世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

算段の平兵衛

読みたいという気持ちは十分にあるのに、なにかの事情で、なかなか読めないままになっている本というのが、きっと誰にもあると思います。

例えば、図書館の書棚で読みたい本を見つけて、意欲が湧き、せっかく借りたものの、優先しなければならない用事ができて、読めないままズルズルと期限がきてしまい、結局返却しなければならなくなる。

そしてまた、しばらく経つと、「ぜひ読みたい」という意欲が湧いてきて、また借りる、そんなふうに同じ本で同じことを何度も繰り返して、結局、達成できないまま意欲だけが燻ぶり続けている、そういった本なのですが、自分の場合のそれは、イサベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社・東洋文庫)ということになるかもしれません。

もう何年も前になりますが、「日本奥地紀行」の評判が立ち、それも一度に二度ではなく、さらに新聞記事の紹介記事やwebの推薦記事が立て続きにあって、絶対読みたいという思いが頂点に達して借り受けたものの、そのときはたまたま村上春樹の「1Q84」を読んでいる最中だったので、まさかそれを中途で途切らせるわけにもいかず(村上春樹の世界にどっぷりと浸かってしまったら、読書を継続している最中の至福の快感からは、そう易々とは逃れられることはできません)、やはり期限の二週間がきてしまい、返却しなければならなくなりました。

そのときは、その「日本奥地紀行」を借りるとともに、さらにバードの他の著作も読みたいというモチベーションが相当に上昇していて、ほかに「朝鮮奥地紀行」と「中国奥地紀行」も借りたくらいですから、そのときの「意欲」の高まりがどれほどのものだったか想像していただけると思います。

しかし、いつの場合にも、それぞれに読めない事情というのはあって、微妙にバリエーションを変えた支障は幾らもあったとしても、考えてみれば、それは結局、単なる言い訳にすぎないのではないかと、最近、よく考えるようになりました。まさに、カフカの「審判」の世界ですよね。

たとえ、どのような事情があろうと、「絶対に」読むことができないなどということは、たぶん、あり得ません。

結局、突き詰めて考えれば、そこには自分の優柔不断さとか、ムラッ気だとか、意欲を努力に変えられない怠惰だとか、薄っぺらな虚勢心とかが原因で「そう」させているだけで、その辺の自己認識の曖昧さが、いつまでたっても同じアヤマチを繰り返させているのではないかと気がつきました。

「結局、人間って、ひとつのものしか、手に入れられないのよね」というセイフが、瞬間アタマを過ぎりました、そうそう、これは、昨夜見た映画「深夜食堂」(監督・松岡錠司2014)のなかで高岡早紀が発していたセリフです、セリフの残響が余韻となって、まだ自分の中に気配を残していたんですね。

ただ、そのときの「日本奥地紀行」、「朝鮮奥地紀行」、「中国奥地紀行」の三冊を読むことなく返却したということが、少なからぬストレスとして、自分の中に残ってしまいました。
読みもしない本を、ただ図書館と家のあいだを運搬しているだけの自分とは、いったいなんなのだ、という苛立ちです。

そのストレスは、それ以後のある時期、図書館から自分を遠ざけた理由として、たぶん関係があったと思いますし、そして、近所のブックオフに古本を覗きに行くという新たな習慣ができたこととも、たぶんカブルかもしれません。

古本なら、購入してしまえば(それもごく安価です)自分の所有物になるので、図書館のように「返却期限」に縛られたり、読むことを急かされたり、そういうことを気にすることのすべてから解放され、落ち着いてゆっくり読むことができます。

そのことだけでも、なんだか重苦しい足枷から開放されたような晴れ晴れとした気分になることができました。それが「古本」の効用といえますが、しかし、まあ、図書館でしか読むことができないようなタイプの本(そこでは既に「ある選択」がなされていること)も確かにあることが、そのとき気がつきました。

そういうわけで、暇なときにはブックオフに古本を覗きに通い、そこで目に付いた「映画関係」の本(図書館では、たぶん置いてないタグイの本です)を片っ端から買いあさったのですが、その中の一冊に、ビートたけしの「仁義なき映画」(1991.12.30.3刷、太田出版、芸能関係と映画本の老舗出版社です)がありました。

例によって、悪口雑言とイチャモンを、まるで一種の媚びのように駆使する狡猾さで(「乱」でピーターが演じた道化の役どころです)権力に取り入るもうひとつの巧妙で愚劣な姿勢に貫かれているゴミのような映画批評本なのです。

読書をする際にはいつもでチェックできるように傍らに置いておく鉛筆も付箋も、予想どおり、一向に役にたつ機会はありませんでした。

ただし、例外として、一箇所だけ、遠慮がちに鉛筆の「レ」点が入った箇所ありました。

それは、「プリティ・ウーマン」の項で、アメリカの厳しい格差社会において、その作品が描いた欺瞞的なシンデレラ・ストーリーの在り方について痛烈に難じた章で、例のとおりボコボコに貶しつつ、返すカタナで、こんなふうな注文をつけていました。

《この映画を大きく意味づければ、アメリカの「水戸黄門」だよ。要するにのっとり屋が改心する話でさ、なぜ改心したかというとハートフルな娼婦に出会ったからで、それを切っ掛けにバブルな商売から足を洗って額に汗する実業にもどると。それをシンデレラ物語を使ってやっている。
「水戸黄門」や「大岡越前」をバカにするヤツがいるけれど、とんでもない話でさ、こういう映画を見ると、アメリカのほうがずっと遅れているんじゃないかって思うよ。
日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。小説にしても長谷川伸シリーズとか、話としては、「プリティ・ウーマン」の上をいくものがゴマンとあるって。まあ、テレビの時代劇で中身を薄められて毎晩見ているわけだけど。》

このあとで、「アメリカ人の体質としてハッピーエンドじゃないと許さないところが強烈にあるんじゃないのかな。」と、アメリカの格差社会の厳しい現実のなかで、シンデレラ・ストーリーにこだわる(この作品を含めて)アメリカ映画の欺瞞的な在り方の一面についてボコボコに貶しているのですが、自分が関心を持ったのは、そこで取り上げられていた「日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。」という部分に惹かれたのでした。

自分らの子どもの頃は、一般家庭までには、いまだテレビ受像機の普及は届いておらず、もっぱら一家そろってラジオ放送に耳を傾けるというのが、夕方から就寝までの家族団欒の姿だったと思います。

ニュース放送に耳を傾け、三橋美智也や神楽坂はん子などの歌謡曲を聴き、連続ドラマにも耳を傾けていました(「聞く」というよりも、まさに「耳を傾ける」という感じでしたネ)。

横道に逸れますが、「神楽坂はん子」の漢字の表記を確かめるためにwikiを開いたところ、かの大ヒット曲「芸者ワルツ」は、彼女の唄だったのですね、あの当時、幼い子どもたちまでが「あなたのリードで島田も揺れる」と歌っていたものでした。

しかし、ダンスの動きに身を任せながら、結った島田が微妙に揺れるのを感じるなんて、なんと官能的な描写かと、こりゃあ「地毛」じゃないとそうは感じない、肉感的というか発情感みたいなものがリアルに感じられて子供心にも「グッ」と迫るものがありました。

その同じラジオで「赤胴鈴之助」も聞いていたのですから、「性」への導きも「夢」への導きも果たしていたその頃のラジオは、子どもたちにとって、まさに完璧な存在というか無敵だったのだと感じたのも無理ありません。

そうそう、だんだん思い出してきました、たしか戦地に行った自分の家族の消息を知っている人がいないか、呼びかける番組もあったことも、薄っすら記憶しています。

そして、就寝前の少しの時間、部屋の電灯を消して、蚊帳を吊った布団のなかで、親が聞いている「浪曲」や「講談」や「落語」などを一緒になって聴いたものでした(実際は、「聞こえていた」というべきかもしれませんが)。

当時は、まだほんの子どものことですから、聞いているうちにやがて眠気が差してきて、いつの間にか眠ってしまったに違いありません。

ですので、教養としてどうなのかはともかく、雑多ながらも「浪曲」や「講談」や「落語」に接し、聞き込んだ回数なら人後に落ちない、かなりのものがあるはずと思っています。

たけしが上記で述べている趣旨(日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいい)が、「評価の面」止まりのことを言っているのか、それとも、さらに敷衍して、それらを海外に「発信」すべきとまで考えているのか、その辺はもっと突き詰めて考えねばならないことだと思います。

自分としては、夫婦の情愛や師弟愛ならまだしも、果ては忠君愛国を謳い上げる「浪曲」や「講談」の理念(人倫の道を説くとはいっても、その根底には封建思想があり、封建体制護持のバイアスが強烈にかかっている印象があります)を、世界の理解を求めるのは、ちょっと無理があるのではないかと考えています。

それに引き換え、落語の場合なら、その辺の事情はちょっと異なってきます。

落語「二十四孝」では、老母を蹴り倒す乱暴者の息子が登場しますし、「佐々木裁き」では、桶屋のせがれ・四郎吉が、奉行に面と向かって行政の乱れを堂々と指摘し権威に挑む姿勢が描かれています、「帯久」では、人の道を外してまで金儲けをはかる悪辣な商人に対して、奉行は法を捻じ曲げてでも落魄した弱者を救おうとします。

「厩火事」では、破綻しかけた夫婦に対して仲人が孔子の教えを説いて仲裁を図ろうとして、ぐうたら亭主に巧みにシテやられます。

どの話も忠君愛国とか滅私奉公などの「大言壮語」的な発想とは無縁の、活き活きとした庶民の逞しい日常が、人情深く語られています。

多くの映画監督たちが、落語に材を求めて映画を作ろうとした理由が、なんだか分かるような気がしますし、それが成功しなかった理由も同時に分かるようなきがします。

そこで、自分的に、映画化したら、とてもユニークな作品になるのではないかという「落語」をひとつご紹介したいと思います。

その題目は、「算段の平兵衛」、桂米朝が発掘した上方噺で、ひとつの死体の処理をめぐって、色々な死に方をさせられる庄屋(すでに死体です)の噺で、ブラック・ユーモワ満載のハードボイルドです。

いままで米朝師匠の語ったものしか聞いていなかったのですが、桂南光の噺をyou tube で聞くことができ、そのガラガラした話振りが、かえって新鮮で迫力があり、米朝とはまた違った味わいで愉しめました。

死体の処理に困ってあちこちに隠して回る大騒動を描いたヒッチコックの映画「ハリーの災難」に似ている部分もありそうですが、「ハリーの災難」と決定的に異なるのは、この落語には、殺害に関わるどの関係者も「殺害する意思」が明確にあるために、シチュエーションを自由にあやつることができて、深刻な事態も一変させてしまう才人・算段の平兵衛の思い通りに動かされてしまう痛快さがあります。

そもそも、最初に手を下した(偶然といえば偶然ですが)のが、そもそもその平兵衛であるというのが、なんとも人を食った話なのです。

【「算段の平兵衛」の要約】
やりくり算段のうまいところから、算段の平兵衛と呼ばれている男がおりまして、庄屋にうまく取り入り、庄屋のめかけを持参金つきでもらいます。

しかし、持参金を頼りにぶらぶら遊び暮らしているうちに金を使い果たし、嫁さんの衣類を始め目ぼしい調度まで売り払い、明日の米を買うのにも不自由な暮らしになってしまいます。

そこで考えついたのが美人局、元旦那の庄屋に美人局を仕掛けて幾らかでも有りつこうという魂胆です。

庄屋を騙くらかして家に引き入れ、嫁さんがしな垂れかかり庄屋がヤニさがっているところに飛び出して凄むという芝居がすぎて、はずみで庄屋を殺してしまう、しかし、そこは算段の平兵衛、死体の処理に算段をして、まず、庄屋の家の前まで死体を運び、表から、朝帰りのていを装って庄屋の声色を使い、留守の女房にやきもちを焼かせます。

そして、女房から「首でも吊って死んでしまいなはれ」といわせると、それを機に、平兵衛は庄屋の死体を松の木に吊るして、とっとと帰ってしまいます。

庄屋の女房は、死体に驚き、その始末に困って平兵衛のもとに相談にきます。

平兵衛は金をもらって死体の処理を引き受けます。

夜陰に乗じて隣の村の盆踊りに紛れ込み、わざと喧嘩を起させるように仕向けて、村人が騒ぎ出したのを汐に死体を放り出して逃げ帰ります。

殴る蹴るのあと村の者たちは庄屋の死体に驚いて、その処置について平兵衛のもとに相談に来ます。

平兵衛は、また金をもらって処置を引き受ける、今度は一本松の崖から転落したように装います。

これで庄屋の死体の始末がついたのですが、圧巻は、このあとのくすぐり、

「世の中にこれくらい気の毒な死体はありまへんな。なぐられたり、首つられたり、どつかれたり、蹴られたり、そのうえ崖から上から突き落されたり、どの傷で死んだのかヨウ分からんようになってます。」

この爽快な一言で、いままで笑っていた観客は、自分たちが「死体の始末」という物凄いことにすっかり加担して笑っていたことにハッと気がついて我に返り、このままで済むわけがないという気持ちを取り戻します。

南光の噺では、こうなります、やがてこの事件の変死を疑う噂がでて、大阪の役人が調べにきて、方々を調べてまわった挙句、平兵衛のもとにやって来ます。

いよいよカンネンする時がきたと覚悟を決めている平兵衛に役人が言います、「この事件はどうもよく分からん、算段してくれ」と。

これがこの噺のサゲなのですが、最後まで罪悪感とか善良さとか勧善懲悪などというヤワな道義心とは一切無縁のそのタフさ加減に、ただただ感心させられたのですが、しかし、よく考えるとその「タフさ」こそが、この噺を発掘しなければならなかった「埋没」に至らせた原因なのかもしれないと気がつきました。

そう考えれば、これまでだって世間をはばかる演者の道義心のために自主規制で失われた噺は幾らでもあったに違いありません。

そうそう、米朝のサゲは、事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、まだ噺が進展することを匂わせて終わっていたのですが、webで確認したネタ本によれば、

《事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、杖を突きながら頻繁に、平兵衛の家に行き、何か喋っては金をもらってきます。近所の人が不思議がって
「なんぞ、平兵衛さんの弱いところでもつかんでおるのやろうか」
「それにしても大胆やな、相手は算段の平兵衛や、どんな目におうか分からんでえ」
「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」》

となっているのだそうです。

米朝が最後まで語ろうとせずに早々に切り上げ、そして桂南光が「役人の取調べ」に改変したこの本来の「さげ」が、近い将来、この噺に再び埋没の危機が見舞う要因になるであろうことは、たぶん確かでしょう。

現代にあっては、「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」のさげでは、やはりまずかったのだろうなと思います。

しかし、それにしても、「あらすじ」だけの落語なんて、なんと味気ないものか、つくづくわかりました。

つまり、落語をただのストーリーとして、映画化するなり、ユーモア小説仕立てにすることが、必ずしも成功に繋がらなかった理由が、本来の「語り」という饒舌を失ったところにあったのだと、いまさらながら分かりました。

それに、「饒舌」がなければ、死体を弄ぶことで笑いをとるこの陰惨このうえない「算段の平兵衛」が、成立するわけもなかったのです。

最後に米朝師匠を偲んで、出だしの部分の口調を筆写してみたいと思います。

《ようこそのお運びで、相変わらずごく古いお噺を聞いていただきます。
世の中があんまり変わりすぎましたんで、古い落語をやるときに分からんよおなことが、だんだん増えてきまして、説明せんならん場合が増えてきたんですけどね、「算段」なんて言葉も使わんよおなりました。
「遣繰算段(やりくりさんだん)」ちゅう言葉だけが、まだ生きてるように思いますがなあ「ちょっと算段しといてんか」とか「あいつは算段がうまいさかいなあ」とか「そういう算段ならあの男や」とか、日常会話にもよう出てきたんでございますがなあ。
いろいろとこの「算段」をする、ちょっとした無理でも何とか収めてくれるとか、お金が足らんのでも間に合わすようにするとか、そういうことになかなか長けた、上手な人ちゅうのはあるもんでございまして。どこのグループにでも、どこの会社にでもこういう便利な人が一人ぐらいありますわなあ。・・・》
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-15 19:12 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ①

まとまって休めるゴールデン・ウィークは、とても嬉しいのですが、あとで必ず「どちらかに行かれましたか」と、何人もの人から聞かれるのがとても憂鬱です。

先方は、社交辞令のつもりで聞いてくるのでしょうが、もうこの歳になると、話題づくりのために、無理して海外旅行へ出掛けたり、渋滞40Kmの高速道路上で、何時間も辛抱強くアイドリング運転を続けるなど、人並みなことをこなす気力も根気もありません。

時間をそんなふうに無駄遣いするくらいなら、女房の顰蹙をかいながらでも、家にいて本を読むとか、ゆっくり映画でも見ている方が、よっぽど気がきいています。

連休近くになると、女房は、「せっかくの連休なんだから、どこかへ行きましょうよ」と思いついたように必ず言うのですが、この時期にどこかへ出掛けるつもりの人は、何ヶ月も前から計画を立て、予約を済ませているようなキトクな人なのであって、「今頃言っても遅すぎる」と無理やり彼女を納得させ、例えばこの連休は、巨大ホームセンターを歩き回って特売の文房具を買い、また次の日には、近所のスーパー銭湯で半日お湯に浸かってお茶を濁した次第です。

いずれも超満員で往生しましたが、帰宅が午前零時を回るなどという「理不尽な激務」がないだけでも「良し」としなければなりません。

しかし、当方にしても、突然、まとまった時間を与えられ自由にしていいと言われても、実際は、困る部分もあります。

前日まで読んでいた本を引っ張り出して、その続きを読むなどという気分には到底なれません。

まあ、女房と同様「せっかくの連休なんだから」と気分を一新したい気持ちもあるので、なにか目先の変わった新しいものを読みたいと思いながら、とりあえずは溜め込んでおいたアレコレの雑誌・新聞に掲載された「書評」を引っ張り出して、片っ端から読み始めました。

経験から言うと、映画の予告編というのは、だいたい本編を見たくなるような素晴らしい出来のものが多いのですが、書評に関しては、感心するようなものが、ごく少ないというのが偽らざる実感です。

一冊の本を限られた字数で要約するということが、とても手間のかかる困難な作業(なにしろ一冊の本を熟読し、さらにまとめて要約までしようというのですから)であることはよく分かりますが、ひどいのになると「まえがき」と「目次」を掲げただけという手を抜いた、まるでやる気のない書評をwebで読んだことがあります。

そのやっつけ仕事には、読者として侮辱されたような憤りを感じました。

肩書きだけは「大学教授」と名乗っていますが、ろくに本を読まないヤカラであるのがミエミエです。

書評というのは、本当に本が好きで、取り扱っているテーマにも精通していて、要約の勘所を象徴的な言葉で直感的に言い当て、読者をいかに惹きつける簡潔な文章が書けるかということだと思うのですが、このように考えるたびに、卓越した読書人にして書評家だった丸谷才一の仕事が、自分にとっていかに大きかったかを、いまさらながら実感しています。

さて、読み漁ったその書評の中にこんな書評(「出版ニュース」2010.2)がありました。

「林浩一著『漱石のサイエンス』(寒灯舎/れんが書房新社発売)B6判、201頁、1800円」についての書評なのですが、ごく短いので、全文を引用してみますね、

「夏目漱石はもともと科学に対する好奇心が旺盛で、しかも学究肌の人であったから、書物やその道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた。
そのため、漱石の作品には、科学の知識や方法論が活かされている、と物理学者である著者はいう。
例えば「猫」には、「首くくりの力学」という話が出てくる。
これは寺田寅彦から紹介されたイギリスの物理学の学術論文誌に掲載されたホートンの論文「首くくりについて」に影響を受けたもので、吊るし首はアングロ・サクソンにおける最も普通の処刑方法であることや、実際に12人の侍女たちを絞殺した方法が「猫」には、延々と引用されている。
そして最後には首をくくると身長が伸びるという話になるのだが、ここからは漱石の低身長コンプレックスが窺えると著者はいう。
その他、猫の宙返りから位置と運動のエネルギーの関係を考えていたことなども明らかにしている。」

なるほど、「吾輩は猫である」のなかに、「首くくりの力学」という話が出てくるというわけですか。

ふむふむ、「首くくり」と「力学」、言葉の組み合わせからしても、なんだか、とてもシュールで面白そうじゃないですか、それに語感がとても素敵です。

しかし、漱石が、「その道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた」とあって、その理由として、「学究肌の人」だったからと理由づけていますが、むしろ、漱石は、単に知識や情報を得るというだけでなく、苦笑してしまうほどの人間臭いブラックな部分に惹かれたのではないかという気がします、なにしろ「首くくり」と「力学」です。

これこそ「吾輩は猫である」の真骨頂たる諧謔精神じゃないですか。

さっそく、「検索」の誘惑に駆られましたが、それにしても、まずどこから攻めるのか、が問題です。

自分は、根はコテコテのアナログ人間(先端技術などには、到底アタマの方がついていけません)ですが、なにかする場合はオシナベテ簡便・簡略を旨とする面倒くさがり屋なので、そういう意味では堂々たるデジタル人間です、「クリック、クリック、大いに結構、けっこう、ケッコー、コケッコー、ワッハッハのハ」です、なんだかワケが分かりませんが。

そんなわけで、まず、寺田寅彦の線からいくことにしました。

以前、「寺田寅彦の映画論」を調べたことがあるので、その際に読んだ「寺田寅彦・森田草平・鈴木三重吉 集」(現代日本文学全集22・筑摩書房)が、机の上にそのままの状態であります。

読んだあと、いちいち片付けることをしないから、机の上がとんでもないカオス状態になってしまうのですよね、まさに女房の言うとおり、だらしなく積み上げられた本の谷間に身を捻じ込ませ、手探りでパソコンの在り処を確かめては、ずるずると引っ張り出し、ようやく文字を打っている始末です。

「寺田寅彦集」の目次をみれば、やはり、目指すは「夏目漱石先生の追憶」ということになるのでしょうね。

5頁ほどの短い随筆なので、ざっと走り読みしたところ、ありました、ありました。中程からやや後半にかけての部分に、こんなふうに書かれています。

「自分が學校で古いフィロソフィカル・マガジンを見て居たら、レヴェレンド・ハウトンといふ人の「首釣りの力學」を論じた珍らしい論文が見附かったので、先生に報告したら、それは面白いから見せろといふので、學校から借りて来て用立てた。それが「猫」の寒月君の講演になって現れて居る。高等學校時代に数學の得意であった先生は、かういふものを讀んでもちゃんと理解するだけの素養をもって居たのである。文學者には異例であらうと思ふ。」(「夏目漱石先生の追憶」より)

なるほど、「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」に「首釣りの力學」が引用されているというわけですね。

明確にこのように書かれているわけですから、ここは素直に「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」の箇所をすぐに当たればいいようなものですが、そこはホラ、根が不精者ですし、そのうえ天邪鬼ときています、そう簡単には素直に応じることができません。

そのうえ、なにより決定的なのは、当の「吾輩は猫である」を自分が蔵書として所有していないことが判明したのです。

一応、メディア・マーカーで自分のすべての蔵書を入力して管理(らしきことを)しているので、「ある・なし」は、すぐに確認できます。

検索を掛けても蔵書2000冊(この数字は、既に手放して「不在」の本も含まれていて、正確には「自分を通り過ぎた冊数」ということになります)の中には、「吾輩は猫である」は、ついに存在しませんでした。

夏目漱石を蔵書として持っていない読書人なんて、いったいなんなんでしょうね、そんな人がはたして読書人なんていえるのか、という感じです。

しかし、事実だから仕方ありません。

ないものは、図書館にいって借りて読むしかないのですから、あとで借りに行くとしても、とりあえず、図書館のホームペイジで「在庫」を確認しておくことにしました。

ふむふむ、なにしろモノが国民的文学の「吾輩は猫である」ですから、図書館にないわけがありません、調べるまでもなく当然のように幾冊もありました。

そうそう、ついでに思いついたことがあります、キイワード検索で「首縊りの力学」とダイレクトに入力したらどうでしょう、こりゃあ我ながらいいアイデアです。

敵の不意を突いて、本丸を直接叩くという奇策です、真珠湾奇襲攻撃です、まさにニイタカ山のトラトラトラなのであります。

そして、この検索の結果、ただの一冊だけヒットしました、「中谷宇吉郎集 第一巻」です。あっ、そうくるわけ。

この反撃で、奇襲もあえなく撃墜されてしまった感じです。

中谷宇吉郎といえば、寺田寅彦の愛弟子じゃないですか、それに、あの松岡正剛センセイの「千夜千冊」の栄えある第一夜は、中谷宇吉郎の「雪」で飾られていましたよね。

こうしては、いられません、さっそく自転車を走らせ、おっとりガタナで図書館に駆け込みました。

「まってろよ、いまいくぞ~!」ジャンジャジャ~ン

まず、「夏目漱石集(一)」(現代日本文学大系17 筑摩書房)を借りました。

ちょっと意外だったのは、日本文学全集の「夏目漱石集」と名がつく本なら、どれにも「吾輩は猫である」くらいは入っているに違いないと安易に考えていたのですが、いくら探しても、この「現代日本文学大系」以外には、見つけることができませんでした。

「坊ちゃん」は、必ず入っているのに、です。

そして、二冊目が、「中谷宇吉郎集 第一巻」(岩波書店)です。

多くの読者の手から手へ渡り歩いた人気のほどが「栄誉の汚れ」に感じられる「夏目漱石集」に比べると、いままで誰ひとり借り手がなかったのではないかと思えてしまうほど変に真新しい「中谷宇吉郎集 第一巻」(奥付には、2000年の発行と記されています。)を手に取り、さっそく目次を拝見しました。

まさに、そのまんま、「寒月の『首縊りの力学』その他」というタイトルで掲載されているではありませんか。

頁数でいえば、たったの8頁くらい。

寺田寅彦が亡くなった少しあとで、「吾輩は猫である」のなかに挿話として、漱石が「首縊りの力学」を取り入れたいきさつを、寺田寅彦から直接聞いた中谷宇吉郎が、後世に伝え残すために書いた随筆であると、冒頭に記されています。

本文をパラパラと走り読みしましたが、どうもダイジェストっぽい感じです。

さっそく貸し出し手続きをして、家に持ち帰り、二冊の本を左右に置いて一文一文対照してみることにしました。

まず、中谷宇吉郎集から、最初の節の解説を以下に示し、そのあとで、「吾輩は猫である」の該当する部分をお示ししたいと思います。

【中谷宇吉郎集】
「寒月君の演説の冒頭「罪人を絞罪の刑に処するということは重にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして・・・」というのは、論文の緒言の最初の数行のほとんど完全な翻訳である。以下猶太人中にあっては罪人に石を抛げつけて殺す話から、旧約全書中のハンギングの語の意味、エジプト人の話、波斯人の話など、ほとんど原論文の句を追っての訳である。わずかばかりの動詞や助動詞の使い方の変化によって、物理の論文の緒言が、寒月君の演説となって、「猫」の中にしっくり納まってしまうということは、文章の恐ろしさを如実に示しているような気がするのである。」

【上記に対応する「吾輩は猫である」の原文】
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくくり)は重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂(いわゆる)ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエジプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌ったように思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。
「これから本論に這入(はい)るところですから、少々御辛坊(ごしんぼう)を願います。……

なるほど、対照してみて、ようやく分かりました。

結局、中谷随筆は、原文をなぞって、「簡単にまとめてしまえば・・・ということです」と注釈を加えているにすぎません。

すばらしい漱石の原文が「そこ」にあるのに、なにもわざわざ「まとめたダイジェスト」を読まなければならないのか、極めて疑問に感じ始めてしまいました。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-07 19:43 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ②

なんだか相当遠回りをしてしまったようですが、結局のところ、最初から原典にあたった方がよかったということなのだと思います。
いや、最初からそうするべきだったのだということに、ここにきてようやく気がつきました。
アサハカでした。

【あらためて「吾輩は猫である」、寒月君の演説部分原文】
それから約七分位すると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌(えんぜつ)をするといふので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟(カラー)を聳(そび)やかして、男振りを二割方上げて、「少し後(おく)れまして」と落付き払って、挨拶をする。「先(さ)っきから二人で大待ちに待った所なんだ。早速願はう、なあ君」と主人を見る。主人も已を得ず「うむ」と生返事(なまへんじ)をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しませう」と云ふ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出なさるだらう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠(うちがく)しから草稿を取り出して徐(おもむ)ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願ひます」と前置をして、愈々演舌の御浚(おさら)ひを始める。
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくく)りは重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエヂプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌った様に思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなる様だが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「是から本論に這入(はい)る所ですから、少々御辛防(ごしんぼう)を願います。……
偖波斯人はどうかと申しますと是もやはり処刑には磔(はりつけ)を用いた様で御座います。但し生きて居るうちに張付(はりつ)けに致したものか、死んでから釘を打ったものか其辺(へん)はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈さうに欠伸(あくび)をする。「まだ色々御話し致したい事も御座いますが、御迷惑であらっしゃいませうから……」「あらっしゃいませうより、入らっしゃいませうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君(くしゃみくん)」と又迷亭が咎(とが)め立だてをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「偖愈本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞(ことば)を使って貰ひ度ね」と迷亭先生又交(ま)ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでせう」と寒月君は少々むっとした調子で問ひかける。「迷亭のは聴いて居るのか、交(ま)ぜ返して居るのか判然しない。寒月君そんな弥次馬(やじうま)に構はず、さっさと遣るが好い」と主人は可成早く難関を切り抜け様とする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭は不相変飄然(へうぜん)たる事を云ふ。寒月は思はず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用ひましたのは、私の調べました結果によりますると、オヂセーの二十二巻目に出て居ります。即(すなわ)ち彼かのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するといふ条(くだり)で御座います。希臘語(ギリシャご)で本文を朗読しても宜(よろ)しう御座いますが、ちと衒ふ様な気味にもなりますから巳めに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云はんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言はん方が奥床しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫も希臘語が読めないのである。「それでは此両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。
此絞殺を今から想像して見ますと、之を執行するに二つの方法があります。第一は、彼のテレマカスがユーミアス及びフヒリーシャスの援(たす)けを藉かりて縄の一端を柱へ括(くく)りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けて此穴へ女の頭を一つ宛入れて置いて、片方の端をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツの様に女がぶら下ったと見れば好いんだらう」「其通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括(くく)り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そして其高い縄から何本か別の縄を下げて、夫に結び目の輪になったのを付けて女の頸(くび)を入れておいて、いざと云ふ時に女の足台を取りはずすと云ふ趣向なのです」「たとへて云ふと縄暖簾(なわのれん)の先へ提灯玉(ちょうちんだま)を釣したような景色(けしき)と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云ふ玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺(へん)のところかと思ひます。――夫でこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云ふ事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云ふと「うん面白い」と主人も一致する。
「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋(つな)いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做(みな)し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論(もちろん)女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人(りょうにん)が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下(しも)のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐(お)って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体(てい)に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架(こうしゅか)即(すなわ)ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度(ふたたび)同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令(たとい)兇漢でも二度絞(しめ)る法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフヒツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生(おうじょう)さしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死に損(ぞこな)いだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊(くく)ると背(せい)が一寸(いっすん)ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥(くしゃみ)などはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらい背(せい)が延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目に極(きま)っています。釣られて脊髄(せきずい)が延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うより壊(こわれ)るんですからね」「それじゃ、まあ止(や)めよう」と主人は断念する。
演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊(ふうらいぼう)のような珍語を挟(はさ)むのと、主人が時々遠慮なく欠伸あくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁を振ふるったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れ様訳がない。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-07 19:38 | 徒然草 | Comments(0)

愛怨峡

ある人に指摘されるまで全然気がつきませんでした、無意識というのは、ホント恐ろしいものだなとつくづく感じたことが、つい最近ありました。

これまで、たぶん何年にもわたってだと思います、その人と何気なく映画のことについて、あれこれ会話を交わしている際に、自分が必ず溝口健二作品「愛怨峡」に言及したというのです、それも二度や三度のことじゃない。

自分では全然意識してなかっただけに、この指摘には驚きましたし、大変なショックを受けました。

それというのも、自分は、そのときまで、映画「愛怨峡」という作品をまだ見ていない状態だったからです。

では、それならなぜ(無意識にもせよ)その「愛怨峡」というタイトルを再三にわたって口にしたのかと推測すると、(もちろん、「愛怨峡」という字体の、見るからに妖艶な立ち姿にも惹かれたのですが)思い当たることといえば、ただひとつ、自分が所有している「日本映画作品全集」の最初の第1ページ「あ」の項目に、当のその作品が掲載されていて、つねに必ず目にしていたところから、いつも気になっていたのだと思います。

この本をつねに机の脇に置き、絶えず眺めている自分にとって、いわば座右の書といえる存在なのですが、この本を開くたび(たぶん習慣で、いつも、まずは最初の頁を開けているに違いありません)、そこに印刷されている「愛怨峡」の三文字が必ず目に止まって、そのたびに意識のどこかで、「これは、まだ見ていない作品だ」という密かな条件反射を繰り返していた結果、なんども意識のどこかに刻みつけられたものが、そんな形でジワジワ表出していたのかもしれません。

しかし、このときの「ショック」は、ただそれだけではありませんでした。

このように指摘されたあと、その友人は、さらに驚くべきことを口にしたのです。

「溝口健二の『愛怨峡』なら、you tubeでいつでも見られるよ」

まさに「えっ~!」でした。

さっそく、つねにデイバックに忍ばせて持ち歩いているタブレットを引っ張り出して、検索してみました。

そして、びっくりしました、あるわあるわ、なんだ、こりゃ、という感じです。

パッと見ただけで「虞美人草」「残菊物語」「マリアのお雪」「ふるさとの歌」「夜の女たち」「赤線地帯」「瀧の白糸」「山椒大夫」「東京行進曲」「噂の女」「折鶴お千」「女性の勝利」「歌麿をめぐる5人の女」「祇園囃子」「お遊さま」「女優須磨子の恋」「雨月物語」、そしてカノ「愛怨峡」です。

さらにスワイプすれば、まだまだゾロゾロありそうですが、いや、もうこれだけあれば十分です、よく分かりました。

その場でさっそく、「愛怨峡」の冒頭の部分をチラ見しました。

なるほど、なるほど、お客の立て込む旅館の台所とおぼしき場所で、若旦那の謙吉(清水将夫)と女中のおふみ(山路ふみ子)が、人目を忍んでなにやらヒソヒソと深刻な話を交わしている場面です。

おふみさんは「謙吉さん、みんな、あなたが悪いんだわ」てなことを言っていますから、さしずめこの色男に孕まされて、彼の不実をなじっているという場面でしょうか、フムフムよくあるパターンだな、こりゃあ。

島崎藤村をはじめとして、信州の人は、みんなスケベだから。

そうですか、なんか、面白そうじゃないですか。

ひとむかし前なら、フィルムセンターにでも行かなければ絶対に見られそうになかった貴重な作品ばかり、折角のキャブレット端末も自分などに持たせると、ただの小重たい役立たずのガラス板に成り下がるというわけです。

なんでいつも、こんなに重い物を持ち歩かなければならないんだと、ずっと厄介に思っていたくらいですから、宝の持ち腐れとは、まさにこのことで、これが「猫に小判」ということなのかもしれませんね。

我ながら、自分の迂闊さ、血のめぐりの悪さには、ほとほと呆れ返ります。

さて、念願の作品「愛怨峡」との出会いは、こんなふうに始まったのですが、作品の感想を書く前に、こんなサイトを見つけたので、紹介しておきますね。

題して「溝口健二監督の映画ランキング」。溝口健二監督の全36作品をランクづけしたものです。これによると・・・

1 残菊物語 1939 主演:花柳章太郎
2 瀧の白糸 1933 主演:入江たか子
3 西鶴一代女 1952 主演:田中絹代
4 近松物語 1954  主演:長谷川一夫
5 雨月物語 1953 主演:京マチ子
6 山椒大夫 1954 主演:田中絹代
7 お遊さま 1951 主演:田中絹代
8 祇園の姉妹 1936 主演:山田五十鈴
9 赤線地帯 1956 主演:京マチ子
10 浪華悲歌 1936 主演:山田五十鈴
11 夜の女たち 1948 主演:田中絹代
12 歌麿をめぐる五人の女 1946 主演:坂東簑助
13 噂の女 1954 主演:田中絹代
14 新・平家物語 1955 主演:市川雷蔵
15 武蔵野夫人 1951 主演:田中絹代
16 雪夫人絵図 1950 主演:山村聡
17 楊貴妃 1955 主演:京マチ子
18 愛怨峡 1937 主演:山路ふみ子
19 折鶴お千 1935 主演:山田五十鈴
20 虞美人草 1935 主演:夏川大二郎
21 元禄忠臣蔵 前篇 1941 主演:河原崎長十郎
22 藤原義江のふるさと 1930 主演:藤原義江
23 女優須磨子の恋 1947 主演:田中絹代
24 マリヤのお雪 1935 主演:山田五十鈴
25 名刀美女丸 1945 主演:花柳章太郎
26 女性の勝利 1946 主演:田中絹代
27 わが恋は燃えぬ 1949 主演:田中絹代
28 ふるさとの歌 1925 主演:木藤茂
29 元禄忠臣蔵 後篇 1942 主演:中村翫右衛門
30 宮本武蔵 1944 主演:河原崎長十郎
31 紙人形春の囁き 1926 主演:山本嘉一
32 浪花女 1940 主演:坂東好太郎
33 あゝ故郷 1938 主演:河津清三郎
34 団十郎三代 1944 主演:河原崎権十郎
35 露営の歌 1938 主演:山路ふみ子
36 必勝歌 1945 主演:佐野周二

この「溝口健二監督の映画ランキング」を眺めていると、単に世評の高い作品を頭から順に並べただけなので、なんの面白味も感じられません。

これじゃあまるで優等生を成績順に整列させただけの殺伐とした成績リストです。

ここには知的冒険など一切感じられないどころか、これではまるで選者の個性という主張がないじゃありませんか。

その証拠に「愛怨峡」が18位というのが、大いにおかしい。

36作品のちょうど真ん中ということは、つまり名作ではないけれど、駄作でもないという、いわば選者自身が判断を放棄して逃げをうつという姿勢を露骨に表している証拠です、それ以外には考えられません。

この作品の女優・山路ふみ子の豹変振りは、もっと評価されていい出色の演技です。

それも、捨て鉢とかやけっぱちからの他動的で軽々しい「豹変」じゃない、彼女は、子どもの養育費を稼ぐために、女の武器を十分に機能させる自発的な「豹変」であることを意識的に力強く演じており、「そこ」のところが、「愛怨峡」より上位にランクされている、いわゆる名作群とはちょっと異なるところです。

つまり「残菊物語」「瀧の白糸」「西鶴一代女」「近松物語」「雨月物語」「山椒大夫」「お遊さま」「祇園の姉妹」「赤線地帯」「浪華悲歌」「夜の女たち」の、時代や社会の制度、そして運命に翻弄され、いじめられるばかりの卑弱な女たちとは決定的に異なるのと同時に、そこが溝口作品らしくないと「愛怨峡」が疎まれ忌避されたところなのかもしれません。

実は、「愛怨峡」をyou tubeで見たあとで、そのままのノリで木村荘十二の「兄いもうと」1936も見てしまいました。

以前、成瀬巳喜男の「あにいもうと」1953の感想を書いたとき、機会があれば、木村荘十二作品も、是非見てみたいということを書きました。

いま考えると、成瀬作品において、兄・森雅之の演技があまりに強烈すぎて、受けに回る妹・京マチ子(こちらもかなり強烈な演技でした)の、森雅之の強烈な演技を受け止めるのが精一杯、あの場面の京マチ子はただただ振り回されているだけのように見えましたし、兄妹で言い争うクライマックスの修羅場があまりにも痛々しく激しすぎるために、それがいったい何のための罵り合いなのかまですっかり分からなくさせてしまったかもしれません。

見る側も、単なる「激しい応酬」に気をとられてしまって、兄妹の距離感とか、一家の物語の大切な部分(凋落)を見逃してしまっていたことを、この木村荘十二作品「兄いもうと」が明確に教えてくれました。

この物語は、奉公先で妊娠させられた妹が、そのことが原因で静かに・確実に身を持ち崩していく転落の姿を描いていて、家族もまた、なすすべもなくその転落を見守っていくしかないという、遣り切れない家族の失意と絶望を描いた作品だったのだと気がつきました。

妹の留守に、妊娠させた相手の学生が、彼女のその後の様子を気にして訪ねてきたことを母から聞かされた妹は、当初、その学生が、粗暴な兄と会わずに帰ったと聞いて、ほっと安心します。

あの乱暴者の兄のことだから、彼に会えばどんなことをするか分からないと心配したのです。

しかし、そのすぐあとで、兄の口から直接、帰り道で待ち伏せして野郎を半殺しの目に合わせてやったと聞きおよび、妹は「そんなことを、誰が頼んだ!」と逆上して、兄にむしゃぶりついていきます。

怒った兄も殴る蹴るの応酬があって、「さあ、殺しやがれ!」と妹は叫びます。

ふたりの諍いを呆然と見ていた老母は、娘のその姿を見て「大変な女におなりだねえ」と嘆きます。

なにも妹は、かつての恋人の学生をかばって、そうした修羅場を見せたわけではありません、もはやこんなにも身を持ち崩してしまった自分が、いまさらあの学生と、元の関係に戻れるなどとは少しも思っていないはずです。

もちろん兄の暴力の報復に「いらぬお節介だ」と憤りを感じたかもしれませんが、それとても彼女が逆上したことのすべての理由ではない。

むしろ、兄妹それぞれ、家族それぞれが、互いを深く思い合いながら、しかし、空回りするばかりで噛み合わないそのもどかしさ、これからどう生きていけばいいのか分からない不安と絶望、そうした互いの苛立ちを悲痛にぶつけ合ったのだと思います。

木村荘十二の「兄いもうと」は、その辺(家族の凋落)をしっかりと見せてくれました。

冒頭で、親方の老父が、多くの河職人の荒くれ者たちを荒々しく束ねて、激しい仕事に従事している労働の丹念な描写が的確で、どの子どもたちも、その無骨な父の粗暴さのもとで成長しながら、おそらく反発したり、ひねくれたり、同情したりしながら成人したのだということが、ストーリー全体をしっかりと覆っていて、それが十全に「効いて」おり、息子の荒くれ、長女の反発、次女の優しさの意味するところを、よく理解させてくれました。

わが「愛怨峡」もまた、優柔不断で不実な男に孕まされて捨てられ、転落のなかで生きる、いわば「大変な女におなりだねえ」という女性像を描いてはいるのですが、しかし、彼女は、ただ途方にくれるばかりの女では終わってはいません。

生きるために「大変な女」になった以上、彼女は決然と、どこまでも「大変な女」であることの誇りを抱いて、彼女の道を歩んでいくのだと、映画は幸福の余韻さえ込めて終わっているように見えます。

溝口作品としては、珍しく肯定的で「前向きな女性像」(そのラストも、ハッピーエンド風です)であることが敬遠されて、もし「18位」という低評価のランキングにつながったのだとしたら、その「判断」の在り方は、やはり誤っているというしかありません。

漫才の相方・河津清三郎が演じる鈴木が、復縁を求めて山路ふみ子に会いに来た若旦那・謙吉(清水将夫)に対し、彼のこれまでの不実をなじりながら、手荒くすごんで金品をもとめる脅迫の場面があります、そして実際に暴力を振るって警察に逮捕されます。

しかし、釈放された彼は、「彼女が宿屋の女将におさまって幸せになってくれればそれでいい。ああでもしなければ、ここから離れていく切っ掛けがつかめなかっただろう」と述懐しますが、ふみを思いやる彼のその密かな意図は、ラストで、どこまでも不甲斐ない謙吉の不実を見限って再び家を出る際のふみの怒りの言葉の中で、彼女もまた、自分のことを気遣い思いやってくれる鈴木の気持ちをまっすぐに受け止め、理解していたことが明かされます。

ふみは、再び鈴木とともに、みずからの不運な人生をネタにした漫才で客から笑いをとりながら、貧しい放芸人として暮らしていくに違いありません。

ぎりぎりの場所まで追い詰められた人間が、わが身の不幸や不運、あるいは不具を見世物として人目にさらして飯のタネにする下積みの人間の悲痛な強靭さを、溝口健二はまるで「希望」のように描いているのが鮮烈で印象的でした。

そういえば、この旅一座の閑散とした不入りの芝居小屋の寒々しい描写が素晴らしく、嬉々として自虐ネタを演じるふみの漫才を、恐る恐る物陰から盗み見る謙吉の怯えた表情の描写が圧巻です、これはのちの「赤線地帯」のラストに生かされたのかもしれません。

最近考えていることを、ひとこと書いておきますね、いわば蛇足です。

誰の証言だったか忘れてしまいましたが、「ある映画監督の生涯」のなかで、溝口健二のことを、「溝口健二は、本当の意味のリベラリストではなかった」とか「階級意識が強かった」とか「官尊民卑の思想が強かった」と評されている場面がありました。

たしか、文部大臣賞やベニス映画祭銀賞や紫綬褒章をもらうことを非常に喜んでいたという流れを受けての証言だったと思います。

なにをことさらに、そんなことを言わなければならないのかと、この場面を見るたびに、とても違和感を覚えました。

あたかも、あれだけ優れた作品を量産した溝口健二が、まさか・・・という感じで編集されているように感じたからです。

しかし、あれってむしろ逆じゃないのか、という気がして仕方ありません。

その証拠に、リベラルで、階級意識にも捉われず、官尊民卑の思想もない現代の映画監督たちが、溝口に匹敵するだけの仕事ができているかというと、そんなことはありません。

発想も枯渇し、映画への情熱もとっくに失せ、映写技術は格段の進歩を見せながら、映し出す作品は、どれも愚劣なものばかり、「映画」の発明以来、最大の危機を迎えているといってもいいくらいです。

その凋落の原因は明らかです、「リベラル」などという悪平等の幻想に呪縛され、「階級意識」や「官尊民卑」という公認されることの栄誉の喜びが支える「上昇志向」という倫理観をすっかり失って骨抜きにされてしまったために、その活力も共に去精されてしまったのだといえます。

むしろ、封建的で、階級意識にも捉われ、官尊民卑の思想にこだわって権力に弱く、しかし自分は天才だと思い上がる偏見だけを頼りにして(ときには、その妥協のなさが、「軍部への迎合」だったり、「戦後民主主義への妄信」のカタチをとることもあったにしても、です)優れた映画は、そのように作られ成り立ったのだということを、そろそろ気がついてもいい時期にきているのかもしれません。

ときはいま、溝口健二の再発見。

(1937新興キネマ・東京大泉撮影所)監督・溝口健二、原作・川口松太郎、脚色・依田義賢、溝口健二、台詞監督・水品春樹、撮影・三木稔、美術監督・水谷浩、衣裳・新興衣裳部、編集・板根田鶴子、近藤光夫、音響効果・杵屋正八郎、音楽・宇賀神味津男、助監督・高木孝一、関忠果、監督補助・寺門静吉 上砂泰蔵、助撮影・田島松雄、源佑助、堀越達郎、装置・川上栄、装飾・北川鉄治郎、録音・安藤彰、灘源太郎、照明・内田昌夫、阿部定雄、技髪・高木石太郎、美髪・桜井君子、漫才指導・奈美乃一郎、舞踊指導・ジョー・オハラ、ジャズ・コーラス・東京ロマンス・クラブ
出演・山路ふみ子(村上ふみ)、河津清三郎(流しの艶歌師・鈴木芳太郎)、清水将夫(旅館の若主人滝沢謙吉)、 三桝豊(謙吉の父安造)、明晴江(謙吉の母おしん)、加藤清一(おふみの伯父村上藤兵衛)、田中春男(謙吉の友人広瀬恒夫)、野辺かほる(その妻里子)、浦辺粂子(産婆村井ウメ)、大泉慶治(その夫浩太)、菅井一郎(街の紳士森三十郎)、大友壮之助(刑事新田格)、大川修一(よたもの小山譲二)、鳥橋弘一(講談師神田伯山)、田中筆子(万才師春廼家小春)、上田寛(万才師春廼家笑福)、ジョー・オハラ(小唄流行亭左松)、奈美乃一郎(浪曲師天広軒虎松)、滝鈴子(女道楽立花家歌之助)、
1937.6.17 帝国劇場/電気館/新宿大東京 10巻 2,498m  108分 白黒
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-04 10:01 | 映画 | Comments(2)

悼む人

月曜日から金曜日にかけて一週間に見た映画の中から、感動した作品ばかりでなく失望した作品も含めて、どうにか書けそうな作品を物色し、細々と感想を書いています。

一週間に一本くらいは「感想」をアップさせたいなと思いながら、結局それはあくまでも理想にすぎないことを証明するかのようなダレた映画鑑賞生活を送っているわけですが、思えば、ネタ探しをしながら映画を見るなんて、映画鑑賞者として、ずいぶんな邪道を走っていると、我ながら呆れかえります。

しかし、見てからすぐに書き始めるなどという器用なマネなど到底できませんので、どうしても更に一週間とか二週間くらい「寝かせる時間」が必要になり、実際のアップはさらに遅れ遅れになってしまうというのが現状です(まさに、アップアップ状態ですね)。

その、書くことの苦行に比べたら、(当たり前ですが)見る方が遥かに楽なので、どうしても鑑賞過剰状態になってしまいます。

それに、あまりにも見る本数が多くなりすぎると、印象の薄い作品など、それでなくとも細かい部分はハシから忘れてしまうくらいですから、ややもするとストーリーまですっかり忘れてしまうという惨状を呈することもあります。

必死に集めたネタのカケラだけが空中分解して取り留めなく飛び散り、収拾のつかない精神混迷錯乱状態に陥ってはじめて、本来の映画鑑賞の楽しみから自分がすっかり逸脱していることに気がついて、そのたびに慌てて反省し軌道修正(感動を素直に書く)をしたり、原点(映画を愉しむ)返りを図ったりして、どうにかココロのバランスをとりながら、土曜日と日曜日のどちらかは、時間をみつけて、できるだけパソコンの前に座るようにしています。

こうした霞みかけた危うい記憶に基づいて「書く」ことのしんどさ・辛さに比べたら、その前段階での、どの作品を書こうかと思いをめぐらす「作品選び」は、まさに至福の時間といえます。

今週の候補作品は、「悼む人」(堤幸彦監督2015))と「海街diary」(是枝裕和監督2015)、そして「奇跡の2000マイル」(ジョン・カラン監督2013)でした。

これらの候補には入れませんでしたが、「恋はハッケヨイ」(イモジェンキンメル監督1999、日本の大相撲を扱っています)というイギリス映画も見ました、これがなかなかの拾い物で、予想に反したそのキュートさには、ちょっとウルウルさせられるものがあって、はからずも感動してしまいました。

そうそう、以前イギリス留学したという女の子から聞いた話ですが、イギリスでも(ロンドンに限ってだと思いますが)かなりの日本ブームらしく、意味の分からない日本語が大受けして(だぶんそのエキゾチックな響きからだろうと思います)クールに捉えられ、例えば、あの「スーパードライ」をロゴとして「売り」にしているファッションブランドが人気を博しているのだそうです。

商標とかの権利関係の方がどうなっているのかまでは聞きませんでしたが。

そういえば、以前、片言の日本語を話す外国人と話していて、こちらが「ちょいちょい」とか「てきぱき」などという何気ない言葉を言うたびに「なにそれ?」と興味深そうに反応し、大受けしたことを思い出しました。

日本人が何気なく使っている言葉も、外国人が聞くと奇妙で不思議な響きに聞こえるのかもしれません。

そういうブームのなかで日本の大相撲もかなり正しく理解され(ひと昔前なら、せいぜい顔に歌舞伎の隈取りを施したスモウ・レスラーだったものですが)受け入れられ、根強い人気があることを、この映画からも雰囲気として感じ取ることができました。

しかし、この「恋はハッケヨイ」、いかにも一昔前のゲテモノ映画でござい、の線を受け継いだ投げやりな題名がイケマセン。

これさえなければ、見る前から変な先入観もなく、少しは緊張して見ることができたのではないかと思うと、なんだかとても損をしたような気分になりました。

それにしても、こうした題名のハンディを乗り越えても、肥満コンプレックスを日本の相撲の精神性(心技体)によって立ち直らせ、みずから幸福を掴み取るという女性の、高潔なチャーミングさ(必ずしも「美しさ」だけが女性の価値ではない、という)は、大いに感じることができました。

さて、感想書きのための「作品選び」の方です、まず「奇跡の2000マイル」(ジョン・カラン監督2013)ですが、自分などには決して出来ないくせに、放浪への憧れ(コンプレックスです)が強いせいか、むかしから、ロードムービーというと、どうしても見ずにはいられません。

実は、学生時代に購入して以来、現在も捨てずに、いまだ持っている最後の一冊というのが、アルチュール・ランボオ「地獄の季節」(岩波文庫、小林秀雄訳)です。

放浪のどこに惹かれるかというと、たぶん、流れ者として眺める寒々しい風景と、その精神性の「荒涼」と「喪失感」、そして「沈黙」だと思います。

しかし、現実生活で当然に求められる「良識」と「定着」に捉われ、べったりと根を下ろしてしまった家族持ちの自分には、いずれも、すっかり失ったものであり、今更どうにかなるようなものではありませんが、だから尚更自分にとってのロードムービーは、特別な意味があるのだと思います。

駱駝4頭を引き連れてオーストラリアの砂漠3200Kmを踏破する24歳の女性を描いたこの作品、ヴェンダース作品のような「ワビサビ」の味わいには欠けるものの、そんな薄っぺらな批評眼などどこかに放っぽって、ただただ憧れと羨望の気持ちで、映し出される荒涼とした風景をひたすら愉しむことができました。

ですので、この作品に対して批評とか感想などは、もとより試みようとは最初から考えていません。
残る候補作品は、「悼む人」と「海街diary」ですが、理解度と書き易さからいえば、それは圧倒的に「海街diary」の方でしょう。

しかし、長女・香田幸が、奔放に生きた親たちの、しかし、あまり幸せそうでもない晩年を見据えて、最後には「家族を選択し、妻子ある恋人と別れる」というストーリーを順に追っていけば、どうしても、そこには「とても感動しました」というしかない隘路に追い込まれる嫌な予感がします。

実は、そういうのが、自分はすごく苦手なのです。

映画を見始めるとき、いつもこんなことを感じます。

ストーリーは最初、どのように発展してもいいような色々な可能性を持っています。

主人公がこれから誰を愛そうが、どこに旅に出ようが、どの大学を受験しようが、はたまた殺人を犯そうが、どうなるかは、まだ分かりません。

しかし、物語が徐々に進行するにつれて、選択肢がどんどん減っていく。

最愛の恋人が難病にかかって死ぬとか、マフィアの縄張り争いで殺し合いをするとか、火星から宇宙人が攻めてきて地球防衛軍が反撃するとか、走り始めたストーリーは、どの方向に走ってもいいかのように見えますが、実はそうじゃない。

走り始めてしまったら、走る瞬間瞬間にも、ストーリーの進行はそのたびに限定され、同時に発展の余地をどんどん失い狭めながら、最終的に決められた唯一の場所に落ち着くしかない。

それは、例えていえば、「詰め将棋」のようなものではないかと考えたりすることがあります。

では、「海街diary」において、妻子ある男から誘われるままに、長女・香田幸が愛する男とアメリカへ同行するという、本編とは真逆の線は絶対に有り得なかったかというと、あってもよかったかもしれませんが、しかし、そうした場合、感動の方はどうなるワケ?ということになります。

姉妹の前に親たちが犯した「あやまち」の結晶のような薄幸の腹違いの妹すずが登場し、姉妹それぞれのすずに対する哀れみや愛おしさが、たぶん「アメリカ行き」を許さない(王手飛車取りみたいな)位置に効いていて、長女・香田幸は、最後には家族を選択する(すずの行く末を見守る)しかないように進行するのが、やはり自然で最良の「納まり方」だったのだと思います。

最初、まったくの自由であるはずのストーリーが、まるで決められた線路(が存在するかのように)の上を脇目も振らずひたすら疾走する、その隙のない見事な疾走振りを持つ映画こそを、僕たちは「名作」と読んでいる作品なのではないか。

それに反して、ストーリーが脇道に逸れたり、脱線したりする映画、例えば、不倫をして周囲も自分も散々不幸に陥れた親のダラシナサを憤る娘の十分な意思説明がないまま、彼女もまた不倫という同じあやまちを犯すとしたら、それはやはり「名作」と呼ぶには相応しくない作品と言うことになるだろうと思います。

「海街diary」という作品が名作であるのか、そうでないのかは自分には分かりませんが、すくなくとも決められた「線路」の上を整然と走るような「名作」風な作品が、かえって自分にはとても苦手としている部分でもあることを、この作品を見ながら感じました。

それに比べたら「悼む人」はどうでしょうか。

はっきり言って、自分の中では、この映画が押し付けようとしている「悼む」という行為に対して、いくら説明されても、いまだに「大きなお世話じゃないか」という思いが強く、納得できていません。

さらに、生前の悪行もよく知らないくせに、「極悪人」に対しても、「善人」と同じように悼んだりしていいのか、という疑問からも自由になれていません、要するにこの作品の存在そのもの・在り方自体が甚だ疑問なのです、押し付けがましい安手のエセ新興宗教じゃあるまいし。

この「悼む人」という作品は、小説では通用するかもしれない言葉の波状攻撃によって成立する「言いくるめ」の詐術というものが、すべてを見せてしまうリアリズムを旨とする映画においては、「その手」が通用しないことを如実に証明した映画だったと思います。

この作品には、自分には納得も解決もできないこの「甚だ疑問」が、至るところに存在していて、最初、いざ感想を書くとしても、どこから「否定」を書き始めていいのか、取っ掛かりが掴めずに躊躇していました。

しかし、大切なことは、もっともらしさの仮面を被った納得できない部分を捉えて、この物語の「偽善」や「破綻」を白日の下に引きずり出すことだと思ながら映画を見続けました。

そして、その「破綻」は、ラストにありました。

その部分の「あらすじ」を以下に引用してみますね。

《家庭内暴力を受けた女性をかくまって「仏様の生まれ変わり」とまでいわれた夫・甲水朔也(井浦新)を殺害した奈義倖世(石田ゆり子)は、裁判で嘱託殺人であることを認定され4年の刑期を終えて出所します。
しかし、身寄りがなく行くあてもない倖世には夫の亡霊が取り付いていて「死んでしまえ」と、常に肩口から語りかけてきます。
衰弱し、生きる気力も失せて途方に暮れた倖世は、(たぶん、死ぬつもりで)二度と足を踏み入れないと決めていた東北の町(かつての殺害現場)を訪ね、そこで亡き朔也を悼む静人と出会います。
動揺する倖世に、静人は「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか。誰かに感謝されたことはあったでしょうか」と問いかけます。
静人の真意を測りかねた倖世は、訝りながらも、この奇妙な「悼む人」に惹かれて、夫殺しの事実は隠したまま、静人のあとを付いていきます。
そして、夫の亡霊から逃れられないと知った倖世は絶望し、橋から身を投げて自殺を試みますが、静人に制止され、思いを吐露した2人はお互いを求め合います。
静人とのsexのあと、夫の亡霊から解放されたことを始めて知った倖世は、静人と別れて旅立ちます。》

倖世から不意に別れを告げられた静人の戸惑いの表情が、とても印象的でした。

そりゃあ誰だって、あのsexによって倖世と静人は固く結ばれ、これから行動を共にすると考えるのが当然で、映画もそういう描き方をしていたはずと考えたのは、倖世の別れの言葉を誰もが「唐突」と感じたことにでも明らかです。

それに、このラストで、自分が抱いていた数々の疑問が、すべて解決されたといえるのだろうかと、しばらく考え込んでしまいました。

当初、倖世が抱いた静人の「悼む」行為への疑問(それは「いまだ」観客すべての疑問でもあったはずです)は、彼とのsexや、その結果、夫の亡霊が消失したことによって、静人の「悼む」行為自体は不問、疑問とするほどのことではなかったのだと、この物語は語りかけているのでしょうか。

もしかしたら、倖世の突然の立ち去りは、静人の「悼む」行為への静かな拒絶の意思表示ではなかったのか、その愚劣なエセ宗教活動を続ける静人への嘲笑と侮蔑であったのなら、少しは理解ができるのですが、とさえ考えてしまいました。

それならば、この映画が始末の悪い駄作中の駄作かというと、そんなことはありません。

奈義倖世の、どうような環境・状況に置かれても、あらゆる形の「いじめ」を呼び込んでしまうような歪な人間像として描かれていることに惹かれました。

いじめられてしまうような人間は、彼女自身マゾヒスティックな特殊なオーラを発していて、虐待される宿命であり、彼女もそれを望んでいて、あたかも虐待者を蝟集させる能力があるかのような描かれ方をしています。

歪んだ映画には、歪んだ人間像が描かれて当然なのかどうか、誰も問題視しようとしないことが、どうしても不思議でした。

この映画を見ながら、むかし見た映画を思い出しました。

「風流温泉 番頭日記」(青柳信雄監督1962)です。

旅館の番頭さんの話で、確か井伏鱒二の原作だったと思いますが、無能よばわりされていた番頭が失踪し、その後田舎のある旅館で再会したときは、とても有能な支配人になっていたというそれだけのストーリーでした。

しかし、環境を少し変えただけで、人間は大きく生まれ変われるのだと教えてくれた忘れられない素晴らしい映画でした。

(2015東映)監督・堤幸彦、原作・天童荒太『悼む人』(文春文庫刊)、脚本・大森寿美男、製作代表・木下直哉、エグゼクティブプロデューサー・武部由実子、長坂信人、プロデューサー・神康幸、音楽プロデューサー・茂木英興、協力プロデューサー・菅野和佳奈、ラインプロデューサー・利光佐和子、撮影・相馬大輔、照明・佐藤浩太、録音・渡辺真司、美術・稲垣尚夫、装飾・相田敏春、編集・洲崎千恵子、音楽・中島ノブユキ、記録・奥平綾子、Bカメラ・川島周、現場編集・似内千晶、VFX・浅野秀二、音響効果・壁谷貴弘、助監督・日高貴士、制作担当・篠宮隆浩、監督補・高橋洋人、主題歌・熊谷育美「旅路」(テイチクエンタテインメント)、企画協力・文藝春秋、特別協力・朝日新聞社、製作・キノフィルムズ、製作プロダクション・オフィスクレッシェンド、製作委員会・「悼む人」製作委員会(木下グループ、オフィスクレッシェンド)
出演・高良健吾(坂築静人)、石田ゆり子(奈義倖世)、井浦新(甲水朔也)、貫地谷しほり(坂築美汐)、山本裕典(福埜怜司)、麻生祐未()、山崎一(沼田雄吉)、戸田恵子(比田雅恵)、秋山菜津子(尾国理々子)、平田満(坂築鷹彦)、椎名桔平(蒔野抗太郎)、大竹しのぶ(坂築巡子)、眞島秀和、大後寿々花、佐戸井けん太、甲本雅裕(水口)、堂珍嘉邦(弁護士)、大島蓉子、麻生祐未(沼田響子)、山崎一(沼田雄吉)、上條恒彦、
138分 公開: 2015年2月14日
受賞・第28回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(2015年)、主演男優賞(高良健吾)『きみはいい子』と合わせて受賞。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-30 18:56 | 映画 | Comments(0)
寝るにはまだ早く、少しだけ起きていたい就寝前の中途半端な時間つぶしに、ネットサーフィン(この言葉、いまではすっかり聞きませんが)をしています。

だいたいは、最近の映画の予告編を見たり書評を読んだりとか、あるいは、思いつくままに適当な「キイワード」(だいたいは、芸能関係の話題が多いのですが)を打ち込んで、ヒットした情報を走り読みしているうちに(運が良ければ)、だんだん眠気がさしてきて穏やかな眠りにつけるという、ちょうどいい睡眠導入剤になるので、いまではすっかり一日の終わりには欠かせない習慣になっています。

しかし、就寝前のほんの数十分間とはいえ、芸能人のゴシップを追いかけて、時間の無駄遣いをしていたら、なんだかとても空しい気持ちになってしまったので、そこでハタと考えました。

普段では、なかなか検索できないような、なにか実になるテーマを考えてチョコチョコ調べてみようかと。

思いついたのが、「映画監督シリーズ」でした。

小津・成瀬・黒澤のお約束の御三家から始まって、お気に入りの清水宏、山中貞雄、そして思いつく限りの映画監督を片っ端から検索してみました。

やはり、すでに知っていることもありましたし、未知の事実もありましたが、総じて、映画監督という人たちの情報は、小説家などに比べると、段違いに乏しいことを実感しました。

なかには、これでは芸能人のゴシップとあまり変わらないではないかという酷いのもあり、わが「映画収集狂」の書き込みが、この空白を少しでも埋めることが出来ればと考えたりもしました。

おもだった映画監督をひと当たり検索したあとで、世界および日本の「古典映画作品」を検索してみました。

ここもやはり、すでに知っていることもありましたし、未知の事実もありましたが(成果は、少しずつブログに反映していくつもりです)、総じて、主演スターの浮名とか「あらすじ」程度のことしか触れていない貧弱な内容のものが多く、例えば、その作品が世界の映画史の中でどういう位置づけになる作品かなどという大局に立ったものがまるでないのが寂しくて、なんだかがっかりしてしまいました。

その次が「日本の小説家」の検索を試みました。かつて、その一人として藤澤清造を調べ、その成果をまとめてブログにアップしたこともあり、その過程で分かったことですが、自分の好みが「私小説作家」やその作品にあるらしいことに気がついたのでした。

露悪的な自然主義文学の影響を受けながら、その申し子のような存在である「私小説作家」たちは、まるでなにかの「業」に憑かれたかのように貧困に耐え、その自傷的・自嘲的なスタイルを保ちながら、不運な宿命と格闘した(あるいは無様に逃げ回った)彼らの悲壮な生き様と、それを痛切に綴った小説には、強く心惹かれるものがありました。

岩野泡鳴、近松秋江、水野千子、素木しづ、田村俊子、葛西善蔵、嘉村礒多、北条民雄、梶井基次郎、小山清など、就寝前のひとときの「検索」としては、かなり刺激の強い作家たちの悲痛な生涯ではありましたが。

そんなある夜、やはりなかなか寝付けないので、布団から抜け出てパソコンの前に座り、一度切った電源を入れ直して、さて、今夜はどういう言葉を打ち込もうかと暫し考えていたら、そうそう、そういえば、まだ「世界文学」というのを試みていないことに気がつきました。

自分の蔵書としては、中央公論社が昭和40年代に出版した朱色の装丁の「世界の文学」(世界文学全集もので最も売れたシリーズと聞いています)が、飛び飛びにですが、書棚に並べられています。

そして、その第1巻が「シェイクスピア」、数々の名作戯曲が福田恒存の名訳で収められています。

「生か、死か、それが疑問だ。どちらが男らしい生き方か、じっと身を伏せ、不法な運命の矢玉を堪え忍ぶのと、それとも剣を取って、押し寄せる苦難に立ち向かい、止めを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。」という例のアレです。

かつては、ハムレットのこの台詞を暗記しようと、「シェイクスピア戯曲集」をどこにでも携帯して、まるで英語の辞書かなにかのようにチラ見しつつ、ブツブツ暗唱したものでした。

そのうちにハムレットのその頁の部分だけがいやに目立って変色してしまったのを覚えていますが、そういえばあの本、いつの間にか失くしてしまいました。

さて、打ち込むキイワードは、「シェイクスピア」と決まりました。

とにかく世界の「シェイクスピア」です、その情報量たるや、もの凄いものがあり、目の前に展開する洪水のような情報量を見ると、根が天邪鬼にできていて、どうしても素直になれない自分のことです、「5飛び検索」「10飛び検索」などというトンデモナイことをやらかしたりします(始めの方でヒットした情報の方が、よほど重要なのに、です)。

しかし、こういう天邪鬼の検索が逆にラッキーな事態を呼び寄せるコトだって、ないわけではありません。

そのときが、ちょうど「そう」でした。

こんな記事に遭遇したのです。題して「王は車輪の下に眠る」。シェイクスピアの戯曲にもあるあの有名な「リチャード3世」の遺体が発見されたという事件の顛末と、その埋葬に関するいきさつが記されている小文でした。

以下、要約して紹介しますが、要約できない部分は、極力「原文」を尊重して引用しながら紹介しようと思います。

そうそう、その前に、あの「世界の文学 第1巻・シェイクスピア」の巻末の解説で、リチャード3世の人間像をどのように紹介しているか、その部分を転写しておきますね。

《なるほど、リチャードは徹底した悪党である。同じ王位簒奪者でもマクベスのほうがまだしも人間味を残している。しかし、リチャードの性格は、決して単なる類型ではない。彼にはマクベスにない魅力がある。それは、彼が権謀術数に徹したマキャヴェリアンであり、びっこでせむしという不具者でありながら、なかなかの芝居上手だということだ。しかも、彼は冗談や皮肉を弄ぶ明るい意識家である。偽善の面をかぶりはするが、自分が偽善を演じていることを隠そうとはしない。少なくとも、自分に向かって、それをはっきり意識していることを示さずにいられない皮肉屋なのだ。・・・つまり、この劇には、個人の意思を越えた大きな運命の流れが一貫していて、自分だけはそれから免れると思っていた人々が、次々とその罠にかかる。そして、他人のみならず自分の運命さえ操れると思っていたリチャードが、最後に、最も完璧に、自分の破滅によって運命の存在を証明する。そういう悲劇的アイロニーそのもののために、この作品は書かれたといえよう。》

さて、「リチャード3世」の遺体発見の顛末と、その埋葬に至る概要を紹介する前に、「悪名高き王・リチャード3世」が殺されるまでの歴史的背景をシェイクスピア史劇をとおしてざっとおさらいしておきたいと思います。

リチャード3世(Richard III, 1452.10.2 – 1485.8.22)は、英国中世末期(在位1483−85)、プランタジネット王朝最後のイングランド国王、薔薇戦争の最後を飾る王である。

エドワード3世の曾孫ヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリー・ネヴィルの八男で、即位前はグロスター公に叙されていた。

戦死した最後のイングランド王であるが、他に戦死した王は1066年にヘイスティングズの戦いで敗死したハロルド2世と、1199年に矢傷がもとで死亡したリチャード1世がいるのみである。

1484年1月に王直属の機関として紋章院を創設したことでも知られる。旗印は白い猪、銘は”Loyaulte Me Lie (ロワイヨテ・ム・リ)”で意味は、古いラテン語で「忠誠がわれを縛る」。

在位中に年代記が編纂されなかったため、その人物像には多くの謎が残されていますが、一般には、彼の名を冠したシェイクスピア史劇によって知られており、狡猾にして冷酷な肉親殺しのイメージが定着しています。

それは、シェイクスピアが、リチャード3世を、背むしの醜悪な容姿を持ち、その自虐的な反抗心から、邪悪な隠謀を企み、王位を簒奪するために目的のためには手段を選ばぬ、奸智に長けた残忍狡猾な人物として描いたからでもあります。

史劇の舞台は、ヨーク王家が骨肉の王統争い(いわゆる薔薇戦争)を制して王権に返り咲き、ようやく平穏が訪れた中世イングランド、おのれの醜悪な容姿を嘆くグロスター公リチャードは、美丈夫の長兄・国王エドワード4世を妬み、密かに王位簒奪を狙っています。

リチャードは、謀略を巡らし、王位継承権を持つ次兄・クラランス公ジョージを冤罪に陥れて刑死させ、手練手管を弄して、薔薇戦争の仇敵ランカスター王家の未亡人アンと結婚して、彼女が相続する広大な所領を手に入れます。

リチャードは,国王エドワード4世が亡くなると、その息子であり、当時12歳で王位を継いだ王子エドワード5世の後見人となり、叔父として摂政(護国卿)に就任しますが、その後、突如、態度を豹変させて、王子の側近を次々と処刑したうえ、前王の結婚は重婚ゆえに無効であると宣言し、エドワード5世を廃位に追い込みます。

そして、幼いエドワード5世とその弟王子をロンドン塔に幽閉したのちに、密かに殺してしまいます。

こうして、彼は、ついにリチャード3世として王冠をわがものとします。

しかし、そのわずか2年後、フランス亡命中のヘンリー7世(テューダー王朝の祖)の旗の下に反乱軍が蜂起し、ボスワースにて軍勢が相まみえると、リチャード3世は,味方の思わぬ裏切りにあって敵に追い詰められ、落馬してしまいます。

「馬を持て、馬を! 馬を! 代わりにこの国をやるぞ、馬を持て、馬を!」リチャード3世はこう叫び、戦場で壮絶な最期を遂げます。

このようなシェイクスピア史劇のイメージにより、おのれの野望のためなら幼い肉親をも躊躇なく殺してしまう悪人像が作り上げられ、世界中に広く知れ渡りました。

しかし、一方で、こうしたリチャード3世の悪評は、新王制のテューダー王朝によるプロパガンダの産物にすぎないという見方もあります。

シェイクスピアの史劇は、テューダー王朝時代に編纂された年代記に基づいており、また、シェイクスピア自身も同時代の王室の庇護を受けたお抱え劇作家だったため、旧王朝の君主リチャード3世を殊更におとしめ、一方で、テューダー王朝の正統性を過度に強調しているというのが定説です。

リチャード3世の評価について、18世紀には、歴史学者による見直し論が展開され、1924年には、歴史的な名誉の回復を目指して、愛好家らが「リチャード3世協会」を設立しました。

リチャード三世による次兄および甥らの謀殺が史実であったかどうかについての議論は、いまだ決着を見ていません。

しかし、リチャード3世が、短い在位中に多くの治績を残したことは、広く知られています。

例えば、リチャード3世は、王が議会の承認なく徴収していた徳税(強制献金)を廃止する法律を作りましたし、公正な取引を担保するため、新しい計量基準を導入したり、財産権の登録も義務付けたりしました。

さらに、彼は、刑事司法制度改革にも取り組み、有罪判決前の私有財産の没収を禁じ、重罪の被告人に対する保釈制度を新設したほか、当時陪審員への賄賂、買収が横行していたことから、陪審員に対して最小限の資力要件を課すことも決めました。

また、リチャード3世は、請願裁判所(Court of Requests)も創設しようと試みたのですが、議会の承認を得られずに、実現には至りませんでした。

こうした功績を虚心に見れば、リチャード3世が、かなり進歩的なリベラル思想を持ち、優れた行政手腕を発揮した名君であったことが考えられます。

リチャード3世の亡骸の行方については諸説あり、ボスワースからレスターに運ばれたところまでは判明しているものの、その後ソアー川に投げ捨てられたとする説や、簡略な葬儀を経て修道院に埋葬されたとする説などの言い伝えがあるのですが、その修道院も宗教改革の際に取り壊されてしまっており、長いあいだ人々の記憶から失われていました。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-30 18:51 | 映画 | Comments(0)
しかし、21世紀に入り、リチャード3世の遺体発見に情熱を燃やす一人の女性が出現しました。

「リチャード3世協会」会員のラングレイ女史です。

彼女は、独自に初期研究に取り組み、言い伝えにある修道院の跡地が、現在のレスター市役所の駐車場に位置していることを突き止めました。

2011年、女史は、レスター大学考古学研究チームの協力を得て、駐車場の発掘調査を実現しようと関係機関との折衝に奔走します。

この段階では、女史を除く誰もが、まさかリチャード3世の遺体の発見など絶対にあり得ないと考えていました。

ところが、レスター市から地盤掘削の許可が出され、2012年8月24日、駐車場の掘削作業が開始されると、掘り始めたその日のうちに人骨が発見されました。

すぐに、レスター大学は、遺体発掘を行うために、法務大臣に対し、法定の許可申請を行いました。

申請書には、本件調査目的がリチャード3世の遺骨発見にあること、発掘された遺骨は(それが誰の遺骨であれ)市立博物館に収蔵することが記載され、さらに、万が一、リチャード3世の遺骨が発見されるという事態が生じた場合、発掘後4週間以内にレスター大聖堂に埋葬する旨が付記されていました。

この申請を受けた法務大臣は、同年9月3日、市立博物館への収蔵ないしレスター大聖堂への埋葬を条件として、遺体発掘許可を与えました。

9月5日、早速遺骨が発掘されると、そこに脊椎側彎症(背骨の湾曲)の痕跡や多数の戦傷痕が見つかり、リチャード3世の遺骨である可能性大であることが判明します。

そして、レスター大学(University of Leicester)が遺骨のDNA鑑定を実施した結果、カナダに住むリチャード3世の姉の子孫から採取されたDNA型と合致することが確認されました。

のちに、英医学専門誌ランセット(Lancet)に掲載された遺骨の検視に関する論文を通じて、これまで論争の的になってきたリチャード3世の凄惨な最期・1485年8月22日、イングランド中部レスターシャー(Leicestershire)州での「ボズワースの戦い(Battle of Bosworth Field)」で死亡の状況が明らかにされました。

軟部組織が残っていないリチャード3世の場合、分析の対象となったのは遺骨のみで、チームは切り傷や擦り傷、刺し傷など遺骨に残された痕跡を当時の武器が人体に与える損傷と比較して、死亡した当時の状況を推測した。

ランセットに掲載されたレスター大の論文によると、リチャード3世の頭部には致命傷となったもの以外に、絶命直前のものとみられる損傷が9か所みられる。致命傷となったと考えられる2か所については、その痕跡から鋭利な武器が頭蓋骨を貫通して脳にまで達していた。

その他、胴体部分にも傷が2か所あったが、これは死後に鎧を引きはがされた後にできたとされる。

ぬかるんだ地面にうつぶせにされ、鎧も剥がされ兜も着用していない頭部への攻撃で、鋭利な武器が脳を貫通したための死亡が確認されました。当時32歳。

レスター大考古学チームの病理学者ガイ・ルティ(Guy Rutty)氏によると、リチャード3世が頭部に受けた損傷が示唆するものは、当時の戦いで「敗者はうつぶせにさせられた」との考察と一致するという。また同大のサラ・ヘインズワース(Sarah Hainsworth)氏は、遺骨の傷の状況から、複数の敵に襲撃されたと推測している。

シェークスピアの戯曲では背骨が湾曲し、権力に飢えた残忍な人物として描かれるリチャード3世だが、現代の研究ではリチャード3世を倒して台頭したテューダー(Tudors)朝によって本来の姿が歪曲されていることが分かっており、現代に伝えられているシェイクスピア史劇とは異なり、その死体の傷から推察するに、リチャード3世が勇猛果敢な戦士でもあったことがうかがえるとされた。

レスター大学は、2013年2月4日、リチャード3世の遺骨であることが証明されたとして、レスター大学、レスター市及びレスター大聖堂の3者で、レスター大聖堂に遺骨を埋葬することを合意した旨を発表しました。

500年前の国王の遺骨発掘は稀代の歴史的発見であり、レスター市民のみならず、英国中が大きく湧きました。

ところが、この段階になって、リチャード3世の埋葬場所をめぐり、イングランド北部の古都ヨークから思わぬ物言いがついたのです。

ヨーク市は、リチャード3世の遺骨をヨーク大聖堂(ヨーク・ミンスター)に埋葬すべきであると主張しました。

ヨーク市によれば、リチャード3世は少年期をヨークシャーで過ごし、婚姻後はその領主となったほかに、在位中にも何度もヨークを訪れており、ヨークは彼の権力基盤である場所であり、一方、レスターは、たまたまリチャード3世が絶命した戦地に近かったというだけのことにすぎないのだから、ヨーク王家最後の国王の埋葬地としてふさわしいのはレスターではなくヨークであるというのです。
ヨークとレスターの対立は国会での議論にまで波及し、同年3月12日、この問題について国会議員によるディベートが行われました。

しかし、それでも、法務大臣は、遺体発掘許可及びその条件の見直しをしません。

こうした混乱が続くなか、ヨークへの埋葬を求める一部の子孫ら(リチャード3世の16代目の姪孫等)は、非営利法人を設立したうえ、2013年5月3日、司法審査を請求しました。

彼らは、
①法務大臣が意見聴取手続を経ずに遺体発掘許可を出したこと、
②遺骨がリチャード3世であることが判明した後も、法務大臣が意見聴取手続をせず、遺体発掘許可の条件(埋葬場所)変更を再検討しなかったこと
などが違法であると主張して争いました。

一般に、英国の司法審査請求は、政府や地方公共団体その他公法的機能を有する機関の決定、作為及び不作為を対象として、公的機関に対する法的義務の強制履行命令(mandatory order)、違法行為の禁止命令(prohibiting order)ないし差止め(injunction)、違法な決定の取消命令(quashing order)、または、法律関係を確認的に宣言する判決(declaration)を求める訴訟手続です。

司法審査の手続は、許可と聴聞の2段階に分かれており、実質的審理に進む前に裁判所の許可を求めることにより、一見して明白に認容可能性のない提訴が排斥されます。

原告適格が認められるのは、法律上、「十分な利益」を有する者と定められていますが、判例は相当緩やかにこれを解釈しており、法律上のみならず事実上の不利益を被る個人のほか、こうした利益を有する個人を代理又は代表する団体、さらに、個人的利益の有無にかかわらず、公益を代表する団体にも原告適格が認められます。

本件司法審査請求は、2013年8月15日裁判官の許可を得て、高等法院の行政裁判所において、合議体により審理されましたが、2014年5月23日いずれも棄却されました。

まず、原告適格について、裁判所は、請求人である非営利法人のメンバーは、リチャード3世から16世代以上離れた傍系子孫であり、リチャード3世との関係は時的にも血統的にも薄弱なものと言わざるを得ず、十分な個人的利益を有しないと判断しました。

しかし他方で、請求人の主張は高度な公共性を有すると判断し、公益代表団体としての原告適格を肯定しました。

次に、裁判所は、法務大臣の意見聴取義務に関する前記①及び②の主張について検討を行いました。

前記①の主張については、前提として、一般に意見聴取義務は、顕著な不公正のない限り、意見聴取手続を定めた法令、約束又は慣行がある場合にのみ発生すると述べたうえ、遺体発掘許可の申請時においては、リチャード3世の遺骨が発見される現実的可能性は極めて低かったため、同許可前の意見聴取手続は時期尚早であって必要性が認められず、その許可条件として意見聴取手続を盛り込むこともまた不可能であった(したがって意見聴取手続を経ずに遺体発掘許可を出したことは違法ではなかった)と判断しました。

続いて、前記②の主張について、裁判所は、法務大臣が、意見聴取手続を経ずに遺体発掘許可を見直さないとの判断をしたことにつき、埋葬法上のガイドラインや法務省及び英国国教会のガイダンス等を検討し、本件のような傍系子孫に対する意見聴取を義務付ける慣行は見当たらないと判断しました。

もっとも、裁判所は、法務大臣が、意見聴取手続を経ずに遺体発掘許可を見直さないとの判断をした際、その判断に必要十分な情報を把握していたのか否かを問題とし、本件が500年前の国王の遺体発掘という前代未聞の極めて例外的な事態であったことから、王室、国家及び英国国教会には特別の配慮を要し、法務大臣の意思決定にあたって、少なくとも前記3者の意向を確認しなければならない旨示しました。

そのうえで、本件において、法務大臣は、前記3者の意向を十分に把握しており、また、国会でのレスターとヨークとの埋葬地を巡る討論等、許可条件見直しの要否判断に必要十分な情報を把握していたことから、法務大臣が意見聴取手続を行うことなく、遺体発掘許可を見直さなかったことは合理的であったと判示しました。

こうして埋葬地を巡る紛争には区切りがつき、リチャード3世にもようやく安らかな眠りが訪れようとしています。

レスター大聖堂では、改修工事が進められ,国王にふさわしい荘厳な霊廟が建設される予定だそうです。

また、かつてキャッスル・パークにひっそりと置かれていたリチャード3世の青銅像も、きれいに修繕を施され、今ではレスター大聖堂の前に誇らしげに立っています。

遺骨が発掘された駐車場にはリチャード3世博物館が建てられ、必ずしも観光資源が多いとはいえないレスターの見所の一つになっているそうです。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-30 18:46 | 映画 | Comments(0)
もうずっと以前の話ですが、映画関係の雑誌を定期購読していた時期もありましたが、しかし、それもすぐに止めてしまいました。

ときどき、なにかの切っ掛けで、そのときの惨憺たる心情みたいなものがふっと甦り、実に苦々しい気持ちに捉われることがあります。

カタログやチラシに書かれているコピーの丸写し、どうでもいいようなスターの噂話、あるいは同じ誤植を晒したままコピーしまくりの「あらすじ」を丸写ししただけの、ただの原稿料稼ぎにすぎないあの手の腹立たしい記事を幾ら読んでも、自分にはなんの果実ももたらさず、結局は読みたい記事にめぐり合えない失望と、ストレスだけが増していくという惨状をトコトン思い知らされたからでした。

どんなに感動した映画も、あの映画ライターという人種にかかると、なんだか自分が、どうでもいい映画にヤタラ感動しまくっている(「オレって、変なのか」みたいな)実に虚しい気分にさせられたものでした。

そのような見当違いな記事を読めば読むほど、苛立ちがどんどん募っていく、そんな最悪なウツの悪循環に陥ってしまったというのが、雑誌購読を止めた主な理由だったと思います。

それくらいなら日常的に読んでいる新聞記事のほうが、よっぽどマシで、自分の欲求が最低限満たされることに気がつき、それ以来、特に映画雑誌の講読は止めました、新聞記事だけで十分コトは足りますし、それで別段これといった不自由を感じているわけでもありません。

それに、「読みたい記事」がないのなら、いっそ自分で書いてしまおうと思い立ったのが、このブログを立ち上げた理由です。

だから、このブログは、自分にとって、いわば「実に嫌な気分に落ち込んだ」ことをバネにして思いついた副産物(読みたいものがないなら、自分で書く)みたいなものといえるかもしれません。

さて、このように、自分が映画の情報を仕入れるのは、若干の関係書籍を除けば、新聞記事だけなのですが、だからといって決して厳密な管理をしているわけではなく、気になった記事があると、ざっと傍線を引いて、畳んで本棚の隅に突っ込んでおく、そして、週末の空いた時間にそれをネタにして適当にブログに書き込むということを繰り返しているのが、ここのところの習慣です。

ただ、「書く」よりも「読む」ほうが余程ハカがいくので、現状は、かの畳まれ突っ込まれた新聞が、漫然と汚らしく書棚に溜まっていくという怠惰な惨状を晒していますが、しかし、そんなことではいけません、どんどん書かなければと決意を新たにして、その新聞の束のなかから、傍線を引いた当時のモチベーションが保たれたままの記事があるか、幾つもの記事を再度読み返しました。

あっ、ありました、ありました。これです、これ。

日経新聞2016.3.7夕刊の文化欄に掲載されていた「LGBT映画、共感呼ぶ現実感 普遍的な愛、繊細に」という記事です。

LGBTというのは、性的マイノリティのことで、ここのところ相次いで公開される三本の映画、アイラ・サックス監督の「人生は小説よりも奇なり」、トッド・ヘインズ監督の「キャロル」、トム・フーパー監督の「リリーのすべて」について解説した記事ですが、筆者は新聞社の編集委員ということなので、記事全体は無難な告知という体裁をとっており、批評にわたる部分だけ、映画批評家や映画館主から得たコメントを貼り付けるというカタチになっています。

しかし、実際は、「現実」はつねに、過激に遥か彼方を先行・疾駆しているのが常で、それを後追いしながら、どうやらそれらが市民権を得たらしい時期、社会的に定着・成熟したと看做していいような状況を受けて、そこでやっと映画は、おもむろに「理屈づける」作業を行って「世に問う」みたいなことになることが多いので、この「性的マイノリティ」問題も、この編集委員氏は、相次いで公開されるこの三本を提示することで、この問題がようやくスタート・ラインに立ったと判断し、このような記事を書くことを思いついたのだと思います。

しかし、ここに掲載されているコメントは、「批評」とはいっても「カイエ」みたいな攻撃的・好戦的な姿勢とは違い、いずれもおとなしめの「説明」程度のものにすぎません。

それにケチなどをつける積りは毛頭ありませんが、自分が感心したのは、この編集委員氏が、それぞれの作品を紹介したあとに付け足したちょっとした部分でした。

例えば、アイラ・サックス監督の「人生は小説よりも奇なり」の締めの部分には、こんなふうな書き足しがありました。

「家を失った高齢者の苦境を描き、2人の寄る辺なさを浮き彫りにする。うるさくて眠れないジョージや、甥の妻に疎まれるベンの姿は、上京して子供の家を転々とする小津安二郎『東京物語』の老夫婦を連想させる。一人ひとりは善き人なのに、その間に埋めがたい溝がある。そんな現実を冷徹に見つめ人生の哀歓を繊細に描き出す。」

この一文を読んだとき、なんだかとても嬉しくなって鳥肌がたってしまいました。

アメリカだ、日本だなどとこだわらず、たとえこの作品が、これから以後どのような運命を辿るとしても(簡単に忘れ去られてしまうか、人々の間で永遠に語り継がれて記憶されるか)、ともかく、この作品が、遠くに「東京物語」を意識しながら、世界の映画史上に生み出された作品であることを、まるでサルトルが木の根を見て存在の実体を突然意識できたような、そんな感覚に捉われたのでした。

あえていえば、どのような作品も、決して映画史からは自由になれないのだ、という感じでしょうか。

トッド・ヘインズ監督の「キャロル」には、こんなふうに書き足されていました。

「同性愛への抑圧を描きつつ、ラブストーリーとしての純度は高い。互いに惹かれあうさまを2人の視線で繊細に表現する手法は、成瀬三喜男を思わせる。」

そして、トム・フーパー監督の「リリーのすべて」では、「夫は、モデルとして女装したとき、自身の内に潜む女性に気づく。妻はこの絵で成功するが、夫の苦悩は深まる。妻は夫の本質を理解し、共に解決策を探る。運命に抗い魂の自由を求める2人の姿は、溝口健二作品にも一脈通ずる。」

こんなふうに映画史を少しだけ意識させられることによって、なんだか視野が広がり、とても豊かな感覚を持つことができました。

あくまで私見ですが、なにごとにつけても、映画に関する文章に限っては、すべからくこのようなものでなくてはなりません。

さて、もっと面白い記事はないかな? まだまだ物色してみますね。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-17 12:36 | 映画 | Comments(0)

根津権現裏 ふたたび

自分がお世話になっているこのエキサイト・ブログには、単に全体のアクセス数だけでなく各記事別にアクセス数が分かるという大変おもしろい機能があって、ときたま興味本位で覗いて見ることがあります。

自分のブログは、一応、映画専門という看板を掲げているのですが、たまに気が向けば、「小説」の感想めいたものも書いたりするものの、いかんせん、そちら方面の知識が致命的に乏しいので、すぐに話題が枯渇してしまい、書いたブログの全体の割合からすれば、ほんのちょっぴりしかないというのが実態です。

なので、わが「小説」部門は、かくのごとき貧弱さで、数量的にも内容的にも、とてつもなくお粗末な状態なので、それを誰かに読まれるかもしれないなどと考えるだけで、なんだか身の縮む思いというか居た堪れない気持ちになってしまいます。

ですので、そうした恐るべき可能性は、あまり考えないようにしながら図々しく開き直って書いているわけですが、しかし、この「考えないようにしている」と考えること自体、「意識」の表出の一部であることに違いなく、同じように顔から火がでるような恥ずかしさを感じ、やはり、どうしたって「恥ずかしい」ことには変りないのだと実感するばかりです。

それでも懲りずに、ふたたびなにか書きたくなる衝動が起こるのは、きっと、「居た堪れなくなるような」素晴らしい小説に出会うからだろうと思っています。

世の中は、未だ読まれずに、ひっそりと眠り続けている名作が、ゴロゴロしているに違いありません。

そういうわけで、例えば、「記事別アクセス」を見て、そこに藤澤清造の「根津権現裏」のタイトルが上位にアップされていたりすると、思わず赤面してしまいます。

こんな貧弱なブログにも多数のアクセスをいただくのは、この小説の情報自体が、とても乏しい現実を現わしているからだろうと思います。

この「根津権現裏」をブログに書いた頃の事情は、よく記憶しています。

あれは確か西村賢太が何年か前に芥川賞を受賞したとき(調べたところ2011年でした)、崇拝している作家として藤澤の名前をあげ、みずから藤澤清造の没後弟子と名乗り、受賞を機会に出版社に頼んで文庫本を出版させた(この「根津権現裏」と「藤澤清造短篇集」の二冊だったと記憶しています)ということが報じられたときに、それまでは自分も藤澤清造が、まったく未知の作家であったために興味を持ち、ネットで調べたり、実際に小説「根津権現裏」を購入して読んでみたりしたのでした。

そういう付け焼刃程度の知識をもとに書いた極めて底の浅い、やっつけ仕事の記事だったので、なおさら、こんなに多くのアクセスをいただくと、かえって「大丈夫なのか」と不安になり、そのたびに赤面し、あわてて読み返したりしたことも二度や三度のことではありません。

そして、その内容が、小説「根津権現裏」の感想などには、まるでなっていないことを確認し、そのたびにひとり赤面し、恥ずかしさで顔から火を噴かなければならず、これではまるで故障したゴジラ人形みたいになっています。

いま読み返してみると、はたしてそのとおりで、書かれているのは、藤澤清造の凍死と、芥川賞受賞作家の個人的な圧力で出版社に二冊もの本を出版させたという事情だけ、自分としては、このふたつの出来事が、当時、よほどショックだったとみえて、嫉妬に激した論調の陰に、覆い隠せないほどの物欲しげな調子もあったりして、その辺をクズクズとこだわり続けた結果、ついに「根津権現裏」の内容の紹介まで至らず頓挫した始末で、これはこれで、ずいぶん恥ずかしい話だなと感じています。

このブログ・タイトルにひかれて、単に、小説「根津権現裏」の内容を知りたいとアクセスしていただいた方に、あるいは失望させてしまったかもしれないことを反省し、いまさら遅いかもしれませんが、「補遺」として、以下、一文にまとめてみました。先のブログと重複する部分は、ご容赦ください。

《補遺》
藤澤清造(明治22年(1889)10.28~昭和7年(1932)1.29)
藤澤清造は、明治22年(1889)石川県鹿島郡藤橋村(現在の七尾市馬出町)で小作農の末っ子として生まれた。
明治28年(1895)に旧七尾町の大火災で家が類焼、3年後に父親が急死し、家の地所も借金の担保に入った。
明治33年(1900)に小学校尋常科(当時4年制)を卒業したが、貧窮のため進学せず、活版印刷所で働き始める。そこは新聞の取次を兼業しており、藤澤の仕事は新聞配達だったが、間もなく右足に骨髄炎を発症し自宅療養したが、完全に治癒させる金がなく、以後、足を少し引き摺る後遺症を残した。この間、市内の足袋屋、代書屋に奉公しながら、独学で文学書に親しみ泉鏡花などの小説を耽読した。
明治39年(1906)に上京し様々な職に就いた。芝居好きだった藤澤は、当時俳優志望だったが、足の後遺症を理由に断念し、志望を文士に切り替える。
明治43年(1910)三島霜川が編集主任をしていた「演芸画報」誌の記者となり随筆や劇評などを発表した。霜川の死後、その後を継いで主任となり、小山内薫、徳田秋声、三上於莵吉、室生犀星、菊池寛、芥川龍之介、広津和郎などの知己を得て、開放的で社交的な性格を愛され、これらの作家と広く交わった。
大正9年(1920)社長との対立から退職し、創作の筆を執る。
大正11年(1922)長編「根津権現裏」(日本図書出版株式会社)を発表、評価されて新進作家として文壇に迎えられた。宿痾の骨髄炎と貧困、性の懊悩を抱える青年記者が主人公で、根津神社近くの下宿で暮らしていたが、入院先で自死を選んでしまう同郷の友人を含め、作家を翻弄した悲惨な境遇と孤独をモデルとした私小説である。ふたりの雑誌記者の酒と女と貧乏の陰惨な生活を描き、最後にその一人が先輩を裏切ったことを後悔して謝罪するが許されず自殺するという追い詰められた者の切羽詰った心理を描いたもので、主人公の劣等感、絶望、憤怒、金銭に焦がれる様を繰り返し描いたが、どこか落語や演劇のリズムにも通じる江戸っ子口調の会話文がユーモアを交えた独特の共存を見せて、違和感もあり、ドストエフスキーの模倣が指摘されつつ、冗漫で、かつ平板との微妙な評になったといわれる。
以後、好んで人生の悲惨醜苦を描き、これに徹することにより真の人間が形成されるという藤澤の信念に基づいた作品が書かれることとなる。
病気とその治療費の金策に苦しみ行き詰った様子を描く「一夜」(大正12年1923)、買春を自慢する初老の男たちへの羨望と嫌悪を綴る「ウィスキーの味」(大正13年1924)、借金の新しい口実を考え出しながら知人を訪ね歩く男の悲喜劇「刈入れ時」(大正13年1924)、病気の母を足手まといに思いその死を願う「母を殺す」(大正14年1925)、ほか戯曲・随筆・雑文を発表するが、大正12年(1923)震災後あたりから盛んになった新感覚派・プロレタリア文学運動の時流に対応・追随できず、また、小説同様、病と貧困は作家の体を徐々に蝕んでゆき、執筆量も衰え、次第に奇行も見られるようになった。
昭和6年(1931)「此処にも皮肉がある」(「文芸春秋」昭和6.5)を最後に文壇から姿を消した。
昭和7年(1932)悪疾による精神病を発したびたび失踪したが、昭和7年1月、下宿に戻らず(「精神病院」から脱走と書かれたものもあるが、小説の内容と取り違えたものと思われる)行方不明となったが、芝公園六角堂内で凍死体として発見され、行路病者として火葬された。


追記
この「補遺」を書きながら、いま思い出したのですが、当時「根津権現裏」に対してイマイチ情熱を沸かせられなかった理由というのがありました。

それは、この年譜にもあるとおり、当時「根津権現裏」に対して、「ドストエフスキーの模倣がみられ、それも冗漫かつ平板」との評価が記述されていましたが、自分としては、「冗漫」であろうが「平板」であろうが、別にそれが小説の評価を下げるものだとは考えていませんし、むしろ、そういう書き方に対して愛着すら持っていると自認しているくらいだと思っています。

それなら、「根津権現裏」にもっと情熱を持ってもよかったじゃないかと言われそうですが、実は当時、「根津権現裏」よりも、もっと「それっぽい」素敵な作品に出会い、心惹かれていたことを不意に思い出したのでした。

それは、木山捷平の「大陸の細道」1962という作品です。

出口のない閉ざされた状況で、右往左往する物語なのですが、一言でいえば悲惨な滑稽さとでもいえばいいのか、苦渋のなかで生きる底には、不思議な楽観があって、小説を読んでいる間中、なんだかとても癒された空間に浸っているような心地よさを感じていました。

その心地よさを引き摺っていた状態の、きっと、そのすぐあとで読んだであろう「根津権現裏」の止め処ない悲観的な視点には、正直いって、たぶん「辟易」するものがあったのだろうと思います。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-17 12:31 | 映画 | Comments(0)
先月は、4月の人事異動で地方に栄転される方々の送別会が何件かありました。

こちらの会に出て、あちらは欠席というわけにもいきませんので、そういう意味では結構忙しく、思わぬ出費も重なりました。

でもこの「会費」だけなら、そこはなんとでもなるのですが、問題は必ず誘われる二次会というやつで、当然「義理で出席」という仕儀になり、ホロ酔い気分で幹事さんが用意してくれた場所へ皆の後ろからぞろぞろ付いていくという感じです。

妻などは、こちらだって退職が間近いのだから、たとえ不義理をしても、皆さん、分かってくれますよと軽く言うのですが、会社の組織の中で生きてきた人間にとって、そんな割り切り方など、できるものではありません。

だいたい、自分が然るべきポストにいたときには、そういうことをされては困る(もちろん「暗に」ですが)みたいに言ってきた手前、自分も仕方なく出席しているのだと妻には返しています。

しかし、妻はこちらの言うことなど頭から信じておらず、疑わしそうな目で「あなた、本心はどの会にも出席したいんでしょう?」と、この手の話題がでる度に、薄ら笑いさえ浮かべて、まるで人の心を見透かしたような失礼な皮肉を言うのです。

まあ、当たっているだけに腹が立ちます。

ですが、この3月・4月はどうしても月ぎめの小遣いだけでは足らなくなり、妻から資金の援助を受けている手前、自分のこの「腹が立ちます」は、決して表情には出せません。

むしろ、媚びるようなへつらい笑いになってしまっているかもしれず、我ながらこの不甲斐ない拝金主義には、ほとほと愛想がつきます。

しかし、妻も少しの間ですが、かつて会社勤めの経験もあり、ウワベと本音の違う会社内の複雑な人間関係の中で散々揉まれてきた苦い経験もありますので、その辺の理解度は人並みで、この「桜散る」時期の彼女の金離れの良さは賞賛にアタイします。

また、妻は続けてこう言うことがあります「あんまり飲まないでよね」と。

酒が入ると気が大きくなったり、腰が重くなったり、ズルズルの長話しになったりして、相当な深酒になってしまうことを諌めているのです。

普段なら「なに言ってんだ」と少し怒気を込めて強い調子で言い返すところですが、その分別を欠いた衝動的な発言が、後々微妙に資金援助の多寡にも反映してくるので、ここは慎重に細心の注意を払い、あるいは、三木のり平ふうの陽気なノリも忘れずに「なにを言っておるのですか」などと、妙な物言いになったりすることもあり、「これはマジヤバイぞ」と内心忸怩たるものもありますが、そこは致し方ありません、金のためです、つまらぬ節操など気にしている場合じゃない。

しかし、前述した妻の「深酒」への懸念などは、はっきり言って、ただモノゴトの表面だけをぼんやりなぞっているだけの実に視野の狭い一方的な見方にすぎず、その状況下で為される意義深い「会話」という実質が甚だしく欠落しているので、細心の柔らかさを保ちながらですが、「結構、有意義な話もしているんだけどね」とイナシタリすると、妻は「なに言ってんのよ、クダラナイことをグダグタ垂れ流しているだけじゃないの」とにべもなく、実に無礼な暴言を吐くのでありまして、この市井に生きる健気なサラリーマンの喜怒哀楽の機微などハナから理解しようともしないその不遜な態度は実に許しがたく嘆かわしい限りであります、それにあなた、言うに事欠いて「垂れ流し」とはなんですか、それを言うな「喋り散らし」くらいに(同じか)してください、お願いします(「お願い」してどうする!)。

さて、妻の軽視する「グダグダ会」ですが、実を言うと、こういうことが自分は大好きです。

昔の上司が、飲み会を仕事の反省の場と勘違いして、同席している部下のひとりひとりに、延々と苦言を呈するという苦行のトラウマもあるので、自分は飲み会を文字通り「グダグダ会で結構」と位置づけ、ひたすらストレス発散の場と考えていましたし、今でもそうしています。

そうそう、なんならこの会が、決して「くだらない」ものではないという証拠を、ひとつお示しすることだってできるのです。

3月のはじめのことでした、3月いっぱいで退職(再雇用の期限が切れます)される経理の田中さんを囲んで、ごく内輪の「お送りする会」を開きました。

正式な送別会は、押し詰まってから、また別にあるのですが、この会はそれに先立ち、旧い仲間数人が集り気の置けない飲み会でもやろうじゃないかというのが発端です。

会のはじめに「え~、田中さんは昭和○○年の入社でありまして」などという無粋な挨拶もなければ、締めの「皆様のあたたかいご指導により」なんていう気の抜けた謝辞もない、いつ始まっていつ終わったかも分からない実に気楽な会です。

談論風発、わあわあ騒いでいたときに、人事の綿引さんが、その日の日経新聞朝刊を取り出し、小さなコラム(一面下の「春秋」というコラムです)を指差して「ここんとこ、読んだか」と言うのです。

まだまだ「酔う」程ではないクリアな頭の状態でしたので、新聞記事くらいなら理解できます。

そこには、こんなことが書いてありました(本文は、後日、実際の記事に当たって確認しました。)。

《「ヤンキーが来る!」といっても、改造バイクに乗ったやんちゃな若者のことではない。南北戦争に翻弄される米南部の女性、スカーレットの半生を描いた「風と共に去りぬ」の一節である。ヤンキーとは北軍の兵のことだ。1865年、終戦を迎え奴隷制も終わった。
米では「内戦」と呼ぶ。技術革新の波に乗って工業化が進む北部と、綿花や砂糖などのプランテーションが根付く南部の利害の対立が背景にあったとされる。62万人にも及ぶ戦死者は、独立戦争からベトナム戦争まで8度の対外戦争の死者の総数58万人より多い。当時の米国はかなり深刻な「分断」の瀬戸際にあったのだ。》

これは、今たけなわのアメリカ大統領選挙での対立を報ずる部分の前振りですが、綿引さんが問題にしているのは62万人という南北戦争における戦死者の数です、「な、凄いと思わないか」と言うのです。

しかし、自分には、「62万人」という数字が、どのくらい凄いのかが実感できません。

この「62万人」を誰かうまく説明できる者はいないかという感じで一同の視線は、数字に強い今日の主役、経理の田中さんに集りました。

お酒がいけない田中さんは、酒宴の席でも、いつも覚めた冷静な目をしている反面、それだけに酔漢の賑わいに付きあいきれないまま、ひとり取り残されているさびしい印象が強いのですが、いま突然自分に視線が集ってきて、今日ばかりは、なんだかパッと輝いて嬉しそうです。

田中さんは、こんな話をしてくれました。

《いま統計学の本を読んでいるのだけれども(「統計学」とは、いかにも田中さんらしいじゃないですか)、沈没したタイタニック号の乗員・乗客の死者数・生還者数というのが、合わせて2201人だそうで、「62万人」といえば、タイタニック号を281回沈没させるくらいの死者数・生還者数という規模になるのかなあ。》

チラシ広告でカバーした新書版をチラチラ見ながら田中さんは話してくれました。

「ああ、なるほど」と一同感心はしたのですが、「281回の沈没」の方だって、相当理解不能です。

タイタニックといえば、当然、話題はデカプリオといきたいところですが、あえて「統計学」の絡みの方を聞いてみました。

「田中さん、なんでタイタニック号が、統計学なんですか」と質問したのです。

私のこの絶妙な突っ込みには、さすがの田中さんも嬉しそうでした。

《乗員・乗客の死者数と生還者数が、統計上どのようになっているかを分析した結果があるのです。
分類の項目としては、「1等」から「3等」の乗客、それに「乗務員」、それらを「大人/子ども」「性別」に分けるのが予測変数で、それを「生死」の別で分けるのが基準変数、その分析結果です。
要するに、生還できたのは誰々で、死亡したのは誰々、その「男女別」と「等級別」で分析した統計結果というわけですね。
この結果によりますと、女性の73%が生還し、男性の79%が死亡しました。
これは、映画「タイタニック」でみたとおりで、圧倒的に女性の生還率が高かったことが分かりますね。
さらにそれを「等級別」に見ると、女性の「1等乗客」が97%の生還、「2等乗客」が88%の生還、「3等乗客」が54%の死亡となっています。女性のこの生還率の高さは、男性の死亡率(男性の「1等乗客」66%死亡、「2等乗客」86%死亡、「3等乗客」83%死亡)の高さと対比させると、なにかが見えてくるような気がしませんか。
しかも感動的なのは、「1等」「2等」の男性乗客うち子どもの生還率は、ともに100%で、この率を差し引いた男性の死亡率は、「1等乗客」67%死亡、「2等乗客」92%死亡と変化します。
子どもを助けた分だけ大人の死亡率が上昇していることを現わしていて、つまり、男性が自分たちの命を犠牲にして女性と子どもを助けたという構図が、この数字から窺われるのです。
実に感動的な数字じゃないですか。》

本に書かれた統計数字をじっと見つめながら、無味乾燥なただの「数字」に、やたら感動している田中さんの横顔を思わずみつめ、やっぱ経理畑の人は人間が違うわと感心してしまいました。

数字の向こうにドラマを見たり、そして感動したりと、ただ散文をいじくり回しているだけの人文系の人間には到底考えられない営為です。

なんだか田中さんに拍手でも送りたい気分になりました。

しばらくして、田中さんがトイレに立ったあと、そこにポツンと残されていた新書版を、失礼して手に取り、パラパラと捲ってみました。

先程、田中さんが話していたタイタニックの話は「タイタニックの運命」というタイトルで書かれています。

ほかに「偽札データ再考」とか「不動産の鑑定」など、読んでみたい項目もチラホラあります。

なるほどね、なんだか面白そうじゃないか、そもそも、これはなんという書名なんだと中扉を見て「金鉱を掘り当てる統計学」(豊田秀樹著、講談社・BLUE BACKS)という本であることも知りました。

ずいぶん難しそうですが、でも、その割にはなんとなく古びた本という感じも受けます。

発行日を奥付で確かめようとしたとき、最終頁に「○○図書館リサイクル本」という朱印が押されているのを見つけ、この本が、図書館にある「リサイクル棚」に置かれていた本であることに気がついたのは、そのときでした。

リサイクル本を広告チラシでカバーし、それを夢中になって読みふけり、タイタニック号の話にひとり静かに感動して、その感動を懸命になって話していた先程の田中さんの姿が思わず目に浮かび、あまり豊かではなさそうなこの孤独な老人が、なんだかとても愛おしくて、滅茶苦茶感動してしまいました。

あっ、田中さんが戻ってきました、自分はあわてて本を元の位置に戻します。

戻ってきた田中さんは、依然として申し訳なさそうな微笑みをたたえ、誰にともなく会釈をして遠慮がちに席に座ります。

そして、少し震える左手で古びたリサイクル本の新書版を慈しむように軽く触れています、まるでその存在を確かめるみたいに。

気取りもなく、欲もなく、リサイクル本の中で見つけた小さなエピソードに感動し、なんの衒いもないままその感動を夢中で話して、人の心を揺り動かすことのできるこのような老人に、自分もなることができるだろうか、目の端で田中さんの震える皺くちゃな左手と新書版を捉えながら、いつまでも考えていました。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-10 19:44 | 映画 | Comments(0)