世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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戦争と平和・亀井文夫版

「戦争と平和」とはいってもヘップパーン主演のあの超大作の方ではなく、亀井文夫が山本薩夫と組んだ初の劇映画です。

夫が戦場で行方不明となるという同じシチュエーションから物語はスタートします。

妻は夫が死んだものと諦めて夫の親友(負傷し復員して療養しています)と再婚します。

しかし、再婚相手(池部良)は空襲にあった際、戦場で晒された死の恐怖を蘇らせて精神の異常を来たしてしまいます。

池部良の迫真の演技でした。

夫は中国から帰還すると、妻が自分の親友と再婚しているばかりか、その友は精神に異常をきたしているのを見てショックを受けます。

悩みぬいた末に「総ては戦争が悪いんだ」と、自分が身を引くことを決意し、なんとか友を快癒させようと友の入院を勧めているとき、池部は狂気のためにミシンを踏み続けながら誤って針を指に突き通し、激痛で正気に戻りますが、この狂気に囚われていた自分の伺い知れない空白の間に、妻と前夫の関係を疑い悩みを募らせていきます。

ここまでくると、話しはもうどろどろの泥沼状態です。

あのイタリア映画「ひまわり」に描かれているような悲しく切ないけれど、しかし同時にどこか爽やかな感じさえ受けるその違いが一体どこにあるのか、きっと、相手を愛する自分の気持ちの強さの確信の違いなのだろうと思いました。

日本の「どろどろ組」にとっては、愛するという行為は、あくまでも二の次、三の次で、いつも何かが優先していたのだと思います。

それが「戦争」だったかもしれないし、「革命」とか「生活」だったかもしれないけれど、少なくとも「愛」ではなかったのだと思いました。

池部良が、妻を疑い、苛立ちから彼女を殴りつける場面に続いて、母をかばう子供をマジでどつき倒す描写にこの映画の精神のあり方の総てが描き出されていました。

この作品の作り手たちが最優先で信じていた「革命」や彼らの「平和」が、少なくとも、愛する夫からいわれのない屈辱的な疑いをかけられたり、目の前で母親が暴力を振るわれているの見せ付けられる惨状など、「革命」の前ではたいした問題ではない最優先の大儀を有していることが良く分かりました。

少なくても「愛」などではないらしいということが。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 08:30 | 映画 | Comments(0)

あまりにも愚かで、ザンパーノの大道芸の手伝いも満足に出来ずに落ち込んでいる失意のジェルソミーナを、道化のキ印は、「この地上の物で役に立たない物など何もないさ。この石だって何かの役に立ってるんだよ」と、励ます場面があります。

ジェルソミーナが、初めて人間として扱われ、自信をもつ重要な場面です。

ザンパーノにとっては、性欲の対象(それも「女」としてというよりも、まるで「便器」のような)でしかなかった自分を、ひとりの女性としてザンパーノに認めさせようとまで決意させたこの希望に満ちたシーンが、やがてくるキ印殺害の衝撃を更に大きなものにしています。

その純真さゆえに、殺人というあまりにも残酷な出来事に耐え切れず、心を閉ざした廃人のように泣き続けるジェルソミーナに手を焼いたザンパーノは、彼女をその場に置き去りにしたまま立ち去ります。

そして、ラスト。映画史に残る名シーンです。

寒々しい海辺の町に流れてきた今ではすっかり老いさらばえたザンパーノは、そこで自分がかつて捨てたジェルソミーナがいつも口すさんでいた歌を耳にし、歌っている洗濯女に訳を尋ねます。

その女は、気のふれた乞食女が泣きながら惨めに死んでいったこと、それでも気分のいい時には、呟くようにこの歌を歌っていたのだと言います。

やがて夜更け、荒れすさみ、絶望の中で泥酔したザンパーノは、喧嘩の果てにさまよい出た夜の海岸で泣き崩れます。

ただ欲望と快楽にのみ空費し、あと僅かしか残されていない無意味な人生が残酷な罰のようにザンパーノにのし掛かってきます。

一瞬のうちに過ぎ去った人生という儚い時間に対しての驚愕と後悔。

そしてあまりにも大きすぎる失ったものへの恐れ。

途切れるように不意に終わるこのラストには、安易な救いなどどこにも見つけ出すことの出来ない、フェリーニの突き放した人間へのやりきれない絶望感しか感じられません。

ザンパーノの死後も、あの洗濯女は、いつまでもあのメロディを口ずさむのでしょうか。

キ印もジェルソミーナもザンパーノも、そして彼らを知る総てのものが死に絶え、哀しいこの物語の記憶が人々から失われても、ジェルソミーナが愛した美しく物悲しいあのメロディだけが、いつまでも人づてに空しく生き続けていくことの残酷を思うと、何だか胸苦しくなりました。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 08:09 | 映画 | Comments(0)

国民の創生

1915年に製作されたグリフィスのこの作品が、映像処理の基本的技法(フラッシュ・バックによる映画的時間の処理とか、クロス・アップや超ロングによるモッブ・シーンの使い分け、様々な形のマスキングの使用、ふたつの場面進行を交互に見せるクロス・カッティングなど)を確立した作品といわれるだけに、その優れた映画話法の完成度の高さと饒舌とにより、いま見ても左程語り口の古さを感じることなく鑑賞できるので、逆に、そこで描かれている強烈な人種的偏見も一層生々しく感じてしまうのかもしれません。

この作品は、南北に分かれて戦った二つの家族の若者同士が、南北の和解を象徴するかのように結ばれ結婚するというのが主要な話しの部分なのですが、それとは別に、北軍の勝利により、解放された黒人たちの凶悪な暴動に対処するために、自衛のため仕方なくKKKが組織されたという理由付けもなされています。

結成のタテマエは、自由の身となった黒人たちが白人に対し激しい憎悪をもって対抗し、その脅威に、やむを得ず白衣覆面のKKK団が暴徒と化した黒人に制裁を加えるためと説明されています。

実際に南軍の大佐だったという父親をもったグリフィスが、南軍的雰囲気の環境の中で育まれたに違いないこの暴力的な白人優越主義の人種偏見を、ごく日常的な常識として身につけていたことに驚くと共に、それを抵抗なく受け入れていた社会にも脅威さえ感じます。

そこには黒人を奴隷として虐待していた記憶に根ざす白人の根深い恐怖感が当然あったでしょうが、一方黒人自身のなかにも階級化された選民意識のようなもの(自分だけは特別白人に近いというような一種の優越感のようなもの)を持っていたらしいのです。

例えば1930年代のある黒人劇場では、冷酷で無知で野蛮なステレオタイプの堕落した黒人が、金髪の美女に襲い掛かろうとしている描写とのクロス・カットで、その黒人を制裁するために馬で駆けつけるKKK団の描写の場面が大写しになった時、黒人の観客が抗議どころか、KKKへ熱狂して喝采を送っていたという当時の新聞記事が紹介されており、黒人の中にもそれぞれ階層があって、ある選民意識を持った者の存在もあったことが窺われます。

しかし、これとても形を変えた「奴隷根性」でしかなく、黒人たちの隷従に甘んじた精神の打撃がいかに深刻なものであったかを示唆したエピソードだと思いました。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 08:06 | 映画 | Comments(0)

ローマの休日

宿舎の王宮を密かに抜け出し、ローマの街で普通の娘として思い出深い休日を過ごした王女が、公人として臨んだ記者会見場でジョーと再会するこのシーンが、僕にとっての忘れられない場面です。

アン王女は、そこで始めて彼が新聞記者だったことを知り驚きます。

その表情は、愛する人との再会の喜びより、不安に満ちた困惑の表情に覆われています。

この場面は、うら若い乙女が初めて恋心を抱いた相手との再会に胸をときめかせる一人の「娘」としてよりも、スキャンダルを新聞記者に逐一握られていることを恐れる「公人」としての危惧に支配されていて、彼女の恋心が戸惑いの中で微妙に動揺をみせる繊細な場面です。

ジョーの方も、その前夜に宿舎近くまで王女を見送り、何もかもを知りながら溢れる思慕の情に任せて別離のkissを交わしています。

スクープをとるか放棄するか、迷いながら二人は記者会見場で相対しています。

二人を隔てるこの絶望的なくらいの身分的な距離を見せることによって、別離の演技を更に繊細なものにしているのだと思いました。

ジョーひとりと握手を交わすために、多くの記者たちと握手し紋切り型の社交辞令を交わしながら、王女の心は総てジョーに向かっていて、少しずつ近づいてゆく際のときめきが直に伝わってくる素晴らしい場面です。

そして、いよいよジョーと握手を交わす瞬間、それが、喜びよりも、本当の別離をお互いに確認するための触れ合いでしかないことが、二人の諦念に満ちた微笑からも分かるのです。

王女と新聞記者という決定的な身分的隔たりをお互いがはっきりと認識する瞬間です。

やがて、次の記者へと挨拶に移動して行くヘップバーンの繊細な演技は、幾度見ても胸打たれます。

グレゴリー・ペックの像が、徐々に薄れ遠ざかっていく背景の中で捉えるヘップバーンの振り向くことすら許されない淋しそうに微笑む横顔は、いま終わったばかりの恋が、少しずつ距離を増しながら失われていく象徴的なすばらしいシーンでした。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:51 | 映画 | Comments(124)

フェリーニのカサノバ

フェリーニの映画は、どれも、なんか名場面集のような気がします。

決して軽く見ている訳ではなく、それも映画に酔うという重要な要素だと思っていますし、イタリア語のあの響きが大好きです。

最近の映画では、あまり感じることができなくなりましたが、特にフェリーニ作品にその魅力を強く感じます。

イタリア語の響きがあまりに心地よく、つい二度見てしまうこともしばしばありました、その時はただ眼を閉じたまま言葉の響きの美しさだけを堪能したのです。

「道」の冒頭の老母(立て続けに娘二人をザンパーノに買われ、その命まで奪われることとなります)が叫ぶ「ジェルソミーナ!」は忘れられません。

二度目の回では、ザンパーノに虐待され精神の均衡を失した彼女がやがて無残に野垂れ死ぬことが分かっているだけに泣けて仕方ありませんでした。

さて、名作「道」を思いながら色物の「カサノバ」を書くのは、何だか気が引けるのですが、ご容赦下さい。

「カサノバ」を見て考えました。

好色であることと絶倫であることとは、必ずしも一致するわけではない。

もし、絶倫だからといって、好色でなければ(それどころか性に対し嫌悪感や罪悪感を催すような設定だったら)、ポルノ映画としては、これくらい深刻で鼻白むことはないでしょう。

性の解放を謳歌しているはずのこの好色文学の映画化このカサノバを、むしろ僕はそのような逆の禁欲的で性に対する嫌悪をすらフェリーニが抱いているのではないのかという感じすら覚えました。

きっとフェリーニという人は、人間が嫌いだったのではないかと思えたくらいでした。 
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:48 | 映画 | Comments(0)

花様年華

久々に映画という時間の中で酔いしれました。

不倫をされた配偶者同志が、その痛手を互いに癒し合うかのように逢瀬を重ねていくのですが、棄てられた者同志ですから、互いがその惨めさの反映ということもあって、深い関係にはどうしてもなれません。

手を触れ合うだけの行為を躊躇い、逡巡する繊細なメロ・ドラマです。

貞淑とか道徳観との葛藤とか、今では珍しくなった観念がしっかりと描かれていて、ドラマを支えています。

マギー・チャンのチャイナ・ドレスもすごくいいです。

人を容易に近づけない程の完璧なおしゃれというのは、却って哀しいものだな、とこの映画で思いました。

「棄てられた女、忘れられた女」の惨めさを認めたくないと必死に抗うかのような痛ましい「おしゃれ」でした。

女の髪や服装や装飾に対するこだわりは、その情念と肉体とダイレクトにそのままつながっているような(実際見てもらうと分かると思いますが、男に手を触れられただけで膝をきゅっと閉めてしまうような生々しさがありました)こわい面が良くわかりました。

あだやおろそかにはできません。

思いを寄せながら、日常に疲れた幸薄い女が、うまくいかなかった昔の恋をふと振り返る。

胸苦しいようなそんな感傷を、味合わせてくれました。

今では、日本ではもう作られなくなった松竹大船調の叙情とでもいうのでしょうか。

音楽もとてもいいですよ。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:41 | 映画 | Comments(0)
エドワード・ノートンは、デ・ニーロみたいにもっともっと大きく成長するだろう、とこの映画を見て確信しました。

どこかこの二人似てますよね。

偏執的な狂気じみた印象が共に感じられます。

そして、ここでいちばんの白眉のシーンは、対立する黒人グループのボスを叩きのめしてから、さらに歩道の縁石を咥えさせたうえ頭蓋を真上から蹴り砕く場面です。

今まで見たこともない狂気の場面でした。

しかも不気味な薄ら笑いさえ浮かべながらの凄惨な殺戮です。

お伽話のようなアメリカン・ドリームの虚偽があからさまになり、硬直した社会では、もはや最下層の人間が浮かび上がる余地など全くなくなってしまった絶望のどん底にいる彼らに、もし希望を持たせ得るものがあるなら、それはファシズムという政治の錬金術によって公認された暴力へ奉仕することで得られる快感だけだ、とでもいっているのでしょうか。

その世界は、根深い劣等感が、強烈な選民意識に摩り替えることの出来るナチズムと同じ論理に依拠する回路を持っています。

しかし、それは特殊なことでもなんでもなく、どこの社会でも付随的に生ずるごく一般的な、あるいは必然といえるものなのかもしれません。

とにかく、この映画は、いままでの映画が築ずき挙げてきた価値観では、どうやっても測ることの出来ない途轍もない凄さを見せ付けられた映画でした。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:35 | 映画 | Comments(0)

竜二

妻子のためにヤクザを抜けようとした竜二が、堅気の仕事としてトラック運転手をやります。

しかし、そこで見たものは、まるで自分がヤクザを抜けたために、昔の仲間達がちりぢりばらばらになり、まるで自分が見捨てたような惨状を見せ付けられますが、しかし、むしろ、ヤクザが堅気になることの本当の難しさは、堅気の衆がヤクザの威を借りて虚勢を張ったり強がったりハクをつけて自分を大きく見せようとすることです。

一匹狼としてあらゆる権威に牙を剥きながら生きてきた竜二にとって、それは何よりも苦痛だったに違いありません。

【同僚が言います
「おれなんかよ、名古屋のヤクザで若頭のオサムさんていう人に可愛がってもらったのよ」。
竜二(顔は凄みの効いたヤクザの表情に戻っています。男の手に煙草の火をおしつけながら)「それがどうしたんだよ!」】

嘘で固めた堅気の生きかたに深く絶望した竜二が、本音で生きる一匹狼のヤクザでいる方が、まだしも人間的だとして、苦い旅立ちを痛切に描いた場面でした。

いまはもう既にこの世にはいない金子正次という俳優をきっと僕は永遠に忘れることはないだろうと思います。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:24 | 映画 | Comments(0)

野良犬

黒澤明の凄さは、設定の素晴らしさですね。

すべり出しから、いっきに観客の気持ちを掴んでしまう本当の意味のジェットコースター・ムービー?

刑事が拳銃をなくす、なんて、本当にいい設定ですよねえ。

村上刑事が失くした拳銃を探し回ることによって当時の焼け跡闇市の荒廃した風景を隅々まで見せてしまうという手法もそうなのですが、描写そのものとしても本当に凄いです。

イタリア・ネオリアリズモの諸作品に対等に向き合える力のある作品であるとともに、ドキュメンタリーとしても十分鑑賞に耐えるものと思っています。

多くの日本人が、「拳銃」ではないにしても、しかし、やはり何かを探しながら、焼け跡を彷徨い歩いていたんですよね。

黒澤明はそうやって生きていく人間たちの活力にたまらない魅力を見ていたのだと思います。

そのなによりの証拠に、この戦争直後の、貧しさに耐えながら真剣に生きる目的を探す、という当時の多くの日本人の生き方が、しかし高度経済成長によって少しずつ崩れ失われていったのと同じスピードで、黒澤作品は徐々にではあっても確実にその本来の魅力と面白さを失っていったのもまた事実だと思っています。

黒澤作品の中で、僕が好きで繰り返し見る映画は、

① 「七人の侍」、
② 「生きる」、
③ 「わが青春に悔いなし」or「素晴らしき日曜日」

ですが、「一番美しく」も結構同じくらい好きなのです。

そして、戦時中に作られたこの作品を時局迎合映画とは全然思ってはいません。

限界状況の中で誠実に精一杯生きていくというテーマは、まさに、黒澤明が絶頂期に撮った優れた作品群に一貫して描かれたテーマでもあったわけですからね。

ですから、上記の4作品に較べても、僕はテーマ的な隔たりを全くといっていい程、感じてはいないのです。
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:19 | 映画 | Comments(0)
あの頃は、高倉健や藤純子・緋牡丹博徒とかの東映映画全盛期で、「男はつらいよ」はそのパロディ(松竹が成し得る精一杯の「やくざ路線」に便乗するみたいな?)として作られたんでしょう? 

でも、結果的にはうまい所を突いたんですよね。

ともすると、庶民感覚から全く懸け離れた「やくざ」という非日常的次元のものを、柴又という日常生活を根にしっかりと持つ香具師寅次郎を描くことで、架空の絵物語を日常の次元にまで引き摺り下ろし、いわば間隙を突くそれなりの思想性を持つことが出来たんだと思うんです。

高倉健からは想像もできないような日常的な「もう半分の生活者の世界」を寅次郎が見事に補填したのだと思います。

映画で描かれてきた「やくざ=旅烏」は、庶民が決して持つことも為すこともできなかった暴力という夢を託すことができた(勿論最後には追放という否定的立場をも視野に入れて)唯一の反権力的な好都合な存在だったんだろうと思います。

それはともかく、「男はつらいよ」を引き締めている重要な核は妹「さくら」の存在にあると思いませんか。

僕たちは芯の強い薄幸な感じのしっかり者の「倍賞さくら」しか知らない訳ですが、もし「長山さくら」だったら、どんなだったでしょうね。  
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# by sentence2307 | 2004-11-06 07:06 | 映画 | Comments(0)