世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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<   2015年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

この作品を見る前に、見たあとできっと原題にないサブタイトル「ふたつの心をつなぐ旅」は必要ない、余計なものだと感じるだろうなという予感を持っていました。

いままで、鑑賞前にもったこうした予感は、だいたい的中するのですが、しかし、今回に限っては違っていました、別に、これくらいのサブタイトルならあってもいいかなと。

この「これくらいなら、いいかな」は、おそらく、この作品に対する自分の「期待」と「失望」の落差を示しているような気がします。

それは、そのまま、この作品を予告編で見たときの印象と、実際に本編を見たときの微かな失望を現わしているのですが、実は、そのまえに、あえて「抑えたモノクロ画面」で撮られた作品というものに対する自分の先入観、というか「偏見」について説明しておかなければなりません。

この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」が、なぜ、あえてモノクロにこだわって撮られなければならなかったのか、という考察のまえに、映画史における多くの監督たちが、転換期の時代的な要請に従って「モノクロ作品」から「カラー作品」に移行しなければならなくなったときの「煩悶」についてどうしても考えておきたいと思ったからでした。

その「煩悶」こそが、「あえてモノクロにこだわって撮られなければならない作品」という問いの答えになるかも、と考えたのでした。

発明以後、映画を大きく変えた事件は、「発声」と「発色」だったといわれています。

特に、いままでは白黒だけでしか表現できなかった世界を、現実の色彩を反映させて描けるようになったということは、それだけで大きな事件、まさに革命的なことだったわけで、映画作家にとってその表現の広がりは、きっと驚天動地といえるくらいの喜びだったはずです。

しかし、色がついたことによって、失うものもまた少なくなかったのではないか、つまりそれが「煩悶」の意味だったに違いありません。

とりわけ人間の悲惨や悲痛な絶望を描くことに執着した映画作家たちにとっては、「そう」だったはずです。

小津作品が「色彩」を獲得たことによって、以後辛らつな「ペシミズム」や強烈な「絶望感」は影を潜めて、それらをストレートには描きづらくなったという事実をみれば、おおよそ分かるような気がします。

華やかで静謐な画調だけが描くことのできる上品で小市民の静かな絶望は、しかし「できる」というよりは、むしろ色彩の華やかな多弁性によって、逆にストーリーの饒舌を阻む「限界」ともなったのではないかという気がします。

はたして総天然色のシネマスコープとやらで、あの「風の中の牝鶏」の暴力的なまでに殺伐とした夫婦関係の感情の昂ぶりを、あのように描くことができただろうかと思わずにいられません。

以後、小津の描いたこの過激な「殺伐」は、時代を遡って「ぶれ過ぎ」と決め付けられ、戦争直後という時代の特殊性のなかに括られて封じ込められたあげく、評者たちの理解からも遠ざけられるという否定的な扱いを受けました(非難→無視)。

黒澤明にしても、色彩を獲得(熱中)することによって、「絶望→希望」を描けた世界観を次第に失い、晩年は「絶望→悲観」までしか描けなくなります。

それは、以前の黒澤なら、さらにもう一歩突き進んで、その先にある「希望」までをも強引に切り開いてみせた活力をすっかり失い、疲労感にみちた中絶に甘んじた無力な「悲観」の情景しか描けなくなったことを見れば明らかです。

いずれにしても(小津にしても黒澤にしても)、その凋落の根本には色彩の多弁に阻まれた限界が障碍となったからだと考えたのですが、それともうひとつ、モノクロに相応しい題材とのミスマッチということもあったかもしれません。

この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を見ながら、その「ミスマッチ」について考えていました。
あえてモノクロで撮ったというこだわりの傑出した名作ということで連想した作品が、ふたつありました、「ラストショー」と「ペーパームーン」です。

粗くざらついた白黒画面は、荒廃したアメリカの田舎町の風景を生々しく描くのにふさわしく、その寒々しい風景を的確に描き得ていたのですが、しかし、ただそれだけではない、寒々しい人間関係の絶望的なあり方が、まさにその風景と同調して痛烈に描き込まれていたからこそ、その「白黒画面」は、僕たちの楽観を傷つける強烈な印象と深い感銘を与えることができたのだと思います。

この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」においても、そのモノクロ画面は、まさに「寒々しい風景」を的確に捉えていたのですが、その情景の画調が、すさんだ感情の象徴でも有り得たのかどうか、そこはしごく疑問と感じました。

この映画が傑出しているのは、「100万ドル当選」が、耄碌した老父の妄想でしかないことを、「生まれ故郷」の近親者や「親友」によって、タカられ、辛らつに暴かれ、そして、あからさまに嘲笑される過程に、息子もまた身を置くところにあります。

そこでは、「100万ドル当選」が、ただの妄想にすぎなかったように、「生まれ故郷」に抱いていた親しみや郷愁だって同じようなものだったのだと徐々に描かれます。

いや、むしろ「100万ドル当選」はともかく、「故郷」こそ馬鹿げた唾棄すべきものとさえいっているような気がします。

なにしろ、「100万ドル当選」の代わりとはいえ、ネブラスカの出版社は、輝かしい記念キャップをくれたのですから、タカルことばかり考えていた生まれ故郷の近親者や親友たちとは大違いだったわけで、「故郷」より余程誠実だったということができたのですから。

妄想だったとはいえ(しかし、「それ」がなければ、故郷の者たちの悪意は、ここまであぶりだされることもなかったかもしれませんが)「100万ドル」にタカリ、それが妄想とわかると嘲笑するような故郷につくづく嫌気がさして、その地を見放して立ち去る親子の姿に、かつて見た「ペーパームーン」をダブらせることで、なんだか複雑なものを感じてしまいました。

息子は、老父が嘲笑され、非難を浴びたとき、はじめて老父の妄想に徹底的に付き合おうと決意します。

それまで息子は、父の妄想に付き合うとはいっても、それを事実として真に受けていたわけではありません。

ネブラスカに向かう父の気持ちをどうにか紛らわすために数日付き合うくらいに考えていただけで、そのついでに親類縁者や旧友のいる故郷に立ち寄ることが父のためにもいいと感じたはずです。

あの「ペーパームーン」の擬似親子には、ラストで心を通わせ、ほのぼのと「結束」する様子が描かれたのですが、この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」に、そういうものが、果たして描かれているのだろうかと。

最初息子は、父の妄想を拒絶します。

それは、まだまだ父の「正気」の部分があるのに、「妄想」など受け入れられないというのが本心だったでしょう。

しかし、ありもしない「100万ドル」によって親類縁者や旧友から無心され、否定すると非難され、そしてそれが単なる妄想だったと知れたとき嘲けられたことで息子は父をかばい、自分だけは父の妄想(残された「正気」を含めて、ですが)を受け入れようと決意します。

いささか食い違ってはいてもそれでもいいのだと。

しかし、それが、サブタイトルにあったあの「ふたつの心をつなぐ旅」ということだったのか、という疑問が、やはりふたたび自分を捉えます。

残された「正気」の部分だけでなく、まだらにボケタ部分をも(口裏を合わせて)すべて受け入れることもまた愛情なのか、結局のところ、最後まで納得できないで終わるかもしれないという戸惑いをやり過ごしながら、このサブタイトルを受け入れてもいいような気にだんだんなってきました。

(2013アメリカ)監督・アレクサンダー・ペイン、製作・アルバート・バーガー、ロン・イェルザ、製作総指揮・ジョージ・パーラ、ジュリー・M・トンプソン、ダグ・マンコフ、ニール・タバツニック、脚本・ボブ・ネルソン、撮影・フェドン・パパマイケル、美術・デニス・ワシントン、衣装・ウェンディ・チャック、編集・ケビン・テント、音楽・マーク・オートン
出演:ブルース・ダーン(ウディ・グラント)、ウィル・フォーテ(デヴィッド・グラント、ウディの次男)、ジューン・スキッブ(ケイト・グラント、ウディの妻)、ステイシー・キーチ(エド・ピグラム、かつてウディと自動車整備工場を経営していた男)、ボブ・オデンカーク(ロス・グラント、ウディの長男)、アンジェラ・マキューアン(ペグ・ナギー、ウディの結婚前の恋人)、ティム・ドリスコル、デヴィン・ラトレイ(コール、レイとマーサの息子)
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by sentence2307 | 2015-05-17 17:12 | 映画 | Comments(0)

そこのみにて光輝く

「そこのみにて光輝く」のなかで、どうしても引っかかる場面がありました。

同僚を自分の不注意から鉱山の発破事故で死なせてしまった達夫(綾野剛が演じています)が、その記憶に苦しみつづけ、立ち直れないまま苦痛を酒で紛らわすため、毎夜、歓楽街を彷徨って泥酔するまで飲み歩くという荒んだ生活を続けていたそんなとき、たまたま立ち寄った売春バーで千夏(池脇千鶴が演じています)と出会う場面です。

このシーンは、この物語にとって、もっとも重要な場面といっても言い過ぎではありません。

実は、その前日に、パチンコ屋で顔見知りになった拓児(菅田将暉の好演が光ります)という男に「メシでも食わないか」と彼の家に誘われ、そこで彼の姉・千夏にはじめて出会っています。

そしてふたりが交わしたわずかな会話の中に、互いに興味を抱いて惹かれあう兆しが、遠慮がちに描かれており、観客にこれからふたりの関係が徐々に深まっていくのだろうかと思わせたその直後に、この売春バーでの痛切な出会いが描かれているのです。

はじめて出会い、互いに興味を抱いて、わずかながらも好感を持ちはじめて会話を交わしたふたりにとって自分のいい面だけを見せたいに違いない「出会い」のその直後、偶然に出会ったその場所は、こともあろうに他人には絶対に知られたくない自分の最も弱く醜悪な姿をまるごとさらけ出しているという悲痛な、売春と泥酔の「現場」でした。

そこで不意に出会ったふたりは驚愕し、動揺し、しかし、戸惑いながらも、徐々に状況が分かってきた達夫が、「いくら」と店のママに「彼女の値段」を尋ねます。

そして、「8000円」という答えに、達夫は思わず笑い出してしまう。

千夏は、侮辱されたと激怒し、達夫を幾度も殴って店から追い出します。

しかし、達夫のこのときの笑いが、泥酔していたとはいえ、本当に「軽蔑」の笑いだったのだとしたら、このように嘲り傷つけられて破壊された人間関係が、果たして、まるでなにごともなかったみたいに、このように修復できるものなのだろうか、という疑問にとらわれてしまったのでした。

すこしあと、次第に2人が親密になって、やがて達夫から求愛されたとき、千夏は、自分には養わなければならない家族があり、そのためにはどうしても「売春」しなければならないのだと、言い返す場面があるのですが、しかし、それは、あの夜に受けた「8000円」と侮辱されたことに対しての抗弁だとしたら、あまりにも冷静すぎるように感じました。

侮辱され傷つけられた人間の怒りと怨念の記憶は、こんなもので収まるはずがない、という違和感、ストーリーの本道からいつの間にか忘れ去られてしまったかのような「8000円」といわれたあの侮辱はどこへいってしまったのかという違和感をずっと持ち続けてきました。

それとも千夏にとってあの「8000円」といわれたことは、侮辱でもなんでもないことで、右から左に聞き流せる些細なことだったのか、これではまるで侮辱を受けたことなど「なかった」みたいではないか、と考えたとき、そうか、本当は「なかった」のかもしれないなと思い立ちました。

映画のオリジナルなら、そういうことは十分に考えられることです。

映画を見てから、原作を読むなどということは、ついぞしたことがないのですが、今回は例外です。

さっそく図書館から原作本「そこのみにて光輝く」を借りてきて読み始めました。

欲情にとらわれた達夫が、女を求めて夜の街に彷徨い出るクダリは、確かにありますが(41頁)、しかし、そこでは千夏との出会いはありません。

あるいは、千夏が、達夫との性交時にバーで体を売っていることを告白するクダリもありますが(58頁)、達夫が客だったこともありません。

ですから、「8000円」も原作では最初から存在しなかったことになります。

分裂していたふたつのストーリーを「場」によって結び付け、ドラマを盛り上げる巧みさには心底感心しました。

しかし、ひとりの人間の値段の「8000円」という数字が、あまりに強烈すぎて、その痛切な存在感がドラマの中でいつまでも尾を引き、「あれってどうなった」みたいな影響力が一人歩きしてドラマに綻びをきたすことまでは想定できなかったことを除けば、ですが。

そして、もうひとつ原作と違うところがありました。

達夫が苦しんでいた「同僚を死なせてしまった」あの発破事故は原作にはなく、あるのは、造船所で働いていたとき拘わっていた組合活動に嫌気がさして、さっさと勧奨退職したことと(スト破りみたいな感じだったのでしょうか)、かつてのその組合員からときたま嫌味な干渉を受けていることが寒々しく描かれているだけです。

もし原作に忠実に描いていたとしたら、党派の迷宮に足を取られ、これほどまでの求心力を獲得できていたかどうか、すこぶる疑問とするところです。

監督・呉美保の選択は、ともに正しかったと言うほかありません。

(2014「そこのみにて光輝く」製作委員会)監督・呉美保、原作・佐藤泰志「そこのみにて光輝く」1989河出書房新社刊、第2回三島由紀夫賞候補作、脚本・高田亮、音楽・田中拓人、製作・永田守、企画製作・菅原和博、エグゼクティブプロデューサー・前田紘孝、プロデューサー・星野秀樹、アソシエイトプロデューサー・吉岡宏城、佐治幸宏、キャスティングディレクター・元川益暢、ラインプロデューサー・野村邦彦、撮影・近藤龍人、照明・藤井勇、録音・吉田憲義、美術・井上心平、編集・木村悦子、助監督・山口隆治、助成・文化芸術振興費補助金、配給・東京テアトル、函館シネマアイリス、宣伝・太秦、制作プロダクション・ウィルコ、製作・「そこのみにて光輝く」製作委員会(TCエンタテインメント、スクラムトライ、函館シネマアイリス、TBSサービス、ひかりTV、ギャンビット、TBSラジオ&コミュニケーションズ、太秦、WIND)、レイティング・R15+、英題THE LIGHT SHINES ONLY THERE
出演・綾野剛(佐藤達夫)、池脇千鶴(大城千夏)、菅田将暉(大城拓児)、高橋和也(中島)、火野正平(松本)、伊佐山ひろ子(大城かずこ)、田村泰二郎(大城泰治)、奥野瑛太、あがた森魚、猫田直、小林万里子、熊耳慶、中村憲刀、小林なるみ、近藤奈保妃、横内宗隆

第38回モントリオール世界映画祭コンペティション部門出品・最優秀監督賞(呉美保)、第22回レインダンス映画祭・ベストインターナショナル賞、第6回TAMA映画賞・最優秀女優賞(池脇千鶴)、最優秀新進男優賞(菅田将暉)、第36回ヨコハマ映画祭・ベスト10第1位、作品賞、第88回キネマ旬報ベスト・テン(2015年)・日本映画ベスト・テン1位、監督賞(呉美保)、脚本賞(高田亮)・主演男優賞(綾野剛、『白ゆき姫殺人事件』と合わせて)、第38回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(池脇千鶴)、第29回高崎映画祭・最優秀監督賞(呉美保)、最優秀主演男優賞(綾野剛)、最優秀助演女優賞(池脇千鶴)、最優秀助演男優賞(高橋和也、菅田将暉)、第69回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞・男優主演賞(綾野剛)、女優助演賞(池脇千鶴)、監督賞(呉美保)、第57回ブルーリボン賞・監督賞(呉美保)、第10回おおさかシネマフェスティバル・作品賞、主演男優賞(綾野剛、『白ゆき姫殺人事件』と合わせて)、主演女優賞(池脇千鶴)、助演男優賞(菅田将暉、『海月姫』、『闇金ウシジマくん Part2』と合わせて)、監督賞(呉美保)、撮影賞(近藤龍人、『私の男』と合わせて)、平成26年度芸術選奨文部科学大臣新人賞映画部門(呉美保)、第9回アジア・フィルム・アワード - 最優秀助演女優賞(池脇千鶴)、第24回日本映画批評家大賞・監督賞(呉美保)、主演男優賞(綾野剛)、助演女優賞(池脇千鶴)、助演男優賞(菅田将暉)
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by sentence2307 | 2015-05-04 20:54 | 映画 | Comments(0)

書くことの重さ

あれはちょうど「海炭市叙景」が上映された少しあとの頃だったと思いますが、日本映画専門チャンネルで「海炭市叙景」放映に合わせて、作家・佐藤泰志のドキュメンタリーも併映していました。

タイトルは、たしか「書くことの重さ」だったでしょうか。

「海炭市叙景」の描く救いようのない人々の絶望と悲観、殺伐とした内容が、自分にはあまりにも重過ぎて、鑑賞後の不安と、振り切ってしまった動揺の持って行き所がなく、気持ちのおさまりのつかないまま、このドキュメンタリーになんらかの答えがあるのではないかと、すがりつくような思いで、この「書くことの重さ」をも見た気がします。

内容は、この若き作家・佐藤泰志が芥川賞の候補にあげられ、いままさにその受賞の連絡がくるかどうかという緊張の瞬間に立ち会う臨場感溢れるドキュメンタリーでした。

それまで幾度も芥川賞の選に漏れている佐藤泰志は、照れくさそうに苦笑しながら、そして弱々しく「今度もやっぱりダメですよ」と背をかがめて話していた映像が、いまでも強烈に残っています。

たぶん、そのドキュメンタリーの製作者の意図も、そこで「喜びの瞬間」を捉えようなどというつもりはさらさらなく、この不運の作家のさらなる「失意」を露骨に狙っている底意地の悪さがモロに透かし見える、なんだか見え見えの作品で(他人の「歓喜」よりも「失意」や「絶望」の方が、そりゃあ作品として見栄えがするし、玄人受けもいいというのは周知の事実なので、それなりに商売にもなるわけです)、その製作者の意図どおり、自分としても、佐藤泰志がそのように弱々しく卑屈に受け答える様子から、瞬時に、やがて自殺という「自己破産」に至る苦渋の瞬間まで、まっすぐに繋がる安直な失意の図式が連想され、まさに自分もまたこのドキュメンタリーの意図に易々と乗せられて共振するという、彼の「苦渋」を安直に「理解」してしまったことへの苦々しい自己嫌悪だけが残ってしまったような映像体験でした。

あきらかに、このドキュメンタリーは、ひとりの男の「自死」をあらかじめ織り込みながら、芥川賞落選の瞬間をも死の影に覆われたものとして描こうとしています。

やり過ごしてしまえばなんということもない、取るに足りない「落胆」を、より一層痛ましいものに無理やり関連付ける連続性のデコレーションに成功した作品だったかもしれません。

しかし、その自己嫌悪は、自分たちがすでに知っている彼の「自殺」という悲痛な出来事を時間軸を逆転させて作品に反映させ、弱々しい不運な作家をより一層マイナーに見せるという悪意に満ちた効果をいつの間にか自分たちも愉しんでしまっていることへの嫌悪という種類のものだったでしょう。しかし、今回この「そこのみにて光輝く」を見ていて、いつの間にか自分が抱いてきたその先入観(デコレーションへの嫌悪)にちょっと違和感をおぼえたシーンが幾つかありました。

それは、なによりもこの作品の持っている独自の力強さ(ストーリーはとことん絶望的であっても)です。

「海炭市叙景」が帯びていたあの弱々しい悲壮感(早世の作家の不運を利用して反映させた悲壮感)とはまったく違う、そして、佐藤泰志の卑屈で鬱屈した悲観(虚飾としてのデコレーションですが)に引きずられることなく、それらとはまったく異質な創意に満ちた力強さを感じました。

それは、「自殺作家」の悲観や叙情性を作品上で上手に利用したり、マイナーな雰囲気に寄り掛かろうとはしていない独自な自立した表現といえるものだったかもしれません。

オリジナルから距離をとり、自立した「自由」を確保しながら創造するということは、途轍もなくエネルギーを必要とする行為だと思いました。

「ここのみにて光輝く」には、全編を通して兄を気遣う「妹」からの手紙という形でナレーションが語られています。

それは逆に、貧しく苦しい生い立ちを、ともに過ごし育ってきた妹への深い愛情が感じられることでもあったのかもしれません。

下に掲げた佐藤泰志の年譜によれば、佐藤泰志が自殺する前年に、妹さんが急死されたと記されています。

「海炭市叙景」の最初のエピソードでは、谷村美月演じる妹が、絶望する兄がいつか死んでしまうのではないかという不安に駆られ、怯えながら絶えず兄をうかがっている繊細な姿が描かれていました。

(2013)監督・稲塚秀孝、プロデュース・稲塚秀孝、撮影・進藤清史 、作佐部一哉、美術・庄司薫 、嶋村崇、主題曲/主題歌・ロベルト・シューマン、ミキサー・永田恭紀、音響効果・塚田大、照明・男澤克幸 、川島孝夫、編集・油谷岩夫、EED・金井猛 、佐藤幸、音声・内田丈也 、斎藤泉 、武田脩平、助監督・岩田大生 、池田春花 、新見圭太 、中野沙羅、題字/タイトル・西本直代、ナレーション・松崎謙二、語り・仲代達矢
出演・佐藤泰志、村上新悟(佐藤泰志)、加藤登紀子(佐藤幸子)、杉本凌ニ、坪内守、大塩ゴウ、平田康之、鎌倉太郎、鈴木豊、神林茂典、本郷弦、樋口泰子、





佐藤泰志 年譜

昭和24年(1949)
4月26日、函館市高砂町(現 若松町)に佐藤省三・幸子の長男として生まれる。

昭和31年(1956) 7歳
函館市立松風小学校に入学。4年生頃から大人びた言動が目立ち始める。

昭和37年(1962) 13歳
函館市立旭中学校入学。 読書クラブに所属し、3年生の時、部長になる。「『赤蛙』を読んで」が第10回北海道青少年読書感想文コンクールに入選し、受賞式出席のため札幌へ行く。

昭和40年(1965) 16歳
函館西高等学校に入学。文芸部に入る。 学習雑誌の投稿欄に随筆・詩などを投稿する。

昭和41年(1966) 17歳
小説「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。この頃、文芸読書サークル「青い実の会」結成を学友に呼びかける。

昭和42年(1967) 18歳
函館西高等学校で防衛大学校入学説明会阻止闘争が起こる。この事件を素材にした小説「市街戦の中のジャズメン」で第5回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。しかし、この作品は、高校生の書いたものとしては内容的に問題があるとされ、北海道新聞への掲載を拒否される。

昭和43年(1968) 19歳
3月、函館西高等学校卒業。函館で浪人生活を始める。 20枚の作品だった「市街戦の中のジャズメン」を30枚に書きなおし、「市街戦のジャズメン」と改題して『北方文芸』に発表。卒業前から北海道大学水産学部、北海道教育大学函館分校の政治的学生グループと接触。そのあたりから数年、大江健三郎・カミュ・ニザンなどを熱中して読む。 小説「市街戦のジャズメン」(『北方文芸』第1巻第3号)詩「ニューレフト」(『函館西高新聞』、3月)

昭和44年(1969) 20歳
浪人生活2年目。井田幸子・磯野新一・藤川巌・平智則ら年下の高校生と出逢う。

昭和45年(1970) 21歳
上京。中野区上高田に住む。 4月、國學院大学文学部哲学科に入学する。 高校時代の学友らと同人誌『黙示』を創刊に参加する。第6号まで詩や随筆数編を発表。

昭和46年(1971) 22歳
4月、大学の同級生漆畑喜美子と中野区上薬師で暮らしはじめる。 7月、『黙示』を脱会し、藤川巌、茜堵志哉、岩崎理らと同人誌『立待』を創刊。小説「贋の父親」(『立待』創刊号、7月) 小説「追悼」(『立待』2号、8月)小説「留学生」(『立待』3号、12月)

昭和47年(1972) 23歳
国分寺市戸倉に転居。喜美子は大学を中退。国分寺のジャズ喫茶に勤める。 小説「防空壕にて」(『立待』4号、7月) 小説「奢りの夏」(『北方文芸』第5巻10号)

昭和48年(1973) 24歳
国分寺市東元町に転居。さらに国分寺市本多に。短期間のうちに市内を転々とする。小説「孔雀」(『立待』5号、1月) 小説「兎」(『立待』7号、7月) 小説「犬」(『立待』9号、8月)小説「遠き避暑地」(『北方文芸』第6巻12号)

昭和49年(1974) 25歳
3月、国学院大学を卒業。卒業論文は「神なきあとの倫理の問題」。4月、喜美子就職。国分寺市戸倉に戻る。市役所を15か所受けるが全部落ちる。大学推薦の予備校事務員の職も自分で蹴る。服装メーカーの製品値札付けのアルバイトを皮切りに、その後職を転々とする。10月、同人誌『贋エスキモー』を藤川巌、酒井俊郎とガリ版刷りで創刊。 小説「颱風」が第39回文学界新人賞候補となる。小説「少年譜」(『立待』9号、4月) 小説「朝の微笑」(『北方文芸』第7巻11号)小説「休暇」(『贋エスキモー』創刊号、10月)

昭和50年(1975) 26歳
あかつき印刷に勤める。

昭和51年(1976) 27歳
10月、八王子市長房の都営団地に転居。喜美子、転職。 小説「深い夜から」(『北方文芸』第9巻8号)が第1回北方文芸賞佳作となる。授賞式のため札幌に行く。

昭和52年(1977) 28歳
精神の不調に悩み、3月、上目黒診療所で自律神経失調症の診断を受け、通院をはじめる。以後、没するまでずっと精神安定剤を服用。療法としてのエアロビクス体操とランニングをはじめる。1日、10キロ以上走る。9月、国立市の一橋大学生協に調理員として勤める。一橋の学生寮に出入りし、三里塚の援農にかかわる。 小説「移動動物園」(『新潮』6月号)が第9回新潮新人賞候補作となる。

昭和53年(1978) 29歳
5月、長女・朝海(あさみ)誕生。 10月、『贋エスキモー』をタイプ印刷であらためて1号から発行。 小説「光の樹」(『贋エスキモー』1号、10月) 小詩集「愛あらば一枚の皮膚」(『贋エスキモー』1号、10月)

昭和54年(1979) 30歳
梱包会社に正式に就職。 12月9日、睡眠薬による自殺未遂で入院。 小説「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3号)小説「颱風伝説」(『北方文芸』第12巻6号) 小説「草の響き」(『文藝』七月号)小説「ディトリッヒの夜」(『幽幻』2号、8月) 小説「画家ティハニー」(『贋エスキモー』2号、10月)随筆「私信・今もまだ贋エスキモーである藤川巌に」(『贋エスキモー』2号、10月)

昭和55年(1980) 31歳
1月13日、長男・綱男誕生。1月23日退院。 小説「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3号)で第16回作家賞を受賞。2月、その受賞式のために名古屋へ。「もうひとつの朝」は文芸誌『作家』3号に転載された。小説「七月溺愛」(『北方文芸』第13巻3号)

昭和56年(1981) 32歳
3月、郷里の函館市に転居。 職業安定所に通いながら、就職先を探す。 5月、職業訓練校の建築科に入り、大工になるための訓練を受ける。 小説「撃つ夏」(『北方文芸』第14巻第2号) 童話「チエホフの夏」(『贋エスキモー』3号、8月) 小説「きみの鳥はうたえる」(『文藝』9月号)が第86回芥川賞候補作となる。

昭和57年(1982) 33歳
3月、東京に戻る。国分寺市日吉町4丁目に住む。 『きみの鳥はうたえる』(3月、河出書房新社刊、表題作のほかに「草の響き」を所収)随筆「函館の朝市」(朝日新聞社北海道支社発行〈旅のメモ〉4月号) 小説「光る道」(『文藝』10月号)小説「空の青み」(『新潮』10月号)が第88回芥川賞候補作となる。

昭和58年(1983) 34歳
『きみの鳥はうたえる』の表紙を担当した画家・高専寺赫と親しくなる。 このころから文芸誌の新人賞の下読みと新聞の書評の仕事が入るようになる。 小説「鳩」(『性教育研究』2月号) 小説「水晶の腕」(『新潮』6月号)が第89回芥川賞候補作となる。 小説「黄金の服」(『文學界』9月号)が第90回芥川賞候補作となる。

昭和59年(1984) 35歳
5月から『日刊アルバイトニュース』の連載エッセイ「迷いは禁物」がはじまる。週に1本、1985年7月まで全部で56回書く。5月、国分寺市日吉町3丁目に転居し、以後、没するまでここに住む。次女・佳乃子誕生。小説「防空壕のある庭」(『新潮』3月号) 随筆「夢みる力」(『北海道新聞』2月22日付)随筆「八百五十キログラムの詩集」(『オーバー・フェンス』6号、3月) 小説「美しい夏」(『文藝』六月号)小詩集「僕は書きはじめるんだ」(『オーバー・フェンス』7号、9月)

昭和60年(1985) 36歳
小説「鬼ガ島」(『文藝』3月号) 小説「オーバー・フェンス」(『文學界』5月号)が第93回芥川賞候補作となる。随筆「書斎」(『北海道新聞』7月30日付) 小説「野栗鼠」(『文藝』9月号)小説「風が洗う」(『文學界』11月号) 小説「そこのみにて光輝く」(『文藝』11月号)詩「そこのみにて光輝く」(『オーバー・フェンス』9号、11月)

昭和61年(1986) 37歳
「もうひとつの朝」の再発表をめぐって波紋。事実上、文芸ジャーナリズムからほされる。 アルコール中毒ひどくなる。 小説「もうひとつの朝」(『文學界』6月号)

昭和62年(1987) 38歳
随筆「十年目の故郷」(『北海道新聞』1月20日付) 随筆「『北方文芸』と私」(『北海道新聞』4月25日付)小説「大きなハードルと小さなハードル」(『文藝』12月号)

昭和63年(1988) 39歳
4月よりテレビドラマの時評を月1回書く。(共同通信系で全国より地方紙に「放送時評」あるいは「テレビ時評」として、1989年3月まで連載される)。 加藤健次編集の雑誌『防虫ダンス』に連載していた「海炭市叙景」の連作を途中で打切り、文芸誌『昴(すばる)』で、11月号より新たに最初から断続的に掲載を始める(1990年の4月号まで6回にわたり発表する。なお、この連作は当初の構想では、全体を4章(36編)とし、第1章「物語のはじまった崖」と第2章「物語は何も語らず」の18編が『昴』誌上に発表された。しかし、1990年の自裁により第3章以降は中断となる)。 小説「海炭市叙景/1まだ若い廃墟 2青い空の下」(『防虫ダンス』4号、1月) 随筆「青函連絡船のこと」(『中國新聞』ほか、3月10日付) 小説「海炭市叙景/3冬を裸足で」(『防虫ダンス』5号、5月) 随筆「もうひとつの屋上」(『昴』7月号) 小説「海炭市叙景」(『昴』11月号) 小説「納屋のように広い心」(『文藝』季刊冬季号)

平成元年(1989) 40歳
1月19日、北海道浦河町に住む妹・由美が急死する。小説「闇と渇き(海炭市叙景2)」(『昴』3月号)『そこのみにて光輝く』(3月、河出書房新社刊、既発表の「そこのみにて光輝く」を第1部として、書き下ろしの第2部「滴る陽のしずくにも」を合わせたもの)が第2回三島由起夫賞候補作となる。小説「裸者の夏」(『群像』5月号)小説「新しい試練(海炭市叙景3)」(『昴』5月号)随筆「浦河の映画館」(『北海道新聞』6月2日付)小説「春(海炭市叙景4)」(『昴』9月号)『黄金の服』(9月、河出書房新社刊、表題作の他に既発表の「撃つ夏」「オーバー・フェンス」を所収)随筆「背中ばかりなのです」(『新刊ニュース』11月号)小説「夜、鳥たちが啼く」(『文藝』季刊冬季号)

平成2年(1990) 41歳
10月9日夜、ロープをもって家を出る。10日朝、自宅近くの植木畑で死体となって発見された。11日、通夜。12日、告別式。小説「青い田舎(海炭市叙景5)」(『昴』1月号) 随筆「武蔵野雑感」(『北海道新聞』1月23日付)随筆「アメリカの叫び」(映画『ブルックリン最終出口』パンフ、3月) 小説「楽園(海炭市叙景6)」(『昴』4月号)随筆「川の力」(『毎日新聞』5月29日付) 随筆「失われた水を求めて」(『東京人』7月号)随筆「卒業式の思い出」(国学院大学広報誌『滴』、10月) 小説「星と蜜」(『文藝』文藝賞特別号)小説「虹」(『文學界』12月号)

平成3年(1991)
『移動動物園』(2月、新潮社刊、表題作のほかに既発表の「空の青み」「水晶の腕」を所収) 『大きなハードルと小さなハードル』(3月、河出書房新社刊、表題作のほかに既発表の「美しい夏」「野栗鼠」「納屋のように広い心」「裸者の夏」「鬼ガ島」「夜、鳥たちが啼く」を所収) 『海炭市叙景』(12月、集英社刊) 3月、福間健二発行による文芸同人誌『ジライヤ』第6号が佐藤泰志追悼特集を組む。

平成4年(1992)
4月、佐藤喜美子より函館市文学館へ遺品が寄贈される。7月、辻仁成・荒木元発行の文芸同人誌「ガギュー」(創刊号)が佐藤泰志特集を組む。10月、「佐藤泰志をしのぶ会」(三回忌)が国分寺市内で営まれる。発起人は木村和史・佐藤喜美子・福間健二・藤川巌。

平成5年(1993)
3月、函館市文学館が開館し、佐藤泰志の展示コーナーが設置される。中高時代の学友などによる「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会」から、高専寺赫作品「叙景」(『海炭市叙景』の表紙絵)が函館市文学館へ寄贈される。4月、「絵を飾る会の夕べ」が開催される。6月、文芸同人誌『ガギュー』第2号が再度、佐藤泰志を特集する。

平成8年(1996)
8月、藤田節子(元函館文学学校事務局長)から函館市文学館へ、佐藤泰志からの書簡などが寄贈される。

平成9年(1997)
5月、坂本幸四郎(文筆家)から函館市文学館へ、佐藤泰志からの書簡などが寄贈される。
平成11年(1999)
9月、函館市文学館で「佐藤泰志 途絶した青春」展が開催される(9/17~10/20)。同文学館主催により、日本近代文学会会員北村巌による講演会「佐藤泰志、その眼底に焼き付けしもの」が開催される。中高時代の学友らの手により、佐藤泰志追想集「きみの鳥はうたえる」(佐藤泰志追想集を発行する会発行)が刊行される。
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by sentence2307 | 2015-05-04 20:49 | Comments(0)