世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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<   2017年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ずいぶん以前にアップした作品のコメントに、最近になって多くのアクセスをいただいて、意外な思いをしたことが幾度かありました。

例えば、松本俊夫監督が亡くなられた時には、「薔薇の葬列」に多くのアクセスをいただきましたし(あの訃報を知った日、自分も書棚から久しぶりに「映画の革命・芸術的ラジカリズムとは何か」を引っ張り出して、学生時代に引いた傍線の力のこもった文体にしばし読みふけり、受けた影響の大きさとか、鋭い論理で既成の価値観に決然と立ち向かった松本監督の孤高の「過激」をひとりしみじみと偲びました)、そのほかにも、思い出の作品に多くのアクセスをいただいたときなど、きっとどこかのチャンネルでその作品が放映されたに違いないという当て推量で、懐かしさも手伝って、もし再放送でもあれば是非みたいものと考え、大急ぎで検索をかけてみたことも再三ありました。

それに、自分が、当時いったいどんなことを書いたのかも、とても気になりますので、テレくささを抑え、恥ずかしながらと拙文をチラ見することもしばしばあり、ここ数日のことについていえば、成瀬己喜男監督の「山の音」がまさにそういう感じでアクセスをいただきました。

おそらくはきっと、この作品も、どこかの上映会かチャンネルで放映したに違いありません。

そして、本当に久し振りに自分のその感想なるものを読み返してみたのですが、文章のあまりの稚拙さ・言葉足らずに思わず顔が赤らみ、恥ずかしさでひとりウツムイテしまったほどだったものの、しかし、思えば、その稚拙さは、「言い回し」とか「語彙の貧しさ」とか「文体」についてだけのことであって、当時必死になって書こうとしたことのエッセンス自体は、「いま」でも、さほど変わっているとは思えません、いや、もしかすると同じようなことをまた書いてしまうかもしれないなというのが正直なところです(人間の感情というものは、たとえ時間がいくら経過しても、そう簡単には「変わったり、進化したり」するようなものではないということなのだろうと思います)。

さて、今回、自分の書いたものながら、読んでいるうちに、ハッと気づかされることがありました、最近見た幾つかの映画で共通して感じた「あること」が、その「山の音」のコメントのなかに書き込まれていたからでした。

少し長めの引用になりますが、「その部分」を契機にして自分が感じたことも併せて書いてみようかと思います。


≪「山の音」一部引用≫
「夫の異常な性向は、事務所の女子事務員を伴って愛人宅を訪れるという不自然なシチュエーションに加えて、さらに、その愛人と同居しているという女友達をも巻き込みながら、酔って荒れるという「乱交」的な異常さを連想してしまうような部分に簡潔に描かれていると思います。
そうした異常な余韻を受けて、観客は「娼婦の真似など出来ない」妻を追い詰める夫の冷ややかな朝のシーンの皮肉な言葉に、夜の寝間での夫婦の性的なやり取り(ある性技の要求と拒絶、あるいはその延長にある無理矢理の性交)という秘められた淫らなイメージがどこまでも広がっていき、だからこそ妻は、自分に宿った命を殺すという堕胎によって、そういう夫に対する拒絶の意思を明らかにしたのだと思います。」

*

最後の部分「だからこそ妻は、自分に宿った命を殺すという堕胎によって、そういう夫に対する拒絶の意思を明らかにしたのだ」というところですが、これってまさに最近見て感銘を受けた「レボリューショナリー・ロード / 燃え尽きるまで」(2008サム・メンデス監督)そのものじゃないですか。


会社での仕事が思うようにいかずに、すっかり生気を失って苛立ちを募らせている夫(レオナルド・ディカプリオが演じています)を見かねた妻(ケイト・ウィンスレットが演じています)は、こんな淀んだ生活なんかさっさと清算し、心機一転、かつて夫が夢のように語っていた「パリでの新生活」を提案します。

最初は半信半疑だった夫も、すっかり行き詰ったこの生活(妻とのあいだにも不協和音があり、言い争いが絶えません)を打開するには、あるいはいいことかもしれないなとちょっぴり気持ちを動かされ、ずるずると妻に同意してしまいます。

しかし、この時ですら、「パリでの新生活」に対して、ふたりの気持ちがぴったりと寄り添っていたかといえば、それはきわめて疑問だったといわねばなりません。

夫は、表向きには妻の提案に同意したものの(正確には、「拒否できなかった」からというのが本音です)、意識のどこかで、「そんな夢みたいなことなど、できるわけがない」と高をくくっていて、それは、そう決めた以後の夫の奇妙な陽気さと快活さ(そこにあるのは、パリ行きなど、所詮は非現実的な絵空事としか捉えてない実感のなさからくる解放感です)に序実に表れているように思えます。

そんな折、夫は図らずもオーナーから自分の仕事を評価され、破格の待遇で共同経営者にならないかと誘われます。

気持ちが揺らぐ夫に対して、その優柔不断さを妻は厳しく詰ります。

そしてある日、夫婦は修復不可能なくらいに互いを激しい言葉で難詰し、非難し、卑しめ、完膚なきまで傷つけ、もはや互いに共感できるものなど何ひとつ残ってないという極限の絶望の淵まで追い詰め、疲れ切って失意の夜を過ごします。

そして翌朝、すっかりぼろぼろになった夫は、「もはや、すべてを失ったのだ」という絶望と不安のなかで起き出していった台所で、不意に、背中を向けて甲斐甲斐しく朝食の支度をしている妻の姿を見出します。

妻は、静かに振り向き、優しい笑顔で夫を迎えます。

昨夜、口汚く罵り合った激しく無残な言葉の応酬は、あれは錯覚かマボロシにすぎなかったのかと思わせる奇跡のように穏やかな朝の食事をとりながら、ふたりは静かに言葉を交わし、微笑み合い、深く心を交わす(かに見える)素晴らしいラスト・シーンでした。

そして、妻は夫に穏やかに語り掛けます。

妻「夢を話しているときのあなたが、とても好きだったの」

夫「どの夫婦もするように、微笑みを交わしながら静かに朝食を食べ、そして、妻に笑顔で送り出されて会社にいく平凡な毎日が自分の望みだったんだ」

思えば、妻と夫のこの言葉のあいだには、修復不能な絶望的な亀裂があって、夫は「これで、すべてうまくいく」と喜びに胸躍らせて会社に向かっているそのとき、妻は、夢を失い、愚劣な「現実」を嬉々として語る夫に失望しながら、失意の中でお腹の子供(という「現実」)をオロス作業にわが身を傷つけ、そして失敗し、苦悶のなかで血まみれになって無残に息を引き取っていきます。

最初から「パリの新生活」など求めてもいなかった夫には、妻を不意に失ったその理由も、彼女が熱く求めていた夢のことも、結局は理解できなかったのだと言わざるを得ません。

「レボリューショナリー・ロード / 燃え尽きるまで」で描かれた妻と夫の絶望的な亀裂の物語は、日常に深く根ざした成瀬作品「山の音」が描いた妻の失意と諦念の物語に比べれば、随分と観念的なストーリーと感じられてしまうことは否めないとしても、それだけに一層ピュアなものを感じてしまったのかもしれませんね。


当初、「堕胎によって夫を見限る妻たち」と大きく構えてタイトルをつけたのは、橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」と、マイケル・ウィンターボトム監督の「トリシュナ」を絡めながら書くつもりだったのですが、ついにチカラ及ばず息切れして、残念な結果に終わらせてしまったことを告白しておかなければなりません。

アシカラズ


Revolutionary Road
(2008アメリカ・イギリス)監督・サム・メンデス、脚本・ジャスティン・ヘイス、原作・リチャード・イェーツ『家族の終わりに』(ヴィレッジブックス刊)、製作・ボビー・コーエン、ジョン・N・ハート、サム・メンデス、スコット・ルーディン、製作総指揮・ヘンリー・ファーネイン、マリオン・ローゼンバーグ、デヴィッド・M・トンプソン、音楽・トーマス・ニューマン、撮影・ロジャー・ディーキンス、編集・タリク・アンウォー、プロダクションデザイン・クリスティ・ズィー、衣装デザイン・アルバート・ウォルスキー、音楽監修・ランドール・ポスター、製作会社・BBCフィルムズ、ドリームワークス
出演・レオナルド・ディカプリオ(フランク・ウィーラー)、 ケイト・ウィンスレット(エイプリル・ウィーラー)、 キャシー・ベイツ(ヘレン・ギヴィングス夫人)、 マイケル・シャノン(ジョン・ギヴィングス)、 キャスリン・ハーン(ミリー・キャンベル)、デヴィッド・ハーバー(シェップ・キャンベル)、 ゾーイ・カザン(モーリーン・グラブ)、 ディラン・ベイカー(ジャック・オードウェイ)、 ジェイ・O・サンダース(バート・ポラック)、 リチャード・イーストン(ギヴィングス氏)、 マックス・ベイカー(ヴィンス・ラスロップ)、 マックス・カセラ(エド・スモール)、 ライアン・シンプキンス(ジェニファー・ウィーラー)、 タイ・シンプキンス(マイケル・ウィーラー)、 キース・レディン(テッド・バンディ)、



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by sentence2307 | 2017-04-23 16:52 | 映画 | Comments(0)
インターネットの怒涛のような普及で、web対応に遅れた雑誌(紙ベースにこだわってきた雑誌は特に悲惨です)は、刊行部数激減の果てに、雪ダルマ式に負債を増やしながら追い詰められ、どんどん廃刊に追い込まれている現実に歯止めがかかりません。

雑誌の刊行部数の戦後最低記録を年毎にますます塗り替え続けているというのが現状です。

通勤電車のなかで雑誌はおろか新聞を読んでいる人さえ最近はまったく見かけませんし(ましてや書籍などトンデモナイという感じですから)、町で行き交う人たちが片手に雑誌を抱えている姿など見なくなりました。

スマホがそういう日常風景の在り方を根本から変えてしまったのでしょうね、驚くべきことだと思います。

以前ならサラリーマンが週刊誌(自分の場合は「週刊文春」か「週刊新潮」でしたが)を抱えている姿などザラだったし、なかにはあの分厚い「文芸春秋」をさえ持ち歩いていた人もいたくらいですから、いまの出版業界の閑散としたシャッター状態と比較すると、ほんとに昔日の感があります、実にさびしい限りです。

まあ、ハナから発行部数が少なかった学術誌や地味系の専門誌などは、それでも律儀な固定読者がしっかりと支えてくれているので、どうにか踏みとどまっているらしいのですが、もっとも厳しい局面にあるのが膨大な発行部数を誇っていたトレンディなファッション雑誌や料理本など趣味の本関係ということらしいのです。

しかし、なにも読者が「ファッション」や「レシピ」の情報を必要としなくなったのかといえば、そうではなくて、いま必要な部分だけが提供される「切売り」があれば十分(まさにスマホです)なので、いま必要としない情報までには金は出さないという「シビア」な姿勢に変わってきたのだと思います。

そういう熾烈な状況を考えると、自分が愛読している「キネマ旬報」などは、随分と頑張っていると思います、実にたいしたものだと常々感心している次第です。

まあ、これからちょっと苦言を呈しようかと思っているので、ここはひとつ軽く褒めておかないといけないかなということで。
しかし、この「キネマ旬報」、月にたった2回の配本だというのに、(自分のズボラとテイタラクを棚に上げて言うのもなんですが)ここのところ、じっくり腰を落ち着けて読んだという記憶がありません。

いえいえ、記事がつまらないということではなくて、むしろ「ぜひとも読んでみたいという記事があるのにもかかわらず」ですから、そこを「読み逃」してしまう(イメージは「見逃す」と同じです)というのですから、自分のグウタラ振りもほとんど重症です。

そのなかで、これだけは是非ともじっくり目を通したい・通さねば、という一冊がありました。それは去年の11月下旬号掲載の「100%監督主義」という巻頭の特集記事で、サブタイトルが「100人の評論家が選んだ外国映画監督ベスト・テン」という物凄い企画です。
なるほど、なるほど。

世の中の急激な変化を敏感に反映する映画のことです、昨日の情報が、今日には役立たないなんてことは当然で、入れ替わりの激しいトレンディな「映画監督情報」なら是非ともチェックしておきたいとは気になっていながら、なんだかんだと延び延びになり、ついに「今日」になってしまいました。

記事の構成は、「外国映画監督ベスト・テン」の12人(同数として7位が2人、9位が4人)が顔写真入りで紹介されており、次頁に、下位の監督名がずらっと並んでいます。

大まかに振られているNo.を辿っていくと総勢361人になる勘定なのですが、実は、189位とすべき箇所を「289位」と表示したミスプリントがあって、実のところの総勢は、261人であることをリスト(下記参照)を作成して確かめました(「読者1位」は、読者のベストテン1位の意味です)。

そして、リストのうち1行空けた箇所は、そのグループの獲得ポイントの境目で、例えば、

クリント・イーストウッドの81ポイントの1位からはじまって、ドゥニ・ヴィルヌーヴの43ポイントの2位、ポール・トーマス・アンダーソン30ポイトンの3位、という具合にベストテングループがあり、順次ずっと下がって、【アベル・フェラーラ】のグループがすべて3ポイント獲得、【アヌラーグ・バス】のグループがすべて2ポイント獲得、【アキ・カウリスマキ】のグループがすべて1ポイント獲得した監督という感じで下位の大きなグループが極めて僅差な点差で接しています。

しかし、考えてみれば、なんとアバウトで大味なランキングかとあきれてしまいました。なにしろ、各グループ内は、きっちり「五十音順」になっているところを見ると、最初に五十音順になっている整然たるリストがあって、それを切り取ってきただけらしいイージーさです、あきれないわけにはいきません。

なにしろ、たった2ポイントの差で100位からの差がついてしまううえのこの「五十音」ですから、どこがベストテンかと、思わず苦笑してしまいました。日本の雑誌でこんなことして遊んでいるなんて知ったら、カウリスマキはなんて言うでしょうね、うっかり教えられませんよね。

知られたら大変だ、もう日本になんか来てくれないかもしれません。

それに、末尾に掲げた4人は、読者のベスト10でランクされていた監督なのですが、業界人が選んだ261位にも入らなかったというわけで、「それってどういうことなの」という気分です。

なんだか釈然としませんが。

以下は、ランキング・リストです。とにかく「労作」です、褒めてください。


【クリント・イーストウッド】1位・読者2位
【ドゥニ・ヴィルヌーヴ】2位・読者5位
【ポール・トーマス・アンダーソン】3位
【ミゲル・ゴメス】4位
【ウェス・アンダーソン】5位・読者17位
【デイミアン・チャゼル】6位・読者9位
【ジャン=リュック・ゴダール】7位
【キム・ギドク】8位
【ジャン・ジャンクー】9位・読者26位
【ラース・フォン・トリアー】10位
【クリストファー・ノーラン】11位・読者1位
【ジョエル&イーサン・コーエン】12位・読者20位

【ジョニー・トー】13位・読者14位
【パオロ・ソレンティーノ】14位

【グザヴィエ・ドラン】15位・読者8位
【スティーヴン・スピルバーグ】16位・読者7位
【トッド・ヘインズ】17位
【リチャード・リンクレイター】18位・読者28位

【アルフォンソ・キュアロン】19位
【アルハンドロ・ホドロフスキー】20位
【イエジー・スコリモフスキー】21位

【アピチャッポン・ウィーラセタクン】22位
【アスガー・ファルハディ】23位
【クェンティン・タランティーノ】24位・読者4位
【トーマス・アルフレッドソン】25位
【ブリランテ・メンドーサ】26位
【ホン・サンス】27位
【ワン・ピン 王兵】28位

【アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ】29位・読者10位
【ウディ・アレン】30位・読者6位
【ジャウマ・コレット=セラ】31位
【ブライアン・デ・パルマ】32位
【ポール・フェイグ】33位

【アルノー・ディプレシャン】34位
【アンドレイ・ズビャギンツェフ】35位
【イーライ・ロス】36位
【ジャック・オディアール】37位
【ドリュー・バリモア】38位
【ポン・ジュノ】39位・読者18位

【イ・チャンドン】40位
【ヴィクトル・エリセ】41位
【ギヨーム・ブラック】42位
【ケン・ローチ】43位
【サラ・ポーリー】44位
【ジャンフランコ・ロージー】45位
【ジョン・カーペンター】46位
【ジョン・ワッツ】47位
【ミア・ハンセン=ラブ】48位
【レオス・カラックス】49位

【アブデラティフ・ケシシュ】50位
【アン・リー】51位
【ヴェルナー・ヘルウォーク】52位
【シュー・ハオフォン 徐浩峰】53位
【チャウ・シンチー】54位
【ディアオ・イーナン 刀亦男】55位
【トム・フォード】56位
【ハニ・アブ・アサド】57位
【ホウ・シャオシェン】58位
【リドリー・スコット】59位・読者24位

【アダム・ウィンガード】60位
【ギレルモ・デル・トロ】61位
【ジョン・カーニー】62位・読者15位
【ソフィア・コッポラ】63位
【ペドロ・アルモドバル】64位
【マーティン・スコセッシ】65位・読者20位
【モフセン・マクバルハフ】66位
【ラヴ・ディアス】67位

【ショーン・ペン】68位
【ディヴィッド・ミショッド】69位
【ヌリ・ビルゲ・ジェイラン】70位
【ノア・バームバック】71位
【ベン・アフレック】72位

【アイラ・サックス】73位
【アニエス・ヴァルダ】74位
【アリ・フォルマン】75位
【イム・グォンテク】76位
【ギジェルモ・アリアガ】77位
【ジェームス・L・ブルックス】78位
【ジェームス・キャメロン】79位
【ジェームス・グレイ】80位
【ジェフ・ニコルズ】81位
【ジャファール・バナヒ】82位
【ジョージ・ミラー】83位・読者19位
【ジョン・トレス】84位
【シルヴェスタ・スタローン】85位
【スサンネ・ビア】86位
【スティーヴン・ダルドリー】87位
【スティーヴ・マックイーン】88位
【セバスチャン・シッパー】89位
【ダン・ギルロイ】90位
【チャン・ロンジー】91位
【ツァイ・ミンリャン】92位
【トミー・リー・ジョーンズ】93位
【トム・ティクヴァ】94位
【ナ・ホンジン】95位
【ニコラス・ウィンディング・レフン】96位
【バズ・ラーマン】97位
【ファティ・アキン】98位
【フィル・ロード&クリストファー・ミラー】99位
【フランソワ・オゾン】100位・読者13位
【ペドロ・コスタ】101位
【マティアス・ピニェイロ】102位
【ミロスラヴ・スラボシュピツキー】103位
【リ・イン 李纓】104位
【リョン・ロクマン&サニー・ルク】105位
【レナ・ダナム】106位
【レニー・エイブラハムソン】107位
【ローズ・ボッシュ】108位
【ロブ・マーシャル】109位
【ロブ・ライナー】110位

【アトム・エゴヤン】111位
【ウィゼマ・ボルヒュ】112位
【ウィリアム・フリードキン】113位
【ギャスパー・ノエ】114位
【クアク・ジャヨン】115位
【クレイグ・ブリュワー】116位
【サイモン・カーティス】117位
【シーグリット・アーンドレア・P・ベルナード】118位
【J・J・エイブラハムス】119位
【ジム・ジャームッシュ】120位
【ジョー・カーナハン】121位
【ジョシュア・オッペンハイマー】122位
【ジョン・ファブロー】123位
【チャンヤン 張楊】124位
【チャン・ユーシュン】125位
【チョン・モンホン】126位
【デイヴィッド・エアー】127位・読者25位
【デブ・ラグラニック】128位
【ナンシー・マイヤーズ】129位
【ネヴェルダイン/テイラー】130位
【パン・ホーチョン 彭浩翔】131位
【ブルハン・クルバニ】132位
【フレデリック・ワイズマン】133位
【ベルトラン・ボロネ】134位
【ホイット・スティルマン】135位
【マーレン・アーデ】136位
【マルガレーテ・フォン・トロッタ】137位
【ミケランジェロ・フランマルティーノ】138位
【ミシェル・アザナヴィシウス】139位
【ミヒャエル・ハネケ】140位・読者23位
【ヤウ・ナイホイ】141位
【リチャード・アイオアディ】142位

【アベル・フェラーラ】143位
【アレクセイ・フェドロチェンコ】144位
【イー・ツーイェン】145位
【ヴォルフガング・ベッカー】146位
【ウルリヒ・ザイドル】147位
【エリック・エマニュエル・シュミット】148位
【キム・ゴク&キム・ソン】149位
【ギャヴィン・フッド】150位
【キャスリン・ビグロー】151位
【クリスティアン・ペッツォルト】152位
【クリストファー・マッカリー】153位
【クリスビン・グローヴァー】154位
【ジェイ・ローチ】155位
【J・C・チャンダー】156位
【ジェームズ・ガン】157位
【ジャスティン・リン】158位
【ジャド・アパトー】159位
【ジャン=マリー・ストロープ】160位
【ジョディ・フォスター】161位
【ジョナサン・グレイザー】162位
【ステファヌ・ブリゼ】163位
【ダニー・ボイル】164位
【ダン・トラクテンバーグ】165位
【ディヴィッド・フィンチャー】166位・読者3位
【ディヴィッド・リンチ】167位
【ティム・バートン】168位・読者12位
【テリー・ギリアム】169位
【トッド・フィールド】170位
【トニー・ガトリフ】171位
【トム・フーバー】172位
【ナワポン・タムロンラタナリット】173位
【ニール・ブロムカンプ】174位
【ネメス・ラースロー】175位
【ハイレ・ゲリマ】176位
【パトリシオ・グスマン】177位
【フランシス・F・コッポラ】178位
【ベネット・ミラー】179位
【ベン・ウィートリー】180位
【ホセ・ルイス・ゲリン】181位
【マーク・ローレンス】182位
【ミランダ・ジュライ】183位
【メイベル・チャン】184位
【ラージクマール・ヒラーニ】185位
【リュ・スンワン】186位
【ロバート・ストロンバーグ】187位
【ロン・ハワード】188位

【アヌラーグ・バス】189位
【ウォン・カーウァイ】190位
【エドモンド・ヨウ】191位
【オリヴィエ・アサイヤス】192位
【カルロス・ベルムト】193位
【カン・ギェジュ】194位
【ゲイリー・ロス】195位
【サース・ヤーノシュ】196位
【サミュエル・ベンシェトリ】197位
【ジャンニ・アメリオ】198位
【ジュゼッペ・トルナトーレ】199位
【ジョージ・クルーニー】200位
【ジョゼ・パジーリア】201位
【ジョセフ・カーン】202位
【ジョン・ブアマン】203位
【ジョン・リー・ハンコック】204位
【スティーヴン・フリアーズ】205位
【ソト・クォーリーカー】206位
【ダン・ニャット・ミン】207位
【ディヴィッド・クローネンバーグ】208位
【ディヴィッド・マッケンジー】209位
【ディヴィッド・ロバート・ミッチェル】210位
【トム・マッカーシー】211位
【ニコラス・ローグ】212位
【ニック・パーク】213位
【パスカル・フェラン】214位
【プラッチャヤー・ピンゲーオ】215位
【フレッド・カヴァイエ】216位
【フロリアン・ダーヴィト・フィッツ】217位
【ホアン・ミンチェン 黄銘正】218位
【マーティン・マクドナー】219位
【マシュー・ヴォーン】220位・読者11位
【マルタン・プロヴォスト】221位
【ヨアヒム・トリアー】222位
【ラミン・バーラニ】223位
【リー・ダニエルス】224位
【リサンドロ・アロンソ】225位
【リチャード・ケリー】226位
【リティ・パニエ】227位

【アキ・カウリスマキ】228位
【アラン・モイル】229位
【アレキサンダー・ペイン】230位・読者30位
【イム・スルレ】231位
【ヴァンサン・マケーニュ】232位
【エドウィン】233位
【カルロス・レイガダス】234位
【ジェームス・T・ホン】235位
【ジェームズ・ヴァンダービルト】236位
【ジェフリー・C・チャンダー】237位
【シャロン・マイモン&タル・グラニット】238位
【ジョー・グータイ 周格泰】239位
【ジョエル・ホプキンス】240位
【ジョージ・A・ロメロ】241位
【ジョージ・ルーカス】242位
【ジョージ・ロイ・ヒル】243位
【ジョン・ハイアムズ】244位
【スティーヴン・ナイト】245位
【スパイク・ジョーンズ】246位
【スペイシー・ペラルダ】247位
【ダミアン・マニヴェル】248位
【タル・ベーラ】249位
【チェ・ドンフン】250位
【チェン・ユーシュン 陳玉勲】251位
【チョン・グンソプ】252位
【デレク・シアンフラン】253位
【ドーリス・デリエ】254位
【トビアス・リンホルム】255位
【ハーモニー・コリン】256位
【ブリュノ・デュモン】257位
【マイケル・マン】258位
【モンテ・ヘルマン】259位
【リリ・リザ】260位
【ルーシャン・キャステーヌ・テイラー&ヴェレナ・パラヴェル】261位

【ジャン=ピエール&リュッリ・ダルデンヌ】・読者16位
【ペドロ・アルモノバル】・読者22位
【ギレルモ・デル・トロ】・読者26位
【ナ・ホンジン】・読者29位



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by sentence2307 | 2017-04-08 13:40 | 映画 | Comments(0)

小津安二郎と俳句

実は、前回ブログに書いた「エイゼンシュテインと俳句」の後日談というのがありまして、例の理髪店から帰宅して、しばらくテレビを見たあと、すこし早めの夕食でもとろうかと思っていたとき、さきほどの理髪店のオヤジさんが訪ねてきました。

なにか店に忘れ物でもしたのかと思って出てみると、先ほど店で話した雑誌をオヤジさんがわざわざ届けにきてくれたというのです。
手渡されたその雑誌の表紙には「月刊・俳句界」(文学の森刊行)2015.3月号とあり、その下に幾分小さめの活字で「特集・映画人の俳句」と書いてあります、なるほど、なるほど。

そしてそのすぐ下には、確かに「小津安二郎から渥美清、夏目雅子まで」とありました。

「これですよ、店で話した特集記事というのは。ほら、ほんとだったでしょう。さっき旦那が、なんだか疑わしそうな顔をしていたので、実物を見てもらおうと思って届けにきました」ということでした。

「返却の方は、いつでも結構ですからね」とそれだけ言い残して、オヤジさんは、そそくさと帰っていきました。

「あっ、いえ、かえって恐縮」とかなんとか、およそ場違いな挨拶を遠ざかっていくオヤジさんの背中に慌てて投げかけました。

このときの自分の応対が素っ気なかったとすれば、それは不意のことに戸惑っただけなので、「小津安二郎と俳句」というのなら大歓迎、興味なら大いにあります。

しかし、こうした「証拠」を目の前にしたいまでも、なんだか半信半疑なのは解消していません、そもそも「小津安二郎と俳句」なんて、いままで考えたこともありませんでした。

だって、なんだか「らしくない」感じの方が勝って、どう考えてもしっくりこないというのが正直な気持ちです。

いままで自分のなかで「小津安二郎」と「俳句」を結びつけるという「発想」そのものがなかったということもありますが、そもそもあの寂しがり屋の小津安二郎がひとり孤独にふけって俳句という言葉遊びに興じたり・熱中したり・煩悶したりという孤独な時間を過ごしたということに(仲間を集めてワイワイ賑やかなことがとても好きな小津監督のことですから、そういう孤独な「時間」をひとりで過ごして言葉遊びにふける人とはどうしても思えなかっただけに)、なんだか意表を突かれたからだと思います。

さっそく「月刊・俳句界」の小津安二郎の俳句が掲載されているとかいうページを開いてみました。

なるほど、ありますね、あるある。

ページの右端に「小津安二郎」という見出しがあり、俳句が6句掲載されています。

ごく短いので、ちょっと書き写してみますね。


つくばひに水の溢るる端居かな
黒飴もひとかたまりの暑さかな
手内職針の針のさきのみ昏れのこる
未だ生きている目に菜の花の眩しさ
月あかり築地月島佃島
春の雪石の仏にさはり消ゆ


最初から分かっていたことですが、俳句の素養なんてまるでない自分です、この6つの句を目の前に並べて、その句の良し悪しが「どうこう」判断できるわけもありません、ただ言えることは、どの句にも感情というものが些かも感じられないということくらいでしょうか。

あっ、そうか、これって正岡子規がいっていた「写生」とかいうもので、後継者の虚子も「花鳥諷詠」とかいってたっけな(これは深見けん二先生からの受け売りです)と乏しい知識から、これら小津俳句の「素っ気なさ」の意味がだんだん分かってきました。

そういえばあの司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、なんで正岡子規の設定が必要だったのか、読んだ当時も(そしていまでも)訝しく思ったことを思い出しました。

とかなんとか余計なことを考えながら、まあ、この小津俳句、早い話が、感動していいものやら、しなくていいものやら、少しも分からないという思いだけがヤタラ空回りして同じ所を堂々巡りするばかりです。

で、いつもなら、これで話は途切れて「おしまい」になってしまうのですが、この特集記事の最初に掲載されている齋藤愼爾という方の「映画人の俳句逍遥」という論考の、そのなかの一文を読んで、俄然興味が湧いてきました。

そこには、こんなふうに書かれていました。

「田中眞澄(小津映画の研究家)が、小津の手帳、メモ帳、覚書帳から編集した1933年から63年に至る「全日記小津安二郎」(フィルムアート社)には、およそ123句の俳句と10首ほどの短歌を拾うことが出来る。最も多産だったのは、「東京の宿」が公開された1935年の46句だ。5月18日には、同行13名で仙台行。夜は句会を開いている。連衆は小津の他に斎藤寅次郎(監督)、清水宏(監督)、野村浩将(監督)、野田高梧(脚本家。小津とは処女作以来、終生の名コンビ)である。」


そして、そのすぐあとに、つぎの3句が紹介されていました。
籤運の悪さをなげく旅の空 斎藤寅次郎
さみだれに濡るる仔馬を見て過ぐる 野田高梧
郭公もしとどに濡れて五月雨 小津安二郎

ちなみに、ここにある13名とは、

斎藤寅次郎、清水宏、野村浩将、野田高梧のほかに、荒田正男、佐々木啓祐、柳井隆雄、井上金太郎、池田忠雄、北村小松、伏見晁、斎藤良輔、そして小津安二郎だったそうです。

なるほど、なるほど、これならよくわかります。出来の方はともかく、あの寂しがり屋の小津が愛した俳句というのが、こうして仲間内でワイワイ賑やかに楽しむ華やかな連句だったんだなと、「小津安二郎にとっての俳句」の意味が少しだけ分ったような気がしてきました。



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by sentence2307 | 2017-04-01 10:41 | 映画 | Comments(1)