しかも、いかにも初々しい。
映画通の友人との雑談の折に、友人にそのとき感じた彼女の印象を伝えたら、新珠三千代は「その線」で売り出した女優なんだから当然だろうと切り返され、逆に、それじゃお前が「驚いた」というその理由というのは何だったんだと聞き返されてしまいました。
僕が最初に見た新珠三千代の作品、つまり川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」に出演していたあの演技のことについて話しました。
友人いわく「新珠三千代の第一印象を形成するにしては、そりゃあ最悪な出会いだったわけだな。しかし、最初に出会ったその作品が彼女にとって最高の演技と評価を受けた作品だったことは、本当の意味では幸運だったと云えなくもないかな。」
帰宅してから、そのときの会話が気に掛かって、佐藤忠男の「日本映画史」のページを繰って新珠三千代について書かれた部分を探してみました。
「日本映画史」の第8章「危機と変革の1960年代」の15「俳優たち」の項には、こんなふうに記されていました。
《新珠三千代は、美しく品よくふるまって貴婦人崇拝的な愛の対象になるというメロドラマ的な役柄の多いスターであるが、川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」56ではずるくて冷酷でもある娼婦を鮮やかに演じて演技的に代表作とした(・・・やっぱり、そうだったんだ・・・)。
堀川弘通の「女殺し油地獄」57では、やさしさと美しさが仇となって親しい不良少年から殺されてしまう商家のお内儀を演じて凄艶であった。
小津安二郎の「小早川家の秋」61では、中村鴈次郎の老父に意見するしっかり者の娘であり、折り目正しい演技だった。》
そうだ、「小早川家の秋」に出ていたんだった。
「折り目正しい演技」とは、まさに小津安二郎好みの女優ではないかと気がついて、松竹編「小津安二郎新発見」にあった「小津映画の名優たち」のひとりに加えられているのではないかと思い、ページを繰ってみましたが、残念ながら特別な項目が立てられてはいませんでした。
肩透かしを食わされた気分です。
そして、佐藤忠男の「日本映画史」の中で、もうひとつ気に掛かる部分がありました。
「洲崎パラダイス 赤信号」のなかで新珠三千代が演じた役・蔦枝が「娼婦」と記されている部分です。
僕はいままで、彼女が演じたあの役は、食い詰めて、そのままでは娼婦に落ちてしまいかねない危うい境遇の女だと思い込んでいました。
そうだったのだろうか、もしそうなら、僕がいままで持っていた固定観念を修正する必要が生じる。
撮り溜めたストックのなかに、この作品のビデオがきっと保存されているとは思いますが、整理が悪いので、すぐには見つかりそうもありません。
そうそう、以前書いた感想ならブログの中にあるかもしれないと気がつきました。
そんなわけで、少し以前のブログを探してみたところ、ありました、ありました。
自分自身の心覚えのために、以下に貼っておこう思います。
《食い詰めた男と女が行き場所を失い、切羽つまって、洲崎に流れてきます。
しかし、川向こう洲崎遊郭で働き口を見つけるまでの決心はつかないまま、女は橋のたもとの一杯飲み屋で働き、男は蕎麦屋の出前持ちになります。
離れ離れの生活を送るうちに、女は男との腐れ縁を絶つように電気屋の主人の囲われ者となり男の前から姿を消すと、一時は男も半狂乱になって女を探しますが、それもやがて諦めて仕事に精を出すうちに、飲み屋の亭主が昔の女に殺されるという事件が起こり、それをきっかけとなって再び女とよりが戻ります。
離れたりひっついたりしながら、男と女は誰もが今にも千切れそうな生活という一本の綱の上で危なっかしい世渡りを続けているのだと描かれます。
だが、この映画の本当の主人公は、むしろ、橋の袂に踏み止まる二人を絶えず脅かし続ける川向こう、洲崎パラダイスからの、堕ちる所まで堕ちて捨て身の逞しさで生きる様々な人間たちの、お祭り騒ぎのようなどよめきと賑わいです。
あの溝口健二の最期の作品「赤線地帯」は、奇しくもこの同じ年に撮られています。
地獄のような赤線の町から抜け出すためには、死ぬか気違いにでもならなければ駄目なのだと、売春制度の悲惨を憎悪を込めて告発したこの作品の悲惨な女たちの数々の運命が、まるで見本市のように蒐集されて描かれていく果てのラストで、ひとりのいたいけな少女が無理矢理塗りたくった厚化粧の中から、恐る恐る客に声をかける初店の鬼気迫る場面には、溝口の女性崇拝を基盤にした非人間的制度への怒りと怨念の告発が漲っていました。
しかし、過酷な運命に弄ばれ、されるがままになっている人形のような、どこまでも被害者でしかない溝口の描く女たちに比べると、川島雄三の描く女たちは、惨めな生活に絶望しながらも、だからこそ限られたその人生の、女として味わい得る快楽の悉くを享楽するために、露骨な欲情を押し隠すこともなく、とことん生き尽くそうとする貪欲な「人間の女」たちなのです。
思えば「幕末太陽傳」で、佐平次が、溢れ出る活力に任せて、はしゃぎ回り、暴れ回ったその後で、人知れず時折咳き込みながら見せた暗い不吉な表情が、彼のすぐ傍らにある死の存在を明確に仄めかすことで、作品自体に彫りの深いニヒリスティックな陰影を与え得て、物語に更に一層の豊かな奥行きを持たせることに成功し、また、それだけに観る者に強烈な印象を与えることが出来たのだと思うのですが、この「洲崎パラダイス・赤信号」における、佐平次のそうした「死」に見合うだけの謎といえば、それはきっと女(蔦枝)の「過去」の得体の知れなさではないでしょうか。
食い詰めた二人が洲崎まで流れてきて、橋の手前で躊躇する感じが何やら意味ありげなのです。
そして物語が進行するにつれ蔦枝が元娼婦だったらしいことが、周囲で取り交わされる会話や雰囲気で何となく分かり始めます。
そのことで、更に蔦枝の迷いも少しずつ分かり始めます。
食うためなら、少しの間、体を売ってもいいかも知れない、と考えたかも知れません。
彼女が、体を売ること自体に抵抗を持っていたとは考えにくいものがあります。
もしあるとすれば、亭主に対する遠慮だけだったのではないでしょうか。
ここで川島雄三が描いている蔦枝という女は、溝口健二の描いた日本の古い因習に囚われた痛ましい女たちとは、だいぶ様子が違います。
蔦枝には、そもそも性に対する罪悪感が全然ありません。
むしろ、蔦枝は、「洲崎遊郭」という解放区で性の魅力と自由さに再び魅入られ虜にされてしまうことを恐れているかのようにさえ思えてしまいました。
彼女が持て余しているのは、絶望的なくらいに生き生きとした彼女自身の「女であること」の決定的なバイタリティです。
ここまで書いてきて、この作品は、もしかすると売春防止法というものに対する川島雄三の意思表示だったのかもしれないと思えてきました。
もし金のために嫌々身を売らねばならない不幸な女が一人でもいるなら、売春防止法は有効であるという論理の裏側で、1人だけの男に独占されることを拒み、様々な男たちとの性交渉を通して自分の肉体が持つ官能の可能性の総てを欲望のままに享楽し尽くそうとする女がひとりでもいる限り、売春防止法は無効であるという論理も成り立つ可能性も在り得るのではないか、というような・・・。
この作品は、川島雄三の最高傑作です》
しかしなんですよね、その新珠三千代も既に亡くなってしまっているのですから、やっぱりこのあたりが映画の残酷なところなんでしょうか。
そういえば「小早川家の秋」の最後の場面はこんなふうでしたよね。
火葬場の煙突から出る煙を見ながら、河原の夫婦が言葉を交わします。
「爺様や婆様やったら大事ないけど、若い人やったら可哀想やなあ。」
「うーむ、けど、死んでも死んでも、あとからあとからせんぐりせんぐり生まれてくるわ。」
「そうやなあ、よう出来とるわ。」
この死の影に覆われた壮絶な台詞を聞いてしまったら、「映画って、本当に素晴らしいものですね」なんて、口が曲がっても僕には言えそうにありません。
(56日活)(監督)川島雄三(原作)芝木好子(脚本)井手俊郎、寺田信義(撮影)髙村倉太郎(美術)中村公彦(音楽)眞鍋理一郎
(出演)新珠三千代、轟夕起子、河津清三郎、三橋達也、芦川いづみ、牧眞介、桂典子、田中筆子、植村謙二郎、冬木京三、小澤昭一、山田禪二、菊野明子、隅田恵子、津田朝子
(81分・35mm・白黒)
新珠三千代出演作
1.1951.06.22 平安群盗伝 袴だれ保輔 東宝
2.1952.06.12 娘十八お転婆時代 宝塚映画
3.1952.10.01 その夜の誘惑 宝塚映画
4.1953.03.05 悲剣乙女桜 宝塚映画
5.1953.04.29 妻 東宝
6.1953.12.29 鞍馬天狗斬り込む 宝塚映画
7.1955.03.01 人形佐七捕物帖 めくら狼 滝村プロ
8.1955.04.24 花のゆくえ 日活
9.1955.05.29 あした来る人 日活
10.1955.07.12 若き魂の記録 七つボタン 日活
11.1955.08.02 青空の仲間 日活
12.1955.08.09 三つの顔 日活
13.1955.08.21 月夜の傘 日活
14.1955.08.31 こころ 日活
15.1955.10.25 江戸一寸の虫 日活
16.1956.01.03 ただひとりの人 日活
17.1956.01.21 ただひとりの人 第二部 日活
18.1956.02.19 風船 日活
19.1956.02.25 神阪四郎の犯罪 日活
20.1956.03.14 死の十字路 日活
21.1956.04.04 東京の人 前後篇 日活
22.1956.05.03 雑居家族 日活
23.1956.05.31 続ただひとりの人 日活
24.1956.07.31 洲崎パラダイス 赤信号 日活
25.1956.11.14 乳母車 日活
26.1957.01.03 お転婆三人姉妹 踊る太陽 日活
27.1957.01.03 川上哲治物語 背番号16 日活
28.1957.03.20 「廓」より 無法一代 日活
29.1957.08.10 夜の鴎 東宝
30.1957.09.15 初恋物語 東宝
31.1957.11.15 女殺し油地獄 東宝
32.1957.11.29 遙かなる男 東宝
33.1958.02.18 母三人 東京映画
34.1958.03.25 葵秘帖 東映京都
35.1958.04.15 東京の休日 東宝
36.1958.05.26 結婚のすべて 東宝
37.1958.07.12 若い獣 東宝
38.1958.08.19 炎上 大映京都
39.1958.09.02 鰯雲 東宝
40.1959.01.15 人間の条件 第一部純愛篇、第二部激怒篇 にんじんくらぶ=歌舞伎座映画
41.1959.01.28 かげろう笠 大映京都
42.1959.04.12 私は貝になりたい 東宝
43.1959.06.13 千代田城炎上 大映京都
44.1959.08.09 新・三等重役 東宝
45.1959.08.19 新吾十番勝負 第二部 東映京都
46.1959.08.29 お役者鮫 大映京都
47.1959.11.20 人間の条件 第三部望郷篇、第四部戦雲篇 人間プロ
48.1960.01.15 新・三等重役 旅と女と酒の巻 東宝
49.1960.01.27 現代サラリーマン 恋愛武士道 東宝
50.1960.03.22 若い素肌 東宝
51.1960.03.29 国定忠治 東宝
52.1960.04.26 新・三等重役 当るも八卦の巻 東宝
53.1960.06.26 接吻泥棒 東宝
54.1960.07.12 新・三等重役 亭主教育の巻 東宝
55.1960.08.28 濹東綺譚 東京映画
56.1960.09.18 自由ケ丘夫人 東京映画
57.1960.11.19 赤坂の姉妹 夜の肌 東京映画
58.1960.12.25 サラリーマン忠臣蔵 東宝
59.1961.01.28 人間の条件 完結篇 第五部死の脱出、第六部曠野の彷徨 文芸プロ=にんじんくらぶ
60.1961.02.14 南の風と波 東宝
61.1961.02.25 続サラリーマン忠臣蔵 東宝
62.1961.04.25 社長道中記 東宝
63.1961.05.16 女家族 宝塚映画
64.1961.06.14 沓掛時次郎 大映京都
65.1961.10.29 小早川家の秋 宝塚映画
66.1961.11.12 黒い画集 第二話 寒流 東宝
67.1962.01.03 サラリーマン清水港 東宝
68.1962.03.07 続サラリーマン清水港 東宝
69.1962.04.29 社長洋行記 東宝
70.1962.05.22 愛のうず潮 東宝
71.1962.06.01 続社長洋行記 東宝
72.1962.06.20 おへその大将 宝塚映画
73.1962.09.01 かあちゃん結婚しろよ 松竹大船
74.1962.11.03 忠臣蔵 花の巻 雪の巻 東宝
75.1963.01.15 憂愁平野 東京映画
76.1963.02.17 風の視線 松竹大船
77.1963.04.28 社長外遊記 東宝
78.1963.05.29 続社長外遊記 東宝
79.1963.08.14 馬喰一代 東映東京
80.1963.09.14 丼池 宝塚映画
81.1963.11.16 江分利満氏の優雅な生活 東宝
82.1963.12.08 暁の合唱 宝塚映画
83.1964.02.29 今日もわれ大空にあり 東宝
84.1964.02.29 続社長紳士録 東宝
85.1964.04.04 喜劇 陽気な未亡人 東京映画
86.1964.07.11 悪の紋章 宝塚映画
87.1964.08.28 西の王将 東の王将 東宝
88.1965.01.03 社長忍法帖 東宝
89.1965.01.03 侍 東宝=三船プロ
90.1965.01.06 怪談 文芸プロ=にんじんくらぶ
91.1965.01.31 続社長忍法帖 東宝
92.1965.04.10 冷飯とおさんとちゃん 東映京都
93.1965.05.28 霧の旗 松竹大船
94.1966.01.03 社長行状記 東宝
95.1966.01.25 女の中にいる他人 東宝
96.1966.02.25 続社長行状記 東宝
97.1966.02.25 大菩薩峠 宝塚映画
98.1966.10.01 あこがれ
99.1967.01.01 社長千一夜 東宝
100.1967.01.14 惜春 松竹大船
101.1967.06.03 続社長千一夜 東宝
102.1967.08.03 日本のいちばん長い日 東宝
103.1967.09.23 斜陽のおもかげ 日活
104.1968.01.14 春らんまん 東宝
105.1968.05.25 喜劇 駅前火山 東京映画
106.1968.06.08 日本の青春 東京映画
107.1968.12.28 喜劇 大安旅行 松竹大船
108.1969.03.29 ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを 東京映画
109.1969.05.14 超高層のあけぼの 日本技術映画
110.1969.05.31 鬼の棲む舘 大映京都
111.1970.01.15 男はつらいよ フーテンの寅 松竹大船
112.1970.06.06 ある兵士の賭け 石原プロ
113.1973.09.08 人間革命 シナノ企画=東宝映像
114.1975.11.01 陽のあたる坂道 東宝映画
115.1976.06.19 続人間革命 東宝映像=シナノ企画
116.1976.10.02 喜劇 百点満点 東宝映画