世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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風と共に去りぬ

この「風と共に去りぬ」について、こんなふうに、みんなよく言いますよね。

「日本じゃ食うや食わずでヒイヒイ言ってた時にアメリカじゃ、あんな凄い映画作ってた」って。

でも、あの映画、そんなに名作ですか? 

少しでも共感する部分があれば何とか理解もできるのでしょうが、全く駄目でした。

ほとんどの人が手放しで絶賛しているこの映画、どこがいいのかさっぱり分からないのです。

だいたい、このスカーレットという女、よく観ると実に嫌なタイプの女だと思いませんか?

美人であることを鼻にかけて、黒人奴隷をこき使い、傲慢な上にぞっとするほど身勝手で、取り巻きにご機嫌をとられている時はまだいいものの、自分以外の幸福そうなカップルを見ると、あからさまに嫉妬するばかりか、実際にその恋人を奪い取って、ざまあみろとほくそ笑み、また、その男が自分に対して関心を失ったことを知ると、「あんな男」よばわりをして打ち棄てる。

バトラーに対しても、さんざん怒らせておいて、別離がくると追いすがる。

何だか訳が分かりません。

自分が始終ちやほやされていなければ気のすまないヒステリー女の、打算とはいっても、極めて低次元の感情の動きしか描かれていないこの程度の映画と、そしてこんな女のどこに共感できますか。

ところが最近眼からウロコのコメントを女ともだちから入手したのです。

彼女いわく
「女は、スカーレットに自分を置き換えるのが好きなのよ。皆からちやほやされ、人の恋人を奪うくらいの傲慢さで、野性的な男をさんざん焦らせて求愛させるように仕向け、その後で棄てるの。」

唖然としました。

この一大巨編が、作品の質に関係なく、女たちの妄想によって支持され、歴史的な不朽の名作として映画史に定着してしまったのだとしたら、それこそ鳥肌が立つ程の嫌悪と恐怖とに襲われました。

それに較べたら、男たちが思い描く淫らな妄想の所産であるポルノの方が、まだまだ罪が軽いとおもいませんか。

きっと、男と女の、超えることの出来ない生理の違いを試すようなものが、この「風と共に去りぬ」の中に象徴的に潜んでいて僕の嫌悪感が、この作品を本能的に拒絶したんだろうな、とは思うのですが・・・。
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# by sentence2307 | 2004-11-05 23:29 | 映画 | Comments(1)

曽根崎心中

「大地の子守歌」と、この「曽根崎心中」は、増村作品を通して見ても特別な思い入れがこめられた作品だと思いました。

両作品ともに共通しているのは総ての演技者が、そのひとつひとつのセリフを精魂こめて徹頭徹尾絶叫し通していることだと思います。

善良な実直さが、やがて徳兵衛を破滅へと追い込む偏屈な伯父九兵衛も、狡猾な継母も、そして徳兵衛の金を詐取する悪辣な九平次さえも、ともすれば単純で希薄な彼らの直情的性格を、しかし増村保造は絶叫させ通すことによって、この現実を精一杯生きる者達の真摯さを何の衒いもなく証かし立てさせています。

もし生きるために他人を騙し、おとしめ、辱め、完膚なきまでに叩きのめすしか他に術がないなら、その詐術や狡猾や暴力は正しい・・・生きることが、もし不可避的に悪を伴わざるを得ないものなら、その悪は正しい。

増村が描き続けてきたリアリズムにおいて一貫していたこの「道徳観」が、この作品に登場する脇役たちを通俗的な勧善懲悪の檻の中から解き放ち、生き生きとした生命力を吹き込み得たのだと思いますし、だからこそ、お初徳兵衛の凄惨な心中が、全力で闘い抜いて到達した「生」の一部のような死であったからこそ、哀れさどころか、むしろ気高さをさえ感じさせられることができたのだと思いました。

それは、生き場を失った惨めな恋人同士の肩寄せあった哀れな心中が、一般的には、ほのぼのとした独特の愛の連帯感を内に帯びるに違いないであろうという僕たちの陳腐な先入観を厳しく拒んで、どこまでも一人ぼっちのままの、それはあたかも偶然ひとつの場所でそれぞれ自立して死んでいった「二つの自殺」ようにも思えたのでした。

幸せや不幸になることが、絶えず他人のお陰でしか成り立ち得ないようなこの社会の仕組みの中で、しかしそのようにして生き長らえることには耐えられず、身分社会の掟に追い立てられ、やがて、怒りを込めたそれぞれ孤立した二つの憤死のようにしか思えなかった僕にとって、血みどろの赤い海の中で相対死して果てるこの恋人たちの凄惨な敗北の最期を、あえて刻明に描いた増村保造の意図を見たように思いました。

彼らは、壮絶ではあっても、哀れではありません。

しかし、哀れではないにしても、そのあまりの無力さは、やはり無残でしかありません。

それは彼らが、社会的制裁の前でされるがままの圧力に屈し、心中にまで追い込まれていったことと無縁ではありません。

世間の人々の、生きるためには躊躇なく繰り出される傲慢や我執、狡猾や悪辣など、自らのあらゆる作法を用いて社会に敢然と立ち向かっていったのと比べると、お初徳兵衛は、ただ社会の道徳秩序への善良な従順さゆえに敗退し、破滅していったことは明らかです。

もし、このラストに一片の美しさを見るとすれば、生きることが悪なら悪は正しいと言い切れずに死んでいった弱々しい人間への増村保造の憤りだったのかもしれません。 
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# by sentence2307 | 2004-11-05 23:17 | 映画 | Comments(230)