世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

啄木のローマ字日記①

新聞各紙に掲載された書評をまとめて読めるサイトは、詳細な関連情報も豊富で、それなりに便利なのですが、やはり自分は、紙をガサゴソいわせながらシンプルに読む新聞紙の方が、なんだか落ち着くし、気分もよくて性にあっているみたいです。

小学校の頃から常に「落ち着きなく集中力に欠いている」と通信簿に書かれたムラッ気の多い自分です、眼一杯に広げた新聞を、あちこちそわそわとよそ見しながら、傍線を引きまくったり、四つに畳んだものを更に八つに折り畳んだりしながら、さっき読んだばかりの斜め下の書評となんだか関連がありそうだなどと、その記事と記事とを丸で囲んで繋げたり、なんだかんだと大騒ぎして、そんなふうに「紙」で読むのが自分にはピッタリあっているし、却ってこの方がアタマにもよく入ってくるみたいな気がします。

タブレットで読むとしたら、こうはいきません。

タブレットを十分に使いこなせていないことを棚に上げていうのもなんだか気が引けますが、ガラス板に押しつぶされた寒々しいノッペリとした活字が、そもそも自分には馴染めなく、気が散るばかりで集中力どころの騒ぎではないのです。

それに引き換え、あの紙独特のガサゴソとしたザワメキとか、読んでいるうちにバラバラに解れてしまって収拾のつかなくなったページを順番にまとめる愛すべき面倒くささとか、紙に染み込んだインクの、郷愁に満ちた匂いや温もりなど、どれも気分を落ち着かせてくれるたまらない「ダサさ」が、とても魅力的なのです。

眼の粗い粗雑な紙の上に押し付けられた活字を写すざらついた印影の早朝の駅の売店で買う新聞は、まだインクが十分に乾いてなくて手に付着することさえあり、「やれやれ」などと独り言などを言いながらも、さらに嬉しくなります。

そうそう、朝の電車などで、如何にも図々しそうな中年の太ったサラリーマンが、混雑など一向に気にすることもなく、我が物顔で座席を1.5人分占領したりして、大きく新聞を広げて熱心に読み耽っている姿を見かけることがあります。

周囲の迷惑顔など無視して、図太い体躯を広げた新聞紙に隠しながらも、頭だけがキョトキョト動いているのが見えるその所為がなんだかたまらなく滑稽で、怒る気持よりも先に苦笑してしまうのですが、しかし、果たしてあのオッサン、本当に記事を読んでいるのかと、とても疑問に思ったりします。

あちこち首を振っているその姿を見ていると、もしかすると、ただアタマをあちこちに動かす行為自体に取り憑かれてしまっているだけなのではないかと思うことさえあります。

ペリーの吉野家ではありませんが、「あなた、そうしたいだけ!」と小一時間でも問い詰めたくなりますが、とはいえ、そういう部分に共感してしまう自分がいることもまた否定できません。

自分も含め、「こだわり」を極端に拡大すると、誰もがああなってしまうのではないかと、ふと感じるからかもしれません。

大好きな新聞紙に、こうしてせっせと傍線や丸や三角を書き込んだ満艦飾のその新聞紙を、さて大切にとっておくのかというと、そんなことは毛頭考えていません。

保存しておいて、それをドウコウしようなどという気はハナからなく、読み終った新聞紙は、すぐに四つに畳んで片っ端からさっさと新聞紙蒐集袋に放り込んでしまうので、よく考えてみれば、なんだか物凄く無駄なこと(「傍線」とか「○や△のシルシをつける」こととかね)に時間をかけているわけで、まあ、徒労も甚だしいという気もしないではありませんが、しかし、そういうことを言ってしまったら日常生活のあらゆる行為が、多かれ少なかれ、これに当て嵌まるわけですので、つまり、却ってこういうことこそが「ココロの贅沢」というものなのではないかと勝手に考えています。

ですので、自分のしていることも、あのオッサンの「首振り」と大差ないことなのかもしれないなという気がしたわけで、あえて認めたくはないものの、ワズカながらの「共感」を抱いたユエンです。

さて、先月か先々月の新聞に、立て続けにドナルド・キーンが書いた「石川啄木」(新潮社・2200円)の書評が掲載されていて、そこでほんの少し触れられていた「ローマ字日記」の部分が気になったので、その新聞をしばらく手元に置いておきました。

できれば、まずその本をじかに読んでみたかったので、さっそく週末に近所の図書館に出かけたところ、やはり、同じように考える人は結構いるみたいで、すでに貸出予約が10人もいると聞かされ、ちょっと驚いてしまいました。

当初、貸出し中なら予約するつもりでいたのですが、10人も待っていると聞いてタジロイデしまい、張り切っていた気も一気に萎えてしまいまいた。

そういう事情を分かってしまったうえで、それでも予約するのかと思うと、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。「10人の人たちが読み終わって」自分の番がくるまでの気の遠くなるような時間をじっと辛抱強く待ち続けている自分の間抜け顔がちらついて、たまらない気持ちになってしまったのだと思います。

「待ち」のあいだ中、興味やモチベーションを保つだけの気力も若さも、残念ながらすでに今の自分にはありません。

しかし、せっかく来た図書館です、このままむざむざと帰るのもなんだか癪なので、「啄木全集」の「ローマ字日記」が載っている巻(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」筑摩書房刊)を借りることにしました、なんといっても原典に当たるに如くはありませんからね。

実を言うと、この本、以前にも借りたことがありました、ですので、この本を手にするのは、これで二度目というわけです。

帰宅して、まず、保存しておいたクダンの書評を取り出して、ふたたび読み返してみました。

重要な部分だけ少し引用すると、こんなふうに書かれています。

《名著「百代の過客」-日記にみる日本人」の著者であるキーン氏は、続編の近代篇ですでに啄木の日記の魅力にふれ、ことに「ローマ字日記」の「赤裸な自己表現」を高く評価している。なぜローマ字が選ばれたのだろうか。「妻に読ませたくない」からだと言うが、同時に啄木は自分の真実を書きたいとも思っている。書きたいが読ませたくないというこのジレンマから彼はローマ字表記という斬新な「意匠」を思いたったのではないだろうか。事実、啄木は短歌の「三行書き」のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。》

この書評について、いくつかの部分に対して、自分のごく狭い認識からひとこと言わせてもらうとすれば、

①日記をローマ字表記としたことを、「妻に読ませたくない」ためだと理由づけていますが、それはちょっと疑問です。
突然ひとり上京してしまった啄木(事実は、啄木の身勝手な「出奔」と呼ぶべき衝動的なものでした)に置き去りにされた一家の生活を支えるために、妻・節子は、函館区立宝小学校の代用教員をしたくらいの教養人ですから、ローマ字など読めないはずはありません。「ローマ字表記」には、もっと他の理由づけが必要です。

②「啄木は短歌の『三行書き』のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。」とありますが、三行書きを最初に世に出したのは、土岐善麿の「NAKIWARAI」(ローマ字三行書きの歌集)が一歩早く、啄木の「三行書き短歌」はその影響下によったものという説が有力です。

しかし、なにより、啄木を理解するために、この書評氏が無頓着・不注意にも「天才であった。」などと口走っていますが、この場合、この文脈で天才という言葉を正確に使おうというのなら、やはり、ここは括弧で括るべきだったのではないかと思います(「天才」とかね)。

啄木の生涯を知れば知るほど、自分は優れた人間=天才であるという異常な思い上がりと過剰な自負と気位の高さ(職業を選択するのに「文学」という幻想から自由になれません)が、その矜持によって、他人をあからさまに「愚か者」扱いするために、常に人間関係に軋轢を生じさせては破綻し、どの職場でも悶着をおこして喧嘩別れしなければならず、結局出て行くのは常に雇われ者の啄木の方で、その結果、常に職を転々とすることになりました。

それに加えて、啄木はこうした失敗を反省したり、以後の戒めにするなどということは一切なく、知人を介して紹介された義理ある職場でも同じような喧嘩と破綻を繰り返すばかり、なかなか定職にも落ち着けず、だから収入も不安定で、常に生活費に不自由する始末です、どう贔屓目にみても、困窮を自ら招いてしまっている啄木のあまりに身勝手な幼さの印象をどうしても拭えません。

その「自負」の極端さは、一種病的でさえあり、つきつめれば、その不遜な対人関係の底に見え隠れするものは、明らかに啄木自身の「コンプレックス」でしかありません。

文才もあり、仕事も最初のうちは積極的に手際よくこなし、評価もそれなりに伴うにもかかわらず、中学校中退という学歴のなさのために、どの会社でも地位は低く抑えられるという現実に直面すると、次第に嫌気がさしてきて(飽きっぽいという性癖も加味しなければなりませんが)、自分のような「天才」が、ただ単に学歴が低いというだけで、大学出の無能な奴らの後塵を拝さねばならないのかという理不尽さへの鬱屈と不満が啄木を苛立たせ、激昂させ、彼をひとつの職場に長く留めさせることができなかったのだと考えられます。

「新潮・日本文学小辞典」には、学歴コンプレックスについて、こう記されています。

《啄木は、美しい魂とすぐれた才能の持ち主であったが、正規の学歴を身につけなかったことは、生涯における最大の不幸であった。せっかく八年にわたる盛岡での学生生活を送りながら、最後の段階で学業を放棄して(試験における二度の不正行為で譴責を受けました)、明治社会のつくり出したエリートとしての資格を失ったことは、その全生涯を決定する痛ましいできごとであった。事実、盛岡中学校を退学してからの、彼の歩んだ道は容易なものではなかった。》

啄木の小説「雲は天才である」のタイトルが、啄木自身の命名であることを考えると、大人気ない負け惜しみみたいな憐れさが先に立って、なんだかとても複雑な気持ちにさせられますよね。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-06-12 20:20 | 映画 | Comments(0)

啄木のローマ字日記②

しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、彼の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず、小説こそがまずは本命、それが思わしくないと分かると(多くの小説が未完のまま遺されています)つぎに評論を書くこと(不遇な彼の絶望からの「世の中なんてぶち壊してしまえ」という破壊願望の気分に時の大逆事件に共振しました)に全勢力を注いでいて、それらを評価されて世に出ることこそ、彼が夢見ていたことだと分かります。

啄木の短歌のその「芸術性」については、後述したいと思いますが、まずは「ローマ字日記」から。

上述の書評でも「ローマ字日記」について、「赤裸な自己表現」と書かれているだけで、それ以上踏み込んだ深い分析がなされていないのが、なんだかとても残念ですが、字数の限られたあのようなごく短い書評では、「そこまで」は踏み込めなかったことは理解できます。

ですので、「そのあたり」をどう書いているのか、できれば早くドナルド・キーンの「石川啄木」を読みたかったのですが、まあ、事情が事情ですので、いたし方ありません、諦めました。

実は、自分は、奇妙なところで啄木の「ローマ字日記」の存在を知りました、まずはそのイキサツから語り出すべきだったかもしれませんが。

話は少し飛びますが、まだブレーク前の杏が、早朝のNHK教育テレビ(いまではETVとかいうのかもしれません)で、「Jブンガク」という番組に出演していたことがありました。日本文学の名作を一作ずつ取り上げて、解説・紹介するという教養番組です。

若年者向けの「100分de名著」という感じだったでしょうか。

ネットで確認したところ、放送していた期間は、2010年3月30日~2012年3月29日まで、そこで啄木の「一握の砂」が取り上げられたのが、2010年8月31日か、あるいはリピート放送が9月3日か9月7日か9月10日にしたとありますから、自分はそのいずれかの日に番組を見たことになります。

そして、そこでもうほとんどショックといってもいいくらいの体験をしたのです。

その番組では、もうひとり、若い女性の出演者がいました。

アシスタントというには少し格上で、解説者というにはグッと落ちる、あえていえば、杏の「お友だち」程度の「対等な関係」という設定だったかもしれません、ごくフツーの若い女の子です。

放送日から検索すると、その女の子は、おそらく加賀美セイラという名前であることが分かりました。

その子が、その日のテーマである「一握の砂」などそっちのけで、啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったかを、何度も何度も滔々と捲くし立てるのが気になって仕方ありませんでした。

そこには、未知の(そう演じていただけかもしれませんが)sexについて語る好奇に満ちた若い女の子独特の意地悪そうな薄ら笑いと、上気した卑猥な饒舌さで語られる啄木への興味と嫌悪(このふたつが合わさると、女たちがとても下卑た卑猥な表情に豹変することをそのとき始めて知りました)の入り混じった高揚した熱心さで、ヒステリックに語られる歌人・啄木の淫蕩さは、確かにそれなりにリアルで生々しくて現実感もあり、まるっきりの出鱈目とも思えませんでしたが、なにせこちらは「たはむれに母を背負いてそのあまり」の先入観しかなかったあの同じ清貧の人・啄木だったのですから、陰ではいかにスケベで淫蕩を重ねた女好きだったかという彼女の仄めかすことのすべてが初耳だっただけに、とてもショックだったのです。

放送後、啄木関係の評論集をあれこれと読み漁っているうちに、彼女の言っていた淫蕩に当たるものが「ローマ字日記」の中に書かれていることを突き止めました。

そして、その当時も、この同じ「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」(筑摩書房刊)を借り受けたのですが、彼女の言っていた「啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったか」の箇所は、すぐに見つけることができました。

あっ、そうそう、言い忘れましたが、「ローマ字日記」というだけあって、もちろん原文はすべてローマ字で書かれていて、改めて漢字・平仮名に書き起こされたものが、すぐあとに付けられている形式なのですが、まず驚かされたのは、これだけ屈折した繊細な文章を、啄木はダイレクトにローマ字で書き綴ったのだろうかという疑問でした。

誰が考えても慣れないにローマ字で書くとしたら、ローマ字に変換することに気が散って意を尽くせず、どうしてもたどたどしくなってしまうのではないかと考えると思うのですが、その的確な描写と言い回しの繊細さから、もしかしたら、一度に和文で書き下ろしたものを、改めてローマ字に書き直したのではないかと思うくらい、急迫する生活苦と、小説をかけずに動揺する苦悶と情感を見事に辿った、それはそれは精密な文章でした。

フツー、おそらく、たどたどしくなるに違いないローマ字書きで、果たしてここまで書くことができるのか、とても信じられません、もしダイレクトに書き付けたことが事実だとしたら、それこそ実に驚くべき才能といわねばなりません。

さて、以下が、啄木が「淫蕩」だと決め付けられた問題の部分です。少し長い引用になりますが、転写してみますね。

《明治四十二年四月十日 土曜日
・・・・
いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。予は去年の秋から今までに、およそ十三-四回も行った、そして十人ばかりの淫売婦を買った。ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ・・・名を忘れたのもある。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子供なのも、どれだって何百人、何千人の男と寝たのばかりだ。顔につやがなく、肌は冷たく荒れて、男というものには慣れきっている、なんの刺激も感じない。わずかの金をとってその陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外に何の意味もない。帯を解くでもなく、「サア、」と言って、そのまま寝る。なんの恥ずかしげもなく、股をひろげる。隣りの部屋に人がいようといまいと少しもかもうところがない。(ここが、しかし、面白い彼等のアイロニイだ!)何千人にかきまわされたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている、緩んでいる。ここにはただ排泄作用の行なわれるばかりだ。身体も心もとろけるような楽しみは薬にしたくもない!
強き刺激を求むるイライラした心は、その刺激を受けつつある時でも予の心を去らなかった。予は三たびか四たび泊まったことがある。十八のマサの肌は貧乏な年増女のそれかとばかり荒れてガサガサしていた。たった一坪の狭い部屋の中に灯りもなく、異様な肉の臭いがムウッとするほどこもっていた。女は間もなく眠った。予の心はたまらなくイライラして、どうしても眠れない。予は女の股に手を入れて、手荒くその陰部をかきまわした。しまいには五本の指を入れてできるだけ強く押した。女はそれでも眼を覚まさぬ。おそらくもう陰部については何の感覚もないくらい、男に慣れてしまっているのだ。何千人の男と寝た女! 予はますますイライラしてきた。そして一層強く手を入れた。ついに手は手くびまで入った。「ウ-ウ、」と言って女はその時眼を覚した。そしていきなり予に抱きついた。「ア-ア-ア、うれしい! もっと、もっと-もっと、ア-ア-ア!」十八にしてすでに普通の刺激ではなんの面白味も感じなくなっている女! 予はその手を女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を裂いてやりたく思った。裂いて、そして女の死骸の血だらけになって闇の中に横だわっているところ幻になりと見たいと思った! ああ、男には最も残酷な仕方によって女を殺す権利がある! 何という恐ろしい、嫌なことだろう!》(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」130頁~131頁)

「ローマ字日記」の中で「赤裸な自己表現」の「性的」な部分といえば、おそらく唯一この箇所かもしれません。

啄木の淫らについて熱心に語っていた「Jブンガク」の可愛い少女も、きっとこの箇所を意識して話していたのだと思います。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-06-12 20:15 | 映画 | Comments(0)

啄木のローマ字日記③

しかし、この部分を一読すれば、その赤裸々な描写には、確かに驚かされるものもありますが、さらにいえば、その異常な描写の「詳細さ」にも驚かされないわけにはいきません。

啄木は、函館の地に家族を置き去りにして、切羽詰って、ひとり東京に出奔してきました。

理由は、たぶん、才能ある自分が、作家としていまだ世に認められないというその思いつめた焦燥感からだったと思います。この日記のなかでも、いざ書き始めたものの、どうしても書き通せずに中断した「小説」のことについて、たびたび触れています。

その言及が、いちいち挫折感と無縁でないことは、容易に想像できます。

あの赤裸々な性描写も、当時全盛だった自然主義文学作家たらんと欲した啄木の精一杯の足掻き(描写の試み)のひとつだったのではないかと感じました。

それは、「中断した小説」の試みと同じように、たぶん自然主義文学作家としての「描写の練習」くらいの意味しかなかったに違いありません。

しかし、いざ、実際に書き綴ってみると(上記の「性描写」でも明らかなように)、ただ醜悪でいかがわしいものしか彼には書くことができない、永井荷風の抑制の効いた気品ある「性描写」と比較すれば、啄木のチカラ不足(まるで幼い安手のポルノです)は明らかです。

たぶん啄木が、あえて「ローマ字日記」としたのは、自分では気高い「自然主義文学」を目指して書き綴ったものが、出来上がってみると、それは単に「安手のポルノ」でしかないことを自認したからに違いありません。

あえて「ローマ字日記」としたのは、なにも赤裸々な陰の性生活を知られたくなかったからではなく、「高尚な文学」を目指しながら「安手のポルノ」しか書き綴ることしか為しえない自分の卑力と無能の「結果」を人目に晒すことを恥じたからではないかと思います。

「誰にも読まれたくない」「隠したい」というところは、確かに一緒かもしれませんが、それが「淫乱さ」を理由とするからではなく、無残で醜悪な「結果」にすぎないものしか生み出せない自分の無残な実力を人目に晒すことを恐れ恥じたからだと思いました。

そして、破滅型でも露悪型でもなかった啄木が、最初から人間の醜悪な欲望の浅ましさのすべてを書き尽くそうとする「自然主義文学作家」には向いていなかったことは、家庭内の諍いから妻・節子が子を連れて家出したとき、啄木自身が「そのこと」に気がついていままでの生活を悔い、妻の帰宅を切に願い、「自然主義文学」の「無頼」とは無縁の場所にしか生きられない自分を意識したからに違いありません。

妻・節子は、啄木14歳のときに出会った初恋の人であり、紆余曲折はあったとしても啄木の才能を信じて生涯をともにした良き伴侶でした。初恋の人にこだわるロマンチストである啄木にとっては、「自然主義文学」は、所詮実感のともなわない虚構にしかすぎませんでした。

さて、次に、啄木の「短歌」の天才ぶりについて書かなければなりません。
前述した《しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、啄木の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず》という部分です。

話は少し飛びますが、いままで自分が学生だった時も、会社員になってからも、多少の優劣はあったものの、必ず「駄洒落の天才」というのがいました。

当意即妙でいま話したばかりの片言を捉え、実に巧みに「同音異義語」を操ってアクロバット的展開を見せてくれる言葉の粋人で、感心もし、尊敬さえしてしまいます。

その場の絶妙な雰囲気もあるので、字面だけでその「即妙さ」をうまく伝えられるか自信ありませんが、例えば、高校生になった妹が、最近、夜遊びをおぼえ朝帰りするようになって両親が困っているとの話で、「兄貴として、もっと指導してあげなくちゃな」という意味を込めて、「妹(リモート)コントロール」とか、まあ、いざ書いてしまうと臨場感がなくて全然つまりませんが、そんな感じです。

そのことと「啄木の短歌の天才ぶり」とが、どう関係するのかという説明の前に、最適な指摘を見つけました。

それは、「新潮日本文学アルバム・石川啄木」巻末に掲載されている渡辺淳一の「一枚の写真-あえて、わが啄木好み」のなかの一節です。少し長くなりますが、引用してみますね。

《少しでもものを書いた経験がある者ならわかるはずだが、努力で書く人より才能で書く人のほうが怖い。

努力の結晶などという作品より、才能のカケラが散らつく作品のほうが無気味である。

そしてその才能の最も顕著に表われるのが、小説なら文章で、歌なら酩酊感である。

いや、これは小説や歌にかぎらず、すべてに共通するもので、才能ある作家の文章には、内側に固有の酩酊感があり、それが読む者を惹きつける。

一般の読者は、文学理論の難しいことはわからない。

しかしこの酩酊感だけは、原初的なものであるだけに、鋭く感知する。読者はそれに酔い、そのことによってイメージを喚起される。

「東海の小島の磯の白砂に・・・」と啄木が詠んだ函館の大森海岸には、小島も、磯も、白砂というべきものもない。

「しらしらと氷かがやき千鳥なく・・・」と詠んだ釧路の冬の海に、正確な意味で千鳥はいない。もし実証家なり、勤勉な歌人がこれを知ったら、啄木のインチキ性をなじるかもしれない。

だが啄木はもともとそういうことには無頓着な、その種の調べはせず、その場の思いつきのまま、フィクションをまじえて歌った人である。

そして困ったことには、それが事実以上に、読む者にリアリティを与えて、酔わせてしまう。

啄木の歌を詠む度に、わたしは歌人にならなくてよかったと思う。あれ程、日常些事のことを苦もなく詠み、酩酊感とともにリアリティをもたせ、そっと人の世の重みを垣間見せるとは、どういう才能なのか。この「そっと」という重みの具合がまた適切で、あれ以上、重くても軽くてもいけない。

そしてさらに、死ぬまで視点を低く保ち続けたところが心憎い。

これほど巧みで、酩酊感のある作家が、人々に愛されぬわけがない。

これまで、批評家がなんといおうと啄木は生き続けてきた。「後世の史家の判断をまつ」といういい方があるが、史家などに頼るまでもなく、大衆は啄木の歌のなかにひそむ才能に感応し、その歌を守り続けてきた。

まことにものを書く者にとって、啄木ほど大きく、無気味で、心憎い作家はいない。》


石川啄木は、決して自然主義文学の作家ではなかったし、写実主義の歌詠みでもありませんでした。

彼は、あの「駄洒落の天才たち」のように、当意即妙に、そして、何者も為しえなかった最も絶妙な言葉の選択をすることによって、実に「それっぽい」最高の歌を(あくまでも余技として)瞬時にして詠むことのできた、心ここにあらず的な「天才歌人」だったと思います。

いわば、「空虚な人」といえるかもしれません。

後世の人間も含め、そして、もちろん自分も、「東海の小島の磯の白砂に・・・」や、その他の多くの啄木の歌に人々は心から感銘を受け励まされもしてきました。

思い屈した人々を支えたその影響の大きさは、実に多大なものがあります。

しかし、その歌の質を糾せば、実は、駄洒落「妹(リモート)コントロール」に共感するレベルと同じ絶妙な語呂合わせに感銘するものだったのかもしれませんが、だとしても、そのことが、石川啄木の「人」や、「作品」や、そしてその「薄幸」の実態をも、いささかも貶めるものではないことを確認しておかねばなりません。

たとえ「それ」が、虚偽であろうと、あるいは、巧みな語呂合わせにすぎないだけのものであろうと、天才的な言葉のチョイスに酔うということだけでも、それはリッパに文学鑑賞たりうるものだと信じています。

かの「ローマ字日記」に記された淫蕩無頼も、おそらくは「そういうこと」だったのだと思います。

しかし、それなら何故、「ローマ字日記」においても、距離を置いた「巧みな語呂合わせ」的な空虚でクールな姿勢を保ち得なかったのか、ましてやあの、いささかも文学の香華を感じさせない過激で下卑な性描写の逸脱に陥り、つい「マジ」に捉われてしまったのか。

たぶんそれは明らかです、啄木をして描写を歪ませてしまったものとは、おそらく、どうにも逃れようもない生活苦という過酷な現実に対しての呪詛のような「怒り」だったのだと思います。

明治43年10月27日、長男・真一死去。
明治44年3月7日、母・カツ肺結核で死去。
同年4月13日、啄木肺結核で死去。
明治45年、妻・節子肺結核で死去。
その後、長女・京子24歳で死去。
次女・房江18歳で死去。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-06-12 20:12 | 映画 | Comments(0)

金環蝕

「金環蝕」といっても、山本薩夫監督の1975年作品ではありません、1934年に清水宏監督が松竹で撮ったメロドラマ、女優・桑野通子のデビュー作ということで、今回始めて見ることができました。

実は、「有りがたうさん」1936と島津保次郎監督の「兄とその妹」1939を見て以来、すっかり女優・桑野通子に魅了されてしまい、暇さえあれば関連情報をネットで検索したり、あるいは、以前に彼女の存在を意識しないまま、うっかり見過ごしてきた作品なども含めて、少しずつ彼女の出演作品を見直しているなかで、今回「金環蝕」を鑑賞しました。

清水宏監督の「有りがたうさん」1936を見たときの女優・桑野通子の印象は、実に強烈でした。
貧しさのために過酷な人生に翻弄され、おそらく幾度もの失意と絶望とに叩きのめされ続けてきたに違いない彼女(黒襟の女)は、いまではすっかり世の中をハスに見るスレた捨て鉢な女になっていて、景気のいい土地を求めては伊豆の温泉地をまわっている流しの雇われ酌婦(あの「阿部定」を連想しました)の役を演じていました。

世の中の「取り繕ったあらゆる偽善」に対してあからさまな敵意を剥き出しにし、牙を剥き、不適な冷笑で批判・糾弾を吐く「ひねくれ者」の彼女が、たまたまバスに乗り合わせた都会に身売りされていく田舎娘にそそがれる眼差しの深さは、強く印象に残りました。

「自分も、同じだったのだ」という痛切な共感を抱きながら、経てきた不当な貧しさに対する彼女の憤りや怨嗟と、苦渋にみちた悔恨を重ねる抑制された演技は、つよく印象に残りました。

しかし、その後、島津保次郎監督の「兄とその妹」1939を見たときの桑野通子の印象は、まったく違っていたので、彼女の多面性に少なからず意表を突かれた感じでした。

世の中の悪意や不正を糺さずにはいられない潔癖な兄・佐分利信の決然とした行為(姑息に立ち回る卑劣な同僚に憤り、殴り倒し、辞表を叩きつけて会社を辞めます)に対して、その兄の止むに止まれぬ心情を深く思いやり、同情し、理解して、兄の選択のすべてを支持し、どこまでも付いていこうという従順で清潔感に満ちた妹を演じていて、「有りがたうさん」の黒襟の女とは、一見、動と静ほどの違いがあるのではないかと思う一方で、「有りがたうさん」の「酌婦」と、本当に異質といえる女性像なのかという疑念に捉われました。

いや、たぶん、それは違うと思います。

二人の間の根底に流れる一途な純真さと、理不尽な権威に刃向う正義感はそれぞれに一貫しており、その「一貫性」とは、つまり、過酷な運命に翻弄されて「姿かたち」のウワベだけはどのように変わろうと、「人間性」の本質の部分は決して変わることはないのだというところを、桑野通子は明確に演じていたのだと思います。

たとえ、身を持ち崩した行き場のない流しの酌婦であろうと、身勝手で横暴な兄に振り回される従順な妹であろうと、その人間性の根本は決して変わらないのだと。

そういうわけで、まず桑野通子の出演作をjmdbで検索してみたのですが、そのフィルムグラフィを見て、彼女の女優としての活動期間のあまりの短さには改めて驚かされました。

まず、自分自身の理解のために出演作を年度別に整理しました。

なお、作品のアタマに☆を付したものは、you tubeで見られる作品です、念のため。

【1934】☆金環蝕、恋愛修学旅行、大学の若旦那・日本晴れ
【1935】☆東京の英雄、女の感情、若旦那・春爛漫、彼と彼女と少年達、海の兄弟、双心臓、船頭可愛いや、麗人社交場、永久の愛・前篇、永久の愛・後篇、恋愛豪華版、彼女は嫌いとひいました
【1936】悲恋華、若旦那・百万石、感情山脈、☆有りがたうさん、☆家族会議、僕の春、愛の法則、自由の天地、☆男性対女性、潮来追分、女のいのち、青春満艦飾、わが母の書
【1937】花嫁かるた、☆淑女は何を忘れたか、桃子の貞操、母の夢、恋も忘れて、男の償ひ・前篇、男の償ひ・後篇、水郷情歌・湖上の霊根、☆進軍の歌
【1938】新家庭暦、銀色の道、姿なき侵入者、螢の光、わが心の誓ひ、純情夫人、炎の詩、大地の妻、☆家庭日記、結婚の宿題、日本人・明治篇、日本人・昭和篇
【1939】向日葵娘、結婚天気図、☆兄とその妹、続愛染かつら、☆新女性問答、栄華絵巻、日本の妻・前篇・流転篇、後篇・苦闘篇、黒潮、波濤、花嫁競争、愛染かつら・完結篇、新妻問答
【1940】私には夫がある、四季の夢、水戸黄門、女性の覚悟・第一部・純情の花、女性の覚悟・第二部・犠牲の歌、愛の暴風、美しき我が家、結婚青春、薔薇命あらば、西住戦車長伝
【1941】戸田家の兄妹、元気で行かうよ、脂粉追放、花、踊る黒潮
【1942】新たなる幸福、人間同志
【1943】をぢさん、秘話ノルマントン号事件・仮面の舞踏
【1944】おばあさん、天狗倒し、不沈艦撃沈
【1945】☆ことぶき座、伊豆の娘たち
【1946】☆女性の勝利

このフィルムグラフィによると「有りがたうさん」1936から「兄とその妹」1939まで、そのたったの3年の間に、桑野通子は32本の作品に出演しています。

ちなみに、各作品には通し番号が付されていて、それによると、「有りがたうさん」がNo.19で、「兄とその妹」はNo.52ということになりますから、この間、じつに30本強の作品に出演していたわけで、当時の桑野通子の人気のほどが窺われます。

そして、今回、まず最初に「金環蝕」を見ようと思い立った理由は、もちろん、桑野通子の映画出演第一作ということもありますが、実は、もうひとつ理由がありました。

漫然と検索していたら、この映画を「ご都合主義」の一言で一蹴しているサイトに遭遇したのです。

「ご都合主義」とは、こりゃまた手厳しいと思いつつも、第三者からこのように指摘がなければ、自分だってこの大メロドラマ作品「金環蝕」に対して同じように「ご都合主義だ」くらいのことは口走っていたかもしれません。

しかし、安直なドラマ(すれ違いと誤解とでドラマが成り立っています)としてあっさり一蹴してしまうには、これはとても惜しい作品です、なかなかよく出来ている。

よく出来ているだけに、心無い「ご都合主義」などという賤しめや否定などの不当な蔑みからこの作品を救い出したい、この作品の「いい部分」をとり上げ、「金環蝕」といえば山本薩夫ばかりではなく、清水宏作品もあるのだというくらいの失地回復を図りたいと考えるようになりました。

複数の男女が複雑に絡み合い、交錯するこの「金環蝕」というストーリーの人間関係の核になっているのは、大崎修吉(藤井貢)と西村絹枝(川崎弘子)です。

相思相愛の2人の間に割って入る親友の神田清次(金光嗣郎)は、大崎修吉に好意を寄せる他の女たちにも好意を寄せてしまう人物として重要な局面に登場しますが、恋敵であると同時に「親友」でもあるという位置づけが、大崎修吉に微妙な遠慮や躊躇(親友のために絹枝を諦めます)を強いて決断を鈍らせたりして、ストーリーにメリハリをつけています。

その一方で、最後には、彼の存在が、大崎修吉と西村絹枝を結びつけることにもなっている。

そう考えれば、大崎を慕う社長令嬢・岩城鞆音(桑野通子)も同じような役割を担わされているわけで、二人の「結びの神」役であるとともに、修吉と絹枝にとっては障害でもあったはずのこの二人(神田と鞆音)を、最後には一緒にして結婚させてしまうというのは、作劇上実に合理的といえば合理的な処理の仕方で、こういうことが、つまり「ご都合主義」ということなのかと、しばらく考えこんでしまいました。

ですが、そのうちに、なんだか怒りが込み上げてきました、「ご都合主義」のどこが悪いのだと。
狭い社会で、ごく限られた出会いしか持つことのできない自分たちに、はたして「真実の愛」などというものが、めぐってくるのだろうか(そもそも、そんなものが本当にあるのか)と考えれば、それは、はなはだ疑問だというしかありません。

幼い頃から今まで、僕たちは、社会的訓練とか称して、寒々しい家族や不快な学校生活に押し込められ、閉鎖的で愚劣な社会生活に参加すること、あるいはその準備を強いられて、多くの人間たちとの不愉快な生活をとおして、多くの失望や諍いの経験を重ねるなかで、妥協点を見つけるテクニックを磨いてきました。

しかし、そういうこと(他人と共棲していくこと)が、いかに困難でうんざりすることか、十分すぎるくらい認識しているはずです。

そういう意味でならこの日常生活において「運命の人」が存在するなど、冷静に考えれば、そんなものはただの絵空事だと、本当は誰もが十分に分かっているはず。

もし現実において、仮に「運命の人」が存在するとしたら、それは常に失ったものの中にしかないような気がします。

失った者の中にしか「運命の人」はいないのだと、毎朝の新聞に載っている「人生相談」が教えてくれているじゃないですか。

「いまのグウタラ亭主にはうんざり。まえに別れた彼のことが、どうしても忘れられないのです」みたいな。

僕たちもまた、その記事を、実は共棲が困難な「運命の人じゃない人」に囲まれ、煩わしい日常に無理して耐えながら、「人生相談」が教えてくれるその逆説に頷かざるを得ない、だからこそ、すれ違い、困難な障害を乗り越えて有り得ないめぐり会いを繰り返す「ご都合主義」の夢物語=メロドラマに「意味がある」のだと思いました。

たぶん映画「金環蝕」は、生きていくためにどうしても必要な切実な大衆の夢だったのだと思います。そりゃあ、現在だってその事情は少しも変わっていない。

そして、たとえそれが「ご都合主義」だとしても、いったいそれのどこが悪いのだとワタシは声を大にして言いたいのであります。

ラストで、修平が、捨て鉢になっている絹枝に張り手をかまして真実の愛に目覚めさせるのも、あるいは、その手の「夢」だったのかもしれません。

それにしても男に殴られ、はじめて相手の愛情に気がつくというシーンを、その頃の映画で、よく見ます。

「淑女は何を忘れたか」をはじめ、小津安二郎監督作品でもいくつも見た記憶があります。

(1934松竹キネマ・松竹蒲田撮影所)監督編集・清水宏、原作・久米正雄(大日本雄弁会講談社編集発行・月刊誌『キング』掲載)、脚色・荒田正男、撮影・佐々木太郎、配光(照明)・吉村辰巳、舞台設計・脇田世根一、舞台装置・藤田光一郎、穂苅貞次、舞台装飾・三島信太郎、井上常太郎、衣裳・柴田鉄蔵、監督補助・沼波功雄、荻原耐、松井稔、佐々木康、撮影補助・生方敏夫、古谷三郎、吉田勝亮、田中康雄、栗林実、音楽(サウンド版音楽)・江口夜詩、主題歌作詞・高橋掬太郎、作曲・江口夜詩、歌唱・松平晃、江戸川蘭子、録音(サウンド版録音)・土橋晴夫、橋本要、製作・松竹蒲田撮影所
出演・藤井貢(大崎修吉)、川崎弘子(西村絹枝)、桑野通子(岩城鞆音)、金光嗣郎(神田清次)、藤野秀夫(岩城圭之輔)、突貫小僧(鞆音の弟・茂)、山口勇(松村運転手)、坪内美子(妹嘉代)、小倉繁(村木)、久原良子(その恋人・お藤)、近衛敏明(山下)、奈良真養(斎田)、河村黎吉(大崎の父)、吉川満子(大崎の母)、野村秋生(大崎の弟)、仲英之助(神田の父)、青木しのぶ(神田の母)、葛城文子(神田の叔母)、御影公子(鞆音の友人)、高杉早苗(鞆音の友人)、三宅邦子(鞆音の友人)、忍節子(女給)、小池政江(ホテルの客)、水島光代(ホテルの客)、荒木貞子(看護婦)
上映時間・約110分(11巻、2,707m)、白黒映画・スタンダードサイズ(1.33:1)、サイレント映画(字幕、サウンド版)、配給・松竹キネマ、1934年11月1日・浅草・帝国館、2010年10月2日・イタリア・ポルデノーネ、第29回ポルデノーネ無声映画祭「松竹の三巨匠」特集(島津保次郎、清水宏、牛原虚彦)上映、
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-31 22:19 | 映画 | Comments(0)

算段の平兵衛

読みたいという気持ちは十分にあるのに、なにかの事情で、なかなか読めないままになっている本というのが、きっと誰にもあると思います。

例えば、図書館の書棚で読みたい本を見つけて、意欲が湧き、せっかく借りたものの、優先しなければならない用事ができて、読めないままズルズルと期限がきてしまい、結局返却しなければならなくなる。

そしてまた、しばらく経つと、「ぜひ読みたい」という意欲が湧いてきて、また借りる、そんなふうに同じ本で同じことを何度も繰り返して、結局、達成できないまま意欲だけが燻ぶり続けている、そういった本なのですが、自分の場合のそれは、イサベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社・東洋文庫)ということになるかもしれません。

もう何年も前になりますが、「日本奥地紀行」の評判が立ち、それも一度に二度ではなく、さらに新聞記事の紹介記事やwebの推薦記事が立て続きにあって、絶対読みたいという思いが頂点に達して借り受けたものの、そのときはたまたま村上春樹の「1Q84」を読んでいる最中だったので、まさかそれを中途で途切らせるわけにもいかず(村上春樹の世界にどっぷりと浸かってしまったら、読書を継続している最中の至福の快感からは、そう易々とは逃れられることはできません)、やはり期限の二週間がきてしまい、返却しなければならなくなりました。

そのときは、その「日本奥地紀行」を借りるとともに、さらにバードの他の著作も読みたいというモチベーションが相当に上昇していて、ほかに「朝鮮奥地紀行」と「中国奥地紀行」も借りたくらいですから、そのときの「意欲」の高まりがどれほどのものだったか想像していただけると思います。

しかし、いつの場合にも、それぞれに読めない事情というのはあって、微妙にバリエーションを変えた支障は幾らもあったとしても、考えてみれば、それは結局、単なる言い訳にすぎないのではないかと、最近、よく考えるようになりました。まさに、カフカの「審判」の世界ですよね。

たとえ、どのような事情があろうと、「絶対に」読むことができないなどということは、たぶん、あり得ません。

結局、突き詰めて考えれば、そこには自分の優柔不断さとか、ムラッ気だとか、意欲を努力に変えられない怠惰だとか、薄っぺらな虚勢心とかが原因で「そう」させているだけで、その辺の自己認識の曖昧さが、いつまでたっても同じアヤマチを繰り返させているのではないかと気がつきました。

「結局、人間って、ひとつのものしか、手に入れられないのよね」というセイフが、瞬間アタマを過ぎりました、そうそう、これは、昨夜見た映画「深夜食堂」(監督・松岡錠司2014)のなかで高岡早紀が発していたセリフです、セリフの残響が余韻となって、まだ自分の中に気配を残していたんですね。

ただ、そのときの「日本奥地紀行」、「朝鮮奥地紀行」、「中国奥地紀行」の三冊を読むことなく返却したということが、少なからぬストレスとして、自分の中に残ってしまいました。
読みもしない本を、ただ図書館と家のあいだを運搬しているだけの自分とは、いったいなんなのだ、という苛立ちです。

そのストレスは、それ以後のある時期、図書館から自分を遠ざけた理由として、たぶん関係があったと思いますし、そして、近所のブックオフに古本を覗きに行くという新たな習慣ができたこととも、たぶんカブルかもしれません。

古本なら、購入してしまえば(それもごく安価です)自分の所有物になるので、図書館のように「返却期限」に縛られたり、読むことを急かされたり、そういうことを気にすることのすべてから解放され、落ち着いてゆっくり読むことができます。

そのことだけでも、なんだか重苦しい足枷から開放されたような晴れ晴れとした気分になることができました。それが「古本」の効用といえますが、しかし、まあ、図書館でしか読むことができないようなタイプの本(そこでは既に「ある選択」がなされていること)も確かにあることが、そのとき気がつきました。

そういうわけで、暇なときにはブックオフに古本を覗きに通い、そこで目に付いた「映画関係」の本(図書館では、たぶん置いてないタグイの本です)を片っ端から買いあさったのですが、その中の一冊に、ビートたけしの「仁義なき映画」(1991.12.30.3刷、太田出版、芸能関係と映画本の老舗出版社です)がありました。

例によって、悪口雑言とイチャモンを、まるで一種の媚びのように駆使する狡猾さで(「乱」でピーターが演じた道化の役どころです)権力に取り入るもうひとつの巧妙で愚劣な姿勢に貫かれているゴミのような映画批評本なのです。

読書をする際にはいつもでチェックできるように傍らに置いておく鉛筆も付箋も、予想どおり、一向に役にたつ機会はありませんでした。

ただし、例外として、一箇所だけ、遠慮がちに鉛筆の「レ」点が入った箇所ありました。

それは、「プリティ・ウーマン」の項で、アメリカの厳しい格差社会において、その作品が描いた欺瞞的なシンデレラ・ストーリーの在り方について痛烈に難じた章で、例のとおりボコボコに貶しつつ、返すカタナで、こんなふうな注文をつけていました。

《この映画を大きく意味づければ、アメリカの「水戸黄門」だよ。要するにのっとり屋が改心する話でさ、なぜ改心したかというとハートフルな娼婦に出会ったからで、それを切っ掛けにバブルな商売から足を洗って額に汗する実業にもどると。それをシンデレラ物語を使ってやっている。
「水戸黄門」や「大岡越前」をバカにするヤツがいるけれど、とんでもない話でさ、こういう映画を見ると、アメリカのほうがずっと遅れているんじゃないかって思うよ。
日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。小説にしても長谷川伸シリーズとか、話としては、「プリティ・ウーマン」の上をいくものがゴマンとあるって。まあ、テレビの時代劇で中身を薄められて毎晩見ているわけだけど。》

このあとで、「アメリカ人の体質としてハッピーエンドじゃないと許さないところが強烈にあるんじゃないのかな。」と、アメリカの格差社会の厳しい現実のなかで、シンデレラ・ストーリーにこだわる(この作品を含めて)アメリカ映画の欺瞞的な在り方の一面についてボコボコに貶しているのですが、自分が関心を持ったのは、そこで取り上げられていた「日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。」という部分に惹かれたのでした。

自分らの子どもの頃は、一般家庭までには、いまだテレビ受像機の普及は届いておらず、もっぱら一家そろってラジオ放送に耳を傾けるというのが、夕方から就寝までの家族団欒の姿だったと思います。

ニュース放送に耳を傾け、三橋美智也や神楽坂はん子などの歌謡曲を聴き、連続ドラマにも耳を傾けていました(「聞く」というよりも、まさに「耳を傾ける」という感じでしたネ)。

横道に逸れますが、「神楽坂はん子」の漢字の表記を確かめるためにwikiを開いたところ、かの大ヒット曲「芸者ワルツ」は、彼女の唄だったのですね、あの当時、幼い子どもたちまでが「あなたのリードで島田も揺れる」と歌っていたものでした。

しかし、ダンスの動きに身を任せながら、結った島田が微妙に揺れるのを感じるなんて、なんと官能的な描写かと、こりゃあ「地毛」じゃないとそうは感じない、肉感的というか発情感みたいなものがリアルに感じられて子供心にも「グッ」と迫るものがありました。

その同じラジオで「赤胴鈴之助」も聞いていたのですから、「性」への導きも「夢」への導きも果たしていたその頃のラジオは、子どもたちにとって、まさに完璧な存在というか無敵だったのだと感じたのも無理ありません。

そうそう、だんだん思い出してきました、たしか戦地に行った自分の家族の消息を知っている人がいないか、呼びかける番組もあったことも、薄っすら記憶しています。

そして、就寝前の少しの時間、部屋の電灯を消して、蚊帳を吊った布団のなかで、親が聞いている「浪曲」や「講談」や「落語」などを一緒になって聴いたものでした(実際は、「聞こえていた」というべきかもしれませんが)。

当時は、まだほんの子どものことですから、聞いているうちにやがて眠気が差してきて、いつの間にか眠ってしまったに違いありません。

ですので、教養としてどうなのかはともかく、雑多ながらも「浪曲」や「講談」や「落語」に接し、聞き込んだ回数なら人後に落ちない、かなりのものがあるはずと思っています。

たけしが上記で述べている趣旨(日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいい)が、「評価の面」止まりのことを言っているのか、それとも、さらに敷衍して、それらを海外に「発信」すべきとまで考えているのか、その辺はもっと突き詰めて考えねばならないことだと思います。

自分としては、夫婦の情愛や師弟愛ならまだしも、果ては忠君愛国を謳い上げる「浪曲」や「講談」の理念(人倫の道を説くとはいっても、その根底には封建思想があり、封建体制護持のバイアスが強烈にかかっている印象があります)を、世界の理解を求めるのは、ちょっと無理があるのではないかと考えています。

それに引き換え、落語の場合なら、その辺の事情はちょっと異なってきます。

落語「二十四孝」では、老母を蹴り倒す乱暴者の息子が登場しますし、「佐々木裁き」では、桶屋のせがれ・四郎吉が、奉行に面と向かって行政の乱れを堂々と指摘し権威に挑む姿勢が描かれています、「帯久」では、人の道を外してまで金儲けをはかる悪辣な商人に対して、奉行は法を捻じ曲げてでも落魄した弱者を救おうとします。

「厩火事」では、破綻しかけた夫婦に対して仲人が孔子の教えを説いて仲裁を図ろうとして、ぐうたら亭主に巧みにシテやられます。

どの話も忠君愛国とか滅私奉公などの「大言壮語」的な発想とは無縁の、活き活きとした庶民の逞しい日常が、人情深く語られています。

多くの映画監督たちが、落語に材を求めて映画を作ろうとした理由が、なんだか分かるような気がしますし、それが成功しなかった理由も同時に分かるようなきがします。

そこで、自分的に、映画化したら、とてもユニークな作品になるのではないかという「落語」をひとつご紹介したいと思います。

その題目は、「算段の平兵衛」、桂米朝が発掘した上方噺で、ひとつの死体の処理をめぐって、色々な死に方をさせられる庄屋(すでに死体です)の噺で、ブラック・ユーモワ満載のハードボイルドです。

いままで米朝師匠の語ったものしか聞いていなかったのですが、桂南光の噺をyou tube で聞くことができ、そのガラガラした話振りが、かえって新鮮で迫力があり、米朝とはまた違った味わいで愉しめました。

死体の処理に困ってあちこちに隠して回る大騒動を描いたヒッチコックの映画「ハリーの災難」に似ている部分もありそうですが、「ハリーの災難」と決定的に異なるのは、この落語には、殺害に関わるどの関係者も「殺害する意思」が明確にあるために、シチュエーションを自由にあやつることができて、深刻な事態も一変させてしまう才人・算段の平兵衛の思い通りに動かされてしまう痛快さがあります。

そもそも、最初に手を下した(偶然といえば偶然ですが)のが、そもそもその平兵衛であるというのが、なんとも人を食った話なのです。

【「算段の平兵衛」の要約】
やりくり算段のうまいところから、算段の平兵衛と呼ばれている男がおりまして、庄屋にうまく取り入り、庄屋のめかけを持参金つきでもらいます。

しかし、持参金を頼りにぶらぶら遊び暮らしているうちに金を使い果たし、嫁さんの衣類を始め目ぼしい調度まで売り払い、明日の米を買うのにも不自由な暮らしになってしまいます。

そこで考えついたのが美人局、元旦那の庄屋に美人局を仕掛けて幾らかでも有りつこうという魂胆です。

庄屋を騙くらかして家に引き入れ、嫁さんがしな垂れかかり庄屋がヤニさがっているところに飛び出して凄むという芝居がすぎて、はずみで庄屋を殺してしまう、しかし、そこは算段の平兵衛、死体の処理に算段をして、まず、庄屋の家の前まで死体を運び、表から、朝帰りのていを装って庄屋の声色を使い、留守の女房にやきもちを焼かせます。

そして、女房から「首でも吊って死んでしまいなはれ」といわせると、それを機に、平兵衛は庄屋の死体を松の木に吊るして、とっとと帰ってしまいます。

庄屋の女房は、死体に驚き、その始末に困って平兵衛のもとに相談にきます。

平兵衛は金をもらって死体の処理を引き受けます。

夜陰に乗じて隣の村の盆踊りに紛れ込み、わざと喧嘩を起させるように仕向けて、村人が騒ぎ出したのを汐に死体を放り出して逃げ帰ります。

殴る蹴るのあと村の者たちは庄屋の死体に驚いて、その処置について平兵衛のもとに相談に来ます。

平兵衛は、また金をもらって処置を引き受ける、今度は一本松の崖から転落したように装います。

これで庄屋の死体の始末がついたのですが、圧巻は、このあとのくすぐり、

「世の中にこれくらい気の毒な死体はありまへんな。なぐられたり、首つられたり、どつかれたり、蹴られたり、そのうえ崖から上から突き落されたり、どの傷で死んだのかヨウ分からんようになってます。」

この爽快な一言で、いままで笑っていた観客は、自分たちが「死体の始末」という物凄いことにすっかり加担して笑っていたことにハッと気がついて我に返り、このままで済むわけがないという気持ちを取り戻します。

南光の噺では、こうなります、やがてこの事件の変死を疑う噂がでて、大阪の役人が調べにきて、方々を調べてまわった挙句、平兵衛のもとにやって来ます。

いよいよカンネンする時がきたと覚悟を決めている平兵衛に役人が言います、「この事件はどうもよく分からん、算段してくれ」と。

これがこの噺のサゲなのですが、最後まで罪悪感とか善良さとか勧善懲悪などというヤワな道義心とは一切無縁のそのタフさ加減に、ただただ感心させられたのですが、しかし、よく考えるとその「タフさ」こそが、この噺を発掘しなければならなかった「埋没」に至らせた原因なのかもしれないと気がつきました。

そう考えれば、これまでだって世間をはばかる演者の道義心のために自主規制で失われた噺は幾らでもあったに違いありません。

そうそう、米朝のサゲは、事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、まだ噺が進展することを匂わせて終わっていたのですが、webで確認したネタ本によれば、

《事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、杖を突きながら頻繁に、平兵衛の家に行き、何か喋っては金をもらってきます。近所の人が不思議がって
「なんぞ、平兵衛さんの弱いところでもつかんでおるのやろうか」
「それにしても大胆やな、相手は算段の平兵衛や、どんな目におうか分からんでえ」
「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」》

となっているのだそうです。

米朝が最後まで語ろうとせずに早々に切り上げ、そして桂南光が「役人の取調べ」に改変したこの本来の「さげ」が、近い将来、この噺に再び埋没の危機が見舞う要因になるであろうことは、たぶん確かでしょう。

現代にあっては、「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」のさげでは、やはりまずかったのだろうなと思います。

しかし、それにしても、「あらすじ」だけの落語なんて、なんと味気ないものか、つくづくわかりました。

つまり、落語をただのストーリーとして、映画化するなり、ユーモア小説仕立てにすることが、必ずしも成功に繋がらなかった理由が、本来の「語り」という饒舌を失ったところにあったのだと、いまさらながら分かりました。

それに、「饒舌」がなければ、死体を弄ぶことで笑いをとるこの陰惨このうえない「算段の平兵衛」が、成立するわけもなかったのです。

最後に米朝師匠を偲んで、出だしの部分の口調を筆写してみたいと思います。

《ようこそのお運びで、相変わらずごく古いお噺を聞いていただきます。
世の中があんまり変わりすぎましたんで、古い落語をやるときに分からんよおなことが、だんだん増えてきまして、説明せんならん場合が増えてきたんですけどね、「算段」なんて言葉も使わんよおなりました。
「遣繰算段(やりくりさんだん)」ちゅう言葉だけが、まだ生きてるように思いますがなあ「ちょっと算段しといてんか」とか「あいつは算段がうまいさかいなあ」とか「そういう算段ならあの男や」とか、日常会話にもよう出てきたんでございますがなあ。
いろいろとこの「算段」をする、ちょっとした無理でも何とか収めてくれるとか、お金が足らんのでも間に合わすようにするとか、そういうことになかなか長けた、上手な人ちゅうのはあるもんでございまして。どこのグループにでも、どこの会社にでもこういう便利な人が一人ぐらいありますわなあ。・・・》
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-15 19:12 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ①

まとまって休めるゴールデン・ウィークは、とても嬉しいのですが、あとで必ず「どちらかに行かれましたか」と、何人もの人から聞かれるのがとても憂鬱です。

先方は、社交辞令のつもりで聞いてくるのでしょうが、もうこの歳になると、話題づくりのために、無理して海外旅行へ出掛けたり、渋滞40Kmの高速道路上で、何時間も辛抱強くアイドリング運転を続けるなど、人並みなことをこなす気力も根気もありません。

時間をそんなふうに無駄遣いするくらいなら、女房の顰蹙をかいながらでも、家にいて本を読むとか、ゆっくり映画でも見ている方が、よっぽど気がきいています。

連休近くになると、女房は、「せっかくの連休なんだから、どこかへ行きましょうよ」と思いついたように必ず言うのですが、この時期にどこかへ出掛けるつもりの人は、何ヶ月も前から計画を立て、予約を済ませているようなキトクな人なのであって、「今頃言っても遅すぎる」と無理やり彼女を納得させ、例えばこの連休は、巨大ホームセンターを歩き回って特売の文房具を買い、また次の日には、近所のスーパー銭湯で半日お湯に浸かってお茶を濁した次第です。

いずれも超満員で往生しましたが、帰宅が午前零時を回るなどという「理不尽な激務」がないだけでも「良し」としなければなりません。

しかし、当方にしても、突然、まとまった時間を与えられ自由にしていいと言われても、実際は、困る部分もあります。

前日まで読んでいた本を引っ張り出して、その続きを読むなどという気分には到底なれません。

まあ、女房と同様「せっかくの連休なんだから」と気分を一新したい気持ちもあるので、なにか目先の変わった新しいものを読みたいと思いながら、とりあえずは溜め込んでおいたアレコレの雑誌・新聞に掲載された「書評」を引っ張り出して、片っ端から読み始めました。

経験から言うと、映画の予告編というのは、だいたい本編を見たくなるような素晴らしい出来のものが多いのですが、書評に関しては、感心するようなものが、ごく少ないというのが偽らざる実感です。

一冊の本を限られた字数で要約するということが、とても手間のかかる困難な作業(なにしろ一冊の本を熟読し、さらにまとめて要約までしようというのですから)であることはよく分かりますが、ひどいのになると「まえがき」と「目次」を掲げただけという手を抜いた、まるでやる気のない書評をwebで読んだことがあります。

そのやっつけ仕事には、読者として侮辱されたような憤りを感じました。

肩書きだけは「大学教授」と名乗っていますが、ろくに本を読まないヤカラであるのがミエミエです。

書評というのは、本当に本が好きで、取り扱っているテーマにも精通していて、要約の勘所を象徴的な言葉で直感的に言い当て、読者をいかに惹きつける簡潔な文章が書けるかということだと思うのですが、このように考えるたびに、卓越した読書人にして書評家だった丸谷才一の仕事が、自分にとっていかに大きかったかを、いまさらながら実感しています。

さて、読み漁ったその書評の中にこんな書評(「出版ニュース」2010.2)がありました。

「林浩一著『漱石のサイエンス』(寒灯舎/れんが書房新社発売)B6判、201頁、1800円」についての書評なのですが、ごく短いので、全文を引用してみますね、

「夏目漱石はもともと科学に対する好奇心が旺盛で、しかも学究肌の人であったから、書物やその道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた。
そのため、漱石の作品には、科学の知識や方法論が活かされている、と物理学者である著者はいう。
例えば「猫」には、「首くくりの力学」という話が出てくる。
これは寺田寅彦から紹介されたイギリスの物理学の学術論文誌に掲載されたホートンの論文「首くくりについて」に影響を受けたもので、吊るし首はアングロ・サクソンにおける最も普通の処刑方法であることや、実際に12人の侍女たちを絞殺した方法が「猫」には、延々と引用されている。
そして最後には首をくくると身長が伸びるという話になるのだが、ここからは漱石の低身長コンプレックスが窺えると著者はいう。
その他、猫の宙返りから位置と運動のエネルギーの関係を考えていたことなども明らかにしている。」

なるほど、「吾輩は猫である」のなかに、「首くくりの力学」という話が出てくるというわけですか。

ふむふむ、「首くくり」と「力学」、言葉の組み合わせからしても、なんだか、とてもシュールで面白そうじゃないですか、それに語感がとても素敵です。

しかし、漱石が、「その道の専門家から積極的に科学の知識と情報を学習していた」とあって、その理由として、「学究肌の人」だったからと理由づけていますが、むしろ、漱石は、単に知識や情報を得るというだけでなく、苦笑してしまうほどの人間臭いブラックな部分に惹かれたのではないかという気がします、なにしろ「首くくり」と「力学」です。

これこそ「吾輩は猫である」の真骨頂たる諧謔精神じゃないですか。

さっそく、「検索」の誘惑に駆られましたが、それにしても、まずどこから攻めるのか、が問題です。

自分は、根はコテコテのアナログ人間(先端技術などには、到底アタマの方がついていけません)ですが、なにかする場合はオシナベテ簡便・簡略を旨とする面倒くさがり屋なので、そういう意味では堂々たるデジタル人間です、「クリック、クリック、大いに結構、けっこう、ケッコー、コケッコー、ワッハッハのハ」です、なんだかワケが分かりませんが。

そんなわけで、まず、寺田寅彦の線からいくことにしました。

以前、「寺田寅彦の映画論」を調べたことがあるので、その際に読んだ「寺田寅彦・森田草平・鈴木三重吉 集」(現代日本文学全集22・筑摩書房)が、机の上にそのままの状態であります。

読んだあと、いちいち片付けることをしないから、机の上がとんでもないカオス状態になってしまうのですよね、まさに女房の言うとおり、だらしなく積み上げられた本の谷間に身を捻じ込ませ、手探りでパソコンの在り処を確かめては、ずるずると引っ張り出し、ようやく文字を打っている始末です。

「寺田寅彦集」の目次をみれば、やはり、目指すは「夏目漱石先生の追憶」ということになるのでしょうね。

5頁ほどの短い随筆なので、ざっと走り読みしたところ、ありました、ありました。中程からやや後半にかけての部分に、こんなふうに書かれています。

「自分が學校で古いフィロソフィカル・マガジンを見て居たら、レヴェレンド・ハウトンといふ人の「首釣りの力學」を論じた珍らしい論文が見附かったので、先生に報告したら、それは面白いから見せろといふので、學校から借りて来て用立てた。それが「猫」の寒月君の講演になって現れて居る。高等學校時代に数學の得意であった先生は、かういふものを讀んでもちゃんと理解するだけの素養をもって居たのである。文學者には異例であらうと思ふ。」(「夏目漱石先生の追憶」より)

なるほど、「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」に「首釣りの力學」が引用されているというわけですね。

明確にこのように書かれているわけですから、ここは素直に「吾輩は猫である」のなかの「寒月君の講演」の箇所をすぐに当たればいいようなものですが、そこはホラ、根が不精者ですし、そのうえ天邪鬼ときています、そう簡単には素直に応じることができません。

そのうえ、なにより決定的なのは、当の「吾輩は猫である」を自分が蔵書として所有していないことが判明したのです。

一応、メディア・マーカーで自分のすべての蔵書を入力して管理(らしきことを)しているので、「ある・なし」は、すぐに確認できます。

検索を掛けても蔵書2000冊(この数字は、既に手放して「不在」の本も含まれていて、正確には「自分を通り過ぎた冊数」ということになります)の中には、「吾輩は猫である」は、ついに存在しませんでした。

夏目漱石を蔵書として持っていない読書人なんて、いったいなんなんでしょうね、そんな人がはたして読書人なんていえるのか、という感じです。

しかし、事実だから仕方ありません。

ないものは、図書館にいって借りて読むしかないのですから、あとで借りに行くとしても、とりあえず、図書館のホームペイジで「在庫」を確認しておくことにしました。

ふむふむ、なにしろモノが国民的文学の「吾輩は猫である」ですから、図書館にないわけがありません、調べるまでもなく当然のように幾冊もありました。

そうそう、ついでに思いついたことがあります、キイワード検索で「首縊りの力学」とダイレクトに入力したらどうでしょう、こりゃあ我ながらいいアイデアです。

敵の不意を突いて、本丸を直接叩くという奇策です、真珠湾奇襲攻撃です、まさにニイタカ山のトラトラトラなのであります。

そして、この検索の結果、ただの一冊だけヒットしました、「中谷宇吉郎集 第一巻」です。あっ、そうくるわけ。

この反撃で、奇襲もあえなく撃墜されてしまった感じです。

中谷宇吉郎といえば、寺田寅彦の愛弟子じゃないですか、それに、あの松岡正剛センセイの「千夜千冊」の栄えある第一夜は、中谷宇吉郎の「雪」で飾られていましたよね。

こうしては、いられません、さっそく自転車を走らせ、おっとりガタナで図書館に駆け込みました。

「まってろよ、いまいくぞ~!」ジャンジャジャ~ン

まず、「夏目漱石集(一)」(現代日本文学大系17 筑摩書房)を借りました。

ちょっと意外だったのは、日本文学全集の「夏目漱石集」と名がつく本なら、どれにも「吾輩は猫である」くらいは入っているに違いないと安易に考えていたのですが、いくら探しても、この「現代日本文学大系」以外には、見つけることができませんでした。

「坊ちゃん」は、必ず入っているのに、です。

そして、二冊目が、「中谷宇吉郎集 第一巻」(岩波書店)です。

多くの読者の手から手へ渡り歩いた人気のほどが「栄誉の汚れ」に感じられる「夏目漱石集」に比べると、いままで誰ひとり借り手がなかったのではないかと思えてしまうほど変に真新しい「中谷宇吉郎集 第一巻」(奥付には、2000年の発行と記されています。)を手に取り、さっそく目次を拝見しました。

まさに、そのまんま、「寒月の『首縊りの力学』その他」というタイトルで掲載されているではありませんか。

頁数でいえば、たったの8頁くらい。

寺田寅彦が亡くなった少しあとで、「吾輩は猫である」のなかに挿話として、漱石が「首縊りの力学」を取り入れたいきさつを、寺田寅彦から直接聞いた中谷宇吉郎が、後世に伝え残すために書いた随筆であると、冒頭に記されています。

本文をパラパラと走り読みしましたが、どうもダイジェストっぽい感じです。

さっそく貸し出し手続きをして、家に持ち帰り、二冊の本を左右に置いて一文一文対照してみることにしました。

まず、中谷宇吉郎集から、最初の節の解説を以下に示し、そのあとで、「吾輩は猫である」の該当する部分をお示ししたいと思います。

【中谷宇吉郎集】
「寒月君の演説の冒頭「罪人を絞罪の刑に処するということは重にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして・・・」というのは、論文の緒言の最初の数行のほとんど完全な翻訳である。以下猶太人中にあっては罪人に石を抛げつけて殺す話から、旧約全書中のハンギングの語の意味、エジプト人の話、波斯人の話など、ほとんど原論文の句を追っての訳である。わずかばかりの動詞や助動詞の使い方の変化によって、物理の論文の緒言が、寒月君の演説となって、「猫」の中にしっくり納まってしまうということは、文章の恐ろしさを如実に示しているような気がするのである。」

【上記に対応する「吾輩は猫である」の原文】
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくくり)は重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂(いわゆる)ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエジプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌ったように思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。
「これから本論に這入(はい)るところですから、少々御辛坊(ごしんぼう)を願います。……

なるほど、対照してみて、ようやく分かりました。

結局、中谷随筆は、原文をなぞって、「簡単にまとめてしまえば・・・ということです」と注釈を加えているにすぎません。

すばらしい漱石の原文が「そこ」にあるのに、なにもわざわざ「まとめたダイジェスト」を読まなければならないのか、極めて疑問に感じ始めてしまいました。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-07 19:43 | 徒然草 | Comments(0)

首縊りの力学 ②

なんだか相当遠回りをしてしまったようですが、結局のところ、最初から原典にあたった方がよかったということなのだと思います。
いや、最初からそうするべきだったのだということに、ここにきてようやく気がつきました。
アサハカでした。

【あらためて「吾輩は猫である」、寒月君の演説部分原文】
それから約七分位すると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌(えんぜつ)をするといふので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟(カラー)を聳(そび)やかして、男振りを二割方上げて、「少し後(おく)れまして」と落付き払って、挨拶をする。「先(さ)っきから二人で大待ちに待った所なんだ。早速願はう、なあ君」と主人を見る。主人も已を得ず「うむ」と生返事(なまへんじ)をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しませう」と云ふ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出なさるだらう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠(うちがく)しから草稿を取り出して徐(おもむ)ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願ひます」と前置をして、愈々演舌の御浚(おさら)ひを始める。
「罪人を絞罪(かうざい)の刑に処すると云ふ事は重(おも)にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫より古代に溯(さかのぼ)って考へますと首縊(くびくく)りは重に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人(ユダヤじん)中に在(あ)っては罪人を石を抛(な)げ付けて殺す習慣であったさうで御座います。旧約全書を研究して見ますと所謂ハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食(えじき)とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人(ユダヤじん)はエヂプトを去る以前から夜中(やちゅう)死骸を曝(さら)されることを痛く忌(い)み嫌った様に思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬って胴丈を十字架に釘付(くぎづ)けにして夜中曝し物にしたさうで御座います。波斯人(ペルシャじん)は……」
「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなる様だが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「是から本論に這入(はい)る所ですから、少々御辛防(ごしんぼう)を願います。……
偖波斯人はどうかと申しますと是もやはり処刑には磔(はりつけ)を用いた様で御座います。但し生きて居るうちに張付(はりつ)けに致したものか、死んでから釘を打ったものか其辺(へん)はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈さうに欠伸(あくび)をする。「まだ色々御話し致したい事も御座いますが、御迷惑であらっしゃいませうから……」「あらっしゃいませうより、入らっしゃいませうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君(くしゃみくん)」と又迷亭が咎(とが)め立だてをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「偖愈本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞(ことば)を使って貰ひ度ね」と迷亭先生又交(ま)ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでせう」と寒月君は少々むっとした調子で問ひかける。「迷亭のは聴いて居るのか、交(ま)ぜ返して居るのか判然しない。寒月君そんな弥次馬(やじうま)に構はず、さっさと遣るが好い」と主人は可成早く難関を切り抜け様とする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭は不相変飄然(へうぜん)たる事を云ふ。寒月は思はず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用ひましたのは、私の調べました結果によりますると、オヂセーの二十二巻目に出て居ります。即(すなわ)ち彼かのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するといふ条(くだり)で御座います。希臘語(ギリシャご)で本文を朗読しても宜(よろ)しう御座いますが、ちと衒ふ様な気味にもなりますから巳めに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云はんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言はん方が奥床しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫も希臘語が読めないのである。「それでは此両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。
此絞殺を今から想像して見ますと、之を執行するに二つの方法があります。第一は、彼のテレマカスがユーミアス及びフヒリーシャスの援(たす)けを藉かりて縄の一端を柱へ括(くく)りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けて此穴へ女の頭を一つ宛入れて置いて、片方の端をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツの様に女がぶら下ったと見れば好いんだらう」「其通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括(くく)り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そして其高い縄から何本か別の縄を下げて、夫に結び目の輪になったのを付けて女の頸(くび)を入れておいて、いざと云ふ時に女の足台を取りはずすと云ふ趣向なのです」「たとへて云ふと縄暖簾(なわのれん)の先へ提灯玉(ちょうちんだま)を釣したような景色(けしき)と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云ふ玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺(へん)のところかと思ひます。――夫でこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云ふ事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云ふと「うん面白い」と主人も一致する。
「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋(つな)いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做(みな)し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論(もちろん)女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人(りょうにん)が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下(しも)のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐(お)って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体(てい)に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架(こうしゅか)即(すなわ)ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度(ふたたび)同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令(たとい)兇漢でも二度絞(しめ)る法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフヒツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生(おうじょう)さしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死に損(ぞこな)いだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊(くく)ると背(せい)が一寸(いっすん)ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥(くしゃみ)などはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらい背(せい)が延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目に極(きま)っています。釣られて脊髄(せきずい)が延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うより壊(こわれ)るんですからね」「それじゃ、まあ止(や)めよう」と主人は断念する。
演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊(ふうらいぼう)のような珍語を挟(はさ)むのと、主人が時々遠慮なく欠伸あくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁を振ふるったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れ様訳がない。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-07 19:38 | 徒然草 | Comments(0)

愛怨峡

ある人に指摘されるまで全然気がつきませんでした、無意識というのは、ホント恐ろしいものだなとつくづく感じたことが、つい最近ありました。

これまで、たぶん何年にもわたってだと思います、その人と何気なく映画のことについて、あれこれ会話を交わしている際に、自分が必ず溝口健二作品「愛怨峡」に言及したというのです、それも二度や三度のことじゃない。

自分では全然意識してなかっただけに、この指摘には驚きましたし、大変なショックを受けました。

それというのも、自分は、そのときまで、映画「愛怨峡」という作品をまだ見ていない状態だったからです。

では、それならなぜ(無意識にもせよ)その「愛怨峡」というタイトルを再三にわたって口にしたのかと推測すると、(もちろん、「愛怨峡」という字体の、見るからに妖艶な立ち姿にも惹かれたのですが)思い当たることといえば、ただひとつ、自分が所有している「日本映画作品全集」の最初の第1ページ「あ」の項目に、当のその作品が掲載されていて、つねに必ず目にしていたところから、いつも気になっていたのだと思います。

この本をつねに机の脇に置き、絶えず眺めている自分にとって、いわば座右の書といえる存在なのですが、この本を開くたび(たぶん習慣で、いつも、まずは最初の頁を開けているに違いありません)、そこに印刷されている「愛怨峡」の三文字が必ず目に止まって、そのたびに意識のどこかで、「これは、まだ見ていない作品だ」という密かな条件反射を繰り返していた結果、なんども意識のどこかに刻みつけられたものが、そんな形でジワジワ表出していたのかもしれません。

しかし、このときの「ショック」は、ただそれだけではありませんでした。

このように指摘されたあと、その友人は、さらに驚くべきことを口にしたのです。

「溝口健二の『愛怨峡』なら、you tubeでいつでも見られるよ」

まさに「えっ~!」でした。

さっそく、つねにデイバックに忍ばせて持ち歩いているタブレットを引っ張り出して、検索してみました。

そして、びっくりしました、あるわあるわ、なんだ、こりゃ、という感じです。

パッと見ただけで「虞美人草」「残菊物語」「マリアのお雪」「ふるさとの歌」「夜の女たち」「赤線地帯」「瀧の白糸」「山椒大夫」「東京行進曲」「噂の女」「折鶴お千」「女性の勝利」「歌麿をめぐる5人の女」「祇園囃子」「お遊さま」「女優須磨子の恋」「雨月物語」、そしてカノ「愛怨峡」です。

さらにスワイプすれば、まだまだゾロゾロありそうですが、いや、もうこれだけあれば十分です、よく分かりました。

その場でさっそく、「愛怨峡」の冒頭の部分をチラ見しました。

なるほど、なるほど、お客の立て込む旅館の台所とおぼしき場所で、若旦那の謙吉(清水将夫)と女中のおふみ(山路ふみ子)が、人目を忍んでなにやらヒソヒソと深刻な話を交わしている場面です。

おふみさんは「謙吉さん、みんな、あなたが悪いんだわ」てなことを言っていますから、さしずめこの色男に孕まされて、彼の不実をなじっているという場面でしょうか、フムフムよくあるパターンだな、こりゃあ。

島崎藤村をはじめとして、信州の人は、みんなスケベだから。

そうですか、なんか、面白そうじゃないですか。

ひとむかし前なら、フィルムセンターにでも行かなければ絶対に見られそうになかった貴重な作品ばかり、折角のキャブレット端末も自分などに持たせると、ただの小重たい役立たずのガラス板に成り下がるというわけです。

なんでいつも、こんなに重い物を持ち歩かなければならないんだと、ずっと厄介に思っていたくらいですから、宝の持ち腐れとは、まさにこのことで、これが「猫に小判」ということなのかもしれませんね。

我ながら、自分の迂闊さ、血のめぐりの悪さには、ほとほと呆れ返ります。

さて、念願の作品「愛怨峡」との出会いは、こんなふうに始まったのですが、作品の感想を書く前に、こんなサイトを見つけたので、紹介しておきますね。

題して「溝口健二監督の映画ランキング」。溝口健二監督の全36作品をランクづけしたものです。これによると・・・

1 残菊物語 1939 主演:花柳章太郎
2 瀧の白糸 1933 主演:入江たか子
3 西鶴一代女 1952 主演:田中絹代
4 近松物語 1954  主演:長谷川一夫
5 雨月物語 1953 主演:京マチ子
6 山椒大夫 1954 主演:田中絹代
7 お遊さま 1951 主演:田中絹代
8 祇園の姉妹 1936 主演:山田五十鈴
9 赤線地帯 1956 主演:京マチ子
10 浪華悲歌 1936 主演:山田五十鈴
11 夜の女たち 1948 主演:田中絹代
12 歌麿をめぐる五人の女 1946 主演:坂東簑助
13 噂の女 1954 主演:田中絹代
14 新・平家物語 1955 主演:市川雷蔵
15 武蔵野夫人 1951 主演:田中絹代
16 雪夫人絵図 1950 主演:山村聡
17 楊貴妃 1955 主演:京マチ子
18 愛怨峡 1937 主演:山路ふみ子
19 折鶴お千 1935 主演:山田五十鈴
20 虞美人草 1935 主演:夏川大二郎
21 元禄忠臣蔵 前篇 1941 主演:河原崎長十郎
22 藤原義江のふるさと 1930 主演:藤原義江
23 女優須磨子の恋 1947 主演:田中絹代
24 マリヤのお雪 1935 主演:山田五十鈴
25 名刀美女丸 1945 主演:花柳章太郎
26 女性の勝利 1946 主演:田中絹代
27 わが恋は燃えぬ 1949 主演:田中絹代
28 ふるさとの歌 1925 主演:木藤茂
29 元禄忠臣蔵 後篇 1942 主演:中村翫右衛門
30 宮本武蔵 1944 主演:河原崎長十郎
31 紙人形春の囁き 1926 主演:山本嘉一
32 浪花女 1940 主演:坂東好太郎
33 あゝ故郷 1938 主演:河津清三郎
34 団十郎三代 1944 主演:河原崎権十郎
35 露営の歌 1938 主演:山路ふみ子
36 必勝歌 1945 主演:佐野周二

この「溝口健二監督の映画ランキング」を眺めていると、単に世評の高い作品を頭から順に並べただけなので、なんの面白味も感じられません。

これじゃあまるで優等生を成績順に整列させただけの殺伐とした成績リストです。

ここには知的冒険など一切感じられないどころか、これではまるで選者の個性という主張がないじゃありませんか。

その証拠に「愛怨峡」が18位というのが、大いにおかしい。

36作品のちょうど真ん中ということは、つまり名作ではないけれど、駄作でもないという、いわば選者自身が判断を放棄して逃げをうつという姿勢を露骨に表している証拠です、それ以外には考えられません。

この作品の女優・山路ふみ子の豹変振りは、もっと評価されていい出色の演技です。

それも、捨て鉢とかやけっぱちからの他動的で軽々しい「豹変」じゃない、彼女は、子どもの養育費を稼ぐために、女の武器を十分に機能させる自発的な「豹変」であることを意識的に力強く演じており、「そこ」のところが、「愛怨峡」より上位にランクされている、いわゆる名作群とはちょっと異なるところです。

つまり「残菊物語」「瀧の白糸」「西鶴一代女」「近松物語」「雨月物語」「山椒大夫」「お遊さま」「祇園の姉妹」「赤線地帯」「浪華悲歌」「夜の女たち」の、時代や社会の制度、そして運命に翻弄され、いじめられるばかりの卑弱な女たちとは決定的に異なるのと同時に、そこが溝口作品らしくないと「愛怨峡」が疎まれ忌避されたところなのかもしれません。

実は、「愛怨峡」をyou tubeで見たあとで、そのままのノリで木村荘十二の「兄いもうと」1936も見てしまいました。

以前、成瀬巳喜男の「あにいもうと」1953の感想を書いたとき、機会があれば、木村荘十二作品も、是非見てみたいということを書きました。

いま考えると、成瀬作品において、兄・森雅之の演技があまりに強烈すぎて、受けに回る妹・京マチ子(こちらもかなり強烈な演技でした)の、森雅之の強烈な演技を受け止めるのが精一杯、あの場面の京マチ子はただただ振り回されているだけのように見えましたし、兄妹で言い争うクライマックスの修羅場があまりにも痛々しく激しすぎるために、それがいったい何のための罵り合いなのかまですっかり分からなくさせてしまったかもしれません。

見る側も、単なる「激しい応酬」に気をとられてしまって、兄妹の距離感とか、一家の物語の大切な部分(凋落)を見逃してしまっていたことを、この木村荘十二作品「兄いもうと」が明確に教えてくれました。

この物語は、奉公先で妊娠させられた妹が、そのことが原因で静かに・確実に身を持ち崩していく転落の姿を描いていて、家族もまた、なすすべもなくその転落を見守っていくしかないという、遣り切れない家族の失意と絶望を描いた作品だったのだと気がつきました。

妹の留守に、妊娠させた相手の学生が、彼女のその後の様子を気にして訪ねてきたことを母から聞かされた妹は、当初、その学生が、粗暴な兄と会わずに帰ったと聞いて、ほっと安心します。

あの乱暴者の兄のことだから、彼に会えばどんなことをするか分からないと心配したのです。

しかし、そのすぐあとで、兄の口から直接、帰り道で待ち伏せして野郎を半殺しの目に合わせてやったと聞きおよび、妹は「そんなことを、誰が頼んだ!」と逆上して、兄にむしゃぶりついていきます。

怒った兄も殴る蹴るの応酬があって、「さあ、殺しやがれ!」と妹は叫びます。

ふたりの諍いを呆然と見ていた老母は、娘のその姿を見て「大変な女におなりだねえ」と嘆きます。

なにも妹は、かつての恋人の学生をかばって、そうした修羅場を見せたわけではありません、もはやこんなにも身を持ち崩してしまった自分が、いまさらあの学生と、元の関係に戻れるなどとは少しも思っていないはずです。

もちろん兄の暴力の報復に「いらぬお節介だ」と憤りを感じたかもしれませんが、それとても彼女が逆上したことのすべての理由ではない。

むしろ、兄妹それぞれ、家族それぞれが、互いを深く思い合いながら、しかし、空回りするばかりで噛み合わないそのもどかしさ、これからどう生きていけばいいのか分からない不安と絶望、そうした互いの苛立ちを悲痛にぶつけ合ったのだと思います。

木村荘十二の「兄いもうと」は、その辺(家族の凋落)をしっかりと見せてくれました。

冒頭で、親方の老父が、多くの河職人の荒くれ者たちを荒々しく束ねて、激しい仕事に従事している労働の丹念な描写が的確で、どの子どもたちも、その無骨な父の粗暴さのもとで成長しながら、おそらく反発したり、ひねくれたり、同情したりしながら成人したのだということが、ストーリー全体をしっかりと覆っていて、それが十全に「効いて」おり、息子の荒くれ、長女の反発、次女の優しさの意味するところを、よく理解させてくれました。

わが「愛怨峡」もまた、優柔不断で不実な男に孕まされて捨てられ、転落のなかで生きる、いわば「大変な女におなりだねえ」という女性像を描いてはいるのですが、しかし、彼女は、ただ途方にくれるばかりの女では終わってはいません。

生きるために「大変な女」になった以上、彼女は決然と、どこまでも「大変な女」であることの誇りを抱いて、彼女の道を歩んでいくのだと、映画は幸福の余韻さえ込めて終わっているように見えます。

溝口作品としては、珍しく肯定的で「前向きな女性像」(そのラストも、ハッピーエンド風です)であることが敬遠されて、もし「18位」という低評価のランキングにつながったのだとしたら、その「判断」の在り方は、やはり誤っているというしかありません。

漫才の相方・河津清三郎が演じる鈴木が、復縁を求めて山路ふみ子に会いに来た若旦那・謙吉(清水将夫)に対し、彼のこれまでの不実をなじりながら、手荒くすごんで金品をもとめる脅迫の場面があります、そして実際に暴力を振るって警察に逮捕されます。

しかし、釈放された彼は、「彼女が宿屋の女将におさまって幸せになってくれればそれでいい。ああでもしなければ、ここから離れていく切っ掛けがつかめなかっただろう」と述懐しますが、ふみを思いやる彼のその密かな意図は、ラストで、どこまでも不甲斐ない謙吉の不実を見限って再び家を出る際のふみの怒りの言葉の中で、彼女もまた、自分のことを気遣い思いやってくれる鈴木の気持ちをまっすぐに受け止め、理解していたことが明かされます。

ふみは、再び鈴木とともに、みずからの不運な人生をネタにした漫才で客から笑いをとりながら、貧しい放芸人として暮らしていくに違いありません。

ぎりぎりの場所まで追い詰められた人間が、わが身の不幸や不運、あるいは不具を見世物として人目にさらして飯のタネにする下積みの人間の悲痛な強靭さを、溝口健二はまるで「希望」のように描いているのが鮮烈で印象的でした。

そういえば、この旅一座の閑散とした不入りの芝居小屋の寒々しい描写が素晴らしく、嬉々として自虐ネタを演じるふみの漫才を、恐る恐る物陰から盗み見る謙吉の怯えた表情の描写が圧巻です、これはのちの「赤線地帯」のラストに生かされたのかもしれません。

最近考えていることを、ひとこと書いておきますね、いわば蛇足です。

誰の証言だったか忘れてしまいましたが、「ある映画監督の生涯」のなかで、溝口健二のことを、「溝口健二は、本当の意味のリベラリストではなかった」とか「階級意識が強かった」とか「官尊民卑の思想が強かった」と評されている場面がありました。

たしか、文部大臣賞やベニス映画祭銀賞や紫綬褒章をもらうことを非常に喜んでいたという流れを受けての証言だったと思います。

なにをことさらに、そんなことを言わなければならないのかと、この場面を見るたびに、とても違和感を覚えました。

あたかも、あれだけ優れた作品を量産した溝口健二が、まさか・・・という感じで編集されているように感じたからです。

しかし、あれってむしろ逆じゃないのか、という気がして仕方ありません。

その証拠に、リベラルで、階級意識にも捉われず、官尊民卑の思想もない現代の映画監督たちが、溝口に匹敵するだけの仕事ができているかというと、そんなことはありません。

発想も枯渇し、映画への情熱もとっくに失せ、映写技術は格段の進歩を見せながら、映し出す作品は、どれも愚劣なものばかり、「映画」の発明以来、最大の危機を迎えているといってもいいくらいです。

その凋落の原因は明らかです、「リベラル」などという悪平等の幻想に呪縛され、「階級意識」や「官尊民卑」という公認されることの栄誉の喜びが支える「上昇志向」という倫理観をすっかり失って骨抜きにされてしまったために、その活力も共に去精されてしまったのだといえます。

むしろ、封建的で、階級意識にも捉われ、官尊民卑の思想にこだわって権力に弱く、しかし自分は天才だと思い上がる偏見だけを頼りにして(ときには、その妥協のなさが、「軍部への迎合」だったり、「戦後民主主義への妄信」のカタチをとることもあったにしても、です)優れた映画は、そのように作られ成り立ったのだということを、そろそろ気がついてもいい時期にきているのかもしれません。

ときはいま、溝口健二の再発見。

(1937新興キネマ・東京大泉撮影所)監督・溝口健二、原作・川口松太郎、脚色・依田義賢、溝口健二、台詞監督・水品春樹、撮影・三木稔、美術監督・水谷浩、衣裳・新興衣裳部、編集・板根田鶴子、近藤光夫、音響効果・杵屋正八郎、音楽・宇賀神味津男、助監督・高木孝一、関忠果、監督補助・寺門静吉 上砂泰蔵、助撮影・田島松雄、源佑助、堀越達郎、装置・川上栄、装飾・北川鉄治郎、録音・安藤彰、灘源太郎、照明・内田昌夫、阿部定雄、技髪・高木石太郎、美髪・桜井君子、漫才指導・奈美乃一郎、舞踊指導・ジョー・オハラ、ジャズ・コーラス・東京ロマンス・クラブ
出演・山路ふみ子(村上ふみ)、河津清三郎(流しの艶歌師・鈴木芳太郎)、清水将夫(旅館の若主人滝沢謙吉)、 三桝豊(謙吉の父安造)、明晴江(謙吉の母おしん)、加藤清一(おふみの伯父村上藤兵衛)、田中春男(謙吉の友人広瀬恒夫)、野辺かほる(その妻里子)、浦辺粂子(産婆村井ウメ)、大泉慶治(その夫浩太)、菅井一郎(街の紳士森三十郎)、大友壮之助(刑事新田格)、大川修一(よたもの小山譲二)、鳥橋弘一(講談師神田伯山)、田中筆子(万才師春廼家小春)、上田寛(万才師春廼家笑福)、ジョー・オハラ(小唄流行亭左松)、奈美乃一郎(浪曲師天広軒虎松)、滝鈴子(女道楽立花家歌之助)、
1937.6.17 帝国劇場/電気館/新宿大東京 10巻 2,498m  108分 白黒
[PR]
# by sentence2307 | 2016-05-04 10:01 | 映画 | Comments(2)

悼む人

月曜日から金曜日にかけて一週間に見た映画の中から、感動した作品ばかりでなく失望した作品も含めて、どうにか書けそうな作品を物色し、細々と感想を書いています。

一週間に一本くらいは「感想」をアップさせたいなと思いながら、結局それはあくまでも理想にすぎないことを証明するかのようなダレた映画鑑賞生活を送っているわけですが、思えば、ネタ探しをしながら映画を見るなんて、映画鑑賞者として、ずいぶんな邪道を走っていると、我ながら呆れかえります。

しかし、見てからすぐに書き始めるなどという器用なマネなど到底できませんので、どうしても更に一週間とか二週間くらい「寝かせる時間」が必要になり、実際のアップはさらに遅れ遅れになってしまうというのが現状です(まさに、アップアップ状態ですね)。

その、書くことの苦行に比べたら、(当たり前ですが)見る方が遥かに楽なので、どうしても鑑賞過剰状態になってしまいます。

それに、あまりにも見る本数が多くなりすぎると、印象の薄い作品など、それでなくとも細かい部分はハシから忘れてしまうくらいですから、ややもするとストーリーまですっかり忘れてしまうという惨状を呈することもあります。

必死に集めたネタのカケラだけが空中分解して取り留めなく飛び散り、収拾のつかない精神混迷錯乱状態に陥ってはじめて、本来の映画鑑賞の楽しみから自分がすっかり逸脱していることに気がついて、そのたびに慌てて反省し軌道修正(感動を素直に書く)をしたり、原点(映画を愉しむ)返りを図ったりして、どうにかココロのバランスをとりながら、土曜日と日曜日のどちらかは、時間をみつけて、できるだけパソコンの前に座るようにしています。

こうした霞みかけた危うい記憶に基づいて「書く」ことのしんどさ・辛さに比べたら、その前段階での、どの作品を書こうかと思いをめぐらす「作品選び」は、まさに至福の時間といえます。

今週の候補作品は、「悼む人」(堤幸彦監督2015))と「海街diary」(是枝裕和監督2015)、そして「奇跡の2000マイル」(ジョン・カラン監督2013)でした。

これらの候補には入れませんでしたが、「恋はハッケヨイ」(イモジェンキンメル監督1999、日本の大相撲を扱っています)というイギリス映画も見ました、これがなかなかの拾い物で、予想に反したそのキュートさには、ちょっとウルウルさせられるものがあって、はからずも感動してしまいました。

そうそう、以前イギリス留学したという女の子から聞いた話ですが、イギリスでも(ロンドンに限ってだと思いますが)かなりの日本ブームらしく、意味の分からない日本語が大受けして(だぶんそのエキゾチックな響きからだろうと思います)クールに捉えられ、例えば、あの「スーパードライ」をロゴとして「売り」にしているファッションブランドが人気を博しているのだそうです。

商標とかの権利関係の方がどうなっているのかまでは聞きませんでしたが。

そういえば、以前、片言の日本語を話す外国人と話していて、こちらが「ちょいちょい」とか「てきぱき」などという何気ない言葉を言うたびに「なにそれ?」と興味深そうに反応し、大受けしたことを思い出しました。

日本人が何気なく使っている言葉も、外国人が聞くと奇妙で不思議な響きに聞こえるのかもしれません。

そういうブームのなかで日本の大相撲もかなり正しく理解され(ひと昔前なら、せいぜい顔に歌舞伎の隈取りを施したスモウ・レスラーだったものですが)受け入れられ、根強い人気があることを、この映画からも雰囲気として感じ取ることができました。

しかし、この「恋はハッケヨイ」、いかにも一昔前のゲテモノ映画でござい、の線を受け継いだ投げやりな題名がイケマセン。

これさえなければ、見る前から変な先入観もなく、少しは緊張して見ることができたのではないかと思うと、なんだかとても損をしたような気分になりました。

それにしても、こうした題名のハンディを乗り越えても、肥満コンプレックスを日本の相撲の精神性(心技体)によって立ち直らせ、みずから幸福を掴み取るという女性の、高潔なチャーミングさ(必ずしも「美しさ」だけが女性の価値ではない、という)は、大いに感じることができました。

さて、感想書きのための「作品選び」の方です、まず「奇跡の2000マイル」(ジョン・カラン監督2013)ですが、自分などには決して出来ないくせに、放浪への憧れ(コンプレックスです)が強いせいか、むかしから、ロードムービーというと、どうしても見ずにはいられません。

実は、学生時代に購入して以来、現在も捨てずに、いまだ持っている最後の一冊というのが、アルチュール・ランボオ「地獄の季節」(岩波文庫、小林秀雄訳)です。

放浪のどこに惹かれるかというと、たぶん、流れ者として眺める寒々しい風景と、その精神性の「荒涼」と「喪失感」、そして「沈黙」だと思います。

しかし、現実生活で当然に求められる「良識」と「定着」に捉われ、べったりと根を下ろしてしまった家族持ちの自分には、いずれも、すっかり失ったものであり、今更どうにかなるようなものではありませんが、だから尚更自分にとってのロードムービーは、特別な意味があるのだと思います。

駱駝4頭を引き連れてオーストラリアの砂漠3200Kmを踏破する24歳の女性を描いたこの作品、ヴェンダース作品のような「ワビサビ」の味わいには欠けるものの、そんな薄っぺらな批評眼などどこかに放っぽって、ただただ憧れと羨望の気持ちで、映し出される荒涼とした風景をひたすら愉しむことができました。

ですので、この作品に対して批評とか感想などは、もとより試みようとは最初から考えていません。
残る候補作品は、「悼む人」と「海街diary」ですが、理解度と書き易さからいえば、それは圧倒的に「海街diary」の方でしょう。

しかし、長女・香田幸が、奔放に生きた親たちの、しかし、あまり幸せそうでもない晩年を見据えて、最後には「家族を選択し、妻子ある恋人と別れる」というストーリーを順に追っていけば、どうしても、そこには「とても感動しました」というしかない隘路に追い込まれる嫌な予感がします。

実は、そういうのが、自分はすごく苦手なのです。

映画を見始めるとき、いつもこんなことを感じます。

ストーリーは最初、どのように発展してもいいような色々な可能性を持っています。

主人公がこれから誰を愛そうが、どこに旅に出ようが、どの大学を受験しようが、はたまた殺人を犯そうが、どうなるかは、まだ分かりません。

しかし、物語が徐々に進行するにつれて、選択肢がどんどん減っていく。

最愛の恋人が難病にかかって死ぬとか、マフィアの縄張り争いで殺し合いをするとか、火星から宇宙人が攻めてきて地球防衛軍が反撃するとか、走り始めたストーリーは、どの方向に走ってもいいかのように見えますが、実はそうじゃない。

走り始めてしまったら、走る瞬間瞬間にも、ストーリーの進行はそのたびに限定され、同時に発展の余地をどんどん失い狭めながら、最終的に決められた唯一の場所に落ち着くしかない。

それは、例えていえば、「詰め将棋」のようなものではないかと考えたりすることがあります。

では、「海街diary」において、妻子ある男から誘われるままに、長女・香田幸が愛する男とアメリカへ同行するという、本編とは真逆の線は絶対に有り得なかったかというと、あってもよかったかもしれませんが、しかし、そうした場合、感動の方はどうなるワケ?ということになります。

姉妹の前に親たちが犯した「あやまち」の結晶のような薄幸の腹違いの妹すずが登場し、姉妹それぞれのすずに対する哀れみや愛おしさが、たぶん「アメリカ行き」を許さない(王手飛車取りみたいな)位置に効いていて、長女・香田幸は、最後には家族を選択する(すずの行く末を見守る)しかないように進行するのが、やはり自然で最良の「納まり方」だったのだと思います。

最初、まったくの自由であるはずのストーリーが、まるで決められた線路(が存在するかのように)の上を脇目も振らずひたすら疾走する、その隙のない見事な疾走振りを持つ映画こそを、僕たちは「名作」と読んでいる作品なのではないか。

それに反して、ストーリーが脇道に逸れたり、脱線したりする映画、例えば、不倫をして周囲も自分も散々不幸に陥れた親のダラシナサを憤る娘の十分な意思説明がないまま、彼女もまた不倫という同じあやまちを犯すとしたら、それはやはり「名作」と呼ぶには相応しくない作品と言うことになるだろうと思います。

「海街diary」という作品が名作であるのか、そうでないのかは自分には分かりませんが、すくなくとも決められた「線路」の上を整然と走るような「名作」風な作品が、かえって自分にはとても苦手としている部分でもあることを、この作品を見ながら感じました。

それに比べたら「悼む人」はどうでしょうか。

はっきり言って、自分の中では、この映画が押し付けようとしている「悼む」という行為に対して、いくら説明されても、いまだに「大きなお世話じゃないか」という思いが強く、納得できていません。

さらに、生前の悪行もよく知らないくせに、「極悪人」に対しても、「善人」と同じように悼んだりしていいのか、という疑問からも自由になれていません、要するにこの作品の存在そのもの・在り方自体が甚だ疑問なのです、押し付けがましい安手のエセ新興宗教じゃあるまいし。

この「悼む人」という作品は、小説では通用するかもしれない言葉の波状攻撃によって成立する「言いくるめ」の詐術というものが、すべてを見せてしまうリアリズムを旨とする映画においては、「その手」が通用しないことを如実に証明した映画だったと思います。

この作品には、自分には納得も解決もできないこの「甚だ疑問」が、至るところに存在していて、最初、いざ感想を書くとしても、どこから「否定」を書き始めていいのか、取っ掛かりが掴めずに躊躇していました。

しかし、大切なことは、もっともらしさの仮面を被った納得できない部分を捉えて、この物語の「偽善」や「破綻」を白日の下に引きずり出すことだと思ながら映画を見続けました。

そして、その「破綻」は、ラストにありました。

その部分の「あらすじ」を以下に引用してみますね。

《家庭内暴力を受けた女性をかくまって「仏様の生まれ変わり」とまでいわれた夫・甲水朔也(井浦新)を殺害した奈義倖世(石田ゆり子)は、裁判で嘱託殺人であることを認定され4年の刑期を終えて出所します。
しかし、身寄りがなく行くあてもない倖世には夫の亡霊が取り付いていて「死んでしまえ」と、常に肩口から語りかけてきます。
衰弱し、生きる気力も失せて途方に暮れた倖世は、(たぶん、死ぬつもりで)二度と足を踏み入れないと決めていた東北の町(かつての殺害現場)を訪ね、そこで亡き朔也を悼む静人と出会います。
動揺する倖世に、静人は「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか。誰かに感謝されたことはあったでしょうか」と問いかけます。
静人の真意を測りかねた倖世は、訝りながらも、この奇妙な「悼む人」に惹かれて、夫殺しの事実は隠したまま、静人のあとを付いていきます。
そして、夫の亡霊から逃れられないと知った倖世は絶望し、橋から身を投げて自殺を試みますが、静人に制止され、思いを吐露した2人はお互いを求め合います。
静人とのsexのあと、夫の亡霊から解放されたことを始めて知った倖世は、静人と別れて旅立ちます。》

倖世から不意に別れを告げられた静人の戸惑いの表情が、とても印象的でした。

そりゃあ誰だって、あのsexによって倖世と静人は固く結ばれ、これから行動を共にすると考えるのが当然で、映画もそういう描き方をしていたはずと考えたのは、倖世の別れの言葉を誰もが「唐突」と感じたことにでも明らかです。

それに、このラストで、自分が抱いていた数々の疑問が、すべて解決されたといえるのだろうかと、しばらく考え込んでしまいました。

当初、倖世が抱いた静人の「悼む」行為への疑問(それは「いまだ」観客すべての疑問でもあったはずです)は、彼とのsexや、その結果、夫の亡霊が消失したことによって、静人の「悼む」行為自体は不問、疑問とするほどのことではなかったのだと、この物語は語りかけているのでしょうか。

もしかしたら、倖世の突然の立ち去りは、静人の「悼む」行為への静かな拒絶の意思表示ではなかったのか、その愚劣なエセ宗教活動を続ける静人への嘲笑と侮蔑であったのなら、少しは理解ができるのですが、とさえ考えてしまいました。

それならば、この映画が始末の悪い駄作中の駄作かというと、そんなことはありません。

奈義倖世の、どうような環境・状況に置かれても、あらゆる形の「いじめ」を呼び込んでしまうような歪な人間像として描かれていることに惹かれました。

いじめられてしまうような人間は、彼女自身マゾヒスティックな特殊なオーラを発していて、虐待される宿命であり、彼女もそれを望んでいて、あたかも虐待者を蝟集させる能力があるかのような描かれ方をしています。

歪んだ映画には、歪んだ人間像が描かれて当然なのかどうか、誰も問題視しようとしないことが、どうしても不思議でした。

この映画を見ながら、むかし見た映画を思い出しました。

「風流温泉 番頭日記」(青柳信雄監督1962)です。

旅館の番頭さんの話で、確か井伏鱒二の原作だったと思いますが、無能よばわりされていた番頭が失踪し、その後田舎のある旅館で再会したときは、とても有能な支配人になっていたというそれだけのストーリーでした。

しかし、環境を少し変えただけで、人間は大きく生まれ変われるのだと教えてくれた忘れられない素晴らしい映画でした。

(2015東映)監督・堤幸彦、原作・天童荒太『悼む人』(文春文庫刊)、脚本・大森寿美男、製作代表・木下直哉、エグゼクティブプロデューサー・武部由実子、長坂信人、プロデューサー・神康幸、音楽プロデューサー・茂木英興、協力プロデューサー・菅野和佳奈、ラインプロデューサー・利光佐和子、撮影・相馬大輔、照明・佐藤浩太、録音・渡辺真司、美術・稲垣尚夫、装飾・相田敏春、編集・洲崎千恵子、音楽・中島ノブユキ、記録・奥平綾子、Bカメラ・川島周、現場編集・似内千晶、VFX・浅野秀二、音響効果・壁谷貴弘、助監督・日高貴士、制作担当・篠宮隆浩、監督補・高橋洋人、主題歌・熊谷育美「旅路」(テイチクエンタテインメント)、企画協力・文藝春秋、特別協力・朝日新聞社、製作・キノフィルムズ、製作プロダクション・オフィスクレッシェンド、製作委員会・「悼む人」製作委員会(木下グループ、オフィスクレッシェンド)
出演・高良健吾(坂築静人)、石田ゆり子(奈義倖世)、井浦新(甲水朔也)、貫地谷しほり(坂築美汐)、山本裕典(福埜怜司)、麻生祐未()、山崎一(沼田雄吉)、戸田恵子(比田雅恵)、秋山菜津子(尾国理々子)、平田満(坂築鷹彦)、椎名桔平(蒔野抗太郎)、大竹しのぶ(坂築巡子)、眞島秀和、大後寿々花、佐戸井けん太、甲本雅裕(水口)、堂珍嘉邦(弁護士)、大島蓉子、麻生祐未(沼田響子)、山崎一(沼田雄吉)、上條恒彦、
138分 公開: 2015年2月14日
受賞・第28回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(2015年)、主演男優賞(高良健吾)『きみはいい子』と合わせて受賞。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-30 18:56 | 映画 | Comments(0)
寝るにはまだ早く、少しだけ起きていたい就寝前の中途半端な時間つぶしに、ネットサーフィン(この言葉、いまではすっかり聞きませんが)をしています。

だいたいは、最近の映画の予告編を見たり書評を読んだりとか、あるいは、思いつくままに適当な「キイワード」(だいたいは、芸能関係の話題が多いのですが)を打ち込んで、ヒットした情報を走り読みしているうちに(運が良ければ)、だんだん眠気がさしてきて穏やかな眠りにつけるという、ちょうどいい睡眠導入剤になるので、いまではすっかり一日の終わりには欠かせない習慣になっています。

しかし、就寝前のほんの数十分間とはいえ、芸能人のゴシップを追いかけて、時間の無駄遣いをしていたら、なんだかとても空しい気持ちになってしまったので、そこでハタと考えました。

普段では、なかなか検索できないような、なにか実になるテーマを考えてチョコチョコ調べてみようかと。

思いついたのが、「映画監督シリーズ」でした。

小津・成瀬・黒澤のお約束の御三家から始まって、お気に入りの清水宏、山中貞雄、そして思いつく限りの映画監督を片っ端から検索してみました。

やはり、すでに知っていることもありましたし、未知の事実もありましたが、総じて、映画監督という人たちの情報は、小説家などに比べると、段違いに乏しいことを実感しました。

なかには、これでは芸能人のゴシップとあまり変わらないではないかという酷いのもあり、わが「映画収集狂」の書き込みが、この空白を少しでも埋めることが出来ればと考えたりもしました。

おもだった映画監督をひと当たり検索したあとで、世界および日本の「古典映画作品」を検索してみました。

ここもやはり、すでに知っていることもありましたし、未知の事実もありましたが(成果は、少しずつブログに反映していくつもりです)、総じて、主演スターの浮名とか「あらすじ」程度のことしか触れていない貧弱な内容のものが多く、例えば、その作品が世界の映画史の中でどういう位置づけになる作品かなどという大局に立ったものがまるでないのが寂しくて、なんだかがっかりしてしまいました。

その次が「日本の小説家」の検索を試みました。かつて、その一人として藤澤清造を調べ、その成果をまとめてブログにアップしたこともあり、その過程で分かったことですが、自分の好みが「私小説作家」やその作品にあるらしいことに気がついたのでした。

露悪的な自然主義文学の影響を受けながら、その申し子のような存在である「私小説作家」たちは、まるでなにかの「業」に憑かれたかのように貧困に耐え、その自傷的・自嘲的なスタイルを保ちながら、不運な宿命と格闘した(あるいは無様に逃げ回った)彼らの悲壮な生き様と、それを痛切に綴った小説には、強く心惹かれるものがありました。

岩野泡鳴、近松秋江、水野千子、素木しづ、田村俊子、葛西善蔵、嘉村礒多、北条民雄、梶井基次郎、小山清など、就寝前のひとときの「検索」としては、かなり刺激の強い作家たちの悲痛な生涯ではありましたが。

そんなある夜、やはりなかなか寝付けないので、布団から抜け出てパソコンの前に座り、一度切った電源を入れ直して、さて、今夜はどういう言葉を打ち込もうかと暫し考えていたら、そうそう、そういえば、まだ「世界文学」というのを試みていないことに気がつきました。

自分の蔵書としては、中央公論社が昭和40年代に出版した朱色の装丁の「世界の文学」(世界文学全集もので最も売れたシリーズと聞いています)が、飛び飛びにですが、書棚に並べられています。

そして、その第1巻が「シェイクスピア」、数々の名作戯曲が福田恒存の名訳で収められています。

「生か、死か、それが疑問だ。どちらが男らしい生き方か、じっと身を伏せ、不法な運命の矢玉を堪え忍ぶのと、それとも剣を取って、押し寄せる苦難に立ち向かい、止めを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。」という例のアレです。

かつては、ハムレットのこの台詞を暗記しようと、「シェイクスピア戯曲集」をどこにでも携帯して、まるで英語の辞書かなにかのようにチラ見しつつ、ブツブツ暗唱したものでした。

そのうちにハムレットのその頁の部分だけがいやに目立って変色してしまったのを覚えていますが、そういえばあの本、いつの間にか失くしてしまいました。

さて、打ち込むキイワードは、「シェイクスピア」と決まりました。

とにかく世界の「シェイクスピア」です、その情報量たるや、もの凄いものがあり、目の前に展開する洪水のような情報量を見ると、根が天邪鬼にできていて、どうしても素直になれない自分のことです、「5飛び検索」「10飛び検索」などというトンデモナイことをやらかしたりします(始めの方でヒットした情報の方が、よほど重要なのに、です)。

しかし、こういう天邪鬼の検索が逆にラッキーな事態を呼び寄せるコトだって、ないわけではありません。

そのときが、ちょうど「そう」でした。

こんな記事に遭遇したのです。題して「王は車輪の下に眠る」。シェイクスピアの戯曲にもあるあの有名な「リチャード3世」の遺体が発見されたという事件の顛末と、その埋葬に関するいきさつが記されている小文でした。

以下、要約して紹介しますが、要約できない部分は、極力「原文」を尊重して引用しながら紹介しようと思います。

そうそう、その前に、あの「世界の文学 第1巻・シェイクスピア」の巻末の解説で、リチャード3世の人間像をどのように紹介しているか、その部分を転写しておきますね。

《なるほど、リチャードは徹底した悪党である。同じ王位簒奪者でもマクベスのほうがまだしも人間味を残している。しかし、リチャードの性格は、決して単なる類型ではない。彼にはマクベスにない魅力がある。それは、彼が権謀術数に徹したマキャヴェリアンであり、びっこでせむしという不具者でありながら、なかなかの芝居上手だということだ。しかも、彼は冗談や皮肉を弄ぶ明るい意識家である。偽善の面をかぶりはするが、自分が偽善を演じていることを隠そうとはしない。少なくとも、自分に向かって、それをはっきり意識していることを示さずにいられない皮肉屋なのだ。・・・つまり、この劇には、個人の意思を越えた大きな運命の流れが一貫していて、自分だけはそれから免れると思っていた人々が、次々とその罠にかかる。そして、他人のみならず自分の運命さえ操れると思っていたリチャードが、最後に、最も完璧に、自分の破滅によって運命の存在を証明する。そういう悲劇的アイロニーそのもののために、この作品は書かれたといえよう。》

さて、「リチャード3世」の遺体発見の顛末と、その埋葬に至る概要を紹介する前に、「悪名高き王・リチャード3世」が殺されるまでの歴史的背景をシェイクスピア史劇をとおしてざっとおさらいしておきたいと思います。

リチャード3世(Richard III, 1452.10.2 – 1485.8.22)は、英国中世末期(在位1483−85)、プランタジネット王朝最後のイングランド国王、薔薇戦争の最後を飾る王である。

エドワード3世の曾孫ヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリー・ネヴィルの八男で、即位前はグロスター公に叙されていた。

戦死した最後のイングランド王であるが、他に戦死した王は1066年にヘイスティングズの戦いで敗死したハロルド2世と、1199年に矢傷がもとで死亡したリチャード1世がいるのみである。

1484年1月に王直属の機関として紋章院を創設したことでも知られる。旗印は白い猪、銘は”Loyaulte Me Lie (ロワイヨテ・ム・リ)”で意味は、古いラテン語で「忠誠がわれを縛る」。

在位中に年代記が編纂されなかったため、その人物像には多くの謎が残されていますが、一般には、彼の名を冠したシェイクスピア史劇によって知られており、狡猾にして冷酷な肉親殺しのイメージが定着しています。

それは、シェイクスピアが、リチャード3世を、背むしの醜悪な容姿を持ち、その自虐的な反抗心から、邪悪な隠謀を企み、王位を簒奪するために目的のためには手段を選ばぬ、奸智に長けた残忍狡猾な人物として描いたからでもあります。

史劇の舞台は、ヨーク王家が骨肉の王統争い(いわゆる薔薇戦争)を制して王権に返り咲き、ようやく平穏が訪れた中世イングランド、おのれの醜悪な容姿を嘆くグロスター公リチャードは、美丈夫の長兄・国王エドワード4世を妬み、密かに王位簒奪を狙っています。

リチャードは、謀略を巡らし、王位継承権を持つ次兄・クラランス公ジョージを冤罪に陥れて刑死させ、手練手管を弄して、薔薇戦争の仇敵ランカスター王家の未亡人アンと結婚して、彼女が相続する広大な所領を手に入れます。

リチャードは,国王エドワード4世が亡くなると、その息子であり、当時12歳で王位を継いだ王子エドワード5世の後見人となり、叔父として摂政(護国卿)に就任しますが、その後、突如、態度を豹変させて、王子の側近を次々と処刑したうえ、前王の結婚は重婚ゆえに無効であると宣言し、エドワード5世を廃位に追い込みます。

そして、幼いエドワード5世とその弟王子をロンドン塔に幽閉したのちに、密かに殺してしまいます。

こうして、彼は、ついにリチャード3世として王冠をわがものとします。

しかし、そのわずか2年後、フランス亡命中のヘンリー7世(テューダー王朝の祖)の旗の下に反乱軍が蜂起し、ボスワースにて軍勢が相まみえると、リチャード3世は,味方の思わぬ裏切りにあって敵に追い詰められ、落馬してしまいます。

「馬を持て、馬を! 馬を! 代わりにこの国をやるぞ、馬を持て、馬を!」リチャード3世はこう叫び、戦場で壮絶な最期を遂げます。

このようなシェイクスピア史劇のイメージにより、おのれの野望のためなら幼い肉親をも躊躇なく殺してしまう悪人像が作り上げられ、世界中に広く知れ渡りました。

しかし、一方で、こうしたリチャード3世の悪評は、新王制のテューダー王朝によるプロパガンダの産物にすぎないという見方もあります。

シェイクスピアの史劇は、テューダー王朝時代に編纂された年代記に基づいており、また、シェイクスピア自身も同時代の王室の庇護を受けたお抱え劇作家だったため、旧王朝の君主リチャード3世を殊更におとしめ、一方で、テューダー王朝の正統性を過度に強調しているというのが定説です。

リチャード3世の評価について、18世紀には、歴史学者による見直し論が展開され、1924年には、歴史的な名誉の回復を目指して、愛好家らが「リチャード3世協会」を設立しました。

リチャード三世による次兄および甥らの謀殺が史実であったかどうかについての議論は、いまだ決着を見ていません。

しかし、リチャード3世が、短い在位中に多くの治績を残したことは、広く知られています。

例えば、リチャード3世は、王が議会の承認なく徴収していた徳税(強制献金)を廃止する法律を作りましたし、公正な取引を担保するため、新しい計量基準を導入したり、財産権の登録も義務付けたりしました。

さらに、彼は、刑事司法制度改革にも取り組み、有罪判決前の私有財産の没収を禁じ、重罪の被告人に対する保釈制度を新設したほか、当時陪審員への賄賂、買収が横行していたことから、陪審員に対して最小限の資力要件を課すことも決めました。

また、リチャード3世は、請願裁判所(Court of Requests)も創設しようと試みたのですが、議会の承認を得られずに、実現には至りませんでした。

こうした功績を虚心に見れば、リチャード3世が、かなり進歩的なリベラル思想を持ち、優れた行政手腕を発揮した名君であったことが考えられます。

リチャード3世の亡骸の行方については諸説あり、ボスワースからレスターに運ばれたところまでは判明しているものの、その後ソアー川に投げ捨てられたとする説や、簡略な葬儀を経て修道院に埋葬されたとする説などの言い伝えがあるのですが、その修道院も宗教改革の際に取り壊されてしまっており、長いあいだ人々の記憶から失われていました。
[PR]
# by sentence2307 | 2016-04-30 18:51 | 映画 | Comments(0)