世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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日々是映画

ブログって、本来そうなのでしょうが、多くの人たちが、身構えたりせず、気楽な日記風にブログを軽く書き流しているのが、最近とても羨ましく感じるようになりました。

自分では、そんなに拘るつもりでもなかったのですが、ブログのタイトルにいちいち映画の題名をつけて「三題噺」のようなものにまとめ上げるのが、結構大変になってしまいました(当初は、むしろその方が気楽に書けるはずとタカを括っていたのですが)、ここのところ正直だんだん負担になっています。

仕事などでもそうなのですが、目の前に立ちはだかる困難なことも、習慣化して日常的に生活の中に取り込んでしまえば、少しずつ切り崩すことができて、そりゃあ時間は掛かるかもしれませんが、大仕事もどうにかクリアできるというのが(いかにも、A型人間の典型的な行動パターンのような気もしますが)、従来ずっと自分が続けてきた方法でした、現在おちいっているスランプは、たぶんこの方法をあまりにも過信しすぎていたせいだったかもしれません、システムの方々がホコロビ始めているのを感じます。

「ご気楽な習慣」のつもり程度の気持でいたのが、いつの間にやら、しっかり自分を縛り上げるルールみたいになってしまったことに気づいたのです。

当初は、映画を漫然と見て楽しみ、そのなかで気に掛かった作品にでも出会えれば、ちょっとしたコメントでも書き散らしてストレス解消にしようと思い、書くこともそれほど苦にならないタイプだったので、きっと楽しいにちがいない位に考えていました。

とにかくブログは無記名です、どんな権威・権力に対しても遠慮会釈なく貶しまくったり罵倒を浴びせ掛けたり(朝日新聞の「朝」の字って、あっちの「朝」だったの、みたいな感じで、考えただけでもチョー爽快です)、そして、罵倒に飽きたら、無責任に褒め倒したりして(「無責任に褒める」というのも嫌味っぽくてストレス解消には最適です)、言いたい放題を楽しもうかと思っていたのに、そういうことすべてが徐々に煮詰まってしまった現状は、もはや惨憺たるものとしか言えず、自分が作ったルール(三題噺)がいつの間にか一人歩きしてどんどん厳格化してしまい、逆に自分がガンジガラメに絡め取られて「拘束」され、いまでは書き続けることが苦痛・困難になってしまいました、もはや息も絶え絶え状態です。

なにもかも我が身から出た錆とはいいながら、それにしても、映画一本の作品について、ある程度まとまった字数を書くというのは、本当に苦痛でシンドイ話です。

とりわけ非才な自分には、大変な労力と時間を費やさなければならないのですが、しかし、なにより負担に感じることは、こんなふうに一本の映画の感想を書くということにこだわっている間も自分としては日々映画を見続けているわけで、そういう映画が、どんどん自分の中に溜まり続け、「映画の記憶」が積み上がってしまうというのに、なにも発散できないでいることが、とても辛いのです。

つまり、いま書き滞ってしまっている映画が、必ずしも「いま」いちばん感銘を受けた映画というわけではないという矛盾した状況(自分が見た映画、とりわけ感銘を受けた映画のすべてについて到底書けないまま、意に添わないどうでもいいような作品にいつまでも囚われ続けているという馬鹿げた苛々状況です)が、結局重たいストレスとなって自分の中に溜まっていることに気がついたのでした。

優れた映画から受ける「感銘」は、最初、とても短い直感的な言葉となって胸に落ちてきます。

その最初の直感の支えがなければ(構想という意味でも、モチベーションという意味からも)、長い文章を書き続けることなど、とてもできるものではありません。

実は、自分は、日々見る映画が10本に達すると、簡単な「自分ベスト10」をちょっとしたコメントを添えて備忘録代わりにつけているのですが、「ベスト1」作品が、必ずしも感想を書きやすい作品というわけではないので、どうしても書きやすい作品から取り掛かってしまうということを繰り返し、困難だけれどもいちばん書きたいと思っている作品を後回しにして、結局、時機を逸するということを繰り返しています。

時機も逸するとともに、「ベスト1」のコメントも同時に失うということを繰り返していて、それが、現在のストレスを生み出している元凶だと気がつきました。

ですので、10本見るごとにつけている「自分ベスト10」を、ストレス解消、一種のガス抜き行為として、そのたびに短いコメントを付して書き留めておくことにしました。

以下が、ごく最近メモった「自分ベスト10」です。

① THE ICEMAN 氷の処刑人(2012アメリカ)監督・アリエル・ヴロメン、
② 憲兵とバラバラ死美人(1957新東宝)監督・並木鏡太郎、
③ 上京ものがたり(2013日本)監督・森岡利行、
④ 日本任侠道・激突篇()監督・
⑤ サハラに舞う羽根()監督・
⑥ 100回泣くこと(2013日本)監督・廣木隆一、
⑦ 天使の分け前(2012英・仏・ベルギー・伊)監督・ケン・ローチ、
⑧ 君と歩く世界(2012フランス・ベルギー)監督・ジャック・オディアール、
⑨ リアル~完全なる首長竜の日(2013日本)監督・黒沢清、
⑩ 第九軍団のワシ(2011イギリス)監督・ケヴィン・マクドナルド、

まずは第一位の「THE ICEMAN 氷の処刑人」です。

この作品が、ギャング同士がひたすら殺し合う単なるフィルム・ノワールだったなら、これほどまでに自分は心惹かれなかったと思います。

それは、きっとポール・トーマス・アンダーソンの「ザ・マスター」が、自分的には「イマイチ」だったことを書けば、あるいは説明がつくかもしれません。

「ザ・マスター」においては、戦争で受けた心の傷によって、男は社会のどこにもとけ込めず、自分の居場所を見つけられないまま放浪し、ときに自己破壊を伴う凶暴に捉われると破滅的に暴れまわるという凄惨な場面が描かれているのですが、その狂気を伴う暴力場面が迫真的であればあるほど、どうも図式的で現実味に乏しいと感じ、なんだか白けてしまいました。

「THE ICEMAN 氷の処刑人」は、殺し屋リチャード・ククリンスキーが持っていたもうひとつの顔→立派な社会人であり、家族を愛する家庭人でもあったと描かれている部分に、とてもリアルなものを感じました。

というのは、彼の中では、家族を愛することと、残酷な人殺しとが、なんの矛盾もなく同居しているからでしょう。

この「同居」という感覚をこの男の狂気と言い切ってしまわないところが、この映画の傑出しているところだと感じました。

それは、細かい心遣いで家族サービスに努めることと、一方で、人殺しを完璧着実にこなしていく狂気の綿密さとが同じように描かれ、それは、このふたつのことが彼にとっては矛盾なく存在し、また密接に絡まっているものとして描かれています。

ククリンスキーが殺しで稼いだ大金を、妻や娘たちに惜しげもなく与えて家族を喜ばす場面が繰り返し描かれていきます。

ククリンスキーにとって、妻や娘たちの喜ぶ顔だけが必要なだけなのであって、それには、どのような素性の金であれ、とにかく大金を惜しげもなく与えることで、確実に達成でき維持できると考えています。

それが彼の考えている「幸福な家庭」の姿であり、彼にとってはただそれだけで十分、これこそが彼がもっとも求めていたものだったからだと思います。

しかし、完璧な二重生活を続けるククリンスキーも、ときにはホコロビを見せてしまうようなそんなとき、妻(目の前の大金に驚喜し、夫の暴力に怯える妻をウィノナ・ライダーが完璧に演じています)から「あなたは、秘密ばかりだ」と激しくなじられます。

しかし、彼には、妻がなぜそんなことを言って自分をなじるのかが分からない。

生活をエンジョイするには十分なだけの金は与えているのに、ほかに何が不服なんだ、頼むから幸福そうな顔をしてくれと懇願し、言い募って次第に逆上し、狂気のような憤りに捉われて片っ端から家具を叩き壊す壮絶な場面が描かれていきます。

幼少期に彼が親から繰り返し受けた激しい虐待の体験が、彼からどういうものが「幸せな家庭」なのかという想像力を奪い取り、金を与える以外に、どうのようにすれば家族が喜び笑顔になるのかが分からない、金によってしか家族や笑顔を作ることしか知らなかったククリンスキーを、しかし、狂気といいきってしまっていいのか、とこの映画は問い掛けているように思えてしかたありませんでした。

まるで、フリッツ・ラングの「M」のようなサスペンスを思わせ、ジョージ・スティーヴンスの「陽のあたる場所」や、浦山桐郎の「私が棄てた女」もかくやと思わせる叙情を兼ね備えた「② 憲兵とバラバラ死美人(1957新東宝)監督・並木鏡太郎」

そして、破天荒な西原理恵子の元気映画によって、出演した女優たちが、とても生き生きと演じている感動モノの「③ 上京ものがたり(2013日本)監督・森岡利行」については、
ともにまた日を改めて書きたいと思っています。
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by sentence2307 | 2014-09-21 19:48 | 映画 | Comments(0)

晩春

先週、ある新書判に遭遇しました。

書名は、「原節子、号泣す」(末延芳晴著、集英社新書、2014.6.22刊)です。

なにしろ、書名があまりにも刺激的・挑発的なので、思わず手にとって、一気に読んでしまいました。

要するに、この本のテーマは、小津作品、特に「晩春」「麦秋」「東京物語」に出演した原節子の泣くシーン(それこそ号泣する場面です)を取り上げて個々の作品の分析を試みたものですが、一気に読み通した感想としては、はたして、ただの生理現象にすぎない「泣く」という行為の分析が、作品を読み解くうえでそれほど重大なことなのだろうか、それがどこまで意味あることなのかと、まずは疑問に捉われてしまいました。

それについて著作中で筆者もちょっと言及しています。

映画の中で女性の「泣く」という姿は、それ自体、見た目がド派手なので、どうにか「絵」にはなるかもしれませんし、「クライマックス」に相応しい盛り上がりだって一瞬はもたらすかのように見えてしまうかもしれませんが、しかし、ただそれだけでは、結局「孤立した絵」にしかならず、どこにも繋がらなくなる虞がある、要するに、その先のストーリーの流れに、どう繋げていくのかが問題なのであって、そこに精密な計算がないと、かえって、ただ作品展開を滞らせてしまうだけの(悪く言えば)障害にもなりかねないダメージの部分もあるのではないかと述べています。

目の前で、突然女性に泣かれてしまい、途方にくれてしまったことなら実体験として結構あります。

じっくりと話さなければならない大切な話を、突然泣き出されて中断せざるを得ず、話を中途で折られたまま、ついにお互いの意思を確認できずに苦い終わり方をしなければならなかった経験からしても、映画の中の「号泣」だって、同じように諸刃の剣的な「効果と障害」があるに違いないと思いました。

しかし、個々の内容はともかく、「小津安二郎」の世界に真正面から取り組もうとした真摯な姿勢に、正直感銘を受けたことは確かです。

そして、この本を読みながら、自分がいままで映画評論という分野になぜ興味を持ち、惹きつけられてきたのか、気づかされた思いがしました。

これは常日頃感じていることですが、日本における「映画評論」という分野の歴史がまだまだ底浅く、スタンダードな著述が少なすぎて質的に十分に成熟していないのではないか、確固たる本質論が不在のなかで、奇を衒い論点をはずした稚拙・無謀な傍論だりが幅を利かせ氾濫して、僕たちはそんなものばかりを読まされてきたような気がします。

スタンダードを欠いたこうした現状への飢え感と苛立ちが、「映画評論」に近づけた理由だったのかもしれないと、この本を読みながら感じた次第です。

総合芸術といわれるくらいの「映画」なのに、それを評するライターといえば、ごく偏った知識だけを駆使してサッと「あらすじ」をなぞる程度か、「偏っ」てるくらいならまだマシなほうで、それこそ映画など興味も関心もない原稿料狙い「小金稼ぎのヤカラ」が我がもの顔で跳梁し、もっともらしく斜にかまえるスタイルだけは一応イッチョマエ、せいぜい世の中を歪めて見ることくらいしかできない拗ね者・捻くれ者の論法だけで、映画の基盤となっている文学=ストーリーを真正面から読み解こうとすることもなく、せいぜい「あらすじ」か周辺情報を紹介する程度で、本質論を語れないまま論点をはずし、狭い偏見を駆使しただけの傍論が堂々と幅を利かしている、そういう稚拙な世界(業界)なのだということが、自分をずっと苛立たせてきたのだと思います。

そのひとつの現われが、さんざん読まされてきた「晩春」における、あのなんとも下品でオゾマシイ「父娘・近親相姦論」でしょう。

小津安二郎が生きていたら、こんないかがわしい解釈(ここまでくると、これはもう解釈以前の妄想でしかなく、せいぜいアダルトビデオの発想程度です)をされること、そういう侮辱的な評価が堂々とまかり通っている異常な事態に対して激怒するのではないかと思うくらいの暴論です。

もう本当に正直うんざりなのです。

たぶん批評家ご本人は、有り余る知識をひけらかしたくて、こんなふうに奇を衒ったことでも書き散らせば(それ自体、もはや甚だしい時代錯誤の発想にすぎませんが)、大向こうを唸らせられるとでも勘違いしたのでしょうが、しかし、それこそが猿の浅知恵というもので、ただ長生きして生き残り、先輩が死に絶えて自分に発言の順番が回ってきただけの「ご仁」の薄っぺらな世迷言を拝聴しなければならないという災厄をこうむるのは、いつの時代でも、同時代に生きる者たちの避けがたい呪われた宿命なのかもしれませんが、スタンダードの存在しない世界で、いくら奇を衒った傍論(もちろんあの「父娘・近親相姦論」です)をぶち上げても、それは所詮ただの駱駝のゲップ程度の影響しか世の中に与えることしかできません。

しかし、「晩春」という作品が、いまだに正確な読み取りは為されていないながらも、あの作品が描いた「スタンダード」な理念は、厳然として、やはりその作品のなかに存在しているわけなのですから、いつの日にか、そして誰かが、明晰によって「スタンダード」を読み取ってくれるに違いないと信じています。

「晩春」は、早くに妻を亡くした父とその娘の、孤独な親子の日常の物語です。

愛する妻を失った夫と、母を失った孤独な娘が、寄り添うようにひっそりと生きる日常が淡々と語られており、その穏やかな日常の底には、あえて劇中で語られることはないにしても、つねに「妻=母」への切ない思いで満ちています。

この物語から、この父娘をとおして亡き母へのつきせぬ情愛の思いを見失わなければ、きっと「父娘・近親相姦論」などという、とんでもない妄想も、いかがわしい世界への連想にも迷い込まずに済んだかもしれません。

娘は、亡き母のかわりに、ずっと父親の世話をし続けています。

母の面影を背負い、母の眼差しに見守られながら父の世話をする作業は、娘にとって大きな喜びであり誇りでもあったはずです。

人が生きていくうえで「喜び」と「誇り」とが満たされた自足の生活をすでに得ているとしたら、いったい他になにを求める必要があっただろうかと考えるとき、紀子が、この穏やかな日常をいつまでも失いたくないと考えるのは至極当然なことで、そこでは、自分が婚期を逸しかけている「行き遅れ」などという異次元の下世話な発想さえ入る余地のない濁りのない純粋な境地にあり、娘にとってこの「3人だけの生活」が、まさに完璧なものだったからこそ、いまさら他人を介在させる必要も意味も見出せなかったに違いない、これが紀子の置かれていた状況だったと思います(「喜び」も「誇り」にも縁遠い蓮実センセイには、この辺のところが、もうひとつ解せなかったのかもしれませんが)。

しかし、父親にとって、身を犠牲にすることなど厭わない娘の心優しさを思うにつけ、父親はひそかに胸を痛めています。

自分の亡き後、ひとりぼっちになってしまう娘の境遇は、すぐ間近に迫っている熾烈な現実としてあり、そのことを思えば、いっそう健気な娘への不憫と焦りは募っています。

ひとり残される娘の行く末を案じる危惧から「いつまでも、こうしてはいられない」と、見合い話を容認する父親の責任感と、いまの現状を決して変えたくないという娘の気持ちとが激しく衝突し、軋轢を生じさせるというストーリーが展開します。

しかし、結婚に逡巡する娘の背中を押すための父親の苦しい嘘=見合い話、娘の嫉妬と決断へと進むこの物語をどう辿り、自分的にどう飛躍させても、「父娘・近親相姦論」などという「性」的妄想には、どうしても繋がっていかないのです。

いやいや、「晩春」だけじゃない、「麦秋」にしても「東京物語」にしても、どう間違えれば、近親相姦に辿り着けるのか、そのいかがわしい発想の端緒を見つけることがどうしてもできませんでした。

無理にでも辻褄合わせができないか、しばらく考えたあと、馬鹿らしくなってやめました。

アダルトビデオの安直な筋立てじゃあるまいし、義父と嫁が同衾したり乱交したりなど、小津作品には最初から有り得ないことだったのです。

むしろ、逆に「性」によってしか関係を結べなくなった人間不信の「現状」こそが、むしろ異常事であって、後世の人たちから見たら、人間関係を結ぶうえで、これほど「性」にこだわり重きを成した現代の異常な幼児性を奇異に思うかもしれません。

時代になんか媚びる必要なんかない、と教えてくれたのは、小津作品の普遍性です。

あえて探さなくって、スタンダードなら目の前にありました。

スタンダードがそこに厳然として存在しているなら、解釈なんて所詮無力なものにすぎません。

(1949松竹)監督・小津安二郎、原作・: 廣津和郎「父と娘」より、脚本・野田高梧、小津安二郎、撮影・厚田雄春、製作・山本武、美術・浜田辰雄、調音・妹尾芳三郎、録音・佐々木秀孝、照明・磯野春雄、編集・浜村義康、音楽・伊藤宣二、装置・山本金太郎、装飾・小牧基胤、衣裳・鈴木文次郎、現像・林龍次、焼付・中村興一、進行担当・渡辺大、監督助手・山本浩三、塚本粧吉、田代幸蔵、斎藤武市、撮影助手・井上晴二、川又昂、老川元薫、舎川芳次、松田武生、美術助手・熊谷正男、調音助手・堀義臣、末松光次郎、佐藤廣文、大藤亮、照明助手・鈴木茂男、青松明、装置助手・佐須角三、結髪・佐久間とく、装飾助手・山崎鉄治、相原誠、床山・吉沢金太郎、柿沢久栄、工作・三井定義、擬音・斎藤六三郎、編集助手・羽太みきよ、演技事務・八木政雄、撮影事務・田尻丈夫
出演・笠智衆(曾宮周吉)、原節子(紀子)、月丘夢路(北川アヤ)、杉村春子(文学座)(田口まさ)、青木放屁(勝義)、宇佐美淳(服部昌一)、三宅邦子(三輪秋子)、三島雅夫(小野寺譲)、坪内美子(小野寺きく)、桂木洋子(小野寺美佐子)、清水一郎(多喜川の亭主)、谷崎純(林清造)、高橋豊子(林しげ)、紅沢葉子(茶湯の先生)
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by sentence2307 | 2014-09-15 15:53 | 映画 | Comments(0)