世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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毬の行方 ②

参考のために、1930年に作られた作品のうち、自分の知っている監督のものをピックアップした一覧を掲げましたので、参照してください。

結婚学入門(1930.01.05松竹蒲田 小津安二郎)
レヴューの姉妹(1930.01.10松竹蒲田 島津保次郎)
美人暴力団(1930.01.10松竹蒲田 斎藤寅次郎)
摩天楼 愛慾篇(1930.01.14日活太奏 村田実)
女来也 前篇(1930.01.15東亜京都 石田民三)
チャンバラ夫婦(1930.01.21松竹蒲田 成瀬巳喜男)
たゝかれ亭主(1930.01.27松竹蒲田 斎藤寅次郎)
独身者御用心(1930.02.01松竹蒲田 五所平之助)
女(1930.02.01日活太奏 東坊城恭長)
何が彼女をそうさせたか(1930.02.06帝キネ長瀬 鈴木重吉)
俺は天才(1930.02.07マキノ御室 滝沢英輔)
情恨(1930.02.07マキノ御室 並木鏡太郎)
筆禍夢物語 高野長英伝(1930.02.08阪妻プロ太奏 犬塚稔)
運命線上に躍る人々(1930.02.14マキノ御室 マキノ正博/久保為義)
純情(1930.02.14松竹蒲田 成瀬巳喜男)
オイコラ行進曲 湯煙り長屋合戦の巻(1930.02.21マキノ御室 松田定次)
戦線街(1930.02.22右太プロ 古海卓二)
紅唇罪あり(1930.02.22松竹蒲田 清水宏)
人斬伊太郎(1930.02.28マキノ御室 並木鏡太郎)
女来也 後篇(1930.02.28東亜京都 石田民三)
朗かに歩め(1930.03.01松竹蒲田 小津安二郎)
直侍(1930.03.03松竹下加茂 井上金太郎)
剣を越えて(1930.03.07日活太奏 渡辺邦男)
春風の彼方へ(1930.03.14千恵プロ 伊丹万作)
藤原義江のふるさと(1930.03.14日活太奏 溝口健二)
祇園小唄絵日傘 第三話 草枕(1930.03.14マキノ御室 金森万象)
偽婚真婚(1930.03.28マキノ御室 久保為二/マキノ正博)
新訂 涙(1930.03.28松竹下加茂 井上金太郎)
大東京の一角(1930.03.28松竹蒲田 五所平之助)
踊る幻影(1930.04.03帝キネ 鈴木重吉)
落第はしたけれど(1930.04.11松竹蒲田 小津安二郎)
真実の愛(1930.04.18松竹蒲田 清水宏)
麗人(1930.04.26松竹蒲田 島津保次郎)
腕一本(1930.05.01日活太奏 渡辺邦男)
不景気時代(1930.05.02松竹蒲田 成瀬巳喜男)
岐路に立ちて(1930.05.09松竹蒲田 清水宏)
好きで一緒になったのよ(1930.05.09松竹蒲田 斎藤寅次郎)
この母を見よ(1930.05.09日活太奏 田坂具隆)
続大岡政談 魔像篇第一(1930.05.15日活太奏 伊藤大輔)
名槍血陣譜(1930.05.21東亜京都 石田民三)
かげろう噺(1930.05.23マキノ御室 並木鏡太郎)
微笑む人生(1930.05.24松竹蒲田 五所平之助)
あら!その瞬間よ(1930.05.24松竹蒲田 斎藤寅次郎)
女性誉(1930.05.29日活太奏 阿部豊)
女性の輝き(1930.05.30マキノ御室 衣笠貞之助)
友愛結婚(1930.06.07帝キネ 豊田四郎)
笑へぬ凱歌(1930.06.13マキノ御室 滝沢英輔)
抱擁(1930.06.13松竹蒲田 清水宏)
未果てぬ夢(1930.06.13日活太奏 東坊城恭長)
からす組 後篇(1930.06.13阪妻プロ太奏 犬塚稔)
渦潮(1930.06.14千恵プロ 稲垣浩)
南極に立つ女(1930.06.20マキノ御室 滝沢英輔)
清川八郎(1930.06.20東亜京都 石田民三)
姉妹篇 母(1930.06.26松竹蒲田 野村芳亭)
唐人お吉(1930.07.01日活太秦 溝口健二)
その夜の妻(1930.07.06松竹蒲田 小津安二郎)
若き血に燃ゆる者(1930.07.08帝キネ 木村恵吾)
木屋町夜話 鴨川小唄(1930.07.10マキノ御室 金森万象)
腹の立つ忠臣蔵(1930.07.13マキノ御室 久保為義/マキノ正博)
石川五右衛門の法事(1930.07.13松竹蒲田 斎藤寅次郎)
大都会 爆発篇(1930.07.13松竹蒲田 牛原虚彦)
素浪人忠弥(1930.07.15日活太秦 伊藤大輔)
天国其日帰り(1930.07.25日活太秦 内田吐夢)
エロ神の怨霊(1930.07.27松竹蒲田 小津安二郎)
奪はれた唇(1930.07.27松竹蒲田 斎藤寅次郎)
怪我功名仇討譚(1930.07.31東亜京都 石田民三)
盲目の弟(1930.08.01マキノ御室 二川文太郎)
ぶらいかん長兵衛(1930.08.01マキノ御室 並木鏡太郎)
巨船(1930.08.01松竹蒲田 島津保次郎)
仇討破れ袴(1930.08.08松竹下加茂 井上金太郎)
海の行進曲(1930.08.08松竹蒲田 清水宏)
海坊主悩まし(1930.08.08松竹蒲田 斎藤寅次郎)
怪談累ケ淵(1930.08.15マキノ御室 二川文太郎)
女よ!君の名を汚す勿れ(1930.08.15松竹蒲田 五所平之助)
鬼鹿毛若衆(1930.08.15日活太秦 池田富保)
アラ!大漁だね(1930.08.22松竹蒲田 斎藤寅次郎)
処女入用(1930.08.22松竹蒲田 五所平之助)
恋車 前篇(1930.08.28千恵プロ 渡辺邦男)
愛は力だ(1930.08.29松竹蒲田 成瀬巳喜男)
押切新婚記(1930.08.29松竹蒲田 成瀬巳喜男)
辰巳の小万(1930.09.01松竹太奏 犬塚稔)
アイスクリーム(1930.09.05マキノ御室 滝沢英輔)
剣道見世物師(1930.09.12松竹下加茂 井上金太郎)
この太陽 第一篇(1930.09.12日活太奏 村田実)
野獣群(1930.09.15帝キネ 木村恵吾)
素浪人商売往来(1930.09.19河合 千葉泰樹)
青春の血は躍る(1930.09.19松竹蒲田 清水宏)
浮気ばかりは別者だ(1930.09.19松竹蒲田 清水宏)
諧謔三浪士(1930.09.19千恵プロ 稲垣浩)
裏切小天狗(1930.09.19東亜京都 石田民三)
この太陽 第二 多美枝の巻(1930.09.19日活太奏 村田実)
ザッツ・オー・ケー いゝのね誓ってね(1930.09.26松竹蒲田 島津保次郎)
この太陽 第三篇(1930.09.26日活太秦 村田実)
関東大殺篇 国定忠治(1930.10.01河合 千葉泰樹)
子守歌(1930.10.01帝キネ 鈴木重吉)
かたわ雛(1930.10.03松竹下加茂 井上金太郎)
足に触った幸運(1930.10.03松竹蒲田 小津安二郎)
腕(1930.10.03帝キネ 鈴木重吉)
絹代物語(1930.10.10松竹蒲田 五所平之助)
恋の借金狂ひの戦術(1930.10.10松竹蒲田 斎藤寅次郎)
逃げ行く小伝次(1930.10.10千恵プロ 伊丹万作)
日本晴れ(1930.10.10日活太奏 阿部豊)
興亡新選組 前史(1930.10.17日活太奏 伊藤大輔)
御浪人横丁(1930.10.24マキノ御室 松田定次)
天保夜鴉伝(1930.10.24河合 千葉泰樹)
興亡新選組 後史(1930.10.31日活太奏 伊藤大輔)
霧の中の曙(1930.11.01松竹蒲田 清水宏)
母三人(1930.11.07日活太奏 阿部豊)
愛慾の記(1930.11.10松竹蒲田 五所平之助)
潜行戦線(1930.11.14マキノ御室 滝沢英輔)
百姓万歳(1930.11.14帝キネ 木村荘十二)
若者よなぜ泣くか(1930.11.15松竹蒲田 牛原虚彦)
中山七里(1930.11.21) マキノ御室 並木鏡太郎
遊侠白浪囃(1930.11.21) 河合 千葉泰樹
秋はアパートの窓に(1930.11.21) 帝キネ 川口松太郎
おさらば伝次(1930.11.28河合 千葉泰樹)
色気だんご騒動記(1930.11.28松竹蒲田 斎藤寅次郎)
旅姿上州訛(1930.11.31日活太秦 伊藤大輔)
涙の街(1930.11. 松竹下加茂 犬塚稔)
破恋痴外道(1930.12.05マキノ御室 二川文太郎)
煙突男(1930.12.05松竹蒲田 斎藤寅次郎)
新時代に生きる(1930.12.05松竹蒲田 清水宏)
忠直卿行状記(1930.12.05千恵プロ 池田富保)
心驕れる女(1930.12.05帝キネ 豊田四郎)
お嬢さん(1930.12.12松竹蒲田 小津安二郎)
切られお富(1930.12.19帝キネ 石田民三)
雪の夜話(1930.12.24松竹下加茂 井上金太郎)
血染の伽羅 前後篇(1930.12.25日活太奏 渡辺邦男)
酒場の女(1930.12.28日活太奏 東坊城恭長)
艶麗春の粧い(1930.12.31松竹下加茂 大久保忠素)
蒲田ビックパレード(1930.12.31松竹蒲田 島津保次郎)
一心太助(1930.12.31千恵プロ 稲垣浩)
日活オンパレード(1930.12.31日活太奏 阿部豊)
大食漢地獄往来(1930. 東亜京都 石田民三)
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# by sentence2307 | 2016-07-16 20:12 | 映画 | Comments(0)

何が彼女をそうさせたか

会社の方が、ここのところ、とても忙しくてずっと残業が続いていました。

土曜出勤も2週続けてあったりして、忙しさのあまり、ぼんやり息抜きする時間もなかったので、なんだかストレスが溜まりに溜まってしまった感じです、これはかなりヤバイ状態です、カラダによくありません。

なので、やっと時間に余裕ができた最近、失った時間を取り戻すみたいに、気分転換も兼ねて、努めて出掛けるようにしていて、そういう場所のひとつに神保町の古書店街があります。

あてなどなく、駿河台下の交差点から九段下あたりまでの古書店を気ままにブラつくというのが、自分のストレス解消法のひとつになっています。

しかし、古本を見て回るといっても、なにも高価な稀覯本を買うというのではありません、常に手元不如意状態の自分などには、高価な本などハナから手が出るわけもなく、まさに「とんでもない話」です。

まあ、せいぜい、店頭のワゴンに無造作に並べられている100円、200円の廉価本を物色して、もし、その中に掘り出し物でもあれば、慎重に吟味してから買うという程度の「小心者のお買い物」です。

あるとき、そうした廉価本のなかに、緒形拳の「恋慕渇仰」(東京書籍、1993.11.1刊)という本を見つけました。

四六判縦長変型の、見るからにとても手のかかった立派な装丁(特に装丁者の名前の記載がないので、緒形拳自身が装丁したのかもしれません、いい趣味です)の本で、思わず、これが100円ですか、とお店の人に確かめてしまいたくなりそうな、本当にちゃんとした創りの本なのです。

それにしても実に惜しい俳優を亡くしましたよね。緒形拳という俳優は日本映画界を牽引してきた特別な存在だったと思いますし、つい最近もwowowで「魚影の群れ」を見たばかりでした。

そうそう、改めて言うのも変な話ですが、あの作品って、「漁師」という職業を人間の宿命のように生きた父と娘の葛藤の映画だったんですよね(なにをいまさら、と言われてしまいそうです)。

久しぶりにこの作品を見て、最愛の夫を海に奪われながら、それでもお腹の子どももまた漁師として育ててほしいと願う夫の残した最後の言葉を、妻=娘が悲嘆と希望のなかで聞くという衝撃のあのラストシーンは、まるでこれは神話だなと、いささか動揺し、そして感動しながら見終わりました。

人間の「仕事」というものが、神から与えられた「天職」であって、神聖なものだという思い入れがないと、あのラストシーンの海に生きる者たちの「宿命」や「希望」、父と娘を結びつける業みたいなものを理解することは、ちょっと困難かもしれません。

自分としても緒形拳はNHKの大河ドラマ「太閤記」以来、ずっと気になってきた役者でしたので、いつも変わらぬ強烈な演技の印象が強かっただけに、この「恋慕渇仰」(結局、購入したのですが、活字が大きいせいか、帰宅の電車のなかで読了してしまいました)の中で繰り返し書かれている「自分はこのまま役者を続けていけるだろうか」という不安に揺れる一面のあったことを知り、とても驚きました、あの緒形拳にしても役者を続けていくことを常に迷い、そして苦しみながらもがきつづけていたのかと。

それにしても、緒形拳こそは、役者こそ自分の天職だと思っていたに違いないと信じて疑わなかっただけに、自身の演技や、自分の出演作への言及がとても少なく、まるで避けているのではないかと勘ぐってしまいたくなるくらいの冷淡さは、とても奇異に感じられ、違和感を覚えずにはいられません。

例えば、映画「おろしや国酔夢譚」など、
「200年前、伊勢白子の大黒屋光太夫は、ロシア革命以前のサンクトペテルブルグにいた。
1991年ベルリンの東西の壁が崩れた直後、わたしはレニングラードで光太夫に扮し、白夜の季節の40日を過ごした。」

と、たったこれだけの言及にとどまっています。

思うに、緒形拳は、過去の作品や過去の演技など語るべきでないと考えていたのではないか、常に未来を見つめていた緒形拳らしい生き方といえば、納得できそうな気もします。

しかし、なぜ、自分が、この本の中に、映画「おろしや国酔夢譚」についての記述を探したのかというと、それにはひとつの理由があります、それは、長い間、失われた幻の名作「何が彼女をそうさせたか」がロシアで発見されたイキサツに映画「おろしや国酔夢譚」が、大いに関わっていたからです。

つまり、「恋慕渇仰」のなかで、もしかしたら、緒形拳が、映画「おろしや国酔夢譚」に絡め「何が彼女をそうさせたか」になんらかの言及をしているのではないかと、チラッと考えたのですが、残念ながら、関連する記述はなく、言及は上記のようなきわめて淡白で素っ気無いものにすぎませんでした。

「何が彼女をそうさせたか」のフィルムが発見されたその辺の事情を記した部分をwikiからちょっと引用してみますね。

《1992年になって、ロシア領事館で開催された「おろしや国酔夢譚」(佐藤純彌監督)の試写会に協力した帝国キネマ社長山川吉太郎の孫・山川暉雄からソンツェフ副領事を通じて照会したところ、モスクワの国立ゴス・フィルモフォンドにあるフィルムが、本作(「何が彼女をそうさせたか」)にほぼ間違いはないとの確認がとれた。その後修復・復元された。しかしプリントは、冒頭のクレジット部とラストが欠落している。》

この記事に少しだけ補足すると、帝国キネマというのは、1930年当時、「何が彼女をそうさせたか」を製作した会社で、文中にある山川暉雄氏は、当時の社長・山川吉太郎の孫に当たり、この血脈がロシアからのフィルム返還交渉(当初は政治も絡んできて、返還は困難視されていました)にあたって大いに効果を発揮したと聞いています。

自分としては、いままで気軽にyou tubeでこの「何が彼女をそうさせたか」を何度も鑑賞していただけに、こんなにも困難な経緯があったとは少しも知りませんでした。

今回読んだ資料のなかには、若干温度差を感じさせるような歯切れの悪いものがあったのは、「映画発見・前」と「映画発見・後」の時間差が、自分の読んだ資料に微妙なニュアンスを投影していたのは、そういうことだったのかもしれません。

つまり、この作品は発見(1992年)以後にやっと見られるようになった作品ということだとすると、製作当時に見て以来その記憶しか有していない老世代と、you tubeで気軽に見ることのできる現世代の間には、奇妙な違和感というか、断絶とねじれた空白が横たわっていて、とても不思議な感じを受けました。

リアルタイムで本編を実際に見ているのが「若い世代」で、老世代は、80年あまり前の薄れ掛けた記憶に頼っているのですから。

自分が知っている日本の映画評論家のひとつのタイプとして、フィルムが既に消失してしまい、今ではもはや誰も見ることのできない作品の記憶を、まるで選ばれた者の特権のように自慢げに語るというタイプの批評家がいました(特権的な「思い出話」を語るだけの「批評家」です)。

それは思い出話(当時の世評を含めてです)にすぎないのですが、誰も見ることのできない失われたフィルムなだけに、その妄言は無敵です、見ることが不可能な作品である以上、誰一人としてその「思い出話」に反論などできるはずもありません。「何が彼女をそうさせたか」こそ、まさにそういう作品だったと思います。

古い資料を読むと、そのアラスジだけでも、執筆者によってエピソードの順序が微妙に違っていたり、少女のたどった波乱万丈の職業が少しずつ誤っているものもありました。

しかし、この作品が「傾向映画」の代表的な作品であるという認識では、共通しています。共通はしているのですが、なにか「ひとこと」付いて回るみたいなのです。

自分が読むことのできた中でその典型的な「解説」というのを以下に紹介しますね。

キネマ旬報社が1982年に出版した「日本映画200」という本のなかの「何が彼女をそうさせたか」の解説として滋野辰彦という人が執筆したものがあります。

自殺した父親が、娘の行く末を頼むと記された手紙を、娘・すみ子は叔父に渡しますが、邪悪な叔父は、厄介者のすみ子をさっさと曲馬団に売りとばすあとの場面です。

曲馬団で働く男たちは、日頃から横暴な団長に対して、抑えていた怒りを遂に爆発させ団員全員で団長に抗議におよぶというシーンについて、評者はこう記しています。

《曲馬団の仕事も長くは続かず、一座は不況で解散となる。
芸人と団長との対立が、ここでは労使の対立の象徴に似た扱いを受けているが、こんな労使の衝突で資本主義社会の実体は語れるわけがない。
傾向映画といいながら、社会機構や制度の矛盾が小さな個人と個人との関係に置き換えられ、それ以上の奥行きと広がりを持たない。
それが傾向映画の限界だったといっていいかもしれない。》

「何が彼女をそうさせたか」という作品は、資本主義社会の実体を語れてないからダメだ、傾向映画などといくら偉そうなことをいっても、たかだか小さな個人と個人との関係に置き換えたくらいでは資本主義の歪んだ社会機構や制度の矛盾なんて語れるものではない、それが傾向映画の限界だと言っています。

いままでこのような安直な批評を何本読んだかしれません。

この評者をはじめ、同じように無責任な見解を開陳してきた多くの劣等感に満ちた評者も、いったい映画になにを求めているのか、まったく理解できませんし、果たして彼らがいかなる理想像を有したうえで、こうした愚劣なことを述べているのか、問いただしたくもなります、まさか無責任な安手の学術論文じゃあるまいし、です。

しかし、そもそも日本の社会に自立した左翼思想などというものがあったのか、そのあたりから自分には疑問です。最初から自立した「思想」などといえるものなど、ただの一度もなかったのではないか、と思っているからです。

かつても、そして今も、日本の左翼思想なるものは、一貫して現実から眼をそらし、脆弱で幼稚で未成熟な、まるで受験生の暗記ものか、夢見る少女の机上のお伽噺にすぎないものという程度の感じがしています。

手中の権力を守るために政敵を熾烈に殺しつくし、独裁をしいて人民を圧制し、手向かう者はことごとく処刑虐殺して、その膨大な犠牲を払ったすえに、ようやく破綻に至ったこの最悪な思想が、その破綻まで100年もの時間を要さねばならなかった意味も現実も理解できず、いまだに夢のような「左翼思想」を謳歌する愚昧な無神経には、ほとほと呆れ返るばかりです。

かつて荒畑寒村がロマンチックな「ロシア革命運動の曙」を書いたあの夢見る社会主義の心情から、いまだに進歩できていません。

日本だけにしか通用しない閉鎖的で甘甘な論理を振りかざし、意気揚々と貧苦にあえぐ世界の貧しい人々に施しを与えようとモッタイブッテ出かけて行って、逆に痛烈なしっぺ返しを受けた事件が、つい最近もありました。

世界においては、人道主義などただのタテマエにしかすぎないこと、抑圧された極貧にあえぐ者たちの抑えがたい憎悪の銃口は、まさに「日本人」に向けられていたのに、恩着せがましく「ぼくは日本人です」とわざわざ名乗って射殺された皮肉な錯覚はまさに貴重な「教訓」のはずなのに、まだ分かろうとしないのかと正直驚かされます。

この滋野辰彦の解説に象徴的な一文がありました。

《この映画が封切られて間もなく、筆者の友人で、まだ大学生だった新間俊彦が「キネマ旬報」の読者寄書欄に投じた立派な批評がある。そのなかで彼は車力の小父さんのことを「貧しい財布に五十銭銀貨を入れてやり、荷車に乗せて送ってやる温かさは、無産者の間にのみ見出される相互扶助の人間的情味」だと言っている。》

車力の老人がそっと与えた五十銭銀貨こそ、身寄りのない少女をさらに過酷な運命に落したそもそもの原因だったことからは眼を逸らし、ただその無責任な「善意」を賞賛して一人気持ちよくなっているその身勝手こそ、思想ともいえない日本の社会主義の本質をよく言い当てていると密かに感じ入った次第です。

(1930帝国キネマ演芸・長瀬撮影所)監督脚色・鈴木重吉、原作・藤森成吉、撮影・塚越成治、音響・松本四郎、助監督:木村荘十二
配役・高津慶子(中村すみ子)、藤間林太郎(琵琶師・長谷川旭光)、小島洋々(阪本佐平)、牧英勝(養育院人事院・原)、浜田格(曲芸団長・小川鉄蔵)、浅野節(すみ子の伯父・山田勘太)、大野三郎(山下巡査部長)、中村翫暁(質屋の主人)、片岡好右衛門(玉井老人)、海野龍人(市川新太郎)、二條玉子(県会議員・秋山秀子)、園千枝子(山田の女房・お定)、尾崎静子(天使園主・矢沢梅子)、間英子(島村おかく)
1930.02.06 常盤座 10巻 3,019m 146分 白黒 パートトーキー
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# by sentence2307 | 2016-07-09 16:16 | 映画 | Comments(0)

人工知能とのつきあい方

梅雨入りしたというのに、一向にまとまった雨も降らず今日もカンカン照り、テレビでも、貯水池の水がどんどん心細くなってきたという不安なニュースを連日見せられています。

気分にそぐわない快晴の空を見上げながら、なんだかこのところ仕事の方も思わしくなくて、どうにも気分も晴れず、滅入る一方です。ため息さえ出なくなりました。

会社の手前、もろ業績不振を口にすることは憚られるのですが、ランチの席などで同僚と「大丈夫なのかな、今年の夏は」などと抽象的な言い方で、「ぼんやりとした不安」を駄弁ったりした帰りのことでした、会社の廊下で、ある講演会の告知と、そのポスターを見かけました。

テーマは、「人工知能とのつきあい方」と書いてあります。

これまで全然関心のなかった分野なので、普段なら無視して通り過ぎてしまうところですが、こう気分が落ち込むと、なにか起死回生の切っ掛けでもあれば、なんでもいいから縋りつきたい気分ですので、ここは関心があるの・ないのと言っている場合じゃありません。

仕事も私生活も、なんだか下降線をたどっているようなブルーのときには、なにかパッとした気分転換が必要で、ここはひとつ「人工知能」というものと、ひとつ付き合ってみるか、という気持ちになりました。

会社が呼びかけている講演会ですので、いざ行くとなれば、会社から半日の特別休暇が貰えるうえに交通費と入場料が支給され、おまけに「日当」まで付くというタイヘン「おいしい話」です。

まあ、これで行かない手はないだろう、ということになります。

それに、俄然行く気になった理由がもうひとつありました。

ポスターの左下隅に掲載されていた女性講演者(某新聞社の科学部長と書かれています)の顔写真を見て、その若さと美しさに、正直びっくりしてしまいました、女子大生といわれても十分に通用する若さです。

自分が知っている大手新聞社の「部長」といえば、不摂生と睡眠不足と酒の飲みすぎで血圧の上が優に200を超していそうな、病的にでっぷりと青太った、いまにも棺桶の覗き窓からコンニチハをしてしまいそうな、ほぼ死にかけているストイックなゾンビ爺さんというのが、いままでの定番イメージだったのですから、そのポスターに掲載されている科学部長嬢の「若さと美しさ」といったら、それはもう想像を絶する、ユリの花さえ彼女の美しさに負けて恥ずかしくてうつむいてしまうくらいの美貌です。

自分の陳腐な既成概念など根底から引っくり返してしまう、それはもう本当のびっくりでした。

まあ、今回の「講演」参加も、ズバリ言ってしまえば、「美人を見に行く」ということにつきますが、自分も歳をとるに従って、この「見に行く」という行為の奥深さを、最近だんだんと自覚するようになりました。

若いときなら、たとえ超美人でも、他人の眼を意識して見栄や体裁を取り繕り、せいぜい「ちら見」程度だったものが、こう歳がいってくると、そんなことでは到底満足できません。

まるでカラヴァッジョの絵をムサボリ見るように、図々しくごく至近距離まで接近し、眼を擦り付けんばかりの無遠慮さでなめ回すようにジロジロ「見つくす」というのが、本当の「見る」ということなんだよなと、最近つくづく思い至り、また、そうすべきと決心もし、「美人」を見るときには、いつもこの姿勢を貫いています。

女性の方にしたって、結構こういうのって嬉しいんじゃないんですか、なんてこんなふうにぬけぬけ言えるのも、それがまさに自分が正真正銘、ヘンタイ的に「オヤジ化」した証拠なのかもしれません、まさかストリップを見に行くわけじゃあるまいしね。

何もそこまでという感じがしないでもありませんが。

一方で、このままこの「見方」を過激に深化させていけば、なんだかゆくゆくは立派な痴漢になってしまいそうで、なんだかとても怖くて不安で、不吉な予感がします。

しかし、とにかく、動機なんてどうだって構わないのです、ここは躊躇なく速攻で参加を申し込み、入場券を入手しました。

その会場というのは会社からほんの二駅、常日頃ウォーキングに精を出している自分ですから、歩いたってどうということもない眼と鼻の先の距離です。

もし講演がつまらなければ、早々に途中退場して、時間つぶしなら幾らでもある隣接している大歓楽街に繰り出す所存です。心配ありません。

さて当日です、会社の連中と連れ立って30分前には会場入りしました。

すでに場内は、立錐の余地のないほどの超満員です。

まあ、半日とはいえ特別休暇がもらえて、入場料はロハ、さらに足代と日当まで出るとなれば、ご一同連れ立ってのレジャー感覚で即満員になるのというのも、なんだか頷けます。

さて開演、登壇した科学部長嬢は、予想にたがわぬスタイル抜群の超美人でした。

講演がはじまり、そのまた声の美しいことといったらありません、いままで聞いたこともない鈴をころがすような美声です、これが同じ「人間」の声とは、到底信じられません。

自分好みの小柄な美貌に見とれ、スタイルに見とれ、美声に聞きほれているのは、なにも自分だけではありませんでした。

満員のスケベな中年男たちはみな、心に期したはずのジロジロ「なめるように見る」などという邪心もどこへやら、いつの間にかウチ忘れて、しばし呆然と眺めていたというか、正確には、話に引き込まれて放心状態だったというのが相応しいかもしれません。

話は、今年の3月におこなわれた世界トップの韓国人棋士と人工知能の囲碁ソフトが対戦した話題から始まりました。
                                       ああ、その話ならよく覚えています、たしか人工知能の方が勝ったという、あれですよね。

4勝1敗で人工知能が勝ったという話しの衝撃的なところを十分に理解していなかった自分にとって、どれも初めて聞く新鮮な話ばかりで、いつしか「美人科学部長」の話しに引き込まれていったのだと思います。

ずっと以前に、人工知能がチェスのチャンピオンを倒したという話は聞いたことがあります。

そして、つい最近では、人工知能が将棋の名人を負かしたという話もありました。

しかし、当時だって、そしてつい最近まで、人工知能とはいえ、まさか囲碁のチャンピオンには、当分のあいだ勝てないだろうというのが囲碁の世界と、そして世界の常識でした。

というのも、囲碁は、その局面の複雑さにおいて、まさにゲームの「聖域」と考えられていたからです。

囲碁の盤面は広く、1回の対極で考えられる局面の数も「10の360乗」にのぼります。

チェスの「10の120乗」や、将棋の「10の220乗」と比べても、その数は格段に多いゲームです。

いくらコンピューターの計算能力が向上したからといっても、力ずくの計算でも、勝率が高い手を選ぶには、あまりにも局面が多すぎます。

また、チェスや将棋はそれぞれの駒に役割があって、動く範囲が決まっているのに対して、碁石にはそのような制約はありません。

碁石の位置関係によって形勢を判断する人間の「直感」には、コンピーターは、まだまだ人間に劣るとみられていました。

ところが、米グーグル傘下の英グーグル・ディープマインド社が開発したソフト「アルファ碁」は昨秋、欧州チャンピオンに勝利しました。

しかし、その棋譜を見たプロたちは、世界トップにはまだまだ遠いと考えていました。

だが、実際は、たったの半年のあいだに「アルファ碁」は人間を圧倒する力を獲得してしまいました。

その急成長の秘密は「深層学習(ディープ・ラーニング)」と呼ばれる技術にあります。

たとえば、人間は、猫を何度か見た経験があれば、すぐに、それを猫だと認識することができます。

しかし、従来のコンピューターは、「ひげがある」「眼が大きくて吊り上っている」「しっぽがある」などというような特徴(条件)をひとつひとつ教え込まなければ、猫を識別することはできません。

深層学習(ディープ・ラーニング)は、人間の脳の働きを真似て、自ら特徴を見つけていく方法です。

「アルファ碁」は、プロ棋士の棋譜から約3000万の局面を記憶した上で、同じソフト同士での対局を繰り返し、どのような形が有利で、かつ最終的に勝つ確率が高いかを膨大な対局を通して自ら学習したのです。

それは、碁のルールを教えられなくても、小さな子どもが大人の対局を見ているうちに、打ち方を自然に覚えていくのと、どこか似ているかもしれませんが、しかし、その学習スピードたるや圧倒的に速く、そして、かつ膨大だったのです。

3月の世界トップの韓国人棋士との対局では、序盤で悪手と見られていた手が、結局勝利につながるという場面がありました。

これなど、碁というゲームの奥深さと魅力を人工知能が再発見した好例といえるかもしれません。

講演は、さらに続いていきましたが、もうこれだけで、カルチャーショックというのでしょうか、知的衝撃とでもいうのでしょうか(同じだ!)、十分に感動し、圧倒もされ、もはや彼女の「胸から腰にかけてジロジロ見る」などという失礼な、女性蔑視も甚だしい不純な気持ちも、どこかに吹っ飛び、いまではすっかり真人間になることができました。

さすがに科学部長です、人間がデカイ、おまけに胸も・・・おっと、これは失礼(舌の根が乾かないうちから、もうこれです、やれやれ)。

しかし、周りを見ると、みんな一心になって科学部長の話に耳を傾けています。

講演途中で、ふっと「我」に帰ってしまったのは、どうも自分だけのようでした。

なぜ自分が「素」に帰ってしまったのかというと、科学部長の話から派生的にある妄想に取り憑かれてしまったからでした。

人工知能に「名作映画の条件」をひとつひとつ入力していけば、はたして「名作映画」ができるだろうか、という妄想です。

かの科学部長も講演の最後の方で話していましたが、国内のSF短編小説の賞で、人工知能が人間と一緒に書いた作品が一次審査を通過したとかいう話もあるくらいですから、映画の分野にしたって、まったくの不可能とはいえないのではないかと考えました。

まずシナリオですが、人工知能が小説を書けるくらいですから、同じ方法でそこは十分書けると思います。

それに、なんせこちらは、創生以来100年の歴史の重みがある映画ですから、いままで地球上で創られたすべての「名作映画」を入力しておいて、まず物語のシチュエーションとか、もちろん悲喜劇の選択からはじめ、登場人物などは物語に必須の人物を算出し、それを自動設定器で読み解き、ああすればこうするとか、こうくればああするなどと、各人の行動を微分積分などを駆使して計算し、そして起承転結のポイントとなる重要な場面では、「アップ」だの「パン」だの「ローアングル」などの画面選択装置を使って完成に漕ぎ着けるというわけです。

ジャジャジャーン。どうです、いいアイデアでしょう。

「しかしねえ、あなた。そんな映画、だれが見るわけ」

ですから、ですね。まあ、人それぞれに個人差というものがあるということは十分に承知していますが、しかし、どうしてもこれだけは譲れないという映画に感動する重要な条件というものが誰しもあるじゃないですか(同じこと言ってね)。それがたとえ何百項目あろうと、何万項目あろうと一向に構わないんです、いやいや、これは多いほどいい、それだけ感受性豊かな「観客」ができあがるというものですからね、それを全部入力するわけです。

「はあ、はあ。それで?」

「えっ? それでって? それでおしまい。あとは名作映画を見て感動するだけ」

「だれが?」

「だれがって。人工知能が、ですよ。」

「ああ、そう。人工知能の作った名作映画を、感動しやすい人工知能の観客が見て感動するわけね。」

「そういうこと」

「そういうことじゃねえや、バカヤロー」

(諸説あり、おしまい。)



あっ、変な妄想しているうちに、大事な講演、終わっちゃったじゃないですか。

「まいったなあ、後半の方、全然聞いてなかったよ。残念」

「おれも。科学部長さんの顔と胸を交互に見ているうちに、いつのまにか講演、終わっちゃってた。」

「お前ねえ~」

(本当の お・し・ま・い。)
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# by sentence2307 | 2016-06-18 20:28 | 徒然草 | Comments(0)

啄木のローマ字日記①

新聞各紙に掲載された書評をまとめて読めるサイトは、詳細な関連情報も豊富で、それなりに便利なのですが、やはり自分は、紙をガサゴソいわせながらシンプルに読む新聞紙の方が、なんだか落ち着くし、気分もよくて性にあっているみたいです。

小学校の頃から常に「落ち着きなく集中力に欠いている」と通信簿に書かれたムラッ気の多い自分です、眼一杯に広げた新聞を、あちこちそわそわとよそ見しながら、傍線を引きまくったり、四つに畳んだものを更に八つに折り畳んだりしながら、さっき読んだばかりの斜め下の書評となんだか関連がありそうだなどと、その記事と記事とを丸で囲んで繋げたり、なんだかんだと大騒ぎして、そんなふうに「紙」で読むのが自分にはピッタリあっているし、却ってこの方がアタマにもよく入ってくるみたいな気がします。

タブレットで読むとしたら、こうはいきません。

タブレットを十分に使いこなせていないことを棚に上げていうのもなんだか気が引けますが、ガラス板に押しつぶされた寒々しいノッペリとした活字が、そもそも自分には馴染めなく、気が散るばかりで集中力どころの騒ぎではないのです。

それに引き換え、あの紙独特のガサゴソとしたザワメキとか、読んでいるうちにバラバラに解れてしまって収拾のつかなくなったページを順番にまとめる愛すべき面倒くささとか、紙に染み込んだインクの、郷愁に満ちた匂いや温もりなど、どれも気分を落ち着かせてくれるたまらない「ダサさ」が、とても魅力的なのです。

眼の粗い粗雑な紙の上に押し付けられた活字を写すざらついた印影の早朝の駅の売店で買う新聞は、まだインクが十分に乾いてなくて手に付着することさえあり、「やれやれ」などと独り言などを言いながらも、さらに嬉しくなります。

そうそう、朝の電車などで、如何にも図々しそうな中年の太ったサラリーマンが、混雑など一向に気にすることもなく、我が物顔で座席を1.5人分占領したりして、大きく新聞を広げて熱心に読み耽っている姿を見かけることがあります。

周囲の迷惑顔など無視して、図太い体躯を広げた新聞紙に隠しながらも、頭だけがキョトキョト動いているのが見えるその所為がなんだかたまらなく滑稽で、怒る気持よりも先に苦笑してしまうのですが、しかし、果たしてあのオッサン、本当に記事を読んでいるのかと、とても疑問に思ったりします。

あちこち首を振っているその姿を見ていると、もしかすると、ただアタマをあちこちに動かす行為自体に取り憑かれてしまっているだけなのではないかと思うことさえあります。

ペリーの吉野家ではありませんが、「あなた、そうしたいだけ!」と小一時間でも問い詰めたくなりますが、とはいえ、そういう部分に共感してしまう自分がいることもまた否定できません。

自分も含め、「こだわり」を極端に拡大すると、誰もがああなってしまうのではないかと、ふと感じるからかもしれません。

大好きな新聞紙に、こうしてせっせと傍線や丸や三角を書き込んだ満艦飾のその新聞紙を、さて大切にとっておくのかというと、そんなことは毛頭考えていません。

保存しておいて、それをドウコウしようなどという気はハナからなく、読み終った新聞紙は、すぐに四つに畳んで片っ端からさっさと新聞紙蒐集袋に放り込んでしまうので、よく考えてみれば、なんだか物凄く無駄なこと(「傍線」とか「○や△のシルシをつける」こととかね)に時間をかけているわけで、まあ、徒労も甚だしいという気もしないではありませんが、しかし、そういうことを言ってしまったら日常生活のあらゆる行為が、多かれ少なかれ、これに当て嵌まるわけですので、つまり、却ってこういうことこそが「ココロの贅沢」というものなのではないかと勝手に考えています。

ですので、自分のしていることも、あのオッサンの「首振り」と大差ないことなのかもしれないなという気がしたわけで、あえて認めたくはないものの、ワズカながらの「共感」を抱いたユエンです。

さて、先月か先々月の新聞に、立て続けにドナルド・キーンが書いた「石川啄木」(新潮社・2200円)の書評が掲載されていて、そこでほんの少し触れられていた「ローマ字日記」の部分が気になったので、その新聞をしばらく手元に置いておきました。

できれば、まずその本をじかに読んでみたかったので、さっそく週末に近所の図書館に出かけたところ、やはり、同じように考える人は結構いるみたいで、すでに貸出予約が10人もいると聞かされ、ちょっと驚いてしまいました。

当初、貸出し中なら予約するつもりでいたのですが、10人も待っていると聞いてタジロイデしまい、張り切っていた気も一気に萎えてしまいまいた。

そういう事情を分かってしまったうえで、それでも予約するのかと思うと、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。「10人の人たちが読み終わって」自分の番がくるまでの気の遠くなるような時間をじっと辛抱強く待ち続けている自分の間抜け顔がちらついて、たまらない気持ちになってしまったのだと思います。

「待ち」のあいだ中、興味やモチベーションを保つだけの気力も若さも、残念ながらすでに今の自分にはありません。

しかし、せっかく来た図書館です、このままむざむざと帰るのもなんだか癪なので、「啄木全集」の「ローマ字日記」が載っている巻(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」筑摩書房刊)を借りることにしました、なんといっても原典に当たるに如くはありませんからね。

実を言うと、この本、以前にも借りたことがありました、ですので、この本を手にするのは、これで二度目というわけです。

帰宅して、まず、保存しておいたクダンの書評を取り出して、ふたたび読み返してみました。

重要な部分だけ少し引用すると、こんなふうに書かれています。

《名著「百代の過客」-日記にみる日本人」の著者であるキーン氏は、続編の近代篇ですでに啄木の日記の魅力にふれ、ことに「ローマ字日記」の「赤裸な自己表現」を高く評価している。なぜローマ字が選ばれたのだろうか。「妻に読ませたくない」からだと言うが、同時に啄木は自分の真実を書きたいとも思っている。書きたいが読ませたくないというこのジレンマから彼はローマ字表記という斬新な「意匠」を思いたったのではないだろうか。事実、啄木は短歌の「三行書き」のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。》

この書評について、いくつかの部分に対して、自分のごく狭い認識からひとこと言わせてもらうとすれば、

①日記をローマ字表記としたことを、「妻に読ませたくない」ためだと理由づけていますが、それはちょっと疑問です。
突然ひとり上京してしまった啄木(事実は、啄木の身勝手な「出奔」と呼ぶべき衝動的なものでした)に置き去りにされた一家の生活を支えるために、妻・節子は、函館区立宝小学校の代用教員をしたくらいの教養人ですから、ローマ字など読めないはずはありません。「ローマ字表記」には、もっと他の理由づけが必要です。

②「啄木は短歌の『三行書き』のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。」とありますが、三行書きを最初に世に出したのは、土岐善麿の「NAKIWARAI」(ローマ字三行書きの歌集)が一歩早く、啄木の「三行書き短歌」はその影響下によったものという説が有力です。

しかし、なにより、啄木を理解するために、この書評氏が無頓着・不注意にも「天才であった。」などと口走っていますが、この場合、この文脈で天才という言葉を正確に使おうというのなら、やはり、ここは括弧で括るべきだったのではないかと思います(「天才」とかね)。

啄木の生涯を知れば知るほど、自分は優れた人間=天才であるという異常な思い上がりと過剰な自負と気位の高さ(職業を選択するのに「文学」という幻想から自由になれません)が、その矜持によって、他人をあからさまに「愚か者」扱いするために、常に人間関係に軋轢を生じさせては破綻し、どの職場でも悶着をおこして喧嘩別れしなければならず、結局出て行くのは常に雇われ者の啄木の方で、その結果、常に職を転々とすることになりました。

それに加えて、啄木はこうした失敗を反省したり、以後の戒めにするなどということは一切なく、知人を介して紹介された義理ある職場でも同じような喧嘩と破綻を繰り返すばかり、なかなか定職にも落ち着けず、だから収入も不安定で、常に生活費に不自由する始末です、どう贔屓目にみても、困窮を自ら招いてしまっている啄木のあまりに身勝手な幼さの印象をどうしても拭えません。

その「自負」の極端さは、一種病的でさえあり、つきつめれば、その不遜な対人関係の底に見え隠れするものは、明らかに啄木自身の「コンプレックス」でしかありません。

文才もあり、仕事も最初のうちは積極的に手際よくこなし、評価もそれなりに伴うにもかかわらず、中学校中退という学歴のなさのために、どの会社でも地位は低く抑えられるという現実に直面すると、次第に嫌気がさしてきて(飽きっぽいという性癖も加味しなければなりませんが)、自分のような「天才」が、ただ単に学歴が低いというだけで、大学出の無能な奴らの後塵を拝さねばならないのかという理不尽さへの鬱屈と不満が啄木を苛立たせ、激昂させ、彼をひとつの職場に長く留めさせることができなかったのだと考えられます。

「新潮・日本文学小辞典」には、学歴コンプレックスについて、こう記されています。

《啄木は、美しい魂とすぐれた才能の持ち主であったが、正規の学歴を身につけなかったことは、生涯における最大の不幸であった。せっかく八年にわたる盛岡での学生生活を送りながら、最後の段階で学業を放棄して(試験における二度の不正行為で譴責を受けました)、明治社会のつくり出したエリートとしての資格を失ったことは、その全生涯を決定する痛ましいできごとであった。事実、盛岡中学校を退学してからの、彼の歩んだ道は容易なものではなかった。》

啄木の小説「雲は天才である」のタイトルが、啄木自身の命名であることを考えると、大人気ない負け惜しみみたいな憐れさが先に立って、なんだかとても複雑な気持ちにさせられますよね。
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# by sentence2307 | 2016-06-12 20:20 | 映画 | Comments(0)

啄木のローマ字日記②

しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、彼の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず、小説こそがまずは本命、それが思わしくないと分かると(多くの小説が未完のまま遺されています)つぎに評論を書くこと(不遇な彼の絶望からの「世の中なんてぶち壊してしまえ」という破壊願望の気分に時の大逆事件に共振しました)に全勢力を注いでいて、それらを評価されて世に出ることこそ、彼が夢見ていたことだと分かります。

啄木の短歌のその「芸術性」については、後述したいと思いますが、まずは「ローマ字日記」から。

上述の書評でも「ローマ字日記」について、「赤裸な自己表現」と書かれているだけで、それ以上踏み込んだ深い分析がなされていないのが、なんだかとても残念ですが、字数の限られたあのようなごく短い書評では、「そこまで」は踏み込めなかったことは理解できます。

ですので、「そのあたり」をどう書いているのか、できれば早くドナルド・キーンの「石川啄木」を読みたかったのですが、まあ、事情が事情ですので、いたし方ありません、諦めました。

実は、自分は、奇妙なところで啄木の「ローマ字日記」の存在を知りました、まずはそのイキサツから語り出すべきだったかもしれませんが。

話は少し飛びますが、まだブレーク前の杏が、早朝のNHK教育テレビ(いまではETVとかいうのかもしれません)で、「Jブンガク」という番組に出演していたことがありました。日本文学の名作を一作ずつ取り上げて、解説・紹介するという教養番組です。

若年者向けの「100分de名著」という感じだったでしょうか。

ネットで確認したところ、放送していた期間は、2010年3月30日~2012年3月29日まで、そこで啄木の「一握の砂」が取り上げられたのが、2010年8月31日か、あるいはリピート放送が9月3日か9月7日か9月10日にしたとありますから、自分はそのいずれかの日に番組を見たことになります。

そして、そこでもうほとんどショックといってもいいくらいの体験をしたのです。

その番組では、もうひとり、若い女性の出演者がいました。

アシスタントというには少し格上で、解説者というにはグッと落ちる、あえていえば、杏の「お友だち」程度の「対等な関係」という設定だったかもしれません、ごくフツーの若い女の子です。

放送日から検索すると、その女の子は、おそらく加賀美セイラという名前であることが分かりました。

その子が、その日のテーマである「一握の砂」などそっちのけで、啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったかを、何度も何度も滔々と捲くし立てるのが気になって仕方ありませんでした。

そこには、未知の(そう演じていただけかもしれませんが)sexについて語る好奇に満ちた若い女の子独特の意地悪そうな薄ら笑いと、上気した卑猥な饒舌さで語られる啄木への興味と嫌悪(このふたつが合わさると、女たちがとても下卑た卑猥な表情に豹変することをそのとき始めて知りました)の入り混じった高揚した熱心さで、ヒステリックに語られる歌人・啄木の淫蕩さは、確かにそれなりにリアルで生々しくて現実感もあり、まるっきりの出鱈目とも思えませんでしたが、なにせこちらは「たはむれに母を背負いてそのあまり」の先入観しかなかったあの同じ清貧の人・啄木だったのですから、陰ではいかにスケベで淫蕩を重ねた女好きだったかという彼女の仄めかすことのすべてが初耳だっただけに、とてもショックだったのです。

放送後、啄木関係の評論集をあれこれと読み漁っているうちに、彼女の言っていた淫蕩に当たるものが「ローマ字日記」の中に書かれていることを突き止めました。

そして、その当時も、この同じ「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」(筑摩書房刊)を借り受けたのですが、彼女の言っていた「啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったか」の箇所は、すぐに見つけることができました。

あっ、そうそう、言い忘れましたが、「ローマ字日記」というだけあって、もちろん原文はすべてローマ字で書かれていて、改めて漢字・平仮名に書き起こされたものが、すぐあとに付けられている形式なのですが、まず驚かされたのは、これだけ屈折した繊細な文章を、啄木はダイレクトにローマ字で書き綴ったのだろうかという疑問でした。

誰が考えても慣れないにローマ字で書くとしたら、ローマ字に変換することに気が散って意を尽くせず、どうしてもたどたどしくなってしまうのではないかと考えると思うのですが、その的確な描写と言い回しの繊細さから、もしかしたら、一度に和文で書き下ろしたものを、改めてローマ字に書き直したのではないかと思うくらい、急迫する生活苦と、小説をかけずに動揺する苦悶と情感を見事に辿った、それはそれは精密な文章でした。

フツー、おそらく、たどたどしくなるに違いないローマ字書きで、果たしてここまで書くことができるのか、とても信じられません、もしダイレクトに書き付けたことが事実だとしたら、それこそ実に驚くべき才能といわねばなりません。

さて、以下が、啄木が「淫蕩」だと決め付けられた問題の部分です。少し長い引用になりますが、転写してみますね。

《明治四十二年四月十日 土曜日
・・・・
いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。予は去年の秋から今までに、およそ十三-四回も行った、そして十人ばかりの淫売婦を買った。ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ・・・名を忘れたのもある。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子供なのも、どれだって何百人、何千人の男と寝たのばかりだ。顔につやがなく、肌は冷たく荒れて、男というものには慣れきっている、なんの刺激も感じない。わずかの金をとってその陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外に何の意味もない。帯を解くでもなく、「サア、」と言って、そのまま寝る。なんの恥ずかしげもなく、股をひろげる。隣りの部屋に人がいようといまいと少しもかもうところがない。(ここが、しかし、面白い彼等のアイロニイだ!)何千人にかきまわされたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている、緩んでいる。ここにはただ排泄作用の行なわれるばかりだ。身体も心もとろけるような楽しみは薬にしたくもない!
強き刺激を求むるイライラした心は、その刺激を受けつつある時でも予の心を去らなかった。予は三たびか四たび泊まったことがある。十八のマサの肌は貧乏な年増女のそれかとばかり荒れてガサガサしていた。たった一坪の狭い部屋の中に灯りもなく、異様な肉の臭いがムウッとするほどこもっていた。女は間もなく眠った。予の心はたまらなくイライラして、どうしても眠れない。予は女の股に手を入れて、手荒くその陰部をかきまわした。しまいには五本の指を入れてできるだけ強く押した。女はそれでも眼を覚まさぬ。おそらくもう陰部については何の感覚もないくらい、男に慣れてしまっているのだ。何千人の男と寝た女! 予はますますイライラしてきた。そして一層強く手を入れた。ついに手は手くびまで入った。「ウ-ウ、」と言って女はその時眼を覚した。そしていきなり予に抱きついた。「ア-ア-ア、うれしい! もっと、もっと-もっと、ア-ア-ア!」十八にしてすでに普通の刺激ではなんの面白味も感じなくなっている女! 予はその手を女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を裂いてやりたく思った。裂いて、そして女の死骸の血だらけになって闇の中に横だわっているところ幻になりと見たいと思った! ああ、男には最も残酷な仕方によって女を殺す権利がある! 何という恐ろしい、嫌なことだろう!》(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」130頁~131頁)

「ローマ字日記」の中で「赤裸な自己表現」の「性的」な部分といえば、おそらく唯一この箇所かもしれません。

啄木の淫らについて熱心に語っていた「Jブンガク」の可愛い少女も、きっとこの箇所を意識して話していたのだと思います。
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# by sentence2307 | 2016-06-12 20:15 | 映画 | Comments(0)

啄木のローマ字日記③

しかし、この部分を一読すれば、その赤裸々な描写には、確かに驚かされるものもありますが、さらにいえば、その異常な描写の「詳細さ」にも驚かされないわけにはいきません。

啄木は、函館の地に家族を置き去りにして、切羽詰って、ひとり東京に出奔してきました。

理由は、たぶん、才能ある自分が、作家としていまだ世に認められないというその思いつめた焦燥感からだったと思います。この日記のなかでも、いざ書き始めたものの、どうしても書き通せずに中断した「小説」のことについて、たびたび触れています。

その言及が、いちいち挫折感と無縁でないことは、容易に想像できます。

あの赤裸々な性描写も、当時全盛だった自然主義文学作家たらんと欲した啄木の精一杯の足掻き(描写の試み)のひとつだったのではないかと感じました。

それは、「中断した小説」の試みと同じように、たぶん自然主義文学作家としての「描写の練習」くらいの意味しかなかったに違いありません。

しかし、いざ、実際に書き綴ってみると(上記の「性描写」でも明らかなように)、ただ醜悪でいかがわしいものしか彼には書くことができない、永井荷風の抑制の効いた気品ある「性描写」と比較すれば、啄木のチカラ不足(まるで幼い安手のポルノです)は明らかです。

たぶん啄木が、あえて「ローマ字日記」としたのは、自分では気高い「自然主義文学」を目指して書き綴ったものが、出来上がってみると、それは単に「安手のポルノ」でしかないことを自認したからに違いありません。

あえて「ローマ字日記」としたのは、なにも赤裸々な陰の性生活を知られたくなかったからではなく、「高尚な文学」を目指しながら「安手のポルノ」しか書き綴ることしか為しえない自分の卑力と無能の「結果」を人目に晒すことを恥じたからではないかと思います。

「誰にも読まれたくない」「隠したい」というところは、確かに一緒かもしれませんが、それが「淫乱さ」を理由とするからではなく、無残で醜悪な「結果」にすぎないものしか生み出せない自分の無残な実力を人目に晒すことを恐れ恥じたからだと思いました。

そして、破滅型でも露悪型でもなかった啄木が、最初から人間の醜悪な欲望の浅ましさのすべてを書き尽くそうとする「自然主義文学作家」には向いていなかったことは、家庭内の諍いから妻・節子が子を連れて家出したとき、啄木自身が「そのこと」に気がついていままでの生活を悔い、妻の帰宅を切に願い、「自然主義文学」の「無頼」とは無縁の場所にしか生きられない自分を意識したからに違いありません。

妻・節子は、啄木14歳のときに出会った初恋の人であり、紆余曲折はあったとしても啄木の才能を信じて生涯をともにした良き伴侶でした。初恋の人にこだわるロマンチストである啄木にとっては、「自然主義文学」は、所詮実感のともなわない虚構にしかすぎませんでした。

さて、次に、啄木の「短歌」の天才ぶりについて書かなければなりません。
前述した《しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、啄木の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず》という部分です。

話は少し飛びますが、いままで自分が学生だった時も、会社員になってからも、多少の優劣はあったものの、必ず「駄洒落の天才」というのがいました。

当意即妙でいま話したばかりの片言を捉え、実に巧みに「同音異義語」を操ってアクロバット的展開を見せてくれる言葉の粋人で、感心もし、尊敬さえしてしまいます。

その場の絶妙な雰囲気もあるので、字面だけでその「即妙さ」をうまく伝えられるか自信ありませんが、例えば、高校生になった妹が、最近、夜遊びをおぼえ朝帰りするようになって両親が困っているとの話で、「兄貴として、もっと指導してあげなくちゃな」という意味を込めて、「妹(リモート)コントロール」とか、まあ、いざ書いてしまうと臨場感がなくて全然つまりませんが、そんな感じです。

そのことと「啄木の短歌の天才ぶり」とが、どう関係するのかという説明の前に、最適な指摘を見つけました。

それは、「新潮日本文学アルバム・石川啄木」巻末に掲載されている渡辺淳一の「一枚の写真-あえて、わが啄木好み」のなかの一節です。少し長くなりますが、引用してみますね。

《少しでもものを書いた経験がある者ならわかるはずだが、努力で書く人より才能で書く人のほうが怖い。

努力の結晶などという作品より、才能のカケラが散らつく作品のほうが無気味である。

そしてその才能の最も顕著に表われるのが、小説なら文章で、歌なら酩酊感である。

いや、これは小説や歌にかぎらず、すべてに共通するもので、才能ある作家の文章には、内側に固有の酩酊感があり、それが読む者を惹きつける。

一般の読者は、文学理論の難しいことはわからない。

しかしこの酩酊感だけは、原初的なものであるだけに、鋭く感知する。読者はそれに酔い、そのことによってイメージを喚起される。

「東海の小島の磯の白砂に・・・」と啄木が詠んだ函館の大森海岸には、小島も、磯も、白砂というべきものもない。

「しらしらと氷かがやき千鳥なく・・・」と詠んだ釧路の冬の海に、正確な意味で千鳥はいない。もし実証家なり、勤勉な歌人がこれを知ったら、啄木のインチキ性をなじるかもしれない。

だが啄木はもともとそういうことには無頓着な、その種の調べはせず、その場の思いつきのまま、フィクションをまじえて歌った人である。

そして困ったことには、それが事実以上に、読む者にリアリティを与えて、酔わせてしまう。

啄木の歌を詠む度に、わたしは歌人にならなくてよかったと思う。あれ程、日常些事のことを苦もなく詠み、酩酊感とともにリアリティをもたせ、そっと人の世の重みを垣間見せるとは、どういう才能なのか。この「そっと」という重みの具合がまた適切で、あれ以上、重くても軽くてもいけない。

そしてさらに、死ぬまで視点を低く保ち続けたところが心憎い。

これほど巧みで、酩酊感のある作家が、人々に愛されぬわけがない。

これまで、批評家がなんといおうと啄木は生き続けてきた。「後世の史家の判断をまつ」といういい方があるが、史家などに頼るまでもなく、大衆は啄木の歌のなかにひそむ才能に感応し、その歌を守り続けてきた。

まことにものを書く者にとって、啄木ほど大きく、無気味で、心憎い作家はいない。》


石川啄木は、決して自然主義文学の作家ではなかったし、写実主義の歌詠みでもありませんでした。

彼は、あの「駄洒落の天才たち」のように、当意即妙に、そして、何者も為しえなかった最も絶妙な言葉の選択をすることによって、実に「それっぽい」最高の歌を(あくまでも余技として)瞬時にして詠むことのできた、心ここにあらず的な「天才歌人」だったと思います。

いわば、「空虚な人」といえるかもしれません。

後世の人間も含め、そして、もちろん自分も、「東海の小島の磯の白砂に・・・」や、その他の多くの啄木の歌に人々は心から感銘を受け励まされもしてきました。

思い屈した人々を支えたその影響の大きさは、実に多大なものがあります。

しかし、その歌の質を糾せば、実は、駄洒落「妹(リモート)コントロール」に共感するレベルと同じ絶妙な語呂合わせに感銘するものだったのかもしれませんが、だとしても、そのことが、石川啄木の「人」や、「作品」や、そしてその「薄幸」の実態をも、いささかも貶めるものではないことを確認しておかねばなりません。

たとえ「それ」が、虚偽であろうと、あるいは、巧みな語呂合わせにすぎないだけのものであろうと、天才的な言葉のチョイスに酔うということだけでも、それはリッパに文学鑑賞たりうるものだと信じています。

かの「ローマ字日記」に記された淫蕩無頼も、おそらくは「そういうこと」だったのだと思います。

しかし、それなら何故、「ローマ字日記」においても、距離を置いた「巧みな語呂合わせ」的な空虚でクールな姿勢を保ち得なかったのか、ましてやあの、いささかも文学の香華を感じさせない過激で下卑な性描写の逸脱に陥り、つい「マジ」に捉われてしまったのか。

たぶんそれは明らかです、啄木をして描写を歪ませてしまったものとは、おそらく、どうにも逃れようもない生活苦という過酷な現実に対しての呪詛のような「怒り」だったのだと思います。

明治43年10月27日、長男・真一死去。
明治44年3月7日、母・カツ肺結核で死去。
同年4月13日、啄木肺結核で死去。
明治45年、妻・節子肺結核で死去。
その後、長女・京子24歳で死去。
次女・房江18歳で死去。
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# by sentence2307 | 2016-06-12 20:12 | 映画 | Comments(0)

金環蝕

「金環蝕」といっても、山本薩夫監督の1975年作品ではありません、1934年に清水宏監督が松竹で撮ったメロドラマ、女優・桑野通子のデビュー作ということで、今回始めて見ることができました。

実は、「有りがたうさん」1936と島津保次郎監督の「兄とその妹」1939を見て以来、すっかり女優・桑野通子に魅了されてしまい、暇さえあれば関連情報をネットで検索したり、あるいは、以前に彼女の存在を意識しないまま、うっかり見過ごしてきた作品なども含めて、少しずつ彼女の出演作品を見直しているなかで、今回「金環蝕」を鑑賞しました。

清水宏監督の「有りがたうさん」1936を見たときの女優・桑野通子の印象は、実に強烈でした。
貧しさのために過酷な人生に翻弄され、おそらく幾度もの失意と絶望とに叩きのめされ続けてきたに違いない彼女(黒襟の女)は、いまではすっかり世の中をハスに見るスレた捨て鉢な女になっていて、景気のいい土地を求めては伊豆の温泉地をまわっている流しの雇われ酌婦(あの「阿部定」を連想しました)の役を演じていました。

世の中の「取り繕ったあらゆる偽善」に対してあからさまな敵意を剥き出しにし、牙を剥き、不適な冷笑で批判・糾弾を吐く「ひねくれ者」の彼女が、たまたまバスに乗り合わせた都会に身売りされていく田舎娘にそそがれる眼差しの深さは、強く印象に残りました。

「自分も、同じだったのだ」という痛切な共感を抱きながら、経てきた不当な貧しさに対する彼女の憤りや怨嗟と、苦渋にみちた悔恨を重ねる抑制された演技は、つよく印象に残りました。

しかし、その後、島津保次郎監督の「兄とその妹」1939を見たときの桑野通子の印象は、まったく違っていたので、彼女の多面性に少なからず意表を突かれた感じでした。

世の中の悪意や不正を糺さずにはいられない潔癖な兄・佐分利信の決然とした行為(姑息に立ち回る卑劣な同僚に憤り、殴り倒し、辞表を叩きつけて会社を辞めます)に対して、その兄の止むに止まれぬ心情を深く思いやり、同情し、理解して、兄の選択のすべてを支持し、どこまでも付いていこうという従順で清潔感に満ちた妹を演じていて、「有りがたうさん」の黒襟の女とは、一見、動と静ほどの違いがあるのではないかと思う一方で、「有りがたうさん」の「酌婦」と、本当に異質といえる女性像なのかという疑念に捉われました。

いや、たぶん、それは違うと思います。

二人の間の根底に流れる一途な純真さと、理不尽な権威に刃向う正義感はそれぞれに一貫しており、その「一貫性」とは、つまり、過酷な運命に翻弄されて「姿かたち」のウワベだけはどのように変わろうと、「人間性」の本質の部分は決して変わることはないのだというところを、桑野通子は明確に演じていたのだと思います。

たとえ、身を持ち崩した行き場のない流しの酌婦であろうと、身勝手で横暴な兄に振り回される従順な妹であろうと、その人間性の根本は決して変わらないのだと。

そういうわけで、まず桑野通子の出演作をjmdbで検索してみたのですが、そのフィルムグラフィを見て、彼女の女優としての活動期間のあまりの短さには改めて驚かされました。

まず、自分自身の理解のために出演作を年度別に整理しました。

なお、作品のアタマに☆を付したものは、you tubeで見られる作品です、念のため。

【1934】☆金環蝕、恋愛修学旅行、大学の若旦那・日本晴れ
【1935】☆東京の英雄、女の感情、若旦那・春爛漫、彼と彼女と少年達、海の兄弟、双心臓、船頭可愛いや、麗人社交場、永久の愛・前篇、永久の愛・後篇、恋愛豪華版、彼女は嫌いとひいました
【1936】悲恋華、若旦那・百万石、感情山脈、☆有りがたうさん、☆家族会議、僕の春、愛の法則、自由の天地、☆男性対女性、潮来追分、女のいのち、青春満艦飾、わが母の書
【1937】花嫁かるた、☆淑女は何を忘れたか、桃子の貞操、母の夢、恋も忘れて、男の償ひ・前篇、男の償ひ・後篇、水郷情歌・湖上の霊根、☆進軍の歌
【1938】新家庭暦、銀色の道、姿なき侵入者、螢の光、わが心の誓ひ、純情夫人、炎の詩、大地の妻、☆家庭日記、結婚の宿題、日本人・明治篇、日本人・昭和篇
【1939】向日葵娘、結婚天気図、☆兄とその妹、続愛染かつら、☆新女性問答、栄華絵巻、日本の妻・前篇・流転篇、後篇・苦闘篇、黒潮、波濤、花嫁競争、愛染かつら・完結篇、新妻問答
【1940】私には夫がある、四季の夢、水戸黄門、女性の覚悟・第一部・純情の花、女性の覚悟・第二部・犠牲の歌、愛の暴風、美しき我が家、結婚青春、薔薇命あらば、西住戦車長伝
【1941】戸田家の兄妹、元気で行かうよ、脂粉追放、花、踊る黒潮
【1942】新たなる幸福、人間同志
【1943】をぢさん、秘話ノルマントン号事件・仮面の舞踏
【1944】おばあさん、天狗倒し、不沈艦撃沈
【1945】☆ことぶき座、伊豆の娘たち
【1946】☆女性の勝利

このフィルムグラフィによると「有りがたうさん」1936から「兄とその妹」1939まで、そのたったの3年の間に、桑野通子は32本の作品に出演しています。

ちなみに、各作品には通し番号が付されていて、それによると、「有りがたうさん」がNo.19で、「兄とその妹」はNo.52ということになりますから、この間、じつに30本強の作品に出演していたわけで、当時の桑野通子の人気のほどが窺われます。

そして、今回、まず最初に「金環蝕」を見ようと思い立った理由は、もちろん、桑野通子の映画出演第一作ということもありますが、実は、もうひとつ理由がありました。

漫然と検索していたら、この映画を「ご都合主義」の一言で一蹴しているサイトに遭遇したのです。

「ご都合主義」とは、こりゃまた手厳しいと思いつつも、第三者からこのように指摘がなければ、自分だってこの大メロドラマ作品「金環蝕」に対して同じように「ご都合主義だ」くらいのことは口走っていたかもしれません。

しかし、安直なドラマ(すれ違いと誤解とでドラマが成り立っています)としてあっさり一蹴してしまうには、これはとても惜しい作品です、なかなかよく出来ている。

よく出来ているだけに、心無い「ご都合主義」などという賤しめや否定などの不当な蔑みからこの作品を救い出したい、この作品の「いい部分」をとり上げ、「金環蝕」といえば山本薩夫ばかりではなく、清水宏作品もあるのだというくらいの失地回復を図りたいと考えるようになりました。

複数の男女が複雑に絡み合い、交錯するこの「金環蝕」というストーリーの人間関係の核になっているのは、大崎修吉(藤井貢)と西村絹枝(川崎弘子)です。

相思相愛の2人の間に割って入る親友の神田清次(金光嗣郎)は、大崎修吉に好意を寄せる他の女たちにも好意を寄せてしまう人物として重要な局面に登場しますが、恋敵であると同時に「親友」でもあるという位置づけが、大崎修吉に微妙な遠慮や躊躇(親友のために絹枝を諦めます)を強いて決断を鈍らせたりして、ストーリーにメリハリをつけています。

その一方で、最後には、彼の存在が、大崎修吉と西村絹枝を結びつけることにもなっている。

そう考えれば、大崎を慕う社長令嬢・岩城鞆音(桑野通子)も同じような役割を担わされているわけで、二人の「結びの神」役であるとともに、修吉と絹枝にとっては障害でもあったはずのこの二人(神田と鞆音)を、最後には一緒にして結婚させてしまうというのは、作劇上実に合理的といえば合理的な処理の仕方で、こういうことが、つまり「ご都合主義」ということなのかと、しばらく考えこんでしまいました。

ですが、そのうちに、なんだか怒りが込み上げてきました、「ご都合主義」のどこが悪いのだと。
狭い社会で、ごく限られた出会いしか持つことのできない自分たちに、はたして「真実の愛」などというものが、めぐってくるのだろうか(そもそも、そんなものが本当にあるのか)と考えれば、それは、はなはだ疑問だというしかありません。

幼い頃から今まで、僕たちは、社会的訓練とか称して、寒々しい家族や不快な学校生活に押し込められ、閉鎖的で愚劣な社会生活に参加すること、あるいはその準備を強いられて、多くの人間たちとの不愉快な生活をとおして、多くの失望や諍いの経験を重ねるなかで、妥協点を見つけるテクニックを磨いてきました。

しかし、そういうこと(他人と共棲していくこと)が、いかに困難でうんざりすることか、十分すぎるくらい認識しているはずです。

そういう意味でならこの日常生活において「運命の人」が存在するなど、冷静に考えれば、そんなものはただの絵空事だと、本当は誰もが十分に分かっているはず。

もし現実において、仮に「運命の人」が存在するとしたら、それは常に失ったものの中にしかないような気がします。

失った者の中にしか「運命の人」はいないのだと、毎朝の新聞に載っている「人生相談」が教えてくれているじゃないですか。

「いまのグウタラ亭主にはうんざり。まえに別れた彼のことが、どうしても忘れられないのです」みたいな。

僕たちもまた、その記事を、実は共棲が困難な「運命の人じゃない人」に囲まれ、煩わしい日常に無理して耐えながら、「人生相談」が教えてくれるその逆説に頷かざるを得ない、だからこそ、すれ違い、困難な障害を乗り越えて有り得ないめぐり会いを繰り返す「ご都合主義」の夢物語=メロドラマに「意味がある」のだと思いました。

たぶん映画「金環蝕」は、生きていくためにどうしても必要な切実な大衆の夢だったのだと思います。そりゃあ、現在だってその事情は少しも変わっていない。

そして、たとえそれが「ご都合主義」だとしても、いったいそれのどこが悪いのだとワタシは声を大にして言いたいのであります。

ラストで、修平が、捨て鉢になっている絹枝に張り手をかまして真実の愛に目覚めさせるのも、あるいは、その手の「夢」だったのかもしれません。

それにしても男に殴られ、はじめて相手の愛情に気がつくというシーンを、その頃の映画で、よく見ます。

「淑女は何を忘れたか」をはじめ、小津安二郎監督作品でもいくつも見た記憶があります。

(1934松竹キネマ・松竹蒲田撮影所)監督編集・清水宏、原作・久米正雄(大日本雄弁会講談社編集発行・月刊誌『キング』掲載)、脚色・荒田正男、撮影・佐々木太郎、配光(照明)・吉村辰巳、舞台設計・脇田世根一、舞台装置・藤田光一郎、穂苅貞次、舞台装飾・三島信太郎、井上常太郎、衣裳・柴田鉄蔵、監督補助・沼波功雄、荻原耐、松井稔、佐々木康、撮影補助・生方敏夫、古谷三郎、吉田勝亮、田中康雄、栗林実、音楽(サウンド版音楽)・江口夜詩、主題歌作詞・高橋掬太郎、作曲・江口夜詩、歌唱・松平晃、江戸川蘭子、録音(サウンド版録音)・土橋晴夫、橋本要、製作・松竹蒲田撮影所
出演・藤井貢(大崎修吉)、川崎弘子(西村絹枝)、桑野通子(岩城鞆音)、金光嗣郎(神田清次)、藤野秀夫(岩城圭之輔)、突貫小僧(鞆音の弟・茂)、山口勇(松村運転手)、坪内美子(妹嘉代)、小倉繁(村木)、久原良子(その恋人・お藤)、近衛敏明(山下)、奈良真養(斎田)、河村黎吉(大崎の父)、吉川満子(大崎の母)、野村秋生(大崎の弟)、仲英之助(神田の父)、青木しのぶ(神田の母)、葛城文子(神田の叔母)、御影公子(鞆音の友人)、高杉早苗(鞆音の友人)、三宅邦子(鞆音の友人)、忍節子(女給)、小池政江(ホテルの客)、水島光代(ホテルの客)、荒木貞子(看護婦)
上映時間・約110分(11巻、2,707m)、白黒映画・スタンダードサイズ(1.33:1)、サイレント映画(字幕、サウンド版)、配給・松竹キネマ、1934年11月1日・浅草・帝国館、2010年10月2日・イタリア・ポルデノーネ、第29回ポルデノーネ無声映画祭「松竹の三巨匠」特集(島津保次郎、清水宏、牛原虚彦)上映、
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# by sentence2307 | 2016-05-31 22:19 | 映画 | Comments(0)

算段の平兵衛

読みたいという気持ちは十分にあるのに、なにかの事情で、なかなか読めないままになっている本というのが、きっと誰にもあると思います。

例えば、図書館の書棚で読みたい本を見つけて、意欲が湧き、せっかく借りたものの、優先しなければならない用事ができて、読めないままズルズルと期限がきてしまい、結局返却しなければならなくなる。

そしてまた、しばらく経つと、「ぜひ読みたい」という意欲が湧いてきて、また借りる、そんなふうに同じ本で同じことを何度も繰り返して、結局、達成できないまま意欲だけが燻ぶり続けている、そういった本なのですが、自分の場合のそれは、イサベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社・東洋文庫)ということになるかもしれません。

もう何年も前になりますが、「日本奥地紀行」の評判が立ち、それも一度に二度ではなく、さらに新聞記事の紹介記事やwebの推薦記事が立て続きにあって、絶対読みたいという思いが頂点に達して借り受けたものの、そのときはたまたま村上春樹の「1Q84」を読んでいる最中だったので、まさかそれを中途で途切らせるわけにもいかず(村上春樹の世界にどっぷりと浸かってしまったら、読書を継続している最中の至福の快感からは、そう易々とは逃れられることはできません)、やはり期限の二週間がきてしまい、返却しなければならなくなりました。

そのときは、その「日本奥地紀行」を借りるとともに、さらにバードの他の著作も読みたいというモチベーションが相当に上昇していて、ほかに「朝鮮奥地紀行」と「中国奥地紀行」も借りたくらいですから、そのときの「意欲」の高まりがどれほどのものだったか想像していただけると思います。

しかし、いつの場合にも、それぞれに読めない事情というのはあって、微妙にバリエーションを変えた支障は幾らもあったとしても、考えてみれば、それは結局、単なる言い訳にすぎないのではないかと、最近、よく考えるようになりました。まさに、カフカの「審判」の世界ですよね。

たとえ、どのような事情があろうと、「絶対に」読むことができないなどということは、たぶん、あり得ません。

結局、突き詰めて考えれば、そこには自分の優柔不断さとか、ムラッ気だとか、意欲を努力に変えられない怠惰だとか、薄っぺらな虚勢心とかが原因で「そう」させているだけで、その辺の自己認識の曖昧さが、いつまでたっても同じアヤマチを繰り返させているのではないかと気がつきました。

「結局、人間って、ひとつのものしか、手に入れられないのよね」というセイフが、瞬間アタマを過ぎりました、そうそう、これは、昨夜見た映画「深夜食堂」(監督・松岡錠司2014)のなかで高岡早紀が発していたセリフです、セリフの残響が余韻となって、まだ自分の中に気配を残していたんですね。

ただ、そのときの「日本奥地紀行」、「朝鮮奥地紀行」、「中国奥地紀行」の三冊を読むことなく返却したということが、少なからぬストレスとして、自分の中に残ってしまいました。
読みもしない本を、ただ図書館と家のあいだを運搬しているだけの自分とは、いったいなんなのだ、という苛立ちです。

そのストレスは、それ以後のある時期、図書館から自分を遠ざけた理由として、たぶん関係があったと思いますし、そして、近所のブックオフに古本を覗きに行くという新たな習慣ができたこととも、たぶんカブルかもしれません。

古本なら、購入してしまえば(それもごく安価です)自分の所有物になるので、図書館のように「返却期限」に縛られたり、読むことを急かされたり、そういうことを気にすることのすべてから解放され、落ち着いてゆっくり読むことができます。

そのことだけでも、なんだか重苦しい足枷から開放されたような晴れ晴れとした気分になることができました。それが「古本」の効用といえますが、しかし、まあ、図書館でしか読むことができないようなタイプの本(そこでは既に「ある選択」がなされていること)も確かにあることが、そのとき気がつきました。

そういうわけで、暇なときにはブックオフに古本を覗きに通い、そこで目に付いた「映画関係」の本(図書館では、たぶん置いてないタグイの本です)を片っ端から買いあさったのですが、その中の一冊に、ビートたけしの「仁義なき映画」(1991.12.30.3刷、太田出版、芸能関係と映画本の老舗出版社です)がありました。

例によって、悪口雑言とイチャモンを、まるで一種の媚びのように駆使する狡猾さで(「乱」でピーターが演じた道化の役どころです)権力に取り入るもうひとつの巧妙で愚劣な姿勢に貫かれているゴミのような映画批評本なのです。

読書をする際にはいつもでチェックできるように傍らに置いておく鉛筆も付箋も、予想どおり、一向に役にたつ機会はありませんでした。

ただし、例外として、一箇所だけ、遠慮がちに鉛筆の「レ」点が入った箇所ありました。

それは、「プリティ・ウーマン」の項で、アメリカの厳しい格差社会において、その作品が描いた欺瞞的なシンデレラ・ストーリーの在り方について痛烈に難じた章で、例のとおりボコボコに貶しつつ、返すカタナで、こんなふうな注文をつけていました。

《この映画を大きく意味づければ、アメリカの「水戸黄門」だよ。要するにのっとり屋が改心する話でさ、なぜ改心したかというとハートフルな娼婦に出会ったからで、それを切っ掛けにバブルな商売から足を洗って額に汗する実業にもどると。それをシンデレラ物語を使ってやっている。
「水戸黄門」や「大岡越前」をバカにするヤツがいるけれど、とんでもない話でさ、こういう映画を見ると、アメリカのほうがずっと遅れているんじゃないかって思うよ。
日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。小説にしても長谷川伸シリーズとか、話としては、「プリティ・ウーマン」の上をいくものがゴマンとあるって。まあ、テレビの時代劇で中身を薄められて毎晩見ているわけだけど。》

このあとで、「アメリカ人の体質としてハッピーエンドじゃないと許さないところが強烈にあるんじゃないのかな。」と、アメリカの格差社会の厳しい現実のなかで、シンデレラ・ストーリーにこだわる(この作品を含めて)アメリカ映画の欺瞞的な在り方の一面についてボコボコに貶しているのですが、自分が関心を持ったのは、そこで取り上げられていた「日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。」という部分に惹かれたのでした。

自分らの子どもの頃は、一般家庭までには、いまだテレビ受像機の普及は届いておらず、もっぱら一家そろってラジオ放送に耳を傾けるというのが、夕方から就寝までの家族団欒の姿だったと思います。

ニュース放送に耳を傾け、三橋美智也や神楽坂はん子などの歌謡曲を聴き、連続ドラマにも耳を傾けていました(「聞く」というよりも、まさに「耳を傾ける」という感じでしたネ)。

横道に逸れますが、「神楽坂はん子」の漢字の表記を確かめるためにwikiを開いたところ、かの大ヒット曲「芸者ワルツ」は、彼女の唄だったのですね、あの当時、幼い子どもたちまでが「あなたのリードで島田も揺れる」と歌っていたものでした。

しかし、ダンスの動きに身を任せながら、結った島田が微妙に揺れるのを感じるなんて、なんと官能的な描写かと、こりゃあ「地毛」じゃないとそうは感じない、肉感的というか発情感みたいなものがリアルに感じられて子供心にも「グッ」と迫るものがありました。

その同じラジオで「赤胴鈴之助」も聞いていたのですから、「性」への導きも「夢」への導きも果たしていたその頃のラジオは、子どもたちにとって、まさに完璧な存在というか無敵だったのだと感じたのも無理ありません。

そうそう、だんだん思い出してきました、たしか戦地に行った自分の家族の消息を知っている人がいないか、呼びかける番組もあったことも、薄っすら記憶しています。

そして、就寝前の少しの時間、部屋の電灯を消して、蚊帳を吊った布団のなかで、親が聞いている「浪曲」や「講談」や「落語」などを一緒になって聴いたものでした(実際は、「聞こえていた」というべきかもしれませんが)。

当時は、まだほんの子どものことですから、聞いているうちにやがて眠気が差してきて、いつの間にか眠ってしまったに違いありません。

ですので、教養としてどうなのかはともかく、雑多ながらも「浪曲」や「講談」や「落語」に接し、聞き込んだ回数なら人後に落ちない、かなりのものがあるはずと思っています。

たけしが上記で述べている趣旨(日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいい)が、「評価の面」止まりのことを言っているのか、それとも、さらに敷衍して、それらを海外に「発信」すべきとまで考えているのか、その辺はもっと突き詰めて考えねばならないことだと思います。

自分としては、夫婦の情愛や師弟愛ならまだしも、果ては忠君愛国を謳い上げる「浪曲」や「講談」の理念(人倫の道を説くとはいっても、その根底には封建思想があり、封建体制護持のバイアスが強烈にかかっている印象があります)を、世界の理解を求めるのは、ちょっと無理があるのではないかと考えています。

それに引き換え、落語の場合なら、その辺の事情はちょっと異なってきます。

落語「二十四孝」では、老母を蹴り倒す乱暴者の息子が登場しますし、「佐々木裁き」では、桶屋のせがれ・四郎吉が、奉行に面と向かって行政の乱れを堂々と指摘し権威に挑む姿勢が描かれています、「帯久」では、人の道を外してまで金儲けをはかる悪辣な商人に対して、奉行は法を捻じ曲げてでも落魄した弱者を救おうとします。

「厩火事」では、破綻しかけた夫婦に対して仲人が孔子の教えを説いて仲裁を図ろうとして、ぐうたら亭主に巧みにシテやられます。

どの話も忠君愛国とか滅私奉公などの「大言壮語」的な発想とは無縁の、活き活きとした庶民の逞しい日常が、人情深く語られています。

多くの映画監督たちが、落語に材を求めて映画を作ろうとした理由が、なんだか分かるような気がしますし、それが成功しなかった理由も同時に分かるようなきがします。

そこで、自分的に、映画化したら、とてもユニークな作品になるのではないかという「落語」をひとつご紹介したいと思います。

その題目は、「算段の平兵衛」、桂米朝が発掘した上方噺で、ひとつの死体の処理をめぐって、色々な死に方をさせられる庄屋(すでに死体です)の噺で、ブラック・ユーモワ満載のハードボイルドです。

いままで米朝師匠の語ったものしか聞いていなかったのですが、桂南光の噺をyou tube で聞くことができ、そのガラガラした話振りが、かえって新鮮で迫力があり、米朝とはまた違った味わいで愉しめました。

死体の処理に困ってあちこちに隠して回る大騒動を描いたヒッチコックの映画「ハリーの災難」に似ている部分もありそうですが、「ハリーの災難」と決定的に異なるのは、この落語には、殺害に関わるどの関係者も「殺害する意思」が明確にあるために、シチュエーションを自由にあやつることができて、深刻な事態も一変させてしまう才人・算段の平兵衛の思い通りに動かされてしまう痛快さがあります。

そもそも、最初に手を下した(偶然といえば偶然ですが)のが、そもそもその平兵衛であるというのが、なんとも人を食った話なのです。

【「算段の平兵衛」の要約】
やりくり算段のうまいところから、算段の平兵衛と呼ばれている男がおりまして、庄屋にうまく取り入り、庄屋のめかけを持参金つきでもらいます。

しかし、持参金を頼りにぶらぶら遊び暮らしているうちに金を使い果たし、嫁さんの衣類を始め目ぼしい調度まで売り払い、明日の米を買うのにも不自由な暮らしになってしまいます。

そこで考えついたのが美人局、元旦那の庄屋に美人局を仕掛けて幾らかでも有りつこうという魂胆です。

庄屋を騙くらかして家に引き入れ、嫁さんがしな垂れかかり庄屋がヤニさがっているところに飛び出して凄むという芝居がすぎて、はずみで庄屋を殺してしまう、しかし、そこは算段の平兵衛、死体の処理に算段をして、まず、庄屋の家の前まで死体を運び、表から、朝帰りのていを装って庄屋の声色を使い、留守の女房にやきもちを焼かせます。

そして、女房から「首でも吊って死んでしまいなはれ」といわせると、それを機に、平兵衛は庄屋の死体を松の木に吊るして、とっとと帰ってしまいます。

庄屋の女房は、死体に驚き、その始末に困って平兵衛のもとに相談にきます。

平兵衛は金をもらって死体の処理を引き受けます。

夜陰に乗じて隣の村の盆踊りに紛れ込み、わざと喧嘩を起させるように仕向けて、村人が騒ぎ出したのを汐に死体を放り出して逃げ帰ります。

殴る蹴るのあと村の者たちは庄屋の死体に驚いて、その処置について平兵衛のもとに相談に来ます。

平兵衛は、また金をもらって処置を引き受ける、今度は一本松の崖から転落したように装います。

これで庄屋の死体の始末がついたのですが、圧巻は、このあとのくすぐり、

「世の中にこれくらい気の毒な死体はありまへんな。なぐられたり、首つられたり、どつかれたり、蹴られたり、そのうえ崖から上から突き落されたり、どの傷で死んだのかヨウ分からんようになってます。」

この爽快な一言で、いままで笑っていた観客は、自分たちが「死体の始末」という物凄いことにすっかり加担して笑っていたことにハッと気がついて我に返り、このままで済むわけがないという気持ちを取り戻します。

南光の噺では、こうなります、やがてこの事件の変死を疑う噂がでて、大阪の役人が調べにきて、方々を調べてまわった挙句、平兵衛のもとにやって来ます。

いよいよカンネンする時がきたと覚悟を決めている平兵衛に役人が言います、「この事件はどうもよく分からん、算段してくれ」と。

これがこの噺のサゲなのですが、最後まで罪悪感とか善良さとか勧善懲悪などというヤワな道義心とは一切無縁のそのタフさ加減に、ただただ感心させられたのですが、しかし、よく考えるとその「タフさ」こそが、この噺を発掘しなければならなかった「埋没」に至らせた原因なのかもしれないと気がつきました。

そう考えれば、これまでだって世間をはばかる演者の道義心のために自主規制で失われた噺は幾らでもあったに違いありません。

そうそう、米朝のサゲは、事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、まだ噺が進展することを匂わせて終わっていたのですが、webで確認したネタ本によれば、

《事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、杖を突きながら頻繁に、平兵衛の家に行き、何か喋っては金をもらってきます。近所の人が不思議がって
「なんぞ、平兵衛さんの弱いところでもつかんでおるのやろうか」
「それにしても大胆やな、相手は算段の平兵衛や、どんな目におうか分からんでえ」
「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」》

となっているのだそうです。

米朝が最後まで語ろうとせずに早々に切り上げ、そして桂南光が「役人の取調べ」に改変したこの本来の「さげ」が、近い将来、この噺に再び埋没の危機が見舞う要因になるであろうことは、たぶん確かでしょう。

現代にあっては、「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」のさげでは、やはりまずかったのだろうなと思います。

しかし、それにしても、「あらすじ」だけの落語なんて、なんと味気ないものか、つくづくわかりました。

つまり、落語をただのストーリーとして、映画化するなり、ユーモア小説仕立てにすることが、必ずしも成功に繋がらなかった理由が、本来の「語り」という饒舌を失ったところにあったのだと、いまさらながら分かりました。

それに、「饒舌」がなければ、死体を弄ぶことで笑いをとるこの陰惨このうえない「算段の平兵衛」が、成立するわけもなかったのです。

最後に米朝師匠を偲んで、出だしの部分の口調を筆写してみたいと思います。

《ようこそのお運びで、相変わらずごく古いお噺を聞いていただきます。
世の中があんまり変わりすぎましたんで、古い落語をやるときに分からんよおなことが、だんだん増えてきまして、説明せんならん場合が増えてきたんですけどね、「算段」なんて言葉も使わんよおなりました。
「遣繰算段(やりくりさんだん)」ちゅう言葉だけが、まだ生きてるように思いますがなあ「ちょっと算段しといてんか」とか「あいつは算段がうまいさかいなあ」とか「そういう算段ならあの男や」とか、日常会話にもよう出てきたんでございますがなあ。
いろいろとこの「算段」をする、ちょっとした無理でも何とか収めてくれるとか、お金が足らんのでも間に合わすようにするとか、そういうことになかなか長けた、上手な人ちゅうのはあるもんでございまして。どこのグループにでも、どこの会社にでもこういう便利な人が一人ぐらいありますわなあ。・・・》
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# by sentence2307 | 2016-05-15 19:12 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ①

まとまって休めるゴールデン・ウィークは、とても嬉しいのですが、あとで必ず「どちらかに行かれましたか」と、何人もの人から聞かれるのがとても憂鬱です。

先方は、社交辞令のつもりで聞いてくるのでしょうが、もうこの歳になると、話題づくりのために、無理して海外旅行へ出掛けたり、渋滞40Kmの高速道路上で、何時間も辛抱強くアイドリング運転を続けるなど、人並みなことをこなす気力も根気もありません。

時間をそんなふうに無駄遣いするくらいなら、女房の顰蹙をかいながらでも、家にいて本を読むとか、ゆっくり映画でも見ている方が、よっぽど気がきいています。

連休近くになると、女房は、「せっかくの連休なんだから、どこかへ行きましょうよ」と思いついたように必ず言うのですが、この時期にどこかへ出掛けるつもりの人は、何ヶ月も前から計画を立て、予約を済ませているようなキトクな人なのであって、「今頃言っても遅すぎる」と無理やり彼女を納得させ、例えばこの連休は、巨大ホームセンターを歩き回って特売の文房具を買い、また次の日には、近所のスーパー銭湯で半日お湯に浸かってお茶を濁した次第です。

いずれも超満員で往生しましたが、帰宅が午前零時を回るなどという「理不尽な激務」がないだけでも「良し」としなければなりません。

しかし、当方にしても、突然、まとまった時間を与えられ自由にしていいと言われても、実際は、困る部分もあります。

前日まで読んでいた本を引っ張り出して、その続きを読むなどという気分には到底なれません。

まあ、女房と同様「せっかくの連休なんだから」と気分を一新したい気持ちもあるので、なにか目先の変わった新しいものを読みたいと思いながら、とりあえずは溜め込んでおいたアレコレの雑誌・新聞に掲載された「書評」を引っ張り出して、片っ端から読み始めました。

経験から言うと、映画の予告編というのは、だいたい本編を見たくなるような素晴らしい出来のものが多いのですが、書評に関しては、感心するようなものが、ごく少ないというのが偽らざる実感です。

一冊の本を限られた字数で要約するということが、とても手間のかかる困難な作業(なにしろ一冊の本を熟読し、さらにまとめて要約までしようというのですから)であることはよく分かりますが、ひどいのになると「まえがき」と「目次」を掲げただけという手を抜いた、まるでやる気のない書評をwebで読んだことがあります。

そのやっつけ仕事には、読者として侮辱されたような憤りを感じました。

肩書きだけは「大学教授」と名乗っていますが、ろくに本を読まないヤカラであるのがミエミエです。

書評というのは、本当に本が好きで、取り扱っているテーマにも精通していて、要約の勘所を象徴的な言葉で直感的に言い当て、読者をいかに惹きつける簡潔な文章が書けるかということだと思うのですが、このように考えるたびに、卓越した読書人にして書評家だった丸谷才一の仕事が、自分にとっていかに大きかったかを、いまさらながら実感しています。

さて、読み漁ったその書評の中にこんな書評(「出版ニュース」2010.2)がありました。

「林浩一著『漱石のサイエンス』(寒灯舎/れんが書房新社発売)B6判、201頁、1800円」についての書評なのですが、ごく短いので、全文を引用してみますね、

「夏目漱石はもともと科学に対する好奇心が旺盛で、しかも学究肌の人であったから、書物やその道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた。
そのため、漱石の作品には、科学の知識や方法論が活かされている、と物理学者である著者はいう。
例えば「猫」には、「首くくりの力学」という話が出てくる。
これは寺田寅彦から紹介されたイギリスの物理学の学術論文誌に掲載されたホートンの論文「首くくりについて」に影響を受けたもので、吊るし首はアングロ・サクソンにおける最も普通の処刑方法であることや、実際に12人の侍女たちを絞殺した方法が「猫」には、延々と引用されている。
そして最後には首をくくると身長が伸びるという話になるのだが、ここからは漱石の低身長コンプレックスが窺えると著者はいう。
その他、猫の宙返りから位置と運動のエネルギーの関係を考えていたことなども明らかにしている。」

なるほど、「吾輩は猫である」のなかに、「首くくりの力学」という話が出てくるというわけですか。

ふむふむ、「首くくり」と「力学」、言葉の組み合わせからしても、なんだか、とてもシュールで面白そうじゃないですか、それに語感がとても素敵です。

しかし、漱石が、「その道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた」とあって、その理由として、「学究肌の人」だったからと理由づけていますが、むしろ、漱石は、単に知識や情報を得るというだけでなく、苦笑してしまうほどの人間臭いブラックな部分に惹かれたのではないかという気がします、なにしろ「首くくり」と「力学」です。

これこそ「吾輩は猫である」の真骨頂たる諧謔精神じゃないですか。

さっそく、「検索」の誘惑に駆られましたが、それにしても、まずどこから攻めるのか、が問題です。

自分は、根はコテコテのアナログ人間(先端技術などには、到底アタマの方がついていけません)ですが、なにかする場合はオシナベテ簡便・簡略を旨とする面倒くさがり屋なので、そういう意味では堂々たるデジタル人間です、「クリック、クリック、大いに結構、けっこう、ケッコー、コケッコー、ワッハッハのハ」です、なんだかワケが分かりませんが。

そんなわけで、まず、寺田寅彦の線からいくことにしました。

以前、「寺田寅彦の映画論」を調べたことがあるので、その際に読んだ「寺田寅彦・森田草平・鈴木三重吉 集」(現代日本文学全集22・筑摩書房)が、机の上にそのままの状態であります。

読んだあと、いちいち片付けることをしないから、机の上がとんでもないカオス状態になってしまうのですよね、まさに女房の言うとおり、だらしなく積み上げられた本の谷間に身を捻じ込ませ、手探りでパソコンの在り処を確かめては、ずるずると引っ張り出し、ようやく文字を打っている始末です。

「寺田寅彦集」の目次をみれば、やはり、目指すは「夏目漱石先生の追憶」ということになるのでしょうね。

5頁ほどの短い随筆なので、ざっと走り読みしたところ、ありました、ありました。中程からやや後半にかけての部分に、こんなふうに書かれています。

「自分が學校で古いフィロソフィカル・マガジンを見て居たら、レヴェレンド・ハウトンといふ人の「首釣りの力學」を論じた珍らしい論文が見附かったので、先生に報告したら、それは面白いから見せろといふので、學校から借りて来て用立てた。それが「猫」の寒月君の講演になって現れて居る。高等學校時代に数學の得意であった先生は、かういふものを讀んでもちゃんと理解するだけの素養をもって居たのである。文學者には異例であらうと思ふ。」(「夏目漱石先生の追憶」より)

なるほど、「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」に「首釣りの力學」が引用されているというわけですね。

明確にこのように書かれているわけですから、ここは素直に「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」の箇所をすぐに当たればいいようなものですが、そこはホラ、根が不精者ですし、そのうえ天邪鬼ときています、そう簡単には素直に応じることができません。

そのうえ、なにより決定的なのは、当の「吾輩は猫である」を自分が蔵書として所有していないことが判明したのです。

一応、メディア・マーカーで自分のすべての蔵書を入力して管理(らしきことを)しているので、「ある・なし」は、すぐに確認できます。

検索を掛けても蔵書2000冊(この数字は、既に手放して「不在」の本も含まれていて、正確には「自分を通り過ぎた冊数」ということになります)の中には、「吾輩は猫である」は、ついに存在しませんでした。

夏目漱石を蔵書として持っていない読書人なんて、いったいなんなんでしょうね、そんな人がはたして読書人なんていえるのか、という感じです。

しかし、事実だから仕方ありません。

ないものは、図書館にいって借りて読むしかないのですから、あとで借りに行くとしても、とりあえず、図書館のホームペイジで「在庫」を確認しておくことにしました。

ふむふむ、なにしろモノが国民的文学の「吾輩は猫である」ですから、図書館にないわけがありません、調べるまでもなく当然のように幾冊もありました。

そうそう、ついでに思いついたことがあります、キイワード検索で「首縊りの力学」とダイレクトに入力したらどうでしょう、こりゃあ我ながらいいアイデアです。

敵の不意を突いて、本丸を直接叩くという奇策です、真珠湾奇襲攻撃です、まさにニイタカ山のトラトラトラなのであります。

そして、この検索の結果、ただの一冊だけヒットしました、「中谷宇吉郎集 第一巻」です。あっ、そうくるわけ。

この反撃で、奇襲もあえなく撃墜されてしまった感じです。

中谷宇吉郎といえば、寺田寅彦の愛弟子じゃないですか、それに、あの松岡正剛センセイの「千夜千冊」の栄えある第一夜は、中谷宇吉郎の「雪」で飾られていましたよね。

こうしては、いられません、さっそく自転車を走らせ、おっとりガタナで図書館に駆け込みました。

「まってろよ、いまいくぞ~!」ジャンジャジャ~ン

まず、「夏目漱石集(一)」(現代日本文学大系17 筑摩書房)を借りました。

ちょっと意外だったのは、日本文学全集の「夏目漱石集」と名がつく本なら、どれにも「吾輩は猫である」くらいは入っているに違いないと安易に考えていたのですが、いくら探しても、この「現代日本文学大系」以外には、見つけることができませんでした。

「坊ちゃん」は、必ず入っているのに、です。

そして、二冊目が、「中谷宇吉郎集 第一巻」(岩波書店)です。

多くの読者の手から手へ渡り歩いた人気のほどが「栄誉の汚れ」に感じられる「夏目漱石集」に比べると、いままで誰ひとり借り手がなかったのではないかと思えてしまうほど変に真新しい「中谷宇吉郎集 第一巻」(奥付には、2000年の発行と記されています。)を手に取り、さっそく目次を拝見しました。

まさに、そのまんま、「寒月の『首縊りの力学』その他」というタイトルで掲載されているではありませんか。

頁数でいえば、たったの8頁くらい。

寺田寅彦が亡くなった少しあとで、「吾輩は猫である」のなかに挿話として、漱石が「首縊りの力学」を取り入れたいきさつを、寺田寅彦から直接聞いた中谷宇吉郎が、後世に伝え残すために書いた随筆であると、冒頭に記されています。

本文をパラパラと走り読みしましたが、どうもダイジェストっぽい感じです。

さっそく貸し出し手続きをして、家に持ち帰り、二冊の本を左右に置いて一文一文対照してみることにしました。

まず、中谷宇吉郎集から、最初の節の解説を以下に示し、そのあとで、「吾輩は猫である」の該当する部分をお示ししたいと思います。

【中谷宇吉郎集】
「寒月君の演説の冒頭「罪人を絞罪の刑に処するということは重にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして・・・」というのは、論文の緒言の最初の数行のほとんど完全な翻訳である。以下猶太人中にあっては罪人に石を抛げつけて殺す話から、旧約全書中のハンギングの語の意味、エジプト人の話、波斯人の話など、ほとんど原論文の句を追っての訳である。わずかばかりの動詞や助動詞の使い方の変化によって、物理の論文の緒言が、寒月君の演説となって、「猫」の中にしっくり納まってしまうということは、文章の恐ろしさを如実に示しているような気がするのである。」

【上記に対応する「吾輩は猫である」の原文】
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくくり)は重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂(いわゆる)ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエジプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌ったように思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。
「これから本論に這入(はい)るところですから、少々御辛坊(ごしんぼう)を願います。……

なるほど、対照してみて、ようやく分かりました。

結局、中谷随筆は、原文をなぞって、「簡単にまとめてしまえば・・・ということです」と注釈を加えているにすぎません。

すばらしい漱石の原文が「そこ」にあるのに、なにもわざわざ「まとめたダイジェスト」を読まなければならないのか、極めて疑問に感じ始めてしまいました。
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# by sentence2307 | 2016-05-07 19:43 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ②

なんだか相当遠回りをしてしまったようですが、結局のところ、最初から原典にあたった方がよかったということなのだと思います。
いや、最初からそうするべきだったのだということに、ここにきてようやく気がつきました。
アサハカでした。

【あらためて「吾輩は猫である」、寒月君の演説部分原文】
それから約七分位すると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌(えんぜつ)をするといふので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟(カラー)を聳(そび)やかして、男振りを二割方上げて、「少し後(おく)れまして」と落付き払って、挨拶をする。「先(さ)っきから二人で大待ちに待った所なんだ。早速願はう、なあ君」と主人を見る。主人も已を得ず「うむ」と生返事(なまへんじ)をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しませう」と云ふ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出なさるだらう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠(うちがく)しから草稿を取り出して徐(おもむ)ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願ひます」と前置をして、愈々演舌の御浚(おさら)ひを始める。
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくく)りは重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエヂプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌った様に思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなる様だが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「是から本論に這入(はい)る所ですから、少々御辛防(ごしんぼう)を願います。……
偖波斯人はどうかと申しますと是もやはり処刑には磔(はりつけ)を用いた様で御座います。但し生きて居るうちに張付(はりつ)けに致したものか、死んでから釘を打ったものか其辺(へん)はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈さうに欠伸(あくび)をする。「まだ色々御話し致したい事も御座いますが、御迷惑であらっしゃいませうから……」「あらっしゃいませうより、入らっしゃいませうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君(くしゃみくん)」と又迷亭が咎(とが)め立だてをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「偖愈本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞(ことば)を使って貰ひ度ね」と迷亭先生又交(ま)ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでせう」と寒月君は少々むっとした調子で問ひかける。「迷亭のは聴いて居るのか、交(ま)ぜ返して居るのか判然しない。寒月君そんな弥次馬(やじうま)に構はず、さっさと遣るが好い」と主人は可成早く難関を切り抜け様とする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭は不相変飄然(へうぜん)たる事を云ふ。寒月は思はず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用ひましたのは、私の調べました結果によりますると、オヂセーの二十二巻目に出て居ります。即(すなわ)ち彼かのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するといふ条(くだり)で御座います。希臘語(ギリシャご)で本文を朗読しても宜(よろ)しう御座いますが、ちと衒ふ様な気味にもなりますから巳めに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云はんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言はん方が奥床しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫も希臘語が読めないのである。「それでは此両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。
此絞殺を今から想像して見ますと、之を執行するに二つの方法があります。第一は、彼のテレマカスがユーミアス及びフヒリーシャスの援(たす)けを藉かりて縄の一端を柱へ括(くく)りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けて此穴へ女の頭を一つ宛入れて置いて、片方の端をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツの様に女がぶら下ったと見れば好いんだらう」「其通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括(くく)り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そして其高い縄から何本か別の縄を下げて、夫に結び目の輪になったのを付けて女の頸(くび)を入れておいて、いざと云ふ時に女の足台を取りはずすと云ふ趣向なのです」「たとへて云ふと縄暖簾(なわのれん)の先へ提灯玉(ちょうちんだま)を釣したような景色(けしき)と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云ふ玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺(へん)のところかと思ひます。――夫でこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云ふ事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云ふと「うん面白い」と主人も一致する。
「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋(つな)いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做(みな)し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論(もちろん)女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人(りょうにん)が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下(しも)のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐(お)って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体(てい)に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架(こうしゅか)即(すなわ)ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度(ふたたび)同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令(たとい)兇漢でも二度絞(しめ)る法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフヒツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生(おうじょう)さしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死に損(ぞこな)いだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊(くく)ると背(せい)が一寸(いっすん)ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥(くしゃみ)などはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらい背(せい)が延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目に極(きま)っています。釣られて脊髄(せきずい)が延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うより壊(こわれ)るんですからね」「それじゃ、まあ止(や)めよう」と主人は断念する。
演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊(ふうらいぼう)のような珍語を挟(はさ)むのと、主人が時々遠慮なく欠伸あくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁を振ふるったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れ様訳がない。
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# by sentence2307 | 2016-05-07 19:38 | 徒然草 | Comments(0)