sentence2307 | 2014-08-30 15:21 | 映画 | Comments(0)

旅役者

少し前、成瀬作品「杏っ子」を手ひどくこき下ろしてしまった後味の悪さだけがいつまでも尾を引き、疚しさが執拗に体にまとわり付いて、そこからなかなか抜け出せずにいます。

なんだ、そんなことかと思われるかもしれませんが、成瀬作品をこよなく愛する自分にとっては、これは少なからざるダメージです。

だいたい、いままで自分は成瀬作品を貶したということがありません。

「杏っ子」の小文の冒頭にも書いてありますが、成瀬作品の感想を書くときは常に「まず、褒める」という姿勢で臨んでいます。

しかし、これはなにも「悪い」を「良い」とするわけではなくて、「まあまあ良い方」を「すごく良い」、あるいはいまどきの言葉にすれば「メッチャイイ」とするだけで(だいたい評論などというものは「身贔屓」から出発するのは当然なことで、そもそも批評のツボというのは、自分のコダワリを正当化するという、まさに「偏見の掘り下げ」にほかなりません)、とにかく褒め倒し一辺倒でいままでやってきて、かつて成瀬作品を貶した経験など皆無です。

なので、たとえ「杏っ子」が本当にイマイチ作品だったとしても、あんなふうに口汚く罵ってしまったあとの鬱々した自分の気持ちの持っていきように戸惑い、自業自得とはいえ副作用のような罪の意識に見舞われ苦しんでいるというのが現状です。

たぶん、場の勢いに乗って悪口を言い募る気持ちの良さに酔いしれてしまい、口を滑らせ、必要以上に余計な悪感情を盛り込み過ぎたせいで、疚しさの黒い芽を同時に大きく育ててしまったのかもしれません。

つまり、「杏っ子」という映画が、事実どう形容詞を駆使しても、せいぜいその程度の作品だったのですから、それをそのまま正直にいってみたまでのことで、究極的には自分に非はないとしても、やはり無謀な発言後の心のケアは必要です。

そう言えば、だいたいいつもそうなのですが、知名度が高くて、内容がそれに伴わないイマイチ作品に出会うと反射的発作的にムカムカと苛立ち、激昂にかられて逆上し、とめどなく毒舌が噴出するという心のメカニズムが自分にあるみたいなので(明らかにそれは病的なもので、思えばこれで失敗したことが幾度かありました)、これも性分なので致し方ないものと半分は諦めています。

たぶん甘やかし放題にした放蕩息子(性分)のツケに直面したダメ親爺(自分)みたいなお手上げの心境に近いものがあるかもしれません。

しかし、この嫌な心の状態だけは、なんとか納め所を見つけておかなければなりません、このまま放っておくわけにはいかない。

そこで思いついたことがありました、(自分だけがそう思っているだけかもしれませんが)ここはいちばん、成瀬巳喜男の「隠れた名作」を賞賛しまくって、心のバランスをとるというのはどうでしょう。

これはいい、すごくいいじゃないですか。

そこで「旅役者」を褒め倒すことに決めました、「旅役者」という作品が、ストーリーが進展していくにつれて、次第に現実を突き破ってしまうような底知れないシュールなパワーを持っていて、そこのところに圧倒された記憶と印象の割には、作品自体の知名度がイマイチ低く(自分がそう思っているだけかもしれませんが)、なんだか不当に冷遇されすぎているような、自分的には「成瀬巳喜男の隠れた名作」と思っている作品です。

この作品は数ヶ月ほど前にインターネットで見たばかりなので(それが初見でした)、その印象たるや、いまもって滅茶苦茶リアルで決して古びたりなどしていませんし、過大評価とか過小評価かの心配も一切無用です。

あの「杏っ子」は、成瀬巳喜男にとって、「めし」から始まり「浮雲」に至るまでの怒涛のような「名作」量産時代のピークを越えたころの、そろそろ失速の気配を見せはじめた下降期にある作品と捉えている自分にとって、それを見たときの印象は、成瀬演出らしからぬ余裕のなさと、無駄なチカラが入りすぎた人物の感情表現も雑で繊細さを欠き、それがいっそう観客の登場人物たちへの理解と共感を阻み、物語の最後まで同調できない苛立ちを感じさせた、なんだか嫌な緊張感(いまにして思えば、それがピークを過ぎた成瀬の焦燥感の現われだったのかもしれません)に終始した映画だったなあという印象でした。

たぶんそれは「山の音」1954において同じ父親役を演じた山村聡を定点観察的に比較すれば、容易に察しがつくことかもしれません。

大作家が、生活力のない作家志望の無能男と結婚した娘を、自分の社会的地位を利用し、あらゆる手管を駆使して、亭主から引きはがし、その貧窮した生活から娘を救い出すという(当然、その後の無能男への配慮など、いささかの仄めかしもありません)、考えようによっては、我儘娘の思慮を欠いた結婚から端を発した、なんとも一方的な身内贔屓と身勝手な内輪話というだけで、それだけで十分、観客の共感を得られそうもない条件が揃ってしまった映画といえたと思います。

そのことを考えると「旅役者」の評価には破格のものがあります、ネットでちょっと「評判」を検索してみれば、「どう褒めるか」の違いはありますが、ひたすら賞賛を浴びせかけるといっていい言葉で溢れかえっています。

また、自分の周囲の誰彼に聞いてみても、とても評判がいい傑出した作品といえます。

「杏っ子」に寄せられた悪評価に比べたら、それはまさに雲泥の差です。

ストーリーは、地方巡業の一座の話、うらぶれた信州路の田舎町に六代目中村菊五郎一座(「尾上」にあらず)がやってきます。

一座の当たり狂言は「塩原多助」で、そこで長年馬の役を務めているのは俵六と仙平の息のあったコンビ、特に師匠格の俵六はみずから「日本一の馬の脚」と自慢するほどの芸熱心な「馬の脚役者」で、日頃から、馬の細かい動きなどを観察し、常に芸を精進することに余念がありません。

この菊五郎一座に目をつけた町の興行師・若狭屋と北進館が、一座を呼んで大儲けしようと企み、町の顔役・床甚に、本物の「尾上」菊五郎がくると偽って資金を出させます。

しかし、一座を歓迎する顔つなぎの宴会で正体を知ってしまった床甚は怒り、酔って暴れ回った勢いから楽屋に入り眠り込んでしまいますが、そのとき俵六の商売道具の馬の頭を踏み潰して壊してしまいます。

翌朝、馬の頭が壊されたことを知った一座は、これでは芝居ができないと大騒ぎになります。

あわてた床甚は壊れた馬の頭を提灯屋に直させますが、とにかく提灯屋の仕事なので、出来あがってきたものは馬の頭にはおよそほど遠い丸顔のまるで狐にそっくりの滑稽なしろもの。

これではとても芝居なんか演れないと、俵六はごねます。

興行はひとまず菊五郎の急病ということで中止にしますが、休演で損失は膨らむばかりなので、一座をいつまでも遊ばせておくわけにいかない若狭屋たちは、困り果てたすえに曲馬団にいた本物の馬を連れてきて芝居に使ったところ、これが観客に大受けします。

気をよくした座長・菊五郎も、今後は本物の馬を使うと宣言し、馬役の後ろ足だった仙平には人間の役をふり、俵六には馬の番人を命じます。

機嫌を損ねた俵六は、馬の番をしながら昼間から焼け酒を煽っていると、俵六の名演技を見に来た小料理屋の女・お光とお咲に冷やかされて、それなら俺の芸を見ていろ、こんな本物の馬なんかより、よっぽど俺たちの馬の方が馬らしいんだぞとばかり、後ろ足の仙平と支度を整え、珍妙な丸顔の馬の着ぐるみを着て本物の馬の前で芝居を始めます。

ますます酔いが廻り、興も乗ってきた俵六は夢中になって演じるにつれて次第に激昂し、狐顔のグロテスクな馬のカシラを激しく振りたてて本物の馬をおどかし怯えさせたところ、驚いた馬は小屋の囲いを蹴破って逃げ出してしまいます。

馬の着ぐるみを着た俵六と仙平も、憑かれたように(狂ったように)逃げる馬をどこまでも追いかけ、月明かりの道をひたすら走り去っていくのでした。

宇井無愁のユーモア小説「きつね馬」(直木賞候補作でした)を成瀬巳喜男が自ら脚色・監督したこの映画「旅役者」は、成瀬巳喜男としては、前作「まごころ」1939から一年以上もあいてしまった作品です。

そのブランクの理由は、みずから撮るつもりのシナリオを、病気のためにほかの監督に譲ったり、前年10月に施行された映画法の脚本事前検閲に通過しなかったためだといわれています。

笑いの中にも哀愁が込められたこの作品は、名脇役・藤原鶏太(釜足)と柳谷寛を主役に得たこともあり、地方ロケの背景なども十分に効果を発揮して、成瀬としては、「蒲田時代を彷彿とさせる叙情的な佳作となったものの、戦時色強まる蛮声横行の時代には、作中の馬の脚役者たちのごとく、滅び行くものたちの弱々しい挽歌として埋没した」と解説書にあるとおり、「佳作」とされながらも、しかし、戦時下の民意に合わず「埋没」したと残念がられている作品です。

時代の空気にそぐわず、十分な評価も受けないまま埋没しなければならなかったこの作品の「処遇」を象徴するかのようなエピソードが残っています、クレディットにある「藤原鶏太」(僕たちがよく知っているあの「藤原釜足」と同一人物)ですが、本来の「釜足」という芸名が忠臣・鎌足を愚弄するものと当局から注意を受けて「釜足」を名乗れずに、1940年6月から戦後まで「鶏太」と名乗ったというエピソードが、この作品の運命をも象徴しているように思えてなりません。

あるいは、この作品を評するときによく使われる「笑いの中にも哀愁が込められた」という常套句にしても「埋没」させた元凶を感じます。

「常套句」というものには、微妙で猥雑なものを一言で片付け、ジャンルに整理してしまうという大雑把な強引さと無神経さとがあるばかりで、しかし、実は、その「微妙な猥雑さ」の内容の吟味こそが、物語や映画を楽しむ醍醐味があるのに、いつの間にかその吟味の愉しみを忘れてしまっている、「旅役者」という作品が、単なるドタバタ喜劇として「整理」されてしまったのではないかと思えて仕方ないのです。

例えば、僕たちが、この物語の最初で出会う《「日本一の馬の脚」と自慢する芸熱心な「馬の脚役者」》という設定に、まずは思わず失笑してしまうかもしれませんが、しかし、なんで失笑してしまうのかまでは、考えたくないことを我ながら十分に熟知してもいます。

このままその連想を野放しにしてしまえば、行き着く果てには、なにかとてもヤバイものが控えている気がするからです、もしかしたら、それが「日本一の営業マン」だとか「日本一の経理マン」だとか「日本一の商社マン」とか、それらとなんら変わらない同じものとして繋がってしまうことを薄々感じているからでしょう。

ここで「日本一の馬の脚」だけの失笑や憐笑に留めておかなければ、暴走のまま、果ては「日本一の営業マン」や「日本一の経理マン」や「日本一の商社マン」であることまで、すべてが憐笑の対象になりかねない、それは困る。

ここは、あくまで「日本一の馬の脚」だけの憐笑に留めておかなければならない、僕たち観客を試すものがこの作品には込められています。

しかし、また、この作品になされた解説「笑いの中にも哀愁が込められた」という意味は、ごくつまらない「馬の脚役者」の仕事にだって熱心になれるだけの十分な意味と価値とがあって、それと「日本一の営業マン」「日本一の経理マン」「日本一の商社マン」との間になにひとつ落差のないことが、むしろ分かってくる、果たして「馬の脚役者」とどれだけ異なるものがあるのかという揶揄をこの映画に発見したとき、僕たちは、生きること自体の「意味」と「哀愁」の本当の意味をこの映画「旅役者」から感じることができるのだと思います。

本物の馬よりも遥かに本物らしい自分の「馬」の演技によって、自分の仕事を脅かしている本物の馬を、いまこそ演技において圧倒しなければ、生きる意味とプライドと存在自体も危ういと感じた俵六は、自分の持てるチカラのすべてを掛けて、「馬」(もはや、それは「馬」でさえなく、なんか別の何かになりかけていますが)を追って闇に閉ざされた道をひた走ったのだと思います。

どうにか汚されまいと、プライドを賭けて血相変えて必死にひた走ることなど、僕たちにとっては、ざらにあるほんの日常的な瑣末時にすぎません。

(1940東宝東京)製作・氷室徹平、原作・宇井無愁「きつね馬」より、監督脚本・成瀬巳喜男、撮影・木塚誠一、照明・佐藤快哉、美術・安倍輝明、録音・長谷部慶次、音楽・早坂文雄、
出演・藤原鶏太(・釜足、市川俵六)、柳谷寛(中村仙平)、高勢實乘(中村菊五郎)、山根寿子(氷屋の娘)、清川虹子(小料理屋の女・お光)、清川荘司(市川七右衛門)、御橋公(若狭屋)、深見泰三(北進館主人)、中村是好(床甚)、伊勢杉子(小料理屋の女・お咲)、榊田敬二、林喜美子、石川冷、山形凡平、土屋守、田中利男、大杉晋、澤村春寿郎、辰巳錦吾、築地博、山崎仁左衛門、馬野都留子
1940.12.18 新宿東宝 7巻 1,932m 71分 スタンダードモノクロ モノラル
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by sentence2307 | 2014-08-23 11:46 | 映画 | Comments(1)

私の鶯

金曜日の夜、会社から帰宅して食事を終えたあと、テレビでも見るかと、ぼんやりwowowのプログラムを眺めていたら、とんでもない番組を見つけてしまいました。

「ノンフィクションw」シリーズの一編、そのタイトルも「満州映画70年目の真実~幻のフィルム『私の鶯』と映画人の情熱~」というのです。

先日もこの「ノンフィクションw」で、戦前のプロ・ボクサー「ピストン堀口」(子どもの頃から、その名前だけは大人たちの話から知っていました)の生涯をたどった番組を見たばかりでした。

勝ち続けた戦前の英雄が、戦後、すっかり衰えて負けても負けてもリングに立ち続けた理由をこの番組で始めて知りました。

戦前の英雄・ピストン堀口が戦後ぶざまに負け続ける姿を見た大人たちが、輝かしい戦前の記憶を汚される遣り切れなさと悔しさもあったのでしょうが、「金欲しさに、いつまでもあんな姿を晒してみっともない」と吐き棄てるように嘲り気味に喋っていたのを、自分も遠い記憶として持っていました。

この衝撃は、機会があれば、いつかまた書きたいと思っています。

さて、今回の「ノンフィクションw」は「私の鶯」ということです、これは絶対に見たいし、見逃がすわけにはいきません。

それというのも自分の場合、プログラムで見たい番組を見つけたときには、もう既に放送時間が過ぎてしまった残念な場合が多いので、今回はとっさに壁掛けの時計を見上げてしまいました。

ああ、よかった、午後10時からの放送なので、まだまだ時間的には十分な余裕があります。

そうそう思い出しました、少し以前に、たぶんチャンネルNECOだったと思いますが、「李香蘭特集」というのをやっていて、そのときの一編として確か「私の鶯」も放映されて、そのとき録画だけはしっかりやったはずです、まだ確認していませんが、「録画は、しっかり」は自分の生活信条なので、そこはぬかりありません。

毎日毎日録画だけは、コマメにしていますが、見る方がなかなか追いつけない状態です。

時間さえ許せば、それこそ見たい映画は何十本、何百本あるか分からないほどで(それも名作ばかりです)、目的の映画をすぐに特定できるようリストアップしてあるので、いつでもOKのスタンバイ状態は整っています。

こんなふうに自分が見たい映画を図書館並みに在庫するなど、ひと昔前では絶対考えられない随分贅沢な話なのですが、しかし、こういう整った環境にいて最も恐ろしいことは、こうした滞ったストックをただ処理するために「見る」ことが義務化してしまうことかもしれません。

録画し続けて溜めてしまった映画を、単に惰性で「見る」→端から処理するみたいな機械的な在庫処理行為みたいなものになってしまうことを最も恐れています。

大量録画のための大量消費なんて、笑えませんよね。

「あれは見た」→「あれは済ませた」、「あれは見てない」→「あれはまだ済んでない」みたいな、映画の消費者だけには成り下がりたくないと思っています。

ビデオなんてなかった頃、ある映画を何年にも亘って見たいと憧れ、場末の三番館まで映画を追いかけて行った頃の、映画に恋焦がれた飢餓感だけは失いたくないし忘れたくないというのが自分の気持ちです。

ですので、今回の「満州映画70年目の真実~幻のフィルム『私の鶯』と映画人の情熱~」のような番組は、一本の映画を少しでも身を入れて大切に見るという意味からも、単に映画の消費者にならないという意味でも、とても貴重なチャンスと捉えています。

さて、プログラムに書かれている解説を書き写しておきますね。こんな感じです。

《1984年、大阪で一本の古いフィルムが偶然発見された。
太平洋戦争突入後の1943年に、満州映画協会撮影所で製作され、太平洋戦争下の作品としてクオリティ、規模ともに破格の映画といわれながらも、戦後喪失したと思われていた幻の映画「私の鶯」だった(そのとき発見されたのは1時間10分に編集され短縮版だそうです)。
主演は満州映画を牽引した大スター李香蘭。日本、満州の共同製作の本格的オーケストレーションで紡がれるミュージカル作品で、戦況が激しさを増すなか、当時の金額で40万円、現在の金額に換算すると約8億円の製作費を投じたといわれているこの大作の背景には、平和と芸術を心から望む映画人たちの情熱があった。映画に携わる者はそれを奇跡の傑作と呼ぶ。
戦後69年、語られることの少なかった満州映画協会と撮影所での製作風景や作品について、当時、満州映画協会で映画編集者だった岸富美子さん(94歳)の証言から、満州映画協会とはいかなるものだったのか、作品をとりまく証言や取材で発見された当時の写真などを通して、大戦下、日本から渡った映画人たちの想いや情熱に迫るドキュメンタリーである。》

なるほどなるほど、これは期待できそうな楽しみな番組じゃないですか。

しかし、放送までにまだ少し時間があるとなると、かえって待ち遠しい、それまでなにをして時間をつぶせばいいのか、と今回は時間を持て余す感じになってしまいました。

仕方なく、時間になるまで関連本で「私の鶯」をざっと学習しておくことにしました。

手に取った本は、「日本映画作品全集」(キネ旬)、「日本映画発達史」(中公文庫)、「日本映画史」(キネ旬・世界の映画作家31)、「日本映画名作全史」(現代教養文庫)、そして岩波の映画講座です。

そこで初めて気がつきました、「私の鶯」はどこにも掲載されていません。

そしてこのとき初めて、分類的には「私の鶯」は、日本映画ではないことに気がついたのでした。

戦時下の検閲逃れのために国外で製作して逆輸入しようという岩崎昶の奇策が、いまになって思わぬ弊をもたらしたのだと、少しショックでした。

まあ、こうでもしなければ当の映画自体の製作が危ぶまれたわけですから仕方なかったのでしょうが、ある意味、岩崎さんも随分罪作りなことをしてくれたものだと感じた次第です。

結局「私の鶯」は、日本映画にして日本映画にあらずで、しかも、例の大阪で発見されたという短縮版は、これもGHQの逆鱗を恐れ、毛唐の顔色をうかがいならが事前に岩崎氏が本編中の「満州事変」の部分にハサミを入れたという話です。

まさに「先代萩」の政岡状態です。

戦前戦後を通じて、権力者が代わるたびに保身のために作品を汚したり「制作したり、ハサミを入れたり」と、権力者から逃げ回り続けた散々な卑屈人生だったことがよく分かりました。

それにしても製作者だったら、作品に何をしてもいいのかという憤りは確かに残ります。

そうそう、2006年7月にフィルムセンターで行われた「ロシア・ソビエト映画祭」のプログラムには13番目の作品として「私の鶯」が掲載されていました。

これを見た当時、自分の知らない間に、てっきり、この作品がいまやロシア映画ということで通用しているのか、と卒倒しそうになったことがありましたが、解説をよく読むと、「亡命ロシア人が多数出演した島津保次郎の満州映画『私の鶯』1943」と書いてあったので、一応ほっとした記憶があります。

結局、「満州映画」か「植民地映画」、もしかしたら「中国映画」か(それはないか)のいずれかの括りになるものと思いました。

しかし、聞いて思わず気絶しそうになったとはいえ、実は「ロシア映画」という線も捨てがたいのではないかと、ひそかに考えています。

それというのも、この映画、日本語が使われるのはほんの僅かで、全編ほぼロシア語が使われるという亡命ロシア人の映画なのです。

この映画「私の鶯」のなかで、オペラ歌手デミトリー(グリゴリー・サヤーピンが演じています)が、ポルシェヴィキ系の観客に「オペラなど貴族のもので民衆の文化などではない」と大声で野次られて、ショックで歌えなくなるという場面がありました。

当然のことなのですが、すべてのロシア人が革命に賛同したり参加したわけでなく、反革命の烙印を押されて虐殺されるか、あるいは祖国を追われて、世界の各地へ亡命したことを改めて思い知らされた感じでした。

この映画の主人公たちは、歌劇を愛し楽器を奏で、砲声に怯えるいかにも弱々しい白系ロシア人と呼ばれる亡命者たちです。

このことと、そして、解説にある一文

《島津保次郎が、来日したハルビン・バレエ団を見て感激し、友人の岩崎昶とミュージカル映画(当時の言葉で音楽映画)の構想を練りはじめた。
東宝の重役である森岩雄に相談すると、森は東宝と満映に働きかけ、満映が主体となって制作することとなった。
島津は脚本も手がけ、助監督には満映の池田督と李雨時。
通訳としてロシア人も雇われる。
ちなみに岩崎昶は戦後になって群馬交響楽団をテーマにした映画「ここに泉あり」を制作した。》

を読んだ時、島津保次郎がこの「私の鶯」を作りたいと思った動機の部分に納得できませんでした、「はたして本当にそうだろうか」という疑念に捉われたのです。

そして、こう思いました。

「そんなはずはない。島津保次郎なら、亡命白系ロシア人たちのあの弱々しさに惹かれたのに違いない」と。

共産主義が、当初想定していたほど必ずしも人間を幸せにすることができるわけではないと分かるまで、実に100年近くの時間を要したわけですが、しかしなにより、その間に権力は腐り、権力を保持したものたちは、それを守るための疑心から、おびただしい生命を狩りつづけなければならなかった愚について、ただ暗澹たる思いに捉われるばかりです。

いまロシアでは、そんなことあったのかという顔で、大国主義を隣小国に押し付けて脅かしている最中です。

(1943満州映画協会=東宝映画)企画・岩崎昶、監督脚本・島津保次郎、助監督・池田督、委雨時、原作・大佛次郎『ハルビンの歌姫』、撮影・福島宏、音楽・服部良一、
出演・李香蘭(山口淑子)、黒井洵(二本柳寛)、千葉早智子、松本光男、進藤英太郎、グリゴーリー・サヤーピン、ワシーリー・トムスキー、ニーナ・エンゲルガルド、オリガ・マシュコワ
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by sentence2307 | 2014-08-17 21:05 | 映画 | Comments(0)

杏っ子

この成瀬作品「杏っ子」を見るたびに感じることがあります、もし、予備知識なしにこの作品を見たとしたら、自分的に、はたして、別のもっと好意的な見方の選択肢もあり得たのだろうかと。

とにかく、成瀬巳喜男作品です、映画ファンを自認するなら「好意的に見る」という立場にはどこまでも固執すべきで、ある程度「まず評価する」という立場の拘りをもって作品に対してもいいのではないかと常日頃考えている自分です。

例えば、あの戦後民主主義映画の珍品「浦島太郎の後裔」1946でさえ、自分はどうにか評価しようと最後まで格闘したくらいの、どこまでも誠実な「成瀬の味方」のつもりでした。

確かに「浦島太郎の後裔」には、好意的な評価の余地は有り得たと思うし、「全否定」というのもなかったと思います。

しかし、この「杏っ子」に限っては、どのような資料を読んでも、この映画の評価の低さには驚くべきものがあります、その有無を言わせぬ断定的否定は、まさに「一蹴する」という言い方が相応しいくらいです。

自分が接した決定的な「一蹴」批評は、田中純一郎の「日本映画発達史Ⅳ・史上最高の映画時代」(中公文庫 昭和51.3.10刊)303頁に書かれていた僅か一行の
「出来栄えは薄汚い」
でした。

なんだよこれは、あの「浦島太郎の後裔」でさえ、結論的に結局は否定だったとしても、そこに至るまでの「やんわり」という節度くらいは一応保たれていたではないか、という憤りに似た思いは当然ありましたが、それでも全否定と改めて念押しされてみれば確かにそうかもしれないなという思いもあります。

「浦島太郎の後裔」は、作品自体なにが言いたいのかさっぱり分からない(世評もそう一致していました)からこそ、「やんわり」程度の仄めかしで十分「否定の意志」は通じたのであって、せいぜいのところ「スミス氏都へ行く」と「ターザン」あたりが合わさった「民主主義バンザイ」映画らしいということがなんとなく通じれば批評としてはそれで十分合格点だったのですが、しかし、この「杏っ子」に限っては、そうはいきません。

作品の言いたいことはよく分かる、「よく分かりすぎる」分だけ、その欠陥は決定的・断定的に徹底して否定されなければならなかったのだと思います。

この作品が言いたいことは、「才能のないやつは、小説なんか書くなよ。せいぜい金でも稼いでろ、まぬけ」です。

小説家になることを夢見て小説を書き続けるそういう夫(そのどこが悪いわけ、と言いたい)を妻・杏子は励ますどころか、彼の「金を稼げない」ことだけを理由に軽蔑の眼で見下し、最初から「あんたなんかね、うちらの父親に比べたらさあ、ただのクズなのよね」などとほざき倒し、あまつさえ夫の人格までをも否定しくさり、なにかというと大作家の父親の名声を持ち出してはひけらかすという実にどうもその鼻持ちならない高慢さといったら、単に大人=妻になりきれない未熟なうすらバカの娘がいるというだけのことなのです。

その背景には常に大作家・平山平四郎が大きく立ちはだかり、自分の取り巻き(大作家ですから当然いるわけですネ)を総動員して婿をいたぶり、さらに追い詰めて、八方ふさがりにおちいった失意の婿に、薄ら笑いを浮かべて「ざまあみろ」と罵倒しているようなグロテスクさです。

そりゃあね、大作家だかなんだか知らないけども、毎日毎日「無能野郎」呼ばわりされて締め上げられれば、誰だって素直になんかなれません、しかも嫌味っぽく「お父さんのおみやげヨ」などといわれたって、思わずカッとくるのがせいぜいで、恐る恐るでもそんな禍々しいもの、蹴りつけずにはいられよかてなものですよね(映画の場面でもそんな感じの情けなさがよく表現されていました)。

この物語のすべてが、大作家の視点から歪められて一方的に描かれているので、「娘には同情的、婿には否定的」な偏見に阻まれた、そのまた向こう側に隠されてある「真実」を見透すことは、たとえ最終的にはこの成瀬作品を否定しなければならないとしても、成瀬巳喜男ファンとしては、きわめて必要で重要な責任ある作業だろうという認識でこの考察を進めました。

だいたい、この娘・杏子が、結婚相手を決めるまでの過程に、幾つか不自然な点のあることを指摘しないわけにはいきません。

高名な小説家・平山平四郎(山村聰が演じています)一家が、東京の戦火を避けて高原の町に疎開してくるところから、この物語は始まっています。

しかし、疎開先でもやはり物資不足で、なにかと不自由する平山一家に、近所に住むラジオ修理業の青年・漆山亮吉(木村功が演じています)は、日用品の買い付けなど、なにくれとなく世話をみてくれます。

一方、婚期にある平四郎の娘・杏子(香川京子が演じています)には、世話する人があって、その紹介で東京から見合いの相手がひっきりなしに訪ねてくるという日常が続いていますが、杏子はどの見合い相手も物足りなく、イマイチ結婚相手を決めかねているという状態です。

あるとき、東京から、法務省の役人で伊島という見合い相手がやってきて、彼の女扱いに馴れた柔らかな物腰にとてもリラックスできた杏子は、伊島にすこし気持ちを動かされます。

そんなおり、杏子と伊島の二人の姿を見かけた亮吉が、あとで杏子に「自分は戦地で伊島と会ったことがある、そのとき彼の不潔な面を見た」と伝えます。

どういう「不潔」なのかは、杏子にも観客にも、はっきりとは知らされずに、その事実は隠されたまま、一方的に想像を掻き立てられ、妄想の中でだけ「卑猥さ」は増幅されて、実際以上の得体の知れない妄想の怪物に膨れ上がってしまったかもしれません。

さらに亮吉は平四郎に、「あんな男が求婚できるのだから、自分にも求婚する資格がある。杏子さんを自分にくれ」と杏子と結婚したい旨の希望を伝えます。

現実問題として他人から「彼の不潔な面を見た」などといわれたら、それがどのような「不潔」なのか、さらに問いたださずにはいられないはずです、それが人情であり道理というものでしょう。

問いただせば、なんだそんなもの「不潔」でもなんでもないじゃないか、問題にもならないと、あるいは、当人だけが「不潔」と感じる程度の主観的な感想に留まる、取るに足りないことと判明するかもしれません。

いや、むしろ、それを「不潔」と感じてしまうこと自体に、彼の異常な潔癖さ、道徳的限界の危うさを示している、彼自身の異常さの証明になってしまうものなのかもしれないのです。

それに、「(不潔な)あんな男が求婚できるのだから」という不潔をひとつの尺度とする考え方こそ、とても奇妙な歪んだ発想といえます。

しかし、ここでは、なによりも、そういうこと一切を追求しようとしない杏子の無関心さこそ、とても奇妙で、いちばんに疑問としなければならないことかもしれません。

そして、父・平四郎が、亮吉と結婚する意志はあるのかと杏子に尋ねる少し前のシーンに、杏子が、平四郎に読んでもらうために亮吉が託した原稿を、ひそかに見るという場面が挿入されていました。

しかし、なぜ、ここにこのような場面を挟む必要があったのかが、どうしても解せないのです。

「亮吉の原稿を読む」→「亮吉との結婚を承諾する」と続くならば、彼女は、当然亮吉の才能をある程度認めたと解さなければこのストーリーはとても不自然になってしまいます。

そして、ひとたび彼の才能を認めたのならば、父親がなんといおうと自分の直感を信じて、愛する人=伴侶に自分の人生のすべてを賭けるべきだと考えるのがフツーの人の考え方です。

たぶん、ここでいう「貧乏」というのは、別の次元の問題なのであって、「貧乏」だから「不幸」だとするのは筋違いの逸脱の論理でしかない。

あるいは、物語の中で杏子が言っていた「父親の書いたものは一切読んだことがない」という言を信じるのであれば(敷衍して「彼女には小説の巧拙が分からない」としても)、彼の才能を信じる、という彼女の思いをいっそう妨げないものと考えられます。

過保護親父が未熟なドラ娘をあたかも自立した良識ある女性であるかのように「えこひいき」して無理やり描こうとしたことに、この物語の破綻のすべての原因があるように思えて仕方ありません。

この小文の締め括りに、室生犀星の娘・朝子と結婚し、そして別れた「青木和夫」なる人物の劇的な「その後」をインターネットで検索し、大向こうをアッと言わせるような事実を探してみようとしたのですが、残念ながら興味をそそるようなネタなどなにひとつネットには転がっていませんでした。

しかし、負け惜しみではありませんが、その荒涼とした空白は、才能なきひとりの青年が、絶望の果てについには口を噤まねばならなくなった虚の深さをそのまま表しているように思えてなりませんでした。

あるいはまた、観客からは決して共感を得られることのない不毛な役・杏子を懸命に演じた香川京子にしても、泥沼のような役に必死に取り組むことで「現実」の深みに嵌り込み、リアルかもしれないが「女優」である必要性も同時に失ってしまうような演技の荒廃ぶりには、ただ暗然とするばかりでした。

これがあの「東京物語」において背筋を伸ばして気高く高潔な娘役を演じた香川京子と同じ人物なのかと眼を疑いたくなり、暗澹たる欝に見舞われたことをひとこと申し述べておかなければなりません。

(1958東宝)監督・成瀬巳喜男、脚本・田中澄江、成瀬巳喜男、原作・室生犀星、企画・森岩雄、製作・田中友幸、音楽・斎藤一郎、撮影・玉井正夫、美術・中古智、録音・藤好昌生、宮崎正信、照明・石井長四郎、編集・大井英史、チーフ助監督・川西正純、製作担当・島田武治、整音・宮崎正信、現像・東宝現像所、
出演・香川京子(平山杏子)、山村聰(平山平四郎)、夏川静江(平山りえ子)、太刀川洋一(平山平之助)、木村功(漆山亮吉)、中北千枝子(漆山すみ子)、三井美奈(山本りさ子)、中村伸郎(八木原俊雄)、小林桂樹(田山茂)、加東大介(菅猛雄)、賀原夏子(村井えん子)、沢村貞子(鳩井夫人)、佐原健二(鳩井息子)、林寛(佐藤博士)、千秋実(吉田三郎)、三田照子(吉田さち子)、藤木悠(岡田)、土屋嘉男(伊島)、河美智子(杏子の友人)、佐田豊、馬野都留子、森啓子、林幹、北野八代子、江幡秀子、河辺昌義、三浦常男、草間璋夫
11巻 2,991m 白黒
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by sentence2307 | 2014-08-16 20:26 | 映画 | Comments(1)
最近、角田光代の小説を少しずつ読んでいます。

切っ掛けは、映画「八日目の蝉」を見てからですから、経過した時間の長さからすると、その読書量の「ぼちぼち」状態からは、決して熱心な読者とはいえませんが、たまに立ち寄る古書店で角田光代の単行本を見かけたりすると、とにかく買い集めています。

いつか近いうちに僅かでも時間ができたら、片っ端から読み倒したいと、いまから愉しみにしています。

つい最近は、「三面記事小説」(文芸春秋2007.9.30刊)という単行本に感銘しました。

社会面に載った20行にも満たない小さな事件の記事から想像で膨らませて一本の小説に仕上げていくのですが、どの小説にも共通しているのは、「執着」(「愛する」でも「憎しみ」でもかまいません)で、とにかくその迫力には圧倒されました。

6つの短編が収録されているのですが、とくに最後の小説「光の川」などは、もしこれを映画化したら、「ペコロスの母に会いに行く」など遥かに凌ぐ(闇の部分をカバーする、と言い換えるべきかも)衝撃作になると思わせるほどの圧巻の小説でした。

ストーリーは、母親の認知症が進んで、ひとりでは手に負えなくなった息子・輝男(44歳)が、思い余って18歳のときに家出したまま離れて暮らす姉・裕子(47歳)に連絡します。

たとえ、家出した当時は母親を憎んでいたとしても、あれからかなり時間が経過しているわけだし、いまでは家庭を持っている姉ですから、もしかしたら、むかしのことは水に流して手助けくらいはしてくれるかもしれないという甘い期待から弟は連絡してみたのですが、しかし、姉の母親への憎しみは、依然として変わらず、家出したあのときのままであることが、彼女の強い拒絶によって知らされます。

弟は、そのとき不意に思い出します、姉が家を出たとき、弟・輝男だけに吐き棄てるように語った母親への恨みつらみの数々を。

《あの人にとって、子どもはあんただけなのよ。
家を出た18歳の姉は、煙草を吹かしながら高校生の輝男にそう言った。
私がどれくらい無視され、どれくらい軽んじられてきたか、あんたにはわかんないでしょうね。
姉の借りた、トイレも風呂もない安アパートがめずらしくてきょろきょろしていた輝男にそう言った。
それから、母が彼女にしたこと-しなかったことのほうが多かったが-を、堰を切ったように話しだした。
話している途中、裕子は涙と鼻水を流しはじめたが、そのどちらも拭わず、すわったような目つきで輝男を見据え、話し続けた。
参観日にも面談にもきたことがない。
服を買ってもらったことがない。
修学旅行の積み立ても私だけしてくれなかった。
生理についてもなんにも教えてくれなかった。
生理用下着だってブラジャーだってアルバイトしたお金で買った。
アルバイトで遅くなった日に帰っても私の食事は残っていなかった。
誕生日に何かしてもらったことがない。
習い事だってさせてもらえなかった。
大学だって私はいきたかった。
あの人の愚痴を聞いてやるのだけが私たちの会話だった。
学校はどうか、成績はどうか、訊かれたこともない。
お弁当を持たされた記憶もない。
そういう性格の母親だったらまだよかった。
なんの家事もできない人、子どもに関心の持てない人ならばまだ私はあの人を許すことができた。
でもそうじゃなかった。
あんたの参観日の前日にはパーマをあて、服は渋谷のデパートまでいって買ってやり、修学旅行には多額の小遣いを持たせ、父よりも品数の多い夕食を用意し、誕生日にはケーキを作りリボンのついたプレゼントを与え、三日坊主のあんたが野球だの水泳だの習うのを許し、夢中であんたの話し相手になり、教師や同級生と諍いがあれば学校へのりこんでいき、色鮮やかな弁当を作り、大学へいくよう励まし続けている。
裕子は輝男から目を背けず、息子にはしてやったのに娘にはしなかった、ほかのいくつものことがらを延々とあげ続けた。》

そして、日常生活も覚束なくなった母の認知症の症状に対して、姉・裕子はひとこと「ざまあみろ」と吐き捨てるように言い棄て、
《かんたんに死ぬなんて許さない、苦しんで苦しんで生きればいい、死にたいと思いながら生きていればいい。
そういって、高らかに笑ったあと、姉は不意に声を落として、すごむように続けた。
あんた、私に何かさせようとなんて思ってないわよね? なんにもしてもらわなかった私が、なんで何かしてやらなきゃなんないの。あの人が死んだって私、葬式には出ないから。》

そして一方的に電話を切った姉を、輝男は、なぜか冷酷だとは思わないと感じます。

高校生のときに聞いたときには信じることができなかったとしても、たしかに姉は母にひどい仕打ちを受けたのだろう。

自分が母から有り余る愛を受けた分だけ、知らない場所で同じ分だけ母から傷つけられ、惨たらしい憎悪を育て上げてきた姉の母に対する憎しみの深さをいまなら分かると、息子以外誰ひとり近づけようとしない母の認知症が深まっていく様子をみながら、息子はそのことを「理解」したのだと思います。

小説の中では、それ以後、姉・裕子は登場しませんし、輝男も二度と彼女に手助けを求めようとはしません。

親から「愛された者」と「愛されなかった者」は、互いに自分の生きてきたそれぞれの場所の隔たりを確認し、息子は、もはや親とは離れられないあまりにも近すぎる自分の位置を思い知り、娘は母親から突き放されたことを「無視」という報復で「他人」として生きるしかスベのないことを悟ります。

息子・輝男は、どこまでも母に寄り添って生きていこうと決意して、会社を辞めて母の世話に専従しようとしますが、申請した生活保護が受けられず、生活に行き詰まり、ついに行きつく所まで追い込まれます。

この作品の中扉のタイトルバックには、小説の参考になった事件の記事が薄く印刷されていました。

記事の見出しは「介護疲れで母殺害容疑」
《河川敷で車いすの女性が発見され死亡が確認された事件で、署は女性を殺害したとして近くに住む長男を殺人容疑で逮捕した。長男は病気がちの母親と2人暮らしで、「介護に疲れて、発作的にやってしまった」と供述しているという。(平成18年2月3日付 朝日新聞より)》

新聞の片隅の載った数行の介護殺人の記事から、母と娘の反目と虐待、その憎悪の果てに娘の家出と棄親に至る無残な決意までを透視した作家・角田光代の凄まじい想像力には感嘆を禁じ得ませんでした。

しかし、もしこの作品を映画化するなら、姉・裕子は最後には改心する役どころを強いられるかもしれない、そして心温まるハッピーエンドにまとまる映画に落ち着いてしまうかもしれないと危惧しました。

というのは、ぼくたち世代にとって、映画とは、「希望を与えるもの」という神話のなかで、多くの小説の悲惨な結末が、いとも簡単に幸福な結末に改竄されるという暴挙に立ち会ってきたからでした。

ですので、この「光の川」も、そのように想像してしまったのですが、すぐに、いまはそんな時代じゃない、時代は確実に変わったのだということに気づきました。

実は最近、wowowで「テネシー、わが最愛の地」(2009米、監督スコット・ティームズ)という作品を見て、そのことを実感しました。

プログラムによれば、この作品には、名優ハル・ホルブルックが出演していて、ストーリーも、老人ホームを抜け出し故郷に戻って来た老人が、すでに自分の家に住み着いている貧しい一家と出会うという渋い物語です。

それになにしろタイトルがいい、名作「わが谷は緑なりき」を思わせるような情感にみちたタイトルで、このシチュエーションなら感動作に仕上がらないわけがないという思い込みもあって、この映画を見始めました。

そのときの気分、なにかしっとりとした映画を堪らなく見たいという静かな気持ちも災いしたかもしれません、内容は呪いたくなるような惨憺たるものでした。

どこがいけなかったのか、とかそういう生易しいタイプの映画などではありません。

老人が留守にしていた間に自分の家に住んだ貧しい家族(法律上は正規の手続きを踏んでいます)を追い出すため、戦いに終始するという近隣紛争の惨憺たる物語です。

最初のうち観客は、映画の進行の合間に、「和解」や「救済」や「協力」など甘々なシチュエーションの落し所を思い描くのですが、その悉くが次々に打ち砕かれ、「映画」は最後まで、「俺が俺がの土地争い」の小競り合いをシビアな現実として見せ付けるだけです。

近所から、老人の行き過ぎた行動に苦情が出て、ふたたび老人ホームに戻されるというときになって、老人は離れ屋だけでも人手に渡したくないと焼き払ってしまいます。

しかし、火の回りが速く、退路を失った老人が(まさに自業自得です)逃げ惑っているところを反目していた間借り人の男が助け出します。

幾日か経って傷が癒えた老人が家に戻ってくると、一家はとうに立ち退いていて、最後に老人の顔の大写しになりますが、観客は彼の表情にどういう思いを託せばいいのか、戸惑うばかりです。

だって、老人は、自分の家に住みたいために、終始貧しい家族を追い出そうとしていたことは達成できたし、希望どおりあの一家はどこかへ立ち退いています。しかし、あんなに取り戻したかった家は売りに出され、自分はこれから老人はホームに戻ろうとしているのです。

この映画、いったい何が言いたいのか、まったく分かりません。

こういうことすべてが、老人の望んだこととは到底考えられません、ラストの老人の顔の大写しからは、なにものも読み取ることはできません。

きっと、そこにあるものが「現実」ではあっても、物語として収束されていない「現実」が、剥き出しのまま描かれているからだと思います。

小津安二郎なら、こんなのは、映画じゃないというかもしれない。

「映画は、ドラマだ。アクシデントなんかじゃない」と。

(2009アメリカ)監督・スコット・ティームズ
出演・ハル・ホルブルック、レイ・マッキノン、ミア・ワシコウスカ、キャリー・プレストン、ウォルトン・ゴギンズ、バリー・コビン
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by sentence2307 | 2014-08-06 17:28 | 映画 | Comments(47)