世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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このところ、立て続けに書評欄に取り上げられていて、少し気になっていた本がありました。

そして、ここにきて、ついに「日本経済新聞」の書評欄(2016.7.10)にも取り上げられて、やっぱりいま話題の本だったのかと、遅ればせながら認識した次第です。

その書名は、「兵士のアイドル」(押田信子著、旬報社刊、2200円)。

戦時中に、前線で戦う兵士たちのための慰問雑誌が刊行されていたとかで、海軍の肝いりで作られたのが「戦線文庫」、そして陸軍は「陣中倶楽部」という娯楽雑誌だそうです。

「戦線文庫」のグラビアには、現在のアイドル雑誌さながらに映画女優のポートレートで埋め尽くされ、原節子、田中絹代、高峰三枝子、李香蘭といった大スターたちが、妖艶なポーズで掲載されていて、たとえば、1938年の創刊号のグラビアでは、ロングドレスに着物と服装は華やかな、そして扇情的なポーズの写真も多く掲載されていたと書かれています。

「これが戦時下の雑誌かと驚いた。」と書評氏(梯久美子)は驚嘆を込めて書いていますが、軍隊(陸・海軍)が、最前線で戦う明日をも知れぬ兵士たちの慰問のために作った雑誌なのですから、当然お色気たっぷりの娯楽に徹した雑誌だったろうなということは容易に想像できます。

あの朝鮮戦争の最前線にヘリで颯爽と降り立ち、疲れた兵士たちを慰問したマリリン・モンローのあの悩ましい腰つきと笑顔に見入る兵士たちの熱狂を思い浮かべれば、「これが戦時下の雑誌か」などと、なにもカマトトぶって驚く振りをするには及びません。

兵士たちは、明日もまた、ことの善悪など超えた凄惨な戦場に赴き、自分が殺されるよりも先に敵を殺さなければならないぎりぎりの修羅場に身を置かねばならないのですから。

この書評を読んでいくうちに、この本の論点は、どうも「兵士のアイドル」などにあるのではなく、「政治と金」ならぬ「軍隊と金」の問題を追求しているらしい「そっち系」のお堅い本であることが分かりました。

素直に「兵士のアイドル」をネタにした芸能雑誌だと早とちりして購入したミーハーの読者(当然自分もその中のひとりです)には、きっと、この鬱陶しい真摯な内容に遭遇して、突然脳天を鉄槌で勝ち割られ、脳髄を打ち砕かれるくらいの驚きと恐怖に見舞われるかもしれません。まさに鼻血ブーならぬ「脳髄ブー」であります(ずいぶん古い)。

書評氏もその辺のところは気にしているみたいで、限られた書評欄にしては、かなりの比重を割いてこの「軍隊と金」の解説に当てています。その部分を以下に引用して、紹介してみますね。

《この「戦線文庫」は海軍の肝煎りで生まれた雑誌で、軍部が監修し、一括して買い上げていたと知って再度驚いた。

制作費は国民からの慰問金である恤兵金から拠出されていたという。

「戦線文庫」とともに部数と内容の充実度で群を抜いていたのが、一年遅れで創刊された陸軍慰問雑誌「陣中倶楽部」である。

本書はこの二誌を詳細に読み解きながら、国家が国民を動員する手段として、女性たちの美や性的魅力をどのように利用したかを明らかにしていく。

女優や歌手だけでなく、ルポや小説、座談会などで雑誌に登場する女性作家にも「美」が求められたという指摘(美貌だった真杉静枝は海軍に重用され特別な待遇を受けていた)も興味深い。

一方で、慰問雑誌の背景にあった恤兵金に注目し、陸海軍の恤兵部が大衆の支持を得るために銃後で行っていた文化動員についても、これまでになかった視点から考察している。

終戦と同時にこの二誌は消え失せ、国会図書館にも保存されていないという。

それを掘り起こして分析したことは、戦時のメディア研究の空白部分を埋める意義があるが、それ以前に読み物としても魅力的である。》

この解説が事実なら、この本の書名は、せいぜい「日本の軍隊と消えた恤兵金」とするくらいの誠実さは示すべきだったかもしれません。

しかし、そんなお堅いタイトルにしたら、いまの時代、本なんか売れるわけがなく、それでなくたって、いま電車の中で、本を開いて読んでいる人の姿など、まったくの皆無といってもいいほど見かけることもなく、もはや書名を工夫したくらいでは、この深刻な出版不況は止められません。

ナチスは、焚書をして「有害書物」の徹底的な絶滅を図りましたが、いまの日本なら、そんなことをしなくたって、すでに誰もが知的好奇心を失ってしまっていて、せいぜいスホマの見出しを読むだけですべてを分かってしまった気になり、それだけで十分満足し、好奇心などさっさと完結して萎んでしまうというのが実態なのです。

早晩、本なんて死滅してしまいそうな勢いの、まさに危機的な状況といえます。

ですので、これが「兵士のアイドル」という書名なら、少しは希望が持てるかもしれません。

アイドル・オタク(どちらかというと、「自分」もそうかもしれません)が「総選挙」のためとか勘違いして10冊くらいは爆買いしてくれないとも限りませんしね。

しかし、やっぱ、この著者、「内容に偽りあり」のタイトルをつけることに少しは気後れしたのか、僅かながらの芸能人のエピソードを挿入することは忘れませんでした。

それはこんな具合です。

《国策に利用されたアイドルたちではあるが、では兵士たちとの心の交流が偽りだったかというとそうではない。彼女たちは誌上に慰問文を書き、戦場からは熱烈な便りが届いた。誌面はアイドルと兵士が交流するメディア空間だったのである。

死を覚悟した前線の兵士から、ブロマイドが送られてきたという高峰秀子の話が紹介されている。ずっと胸ポケットに入れていたが、ともに戦場で散らすのは忍びないので送り返すとの手紙が添えられていたそうだ。豊富なエピソードのひとつひとつから、戦争の時代を生きた若者たちの貌が見えてくる。》

個々の検証もすることなく、一応に女優たちを「国策に利用された」と決め付ける荒っぽい粗雑な言い方には、思わず「ムッ」とくるものがあって反感も覚えますが、しかし、最初から「女優」を将棋の駒のようにしか考えられないような人ならば、それも仕方のないことかもしれません。

「利用された」などと、映画人だってまったくの木偶の坊じゃないのですから、正確にいうのなら、むしろ、「国策」に群がった女優たちや映画人たちくらいには書くべきだったと思いますし、いずれにしても、そんなことは言い方の問題にすぎず、そもそもが取るに足りないことだと思っています。

「軍部」が権勢を振るった時代が去れば、「利用」された映画人も、「群がった」映画人も、ともに、さっさと見限り、次の権力者である「民主主義」に取り入っただけの話で(歴史が証明しています)、いかなる時代の権力者に対しても適当に調子を合わせながら、映画人は「撮る自由」を守ってきたのだということを理解できないと、やれ「転向した」だの、「裏切った」だの、「矛盾している」だの、つまらない道義心とかに振り回され、「勘違い」を犯して、晩節を汚す醜態を演じなければいいのですが。

この書評の無味乾燥な文章から、いままさに「死を予感した兵士」がスターにブロマイドを返送する行為と、「スター・高峰秀子」が無残に汚れた自分の写真を兵士から受け取るその無残な関係性について、どれほどの「真実」が読み取られているか、この書評に対して自分は少なからず苛立ち、そして疑心暗鬼になってしまったかもしれません。

おそらく、兵士は、「高峰秀子」を、自分にとってかけがえのない夢の象徴、不可能な「未来」や「希望」に代わるものとしたかったにちがいなく、そして、女優・高峰秀子にとっては、戦場から何百・何千と送り返されてくる自分のブロマイドひとつひとつに染み込まれた兵士たちの死の影に覆われた思いの重みに押し潰されないはずがありません。

高峰秀子は、「わたしの渡世日記」に、その苦しい思いを刻みつけるように記しています。

《「今日まで、貴方の写真を胸のポケットに抱きつづけてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまって済みません・・・。一兵士より」

支那事変から大東亜戦争の終わりまでの間に、私は何百通、何千通の手紙を前線の兵士から貰ったけれど、ほとんど返事を書いた記憶がない。返事を書こうにも、相手の住所も名前も書いてない手紙が多かったからである。今、思えば、それらの手紙の一通一通は、まるで遺書のようなものであった。「日本国 高峰秀子」の七文字だけで、私のもとに届いた軍事郵便に驚くよりも、そんないいかげんなあて名で、果たして届くか届かぬかも分からない手紙をしたためる兵士たちの、やりきれなく、うつろな寂しさを思うと、あの膨大な数の軍事郵便を、なぜ大切にしまっておかなかったのかと悔やまれる。

私には、身内から戦死者を出した経験はないけれど、私のブロマイドを抱いて、たくさんの兵士が、北の戦地を駆けめぐり、南の海に果てたことを知っている。

慰問袋から飛び出した私のブロマイドは、いつも歯をむき出してニッコリと笑っていただろう。兵士たちは、私の作り笑いを承知の上で、それでも優しく胸のポケットにおさめてくれた、と思うと、私もまた、やりきれなさで身の置きところがないような気持ちになる。おそらく、私の映画はもちろんのこと、私の名前さえ知らぬ農民兵士の手にも、ブロマイドは渡ったことだろう。彼らは、どこの馬の骨かわからない、見ず知らずの少女の顔を背嚢にしょって幾百里も歩き、そして死んでいった・・・もし、そうだとしたら、何と悲惨な青春ではないか。》(「わたしの渡世日記」血染めのブロマイド)

この高峰秀子の文章には、戦場における兵士たちの絶望を、そして彼らのことをなにひとつ知りもしない薄っぺらな作り笑いをしているだけの自分が、そのたった一枚の写真を大切に抱いて死んでいった若者たちの無残な死に対して、「申し訳なさ」を、苦渋の言葉で綴っています。

戦場で死んでいった若き兵士の胸のポケットで、「歯をむき出してニッコリと笑っていた」自分の空しい作り笑いの醜悪さを、嫌悪を込めて書いています。

筆者が、ことさらに採用したこの「ブロマイドを返送してきた兵士のエピソード」の意味するところは、「ブロマイドの返送」という行為に、当時の若者たちの遣り場のない無残な思いを、ことさらに強調したかったからでしょうが、果たしてその「効果」が意図したとおりにあったかどうか、残念ながら、効果は随分と的外れなものとして終わってしまったのではないかというのが、自分の感想です。

死を目前にした兵士たちは絶望し、疲れ果て、あるいは、ブロマイドを「女優」に送り返したかもしれません。

しかし、写真を抱いて死のうが、送り返そうが、その悲惨な死に様にとって、なにほどの違いがあったといえるでしょうか。

「返送」を悲惨と感じるのは、平和な内地にいて安穏と暮らすドラマ好きの人間たちの妄想にすぎません。
そこに「ある」兵士たちの悲惨は、やはり些かも変わるものではなかったことを、「女優」になりきれなかった少女は見抜いています。

そして、少女は、「女優」を演じ切れなかったことで、兵士たちの思いを受け止められなかったことに傷つき、そこにある自分の醜悪さを嫌というほど思い知ったとき、「女優」として生きることの本当の意味に気がついたかもしれません。

からっぽの人間になって、それが失意のなかで死んでいく若き兵士のポケットの中であろうとなんだろうと、いかなる荒廃も意に介さず、馬鹿みたいに「歯をむき出してニッコリと笑って」みせることだと。

不世出の名女優・高峰秀子の誕生の瞬間(人間性を失うことが「演者」の真髄だと発見した)を、見てしまったような錯覚に捉われました。
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by sentence2307 | 2016-07-28 13:21 | 映画 | Comments(6)

毬の行方 ①

「何が彼女をそうさせたか」を見てから、少しずつ時間が経過するにつれて、そのとき自分が「感動した」と思った気持ちが、果たして本物だったのだろうかと、だんだん自信がなくなってきました。

それは、ちょうどエイゼンシュタインの強烈な映像群に接し、衝撃的映像に強引に捻じ伏せられたときに感じたあの「感動」に似ていることに気がついたからです。

エイゼンシュタインの強引な映像に捻じ伏せられることの快感を、当初は、マギレもなく「感動」だと信じていたのですが、時間がたつにつれて、その「感動」が違和感のある嫌なものに変質し始めたことに気がつきました。

たぶん、その感情は、「唆された」とか、「煽られた」とか、「騙された」みたいな、自分の積み上げてきた映画体験とは程遠い「きな臭い」ものだったからかもしれません。

しかし、「傾向映画」なんていうものは、だいたいがそういうものだよと言われてしまえば、それまでなのですが、偏った政治的主張のために、ただの道具として利用されたり、使い捨てされる現実をみることをは、映画を愛する者にとって、なんだか居たたまれない思いにさせられることには違いなく、それではあまりにも「映画」というものが哀れでなりません。

亀井文夫や山本薩夫、そして今井正など日本の優れた映像作家たちに対して、自分がもうひとつ共感できなかった理由は、たぶんそのあたり(被虐性を売り物にする)にあったのかもしれません。

「何が彼女をそうさせたか」を見て、とても印象深かったのは、孤児・すみ子を食い物にする周囲の悪辣な人間たちを過剰に演じる役者たちの名演技ぶりです。

たとえ過剰であったとしても、やり過ぎだとまでは感じさせないその嫌らしいほどの悪辣さを、堂々と、そして嬉々として演じていました。

エイゼンシュタインは、日本の歌舞伎の大見得からヒントを得て、それを演技指導に生かしたと言われていますから、この「何が彼女をそうさせたか」に登場したバイプレイヤーたちの名演技は、その「逆輸入」の効果が十分に発揮されていたと見ていいかもしれません。

それに引き換え、主人公・すみ子の演技はどうだったか。

過酷な運命に見舞われ、ときには悲しみに表情が顔を曇らせることがあっても、しかし、それはあくまで「微かなもの」でしかなく、だいたいは、まるでバスター・キートンのような無表情を通して、世間の辛酸や虐待に対峙します。

そして、そのすみ子の、終始崩れることのない「無表情」に次第に観客はジレてきて、ついには彼女の負のイメージの妄想を広げることになります。

つまり、このように苛められ虐げられることが、彼女にはいまだ信じられない、それほど彼女は幼く、健気にして純粋無垢、さらに弱々しくて無力な少女なのだと、その運命を先読み・深読みしてしまうことになるかもしれません。。

「これが手だな」と思いました。いわゆる「被虐性を売り物にする」です。

僕のごく少ない鑑賞経験からすれば、ポルノ作品において、例えば男優が加虐の演技をいくら激しくギンギンに演じようと、女優の被虐の演技で上手に受けて合わせないと、どうしてもひとりだけ空回りして男優だけが浮いてしまう、観客を欲情させられない失敗作となってしまうはずです。

僕のごく少ない鑑賞経験からいうと(こればっかり)、受けに回る女優の過剰な「七転八倒」の演技よりも、声を殺して恥じらいに耐える抑制された演技の方が、遥かにイイ効果をもたらすと思います、友人から聞いた話ですが。

日本映画史上屈指の名作「何が彼女をそうさせたか」をポルノ映画の観点から論じるなどお叱りを蒙りそうですが、虐待され苛められるすみ子の無表情にこそ、この「傾向映画」を成功(?)に導いた鍵があるのだと言いたかったのです。

佐藤忠男「日本映画史 1」には、この映画の助監督を務めた木村荘十二のインタビューが掲載されています。

「・・・感情を興奮させるようなモンタージュを使っている。多少煽情的にね。曲馬団の場面では、芸人に苦しめられている次のショットにねずみが籠の中で空まわりしているショットをモンタージュしたりね。・・・客の反応がね、すごいんです。最後の方で主人公が反抗するところがあるんだが、その辺になると『そうだ! やっつけろ』って下駄や草履をスクリーンにぶっつけるんだな。」(303頁~304頁)

しかし、自分は、なにも映画を見て、その煽情的な内容のままに、激昂したり、怒りの拳を突き上げたり、権力打倒の革命歌を歌う積りも、そして、歌わせられる積りもありません。

こんなふうに、名作「何が彼女をそうさせたか」に、確かに感動はしたけれども、その一方で、それと同じくらいの後味の悪さも感じていた折も折、これもまたyou tubeで「毬の行方」という大変興味深い作品を鑑賞しました。

あとで分かったことですが、奇しくも、この作品は「何が彼女をそうさせたか」と同じ1930年の作品で教育映画として作られたとのことで、かたや傾向映画の全盛期を象徴する作品「何が彼女をそうさせたか」と対峙する格好な作品ではないかと位置づけて(自分勝手にですが)、この「毬の行方」を大変面白く鑑賞することができました。

さて、教育映画「毬の行方」ですが、佐藤忠男「日本映画史 1」では、こんなふうに紹介されています。

《貧しい少女と金持の少女との友情を扱った美談調の内容である。貧しい少女は、父親が酔っぱらいで、小学校卒業後、女学校へ進学できない。金持の同級生が同情して、両親に頼んで貧しい少女の父親の死後、彼女を自分の家に引き取って、一緒に通学できるようにしてあげる。貧しい少女は感謝するが、ある日、他人の世話になるのは良くないと決心してこの家を出て自立する。そして何年か後、作家となって成功した彼女は、クラス会で懐かしい友達と再会する。貧しい少年少女が健気に努力するということと、金持の子には意地悪な子と善意の子がおり、意地悪な子はやがて後悔し、善意の子は感謝されるという物語もまた、この時代の教育映画の定型をなしている。》

若干補足すると、貧しい少女というのは「一子」というのですが、「字面的にどうなの」という感じなので、ここではあえて「かず子」と書くことにします。

「父親が酔っぱらいで」とありますが、ただの酔っぱらいなどという人は、この世にはいません(自分もむかし生意気な女から「ただのデブ」といわれて、カッときたことがあります)。
この父親、「馬方」という立派な職業人なのですが、なにせ天候によっては仕事にならない日があるために収入が不安定で、それでたまたま「貧乏」なときもあるというだけ、たぶん金回りのいいときだってあるはずです。

ストーリーを追っていくと、なんだか「酔っぱらい」と「貧乏」とを結び付けたがっているように見受けられますが、それは明らかに誤りです。

肉体的疲労を回復させるか、あるいは一時的に忘れるために疲労した肉体をアルコールで麻痺させることが職業人としての馬方の急務なので、父親としても「酔い」を愉しむなどという段階では最早なかったはずです。
しかし、映画にみるように、だらしなくグデングデンになるまで酔うのは、家計を圧迫するほどの大量な飲酒によるものではなく、すでに健康を害している病的な現われとしての酔態と見るべきで、少量のアルコールでもあのように酔いつぶれるというのは、疑いなく喫緊の病魔が迫っていると見るべきかもしれません、なにしろ、そのすぐ後で死んでしまうのが、いい証拠です。

現代に生きる僕たちには、進学のみならず生活全般も世話してくれる恩人の家を断りもなく密かに出て行くなどというあたりが、もうひとつ理解できない部分で、ここははっきり先様に自分の気持ちをお話しして納得づくで独立するなり、なんらかの行動に出ればよかったのではないかと考えたりもするのですが、そんな甘いもんじゃないよキミと、なんだか明治の人に叱られそうな感じです。

貧乏人にもプライドがある、誰の世話にもならず立派に自立して成功したあと、しかし、受けた恩だけはきっちり返す、というわけです、この自助努力、実に立派です。見上げたものです。

「何が彼女をそうさせたか」の「おねだり姫」のようなすみ子とは、ここが違うのです。

まあ、自分としても、鬱憤晴らしに教会を焼き払ってしまうより(これも凄い話ですが)、どちらかといえば和やかなクラス会の方が好みなので、「ヤッパ、教育映画の勝ち」ということになりますが、佐藤忠男氏の解説の最後の方で「そして何年か後、作家となって成功した彼女は、クラス会で懐かしい友達と再会する。」とあるのは誤りで、「かず子」は作家になったのではなく、お蕎麦屋さんで成功し、かつてお世話になった親友(画家になっています)の絵を大金で購入することで親友の窮地を救うということが、この映画の最後で語られていました。

いわば友情の証しですよね。

(1930サワタ映画製作所)監督・沢田順介、脚色・松本英一、山本夏山、原作・佐藤紅緑(「少女倶楽部」昭和3年1月号~昭和4年7月号連載)、撮影・久山義遠、浜田雄三、活弁士:松田春翠
出演・山口定江(宮下一子)、筒井徳二郎(その父安兵衛)、佐々木美代子(外山礼子)、末吉春人(外山雪堂)、木ノ花澄子(夫人里子)、立花敬輔(矢沢先生)、高井敏子(田圃の小母さん)、関口紀代子(百瀬幸枝)、島岡道子(飯塚芳子)、井上三郎(礼子の弟茂)、工藤正夫(山田の金ちゃん)、
製作=サワタ映画製作所 1930.01.26 大阪敷島倶楽部 6巻 白黒 無声
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by sentence2307 | 2016-07-16 20:14 | 映画 | Comments(0)

毬の行方 ②

参考のために、1930年に作られた作品のうち、自分の知っている監督のものをピックアップした一覧を掲げましたので、参照してください。

結婚学入門(1930.01.05松竹蒲田 小津安二郎)
レヴューの姉妹(1930.01.10松竹蒲田 島津保次郎)
美人暴力団(1930.01.10松竹蒲田 斎藤寅次郎)
摩天楼 愛慾篇(1930.01.14日活太奏 村田実)
女来也 前篇(1930.01.15東亜京都 石田民三)
チャンバラ夫婦(1930.01.21松竹蒲田 成瀬巳喜男)
たゝかれ亭主(1930.01.27松竹蒲田 斎藤寅次郎)
独身者御用心(1930.02.01松竹蒲田 五所平之助)
女(1930.02.01日活太奏 東坊城恭長)
何が彼女をそうさせたか(1930.02.06帝キネ長瀬 鈴木重吉)
俺は天才(1930.02.07マキノ御室 滝沢英輔)
情恨(1930.02.07マキノ御室 並木鏡太郎)
筆禍夢物語 高野長英伝(1930.02.08阪妻プロ太奏 犬塚稔)
運命線上に躍る人々(1930.02.14マキノ御室 マキノ正博/久保為義)
純情(1930.02.14松竹蒲田 成瀬巳喜男)
オイコラ行進曲 湯煙り長屋合戦の巻(1930.02.21マキノ御室 松田定次)
戦線街(1930.02.22右太プロ 古海卓二)
紅唇罪あり(1930.02.22松竹蒲田 清水宏)
人斬伊太郎(1930.02.28マキノ御室 並木鏡太郎)
女来也 後篇(1930.02.28東亜京都 石田民三)
朗かに歩め(1930.03.01松竹蒲田 小津安二郎)
直侍(1930.03.03松竹下加茂 井上金太郎)
剣を越えて(1930.03.07日活太奏 渡辺邦男)
春風の彼方へ(1930.03.14千恵プロ 伊丹万作)
藤原義江のふるさと(1930.03.14日活太奏 溝口健二)
祇園小唄絵日傘 第三話 草枕(1930.03.14マキノ御室 金森万象)
偽婚真婚(1930.03.28マキノ御室 久保為二/マキノ正博)
新訂 涙(1930.03.28松竹下加茂 井上金太郎)
大東京の一角(1930.03.28松竹蒲田 五所平之助)
踊る幻影(1930.04.03帝キネ 鈴木重吉)
落第はしたけれど(1930.04.11松竹蒲田 小津安二郎)
真実の愛(1930.04.18松竹蒲田 清水宏)
麗人(1930.04.26松竹蒲田 島津保次郎)
腕一本(1930.05.01日活太奏 渡辺邦男)
不景気時代(1930.05.02松竹蒲田 成瀬巳喜男)
岐路に立ちて(1930.05.09松竹蒲田 清水宏)
好きで一緒になったのよ(1930.05.09松竹蒲田 斎藤寅次郎)
この母を見よ(1930.05.09日活太奏 田坂具隆)
続大岡政談 魔像篇第一(1930.05.15日活太奏 伊藤大輔)
名槍血陣譜(1930.05.21東亜京都 石田民三)
かげろう噺(1930.05.23マキノ御室 並木鏡太郎)
微笑む人生(1930.05.24松竹蒲田 五所平之助)
あら!その瞬間よ(1930.05.24松竹蒲田 斎藤寅次郎)
女性誉(1930.05.29日活太奏 阿部豊)
女性の輝き(1930.05.30マキノ御室 衣笠貞之助)
友愛結婚(1930.06.07帝キネ 豊田四郎)
笑へぬ凱歌(1930.06.13マキノ御室 滝沢英輔)
抱擁(1930.06.13松竹蒲田 清水宏)
未果てぬ夢(1930.06.13日活太奏 東坊城恭長)
からす組 後篇(1930.06.13阪妻プロ太奏 犬塚稔)
渦潮(1930.06.14千恵プロ 稲垣浩)
南極に立つ女(1930.06.20マキノ御室 滝沢英輔)
清川八郎(1930.06.20東亜京都 石田民三)
姉妹篇 母(1930.06.26松竹蒲田 野村芳亭)
唐人お吉(1930.07.01日活太秦 溝口健二)
その夜の妻(1930.07.06松竹蒲田 小津安二郎)
若き血に燃ゆる者(1930.07.08帝キネ 木村恵吾)
木屋町夜話 鴨川小唄(1930.07.10マキノ御室 金森万象)
腹の立つ忠臣蔵(1930.07.13マキノ御室 久保為義/マキノ正博)
石川五右衛門の法事(1930.07.13松竹蒲田 斎藤寅次郎)
大都会 爆発篇(1930.07.13松竹蒲田 牛原虚彦)
素浪人忠弥(1930.07.15日活太秦 伊藤大輔)
天国其日帰り(1930.07.25日活太秦 内田吐夢)
エロ神の怨霊(1930.07.27松竹蒲田 小津安二郎)
奪はれた唇(1930.07.27松竹蒲田 斎藤寅次郎)
怪我功名仇討譚(1930.07.31東亜京都 石田民三)
盲目の弟(1930.08.01マキノ御室 二川文太郎)
ぶらいかん長兵衛(1930.08.01マキノ御室 並木鏡太郎)
巨船(1930.08.01松竹蒲田 島津保次郎)
仇討破れ袴(1930.08.08松竹下加茂 井上金太郎)
海の行進曲(1930.08.08松竹蒲田 清水宏)
海坊主悩まし(1930.08.08松竹蒲田 斎藤寅次郎)
怪談累ケ淵(1930.08.15マキノ御室 二川文太郎)
女よ!君の名を汚す勿れ(1930.08.15松竹蒲田 五所平之助)
鬼鹿毛若衆(1930.08.15日活太秦 池田富保)
アラ!大漁だね(1930.08.22松竹蒲田 斎藤寅次郎)
処女入用(1930.08.22松竹蒲田 五所平之助)
恋車 前篇(1930.08.28千恵プロ 渡辺邦男)
愛は力だ(1930.08.29松竹蒲田 成瀬巳喜男)
押切新婚記(1930.08.29松竹蒲田 成瀬巳喜男)
辰巳の小万(1930.09.01松竹太奏 犬塚稔)
アイスクリーム(1930.09.05マキノ御室 滝沢英輔)
剣道見世物師(1930.09.12松竹下加茂 井上金太郎)
この太陽 第一篇(1930.09.12日活太奏 村田実)
野獣群(1930.09.15帝キネ 木村恵吾)
素浪人商売往来(1930.09.19河合 千葉泰樹)
青春の血は躍る(1930.09.19松竹蒲田 清水宏)
浮気ばかりは別者だ(1930.09.19松竹蒲田 清水宏)
諧謔三浪士(1930.09.19千恵プロ 稲垣浩)
裏切小天狗(1930.09.19東亜京都 石田民三)
この太陽 第二 多美枝の巻(1930.09.19日活太奏 村田実)
ザッツ・オー・ケー いゝのね誓ってね(1930.09.26松竹蒲田 島津保次郎)
この太陽 第三篇(1930.09.26日活太秦 村田実)
関東大殺篇 国定忠治(1930.10.01河合 千葉泰樹)
子守歌(1930.10.01帝キネ 鈴木重吉)
かたわ雛(1930.10.03松竹下加茂 井上金太郎)
足に触った幸運(1930.10.03松竹蒲田 小津安二郎)
腕(1930.10.03帝キネ 鈴木重吉)
絹代物語(1930.10.10松竹蒲田 五所平之助)
恋の借金狂ひの戦術(1930.10.10松竹蒲田 斎藤寅次郎)
逃げ行く小伝次(1930.10.10千恵プロ 伊丹万作)
日本晴れ(1930.10.10日活太奏 阿部豊)
興亡新選組 前史(1930.10.17日活太奏 伊藤大輔)
御浪人横丁(1930.10.24マキノ御室 松田定次)
天保夜鴉伝(1930.10.24河合 千葉泰樹)
興亡新選組 後史(1930.10.31日活太奏 伊藤大輔)
霧の中の曙(1930.11.01松竹蒲田 清水宏)
母三人(1930.11.07日活太奏 阿部豊)
愛慾の記(1930.11.10松竹蒲田 五所平之助)
潜行戦線(1930.11.14マキノ御室 滝沢英輔)
百姓万歳(1930.11.14帝キネ 木村荘十二)
若者よなぜ泣くか(1930.11.15松竹蒲田 牛原虚彦)
中山七里(1930.11.21) マキノ御室 並木鏡太郎
遊侠白浪囃(1930.11.21) 河合 千葉泰樹
秋はアパートの窓に(1930.11.21) 帝キネ 川口松太郎
おさらば伝次(1930.11.28河合 千葉泰樹)
色気だんご騒動記(1930.11.28松竹蒲田 斎藤寅次郎)
旅姿上州訛(1930.11.31日活太秦 伊藤大輔)
涙の街(1930.11. 松竹下加茂 犬塚稔)
破恋痴外道(1930.12.05マキノ御室 二川文太郎)
煙突男(1930.12.05松竹蒲田 斎藤寅次郎)
新時代に生きる(1930.12.05松竹蒲田 清水宏)
忠直卿行状記(1930.12.05千恵プロ 池田富保)
心驕れる女(1930.12.05帝キネ 豊田四郎)
お嬢さん(1930.12.12松竹蒲田 小津安二郎)
切られお富(1930.12.19帝キネ 石田民三)
雪の夜話(1930.12.24松竹下加茂 井上金太郎)
血染の伽羅 前後篇(1930.12.25日活太奏 渡辺邦男)
酒場の女(1930.12.28日活太奏 東坊城恭長)
艶麗春の粧い(1930.12.31松竹下加茂 大久保忠素)
蒲田ビックパレード(1930.12.31松竹蒲田 島津保次郎)
一心太助(1930.12.31千恵プロ 稲垣浩)
日活オンパレード(1930.12.31日活太奏 阿部豊)
大食漢地獄往来(1930. 東亜京都 石田民三)
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by sentence2307 | 2016-07-16 20:12 | 映画 | Comments(0)

何が彼女をそうさせたか

会社の方が、ここのところ、とても忙しくてずっと残業が続いていました。

土曜出勤も2週続けてあったりして、忙しさのあまり、ぼんやり息抜きする時間もなかったので、なんだかストレスが溜まりに溜まってしまった感じです、これはかなりヤバイ状態です、カラダによくありません。

なので、やっと時間に余裕ができた最近、失った時間を取り戻すみたいに、気分転換も兼ねて、努めて出掛けるようにしていて、そういう場所のひとつに神保町の古書店街があります。

あてなどなく、駿河台下の交差点から九段下あたりまでの古書店を気ままにブラつくというのが、自分のストレス解消法のひとつになっています。

しかし、古本を見て回るといっても、なにも高価な稀覯本を買うというのではありません、常に手元不如意状態の自分などには、高価な本などハナから手が出るわけもなく、まさに「とんでもない話」です。

まあ、せいぜい、店頭のワゴンに無造作に並べられている100円、200円の廉価本を物色して、もし、その中に掘り出し物でもあれば、慎重に吟味してから買うという程度の「小心者のお買い物」です。

あるとき、そうした廉価本のなかに、緒形拳の「恋慕渇仰」(東京書籍、1993.11.1刊)という本を見つけました。

四六判縦長変型の、見るからにとても手のかかった立派な装丁(特に装丁者の名前の記載がないので、緒形拳自身が装丁したのかもしれません、いい趣味です)の本で、思わず、これが100円ですか、とお店の人に確かめてしまいたくなりそうな、本当にちゃんとした創りの本なのです。

それにしても実に惜しい俳優を亡くしましたよね。緒形拳という俳優は日本映画界を牽引してきた特別な存在だったと思いますし、つい最近もwowowで「魚影の群れ」を見たばかりでした。

そうそう、改めて言うのも変な話ですが、あの作品って、「漁師」という職業を人間の宿命のように生きた父と娘の葛藤の映画だったんですよね(なにをいまさら、と言われてしまいそうです)。

久しぶりにこの作品を見て、最愛の夫を海に奪われながら、それでもお腹の子どももまた漁師として育ててほしいと願う夫の残した最後の言葉を、妻=娘が悲嘆と希望のなかで聞くという衝撃のあのラストシーンは、まるでこれは神話だなと、いささか動揺し、そして感動しながら見終わりました。

人間の「仕事」というものが、神から与えられた「天職」であって、神聖なものだという思い入れがないと、あのラストシーンの海に生きる者たちの「宿命」や「希望」、父と娘を結びつける業みたいなものを理解することは、ちょっと困難かもしれません。

自分としても緒形拳はNHKの大河ドラマ「太閤記」以来、ずっと気になってきた役者でしたので、いつも変わらぬ強烈な演技の印象が強かっただけに、この「恋慕渇仰」(結局、購入したのですが、活字が大きいせいか、帰宅の電車のなかで読了してしまいました)の中で繰り返し書かれている「自分はこのまま役者を続けていけるだろうか」という不安に揺れる一面のあったことを知り、とても驚きました、あの緒形拳にしても役者を続けていくことを常に迷い、そして苦しみながらもがきつづけていたのかと。

それにしても、緒形拳こそは、役者こそ自分の天職だと思っていたに違いないと信じて疑わなかっただけに、自身の演技や、自分の出演作への言及がとても少なく、まるで避けているのではないかと勘ぐってしまいたくなるくらいの冷淡さは、とても奇異に感じられ、違和感を覚えずにはいられません。

例えば、映画「おろしや国酔夢譚」など、
「200年前、伊勢白子の大黒屋光太夫は、ロシア革命以前のサンクトペテルブルグにいた。
1991年ベルリンの東西の壁が崩れた直後、わたしはレニングラードで光太夫に扮し、白夜の季節の40日を過ごした。」

と、たったこれだけの言及にとどまっています。

思うに、緒形拳は、過去の作品や過去の演技など語るべきでないと考えていたのではないか、常に未来を見つめていた緒形拳らしい生き方といえば、納得できそうな気もします。

しかし、なぜ、自分が、この本の中に、映画「おろしや国酔夢譚」についての記述を探したのかというと、それにはひとつの理由があります、それは、長い間、失われた幻の名作「何が彼女をそうさせたか」がロシアで発見されたイキサツに映画「おろしや国酔夢譚」が、大いに関わっていたからです。

つまり、「恋慕渇仰」のなかで、もしかしたら、緒形拳が、映画「おろしや国酔夢譚」に絡め「何が彼女をそうさせたか」になんらかの言及をしているのではないかと、チラッと考えたのですが、残念ながら、関連する記述はなく、言及は上記のようなきわめて淡白で素っ気無いものにすぎませんでした。

「何が彼女をそうさせたか」のフィルムが発見されたその辺の事情を記した部分をwikiからちょっと引用してみますね。

《1992年になって、ロシア領事館で開催された「おろしや国酔夢譚」(佐藤純彌監督)の試写会に協力した帝国キネマ社長山川吉太郎の孫・山川暉雄からソンツェフ副領事を通じて照会したところ、モスクワの国立ゴス・フィルモフォンドにあるフィルムが、本作(「何が彼女をそうさせたか」)にほぼ間違いはないとの確認がとれた。その後修復・復元された。しかしプリントは、冒頭のクレジット部とラストが欠落している。》

この記事に少しだけ補足すると、帝国キネマというのは、1930年当時、「何が彼女をそうさせたか」を製作した会社で、文中にある山川暉雄氏は、当時の社長・山川吉太郎の孫に当たり、この血脈がロシアからのフィルム返還交渉(当初は政治も絡んできて、返還は困難視されていました)にあたって大いに効果を発揮したと聞いています。

自分としては、いままで気軽にyou tubeでこの「何が彼女をそうさせたか」を何度も鑑賞していただけに、こんなにも困難な経緯があったとは少しも知りませんでした。

今回読んだ資料のなかには、若干温度差を感じさせるような歯切れの悪いものがあったのは、「映画発見・前」と「映画発見・後」の時間差が、自分の読んだ資料に微妙なニュアンスを投影していたのは、そういうことだったのかもしれません。

つまり、この作品は発見(1992年)以後にやっと見られるようになった作品ということだとすると、製作当時に見て以来その記憶しか有していない老世代と、you tubeで気軽に見ることのできる現世代の間には、奇妙な違和感というか、断絶とねじれた空白が横たわっていて、とても不思議な感じを受けました。

リアルタイムで本編を実際に見ているのが「若い世代」で、老世代は、80年あまり前の薄れ掛けた記憶に頼っているのですから。

自分が知っている日本の映画評論家のひとつのタイプとして、フィルムが既に消失してしまい、今ではもはや誰も見ることのできない作品の記憶を、まるで選ばれた者の特権のように自慢げに語るというタイプの批評家がいました(特権的な「思い出話」を語るだけの「批評家」です)。

それは思い出話(当時の世評を含めてです)にすぎないのですが、誰も見ることのできない失われたフィルムなだけに、その妄言は無敵です、見ることが不可能な作品である以上、誰一人としてその「思い出話」に反論などできるはずもありません。「何が彼女をそうさせたか」こそ、まさにそういう作品だったと思います。

古い資料を読むと、そのアラスジだけでも、執筆者によってエピソードの順序が微妙に違っていたり、少女のたどった波乱万丈の職業が少しずつ誤っているものもありました。

しかし、この作品が「傾向映画」の代表的な作品であるという認識では、共通しています。共通はしているのですが、なにか「ひとこと」付いて回るみたいなのです。

自分が読むことのできた中でその典型的な「解説」というのを以下に紹介しますね。

キネマ旬報社が1982年に出版した「日本映画200」という本のなかの「何が彼女をそうさせたか」の解説として滋野辰彦という人が執筆したものがあります。

自殺した父親が、娘の行く末を頼むと記された手紙を、娘・すみ子は叔父に渡しますが、邪悪な叔父は、厄介者のすみ子をさっさと曲馬団に売りとばすあとの場面です。

曲馬団で働く男たちは、日頃から横暴な団長に対して、抑えていた怒りを遂に爆発させ団員全員で団長に抗議におよぶというシーンについて、評者はこう記しています。

《曲馬団の仕事も長くは続かず、一座は不況で解散となる。
芸人と団長との対立が、ここでは労使の対立の象徴に似た扱いを受けているが、こんな労使の衝突で資本主義社会の実体は語れるわけがない。
傾向映画といいながら、社会機構や制度の矛盾が小さな個人と個人との関係に置き換えられ、それ以上の奥行きと広がりを持たない。
それが傾向映画の限界だったといっていいかもしれない。》

「何が彼女をそうさせたか」という作品は、資本主義社会の実体を語れてないからダメだ、傾向映画などといくら偉そうなことをいっても、たかだか小さな個人と個人との関係に置き換えたくらいでは資本主義の歪んだ社会機構や制度の矛盾なんて語れるものではない、それが傾向映画の限界だと言っています。

いままでこのような安直な批評を何本読んだかしれません。

この評者をはじめ、同じように無責任な見解を開陳してきた多くの劣等感に満ちた評者も、いったい映画になにを求めているのか、まったく理解できませんし、果たして彼らがいかなる理想像を有したうえで、こうした愚劣なことを述べているのか、問いただしたくもなります、まさか無責任な安手の学術論文じゃあるまいし、です。

しかし、そもそも日本の社会に自立した左翼思想などというものがあったのか、そのあたりから自分には疑問です。最初から自立した「思想」などといえるものなど、ただの一度もなかったのではないか、と思っているからです。

かつても、そして今も、日本の左翼思想なるものは、一貫して現実から眼をそらし、脆弱で幼稚で未成熟な、まるで受験生の暗記ものか、夢見る少女の机上のお伽噺にすぎないものという程度の感じがしています。

手中の権力を守るために政敵を熾烈に殺しつくし、独裁をしいて人民を圧制し、手向かう者はことごとく処刑虐殺して、その膨大な犠牲を払ったすえに、ようやく破綻に至ったこの最悪な思想が、その破綻まで100年もの時間を要さねばならなかった意味も現実も理解できず、いまだに夢のような「左翼思想」を謳歌する愚昧な無神経には、ほとほと呆れ返るばかりです。

かつて荒畑寒村がロマンチックな「ロシア革命運動の曙」を書いたあの夢見る社会主義の心情から、いまだに進歩できていません。

日本だけにしか通用しない閉鎖的で甘甘な論理を振りかざし、意気揚々と貧苦にあえぐ世界の貧しい人々に施しを与えようとモッタイブッテ出かけて行って、逆に痛烈なしっぺ返しを受けた事件が、つい最近もありました。

世界においては、人道主義などただのタテマエにしかすぎないこと、抑圧された極貧にあえぐ者たちの抑えがたい憎悪の銃口は、まさに「日本人」に向けられていたのに、恩着せがましく「ぼくは日本人です」とわざわざ名乗って射殺された皮肉な錯覚はまさに貴重な「教訓」のはずなのに、まだ分かろうとしないのかと正直驚かされます。

この滋野辰彦の解説に象徴的な一文がありました。

《この映画が封切られて間もなく、筆者の友人で、まだ大学生だった新間俊彦が「キネマ旬報」の読者寄書欄に投じた立派な批評がある。そのなかで彼は車力の小父さんのことを「貧しい財布に五十銭銀貨を入れてやり、荷車に乗せて送ってやる温かさは、無産者の間にのみ見出される相互扶助の人間的情味」だと言っている。》

車力の老人がそっと与えた五十銭銀貨こそ、身寄りのない少女をさらに過酷な運命に落したそもそもの原因だったことからは眼を逸らし、ただその無責任な「善意」を賞賛して一人気持ちよくなっているその身勝手こそ、思想ともいえない日本の社会主義の本質をよく言い当てていると密かに感じ入った次第です。

(1930帝国キネマ演芸・長瀬撮影所)監督脚色・鈴木重吉、原作・藤森成吉、撮影・塚越成治、音響・松本四郎、助監督:木村荘十二
配役・高津慶子(中村すみ子)、藤間林太郎(琵琶師・長谷川旭光)、小島洋々(阪本佐平)、牧英勝(養育院人事院・原)、浜田格(曲芸団長・小川鉄蔵)、浅野節(すみ子の伯父・山田勘太)、大野三郎(山下巡査部長)、中村翫暁(質屋の主人)、片岡好右衛門(玉井老人)、海野龍人(市川新太郎)、二條玉子(県会議員・秋山秀子)、園千枝子(山田の女房・お定)、尾崎静子(天使園主・矢沢梅子)、間英子(島村おかく)
1930.02.06 常盤座 10巻 3,019m 146分 白黒 パートトーキー
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by sentence2307 | 2016-07-09 16:16 | 映画 | Comments(0)