世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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間宮兄弟の臨界

週末、会社の廊下で顔なじみの同僚とすれ違うときなど、軽い挨拶代わりに交わす言葉は、きまって「今年は、もう2回も雪が降ったのに、この4日もまた、ものすごい寒波がくるんだってさ」でした、「また大雪か」というウンザリした思いをみんなが持っていて、その危惧(やれやれ)を何度も確認しあったような気がします。

僅かの降雪でも電車のダイヤは大幅に乱れ、遅れ遅れの通勤電車の混雑が半端じゃなくなるので(まさに「殺人的」です)、早朝通勤を余儀なくされるサラリーマンには、ものすごい痛手です。「革靴で雪道」というのも結構苦痛で、それにまた、相当に危険ですよね。

実際に、知人の課長も雪道で転倒し、その際、前頭部を歩道の角でしたたかに強打して虎の門病院に救急搬送され、脳内出血を起こしてないかと大仰な精密検査をいくつも受けさせられたそうで(結果的に無事でしたが)、後日、本人からそのときのリアルな話を聞きました。

それによると、前を歩く若い女性がスマホの操作に夢中になりながら歩道の真ん中をノロノロと歩いているのに業を煮やした彼は、(いつも早めに出勤しているので、その朝も別段、急ぐ必要など少しもなくて、ただ単に彼女の「スマホでノロノロ」に苛立っただけだったそうで)傍らを追い抜こうとして、その際に歩道の端を踏み外して転倒したということですが、本人は「通勤労災で、結局治療費はタダ、そのうえ会社も1日堂々と休めたし、なんだかトクした気分だよ」なんて呑気に話しながら、冗談まじりに、彼が苛立って追い抜こうとした彼女は、目の前で転倒した自分を一瞬チラ見しただけで、またスマホに夢中になって、なにごともなく倒れ込んでいる自分を無表情のまま跨いで歩み去ったというのです、考えてみれば、それってゾッとする薄気味悪いシチュエーションですが(彼女にとっては、リアルに転倒している自分も結局はスマホ画面に写っている一風景にすぎなかった、みたいな)、そのへんを彼は面白可笑しく、尾ひれを付けて語っていました。

まあ、冗談はともかく、「頭部強打は洒落にならないよ、もしあれがオオゴトになっていたら、極端な話、オタクも家庭崩壊だぞ」と脅かしてやりました。

自分などは、踵に滑り止めの金具がついている雪道専用の靴をアイスバーンに突き立てながら小幅で恐る恐る歩くようにしているので、転倒リスクは、それなりに防いでいるつもりですが、それでも気を付けるに越したことはないと、さらに用心をしているくらいです。

こんなふうに語られる「三度目の大雪」の恐怖に相槌を打ちながら、そうか、誰もが、まだまだ今の寒さがこれから先もずっと続いて、温かくなるなんて考えられないくらい相当に先の話だと思っているらしいことを実感しますが、しかし、実は自分的には、ちょっと違う感覚もあります。

早朝は依然として寒いし、寝床の温もりを断って思い切って起き出すには、少しばかりの時間と決意が必要なことはまだまだ変わりませんが、それでも起きたとき、以前は真っ暗だった外が、最近は薄っすらと明るんできました。明るくなってくると、それなりになんだか温かくなってきたような気もしてきますし。

いつまでも温かい寝床に潜り込んでいたいといつも平日に思っているので、その快楽を十分に実現できるはずの土曜日なのに、いざ目が覚めて寝床の温もりの中にいるのに、そのまま横になっていられません、そうしていられるのはせいぜい10分がいいところで、どうしても起き出してしまうのです、ヒラのサラリーマンの悲しいサガだとお笑いください。

仕方なく、まるでイモ虫のようにもぞもぞと起き出して、パソコンのスイッチをonにするのが土曜日のいつもの日課です。

実は、この映画ブログ、こんなふうに土曜日の早朝に週イチペースで書き継いできたので(もちろん、書くことに失敗する土曜日というのも当然あります)、早朝の気温とか明るさ・暗さには人一倍敏感で関心もあって、そういう意味では微妙な季節の移り変わりにはそれなりに反応できていると自負しています。

さて、今日はどんな作品を書こうかと、今週見た作品のメモを眺めました。

いちばん重厚な作品といえば、マーチン・サントフリート監督の「ヒトラーの忘れもの」です、ドイツが敗戦した直後、デンマークでは捕虜になったドイツの少年兵たちが、現地デンマーク人のナチに対する憎悪に晒されながら、少年たちを傷みつけることだけが目的のような生還不可能な地雷除去作業(彼ら少年たちは地雷除去作業などしたことのない素人です)に従事・強制するという、この作品は、実に胸の痛くなるような憎悪の物語です、除去に失敗した少年たちは次々に地雷を暴発させて無残に命を落としていきます。

実は、少年兵たちの監視人ラスムスン軍曹とのあいだで、海岸の地雷をすべて撤去したらドイツへ帰国させるとの約束があって、それを唯一の希望として死の恐怖に身を晒しながら、必死になって地雷除去作業に従事し、ついに約束の作業をやり遂げます。

軍曹は約束通り少年たちをドイツへの帰国の途につかせますが、軍上層部から、別の場所の、それこそ生還など絶対不可能な過酷な地雷除去命令が、さらに少年たちのうえにくだります。

そのあとのストーリーは、軍曹が軍上層部の命令に逆らって少年たちを国境まで逃がして彼らとの約束を果たすという結末で、一応ホッとさせる結末にはなっていますが、しかし、全編を通して描かれている徹底したナチに対する憎悪と報復のリアル感にくらべたら、少年兵たちを約束通りに逃すという(取ってつけたような)ほのぼのとしたラストがいかにも無力で、実際には実に多くのドイツの少年兵捕虜たちは、こんなふうに虐待され、まるでナチが犯した侵略と虐殺の罪を贖うようにして憎悪の下で殺され、報復のような死を死んでいかねばならなかった過酷で無残な事実は覆い隠しようもなく(そこには依然として、ナチの虐殺した側と、蹂躙された被侵略国の側の事実とが厳然として存在しているわけですから)、この映画のラストで唐突に孤立した空々しい絵空事を見せられても、苦苦しい思いは払拭できず、言葉をつなげていくという困難と過酷に耐えられずに、結局はこの「ヒトラーの忘れもの」の感想を書くことは諦めました。

普段なら「憎悪」であろうと、「侮蔑」であろうと、そういう負の感情に対しても、それなりに距離を取って客観的に強引に書き伏せてしまうことができると思っていたのに、今日のところは駄目でした、このような憎悪の物語に耐えられないくらい、自分の気持ちも少し弱っていたのかもしれません。

ほかに気にかかった作品が2本ありました。

御法川修監督作品「世界はときどき美しい」(2006)と 森田芳光監督の「間宮兄弟」(2006)です、ともに2006年作品ですか、なんだか偶然ですが。

御法川修監督作品「世界はときどき美しい」は、5本のストーリーからなっているオムニバス映画です。

この5作品に共通して描かれているものは、おそらく、この社会や、そして他人にどうしても馴染めず、折り合いがつかず、打ち解けることもできない孤絶とか孤独感です。

なかでも、柄本明がアル中の中年男・蝿男を演じた第二作「バーフライ」にものすごく心惹かれました。

別にこれといったストーリーがあるわけではなく、日夜酒浸りの中年男の日常(これでもか、これでもかと酒を飲み続ける日々をコミカルに追っています)を終始男自身の愚痴とも悔恨ともつかないつぶやきをモノローグ風に綴るという、とてつもなくシンプルで、世間の嘲笑に煽られ追い立てられながら破滅の極限に踏み込もうとするやけっぱちの自傷行為が、ひた向きなだけに妙にピュアで、見るものを打つ映像の力強さがありました。それを痛ましいといってしまえば、それまでなのですが。

しかし、このもがき続けるシンプルな生き方(生きることの原初的な姿)について、なにをいまさら語り得るものあるだろうかという思いは確かにあります。

自分が、多くのアル中を扱った独特の映画群のどれにも、ある種の神聖さを感じてしまうのは、それが下降的に生き方にすぎなくとも、そのピュアな「ひたむきな姿」に惹かれるからに違いありません。

しかし、こうして「なにをいまさら語り得るものあるだろう」などという壁に突き当たってしまったら、もうそこから先には進めません。

そして、次に見たのが森田芳光監督の「間宮兄弟」(たぶん初見です)でした、この作品の全編にわたる優しさと、そして、ひとつのシーンに堪らなく感応するものがありました。この感応は、「ヒトラーの忘れもの」を見た後で、すっかりすさんでしまった自分の気持ちの落ち込みを抱えて見たことと無縁のものではありません。

そのことについて書きますね。


兄・明信の同僚大垣賢太夫妻の離婚騒動で、妻のさおりに惹かれた弟・徹信が、同情と関心半々から、自分の気持ちを伝えようと離婚後の彼女に会いにいくシーンで、弟・徹信は自分の気持ちをあれこれの品物(贈り物)で伝えようとして(その幼さが、かえって、痛手を負った女性の勘には堪らない無神経さとして苛立ちと怒りをかい)、手ひどく撥ねつけられる場面です。

撥ねつけるさおりの言葉の辛辣さに弟・徹信は傷つきます。

その場面をちょっと再現してみますね。

さおりの関心をかおうとして、いくつもの贈り物を差し出す弟・徹信にさおりは言います。

「そんなもの、いただくわけにはいきませんわ。なぜ私があなたから音楽をいただかなければいけないんですか。これも全部お返しします。一曲も聞いていませんから。こういうことされるのが、いちばん傷つくんです。迷惑なんです。あなたには、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないと思っています。もうなにもかもやめてください。あなたもいい大人なんだから、私の言っていること、もうお分かりでしょう。もう結構ですから、帰らせてください。」

こうまで詰られても、弟・徹信はこんなふう言います。「人生はまだまだ続くし、憎しみからはなにも生まれてきませんよ」と。そんなことを言うこと自体が、彼女の言う幼さであることにも気が付かずに。

そして、弟・徹信の失恋を知った兄・明信(彼もこの直前に、直美への芽生えかけた恋心を砕かれています)は、新幹線の操車場が見下ろせる場所で「これからもふたりで一緒に暮らしていこう」と弟を励まします。

そして、次の場面、昼の小学校の校庭で作業をしている弟・徹信のもとに直美の妹・夕美が現れます。そして、いつも一緒にいた恋人が勉強のためパリに旅立ってしまったことを徹信に告げます。

とつぜん恋人に去られたことを別段寂しそうにするでもなく、いつものように能天気にはしゃぐ夕美は、弟・徹信の失恋を聞き出し、一瞬息をのむような間があって、突然、背後からじゃれつくように抱きつきます。そして夕美は「これは違うよ、愛じゃないよ、友情の抱擁だからね」と囁きかけます。

不意に恋人に去られた女が空虚な気持ちを持て余しているとき、子供っぽいと相手に撥ねつけられた男の孤独に感応して思わず抱き締めずにいられなかった切なく実に優しさに満ちた場面でした。

そしてまた、ふたりのあいだに漂う孤独と遣り切れなさを静かなスローモーションでとらえたこの場面自体が、観客に深い思い入れを許す優しさと美しさ深く打たれました。

北川景子、その率直であけっぴろげな優しさが役柄とシチュエーションにぴったり嵌まり、優しさがじかに伝わってきたいい感じの演技でした。


世界はときどき美しい(2006)
監督脚本・御法川修、製作・棚橋淳一、中島仁、長田安正、プロデューサー・西健二郎、撮影・芦澤明子、録音・森英司、音響・高木創、衣装・宮本まさ江、ヘアメイク・小沼みどり、音楽監修・大木雄高、サウンドトラック盤・オーマガトキ (新星堂)、製作=「世界はときどき美しい」製作委員会、主題歌・鈴木慶江 「月に寄せる歌」〜歌劇「ルサルカ」より(EMIクラシックス)、Life can be so wonderful
第1話・世界はときどき美しい、松田美由紀(野枝)
第2話・バーフライ、柄本明(蝿男)、遠山景織子(スナックのべっぴんママ)、尾美としのり(スナックの酔客)、安田蓮(ハナタレ小僧)、川名正博(バーのマスター)、戸辺俊介(バーテンダー)、時任歩(仕事帰りのホステス)、
第3話・彼女の好きな孤独、片山瞳(まゆみ)、瀬川亮(邦郎)、
第4話・スナフキン リバティ、松田龍平(柊一)、浅見れいな(朋子)、あがた森魚(野辺山教授)、桑代貴明(幼い頃の柊一)、
第5話・生きるためのいくつかの理由、市川実日子(花乃子)、木野花(静江・花乃子の母)、草野康太(大輔・花乃子の兄)、南加絵(カフェの店員)、鈴木美妃(花乃子の友人)、


間宮兄弟(2006)監督・森田芳光、プロデュース・豊島雅郎、エグゼクティブプロデューサー・椎名保、プロデューサー・柘植靖司、三沢和子、原作・江國香織『間宮兄弟』(小学館刊)、脚本・森田芳光、撮影・高瀬比呂志、美術・山崎秀満、衣裳・宮本まさ江、編集・田中愼二、音響効果・伊藤進一、音楽・大島ミチル、主題歌・RIP SLYME『Hey,Brother』、照明・渡邊孝一、装飾・湯澤幸夫、録音・高野泰雄、助監督、杉山泰一
出演・佐々木蔵之介(兄・間宮明信)、塚地武雅(ドランクドラゴン)(弟・間宮徹信)、常盤貴子(葛原依子)、沢尻エリカ(姉・本間直美)、北川景子(妹・本間夕美)、戸田菜穂(大垣さおり)、岩崎ひろみ(安西美代子)、佐藤隆太(浩太)、横田鉄平(玉木)、佐藤恒治(中華料理店のおじちゃん)、桂憲一(犬上先生)、広田レオナ(薬屋のおばちゃん)、加藤治子(お婆ちゃん)、鈴木拓(ドランクドラゴン)(ビデオショップの男)、高嶋政宏(大垣賢太)、中島みゆき(間宮順子)、




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# by sentence2307 | 2018-02-03 16:23 | 映画 | Comments(0)

伊豆の娘たち

数年前、「神保町シアター」で、特別企画として終戦直後に封切りされた作品ばかりを集めて上映するという企画がありました。

実に素晴らしい企画で、その貴重な機会を逃さないように無理やり仕事を算段して出来るだけ見に行こうと焦りまくっていたことを最近しばしば思い出すことがあります、残念ながら「日参」とまではいきませんでしたが。

あれから少し時間がたってしまい、だいぶ記憶も薄れてきたのですが、おりに触れて、そのときの苦労や、そこで見た幾つかの作品のことを懐かしく思い出しています。

しかし、いまとなっては、その作品を「神保町シアター」で見たのだったか、「フィルムセンター」で見たのか、いや、それとも、もっとべつの映画館で見たのだったか、記憶が錯綜してだんだんあやしくなってきました。

しかし、なんだってそんなことが気になるのかといえば、自分にとって「むかし見た映画」(記憶の中にあっては、昨日も10年前もみんな「むかし」です)というのが、ただ単に「作品」それ自体の記憶というのではなくて、その作品を見た場所というのが、記憶の重要な属性になっているからだと思います。

作品自体を覚えてさえいれば、それだけで十分じゃないかと言われてしまいそうですが、自分にとって「映画の記憶」とは、それを見た映画館と一体のものとして格納されています。

小津監督や溝口監督の諸作品は、すべて銀座の並木座で見ましたし、大島渚作品「少年」や吉田喜重作品「戒厳令」など、当時の時代の先端を行く尖鋭で重厚な作品は、ことごとく池袋の文芸地下で出会いました。ロベール・アンリコの「冒険者たち」の底抜けの悲しい明るさや、ゼフレッリの「ロミオとジュリエット」の宿命的な死の輝きと美しさに圧倒されたのは、神楽坂の「佳作座」でした。「keiko」や「不良少年」「絞首刑」を寒々しい場末の映画館で見ていなければ、こんなにも映像に打ちのめさ、その衝撃を衝撃として感受できなかったかもしれません。

映画を求めて東京の薄汚い繁華街の闇をさまよった先の映画館の思い出がなければ(さらには、「誰と見たか」とか、その時の「気分=失恋とかね」が再現できなければ)、きっと「映画の記憶」をこんなにも燦然と輝かせることも、自分のものにすることも叶わなかったに違いありません。

思い出していくうちに、たまらなくなって「神保町シアター」のホームページからその企画を検索して確認したくなりました。
ありました、ありました。

「◆戦後70年特別企画 1945-1946年の映画」、これですね。具体的には、1945年8月15日から1946年末までの間に封切られた映画、とあります。

なるほど、なるほど。

上映作品は、以下の通りです。

1.『歌へ!太陽』 昭和20年 白黒 監督:阿部豊 出演:榎本健一、轟夕起子、灰田勝彦、川田義雄、竹久千惠子
2.『グランドショウ1946年』 昭和21年 白黒 監督:マキノ正博 出演:高峰三枝子、森川信、水ノ江瀧子、杉狂児、三浦光子
3.『そよかぜ』 昭和20年 白黒 監督:佐々木康 出演:並木路子、上原謙、佐野周二、齋藤達雄、若水絹子
4.『はたちの青春』 昭和21年 白黒 監督:佐々木康 出演:河村黎吉、幾野道子、大坂志郎、高橋豊子、坂本武
5.『わが恋せし乙女』 昭和21年 白黒 監督:木下惠介 出演:原保美、井川邦子、増田順二、東山千栄子、勝見庸太郎 *16mm上映
6.『伊豆の娘たち』 昭和20年 白黒 監督:五所平之助 出演:三浦光子、佐分利信、河村黎吉、桑野通子、四元百々生、飯田蝶子、笠智衆
7.『お光の縁談』 昭和21年 白黒 監督:池田忠雄、中村登 出演:水戸光子、佐野周二、河村黎吉、坂本武、久慈行子
8.『大曾根家の朝』 昭和21年 白黒 監督:木下惠介 出演:杉村春子、三浦光子、小沢栄太郎、賀原夏子、長尾敏之助 *16mm上映
9.『国定忠治』 昭和21年 白黒 監督:松田定次 出演:阪東妻三郎、羅門光三郎、尾上菊太郎、飯塚敏子、香川良介
10.『狐の呉れた赤ん坊』 昭和20年 白黒 監督:丸根賛太郎 出演:阪東妻三郎、阿部九州男、橘公子、羅門光三郎、寺島貢、谷譲二
11.『東京五人男』 昭和20年 白黒 監督:齊藤寅次郎 出演:古川緑波、横山エンタツ、花菱アチャコ、石田一松、柳家權太樓
12.『へうたんから出た駒』 昭和21年 白黒 監督:千葉泰樹 出演:見明凡太郎、潮万太郎、岩田芳枝、浦辺粂子、逢初夢子
13.『或る夜の殿様』 昭和21年 白黒 監督:衣笠貞之助 出演:長谷川一夫、山田五十鈴、高峰秀子、飯田蝶子、吉川満子、志村喬、大河内傳次郎
14.『歌麿をめぐる五人の女』 昭和21年 白黒 監督:溝口健二 出演:坂東簑助、坂東好太郎、髙松錦之助、田中絹代、川崎弘子
15.『浦島太郎の後裔』 昭和21年 白黒 監督:成瀨巳喜男 出演:藤田進、高峰秀子、中村伸郎、山根壽子、管井一郎
16.『人生とんぼ返り』 昭和21年 白黒 監督:今井正 出演:榎本健一、入江たか子、清水将夫、河野糸子、江見渉

◆巨匠たちが描いた戦争の傷跡
終戦間もない時期に公開された巨匠たちの戦争の傷跡を色濃く映し出した作品
17.『長屋紳士録』 昭和22年 白黒 監督:小津安二郎 出演:飯田蝶子、青木放屁、河村黎吉、吉川満子、坂本武、笠智衆、殿山泰司
18.『風の中の牝鶏』 昭和23年 白黒 監督:小津安二郎 出演:田中絹代、佐野周二、村田知英子、笠智衆、坂本武
19.『夜の女たち』 昭和23年 白黒 監督:溝口健二 出演:田中絹代、高杉早苗、角田富江、浦辺粂子、毛利菊江
20.『蜂の巣の子供たち』 昭和23年 白黒 監督:清水宏 出演:島村俊作、夏木雅子、久保田晋一郎、岩本豊、三原弘之

そして、解説には、こうあります。
《戦争で焼失した映画館は全国で500館を数え、一方、空襲を免れ残った映画館は、終戦の日から一週間だけ休館し、営業を再開したといいます。その後、焼け跡にはバラックの映画館まで出現し、マッカーサーが日本に降り立ったまさに1945年8月30日同日、終戦後初の封切作品『伊豆の娘たち』(1945.08.30 松竹大船 五所平之助)『花婿太閤記』(1945.08.30 大映京都 丸根賛太郎)の二本が公開されたのです。
終戦直後、映画会社や映画館の人々の情熱によって届けられた映画は、戦災の中で生き抜こうとする人々の希望の光になったと、信じてやみません。今回は、日本が復興に向けて歩み出した1945年8月15日から翌年末までにGHQの厳しい検閲を通過し公開された、知られざる映画たちを回顧します。》

解説を読んでいくうちに、「伊豆の娘たち」の長女・静子(映画の中では「静江」ですが)の揺れる娘心を健気で繊細に演じた三浦光子の演技(清潔感と妖艶さが矛盾なくひとつのものであること)に衝撃を受けたことを鮮明に思い出しました。

脇を固める役者もこれまた実に素晴らしく、河村黎吉や桑野通子や東野英治郎や飯田蝶子らが、畳みかけるように生き生きと掛け合いを演じていくシーンは、まるで心地よい映画の波動にいつまでも身を委ねていられるような快感さえ感じられました。

いろいろな解説書のいたるところで、かならずといっていいほど「戦時中にもかかわらず」という文言を見かけますが、そんな思い込みが無意味に思われるほど、この映画には独自の映画的な固有のリズムがあって、「戦時色」などという末梢的な粗さがしなど排除してしまう力強さと気高ささえ感じることができました。

(1945松竹大船撮影所)演出・五所平之助、脚本・池田忠雄、武井韶平、撮影・生方敏夫、西川享
配役・河村黎吉(杉山文吉)、三浦光子(長女・静子)、四元百々生(次女・たみ子)、桑野通子(叔母・きん)、佐分利信(宮内清)、東野英治郎(村上徳次郎)、飯田蝶子(しげ)、笠智衆(織田部長)、忍節子(夫人)、柴田トシ子(娘雪子)、坂本武(宗徳寺の和尚)、出雲八重子(おたけ婆さん)、
1945.08.30 紅系 8巻 2,018m 74分 白黒



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# by sentence2307 | 2018-01-28 09:54 | 映画 | Comments(0)
年末のBSで、朝から黒澤明の主要作品を一挙放送していました。

まず最初に放映された作品が、「七人の侍」。

どっこいしょとばかりテレビの前に陣取った当初は、すべての作品を見るつもりの意気込みだったのですが、実際に「七人の侍」を見はじめたとき、こんなふうにこれからさき何作も立て続けに重厚な黒澤作品を見ることができるのかと、なんだか自信がなくなってきました、というか、むしろ疑問が湧いてきたというべきかもしれません。

それは、まず、実際問題として、黒澤明の重厚な作品群を、集中力を途切らさずに何時間も見る気力が自分にあろうとは思えないことと、そんなふうにしてまで見ることにどのような意味も価値もあるのかと疑問に思えてきたからだと思います。

結局は、「七人の侍」だけを見て、案の定集中力を使い果たし、相当に疲れ、そのあと終日、この超弩級の名作の余韻に浸りながら過ごしました、他の作品を見逃したことの後悔などいささかもなく、むしろやり過ごした方が良かったくらいだと、心地よい疲労感に満たされながら、その残念な見逃しを自分自身納得さえしたのでした。

もっとも、黒澤作品は放映されるたびに几帳面に録画しているので、同じ作品のストックなら何本もあります、とくに記録とかはしてはいませんが。

黒澤作品に限らず、未見の作品となれば、(すぐに見るかどうかはともかく)極力録画する方針なので、空きスペースを無駄に遊ばせておかず、即有効活用することを心がけていますので、厳格な空きスペース管理は欠かせません(まるでこれじゃあアパートの空き部屋を必死で埋めるために管理に苦慮する不動産屋状態です)、緻密なタイムテーブルを作成し、それを俯瞰・駆使しながら秒数きざみまでカウントして的確にかぶせ録画しているのですが、黒澤作品だけは例外として消去せずに(また、できるわがありませんが)永久欠番状態にしています。

つまり、最初から消去するつもりなど全然ないのですから、当然管理とかも必要なく、黒澤作品は録りっぱなしの野放し状態の溜まる一方、ですので、これといった「記録」もしていないというわけです。

この治外法権的な監督作品といえば、ほかに小津作品、溝口作品、成瀬作品があり、こんな感じなので、将来のいつの日にか、自分の録画ストックはすべて、黒澤作品と小津作品と溝口作品と成瀬作品とに(他の作品を凌駕して)入れ替わってしまうかもしれません。

「七人の侍」を見た後に「晩春」を見て、さて、次は「東京物語」でも見るかと探したとき、たまたま手にしたのが「浮雲」で、高峰秀子いいよなゼッテエ~、などと呟きながら、両の手には次に見る「宗方姉妹」と「雨月物語」を握りしめ、足先で手繰り寄せたのは別に録画した「七人の侍」で、おっと、確かこれはさっき見たぞなどと呟いては退け、さらに「めし」と「生きる」を足先でモゾモゾと探し当てては確保し、さらに「用心棒」も小脇に抱え、そのとき一緒に手繰り寄せた1本の作品名を確認しなかったことを思いだして、いったいこれはなんじゃらほいと見直せば、なんと「にごりえ」じゃないですかと驚き、思わず「お~い、今井正もストックしとかなきゃダメじゃないか」と誰もいない部屋で架空の相手を叱りつけ、すぐに「はいはい」などと自分で答えてあやまり、すごすごと「永久欠番棚」(あんのか、そんなもの)にあわてて今井作品コーナーをこさえたりなんかするという、これってなんとも幸せな映画オタクの白昼夢の極地であって、自分の周囲にはすべてこれ「七人の侍」で埋め尽くされ、ひとりその恍惚郷にどっぷりと浸り込み、思わずクックックと湧き上がる哄笑を必死に抑えながら肩を震わせたりしています、あぶねぇ~。

冗談はさておき(冗談にするな、この野郎)、今回「七人の侍」を見て、感じたことを書いておこうと思います。

野武士に刈り入れ時期をねらわれ、そのたびに収穫したコメと村の女を強奪されて、これでは、もはや生きていくことなどとてもできないと悲嘆して困窮したとき、村の長老が、自衛のために食い詰めた侍を雇うこと、つまり、野武士と戦うことを提案します。

いままで野武士にされるがままになって耐え忍ぶだけだった無力な百姓にとって、野武士に刃向かうというのは、それだけでも価値観を根底からひっくり返すほどのとんでもないアイデアだったはずで、さらに、その手立てとして「侍を雇う」というのですから、それはもう驚天動地の(そんなことができるのかという)秘策中の秘策だったと思います。

しかし、この「食うだけは保証する」という最低限の条件は、もしかすると百姓たちを苦しめている野武士たちと同じような低劣悪逆な武士をさらに呼び寄せかねない恐れとリスクを伴うと同時に(妙齢の娘を持つ万造の不安は、まさにこの点にありました)、逆に、出世や功名とも無縁なこの死闘に命を懸ける条件が、とんでもなく素朴で無欲だからこそ、それに呼応するような清浄で無垢な侍たちをも引き寄せることができたことにつながり、この卓越したシチュエーションにはいつもながら感心させられます。考え抜かれた実に見事なシナリオです。

百姓が侍を雇って野武士を撃退するなど、本当にできるのかと疑心暗鬼の思いを抱く百姓たちは、それでも恐る恐る街にでて侍探しをはじめますが、もとより、戦いの報償が、ただの「食うだけは保証する」というだけなので、それだけでは当然、思うように侍を集めることができず、落胆した利吉・万造・茂助たちは、そろそろ村へ帰ろうと悲観にくれます。

そして、それから七人の侍がひとりひとり選ばれていくという前半のサムライ・リクルートの場面に続いていくのですが、中盤の戦いに備えて武士や百姓が村の防備に奔走する緻密な描写や、後半の野武士たちとの激烈な死闘場面(最初、タカをくくっていた野武士たちが、堅牢な防備と意表を突く逆襲に驚愕して次第に必死なっていく捨て身の死闘のダイナミズムも含めて)に比べても、なんら引けを取らない、ダイナミックで丹念な描写で、実に堂々としていて、観る者を惹きつけずにはおきません。

勘兵衛と勝四郎が出会い、保留的な伏線として菊千代が絡んで、やがて五郎兵衛、七郎次、平八、久蔵と侍はそろいます。

この7人のうち勘兵衛をのぞいて(すでに観客は、五郎兵衛が勘兵衛に表明した敬意の言葉「わしは、どちらかというと、おぬしの人柄に惹かれてついて参るのでな」を共有しているので、当然「勘兵衛をのぞいて」となります)、そのもっとも印象的な出会いは、以前にも書いたことがあるのですが、自分的には、七郎次との出会いということになります。

そのシーンをちょっと再現してみますね。

勘兵衛のはずんだ大きな声。
勘兵衛「ハハハ、いいところで会った。いや、有難い」
勘兵衛と物売り姿の男(七郎次)が入ってくる。
勘兵衛「フム、貴様、生きとったのか。わしはもう、てっきりこの世には居らんと思っとったが」
七郎次、静かに笑っている。
勘兵衛「ところで、貴様、あれからどうした?」
七郎次「はア、堀の中で水草をかぶっておりました。それから夜になって・・・」
勘兵衛「フムフム」
七郎次「二の丸が焼け落ちて、頭の上に崩れてきたときには、もうこれまでだと思いましたが・・・」
勘兵衛「フム、そのとき、どんな気持ちだった?」
七郎次「別に・・・」
勘兵衛「もう合戦はいやか?」
七郎次、静かに笑っている。
勘兵衛「実はな、金にも出世にもならぬ難しい戦があるのだが、ついて来るか?」
七郎次「はア」
勘兵衛「今度こそ死ぬかもしれんぞ」
七郎次、静かに笑っている。

この会話のなかで、勘兵衛は七郎次に、「死ぬことは恐ろしくないか」と問いかけたうえで、この百姓の苦衷を救う無償の戦いに誘っています。

そして、「今度こそ死ぬかもしれんぞ」とダメを押す勘兵衛の言葉にも、七郎次は「静かな笑い」で返しています。

むかしから自分は、このときの七郎次の笑みが、どういう種類の「笑み」なのか気になって仕方ありませんでした。

聞きようによっては、随分と意地悪い勘兵衛の遠回しの誘導尋問にあがらいながらの(身分制度の位置付けられた制約の中からの)精一杯の七郎次の自己主張と見ていた時期もありました、いまから思えば随分と穿ちすぎな考えですが。

例えば、夜陰に乗じて種子島を奪ってきた久蔵に対して、勝四郎が「あなたは、素晴らしい人です。わたしは、前から、それを言いたかったんです」という言葉に、久蔵が顔をやや歪めてみせるあの笑みと二分するような傑出したシーンです。

そのときの久蔵の笑みが、「苦笑→自嘲」の範囲の中にあるものだったとしたら、「今度こそ死ぬかもしれんぞ」と問われて返した七郎次の笑みは、あきらかに

「死ぬこと」など、なにものでもないと一笑に付すサムライの豪胆さだったのだと納得しました。

まさに、これが「命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」だったのだなあと、大河ドラマ「西郷どん」が始まろうかというこの年頭、七郎次の「笑み」というのが「あれだったんだな」と、つくづく感じ入った次第です。

しかし、その私欲を絶った高潔な豪胆さこそが、最後には、久蔵に死をもたらし、西郷隆盛をも死へと追いつめた元凶だったのだとしたら、七郎次をあの激烈な死闘から生還させたものが、ただの偶然だったのか、もう少し考えてみる必要があるのかもしれません。



《スタッフ》
製作・本木壮二郎、脚本・黒澤明・橋本忍・小国英雄、撮影・中井朝一、同助手・斎藤孝雄、照明・森茂、同助手・金子光男、美術・松山崇、同助手・村木与四郎、音楽・早坂文雄、同協力・佐藤勝、録音・矢野口文雄、同助手・上原正直、助監督・堀川弘道(チーフ)・清水勝弥、田実泰良、金子敏、廣澤栄、音響効果・三縄一郎、記録・野上照代、編集・岩下広一、スチール・副田正男、製作担当・根津博、製作係・島田武治、経理・浜田祐示、美術監督・前田青邨・江崎孝坪、小道具・浜村幸一、衣装・山口美江子(京都衣装)、粧髪・山田順次郎、結髪・中条みどり、演技事務・中根敏雄、剣術指導・杉野嘉男、流鏑馬指導・金子家教・遠藤茂、

《キャスト》
三船敏郎(菊千代)、志村喬(勘兵衛)、稲葉義男(五郎兵衛)、千秋実(平八)、加東大介(七郎次)、宮口精二(久蔵)、木村功(勝四郎)、津島恵子(志乃)、高堂国典(儀作)、藤原釜足(万造)、土屋嘉男(利吉)、左ト全(与平)、小杉義男(茂平)、島崎雪子(利吉の女房)、榊田敬二(伍作)、東野英治郎(盗人)、多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、渡辺篤(饅頭売り)、上山草人(琵琶法師)、清水元(町を歩く浪人)、山形勲(町を歩く浪人)、仲代達矢(町を歩く浪人)、千葉一郎(僧侶)、牧壮吉(果し合いの浪人)、杉寛(茶店の親爺)、本間文子(百姓女)、小川虎之助(豪農家の祖父)、千石規子(豪農家の嫁)、熊谷二良(儀作の息子)、登山晴子(儀作の息子の嫁)、高木新平(野武士の頭目)、大友伸(野武士の小頭・副頭目)、上田吉二郎(野武士の斥侯)、谷晃(野武士の斥侯)、高原駿雄(野武士・鉄砲を奪われる)、大村千吉(逃亡する野武士)、成田孝(逃亡する野武士)、大久保正信(野武士)、伊藤実(野武士)、坂本晴哉(野武士)、桜井巨郎(野武士)、渋谷英男(野武士)、鴨田清(野武士)、西條 悦郎(野武士)、川越一平(百姓)、鈴川二郎(百姓)、夏木順平(百姓)、神山恭一(百姓)、鈴木治夫(百姓)、天野五郎(百姓)、吉頂寺晃(百姓)、岩本弘司(百姓)、小野松枝(百姓女)、一万慈多鶴恵(百姓女)、大城政子(百姓女)、小沢経子(百姓女)、須山操(百姓女)、高原とり子(百姓女)、上岡野路子(百姓の娘)、中野俊子(百姓の娘)、東静子(百姓の娘)、森啓子(百姓の娘)、河辺美智子(百姓の娘)、戸川夕子(百姓の娘)、北野八代子(百姓の娘)、その他、劇団若草、劇団こけし座、日本綜合芸術社、



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# by sentence2307 | 2018-01-20 16:14 | 映画 | Comments(0)

Strange Fruit meets Citizen Kane

昨年、近親者を亡くしたので、今年の正月三が日は、「賀」ではなく「喪」としてすごしました、華やいだことは一切せず、また、誰にも会うこともなく、静かに家に閉じこもっていた三が日でした。

その間、もちろん小説も映画も見ていません。

でも「喪」に服すというのは随分退屈なもので、貧乏性の自分には、その「無為」に耐えられず、結局、年末に会社から持ち帰ってきた仕事を取り出して、気が向けば退屈まぎれに少しずつやりました。

近親者を亡くしたのは、これが初めてではありませんし、その時のショックが過ぎれば、時間の経過とともに、その人の思い出や、共有にした生々しい記憶なども少しずつ薄まって、やがてすべてが心地よい清浄な思い出に着実に薄らぐということを、経験のうえから十分に承知しているので、日々を静かにやり過ごし、なにもかも自然な時間の流れに委ねて「待っている」という感じです。

そんななかで、ときおり思うことは、生前の彼と、なんでもっと突っ込んだ話をしておかなかったのかという悔いが、ふっとよぎることがありました。

しかし、同時に、その思いが無意味なものにすぎないという気もしています。

共に過ごしたあの日々に、話そうと思えばその機会も、そしてその時間も、それこそ十分にあったわけで、事実多くのことを話し合いました。

自分ではそれが「突っ込んだ話」だと思ってきたものが、亡き人には、そうではなかったという意味合いのことを、残された言葉の中にみつけて以来、前述した「悔い」に捉われるようになり、相手の思いと自分の思いとの隔たりに愕然とし、その落差について考えるようになりました。

お互いにもっと打ち解けたかったという「孤独な言葉」を残していった彼と、十分に語りつくしたと感じていた自分とのあいだにある「落差」です。

この過去の今は亡き彼から突き付けられた突然の「弱々しい抗議」に戸惑いながらも、時が経つにつれて、だんだん分かってきたことがあります。

もし、あのとき、自分としてはそうは思っていなかったにしても、彼の方が絶えず「突っ込んだ話」ができないという悔いを抱いていたとしたなら、それは「できなかった」のではなくて「しなかった」からではないかと。

いつの場合でも、自分としては心を開いて「突っ込んだ話」をしてきたつもりです、だから彼だってそうしているに違いないと思っていて当然だった自分に対して、「突っ込んだ話」ができなかったと彼が思っていたなら、そこまでが話すことのできた彼自身の限界点だったからではなかったかと。

あのとき、そしてたぶんいつの時でも、少なくともお互いが話しあえる十分な状態にはあったのですから。

そして、あえてお互いの「限界」のさらにその先まで強引に踏み込めなかったことを自分が「悔いている」のだとしたら、それこそ見当違いな「悔い」なのではないかと思えてきたのです。

君がどうしても話せなかったことは、たぶん、そこまで他人に話すべきことではないことを、まさに君自身が知っていたからだと思います。自分の中にとどめておいて静かに耐えるべきもの、またそれ以外には、どうにもできなかったもののひとつだったからではないかと。

それは当時だって、いつの場合でも、自分には「彼の孤独」を理解はできても、到底背負いきれるものではありませんし、誰もがそうであるように、「自分の孤独」は自分で引き受けて背負うしかない、そしてそれは今だってなにひとつ変わってはいない。そう思い至りました。

こんな訳の分からない考えを堂々巡りさせながら、暮れに会社から持ち帰った単純作業を終日パソコンでせっせと処理していました。
仕事というのは、3年毎に刊行されている名簿が今年の年末にまた予定されているので、その準備としてデータ収集と整理をする単純作業です。

国家試験に合格した人たちが、研修所を卒業して各役所に任官していく人、あるいは事務所に就職していく人を一覧にした名簿で、わが社の予算の目標達成には欠かせない、売り上げもそれなりに約束されているという、とても重要な刊行物です。

しかし、まあ、やることといえば、あちこちのwebから切り取ってきた事項を、こちらに貼り付けて50音順に整えるという、およそ生産的とはいえない作業ですが、しかし、この作業がすべてのデータ基盤作成には欠かせないパーツとなるので、あだや疎かにはできません、時間のある時に少しでも着実に進めておかなければなりません。

新卒業生が千数百人、それに過去の卒業者を加えると数万人という規模の名簿ですので、一週間もかかれば、することがなくなるなどという懸念は少しもありません、その気の遠くなるような量の記事を、端から「区間指定して切り取ってきて、こっちに貼り付ける」というとんでもない単純作業を限りなく繰り返していくので頭がどうにかなってしまいそうで、静謐・無音の状況下ではとても耐えられるものではなく、せめて耳だけでも「単調さ」から神経を逸らして麻痺させるために、手持ちのCDやyou tubeなど、あらゆる分野の音楽を総動員してバックに流し続け、単純作業に耐え、乗り越えていくということになるのですが、当初、しばらくは、去年wowowで録音した「安室奈美恵25周年沖縄コンサート」に嵌まっていました。

テンポはいいし活気もある、そしてなによりも、自分の知っている「安室奈美恵」からは想像もできないくらい、このコンサートの安室奈美恵は完璧に成熟していて、実に驚きました、心の底からこの稀有な才能の引退が惜しまれますよね、ここでかつて歌われた多くの歌も、このコンサートの方がよほど円熟しており進化のあとがありありとうかがわれ実に感心しました。

しかし、安室奈美恵ばかり聴いているわけにもいきませんので、you tubeも物色します、たまたまそこには少し前に聞いていたノラ・ジョーンズがアップされています。

それほど好きというわけではないのですが、ジャズっぽいスローなテンポの曲の方が単純作業のバックにはぴたりと合うというだけの理由で、しばらく流してみたのですが、どうも調子がでません、ジャズ・ヴォーカルをチョイスするつもりでノラ・ジョーンズを選んだのが、そもそもの誤りでした。

濁りのない線の細いノラ・ジョーンズの澄んだ声や歌い方の「普通さ」に物足りなさを感じてしまうのは、そもそもの当初、ジャズっぽいものを聞きたいという思いから大きく外れていたからだと気が付きました。

もっとジャズっぽいものを聴きたいという思いで聞き始めたのがシナトラ、それからトニー・ベネットにエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリル、そしてジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」を聞くに及んで、耳の中に沈殿していたものが突如共振するかのように動き出し、むかしの思い出が一気に呼び覚まされました。

学生時代、ジュリー・ロンドンの「Cry Me a River」に感動し、必死になってマスターしようとした最初のジャズ・ナンバーです、結局、貧弱な声帯しか持ち合わせていない自分などには到底およばない情感豊かな声量で間を保つことができず、どうやってもうまく歌えませんでした。

しかし、この総毛立つような感じこそ、自分にとっての「ジャズ」だったんだなと、はじめて気が付きました。

そうそう、だんだん思い出してきました。

当時、ヘレン・メリルの歌い方に惹かれ、彼女の歌を夢中になってしばらく聞き込んでいたのですが、あるとき、それがビリー・ホリディの歌い方のコピーだと知らされて、それからというものビリー・ホリディだけを聞き始める切っ掛けになり、すっかり虜になってしまいました。

発売されている限りのレコードを買い集め、自伝「LADY SINGS THE BLUES」も読みました。

そんなとき、ダイアナ・ロス主演の映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」が封切られ、たまらない違和感を覚えたことを思い出しました。

いまから思えば、それは破天荒に生きた歌手ビリー・ホリディのブームかなにかだったのか、それとも、ビリー・ホリディの壮絶な生きざまが、その「破天荒さ」のゆえに、ニューシネマの題材にぴったりと合っていて、思いつきみたいに映画化されただけだったのか、当時の事情がどうだったか、どうしても思い出せませんが、この映画が、「俺たちに明日はない」と同じ発想から企画されたものなら随分だなと憤ったことだけは記憶にあります。

あれが「ブーム」として長く続いたという印象がないのも、そのあたりにあるのかもしれません。
それは、映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実」に対する印象にも通じるものがあって、ビリー・ホリディとはまったく異質のタイプ、都会的に洗練されたダイアナ・ロスをレディ・デイとして、どうすれば感情移入できるのか、白ける気持ちが先に来て、どうしても馴染めませんでした。

ダイアナ・ロスの演技が、アカデミー賞にノミネートされたということも聞きましたが、自分としては最後まで、「いじめられっぱなしの被害者・ビリー・ホリディ」の描き方には、どうしても賛同することができませんでした。

生涯にわたって彼女をさんざんに弄び食い物にした詐欺師たち(そう描かれています)は、ただの与太者や犯罪者というよりも、彼らもまたビリー・ホリディと同じように社会から拒まれ弾き出された社会的不適用者・弱い人間にすぎず、しかも彼女もまた、彼らの「そういう弱いところ」(彼らこそ自分と同じ地獄を生きてきた同類として)を心の底から深く理解して愛していた側面を描き込まない限り、何度も裏切られ、薬物の泥沼に限りなく溺れ込んでいくビリー・ホリディの修羅を到底理解することはできません。

「Cry Me a River」を聞きいていたそのとき、はっと気がつきました、もしかしたら自分は、ビリー・ホリディの「Strange Fruit」に出会うために、まるでなにかを探すようにして、いままでこうして多くの楽曲を片っ端から聞いていたのではないのか、と。

You tubeで繰り返し「Strange Fruit」を聞きながら、「奇妙な果実」の歌詞をネット検索してみました。


Strange Fruit

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.


奇妙な果実

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、
膨らんだ眼と歪んだ口、
マグノリア(モクレン)の香りは甘くて新鮮
すると、突然に肉の焼ける臭い

カラスに啄ばまれる果実がここにある
雨に曝され、風に煽られ
日差しに腐り、木々に落ちる
奇妙で惨めな作物がここにある。


そうなのか、歌詞に目を通していくうちに、なんだか無性に「ビリー・ホリディ自伝」が読みたくなりました、思い立って本棚から「LADY SINGS THE BLUES ビリー・ホリディ自伝」が収載されている「世界ノンフィクション全集40」を取り出して読み始めました。

実に何十年ぶりかでこの自伝を読んでいて、自分の記憶には全然なかった部分を発見し愕然としました。

なんと、ビリー・ホリディがオーソン・ウェルズと出会う場面があり、文脈からするとお互いに好意をもっていたらしいのです、全然記憶にありません、意外でした。

ちょっと長くなりますが、その部分を少し引用してみますね。

《そのクラブの、もう一つの素敵な夜は、オーソン・ウェルズと会った晩だった。オーソンは、私と同じようにハリウッドに来たばかりだった。私は彼が好きになったし、彼も私とジャズが好きになった。二人は一緒にいろいろな所に出かけることにした。

その晩仕事を終えると、二人はロスアンゼルスのニグロ地区、セントラルアヴェニューに向かった。私はすべてのクラブや淫売宿を案内した。私はそういう所で育ったのだが、カリフォルニアでも目新しいことはなかった。みな私が楽屋裏から知っていることばかりで、私には面白くもなかったが、彼はそれを好んだ。

彼にとっては、すべてのもの、すべての人が興味の対象なのだ。彼は、何についても、だれが、どのようにして動かしているかを知りたがった。彼が偉大な芸術家であるのは、こういう点にあると思う。

当時オーソンは、脚色・監督・主演の、処女作映画「市民ケイン」に没頭していた。踊っている最中でも、頭では翌朝六時のスタジオのことを考えているようだった。「市民ケイン」は傑作だった。私は試写で9回も見た。彼は傑出した演技を見せた。私はシーンとコスチュームの一つ一つを頭の中に焼き付けている。

何回か彼に付き合っているうちに、私がオーソンの出世の妨げになっているという怪電話を何回か受けた。噂では、スタジオが私をマークし、もし彼から離れない以上、私は永久に映画の仕事はできないだろうとのことだった。ホテルの帳場にも、事を起こそうとしている奴らからの怪電話がしばしばかかってきた。以来、多くの脅迫がオーソンに付きまとったが、彼は平気だった。彼は素敵な男だ。おそらく私が会ったなかの最高だろう。非常に才能のある男だが、それ以上に素晴らしい人間である。

今でも決して良くなってはいないが、当時の人々は、白人の男が黒人の女と一緒にいるのをひどく嫌がった。あるいは、マリアン・アンダーソンと彼女のマネージャーかもしれないし、ストリップ・ダンサーとそのヒモかもしれない。二人の組み合わせが、まったく不似合いなものであっても、小児病患者は、いつも卑しい一つのことに結び付けるのだった。もしかすると二人はそんな関係かもしれないし、そうでないかもしれない。ところがそれは、どっちでも同じことだった。二人が寝床から出てきたところか、これから寝に行くのでなければ、なにも二人でいる理由も必要もないと信じているのだから。

私たち黒人は、いつもこのような絶えざる圧力をかけられている。それに対して戦うことはできても、勝つことはできないのだ。
私がこのような圧力をかけられていなかったときが一度だけある。それはまだ少女のころ、娼婦として白人の客をとっていた時だ。
誰も何とも言わなかった。金ですることなら、何でも許されているのだ。》

結局この恋は実らず破綻したのかもしれないし、そもそも、「恋」そのものが存在していたのかどうかも、いまとなっては調べる手立てもありませんが、しかし少なくとも、Strange Fruit meets Citizen Kaneはあったのだと思うと、それだけでもなんだか嬉しい気持ちになってきました。




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# by sentence2307 | 2018-01-13 21:26 | Comments(0)

右太衛門の忠臣蔵

先日、テレビのニュースを見ていたら、ある外食産業が例年開店していた正月の営業を取り止めると発表していました。

ああそうか、いままで当たり前に思っていましたが、これってバブル期の名残りだったんですね、改めて感じました。

「働き方改革」っていうと、なんだかつい最近の新政策みたいに思っていましたが、実はすでに現実の方が大きく変わってしまっていて、「政策」が慌てて綻びた現実の手当に動いたということなのかもしれません。

元日でも家にじっとしていられず、とにかくどこかに出かけたい人間にはちょっとさびしいことになるのかもしれませんが、この「イケイケの正月開店」という強引な考え方自体が、「少子高齢化による売り上げ減」とか「超過勤務」とか「シャッター通り」とか、最早いまの現実には合わない働き方になってしまっていたんでしょうね、

考えてみれば、自分の子供時代だって、正月三が日は、どこの店(個人商店です)も閉まっていて、寒風に晒されながら広っぱで凧揚げやコマ回しをした記憶がありますが、しかし、いま思えば、あれってそうするしかほかにできることがなかったから仕方なかったという面もあったのかもしれません。

だって、大型スーパーだとか、24時間開店しているコンビニができるまでの夜道は、それこそ真っ暗でした。

つまりこれなんかは、「昔なくて、今あるもの」ですが、「昔あって、今ないもの」の象徴みたいなものといえば、年末に必ずと言っていいくらい上映していた「忠臣蔵」ではないかと思います。

最近ではすっかりすたれてしまいましたが、むかしは年末ともなると、年中行事のように、決まってどこかの映画会社が必ず「忠臣蔵」を作って上映していたものでしたよね。

子供のころ、年の瀬には親に連れられて実に様々な「忠臣蔵」を見た記憶があります。

何かの拍子にふっと蘇ることがあって、そんなときは、なんだか切なくなったりしますが、まさに年中行事という感じだったと思います、そういう印象があります。

しかし、そんな感じで毎年のように見てきた「忠臣蔵」ですが、その数があまりにも多くて、どれがどれやら作品の区別などさっぱりつかない混濁した状態なのですが、しかし、その特定できないというモヤモヤ感が、ある意味、ある種の「郷愁」を形成して、少年期の懐かしい記憶のひとつになっている気もします。

たぶん、この誰もが持っている「懐かしさ」が、いまではすっかり新作の製作の途絶えた現在でも、CS放送などで旧作の「忠臣蔵」上映をうながす隠れたパワー(というか「圧」)になっているのかもしれません。

まあ、いずれにしても、懐かしい「忠臣蔵」を見られるということは実に嬉しいかぎりで、自分もその貴重な機会を逃さないように、ここのところ、日常的に「忠臣蔵」の放送情報なんかをこまめにチェックしてネット検索に励んでいます。

そんなふうに検索の毎日をおくっていたとき、ネットの「Q&A」でこんな質問に遭遇しました。

「よろずある『忠臣蔵』や『赤穂浪士』を題材にした映画のうち、どれがお勧めでしょうか」とか、あるいは、「忠臣蔵の傑作を教えてほしい」という質問です、見ていくとこの手の質問が結構あることに気が付き、ついつい読みふけってしまいました。

たとえば、「傑作ってどれ?」という「Q」に答えた「A」というのにこんなのがありました。

《なんといっても、12月10日に時代劇専門チャンネルで放送される、市川右太衛門が大石内蔵助を演じた昭和31年公開の東映オールスター映画『赤穂浪士 天の巻・地の巻』が注目作です。
これは、数ある忠臣蔵映画の中の最高傑作という評価がある大佛次郎の同名小説を映像化したもので、脚本の出来の良さもさることながら、実際の内蔵助もこんな人だったんじゃないかと思わせる、茫洋とした雰囲気を前面に押し出す右太衛門の抑えた芝居が何より見どころです。
やはり右太衛門は、十八番である『旗本退屈男』シリーズ以外(なぜ? 原文ママ)がいいんですよ。
可能であれば、ぜひとも視聴してください。
なお12月3日には、東映チャンネルで創立10周年記念を謳い昭和36年に公開された片岡千恵蔵主演の『赤穂浪士』が放送されますが、これは同じ大佛の小説を原作にしていながら、31年版の足元にも及ばない駄作です。》

なるほど、なるほど、右太衛門の忠臣蔵ですか、こりゃあ面白いじゃないですか、とにかくこちらも嫌いな方じゃなし、今日のところはやたら暇でもあるしで、勝手ながらさっそく混ぜてもらうことにしました。それにしても、片岡千恵蔵じゃなくて、なぜ右太衛門なんだという思いはありますよ、トーゼン。

実は、千恵蔵の方の「忠臣蔵」を今年の夏だかに見たばかりなので、ちょっとこの「駄作」発言には引っかかるものがありました。

もし、そう考える要素のひとつとして、千恵蔵のあの独特のセリフ回し(聞き取りにくい?)というのが入っているのだとしたら、「だって、あれがいいんじゃないですか」くらいの突っ込みを入れたくなる誘惑に駆られたりします。

しかしまあ、それはともかく、右太衛門が出演した「忠臣蔵」作品をjmdbで調べてみました、なんせこちらは、すこぶる暇ですし。暇ついでに右太衛門には★マークなども入れてみました。

こう調べてみて、右太衛門が溝口健二の「元禄忠臣蔵」に出ていることを知り、ちょっと意外でした。



赤穂浪士快挙一番槍(1931市川右太衛門プロダクション・松竹キネマ)
監督・白井戦太郎、脚本・行友李風、原作・行友李風、撮影・松井鴻
出演・★市川右太衛門、大江美智子、高堂国典、武井龍三、伊田兼美、正宗新九郎
1931.01.31 帝国館 8巻 白黒 無声


忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻(1932松竹キネマ・下加茂撮影所)
忠臣蔵 後篇 江戸の巻(1932松竹キネマ・下加茂撮影所)
企画・白井松次郎、大谷竹次郎、企画補助・白井信太郎、城戸四郎、井上重正、監督・衣笠貞之助、監督補助・渡辺哲二、大曽根辰雄、森一、脚本・衣笠貞之助、原作・衣笠貞之助、撮影・杉山公平、撮影補助・真々田潔、加藤武士、作曲指揮・塩尻清八、演奏・日本新交響楽員、作曲選曲・杵屋正一郎、長唄・杵屋六、杵屋六徳、杵屋六栄、三味線・杵屋六祥、杵屋六佐喜、杵屋六加津、杵屋六美代、杵屋六祥次、杵屋六喜栄、杵屋六弥太、鼓曲・望月太明蔵、笛・住田又三久、小鼓・望月太明蔵、大鼓・望月太意四郎、太鼓・六郷新之助、囃子・望月太明七郎、望月太計夫、望月幸一郎、洋舞・江川幸一、邦舞・尾上菊蔵、舞台意匠・吉川観方、設計・香野雄吉、舞台装置・尾崎千葉、高橋康泰、装飾・光谷義淳、八田務、橋本博、録音・土橋武夫、録音補助・中西進、松本辰吉、河野貞樹、西村滋、杉山政樹、中岡義一、照明・今島正人、高倉政史、山根秀一、衣裳・松竹衣裳部、殺陣・林徳三郎、字幕・望月淳、顧問・大森痴雪、
配役・阪東寿三郎(大石内蔵之助)、林長二郎(浅野内匠頭長矩、吉田沢右衛門)、★市川右太衛門(脇坂淡路守、垣見五郎兵衛)、岩田祐吉(大野九郎兵衛)、藤野秀夫(千阪兵部)、上山草人(吉良上野介)、高田浩吉(大石瀬左衛門)、堀正夫(原惣右衛門、草間格之助)、尾上栄五郎(小林平八郎)、坂東好太郎(勝田新左衛門)、野寺正一(堀部弥兵衛)、武田春郎(大久保権右衛門)、新井淳(家老斎藤宮内)、押本映治(笠原長太郎)、島田嘉七(上杉綱憲)、結城一郎(加藤遠江守)、阪東寿之助(矢頭右衛門七)、実川正三郎(大野九十郎)、小笠原章二郎(間十次郎)、関操(小山源五左衛門)、志賀靖郎(大竹重兵衛)、坪井哲(片岡源五右衛門)、風間宗六(伊達伊織)、高堂国典(上杉家家老)、斎藤達雄(不破数右衛門)、小林十九二(外村源左衛門)、日守新一(幇間狸六)、大山健二(大高源吾)、宮島健一(梶川与惣兵衛)、岡譲二(柳沢出羽守)、小倉繁(碇床主人)、滝口新太郎(大石主税)、喜曽十三郎(奥田孫太夫)、高松錦之助(進藤源四郎)、小泉嘉輔(大野家用人)、中村吉松(清水一角)、山本馨(内蔵助下男八助)、中村政太郎(朝倉喜平)、小林重四郎(堀部安兵衛)、沢井三郎(多門伝八郎)、広田昴(韋駄天の猪公)、井上晴夫(間瀬孫九郎)、宇野健之助(家老左右田孫兵衛)、永井柳太郎(千阪家用人)、静山繁男(大石家用人)、森敏治(上杉の刺客)、百崎志摩夫(講釈師)、小川時次(中村勘助)、長嶋武夫(武林唯七)、山路義人(江戸ッ児熊公)、柾木欣之助(臆病武士)、日下部龍馬(早水藤左衛門)、竹内容一(萱野三平)、青木弘光(赤埴源蔵)、高山雄作(吉良家附人)、和田宗右衛門(矢頭長助)、三井一郎(小野寺幸右衛門)、千葉三郎(吉良の用心棒)、冬木京三(神崎与五郎)、芝一美(吉良の附人)、中村福松(貝賀助右衛門)、土佐龍児(垣美の附人)、大崎時一郎(幇間仙八)、市川国蔵(お坊主)、木村猛(下男斗助)、・来留島新九郎(お坊主)、・石川玲(江戸ッ児留公)、・石原須磨男(大野派の梶村)、矢吹睨児(上杉の刺客)、南部正太郎(上杉の刺客)、津田徹也(瓦版売り)、頼吉三郎(お坊主)、三井秀男(碇床小僧)、阿部正三郎(碇床小僧)、突貫小僧(餓鬼大将)、菅原秀雄(大三郎)、市川右田三郎(芝居の師宣)、嵐若橘(塩冶判官)、嵐巖常(大名)、片岡孝夫(大名)、嵐橘利之助(大名)、嵐巖太郎(大名)、阪東助蔵(大名)、竹本菊勢太夫(浄瑠璃)、重沢延之助(三味線)、川田芳子(大石妻理玖)、飯田蝶子(不破の妻縫)、鈴木歌子(おるいの母親)、八雲恵美子(浮橋太夫)、田中絹代(八重)、川崎弘子(瑤泉院)、岡田嘉子(おるい)、柳さく子(戸田局)、千早晶子(勝田妻光)、飯塚敏子(芸者小妻)、井上久栄(大野九十郎の妻)、河上君栄(芸者信香)、千曲里子(芸者小桜)、北原露子(芸者力弥)、中川芳江(七兵衛七の母親くに)、
前編1932.12.01 東京劇場 10巻 2,995m 109分 白黒
後編1932.12.01 東京劇場 10巻 2,818m 103分 白黒


元禄忠臣蔵 前篇(1941興亜映画・松竹・京都撮影所)
総監督・白井信太郎、演出者・溝口健二、演出助手・渡辺尚治、酒井辰雄、花岡多一郎、小川家平、脚色者・原健一郎、依田義賢、原作者・真山青果、撮影・杉山公平、撮影助手・松野保三、中村忠夫、吉田百人、作曲・音楽監督・深井史郎、演奏・新交響楽団、指揮者・山田和男、美術監督・水谷浩、建築監督・新藤兼人、建築助手・渡辺竹三郎、装置者・六郷俊 大野松治、装置助手・小倉信太郎、襖絵装飾・沼井春信、伊藤栄伍、装飾者・松岡淳夫、荒川大、大沢比佐吉、装飾助手・西田孝次郎、録音者・佐々木秀孝、録音助手・杉本文造、田代幸一、木村一、照明者・中島末治郎、三輪正雄、中島宗佐、編集者・久慈孝子、速記者・山下謙次郎、普通写真撮影者・吉田不二雄、服飾者・川田龍三、奥村喜三郎、服飾助手・加藤信太郎、技髪者・高木石太郎、技髪助手・尾崎吉太郎、福永シマ、現像者・富田重太郎、
字幕製作者・望月淳、
〔考証者〕武家建築・大熊喜邦(文部省嘱託・工学博士)、言語風俗・頴原退蔵(京都帝国大学講師・文学博士)、民家建築・藤田元春(第三高等学校教授)、時代一般・江馬務(風俗研究所長)、能・金剛厳(金剛流宗家)、史実・内海定治郎(義士研究家)、風俗・甲斐荘楠音(旧国画創作協会同人)、造園・小川治兵衛(「植治」)、素槍・久保澄雄(立命館大学範士・貫流)
配役・河原崎長十郎(大石内蔵助)、中村翫右衛門(富森助右衛門)、河原崎国太郎(磯貝十郎左衛門)、嵐芳三郎(浅野内匠頭)、坂東調右衛門(原惣左衛門)、助高屋助蔵(吉田忠左衛門)、瀬川菊之丞(大高源吾)、市川笑太郎(堀部弥兵衛)、市川莚司(武林唯七)、市川菊之助(片岡源五右門)、山崎進蔵(大石瀬左衛門)、市川扇升(大石松之丞・主税)、市川章次(瀬尾孫左衛門)、市川岩五郎(早水藤左衛門)、市川進三郎(潮田又之亟)、坂東春之助(井関紋左衛門)、中村公三郎(生瀬十左衛門)、坂東みのる(大塚藤兵衛)、坂東銀次郎(岸佐左衛門)、 嵐徳三郎(奥野将監)、筒井徳二郎(大野九郎兵衛)、加藤精一(小野寺十内)、川浪良太郎(岡嶋八十右衛門)、海江田譲二(堀部安兵衛)、大内弘(萱野三平)、大川六郎(近松勘六)、大河内龍(奥田孫兵衛)、羅門光三郎(井関徳兵衛)、小杉勇(多門伝八郎)、三桝万豊(吉良上野介)、清水将夫(加藤越中守)、坪井哲(進藤築後守)、山路義人(梶川与惣兵衛)、玉島愛造(深見宗近左衛門)、南光明(近藤平八郎)、井上晴天(久留十左衛門)、大友富右衛門(大久保権右衛門)、賀川清(田村右京太夫)、粂譲(稲垣対馬守)、沢村千代太郎(関久和)、中村進五郎(津久井九太夫)、嵐敏夫(登川得也)、市川勝一郎(石井良伯)、★市川右太衛門(徳川綱豊)、三浦光子(瑶泉院)、滝見すが子(浮橋)、岡田和子(うめ)、山路ふみ子(お喜世)、京町みち代(お遊)、中村梅之助(吉千代)、三井康子(おくら)、山岸しづ江(大石妻おりく)、
1941.12.01 国際劇場 11巻 3,066m 112分 白黒


赤穂浪士 天の巻 地の巻(東映・京都撮影所)
製作・大川博、企画・マキノ光雄、山崎真市郎、坪井与、大森康正、玉木潤一郎、辻野力弥、岡田茂、監督・松田定次、助監督・松村昌治、脚色・新藤兼人、原作・大仏次郎、撮影・川崎新太郎、音楽・深井史郎、美術・角井平吉、森幹男、録音・佐々木稔郎、照明・山根秀一、編集・宮本信太郎、時代考証・甲斐荘楠音、色彩担当・岩田専太郎、進行・栄井賢、スチール・熊田陽光、 
配役・
★市川右太衛門(大石内蔵助)、片岡千恵蔵(立花左近)、月形龍之介(吉良上野介)、薄田研二(堀部弥兵衛)、堀雄二(堀部安兵衛)、原健策(片岡源五右衛門)、片岡栄二郎(毛利小平太)、植木基晴(吉千代)、清川荘司(渋江伝蔵)、百々木直(梶川与惣兵衛)、神田隆(小平太の兄)、月形哲之介(武林唯七)、時田一男(三国屋番頭清吉)、団徳麿(八助)、大文字秀介(深井伝四郎)、植木義晴(大三郎)、尾上華丈(原惣右衛門)、小金井修(三村次郎左衛門)、遠山恭二(菅野三平)、森田肇(吉田吉左衛門)、葉山富之輔 (間瀬久太夫)、近江雄二郎(潮田又之丞)、河村満和(近松勘六)、熊谷武(菅谷半之丞)、原京市(富森助右衛門)、小金井勝(奥田孫太夫)、源八郎(村松喜兵衛)、人見寛(室井左六)、舟井弘(泉岳寺の僧)、小田部通麿(岡林埜之助)、山村英三朗(戸村源右衛門)、近松龍太郎(玉虫七郎右衛門)、津村礼司(赤垣源蔵)、有馬宏治(早水藤左衛門)、大丸厳(寺坂吉右衛門)、上代悠司(前原伊助)、河部五郎(権太夫)、中野市女蔵(伊達左京亮)、中村時十郎(真野金吾)、加藤嘉(小野寺十内)、河野秋武(目玉の金助)、龍崎一郎(脇坂淡路守)、進藤英太郎(蜘蛛の陣十郎)、中村錦之助(小山田庄左衛門)、大友柳太朗(堀田隼人)、東千代之介(浅野内匠頭)、小杉勇(千坂兵部)、宇佐美淳(柳沢出羽守)、三島雅夫(丸岡朴庵)、三条雅也(大高源吾)、高木二朗(片田勇之進)、高松錦之助(穂積惣右衛門)、明石潮(安井彦右衛門)、楠本健二(神崎与五郎)、青柳龍太郎(近藤源八)、水野浩(藤井又左衛門)、堀正夫(中村清九郎)、加藤正男(江戸の商人E)、山内八郎(町人B 多吉)、中野文男(平谷新兵衛)、富久井一朗(町人A 三次)、小田昌作(江戸の町人A)、舟津進(江戸の町人B)、矢奈木邦二郎(江戸の町人C)、浅野光男(江戸の町人D)、若井緑郎(江戸の町人E)、東日出夫(駆けて来る男源太)、藤木錦之助(伝奏屋敷の番士)、石丸勝也(巡礼A)、村田宏二(巡礼B)、丘郁夫(関久和)、葛木香一(牟岐平右衛門)、伊藤亮英(三国屋五平)、中野雅晴(磯貝十郎左衛門)、岸田一夫(朴庵の弟子)、香川良介(大野九郎兵衛)、沢田清(将軍綱吉)、吉田義夫(石屋の源六)、藤川弘(清水一学)、杉狂児(松原多仲)、加賀邦男(小林平七)、東宮秀樹(上杉綱憲)、三浦光子(大右妻りく)、高千穂ひづる(お仙)、田代百合子(さち)、浦里はるみ(お柳)、植木千恵(おくう)、吉井待子(しのぶの女中)、毛利菊枝(宗偏の妻)、赤木春恵(長屋のお内儀)、吉田江利子(京の料亭仲居 おさん)、六条奈美子(弥兵衛の妻 若)、鳳衣子(京の料亭仲居 お米)、松浦築枝(十内の妻 丹)、八汐路恵子(京の料亭仲居 お菊)、星美智子(安兵衛の妻 幸)、千原しのぶ(夕露太夫)、喜多川千鶴(お千賀)、伏見扇太郎(大石主税)、
1956.01.15 15巻 4,136m 151分 イーストマン・カラー


★赤穂浪士(1961東映・京都撮影所)
製作・大川博、企画・坪井与、辻野公晴、玉木潤一郎、坂巻辰男、監督・松田定次、脚本・小国英雄、原作・大仏次郎、撮影・川崎新太郎、音楽・富永三郎、美術・川島泰三、録音・東城絹児郎、照明・山根秀一、
配役・片岡千恵蔵(大石内蔵助)、中村錦之助(脇坂淡路守)、東千代之介(堀部安兵衛)、大川橋蔵(浅野内匠頭)、丘さとみ(お仙)、桜町弘子(お咲)、花園ひろみ(桜)、大川恵子(北の方・瑤泉院)、中村賀津雄(伝吉)、里見浩太郎(上杉綱憲)、松方弘樹(大石主税)、柳永二郎(柳沢出羽守)、多々良純(佐吉・蜘蛛の陣十郎)、尾上鯉之助(武林唯七)、明石潮(原惣右衛門)、戸上城太郎(小林平八郎)、阿部九州男(片田勇之進)、加賀邦男(赤垣源蔵)、原健策(猿橋右門)、長谷川裕見子(千代)、花柳小菊(おりく)、青山京子(楓)、千原しのぶ(浮橋太夫)、木暮実千代(おすね)、大河内伝次郎(立花左近)、近衛十四郎(清水一角)、山形勲(片岡源五右衛門)、薄田研二(堀部弥兵衛)、進藤英太郎(多門伝八郎)、月形龍之介(吉良上野介)、大友柳太朗(堀田隼人)、★市川右太衛門(千坂兵部)、
1961.03.28 12巻 4,122m 150分 カラー 東映スコープ



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# by sentence2307 | 2017-12-30 09:44 | Comments(0)

忠臣蔵

いよいよ年の瀬になりました、昨夜は、各課合同の会社の納会も終わり、いよいよ一週間の正月休暇です。

この期間に、まとまった旅行でもすれば有意義に使えるのではないかと、いつも思うのですが、現実問題として考えれば、はずせない定番の家庭のイベントがいくつかありますし、そのための用事がちょびちょびあり、毎年、あとから振り返れば、家庭人としてそれなりに必要とされているので、そのすべてを放り出しての「正月旅行」というのは、今のところ自分的にはちょっと考えられません、しばらくは家庭サービスのためにもこの期間を開けておこうと思っています。

それにほら、よく言うじゃないですか、旅行はあれこれ計画しているときが一番楽しいって。

そして実際、旅行会社にあちこち連れまわされる総花的な定番ツアーのあとの、あの義務を果たしたときに感じるような疲労感というか徒労感(そうした旅の思い出も、あとから考えれば、なんだかカタログ的です)しか残らない虚しさを思えば、やはり正月旅行は、近い将来には果たしたい「夢」として持ち続け、先送りしている状態の方が、なんだか正解のような気もしますし。

しかし、この期間に自分の時間がまったく持てないかというと、そんなことはありません。

なんといってもサラリーマンの武器は、「早起き」の習慣です、すっかり「休暇」に緩みきって、午前中はゆっくり寝ている家人に比べたら、自分は日頃からとんでもない早朝に起きる習慣が身についている筋金入りのサラリーマンです、目覚まし時計などセットしておかなくとも、「その時間」ともなれば1秒たがわずパッチリ眼が開いて、今の時期は日の出までまだまだ1時間は優にあろうかという時刻ですが、体の方はもうすっかり目覚めていて、もはや積年あこがれの「二度寝」など考えられないような覚醒状態にあり、家人が起き出してくるまでの数時間は、読書をしようが、ゲームをやろうが、you tubeに嵌まろうが、なんだってできる、まさに自分だけの解放区なわけですよね。Webで見られるお手軽映画なら、優に2本はいけそうな時間です。

さっそく「クリック・クリック」で検索を始めました。

ハハーン、gyaoで大曾根辰保の「大忠臣蔵」がアップされていますね、こりゃまた面白そうじゃないですか、画像には、討ち入りの衣装を着込んだ大石内蔵助の写真が大きく掲載されています、市川猿之助ですか。へぇ~めずらしいなというわけで、スタッフとキャストの記事をチェックしたら、「出演: 高田浩吉, 有馬稲子, 山田五十鈴, 松本幸四郎(初代・松本白鸚), 市川染五郎(九代目・松本幸四郎)」とだけあって、主役のはずの猿之助の名前がありません、これじゃあまるで「松本幸四郎(初代・松本白鸚)」が主役で大石内蔵助を演じているみたいじゃないですか。

松本幸四郎主演の忠臣蔵といえば、名作の誉れ高い「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」のはずです。おかしいじゃないですか、今日は一日中、暇なことでもありますので、ここはじっくり調べてみることにしました。
この1950年代に撮られた大曾根辰保監督「忠臣蔵」といえば2本あって、1957年製作がこの猿之助主演の「大忠臣蔵」で、松本幸四郎作品は、1954年に製作された「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」みたいですよね、まあ、せっかく調べたことでもありますので、その調査結果を以下に掲げておきますね。


忠臣蔵 花の巻、雪の巻(1954松竹・京都撮影所)総指揮・大谷竹次郎、製作・大谷隆三、高村潔、製作補・高木貢一、市川哲夫、監督・大曾根辰夫、脚本・村上元三、依田義賢、撮影・石本秀雄、音楽・鈴木静一、
配役・松本幸四郎・初代松本白鸚(大石内蔵助)、高田浩吉(浅野内匠頭)、滝沢修(吉良上野介)、鶴田浩二(毛利小平太)、北上弥太郎(岡野金右衛門)、高橋貞二(多門伝八郎)、田浦正巳(大石主税)、山内明(片岡源五右衛門)、近衛十四郎(堀部安兵衛)、水島道太郎(不破数右衛門)、薄田研二(堀部弥兵衛)、河野秋武(原惣右衛門)、大坂志郎(武林唯七)、柳永二郎(柳沢出羽守)、坂東鶴之助(矢頭右衛門七)、山田五十鈴(大石妻りく)、月丘夢路(瑤泉院)、淡島千景(浮橋太夫)、桂木洋子(しの)、瑳峨三智子(つや)、幾野道子(安兵衛妻こう)、
1954.10.17 25巻 6,401m 白黒


大忠臣蔵(1957松竹・京都撮影所)総指揮・城戸四郎、製作・白井和夫、監督・大曾根辰夫、脚本・井手雅人、撮影・石本秀雄、音楽・鈴木静一、美術・大角純一、録音・福安賢洋、照明・寺田重雄
配役・市川猿之助・猿翁(大石内蔵助)、市川団子(大石主税)、水谷八重子(大石妻お石)、高田浩吉(早野勘平)、高千穂ひづる(おかる)、坂東簑助(加古川本蔵)、山田五十鈴(戸無瀬)、嵯峨三智子(小浪)、北上弥太郎(浅野内匠頭)、有馬稲子(あぐり・瑤泉院)、石黒達也(吉良上野介)、大木実(清水一角)、永田光男(千崎弥五郎)、市川小太夫(原惣右衛門)、名和宏(片岡源五右衛門)、森美樹(桃井若狭助)、片岡市女蔵(斧定九郎)、野沢英一(与市兵衛)、毛利菊枝(おかや)、小夜福子(戸田局)、戸上城太郎(不破数右衛門)、近衛十四郎(寺坂平右衛門)、市川染五郎(矢頭右衛門七)、嵐吉三郎(落合与右衛門)、伴淳三郎(幇間)、松本幸四郎(立花左近)、
1957.08.10 松竹中央劇場 17巻 4,248m カラー 松竹グランドスコープ


こんな感じです、しかし、「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」に比べて、こちらは「シネマスコープ・総天然色」が売りなだけで、出来としては、やや精彩を欠いた作品とはいわれているものの、渋みのある市川猿之助主演ですから、これもまた大いに楽しみです。

当時、映画批評家・北川冬彦は、「大忠臣蔵」について、こんなふうにコメントしています。
「この『大忠臣蔵』には新たな解釈などいささかもない。これははっきり仮名手本で、歌舞伎的な場面が充満している。映画と歌舞伎との、あまり見事ではないがまあカクテルの味があった。シナリオにはごたごた無駄があったが映画を見て大曾根辰保のシネスコ的コンテの作り方に感心した。それに映画と歌舞伎のカクテルになり損ねていたり、名優猿之助や幸四郎に精彩がなかったのは考えさせられた。映画の演技として右太衛門、千恵蔵に及びもつかないのである。八重子もセリフははっきりしているが表情がいただけない。歌舞伎と映画とが割合ミックスした場面、例えば、一力茶屋の場は画面が充実していてシネスコ的演出を感じた。」(キネマ旬報186号)

まあ、べた褒めというわけにはいきませんが、しかし、こういう批判もまた映画を楽しむためのひとつの材料にはなりますよね、いや、それどころか、一層楽しみが増すってものじゃないですか。

しかし、このとき、ちょっとショッキングな記事も見つけてしまいました。自分が、「名作の誉れ高い」と思っていた「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」が、「それほどのものか」という疑問が投げかけられている記事です。

「この忠臣蔵はあくまでも仇討ではなく、お家の再興という点を強調して描かれた。大石が討入りを決心するのは、決行の5日前くらいとなっている。
4時間に及ぶ長尺だが、いたるところに疑問を感じながら観た記憶がある。とくに大きな矛盾は、大石が討入りすることをすべての人々が知っていて、討入りを決意するのは5日前くらいとなっているが、その間どうして討入り道具が揃ったのか、新解釈もところどころボロを出している。幸四郎の大石もこのときは重厚な演技とはいえなかった。」(御園京平「映画の忠臣蔵」)



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# by sentence2307 | 2017-12-29 11:23 | 映画 | Comments(0)

見憶えのある場所

誰しもそうだと思いますが、出勤前の限られたわずかな時間のなかで、素早く支度ができて、しかも忘れ物をしないようにと、あれこれ工夫してきた経験値が積み重なり、なんとなく定着した自分なりの準備のシステムがあります。

靴下・ワイシャツ・ズボン・コート(上着は、すぐに着られるように、すでにコートの中に納まったままです)は、着る順に並べておいて、さらに通勤定期券と財布と携帯電話のセット、それに通勤途中スタンドでコーヒーを買うための小銭(特別に用意しておかないと、その場になって小銭探しで慌ててしまうので)も、ジョギング用キャップの中にまとめておきます。

これで、服を着る流れ作業のなかで、通勤必須の小物も各ポケットへ滞りなく収められますし、あとはカバンを肩にかけて、いざ出発、「いってきま~す」というわけです。

こうすれば、駅の改札口まできて胸の内ポケットをまさぐり、はじめて通勤定期券を忘れてきたことに気がついて愕然とするなんてこともありません。

なにしろ限られた毎月の小遣いなので、そのたびにキャッシュで電車賃を払っていたら、それこそたまりませんものね(モロ昼食代に影響します)。

これは幾度かの過去の痛い経験がつちかった朝の習慣といえますが、大げさに言えば、経験が生んだ個人的な「文化」みたいなものでしょうか。

あっ、そうそう、もうひとつ忘れていました。なにしろ自分は極度の「活字中毒」なので、なにか読むものを携帯していないと落ち着きません、必ずカバンのなかには本を入れておきます。電車に乗っているときなどのちょっとした空き時間でも、ぼんやりしているのがなんだかもったいない気がして、本を開いて活字を追っていると、その方がとても落ち着くのでそうしているのですが、それならスマホでもいいじゃないかというと、そうはいかないのです。

最初からただの情報収集というのが目的なら、そりゃあ、あのぶつ切りの味気ない記事(針小棒大・白髪三千丈みたいなツギハギ・デッチあげの得意なライターの顔が見えるようです)を次々と読む空しさにはどうしても耐えられません、活字になにを求めるかという問題なので、なにも空しさを感じないというのであれば、なにもわざわざ自分だって「活字中毒」なんぞにならなかったと思います。

さて、そんなある朝、さあ出かけるかというときになって、カバンの中の本が昨日読了したものであることに、そのときになってはじめて気がつきました。しまった、チェックするのを忘れていた! という感じです。

もはや本棚の本をあれこれ選んでいられるような状況でもないので、著者名なんて確かめることもなく、なるべく薄くて軽そうで、表紙のデザインも明るめの本を選びました。

たまたま手にしたその本の表紙は、なんだか、いわさきちひろ風な絵で、見るからにホンワカした印象の本です、薄さも十分、これなら、あとであらためて精選する次に読む本のツナギには十分だろうという感じでカバンに収めました。

電車に乗り、その日は運よく座席に座れたので、さっそく仕込んできた本を取り出しました。

著者は安達千夏、未知の作家です、そして書名は「見憶えのある場所」(集英社、2007.2刊、140頁)となっています。

この本を買った記憶が、まったくないので、たぶん妻が、読んだあと自分の本棚に勝手に並べた本だと思います。

パット見、乱雑に見えるかもしれませんが、自分なりの分類法はあり、それなりの整理をしているつもりの本棚です、勝手にそういうことされると困るんだよな、とかなんとか思いながら読み始めました。

結論からいうと、びっくりしました、物凄い書き手です、母と娘のどろどろの深刻な葛藤を、まさに辣腕で読者を物語の渦中にぐいぐい引き込みます。

退屈な通勤時間を埋めればそれで十分という思いで手に取った軽めの読み物という先入観があったので、衝撃はなおさらだったかもしれません。

心覚えのために、ちょっとあらすじを書いてみますね。

母親・菜穂子は、以前、一流商社に勤めていた元バリバリのキャリアウーマン、結婚し娘ができたことで仕事を辞めなければならなかったことを悔い、そのことをひどく腹立たしく思っています。

こんなに優れた自分が、よりにもよって自分より遥かに劣ったこんなつまらない男=夫・三樹夫やぐうたら娘・ゆり子のために、輝くような自分の将来を犠牲にさせられたことに苛立ち、ことあるごとに家族を罵しります(もうひとり息子がいますが、我関せずの態度の彼には、なぜかホコサキは向かず、彼女からの罵倒の非難を免れています)。

最初、夫に向けられていた執拗な非難は、ついに妻・菜穂子の「出ていけ!」という罵りの最後通牒により、夫が家を出ることで一応終結し、次なる罵りの対象は娘に向けられることになります。

物語は、ここから始まっている感じです。
親の期待にことごとく応えることのできなかった娘は、さらにシングルマザーとなって、娘をひとり抱えながらスーパーのアルバイトで食いつないでいる始末で、このことも母親の苛立ちをさらに募らせています。

スーパーで働いている間、子供を母親のもとに預けているゆり子は、毎夕、母・菜穂子の家に娘を引き取りに行き、そのたびに辛辣な嫌みをいわれますが、彼女はただ薄笑いを浮かべて耐えるしかありません。

劣った娘という負い目があるうえに、彼女には、母親から受けた暴力・虐待の記憶があって、それがトラウマとなっていて、完全無欠の強い母親にどうしても言い返せないでいるのです。

しかし、ある夜、娘・ゆり子は、このままではいけないと自立するために、母・菜穂子への反抗を決意します、その母娘が言い争う迫真の場面を、ながくなりますが、心覚えのために以下に写しておきますね。


《菜穂子が、眉根を寄せた。
「あれだけしてやったのに、どこに不満があるっていうのよ」
「してやったこと」を並べ立てる。正月や七五三の晴れ着、盆の花火大会の浴衣に学芸会の手作りのドレス、欠かさなかったお誕生会、春夏冬のまとまった休みには泊まりがけの旅行、プールに海水浴に遊園地に動物園、ハロウィン、クリスマス、そして、世間では流行っているものなら、頼まれなくても買い与えてやった。
「よその家でやるようなことはすべてしてやったわ」
そうね、してやった。ゆり子は即座に認め、でも、と穏やかに切り返す。
「あなたは私を殴った。蹴った。踏んだ。罵った。嫌みも絶妙よね。楽しそうにしてたり、喜んでたりする時に、挫くの。嫉妬に狂ったら、相手を惨めな気持ちにさせなゃ気が治まらない。ああそうそう、私の笑ってる顔が大嫌い。見てるとむしょうに腹が立つ、って真顔ではっきり言ってたものね? 一生の汚点だ、産むんじゃなかったと後悔してる、って。なにしに来たのとさっき訊いたわよね。この話をしに来たの」
さっきまで私自身もよくわかっていなかったけど、とゆり子は胸の内に呟いた。菜穂子はしきりと瞼をしばたたかせ、白っぽいストッキングの脚を組み替えると、「なによ」とちいさく、震え声で言った。ゆり子は声を荒げもせずに続ける。
「百点の答案を持って帰ると無視して、機嫌がわるくなって、九十点ならバカだブタだイヌだと罵って上機嫌に自慢話してたよね、さっきみたいに。自分は頭がいい、勉強なら誰にも負けない、いつだって一番、って千回も聞いた。こんな試験私なら間違いなく百点しかとらないわ、って小学生相手に敵愾心燃やしてたの憶えてる? どうして、そんなにも劣っている娘がライバルなの? どうして、私を陥れなければ安心できないの? 私なら私なら、って、もう聞き飽きた。昔話はいいから、なにができるかやってみせてよ」
淡々とゆり子は語った。仕事のことだけど、と視線を背けている母親の顔を、ゆっくり覗き込む。
「千草を食べさせるためならなんでもする。私にはこんな家はないし、生活費を振り込んでくれる夫もいない。今の仕事は、待遇に満足とはいえないけど、誰かがやるべきことを誇りを持ってやろうって思ってる。でもあなたは私と違う。TOEICとか国家資格とかご立派な試験を受けて、優秀さを証明して、30年も前に辞めた商社の海外駐在員だの、テレビの気象予報士だのになれる日を夢見てたらいい。私は止めないから。ただし、成田の到着ロビーで、外タレの来日待ちしてニュースに映り込むなんてことは恥ずかしいからやめてください」
ぶん、と勢いよく腕を振り抜いてから菜穂子は驚く。娘を殴った手の、しびれる痛みにまで気がまわらず、殴られた娘の姿を見てなにをしたか悟る。ゆり子は頬をかばうこともせず、体勢を戻して、それから、とひるまずに言葉を継ぐ。
「他人の仕事を馬鹿にするのも結構だけど、どうして私なんかと比較して、勝った勝ったって喜べちゃうの?」
私はあなたのネガとして育てられたのに。斜めにうつむけた頬と唇には、乱れた髪が張りついている。ねえ母さん、と呼ぶ下唇から細く血が伝った。
「完璧な家庭を作れ、なんて誰があなたに頼んだ? 誰もこんな家になんか興味はないのよ」
二発目は、それと意識して手を出した。忌まわしい分身を力いっぱい殴りつけ、打ち砕きたかった。頬を張り、左手で首根っこをつかむと右で喉首を、体重をかけひと息に床へ押し倒し、とにかくつかまえておこうと夢中で両手に力を込める。息が詰まりゆり子はあえいだ。もがく脚がテーブルを蹴り上げ、横倒しになった天板のガラスが派手な音を立てて割れる。苦しさから逃れようと、首をしめつけてくる手指を引きはがし、身体ごと抜け出そうとしたゆり子は勢いあまって、木製の電話台に肩をしたたかに打った。電話機が床へ落ち、切手シートが見開きの状態で膝に載る。
乙女チックなラブシーンのスチールを、ゆり子は咳き込みながら見下ろし薄笑いを浮かべた。菜穂子にはそう見えた。乱れ髪をつかみ、激しく揺さぶり、引きずり倒し、まるで昔のように、肩といわず腰といわず足蹴にした。
憤りが昂じれば昂じるほど、激しく責めたならそれだけ、ゆり子は菜穂子のなすがまま、逃れようと試みはするが、殴られても蹴られても決して刃向かおうとはしなかった。両腕で頭をかばい、壁際へ後退って、背を丸め、そうしていればやがて消えてしまえるとでもいうように、ちいさくちいさく四肢を引きつけ縮こまる。幼い頃にも、今も、娘は無力で、泣き叫びもしないそのさまがますます菜穂子の熱をあおった。突き飛ばすなり、腕や脚をはらいのけるなり、哀願や、逆襲すら可能だろうに手も足も出そうとせず、なにも起きてはいない、痛みはなにも変えないといわんばかりに身を晒し、菜穂子を否定する。
「虫ケラのくせに。馬鹿にしやがって、どいつもこいつも、私を見くびって馬鹿にしてる」
この娘は、私を否定するために生まれてきた。
「思い知ればいい。なにものでもないって、生きていてもしようがないって。こんな女、誰も相手にしない。いても、いなくても、誰も気づきもしない」
ゆり子を罵る言葉は、そのまま、菜穂子がひた隠しにしてきた想いだった。ゆり子にはそれがわかった。涙が溢れた。哀しくて、それも、自分自身のことではなく菜穂子の言動が憐れでならないから、別離の痛みにじっと耐えていた。もう、この人とうまくやっていこうなんて思うまい。だが菜穂子は、謝りなさい、と吼えるように命じている。さあ顔を上げなさい、謝るのよ、言うことを聞かぬのならと菜穂子が腕を伸ばし、ゆり子の髪をつかみ頭を引っ張り上げようとした時、けたたましい電子音が空気を震わせた。》



まあ、とにかく、久々に読書に集中できた充実した通勤時間でした。幸い乗り過ごすこともありませんでした。



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# by sentence2307 | 2017-12-16 14:48 | 徒然草 | Comments(0)



原題「Der Staat gegen Fritz Bauer」と邦題「アイヒマンを追え!」では、見る前の観客に相当見当違いな、あるいは、誤った先入観を与えてしまったのではないかと危惧しています。

その副題の「ナチスがもっとも畏れた男」だって、原題の不正確さを補完するために慌てて付け足したかのような蛇足感をまぬがれません、かえってメイン・タイトルが言葉足らずなことを、逆に証明してしまっているようなもので、それだけでも責任ある命名者(興行者)として作品のイメージをそこない、さらに営業戦略としても、ずいぶんな失策だったのではないかと思いました。

自分の受けた感じからすると、これは単に「フリッツ・バウアー」(どうあろうと、この映画の主人公なのです)という名前を出すよりも、世間的に遥かに浸透している「アイヒマン」とした方が、宣伝効果があるに違いないという短慮から、このような見当違いな邦題の命名に至ったというなら、それは、この作品に対する根本的な認識不足というしかありません。

原題「Der Staat gegen Fritz Bauer」を「フリッツ・バウアーをめぐる状況」とでも訳すれば、このサブ・タイトル「ナチスがもっとも畏れた男」の方だって、相当あやしいものになってくると思います。

だってそうですよね、この原題が指向しているものは、戦後、いまだに国内の司法にはナチの残党・抵抗勢力が残っているという中で、ナチの戦争犯罪を追及しょうというユダヤ人検事長の苦労話なわけですから、ここで描かれているものは、少なくとも「人=アイヒマン」なんかではなかったというのが本筋です。まあ、言ってみれば、アイヒマンという設定は、ユダヤ人検事長にとっての「困難な状況」を説明する単なる素材にすぎなかったわけで、タイトルに掲げられた「アイヒマン」を注視していた観客には、見当違いの道しるべを与えられたような、なんとも迷惑な話だったかもしれません。

それは、検事長の職務にあるフリッツ・バウアーが、ブエノスアイレス市民からの投書によって、アイヒマンが彼の地に潜伏しているらしいことを知り、それが本人であるという更なる確証を得たあとで、検事長としての権限でドイツ本国に連行し裁きを受けさせたいと上申したときに、強硬に拒否された抵抗勢力(当時のドイツ司法に占める多数の元ナチス党員や関係者たち)のことを「状況」と表現しているのですから、それを「アイヒマン」という見当違いな人名をタイトルの前面にだしてしまったら、タイトルに引きずられた観客が戸惑い幻惑されるのも、そりゃあ当然のことだったと思います、「作品を損なう」と言われても決して言い過ぎなんかではない、むしろ「暴挙」とさえ言い得るタイトルの命名だと思いました。

検事長フリッツ・バウアーがユダヤ人であるために国内で受けなければならなかった困難が、具体的な数字として残されています、つまり、当時の西ドイツ司法部(裁判官と検察官)には戦前からの元ナチス党員・関係者というのが、まだ1,118人いたと、東ドイツのキャンペーンの数字としてwikiには記載されています。(注)


(注)「だが実際には1945年のナチス党の解散時にナチス党員は約850万人、協力者は300万人以上にものぼっており(合計で当時のドイツ総人口の約2割)、また官僚や政治家、企業経営者など社会の中核をなす層にも浸透していたことから、ナチスの追及は敗戦で荒廃したドイツの戦後復旧を優先した結果としておざなりなものとならざるを得なかった。加えて直接の関係者はもとより親族などの反対もあり、ナチス追及は不人気な政策であった。
1950年代末には、西ドイツに対して「血に飢えたナチ裁判官」キャンペーンが東ドイツで行われている。そこでは元ナチス関係者(党員か協力者)の裁判官や検事など司法官僚が1,118人も西ドイツにはいると非難されており、これらの元ナチス司法官僚はナチスの追及に大きな障害となった。最終的に有罪になったナチス関係者は、罰金刑のような軽い罪を含めても6000人あまり、関係者全体の0.06%に過ぎない。」


当時のドイツにおけるこの元ナチの残党1,118人という数字が意味する「逆境」において、「ナチの戦犯を追及」することの困難と、公正な法の支配とその執行など、そもそも最初から望むべくもなかった状況にあったことは明らかでした。

だからこそ、フリッツ・バウアーは窮余の一策として、ドイツ国内法の「国家反逆罪」のリスクを負ってまで、秘密裏にイスラエルの秘密警察モサドに助力を仰がざるを得なかった、そして、この事実(第三国への協力と通報の行為)が明らかにされたのが、彼の死後数十年も経ってからのことだったと、この映画の最後で語られていました。

自分は、このナニ気に付け足された「彼の死後数十年も経ってから」という部分に強く惹かれました。

つまり、「数十年経たなければ」このユダヤ人検事長の犯したドイツにおける「国家反逆罪」の嫌疑は薄まることなく、ずっと有効だったわけで、いまになってやっと語られるこの「美談」風な衝撃の事実は、逆に、彼が生きている限りは容認されなかったし、彼が死に、さらにその影響が薄らぐまで語るのを憚られてきたということのアカシにほかならないと理解してみました。

このシチュエーションを日本に当て嵌めて考えてみれば、その「トンデモナサ」は明らかですが、フリッツ・バウアーのしたことは、「他国」と気脈を通じ、そして利するために「自国」を裏切るという背信行為なのであって、少なくとも、国家から国の秩序の安定をはかるために全面的に権力を託された検事長・公務員にとって(この全面的な権力の委託=なんでもできる強権を受諾する見返りが、国家への限りない忠誠でなければ)、その裏切り行為は、とても深刻な事態だというしかありません、たとえそれが「一民族の正義」のために行われたことだったとしても、みずからの属する国家を一蹴し、あるいは飛び越えるという違和感は、どうしてもぬぐえません。

それは「正義」のために躊躇なく決行した第三国への協力・通報の行為(裏切り)は、この映画にあっては、称賛されこそすれ、いささかも問題にされていないという視点です、そこに自分はこのストーリーにも、このフリッツ・バウアーという人物にも、嫌悪に近い限りない違和感をもちました、この映画には、わが意に反して生きなければならない者の、迷いや葛藤はことごとく無視され、「正義は我にあり」という被害者意識に満ちた踏み絵をかざし、讒言と密告も、そして国家ぐるみの誘拐も拉致も当然視され、そのうえでなされる裁判と処刑も、何でもアリという、目をそむけたくなるような思い上がりに対する、限りない嫌悪です。

それは、最後のこんな場面でも感じました。

フリッツ・バウアーが協力を要請した部下の検事・カールが、同性愛者のクラブ歌手との淫行(「彼女」に嵌められたのですが)の写真を盗撮されて当局に脅迫され、屈服しないカールはやがて自首します。

カール検事を拘束したと上席検事クライトラー(ナチ側です)からの報告を受けた検事長フリッツ・バウアーとの素っ気ない会話が、この映画のラストで描かれています。

カール検事拘束の報告を聞いて、検事長フリッツ・バウアーはこう言います。

「考慮したまえ。彼は猥褻行為に及んだが自首したんだぞ」

「本件に、なにか拘りでも?」

「ない、仕事に戻りたまえ」そして「覚えておけ。私は自分の仕事をする。私が生きている限り、誰にも邪魔をさせん」

たった、それだけ!? あんたねえ、仮にも無理やり協力を強いて働かせた部下なんでしょ、抵抗勢力を抑えてあれだけのことができたわけですから、検事長の権限でオカマの検事ひとりくらい助けるくらいわけなくできそうなものじゃないですか。

彼のこの冷ややかな対応は、「自分にもそのケはあり、国外でやらかすなら罪にならないぞと、だから国内ではアレは決してやるなよってあれほど言ったろう。ドジ・まぬけ・バカヤロー」くらいしか窺われません。

わが身可愛さで、結局彼は、のうのうというか、ぬけぬけと職務を全うしたっていうじゃないですか。

なんか他に言いようがないんですかね、言うに事欠いて「私は自分の仕事をする」だって?
アホか。
役に立たなくなった人間は、そうやってどんどん切り捨てて、戦犯追及の大義名分のもとに、ぬけぬけと自分だけ生き抜いていくというわけですか。なるほどね。あんたという人も、この映画も、よく分かりました。


この小文を書くまえに、手元にあるアイヒマンについて書かれた幾つかの論文に目を通しました。

そのなかのひとつ、広島大の牧野雅彦という人が書いた論文「アレントと『根源悪』―アイヒマン裁判の提起したもの―」(思想2015.10)のなかに興味深い部分があったので、どこかで活かせるかなと思いながら、念のためにタイプしておいたのですが、結局、活用する機会を逸してしまいました。

むげに捨てるのも、もったいないので、「参考」として記載することにしました。

「悪事をなす意図を前提として始めて法的責任と罪を問うことができる―意志を持たず善悪の弁別能力を持たない無能力者は処罰の対象にならない―というのが近代刑法の原則であるとするならば、アイヒマンの犯罪はそれを超えた―いやそれ以前の、というべきか―いわば世界とその法的・道徳的秩序そのものを破壊するような悪なのであった。そうした悪に対しては極刑をもって対する以外にない。アレントは仮想の裁判官に託してアイヒマンに対して次のような裁きを下している。

『君が大量虐殺組織の従順な道具となったのは、ひとえに君の逆境のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それゆえ積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治とは子供の遊び場ではないからだ。政治においては、服従と指示とは同じものなのだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の幾つかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒む・あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み、誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのように・政治を君が支持したからこそ、何人からも、すなわち人類に属す何者からも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待し得ないと我々は思う。これが君が絞首刑にならねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。』」

あらためて読んでみると、論旨は至極まっとうで、やはり、自分のコラムのなかに、この文章を生かせる箇所は、なかっただろうなという思いを新たにした次第です。自分もやはり、当初、タイトルの「アイヒマン」に引きずられた被害者のひとりにすぎなかったことを示している見当違いな残骸を前にして、しばし呆然の感じでいたかもしれません。

(2015ドイツ)監督脚本・ラース・クラウメ、製作・トマス・クフス、脚本オリビエ・グエズ、撮影・イェンス・ハラント、美術・コーラ・プラッツ、衣装・エスター・バルツ、編集・バーバラ・ギス、音楽・ユリアン・マース、クルストフ・M・カイザー、製作・ゼロ・ワン・フィルム、原題・Der Staat gegen Fritz Bauer

出演・ブルクハルト・クラウスナー(フリッツ・バウアー)、ロナルト・ツェアフェルト(カール・アンガーマン)、セバスチャン・ブロムベルグ(ウルリヒ・クライトラー)、イェルク・シュットアウフ(パウル・ゲプハルト)、リリト・シュタンゲンベルク(ヴィクトリア)、ローラ・トンケ(シュット嬢)、ゲッツ・シューベルト(ゲオルク=アウグスト・ツィン)、コルネリア・グレーシェル(シャルロッテ・アンガーマン)、ロベルト・アルツォルン(シャルロッテの父)、マティアス・バイデンヘーファー(ツヴィ・アハロニ)、ルーディガー・クリンク(ハインツ・マーラー)、パウルス・マンカー(フリードリヒ・モルラッハ)、ミヒャエル・シェンク(アドルフ・アイヒマン)、ティロ・ベルナー(イサー・ハレル)、ダニー・レヴィ(チェイム・コーン)、ゼバスティアン・ブロンベルク(ウルリヒ・クライトラー)、


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# by sentence2307 | 2017-12-09 17:50 | 映画 | Comments(0)

ある天文学者の恋文

まるでなにかの罠に嵌まってしまったみたいに、同じようなタイプ(それも取り分けレアなテーマです)の映画を立て続けに見てしまい、そのまるで計算しつくされたような奇妙な符合に、これってなにかの不吉な予告とか祟りのタグイなのかと、思わず不安になるなんて経験したことってありませんか。

先日、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ある天文学者の恋文」(2016)を見ていたときに、そのオゾマシイ霊感とやらに突然金縛りにあってしまいました。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品なら、それがどのように不評な作品であろうと、とりあえずは見てみたいと思っている自分にとって、この「ある天文学者の恋文」もそのうちの1本でした、それもこれも数多くの幸福な映画の記憶をトルナトーレからいただいているからこその、そしていまもなおその「保証期間」が継続中であることの証しみたいなものなのかもしれません。

しかも主演が、超繊細な演技が売りのジェレミー・アイアンズとくれば、もうそれだけで一見の価値があります、最近では、見るからに弱々しい繊細さで売るこういう男優って稀有な存在になってしまいましたし、思えば、かつてはこのタイプの男優はすぐに思いつくくらいに多くいて、例えばジェラール・フィリップだとか、モンゴメリー・クリフトだとか、ジェームス・ディーンなんかも、そういうタイプの役者の代表格でしたよね、むしろマッチョで猛々しいタイプの俳優よりも、「こっち系」の男優の方が、はるかに主流だったような気がします、あの時代がそういう軟弱な俳優を求めていたからかもしれません。

ほら、例のフィリップ・マーロウの「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.(強くなければ、生きられない。優しくなければ、生きている資格がない」なんて言葉が象徴していたあの雰囲気です。

自分としては、それを聞いた当時だって、ずいぶん甘々で、それを平気な顔して言う相手の顔をまじまじと見てしまうくらい、なんだか気恥ずかしくてたまりませんでしたが。

しかし、今の時代、優しいばかりでウジウジなどしていたら、無視されて放っておかれるどころか徹底的に干渉されて生き場を失い叩き潰すまで追い詰められて秒殺されるという過酷な時代なのであって、現代がそれだけハードで容赦ない時代になったからだと思います。

でも、自分としては、むしろこの本音の現代の方が、ずっと生き易くて気に入っています。

さて、この「ある天文学者の恋文」ですが、天文学者の大学教授エド(ジェレミー・アイアンズ)と教え子の女学生エイミー(オルガ・キュリレンコ)は不倫の関係にあって、この映画の冒頭でも、さっそくふたりの「くんずほぐれつ」の情事の描写から始まっている始末です、私見ですが、こういうのって実にけしからんと思いませんか。老いぼれとピチピチの女子大生が、あっちを舐めたり、こっちを吸ったりなんかしたりして、なんなんだこの野郎という感じです。そんなことして、気持ちいいだろ、てめ~。

自慢じゃありませんが、自分はこのようなことにただの一遍だって遭ったことがありません、悔しくて悔しくてたまりませんよ。

まあ、それはさておいて話を続けますね。

ある日、大学の講義を受けていたエイミーは、エド教授が急逝したことを知らされます。

しかし、エド教授から旅行に行くと知らされていたエイミーのもとには、依然として彼からなにごともなかったかのようなメールが継続的に入ってくるし、それに、まるでタイミングを計ったような郵便物も届くので、彼女にはどうしても教授の死を信じることができません、そして、エド教授の死を確かめるための彼女の旅が始まるというちょっとミステリーっぽい物語です。

しかし、このミステリー仕立ての物語の根底にあるものは、たとえ自分が死んでも、愛する者をどうにかして、いつまでも見守り続けたいという痛切な深い思いがあって、たぶんそれが観客を感動させずにはおかないのでしょうが、自分としては、この手を替え品を替えの「仕掛け」の部分がどうにも引っかかって、しっくりと受け入れることができませんでした。

はたして教授が思っているほど、彼女が将来にわたって「永遠の愛」を信じ続けることができて、そして、教授の見守りをいつまで必要とし、彼女の歓迎を保てるか、愛の企みを夢中になって仕掛けていた死期の迫った教授が、「そのこと」に少しの不安も抱かなかったのかという疑問です。まあ、少しでも疑問を持ってしまったら、こんな企みができるわけもありませんが。

自分としては、教授が仕掛けたこれらすべての企みは、教授のエゴから発した未練にすぎないもので、決して生き残る愛する者を思いやってのことではない、つまり、「余計なお世話だ」という感想を持ちました。

たぶん、最愛の人を失った彼女は、しばらくの間、そりゃあ悲しむでしょうし、相当な「喪失感」に苦しむには違いありません。

しかし、時が経てば、いつまでも悲しんでいることの空しさを悟り、やがて時間が、過去の辛いことを少しずつ忘れさせ、立ち直ることができるものだと思います。

しかし、そこに相変わらず「教授のメール」が届いたりすれば、それは彼女の立ち直りを阻む効果しかないことは明らかです。

彼女が自由に生きることは許されないのか、という思いを持ちました。

そして、この映画を見た少しあとに、「愛を積むひと」(2015、朝原雄三監督)を見ました。

心臓病で余命幾ばくもないことを知った妻(樋口可南子)は、夫に幾通もの手紙を、まるで「仕掛け」のように残していきます。

まだ十分に若い彼女には、この世に思いを残すことは、きっと数多くあったに違いありません。

夫(佐藤浩市)を見舞うはずの困難な事態を予測して、妻は、的確な場所に明快な手紙を残して迷う夫に天国から助言を与え助けます。

この部分を見ながら、ふっと小学生か中学生だった頃に流行った小噺を思い出しました。

ある男がトイレに貼ったら、正面の壁に「左を見ろ」と書いてあるので左を見ると、左の壁には「右を見ろ」と書いてあったので、今度は右を見ると「上を見ろ」と書いてある。天井には、「きょろきょろするな、バカ」と書いてあったという滑稽噺です。

「愛を積むひと」は、きっと良質な作品には違いないとは思いますが、たとえドラマにすぎないとしても、死者の傲慢というか、人の人生に身勝手に立ち入る「お節介」さには、耐え難いものがあります。

以前、「ニライカナイからの手紙」(2005、熊澤尚人)を見たときに感じたことですが(以前、このブログに書きました)、早世する母が、娘を気遣って、自分の死を知らせずに、まるで生きているかのように成人するまで誕生日に手紙を送り続け、娘を励ました行為に疑問を抱いたのは、そんな歪んだかたちで「母の死」を隠されたこと自体を娘はどのように感じたか、という疑問でした。

たとえ遺された娘が、「母の死」を知らされたとしても、一時は悲しみ、苦しんで、しかし、それに耐え、跳ね返す力を持つことが、「生きること」なのではないか、と思ったからでした。こんなことは、社会一般のごく常識なことにすぎません。

家中で自分だけが知らされていないことがある、しかもそれが「母の死」だとすれば、その歪んだ関係は、すこぶる異常だと言わざるを得ません。

(2016イタリア)監督・ジュゼッペ・トルナトーレ、製作・イザベラ・コクッツァ、アルトゥーロ・パーリャ、脚本・ジュゼッペ・トルナトーレ、撮影・ファビオ・ザマリオン、美術マウリッツォ・サバティーニ、衣装デザイン・ジェンマ・マスカーニ、編集・マッシモ・クアリア、音楽・エンニオ・モリコーネ、プロダクション・デザイン・マウリツィオ・サバティーニ
出演・ジェレミー・アイアンズ(エド・フォーラム)、オルガ・キュリレンコ(エイミー・ライアン)、ショーナ・マクドナルド(ヴィクトリア)、パオロ・カラブレージ(オッタヴィオ)、アンナ・サヴァ(アンジェラ)、イリーナ・カラ(エイミーの母親)、



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# by sentence2307 | 2017-11-26 22:23 | 映画 | Comments(0)

ある日の原節子

ちょっと前の土曜日の昼過ぎに、借りていた本を返しに図書館に行ったときのことでした。

ここは図書館のほかに集会場や300席くらいのホールなど、それなりの施設が入っているものの、なにせ小さな市なので、さほど大きな建物ではありませんが、平日でも多くの市民が利用しているとても賑やかな場所です(他に適当な施設がないということもありますが)、図書館はその建物の1階部分を占めており、建物に入ってすぐの玄関ホールには市の広報紙やセミナーのパンフレットが置いてある場所があります。

毎年、確定申告の時期ともなれば、自分もここに「暮らしの税情報」(国税庁)を貰いに来たり、そのほか県の広報紙や市の広報をはじめ、NPO法人の地域のボランティア活動報告とか、認知症予防講座の参加募集とか、ウォーキングを兼ねた郷土史研究会のご案内だとか、高齢者のインフルエンザワクチンのお知らせのタグイだったりするので(いまのところは、幸いにして、そのどれにもお世話にならずに済んでいます)、それなりの時間つぶしにはなりますが、緊急の必要事でもなければ、わざわざここに立ち寄ることは滅多にありません。

いつもならさっさと通り過ぎてしまうその場所ですが、その日はなんだか、誰かに見られているようなヘンな視線を感じて(胸騒ぎとでもいうのでしょうか)、思わず足を止めてしまいました。

自分は、かなりの近視なので、少しでも距離があったりするとぼやけてよく見えないのですが、ある一枚のパンフレットに写っている女性が、行きかう人の足を思わず止めさせるほどの物凄い美形であることだけは、遠目にもはっきりと分かりました、これがまさに「オーラ」を発しているということなのだなと実感しました。

引き寄せられるように近づくと、その美人が、尋常でない美しさであることが、ますます、はっきりとしました。

ほら、よく言うじやないですか、ぱっと見、美人と思わせるための大きな要素として「柔らかな微笑」というようなものが必須だとか(七難隠す、みたいな)、そのパンフレットに掲載されている女性は、背後やや上方の肩越しの位置から撮られていて、振り向きざまになにかを真剣に凝視しているその横顔には、その「柔らかな微笑」などというタグイの俗世的な固定観念に真っ向から挑むような・否定するような、容易に人を寄せ付けない毅然として固く厳しい、それでいて、それが「美しさ」を少しも損なってないという完璧な表情です。

これが、足を止めさせるほどの「オーラ」の意味だったみたいです。

いわば「いやん、ばかん」ではなく、「何なさるんですか!!」みたいな。

よく分かりませんが。

まあ、このセリフがどのようなシチュエーションのもとで発せられる種類のものであるかは、ご妄想(ご想像だろ)にお任せしますが、いやはや「処女性」ということで、つい連想が暴走してしまいました。

さっそく、そのパンフレットを手に取ると、それは「原節子選集」(特集・逝ける映画人を偲んで 2015-2016)というフィルムセンターの宣伝チラシであることが分かりました、そこに写っていたのが、今まで見たこともないような美しい原節子です。いやいや、この言い方は少しおかしいか。

原節子が美しいのは、いまさら始まったことではないので、ここは「美しい原節子の今まで見たことのない写真」というべきでした。
裏返してみると、最下端右隅に小さな活字で「表紙・わが青春に悔いなし」と記されています。それなら自分が見てないわけがないじゃないか。自慢じゃありませんが、「わが青春に悔いなし」なら両の手の指をすべて折ってもまだ足りないくらいは見ていますし、このブログにもコラムを書いたことがあります。

しかし、こんなシーンあったかなと、パンフレットをひっくり返して、また原節子の写真をじっと見入りました。

艶やかな黒髪に縁どられたその凛とした表情には、「潔癖」という言葉が自然と思い浮かぶくらい微塵の隙も緩みもありません。

眉をきりりと引き締めた鋭い瞳には幾分の潤いがあって、それが緊張と感情の高ぶりを表していることは判然・分かるものの、それが悲しみのためなのか、それとも怒りとか不安のためのものなのかはともかく、迫りくる過酷な「時代」に立ち向かおうと身構えている緊張感の鬼気迫るものであることだけは確かです。

きっと、自分が、すでに本編を繰り返し見ていて「わが青春に悔いなし」という映画のストーリーを隅々まで知悉している(勝手にそう思い込んでいるだけかも)既知の記憶に沿って原節子の表情を当て嵌めようとしているだけなのかもしれませんが、しかし、いずれにしても、そんなあれこれの考えを巡らしたのは、結局のところ、しばらくの時間、じっとその美しい顔に見とれていたかったことの言い訳でしかなかっただけだったような気がします。

これ以上見つめていると、写真にキスでもしそうな勢いなので(ここは公共の場で傍目もあり、すでにほとんど「危ないおじさん」になっていると思います)そのパンフレットを2枚いただいて、あとでゆっくり鑑賞することにしました。

しかし、それにしても、やや横を向いてじっと彼女が見据えている先にあるものが、いったいなんなのか、すぐにでも知りたくなりました、さっそく家に帰って、我がライブラリーから「わが青春に悔いなし」を探し出し、このシーンを確認しようと思いました。

いやいや、実際に映画で確認するというのもいいのですが、その前に、この場面がストーリーのどのあたりのシーンなのか、見当をつけておくことも必要です、少しでも手掛かりを得ようと、道々、画像の隅々まで目を走らせて必死になって考えを巡らせました。

この写真からすると、きれいに撫でつけられている髪型から、生活感のない良家の子女という感じなので、ストーリー後半で描かれている村民の迫害と生活苦に疲れた「農婦」でないことは一目瞭然です。ならば、前半に描かれている自由奔放な「お嬢さん」風かといえば、その落ち着いた雰囲気とか黒地のスーツの隙のない着こなしから見ると、どうも付け回す特高に毅然として対峙する中盤の原節子だろうなという見当をつけました。

それに、彼女が美しい横顔を見せて座っている場所は、どうも池か川のほとりの野原という感じです。

これだけの情報をもとに、帰宅してすぐに「わが青春に悔いなし」を見るはずだったのですが、実は、あっ、結論から申し上げますと、我がライブラリーから、カノ「わが青春に悔いなし」を探し出すことに、結局、失敗しました。

というのは、その映画が「あったのか・なかったのか」よりも先に、手の付けられない未整理の混沌・テープの山のカオスから、目的のものを探し出すことなどとても不可能で、早々に断念せざるを得なかったというのが、最も相応しい説明ということができるかと考えています。

思い返せば、常日頃、自分にしてからが、たまたま山の頂上にあるテープを手に取って順番に見ているだけなので、「何かを見たい」などという大それた我欲に満ちた俗世の欲望というか煩悩などすでにして超越しているというか(せざるを得ない)境地に至っていることを早々に思い出すべきだったかもしれません。

なので、映画「わが青春に悔いなし」の「確かめ」は、ついに果たされなかったことを、遅ればせながらここにご報告する次第です。ならば、うだうだ言わずに最初からそう言えば良かったじゃん、とか言われてしまうやもしれませんが(「かもしれません」を多用したので、少し言い方を変えてみました)、今回見られなかったのは残念ですが、でも、自分のこの推理は間違いないと思うけどな。

もう一度見たい作品もあるので、フィルムセンターで11月9日から開催されている原節子特集の11本の上映作品を以下に記しておきますね、とにかく、ものすごく楽しみです。



【魂を投げろ】
原節子の出演第3作で、現存作品としては最も古い。オリジナルは65分のサウンド版だが、本篇途中部分のみが無声で残存している。甲子園を目指す旧制中学の野球部を描いた青春スポーツ映画で、原はエース投手の妹役。当時15歳ながら、その美貌が深い印象を残す。脚本の玉川映二はサトウハチローのペンネーム。プラネット映画資料図書館所蔵プリントからの複製。
(1935日活多摩川)監督・田口哲、原作・飛田穂洲、脚本・玉川映二、撮影・福田寅次郎、
出演・伊沢一郎、中村英雄、和歌浦小浪、原節子(女学生)、東勇路、大島屯、名取功男、正邦乙彦、松本秀太郎、
(26分・35mm・24fps・無声・白黒・部分) 1935.09.26 富士館 8巻 白黒 サウンド版


【生命の冠】
北海道の漁港を舞台に、米国輸出用の蟹缶詰を製造する会社のオーナー・有村恒太郎(岡譲二)の奮闘を描く。原節子は恒太郎の妹役。オリジナルは94分のトーキーだが、現存プリントは無声の短縮版。皮肉にも当時まだあった無声映画館のためにサイレントにした版だけが残った。ほとんど失われた作品のもっとも悲惨な例として戦前の日活作品がよく例にあげられるが、内田吐夢の日活多摩川時代の諸作品もあげられるほか、村田実、伊藤大輔、溝口健二、山中貞雄、伊丹万作、田坂具隆、稲垣浩、熊谷久虎、倉田文人、阿部豊などの日活時代の名作のほとんどが失われた。この作品について佐藤忠男は「千島は1936年の内田吐夢監督の『生命の冠』で蟹漁場の港や蟹缶詰工場のある漁場基地として描かれた。この戦前の北洋漁場は1953年の山村聰監督の『蟹工船』でも描かれた。日本映画における北辺、さいはての苛烈な労働の場というイメージである。」(日本映画史④81)と記している。マツダ映画社所蔵16mmインターネガからの複製である。
(1936日活多摩川)監督・内田吐夢、原作・山本有三、脚本・八木保太郎、撮影・横田達之、
出演・岡譲二(有村恒太郎)、滝花久子(妻昌子)、伊染四郎(弟欽次郎)、原節子(妹絢子)、見明凡太郎(片柳玄治)、伊沢一郎(北村英雄)、菊池良一(漁夫)、鈴木三右衛門(漁夫)、光一(漁夫)、長尾敏之助
(53分・35mm・24fps・無声・白黒)  1936.06.04 富士館 9巻 2,588m


【冬の宿】
豊田四郎得意の「文芸物」の一本。元松竹蒲田のスター・勝見庸太郎が、落ちぶれてもなお見栄を張る中年男の悲哀を全身で演じている。原節子は勝見演じる嘉門がほのかに想いを寄せる清楚なタイピスト役。他にムーラン・ルージュ新宿座の水町庸子も出演。脚本は、豊田四郎の重要な作品「若い人」「泣虫小僧」「鶯」などを書いた八田尚之で「第二次大戦に突入する直前の時期の不安に満ちた市井の世相風俗をユーモアと哀感と知性的な態度でさらりと描く作品に巧みさを見せ」、「この作品は当時、奇妙な性格異常者を描いた掴みどころのない作品のように受け取られて、野心作ではあるがおおむね失敗作というふうに受け取られていた。しかしいま見れば、このせっぱ詰まっていながら、そういう自分たち自身の状況を認識できず、ますます愚行を重ねていく彼らこそ、まさに日中戦争の翌年というこの映画の製作時の日本の無自覚的な混迷ぶりを象徴する人物のように見える。あとからつけた理屈であるかもしれないが、芸術家の直感が時代の本質をとらえているとは言えないか。・・・情緒に流れることを排した小倉金弥の撮影も素晴らしい。」(佐藤忠男)オリジナルは95分で現存プリントは5巻目が欠けている。
(1938東京発声)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、脚本・八田尚之、原作・阿部知二、撮影・小倉金弥、音楽・中川栄三、津川圭一、美術・進藤誠吾、録音・奥津武、照明・馬場春俊
出演・勝見庸太郎、水町庸子、原節子、北沢彪、林文夫、藤輪欣司、島絵美子、堀川浪之助
(84分・35mm・白黒・不完全) 1938.10.05 日比谷劇場 10巻 2,534m


【美はしき出發】
叔父からの仕送りで何不自由なく暮らしている北條幹子(水町)と3人の子供。だが叔父は破産し、彼らは自分の生き方の見直しを迫られる。原は画家になる夢を捨てきれない長女の役。一家のために奔走する次女を演じる高峰秀子との初共演が話題となった。ニュープリントによる上映。
(1939東宝東京)製作・武山政信、監督脚本・山本薩夫、脚本・永見柳二、撮影・宮島義勇、音楽・服部正、美術・戸塚正夫、録音・村山絢二、照明・佐藤快哉、
出演・原節子(北條都美子)、高峰秀子、月田一郎、水町庸子、三木利夫、清川荘司、嵯峨善兵、柳谷寛
(66分・35mm・白黒) 1939.02.21 日本劇場 8巻 1,808m


【東京の女性】
丹羽文雄の同名小説を映画化。生活能力のない父に代わって一家を支えるため、節子(原)は自動車会社のタイピストから“セールスマン”へと転身し、次々と成功を収める。能動的で溌剌とし、男性社会を脅かしさえする女性を演じた原は、当時の映画評で「東宝入社以来おそらく最も生彩のある演技」と高く評価された。ニュープリントによる上映。
(1939東宝東京)製作・竹井諒、監督・伏水修、脚本・松崎与志人、原作・丹羽文雄、撮影・唐沢弘光、音楽・服部良一、美術・安倍輝明、録音・下永尚、
出演・原節子(君塚節子)、立松晃、江波和子、水上怜子、藤輪欣司、水町庸子、水上怜子、外松良一、鳥羽陽之助、深見泰三、如月寛多、若原雅夫
(82分・35mm・白黒) 1939.10.31 日本劇場 9巻 2,281m


【青春の氣流】
新鋭旅客機を設計した若き技師・伊丹(大日方)が、その製造実現に向け突き進む姿を、喫茶店で偶然出会った女性(山根)との恋愛を絡めつつ描くメロドラマ。社内で伊丹を支持する進歩派の専務(進藤)の令嬢に原が扮し、伊丹と添い遂げようと積極的にアプローチする姿が目を引く。ニュープリントによる上映。
(1942東宝)製作・松崎啓次、代田謙二、演出・伏水修、脚色・黒澤明、原作・南川潤「愛情建設」「生活の設計」、撮影・伊藤武夫、音楽・服部良一、美術・松山崇、録音・宮崎正信、照明・横井総一
出演・出演・大日方伝(伊丹径吉)、山根寿子(馬淵美保)、英百合子(その母)、中村彰(その弟章)、進藤英太郎(由定専務)、原節子(その娘槙子)、清川玉枝(その叔母)、清川荘司(竹内専務)、真木順(橋本設計部長)、藤田進(村上)、矢口陽子(喫茶店の女の子)、御舟京子[加藤治子](喫茶店の女の子)、永岡志津子(喫茶店の女の子)、
(87分・35mm・白黒) 1942.02.04 東宝系 10巻 2,389m


【緑の大地】
中国・青島に長期ロケを敢行した国策映画。運河建設をめぐり、日本人技師(藤田)やその妻(原)、女教師(入江)、悪徳商人(嵯峨)、反対派の中国青年(池部)たちが衝突するさまを描く。原は、女教師が夫の初恋相手であると知り、友情と嫉妬の間で揺れる妻の役を演じる。
(1942東宝)製作・田村道美、演出原作・島津保次郎、製作主任・関川秀雄、脚色・山形雄策、撮影・三村明、音楽・早坂文雄、演奏・東宝映画管弦楽団、美術・戸塚正夫、録音・下永尚、照明・平岡岩治、編集・長沢嘉樹、現像・西川悦二、後援・青島日華映画製作委員会、
出演・入江たか子(井沢園子)、丸山定夫(伯父井沢尚平)、藤間房子(母みね)、英百合子(尚平の妻すみ)、里見藍子(娘歌子)、江川宇礼雄(園子の弟幸造)、千葉早智子(呉女子)、藤田進(上野洋一)、原節子(妻初枝)、汐見洋(楊鴻源)、林千歳(楊劉子)、池部良(楊克明)、斎藤英雄(克明の友朱)、進藤英太郎(堺)、高堂国典(尹)、草鹿多美子(鄭秀蘭)、清川玉枝(南夫人)、沢村貞子(張嘉雲)、嵯峨善兵(宮川信成)、真木順(建設局長)、小島洋々(劉校長)、恩田清二郎(副校長)、鬼頭善一郎(取引所理事)、坂内永三郎(取引所理事)、大崎時一郎(宮川の友人)、松井良輔(木谷理事)、佐山亮(救済院長)、
(118分・16mm・白黒) 1942.04.01 紅系 12巻 3,217m


【母の地圖】
没落した旧家の母と子供たちが、東京で新たな生活を始める。しかし、長男(三津田)は満洲で一旗あげると飛び出し、次男(大日方)は出征してしまう。三女の桐江(原)ら女性だけが残され、一家の生活は逼迫していく…。植草圭之助の映画脚本第1作で、ヒロインの原節子も植草の指定によるものだった。文学座の俳優陣の手堅い演技が脇を固めた。
(1942東宝)演出・島津保次郎、演出助手・杉江敏男、脚本・植草圭之助、潤色・島津保次郎、撮影・中井朝一、音楽・早坂文雄、美術・戸塚正夫、録音・下永尚、照明・平岡岩治、編集・長沢嘉樹、現像・西川悦二、
出演・杉村春子(岸幾里野)、三津田健(長男平吾)、一の宮敦子(妻直子)、大日方伝(次男沙河雄)、千葉早智子(長女槙江)、花井蘭子(次女椙江)、原節子(三女桐江)、徳川夢声(舘岡一成)、東山千栄子(一成の妻)、丸山定夫(与田専務)、英百合子(与田の妻)、斎藤英雄(与田隆三)、中村伸郎(筧英雄)、森雅之(北野二郎)、若原春江(タイピスト)、立花潤子(タイピスト)、進藤英太郎(紳士)、嵯峨善兵(課長)、龍岡晋(課長)、深見泰三(村長)、横山運平(伊作老人)、
(102分・16mm・白黒) 1942.09.03 紅系 11巻 2,825m


【怒りの海】
ワシントン軍縮会議によって決定された主力艦保有数の制限を、米英による陰謀と強調した時局映画の一本だが、一方では「軍艦の父」と呼ばれ巡洋艦の開発に死力を注いだ平賀譲中将を描いた伝記映画で日本海防思想の発展を説いた。原節子は父である中将(大河内)の健康を気づかう娘の役。本作は、内閣情報局より、「国策遂行上啓発宣伝に資する」として国民映画選定作品に指定された。この年、ほかに選定作品に指定されたものに「勝鬨音頭」「決戦」「不沈艦撃沈」「水兵さん」「三太郎頑張る」「君こそ次の荒鷲だ」「あの旗を撃て」「加藤隼戦闘隊」「一番美しく」「命の港」「敵は幾万ありとても」「雷撃隊出動」「剣風練兵館」「菊池千本槍」「雛鷲の母」「肉弾挺身隊」「かくて神風は吹く」がある。ニュープリントによる上映。
(1944東宝)製作・佐々木能理男、藤本真澄、監督・今井正、脚本・八木沢武孝、山形雄策、撮影・小倉金弥、音楽・山田和男、美術・平川透徹、録音・安恵重遠、照明・平岡岩治、特殊技術・円谷英二
出演・大河内伝次郎、原節子(平賀光子)、月田一郎、河津清三郎、山根寿子、黒川弥太郎、村田知英子、志村喬、
(89分・35mm・白黒) 1944.05.25 白系 9巻 2,435m


【北の三人】
原、山根寿子、高峰秀子らスター女優が、女性通信兵として北方の航空基地で活躍する姿を描いた時局映画。戦争も末期を迎え、「銃後の守り」を主としていた映画の中の女性像も、戦地で積極的に活動するものへと変わっていた。1945年8月5日に封切られた戦中最後の劇映画。残存フィルムは不完全(オリジナルは72分)。
(1945東宝)製作・田中友幸、監督・佐伯清、脚本・山形雄策、撮影・中井朝一、美術・平川透徹、音楽・早坂文雄、特殊技術・円谷英二、
出演・原節子(上野すみ子)、高峰秀子、山根壽子、藤田進、河野秋武、佐分利信、志村喬、田中春男、淺田健三、光一、小森敏、羽鳥敏子
(41分・35mm・白黒・部分) 1945.08.05 白系 8巻 1,972m オリジナル72分


【わが青春に悔なし】
占領軍の民主化政策に沿って、戦前の京大滝川事件とゾルゲ事件を題材にして製作された民主主義啓蒙映画。学生運動弾圧の犠牲となって獄死した愛人・野毛(藤田進)の遺志を継いで社会意識にめざめるブルジョア令嬢(原節子)の革新的な熱情を描く黒澤明の戦後第一作。令嬢が愛人だった貧農学生の母を訪れて、みずから百姓生活に飛び込みスパイの汚名を受けながら陰湿な迫害の下で泥まみれになって働くという強烈な女性像は、戦争直後、民主化の機運の高まりに高揚していた当時の青年たちに多大な感銘を与えた。
(1946東宝)製作責任・竹井諒、製作・松崎啓次、監督・黒澤明、演出補助・堀川弘通、脚本・久板栄二郎、撮影・中井朝一、音楽・服部正、美術・北川恵笥、録音・鈴木勇、音響効果・三縄一郎、照明・石井長四郎、編集・後藤敏男、現像・東宝フィルム・ラボトリー
出演・原節子(八木原幸枝)、藤田進(野毛隆吉)、大河内伝次郎(八木原教授)、杉村春子(野毛の母)、三好栄子(八木原夫人)、河野秋武(糸川)、高堂国典(野毛の父)、志村喬(毒いちご)、深見泰三(文部大臣)、清水将夫(筥崎教授)、田中春男(学生)、光一(刑事)、岬洋二(刑事)、原緋紗子(糸川の母)、武村新(検事)、河崎堅男(小使)、藤間房子(老婆)、谷間小百合(令嬢)、河野糸子(令嬢)、中北千枝子(令嬢)、千葉一郎(学生)、米倉勇(学生)、高木昇(学生)、佐野宏(学生)、
(110分・35mm・白黒) 1946.10.29 12巻 3,024m



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# by sentence2307 | 2017-11-12 09:05 | 映画 | Comments(0)