世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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レイ/Ray

超有名人とか、メディアが最初から「超名作」と決めつけプッシュしてくる映画(映画ばかりとは限りませんが)に対して、抗体というものをまったく有していない大衆があやつられるままに一斉に同じ方向を向くというような環境の中で、ひとり別な方向を向く(顔をそむける)という「孤立無縁」の立ち位置を選び取ることは、とても勇気のいることだと思います。

レイ・チャールズの生涯を描いたこの辛らつな作品「レイ/Ray」は、きっと「その辺」のところを試しにかかってくる映画かもしれません。

もともと自分は、ギター一本でうめくように歌い上げる泥臭いブルースがむかしから大好きなので、you tubeでもアメリカのかなり古い貴重な動画を繰り返し見て楽しんでいます。

その観点から言わせてもらえば、「逸脱」とか「堕落」とはいわないまでも、ごくごくポピュラーソング化されたレイ・チャールズやレオン・ラッセルなどの楽曲も、臆することなく、よく聞いて親しんできました。

そういう感じで親しんできたこともあって(楽曲に親しむことが、その歌手の人格まですっかり分かってしまったような気分にさせられたのかもしれません)、レイ・チャールズの生涯が、こんなふうに薬物中毒と複雑な女性関係(それもこれも結局は自分の「ダラシナサ」のせいだったのですが)に囚われていたとは、この映画を見るまで少しも知りませんでした。

その意味ではショックでしたが、しかし、すでに「ジャージー・ボーイズ」など多くの内幕もの映画を散々見てきた自分にとって、それほどショッキングなものということもなく、まあ、「レイ・チャールズよ、お前もか」という程度でしたので、その気分のままに、この作品を深くアプローチすることもなく通り過ぎたのだと思います。

それから少し時間が経っています。

最近、沢木耕太郎の「銀の森へ」(朝日新聞社刊)という映画批評集を読んでいて、この「レイ/Ray」の批評に邂逅しました。

「テロルの決算」以来、沢木耕太郎の著作は刊行されるたびにどうにか読むようにしていますが、しかし、自分が、この著者の作品を、まず「テロルの決算」から読み始めてしまったことが、果たして自分にとって良かったことだったのか、すこし複雑な気持ちでいます。

というのは、この著者の他の作品を読むたびに、この著者にとって、日本のテロリスト青年を描いた「テロルの決算」とは、いったいどういう位置づけの作品だったのか、そしてまたどういった意味があったのだろうかと問い返さずにいられない自分がいて、眼の前の著作以外のところで、少しずつ積み上げてしまう根本的な「失望」みたいな堆積があって、遣り切れない重苦ししさが増すばかりなのです。

思えば、あの「政治の季節」の真っ只中で「テロルの決算」と出会ったことは、自分にとって、またこの著者との関係にとっても、とても「不運なスタート」だったのではなかったかという憂鬱な気持ちに満たされてしまいます。

たとえば、しかつめらしく「著者」などという位置づけなどせずに、最初から「スポーツ・ライター」というラフな認識だったなら、もっと楽な気持ちで沢木耕太郎やその著作に接することができただろうし、もっと自由な読書体験も持てたかもしれないと思うと、なんだかとても悔しい気持ちでいっぱいですが、あの「政治」や「思想」を最上なものと思い上がり、「スポーツに血道を上げる愚劣さ」と貶めていた自分の硬直した思考は、歪んだ政治の季節のなかで道を見失い、彷徨っていたころの「宿痾」としか呼びようのない人間的欠陥であって、いまさら治癒するわけもなく、この欠陥をこのまま引き受けて生きていくしかないと、もうほとんど途方にくれながらすっかり諦めています。

しかし、その話とは全然違う部分で、この「銀の森へ」という本は、あまりお薦めすることはできません。

朝日新聞に連載されていた映画コラムだそうですが、なにしろ実質本文350頁ほどのスペースに90本の映画批評がぎゅうぎゅう詰めにされていて、一本につき僅か3頁に満たない分量なので、著者の書き足りない苛々感が、そのまま読者の読み足りない欲求不満に直結してしまうという惨憺たる反映のうえに成り立っているような、筆舌に尽くしがたいストレス本という感じをもちました。

それは、所詮「広く浅く」が宿命付けられている新聞記事というものの持つ運命みたいなものの、反映そのものの姿だったのかもしれません。

それに、金詰りの会社(まさかあの大新聞社の朝日に限ってそんなことはありませんが)が、「予算達成のために、なにか売れそうな本があれば、なんでもいいからでっち上げて、「朝日経」信者の馬鹿どもに売りつけろとばかり、ゴリ押しで無理やり編まれた本なのではないかと邪推したくなるくらいの安普請です。

さて、そのような本の中に収められている「レイ/Ray」の批評ですから、あまり期待されても困りますが(模範解答の見出しの羅列のようなもの、という意味です)、要約すれば、こんな感じです。

沢木氏は、「それなりに楽しんで見た作品だが、はっきりいって上っ面だけ描かれているだけで深みに欠ける残念な映画だった、しかし、映画のなかで聞いたレイ・チャールズの楽曲は、どれも自分が親しんできた曲なので、帰宅して改めて聞いてみたが、どの曲も映画で聞いたような感慨はなかった。

やはり、映画というものはそれなりに(ストーリーに裏付けられるため楽曲を輝かせられる)意味あるものなんだなあ」ってな具合に書いてみると、結局筆者がこの映画をどう評価しているのか、特に最後の部分など何を言っているのか、さっぱり分かりませんでした。

たぶん、その理由は、結論を曖昧なままにしてしまったからに違いないのですが、原文を何度読んでみても、やはり明快な決め言葉などどこにも書かれていません。

どうも筆者自身が結論を避けているように感じられてなりません。

なにしろ発表の場が、大新聞紙上ということもあって、滅多なことなど書けるわけもないでしょうし、書く側としても、仕事とあれば、新聞社の意をくんで口籠もるくらいの芸はみせたかもしれません。

しかし、自分としてもこの映画批評を貶すばかりでは後味が悪く、気持ちの治まりがつきませんので、ここはひとつ出色の部分もあるにはあったことを紹介しておかなければ、と思います。

その出色の一文というのは、以下のとおりです。

「たとえば、目の見えないレイ・チャールズが恋愛遍歴を重ねる。
彼はどのようにして女性を認識し、選んだのか。
映画では、レイ・チャールズが女性と握手するとき、反対の手でそっと相手の手首を握るというシーンが挿入されている。
監督のテイラー・ハックフォードは、そうした細部によって、レイ・チャールズの歌の官能的な部分を視覚的に伝えられるよう周到に組み立てていたのかもしれないのだ。」(266頁)

「握手しながら、もう片方の手で相手の手首を握る」シーンを、沢木耕太郎は、「歌の官能的な部分を視覚的に伝えられるよう周到に組み立てていた」などとあえて上品に無力化して逃げていますが、この部分は明らかにレイ・チャールズが、女性の体を卑猥に撫で回し「女」を物色していたことと同義であることを描いていることは明らかです。

誰が見ても手首が女性としての官能的で重要な「その部分」を暗示しているか、もしくはモロ直結しているか、おそらくそのどちらともであって、それはそのまま、レイ・チャールズという男が、目の不自由なことをいいことにして下卑た好色さを隠そうともしなかったしたたかな姿を描ききっているのだと思います。

そんな例なら日本にだって、つい最近ありました。

障害を盾に取り、良識をよそおった世間の偽善と哀れみの虚をついた「佐村河内」現象です。

と、ここまで書いてきて、ひとつの投稿文と出会いました。

レイ・チャールズは、こんな人じゃないというファンによる作品「レイ/Ray」に対する怒りの一文です。

ちょっと感動したので、転載させていただきました。

《この作品を見終えた後の感想は、とても不快なものでした。
私は小さい頃からのレイ・チャールズファンです。(当然、今でも‥)
だから、彼の人生を冒涜しているみたいで、とても不愉快なんです。
この作品を見て、彼(レイ)を、どんな男だと思いましたか?
音楽の才能があることで大金を得て、眼が見えないことを言い訳にして、好き勝手なことばかり‥。
最低だとおもいませんか?(誰の証言を元に製作されたか知りませんが‥)
特に、麻薬の常習容疑で逮捕されるも、金の力で取消し。
にもかかわわらず、やめようとさえしない。(暗闇を理由に‥)
全盲ながら、一生懸命いきている人達は沢山おられます。
(あえて、それ以上は触れませんが‥)
確かに、ジェイミーの演技は素晴らしかったけど、ただだらしない男を演じたに過ぎないし‥。
むしろ、レイの母親を演じた彼女こそ、素晴らしかった。
とても自然に演じていたし、母親も愛情の深さも体現していた。
しつこいようですが、私はレイ・チャールズの大ファンです。
晩年の彼しか知らない私には、彼の苦労話など当然解りません。
でも、この作品は彼のことを想っての製作だとはとても思えません。
彼が生きていてこの作品を見たら、どう想うでしょう。
子供達に夢を持たせようと、努めていた彼です。》

このレイ・チャールズファンの人が、たとえどちらを向いて何を語ろうと、したり顔した大勢から顔をそむけたその姿の凛々しさに惹かれて転写してみたのですが、「レイ・チャールズの生涯を描いたこの辛らつな作品「レイ/Ray」は、きっと「その辺」のところを試しにかかってくる映画だったのかもしれません」ね。

(2004UIP映画配給)監督脚本製作・テイラー・ハックフォード、製作・ハワード・ボールドウィン、カレン・エリス・ボールドウィン、スチュアート・ベンジャミン、製作総指揮・ ウィリアム・J・イマーマン、ジェイム・ラッカー・キング、原案: テイラー・ハックフォード、ジェームズ・L・ホワイト、脚本・ジェームズ・L・ホワイト、撮影・パヴェル・エデルマン、編集・ポール・ハーシュ、音楽・レイ・チャールズ、クレイグ・アームストロング、美術・スティーヴン・アルトマン、音楽監修・カート・ソベル、衣装(デザイン)・シャレン・デイヴィス、
出演・ジェイミー・フォックス(Ray Charles)、ケリー・ワシントン(Della Bea Robinson、レイ・チャールズの妻)、クリフトン・パウエル(Jeff Brown、ツアー・マネージャー)、ハリー・レニックス(Joe Adams、長年にわたるマネージャー)、リチャード・シフ(Jerry Wexler、レイ・チャールズのプロデューサー)、アーンジャニュー・エリス(Mary Ann Fisher、女性バック・ヴォーカル歌手)、シャロン・ウォーレン(Aretha Robinson、レイ・チャールズの母)、カーティス・アームストロング(Ahmet Ertegun、レコード会社の重役)、レジーナ・キング(Margie Hendricks、女性バック・コーラス)、テレンス・ダッション・ハワード、ラレンツ・テイト(クインシー・ジョーンズ)、ボキーム・ウッドバイン、C・J・サンダース( 幼少のレイ)
152分

第77回アカデミー賞主演男優賞・ジェイミー・フォックス、録音賞・スコット・ミラン、グレッグ・オルロフ、ボブ・ビーマー、スティーヴ・カンタメッサ(英語版)
第62回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)・ジェイミー・フォックス
第47回(2005年)グラミー賞最優秀コンピレーションサウンド トラック賞/映画・テレビ・映像部門・レイ・チャールズ、映画・テレビサウンドトラック部門・クレイグ・アームストロング
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# by sentence2307 | 2016-02-28 21:45 | 映画 | Comments(0)

寺田寅彦の映画論

ある人から寺田寅彦の著作に映画評論があると聞いたとき、なんだか物凄く興味を惹かれたのは、この作家の固定観念に対して「映画」という言葉のイメージに物凄い違和感を覚えたからだと思います、それはまさに「ギャップ」といっても差し支えないくらいのものだったかもしれません。

物理学者で随筆家として著名な寺田寅彦(1878~1935)は、あの極端に人見知りで気難しい夏目漱石にこよなく愛され、漱石宅にも自由に出入りを許されていた(「木曜会」だったと記憶しています)くらいの愛弟子で、なにしろ「吾輩は猫である」や「三四郎」などにモデルとして描かれているくらいですから、それは相当なものだったろうし、漱石を尊敬していた多くの人たちからも特別な存在として一目おかれていたというのも当然と頷かれます。

なにしろ、漱石にしてからが、日本文学の地平を切り開いた先駆者なので、印象的には「むしろ江戸時代に近い方の明治の人」という感じをもつ自分にとって、そういう時代的な部分と、比較的新しい芸術という先入観のある「映画」との取り合わせに意外な感じを受けてしまったとしても、たぶんそれは、無理からぬことだったと思います。

さっそく近所の図書館から岩波書店刊「寺田寅彦全集 第八巻」(1997.7.7.1刷、425頁)を借り受けてきました。

受付窓口でこの本を受け取ったとき、思わず、自分がこの本を手にした最初の人間なのではないかと疑ってしまうくらい、それは清潔で汚れのない「新刊」そのままのような状態でした。

果たしていままで、この本に借り手というものがあったのかと、余計な心配をしてしまうくらい、それは皮肉なほどの新しさです。

目を凝らせば、あるいはその冷ややかな表紙から、「敬遠」の二文字がいまにも浮かび上がってきそうなくらい、ヨソヨソしいほど人の気配を感じさせない清潔さでした。

自分が蔵書している「寺田寅彦」本は、筑摩書房の「現代日本文學全集22」(昭和30.7.25.1刷、438頁)で、「森田草平・鈴木三重吉」との三人集ですが、この原稿不足の現代からはちょっと考えられない、いまどき有り得ない本文三段組という野放図な贅沢さで組まれている、まさに時代に逆行したような「日本文學全集」です(昭和30年刊行の本なので当然ですが)。

このクラシックな本は、いまはもう廃業して取り壊されてしまった駅前の古本屋で購入しました。

たしか「100円均一」の棚に数十冊もならべられていたものを一挙に購入した(20冊買っても2000円ですから財政的にはビクともしませんが、重量を考えるとやはり「一挙」には無理だったかもしれません)そのなかの一冊だったと記憶しています。

実はこれまで寺田寅彦の随筆は、そのひとつひとつが、ほどよい「短さ」(もちろん「いい意味での」短さです)ということもあって、折りにふれて親しんでいました。

その随筆の全体的な印象をざっくりと挙げれば、まず、過ぎ去った少年の日の甘美な思い出とか、まあ、同じような感じの哀切な望郷とか、あるいは、いまは亡き人々への尽きせぬ回顧などという感じの随筆です。

しかし、こうしてテーマだけを言葉として挙げていくと、なんだか思い入れたっぷりの情緒過多の随想になってしまいそうな感じがしますが(日本の多くの作家たちが、往々にして「そういう傾向」があるので、ついそんなふうに考えてしまいます)、しかし、そのような「ベタベタ感」は一切なく、日本の歌謡曲的情緒からは距離をとって客観的写生的に書かれていて、むしろ、西欧的な知性や理性を感じさせる乾いた筆致という印象でした。

自分がもっとも印象深く読んだのは、「團栗(どんぐり)」という小品です。

明治38年4月の「ホトトギス」に掲載されたものだそうですが、筑摩本でいえば、わずかに2頁半という短さです。

不治の病で早世した最初の妻・夏子のことを書いたもので、夫との気持ちのわずかな行き違いに苛立ったり、ちょっとした親切に喜んではしゃいだりと、細々とした妻の仕草や会話を冷静に描写していきながら、しかし、一進一退を繰り返す病状は、徐々に、そして確実に彼女を蝕み悪化していくという妻との日常を、まるで生態観察のような緻密な冷静さで描写しています。末尾の部分をちょっと要約すると・・・

体調がいいときの妻を誘って「植物園」に行った帰り道、妻はたまたまどんぐりをみつけ、どんぐり拾いに熱中します。あまりのその熱中振りに夫はあきれ、少し苛々して、「もう大概にしないか、馬鹿だな」「一体そんなに拾って、どうしようというのだ」ときくと、妻は「だって拾うのが面白いじゃありませんか」といい、なおも拾うのをやめようとしない、それどころか、さらに「あなたのハンケチも貸して頂戴」といって、夫のハンケチもどんぐりでいっぱいに満たして、やっと帰る気になるという部分です。

その圧巻の部分をちょっと書き写してみますね。

ハンケチ一杯に拾って包んで大事そうに縛って居るから、もう止すかと思うと、今度は「あなたのハンケチも貸して頂戴」と云う。とうとう余のハンケチにも何合かの團栗を充たして「もう止してよ、帰りましょう」と何処迄もいい気なことをいう。
團栗を拾って喜んだ妻も今はない。御墓の土には苔の花が何遍か咲いた。山には團栗も落ちれば、鵯の啼く音に落葉が降る。

「もう止してよ、帰りましょう」という妻の言葉にまるで覆い被さるように
不意に、「團栗を拾って喜んだ妻も今はない。」と語られ、そして無常な風景として
「御墓の土には苔の花が何遍か咲いた。」と苔むした墓がひっそりとたたずむ山
「山には團栗も落ちれば、鵯の啼く音に落葉が降る。」と山の自然は人の生き死にや愛憎など、すべて呑み込み、何もなかったかのような静けさだけがいつまでもつづいていく。

妻が残した最後のひとことが、死の床でのものでなく、そして、妻の最後の細々しい描写や、妻を失う夫の苦悩などのことごとくを省略したうえでのこの「團栗を拾って喜んだ妻も今はない。」の一文は、いまでも僕が出会った圧巻の一文だったと思っています。

少し、寄り道しすぎて時間がなくなってしまいました。

岩波書店刊「寺田寅彦全集 第八巻」所収の映画論のタイトルだけでも書いておきますね。

映画時代、ラジオ・モンタージュ、青磁のモンタージュ、映画の世界像、映画雑感(1)、生ける人形、教育映画について、映画芸術、音楽映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」、ニュース映画と新聞記事、Image of Physical World in Cinematography、映画雑感(2)制服の処女、ひとで、巴里―伯林、巴里祭、人生謳歌、映画「マルガ」に現れた動物の闘争、耳と目、踊る線条、山中常盤双紙、映画雑感(3)にんじん、居酒屋、世界の屋根、忠臣蔵、イワン、バンジャ、漫画の犬、一本刀土俵入、カルネラ対ベーア、只野凡児第二編、荒馬スモーキー、忠犬と猛獣、血煙天明陣、喰うか喰われるか、吼えろヴォルガ、或る夜の出来事、映画雑感(4)商船テナシティ、実写映画に関する希望、誤解されたトーキー、映画批評について、人間で描いた花模様、麦秋、ロスチャイルド、ベンガルの槍騎兵、アラン、ナナ、電話新選組、映画錯覚の二例、「世界の終り」と「模倣の人生」、黒鯨亭、乙女心三人姉妹、外人部隊、男の世界、映画雑感(5)永遠の緑、家なき児、管弦楽映画、その夜の真心、すみれ娘、映画と生理、映画雑感(6)パーロの嫁取り、ロス対マクラーニンの拳闘、別れの曲、紅雀、泉、映画雑感(7)影なき男、ロバータ、
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# by sentence2307 | 2016-02-22 10:14 | 映画 | Comments(0)

「鬱」時代

「あらゆる映画をみまくる」などと大見得をきって始めたこのブログですが、いまその強烈な副作用に苦しんでいます。

つまり「あらゆる映画」といっても、なにもそれが感動作や名作ばかりとは限らないので、いつのまにか、見ること・イコール・「数をこなす」義務みたいになって自分を縛り、気がついてみると、新たに映画をみようとするとき、つまり、自分の意に添わない一本の映画を見通すためのエネルギーの準備とか、そのために自分に強いなければならない辛抱強さとか我慢とかの相当な「うんざり感」は、考えてみれば、どうも「鬱」に等しいのではないかと気がついたのでした。

自分の楽しみのために映画を見つづけてきたのに、それが「鬱」などになったのでは困ります。

思えば、そのことに気がついたのは、ジェームズ・グレイ監督の「エヴァの告白」と、パオロ・ソレンティーノ監督の「グレートビューティー/追憶のローマ」を見たときでした。

抑制された暗鬱な映像の粘り強い描写力や、溢れ出る情念の豊饒さなど、このいずれもすぐれた作品の映像美に心惹かれ、そして圧倒されもし、さっそく、ブログに感想をアップしようと断片的な下書きをつくるためのメモ用紙の準備をしました。

自分の感想の書き方は、思いついた断片を片っ端からメモしていって、それらを論旨がつながるように並び替え、どうしても繋がりの悪い部分には、適当なコメントで補強して完成させるという、安直でごくオーソドックスな方法で、出来上がりの方は保証しかねますが、比較的スムーズに完成に仕上げられるというメリットはあります、しかし、そのときばかりは、どうもそう簡単にはいきませんでした。

「エヴァの告白」と「グレートビューティー/追憶のローマ」は、いずれも、とても優れた作品です。

ですので、この感動を少しでも言葉で表現できたらと、自分なりに苦労し、煩悶してみたのですが、どうしてもしっくりとした書き出しのひと言が浮かんでこないのです。

メモ用紙に書き付けられるものは、フェデリコ・フェリーニ作品との連関性ばかり、自分のオリジナルな感想は、ひとことだって出てきません。

「道」に酷似したこの「エヴァの告白」という作品について、どのようなアプローチを試みようと、かつて「道」について書いたイメージがよぎり、結果、「道」との比較において、その足らざる部分を辛らつに(自分は根っからのフェリーニ好きですから、どうしても、「そう」なると思いますヨ)指摘することくらいしかできないのです。

そんな一方的な観点しか持てないような批評なら、この意欲作に対して、とても失礼な見方になってしまうのではないか、そして同じように、あらゆる作品に対してだって、ことごとく感応してしまうこの「焼き直し」感から自由になれないなら、いっそ批評などしない方がよほど誠実であることに気がついたのでした。

それはちょうど、まるで自分が所属してきた社会がすでに一巡して終わりを告げ、完結してしまったような感じです。

やがて、リセットされた新たな社会が動き始め、その新時代に相応しい(旧世代に捉われない)価値観も生み出されるに違いない。

それら新たな作品が、旧時代に作られた焼き直しとしてしか(「エヴァの告白」は「道」の、「グレートビューティー/追憶のローマ」は「甘い生活」のフィルターを通してしか)評価できないとしたら、やはりそれは旧世代人間たる自分の判断の、もはやの限界を示しているのではないかと真剣に考え込んでしまいました。

目の前の意欲作を、旧作品のパターンの繰り返しとしてしか理解できないとしたら、いまの自分はまさに、「これはむかし見たあの映画と同じだ。これに比べたら、むかしの方がずっと良かった」と繰り言をいう老人と同じではないかという強迫観念に捉われたのでした。

その融通のきかない柔軟性の欠如した感性は、つまりはこの社会の居場所を失ったことこそを意味しているわけで、それはつまり、当然の「失語」状態に(自分の現状です)通じていたのだと分かりました。

これは半年ほど以前の話です、それでも映画だけは毎日毎日見続けています。

もちろん「うんざり」もし、そして感動した作品は幾つもあり、いつかは、自分のなかのなにかがいずれかの部分に感応し、不死鳥のように映画好きが甦り、自然に湧き出てくるなにかがあるに違いないと待ちもし、信じる気持ちで映画を見続けてきました、あるいは、こういうときだからこそ「映画切れ」になるのが怖いのかもしれませんが。

しかし、結論からいってしまえば、まだスランプ(この状態を「スランプ」などといってしまっていいのか分かりません。

永続する「失語」状態かも)は脱していません。

一方でこの悪戦苦闘のジタバタを愉しんでみるのもいいかなとか、新たなものを感応できないなら、いっそ旧作をたどってみる開き直りも一興かと、あれこれと考えている現在です。

そうそう、ある人から、寺田寅彦が映画好きで、随分な数の映画評論を残していると教えてもらい、図書館から所収の「寺田寅彦全集 第八巻」を借りて読んでいます。
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# by sentence2307 | 2016-02-20 16:09 | 映画 | Comments(0)

愛の渦

映画を見たあと、すぐの印象として「平凡な作品だった」と思うか、「すごく良かった」と思うかの二極化的仕分けの観点からいえば、この「愛の渦」は、もちろん「すごくいい作品だった」という方に整理されたこと言うまでもありません。

世評もそうでしたし、自分もまた「そう」した一人でした。

しかし、見てからの時間が少しずつ経過するにつれて、これが本当に「すごくいい」という程の作品だったのかと、思い返すたびになんだか自信が薄れていくことに気がつきました。

最初の印象がすこぶる「高評価」だったのに、時間が経つにつれて、その高揚感が急速に失われていくというこの「色あせ」経験は、なにもこの作品が初めてのことではありませんし、むしろ、こういうことの方が多かったとさえいえるかもしれません。

その失速感というか、墜落感がどの辺にあるのか、自分なりに考えてみました。

ずいぶん乱暴な話ですが、この映画のテーマをひと言でいってしまえば、「欲望を剥き出しにすることが本当に人間的であって、また、欲望に忠実に生きることが本当に自分らしいといえるのかという思いを抱えながら、冷厳な日常生活が立ちはだかる現実を前にして生き惑う男と女の物語」ということができるかもしれません。

しかし、思えば、この映画の登場人物において、「欲望を剥き出しにすることが、人間的なことなのだ」と思い込んだのは池松壮亮演じるニート青年ただひとりだけであって、この有料乱交パーティーに集った他の男女は皆、「日常」と「乱交」を上手に生き分け、淫乱さを剥き出しにして快楽をむさぼった夜のあとでは、なにくわぬ顔で光溢れる「日常生活」の朝へと違和感なく踏み出していける健康な市民です。

あの門脇麦演じる女子大生ですら、その辺の分別は十分にそなえていて、ニート青年の求愛に対する明確な拒絶は、そのことを十分にあらわしているといえます。

この世には、「欲望を剥き出しにすることが許される闇の世界」と「欲望を押し隠し取り澄まして生きることを強いられる禁欲的な光溢れる日常の世界」とがあって、その辺の欺瞞を上手に飼いならし、使い分けなければ、この社会がすこぶる生きづらいことを、この「境界線」を理解できないニート青年をとおして、この映画は教えてくれています。

当初、周囲の高評価につられ、そちら側に自分もつい同調してしまった理由は、やはりこの「ニート青年の思い込み」にある純粋さを感じて共感してしまったからに違いありません。

そもそもこの有料乱交パーティーでは、相手を独り占めにする「愛」が最初から禁じられている規則なので、いまさらながら「性欲」と「愛」とが両立するかどうかなどを考察するのは、場違いの見当違いであることは明白です。

しかし、それにしても、それだけでは、この作品に対する自分の「色あせ感」が、どの辺に由来するのか、もうひとつ摑めません。

女子大生に求愛したニート青年は、その拒絶にあって、ただタジロギ、為すすべもなく、うな垂れているだけのように見えました。

しかし、彼のあの去勢されたような素直なリアクションが、自分のなかではもうひとつ納得できないのです。

たとえ稚拙であったとしても、もっと自分の考え・彼女に対する愛する気持ちを真摯に彼女に伝える場面があっても良かったのではないか、理不尽な彼女の拒絶にもっともっとアガライ、あるいは激昂するくらいのものがあってもよかったのではないかと。

そのとき、いままで自分が感じていた「もうひとつ分からない」という気持ちが、このラストシーン(彼女の「拒絶」に対するニート青年の不自然なくらい無力な素直さ)に対する単なる苛立ちであることに気づいたのでした。

「性欲」と「愛」との両立などという一見高尚なテーマに目を奪われたのですが、むしろこのシーンに描かれているのは「女子大生に拒絶されるニート青年」というシンプルな格差の図式であったことに気づいたのです。

この感覚は、「慶応義塾大学」に入れば、ただそれだけで「人間のくず」ではなくなる、というあの「ビリギャル」を見たときに感じた違和感と同じものでした。

自分の苛立ちや、そして多分怒りも、たぶんその整然とした短絡さに対してだったのだと思います。

「慶応義塾大学」に入れるわけもないニートにとって、いずれも「見づらい映画」ということになると思いますし、ならばこんな作品になにも無理して感動する振りをすることもないかと。

この「愛の渦」を見て、最近同じような思いに捉われたことがあったので、ごく私的なことですが、少し書いておこうと思います。

ある日、帰りの通勤電車で、高校の頃、すこしの間つき合っていた「彼女」にばったり会いました。

彼女とのことは、もうすっかり忘れていたと思っていたのに、こうして顔を合わせれば、付き合っていた頃の出来事のなにもかもを精密に思い出せるくらい、熱く感情的になって将来のことを考えたかもしれない仲だったことが、あらためて思い出されました。それは彼女だって、同じだったと思います。

懐かしさよりもその気まずさが、かえって2人をそのままでは別れにくくさせたのかもしれません。

よりを戻すとかそんな気持ちなど、もとより少しもありませんが、駅前の喫茶店でその後のお互いのことを少し話しました。

ありふれた恋愛をし、結婚して子供ができ、郊外に家を買って平凡に暮らしていることなど、どれも似たような身の上です。

話が途切れ、もう話すことも尽きた感じなので、腕時計を見る仕草を切っ掛けにして席を立ちました。

右と左に「じゃあ」という別れ際になって、彼女はなにか言いにくそうに立ち尽くしています。

このまま自分としても立ち去りにくく、彼女の言葉を待つ姿勢になりました。

彼女は、ポツリと言いました。

「あのとき、あなたを受け入れていたら、わたしたち、もっと違った人生をおくれたかしらね・・・。SEXが、こんなものなら、いっそあのとき、あなたにさせてあげればよかったと、最近よく思う。」

あの頃、僕は彼女を執拗に求め、彼女は必死に拒み続け、そのいかがわしい僕の態度を激しくなじった果てに2人が別れたあのときのことを言っているのだと、すぐに分かりました。

その頃の僕としても「性交」は未知の領域でしたが、性交しないかぎり愛は成就しないくらいに思いつめていたのかもしれません、時代です、仕方ありません。

彼女の言葉に自分はただ言葉なく頷くしかありませんでした、頷く以外に自分になにができたというのでしょう、いまでも分かりませんが。

それだけいうと彼女は去り、そして僕も反対方向に歩き出します。

頭の中で彼女の言葉が、繰り返し・繰り返し思い出されます。

いまでならSEXくらい、なにもそんなに問題になることもなく、その深刻さなど信じられないかもしれませんが、僕たちの時代は「草原の輝き」の時代です。

「純潔」を求める社会の目が病魔のように少女たちを監視し、蝕んでいました。

でも、いまなら分かるような気がします。

彼女の腰に手をまわそうとする僕の手を、彼女は失笑しながら優しく払いのける、僕は彼女のその優しい恥じらいの所作をこよなく愛していたこと、それは、彼女のカラダが欲しかったからじゃない、いまなら分かる、「彼女の腰に手をまわし、それを失笑しながら優しく払いのける」、そうして僕たちは微笑を交し合った、ただそれだけの関係でよかったのだと。

だから、彼女が最後に言ったように、たとえ、彼女が僕を受け入れていたとしても、僕たちは決して「違った人生」などおくれやしなかっただろう。

いずれにしろ、僕たちは「SEX」した途端、破綻しなければならなかったのだと、あのとき、立ち去る彼女に言うべきだったと、いまでも時折後悔することがあります。

(2013クロックワークス)監督脚本原作・三浦大輔、三浦大輔、企画・加藤和夫、企画協力・太田雄子、製作・間宮登良松、藤本款、プロデューサー・岡田真、木村俊樹、撮影・早坂伸、美術・露木恵美子、音楽・海田庄吾、音楽プロデューサー・津島玄一、録音・永口靖、照明・神谷信人、編集・堀善介、キャスティング・おおずさわこ、ライン・プロデューサー・坂井正徳
出演・池松壮亮(ニート)、門脇麦(女子大生)、滝藤賢一(サラリーマン)、中村映里子(保育士)、新井浩文(フリーター)、三津谷葉子(OL)、駒木根隆介(童貞)、赤堀セリ(常連)、柄本時生(カップル)、信江勇(カップル)、窪塚洋介(店員)、田中哲司(店長)、
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# by sentence2307 | 2016-02-11 12:46 | 映画 | Comments(0)
この猛暑のなか、格別な用事でもなければ、炎天下にわざわざ外出するなど、思っただけでもウンザリなので、結局、冷房をギンギンにきかせた部屋で寝転がりながら、終日、新作・旧作の映画を手当たり次第見ている毎日です。

しかし、いざ映画を見るとなると、どうしても録画したストックのなかから古いものを見なければという気持ちが強く、結構な旧作を見ることが多いのですが、昨日もそんな感じで、増村保造の「巨人と玩具」1958と「最高殊勲夫人」1959、そして吉田喜重の「告白的女優論」1971を立て続けに見ました。

録画データによれば、この3作品、かなり以前に(残念ながら正確な日付は記されていません)「日本映画専門チャンネル」で放映時期が一緒だったみたいで、ともに追いたてられるような逼迫した時代の雰囲気みたいなものがシビアに感じられる秀作だと思います。

増村保造の2つの作品は、日本経済が加速度的な高度成長をとげていくなかで、その過酷な渦に否応なく巻き込まれて翻弄されるサラリーマンの焦燥と破滅への無残な活力と、そして絶望とを人間喜劇としてヒステリックに描いた秀作です(まさに60年安保直前の不安と動揺感が伺えます)し、一方の吉田喜重の「告白的女優論」の全編に漂う過度の内向き姿勢は、あの経済の狂奔と破綻、政治の季節の終焉の底深い絶望のなかで、結局なにひとつ得ることのなかった日本人の静かに内向した絶望が描かれた魅力的な作品だといえるかもしれません(あの浅丘ルリ子までが全裸になって性交画面を撮らせるなど、ある「時代」が終わり、その絶望感が過度に「性」へと振り切れた時代の片方の歯止めのきかない異常さも顕著に描かれていました)が、しかし、そういうことをすべて認識しながらこれら諸作品をいざ見るとなると、そこに描かれた状況が「いま」ではないというズレの決定的な理由によって、観客たちに見る集中力を止切らせてしまうということは、どうしても否めない事実だと思います。

なかでも出だしから結末が見えてしまう「最高殊勲夫人」では、それが特に顕著で、若尾文子が、自分の置かれた恵まれすぎるシチュエーション(姉たちが秘書から玉の輿を得るという道筋)に反発して決意した最初の「約束」に反して、徐々に川口浩に惹かれていくという定番の展開も、しかし、集中力を欠いてしまった不運な目の端で、すぐ脇の金魚の水槽の汚れの方がどうしても気に掛かり、結局映画鑑賞を中止して、水槽洗いを思い立つという実に情けない仕儀になってしまいました。

しかし、この不謹慎な「水槽洗い」にも、一定の収穫はありました。

水の滴りを受けるため、水槽の下に敷いていた日経新聞(2015.2.15朝刊。つまりこの日以後水槽を洗っていなかったのかも)に魅力的な記事を見つけたのです。

水槽洗いなどそっちのけで、記事を読みふけってしまいました。

最終の文化面に掲載されている「芸術と科学のあいだ」という小さなコラム(生物学者・福岡伸一筆)です、題して「ダリにもまた科学者の心」。

本文で、「科学者にとって、ときにアートの心が必要であるように、芸術家にもサイエンスの解像度が求められることがある」と書き出され、サルバドール・ダリのフェルメールへのオマージュ作品「フェルメールの〈レースを編む女〉に関する偏執狂的=批判的習作」(つまりデフォルメということだと思います)を掲げながら、「よほどフェルメールのことが好きだったのだろう、繰り返し自作のなかにフェルメールの〈レースを編む女〉を引用している。シュルレアリズム、ある意味でSF的世界を精密に描き続けたダリも科学者の心を持った芸術家といえるのではないか。」と結論づけられている小文なのですが、問題の箇所は、ダリのフェルメールへのオマージュを導き出すために挿入されたエピソードにあります。

ちょっと長い引用になりますが、筆写してみますね。

「そういえば、スペイン出身の映画監督ルイス・ブニュエルは、若い一時期、解剖学者ラモニ・カハールの研究室で学んだ経験があると聞いた。
カハールは顕微鏡であらゆる細胞を探求し、今日の神経化学の基礎となるニューロン説を唱え、ノーベル賞を受賞している。
ブニュエルの映画の中で、眼球にカミソリを入れる衝撃的なシーンがあるが、彼は研究室で来る日も来る日も細胞を削ぎきりする作業を命ぜられていたのかもしれない。
そう思って「アンダルシアの犬」1928をもう一度眺めていたら奇妙なシーンに気がついた。
本のページが風でめくれ一瞬だけ絵が見える。
それはフェルメールの「レースを編む女」なのだ。
ここにはどんな意味が込められているのだろう。
思えば、フェルメールほど科学的なマインドで絵を描いた画家もいなかった。
三次元空間をありのまま二次元のキャンバスに写し取りたい。最先端技術を使って。
これは科学的探究心以外の何ものでもない。彼は焦点深度のずれやレンズ視野周囲のにじみまで正確に描きとめた。」


ブニュエルが「アンダルシアの犬」のなかにフェルメールの「レースを編む女」を密かに描き込だという目新しいエピソードの引用でこの文を感動的に閉じてもいいのですが、実は、自分が興味を引かれたのは「ブニュエルとフェルメール」のエピソードというより、「引用する」という行為そのものの方にあったことを書いておかねばなりません、もう少し書いてみます。

この同じ文化面には、もうひとつ富士川義之の「詩話について」というエッセーが掲載されています。

実は、こちらの方が紙面の半分を領する大きな記事で、その日の文化面のメイン記事なのですが、筆者は文学形式としての「詩話」を現代に蘇生させるために、こんなふうに解説しています。

そもそも「詩話」とは、江戸時代の文人たちが愛好したジャンルで、「著名な先人の名詩や人柄や生活などに関する故事逸話が、古書の渉猟を通じてまとめられ、語りなおされたもの。
江戸時代の代表的な知識人である儒者たちは文化の継承に不可欠なものとしての知識の伝承行為を重視し、それを主として逸話や逸事の蒐集を通じて行っていた」のだそうで、「日本随筆大成」全71巻という書物も刊行されており、そのなかに多数の「詩話」が収められているのだそうです。
つまり江戸期の文人墨客のエピソードを集めたものということでしょうか。

そして、この「詩話について」を読んだあと、同じ紙面のコラム「ダリにもまた科学者の心」を読み、「ブニュエルとフェルメール」のエピソードに遭遇したのですが、アタマのなかには、まだ「詩話について」の読後のイメージがあって、「ブニュエルとフェルメール」のエピソードが、その江戸期の文人墨客のエピソードを集めた「詩話」と共通するものがあるような気がして興味をそそられ、「詩話」の映画編みたいなものがあったら面白いなという気持ちで、この文章を書いた次第です。
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# by sentence2307 | 2015-08-04 08:27 | 映画 | Comments(1)
この作品を見る前に、見たあとできっと原題にないサブタイトル「ふたつの心をつなぐ旅」は必要ない、余計なものだと感じるだろうなという予感を持っていました。

いままで、鑑賞前にもったこうした予感は、だいたい的中するのですが、しかし、今回に限っては違っていました、別に、これくらいのサブタイトルならあってもいいかなと。

この「これくらいなら、いいかな」は、おそらく、この作品に対する自分の「期待」と「失望」の落差を示しているような気がします。

それは、そのまま、この作品を予告編で見たときの印象と、実際に本編を見たときの微かな失望を現わしているのですが、実は、そのまえに、あえて「抑えたモノクロ画面」で撮られた作品というものに対する自分の先入観、というか「偏見」について説明しておかなければなりません。

この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」が、なぜ、あえてモノクロにこだわって撮られなければならなかったのか、という考察のまえに、映画史における多くの監督たちが、転換期の時代的な要請に従って「モノクロ作品」から「カラー作品」に移行しなければならなくなったときの「煩悶」についてどうしても考えておきたいと思ったからでした。

その「煩悶」こそが、「あえてモノクロにこだわって撮られなければならない作品」という問いの答えになるかも、と考えたのでした。

発明以後、映画を大きく変えた事件は、「発声」と「発色」だったといわれています。

特に、いままでは白黒だけでしか表現できなかった世界を、現実の色彩を反映させて描けるようになったということは、それだけで大きな事件、まさに革命的なことだったわけで、映画作家にとってその表現の広がりは、きっと驚天動地といえるくらいの喜びだったはずです。

しかし、色がついたことによって、失うものもまた少なくなかったのではないか、つまりそれが「煩悶」の意味だったに違いありません。

とりわけ人間の悲惨や悲痛な絶望を描くことに執着した映画作家たちにとっては、「そう」だったはずです。

小津作品が「色彩」を獲得たことによって、以後辛らつな「ペシミズム」や強烈な「絶望感」は影を潜めて、それらをストレートには描きづらくなったという事実をみれば、おおよそ分かるような気がします。

華やかで静謐な画調だけが描くことのできる上品で小市民の静かな絶望は、しかし「できる」というよりは、むしろ色彩の華やかな多弁性によって、逆にストーリーの饒舌を阻む「限界」ともなったのではないかという気がします。

はたして総天然色のシネマスコープとやらで、あの「風の中の牝鶏」の暴力的なまでに殺伐とした夫婦関係の感情の昂ぶりを、あのように描くことができただろうかと思わずにいられません。

以後、小津の描いたこの過激な「殺伐」は、時代を遡って「ぶれ過ぎ」と決め付けられ、戦争直後という時代の特殊性のなかに括られて封じ込められたあげく、評者たちの理解からも遠ざけられるという否定的な扱いを受けました(非難→無視)。

黒澤明にしても、色彩を獲得(熱中)することによって、「絶望→希望」を描けた世界観を次第に失い、晩年は「絶望→悲観」までしか描けなくなります。

それは、以前の黒澤なら、さらにもう一歩突き進んで、その先にある「希望」までをも強引に切り開いてみせた活力をすっかり失い、疲労感にみちた中絶に甘んじた無力な「悲観」の情景しか描けなくなったことを見れば明らかです。

いずれにしても(小津にしても黒澤にしても)、その凋落の根本には色彩の多弁に阻まれた限界が障碍となったからだと考えたのですが、それともうひとつ、モノクロに相応しい題材とのミスマッチということもあったかもしれません。

この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を見ながら、その「ミスマッチ」について考えていました。
あえてモノクロで撮ったというこだわりの傑出した名作ということで連想した作品が、ふたつありました、「ラストショー」と「ペーパームーン」です。

粗くざらついた白黒画面は、荒廃したアメリカの田舎町の風景を生々しく描くのにふさわしく、その寒々しい風景を的確に描き得ていたのですが、しかし、ただそれだけではない、寒々しい人間関係の絶望的なあり方が、まさにその風景と同調して痛烈に描き込まれていたからこそ、その「白黒画面」は、僕たちの楽観を傷つける強烈な印象と深い感銘を与えることができたのだと思います。

この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」においても、そのモノクロ画面は、まさに「寒々しい風景」を的確に捉えていたのですが、その情景の画調が、すさんだ感情の象徴でも有り得たのかどうか、そこはしごく疑問と感じました。

この映画が傑出しているのは、「100万ドル当選」が、耄碌した老父の妄想でしかないことを、「生まれ故郷」の近親者や「親友」によって、タカられ、辛らつに暴かれ、そして、あからさまに嘲笑される過程に、息子もまた身を置くところにあります。

そこでは、「100万ドル当選」が、ただの妄想にすぎなかったように、「生まれ故郷」に抱いていた親しみや郷愁だって同じようなものだったのだと徐々に描かれます。

いや、むしろ「100万ドル当選」はともかく、「故郷」こそ馬鹿げた唾棄すべきものとさえいっているような気がします。

なにしろ、「100万ドル当選」の代わりとはいえ、ネブラスカの出版社は、輝かしい記念キャップをくれたのですから、タカルことばかり考えていた生まれ故郷の近親者や親友たちとは大違いだったわけで、「故郷」より余程誠実だったということができたのですから。

妄想だったとはいえ(しかし、「それ」がなければ、故郷の者たちの悪意は、ここまであぶりだされることもなかったかもしれませんが)「100万ドル」にタカリ、それが妄想とわかると嘲笑するような故郷につくづく嫌気がさして、その地を見放して立ち去る親子の姿に、かつて見た「ペーパームーン」をダブらせることで、なんだか複雑なものを感じてしまいました。

息子は、老父が嘲笑され、非難を浴びたとき、はじめて老父の妄想に徹底的に付き合おうと決意します。

それまで息子は、父の妄想に付き合うとはいっても、それを事実として真に受けていたわけではありません。

ネブラスカに向かう父の気持ちをどうにか紛らわすために数日付き合うくらいに考えていただけで、そのついでに親類縁者や旧友のいる故郷に立ち寄ることが父のためにもいいと感じたはずです。

あの「ペーパームーン」の擬似親子には、ラストで心を通わせ、ほのぼのと「結束」する様子が描かれたのですが、この「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」に、そういうものが、果たして描かれているのだろうかと。

最初息子は、父の妄想を拒絶します。

それは、まだまだ父の「正気」の部分があるのに、「妄想」など受け入れられないというのが本心だったでしょう。

しかし、ありもしない「100万ドル」によって親類縁者や旧友から無心され、否定すると非難され、そしてそれが単なる妄想だったと知れたとき嘲けられたことで息子は父をかばい、自分だけは父の妄想(残された「正気」を含めて、ですが)を受け入れようと決意します。

いささか食い違ってはいてもそれでもいいのだと。

しかし、それが、サブタイトルにあったあの「ふたつの心をつなぐ旅」ということだったのか、という疑問が、やはりふたたび自分を捉えます。

残された「正気」の部分だけでなく、まだらにボケタ部分をも(口裏を合わせて)すべて受け入れることもまた愛情なのか、結局のところ、最後まで納得できないで終わるかもしれないという戸惑いをやり過ごしながら、このサブタイトルを受け入れてもいいような気にだんだんなってきました。

(2013アメリカ)監督・アレクサンダー・ペイン、製作・アルバート・バーガー、ロン・イェルザ、製作総指揮・ジョージ・パーラ、ジュリー・M・トンプソン、ダグ・マンコフ、ニール・タバツニック、脚本・ボブ・ネルソン、撮影・フェドン・パパマイケル、美術・デニス・ワシントン、衣装・ウェンディ・チャック、編集・ケビン・テント、音楽・マーク・オートン
出演:ブルース・ダーン(ウディ・グラント)、ウィル・フォーテ(デヴィッド・グラント、ウディの次男)、ジューン・スキッブ(ケイト・グラント、ウディの妻)、ステイシー・キーチ(エド・ピグラム、かつてウディと自動車整備工場を経営していた男)、ボブ・オデンカーク(ロス・グラント、ウディの長男)、アンジェラ・マキューアン(ペグ・ナギー、ウディの結婚前の恋人)、ティム・ドリスコル、デヴィン・ラトレイ(コール、レイとマーサの息子)
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# by sentence2307 | 2015-05-17 17:12 | 映画 | Comments(0)

そこのみにて光輝く

「そこのみにて光輝く」のなかで、どうしても引っかかる場面がありました。

同僚を自分の不注意から鉱山の発破事故で死なせてしまった達夫(綾野剛が演じています)が、その記憶に苦しみつづけ、立ち直れないまま苦痛を酒で紛らわすため、毎夜、歓楽街を彷徨って泥酔するまで飲み歩くという荒んだ生活を続けていたそんなとき、たまたま立ち寄った売春バーで千夏(池脇千鶴が演じています)と出会う場面です。

このシーンは、この物語にとって、もっとも重要な場面といっても言い過ぎではありません。

実は、その前日に、パチンコ屋で顔見知りになった拓児(菅田将暉の好演が光ります)という男に「メシでも食わないか」と彼の家に誘われ、そこで彼の姉・千夏にはじめて出会っています。

そしてふたりが交わしたわずかな会話の中に、互いに興味を抱いて惹かれあう兆しが、遠慮がちに描かれており、観客にこれからふたりの関係が徐々に深まっていくのだろうかと思わせたその直後に、この売春バーでの痛切な出会いが描かれているのです。

はじめて出会い、互いに興味を抱いて、わずかながらも好感を持ちはじめて会話を交わしたふたりにとって自分のいい面だけを見せたいに違いない「出会い」のその直後、偶然に出会ったその場所は、こともあろうに他人には絶対に知られたくない自分の最も弱く醜悪な姿をまるごとさらけ出しているという悲痛な、売春と泥酔の「現場」でした。

そこで不意に出会ったふたりは驚愕し、動揺し、しかし、戸惑いながらも、徐々に状況が分かってきた達夫が、「いくら」と店のママに「彼女の値段」を尋ねます。

そして、「8000円」という答えに、達夫は思わず笑い出してしまう。

千夏は、侮辱されたと激怒し、達夫を幾度も殴って店から追い出します。

しかし、達夫のこのときの笑いが、泥酔していたとはいえ、本当に「軽蔑」の笑いだったのだとしたら、このように嘲り傷つけられて破壊された人間関係が、果たして、まるでなにごともなかったみたいに、このように修復できるものなのだろうか、という疑問にとらわれてしまったのでした。

すこしあと、次第に2人が親密になって、やがて達夫から求愛されたとき、千夏は、自分には養わなければならない家族があり、そのためにはどうしても「売春」しなければならないのだと、言い返す場面があるのですが、しかし、それは、あの夜に受けた「8000円」と侮辱されたことに対しての抗弁だとしたら、あまりにも冷静すぎるように感じました。

侮辱され傷つけられた人間の怒りと怨念の記憶は、こんなもので収まるはずがない、という違和感、ストーリーの本道からいつの間にか忘れ去られてしまったかのような「8000円」といわれたあの侮辱はどこへいってしまったのかという違和感をずっと持ち続けてきました。

それとも千夏にとってあの「8000円」といわれたことは、侮辱でもなんでもないことで、右から左に聞き流せる些細なことだったのか、これではまるで侮辱を受けたことなど「なかった」みたいではないか、と考えたとき、そうか、本当は「なかった」のかもしれないなと思い立ちました。

映画のオリジナルなら、そういうことは十分に考えられることです。

映画を見てから、原作を読むなどということは、ついぞしたことがないのですが、今回は例外です。

さっそく図書館から原作本「そこのみにて光輝く」を借りてきて読み始めました。

欲情にとらわれた達夫が、女を求めて夜の街に彷徨い出るクダリは、確かにありますが(41頁)、しかし、そこでは千夏との出会いはありません。

あるいは、千夏が、達夫との性交時にバーで体を売っていることを告白するクダリもありますが(58頁)、達夫が客だったこともありません。

ですから、「8000円」も原作では最初から存在しなかったことになります。

分裂していたふたつのストーリーを「場」によって結び付け、ドラマを盛り上げる巧みさには心底感心しました。

しかし、ひとりの人間の値段の「8000円」という数字が、あまりに強烈すぎて、その痛切な存在感がドラマの中でいつまでも尾を引き、「あれってどうなった」みたいな影響力が一人歩きしてドラマに綻びをきたすことまでは想定できなかったことを除けば、ですが。

そして、もうひとつ原作と違うところがありました。

達夫が苦しんでいた「同僚を死なせてしまった」あの発破事故は原作にはなく、あるのは、造船所で働いていたとき拘わっていた組合活動に嫌気がさして、さっさと勧奨退職したことと(スト破りみたいな感じだったのでしょうか)、かつてのその組合員からときたま嫌味な干渉を受けていることが寒々しく描かれているだけです。

もし原作に忠実に描いていたとしたら、党派の迷宮に足を取られ、これほどまでの求心力を獲得できていたかどうか、すこぶる疑問とするところです。

監督・呉美保の選択は、ともに正しかったと言うほかありません。

(2014「そこのみにて光輝く」製作委員会)監督・呉美保、原作・佐藤泰志「そこのみにて光輝く」1989河出書房新社刊、第2回三島由紀夫賞候補作、脚本・高田亮、音楽・田中拓人、製作・永田守、企画製作・菅原和博、エグゼクティブプロデューサー・前田紘孝、プロデューサー・星野秀樹、アソシエイトプロデューサー・吉岡宏城、佐治幸宏、キャスティングディレクター・元川益暢、ラインプロデューサー・野村邦彦、撮影・近藤龍人、照明・藤井勇、録音・吉田憲義、美術・井上心平、編集・木村悦子、助監督・山口隆治、助成・文化芸術振興費補助金、配給・東京テアトル、函館シネマアイリス、宣伝・太秦、制作プロダクション・ウィルコ、製作・「そこのみにて光輝く」製作委員会(TCエンタテインメント、スクラムトライ、函館シネマアイリス、TBSサービス、ひかりTV、ギャンビット、TBSラジオ&コミュニケーションズ、太秦、WIND)、レイティング・R15+、英題THE LIGHT SHINES ONLY THERE
出演・綾野剛(佐藤達夫)、池脇千鶴(大城千夏)、菅田将暉(大城拓児)、高橋和也(中島)、火野正平(松本)、伊佐山ひろ子(大城かずこ)、田村泰二郎(大城泰治)、奥野瑛太、あがた森魚、猫田直、小林万里子、熊耳慶、中村憲刀、小林なるみ、近藤奈保妃、横内宗隆

第38回モントリオール世界映画祭コンペティション部門出品・最優秀監督賞(呉美保)、第22回レインダンス映画祭・ベストインターナショナル賞、第6回TAMA映画賞・最優秀女優賞(池脇千鶴)、最優秀新進男優賞(菅田将暉)、第36回ヨコハマ映画祭・ベスト10第1位、作品賞、第88回キネマ旬報ベスト・テン(2015年)・日本映画ベスト・テン1位、監督賞(呉美保)、脚本賞(高田亮)・主演男優賞(綾野剛、『白ゆき姫殺人事件』と合わせて)、第38回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(池脇千鶴)、第29回高崎映画祭・最優秀監督賞(呉美保)、最優秀主演男優賞(綾野剛)、最優秀助演女優賞(池脇千鶴)、最優秀助演男優賞(高橋和也、菅田将暉)、第69回毎日映画コンクール・日本映画優秀賞・男優主演賞(綾野剛)、女優助演賞(池脇千鶴)、監督賞(呉美保)、第57回ブルーリボン賞・監督賞(呉美保)、第10回おおさかシネマフェスティバル・作品賞、主演男優賞(綾野剛、『白ゆき姫殺人事件』と合わせて)、主演女優賞(池脇千鶴)、助演男優賞(菅田将暉、『海月姫』、『闇金ウシジマくん Part2』と合わせて)、監督賞(呉美保)、撮影賞(近藤龍人、『私の男』と合わせて)、平成26年度芸術選奨文部科学大臣新人賞映画部門(呉美保)、第9回アジア・フィルム・アワード - 最優秀助演女優賞(池脇千鶴)、第24回日本映画批評家大賞・監督賞(呉美保)、主演男優賞(綾野剛)、助演女優賞(池脇千鶴)、助演男優賞(菅田将暉)
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# by sentence2307 | 2015-05-04 20:54 | 映画 | Comments(0)

書くことの重さ

あれはちょうど「海炭市叙景」が上映された少しあとの頃だったと思いますが、日本映画専門チャンネルで「海炭市叙景」放映に合わせて、作家・佐藤泰志のドキュメンタリーも併映していました。

タイトルは、たしか「書くことの重さ」だったでしょうか。

「海炭市叙景」の描く救いようのない人々の絶望と悲観、殺伐とした内容が、自分にはあまりにも重過ぎて、鑑賞後の不安と、振り切ってしまった動揺の持って行き所がなく、気持ちのおさまりのつかないまま、このドキュメンタリーになんらかの答えがあるのではないかと、すがりつくような思いで、この「書くことの重さ」をも見た気がします。

内容は、この若き作家・佐藤泰志が芥川賞の候補にあげられ、いままさにその受賞の連絡がくるかどうかという緊張の瞬間に立ち会う臨場感溢れるドキュメンタリーでした。

それまで幾度も芥川賞の選に漏れている佐藤泰志は、照れくさそうに苦笑しながら、そして弱々しく「今度もやっぱりダメですよ」と背をかがめて話していた映像が、いまでも強烈に残っています。

たぶん、そのドキュメンタリーの製作者の意図も、そこで「喜びの瞬間」を捉えようなどというつもりはさらさらなく、この不運の作家のさらなる「失意」を露骨に狙っている底意地の悪さがモロに透かし見える、なんだか見え見えの作品で(他人の「歓喜」よりも「失意」や「絶望」の方が、そりゃあ作品として見栄えがするし、玄人受けもいいというのは周知の事実なので、それなりに商売にもなるわけです)、その製作者の意図どおり、自分としても、佐藤泰志がそのように弱々しく卑屈に受け答える様子から、瞬時に、やがて自殺という「自己破産」に至る苦渋の瞬間まで、まっすぐに繋がる安直な失意の図式が連想され、まさに自分もまたこのドキュメンタリーの意図に易々と乗せられて共振するという、彼の「苦渋」を安直に「理解」してしまったことへの苦々しい自己嫌悪だけが残ってしまったような映像体験でした。

あきらかに、このドキュメンタリーは、ひとりの男の「自死」をあらかじめ織り込みながら、芥川賞落選の瞬間をも死の影に覆われたものとして描こうとしています。

やり過ごしてしまえばなんということもない、取るに足りない「落胆」を、より一層痛ましいものに無理やり関連付ける連続性のデコレーションに成功した作品だったかもしれません。

しかし、その自己嫌悪は、自分たちがすでに知っている彼の「自殺」という悲痛な出来事を時間軸を逆転させて作品に反映させ、弱々しい不運な作家をより一層マイナーに見せるという悪意に満ちた効果をいつの間にか自分たちも愉しんでしまっていることへの嫌悪という種類のものだったでしょう。しかし、今回この「そこのみにて光輝く」を見ていて、いつの間にか自分が抱いてきたその先入観(デコレーションへの嫌悪)にちょっと違和感をおぼえたシーンが幾つかありました。

それは、なによりもこの作品の持っている独自の力強さ(ストーリーはとことん絶望的であっても)です。

「海炭市叙景」が帯びていたあの弱々しい悲壮感(早世の作家の不運を利用して反映させた悲壮感)とはまったく違う、そして、佐藤泰志の卑屈で鬱屈した悲観(虚飾としてのデコレーションですが)に引きずられることなく、それらとはまったく異質な創意に満ちた力強さを感じました。

それは、「自殺作家」の悲観や叙情性を作品上で上手に利用したり、マイナーな雰囲気に寄り掛かろうとはしていない独自な自立した表現といえるものだったかもしれません。

オリジナルから距離をとり、自立した「自由」を確保しながら創造するということは、途轍もなくエネルギーを必要とする行為だと思いました。

「ここのみにて光輝く」には、全編を通して兄を気遣う「妹」からの手紙という形でナレーションが語られています。

それは逆に、貧しく苦しい生い立ちを、ともに過ごし育ってきた妹への深い愛情が感じられることでもあったのかもしれません。

下に掲げた佐藤泰志の年譜によれば、佐藤泰志が自殺する前年に、妹さんが急死されたと記されています。

「海炭市叙景」の最初のエピソードでは、谷村美月演じる妹が、絶望する兄がいつか死んでしまうのではないかという不安に駆られ、怯えながら絶えず兄をうかがっている繊細な姿が描かれていました。

(2013)監督・稲塚秀孝、プロデュース・稲塚秀孝、撮影・進藤清史 、作佐部一哉、美術・庄司薫 、嶋村崇、主題曲/主題歌・ロベルト・シューマン、ミキサー・永田恭紀、音響効果・塚田大、照明・男澤克幸 、川島孝夫、編集・油谷岩夫、EED・金井猛 、佐藤幸、音声・内田丈也 、斎藤泉 、武田脩平、助監督・岩田大生 、池田春花 、新見圭太 、中野沙羅、題字/タイトル・西本直代、ナレーション・松崎謙二、語り・仲代達矢
出演・佐藤泰志、村上新悟(佐藤泰志)、加藤登紀子(佐藤幸子)、杉本凌ニ、坪内守、大塩ゴウ、平田康之、鎌倉太郎、鈴木豊、神林茂典、本郷弦、樋口泰子、





佐藤泰志 年譜

昭和24年(1949)
4月26日、函館市高砂町(現 若松町)に佐藤省三・幸子の長男として生まれる。

昭和31年(1956) 7歳
函館市立松風小学校に入学。4年生頃から大人びた言動が目立ち始める。

昭和37年(1962) 13歳
函館市立旭中学校入学。 読書クラブに所属し、3年生の時、部長になる。「『赤蛙』を読んで」が第10回北海道青少年読書感想文コンクールに入選し、受賞式出席のため札幌へ行く。

昭和40年(1965) 16歳
函館西高等学校に入学。文芸部に入る。 学習雑誌の投稿欄に随筆・詩などを投稿する。

昭和41年(1966) 17歳
小説「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。この頃、文芸読書サークル「青い実の会」結成を学友に呼びかける。

昭和42年(1967) 18歳
函館西高等学校で防衛大学校入学説明会阻止闘争が起こる。この事件を素材にした小説「市街戦の中のジャズメン」で第5回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。しかし、この作品は、高校生の書いたものとしては内容的に問題があるとされ、北海道新聞への掲載を拒否される。

昭和43年(1968) 19歳
3月、函館西高等学校卒業。函館で浪人生活を始める。 20枚の作品だった「市街戦の中のジャズメン」を30枚に書きなおし、「市街戦のジャズメン」と改題して『北方文芸』に発表。卒業前から北海道大学水産学部、北海道教育大学函館分校の政治的学生グループと接触。そのあたりから数年、大江健三郎・カミュ・ニザンなどを熱中して読む。 小説「市街戦のジャズメン」(『北方文芸』第1巻第3号)詩「ニューレフト」(『函館西高新聞』、3月)

昭和44年(1969) 20歳
浪人生活2年目。井田幸子・磯野新一・藤川巌・平智則ら年下の高校生と出逢う。

昭和45年(1970) 21歳
上京。中野区上高田に住む。 4月、國學院大学文学部哲学科に入学する。 高校時代の学友らと同人誌『黙示』を創刊に参加する。第6号まで詩や随筆数編を発表。

昭和46年(1971) 22歳
4月、大学の同級生漆畑喜美子と中野区上薬師で暮らしはじめる。 7月、『黙示』を脱会し、藤川巌、茜堵志哉、岩崎理らと同人誌『立待』を創刊。小説「贋の父親」(『立待』創刊号、7月) 小説「追悼」(『立待』2号、8月)小説「留学生」(『立待』3号、12月)

昭和47年(1972) 23歳
国分寺市戸倉に転居。喜美子は大学を中退。国分寺のジャズ喫茶に勤める。 小説「防空壕にて」(『立待』4号、7月) 小説「奢りの夏」(『北方文芸』第5巻10号)

昭和48年(1973) 24歳
国分寺市東元町に転居。さらに国分寺市本多に。短期間のうちに市内を転々とする。小説「孔雀」(『立待』5号、1月) 小説「兎」(『立待』7号、7月) 小説「犬」(『立待』9号、8月)小説「遠き避暑地」(『北方文芸』第6巻12号)

昭和49年(1974) 25歳
3月、国学院大学を卒業。卒業論文は「神なきあとの倫理の問題」。4月、喜美子就職。国分寺市戸倉に戻る。市役所を15か所受けるが全部落ちる。大学推薦の予備校事務員の職も自分で蹴る。服装メーカーの製品値札付けのアルバイトを皮切りに、その後職を転々とする。10月、同人誌『贋エスキモー』を藤川巌、酒井俊郎とガリ版刷りで創刊。 小説「颱風」が第39回文学界新人賞候補となる。小説「少年譜」(『立待』9号、4月) 小説「朝の微笑」(『北方文芸』第7巻11号)小説「休暇」(『贋エスキモー』創刊号、10月)

昭和50年(1975) 26歳
あかつき印刷に勤める。

昭和51年(1976) 27歳
10月、八王子市長房の都営団地に転居。喜美子、転職。 小説「深い夜から」(『北方文芸』第9巻8号)が第1回北方文芸賞佳作となる。授賞式のため札幌に行く。

昭和52年(1977) 28歳
精神の不調に悩み、3月、上目黒診療所で自律神経失調症の診断を受け、通院をはじめる。以後、没するまでずっと精神安定剤を服用。療法としてのエアロビクス体操とランニングをはじめる。1日、10キロ以上走る。9月、国立市の一橋大学生協に調理員として勤める。一橋の学生寮に出入りし、三里塚の援農にかかわる。 小説「移動動物園」(『新潮』6月号)が第9回新潮新人賞候補作となる。

昭和53年(1978) 29歳
5月、長女・朝海(あさみ)誕生。 10月、『贋エスキモー』をタイプ印刷であらためて1号から発行。 小説「光の樹」(『贋エスキモー』1号、10月) 小詩集「愛あらば一枚の皮膚」(『贋エスキモー』1号、10月)

昭和54年(1979) 30歳
梱包会社に正式に就職。 12月9日、睡眠薬による自殺未遂で入院。 小説「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3号)小説「颱風伝説」(『北方文芸』第12巻6号) 小説「草の響き」(『文藝』七月号)小説「ディトリッヒの夜」(『幽幻』2号、8月) 小説「画家ティハニー」(『贋エスキモー』2号、10月)随筆「私信・今もまだ贋エスキモーである藤川巌に」(『贋エスキモー』2号、10月)

昭和55年(1980) 31歳
1月13日、長男・綱男誕生。1月23日退院。 小説「もうひとつの朝」(『北方文芸』第12巻3号)で第16回作家賞を受賞。2月、その受賞式のために名古屋へ。「もうひとつの朝」は文芸誌『作家』3号に転載された。小説「七月溺愛」(『北方文芸』第13巻3号)

昭和56年(1981) 32歳
3月、郷里の函館市に転居。 職業安定所に通いながら、就職先を探す。 5月、職業訓練校の建築科に入り、大工になるための訓練を受ける。 小説「撃つ夏」(『北方文芸』第14巻第2号) 童話「チエホフの夏」(『贋エスキモー』3号、8月) 小説「きみの鳥はうたえる」(『文藝』9月号)が第86回芥川賞候補作となる。

昭和57年(1982) 33歳
3月、東京に戻る。国分寺市日吉町4丁目に住む。 『きみの鳥はうたえる』(3月、河出書房新社刊、表題作のほかに「草の響き」を所収)随筆「函館の朝市」(朝日新聞社北海道支社発行〈旅のメモ〉4月号) 小説「光る道」(『文藝』10月号)小説「空の青み」(『新潮』10月号)が第88回芥川賞候補作となる。

昭和58年(1983) 34歳
『きみの鳥はうたえる』の表紙を担当した画家・高専寺赫と親しくなる。 このころから文芸誌の新人賞の下読みと新聞の書評の仕事が入るようになる。 小説「鳩」(『性教育研究』2月号) 小説「水晶の腕」(『新潮』6月号)が第89回芥川賞候補作となる。 小説「黄金の服」(『文學界』9月号)が第90回芥川賞候補作となる。

昭和59年(1984) 35歳
5月から『日刊アルバイトニュース』の連載エッセイ「迷いは禁物」がはじまる。週に1本、1985年7月まで全部で56回書く。5月、国分寺市日吉町3丁目に転居し、以後、没するまでここに住む。次女・佳乃子誕生。小説「防空壕のある庭」(『新潮』3月号) 随筆「夢みる力」(『北海道新聞』2月22日付)随筆「八百五十キログラムの詩集」(『オーバー・フェンス』6号、3月) 小説「美しい夏」(『文藝』六月号)小詩集「僕は書きはじめるんだ」(『オーバー・フェンス』7号、9月)

昭和60年(1985) 36歳
小説「鬼ガ島」(『文藝』3月号) 小説「オーバー・フェンス」(『文學界』5月号)が第93回芥川賞候補作となる。随筆「書斎」(『北海道新聞』7月30日付) 小説「野栗鼠」(『文藝』9月号)小説「風が洗う」(『文學界』11月号) 小説「そこのみにて光輝く」(『文藝』11月号)詩「そこのみにて光輝く」(『オーバー・フェンス』9号、11月)

昭和61年(1986) 37歳
「もうひとつの朝」の再発表をめぐって波紋。事実上、文芸ジャーナリズムからほされる。 アルコール中毒ひどくなる。 小説「もうひとつの朝」(『文學界』6月号)

昭和62年(1987) 38歳
随筆「十年目の故郷」(『北海道新聞』1月20日付) 随筆「『北方文芸』と私」(『北海道新聞』4月25日付)小説「大きなハードルと小さなハードル」(『文藝』12月号)

昭和63年(1988) 39歳
4月よりテレビドラマの時評を月1回書く。(共同通信系で全国より地方紙に「放送時評」あるいは「テレビ時評」として、1989年3月まで連載される)。 加藤健次編集の雑誌『防虫ダンス』に連載していた「海炭市叙景」の連作を途中で打切り、文芸誌『昴(すばる)』で、11月号より新たに最初から断続的に掲載を始める(1990年の4月号まで6回にわたり発表する。なお、この連作は当初の構想では、全体を4章(36編)とし、第1章「物語のはじまった崖」と第2章「物語は何も語らず」の18編が『昴』誌上に発表された。しかし、1990年の自裁により第3章以降は中断となる)。 小説「海炭市叙景/1まだ若い廃墟 2青い空の下」(『防虫ダンス』4号、1月) 随筆「青函連絡船のこと」(『中國新聞』ほか、3月10日付) 小説「海炭市叙景/3冬を裸足で」(『防虫ダンス』5号、5月) 随筆「もうひとつの屋上」(『昴』7月号) 小説「海炭市叙景」(『昴』11月号) 小説「納屋のように広い心」(『文藝』季刊冬季号)

平成元年(1989) 40歳
1月19日、北海道浦河町に住む妹・由美が急死する。小説「闇と渇き(海炭市叙景2)」(『昴』3月号)『そこのみにて光輝く』(3月、河出書房新社刊、既発表の「そこのみにて光輝く」を第1部として、書き下ろしの第2部「滴る陽のしずくにも」を合わせたもの)が第2回三島由起夫賞候補作となる。小説「裸者の夏」(『群像』5月号)小説「新しい試練(海炭市叙景3)」(『昴』5月号)随筆「浦河の映画館」(『北海道新聞』6月2日付)小説「春(海炭市叙景4)」(『昴』9月号)『黄金の服』(9月、河出書房新社刊、表題作の他に既発表の「撃つ夏」「オーバー・フェンス」を所収)随筆「背中ばかりなのです」(『新刊ニュース』11月号)小説「夜、鳥たちが啼く」(『文藝』季刊冬季号)

平成2年(1990) 41歳
10月9日夜、ロープをもって家を出る。10日朝、自宅近くの植木畑で死体となって発見された。11日、通夜。12日、告別式。小説「青い田舎(海炭市叙景5)」(『昴』1月号) 随筆「武蔵野雑感」(『北海道新聞』1月23日付)随筆「アメリカの叫び」(映画『ブルックリン最終出口』パンフ、3月) 小説「楽園(海炭市叙景6)」(『昴』4月号)随筆「川の力」(『毎日新聞』5月29日付) 随筆「失われた水を求めて」(『東京人』7月号)随筆「卒業式の思い出」(国学院大学広報誌『滴』、10月) 小説「星と蜜」(『文藝』文藝賞特別号)小説「虹」(『文學界』12月号)

平成3年(1991)
『移動動物園』(2月、新潮社刊、表題作のほかに既発表の「空の青み」「水晶の腕」を所収) 『大きなハードルと小さなハードル』(3月、河出書房新社刊、表題作のほかに既発表の「美しい夏」「野栗鼠」「納屋のように広い心」「裸者の夏」「鬼ガ島」「夜、鳥たちが啼く」を所収) 『海炭市叙景』(12月、集英社刊) 3月、福間健二発行による文芸同人誌『ジライヤ』第6号が佐藤泰志追悼特集を組む。

平成4年(1992)
4月、佐藤喜美子より函館市文学館へ遺品が寄贈される。7月、辻仁成・荒木元発行の文芸同人誌「ガギュー」(創刊号)が佐藤泰志特集を組む。10月、「佐藤泰志をしのぶ会」(三回忌)が国分寺市内で営まれる。発起人は木村和史・佐藤喜美子・福間健二・藤川巌。

平成5年(1993)
3月、函館市文学館が開館し、佐藤泰志の展示コーナーが設置される。中高時代の学友などによる「函館文学館の佐藤泰志コーナーに絵を飾る会」から、高専寺赫作品「叙景」(『海炭市叙景』の表紙絵)が函館市文学館へ寄贈される。4月、「絵を飾る会の夕べ」が開催される。6月、文芸同人誌『ガギュー』第2号が再度、佐藤泰志を特集する。

平成8年(1996)
8月、藤田節子(元函館文学学校事務局長)から函館市文学館へ、佐藤泰志からの書簡などが寄贈される。

平成9年(1997)
5月、坂本幸四郎(文筆家)から函館市文学館へ、佐藤泰志からの書簡などが寄贈される。
平成11年(1999)
9月、函館市文学館で「佐藤泰志 途絶した青春」展が開催される(9/17~10/20)。同文学館主催により、日本近代文学会会員北村巌による講演会「佐藤泰志、その眼底に焼き付けしもの」が開催される。中高時代の学友らの手により、佐藤泰志追想集「きみの鳥はうたえる」(佐藤泰志追想集を発行する会発行)が刊行される。
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# by sentence2307 | 2015-05-04 20:49 | Comments(0)

あにいもうと

例えば、長年気に掛かっていた未見の作品を、やっと見られるという機会に遭遇しても、その時もたまたま忙しくて、残念ながらやり過ごさなければならず、結局またも見逃したという作品なら、そりゃいままでだって数え切れないくらいあったわけですが、しかし、成瀬巳喜男作品だけは、どんなに多忙でも仕事の折り合いをつけて、必ず見るという自分のなかでの決め事だけは守ってきたつもりでした。

しかし、最近、その長年の思いが、結構「そう」でもなかったのかもしれないという事実を突きつけられた事態に遭遇しました。

実は先日、川本三郎の「成瀬巳喜男 映画の面影」(新潮選書2014.12.17刊)を読んでいたときのことでした、読みながら、ずっとある思いに捉われていました。

この本の冒頭は、淀川長治と対談したときのことから書き起こされていて、そこにはこんな遣り取りが記されています。

川本が「成瀬巳喜男は、お好きですか」と問うと、淀川は「いやよ、あんな貧乏くさい監督」とにべもなく即座に答えたというのです。

何事も派手好みで、黒澤明が大のお気に入りだった淀川長治らしい答えですが、川本三郎は、この答えを逆のバネにして、成瀬巳喜男の数々の名作群を語り出しています。

成瀬巳喜男が、十分すぎるくらい地味で貧乏くさい監督なのは、いまさら言われるまでもないことですし、その一方で、抑圧された生活に耐える小市民の悲哀を淡々と描いた成瀬作品のもつ魅力は、すでに海外においても高い評価を得ていることは、僕たちも十分に承知しており、これも「いまさらいわれるまでもない」ことではあります。

つまりこの本が、「いまさらいわれるまでもない」ことについて書かれているだけの本にすぎず、自分にとっても取り立てて得るものはなかったのですが、しかし、読んでいる間、ずっと気に掛かっていたのは、なぜ冒頭に、わざわざあの見当違いで低次元な淀川発言を据える必要があったのかでした。

まあ「貶しておいてから持ち上げる」というその「落差」によって書くテーマに精彩を与えようとするのは、物書きがよく使う姑息な手法にすぎないといってしまえば身もふたもありませんが、しかし「いやよ、あんな貧乏くさい監督」は、いくらなんでもひどすぎるのではないかと、ずっと気に掛かっていたのです(というよりも、とても嫌な気持でした)。

これってまるで、誰かに取り入るために誰かを貶さなければならないみたいなジレンマを課すみたいな、卑劣さと罪悪感とを読む人間に強いるそんな「いかがわしさ」を感じてしまったからだと思います。

しかし、それはそれでいいのです、そういう手法を駆使した本なら世間にはいくらでもあるし、むしろその方が「常道」なのかもしれません。

自分が感じたのは、「いまさらいわれるまでもない」成瀬巳喜男の魅力について書かれたこの本を読みながら、もしかしたら、ここに書かれているもはや言い古された感のある「成瀬巳喜男の魅力」は、本当に「そう」なのかという疑問でした。

例えば、淀川長治が、その「豪放磊落さ」によって黒澤明が大のお気に入りだったというなら、それはやはり「七人の侍」によってだったろうし、そして「用心棒」や「椿三十郎」によってだったに違いなく、決して「静かなる決闘」に対してではなかったはずです。

そういう意味では、性病と愛する許婚者のあいだで思い悩む女々しさを惜しげもなく描いた「静かなる決闘」は、黒澤明らしからぬ作品だったために、あまり語られることのなかった失敗作だったかもしれませんが、しかし、黒澤作品であることには変わりなく、これを「無視」するというのは、なにか違うのではないかという気がしたのです。

作家が抱え込むこの違和感を、「らしさ」で売るための商業上つくられた「虚像」から外れる異端作「静かなる決闘」を無視せざるを得ない行き方が、一方的な「黒澤明」像を確立させてしまったのではないかとずっと考えてきました。

考えてみれば、かくいう自分だって「静かなる決闘」を実際に見たのは、「豪放磊落」な黒澤明の諸作品を見たのち、かなり経ってからのことだったと思います。

そのとき、自分にとって「静かなる決闘」に相当するような成瀬巳喜男作品とはいったいなんだろうと考えたとき、1953年大映東京作品「あにいもうと」が思い浮かんだのでした。

自分が「あにいもうと」を実際に見たのは、つい最近のことです。

それは「あにいもうと」の語られる機会が、とても少ないことと呼応していることと関係あるかもしれません。

川本三郎の「成瀬巳喜男 映画の面影」のなかでも、この作品のタイトルが出てくるのはたったの二箇所で、それも内容を論ずるなどというものではなく、著名作品と撮影場所が同じとかいう理由でチョロっと紹介されるにすぎません。

そりゃあ「めし」1951や「おかあさん」1952、そして「稲妻」1952、「夫婦」1953、「妻」1953、「山の音」1954から「晩菊」1954、「浮雲」1955と至る成瀬巳喜男のピークを論じるとき、たしかに「あにいもうと」1953の成瀬らしからぬ荒々しさは異色ですし、とても違和感があって、そういう作品をあえて諸作品の系譜のなかに無理やり溶け込ませようとすれば、辻褄あわせがたたって論旨が破綻してしまうかもしれません。

実をいうと、自分もずっとこの「あにいもうと」の荒々しさは、苦手でした。

京マチ子の「もん」はともかく(炸裂するその激しい演技は「羅生門」ですでに経験済みです)、名優・森雅之を粗暴でぐうたらな川人足役で起用するなんて、ミスキャストも甚だしいではないかと人一倍感じてきました。

それは、兄・伊之吉を演じた森雅之が、「妹を思う気持ちは人一倍あるが、それをうまく現わすことのできない兄の、面と向かえば口汚く罵ることしかできない」表面的なことは演じられても、はたして、「妹との深い兄弟愛」という深い部分を演じ切ることができただろうか、という疑問です。

「口汚く罵る」ことの更にその向こうにあるという「妹を思う気持ち」がその演技に感じられてさえいれば、他の著名作品にくらべても遜色なく、この作品がこれまでこんなにも不遇をかこつこともなかったに違いありません。

おそらく、妹を孕ませた学生・小畑(船越英二が演じています)が「もん」を訪ねてやってきたその帰り道、伊之吉が小畑を待ち伏せする場面に、兄が「妹を思う気持ち」をどのよう表現すればよかったのか、そのすべてが掛かっていたのだと思います、そして結果は、残念ながら支離滅裂の印象しか受けませんでした。

最初、伊之吉は小畑に、妹を孕ませたことに激しく言いがかりをつけ、恐喝するだけなのかと思っていると、突然妹とのむかしの思い出をしんみりと語りだし、自分がいかに妹を心配してきたかをしみじみと小畑に訴えかけます。

伊之吉から凶暴な怒りをぶつけられて危害を加えられるのかと恐れおののいていた小畑は、突然妹との懐旧の思いを聴かされる伊之吉のその豹変ぶりに呆然自失して、棒立ち状態に見えてしまいました。

演者の船越英二自身が、その演技の豹変をどう受けていいのか戸惑っている様子がありありとしていました。

それはちょうど、伊之吉の荒々しさが「妹を思う気持ち」にまで辿ることのできない置き去りにされた観客の「呆然」に通ずるものがあったからに違いありません。

暴力を振るっておいて、オマエを殴るのはお前を思う「優しさ」からなどという歪んだアクロバティックな論法に、そもそも無理があったのだと思います。

しかし、世の中にはDVを受けたながら「あの人は私を愛しているから殴るの」とか訳の分からないことを言って別れられない女性もいるとかいうくらいですから、それを思うと森雅之のあの演技の分裂も、結構あれはあれでよかったのかもしれませんね、そんなふうに思えてきました。

キネマ旬報5位。
この年の1位は、今井正の「にごりえ」、2位「東京物語」、3位「雨月物語」、4位「煙突の見える場所」。
同じ原作の映画は、木村荘十二監督による「兄いもうと」1936がある。

(1953大映東京)監督・成瀬巳喜男、企画・三浦信夫、原作・室生犀星、脚本・水木洋子、撮影・峰重義、録音・西井憲一、照明・安藤真之助、美術・仲美喜雄、装置・小宮清、音楽・斎藤一郎、編集・鈴木東陽、助監督・西條文喜、製作主任・西沢康正、装飾・尾上芳夫、小道具・永川勇吉、背景・中村柱太郎、園芸・坂根音次郎、工作・田村誠、電飾・金谷省吾、技髪・鈴木英久、結髪・篠崎卯女賀、衣装・堀口照孝、音響効果・花岡勝次郎、移動・小野秀吉、スチール・椎名勇、記録・堀口日出、俳優事務・中山照子、撮影助手・中尾利太郎、記録助手・三橋真、照明助手・田熊源太郎、進行係・阪根慶一、
出演・京マチ子(もん)、森雅之(伊之吉)、久我美子(さん)、堀雄二(鯛一)、船越英二(小畑)、山本礼三郎(赤座)、浦辺粂子(妻・りき)、潮万太郎(貫一)、宮嶋健一(喜三)、河原侃二(坊さん)、山田禅二(豊五郎)、本間文子(とき子婆さん)、高品格、高見貫、原田該、鈴木信、日下部登、筑紫美枝子、目黒幸子、美川陽子、谷遥子、花村泰子、村松若代、松永倭文子、
2378m(10巻)、1953.8.19
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# by sentence2307 | 2015-04-18 11:46 | 映画 | Comments(2)

写経

先日、若い女子社員のグループから、先週末に京都旅行に行ってきたのでと、京都の珍しいお菓子をもらいました。

美味しそうなお菓子もなによりですが、若い女性たちが旅行の思い出話をいかにも楽しそうに話す賑やかな様子の方も、くたびれ果てた中年おやじには、なによりもの癒しになるのであって、その若々しく華やかな笑い声に囲まれているだけで、こちらも元気をもらえる感じがします。

こんなことでもなければ、会社で仏頂面を崩せる機会など滅多にあるものではありません。

その彼女たちがそれぞれ語る京都の思い出話をつなぎ合わせていくと、思わず「へえ~、そんなに方々回ったの」と、ついあきれてしまうくらい見当違いな地名が飛び交っています。

そのうえさらに、途中では老舗料理屋に立ち寄ってミニ懐石料理まで味わったというのですから、その欲張りすぎる無謀なプランにはあきれ返りました。

このツアー、聞いているだけで支離滅裂で、その掴み所のなさに、思わず「それじゃあ、さぞかし強行軍の忙しい旅行だったろうね」と同情の言葉が反射的に出てしまうほどでした。

客集めのために内容をてんこ盛りにしがちなツアー旅行の弊害を皮肉を込めて言ったつもりだったのですが、思い出話に花を咲かせている彼女たちには全然通じません、楽しげな哄笑に飲み込まれ、ササヤカな皮肉など木っ端微塵に粉砕されてしまいました。

そのときちょうど盛り上がっていた話題というのが、○○寺で体験した「写経」でした。

「へえ~(今日は、なんだか「へえ~」ばかり連発してしまう、やたら感心しまくる日です)そりゃまた古風な」と、今度もまた、興味のないものまで無理やり「させられる」体験ツアーの煩わしさを皮肉ったつもりだったのですが、思い出話に興奮している彼女たちには一向に通ずるわけもなく、やはり、ここも空しく言葉を飲み込まざるを得ませんでした。

「でもさ、お経なんて興味あんの?」

「全然ないです。でもお習字みたくて、すごく楽しかったですよ」

と答える彼女を見ながら、そういえば彼女、目の前に出されたどんなやっかいな仕事でも文句も言わず処理してくれる素直な、そしてそこがちょっと物足りなくもあるイマドキのお嬢さんらしい淡白なリアクションではあるよなと、変な納得の仕方をした次第です。

いちいち「議論」して納得しなければ簡単には物事を受け入れることのできない面倒くさい自分たちの世代とは、この辺が大いに異なるところだなと感じました。

そしてこういう一種の素っ気無さというのが仕事の面にも時折現れ、具体的な事例に接するたびに個々には注意することはあっても、根本的な「姿勢」というか、つまり「性向」批判に繋がるようなことについて、ジカに言うことは、めったにありません。

生まれ育ったその「時代」の空気によって身についてしまったものだから(自分にしたって「そう」ですよね)如何ともしがたいという思いがあるから、追求したり、突き詰めたりすることに気後れみたいなものを感じてしまいます。

でも、いい面ももちろんあるのですが、こうした淡白さが、もしかしたら彼・彼女たちが現在人間関係を構築するうえでとても障碍にもなっているのではないかと、ときどき危惧することがあります。

「他人と深く関わりたくない」という気持ちが、どうしても人間関係を希薄にさせてしまっているという印象が拭えないからでしょうか。

営業としては、致命的な性向だし、もしかしたら最近の若い人の未婚率の高さもこの辺りのことが関係しているのではないかと思ったりしています。

例えば、「結婚」に迷ったとき、それなりに思い悩み、突き詰め、格闘したすえにやっと得た結論(「決着」という方が相応しいかもしれません)というのが、いってみれば自分の決意ともなるのであって、最初からその「突き詰め」自体を厭い、躊躇して「かったるい」とかなんとかと断じて踏み出せずにいたら、結局なにも得られないのではないか、だから自分だけの殻に閉じこもる状況があるような気がします。

まあ、余計な話ですが。

午後、渋茶をいれてもらって、例の京都のお菓子をいただきながら、さっき聞いた「写経」についてぼんやりと考えていました。

自分もお経などついぞ今まで縁がなく、興味すらもなかったので、その有り難さまではよく理解できないでいるのですが、それでも最近「写経」というのが一応ブームみたいになっていることは、ちょっと耳にしたことがありました。

経文を一字ずつ正確に書き写すことによって心を鎮め、静謐な境地を得るとかいうアレですよね。

「正確に」といっても、聞くところによると、すでに「写経」用の半紙が印刷物として存在し、そこには漢字が薄く印刷されていて、ただそれを上からなぞるだけなので、そこにはむしろ「不正確」に書こうとすることの方が「有り得ないこと」らしいのです。

でも、よく考えてみれば、これってずいぶん人を馬鹿にした話じゃないですか。

意味を理解していない経文を、アタマから有り難がって、ただ単に書き写すなどという行為に、どれほどの意味があるのか、とても疑問ですし、むしろ、そういう変な観念が付きまとわないという意味でなら、「ぬり絵」の方がまだしも自分なりの工夫がほどこせるし、無心に色をぬるという行為の方が、(おそろしく頽廃した空虚な「写経」に比べたら)まだまだ意義のあることのような気がします。

そこで考えました。

「書き写す」という行為は、確かに貴重な行為です。

自分たちが小学生のとき、国語の授業でよく、「書き取り」という学習をやらされました。

教科書の重要な箇所をマルゴト書き写すアレです。

デジタル時代のいま小学生がこういう学習をやっているかどうかは知りませんが、子どもの書く力を培うには、これがなかなかスグレモノで、教科書を眺めていただけでなんか分かったような気でいた漢字が、いざ自分で実際に書いてみるとさっぱり書けない、ヘンテコな字を書いてしまって、まるで理解していないことが一目瞭然に分かります。

ですので、「書き写す」という行為は絶対に残しておくべきだとしても、しかし、問題は、「意味の分からない経文を、アタマから有り難がって、ただ単に書き写すなどという行為に、どれほどの意味があるのか」の方です。

つまり、意味が分からない経文を、ただ闇雲に書き写して有り難がるという空しい行為がNGだとすれば、ここは「経文」などに拘らず、自分がいままでに出会って感動した文章、ここでいう「経文」に匹敵するくらい意義ある文章を書き写すということにしたらどうだろう、そして、自分にとって実際「それ」がいったいなににあたるのか、と考えてみました。

いままで自分が出会った、そして最初に感動した文章(それこそ自分にとって「写経」に相応しいもの)とはなにか、実は、自分のなかにこの問いを発した瞬間、いや、もしかすると発するずっと以前から、その答えは既に自分の中に用意されていたような気がします。

それはアルベール・カミュの「異邦人」の最後の一節、死刑の執行を待つムルソーが、司祭から諭されます、自分の罪を認め、悔い改めれば救われるのだぞと。

そのとき、突然ムルソーは怒りに駆られ逆上します。

社会のなかで、どうすれば自分の居場所を定めることができるのか、そもそもこの世の中をどのように生きていけばいいのかと、自分もまた思い迷っていたときでした。

自分が抱いていた世間に対する違和感を、どうにか縮めることばかり考えていた自分に、「異邦人」は、そんなものは突き放してしまえ、社会におもねることなく、自分は自分らしく自分なりに生きていけばそれでいい、自分を理解されないことなど恐れるな、たとえ世間から非難され、八つ裂きにされ、殺されようとも、それでいいではないかと、生きる意味(無意味)を教えてくれたうえに、勇気を与えてくれた一文のような気がします。

というわけで、自分なりの「写経」第1回目というのを始めてみますね。

文庫本を参照しながらタイピングしていくのですが、長い時間をかけて既に自分の中で完成してしまっているものとのズレがあるとすれば、やはり「自分優先」ということになりますので、実際の本文との齟齬は当然生じることをお断りしておかなければなりません。

では。

《そのとき、私の中で何かが裂けた。
私は大口を開けて怒鳴り、彼らを罵り、祈りなどするなといい、消えてなくならなければ焼き殺すぞと叫んだ。
私は法衣の襟首をつかみ、私のなかに沸き立つ喜びと怒りとにおののきながらも、彼に向かって、心の底をぶちまけた。
君はまさに自信満々じゃないか。そうだろう。
しかし、その信念のどれをとっても女の髪の毛一本の重さにも値しないことが分からないのか。
君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ自信がない。
私はどうだ、このとおり両手は空っぽだが、しかし、私には自信がある。自分について、すべてについて、君なんかよりはよほどに強く。
また、私の人生について、来るべきあの死についても。
そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私をとらえているのと同じだけ、私はこの真理をしっかりととらえている。
私はかつて正しかったし、いまもなお正しい。いつも私は正しかったのだ。
私はこのように生きたが、また別なふうにも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。そして、そのあとは? 
私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたように思う。なにものも、なにものといえども重要なものはなにひとつなかったといえる。そのわけを私は知っているし、君もまた知っているはずだ。
これまでのあの虚妄な人生の営みのあいだじゅう、私の未来の底から、まだやってこない年月を通じて、ひとつの暗い息吹が私のほうへ立ち上がってきた。
その暗い息吹がその道筋において、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるすべてのものを、等しなみにしたのだ。
他人の死、母の愛-そんなものがいったいなんだろう。いわゆる神、人々の選び取る生活、人々の選ぶ宿命-そんなものに何の意味があるだろう。
ただひとつの宿命がこの私を選びとり、そして、君のように、私を兄弟とよぶ、その無数の特権ある人々を、私とともに、選ばなければならないのだから。
君は分かっているのか? いったい君は分かっているのか? 
誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、この世にいはしないのだ。他の人たちもまたいつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。
そのなかでたまたま人殺しとして告発されたその男が、母の埋葬に際してただ涙を流さなかったという理由のために処刑されたとしても、そんなことに何の意味がある? 
サラマノの犬には、その女房と同じ値打ちがあったのだ。機械人形みたいな小柄な女もマソンが結婚したパリ女と等しく、また、私が結婚したかったマリイと等しくすべて罪人だったのだ。セレストはレエモンよりすぐれてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろうと、それがなんだ? マリイが今日、もう一人のムルソーに接吻を与えたとしても、それがなんだろう? 
この死刑囚め、君はいったい分かっているのか? 
私の未来の底から・・・

すべてをこのように叫びながら、私は息が詰まった。
すでに司祭は私の手から引き離され、看守たちは私を脅しつけていた。しかし、司祭は彼らをなだめ、そして一瞬黙って私を見た。不可解だったが、その目には、たしかに涙が溢れていた。彼はきびすを返して、消えていった。

彼が出て行くと、私は平静を取り戻した。
私は精根尽きて寝台に身を投げた。
私は眠ったらしい、顔の上に星々の光を感じて目を覚ましたのだから。
田園のざわめきが私のところまで届いた。夜と大地と塩の匂いが、こめかみをさわやかにした。この眠れる夏の素晴らしい平和が、潮のように、私を浸した。
このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った。
それは、いまや私とは永遠に無関係になったひとつの世界との決別を告げているかのようだった。
そして、ほんとうに久しぶりで、私はママンのことを思った。
ひとつの生涯のおわりに、なぜママンが「許婚者」を持ったのか、そして生涯をやり直す振りをしたのだろうか、それがいまなら分かるような気がする。
いくつもの命が消えていくあの養老院のまわりでも、夕暮れは憂愁にみちた休息のひとときをもたらす。死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、あらためて生きることを実感したに違いない。なんびとも、なんびとといえども、ママンのことを泣く権利などない。
そして私もまた、いまこそ生きていることを実感できる。
私をとらえたあの大きな憤怒が、私の罪を洗い浄め、愚劣な「希望」などすべてを空にしてしまったおかげで、星々にみちた静かな夜につつまれて、私ははじめて世界の優しい無関心に心を開くことができた。
自分を世界の一部と感じる安らぎのなかで、私は、いままで自分が幸福だったことと、いまもなお幸福であることをつよく悟った。
一切がはたされ、わたしがより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといえば、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えるであろうという思いにとらわれたとき、これほど世界を自分に近いものと感じたことはなかった。》
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# by sentence2307 | 2015-01-31 11:40 | 映画 | Comments(2)