世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


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初国知所之天皇

年に一度あるかないかのタイミングで、気が向いたとき発作的に部屋の大掃除をすることがあります。ですので、そもそも一般的な年末の大掃除など、自分にはハナから無縁の話です。

常日頃、配偶者から「自分の部屋くらい、少しは片づけてよ」と口うるさく言われていて、特に雑芥ゴミ一斉回収日の火曜日になると、嫌みったらしく部屋をのぞきにきて、「あれ、もう捨てられるんじゃないの」などと積読本とか映画のカタログの山を見て無理難題をほざいたあとにお約束の言葉の応酬があり、さいごは当然無視してやり過ごすという感じになります。そこは、「蒋介石は相手にせず」の毅然たる態度をもって一貫した決意でのぞんでいるところであります。

だいたい、いまだにワタシの歪んだ性格というものを一向に理解しようとしない証拠となるそのひとことが、なおさら当方に片づける意欲を失わせ、意地でも片づけてなどやるものかという確固たる決意を呼び覚まし、人間として意地には意地で対抗することになってしまうあたりの道理というものを理解しようとしないかぎりは、この内戦はどこまでも止むことがないという感じでしょうか、彼女があのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の愚かしい戦いから教訓としてなにひとつ学び取っていないということが、とても残念でなりません。

あるいは、韓国をナミの民主主義国家と思い違いしているからカノ国をうまく扱えないだけであって、「北朝鮮」と同じ意味での「南朝鮮」と冷静になって観察すれば、三権分立なきあの想像を絶するような低劣にして不可解な国のすべてがすぐにでも理解できようというものです、椎名町に対する南長崎みたいなものじゃないですか、それにあの奇怪な整形同顔仮面グルーブの慰安婦集団、少女時代、TWICE、BLACK PINKなどにしても、よく見ればまさに形を変えた北朝鮮の喜び組(歌踊組・幸福組・満足組)と同じ発想で、あたかも今どきの楽曲とルックス、衣装と振りに惑わされなければ、そこに見えてくるものはお仕着せの軍服を着込んで粛清の恐怖に怯えながら機械仕掛けのように行進している笑顔仮面の北朝鮮女性兵士となんら違わない同じタイプの個性を欠いた薄気味悪い女兵士だということがおのずから分かろうというものです。

愚民どもの顔色ばかりをうかがい、司法までも崩壊させて権力の走狗にしてしまうような愚かしい虚偽とでっちあげの国に民主主義なんて最初から存在するはずも、定着できるはずもないのです。

「どこまで言う気、もういいからね」「あ、そう」というわけです。

さて、今回、その大掃除に着手した直接の切っ掛けというものがありました。

先日、久しぶりに新宿で重篤な病気から生還した旧友と再会して、おいしいお酒を飲みながら(病後の彼が飲んでもよかったものかどうかは、かなり疑問です。いまごろ具合が悪くなっていなければいいのですが)、昨今の映画の話をしているうちに、彼が「いままでのことを少しずつ整理している」らしいことを知り、自分もなにか実のあることをしなければいけないな、とぼんやり考えたことが切っ掛けといえば切っ掛けだったかもしれません。

部屋を占領している「積読本」の方は読了しない限りは処分するわけにはいかないのでどうにもなりませんが、「カタログの山」の方なら、整理していけば、ある程度の処分はできるかなと考え、早速、その仕分け作業に取り掛かりました。

試写会や劇場で見たあとで手に入れた映画のチラシやカタログをあちこちにほったらかしにしているうちにゴミ化してしまい、それ以後、ただの一度として読み返したことがないという惨憺たる状態です。

だいたい、そのカタログのなかには、キューブリックの「2001年宇宙の旅」があるくらいですから、「おして知るべし」というか、「なにをかいわんや」という感じでしょうか。

そんなふうに整理をすすめていたとき、その「カタログの山」から珍しいものを掘り出しました。

表紙には、「文芸座・文芸地下劇場 第2回フィルムフェスティバル」と書いてあり、さらにその下には「特集・監督自身が執筆した自作映画の解説=邦画篇」という小見出しもある十数頁のごく薄い小冊子でした。

あっ、これ、覚えてる、懐かしいじゃないですか。自分にとっては、文字通り、実に懐かしい「掘り出しもの」でした。

表紙の左上には、拳銃を片手に構えている若きジャン=ポール・ベルモンド(たぶんジョゼ・ジョバンニの「ラ・スクムーン」だと思います)が載っていて、中央にはペンをくわえているアンヌ・ヴィアゼムスキー(これは、「中国女」のポスターそのままなのですぐに分かりました)がおり、その下には横転している自動車が燃えている写真(「中国女」の下にあるのですから、これは当然ゴダールの「ウィークエンド」に違いありません。)が掲載されています。なるほど、文芸座の方は「フランス映画特集」というわけですね、

そして、裏表紙を見ると発行日は、なんと昭和51年5月11日とあります、マジか! と驚き、近くの電卓を引き寄せ、あらためて引き算をしてみました。え~っ!! なななんと43年とか経っているじゃないですか。それにしては、ゴダールって、まだ死んでないよなあ、なんてね。これはたちの悪い冗談です。

いやいや、そうですか。その失われた膨大な時間が自分の目の前を轟音を立てて走馬灯のように逆流し(走馬灯が逆流するってか???)、しばし呆然となり、しばらく虚空を見あげてしまいました。位置的にいえば、天井の隅、廻り縁が合わさるあのあたりです。

しかしまあ、経ってしまった年月を、いまさら悔いてみてもどうなるものでもありません。

気を取り直して裏表紙に掲載されている「文芸座」と「文芸地下」で行われたという上映プログラムを眺めてみました。

ちょっと転写してみますね、なんといっても、このくらいの時間が経てば、単なる文字列とはいえども、もはや熟成を遂げた一種の立派な民俗学的な価値のあるものです、そうに違いありません。

もうこうなった以上、のんびり掃除なんかしている場合じゃありませんから。

掃除なんかしなくたって、べつに人間たるもの、死にゃあしませんし。そうだ、そうだ、ばかやろ~。


【文芸座スケジュール】
1976
5.11~5.16 「中国女」「ウィークエンド」(ともにゴダール)
5.17~5.19  J・ドレー「ボルサリーノ」、J・ジョバンニ「ラ・スクムーン」
5.20~5.22  ルネ・クレマン「禁じられた遊び」、アラン・レネ「二十四時間の情事」
5.23~5.25  トリュフォー「映画に愛をこめて アメリカの夜」、アンリコ「ラムの大通り」
5.26~5.28  P・コラルニック「ガラスの墓標」、J・ロートネル「狼どもの報酬」
5.29~5.31  J・ドミー「シェルブールの雨傘」、C・ルルーシュ「男と女」


【文芸地下スケジュール】
1976
5.26~5.31 「無人列島」「GOOD-BYE」「王国」(ともに金井勝)
6.1~6.3  原将人「初国知所之天皇」
6.4~6.6  大和屋竺「裏切りの季節」、足立正生「略称 連続射殺魔」
6.7~6.9  藤沢勇夫「バイバイラブ」、大森一樹「暗くなるまで待てない!」
6.10~6.12  内川清一郎「一寸法師」、中川信夫「地獄」
6.13~6.15  土本典明「不知火海」、小川紳介「どっこい! 人間節」


これって、一向に古びていない、すごいライン・アップですよね。

実際にこれらの作品を見た1976年という年を考えるなら、「不知火海」や「どっこい! 人間節」などは、まさに最新作だったでしょうし、このリストのなかで、一番古い作品というとルネ・クレマンの1952年の「禁じられた遊び」だと思うのですが(見た当時でさえも、ずいぶん古い作品だという認識はあったと思います)、それでも1976年という時点からすれば、たった24年前の映画だったわけですし。

なんだか、そういうふうに考えると感無量(時間の経過と作品の普遍性)という感じがします。

ここにライン・アップされている作品は「現代」という時点から見ても、その存在感は確固たるものがあって、自分の中ではいまだ古びた感じは一向にしないのですが、2019年といういま、僕たちが現在見ている映画たちが、どれだけ時の流れに抗して風化することなく、1976年に見たこれらの作品と同じように、確固たる存在感を保ち続けて未来の時間を生き残ることができるだろうかと考えたとき、たぶんそのほとんどは「無理」だろうなという残念な確信に捉われました。

そこではじめて気がついたことがあります。

このプログラムには、上映された邦画の監督たちが、それぞれコメントを寄せていて、自分はそれを漫然と読んでしまっていたのですが、そこでハタと気が付いたことがありました。

自分が書籍の編集者だった現役のころ、友人から頼まれてある作家の全集を作る下準備として諸々の雑誌に書き散らしたコラムを丹念にひとつひとつ拾い集めるという作業を手伝わされたことがありました。

大作家と言えども食うや食わずの駆け出しの時代には、生活のためなら注文があれば、どんなにつまらない仕事でも、匿名でエロ雑誌のカラー頁に書いたコラムや名もない業界誌、市民広報などに匿名で書き散らしたコラムまで丹念にあたって調べ上げ、拾っていくという気の遠くなるような作業でした。

あたる雑誌というのは、当時、奥さんという人が家計簿に収入として細かくつけていたリストがあったので、そのリストが手掛かりになっていたので無闇矢鱈に調べたというわけではありませんでしたが、当然、そのなかには最初から全集などに収録できるわけもない猥雑な小文とか無内容なものも相当あり、最初から採用されないと分かっているものでも、採用の有無は上の機関がするということで、自分たちの仕事は、あらゆるもの「すべて」を蒐集することだと命ぜられた実に徒労感に満ちた仕事でした。

この文芸座・文芸地下のカタログを読んでいたときに、ふっとそのときの記憶がよみがえってきたので、このようなカタログに載ったような、たとえ小文だったとしても、そこはきちんとデジタルで残しておくべきなのではないかとふと考えた次第です。

この特集上映のために署名入りの作品解説を寄せた監督は3人いて、

原将人「ぼくのスクリーンサイズ ―『初国知所之天皇』文芸地下上映に寄せて―」
内川清一郎「一寸法師雑感」
中川信夫「『地獄』いろいろ」

とあるのですが、自分的には、もっとも鮮烈な記憶の中に生き続けている「初国知所之天皇」の原将人の作品解説(原文)を書きとどめておきたいと思います。




★原将人「ぼくのスクリーンサイズ」 ―『初国知所之天皇』文芸地下上映に寄せて―                  原 将人

ぼくは一番前で映画を見るのが好きだ。一番前に坐ってぼくの視覚を全部スクリーンが占めなければ気がすまない。前に他人の頭があると見た気がしないくらいだ。
だから、ぼくは映画はフィルムと光があればそれですべてで、それ以外のこと、例えば制作条件のこと、上映の形態のことなどは、言い切ってしまえば、個人的な好みの範疇に属するにすぎないとまで言ってきた。
そんなぼくが『初国知所之天皇』を撮ってからというもの、自分で映写技師をやりながら上映してきた。初めの頃はぼくの視覚を全部占めないスクリーンサイズに苛立った。そして、スクリーンの一番前で自分の映画を見たいと何度思ったことだろう。16mmにブローアップしたことのひとつにもそのことがあった。ブローアップは自分で簡単なプリンターを組み立てて、スクリーンを撮影するのではなく、直接8mmのフィルムのコマを撮影していったので、鮮度をまったく損なわずブローアップすることができた。8mmの粒子の荒れをそのまま16mmに置き換えることができた。一番前の座席で粒子の荒れた画面を凝っと見ていると、粒子の荒れやボケが不思議な魅力を醸し出し、キチンとした35mmの画面より、よりリアルなものを感じられたのだった。
でも、一番前の座席でゆっくりと見ることのできたのも試写の時だけで、その後はやはりぼくが映写技師をやらなければならなかった。でも、16mmの映写技師は本当に映写技師だ。8ミリのようにスピードを自由に選んだり、音楽やセリフを流すところもその時の気分だったり、あたかも映画を演奏するようにはいかない。
やはり自分で映写するには8mmでなければおもしろくないし、ぼくが映写する意味もない。いまではもっと映画を演奏したい気分でいっぱいで、ギターも少し弾けるようになったので、音楽も生演奏でやることにした。
自分でギターを弾きながら、8ミリと、16mmが少し混じったオリジナル版を映写していると、テープの音を出す箇所を間違えたり、テープを止め忘れたりする。以前だと、止めたり巻き戻したり、あるいはヘッドホーンでモニターをしながら必死になって合わせたりしていた。音を出す場所とか、フィルムのスピードとかは毎回微妙に異なるのだが、そんなふうにして手動同調によってある範囲よりは大幅に異ならないようにしていた。でもいまは、間違ったり、止め忘れたりしても、あまり慌てたりせず、そのまま次の切れ目まで見送ってしまっている。それはもっと毎回毎回、異なった完成の仕方をする『初国知所之天皇』を楽しむことができるようになったのだろうし、それ以上に、毎回毎回、音がズレたり、演奏が全然異なったりしながらも、スクリーンの上に確実に存在しているふわふわした魂みたいなものがはっきりと見えるようになったからに違いない。
『初国知所之天皇』を撮り終えてから3年になろうとしている。そして漸く新しい大作に取り掛かることができそうだ。
時間は決して直線に流れているのではない。その3年の時間のへだたりによって、また新しく撮り始めようとしていることによって、自分が3年前撮影していたとき、何をやろうとしていたのかが、ふっと後ろに纏い付いている影のような自分の姿がはっきり見えるような気がする。
『初国知所之天皇』は舗道に映ったぼくの影から始まる。そして延々とぼくの撮影した日本の風景と時折ぼくの姿が映し出され、そこに少々たどたどしく少々廻りくどいぼくのナレーションがかぶさり、それが時折は撮影しながらぼくが作った唄だったりする。それがオリジナル版では8時間・16mmリフレイン版では4時間も続くのだけれども、そのなかでぼくはずっと大切なことを、しかもそれだけの時間を必要とする大切なことを言い続けてきたのだろう。ふっと付き纏っている影というような漠然とした言い方しかできないが、ぼくはいまはっきりとそれを見ることができる。
オリジナル版で8時間、16mm版でも4時間もあれば、あまり窮屈でないところでゆっくりと、できれば寝っ転がって見れれば一番いいにきまっている。だから、いままでも上映する場所とか雰囲気に非常に気を使ってきた。でも、一方では、どんな場所であれ大勢の人に見てもらいたいと思う。たとえ同じ場所でも、どこの座席で見るかによって印象は異なるし、見る人のその時のコンディションによっても異なるのだから、上映する場所とか雰囲気に気を使いだしたらきりがない。だから、どんな場所でも見える人には見えることと、映画にそうした条件を超える力があることを信じるしかない。
そして、大勢の人に見てもらうには映画館ほど相応しい場所はない。8mmオリジナル版のライブ演奏による上映を始めたいま、それと並行して16mmリフレイン版がこれを機会に、どんどん映画館とか大きいところで上映されて、出来得る限り多くの人たちに見てもらえればうれしいと思う。



【おまけ】
2011-02-01
★『初国知所之天皇』が甦る              原 將人

1990年代の初頭の頃、私は来日したジョナス・メカスさんに初めてお目に掛かり新宿のナジャで指圧をして差し上げた。指圧が終わってからメカスさんが言った。「原クン、お礼にいいことを教へてあげやう。映画はアルタミラとラスコーの洞窟壁画から始まったんだよ」
燃え盛る焚き火の炎に、けふの感謝と明日の狩猟の願ひと祈りを受けて、うたとともに、揺れ動いてゐた、牛や手の洞窟壁画こそ映画の始まりだったのだ。20代で8ミリに出会ひ『初国知所之天皇』のライブ上映により、映画の始源を追ひ求めてきた私にとって、その言葉はまさに啓示だった。
現在は無い。有るのは過去と未来ばかりで、現在はその接点に過ぎないと言った哲学者がゐたが、ライブとは未来を過去にしていくその接点の軌跡だ。映画の撮影は未来を過去にしてゆく作業で、いはば記憶づくりだ。そして、上映は過去を未来に差し戻し、映画館といふ場所での集合的な記憶にしてゆく過程だ。20世紀に産業として成立した映画にはそれができなかったが、映画にはライブといふ形式こそ理想なのだ。願ひと祈りの場所の記憶の集積。映画は想起すべき過去を伴ってこそ、語り継がれる記憶となる。私がライブ上映にこだはる理由はそこにある。
しかし、1973年にライブ映画として一世を風靡した『初国知所之天皇』は、30数年の長きにわたってそれができなかった。今回それが復活するいきさつは次ぎのやうなものである。
30数年前私は火事に遭った。分厚いプラスチックの大きなリールに巻かれた『初国知所之天皇』のオリジナルの8ミリフィルムは、変型したリールとケースの殻に包まれて一塊の異物と化してゐた。幸いラボに置かれた、ブローアップした16ミリは無事だったので、その後の上映はすべて16ミリ版でまかなってきたが、私は異物と化していた8ミリの塊を自分の分身の遺骨のやうにして、引っ越す度にも捨てずに持ち歩いてきた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」と、無常感に浸るには、私は余りにも若過ぎたのだった。だが、皮肉なことに、2006年の富士フィルムの8ミリ製造中止のニュースによって、やうやく、この世の無常を思ひ知らされた。
私は意を決して一塊の異物となった『初国知所之天皇』のオリジナルフィルムをハンマーで割ってみた。なんと異物と化してゐたのはリールとケースばかりで、フィルムそのものは無事だった。巻頭部分の変形こそ痛々しかったが、それを過ぎるとほぼ30数年前と変はらぬ状態でプラスチックの殻に守られてゐたのだった。私はそのハイライト部分を『初国の旅』と名付け、それを中心にして3面マルチを組み『マテリアル&メモリーズ』といふライブ作品を編んだが、3年間のライブ上映を繰り返すうちに『マテリアル&メモリーズ』は増殖し、『初国の旅』が無くても成立するやうになった。
そして、キッドアイラックホールといふ1970年代の記憶を共有するのに最適な場所も見つかった。そんな折も折、宇波拓、テニスコーツを中心にした音楽サポートの申し出を受け、40年振りに『初国知所之天皇』のライブ上映が復活することになった。
アルタミラロとラスコーから始まった映画の記憶を甦らせたいと心から願ひ祈るばかりである

* * *

☆原 将人(正孝改め)
1950年(昭和25年)7月15年生まれ。東京都目黒区出身、
1968年(昭和43年)、高校在学中に映画『おかしさに彩られた悲しみのバラード』により第1回東京フィルム・アート・フェスティバルグランプリ、8mmATG賞を同時受賞した。
17歳の映画作家誕生ということで話題を投げた。昭和44年麻布高校卒業。
その後の作品には、「早川義男自己表現史」1970、「東京戦争戦後秘話・予告編」1970(脚本のみ。監督は大島渚)がある。
1973年(昭和48年)『初国知所之天皇』(はつくにしらすめらみこと)で8mm映画の新しい地平を開き、後進たちに勇気と希望を与え、数えきれないほどの作家、監督を輩出した。
1975年(昭和50年) 初国知所之天皇 リフレイン
1979年(昭和50年) ユリシーズの不思議な旅(ビデオ作品)
1980年(昭和54年) 初国知所之天皇 アゲイン
1982年(昭和57年) 人間・0歳の周辺
1983年(昭和58年) らいちょうのうた
1985年(昭和60年) C・W・ニコルの世界(テレビ番組)
1993年(平成5年) 百代の過客
1994年(平成6年) 初国知所之天皇 1994年版
1996年(平成8年) 101年目の映画へ(テレビ番組)
1997年(平成9年) 20世紀ノスタルジア(初の商業映画『20世紀ノスタルジア』で、第38回日本映画監督協会新人賞を受賞)
1997年(平成9年) ロードムービー家の夏(金子ともかず、小沼亮子との共同監督)
1999年(平成11年) 原発通信(はらはつうしん、ビデオ作品)
1999年(平成11年) 豊饒のバッハ
2002年(平成14年) MI・TA・RI!(第1回フランクフルト国際映画祭観客賞受賞)
2015年(平成27年) あなたにゐてほしい Soar

参加作品
薔薇の葬列(1969年)
東京战争戦後秘話(1970年)
オレンジロード急行(1978年)
急にたどりついてしまう(1995年)

著書
見たい映画のことだけを(有文社)
父と子の長い旅(フィルムアート社)
20世紀ノスタルジア(扶桑社)



【初国知所之天皇(はつくにしらすめらみこと)】
『初国知所之天皇』は、1973 年、当時23歳だった原將人(正孝)によって発表された。8ミリ+16ミリの作品で、『古事記』と『日本書紀』をベースにした北海道から鹿児島まで旅する 壮大なストーリであるとともに、神話的世界の国づくりが映画づくりに重なり、国家と個人が統合される。
1973年に同一スクリーンに8mmと16mmの2種類の映写機によって交互に映写していく上映方式によって公開され、大きな反響を呼んだインディーズ映画の傑作「初国知所之天皇」の1994年ニューバージョン。1971年、日本の神話〈古事記〉に材を取って撮影を始めた16mm劇映画「初国知所之天皇」は半ばにして挫折するが、翌年、原監督はひとりで8mmカメラを手にして撮影できなかった撮影予定地をまわる旅に出る。その映画を撮るという行為そのものを記録した、作家による作家自身の映画日記、映画についての映画が「初国知所之天皇」である。1973年上映時は6~7時間の上映時間であり、その後1975年には16mm作品として4時間5分バージョンが、また1980年には2面マルチ映像による2時間の再編集版が作られた。ニューバージョンは1975年版を2面マルチヴァージョンとして1時間48分に再編集したもので、1993年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に特別上映された。



# by sentence2307 | 2019-03-21 17:56 | 原将人 | Comments(0)

カメラを止めるな!

この作品「カメラを止めるな!」の存在を知ったのは、町山智浩がラジオで紹介していたのを、たまたま聴いたのが最初だったかもしれません。

それとも、新聞が報じていた記事
「公開当初は、たった2館のみで上映されたこの作品の観客動員数がものすごくて、上映館を一挙に100館超えで全国拡大した」

を読んだのが、あるいは最初だったのか、いまとなっては思い出すことができませんが、いずれにしても、従来なら、金に飽かした映画会社の誇大広告の猛烈な攻勢によって、作品そのものとは別の次元で空疎なイメージをでっちあげ、とにかく投資資金の回収だけはしなければと、必死になって集客をあおる詐欺まがいの営業戦略にすっかり慣れきってしまっている僕たちにとって(そこでは、提供された粗悪な作品を実際に見たあとでお約束どおり「あの映画、それほどでもなかったよ」とガッカリ失望することさえもセットになっていたくらいです)、しかし、この「カメラを止めるな!」は、ここ何年もついぞ経験したことのない、いや、あったとしてもすっかり忘れてしまったほどの時間が経過した、観客の側から盛り上がった鮮烈な「草の根的な現象」だったと思います。

あのとき、町山智浩は、たしか、映画の後半は「ネタばれ」になるから話せないとか言っていて、内容の詳細にわたる言及までは避けていました。

以後のネットの書き込みを注視していても、次第にこの作品の大まかな骨格は分かってきましたが、やはり「ネタばれ」は避けるという姿勢だけは貫かれているようでした。

そのたびに、いったい「ネタばれ」ってなんなんだという苛立ちが、自分のなかに積みあがっていくのを感じました。

以前、映画の惹句のひとつのスタイルとして、「この映画を見た人は、まだ見てない人に、映画の結末を絶対に話さないでください」というのがありました。

自分の記憶では、その惹句を最初に使った作品は、たしかヒッチコックの「サイコ」だったと思いますが、そもそも、映画「サイコ」が、最初から「犯人」を知ってしまったからといって、どうこういうタイプの作品なのかという苛立たしい疑問(まさかミステリー映画じゃあるまいし)がずっと自分の中にあり、収益をあげなければならない映画会社としては、謎解きを楽しむミステリー映画と宣伝したほうが分かりやすく売りやすいと考えたくらいのことは自分にも見当がつきましたが、しかし、ヒッチコックのあの傑出した作品「サイコ」を、なにも「犯人さがし」の映画にしなくたってという苦々しい思いは常にありました。その程度のことなら、なにもわざわざトリュフォーの見解を確かめるまでもありません。

この映画「カメラを止めるな!」にしても、ケチな「ネタばれ」なんかに気をとられるよりは、入れ子細工のように工夫を凝らしたアイデアの重層的な部分をもっと楽しめばいいと思います。

まあ、そんな感じで、すぐにも見てみたいと思ったものの、折あしくその時期がちょうどアカデミー賞選考の前哨戦で盛り上がっていた真っ最中でもあり、誰もがアカデミー賞に再び「メキシコの風」が吹きまくるのではないかという期待と噂でもちきりになっていたときなので、ついつい自分も「オスカー・レース」の追っ掛けに入れ込んでしまいました。

結論的には、アカデミー賞は、やはり「アメリカ・ファースト」でしたが、そうしたゴタゴタのなかでは映画「カメラを止めるな!」を見るまでの余裕がなく、そうこうしているうちに、ついに地上波の放映に先を越されてしまったというわけです。

しかしまあ、何だかんだいっても、どんな形ではあれ、とにかく映画は見さえすればそれでいいのですから、長い間見ることを先延ばしにしていた期待の作品を、こうしてようやく見ることができました。

しかし、いたずらな「先延ばし」が、功罪を伴うということは言えるかもしれません。確かに、その間に、聞かなくて済んだかもしれない(明らかにまともでない)多くの人の感想を「まともに」聞いてしまったということはありました。

例えば、そのなかには、聞き捨てできないような、こんなコメントもありました。

「この作品、キネ旬のベストテンには入らなかったんですよね。その程度の映画なんだなと思いました」と。

おいおいおい、ちょっと待てえや、あのな、ええか、ベストテンとか選ぶために雁首ならべているあの連中・選考委員とかいう奴らをよく見てみろや、な、ろくな奴いてへんやん、自認しているかどうかはともかく、彼らに課されている役割というのは、ただ「平均点」を出すこと、彼らの雑多な意見が均されて「平均」になるのではなくて、メジャー的な発想で最初から均された意見しか持ってない者たちを並び立てているのみと見るべきであって、映画「カメラを止めるな!」がキネ旬の何位にランクされたかなど、ここでは全然異次元の、問題とするにさえ値しない。ここで大事なことは、インディーズがメジャーを一瞬でもおびやかしたということがキモなんだよ。

このメジャーの大資本とインディペンデント映画が、互いを決して容認も理解もしなかったという事例なら、アメリカに恰好な記録があります。

1958年、ニューヨーク派の巨匠ジョン・カサヴェテスは、インディペンデント映画の傑作「アメリカの影」を撮ります。従来のハリウッドの描くニューヨークが、軽妙洒脱な華やかな「都会」を描いたのに対して、カサヴェテスは、当時タブー視されていた有色人種と白人の葛藤を暗く重厚なタッチで鮮烈に描いて、ニューヨーク派に深刻な衝撃と高い評価を得ていました。

シドニー・ルメットの「質屋」が撮られたのが1964年のことですから、その挑発的な先見性と戦闘性には実に驚くべきものがあったと思います。

当初、ジョナス・メカスも絶賛したひとりだったのですが、しかし、その「絶賛」は、すぐに「罵倒」に代わりました。

メカスが絶賛したのは、上映時間60分の16mmオリジナルヴァージョンの方で、罵倒の対象になった作品は、カサヴェテスが作品を分かり易くするために再編集した上映時間87分35mmブローアップ版で、こんなものは単なるハリウッドにおもねった「悪しきコマーシャル映画でしかなく、インディペンデント精神の放棄にすぎない」と腹立たし気に罵っています(メカスの映画日記20~23頁)。しかし、35mmブローアップ版しか知らない僕たちには、この檄文を複雑な思いで読むしかありませんが。

つまり、自分の言いたいことは、メジャーの大資本とインディペンデントがつくる映画には、理解し合えない溝があるのが当然で、インディペンデントでなければ表現しえないものがあることを自覚・自認すべきと考えた次第で、映画「カメラを止めるな!」がベスト・テンに入らなかったのは、むしろ当然だと思うくらいでいいのだと思います。

そこで、ちょっと前に出た「キネマ旬報」2月下旬号(ベスト・テン発表特別号)を引っ張り出しました。

実は、この号、自分的には「永久保存版」という位置づけで毎年買っているのですが、文字通り、ただ保存しておくだけで、買って以後開いたことがありません。そしていつの間に書棚から姿を消してしまいます。

以前ならデータ満載の資料として貴重な雑誌だったのでしょうが、ここに掲載されているくらいのことは、いまではインターネットで容易に検索できてしまいます、あえて見る箇所があるとすれば、11位以降のランキングを知りたいと思うときくらいかもしれません。

さっそく、映画「カメラを止めるな!」が、はたして何位にランクされているのか、確かめてみました。

ふむふむ、17位ですか、これだってすごいことですよ、まさに快挙といっていいくらいです。

そこで、選者たちが「カメラを止めるな!」を何位にランクし、またどう言及しているか、ピックアップしながら最初から読んでみました。

「素朴な映画愛のためらいのなさがいい」8位(内海陽子・映画評論家)
「映画館で感じた熱量もふくめて」10位(大久保清朗・映画評論家)
「2018年の映画界最大の話題は『カメラを止めるな!』現象でいいとして、それは実質的側面を代表する作品ということにはならない」10位(大高宏雄・映画ジャーナリスト)
「『カメラを止めるな!』も外れましたが、すでに十分すぎる評価ではないでしょうか。」ラン外(尾形敏朗・映画評論家)
「エンタテインメントとして楽しんだ」10位(川本三郎・批評家)
「上田慎一郎の『カメラを止めるな!』・・・など新人の挑戦に刺激を受けた」と名をあげながらも無視(金原由佳・映画ジャーナリスト)
7位にランクするもコメントなし(黒田邦雄・映画批評家)
「特記すべき長編初監督作として上田慎一郎の『カメラを止めるな!』・・・をあげておく」9位(轟夕起夫・映画評論家)
「『カメ止め』ブームが象徴しているように、衝動に駆られて製作した作品、撮ることの喜びと苦悩が溢れ出ていた作品が力を発揮していた。」といいながらランク外(中山治美・映画ジャーナリスト)
「どう考えても『カメラを止めるな!』以外のベスト・ワンは思いつかず、評判になってから『大したことはない』という声も聴きましたが、『大したこと、大あり』でしょ」1位(野村正昭・映画評論家)
「『カメラを止めるな!』・・・はすべて新人監督。」4位(平辻哲也・ジャーナリスト)
「平成最後のキネ旬ベスト・テンを象徴するかのようにジャパニーズドリームを見事に成し遂げた『カメラを止めるな!』に軍配を上げようと思っていたが・・・」2位(増當竜也・映画文筆)
「2018年の日本映画界を語るうえで欠かせない『カメラを止めるな!』は、自主映画に近い製作体制で作られたインディーズ映画。論壇だけでなく興行面においても圧倒的な熱を帯び、100年先に映画史を振り返る際にも時代の指標となるだろう。同時に、瀬々敬久や白石和彌などメジャー映画会社で実績ある監督も、自主映画に近い製作体制で作品を発表したことを忘れてはならない。いま日本映画界が考えるべき問題は此処に存在しているからだ。」といいながらランク外(松崎健夫・映画評論家)
10位にランクすれどもコメントなし、こういう二枚舌使う卑劣なヤカラがヤバイのだ(三留まゆみ・イラストレイター)
「興行的には『カメラを止めるな!』が話題を呼んだが、作品的には弱い印象がした。」興行的ってさあ、メジャーは「興行的に」狙っているのに当てられなかったわけだろ! そこを言ってんの、アホ。ランク外(村山匡一郎・映画評論家)
7位にランクすれどもコメントなし、7位(吉田伊知郎・映画評論家)
「前半は少し退屈な『カメラを止めるな!』だが、映画作りにはまだ一獲千金の夢があることを教えてくれたことへの感謝をこめて」10位(渡辺祥子・映画評論家)
5位にランクすれどもコメントなし、5位(渡辺武信・映画評論家)


こう読んできて、一応まともなのは、野村正昭、松崎健夫、渡辺祥子くらいで、あとの連中は、お仕事ほしさに大手資本の顔色をうかがってヨイショすることに窮々としているだけで、こんな愚劣な連中がもっともらしく採点しているわけですから、何位になろうと別に気にすることはありません。

ちなみに、この号の「日本映画採点表」のいちばん最後に載っている映画は、107位の「真っ赤な星」、そして、この作品を映画評論家・秋本鉄次という人が10位にランクし1ポイントを計上したことによって107位にランク・インさせて、ランキングの末端で攪乱を狙ったわけですが、これがそもそもどういう映画かというと、
≪国内外で注目を集める新鋭・井樫彩監督が、孤独を抱える14歳の少女と27歳の女性の愛の日々をつづったラブストーリー。田舎町の病院に入院した14歳の陽は、優しく接してくれる看護師の弥生に特別な感情を抱くが、退院の日、弥生が突然看護師を辞めたことを知る。1年後、陽は街中で偶然にも弥生と再会する。しかし彼女は現在、男たちに身体を売って生計を立てており、過去の優しい面影はすっかり消えていた。学校にも家にも居場所のない陽は、引き寄せられるように弥生に近づくが、弥生には誰にも言えない悲しい過去があった。孤独を抱える2人は、弥生のアパートで心の空白を埋める生活を送りはじめるが……。陽役を「みつこと宇宙こぶ」の小松未来、弥生役を「THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY リミット・オブ・スリーピング ビューティ」「娼年」の桜井ユキがそれぞれ演じた。≫
なのだそうです。

そして、この解説中にある同じ桜井ユキが出演した「娼年」も4位にランクして7ポイントを計上したことによって、「娼年」はみごと、54位にランクされました。54位になるためには、12ポイントというポイントが必要だったわけですから、この秋本氏の4ポイントがいかに効いたか、いかに寄与したかが、これだけで分かります。

桜井ユキの親戚か、あるいは単なるストーカーかもしれず、いずれにしても「万引き家族」「菊とギロチン」「きみの鳥はうたえる」「寝ても覚めても」をさしおいて、「真っ赤な星」と「娼年」などに投票してしまおうという不自然さには、いかにもイカガワシイ人には違いないという印象をぬぐえません、親戚かストーカーかと勘繰りたくもなるというのも当然です。

そういうひねくれた人たち(わたしは違います)が集まって選ぶベスト・テンです、なにもランク・インしなかったからといって少しも気にすることなんかありませんヨ。

でも「キネマ旬報 ベスト・テン特集号」をはじめて有効に活用できて嬉しいです。

この映画「カメラを止めるな!」は、ワンカットで映画を撮るという命題を与えられ、映画人が夢とプライドを呼び覚まされ、「映画」のために結束し、あらゆる困難を克服して映画を取り上げたという作品ですが、しかし、スポコンものとは違います。ワンカットで映画を撮りあげるということが、映画人のむかしからの夢だったからだと思います。
思いつくままに長回しで著名な監督名をあげると、

アスガル・ファルハーディー
アルフォンソ・キュアロン
アルフレッド・ヒッチコック
アレクサンドル・ソクーロフ
アンドレイ・タルコフスキー
ヴィム・ヴェンダース
オーソン・ウェルズ
カール・テオドア・ドライヤー
ギャスパー・ノエ
クエンティン・タランティーノ
ジム・ジャームッシュ
ジャ・ジャンクー
ジャック・リヴェット
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
ジャン=リュック・ゴダール
ジャン・ルノワール
ジョセフ・W・サルノ
スタンリー・キューブリック
相米慎二
タル・ベーラ
ツァイ・ミンリャン
デヴィッド・リンチ
テオ・アンゲロプロス
ブライアン・デ・パルマ
ポール・トーマス・アンダーソン
ホウ・シャオシェン
マーティン・スコセッシ
マックス・オフュルス
ミクローシュ・ヤンチョー
ミケランジェロ・アントニオーニ
溝口健二
三谷幸喜
ミヒャエル・ハネケ
ルキノ・ヴィスコンティ
ロバート・アルトマン

ということになり、あげてみればきりがなく、枚挙にいとまがないという感じです、例えば、演技の高揚を止切らせることを嫌った溝口健二は、細かいカット割りをせずに、カメラを据えっぱなしにして俳優の演技をじっくりと追いました。何十回もダメ出しされた俳優たちは、どのように演じればいいか分からなくなり、心理的にも体力的にも追い詰められて、ついにパニックになって冷静さを失い、無我夢中で逆上気味に愁嘆場を演じたとき(演ずることを超えたとき)、はじめて溝口健二からOKがでたといわれています。

反対に、小津監督は細かくカットを割ることによって、俳優には極力「演技」をさせませんでした。そもそも小津監督が俳優の演技というものを信用してなかったということはあったかもしれませんが、むしろ、無駄な動きを封じることでかもし出されるゆったりとした一連の動作と閉ざされた時間のなかに、日常生活を生きる人間の思いの深み(諦念とか失意とか)を表そうとしたのではないかと思います。

この映画「カメラを止めるな!」は、ワンカットで映画を撮るという映画人にとっての至上命題が、それまでダレていた現場に、「活動写真」の歴史的モラルを思い出させ、映画を撮るために一致結束することの歓びを描き得たのだと思いますし、そうでなければ、僕たちにこれほどの感銘を与えることはできなかっただろうと思います。


そうそう、この小文の最初に「この作品は、工夫をこらしたアイデアの重層的な部分をもっと楽しめばいい」と書きました。

アップされた多くのコメントのなかに、この「カメラを止めるな!」をトリュフォーの「アメリカの夜」のパクリだと断じた意見を読みましたが、それにはちょっと首をひねらざるを得ませんでした。

そのご仁が、映画製作の現場の舞台裏を見せるという意味において単なるメイキング・フィルムと印象したのだったとしたら、それは勘違いもはなはだしいと思います。

かつての「メイキング・フィルム」というのは、巨匠とよばれる大監督が、かっこよく撮影現場をテキパキと仕切ったり、主役級の俳優たちが、あれこれと演技に工夫を凝らす様子を写したもので、しかもトリュフォーの「アメリカの夜」にいたっては、それぞれに「映画の記憶」を呼び覚ますという幸福な思い出に耽溺できる品格をそなえてさえいたことを思うと(その「映画の記憶」の具体例については、wikiから拝借して、末尾に貼りつけておきました。)、映画「カメラを止めるな!」とは、似ても似つかないものというしかありません。

映画「カメラを止めるな!」は、監督不在(あるいは、ダレた監督なら、いなくとも十分やっていけるという皮肉)という現場で、スタッフのひとりひとりが自主的に動き、駆けずり回ることができたアナーキーなドキュメントであることで僕たちに感銘を与えることができたのだと思います。

つまり、この監督不在のメイキング・フィルム(「メイキング・フィルム」だったとしたら、ですが)は、「アメリカの夜」というよりも、むしろ、これまでの映画においてはフレームからはずれ、決して目にすることのなかった裏方の名もないスタッフたちが、ストーリーの導き手として跳梁する黒子のような姿をはじめて白日の下にさらして描き切ったという、かつてならあり得なかった画期的な場面を僕たちは初めて目にすることができ、そしてそのことに感銘を受けたのだとしたら、それはやはり「アメリカの夜」などではなくて、篠田正浩の「心中天網島」こそが相応しいかもしれないなと思いはじめた次第です。



【トリュフォーの「アメリカの夜」は、いかにして「映画の記憶」の夢を見たか?】
★タイトルの『アメリカの夜』(フランス語の原題「La Nuit américaine」の和訳)とは、カメラのレンズに暖色系の光を遮断するフィルターをかけて、夜のシーンを昼間に撮る「擬似夜景」のこと。モノクロ時代に開発されハリウッドから広まった撮影スタイルであるため、こう呼ばれた。英語では "day for night" と呼び、この映画の英語タイトルも「Day for Night」となっている。映画のカラー化により使えるシーンが減少し、機材やフィルムの感度が上がって夜間撮影が難しいものではなくなった現在では、この撮影方法はほとんど使われないことになっているが、丁寧に見ていればときどき見られる。
★映画のセットはワーナー・ブラザースの映画『シャイヨの伯爵夫人』(TheMadwomanofChaillot)に作られたものをそのまま使った。そのため9週間の撮影のために80万ドルという少なさで、しかもドル・ショックで実質的に72万ドルの価値しかなくなってしまった。
★日本初公開時のタイトルは『映画に愛をこめて アメリカの夜』だった。1988年のリバイバル公開から『フランソワ・トリュフォーのアメリカの夜』に変更されたが、近年発刊されているデータベース本などでも『映画に愛をこめて アメリカの夜』で記載されてある場合が多いようである。
★献辞で使われた映像は、D・W・グリフィス監督の『見えざる敵』。
★フェラン監督が見る、少年がステッキで『市民ケーン』のスチル写真を盗む夢は、トリュフォーの少年時代の体験。『大人は判ってくれない』でも少年がポスターを盗むシーンがある。
★フェラン監督は左耳に補聴器をつけているが、トリュフォーは補聴器をつけていない。だが、難聴であり、その理由もフェラン監督と同じである。
★フェラン監督が注文した本は、ブニュエル、ルビッチ、ドライヤー、ベルイマン、ゴダール、ヒッチコック、ホークス、ロッセリーニ、ブレッソン。
★冒頭でクレーン撮影を行うシーンがあるが、トリュフォー自身は大掛かりなクレーンは一度も使っていない。
★『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが男たちがドミノに夢中で気を引くために「誰か、あたしの背中をかいてくれない?」というセリフを言った時、口調があまりにも自然だったせいか、小道具係が本当に背中をかいてやったというハプニングがあった。そのとき映画作りの現場を映画にするというアイデアを思いついたのだという。
★猫が思い通りに動いてくれず、何度も撮影をやり直すシーンは『柔らかい肌』での体験。
★ノイローゼ気味の女優が「ブール・アン・モット」という特製のバターを要求してスタッフが慌てるシーンは、ジャンヌ・モローが『エヴァの匂い』で同じ要求をしたという実話から。女優のわがままを象徴するシーンとなった。
★「40本ほどの出演作品のなかで、12-13回は電気椅子にかけられ、刑務所生活は合計すると800年以上も送ったことになる」と語るアレクサンドルのモデルは悪役時代のハンフリー・ボガート。また、彼のモデルとしてジャン・コクトーもイメージされている。
★劇中劇のストーリーはニコラス・レイ監督とグロリア・グレアムの『孤独な場所で』撮影などの間に実際に起こった事件がモデル(劇中劇では男女を逆にしている)。
★フランス女優がセリフの代わりに数字を読み上げるというエピソードは、フェデリコ・フェリーニが『8 1/2』で使った手法。
★彼女のセリフ「昔は女優は女優、ヘアメイクはヘアメイクだったのに」は、ロベルト・ロッセリーニ時代のイングリッド・バーグマンがよくこぼしたという文句。
★ジャクリーン・ビセットをスタンリー・ドーネン監督の『いつも2人で』を初めて観て、使いたいと思って、彼女を念頭においてシナリオを書いていたので返事が遅かった時は本当に悲しかったという。彼女の人物は主に『華氏451』のジュリー・クリスティの思い出と、『恋のエチュード』の二人の姉妹のイメージが加わっている。
★セリフを覚えられない女優のモデルは晩年のマルティーヌ・キャロル。
★ヒロインの女優の告白をそのまま映画のセリフに転用してしまうエピソードは、『夜霧の恋人たち』で当時恋人だったカトリーヌ・ドヌーヴがトリュフォーに告白した言葉を『隣の女』でファニー・アルダン(彼女もトリュフォーとは恋人関係だった)のセリフにしてしまうことで現実のものとなった。これを見たドヌーヴもやはり「あきれたわ、みんな私のセリフじゃない!」と言ったという。トリュフォーには印象に残った言葉や体験をメモに書き留めて残しておく習慣がある。
★アントワーヌ・ドワネルものではないが、ジャン=ピエール・レオがアルフォンスという役名で出てきて「女は魔物か?」ほかの台詞も他の作品から意識的に引用されている。トリュフォーは引用することによって明確に終止符を打ったのだという。
★劇中劇のラストシーンで雪にしようというアイデアが出るところで、保険会社の代表で背の高いイギリス人が出てくるが、スクリーン・テストの時に「ヘンリー・グレアム」と名乗っていたが、途中から作家グレアム・グリーンだと分かる。ニースの別荘に招待してくれたが、ヒッチコックの評価をめぐって大論争になったという。名前を出さないこととスチル写真は撮らないことを条件に出てくれた。



(2017)監督・上田慎一郎、脚本・上田慎一郎、プロデューサー・市橋浩治、撮影・曽根剛、録音・古茂田耕吉、特殊造形・下畑和秀、メイク・下畑和秀、ヘアメイク・平林純子、衣装・ふくだみゆき、編集・上田慎一郎、音楽・永井カイル、主題歌・鈴木伸宏、伊藤翔磨、メインテーマ・鈴木伸宏、伊藤翔磨、助監督・中泉裕矢、吉田幸之助、制作・吉田幸之助、スチール・浅沼直也、アソシエイトプロデューサー・児玉健太郎、牟田浩二、
出演・濱津隆之(日暮隆之)、真魚(日暮真央)、しゅはまはるみ(日暮晴美)、長屋和彰(神谷和明)、細井学(細田学)、市原洋(山ノ内洋)、山崎俊太郎(山越俊助)、大澤真一郎(古沢真一郎)、竹原芳子(笹原芳子)、吉田美紀(吉野美紀)、合田純奈(栗原綾奈)、浅森咲希奈(松浦早希)、秋山ゆずき(松本逢花)、山口友和(谷口智和)、藤村拓矢(藤丸拓哉)、イワゴウサトシ(黒岡大吾)、高橋恭子(相田舞)、生見司織(温水栞)、



# by sentence2307 | 2019-03-16 14:14 | 上田慎一郎 | Comments(0)
自分の主たる関心事は映画なので、ブログに何かを書き込むというと、どうしても「そっち系」の記事になってしまいます。

ここ最近の書き込みを見ても、結果的には「アカデミー賞」関係の記事がズラズラっと並び、まるで映画賞の追っかけみたいな感じになっていますが、自分の生活実態にそくしていえば、決して「映画中毒」的な生活を送っているわけではありません。

クラシック音楽を聴くのも好きですし、ジャズも大好きです。むかしから生ギターで謳いあげる黒人ブルース(シカゴ・ブルース)とかが好きなので、以前はその系統のLPレコードを集めていて、そこでマディー・ウォーターズと出会い、そこからはごく自然にレオン・ラッセルとかローリング・ストーンズとか、無理なくエルトン・ジョンも受け入れることができました。

ビートルズがでてきた当初、同じイギリス出身ということもあってローリング・ストーンズと混同していた友人もいましたが、ローリング・ストーンズがシカゴ・ブルースの影響をモロに受けたアメリカ南部風のコテコテのロックンローラーであるのに対して、ビートルズは、クラシック音楽のテイストをもった純ヨーロッパ系の異色のグループだとすぐに見分けがついたことを覚えています。

そんな感じでつい最近までLPレコードを愛聴してきたのですが、ここ最近は、とくに聴くための装置がなくても、だいたいの音楽はyou tubeで気軽に聴けてしまうので、それに満足さえできれば、とくに聴くための立派な装置など必要としないし、そもそもLPレコード自体を保有する意味も失われてしまったような感じがしていました。

「物質」からその「必要性」がなくなってしまえば、あとに残るものといえば長い間保有してきたこと自体の「愛着」(むしろ、こちらの方が厄介な問題なのかもしれません)とどう折合いをつけるかだけの話ですが、自分を納得させられるメンタル手続きというか操作というか、その「愛着」の中に幾らかは占めているに違いない「物欲」を遠心分離器にかけて抜き取ってしまうという方法を試みてみました。

もしかしたら、「愛着」と「物欲」を取り違えているのかもしれませんし、さらに、「愛着」なんて「物欲」の錯覚で、むしろイコールなのかもしれないじゃないですか、それって大いにあり得ることだと思います、そこのところを確かめてみたいと考えて、ある方法を試みました。

しかし、なにもこんなふうに理屈っぽく考えなくたって、かさ張るLPレコードはそれなりの専用の保存場所を必要として、それでなくとも狭い空間に身を縮めて生活していかなければならない自分のような平凡な生活者にとっては、日常生活を狭めている物質の処理というものは切実な問題なのだという事実だけで、自分を納得させるのには十分な理由のはずなのですが。

その「ある方法」というのは、去年あたりからですが、徐々に近所のリサイクルショップへLPレコードを売り払い始めました。メンタルを納得させるための「荒療治」です。

そして、今年初頭にバスクラリネットのエリック・ドルフィーの名盤「アット・ザ・ファイヴ・スポット Vol.1」を最後に、ついにすべてのレコードの処分が完了しました。

この処分計画をする直前に、もし、手元から所有していた「物」がすべてなくなるという状態になったら、ものすごい空虚感に襲われるかもしれないと想像していたのですが、実際に最後の一枚を手放したときも、それほどの喪失感には見舞われませんでした。

たぶん、ひとつには、その買取り価格がものすごく安かったことにあったからかもしれません。

以前、LPレコードがまたブームになっているというニュースを聞いたことがありましたが、どこの世界の話だと思うくらいの惨憺たる「安値」でした。

その「安値」は、いまでは誰一人聴きもしないような時代遅れのレコードを後生大事に持ち続けていた自分の滑稽さを教えてくれました、それがひとつと、買取りの査定をした若い店員が、そのレコードを手に取って、同僚に「エリック・ドルフィーって、知ってるか」と聞いている無邪気な姿に、かえって救いを感じたのかもしれません、時代は移ろい、マイルス・デイヴィスもジョン・コルトレーンもアール・フッカーも「誰だ、それ?」と聞き返される時代に自分もそろそろ生きはじめているのだなということを実感した瞬間でした。

それから「読書」というのも、自分の生活習慣の重要な部分を占めています。

ただ、少し前と現在では、習慣としての自分の「読書スタイル」に大きな変化がありました。

これはなにも自分に課していた規制というほどのものではないのですが、以前は、一冊の本を完全に読了しない限り次の本を読むということが、性格的にどうしてもできませんでした。

しかし、一冊の本を読み切るためには、一本の映画を見るみたいに2時間やそこいらで済む話ではありません、ゆうに何日も何十日もかかる行為です。

村上春樹の「騎士団長殺し」1部・2部を読んだ時など、正直、1か月かかりました。

それでなくとも、むらっけの多い自分など、一冊の読書にかかりきりになっているその間、どうしても当初の緊張感がうすれ、次第に意識もはなれ、徐々に別の本に興味が移っていて、それがそのときの自分の正直な気持ちの実態なのに(それだって大切な「モチベーション」であることには違いありません)、それでも無理やり一冊の本の読書に自分を縛り付けていたということを繰り返してきました。

考えてみれば、これって、すごくおかしな話ですよね。しかし、かといって、そのとき読んでいた本を放棄して別の本に切り替えてしまったら、それこそ本末転倒の話になってしまいます。

そこで、こんなふうな方法を編み出しました、「複数冊・同時読書」です。

「あんた、そりゃあ邪道だわ。いわば読書の禁じ手」などと言われそうですが、しかし、この方法、自分にはピッタリと嵌まった実に功利的な方法でした。なにしろ、ダラダラ読むよりも、短い箇所を読むことになるので、よほど集中力が増しました、一行一行を集中して読み取ることができるようになりました。

そして、読むのに飽きたら、そのページのその行に付箋を貼っておいて、そのときその瞬間にいちばん読みたいと思っているまた別の本を手に取って読み始めます、「興味優先」のこの方法にはつまらない罪悪感すら入り込む余地などいささかもありません。

それは映画においても同じことだなと気が付きました。興味があるものを、そのときに、あるいは、その部分を集中して少しずつ見る・遅々として読む、というのが、もっとも理にかなった方法であることに気が付いたのでした。

まあ、これは自分だけの方法なのであって、あまり人様にはお薦めできませんが。

そうそう、「付箋」といえば、自分は、読書するときには、片手に付箋を持って読み始めます、以前は、鉛筆で傍線を引いていたのですが、読了後、見直すことを考えたら、付箋を貼るほうが、よほど効率的なのでそうしているのですが(当然、「傍線」の付箋と、「読みかけ」の付箋とは、色違いで区別しています)、前述した村上春樹の「騎士団長殺し」1部・2部のときも、「傍線」付箋を貼りながら読んだのですが、意外に付箋の数はほんのわずかしか貼られることはありませんでした。

たぶん、以前なら、多用される村上春樹独特の「それはまるで○○のような」に感銘を受けていたのに、いまではすっかりその言い回しに慣れてしまい、たぶん飽きてもしまっていて、あえてスマートだと思うこともなく、だから心を動かされることもそれほどではなくなってしまったからかもしれません。

それに、読んでいる最中は面白いと感じた言い回しも、それから何日か経った読了後に読み返してみると、どこが面白いと感じて付箋をつけたのだったかも、すっかり分からなくなってしまっている状態で、意味の失われた付箋をひとつずつ剥がしていった結果、残った付箋はたった一か所、「第2部 遷ろうメタファー編」528ページのこの部分だけでした。


「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない」と私は言った。「でも少くとも何かを信じることはできる」


しかし、これだって、時が経てば、なんでこんな言葉に感銘したのだったか、前後の脈絡を失っていく過程で、いつしか貼り付けた付箋の意味さえ分からなくなってしまうに違いありません。しかし、これはなにもネガティブな意味で言っているのではありません。いままさに読んでいるという読書の瞬間のダイナミズムを損なうものではいささかもないことを言いたかったのです。



# by sentence2307 | 2019-03-10 10:28 | 村上春樹 | Comments(0)

「赤ひげ」と「北浜駅」

木曜日の朝、BS放送の番組表を見ていたら、昼に黒澤監督の「赤ひげ」、夜には「新・鉄道・絶景の旅 北海道道東の旅」という2時間枠の旅番組を放送することを知り、いずれも楽しみにしていたのですが、朝一番に出かけた税務署での確定申告がスムーズにいかず、昼過ぎまでずれ込んでしまったために、結局、楽しみにしていた「赤ひげ」の一部を見逃してしまいました。

もちろん、この作品、初見というわけではありませんが、優れた作品というものは、鮮明に残っているはずの印象を、改めて木っ端みじんに打ち砕くほどのパワーを持っていることを幾度も経験しているので、その「パワー」に再び身をゆだねたくて、再見、再々見と、繰り返し見ることを楽しみにしている作品「赤ひげ」だったのですが、今回の場合は、感動を「更新する」というわけにはいきませんでした。

この作品を「見る」側の受け手たる自分のそのときの状態(心的低迷とか衰弱とか)ということも、もちろんありますが。

しかし、「貧困はすべての人間を歪める。それは行政が悪いからだ」というこの作品の主たるテーマは、残念ながら、この作品自体を随所で矮小化させ、「怒れる赤ひげ」本人を単にエエカッコウシイの薄っぺらなカッコマンにしただけのような気がします。

「貧困がすべての人間を歪める」などという素直な哲学なら、いまさら教えてもらわなくとも、いつの時代においても、ごく当たり前のことにすぎず、それまでの黒澤作品には、そういう歪んだ人間たちが炸裂させるさらなる瞬発力が描かれていたことを知っている僕たちは、こうした「赤ひげ」の描かれ方は、黒澤明という傑出した才能の衰弱と後退という惨憺たる印象(これなら単なる「前提」を描いたにすぎません)を一層与えることになったのかもしれません。

自分的には最近、早島大祐の「徳政令」(講談社現代新書2018)という本を読んでいたこともあって、それが多少影響していたのかもしれません。この本の副題は「なぜ借金を返さなければならないのか」、このキャッチフレーズからして知的イメージをくすぐられ、本論もまた傑出した論考という感想を持ちました。

世の中から理不尽な扱い=虐待を受け、あるいは貧困に追いつめられ、社会から見捨てられた弱者がさらに病んで、救いのないその最期のイマワノキワに恨み言ひとつ言うのでもなく、いままさに息を引き取ろうという不運な人々に焦点をあてた怒りのモチーフは大いに理解できますが、しかし、そのもうひとつ先に、黒澤明なら、また別の世界を見せてくれるのではないかという期待が停滞し、裏切られたこの作品に対する失意と、そして悔いとが、自分の中にあったのだと思います。

たぶん、以前に「衝撃」と受け止めたかもしれないこの作品の、細部にこだわった重厚な描写と演技者たちの大仰な演技の数々も、この視点から見れば、その騒擾のカオスを簡潔にまとめるだけの掌握力を欠いた黒澤明の戸惑いによる放置によって、ただ冗長で無意味なだけの引き延ばしがもたらされたものと感じたとしても、その直感は、あながち誤りではなかったように思いました。

これは晩年の黒澤作品に顕著にみられる特徴でさえあることは、周知の事実です。

今回、この作品を見た正直な感想は、「なにも、こんなに長い映画である必要があるのか」というものでした。

またいつか、この作品「赤ひげ」にめぐり会うことがあれば、こんどはどんな顔を見せてくれるのか、いまから楽しみです。

というわけで、不完全な形でしか見ることのできなかった「赤ひげ」だったので、今日の視聴予定番組として2番目にチェックをしていた旅番組「新・鉄道・絶景の旅 北海道道東の旅」の方は、なおさら見逃すまいと思ったかもしれません。サブタイトルは、「冬景色と大自然を満喫」となっています。

平昌オリンピック以来、なんだかカーリングづいている自分は(とくに「女子」にですが)、最近「オホーツク」とか「道東」というワードに出会うと敏感に反応してしまい、その「道東」とつく番組があれば、どうしても見てしまいます。

番組は、釧路駅を出発して知床半島、網走から北見、留辺蘂駅(この町の意外な賑やかさには驚きました)まで、釧網本線から石北本線にかかる旅を列車を乗っておこなうというものでした。

摩周湖に寄り、知床半島では流氷歩きをし、止別でホテルに宿泊し、北浜駅では駅レストランでランチをとり、網走で下車してまた食事をし、北見(とはいっても、実は、さらに常呂町の「カーリング場」まで車でいくのですから、相応の時間を要したと思います)でカーリングに興じ・・・とこの旅は延々と続いていきます、その間、幾度もホテルに宿泊して豪華な食事と贅沢な温泉につかっている場面もありました、自分はあまりにもぼんやりと見過ごしてしまったので、食事回数とか宿泊回数をうっかりしてカウントしなかったのですが、これっていったい何泊の旅行だったのだと突然の疑問に捉われてしまいました。

だって、それでなくともですよ、北海道といえば特急列車優先で、各駅停車など特急が走るスキマ時間を遠慮がちに縫うようにしてかろうじて走っているという継子扱いの状態ですから、それこそ特急が止まらない駅で下車などしてしまったら、次の電車がまたいつ止まってくれるのか、時刻表を見て愕然とし、寒風が容赦なく吹き込む駅舎で寒さに凍え、命の危険さえも感じて辛抱強く待つくらいなら、いっそのことその地で宿泊してしまった方がよほど賢明な選択と思うくらいなのに、この番組では、マイナーな各駅停車駅にも丹念に下車していました(と、感じました)、はたしてこの旅番組の旅行日数がどのくらいのものなのか、番組の最後に突然の疑問がわいてきたというわけです。

実はこの北浜駅には、若干の予備知識がありました、3月3日の読売新聞の日曜版にこの駅のことが紹介されていて(髙山文彦「せつない鉄路を巡る旅」)記憶に残っていたので、古い新聞の束から当の新聞を引っ張り出して確認しました。そしてことさらに記憶に残っていたかといえば、その見出しが印象的だったからだと思います。

そこにはこう書かれていました、「孤独感とは別のさびしさ」。改めて読むと、いい年をしてこんなバレバレの見出しに反応してしまったなんて、ちょっと気恥ずかしい気もしますが。

そして、全国の無人駅を紹介しているこの記事をあらためて読むと、「北浜駅」に言及している部分はほんの数行でした、期待していたぶん、ちょっと拍子抜けです。

そこには、こう書かれていました。

「網走の北浜駅は、目の前がオホーツク海。初雪がどっさりと降った日で大小の鮭が遡上していた。」

この一文を読んだとき、この駅が単に「無人駅」にすぎないのに、自分の記憶のなかに刻まれた時には、なぜかいつのまにか「秘境駅」にすり替わって覚え込んでしまったのだと思います。

番組でも紹介されていたとおり「北浜駅」は、無人駅であっても秘境駅なんかじゃありません。駅舎には立派なレストランもあって、さらにオホーツク海を一望のもとに見渡せる展望台さえ備えている立派な駅です。

あえて秘境駅というなら、女満別空港にもっとも近い駅、「西女満別駅」の方が相応しいだろうなと思いながら、この道東の列車旅の番組を見た次第です。



# by sentence2307 | 2019-03-09 10:34 | 黒澤明 | Comments(0)
ここにきてアメリカのアカデミー賞も日本のアカデミー賞もやっと終わって、ようやく落ち着いた気分になりました。

なんだか、これでアンタの「アカデミー賞」ネタも尽きただろうと言われそうですけれども、負け惜しみではありませんが、自分としては、それほど「アカデミー賞」に熱く入れ込んでいたわけではありません。

だって、いままでアップした小文を見てもらえば、お判りになるかと思いますが、その駄文のどれにも「アカデミー賞・愛」が感じられるようなものなど、ひとつもありません。

結局は、アメリカの作品賞や監督賞がどう決まろうと、それは単なる海のかなたの「情報」にすぎず、自分にとっては、これから遅れてやってくるであろう映画を見るうえでの予備知識というか参考程度のものですし、日本アカデミー賞について書いた小文に至っては、配偶者の名を借りた誹謗中傷でしかありません、よくまあ、あそこまで書けたものだとわれながら感心します。

自分が楽しみにしているのは、ほかのところにあります。

このお祭りみたいな「アカデミー賞受賞作品月間」の期間には、各局や映画関連サイトで、華やかに「アカデミー賞受賞作品特集」をぶち上げて古典的名作を放映するので、ここ何年ものあいだ、それを物凄く楽しみにしています。

今年などは、gyaoで「キネマ旬報ベスト10入賞作品特集」というものまでありました。

しかし逆に、放映する作品の種類も本数も多すぎて、毎日できるだけ見るようにしてはいるものの、それでも追いつかず、たとえその作品群のなかで感銘を受けた作品に出会ったとしても、そこで立ち止まって感想をまとめるなどということは到底不可能、まるでカツオの大群のように押し寄せてくる名作群を次々と捌くようにして見ていくだけで精一杯という状況です、考えてみればこれもずいぶん贅沢な話です。

自分は、cs放送以外では、おもにwowowのオンデマンドか同時配信を利用して映画を見ているのですが、正直、wowowでは、ごく最近の新作をおもに放映するというスタンスのために、少し前に見た映画を控えたメモには、惨憺たる作品がラインアップされています。

自分は、10本見たあとで、それを一括りとして自分なりのベスト10(便宜上)をつけて綴り込みに保存しています。

そのときのベスト10は、こんな感じでした。


1、静かなる叫び(2009)ドニ・ヴィルヌーヴ監督
2、愛を綴る女(2016)ニコール・ガルシア監督
3、レッド・スパロー(2018)フランシス・ローレンス監督
4、ビョンド・ザ・スピード(2017)ミヒャエル・ロスカム監督
5、ユダヤ人を救った動物園(2017)ニキ・カーロ監督
6、犯人は生首に訊け(2017)イ・スヨン監督
7、パリ、憎しみという名の罠(2017)オリヴィエ・マルシャン監督
8、ありふれた悪事(2017)キム・ボンファン監督
9、殺人者の記憶法・新しい記憶(2017)ウォン・シニョン監督
10、15時17分、パリ行き(2018)クリント・イーストウッド監督
あまりにもひどすぎて登録抹消、あゝ荒野・上ばかりでなく下も


このなかで例外は、10位のクリント・イーストウッド作品で、「ミリオンダラー・ベイビー」のような痛切な作品を撮る監督が、こんなものを撮るのかと、期待して見た分だけ、その凡庸さにはものすごいショックを受けました。

このすぐ後で、「アカデミー賞受賞作品特集」において「ミリオンダラー・ベイビー」を見ただけに、なおさらその思いを強くしたかもしれません。

これなどは、期待していたのに失望させられたというケースですが、期待してなかったのに意外に良かったという作品は、1~3の作品くらいでした。

この程度の作品にわざわざ「ベスト10」などつける必要があるのかと、いままで持続してきた自分の習慣が疑わしく無意味に思えてきて、一瞬、揺らいだかもしれません。

その後、すぐに「アカデミー賞名作月間」が始まりました、たぶん、そのスタートはwowowで放映した黒澤明の「生きる」あたりだったと思います。

とにかく本数が多いので、箇条書きにせずズラズラっと書いてみますね。


神々のたそがれ、フレンチ・コネクション、ローズマリーの赤ちゃん、ペコロスの母に会いに行く、川の底からこんにちは、黒衣の刺客、バース・オブ・ネイション、わが谷は緑なりき、荒野の決闘、ストーカー、飢餓海峡、ショーシャンクの空に、たそがれ酒場、バウンド、菊豆、血槍富士、エルELLE、おみおくりの作法、仮面/ペルソナ、花様年華、さらば、わが愛/覇王別姫、吸血鬼(カール・ドライヤー)、フェリーニのアマルコルド、赤い風車、ミッドナイト・エクスプレス、怒りの葡萄、レッズ、ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日、ヘルプ~心がつなぐストーリー、アフリカの女王、ゴッドファーザー、ゴッドファーザーpart2、ゴッドファーザーpart3、ミリオンダラー・ベイビー、アルゴ、君の名前で僕を呼んで(そのとなりに、モーリスとアナザーカントリーと御法度がありましたが)、第17捕虜収容所、8 1/2、アメリカ アメリカ、本日休診、君はひとりじゃない、バリー・リンドン、


などなど、こんな感じです、この怒涛のような名作群に優劣をつけるなど、しょせん無理・無謀な話なのですが、しかし、上記のヘタレな作品のベスト10を考えるのに比べたら、よほど楽しい作業になることは間違いありません。



# by sentence2307 | 2019-03-04 18:50 | アカデミー賞 | Comments(2)
確定申告に必要な書類がまだ全部そろわず、どうしようかとぐずぐず悩んでいる朝、狂気のように納豆をかき回すかたわら横目で新聞をのぞき込んでいたわが配偶者が、食卓の向こうから話しかけてきました。

「ねえねえ、アカデミー賞って、まだやっていたっけ。だってほら、これ」

と自分に向けられた小さな記事には、「日本アカデミー賞」との見出しが小さく記されていました。

この手の記事の扱いの「小ささ」に対する衝撃は、最近も幾度か経験していて、いまではもうすっかり慣れてしまいました、紀平梨花の世界大会6連勝(ひとむかし前なら驚異的な快挙です)とか、カーリングの日本選手権の記事(五輪メダリストが敗退したのにです)とか。世間の冷たさとメディアの節操のなさなんて、いまさらどうこう言うほどの話ではありませんが。

「これはね」と、ここは小さな子供を諭すように、一度大きく息を吸いこんでから、配偶者の顔のなかに揶揄や冷笑や悪意がないかを一応確かめます、毎年、この時期になると繰り返されるお約束の冷ややかな会話が待っていることを覚悟はしてますが。

案の定、目の前には、自分の答えを意地悪そうな薄ら笑いを浮かべて待っている配偶者の狡猾そうな顔があります。まるでコワモテのサラ金の取り立てを前にして弁解しなければならないような強迫感に圧し潰されそうな気分です。

「これはね、日本アカデミー賞っていうのね」

「へえ~、日本のやつもこんなにすぐやってしまうものなんだ、そんなアカデミー賞なら、『グリーンブック』や『ROME/ローマ』でもなんでも押しのけて、アメリカでもらいなさいよ、だわよねえ。これじゃ負け犬の遠吠えどころか、恥の上塗りじゃない、まだ何日も経っていないっていうのにさ、なに考えてるんだこいつら」

ほら、また始まった、映画のことなんか、これっぽっちの興味も関心もないわが配偶者にまで、こんなさんざんな言われ方されてるじゃないですか。しかも、毎年ですよ、これって。そのつど、日本映画界の擁護者として弁解にアイ努めなければならない自分の身にもなってくださいよ、たまったもんじゃありませんから。

とにかく、この名称だけでも、なんか独自性のあるものに変えたほうがいいですよ、これじゃあまるで朝貢の品選びに悩む卑屈な属国根性丸出しの敗者復活戦じゃないですか。いえいえ、これはわたしが言ってるわけでも創作したわけでもなくて、みずからの発言に責任というものを一切持とうとしないわが配偶者が言ったことなのですからご理解を願いたく存じあげます。

しかし、この日頃の鬱憤晴らしに日本アカデミー賞をやり玉にあげて怒りの咆哮をぶちまけて狂気のように激するわが配偶者の凄惨なご尊顔を拝謁しているうちに、ある思い出がよみがえってきました。

もう10年以上まえの話になりますが、sonyのビデオカメラを買ったことがあります。この言い方、少し言い回しが変かもしれませんが、「買いました」ではニュアンスとしては真意を伝えるにはとても弱くて、むしろ、興味があって買ったけれども、使いこなせずにすぐに飽きて、興味が他に逸れたという意味合いを込めるには「買ったことがある」とするのがベストと判断しました。

たぶん、ビデオカメラを買うなんてことは普通のことで、取り立てて買った理由など、ことさらに説明するほどのことでもないでしょうし、また、そのことについて誰からも詮索されたわけでもありませんが、実は、自分だけの秘密の動機というのがありました、このことはいままで誰にも話したことがありません。

「じゃあなにかい、エスカレーターとかでの盗撮目的に使うとか?」などと言われそうですが、いえいえ、そんなんじゃありません、信じてください。興味はありますが、決してやったことはありませんので、ホントです。

実は、その当時、たぶん「ぴあ」とかの主催で、一般から募集する短編映画(上映時間は、ほんの数分のものです)のコンクールをやっていて、応募作品はおもにビデオ作品で、その入選作品の特集をたまたま「日本映画専門チャンネル」で見たのですが、そのなかの1本にとても感心(というよりも、むしろ感動)した作品がありました、「もの凄く」と最上級の言葉で飾っても一向に差し支えありません、なにしろいまだ鮮明に記憶しているくらいですから。

薄れた記憶をたどって内容を書いてみますが、なにせ確認してないままの記憶なので、どこまで信憑性があるか自信がありません、内容そのものが間違っているとか、他の作品と交錯して覚えてしまっているという可能性は大いにありますので、その辺は、あらかじめご寛容いただかなければなりません。

内容というのは、「水戸黄門」と「ゴジラ」がミックスされたようなストーリーで、ご存知・黄門さまが例のトリオで旅をしていると目の前に突然ゴジラが現れ、びっくりするというだけのフィルムだったと思います。

なにせ上映時間が、おそらくほんの数分の短編なので、もちろん複雑なストーリーとかはなく、この4人のキャラクター(水戸黄門、助さん、角さん、そしてゴジラ)をTシャツ・ジーパンのフツーの兄ちゃん(製作者だと思います)がひとりで、そのまま、なんの扮装もなしにそれぞれを表情だけで巧みに演じ分けるという、実に驚くべき作品でした。

まあ、いってみれば一人芝居を普段着の上半身だけで演じたものなのですが、それぞれのリアルな表情の演じ分けにはすこぶる驚愕した記憶があります。

まず、ゴジラです、グロテスクな姿に生まれついてしまったわが身の、その醜さを課した神を呪うかのように天に向かって咆哮する哀しみの慟哭が物凄く真に迫っていました。

朝の食卓で、日本アカデミー賞を呪う配偶者の怒りの表情が、まさに「これ」だったのです、やれやれ。

そのとき受けた衝撃がどれほどのものだったかは、思わず自分をビデオカメラを買うために電機量販店へ走らせたことでもお察しいただけるかと思います。

この方法なら(据えっぱなしのカメラとTシャツ・ジーパン、そして想像力ひとつでOK)自分ひとりでも映画を撮れるのではないかと考えたのだと思います。

それこそ「市民ケーン」だって「怒りの葡萄」だって「さらば、わが愛/覇王別姫」だって撮ることは不可能じゃないと。

しかし、いざカメラを手にしたとき、その不可能を思い知りました。

目の前には、カメラもTシャツもジーパンもあるのに、ただ「想像力を具現化する表情と演技」だけがない、この「ない」がいかに決定的なことか、ビデオで自撮りした自分の顔は見るに堪えない醜さで、これを他人に見せるのかと考えただけで吐きそうになりました。
いや~、演技者の偉大さをこのときほど痛感したことはありませんでした。

わが配偶者は、あんなふうに言ってますが、たとえ世界がすべてあなたのことを冷笑し、揶揄し、馬鹿にし、見放し、敵になったとしても、このわたしこそはあなたの味方です。味方じゃないわけがありません。

いまでこそ愚劣な学園ものしか撮れないとしても、かつての日本映画の栄光を知っている自分こそは力強い最後の友人と思っていただいて結構です。まさにラスト・ユアフレンド・フォーエヴァーなのであります、同じですが。

あっ、配偶者が見回りにやってきましたので、寝たふりしてやりすごしますから、今日はこのへんで失礼します。

(小声で)「永久に栄えあれ、日本アカデミー賞!!」 バンザ~イとかなんとか。

やれやれ



# by sentence2307 | 2019-03-02 11:13 | アカデミー賞 | Comments(0)
今朝のmsnのホームページに「世界の名作ベスト100」という記事がアップされていました。この手の記事があると、「またか」という思いも勿論ありますが、ついつい見入ってしまうというのも事実です、そのまま見ないでいると、結局は、あとあとまでもそれが気になって尾を引くということになるので、ここは「きっぱり、見る」というのが自分にとっての正解ということになります。

しかし、世の中には、それこそ、いろいろの団体、あるいは個々人がそれぞれの「世界の名作ベスト100」を持っているので、ひとつには、その多様性と個性をどこまで楽しむことができるかということに掛かってくると思うのですが、ここにある問題が発生します。

例えば、第1位「市民ケーン」、第2位に「東京物語」を選ぶという通念とか良識?というものがある一方で、当然、意表を突くような個性的な第1位もあるわけで、スタンリー・キューブリックが選ぶ第1位なら、その意外性に驚き、さすがキューブリックだ、なるほどなと個性に感心し、楽しむということもできるのでしょうが、今回msnにアップされた「米映画批評サイトが選んだ『不朽の名作』ベスト100」というタイトルの記事で、出典は「英語圏の映画ファンの間で人気の高い批評サイト/データベースのロッテントマトRotten Tomatoe」なのだそうです。

そういえば、ここのところ、msnのホームページに「オズの魔法使」のジュリー・ガーランドのスチール写真がやたらにアップされていたのは、このことかと思い当たりました。

まあ、「いろいろの団体、あるいは個々人がそれぞれ自分なりの『世界の名作ベスト100」を持ってもいい』わけなのですから、なんでもありは当然なのでしょうが、しかし、ざっと見たところ、このベスト100、黒澤明が4本入っているのに、いまどきのベスト100にはめずらしく小津監督の作品がどこにも見当たりません。

そこでこの「ロッテントマトRotten Tomatoe」がどういった批評サイトだか知りませんが、ちょっとこの小津監督作品を欠落させたベスト100位というものが如何なるものか、分析したくなりました。

分析プランとしては、まず、ベスト100位の作品を掲げ、次に、そこに掲げられた作品が、その監督にとって最良な作品と言えるのか、をチェックするとともに、選ばれなかった監督の最良の作品をあげて比較してみようと考えました。

(注)表中「RT評価〇〇%」と記載されている意味が分かりませんが、ただ「90%」が「100%」よりも先んじて表示されているところを見ると、一定の水準を満たしている予備選考の通過した作品と理解しました。


【米映画批評サイトが選んだ「不朽の名作」ベスト100】

1位:『オズの魔法使』(1939年)RT評価:98%
監督:ヴィクター・フレミング 出演:ジュディ・ガーランド、フランク・モーガン、レイ・ボルジャー

2位:『市民ケーン』(1941年)RT評価:100%
監督:オーソン・ウェルズ 出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ドロシー・カミンゴア

3位:『第三の男』(1949年)RT評価:99%
監督:キャロル・リード 出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ、トレヴァー・ハワード

4位:『カリガリ博士』(1920年)RT評価:100%
監督:ローベルト・ヴィーネ 出演:ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、フリードリッヒ・フェーエル

5位:『メトロポリス』(1927年)RT評価:99%
監督:フリッツ・ラング 出演:ブリギッテ・ヘルム、アルフレート・アーベル、グスタフ・フレーリッヒ

6位:『イヴの総て』(1950年)RT評価:100%
監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ 出演:ベティ・デイヴィス、アン・バクスター、ジョージ・サンダース

7位:『或る夜の出来事』(1934年)RT評価:98%
監督:フランク・キャプラ  出演:クラーク・ゲーブル、クローデット・コルベール、ウォルター・コノリー

8位:『モダン・タイムス』(1936年)RT評価:100%
監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード、ヘンリー・バーグマン

9位:『カサブランカ』(1942年)RT評価:97%
監督:マイケル・カーティス 出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード

10位:『大いなる幻影』 (1937年)RT評価:97%
監督:ジャン・ルノワール 出演:ジャン・ギャバン、ディタ・パルロ、ピエール・フレネー

11位:『雨に唄えば』 (1952年)RT評価:100%
監督:スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー 出演:ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー

12位:『サイコ』 (1960年)RT評価:97%
監督:アルフレッド・ヒッチコック出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズ

13位:『ローラ殺人事件』 (1944年)RT評価:100%
監督:オットー・プレミンジャー 出演:ジーン・ティアニー、ダナ・アンドリュース、クリフトン・ウェッブ

14位:『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (1964年)RT評価:98%
監督:リチャード・レスター 出演:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター

15位:『白雪姫』 (1937年)RT評価:98%
監督:デイヴィッド・ハンド、ウィルフレッド・ジャクソン、ラリー・モリー、パース・ピアース、ベン・シャープスティーン、ウィリアム・コトレル 声の出演:アドリアナ・カセロッティ、ハリー・ストックウェル、ルシル・ラ・ヴァーン

16位:『キングコング』 (1933年)RT評価:98%
監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック 出演:フェイ・レイ、ブルース・キャボット、ロバート・アームストロング

17位:『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (1922年)RT評価:97%
監督:F・W・ムルナウ 出演:マックス・シュレック、グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム、アレクサンダー・グラナック

18位:『ロビンフッドの冒険』 (1938年)RT評価:100%
監督:マイケル・カーティス、ウィリアム・ケイリー 出演:エロール・フリン、イアン・ハンター、オリビア・デ・ハバランド

19位:『サンセット大通り』 (1950年)RT評価:98%
監督:ビリー・ワイルダー 出演:ウィリアム・ホールデン、グロリア・スワンソン、エリッヒ・V・シュトロハイム

20位:『反撥』 (1965年)RT評価:100%
監督:ロマン・ポランスキ 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、イアン・ヘンドリー、ジョン・フレイザー

21位:『北北西に進路を取れ』(1959年)RT評価:99%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ケーリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン

22位:『裏窓』 (1954年)RT評価:100%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・ステュアート、グレース・ケリー、ウェンデル・コーリイ

23位:『フランケンシュタインの花嫁』 (1935年)RT評価:100%
監督:ジェイムズ・ホエール 出演:ボリス・カーロフ、コリン・クライヴ、エルザ・ランチェスター

24位:『フィラデルフィア物語』 (1940年)RT評価:100%
監督:ジョージ・キューカー 出演:キャサリン・ヘプバーン、ケーリー・グラント、ジェームズ・スチュワート

25位:『黒い罠』 (1958年)RT評価:96%
監督:オーソン・ウェルズ 出演:チャールトン・ヘストン、ジャネット・リー、オーソン・ウェルズ

26位:『七人の侍』 (1954年)RT評価:100%
監督:黒澤明 出演:三船敏郎、志村喬、津島恵子ほか

27位:『西部戦線異状なし』 (1930年)RT評価:100%
監督:ルイス・マイルストン 出演:リュー・エアーズ、ルイス・ウォルハイム、ジョン・レイ

28位:『十二人の怒れる男』 (1957年)RT評価:100%
監督:シドニー・ルメット 出演:ヘンリー・フォンダ、マーティン・バルサム、リー・J・コッブ

29位:『めまい』 (1958年)RT評価:96%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・ステュアート、キム・ノヴァク、バーバラ・ベル・ゲデス

30位:『大人は判ってくれない』 (1959年)RT評価:100%
監督:フランソワ・トリュフォー 出演:ジャン=ピエール・レオ、アルベール・レミー、クレール・モーリエ

31位:『黄金』 (1948年)RT評価:100%
監督:ジョン・ヒューストン 出演:ハンフリー・ボガート、ウォルター・ヒューストン、ウォルター・ヒューストン

32位:『博士の異常な愛情』 (1964年)RT評価:99%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット、スターリング・ヘイドン

33位:『レベッカ』 (1940年)RT評価:100%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演: ローレンス・オリヴィエ、ジョーン・フォンテイン、 ジョージ・サンダース

34位:『欲望という名の電車』 (1951年)RT評価:98%
監督:エリア・カザン 出演:ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド、 キム・ハンター

35位:『アラビアのロレンス』 (1962年)RT評価:98%
監督:デヴィッド・リーン 出演:ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、アレック・ギネス、アンソニー・クイン

36位:『ローズマリーの赤ちゃん』 (1968年)RT評価:99%
監督:ロマン・ポランスキー 出演:ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス、ルース・ゴードン

37位:『フランケンシュタイン』 (1931年)RT評価:100%
監督:ジェイムズ・ホエール 出演:コリン・クライヴ、メイ・クラーク、ジョン・ボリス

38位:『羅生門』 (1950年)RT評価:98%
監督:黒澤明 出演:三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬

39位:『波止場』(1954年)RT評価:98%
監督:エリア・カザン 出演:マーロン・ブランド、カール・マルデン、リー・J・コッブ

40位:『怒りの葡萄』 (1940年)RT評価:100%
監督:ジョン・フォード 出演:ヘンリー・フォンダ、ジェーン・ダーウェル、ジョン・キャラダイン

41位:『三つ数えろ』 (1946年)RT評価:97%
監督:ハワード・ホークス 出演:ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール、ジョン・リッジリー

42位:『ローマの休日』 (1953年)RT評価:98%
監督:ウィリアム・ワイラー 出演:グレゴリー・ペック、オードリー・ヘップバーン、エディ・アルバート

43位:『ラスト・ショー』 (1971年)RT評価:100%
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ 出演:ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパード

44位:『バルカン超特急』 (1938年)RT評価:98%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:マーガレット・ロックウッド、マイケル・レッドグレイヴ、ポール・ルーカス

45位:『暴力脱獄』 (1967年)RT評価:100%
監督:スチュアート・ローゼンバーグ 出演:ポール・ニューマン、ポール・ニューマン、 ストローザー・マーティン

46位:『山猫』 (1963年)RT評価:100%
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ、ジュリアーノ・ジェンマ

47位:『戦艦ポチョムキン』 (1925年)RT評価:100%
監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン 出演:アレクサンドル・アントノフ、ウラジミール・バルスキー、G・アレクサンドロフ

48位:『捜索者』 (1956年)RT評価:100%
監督:ジョン・フォード 出演:ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター、ナタリー・ウッド

49位:『チャイナタウン』 (1974年)RT評価:98%
監督:ロマン・ポランスキー 出演:ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン

50位:『或る殺人』 (1959年)RT評価:100%
監督:オットー・プレミンジャー 出演:ジェームズ・ステュアート、リー・レミック、ベン・ギャザラ

51位:『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』 (1956年)RT評価:98%
監督:ドン・シーゲル 出演:ケヴィン・マッカーシー、ダナ・ウィンター、ラリー・ゲイツ

52位:『巴里のアメリカ人』 (1951年)RT評価:95%
監督:ヴィンセント・ミネリ 出演:ジーン・ケリー、レスリー・キャロン、オスカー・レヴァント

53位:『風と共に去りぬ』 (1939年)RT評価:92%
監督:ヴィクター・フレミング 出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、トーマス・ミッチェル

54位:『黄金狂時代』 (1925年)RT評価:100%
監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、マック・スウェイン、トム・マレイ

55位:『三十九夜』 (1935年)RT評価:96%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ロバート・ドーナット、マデリーン・キャロル、ルーシー・マンハイム

56位:『リオ・ブラボー』 (1959年)RT評価:100%
監督:ハワード・ホークス 出演:ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン、リッキー・ネルソン

57位:『成功の甘き香り』 (1957年)RT評価:98%
監督:アレクサンダー・マッケンドリック 出演:バート・ランカスター、トニー・カーティス、スーザン・ハリソン

58位:『生きるべきか死ぬべきか』 (1942年)RT評価:98%
監督:エルンスト・ルビッチ 出演:キャロル・ロンバード、ジャック・ベニー、ロバート・スタック

59位:『赤い靴』 (1948年)RT評価:96%
監督:マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー 出演:モイラ・シアラー、アントン・ウォルブルック、マリウス・ゴーリング

60位:『メリー・ポピンズ』 (1964年)RT評価:100%
監督:ロバート・スティーヴンソン 出演:ジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイク、デヴィッド・トムリンソン

61位:『アフリカの女王』 (1951年)RT評価:98%
監督:ジョン・ヒューストン 出演:キャサリン・ヘプバーン、ハンフリー・ボガート

62位:『街の灯』 (1931年)RT評価:98%
監督:チャールズ・チャップリン 出演:チャールズ・チャップリン、ヴァージニア・チェリル、フローレンス・リー

63位:『2001年宇宙の旅』 (1968年)RT評価:93%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:キア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター

64位:『三十四丁目の奇蹟』 (1947年)RT評価:96%
監督:ジョージ・シートン 出演:モーリン・オハラ、ジョン・ペイン、エドマンド・グウェン、ナタリー・ウッド

65位:『ヒズ・ガール・フライデー』 (1940年)RT評価:98%
監督:ハワード・ホークス 出演:ケーリー・グラント、ロザリンド・ラッセル、ラルフ・ベラミー

66位:『素晴らしき哉、人生!』 (1946年)RT評価:93%
監督:フランク・キャプラ 出演:ジェームズ・ステュアート、メアリー・ハッチ、ライオネル・バリモア

67位:『フレンチ・コネクション』 (1971年)RT評価:98%
監督:ウィリアム・フリードキン 出演:ジーン・ハックマン、ロイ・シャイダー、フェルナンド・レイ

68位:『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』 (1968年)RT評価:97%
監督:ジョージ・A・ロメロ 出演:デュアン・ジョーンズ、ジュディス・オーディア、カール・ハードマン

69位:『裁かるるジャンヌ』 (1928年)RT評価:98%
監督:カール・テオドール・ドライヤー 出演:ルネ・ファルコネッティ、ウジェーヌ・シルヴァン、モーリス・シュッツ

70位:『地獄の逃避行』 (1973年)RT評価:98%
監督:テレンス・マリック 出演:マーティン・シーン、シシー・スペイセク、ウォーレン・オーツ

71位:『蜘蛛巣城』 (1957年)RT評価:98%
監督:黒澤明 出演:三船敏郎、志村喬、山田五十鈴ほか

72位:『紳士は金髪がお好き』 (1953年)RT評価:98%
監督:ハワード・ホークス 出演:ジェーン・ラッセル、マリリン・モンロー、チャールズ・コバーン

73位:『影なき狙撃者』 (1962年)RT評価:98%
監督:ジョン・フランケンハイマー 出演:フランク・シナトラ、ローレンス・ハーヴェイ、ジャネット・リー


74位:『フリークス』 (1932年)RT評価:94%
監督:トッド・ブラウニング 出演:ウォーレス・フォード、リーラ・ハイアムス、オルガ・バクラノヴァ

75位:『國民の創生』 (1915年)RT評価:98%
監督:D・W・グリフィス 出演:リリアン・ギッシュ、メエ・マーシュ、ヘンリー・B・ウォルソール

76位:『禁断の惑星』 (1956年)RT評価:98%
監督:フレッド・マクラウド・ウィルコックス 出演:ウォルター・ピジョン、アン・フランシス、レスリー・ニールセン

77位:『スパルタカス』 (1960年)RT評価:96%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:カーク・ダグラス、ローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ

78位:『007 ゴールドフィンガー』 (1964年)RT評価:97%
監督:ガイ・ハミルトン 出演:ショーン・コネリー、ゲルト・フレーベ、オナー・ブラックマン

79位:『我等の生涯の最良の年』 (1946年)RT評価:96%
監督:ウィリアム・ワイラー 出演:マーナ・ロイ、フレドリック・マーチ、ダナ・アンドリュース

80位:『101匹わんちゃん』 (1961年)RT評価:98%
監督:ウォルフガング・ライザーマン、ハミルトン・ラスク、クライド・ジェロニミ 声の出演:ロッド・テイラー、J・パット・オマリー、ベティ・ルー・ガーソン

81位:『赤ちゃん教育』 (1938年)RT評価:95%
監督:ハワード・ホークス 出演:キャサリン・ヘプバーン、ケーリー・グラント

82位:『突撃』 (1957年)RT評価:95%
監督:スタンリー・キューブリック 出演:カーク・ダグラス、ラルフ・ミーカー、アドルフ・マンジュウ

83位:『お熱いのがお好き』 (1959年)RT評価:96%
監督:ビリー・ワイルダー 出演:マリリン・モンロー、ジャック・レモン、トニー・カーティス

84位:『我輩はカモである』 (1933年)RT評価:94%
監督:レオ・マッケリー 出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス

85位:『ファンタジア』 (1940年)RT評価:96%
監督:ベン・シャープスティーン 演奏:レオポルド・ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団

86位:『サンライズ』 (1927年)RT評価:98%
監督:F・W・ムルナウ 出演:ジョージ・オブライエン、ジャネット・ゲイナー、マーガレット・リビングストン

87位:『乱』 (1985年)RT評価:96%
監督:黒澤明 出演:仲代達矢、寺尾聰、隆大介、根津甚八

88位:『地球の静止する日』 (1951年)RT評価:94%
監督:ロバート・ワイズ 出演:マイケル・レニー、パトリシア・ニール、ヒュー・マーロウ

89位:『荒野の用心棒』 (1964年)RT評価:98%
監督:セルジオ・レオーネ 出演:クリント・イーストウッド、マリアンネ・コッホ、ジャン・マリア・ヴォロンテ

90位:『血を吸うカメラ』(1960年)RT評価:96%
監督:マイケル・パウエル 出演:カールハインツ・ベーム、アンナ・マッシー、モイラ・シアラー

91位:『理由なき反抗』(1955年)RT評価:96%
監督:ニコラス・レイ 出演:ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、サル・ミネオ、デニス・ホッパー

92位:『アパートの鍵貸します』(1960年)RT評価:94%
監督:ビリー・ワイルダー 出演:ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン、フレッド・マクマレイ

93位:『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(2001年)RT評価:95%
監督:ピーター・ジャクソン 出演:イライジャ・ウッド、イアン・マッケラン、ヴィゴ・モーテンセン

94位:『鳥』(1963年)RT評価:96%
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ロッド・テイラー、ティッピ・ヘドレン、ジェシカ・タンディ、スザンヌ・プレシェット

95位:『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)RT評価:98%
監督:ジャック・ドゥミ 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアック、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス

96位:『カッコーの巣の上で』(1975年)RT評価:94%
監督:ミロス・フォアマン 出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、ブラッド・ドゥーリフ

97位:『007 ドクター・ノオ』(1962年)RT評価:96%
監督:テレンス・ヤング 出演:ショーン・コネリー、ウルスラ・アンドレス、ジョセフ・ワイズマン

98位:『戦場にかける橋』(1957年)RT評価:94%
監督:デヴィッド・リーン 出演:ウィリアム・ホールデン、アレック・ギネス、早川雪洲

99位:『007 ロシアより愛をこめて』(1963年)RT評価:96%
監督:テレンス・ヤング 出演:ショーン・コネリー、ダニエラ・ビアンキ、ロッテ・レーニャ

100位:『ミーン・ストリート』 (1973年)RT評価:96%
監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル、デヴィッド・キャラダイン


ということなのですが、ちょっと整理しますね。

とりあえず複数本アップされている監督から見ていくと、なんといってもダントツは、ヒッチコックの8作品です、12位に「サイコ」、21位「北北西に進路を取れ」、22位「裏窓」、29位「めまい」、33位「レベッカ」、44位「バルカン超特急」、54位「三十九夜」、94位「鳥」とアップされています。

順位はともかく、このラインアップを見ていると、なんだか物足りない気持ちになってきました。だって「汚名」も「疑惑の影」も「見知らぬ乗客」も「私は告白する」も「海外特派員」も欠けているじゃないですか。

「サイコ」「裏窓」「めまい」は、まあ残すとしても、あとの作品は、「汚名」「疑惑の影」「見知らぬ乗客」「私は告白する」と差し替えたほうがいいような気がします。

1934年から撮られた伝説の4作品にそれほどごだわらなくともいいのではないかと。

つぎは、ハワード・ホークス作品が5本あげられています。41位「三つ数えろ」、56位「リオ・ブラボー」、65位「ヒズ・ガール・フライデー」、72位「紳士は金髪がお好き」、81位「赤ちゃん教育」ですね。

ここだけの話ですが、自分は中学生になるまで、「赤い河」と「リオ・ブラボー」は、ジョン・フォード作品だとずっと思い込んで見ていたのですが、だんだんその違いが分かるにつれて、ジョン・フォード作品の抒情性と深い郷愁とを理解しはじめたとともに、職人ハワード・ホークスの男っぽくてセクシーな作品がたまらなく好きになりました。

ホークスが育て女優たち、キャロル・ロンバート、リタ・ヘイワーズ(「ショーシャンクの空に」では思わず笑ってしまいました)、バージニア・メイヨ、ジョーン・コリンズ、そしてマリリン・モンロー、そういえば、ビリー・ワイルダーの演出するモンローよりも、ハワード・ホークスの作り出すモンロー像の方がはるかにピュアなお色気と可愛らしさが際立っていたように感じました。しかし、やはり「暗黒街の顔役」と「ハタリ!」が欠けているとなるとハワード・ホークスを語り切ることはできないように思います。

つづいて黒澤明の4本、26位「七人の侍」、38位「羅生門」、71位「蜘蛛巣城」、87位「乱」ですね。ほかの巨匠がほぼ2本ずつですので、黒澤作品が4本も入ればそれで十分ですが、「七人の侍」が26位とは、ずいぶん見くびられたものだと思います。

念のために、もう一度、1位~25位にランクされた作品をおさらいしときますと・・・

1位:『オズの魔法使』(1939年)
2位:『市民ケーン』(1941年)
3位:『第三の男』(1949年)
4位:『カリガリ博士』(1920年)
5位:『メトロポリス』(1927年)
6位:『イヴの総て』(1950年)
7位:『或る夜の出来事』(1934年)
8位:『モダン・タイムス』(1936年)
9位:『カサブランカ』(1942年)
10位:『大いなる幻影』 (1937年)
11位:『雨に唄えば』 (1952年)
12位:『サイコ』 (1960年)
13位:『ローラ殺人事件』 (1944年)
14位:『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (1964年)
15位:『白雪姫』 (1937年)
16位:『キングコング』 (1933年)
17位:『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (1922年)
18位:『ロビンフッドの冒険』 (1938年)
19位:『サンセット大通り』 (1950年)
20位:『反撥』 (1965年)
21位:『北北西に進路を取れ』(1959年)
22位:『裏窓』 (1954年)
23位:『フランケンシュタインの花嫁』 (1935年)
24位:『フィラデルフィア物語』 (1940年)
25位:『黒い罠』 (1958年)

となるのですが、果たしてこれらの作品のいったいどれが、「七人の侍」を上回る作品といえるでしょうか、考えてみなくとも、おのずから答えは明らかです。

こんなヘタレなランキングなど相手にするのも片腹痛いわ、バカヤロー(いま、ちゃぶ台をひっくり返したところです)

なわけなのですから、もうこれ以上なにをかいわんやです、小津監督作品の不在など怒る気にもなれません。もう一回、国際連盟脱退!

とはいっても、まあ、ついでなので、残りの分だけでも表示しておきますね。せっかく調べたので・・・

スタンリーキューブリックの4本、32位「博士の異常な愛情」、63位「2001年宇宙の旅」、77位「スパルタカス」、82位「突撃」
ビリー・ワイルダーの3本、19位「サンセット大通り」、83位「お熱いのがお好き」、92位「アパートの鍵貸します」
ヴィクター・フレミングが、1位「オズの魔法使」、53位「風と共に去りぬ」
ウィリアム・ワイラーは、42位「ローマの休日」、79位「我等の生涯の最良の年」
エリア・カザンの34位「欲望という名の電車」、39位「波止場」
オーソン・ウェルズの2位「市民ケーン」、25位「黒い罠」
オットー・プレミンジャーの13位「ローラ殺人事件」、50位「或る殺人」
ジェイムズ・ホエールの23位「フランケンシュタインの花嫁」、37位「フランケンシュタイン」
ジョン・ヒューストンの31位「黄金」、61位「アフリカの女王」
ジョンフォードの40位「怒りの葡萄」、48位「捜索者」
チャールズ・チャップリンの54位「黄金狂時代」、62位「街の灯」
デヴィッド・リーンの35位「アラビアのロレンス」、98位「戦場にかける橋」
テレンス・ヤングの97位「007 ドクター・ノオ」99位「007 ロシアより愛をこめて」
フランク・キャプラの7位「或る夜の出来事」、66位「素晴らしき哉、人生!」
マイケル・カーティスの9位「カサブランカ」、18位「ロビンフッドの冒険」
マイケル・パウエルの59位「赤い靴」、90位「血を吸うカメラ」
F・W・ムルナウの17位「吸血鬼ノスフェラトゥ」、86位「サンライズ」
ロマン・ポランスキーの20位「反撥」、36位「ローズマリーの赤ちゃん」、49位「チャイナタウン」



# by sentence2307 | 2019-03-01 20:50 | 映画 | Comments(0)
アカデミー賞授賞式から2日もたつと、記事も画像も動画もどんどん削除されてしまうみたいで、昨日は確かにあったはずのお目当ての画像が、今日にはいくら探しても見つからないなんてことが、だんだん増えていく感じがします。

放送当日、wowowで授賞式の生中継を見るために、番組表にあるとおりの時間、午前8時30分にテレビのスイッチを入れたところ、映し出されたのはノミネートされた関係者がドルビー・シアターのレッドカーペットをぞろぞろ歩く画面ばかりで、この感じじゃ実際の「授賞式」なんていうのは、もっとずっと後のことなのだなと、すぐに察することができました。実際の授賞式は日本時間の午前10時からだったみたいですね。

以前の自分なら、こんな間抜けな引き延ばしにのんびり付き合ってはいられないと、実質的な授賞式がはじまるまで、さっさと違うチャンネルに替えてしまうところですが、現地のインタビュアー(すみれと男性アナウンサー)がなかなか「話題の人」をつかまえられずに、「あ~あ、いっちゃった」みたいな右往左往がなんだかとてもおもしろく、結局、最後まで付き合ってしまいました。

そうしたなか、やはりインタビューには成功しなかったのですが、遠景でエマ・ストーンの姿をとらえた場面があったので、なおさら目を離せなくなってしまったのかもしれません。

彼女、芸の幅は広いし、しかも、千変万化する(ふるいねえ~)あの微妙な表情が、とにかくすごいです。

少し前にジョン・ヒューストン監督の「アフリカの女王」を放映していたので見たのですが、キャサリン・ヘップバーンの繊細な演技を見ていて、現代に比肩できる女優がいるとすれば、やはり、エマ・ストーン以外にはいないだろうなという気がしました、というのは言い過ぎです。

「アフリカの女王」のキャサリン・ヘップバーン(ローズ)は、牧師の兄と一緒にアフリカのジャングルの奥地で布教活動をしています。
彼女自身、いつの間にか自分が婚期を逸してしまったことを密かに自覚してはいるものの、神に仕える聖なる仕事に従事していることを心の拠り所にしているので現実からどうにか目を逸らすことができていたのですが、ドイツ軍の突然の侵攻で教会を焼かれ今日にもこの土地から追い立てられるというとき、兄の口から心無い辛辣なひと言(それがなんという言葉だったのか、控えるのを忘れてしまいました)を言われ、「自分は、なんのために今まで頑張ってきたのだ」という落胆と虚脱と孤独感にさいなまれます、このときのヘップバーンの繊細な演技がすごかったのです。
そうした心情を引きずったまま、顔なじみの船長ハンフリー・ボガード(チャーリー)の「アフリカの女王号」に同乗し、ドイツ軍から逃れて河下りの逃避行を続けるなか、ひょんな事件(敵砦からの襲撃をかわし、激流から脱出する)の成功で思わず抱き合って喜び合い心をかよい合わせますが、そのふたりの近づきざまが、面倒くさい駆け引きをしたり、わざと焦らしたりなどというつまらないテクニックを弄することなく、一直線に気持ちを通じさせるその素直な描写にはたまらなく心をうたれました。

ここに描かれているチャーリーは、決して女性が好むような好男子でも清潔な男でもありません、しかし、ぼくたち観客は、少し前のシーンで、ローズは、自分が無駄に婚期を逸してしまったことを悔い、その落胆と虚脱と孤独感のなかでチャーリーと出会ったことを十分に分かっているので、この男女の急接近の描写が微笑ましいまでの自然な成り行きであることを理解できるのだと思います。

現代においては、「婚期を逸する」ことの言い訳として「社会参加」や「自立」をあげるまでもなく、その理由付けなら幾らでもあって、まさか「男性から選ばれない」ことを苦にしたり自責したりするなど、そんな卑屈な心情のありかたは、男女が対等なこの時代にあっては、とんでもないネガティブなことで、口にするのも憚られるというかんじでしょうか。

しかし、男に対する「対等」と「慢心」を得たかわりに、このヘップバーンのような「素直さ」を失うことが、「社会参加」や「自立」することの答えなのか、ちょっと考えさせられる映画でした。

遠景でとらえたエマ・ストーンの話から少し脱線してしまいましたが、その「遠景」という場所が、(この場所でみなポーズをとっています)どうもアカデミー賞授賞式のために特注して作らせたドレスを見せびらかすところらしいのです。

しかし、それにしても、エマ・ストーンのその宇宙服はなんだよ、と言いたくなるような服でした、以前、パフィーが着てなかったっけ、それ!! という感じです。

オレでもできるこんなろくでもないドレスを考えたデザイナーってのはいったい誰なんだと検索してみたら、ルイ・ヴィトンだそうです。へえ~、そうなの! カバン屋に服なんか作らしちゃあ、だめだよ、という感じでしょうか。

最近、エマは金回りがいいから、やつにボラれたんじゃないの、そんな気がします。

誰か教えてあげてください、「スタートレック」の衣装さんに聞いてみなって。その手の服ならきっと倉庫に腐るほどあるから。


以下は、今回、レッドカーペットで俳優が着ていたドレスのデザイナーたちです。

★アトリエ・ヴェルサーチ(エイミー・アダムス、キキ・レイン、コンスタンス・ウー)
★アルベルタ・フェレッティ(エイミー・ポーラー)
★アレクサンダー・マックイーン(レディー・ガガ)
★イヴ・サン・ローラン(ラミ・マレック)
★ヴァレンティノ(ジョーダン・ピール、ジェンマ・チャン、フランシス・マクドーマンド)
★ヴェラ・ワン(ティナ・フェイ)
★エトロ(デヴィッド・オイェロウォ、ステファン・ジェームズ)
★エリー・サーブ(ジェニファー・ハドソン、ジュリア・ロバーツ、ミシェル・ヨー)
★エルザ・スキャパレリ(リンダ・カーデリーニ、ヘレン・ミレン)
★エルメネジルド・ゼニア(マハーシャラ・アリ、ハヴィエル・バルデム、マイク・マイヤーズ、タイラー・ペリー)
★オスカー・デ・ラ・レンタ(レジーナ・キング)
★カール・ラガーフェルド(ジェイソン・モモア)
★カナーリ(ポール・ラッド)
★キャロライナ・ヘレナ(グレン・クローズ)
★クリスチャン・シリアノ(オクタヴィア・スペンサー)
★クリスチャン・ディオール(シャーリズ・セロン、レティーシャ・ライト)
★サルヴァトーレ・フェラガモ(クリス・エヴァンス)
★ジヴァンシー(アダム・ランバート、レイチェル・ワイズ、チャドウィック・ボウズマン)
★シャネル(テッサ・トンプソン)
★ジャンバティスタ・ヴァリ(ケイシー・マスグレイヴス、マヤ・ルドルフ)
★ジョルジオ・アルマーニ・プリヴェ(セリーナ・ウィリアムス、ベン・ハーディ、ブライアン・タイリー・ヘンリー、サミュエル・L・ジャクソン、グウィリム・リー、サム・ロックウェル)
★セリーヌ(ブリー・ラーソン)
★ディースクエアード(アウクワフィナ、ジョセフ・マゼロ)
★ディオール・オム(ニコラス・ホルト、ヴィゴ・モーテンセン、アダム・ドライヴァー)
★トム・フォード(ジェニファー・ロペス、ジョー・アルウィン、ブラッドリー・クーパー、ダニエル・クレイグ、キーガン=マイケル・キー、マイケル・B・ジョーダン)
★トム・ブラウン(エルシー・フィッシャー、ウィンストン・デューク)
★パメラ・ローランド(アリソン・ジャニー)
★パル・ジレリ(ジョン・モラニー)
★バルマン(エミリア・クラーク)
★プラダ(オリヴィア・コールマン、アルフォンソ・キュアロン、ウィレム・デフォー、ジェームズ・マカヴォイ)
★ブランドン・マックスウェル(メリッサ・マッカーシー、サラ・ポールソン)
★ブリオーニ(クリスチャン・ベール、アレン・リーチ)
★ブルネロ・クチネリ(リチャード・E・グラント、ディエゴ・ルナ)
★ブロック・コレクション(ダナイ・グリラ)
★マーク・ジェイコブス(ベット・ミドラー)
★マイケル・コステロ(クイーン・ラティファ)
★ミュウ・ミュウ(アマンドラ・ステンバーグ)
★J・メンゼル(マリナ・デ・タヴィラ)
★ラルフ・ローレン(ヘンリー・ゴールディング)
★リーム・アクラ(アンジェラ・バセット、クリステン・リッター)
★ロダルテ(ヤリーツァ・アパリシオ、ルーシー・ボイントン、ローラ・ダーン)



# by sentence2307 | 2019-02-27 18:47 | アカデミー賞 | Comments(0)
いつもアカデミー賞授賞式直前にはサイトめぐりをして受賞作品の予想を立て(正確には、ヒト様の予想の幾つかを集計して、ということになりますが)受賞結果と照らし合わせながら楽しんでいました、今回もそのように自分なりの「予想表」を準備してwowowの授賞式の実況放送を見たのですが、例年なら、結果が分かってしまえば「予想」など顧みることもなくうち捨てて、当然、思い出すこともありませんでした。

しかし、今年の場合は、事前予想をあれこれと、かなり入れ込んで読んだこともあって、その実際の「結果」との乖離にはちょっとした戸惑いを感じています。

その最大なものは、いざフタを開けてみたら、ピーター・ファレリー監督「グリーンブック」の意外な評価だったかもしれません。

だって、事前予想を読んだ限りでは、なんといってもアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」への評価がダントツで、このままいったら監督賞のみならず、作品賞と最優秀主演女優賞・助演女優賞だって総なめにするのではないかという勢いだったのに、実際には、受賞したのは「監督賞」のみで、アカデミー賞の頂点といわれる「作品賞」は、いかにもハリウッド映画らしい人種的融和を無骨なおとぎ話のように描いた「グリーンブック」が獲得しました、そうした印象を総合すると、ハリウッドの映画人と組合はキュアロン監督とそのNetflix作品に監督賞と外国語映画賞の名誉称号だけ与えておいて、実際のところは、この傑出したメキシコ人監督をその「勢い」とともに「脇に封じ込めた」という印象を強く持ちました。

同じような印象を持ったもうひとりは名優グレン・クローズ、そして、大いに期待されていた日本人監督の2作品「万引き家族」と「未来のミライ」が受賞を逃した理由も、同じ論理が働いたのではないかとチラっと考えたりしたくらいです。

ハリウッド映画を愛し、そして守りつづけるアカデミー会員は、「未来のミライ」ではなく「スパイダーマン:スパイダーバース」を選び、そして「万引き家族」ではなく「ROMA/ローマ」を選んだのだと。

msnのホームページには、「アカデミー賞でまた人種論争、『グリーンブック』作品賞に批判」という見出しで、アカデミーが「グリーンブック」に作品賞を与えたことについて以下のような記事が掲載されていました。

≪【AFP=時事】24日に授賞式が行われた今年の米アカデミー賞(AcademyAwards)では、マイノリティーの候補が相次いで受賞を果たした一方で、黒人の市民権をテーマにしたドラマ映画『グリーンブック(Green Book)』の作品賞受賞が物議を醸し、多様性をたたえるアカデミー賞のメッセージに影を落としている。
 ピーター・ファレリー(Peter Farrelly)監督が手掛けた『グリーンブック』は、1960年代の米国で意外な友情を育んだ同性愛者の黒人ピアニストとイタリア系運転手の実話に基づいた作品だが、一部からは人種問題について「ホワイトスプレイニング」(白人が偉そうに説教すること)する映画だとの批判が上がり、ソーシャルメディアをにぎわせている。
 同作の作品賞受賞が発表されると、ベテラン映画監督のスパイク・リー(Spike Lee)氏は会場を一時退出。さらにその後、過去にもみられたようなお粗末な選択だとの見解を示唆した。
 リー監督は1990年、高い評価を受けていた自身の作品『ドゥ・ザ・ライト・シング(Do the Right Thing)』がノミネートさえ逃した一方で、人種問題に対する無神経さが広く批判されていた『ドライビング Miss デイジー(Driving Miss Daisy)』が作品賞を受賞し、ショックを受けた過去がある。
 それから約30年後となる今年、リー監督は『ブラック・クランズマン(BlacKkKlansman)』で作品賞にノミネートされていたが、再び人種問題がテーマかつ車内シーンが多い映画に賞を奪われた形となり、憤慨した様子をみせた。
 リー監督は競争の激しい脚色部門で受賞したものの、舞台裏では「運が悪いな。誰かが誰かを車に乗せると、私は必ず負ける」と冗談交じりに語り、作品賞について不満を隠さなかった。
『グリーンブック』ではまた、アフリカ系米国人のマハーシャラ・アリ(Mahershala Ali)が助演男優賞を獲得。アリは2年前、イスラム教徒として初めて演技部門でオスカーを受賞している。
 本作は世界で計1億4000万ドル(約155億円)以上の興行収入を上げる人気を博した一方で、公開後は論争も巻き起こしてきた。アリが演じたピアニストの故ドン・シャーリー(Don Shirley)氏の遺族は同作を「うその交響曲」と非難。他にも、同作はおなじみの「白人救世主映画」の一つだと批判する声が上がっている。
 今年のアカデミー賞は、表面上は期待通りの多様性を見せた。俳優陣の大半がアフリカ系の大作アメコミ映画『ブラックパンサー(Black Panther)』が3つの賞を獲得したほか、演技部門4賞のうち3つで黒人やエジプト系1世の米国人が受賞。『ブラックパンサー』では、オスカー史上初めてアフリカ系女性が衣装デザイン賞と美術賞を受賞した。
◇「不愉快なほど鈍感」
 しかし映画評論家のリチャード・ブロディー(RichardBrody)氏は米誌ニューヨーカー(New Yorker)への寄稿で、『グリーンブック』を「不愉快なほど鈍感」と批判。アカデミー賞は同作を作品賞に選んだことで、2016、2017年にソーシャルメディアで広がった「#OscarsSoWhite(オスカーは真っ白)」との批判を受けた後も有意義な変化が一切なかったことを示したと論じた。
英紙ガーディアン(Guardian)に映画論評を寄せるピーター・ブラッドショー(PeterBradshaw)氏も、「善意による白と黒のバランス」はうわべだけの取り繕いという印象を生んだと指摘。また英ニュースサイトのインディペンデント(Independent)も、アカデミー賞の「執拗(しつよう)で異様なほどの凡庸さ」を嘆いた。
その一方で、批判に対する批判も集まった。一部のコメンテーターからは、映画業界は観客の怒りを買うことを恐れ、真の改革よりも表面的なポリティカルコレクトネス(政治的妥当性)にこだわるあまり、硬直状態に陥っているとの声が上がった。
 またオンラインマガジン「クイレット(Quillette)」を創刊した編集者のクレア・リーマン(Claire Lehmann)氏はツイッター(Twitter)投稿で「いくら意識を高めようとも、十分とは絶対に認められない」と嘆いた。≫

なのだそうです。





# by sentence2307 | 2019-02-26 11:22 | アカデミー賞 | Comments(0)
◆作品賞 グリーンブック

◆監督賞 アルフォンソ・キュアロン(ROMA ローマ)

◆主演男優賞 ラミ・マレック(ボヘミアン・ラプソディ)

◆主演女優賞 オリヴィア・コールマン(女王陛下のお気に入り)!!!

◆助演男優賞 マハーシャラ・アリ(グリーンブック)

◆助演女優賞 レジーナ・キング(ビール・ストリートの恋人たち)

◆脚本賞 グリーンブック

◆脚色賞 ブラック・クランズマン

◆撮影賞 ROMA ローマ

◆編集賞 ボヘミアン・ラプソディ

◆美術賞 ブラックパンサー

◆衣装デザイン賞 ブラックパンサー

◆メイキャップ&ヘアスタイリング賞 バイス

◆視覚効果賞 ファースト・マン

◆録音賞 ボヘミアン・ラプソディ

◆音響効果賞 ボヘミアン・ラプソディ

◆作曲賞 ブラックパンサー

◆主題歌賞 「Shallow」(アリー スター誕生)

◆アニメーション映画賞 スパイダーマン:スパイダーバース

◆外国語映画賞 ROMA ローマ(イタリア)

◆ドキュメンタリー映画賞(長編) Free Solo

◆ドキュメンタリー映画賞(短編) Period. End of Sentence.

◆短編映画賞(実写) Skin

◆短編映画賞(アニメーション) Bao







<参考>
第91回アカデミー賞ノミネーション

◆作品賞
『ROMA/ローマ』
『女王陛下のお気に入り』
『アリー/スター誕生』
『バイス』
『ブラックパンサー』
『ブラック・クランズマン』
『グリーンブック』
『ボヘミアン・ラプソディ』

◆監督賞
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
スパイク・リー(『ブラック・クランズマン』)
アダム・マッケイ(『バイス』)
ヨルゴス・ランティモス(『女王陛下のお気に入り』)
パヴェウ・パヴリコフスキ(『COLD WAR/あの歌、2つの心』)

◆主演男優賞
ラミ・マレック(『ボヘミアン・ラプソディ』)
クリスチャン・ベイル(『バイス』)
ブラッドリー・クーパー(『アリー/スター誕生』)
ウィレム・デフォー(永遠の門 ゴッホの見た未来)
ヴィゴ・モーテンセン(『グリーンブック』)

◆主演女優賞
グレン・クローズ(『天才作家の妻 40年目の真実』)
オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』)
レディー・ガガ(『アリー/スター誕生』)
ヤリツァ・アパリシオ(『ROMA/ローマ』)
メリッサ・マッカーシー(『ある女優作家の罪と罰』)

◆助演男優賞
マハーシャラ・アリ(『グリーンブック』)
リチャード・E・グラント(『ある女優作家の罪と罰』)
アダム・ドライヴァー(『ブラック・クランズマン』)
サム・エリオット(『アリー/スター誕生』)
サム・ロックウェル(『バイス』)

◆助演男優賞
◎マハーシャラ・アリ(『グリーンブック』)
△リチャード・E・グラント(『ある女流作家の罪と罰』)
アダム・ドライヴァー(『ブラック・クランズマン』)
サム・エリオット(『アリー/スター誕生』)
サム・ロックウェル(『バイス』)

◆助演女優賞
レジーナ・キング(『ビール・ストリートの恋人たち』)
エマ・ストーン(『女王陛下のお気に入り』)
レイチェル・ワイズ(『女王陛下のお気に入り』)
エイミー・アダムス(『バイス』)
マリーナ・デ・タビラ(『ROMA/ローマ』)

◆助演女優賞
◎レジーナ・キング(『ビール・ストリートの恋人たち』)
△エマ・ストーン(『女王陛下のお気に入り』)
△レイチェル・ワイズ(『女王陛下のお気に入り』)
△エイミー・アダムス(『バイス』)
マリーナ・デ・タビラ(『ROMA/ローマ』)

◆オリジナル脚本賞
デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ(『女王陛下のお気に入り』)
ポール・シュレイダー(『魂のゆくえ』)
ブライアン・ヘイズ・カリー、ピーター・ファレリー、ニック・ヴァレロンガ(『グリーンブック』)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
アダム・マッケイ(『バイス』)

◆脚色賞
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン(『バスターのバラード』)
バリー・ジェンキンス(『ビール・ストリートの恋人たち』)
ブラッドリー・クーパー、ウィル・フェッターズ、エリック・ロス(『アリー/スター誕生』)
ニコール・ホロフスナー、ジェフ・ウィッティ(『ある女優作家の罪と罰』)
スパイク・リー、デヴィッド・ラビノウィッツ、チャーリー・ウォッチェル、ケヴィン・ウィルモット(『ブラック・クランズマン』)

◆撮影賞
ルーカス・ザル(『COLD WAR あの歌、2つの心』)
ロビー・ライアン(『女王陛下のお気に入り』)
カレブ・デシャネル(『Never Look Away』原題)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
マシュー・リバティーク(『アリー/スター誕生』)

◆編集賞
『ブラック・クランズマン』(バリー・アレクサンダー・ブラウン)
『ボヘミアン・ラプソディ』(ジョン・オットマン)
『女王陛下のお気に入り』(ヨルゴス・ランティモス)
『グリーンブック』(パトリック・J・ドン・ヴィト)
『バイス』(ハンク・コーウィン)

◆美術賞
『ブラックパンサー』
『女王陛下のお気に入り』
『ファースト・マン』
『メリー・ポピンズ リターンズ』
『ROMA/ローマ』

◆衣装デザイン賞
『バスターのバラード』
『ブラックパンサー』
『女王陛下のお気に入り』
『メリー・ポピンズ リターンズ』
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

◆メイクアップ&ヘアスタイリング賞
『Border』(原題)
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』
『バイス』

◆視覚効果賞
『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』
『プーと大人になった僕』
『ファースト・マン』
『レディ・プレイヤー1』
『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

◆録音賞
『ブラックパンサー』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『ファースト・マン』
『ROMA/ローマ』
『アリー/スター誕生』

◆音響編集賞
『ブラックパンサー』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『ファースト・マン』
『クワイエット・プレイス』
『ROMA/ローマ』

◆作曲賞
『ブラックパンサー』(ルドウィグ・ゴランソン)
『ブラック・クランズマン』(テレンス・ブランチャード)
『ビール・ストリートの恋人たち』(ニコラス・ブリテル)
『犬ヶ島』(アレクサンドル・デスプラ)
『メリー・ポピンズ リターンズ』(マーク・シャイマン)

◆歌曲賞
All the Stars(『ブラックパンサー』)
I’ll Fight(『RBG』原題)
The Place Where Lost Things Go(『メリー・ポピンズ』)
Shallow(『アリー/スター誕生』)
When a Cowboy Trades His Spurs for Wings(『バスターのバラード』)

◆長編アニメーション映画賞
『インクレディブル・ファミリー』
『犬ヶ島』
『未来のミライ』
『シュガー・ラッシュ:オンライン』
『スパイダーマン:スパイダーバース』

◆外国語映画賞
『Capernaum』(原題/レバノン)
『COLD WAR あの歌、2つの心』(ポーランド)
『Never Look Away』(英題/ドイツ)
『ROMA/ローマ』(メキシコ)
『万引き家族』(日本)

◆長編ドキュメンタリー賞
『Free Solo』(原題)
『Hale County This morning, This evening』(原題)
『Minding the Gap』(原題)
『Of fathers and sons』(原題)
『RBG』(原題)

◆短編ドキュメンタリー映画賞
『Black Sheep』
『End Game』
『Lifeboat』
『A Night at the Garden』
『Period. End of Sentence.』

◆短編実写賞
『Detainment』(原題)
『Fauve』(原題)
『Marguerite』(原題)
『Mother』(原題)
『Skin』(原題)

◆短編アニメーション映画賞
『Animal Behaviour』(原題)
『Bao』
『Late Afternoon』(原題)
『One Small Step』(原題)
『Weekends』(原題)



# by sentence2307 | 2019-02-25 13:26 | アカデミー賞 | Comments(0)
いよいよアカデミー賞の発表が来週に迫ってきました、なんだか落ち着きません。

ルーティンとまではいえませんが、最近では、パソの前に座わって、まず見るのは「アカデミー賞」関係の記事とかで、それをひと当たり見てからでないと、ほかのことをする気になど、どうしてもなれないのです。

ノミネート作品のなかには日本公開が未定の作品も結構あり、当然チェックした時点では原題表示なのが、情報が日々更新されていくなかで、知らないうちに原題からかけ離れた邦題がつけられていたりして、その新旧情報が入り乱れてアップされていることに気づかず、題名は違うのにどうも似たような作品(実は、同じ作品)があるなとか思いながら右往左往し、正直、訳が分からなくなって、仕方なくスタッフやキャストの基本情報を付け合わせて特定するという厄介な作業を幾度か繰り返してきました。

そのような状況のなかで、昨日などは衝動的に思いついたキイワード「オスカー直前予想」という言葉であちこち検索をかけていたら、たまたまwowowのオンデマンドで「第91回アカデミー賞 直前予想」という番組がアップされていることを知り、このリアルタイムな番組をどうにか見逃さずにすみました。

その番組の司会者は町山智浩、それからコメンテーターはVariety副編集長のティム・グレイとLA映画批評家協会員エイミー・ニコルソンのふたりで、そこで話されていた「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「主演女優賞」「助演男優賞」「助演女優賞」の有力な候補作品をちゃっかり自分のブログに引用させてもらったというわけです。

そして、そのwowowオンデマンドでは、引き続きノンフィクションW「WHY MEXICO? ~アカデミー賞に輝く越境者たち」というドュメンタリーがアップされていたので、ついでといったらなんですが、引き続いて見てみました。

内容は、このところのアカデミー賞を席巻している感のあるメキシコ出身の3人の気鋭監督(アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロ、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)が、ハリウッドにくるまでのメキシコ当時の厳しい政治的規制のなかで、自由な映画づくりを求めながらも苦慮し行き詰った青春の日々の失意と渇望を、当時の関係者へのインタビューをとおして回想したドキュメンタリーでした。

自分は一瞬、政治的な束縛や厳しい規制に囚われた経験が、彼らの映画にみずみずしさを描く活力の基盤になっているのだとしたら、それはずいぶんと皮肉な話だなと思いかけたのですが、すぐに思い直しました。

きっとそれは、そうではなくて、どこぞの国の映画人のように「貧困」も「自由」の意味も実感できず理解もできずに見失い、すっかり平和ボケして、ふやけてチャラチャラしたぶざまな「学園映画」しか撮ることしかできなくなってしまった彼らこそが、むしろ世界の辺境に追いやられた哀れで不幸でみすぼらしい、「豊かさ」という刑罰に処せられて盲しいた映画難民なのではないかとチラッと思ったりしました。

受賞作を選出するアカデミー会員がどう考えるかは別として、今回のアカデミー賞のノミネート作品をみわたしてみると、やはりダントツは、アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」でしょうか。

映画批評家の解説とか予告編とかを見ていると、なんだかこの作品は、まるでロッセリーニの「無防備都市」を思わせる迫力さえ感じさせます。

この作品は、「作品賞」「監督賞(アルフォンソ・キュアロン)」「主演女優賞(ヤリツァ・アパリシオ)」「助演女優賞(マリーナ・デ・タビラ)」でノミネートされています。

守銭奴トランプなら「この野郎、今年もぼったくるのか!」と激怒するに違いありませんが、実は、メキシコには、かつて映画作りにおいて燦然たる歴史があります、ブニュエルのメキシコ時代の傑出した諸作品、当時のメキシコにこれだけの名優がそろっていたのかと驚愕した記憶がいまも鮮明に残っています。



ルイス・ブニュエル監督の32作品(【】はメキシコ時代の作品)

★アンダルシアの犬(1928仏) ルイス・ブニュエル監督
薄雲が月きを横切るのを見た男が若い女の眼を剃刀で真横に切り裂く。8年後。若い男が自転車で若い女の部屋を訪ねるがドブに落ちる。浜辺で別な女が切断された手首を拾おうとすると、警官が拾って自転車の男が持っていた箱に入れて渡す。若い女の部屋では、愛撫を拒まれた若い男が紐を引くと二人の修道士、腐ったロバの死体を載せた二台のピアノなどがつながれていた。男の手の穴から蟻がどんどん這い出す。男の口が消えて毛が生える。ラストは春。砂漠に埋まった男女が虫にたかられている。

スペイン出身の異才ルイス・ブニュエルが1928年に手がけた実験的ショートフィルム(映像詩)である。当時、アナキズムに心酔していたブニュエルによる、「映画の機能を否定した映画」である。共同脚本にサルバドール・ダリ。20年代に最高潮に達したアバンギャルド映画の頂点を飾る傑作で、60年には、28年の完成当時上映に際してブニュエル自らが蓄音機を回していた音楽を選び、自らサウンド版を作成した。主たるストーリーというものはないが、大筋では男性と女性の情のもつれを描くものの明快なストーリーはなく、冒頭、女性の眼球が剃刀で切り裂かれるシーンに始まり、月を遮る一筋の雲のほか、切断され路上に転がった手首を見つめ杖でつつく女装の男、痙攣する手のひらから這い出してくる蟻など、脈略のない悪夢的で奇怪・衝撃的な謎めいたイメージ映像が連続して描かれる。それらはブニュエルとダリが互いに出し合ったイメージであり、観客はそれらシュールなイメージの重なりから、新たなイメージを喚起される。最初の上映にあたり、ブニュエルは、観客たち(パブロ・ピカソ、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトー、マックス・エルンスト、ル・コルビュジエ、ルネ・マグリット、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、マン・レイ、トリスタン・ツァラら)の抗議に対抗することを予想して、投げつけるための小石を用意していたが、観客たちは拍手喝采で応え、ブニュエルはシュルレアリストのグループへの仲間入りを認められたといわれる。女性が目を剃刀で切られるシーンでは、ブニュエルによれば死んだ子牛の目を用いたそうだが、その事実が知られるまでは、豚や馬の目、もしくは死体を使って撮ったのではないかと言う様々な憶測が飛び交ったが、内戦状態に入る政情不安のスペインで作られた点は注目すべきものがある。
(1928フランス)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ、撮影・アルベール・デュヴェルジェ、美術・ピエール・シルズネック、編集・ルイス・ブニュエル、音楽・ワークーナー「トリスタンとイゾルデ」、アルゼンチン・タンゴより、
原題Un Chien Andalou、モノクロ、上映時間17分
出演・シモーヌ・マルイユ(若い女)、ピエール・バチェフ(若い男)、ジェムミラヴィル(浜辺の女)、ルイス・ブニュエル(剃刀の男)、サルバドール・ダリ(修道士)


★黄金時代(1930仏)
サソリの這う岩石ごしに司祭の一団がミサをあげているのを見た盗賊が仲間を呼んで戻ると司祭は骸骨になっていた。海岸に新たに司祭、軍人、大臣らが上陸する。ローマ帝国建設の儀式が始まるが、すぐ隣の泥の中で男女が戯れている。男は逮捕され、大臣に非難されるが、決然と愛する女の元に帰る。しかし、ふたりは仲を引き裂かれ、怒った男は燃えるモミの木、大司教、羽根などを窓から放り出す。そのころモリニイ城では、「ソドム120日」の狂宴を終えた4人の極悪人が城をあとにした。首領ブランジー公爵にキリストのイメージがダブッて終わる。
(1930フランス)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ、撮影・アルベール・デュヴェルジェ、美術・ピエール・シルズネック、編集・ルイス・ブニュエル、音楽・ジョルジュヴァンパリス、メンデルスゾーン、モーツァルト、ベートーヴェン、ドビュッシーワグナーより、モノクロ、上映時間62分
出演・リア・リス(女)、ガストン・モド(男)、マックス・エルンスト(盗賊の首領)、ピエール・プレヴェール(盗賊ペマン)、リヨネル・サラン、ヴァランティーヌ・ユゴー、


★糧なき土地(1932仏)
スペインの荒涼たるウルデス地方のドキュメンタリー映画。極度の貧困、飢え、病気などが支配する世界を描く。文明が美しく発展したヨーロッパの都市のわずか100キロの地に、まるで原始そのままの無残な日々を生きる人々の村がある。栄養失調のため不自由な身体の人々、ただ死を待つのみの人々。死と背中あわせの日常のなかから聖者に救いを求める人々、だが、ブニュエルはその人々のなかにこそ聖者の姿を見ている。
製作はラモン・アシン、監督・脚本・編集は「自由の幻想」のルイス・ブニュエル、撮影はエリ・ロタール、が各々担当。ブラームスの「第四交響曲」が挿入されている。フランス語
(1932スペイン)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・ルイス・ブニュエル、製作・ラモン・アシン、撮影・エリ・ロタール、コメンタリー・ピエール・ユニク、フリオ・アシン、朗読・アベル・ジャッカン、美術・ピエール・シルズネック、編集・ルイス・ブニュエル、音楽・ブラームス「交響曲第4番」より、助監督・ピエール・ユニク、チャンセスベントゥーラ、題名はTerre Sans Pain。モノクロ、上映時間27分


★グラン・カジノ【1946メキシコ】
ブタ箱から逃げ出したものの職にあぶれているヘラルド(ホルヘ・ネグレーテ)とデメトリオ(フリオ・ビリャレアル)の二人組はグラン・カジノで知り合ったエリベルト(アグスティン・イスンサ)と意気投合、彼の口利きでエンリケの経営する油井で働くことになった。ところが油井の横取りを企む土地のヤクザ、ラヤド一家のボス、ファビオ(ホセ・バビエラ)に脅迫されていたエンリケはファビオの持ち物であるカジノで謎の失踪、そこへエンリケの妹で歌手のメルセデス(リベルタ・ラマルケ)がアルゼンチンからやってきた。ヘラルドは彼女に事件の経過を話すと、危険だから国に帰るよう勧めるが、どうやら彼女はヘラルドが兄の失踪に関係があると疑ったらしく、その謎を探ろうと単身歌手としてカジノに潜入する。そんな中、今度はデメトリオが失踪を遂げた。エルベルトの口から兄とデメトリオの死がファビオによるものであったことを知ったメルセデスはヘラルドに謝りに向かい、誤解を解き合って愛を確かめた二人は復讐を果たすためカジノに乗り込む。ヘラルドはファビオの口を割らせて事件の真の黒幕がマネケルマンという男であることを知るが、そこへ警察がやって来て逆にヘラルドが捕まってしまう。メルセデスはヘラルドの身を救うためにマネケルマンのもとへ向かい、油井を売り渡す契約をする。釈放されたヘラルドとメルセデスは一緒に町を出るが、その耳にドカンという音が聞こえてきた。万が一自分の身に何かあってカジノから戻ることができなかった場合、油井を爆破するようにというヘラルドの指示を知った上でのメルセデスの行動であったのである。

ルイス・ブニュエルがメキシコ時代の第一作として監督した、歌あり踊りありの異色娯楽作。石油ブームに湧くメキシコの油田地帯タンピコに、若い女メルセデスが、兄を殺した男に復讐するためにやってきた。しかし、ふたりは恋に落ちてしまう。人気歌手二人を主演にしたミュージカル映画。
(1946メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・マウリシオ・マグダレーノ、エドムンド・バエス、原作・ミシェル・ヴェベール、製作・オスカル・ダンシヘルス、撮影・ジャック・ドレイパー、美術・ハビエル・トレス・トリハ、音楽・マヌエル・エスペロン、編集・グロリアシェーマン、モノクロ、上映時間85分
出演・リベルタ・ラマルケ(メルセデス)、ホルヘ・ネグレーテ(兄の仇ジェラルド)、メルセデス・バルバ(Camelia)、アグスティン・イスンサ(Heriberto)、ホセ・バビエラ(Fabio)、フリオ・ビリャレアル(Demetrio)


★のんき大将【1949メキシコ】
妻に先立たれて以来酒浸りの日々を送るラミロ(フェルナンド・ソレール)を何とか立ち直らせようと親戚たちは二日酔いの彼をボロアパートにかつぎ込み、自分たちも貧相なふりをして、目覚めたラミロに、彼が2年間も正気を失なっている間に一家は破産、家も取り上げられたのだと嘘の宣告をしてショック療法を試みた。ところが薬が利きすぎたラミロはひどい落ち込みよう、あげくの果てに自殺しようとする。それを止めたのが同じアパートに住む青年、パブロ(ルーベン・ローホ)。彼の口からラミロは自分が眠っていたのが一晩に過ぎないことを知り、家族の芝居に気づく。そこでラミロはそれを逆手にとって自分勝手な家族の性格を矯正すべく、嘘から出たまこと、破産が現実になったと嘘をつく。最初は落胆していた家族もしだいに見違えるように勤勉になり、ラミロの娘のビルヒニア(ロサリオ・グラナドス)とパブロの間に恋も芽ばえて、ラミロは葬儀屋で働くと称しては昼間は自分の会社の経営に余念のない毎日、財産ももとの二倍に増えた。そんな中、ビルヒニアのかつての婚約者アルフレドが訪ねてくる。境遇の変化にも変わらぬ愛を告白するフルフレドにビルヒニアの心は揺れ動く……。そんな中ついにラミロの芝居がばれ、家族は無事もとの生活に戻るが、一人収まらないのはビルヒニアを愛していたパブロ、金持ちにもてあそばれただけだったとすっかりカンカン。しかしそれをよそにビルヒリアとアルフレドの結婚式の準備は進められてゆく。が、式の当日の土壇場になってラミロはアルフレドの行動が、ラミロの芝居を見抜いた上でのものであり、彼の本心が財産目当てであることを知って神父に結婚の異議を申し立て、ビルヒニアは花嫁衣裳のまま、やはり彼女のことが忘れられず戻ってきたパブロの腕の中に飛び込んでゆく。

妻の死後、酒浸りになった億万長者ドン・カミロに、親類たちは策謀で破産を宣告。貧民窟で絶望した彼は自殺を図るが失敗し、策謀を知る。彼は、破産は事実であると逆に親類に嘘をついて復讐するというコメディ。ルイス・ブニュエルがアドルフォ・トラードの戯曲を基に、その多彩な才能の一端を見せるメキシコ時代の監督第二作。
(1949メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・ルイス・アルコリサ、ラケル・ローハス、原作戯曲・アドルフォ・トラード、製作・オスカル・ダンシヘルス、フェルナンド・ソレル、撮影・エセキエル・カラスコ、音楽・マヌエル・エスペロン、編集・カルロス・サヴァーヘ、美術・ルイス・モヤ、ダリオ・カバニャス、
モノクロ、上映時間90分
出演・フェルナンド・ソレール(ドン・ラミロ)、ロサリオ・グラナドス(Virginia)、ルーベン・ロホ(Pablo)、Maruja Griffell(Milagros)、アンドレス・ソレル(Ladislao)、ルイス・アルコリサ(Alfredo)、


★忘れられた人々【1950メキシコ】
メキシコの大都会の裏には、悲惨な生活を送る貧しい人々の集落があった。そこの子供たちは悪に染まって行くばかりで、手のつけられぬ存在であった。その頃、かれらの首領格ハイボ(R・コボ)は感化院を脱走して、再び不良仲間の前に姿をあらわした。ハイボは自分が感化院へ送られたのはジュリアンの密告だと知って、ひそかに復讐を誓った。ハイボらは、市場へ出かけ、そこにいる盲目の音楽師を襲おうとした。彼は自分の体に笛、太鼓、ギターをくくりつけ弾きながら歌って金を乞う哀れな老人であった。ハイボらは彼の銭入れを狙って失敗し、その夕方、彼を待伏せて惨々な目にあわせた。不良仲間の一人ペドロにはまだ女盛りの母とたくさんの弟妹たちがいた。夜おそく帰って来たペドロは母に叱りつけられ食事を与えられないで追い出された。彼は迷子のオイトスに出会い、オイトスを連れて仲間のカカリツオの納屋へ泊りに行った。そこへ宿なしのハイボも泊りに来た。カカリツオの妹メチェは美しい少女で、いつも彼女に関心を見せるハイボを嫌い、ペドロやオイトスに優しくした。翌日、ハイボはペドロにジュリアンを呼び出させ、密告の仕返しにジュリアンを殴殺した。オイトスは盲目の音楽師と知り合い、彼に養って貰うことになった。やがてジュリアンの死体が発見され、警察の動きか目立って来た。ハイボは唯一の目撃者であるペドロを脅迫し、口を封じた。その晩ペドロは夢を見た。ジュリアン殺人事件におびえ、母の優しい愛情を求める夢だった。ペドロは母をよろこばそうと決心し、鍛冶屋に徒弟奉公したが、ハイボが来てナイフを盗んたので、ペドロも逃げなければならなくなった。ハイボはペドロを見張るため彼の家へ行った。ペドロは居ず、脚を洗う母に欲清を感じてハイボは彼女と関係した。ペドロは遂に感化院へおくられた。そこの校長はペドロの性質が善良なことを見ぬいて金を与え使いに出した。しかし、ハイボが待伏せしていて金を奪ったので、ペドロはハイボのジュリアン殺しを人々に告げた。ペドロはハイボに殺され、ハイボも警官に射殺された。

「アンダルシアの犬」など前衛映画作家として知られたルイス・ブニュエルが1950年に監督したメキシコ映画、肉体の中を彷徨う無垢な精神が瞬間に垣間見た意味。悪に染まった少年たちの生態を描いたもの。これを見ればブニュエルが分かる。決して忘れてはいけない幻想とリアリズムの融合。
(1950メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・ルイス・ブニュエル、ルイス・アルコリサ、製作・オスカル・ダンシヘルス、撮影・ガブリエル・フィゲロア
出演・エステラ・インダ(Marta)、アルフォンソ・メヒア(Pedro)、ロベルト・コボ(Jaibo)、ミゲル・インクラン(Blind)、Alma Della Fuentes(Meche)、


★スサーナ【1950メキシコ】
嵐の中、刑務所の柵を破って脱走したスサーナ(ロシータ・クィンタナ)は、信仰深い大農場を経営する一家に助けられる。居候として住みついたスサーナは、家長グアダルーペ(フェルナンド・ソレール)やその息子アルベルト(ルイス・ロペス・ソモサ)らを自分の魅力を振りまいて、次々に誘惑していく。使用人のヘスス(ヴィクトル・マヌエル・メンドーサ)は、ある日通りすがりの警官から脱走した女囚の話を聞き、それがスサーナであると直感して、それを口実に彼女に近づこうとする。色仕掛けの罠にはまった家長を唆かして妻カルメン(マチルデ・パロウ)を離縁させ、その後釜に坐ろうと画策しているスサーナは、相手にしない。じっと耐えていた妻はついに、夫との仲を嫉妬し、激情に駆られてスサーナを痛めつけ始める。そこへ、ヘススが警官を連れてやって来る。スサーナは逮捕され、家族達は目が醒める。翌朝、一家はスサーナが去り、秩序が戻ったことを神に感謝するのだった。

悪魔的な女性と、彼女に翻弄される家族を描く。祈りが通じて感化院を脱走したスサーナは、ある敬虔な農家に逃げ込む。家長から息子たちまでスサーナの虜となる。妻と離婚してまで家長はスサーナを求める。
(1950メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、脚本・ルイス・ブニュエル、ハイメ・サルバドール、ロドルフォ・ウシグリ、原案・マニュエル・レアーチ、製作・セルヒオ・コーガン、撮影・ホセ・オルティス・ラモス、美術・グンテル・ヘルソ、音楽・ラウル・ラビスタ、録音・ニコラス・ド・ラ・ロゼ、編集・ホルヘ・ブストス
出演・ロシータ・クィンタナ(Susana)、フェルナンド・ソレール(Don Guadalupe)、ビクトル・マヌエル・メンドーサ(Jesus)、ルイス・ロペス・ソモサ(Alberto)、マチルデ・パロウ(Dona Carmen)、Maria Gentil Arcos(Felisa)、


★ペテン師の娘【1951メキシコ】
老いた酒場のおやじドン・キンティンは妻に死なれて孤独の身になった。彼は20年前に捨てた娘を探している。ある日ふとしたことで、若い男と大喧嘩をするが、男が連れていた妻こそ娘だった。

ルイス・ブニュエルが35年にスペインで映画化したカルロス・アルコリサの戯曲『苛烈な男ドン・キンティン』を、ブニュエル自身がメシコで再映画化した作品。頑固な父親が生き別れになった娘と再会するまでのトラブルをコミカルに描く。
(1951メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル、製作・オスカル・ダンシヘルス、脚本・ラケル・ロハス・デ・アルコリサ、ルイス・アルコリサ、原作・カルロス・アルニーセス、撮影・ホセ・オルティス・ラモス、美術・エドワード・フィッツジェラルド、編集・カルロス・サバーヘ、音楽・マヌエル・エスペロン、
主演:フェルナンド・ソレル(ドン・キンティン)、アリシア・カーロ(その娘マルタ)、ルーベン・ローホ(その夫パコ)、フェルナンド・ソト、


★愛なき女【1951メキシコ】
古美術商を営む資産家夫婦の仲は冷めきっていた。というのも妻ロサリオ(ロサリオ・グラナドス)には、25年前に長男カルロスが子供のころ家出をし、山でさまよってるところを助けたフリオ(ティト・フンコ)と恋に落ち、失敗した経験があったからである。月日が経ち、成人した次男のカルリートス(ハイメ・カルペ)に突如莫大な遺産が転がり込む。贈り主は、一度は成就しかけたロサリオとの愛を諦めて国を離れたフリオだった。その金でカルリートスは豪華な結婚式を挙げるが、式の最中に父のドン・カルロス(フリオ・ビリャレアル)は急死する。医師であるカルロス(ホアンキン・コルデロ)は、研究のための資金が欲しかったばかりでなく、弟の新妻は彼が想いを寄せていた女性であったことから弟を敵視し始める。彼は母が隠していた写真から彼女の不義を知り、弟の出産に疑惑を抱くようになる。やけになったカルロスは熱帯行きを決意するが、弟と口論するうちにあやうく殺し合いの喧嘩になりかける。その時、母は決然と自らの過去を明らかにし、息子たちとも別れて、独り愛人の想い出とともに生きることを宣言するのだった。
憎しみ合う兄弟の悩みと和解を描く家族劇。骨董屋の妻が技師と恋に落ちるが夫とは別れず、不毛の結婚生活と不倫関係を25年にわたって続ける。
(1951メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、製作・セルヒオ・コーガン、原作・ギイ・ド・モーパッサン『ピエールとジャン』、脚本・ハイメ・サルバドール、撮影・ラウル・マルティネス・ソラレス、音楽・ラウル・ラヴィスタ、美術・グンテル・ヘルソ、編集・ホルヘ・ブストス、
出演・ロサリオ・グラナドス(ロサリオ)、フリオ・ビリャレアル(ドン・カルロス)、ティト・フンコ(フリオ)、ホアキン・コルデロ(カルロス)、ハイメ・カルペ(カルリートス)、


★昇天峠【1951メキシコ】
メキシコ、ゲレーロ州海岸地方のある村。三男坊オリヴェリオ(エステバン・マルケス)の結婚式の当日、突然病床の母親(レオノーラ・ゴメス)の容体が悪くなる。欲深い兄達は、息のあるうちに自分たちに都合のよい遺言状を作ろうと必死で、財産の中でも価値の高いメキシコシティの家を狙っている。しかし母親は孫である死んだ娘の子供にその家を譲りたいと思い、一番信頼できるオリヴェリオに法的効力のある遺言状を作って欲しいと頼む。オリヴェリオは代埋人のいる隣町まで、おんぼろバスに乗って出発する。バスに乗ると、いろいろな珍事が続出、霧が発生するし妊婦は産気づき、峠の一本道なのに滅多に来ない対向車が来る。川にさしかかるとぬかるみにはまり込み、オリヴェリオは男好きな娘ラクェル(リリア・プラド)に誘惑される。バスはようやくスピードを出し始めたが、突然運転手のシルヴェストロ(ルイス・アセヴェス・カスタニェダ)が実家のある村に立ち寄ると言い出す。この日は彼の母親の誕生日で、乗客全負が宴席に招待される。果てしなく続く宴会にうんざりしたオリヴェリオは、バスを失敬してラクェルとともに町へむかい、途中昇天峠でついにラクェルと結ばれてしまう。公証人の知恵で証文を作ってもらったオリヴェリオは、故郷の村に戻ると既に息をひきとっていた母の拇印を証文に押す。かくしてメキシコシティの家は孫に渡ることになった。

危篤の母親の依頼で公証人を呼びに行く息子の奇妙なバス旅行を描く。結婚式直後、母の危篤を知ったオリベリオは、自分に有利な遺言状に捺印してもらうために新妻を残してバスで郷里に向かう。バスは途中、昇天峠を越えるが、その間バスでは様々な予期せぬ出来事が展開する。妊婦の早産、娼婦の誘惑、運転手の開く宴会、ぬかるみや牛の妨害などなど、母の枕元にたどり着いた時には母は死んでいた。しかし、なぜか彼は母の捺印を得られた。
(1951メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、製作・原案・マヌエル・アルトラギーレ、マリア・ルイサ・ゴメス・メナ、脚本・アルトラギーレ、ブニュエル、ファン・デ・ラ・ガバダ、リリア・ソラノ・ガリアナ、撮影・アレックス・フィリップス、音楽・グスタボ・ピッタルーガ、美術・特殊効果・エドワード・フィッツジェラルド、ホセ・ロドリゲス・グラナダ、編集・ラファエル・ポルティーリョ、録音・Eduardo Arjona、Jesus Gonzalez Gancy、
出演・リリア・プラド(ラケル)、エステバン・マルケス(オリベリオ)、カルメリタ・ゴンサレス(その新妻アルビーナ)、レオノーラゴメス(母)、ルイス・アセヴェス・カスタニェダ(Silvestre)、 マニュエル・ドンデ(Eladio Gonzalez)


★乱暴者【1952メキシコ】
肉屋で働くペドロ(ペドロ・アルメンダリス)は、大柄な体躯と腕っぷしの強さを誇って、地主カブレラ(アンドレス・ソレール)の用心棒をしていた。ある日、団結して抵抗する小作人たちを訝しく思っていたカブレラは、ペドロに命じてその代表の男を殺させる。自らも傷を負ってペドロは復讐しようとする小作人たちの網をかいくぐり、殺した代表の娘メチェ(ロシータ・アレナス)を人質にとって逃走した。ペドロが父の仇とは知らぬメチェは地主に搾取されてきた小作人の苦しい事情を話すと、ペドロは何も考えずに強い者の味方をしてきたことを後悔し、心を改める。しかしペドロに目をかけてきたカブレラの妻パロマ(カティ・フラード)は、メチェに対する嫉妬から父親を殺したのがペドロであることを話してしまう。真相を知ったメチェに追い出されたペドロは町に舞い戻る。ペドロに妻を寝とられたカブレラがペドロを殺そうと待ち構えるが、逆に息の根を止められる。パロマのタレこみで警察はペドロを指名手配する。メチェは彼のことを許すのだが、逆に見つかり警察に射殺されるのだった。

力持ちで優しい用心棒に起こる悲劇的な結末に終るメロドラマ。地主カブーラの用心棒ペドロは、命令されて小作人の代表を殺し、復讐を恐れてその娘メチェを人質にして逃走する。父の仇とは知らないメチェは、小作人の実情を話し、ペデロは改心するが、恋仲だった地主の妻パロマが嫉妬からメチェに事実を話し、メチェはペドロを追い出す。妻を寝取られたガブレーラは、ペデロを殺そうとするが、殺人犯ペデロは警察に射殺される。
(1952メキシコ)監督ルイス・ブニュエル、製作セルヒオ・コーガン、脚本ブニュエル、ルイス・アルコリサ、撮影アグスティン・ヒメネス、美術グンテル・ヘルソ、ロベルト・シルヴァ、編集ホルヘ・ブストス、音楽ラウル・ラヴィスタ
出演・ペドロ・アルメンダリス(ペドロ)、カティ・フラード(パロマ)、ロシータ・アレナス(Meche)、アンドレ・ソーラー(Andres Cabrera)、ロベルト・マイヤー(Carmelo Gonzalez)、ベアトリス・ラモス(Dona Marta)、


★ロビンソン漂流記【1952メキシコ】
生き残りを賭けた極限のサバイバル
(1954メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ダニエル・オハーリヒー


★エル【1953メキシコ】


一人の男が強迫観念に捕われ、異常になっていく様を描く。
(1952メキシコ)監督・ルイス・ブニュエル、製作・オスカル・ダンシヘルス、原作・メルセデス・ピント、脚色・ブニュエル、ルイス・アルコリサ、撮影・ガブリエル・フィゲロア、美術・エドワード・フィッツジェラルド、パブロ・ガルヴァン、編集・カルロス・サヴァヘ、音楽・ルイス・ヘルナンデス・ブレトン、
主演:アルトゥーロ・デ・コルドヴァ


★嵐が丘【1953メキシコ】
エミリー・ブロンテの原作を基に男女の狂おしいまでの愛と情熱を描く。製作はオスカル・ダンシヘルスとアベラルド・L・ロドリゲス、監督は「愛なき女」のルイス・ブニュエル。ブロンテの原作をフランス時代にブニュエルとピエール・ユニクが脚本化、それをブニュエル、フリオ・アレハンドロ、アルドゥイノ・マイウリが脚色。撮影はアグスティン・ヒメネス、美術はエドワード・フィッツジェラルド、音楽はラウル・ラヴィスタでリヒャルト・ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」を使用。出演はイラセマ・ディリアンほか。
(1953メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:イラセマ・ディリアン

★幻影は電車に乗って旅をする【1953メキシコ】
失業者二人によって勝手に乗りまわされる廃車寸前の市電の車窓に映る風景を通して、日常に密む夢幻を描き出したドラマ。製作はアルマンド・オリベ・アルバ、監督はルイス・ブニュエル、脚本はマウリシオ・デ・ラ・セルナの原作を基にブニュエルとルイス・アルコリサ、ホセ・レベルタスの共同、撮影はラウル・マルティネス・ソラレス、音楽をルイス・ヘルナンデス・ブレトンがそれぞれ担当。出演はリリア・プラド、カルロス・ナヴァロほか。
幻影は市電に乗って旅をする、市電の夢、真夜中の、路面電車…
(1953メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:リリア・プラド

★河と死【1954メキシコ】
長年、対立しあう2つの家庭の争いをコミカルに描くドラマ。監督は「欲望のあいまいな対象」のルイス・ブニュエル、製作はアルマンド・オシーヴェ・アルバ、ミゲル・アルバレス・アコスタの『黒い岩の上の白い壁』の小説を基にブニュエルとルイス・アルコリサが脚本を執筆、撮影はラウル・マルティネス・ソラレス、音楽はラウル・ラヴィスタが担当。
(1954メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:コルンバ・ドミンゲス

★犯罪の試み(アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生)【1955メキシコ】
ブニュエルのメキシコ時代の作品で、アルモドバル監督の「ライブ・フレッシュ」に引用されるなど、最も愛すべき傑作として語られてきた。日本では40年の時を超えてついに公開された。少年アルチバルドは美しい家庭教師からオルゴールを鳴らせば思い通りに人を殺せると教えられる。その彼女は言葉通りにオルゴールの音の中で死んでしまった。大人になったアルチバルドは、革命騒ぎで失われていたオルゴールと再会。その日から、彼の周りで美女たちが次々に死んでいく。
(1955メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:エルネスト・アロンソ

★それを暁と呼ぶ(1955仏伊)
(1956イタリア/フランス)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ジョルジュ・マルシャル

★この庭での死【1956仏メキシコ】
シュールレアリズムの巨匠、ルイス・ブニュエルの幻の怪作。金の採掘者たちが集まるキャンプ近くの村にやって来た山師が拘束された。採掘者たちの騒ぎに乗じて逃げ出した彼は、仲間とともにサバイバルを展開する。朽ちていく文明の中で…
(1956フランス,メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:シモーヌ・シニョレ

★ナサリン【1958メキシコ】
ベニート・ペレス・ガルドスの原作を基に、メキシコのスラム街の中で信念を貫く一人の神父の姿を描いたルイス・ブニュエル監督の59年度カンヌ映画祭特別審査員賞受賞作。脚本はブニュエルとフリオ・アレハンドロの共同、撮影はガブリエル・フィゲロアが担当。出演はフランシスコ・ラバル、マルガ・ロペスほか。最後のセリフ、神と人の間、虚しさを噛み締める映画
(1958メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:フランシスコ・ラバル

★熱狂はエルパオに達す【1959仏メキシコ】
36歳の若さでこの世を去ったフランスの貴公子、ジェラール・フィリップの最後の主演作。自由主義に奔走した男の皮肉な運命を描く、ルイス・ブニュル渾身の力作! ブニュエル、ジェラール・フィリップの遺作
(1959メキシコ/フランス)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ジェラール・フィリップ

★若い娘【1960米メキシコ】
シュールレアリスト、ルイス・ブニュエル監督の珍しい英語劇。レイプ犯の濡れ衣を着せられ、逃亡した黒人ミュージシャンのトレヴァー。そこで3人の男女と出会い、彼らの奇妙な共同生活が始まるのだが……。ハイヒールでスキップ
(1960アメリカ/メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ザカリー・スコット


★ビリディアナ (1961スペイン) ルイス・ブニュエル監督
カンヌ国際映画祭(1961年・パルム・ドール)
(1960スペイン)監督:ルイス・ブニュエル
主演:シルヴィア・ピナル

★皆殺しの天使【1962メキシコ】
「アンダルシアの犬」の異才ルイス・ブニュエルが1962年にメキシコで手がけた作品で、ある邸宅に閉じ込められたブルジョワたちがたどる意外な運命を、ブラックなブルジョワ批判を交えつつ描いた不条理劇。オペラ観劇後に晩餐会に招かれ、ノビレ夫妻の邸宅を訪れた20人のブルジョワたち。晩餐を終えた彼らは客間にすっかり腰を落ち着かせ、夜が明けても全員が帰る方法を忘れたかのように客間を出ることができなくなってしまう。そのまま数日が過ぎ、水や食料も底を突いて命を落とす者まで出現。ブルジョワたちの道徳や倫理が崩壊していく中、事態は異様な展開へ転がりはじめる。第15回カンヌ国際映画祭では賛否両論を巻き起こした。
ルイス・ブニュエルが簡単に観れる時代・・・。かくも長き滞在
(1962メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:シルヴィア・ピナル

★小間使の日記(1964仏伊)
ブニュエル映画として初めて上映禁止にもスキャンダルにもならず世界的にヒットした、製作のシルベルマン、脚本のカリエールとの記念すべき第1作。小間使セレスティーヌがパリからノルマンディーの田舎へやってきた。典型的なブルジョワ生活を送る家人の口うるさい日々に、セレスティーヌは嫌悪感を抱き始める。そんな時、残忍な殺人事件が起こる。犯人をつきとめようとするセレスティーヌの好奇心の行方は……。
ブニュエルらしさ、変な人たち、メイド探偵の失敗、なのか、不穏な雰囲気が漂う
(1963フランス/イタリア)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ジャンヌ・モロー

★砂漠のシモン【1965メキシコ】
(1965メキシコ)監督:ルイス・ブニュエル
主演:クラウディオ・ブルック

★昼顔(1967仏)
ヴェネチア国際映画祭(1967年・金獅子賞)
南米アルゼンチン生れのフランス作家ジョゼフ・ケッセルの同名小説の映画化で、「小間使の日記」のルイス・ブニュエルとジャン・クロード・カリエールが共同で脚色、ルイス・ブニュエルが監督した文芸もの。撮影はサッシャ・ヴィエルニー。音楽は使わず自然音だけで効果を狙っている。出演者には、「ロシュフォールの恋人たち」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「輪舞」のジャン・ソレル、「恋愛論」のミシェル・ピッコリ、「タヒチの男」のジュヌヴィエーヴ・パージュ、「恋人のいる時間」のマーシャ・メリル、「凶悪犯」のピエール・クレマンティなど。サンローランに包まれた美しいドヌーヴ、何処までも遠のいていく無人の馬車、YSLイヴ・サンローランを着た悪魔! カトリーヌ・ドヌーヴが美しい!
(1967製作国:フランス)監督:ルイス・ブニュエル
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ

★銀河(1969仏伊)
無神論者のレッテルを貼られそれを忌み嫌ったブニュエルによる<福音書>。現代からキリストの時代へ、あるいは中世へ、18世紀へ、4世紀へ--SF映画のように自由闊達に飛びながら、パリ郊外からスペインの聖地サンチャゴに至る<銀河>をゆくふたりの怪しげな巡礼ピエールとジャンの冒険譚を描く。シュールで奇妙なロードムービー、ブニュエル風巡礼、せめてこの半分でも出鱈目であれば・・、異国の味
(1968フランス/イタリア)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ポール・フランクール

★哀しみのトリスターナ(1970スペイン仏伊) ルイス・ブニュエル監督
母親と死に別れ、没落貴族にひき取られた16歳の少女。やがて彼女は若き画家と駆け落ちするが、その幸せも長くは続かなかった。過酷な運命に翻弄される女性をカトリーヌ・ドヌーヴが熱演する衝撃作。カトリーヌ・ドヌーヴが無垢な女から変身! 昼顔より格段にいいと思う(^-^)b 無垢な心は脆く、崩れやすい、戦慄の中にある美しさ
(1970イタリア,フランス,スペイン)監督:ルイス・ブニュエル
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ

★ブルジョワジーの秘かな愉しみ(1972仏) ルイス・ブニュエル監督
アカデミー賞(1973年)
 ブルジョワ階級の、一般階級とは異なる価値観で生きる奇妙な日常をシニカルに描いたドラマ。某国の駐仏大使とその友人一行が、セネシャルの屋敷を訪れる。
分析しないで、不思議な展開を楽しみましょ、くすくす笑える、映画好きのための映画! 欲求不満のブルジョワジーが可笑しい
(1972フランス)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ジャン=ピエール・カッセル

★自由の幻想(1974仏)
1808年、スペインのドレドでナポレオン軍に抵抗するスペイン人たちが叫ぶ、「自由くたばれ!」-飛んで現代のパリ。少女が持ち帰った観光絵葉書に興奮する両親、翌朝父親が訪れた医者の看護婦は危篤の父の元へ、不思議なホテルを出た彼女の車に乗り合わせた教授の向う先は……数珠繋ぎの不可解な出来事の果てに動物園の動物たちの向うから叫びが! ブニュエルが完全に自由な映画を作ると宣言した<不可思議3部作>の最終作にして、シュルレアリスム映画の集大成。
不自由なくして自由は有り得ない、シュールなどではない!
(1974フランス)監督:ルイス・ブニュエル
主演:ジャン=クロード・ブリアリ

★欲望のあいまいな対象 (1977仏スペイン) ルイス・ブニュエル監督
ロサンゼルス映画批評家協会賞(1977年)
正体不明のテロ事件が頻発するセビリアの町から、パリ行きの列車に乗り込んだのは、初老のブルジョワ紳士マチュー。追いすがる女にバケツの水を掛けた彼は、驚く乗客たちに奇妙な愛の体験談を語り始める……。姿を現すたびに表情を変える若く美しい小間使コンチータを2人1役という史上初の試みで描いた巨匠ブニュエルの遺作。長期に亘って性欲が理性を凌駕し続けた話。小娘に振り回される初老の男 恋愛哲学
(1977フランス/スペイン)監督:ルイス・ブニュエル
主演:フェルナンド・レイ



# by sentence2307 | 2019-02-23 22:04 | アカデミー賞 | Comments(0)

オスカー直前予想!!

「直前予想って、それじゃあまるで競馬の予想と同じじゃん!?」
などと揶揄されそうですが、どちらにせよノミネート作品のうち未見の作品がほとんどなので、選考もへったくれもありません、そもそも迷うような前提条件さえクリアできてないわけですから、あれこれ迷うなんて図々しいことはやめにして、ほら、よく言うじゃないですか、そもそもタイプが全然違うストーリーをどうやって優劣をつけるんだとか、ジャンルそのものが異なる作品をなにを根拠に「こっちが良くて、あっちはダメ」などと言えるのかとか、こまかく考えればそんな選別をすること自体がしょせんは無理な話なので、そうならむしろ気楽にパッパと選んで受賞作を仮定したってなんら差し支えなく、その辺にころがっている怪しげな雑情報を手当たり次第にかき集めて適当にパッチワークし、アカデミー賞の風向きがどうなっているかくらいの「見当」ならどうにかつきそうな気がします(多かれ少なかれ、大方の批評家もそんな感じのガラガラポンで予想しているに違いありません)なのでどうせなら「徹底的に遊び倒したほうが勝ちちゃうのん!!」みたいな割り切り方も必要なのではないかと、すご!!

そこで一応自分的な選定の信憑性を持たせるために、アカデミー賞で「重要な前哨戦」と言われているいくつかの賞の受賞作をチェックしてからノミネート作品の絞りをかけてみようかと思い立ちました。

例えば、ゴールデン・グローブ賞、ブロードキャスト映画批評家協会賞、アメリカ映画協会選出TOP11あたりが、とても参考になる重要な賞だと聞いていますし、また、「組合賞」関係では、アメリカ製作者組合賞、アメリカ監督組合賞、アメリカ映画俳優組合賞が重要なのだそうです、そのほか映画祭ではトロント国際映画祭もチェックしておく必要があるとか。そこでさっそくチェックを始めてみました。

【アメリカ製作者組合賞】
◆作品賞 グリーンブック
◆アニメーション映画賞 スパイダーマン:スパイダーバース
◆ドキュメンタリー映画賞 Won't You Be My Neighbor?

【アメリカ監督組合賞】
◆監督賞 アルフォンソ・キュアロン(ROMA ローマ)
◆監督賞(第一回作品) ボー・バーナム(Eighth Grade)
◆監督賞(ドキュメンタリー) ティム・ウォードル(まったく同じ3人の他人)

【アメリカ映画俳優組合賞】
◆主演男優賞 ラミ・マレック(ボヘミアン・ラプソディ)
◆主演女優賞 グレン・クローズ(天才作家の妻 40年目の真実)
◆助演男優賞 マハーシャラ・アリ(グリーンブック)
◆助演女優賞 エミリー・ブラント(クワイエット・プレイス)
◆アンサンブル演技(キャスト)賞 ブラックパンサー
◆スタントアンサンブル賞 ブラックパンサー
◆功労賞 アラン・アルダ

【アメリカ脚本家組合賞】
◆脚本賞 ボー・バーナム(Eighth Grade)
◆脚色賞 ニコール・ホロフセナー、ジェフ・ウィッティ(ある女流作家の罪と罰)
◆ドキュメンタリー脚本賞 Bathtubs Over Broadway

【アメリカ撮影監督組合賞】
◆撮影賞 COLD WAR/あの歌、2つの心
◆スポットライト賞 泉の少女ナーメ

【アメリカ編集監督組合賞】
◆編集賞(ドラマ) ボヘミアン・ラプソディ
◆編集賞(コメディ) 女王陛下のお気に入り
◆編集賞(アニメーション) スパイダーマン:スパイダーバース
◆編集賞(ドキュメンタリー) Free Solo

【アメリカ美術監督組合賞】
◆美術賞(ピリオド) 女王陛下のお気に入り
◆美術賞(ファンタジー) ブラックパンサー
◆美術賞(コンテンポラリー) クレイジー・リッチ!
◆美術賞(アニメーション) 犬ヶ島

とまあ、こんな感じで、少しずつ調査をすすめてみたのですが、これっていくらやっても、なんか雲をつかむような作業に思えてきました。

こんな統計を重ねて果たして目指す目標に行きつくのか、だんだん不安になってきました。

それでも少し我慢しながら進めてみたのですが、一度モチベーションを欠いてしまったこともあり、やはり遅々としてすすみません、これじゃあいくらやっても、とてもラチがあくものではないと、だんだん気が付きました、これでは100年やっても多分ラチがあきそうにありません、自慢じゃありませんが、超のつくほどの面倒くさがり屋の自分です、こういう地道にコツコツ積み上げていくタイプの作業は自分には免疫も適正もなくて、すぐに飽きてしまいました。無理もありません、なにしろこちらは「コピペして即完成」主義者です。

この超便利なデジタル時代のことですから、なんかもっとスマートで簡単・迅速にできる方法だってきっとどこかに用意されているはずと、あれこれ考え探した結果、天啓のような素晴らしいアイデアに出会いました。

たまたま見ていたwowowの番組表に「第91回アカデミー賞 直前予想」というドンピシャな番組があるじゃないですか。それですよ、これ。それに放送日時と時間を確認したら、まさに今日のいまという感じです、あわててオンデマンドの画面を開きました。

先様がまるごと教えてくれると言っているんですから、なにもわざわざ苦労してコツコツ調べる必要なんかありません、それこそが無駄というもの、そんなこと天が許してもオレがゆるさないというやつです。

だいたいのところノミネートされている作品を見てもいないくせに予想なんぞを立てようするのがそもそもの暴挙なのです。
渡りに船とばかりにさっそくその番組「第91回アカデミー賞 直前予想」を見てみました。出演は、Variety副編集長のティム・グレイ、LA映画批評家協会員エイミー・ニコルソン、そして町山智浩の3人、話の進行は、「助演女優賞」「助演男優賞」「主演女優賞」「主演男優賞」「監督賞」「作品賞」の順で語られていましたが、このブログでは見やすさを考慮して通例どおり「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「主演女優賞」「助演男優賞」「助演女優賞」としますね。しかし、この表を作っていて感じたことですが、「助演男優賞」「助演女優賞」の受賞者を考え選ぶことが活力と巧緻の両面があって一番楽しいことに気が付きました。
(なお、番組内で語られた本命は◎、次点は△で表示しました)


◆作品賞
◎『ROMA/ローマ』
△『女王陛下のお気に入り』
△『グリーンブック』
『アリー/スター誕生』
『バイス』
『ブラックパンサー』
『ブラック・クランズマン』
『ボヘミアン・ラプソディ』
◆監督賞
◎アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
△スパイク・リー(『ブラック・クランズマン』)
△アダム・マッケイ(『バイス』)
ヨルゴス・ランティモス(『女王陛下のお気に入り』)
パヴェウ・パヴリコフスキ(COLD WAR/あの歌、2つの心)

◆主演男優賞
◎ラミ・マレック(『ボヘミアン・ラプソディ』)
△クリスチャン・ベール(『バイス』)
△ブラッドリー・クーパー(『アリー/スター誕生』)
ウィレム・デフォー(永遠の門 ゴッホの見た未来)
ヴィゴ・モーテンセン(『グリーンブック』)

◆主演女優賞
◎グレン・クローズ(『天才作家の妻 40年目の真実』)
△オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』)
△レディー・ガガ(『アリー/スター誕生』)
ヤリツァ・アパリシオ(『ROMA/ローマ』)
メリッサ・マッカーシー(『Can You Ever Forgive Me?』原題)

◆助演男優賞
◎マハーシャラ・アリ(『グリーンブック』)
△リチャード・E・グラント(『ある女流作家の罪と罰』)
アダム・ドライヴァー(『ブラック・クランズマン』)
サム・エリオット(『アリー/スター誕生』)
サム・ロックウェル(『バイス』)

◆助演女優賞
◎レジーナ・キング(『ビール・ストリートの恋人たち』)
△エマ・ストーン(『女王陛下のお気に入り』)
△レイチェル・ワイズ(『女王陛下のお気に入り』)
△エイミー・アダムス(『バイス』)
マリーナ・デ・タビラ(『ROMA/ローマ』)


直前予想なので、まあ、こんなところでいいのではないかと。



# by sentence2307 | 2019-02-21 09:28 | アカデミー賞 | Comments(0)
昨日は、夜に放送される「カーリング日本選手権」決勝戦を見るために、夜に予定していた用事をまだ日の高いうちに済ませてしまい、また、夕食なども早々にとってテレビ観戦にそなえました。

今年の日本選手権は、いわゆる4強(ロコソラーレ、中部電力、北海道銀行、富士急)と言われるどのチームも充実していて、この大会は実に見ごたえのある試合が多かったと思います。

しかし、「いわゆる4強」とはいっても、構図としては、やはり、どのチームも、平昌オリンピックで銅メダルを獲得したロコ・ソラーレ打倒を掲げていて、実際は、「ロコ・ソラーレ」vs「中部電力、北海道銀行、富士急」というのが正しい構図だったと思います。

標的にされたロコ・ソラーレには災難だったかもしれませんが、どのスポーツにおいても、追うチームは、国内のオリクピック・メダリストの打倒(追いつけ・追い越せ)をまずは目標にかかげて精進するのは当然なわけですから、これはメダリストにとっての宿命みたいなもので、チャンピオンはいかなる挑戦者も退けるというのが覇者の証しである以上、いくら海外遠征などで準備が十分できなかったというのは言い訳にならず、それをも見越してこの大会に備えるのがチャンピオンとしてのつとめだったのではないかという声が周囲には多くて、同情の声はあまり聞かれませんでした。

それにしても、スキのない中部電力の戦いぶりには目を見張るものがありました。

かつて平昌オリンピックの代表決定戦においてロコ・ソラーレに圧勝を許して屈服したあの時と、これが同じチームかと目を疑うような堂々たる戦いぶりです。

見ていると投げ損じのミスだって随所にあったと思うのに、そのミスは後を引くことなく、幾つもの事態に対応できる勝利のセオリーはそれぞれしっかりと確立されていて、まるで「勝利」から逆算したような考え抜かれた石の配置が、いかに藤澤選手の最後の絶妙な一投さえも難なく呑み込まれ、効果も奇蹟も生み出せないまま、いつのまにか失地回復不可能な大量得点をズルズル許してしまう結果に持ち込まれていたというのが、正直な感想でした。

昨日の試合でいえば、それはまさに3―3の同点で迎えた第5エンド、中部電力の北沢選手が放った最後の一投が、ハウスのなかにあったロコ・ソラーレの2つのストーンを押し出して一気に4点を獲得した決定的な場面にありました。どのように石を配置して防いでも、いつのまにか中央に石を集められ、結局最後の一投くらいでは、もはや「手も足もでない」状況が作られてしまうという感じでした。

皮肉なことに、ハウスの中にある相手の石を一掃して大量得点を奪い、相手の戦意を喪失させるというこの絶妙な投てきスタイルは、かつて藤澤選手が得意にしていた、まさに起死回生の一投でした。

日刊スポーツが昨日の日本選手権の結果を報じています。

≪女子は中部電力が平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)女子銅メダルのロコ・ソラーレを11-3で破り、2年ぶり6度目の優勝に輝いた。今大会は1次リーグから決勝まで10戦全勝。平昌五輪男子代表の司令塔だった両角友佑氏(34)がコーチに就任し、攻めるカーリングで結果を出した。これで世界選手権(3月、デンマーク)の代表権を獲得した。≫

そして、この記事のおわりに今大会の中部電力の躍進について、市川美余元選手が「両角コーチが中部電力の『攻め』を確立」と題するコメントを出していますので以下に引用しますね。

≪両角コーチが中部電力の「攻め」を確立/市川美余
中部電力がすべてにおいて一枚上手だったと思います。やりたい組み立てもできていましたし、攻めのスタイルを確立できていました。ピタッと決めるフリーズショット(石と石をくっつける)も世界レベルです。フォースの北沢選手のメンタルが強く、プレッシャーのかかる場面でも淡々とこなしていました。
これからのカーリングは攻めないと勝てないと思います。両角コーチがいち早く取り入れたものを、しっかり確立できたのは大きいですね。男子でも守りのチームが多い中で、女子なのにあのスタイルができるのはスキルと体力、パワーを兼ね備えているからです。
若い中嶋選手がスキップでセカンド、経験のある松村選手がサードで体力を使うスイーパーとして生き生きしていました。フォースの北沢選手はショットだけに専念できるチーム編成で、それぞれの選手が伸び伸びとプレーできていました。(元日本代表サード)≫


スポーツは、勝つことがすべてなのですから、そりゃあ、おっしゃっていることはまさにそのとおりです、一片の間違いもありません。

それはそうなのですが、しかし、自分としては、「そだね~」とのどかに声を掛け合い、場違いな笑い声を会場に響かせ、試合の最中だというのにのんきにお菓子や韓国産盗作いちごを美味しそうに食べてはアイドルの噂話などに興じている、そんな彼女たちの作り出す和やかな雰囲気と、そういうカーリングが(こういうスポーツがあったっていいじゃないかという感じで)たまらなく好きだっただけに、もし、勝つためには、今回の中部電力のように、世界の最新の情報をいち早く取り入れ、石をどう置けば相手がどう失敗するかとさんざんに考えてはその巧妙な罠で誘い、まんまとその罠に引っかかって失敗でもすれば、腹のなかでざまあみろとほくそ笑み、しかし、顔だけは真顔をよそおって黙々と次の罠を仕掛けていくという、あの陰険にしてヒステリックな欺瞞的な作戦がこのスポーツのすべてを支配するというのなら、(カーリングというスポーツの実態は、まさにそうでしたし、今回の中部電力の勝利によって逆コースの道をたどりそうな予感がします)、自分としても大切な部分を欠落させたカーリングの追っかけを考え直すことになるかもしれません。これって脅迫ですからね。



# by sentence2307 | 2019-02-18 18:54 | カーリング | Comments(2)
ここのところ連日、「日本カーリング選手権」の予選リーグ(ただし女子戦だけです、スミマセン)をテレビ観戦しています。

たぶん、コロ・ソラーレがらみでずっと試合を見てきたこともあって、コロ・ソラーレの出足の不調さが一層その印象を強めたのかもしれません、4強といわれているその他の3チーム(中部電力、北海道銀行、富士急)の強さが今回はとても際立っていて、「彼女たち、こんなに強かったっけ」という意外な感じを持ちました。

試合を中継放送しているBSの解説者は「4強の各チームの実力は拮抗している」といっていましたが、「拮抗」どころか、この3強チームに対しては、戦っているうちのある部分では「伯仲している」とか、もしかしたら「圧倒されている」といってもいい部分が幾度もあったように思いました。

僅差でかろうじて勝利した富士急戦や昨夜の北海道銀行戦も、あるいは、中部電力戦のように「僅差で敗退」という可能性だってなかったとは言えないくらいの「拮抗」ぶりだったと思います。

しかし、これは自分が、いつのまにかコロ・ソラーレ側から観戦してしまっているからそう思うだけで、客観的に見れば、富士急戦と北海道銀行戦では、最後の決めどころでスキップの微妙な寄せの緻密な投てきに差がでたとも言えるわけで、そのことを正当に評価すれば、藤澤選手の調子がだんだん上がってきた証拠でもあり、「遅れてきた藤澤選手」が3強チームとどう渡り合うか、決勝までの戦い(そこまでいくと信じています)が大いに楽しみになってきました。

そうそう、昨日の北海道銀行戦で意外に思ったことがありました、第10エンドで最後の投てきに入る際、まだ試合がどうころぶか分からない緊張するところで、藤澤選手がリラックスして微笑していたのがとても印象的でした。

中部電力時代、誰にも頼れずプレッシャーに圧し潰されたかつての藤澤選手とは雲泥の差です、なんか、「一勝」とか「一敗」なんかに捉われることなく、目の前にあるその瞬間の「勝負」に掛ける「勝負師のふてぶてしさ」を見た感じがしました、そういってしまえば、他のチームのスキップや選手たちだって、そういうことは言えるわけで、アスリートに対して、こんなこと、いまさらいうようなことではないのかもしれませんが。

この後、2月16日(土)に決勝に進出する2チームのふるい落としがあり、17日(日)にいよいよ決勝戦が行われるそうです。とても楽しみです。


さて、前回、「ミステリーゾーン」のなかで、うっすらと記憶に残っているふたつのストーリー(片方は「世にも不思議な物語」の可能性もあります)について書いたところ、そのうちのひとつについてyazakiさんからご教示をいただき、そのタイトルが「The Midnight Sun」(ふたつの太陽)であることが分かりました。

そこでさっそく、you tubeで動画検索して見てみました。

なるほど、自分の記憶では主人公は「男性」とばかり思っていたのですが、ほんとうは画家志望の女性だったんですね、しかも妙齢な美人。

自分の記憶とすり合わせながら、実際の内容を書きとってみました、こんな感じです。

【内容】
なぜか地球の軌道が変動して太陽にゆっくりと近づいるという事態になっています。
ニューヨークのアパートに住む住民たちは、気温の低い地を求めて北か南のどちらかにどんどん非難を始めています。しかし、若い画家のノーマ(ロイス・ネットルトン)とブロンソン夫人(ベティ・ガード)だけが、このアパートを離れずに残ることを決心します。
真夜中だというのに、ノーマが暮らす部屋には真昼のように日が照りつけていて、すでに気温は43 °Cも上昇しています。
このアパートにふたりだけになったノーマとブロンソン夫人は、お互いに助け合おうと誓い合っています。
もはや街には人の姿はなく、水不足のために厳しい給水制限が実施されていて、電気も徐々に消されている状況のなかで、食物と水は途絶え始めています。
ラジオからは、警察が街を捨てたことを報じており、町に残った市民は略奪者から自分を守らなければならないと伝えています。さらに、「あなたは歩道の熱で卵焼きをつくることができるし、海洋の熱でスープを温めることだってできるよ」と冗談をとばしたあと、怒りの言葉とともに放送が不意に途切れます。
温度は49 °Cまで上昇し、ノーマとブロンソン夫人は、耐え難い暑さに次第に衰弱していきます。ノーマがなにげなく窓枠に触れると、そこは火傷するほど熱していました。
ノーマの描く絵が、太陽と燃え上がる都市の絵ばかりなので、ブロンソン夫人は精神的にも不安定になっていて、彼女に冷たいテーマの絵を描いてくれるように懇願し「もう太陽の絵は描かないで、たくさんよ!」と叫びます。
ブロンソン夫人がカギをかけ忘れた屋上の非常口から略奪者(トム・リース)が侵入してきて、あわててノーマの部屋に逃れますが、略奪者は外から大声でドアを開けるように脅し付けています。
ノーマは、護身用の拳銃を構えて、立ち去らなければ発砲すると逆に脅します。やがてノーマは略奪者が立ち去ったものと判断してドアを開けた途端、男が侵入してきて彼女の銃を奪い、彼女の水を奪って飲みます。水を飲み終わったあとで、彼女たちのおびえる様子をみた男は冷静になり、この耐え難い暑さと渇きのためにこんなことをしてしまったことを男は詫びて許しを請います。この暑さのために妻が死に、生まれたての赤ん坊が残されてしまったことを告げ、ノーマの許しを乞うて部屋から出ていきました。
熱暑のためにすっかり衰弱したブロンソン夫人を励まし慰めるために、ノーマは緑豊かな山の中にある滝の絵を見せます。
ブロンソン夫人は、その滝の絵を見て、滝の飛沫が本当に跳ね返ってくると錯乱して狂喜します。
温度は54℃まで上昇して、温度計の上限のメモリを超えて破裂してしまい、ノーマはもはや立っていることができません。油絵のペイントは高熱のために溶けはじめるのを見て、ノーマは絶叫し、意識が朦朧となっていきました。
ノーマは自分の部屋のベッドで目を覚まします、窓は降りしきる雪に閉ざされ真っ暗で、温度計の気温は−23 °Cを指しています。高熱で寝たきりの状態にあるノーマを、ブロンソン夫人と医師(ウイリアム・キーン)が看病しています。
ノーマは、太陽に近づきすぎて暑熱で焼け死にそうになったのは、自分の高熱が見させた悪夢にすぎなかったのだと、はじめて理解します。
事実、地球の軌道が変動したために太陽から遠ざりはじめていて、世界はゆるやかに凍死しつつあることに気が付いたのでした。

(1961.11.17)監督アントン・リーダー、脚本ロッド・サーリング、
出演・ロイス・ネットルトン(ノーマ)、ベティ・ガード(ブロンソン夫人)、トム・リース(侵入者)、ウイリアム・キーン(医者)、ジェイソンウィングリーン(シュスター)、ジューンエリス(シュスター夫人)


こんな感じで「ミステリーゾーン」や「ララミー牧場」など「アメリカTV映画」についてあれこれ検索して遊んでいたら、ある通販サイトから、さっそく「ベン・ケーシー」のDVDのご案内というのが送信されてきました。

確かに、自分の書いたそのリストの中には「ベン・ケーシー」も含まれています。しかし、ビッグ・データかなんだか知りませんけれども、そういうかすかな書き込みも見逃さずに瞬時に売り込みを掛けてくるとは、いやあ、その商魂、実にたいしたものです。

でも、こういう抜け目のないリアクションを目の当たりにすると、自分のテータがどこかで蓄積されているようで、なんだか逆に怖くなる部分てありますよね。

だってほら、たまにですが、発作的にムラムラッときて、つい「出来心」で(ホントですよ!)気まぐれにエッチ系の検索などをかけてしまうなんてこと、よくあるじゃないですか。

そういう発作的な書き込みも見逃さずにゲットされ、集中的にしつこくメール攻勢をかけてきて、当方ではハナからそんなもの相手にせずに当初は無視し続けても、それが何百回・何千回目と波状攻撃されて来る日も来る日もメール攻撃されたら、そのうちにうんざりして「この購入ボタンをクリックさえすればこの苦しみから逃れられる・楽になれるのだ」と心理的に追い詰められ(ことさら自分などは、そういうプレッシャーには人一倍弱いときています)、ついに根負けして、「購入」のボタンを押してしまうなんてことは大いにあり得ることだと思います。

しかし、一面、そういの「あくどい商魂」とはいっても、当方にまったく非がないかといえば、そうでもありません、そもそも、最初に会員登録とかメルマガ登録をしなければ、ハナからそんな売り込みを掛けられることもないわけで、自分的には「情報」だけ欲しいと考えている「いいとこ取り」の負い目もあり、なのでなんとも言えず、たいへん難しいところでもあります。

でも、なんで、このような言い訳がましいことをグダグダ書いたかというと、送信されてきた「ベン・ケーシー」のDVDの売り込みメールに詳細なリストが添付されていたので、とっさにこれ幸い「これは使えるな」と思う本能的なリアクションに、「やっば、メルマガ登録をやめられずにいる理由があるのかもしれない」と思い当たった次第です。

そこで、このリストを眺めながら、せめて自分の遠い記憶にあるタイトルと付け合わせながら楽しもうと思ったのですが、なんか「これって、少なすぎないか」という印象を持ちました。

この「ベン・ケーシー」のDVDですが、シーズン1、2、3とあって、ひとつのシーズンは18話(DVD 9枚組・18話収録)しかありません。「18話って、なに?」という感じです。

ちなみに、シーズン2も18話、シーズン3は16話となっていますから、しめて52話ということになります。

こういってはなんですが、自分的には、「50音順配列」というものに大いなるこだわりを持っているモノですが、そんなことより、はるかに「整合性」という部分にこそ大いなるこだわりがあります。

ここは、どうしてもwikiに頼るしかありません。この「ベン・ケーシー」について、wikiではこんなふうに解説されていました。

「(ベン・ケーシーは)1961年10月2日から1966年3月21日まで、アメリカABCで1話60分、全153話が放送された。日本でも1962年5月4日から1964年9月25日までTBS系列で放送されて、最高テレビ視聴率が50%を超えて大ヒットした海外ドラマである。」
153話と52話じゃ、差し引き100話も差があるじゃないですか。ダメだ、そんなの!
そもそも、このDVDに「シーズン1、2、3」などと書いてありますが、これだって信憑性があるのかどうか、大いに疑問です。

そこで考えました、IMDbでシーズン1のタイトルすべてを検索して、このDVDのタイトル18話を当て嵌めてみようかと。まあ、なんですよね、こんなことしているわけですから、いくら暇とはいえ時間がいくらあっても足りません。足りるわけがありません。なんのためにこんなことをしているのか、自分で自分が分からなくなることもありますが、いよいよ何も分からなくなったら、そのときは自分の胸に「HELP」とか書こうかと思っているくらいなので、そのときはよろしくお願いします。

しかし、まあ、IMDbでシーズン1のタイトルすべてを調べてみました。


▼シーズン1▼
1巻:おそれ/リンダの微笑
2巻:明日に賭ける時/レモンの木の思い出
3巻:高価な水/笑いよ、よみがえれ
4巻:遠い町からのみじかい便り/美しき争い
5巻:わが友クリコー/狂気の口づけ
6巻:ある暗黒/拳銃魔
7巻:たとえ死すとも/栄光の果てに
8巻:ある夜の病棟/愛の重荷
9巻:裏町の誘惑/この手を君に
DVD 9枚組(18話収録)/モノクロ/日本語吹替

Season 1
S1, Ep1(2 Oct. 1961)To the Pure おそれ
S1, Ep2(9 Oct. 1961)But Linda Only Smiled リンダの微笑
S1, Ep3(16 Oct. 1961)The Insolent Heart 明日に賭ける時
S1, Ep4(23 Oct. 1961)I Remember a Lemon Tree レモンの木の思い出
S1, Ep5(30 Oct. 1961)An Expensive Glass of Water 高価な水
S1, Ep6(6 Nov. 1961)The Sound of Laughter 笑いよ、よみがえれ
S1, Ep7(13 Nov. 1961)A Few Brief Lines for Dave 遠い町からのみじかい便り
S1, Ep8(20 Nov. 1961)Pavane for a Gentle Lady 美しき争い
S1, Ep9(27 Nov. 1961)My Good Friend Krikor わが友クリコー
S1, Ep10(4 Dec. 1961)The Sweet Kiss of Madness 狂気の口づけ
S1, Ep11(11 Dec. 1961)A Certain Time, a Certain Darkness ある暗黒
S1, Ep12(18 Dec. 1961)A Dark Night for Billy Harris 拳銃魔
S1, Ep13(1 Jan. 1962)And If I Die たとえ死すとも
S1, Ep14(8 Jan. 1962)A Memory of Candy Stripes 栄光の果てに
S1, Ep15(15 Jan. 1962)Imagine a Long Bright Corridor ある夜の病棟
S1, Ep16(22 Jan. 1962)A Story to Be Softly Told 愛の重荷
S1, Ep17(29 Jan. 1962)The Big Trouble with Charlie 裏町の誘惑
S1, Ep18(5 Feb. 1962)Give My Hands an Epitaph この手を君に

大幅に意訳したタイトルもありましたが、DVD「シーズン1」18話分のタイトルは、どうにか嵌まるみたいでした。



# by sentence2307 | 2019-02-16 08:36 | カーリング | Comments(0)
ブログを書きながら、たまに「アクセスレポート」の「記事別アクセス」というのをのぞき見しています。

どの記事がどれくらい読まれているかを知るのは、ブログを息長く書き続けていくうえで励みになりますし、また、どういう方向性で書いていけば受けるのかとか、具体的なエネルギーにもなっています、ただ、しかし、この「励みにもなり、エネルギーにもなる」という部分が少しだけ食い違うと、かえって大きなプレッシャーになって跳ね返ってくるということを今回、書いてみたいと思います。

「記事別アクセス」のなかにこれが掲げられると、正直、気が重くなるというタイトルに「テレビ名画座」(2013. 01. 14)というのがあります。

1960年代初頭、テレビ放送の草創期に午後の時間の穴埋めとして外国映画(おもにフランス映画でした)を放映していたことがあって、そのことをかすかな記憶をたよりに調査して書いたコラムがあり、その番組のなかで見ることのできた数々の名作が自分の少年期の基本的な映画の知識を形作っていて、それから以後の映画体験においても重要な基盤となっているということを自覚しながら、1961年に絞って調査した結果を書きました。

その調査に際しては、まず図書館に行って新聞の縮刷版で調査しようと考えたのですが、図書館には手軽に見ることのできる冊子というのが、収容スペースと経費節約のための理由でか所蔵がなく、データ化されたソフトを図書館のパソコンで閲覧するという方法で調査しなければなりませんでした。

しかし、「番組欄」だけを見る調査とはいえ、一年分の新聞を1ページずつ画面上で繰っていくという煩雑さに加えて、そもそもそれ以前に閲覧するために必要な手続きというのが忍耐を求められる役所的な煩雑さがあり、正直、辟易させられてしまいました。

こうした「その後」の調査が出来なかったということもあるので、「記事別アクセス」欄に「テレビ名画座」のタイトルが掲げられているたびに、思わずドキッとしてたじろぎ、

「あれって、どうなった? オタク、あのとき継続して調べるとか言ってたじゃん?」

などと暗に言われているようなプレッシャーを感じ、そのたびにたいへん気が重くなるという状態が続いています。

しかし、そうした一連の行為がいくら面倒とはいえ、図書館はごく近所にあり、また、お役所的な「手続き」が煩雑とはいっても、そこは市民への奉仕を標ぼうする図書館のことですから、そのへんの事務手続きなどタカが知れたことと割り切れば、自分のすこしの努力でできないことではありません。

ただ、その再調査に二の足を踏んでいるというについては、ほかに理由があります。

たしかに、自分にとっての映画体験という意味ではあの「テレビ名画座」は、たいへん大きなインパクトをもった番組でした。
そのときのコラムにも書きましたように

「パルムの僧院」や「赤と黒」、「悪魔の美しさ」、「肉体の悪魔」、「花咲ける騎士道」、「モンパルナスの灯」、「七つの大罪」、「夜ごとの美女」、「愛人ジュリエット」、「輪舞」などの往年のフランス映画はこの番組で見ましたし、そのほか、イタリアン・ネオリアリズム作品(ロッセリーニやデ・シーカ、ピエトロ・ジェルミなど)やヌーヴェルバーグの一部の作品も見ていたわけですから、世界映画史における重要な時期のヨーロッパの映画を選りすぐって見ていたことになるわけで、たとえ実態としては時系列的にバラバラで混乱していたとしても、知識としての基本的な「素養」は身につけられたという意味では、申し分のない環境だったと思います。

その後、徐々にヌーヴェルバーグの評論に接していったとき、はじめてデュヴィヴィエが手ひどく批判されていることを知りました、そのこと自体にまずは驚き、その酷評がどうしても理解できないくらいに自分はフランスの古典的名作映画にのめり込んでいて、信条としては、たぶんヌーヴェルバーグの作品以上の思い入れだつてありました、つまり、自分の映画経験の成熟度が、時代的に「ヌーヴェルバーグ以前」まで到達していたということを示しているのではないかと密かに自負するとともに、また、ヌーヴェルバーグの作品を理解するのには、自分はまだまだ未熟で、時間も必要としたのだなという思いもありました。

そういう訳で、当時の自分の生活の主体は、「テレビ名画座」よりも、明らかに「アメリカTV映画」が中心にだったわけですから、「テレビ名画座」=ヨーロッパ映画について調べるよりも先に、まずは「アメリカTV映画」について調べなければ話にならないというか、自分が経てきた映像体験の最初の重要な部分を欠落させることは、実際とそぐわないという思いを強くしたのだと思います。

というわけで、まず最初に、自分が当時、はまっていた「アメリカTV映画」を思いつくままにざっとあげてみますね。


名犬リンチンチン、★スーパーマン、アニーよ銃をとれ、★アイ・ラブ・ルーシー、★ヒッチコック劇場、★名犬ラッシー、★ローン・レンジャー、★パパは何でも知っている、モーガン警部、★ビーバーちゃん、バット・マスターソン、★うちのママは世界一、★ペリー・メイスン、ガンスモーク、ウィリアム・テル、★コルト45、★ローハイド、★拳銃無宿、★世にも不思議な物語、第五騎兵隊、★未知の世界(ミステリーゾーン)、シャイアン、★ララミー牧場、テキサス決死隊、★ボナンザ、★サンセット77、★ライフルマン、★パパ大好き、マイク・ハマー、★アンタッチャブル、マーベリック、★怪傑ゾロ、保安官ワイアット・アープ、サーフサイド6、★ベン・ケーシー


思いつくままに上げただけでも、もはや35本、たとえこのなかに数年間のうちでシーズンが入れ替わり前後したものがあったとしても、子供だった自分は、毎週、これらのドラマをひとつずつ楽しみにして見ていたことになります。

あの「テレビ名画座」の枠のなかで上映されたヨーロッパの名作映画の詳細も、そりゃあもちろんいずれは調べなければならないだろうなとは思っていますが、そうすることにもうひとつモチベーションがあがらないのは、「まず知りたい」という自分の思いの中には「ジャン・コクトーやジュリアン・デュヴィヴィエ」があるわけではなく、むしろ、当時夢中になって見た数々の「アメリカTV映画」作品がまずはあるからだと思います。フランス映画の古典的名作をどれほど見たかということよりも、むしろ月曜日には「アメリカTV映画」の何を見た、火曜日にはまた別の「アメリカTV映画」を見ていたかの方が自分にとってはよほどリアルで、1週間のその視聴ローテイションというのが分かれば、そのころの自分の生活がまるごと摑めてしまうというくらい生活の中心に位置していたのだったと思います。

特に、どんな支障があろうと必ず都合をつけて見たという番組に★印を付してみたのですが、このなかに「ミステリーゾーン」と「世にも不思議な物語」があることに気が付きました。記憶では、いずれも深夜枠で放送していたこの番組だったために、親に叱られながら夜遅くまで起きて見ていたことをはっきりと思い出しました。

いま思い返しても、一話で完結するストーリーで構成されていたこのふたつの番組で見たドラマが、いまでも印象深く記憶に刻み込まれています。

「ミステリーゾーン」も「世にも不思議な物語」も、それぞれに素晴らしいストーリーが満載で、しかし、記憶に残っている物語がどちらで放送されたドラマだったか、いまとなっては判別が困難になっています。

印象に残っているドラマというのを、ふたつだけ、かすかな記憶をたどりながら書いてみますね。


【ストーリー①】
なにもかも満ち足りて幸せなそうな少年が楽しそうに散歩しています、背後から自分を呼ぶ声がするので振り返ると、遠くからなにごとかを叫びながら自分を追ってくる老人の姿が目に入ります。その老人は見るからにみすぼらしくて薄汚く、そのうえおそろしい形相で何か必死に自分に訴えかけているのですが、なにを言っているのかまでは分かりません、少年はその異様さに驚愕し怖くなって必死に逃げつづけ、やっとその不気味な老人から逃れることができました。その後、少年は、あまりの恵まれすぎた環境にあまえて成長したために、慢心して数々の人生の選択を誤り、大切な人々も裏切って失い、ついには世間からも見放されて人生の落後者となってしまいます。なんの望みもない零落した老人は、失意と絶望の果てに死に場所を探して野をさまよっているとき、遠くに少年時代の自分が幸福そうに散歩をしている姿を見つけます。老人は「人生を誤るな!!」と少年に呼び掛け必死に追いかけますが、どうしても追いつけません。「お~い、まってくれえ!!」苦痛に歪んだ老人の顔の大写しでドラマは終わりました。

【ストーリー②】
地球の軌道が少しずれて、太陽が地球に近づいているために世界の多くの人々や家畜が、その異常熱射でどんどん死んでいて膨大な死亡者が出ていることを、ラジオのニュースが伝えています。ここニューヨークのビルの一室でもブライドを深く下した窓から強烈な陽光が容赦なく差し込み、いくらクーラーを最大限にきかせてもいっこうに効果がなく、人々は熱暑にあえいで苦悶しています。しかし、太陽は少しずつ確実に接近し続け、温度はじりじりと上昇し、ついに上空いっぱいを太陽がおおって、「もうだめだ!!」と叫んだところで、ふいに男は揺り起こされます。「おい、どうした。ひどくうなされていたぞ」
飛び起きた男は、「ああ、夢でよかった」とホッとしながら、窓の外に広がる雪原のニューヨークを呆然と眺めます。軌道を外れた地球が太陽から徐々に遠ざかっているニュースがラジオから流れています。


実は、この印象深いふたつのドラマが、はたして「ミステリーゾーン」か「世にも不思議な物語」かのどちらの番組で放送されたものなのか、いままで知りたいと思ったことなど一度もありませんでした、放置状態のままでした。

しかし、今回、「★印」を付したことを切っ掛けにして、ぜひとも知りたいというささやかな欲が湧いてきました。

それらしい情報がなければ元々という気持ちで検索をはじめたところ、なんとyou tube でかなりまとまった動画が見られることが分かりました。

当のふたつのストーリーを探し当てることができるかどうかまでは分かりませんが、どちらとも立派なDVDのシリーズが出ているので、そのリスト(ミステリーゾーンの50音順作品リストは末尾に掲げますね)を拝借したうえで、アップされているyou tube動画を片っ端から見て確認していこうと考えました。

自分の古い記憶をどこまでたどれるか、とてもミステリアスな楽しい時間になりそうです。

和文検索で限界が見えたら、そのときはまた英文タイトルからそのままyou tube検索をかけて、字幕のない動画をダイレクトで見ようかとも思っていますが、それはあくまで最終的な非常手段ということにしておきます。

しかし、まあどんな感じか、試しに最初にヒットした幾つかの動画をまずは見てみることにしました。

最初に見たのは、「ミステリーゾーン」の動画で「He's Alive」というドラマでした、邦題は「暗闇の男」となっています。

舞台は、アメリカの片田舎、街頭でナチの「突撃隊」のような制服を着た青年ピーターが右翼っぽい過激な演説を熱っぽくぶちあげていますが、聴衆は時代遅れのナチ運動などハナからバカにしている感じで白け切って面白半分にながめています。結局、演説など続けていられないほど散々ヤジられたすえに街の男たちに殴り倒されます。街頭運動に行き詰まりを感じた青年ピーターが落ち込んでいると、ひとりの男が彼の前に現れます。顔に影が掛かっていて誰だかは分かりませんが、あきらかに「ヒトラー」その人という感じです。男はピーターに、聴衆の心をとらえる演説のコツは危機感と恐怖心をあおることだと教えます、そのように演説したことで見事聴衆の心を捉えたピーターに、男はさらに組織の引き締めと党の拡大をはかるために「殉教者」が必要だと唆します。そこでピーターは運動当初からの盟友だった親友を党員の手で処刑し、さあこれからはおれの組織だ、もっと大きくして世界を支配するぞみたいに息巻くそのピーターのようすを傍らで見ながら、影の男はひそかにほくそ笑むというドラマでした。

見る前の自分としては、人畜無害な空想SFドラマみたいなものを想像していただけに、この重々しい「政治色」には、なんだか微妙な違和感を覚えました。

先日BSで見たドキュメンタリー「鷲とライオン ヒトラーVSチャーチル」の中でも描かれていましたが、第1次大戦敗北の賠償金の支払いにあえいでいた衰弱しきっていたドイツを、ヒトラーは、アウトバーンの建設と、軍隊の増強によって新たな雇用を生み出し、150万人いた国内の失業者を半減させたという初期の経済的手腕が内外で高く評価・称賛されて、当時の英米国内にもかなりのナチのシンパがいたという解説がありました。

それに領地拡大をはかった軍事的侵略の理由付けというのが、近隣諸国を第三帝国のもとで繁栄させるというこじつけも、それなりの説得力があったのだなと、あのドキュメンタリーを見て実感しました。

そういう背景を踏まえると、主人公のピーターの熱い演技も納得ができます、しかし、それにしてもピーターを演じる美形の俳優の演技は、まさに真に迫っていて尋常じゃありませんでした。この美青年、見ようによっては「突然炎のごとく」のオスカー・ウェルナーに似ていなくもありませんし、時代的にはどうなのかわかりませんが、まさか彼がアメリカのテレビドラマなんかに出演するわけもないなどと思いながら、半信半疑でラストのスタッフ・キャストの名前で確認しようと思ったのですが、なにせ字幕の流れが速く、画面も粗いときているので、とうてい読み取れる状態ではありませんでした。

結局、IMDbを開いて検索してみることにしました。

そこには、このように記されていました。

Director: Stuart Rosenberg
Writers: Rod Serling, Rod Serling (created by)
Stars: Dennis Hopper, Ludwig Donath, Paul Mazursky | See full cast & crew »

えっ! な、な、なに!! と見るなり、びっくりしてしまいました。

監督は、あの「暴力脱獄」のスチュアート・ローゼンバーグ、主役のピーターを演じたのは、デニス・ホッパー、それに端役にはポール・マザースキーとあるじゃないですか。まさに「なんだ、こりゃ」でした。

これは、ちょっと油断できません、気を引き締めて、次にアップした動画(世にも不思議な物語)も見ることにしました。

題名は、「時空を超えた再会」です、タイトルから受ける印象は、たぶん小泉八雲の怪談みたいな話だろうなという気持ちで見始めました、まず、登場してきた大写しの女優の顔を見て初っ端からまたまたびっくりです、これは誰が見たってあのジョーン・フォンティンです。

こういっちゃあ失礼ですが、たかが30分たらずのテレビ映画です、あっ、「たかが」だけ余計でした。

しかし、現在でこそ、テレビと映画の垣根が少しばかり低くなったとはいっても、映画俳優たるもの「テレビなんかに出るのかよ」(落ちぶれたからって、よりにもよってテレビなんかにでなくとも)と蔑まれる偏見はまだまだアチラでは健在です。

1960年ころ、日本のテレビで放送した「ララミー牧場」というシリーズが空前の大ヒットをとばしたことがありました。その騒動はまさに社会現象といってもいい騒ぎでした。

なかでも準主役「ジェス」を演じたロバート・フラーが物凄い人気になって、だぶん請われて日本に来日したときの、その大歓迎ぶりがいまでも語り草になっています。

wikiの「ロバート・フラー」の「来日」の項には、このように記されています。

≪ロバート・フラーが1961年4月17日に来日した際、羽田空港に10万人のファンが殺到して大騒ぎとなった。更には、当時の日本国内閣総理大臣池田勇人に招かれるなど、一連の社会現象を巻き起こした(のちに来日したザ・ビートルズでさえ、この様な厚遇は受けていないことから、当時の熱狂ぶりがうかがえる)。≫

当のロバート・フラーは、「ララミー牧場」で絶大な人気を得て、日本の総理大臣に謁見までしたという栄誉ある背景があるのにもかかわらず、そのときに映画出演したキューブリックの「スパルタカス」(シナリオはダルトン・トランボ)では、「エキストラ出演でクレジットなし」という状態でした、いわばクレジットに名前さえ出ない終始チョイ役という感じです。

もちろん、それ以前に出た映画(というか、正しくは「参加した」というくらいがふさわしいでしょう)においては、当然ずっと「クレジットなし」の状態だったわけですよね。


その作品というのは、
「愛しのシバよ帰れ」1952(エキストラ出演でクレジットなし)
「決戦攻撃命令」1952(クレジットなし)
「ジュリアス・シーザー」1953(ローマ市民・クレジットなし)
「紳士は金髪がお好き」1953(コーラス・クレジットなし)
「カラミティ・ジェーン」1953(花を持った青年・クレジットなし)
「ラスヴェガスで逢いましょう」1956(ダンサー・クレジットなし)
「灰色の服を着た男」1956(クレジットなし)
「殴られる男」1956(クレジットなし)
「十戒」1956(エキストラ出演でクレジットなし)
「友情ある説得」1956(兵士・クレジットなし)
「成功の甘き香り」1957(クレジットなし)


そういうロバート・フラーがですよ、羽田空港に着き、タラップから空港を見たときに、目の前に10万人のファンが殺到して自分に向かって大歓声をあげている光景を目の当たりにしたわけですから、そりゃあ「エキストラ出演でクレジットなし」のロバート・フラーが感激のあまり泣き崩れたというのも、あながち誇張とばかりは言えないと思います。

そういう時代のテレビです、30分のテレビドラマにアカデミー賞を受賞したハリウッドの大女優ジョーン・フォンティンが現れて、ヒッチコックの「レベッカ」と同じように唇をかすかに歪めて微笑むあの美しい顔が、テレビに大写しになるのですから、そりゃあびっくりするのも当然です。

そうこうするうちに、ドラマのなかでは、ジョーン・フォンティンの家に、いわくありげな男が入ってきました、ふたりの会話のようすでは、どうも離婚の危機にある夫婦らしいのですが、その亭主を演じている男優、どう見てもウォーレン・ベイティにしか見えません。

なに、ジョーン・フォンティンにウォーレン・ベイティだって? 「レベッカ」と「俺たちに明日はない」じゃ、なんか時代が違うじゃん、という感じです。

ストーリーは、子供を死産したことが夫婦のあいだに疑心暗鬼を生み亀裂を生じさせていたところ、話し合いにきた亭主が自動車で帰る途中の雪道で滑り崖下に転落したちょうど同じころ、フォンティン夫人の元に若き亭主が現れて「いかに子供が欲しいか」という気持ちを語り夫人の誤解が解けるという物語でした、やっぱ小泉八雲でそれほど間違いじゃなかったという感じでしょうか。

詳細をIMDbで確認しますね、いや~、なんだか今日はIMDbで検索することが多いわ。

えっと、なになに・・・

Alcoholic Ellen Grayson summons her husband Harry to her isolated house to announce their marriage is over, after which he crashes his car. Helen is then visited by a man, the exact double ... See full summary »

ふむふむ、あらすじは、まあそんなところだわな。

Director: John Newland
Writers: Merwin Gerard (creator), Lawrence B. Marcus (dramatized by) (as Larry Marcus)
Stars: Joan Fontaine, Warren Beatty, John Newland | See full cast & crew »

ほら、やっぱ、そうでした、ジョーン・フォンティンにウォーレン・ベイティだったでしょう? 

でも、こう見ただけでも、これってすごいシリーズだったことが分かりますよね。

今後は、いずれのシリーズとも少しずつ見ていきたいと思っていますので、自分なりに再構成した「ミステリーゾーン」の鑑賞用リストを添付します。まあ、自分用の手控えということで未完成品ですが。



★ミステリーゾーン 作品目録

【あ】
Cat and Mouse 「愛のレッスン」
Red Snow 「赤い雪」
Four O'Clock 「悪意の果て」
Crazy as a Soup Sandwich 「悪魔との契約」
Dealer's Choice 「悪魔のジョーカー」
I of Newton 「悪魔の方程式」
ケネス・ギルバート監督・ジョン・ホールドマン脚本
Perchance to Dream 「悪夢」
The Howling Man 「嵐の夜」
嵐の夜、人里離れた怪しげな寺院に駆け込んだデビッドは、地下牢に閉じ込められていた男の懇願を聞き入れ、僧侶達に黙って開放してしまう。しかし、その男は。
A Short Drink from a Certain Fountain 「ある泉からの一杯」
Number Twelve Looks Just Like You 「ある改造」
19歳になったら皆改造され、同じ美しい顔を与えられる世界。だが、ひとりの少女が改造を拒む。
監督:アブナー・バイバーマン、脚本:チャールズ・ボーモント、ジョン・トマーリン
ゲスト:コリン・ウィルコックス、スージー・パーカー、リチャード・ロング
Execution 「ある死刑囚」
The Uncle Devil Show 「アンクル・デビル・ショー」
I Am the Night - Color Me Black 「暗黒の死刑台」
夜明けとともに男が縛り首になる日。だが、朝になっても一向に明るくならず、暗いまま。保安官と住人たちはしびれをきらす。
監督:アブナー・バイバーマン、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:マイケル・コンスタンティン、ポール・フィックス、ジョージ・リンゼイ
【い】
Acts of Terror 「怒りの化身」
ブラッド・ターナー監督 ; J・マイケル・ストラジンスキー脚本
The Masks 「生きている仮面」
裕福だが、余命いくばくもない老人は、娘夫婦とその子供たちに、遺産相続の条件として、カーニバルの日に奇妙な仮面をつけるよう命じる。
監督:アイダ・ルビノ、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ロバート・キース、ヴァージニア・グレッグ、ミルトン・セルツァー
The Dummy 「生きている人形」
Quarantine 「意識の空白」
Lost and Found 「遺失物」
Ninety years Without Slumbering 「命を刻む時計」
老人は、祖父から引継いだ時計をとても大切にしていた。老人は、その時計が止まるときに自分も死ぬと信じていたのだ。
監督:ロジャー・ケイ、脚本:リチャード・デ・ロイ
ゲスト:エド・ウィン、キャロリン・カーニー、ジェームズ・キャラハン
The Whole Truth 「因縁も売り物です」(真実のみ)
いつもデタラメを言ってポンコツ車を売りつけている中古車屋が新たに買い取った車は「因縁付き」の物だった。その車が来て以来、彼は全く嘘がつけなくなり。
【う】
Long Live Walter Jameson 「ウォルター・ジェームソン氏の生涯」
Wong's Lost and Found Emporium 「失いしもの」
Paladin of the Lost Hour 「失なわれし時の番人」
Stranger in Possum Meadows 「宇宙からの使者」
ストゥーラ・ガンナーソン監督 ; ポール・チトリック, ジェレミー・ベルトラン・フィンチ脚本
The Cold Equations 「宇宙の法則」
マーティン・ラバット監督 ; アラン・ブレンナート脚本
The Parallel 「宇宙飛行士の幻想」
A Small Talent for War 「宇宙よりの使者」
クラウディア・ワイル監督 ; アラン・ブレンナート, カーター・ショルツ脚本
Mr. Denton on Doomsday 「運という名の男」
【え】
Take My life...Please! 「永遠のエンターティナー」
The Once and Future King 「永遠の王」
ジム・マクブライド監督 ; ジョージ・R・R・マーティン脚本
The Changing of the Guard 「栄光ある引退」
A Game of Pool 「栄光の報酬」
A Day in Beaumont 「エイリアン来襲!」
Queen of the Nile 「エジプトの女王」
コラムニストは、有名な美人女優が年をとっていないことに気づく。彼は、女優に近づき調べ始める。
監督:ジョン・ブラーム、脚本:チャールズ・ボーモント
ゲスト:リー・フィリップス、アン・ブライス、セリア・ロブスキー
The Elevator 「エレベーター」
R・L・トーマス監督 ; レイ・ブラッドベリ脚本
Extra Innings 「延長戦」
The Invaders 「遠来の客」
一人暮らしの老婆の家に或る夜落下してきた物体は、他の惑星からの物だった。中から小さな乗員が二人現れ彼女を悩ませるが、やがて彼女は物体を斧で叩き壊す。
【お】
The Incredible World of Horace Ford 「落ちた時計」
Sounds and Silences 「音と静けさ」
In His Image 「おのれの影」
Gramma 「おばあちゃん」
Personal Demons 「オリジナル・ストーリー」
【か】
The Card 「カード」
Opening Day 「解禁日」
The Thirty Fathom Grave 「海底の墳墓」
The Long Morrow 「帰ってきた宇宙船」
40年の惑星調査に飛び立つ直前、宇宙飛行士はある女性と出会い恋に落ちる。戻ってきたら会いに行くと約束するのだが……。
監督:ロバート・フローリー、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ロバート・ランシング、マリエット・ハートレイ、ジョージ・マクレディ
The Four of Us Are Dying 「顔を盗む男」
The Mirror 「鏡」
Nervous Man in a Four Dollar Room 「鏡の中の男」
冴えないチンピラのジャッキーは、安ホテルの鏡の中に別の人生を歩む自分の姿を見る。もう一人の自分と会話する内、彼はこれまでの人生からの脱却を考え始める。
The Shadow Man 「影男」
Walking Distance 「過去を求めて」(歩いて行ける距離)
Will the Real Martian Please Stand Up? 「火星人は誰だ?」
山中に何かが飛来し着陸。警官が跡を付けてみると、どうやら何かが近くのレストランに入ったらしい。中にはバスの乗客7人がいて、実はバスに乗っていたのは6人だったという。
Something in the Walls 「壁の中の顔」
The Man in the Bottle 「家宝の瓶」
今にもつぶれそうな古道具屋の老夫婦が、ある日不思議な瓶を手に入れる。瓶の中からは魔人が現れ、何でも望みをかなえてくれるという。
The Trance 「神の声」
ランディー・ブラッドショー監督 ; ジェフ・スチュアート脚本
Chameleon 「カメレオン」
The Hunt 「狩りの最中突然に」
What You Need 「彼に必要なもの」
【き】
Little Girl Lost 「消えた少女」
Little Boy Lost 「消えた少年」
Nightcrawlers 「帰還兵」
The Mind of Simon Foster 「記憶の値段」
A Thing about Machines 「機械嫌い」 (機械に脅迫された男)
尊大で何事も自分以外は信じようとしない作家のフィンクリーは、身の回りの機械に特に憎悪を感じていたが、やがて家の中のありとあらゆる機械達が彼に「反乱」を起こし始める。
A Game of Pool 「危険なチャレンジ」
The Big Tall Wish 「奇蹟」(大いなる願い)
A Most Unusual Camera 「奇妙なカメラ」
泥棒夫婦チェスターとポーラは盗品のカメラが5分先の未来を写すカメラだと気づく。監獄から脱走してきたポーラの弟も加わり、このカメラを使って競馬で大儲けするが、そのカメラに導かれるように仲間割れして破滅する。
Childrens Zoo 「奇妙な動物園」
Five Characters in Search of an Exit 「奇妙な奈落」
The Last Defender of Camelot 「キャメロット・蘇る神話」
The Toys of Caliban 「キャリバンのおもちゃ」
Ye Gods 「キューピット」
The Hellgramite Method 「恐怖の治療法」
恐怖の治療法 / ギルバート・シルトン監督 ; ウィリアム・セルビー脚本
Need to Know 「恐怖のメッセージ」
Passage on the Lady Anne 「霧に消えた船」
The Monsters Are Due on Maple Street 「疑惑」(メープル通りの怪)
Profile in Silver 「銀貨の横顔」
King Nine Will Not Return 「キング・ナイン号帰還せず」
第二次大戦中の最中、ある爆撃機が砂漠に不時着する。しかし機長を除き搭乗員の姿はどこにも見当たらない。無線も通じない状況下で機長は徐々に理解し始める。何が起こっているのか。
Probe 7, Over and Out 「禁断の遊星」
見知らぬ惑星に不時着した宇宙飛行士。地球は核戦争で崩壊し、彼が唯一の生存者のようだった。だが、その惑星にはもうひとりの生存者がいた。
ゲスト:リチャード・ベースハート、アントワネット・バウアー、バートン・ヘイマン
監督:テッド・ポスト、脚本:ロッド・サーリング
【く】
He's Alive 「暗闇の男」
米国ネオナチ突撃隊の青年が市民の理解を得られず、運動に行き詰まりを感じていたときに、突如現れた影の男から聴衆を引きつける演説の仕方を教授され、見事に成功したあと、組織の引き締めと党の拡大をはかるために殉教者が必要だと唆される。
監督:スチュアート・ローゼンバーグ、脚本:ロッド・サーリング、製作:ハーバート・ハイシュマン
Night of the Meek 「クリスマス・ギフト」
What's in the Box 「狂った映像」
テレビの修理が終わり、気晴らしにテレビをつけると、夫の浮気現場が映し出され……。
監督:リチャード・L・ベア、脚本:マーティン・M・ゴールドスミス
ゲスト:ウィリアム・デマレスト、ジョーン・ブロンデル、スターリング・ホロウェイ
The Midnight Sun 「狂った太陽」(真夜中の太陽)
You Drive 「車は知っていた」
雨の中、車を運転していた男は、新聞配達の少年を轢いてしまう。その日から、彼の車に異変が起こり始める。
監督:ジョン・ブラーム、脚本:アール・ハムナー・Jr.
ゲスト:エドワード・アンドリュース、ヘレン・ウェスコット、ケヴィン・ハーゲン
Black Leather Jackets 「黒い訪問者」
どこからともなく現れた3人のバイカーは、実は地球侵略が目的の宇宙人だった。だがそのうちの1人が少女と恋におちる。
監督:ジョセフ・M・ニューマン、脚本:アール・ハムナー・Jr.
ゲスト:リー・キンソルビング、シェリー・ファベアズ、マイケル・フォレスト
The Mind and the Matter 「群衆よさらば」
全ての人間を憎んでいる男。或る日思考力を持った不思議な本の力によって、彼は全ての人類を抹消する。男性も女性も見掛けも言動も自分とそっくりに作り変えた。
【け】
Act Break 「劇作家の願い」
Still Life 「現像」
【こ】
Love is Blind 「恋は盲目」
The Junction 「交差点」
The Lateness of the Hour 「合成人間の家」
ロボットの召し使い達に何でもさせる両親に嫌気がさした娘は、ロボットを解体しなければ家から出て行くと言うが、彼女には自分の過去の思い出がない事に気づく。
The Call 「孤独との決別」
ギルバート・シルトン監督 ; J・マイケル・ストラジンスキー脚本
A Saucer of Loneliness 「孤独の受け皿」
ジョン・ハンコック監督 ; デイビッド・ジェロルド脚本
Wordplay 「言葉あそび」
It's a Good Life 「子供の世界」
But Can She Type? 「コピー」
The Little People 「こびと虐殺」
The Little People of Killany Woods 「こびとのはなし」
Living Doll 「殺してごめんなさい」
妻の連れ子となじめない男。妻が娘に買った人形も気に入らない。だがその人形も彼のことが嫌いだと話し始める。人形が本当に話していることに気づいた男は……。
監督:リチャード・C・サラフィアン、脚本:チャールズ・ボーモント
ゲスト:テリー・サヴァラス、トレイシー・ストラトフォード、メアリー・ラロッシュ
In Praise of Pip 「殺すなら私を…」
飲んだくれのヤミ馬券売りの男は、息子がベトナムで重傷を負ったとの知らせを受ける。男が、かつて息子と遊んだ遊園地に行く。
ゲスト:ジャック・クラグマン、ロバート・ダイヤモンド、ビル・マミー
監督:ジョセフ・M・ニューマン、脚本:ロッド・サーリング
【さ】
The Brain Center at Whipple's 「最後の支配者」
最新鋭の機械を導入し、工場の従業員が一斉に解雇される。 周りの人々は事業主に苦情を訴えるのだが……。
監督:リチャード・ドナー、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:リチャード・ディーコン、ポール・ニューラン、テッド・デ・コルシア
Two 「最後の二人」
The Prime Mover 「サイコロ人生」
超能力が備わった相棒を連れてラスベガスへやってきた男。首尾良く大金をせしめたが、恋人には逃げられ相棒からはもう力を使いたくないと言われる。ギャングとの最後の大勝負。
Her Pilgrim Soul 「さまよえる魂」 ウェス・クレイブン監督 ; アラン・ブレナート脚本
Many, Many Monkeys 「猿の大群」
The Odyssey of Flight 33  「33号機の漂流」(フライト33 時間の旅)
旅客機33便は、奇妙な気流に飲まれタイムスリップしてしまう。何度着陸を試みても、そこは元いた世界とはまるで違う光景が広がるばかり。
【し】
Shelter Skelter 「シェルタースケルター」
シェルター・スケルター / マーサ・クーリッジ監督 ; ロン・コブ, ロビン・ラブ脚本
Steel 「四角い墓場」
ロボット・ボクシングの試合の直前にロボットが壊れてしまい、元ボクサーのマネージャーは、ロボットに成りすまして、試合に出ることにするのだが……。
ゲスト:リー・マーヴィン、ジョー・マンテル、チャック・ヒックス
監督:ドン・ワイズ、脚本:リチャード・マシスン
Time and Teresa Golowitz 「時間とテレサ」
One Life, Furnished in Early Poverty 「時空を超えて」
時空を超えて / ドン・カルロス・ダナウェイ監督 ; アラン・ブレナート脚本
Examination Day 「試験日」
Dead Run 「地獄への運び屋」
Mr. Garrity and the Graves 「死者を呼ぶ男」
無法者の手により多くの人が殺されていた町。そこに現れた1人の男は、死人を生き返らせることができるという。
監督:テッド・ポスト、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ジョン・デナー、J・パット・オマリー、ジョン・クリフ
A Little Peace and Quiet 「静かなひととき」
The Purple Testament 「死相」
One for the Angels 「死神につかれた男」
Nothing in the Dark 「死神の訪れ」
Dead Man's Shoes 「死人の靴」
Come Wander with Me 「死ぬほど愛して」
ロカビリー歌手の男は、新しい音楽を求め、山奥にやってくる。しかし彼の曲が現実となり、悲劇が起こる。
監督:リチャード・ドナー、脚本:アンソニー・ウィルソン
ゲスト:ゲイリー・クロスビー、ボニー・ビーチャー、ジョン・ボルト
Person or Persons Unknown 「自分を探す男」
The Jungle 「ジャングルの呪い」
The Convict's Piano 「囚人のピアノ」
The Jeopardy Room 「処刑のベルが鳴るとき」
亡命するためにホテルに潜伏している男。秘密警察たちは、ホテルに爆弾を仕掛け、男が3時間以内に爆弾を見つけられれば、自由を保障するという。
監督:リチャード・ドナー、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:マーティン・ランドー「スペース1999」、ジョン・ヴァン・ドリーレン、ロバート・ケルジャン
From Agnes - With Love 「女性にご用心」
コンピューターのプログラマーは、超高性能コンピューター「アグネス」から恋のアドバイスを受ける。ところが「アグネス」もプログラマーに恋をしており……。
監督:リチャード・ドナー、脚本:バーナード・C・ショーエンフェルド
ゲスト:ウォーリー・コックス、スー・ランドール、ラルフ・テージャー
The Last Flight 「白い雲の果て」
Devil's Alphabet 「死を呼ぶ集い」
Room 2426 「信念の脱出」
Judgement Night 「審判の夜」
To Serve Man 「人類に供す」
【す】
One More Pallbearer 「水爆落ちる」
The Hunters 「姿なき狩人」
姿なき狩人 / ポール・リンチ監督 ; ポール・チトリック脚本
Back There 「過ぎし日を」(時のかなたに)
クラブにいた筈のピーターは、リンカーン大統領暗殺直前の時代に飛ばされてしまう。彼は歴史を変えようと試みるが失敗。だが元の時代へ戻ってみると。
The Sixteen-Millimeter Shrine 「スクリーンの中に消えた女」
The Storyteller 「ストーリーテラー」
The Rip Van Winkle Caper 「砂の上の宝」(リップ・ヴァン・ウィンクルの犯罪)
金塊を強奪した4人の男達が、罪を逃れる為に特殊な薬で100年間眠り、やがて目覚める。しかし仲間割れを起こし、最後に残った男が金塊と共に街へ行ってみる。
Nick of Time 「素晴らしい未来」
新婚旅行中の若い夫婦が立ち寄ったとある町のカフェのテーブルに置かれたオモチャの占い機械。だが若い夫は、やがてその結果に憑かれたように占いを繰り返し始める。
A World of His Own 「すべては彼の意のままに」
【せ】
The Shelter 「生と死の世界」(核シェルター)
Father and Son Game 「生の証明」
Showdown with Rance Mcgrew 「西部劇作法」(ランス・マグルーとの対決)
Our Selena is Dying 「生への執念」
生への執念 / ブルース・ピットマン監督 ; J・マイケル・ストラジンスキー脚本
Aqua Vita 「生命の水」
ポール・タッカー監督 ; ジェレミー・ベルトラン・フィンチ, ポール・チトリック脚本
A Kind of a Stopwatch 「世界が静止する日」
解雇されバーで飲んでいた男は、そこで出会った老人から、文字通り時を止める時計を受け取る。
監督:ジョン・リッチ、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:リチャード・アードマン、ハービー・フェイ、ロイ・ロバーツ
The World Next Door 「世界の隣に」
Street of Shadows 「絶望からの再生」
絶望からの再生 / リシャルト・ブカイスキ監督 ; マイケル・リ-ヴス脚本
【そ】
Uncle Simon 「憎悪の家」
憎らしい叔父が死に、遺産を相続することになった女。だが、相続の条件は、叔父のロボットの実験を引き継ぐことで……。
監督:ドン・シーゲル、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:セドリック・ハードウィック、コンスタンス・フォード、イアン・ウルフ
そこには誰もいなかった(だれもいなくなった町)
【た】
Voices in the Earth 「大地の声」
On Thursday We Leave for Home 「太陽が二つ輝く」
The Trade-Ins 「たそがれの賭け」
And When the Sky was Opened 「誰かが何処かで間違えた」
Tooth and Consequences 「誰よりも愛される歯医者」
誰よりも愛される歯医者 / ロバート・ダウニー監督 ; ハスケル・パーキン脚本
There Was an Old Woman 「タンスの中の怪物」
【ち】
The Last Night of a Jockey 「小さくしてくれ」
不正行為が発覚し、出場停止になった騎手。やけになっていると、どこからともなく声が聞こえてきて……。
監督:ジョセフ・M・ニューマン、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ミッキー・ルーニー
Third from the Sun 「地球への脱出」
The Long Distance Call 「長距離電話」
亡くなった老婆が可愛がっていた孫に最後に与えたオモチャの電話機。しかし死んだ筈のお婆ちゃんから電話がかかって来た。
The Silence 「沈黙の世界」
静かさを求めてクラブに入会したテイラー。だがそこにはおしゃべりな男がいて、テイラーは彼に1年間黙っていられたら50万ドルやると約束する。やがて約束の日が近付いてきた。
The New Exhibit 「陳列された目」
【つ】
Mr. Dingle The Strong 「強いぞディングル君」(怪力ディングル)
気弱なセールスマンが、突然怪力や天才的な才能を発揮し始める。だがそれは他の星から来た宇宙人達のちょっとした実験だった。
Stopover in a Quiet Town (aka Strangers in Town) 「連れて来たのはだれ?」
パーティーで酔った夫婦が目覚めると、知らない町にいた。その町には人影がなく、すべてが小道具でできている。そして時折聞こえる子供の笑い声は一体……。
監督:ロン・ウィンストン、脚本:アール・ハムナー・Jr.
ゲスト:バリー・ネルソン、ナンシー・マローン、デニス・リン
テイラーの車 / ギル・ベットマン監督 ; キャル・ウィリンガム脚本
【て】
The Mighty Casey 「鉄腕ケーシー」(奇跡の左腕ケイシー)
The Gift 「天よりの使者」
【と】
The Old Man in the Cave 「洞窟の予言者」
水爆が落ちてから10年。世界は壊滅してしまったが、「洞窟の人」の忠告のおかげで小さな町の人々だけは生き延びることができていた。
監督:アラン・クロスランド・Jr.  脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ジェームズ・コバーン、ジョン・アンダーソン、ジョン・マーレイ
The Beacon 「燈台」
燈台 / ガード・オズワルド監督 ; マーティン・パスコ, レベッカ・パール脚本
The Arrival 「到着」
Shatterday 「動揺日」
The Passersby 「遠い道」
A Matter of Minutes 「時のすきま」
時のすきま / シェルドン・ラリー監督 ; ロックン・S・オバノン脚本
A Message From Charity 「時を超えたメッセージ」
The Curious Case of Edgar Witherspoon 「特異な症例」
Cold Reading 「特殊音響効果」
Special Service 「特別業務」
What are Friends For? 「友達じゃないか」
友達じゃないか / ガス・トリコニス監督 ; J・マイケル・ストラジンスキー脚本
Kentucky Rye 「ドライバーへの警告」
The Trunk 「トランク」
A Passage for Trumpet 「トランペットに憑かれた男」
【仲間割れ】
Shadow Play 「ナイトメア」
Young Man's Fancy 「亡き母の招き」
The Wall 「謎のゲート」
Dust 「縄」(魔法の砂)
開拓時代の西部の小さな村で、いつもインチキ商売をしているサイクスは、絞首刑になる息子を助ける為に必死の父親に「人の心を変える薬だ」と偽薬を売りつける。
Twenty Two  「No.22の暗示」
入院中のリズは毎晩看護婦に導かれて「22」と書かれた死体安置室へ行き「もう一人入れるわ」と言われる夢を見る。退院後、旅行に出掛けようと空港へ来た彼女は、飛行機が「22」号便だと知って・・・
【に】
A Quality of Mercy 「日本軍の洞窟」
Nightmare at 20,000Feet 「二万フィートの戦慄」
6か月の入院を終え、退院したばかりの男は、飛行機で家路につく。だが、窓の外を見ると、翼の上に生き物が乗っているのを目にする。男は驚いて妻に話すのだが……。
ゲスト:ウィリアム・シャトナー「宇宙大作戦/スタートレック」、クリスティン・ホワイト、ニック・クラヴァット
監督:リチャード・ドナー、脚本:リチャード・マシスン
Miniature 「人形の家で」
Caesar and Me 「人形はささやく」
売れない腹話術師の、相棒の人形が突然話し出す。金に困った腹話術師に、人形は泥棒に入ることを提案する。
監督:ロバート・バトラー、脚本:アデーレ・T・ストラスフィールド
ゲスト:ジャッキー・クーパー、サラ・セルビー、スザンヌ・キュピト
People Are Alike All Over 「人間という名の動物」
【ね】
The Fever 「熱病」(熱狂)
【の】
Static 「ノイズに憑かれた男」
地下室で見つけた古いラジオは、不思議な事に今ではもうなくなってしまったラジオ局からの放送を流し続けていた。耳を傾ける老人を誰も相手にしなかったが。
【は】
The Burning Man 「バーニング・マン」
Nightmare as a Child 「灰色の影」
Time Enough at Last 「廃虚」
A Stop at Willoughby 「敗北者」(ウィラビーに停車)
The Grave 「墓」
A Penny for Your Thoughts 「八時間の奇蹟」
出勤前に朝刊を買おうと弾いたコインが倒れずに立った。その瞬間から彼には周囲の心が読める様になり、会社の中の人々の本音が解ってしまう。
I Shot an Arrow into the Air 「放たれた矢」
【ひ】
A Piano in the House 「ピアノの怪」
The Hitch-Hiker 「ヒッチハイカー」
The Road Less Travelled 「人里離れて」
The Chaser 「媚薬」
The Self-Improvement of Salvadore Ross 「百万ドルの変身」
ある女性にふられた男は、若さや性格、彼のすべてを交換できることに気づき……。
監督:ドン・シーゲル、脚本:ジェリー・マクニーリー
ゲスト:ドン・ゴードン、ゲイル・コーブ、ヴォーン・テイラー
【ふ】
The Misfortune Cookie 「フォーチュン・クッキー」
Dead Woman's Shoes 「復讐のハイヒール」
AN OCCURRENCE AT OWN CREEK BRIDGE「ふくろうの河」
Memories 「不思議な旅」
不思議な旅 / リシャルト・ブカイスキ監督 ; ボブ・アンダーウッド脚本
Of Late I Think of Cliffordville 「再び故郷へ」
The Trouble with Templeton 「二つの夜」
ブロードウェイの老俳優テンプルトンは満ち足りていた前妻との思い出に浸る日々が続いていた。ある日馴染みの店に顔を出すと、そこは幸せだった数十年前の姿のままの妻や友人達が。
Private Channel 「プライベートチャンネル」
プライベート ・ チャンネル / ピーター・メダック監督 ; エドワード・メドリック脚本
【へ】
Elergy 「平和の園」
【ほ】
Teacher's Aide 「暴力教師」
Deaths-Head Revisited 「亡霊裁判」
The Lonely 「星に流された男」(孤独な男)
The Fugitive 「星のシンデレラ」
Hocus-Pocus and Frisby 「ほら吹きフリスビィ」
【ま】
The Crossing 「曲がり角」
Still Valley 「魔書と南軍」
The After Hours 「マネキン」
The Bard 「魔法入門」
Wish Bank 「魔法のランプ」
Death Ship 「幻の宇宙船」
The 7th is Made Up Of Phantoms 「幻の騎兵隊」
かつて第7騎兵隊が戦った場所で演習を行なう陸軍。すると当時の第7騎兵隊の気配を感じる。その存在を確信した陸軍兵士たちは、第7騎兵隊と合流すべく先を急ぐ。
監督:アラン・クロスランド・Jr.  脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ロン・フォスター、ウォーレン・オーツ、グレッグ・モリス
A Hundred Yards Over the Rim 「幻の砂丘」
開拓時代の西部。幌馬車隊を率いるホーンは偵察に出ている最中に、現代へタイムスリップしてしまう。ケガをした彼は、現代の世界で子孫が高名な医者になっている事を知る。
Valley of the Shadow 「幻の谷間」
Healer 「マヤの秘石」
Night Call 「真夜中に呼ぶ声」
一人暮らしの老婆は無言電話を受けるようになる。相手の正体をつきとめようとする。
監督:ジャック・ターナー、脚本:リチャード・マシスン
ゲスト:グラディス・クーパー、ノラ・マーロウ、マルティーヌ・バートレット
Kick the Can 「真夜中の遊戯」
【み】
Printer's Devil 「魅いられた男」
Mr. Bevis 「ミスター・ビーバス」
The Bewitchin' Pool 「水に消えた影」
不仲で喧嘩ばかりの両親から逃げるため、2人の子供たちはプールで遊び始める。すると、不思議な老婆の家にたどりついた。
監督:ジョセフ・M・ニューマン、脚本:アール・ハムナー・Jr.
ゲスト:メアリー・バダム、ジョージア・シモンズ、ティム・スタッフォード
Cavender is Coming 「みならい天使」
The Eye of the Beholder 「みにくい顔」
ジャネットは美しくなるため、何度目かの整形手術を終える。しかし今度も手術は失敗し、彼女はその世界から追放される事になる。その世界とは。
Grace Note 「未来の音色」
未来へのレクイエム / シェリー・レヴィンソン監督 ; アラン・ブレンナート脚本
【む】
Once Upon a Time 「昔はよかった物語」
To See the Invisible Man 「無視刑囚」
無視刑囚 / ノエル・ブラック監督 ; スティーブン・バーンズ脚本
Joy Ride 「無謀な運転」
The Obsolete Man 「無用な男」
読書を禁じられた世界。図書館員のロムニィは「時代遅れ」の罪で死刑を宣告される。彼は部屋に支配者を呼んで、自分の希望した処刑方法はこの部屋での爆殺だと告げ共死にを迫る。
【め】
Mirror Image 「めぐりあい」
【も】
Mute 「物云わぬ少女」
The Star 「燃えつきた惑星」
Monsters! 「モンスター! 」
モンスター! / B・W・L・ノートン監督 ; ロバート・クレイス脚本
【や】
Appointment on Route 17 「約束」
If She Dies 「屋根の上の少女」
The Fear 「闇に光る指紋」
あやしい光を見たという家主を訪ね、パトロールの男は詳しい事情を聞くことにする。その時、強い光が彼らを照らす。そして、外へ出てみると……。
監督:テッド・ポスト、脚本:ロッド・サーリング
ゲスト:ピーター・マーク・リッチマン、ヘイゼル・コート
【ゆ】
Ring-a-Ding Girl 「指輪の中の顔」
ハリウッドで大成功した映画女優は、地元のファンクラブからある指輪を贈られる。その指輪に人々の顔を見た彼女は、突然故郷に舞い戻り……。
監督:アラン・クロスランド・Jr.  脚本:アール・ハムナー・Jr.
ゲスト:マギー・マクナマラ、メアリー・マンデイ、デヴィド・マックリン
Dreams for Sale 「夢売ります」
Shadow Play 「夢の世界」
今正に死刑を宣告されようとしている男。しかし彼は突如笑い出し、全ては自分の空想が作り出した物で判事も弁護士も、この裁判自体が実際には無い物だと主張し始める。
A World of Difference 「夢の中に消えた男」
【よ】
Welcome to Winfield 「ようこそウィンフィールドへ」
The Leprechaun-Artisit 「妖精レプレコン」
Button, Button 「欲望のボタン」
20/20 Vision 「予知された未来」
予知された未来 / ジム・バーディ監督 ; ロバート・ウォーデン脚本
I Dream of Genie 「四つめの願い」
Spur of the Moment 「甦った過去」
婚約したばかりの女性が乗馬を楽しんでいると、黒ずくめの女が彼女を追いかけ始める。なんとか女から逃げた彼女は、その夜、駆け落ちする。
監督:エリオット・シルヴァースタイン、脚本:リチャード・マシスン
ゲスト:ダイアナ・ハイランド、ロバート・ホーガン、ロジャー・デイヴィス
The Last Rites of Jeff Myrtlebank 「蘇ったジェフ」
Nightsong 「夜の歌」
Jess - Belle 「夜の女豹」
The Night of the Meek 「弱き者の聖夜」(柔和なる人びとの夜)
デパートのクリスマスセールでサンタを演じ子供達が喜ぶのが一番嬉しい、というヘンリーはどうしようもない酔っ払いサンタだが、彼が偶然拾った袋からは不思議な事に。
【ら】
The Library 「ライフ・ライブラリー」
【り】
Escape Clause 「良心を売った男」(免除条項)
【れ】
Rendez-vous in a Dark Place 「霊界のランデブー」
No Time Like the Past 「歴史のかきかえ」
【ろ】
I Sing the Body Electric 「ロボットの歌」
【わ】
Song of the Younger World 「若い世界の歌」
Dream Me a Life 「私の為に生命を夢見て」
私の為に生命を夢見て / アラン・キング監督 ; J・マイケル・ストラジンスキー脚本
The Girl I Married 「私の妻」



# by sentence2307 | 2019-02-05 21:39 | アメリカ・テレビ映画 | Comments(2)
アカデミー賞が最高の映画に与えられる映画の祭典なら、ラジー賞(正式名称は、ゴールデン・ラズベリー賞)は、最低の映画に与えられる映画の祭典です。

授賞式は、アカデミー賞の授賞式が行われる前日の2月23日(現地時間)に行われますが、今朝、そのノミネートというのが発表されていました、なんといっても失笑なのは、トランプ大統領が2部門でノミネートされていていることでしょうか。

ひとつは、「ワースト主演男優賞」。

ドナルド・トランプ(「華氏119」「Death of a Nation(原題)」)が本人としてノミネートされているのが、ひとつ。

もうひとつは、「出演者およびパペットのあらゆるコンビ」に与えられる「ワースト・スクリーンコンボ」では、「ドナルド・トランプと彼の永続的な心の狭さ」という理由でノミネートされています。

さすがアメリカ、みごとです、権力者にも物怖じしないこの辛辣なユーモア、見上げたものです。

しかし、このユーモアにトランプ大統領がどう返すか、たぶん、ツイッターで「自分を非難するマスコミを徹底攻撃」というあたりがいいところだと、大方の予想はつきますが、ユーモアで返せないこういうところが、やっぱ、この人の余裕のなさというか、限界って感じですかね。あらゆる人間は、すべて敵だ、みたいな。

そこで思い出しました、先週の読売新聞の書評(2019.1.20朝刊)で、トランプ大統領について書かれた本が紹介されていて、ものすごく感心したので、とっておきました。

これです、これ。「FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実」(日本経済新聞出版社)

著者は、ボブ・ウッドワードという米国を代表するジャーナリストで、現在はワシントンポスト紙の副編集長をしている方だそうです。そして、この素晴らしい書評を書いたのは、森健氏。ちょっと、引用してみますね。


≪政権発足から2年。メキシコ国境での壁建設などの大統領令やマティス前国防長官を含む多くの要職の解任など、正常とは思えない数々の判断をしてきたアメリカのトランプ大統領。だが本書を読むと、実像はもっとひどいことが分かる。著者はかつてウォーターゲート事件を暴いたベテラン記者。本書でも政権内幕の信じがたい話が活写される。描かれるのは政権発足の前段から大統領に就任して1年半あまりの日々。その間、ロシアゲート、北朝鮮の核ミサイル問題、貿易問題などの難題が続いていく。
まず驚くのは彼が大統領としての仕事を根本的に理解していないことだ。当選後、政治任用の4000のポストに誰を当てるかもまるで用意がなく、ヨーロッパや韓国との安全保障の連携もお金の支出額でしか判断しない。
お金の話には「興奮」するが、政府の財政運営は理解していない。財政赤字を減らせという一方、政府は財務省証券を発行し、売って儲けを出せばいいという。それは財政赤字を増やすことだが、と指摘すると「どういう意味だ?」とくる。貿易や産業の関係に疎く、製造業からサービス業への流入が多いのは「理解できない」。
恐ろしいのは、記憶も不確かなところだ。オーストラリアの首相と関税について除外すると請け合ったのに、8か月経つと話したことも覚えていない。そして、夜はテレビをつけっぱなしで見続け、ツイッターに興じる。
こうした危うい大統領を懸念し、中枢の要職は大統領を通さずに仕事をする。前国務長官は独断でカタールとの外交文書の覚書に調印し、国家経済会議委員長は韓国大統領宛の親書を隠したりする。隠したのは米韓自由貿易協定の破棄という内容だったためだ。
前国務長官は会議で本人が不在の時にみんなに言う。「あの男は知能が低い」。こうした人物が世界最大の権力を握っている。読んでいる方も恐怖を覚える本である。≫


ふ~ん、これじゃあまるでヒトラー政権の最後みたいじゃないですか。

まあ、とにかくラジー賞のノミネートの記事と歴代受賞者と作品を末尾に掲載しておきますね。


★ラジー賞ノミネート発表 トランプ大統領がワースト主演男優賞に
(2019.1.22 17:00)

ワースト主演男優賞にトランプ大統領がノミネート
[映画.com ニュース] 最低映画の祭典ゴールデン・ラズベリー賞(通称ラジー賞)のノミネートが発表された。
今年で39回目となるラジー賞は、ジョン・トラボルタ主演のクライム映画「ギャング・イン・ニューヨーク」、パペットと人間が共存する世界を舞台に展開するR指定コメディ「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」、ウィル・フェレルとジョン・C・ライリー共演で映画化された「ホームズ&ワトソン」が、最多6部門ノミネートで並ぶ大混戦。また、「華氏119」などにニュース映像で登場したドナルド・トランプ大統領が2部門、メラニア夫人とケリーアン・コンウェイ大統領顧問が1部門でノミネートされている。
さらに、映画のなかの最悪の組み合わせを選出するはずのワースト・スクリーンコンボ賞に、「ジョニー・デップと彼の急降下中の映画のキャリア」や「ドナルド・トランプと彼の永続的な心の狭さ」などをノミネートしており、ユーモアや話題性を優先した結果となっている。第39回ゴールデン・ラズベリー賞授賞式は、アカデミー賞の前日2月23日(現時時間)に行われる。

ノミネート結果は以下の通り。

★ワースト作品賞
「ギャング・イン・ニューヨーク」
「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」
「ホームズ&ワトソン(原題)」
「ロビン・フッド(原題)」
「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」

★ワースト主演男優賞
ジョニー・デップ(「名探偵シャーロック・ノームズ」)
ウィル・フェレル(「ホームズ&ワトソン(原題)」)
ジョン・トラボルタ(「ギャング・イン・ニューヨーク」)
ドナルド・トランプ(本人として)(「華氏119」「Death of a Nation(原題)」)
ブルース・ウィリス(「デス・ショット」)

★ワースト主演女優賞
ジェニファー・ガーナー(「ペパーミント(原題)」)
アンバー・ハード(「ロンドン・フィールズ(原題)」)
メリッサ・マッカーシー(「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」)
ヘレン・ミレン(「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」)
アマンダ・セイフライド(「ジュディーを探して」)

★ワースト助演男優賞
ジェイミー・フォックス(「ロビン・フッド(原題)」)
リュダクリス(「ショウ・ドッグス(原題)」)
ジョエル・マクヘイル(「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」)
ジョン・C・ライリー(「ホームズ&ワトソン(原題)」)
ジャスティス・スミス(「ジュラシック・ワールド 炎の王国」)

★ワースト助演女優賞
ケリーアン・コンウェイ(本人)(「華氏119」)
マーシャ・ゲイ・ハーデン(「フィフティ・シェイズ・フリード」)
ケリー・プレストン(「ギャング・イン・ニューヨーク」)
ジャズ・シンクレア(「スレンダーマン 奴を見たら、終わり」)
メラニア・トランプ(本人)(「華氏119」)

★ワースト・スクリーンコンボ
出演者およびパペットのあらゆるコンビ(「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」)
ジョニー・デップと急降下中の映画のキャリア(「名探偵シャーロック・ノームズ」)
ウィル・フェレルとジョン・C・ライリー(「ホームズ&ワトソン(原題)」)
ケリー・プレストンとジョン・トラボルタ(「ギャング・イン・ニューヨーク」)
ドナルド・トランプと彼の永続的な心の狭さ(「華氏119」「Death of a Nation(原題)」)

★ワースト・リメイク/パクリ/続編
「Death of a Nation(原題)」
「デス・ショット」
「ホームズ&ワトソン(原題)」
「MEG ザ・モンスター」(「ジョーズ」のパクリ)
「ロビン・フッド(原題)」

★ワースト監督賞
イータン・コーエン(「ホームズ&ワトソン(原題)」)
ケビン・コノリー(「ギャング・イン・ニューヨーク」)
ジェームズ・フォーリー(「フィフィティ・シェイズ・フリード」)
ブライアン・ヘンソン(「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」)
ピーター・スピエリッグ&マイケル・スピエリッグ(「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」)

★ワースト脚本賞
「Death of a Nation(原題)」
「フィフティ・シェイズ・フリード」
「ギャング・イン・ニューヨーク」
「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)」
「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」
(映画.com速報)





★歴代のラジー賞(最低作品賞、最低主演男優賞、最低主演女優賞、最低監督賞)

1980年(第1回)
最低作品賞:『ミュージック・ミュージック』
最低主演男優賞:ニール・ダイアモンド(『ジャズ・シンガー』)
最低主演女優賞:ブルック・シールズ(『青い珊瑚礁』)
最低監督賞:ロバート・グリーンウォルド(『ザナドゥ』)

1981年(第2回)
最低作品賞:『愛と憎しみの伝説』
最低主演男優賞:クリントン・スピルスベリー(『ローン・レンジャー』)
最低主演女優賞:ボー・デレク(『類猿人ターザン』)、フェイ・ダナウェイ(『愛と憎しみの伝説』)
最低監督賞:マイケル・チミノ(『天国の門』)

1982年(第3回)
最低作品賞:『インチョン!』
最低主演男優賞:ローレンス・オリヴィエ(『インチョン!』)
最低主演女優賞:ピア・ザドラ(『Butterfly』)
最低監督賞:テレンス・ヤング(『インチョン!』)、ケン・アナキン(『パイレーツ・ムービー/恋のしおかぜ』)

1983年(第4回)
最低作品賞:『The Lonely Lady』
最低主演男優賞:クリストファー・アトキンズ(『ナイト・イン・ヘブン』)
最低主演女優賞:ピア・ザドラ(『The Lonely Lady』)
最低監督賞:ピーター・サスディ(『The Lonely Lady』)

1984年(第5回)
最低作品賞:『ボレロ/愛欲の日々』
最低主演男優賞:シルヴェスター・スタローン(『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』)
最低主演女優賞:ボー・デレク(『ボレロ/愛欲の日々』)
最低監督賞:ジョン・デレク(『ボレロ/愛欲の日々』)

1985年(第6回)
最低作品賞:『ランボー/怒りの脱出』
最低主演男優賞:シルヴェスター・スタローン(『ランボー/怒りの脱出』『ロッキー4/炎の友情』)
最低主演女優賞:リンダ・ブレア(『ナイト・パトロール』『非情の島・女囚大脱走』『暴行都市』)
最低監督賞:シルヴェスター・スタローン(『ロッキー4/炎の友情』)

1986年(第7回)
最低作品賞:『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』
最低主演男優賞:プリンス(『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』)
最低主演女優賞:マドンナ(『上海サプライズ』)
最低監督賞:プリンス(『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』)

1987年(第8回)
最低作品賞:『ビル・コスビーのそれ行けレオナルド』
最低主演男優賞:ビル・コスビー(『ビル・コスビーのそれ行けレオナルド』)
最低主演女優賞:マドンナ(『フーズ・ザット・ガール』)
最低監督賞:ノーマン・メイラー(『タフガイは踊らない』)、エレイン・メイ(『イシュタール』)

1988年(第9回)
最低作品賞:『カクテル』
最低主演男優賞:シルヴェスター・スタローン(『ランボー3/怒りのアフガン』)
最低主演女優賞:ライザ・ミネリ(『ミスター・アーサー2』『レンタ・コップ』)
最低監督賞:ブレイク・エドワーズ(『キャデラック・カウボーイ』)、スチュワート・ラフィル(『マック』)

1989年(第10回)
最低作品賞:『スタートレックV 新たなる未知へ』
最低主演男優賞:ウィリアム・シャトナー(『スタートレックV 新たなる未知へ』)
最低主演女優賞:ヘザー・ロックリア(『怪人スワンプシング』)
最低監督賞:ウィリアム・シャトナー(『スタートレックV 新たなる未知へ』)

10周年特別賞
10年間の最低作品賞:『愛と憎しみの伝説』
10年間の最低男優賞:シルヴェスター・スタローン(『コブラ』『ロックアップ』『オーバー・ザ・トップ』『ランボー/怒りの脱出』『ランボー3/怒りのアフガン』『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』『ロッキー4/炎の友情』『デッドフォール』)
10年間の最低女優賞:ボー・デレク(『ボレロ/愛欲の日々』『類猿人ターザン』)
10年間の最低新人賞:ピア・ザドラ(『Butterfly』『The Lonely Lady』)

1990年(第11回)
最低作品賞:『フォード・フェアレーンの冒険』『ゴースト・ラブ』
最低主演男優賞:アンドリュー・ダイス・クレイ(『フォード・フェアレーンの冒険』)
最低主演女優賞:ボー・デレク(『ゴースト・ラブ』)
最低監督賞:ジョン・デレク(『ゴースト・ラブ』)

1991年(第12回)
最低作品賞:『ハドソン・ホーク』
最低主演男優賞:ケビン・コスナー(『ロビン・フッド』)
最低主演女優賞:ショーン・ヤング(『死の接吻』)
最低監督賞:マイケル・レーマン(『ハドソン・ホーク』)

1992年(第13回)
最低作品賞:『嵐の中で輝いて』
最低主演男優賞:シルヴェスター・スタローン(『刑事ジョー/ママにお手あげ』)
最低主演女優賞:メラニー・グリフィス(『嵐の中で輝いて』『刑事エデン/追跡者』)
最低監督賞:デヴィッド・セルツァー(『嵐の中で輝いて』)

1993年(第14回)
最低作品賞:『幸福の条件』
最低主演男優賞:バート・レイノルズ(『コップ・アンド・ハーフ』)
最低主演女優賞:マドンナ(『BODY/ボディ』)
最低監督賞:ジェニファー・チェンバース・リンチ(『ボクシング・ヘレナ』)

1994年(第15回)
最低作品賞:『薔薇の素顔』
最低主演男優賞:ケビン・コスナー(『ワイアット・アープ』)
最低主演女優賞:シャロン・ストーン(『わかれ路』『スペシャリスト』)
最低監督賞:スティーヴン・セガール(『沈黙の要塞』)

1995年(第16回)
最低作品賞:『ショーガール』
最低主演男優賞:ポーリー・ショア(『陪審員だよ、全員集合!』)
最低主演女優賞:エリザベス・バークレー(『ショーガール』)
最低監督賞:ポール・ヴァーホーヴェン(『ショーガール』)

1996年(第17回)
最低作品賞:『素顔のままで』
最低主演男優賞:トム・アーノルド(『スクール・ウォーズ/もうイジメは懲りごり!』『ドタキャン・パパ』『ステューピッド/おばかっち地球防衛大作戦』)、ポーリー・ショア(『バイオ・ドーム/ボクたち環境改善隊』)
最低主演女優賞:デミ・ムーア(『陪審員』『素顔のままで』)
最低監督賞:アンドリュー・バーグマン(『素顔のままで』)

1997年(第18回)
最低作品賞:『ポストマン』
最低主演男優賞:ケビン・コスナー(『ポストマン』)
最低主演女優賞:デミ・ムーア(『G.I.ジェーン』)
最低監督賞:ケビン・コスナー(『ポストマン』)

1998年(第19回)
最低作品賞:『アラン・スミシー・フィルム』
最低主演男優賞:ブルース・ウィリス(『アルマゲドン』『マーキュリー・ライジング』『マーシャル・ロー』)
最低主演女優賞:スパイス・ガールズ(『スパイス・ザ・ムービー』)
最低監督賞:ガス・ヴァン・サント(『サイコ』)

1999年(第20回)
最低作品賞:『ワイルド・ワイルド・ウェスト』
最低主演男優賞:アダム・サンドラー(『ビッグ・ダディ』)
最低主演女優賞:ヘザー・ドナヒュー(『ブレア・ウィッチ・プロジェクト)
最低監督賞:バリー・ソネンフェルド(『ワイルド・ワイルド・ウエスト』)

特別大賞
1990年代最低作品賞:『ショーガール』
20世紀最低主演男優賞:シルヴェスター・スタローン(彼が行ったすべてのことの99.5%に対して)
20世紀最低主演女優賞:マドンナ(『BODY/ボディ』『上海サプライズ』『フーズ・ザット・ガール』)
1990年代最低新人俳優賞:ポーリー・ショア(『バイオ・ドーム/ボクたち環境改善隊』『原始のマン』『陪審員だよ、全員集合!』)

2000年(第21回)
最低作品賞:『バトルフィールド・アース』
最低主演男優賞:ジョン・トラボルタ(『バトルフィールド・アース』『ラッキー・ナンバー』)
最低主演女優賞:マドンナ(『2番目に幸せなこと』)
最低監督賞:ロジャー・クリスチャン(『バトルフィールド・アース』)

2001年(第22回)
最低作品賞:『フレディのワイセツな関係』
最低主演男優賞:トム・グリーン(『フレディのワイセツな関係』)
最低主演女優賞:マライア・キャリー(『グリッター きらめきの向こうに』)
最低監督賞:トム・グリーン(『フレディのワイセツな関係』)

2002年(第23回)
最低作品賞:『スウェプト・アウェイ』
最低主演男優賞:ロベルト・ベニーニ(『ピノッキオ』)
最低主演女優賞:マドンナ(『スウェプト・アウェイ』)、ブリトニー・スピアーズ(『ノット・ア・ガール』)
最低監督賞:ガイ・リッチー(『スウェプト・アウェイ』)

2003年(第24回)
最低作品賞:『ジーリ』
最低主演男優賞:ベン・アフレック(『デアデビル』『ジーリ』『ペイチェック/消された記憶』)
最低主演女優賞:ジェニファー・ロペス(『ジーリ』)
最低監督賞:マーティン・ブレスト(『ジーリ』)

2004年(第25回)
最低作品賞:『キャットウーマン』
最低主演男優賞:ジョージ・W・ブッシュ(『華氏911』)
最低主演女優賞:ハル・ベリー(『キャットウーマン』)
最低監督賞:ピトフ(『キャットウーマン』)

2005年(第26回)
最低作品賞:『Dirty Love』
最低主演男優賞:ロブ・シュナイダー(『Deuce Bigalow: European Gigolo』)
最低主演女優賞:ジェニー・マッカーシー(『Dirty Love』)
最低監督賞:ジョン・アッシャー(『Dirty Love』)

2006年(第27回)
最低作品賞:『氷の微笑2』
最低主演女優賞:シャロン・ストーン(『氷の微笑2』)
最低主演男優賞:ショーン・ウェイアンズ、マーロン・ウェイアンズ(『最凶赤ちゃん計画』)
最低監督賞:M・ナイト・シャマラン(『レディ・イン・ザ・ウォーター』)

2007年(第28回)
最低作品賞:『I Know Who Killed Me』
最低主演女優賞:リンジー・ローハン(『I Know Who Killed Me』)
最低主演男優賞:エディ・マーフィ(『マッド・ファット・ワイフ』のノービット役)
最低監督賞:クリス・シルヴァートン(『I Know Who Killed Me』)

2008年(第29回)
最低作品賞:『愛の伝道師 ラブ・グル』
最低男優賞:マイク・マイヤーズ(『愛の伝道師 ラブ・グル』)
最低女優賞:パリス・ヒルトン(『The Hottie and the Nottie』)
最低監督賞:ウーヴェ・ボル(『T-フォース ベトコン地下要塞制圧部隊』『デス・リベンジ』『ポスタル』)

2009年(第30回)
最低作品賞:『トランスフォーマー/リベンジ』
最低男優賞:ジョナス・ブラザーズ全員(『ジョナス・ブラザーズ ザ・コンサート 3D』)
最低女優賞:サンドラ・ブロック(『ウルトラ I LOVE YOU!』)
最低監督賞:マイケル・ベイ(『トランスフォーマー/リベンジ』)

2010年(第31回)
最低作品賞:『エアベンダー』
最低男優賞:アシュトン・カッチャー(『キス&キル』『バレンタインデー』)
最低女優賞:サラ・ジェシカ・パーカー、キム・キャトラル、クリスティン・デイヴィス、シンシア・ニクソン(『セックス・アンド・ザ・シティ2』)
最低監督賞:M・ナイト・シャマラン(『エアベンダー』)

2011年(第32回)
最低作品賞:『ジャックとジル』
最低主演男優賞:アダム・サンドラー(『ジャックとジル』『ウソツキは結婚のはじまり』)
最低主演女優賞:アダム・サンドラー(『ジャックとジル』の女性ジル役として)
最低監督賞:デニス・デューガン(『ジャックとジル』『ウソツキは結婚のはじまり』)

2012年(第33回)
最低作品賞:『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2』
最低主演男優賞:アダム・サンドラー(『俺のムスコ』)
最低主演女優賞:クリステン・スチュワート(『スノーホワイト』『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2』)
最低監督賞:ビル・コンドン(『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2』)


2013年(第34回)
最低作品賞:『ムービー43』
最低主演男優賞:ジェイデン・スミス(『アフター・アース』)
最低主演女優賞:タイラー・ペリー(『A Madea Christmas』)
最低監督賞:『ムービー43』を監督した13人

2014年(第35回)
最低作品賞:『Saving Christmas』
最低主演男優賞:カーク・キャメロン(『Saving Christmas』)
最低主演女優賞:キャメロン・ディアス(『SEXテープ』『ダメ男に復讐する方法』)
最低監督賞:マイケル・ベイ(『トランスフォーマー/ロストエイジ』)

2015年(第36回)
最低作品賞:『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』『ファンタスティック・フォー』[2]
最低主演男優賞:ジェイミー・ドーナン(『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』)[2]
最低主演女優賞:ダコタ・ジョンソン(『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』)[2]
最低映画監督賞:ジョシュ・トランク(『ファンタスティック・フォー』)

2017年(第38回)
最低作品賞:『絵文字の国のジーン』
最低主演男優賞:トム・クルーズ(『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』)
最低主演女優賞:タイラー・ペリー(『Tyler Perry's Boo 2! A Madea Halloween』)
最低映画監督賞:トニー・レオンディス(『絵文字の国のジーン』)



# by sentence2307 | 2019-02-02 18:06 | 徒然草 | Comments(0)
1月31日午後、NHK・BS1放送のドキュメンタリー「鷲とライオン ヒトラーVSチャーチル」(前編)の中でチャーチルのエッジの効いた名言を紹介していました。

議会で女性議員がチャーチルに罵声を浴びせます。
アスター夫人「あなたが私の夫だったら、あなたに毒を盛るでしょうね」
チャーチル「私が君の夫なら、喜んでその毒を飲むだろうね」
(それほど夫人が悪妻だというユーモア交じりの皮肉)

チャーチルの名言として知られているものとして、ほかに、

「私は豚が好きだ。猫は人を見下し、犬は人に従う。しかし、豚は人にこびることなく、自分と同等のものとして人を扱う」
(酒を飲まないヒトラーが、酒好きのチャーチルを「酔っぱらいの豚」と罵った言葉をそのまま返した皮肉。ヒトラーが強圧と恐怖とによって部下に絶対的な服従を求めたため、側近にはヒトラーにおもねり媚びる人間しか残らなかったためナチス政権は崩壊したといわれる。)

もすごく素敵だし、

「上手な演説というのは、女性のスカートのようでなければならない。大事な点をカバーするだけの十分な長さが必要だが、興味をかき立てる程度に短くなくてはならない」

とか、

「個人的には、私はいつも学ぶ準備ができている。教えられるのは嫌いだがね」

とか、

「(労働党のライバル)アトリー氏はとても謙虚な男だ。実際、彼には誇るべき点が何もないのだけどね」

とかも嫌みたっぷりでとても好きな言葉、

まあ、「成功は終わりではなく、失敗は致命的ではない。大切なのは続ける勇気だ」なんかよりは余程ね。

今日の後編の放送が楽しみです。


鷲とライオン ヒトラーVSチャーチル
(2016フランスROCHE PRODUCTIONS)Hitler VS. Churchill The Eagle and The Lion
人類史上かつてない惨劇をもたらした戦争の時代に鋭く対峙したヒトラーとチャーチル。その対照的な生い立ちから決戦の舞台裏まで、全編オールカラー化した映像で描く。
前編では2人の生い立ちから第二次大戦開戦まで。上流階級に生まれたチャーチルは騎兵将校となり、インドや南アフリカに従軍した後、26歳で議員に当選する。一方、オーストリアの貧しい家庭に生まれたヒトラーは、画家を志すが挫折。第一次大戦では兵士として従軍し、ドイツ敗戦後は極端な愛国思想を唱えて政界へ進出、首相に上り詰める。チャーチルは早くからヒトラーの台頭を警戒していた。時代は第二次大戦に突入して行く。
後編は、激しい空中戦が繰り広げられた1940年の「バトル・オブ・ブリテン」から始まる。ナチスによるフランス侵攻が始まったこの年の5月、チャーチルは首相に就任していた。ヒトラーは「日独伊三国条約」を締結するもソ連侵攻で惨敗。更にノルマンディー作戦、ドレスデンへの爆撃で追い詰められ、ついに自ら命を絶つ。一方のチャーチルも戦後は選挙で大敗し、歴史の表舞台から去る。時代と絡み合った二人の数奇な運命を描く。



# by sentence2307 | 2019-02-01 10:37 | ドキュメンタリー映画 | Comments(0)

ジョナス・メカス、逝く

今年に入ってから、すかあふえいすさんのブログ「映画に狂って・・・」におじゃますることが、なんだか頻繁になってしまいました。

なにしろ、昆虫採集ならぬ「映画採集」のプロみたいな方で、労作のいろいろな「収集箱」をのぞかせていただいて、そのきらびやかな映画のタイトルの羅列を眺めているだけで何時間でも楽しめてしまうという優れものです。しかし、このオタクっぽい淫靡な楽しみ方というのは、もしかすると、人を選ぶかもしれませんけれども。

まあ、それは置いといて、カテゴリーをコピペしておきます。

以下が、その見出しです。


犯罪アクション・ミステリー100
戦争映画ベスト100
西部劇ベスト100
コメディ映画ベスト100
メロドラマベスト50
邦画ベスト100
日本アニメベスト100
映画史を作った50本
その他ベスト色々
読んでおきたい映画本 この10冊
ホラー映画ベスト10に向けて
その他映画史いろいろ
映画人のオールタイムベスト:個別
映画人のオールタイムベスト:一覧
その他作家のオールタイムベスト
映画評論家のオールタイムベスト
映画(個別記事)
アニメリスト
漫画
その他映画の感想あれこれ
日記
映画人のオールタイムベスト(個別)
映画人のオールタイムベスト(日本勢)
スティーヴン・フリアーズのオールタイムベスト
映画人たちのオールタイム・ベスト(一覧)
映画監督たちのオールタイムベストPart72


いや~、こうして見ると、世界映画史のすべての魅力の重要な部分だけをチョイスして、とことん簡潔に要約した壮観さで、見飽きるということがありませんよね。

なんか、「この手があったか」という思いで、その素晴らしいアイデアには脱帽ですが、自分も同じようなタイプの「収集狂」を名乗っている手前、なんだか悔しいような思いもしないでもありません、まあ、はっきり言って嫉妬です。

と、まあこんな壮絶な感じなのですが、そのなかの「映画評論家のオールタイムベスト」を開いてみてさらに驚きました、なんとアンドレ・バザンとジョルジュ・サドゥールのオールタイム・ベストなんてのが、あるじゃないですか。

いまでこそ、映画史の本はいろいろと世間に出回っていますが、自分たちの世代にとって、バザンとサドゥールの本は、映画史を勉強するうえで、まさに教科書的な存在でした。ですので、「ジョルジュ・サドゥールのオールタイム・ベスト」とくれば、そりゃあとにかく見ないわけにはいきません。

あっ、そうそう、ここでひとこと申し上げておかなければなりませんが、自分には「加工癖」というのがあって、箇条書きの文字列をみると、それがたとえ時系列で整然と並んでいようと、50音順に並び替えたくなってしまうという性癖がありますので、この「ジョルジュ・サドゥールのオールタイム・ベスト」も、あえて「時系列」を無視して監督名を50音順に並び替えさせていただきました。


5時から7時までのクレオ アニエス・ヴァルダ
二十四時間の情事 アランレネ
囲い アルマン・ガッティ
成功の甘き香り アレクサンダー・マッケンドリック
女の一生 アレクサンドル・アストリュック
魅せられたデスナ河 アレクサンドル・ドヴジェンコ
大地 アレクサンドル・ドヴジェンコ
パサジェルカ アンジェイ・ムンク
地下水道 アンジェイ・ワイダ
世代 アンジェイ・ワイダ
髪を短くした男 アンドレ・デルボー
僕の村は戦場だった アンドレイ・タルコフスキ―
尼僧ヨアンナ イェジー・カワレロヴィッチ
チェコの古代伝説 イジー・トルンカ
野いちご イングマール・ベルイマン
第七の封印 イングマール・ベルイマン
鏡の中にある如く イングマール・ベルイマン
渇望 イングマール・ベルイマン
自転車泥棒 ヴィットリオ・デ・シーカ
グリード エリッヒ・フォン・シュトロハイム
審判 オーソン・ウェルズ
フォルスタッフ オーソン・ウェルズ
ガートルード カール・テオドア・ドライヤー
ジャゴ・フア・サベア A.J.カルダル
貧しい恋人たちのクロニクル カルロ・リッツァーニ
土曜の夜と日曜の朝 カレル・ライス
黒い神と白い悪魔 グラウベル・ローシャ
晴れた空 グリゴリー・チュフライ
誓いの休暇 グリゴリー・チュフライ
美しき五月 クリス・マルケル
女狙撃兵マリュートカ グレゴリー・チュフライ
肉体の悪魔 クロード・オータン=ララ
美しきセルジュ クロード・シャブロル
生きる 黒澤明
私はモスクワを歩く ゲオルギー・ダネリヤ
切腹 小林正樹
怪談 小林正樹
大樹のうた サタジット・レイ
大地のうた サタジット・レイ
大河のうた サタジット・レイ
白毛女 シェイ・ホワ
底抜け大学教授 ジェリー・ルイス
ぼくの伯父さん ジャック・タチ
新のんき大将 ジャック・タチ
幸福の設計 ジャック・ベッケル
穴 ジャック・ベッケル/ジャン=ピエール・メルヴィル
6月6日の夜明け ジャン・グレミヨン
妥協せざる人々 ジャン=マリー・ストローブ
カラビニエ ジャン=リュック・ゴダール
勝手にしやがれ ジャン=リュック・ゴダール
気狂いピエロ ジャン=リュック・ゴダール
女と男のいる舗道 ジャン=リュック・ゴダール
恋人のいる時間 ジャン=リュック・ゴダール
僕は黒人 ジャン・ルーシュ
トニ ジャン・ルノワール
宿命 ジュールス・ダッシン
呪われた者たち ジョセフ・ロージー
銃殺 ジョセフ・ロージー
★営倉 ジョナス・メカス
アメリカの影 ジョン・カサヴェテス
裸の島 新藤兼人
イワン雷帝 セルゲイ・エイゼンシュテイン
戦艦ポチョムキン セルゲイ・エイゼンシュテイン
モダン・タイムス チャールズ・チャップリン
ニューヨークの王様 チャールズ・チャップリン
砂の女 勅使河原宏
蜜の味 トニー・リチャードソン
乾いた人生  ネルソン・ペレイラ・ドス・サンテス
街と夢 ハージャー・アフマド・アッバース
カビリアの夜 フェデリコ・フェリーニ
母 フセヴォロド・プドフキン
大人は判ってくれない フランソワ・トリュフォー
ピアニストを撃て フランソワ・トリュフォー
あこがれ フランソワ・トリュフォー
シシリーの黒い霧 フランチェスコ・ロージ
第9女収容所 フランツェ・シュティグリッツ
華氏451 フランソワ・トリュフォー
エレクトラ マイケル・カコヤニス
電動車椅子 マルコ・フェレーリ
ポケットの中の握り拳 マルコ・ベロッキオ
濁流 マルセル・カミュ
危険な曲り角 マルセル・カルネ
天井桟敷の人々 マルセル・カルネ/ジャック・プレヴェール
さすらい ミケランジェロ・アントニオーニ
情事 ミケランジェロ・アントニオーニ
太陽はひとりぼっち ミケランジェロ・アントニオーニ
雨月物語 溝口健二
鶴は翔んでゆく(戦争と貞操) ミハイル・カラトーゾフ
黒いピーター ミロス・フォアマン
ブロンドの恋 ミロス・フォアマン
海の詩 ユリア・ソーンツェワ
アフリカよ帰れ ライオネル・ロゴーシン
地下鉄のザジ ルイ・マル
恋人たち ルイ・マル
死刑執行人 ルイス・ガルシア・ベルランガ
アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生 ルイス・ブニュエル
ナサリン ルイス・ブニュエル
ビリディアナ ルイス・ブニュエル
若い娘 ルイス・ブニュエル
皆殺しの天使 ルイス・ブニュエル
若者のすべて ルキノ・ヴィスコンティ
郵便配達は二度ベルを鳴らす ルキノ・ヴィスコンティ
熊座の淡き星影 ルキノ・ヴィスコンティ
リラの門 ルネ・クレール
ル・ミリオン ルネ・クレール
天使の家 レオポルド・トーレ・ニルソン
フィン・デ・フィエスタ レオポルド・トーレ・ニルソン
その窓の灯は消えない レフ・クリジャーノフ
プライマリー  ロバート・デュー
バルタザールどこへ行く ロベール・ブレッソン
抵抗 ロベール・ブレッソン
袋小路 ロマン・ポランスキー


あらためてその壮観さには、目を奪われました。

偶然なのですが、この作業を終えたあと、朝刊を広げて読んでいたら、社会面の最下段に、いまさっき、サドゥールのリストの中で見掛けたばかりのジョナス・メカスの訃報を見つけました。


≪ジョナス・メカスが96歳で死去、アメリカ前衛映画界の“ゴッドファーザー”
2019年1月24日 14:29

アメリカ前衛映画界の“ゴッドファーザー”とも称される映像作家で詩人のジョナス・メカスが、現地時間1月23日の早朝に米ニューヨークの自宅で死去。96歳だった。IndieWireなどが報じている。
1922年12月24日生まれ、リトアニアのビルジャイ出身のメカスは、ナチス・ドイツによって故郷を追われアメリカに亡命。1950年代にはニューヨークで実験映画のキュレーションを始め、1954年に弟とともに映画雑誌のフィルム・カルチャーを創刊する。1961年の「Guns of the Trees(原題)」で監督デビュー。1964年に発表した「The Brig(原題)」では、ヴェネツィア国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞を獲得している。撮影技師としては、アンディ・ウォーホルが8時間5分にわたりエンパイア・ステートビルを定点で収めた16mm作品「エンパイア」などに参加した。
1969年には3時間に及ぶ「ウォールデン」で日常を日記のようにカメラで収める“日記映画”というスタイルを確立。リトアニアへの27年ぶりの帰郷を捉えた「リトアニアへの旅の追憶」なども知られている。また実験映画の保存、保管、上映を目的としたアンソロジー・フィルム・アーカイブスを設立。ウォーホルのほかにも、ミュージシャンのジョン・レノン、作家のアレン・ギンズバーグ、画家のサルバドール・ダリらと交流があった。
近年までコンスタントに作品を生み出し、長編では2012年の「Out-Takes from the Life of a Happy Man(原題)」、短編では2013年の「Reminiszenzen aus Deutschland(原題)」が最後の映画となる。アンソロジー・フィルム・アーカイブスのSNSでは、メカスが家族に見守られながら静かに、そして安らかに亡くなったことが報告された。日本国内では2018年10月から11月にかけて特集上映「メカスとの旅 A Journey with MEKAS」が組まれたばかりだった。≫


「営倉」
1963年5月「リヴィング・シアター」で起きた事件で、メカスは、米国社会で大きな注目を集めた。
メカスはリヴィング・シアターで行われた「営倉」という演劇を観に行き、これをフィルム化することを突如思いつく。ここで上演されていた前衛的な演目を不満に思った劇場主が上演期間中に劇場を閉鎖、反発したダンサーが封鎖を破って上演を強行し逮捕されたという事件である。
最終日であったから、メカスとこのアイデアに同意した演劇の俳優たちが翌日夜の閉鎖された劇場に入り込み、セットを俳優たちが作りなおし、同時録音の16mmカメラでいつもの公演を撮る、という方法であった(後日、メカスは映画組合に大目玉をくらったという)。
メカスは封鎖された劇場での一部始終を撮影した映画『営倉 (The Brig) 』は、同年のヴェニス映画祭ドキュメンタリー部門で大賞を受賞した。
従って、劇映画とも違うし、ドキュメンタリーとも違う。メカスの異色作である。
営倉は懲罰房、米軍海兵隊で営倉に入れられている下っ端たちは、教官に熾烈な訓練とシゴキを受ける。教官たちは絶対的な存在であり、棍棒で気の向くまま囚人たちを殴る。囚人は逆らってはならず、「Yes, Sir!」と叫んではロボットのように起床し、着替え、掃除し、走り、腕立て伏せをし、何やら復唱する。何度観ても、何を言っているのかよくわからない。ただひたすらに、叫び声と、規則的に動かす足踏みのだっだっだっという音が耳に残る。
海兵隊のシゴキを描いた映画としては、スタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』(1987年)があったが、情けのかけらもない描写と裏腹の美しい映像とドラマはあくまで劇映画だった。1日で撮られ、既に演劇を観てしまっているという予定調和を避けるために弟のアドルファス・メカスに残酷に編集させたという『営倉』の生の存在感とは、根本的に異なっている。
「これがほんものの営倉だったらどうだろう。米軍海兵隊の許可をとってどこかの営倉に入り込み、そこで行われていることを映画に撮るとしたら。人の目に、どんな記録を見せられるというのか! その時演じられていた『営倉』のありさまは、私にとってはほんものの営倉だった。」
(『メカスの映画日記』フィルムアート社)


(1964アメリカ)監督: ジョナス・メカス、製作: ディヴィッド C. ストーン、脚本: ケネス・ブラウン、原作: ケネス・ブラウン、撮影: ジョナス・メカス、編集: アドルファス・メカス、68 min


そういえば、ロバート・クレイマーが亡くなってから、もうどれくらいの時間が経ってしまったのか、とその訃報を読みながら考えていました。



# by sentence2307 | 2019-01-25 23:40 | ジョナス・メカス | Comments(1)
映画芸術科学アカデミーは1月21日、第91回アカデミー賞のノミネーションを発表しました。クメイル・ナンジアニとトレイシー・エリス・ロスのホストで発表イヴェントは進行しました。

是枝裕和監督の『万引き家族』が外国語映画部門で、また、細田守監督の『未来のミライ』がアニメ長編映画部門でノミネートされました。

『万引き家族は』アカデミー賞前哨戦として注目を集める第44回ロサンゼルス映画批評家協会賞で外国語映画賞に輝き、1月13日に発表となったパームスプリングス映画祭でも、外国語映画に贈られるFIPRECI賞(国際批評家連盟賞)を受賞しています。昨年12月に映画芸術科学アカデミーは、外国語映画賞の候補対象となる9作を選出しており、その中にはコロンビアの『Birds of Passage』、デンマークの『THE GUILTY/ギルティ』、ドイツの『Never Look Away』(原題)、カザフスタンの『Ayka』(原題)、レバノンの『Capernaum』、メキシコの『ROMA/ローマ』、ポーランドの『COLD WAR あの歌、2つの心』、韓国の『バーニング 劇場版』が対象作として挙げられていましたが、発表では『万引き家族は』のほかにレバノンの『Capernaum』、ポーランドの『COLD WAR あの歌、2つの心』、ドイツの『Never Look Away』(原題)、メキシコの『ROMA/ローマ』の5作品がノミネートされました。

また、長編アニメーション部門では細田守監督『未来のミライ』のほか『インクレディブル・ファミリー』、『犬ヶ島』『シュガー・ラッシュ:オンライン』『スパイダーマン:スパイダーバース』がノミネートを果たしました。

今年度作品賞候補は8本。アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』が作品、監督、主演女優、助演女優ほか最多10部門でノミネートされ、『女王陛下のお気に入り』が9部門10ノミネートを果たしました。

『ROMA/ローマ』は昨年9月にヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。モノクロ映像でキャストも無名ながら、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞ほか、前哨戦で健闘しています。

レディー・ガガの初主演作『アリー/スター誕生』は作品賞や主演女優賞、歌曲賞ほか8部門、ジョージ・W・ブッシュ政権のディック・チェイニー副大統領を描く『バイス』も作品、監督、主演男優、助演男優、助演女優ほか8部門でノミネートを獲得しました。

『ブラックパンサー』がアメコミ原作のヒーロー映画として初めて作品賞候補となったのをはじめ7部門でノミネートされ、スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』が6部門ノミネートで続き、『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞、主演男優賞など5部門、『グリーンブック』も同じく5部門で候補になりましたが。

授賞式は2月25日(日本時間)、アメリカ・ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催されるそうです。

そうそう、このノミネートから授賞式のあいだにいつも思っていて、いざ授賞式になってしまうと、すっかり忘れてしまうことのひとつに、「アカデミー賞」と「ゴールデン・グローブ賞」との相関関係ってよく言われているじゃないですか。

今年こそ、絶対検証してやるぞと思っています。ですので、今年1月7日に発表されたゴールデン・グローブ賞受賞作とノミネート作品を下の方に添付しておきました。


◆作品賞
『ブラックパンサー』
『ブラック・クランズマン』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『女王陛下のお気に入り』
『グリーンブック』
『ROMA/ローマ』
『アリー/スター誕生』
『バイス』

◆監督賞
ヨルゴス・ランティモス(『女王陛下のお気に入り』)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
スパイク・リー(『ブラック・クランズマン』)
アダム・マッケイ(『バイス』)
パヴェウ・パヴリコフスキ(COLD WAR/あの歌、2つの心)

◆主演男優賞
クリスチャン・ベイル(『バイス』)
ブラッドリー・クーパー(『アリー/スター誕生』)
ウィレム・デフォー(永遠の門 ゴッホの見た未来)
ラミ・マレック(『ボヘミアン・ラプソディ』)
ヴィゴ・モーテンセン(『グリーンブック』)

◆主演女優賞
ヤリツァ・アパリシオ(『ROMA/ローマ』)
グレン・クローズ(『天才作家の妻 40年目の真実』)
オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』)
レディー・ガガ(『アリー/スター誕生』)
メリッサ・マッカーシー(『Can You Ever Forgive Me?』原題)

◆助演男優賞
マハーシャラ・アリ(『グリーンブック』)
アダム・ドライヴァー(『ブラック・クランズマン』)
サム・エリオット(『アリー/スター誕生』)
リチャード・E・グラント(『Can You Ever Forgive Me?』原題)
サム・ロックウェル(『バイス』)

◆助演女優賞
エイミー・アダムス(『バイス』)
マリーナ・デ・タビラ(『ROMA/ローマ』)
レジーナ・キング(『ビール・ストリートの恋人たち』)
エマ・ストーン(『女王陛下のお気に入り』)
レイチェル・ワイズ(『女王陛下のお気に入り』)

◆オリジナル脚本賞
デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ(『女王陛下のお気に入り』)
ポール・シュレイダー(『魂のゆくえ』)
ブライアン・ヘイズ・カリー、ピーター・ファレリー、ニック・ヴァレロンガ(『グリーンブック』)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
アダム・マッケイ(『バイス』)

◆脚色賞
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン(『バスターのバラード』)
バリー・ジェンキンス(『ビール・ストリートの恋人たち』)
ブラッドリー・クーパー、ウィル・フェッターズ、エリック・ロス(『アリー/スター誕生』)
ニコール・ホロフスナー、ジェフ・ウィッティ(『Can You Ever Forgive Me?』原題)
スパイク・リー、デヴィッド・ラビノウィッツ、チャーリー・ウォッチェル、ケヴィン・ウィルモット(『ブラック・クランズマン』)

◆撮影賞
ルーカス・ザル(『COLD WAR あの歌、2つの心』)
ロビー・ライアン(『女王陛下のお気に入り』)
カレブ・デシャネル(『Never Look Away』原題)
アルフォンソ・キュアロン(『ROMA/ローマ』)
マシュー・リバティーク(『アリー/スター誕生』)

◆編集賞
『ブラック・クランズマン』(バリー・アレクサンダー・ブラウン)
『ボヘミアン・ラプソディ』(ジョン・オットマン)
『女王陛下のお気に入り』(ヨルゴス・ランティモス)
『グリーンブック』(パトリック・J・ドン・ヴィト)
『バイス』(ハンク・コーウィン)

◆美術賞
『ブラックパンサー』
『女王陛下のお気に入り』
『ファースト・マン』
『メリー・ポピンズ リターンズ』
『ROMA/ローマ』

◆衣装デザイン賞
『バスターのバラード』
『ブラックパンサー』
『女王陛下のお気に入り』
『メリー・ポピンズ リターンズ』
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

◆メイクアップ&ヘアスタイリング賞
『Border』(原題)
『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』
『バイス』

◆視覚効果賞
『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』
『プーと大人になった僕』
『ファースト・マン』
『レディ・プレイヤー1』
『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

◆録音賞
『ブラックパンサー』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『ファースト・マン』
『ROMA/ローマ』
『アリー/スター誕生』

◆音響編集賞
『ブラックパンサー』
『ボヘミアン・ラプソディ』
『ファースト・マン』
『クワイエット・プレイス』
『ROMA/ローマ』

◆作曲賞
『ブラックパンサー』(ルドウィグ・ゴランソン)
『ブラック・クランズマン』(テレンス・ブランチャード)
『ビール・ストリートの恋人たち』(ニコラス・ブリテル)
『犬ヶ島』(アレクサンドル・デスプラ)
『メリー・ポピンズ リターンズ』(マーク・シャイマン)

◆歌曲賞
All the Stars(『ブラックパンサー』)
I’ll Fight(『RBG』原題)
The Place Where Lost Things Go(『メリー・ポピンズ』)
Shallow(『アリー/スター誕生』)
When a Cowboy Trades His Spurs for Wings(『バスターのバラード』)

◆長編アニメーション映画賞
『インクレディブル・ファミリー』
『犬ヶ島』
『未来のミライ』
『シュガー・ラッシュ:オンライン』
『スパイダーマン:スパイダーバース』

◆外国語映画賞
『Capernaum』(原題/レバノン)
『COLD WAR あの歌、2つの心』(ポーランド)
『Never Look Away』(英題/ドイツ)
『ROMA/ローマ』(メキシコ)
『万引き家族』(日本)

◆長編ドキュメンタリー賞
『Free Solo』(原題)
『Hale County This morning, This evening』(原題)
『Minding the Gap』(原題)
『Of fathers and sons』(原題)
『RBG』(原題)

◆短編ドキュメンタリー映画賞
Black Sheep
End Game
Lifeboat
A Night at the Garden
Period. End of Sentence.

◆短編実写賞
『Detainment』(原題)
『Fauve』(原題)
『Marguerite』(原題)
『Mother』(原題)
『Skin』(原題)

◆短編アニメーション映画賞
『Animal Behaviour』(原題)
『Bao』
『Late Afternoon』(原題)
『One Small Step』(原題)
『Weekends』(原題)







★ゴールデン・グローブ賞『ボヘミアン・ラプソディ』が作品賞&男優賞の2冠!
2019年1月7日 13時41分

ゴールデン・グローブ賞 The Golden Globe Awards
January 06, 2019 in Los Angeles

<ドラマ部門>

◆作品賞(☆は受賞、ほかノミネート、以下同)
☆ボヘミアン・ラプソディ(ブライアン・シンガー監督)
ブラック・パンサー(ライアン・クーグラー監督)
ブラック・クランズマン(スパイク・リー監督)
ビール・ストリートの恋人たち(バリー・ジェンキンス監督)
アリー スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)

◆主演男優賞
☆ラミ・マレック(ボヘミアン・ラプソディ)
ブラッドリー・クーパー(アリー スター誕生)
ウィレム・デフォー(永遠の門 ゴッホの見た未来)
ルーカス・ヘッジズ(ある少年の告白)
ジョン・デヴィッド・ワシントン(ブラック・クランズマン)

◆主演女優賞
☆グレン・クローズ(天才作家の妻 40年目の真実)
レディー・ガガ(アリー スター誕生)
ニコール・キッドマン(Destroyer)
メリッサ・マッカーシー(Can You Ever Forgive Me?)
ロザムンド・パイク(A Private War)


<ミュージカル/コメディ部門>

◆作品賞
☆グリーンブック(ピーター・ファレリー監督)
クレイジー・リッチ!(ジョン・M・チュウ監督)
女王陛下のお気に入り(ヨルゴス・ランティモス監督)
メリー・ポピンズ リターンズ(ロブ・マーシャル監督)
バイス(アダム・マッケイ監督)

◆主演男優賞
☆クリスチャン・ベール(バイス)
リン=マニュエル・ミランダ(メリー・ポピンズ リターンズ)
ヴィゴ・モーテンセン(グリーンブック)
ロバート・レッドフォード(The Old Man & the Gun)
ジョン・C・ライリー(Stan & Ollie)

◆主演女優賞
☆オリヴィア・コールマン(女王陛下のお気に入り)
エミリー・ブラント(メリー・ポピンズ リターンズ)
エルシー・フィッシャー(Eighth Grade)
シャーリズ・セロン(タリーと私の秘密の時間)
コンスタンス・ウー(クレイジー・リッチ!)

<共通部門>

◆監督賞
☆アルフォンソ・キュアロン(ROMA ローマ)
ブラッドリー・クーパー(アリー スター誕生)
ピーター・ファレリー(グリーンブック)
アダム・マッケイ(バイス)
スパイク・リー(ブラック・クランズマン)

◆助演男優賞
☆マハーシャラ・アリ(グリーンブック)
ティモシー・シャラメ(ビューティフル・ボーイ)
アダム・ドライヴァー(ブラック・クランズマン)
リチャード・E・グラント(Can You Ever Forgive Me?)
サム・ロックウェル(バイス)

◆助演女優賞
☆レジーナ・キング(ビール・ストリートの恋人たち)
エイミー・アダムス(バイス)
クレア・フォイ(ファースト・マン)
エマ・ストーン(女王陛下のお気に入り)
レイチェル・ワイズ(女王陛下のお気に入り)

◆脚本賞
☆グリーンブック
女王陛下のお気に入り
ビール・ストリートの恋人たち
ROMA ローマ
バイス

◆作曲賞
☆ファースト・マン
ブラックパンサー
犬ヶ島
メリー・ポピンズ リターンズ
クワイエット・プレイス

◆主題歌賞
☆「Shallow」(アリー スター誕生)
「All the Stars」(ブラック・パンサー)
「Girl in the Movies」(Dumplin')
「Requiem for a Private War」(A Private War)
「Revelation」(ある少年の告白)

◆アニメーション映画賞
☆スパイダーマン:スパイダーバース
インクレディブル・ファミリー
犬ヶ島
未来のミライ
シュガー・ラッシュ:オンライン

◆外国語映画賞
☆ROMA ローマ(メキシコ)
Capernaum(レバノン)
Girl(ベルギー)
Never Look Away(ドイツ)
万引き家族(日本)

◆セシル・B・デミル賞
☆ジェフ・ブリッジス




# by sentence2307 | 2019-01-23 08:02 | アカデミー賞 | Comments(0)
GYAOからメールマガジンの配信を受けているのですが、今日だったか、昨日だったかに着信していたメールを読まずに放置していました。

しかし、そこには、いまGYAOで、かつてキネマ旬報ベスト・テンに入ったような名作を70本も立て続けに無料配信すると書いてあったらしいのです、たまたま回転寿司で会った近所の知り合いのオヤジが教えてくれました。

「70本はすごいよ。なにしろ、すべてタダなんだからさ」

タダという言葉の響きにめっぽう弱い自分などは、おもわず立ち眩みがして、うわずった大声をあげてしまいました。

「ほ、ほ、ほんとですか!!」と。

話をよく聞けば、この企画、ここ1月に始まったばかりらしいので、まあ、そんなに慌てなくてもよくて、まだまだ先は長いみたいだよ、というオヤジの言葉に一応は安心したものの、さっそくタブレットを取り出して検索してみました。

なるほど、これですね、ありました。

ありましたけれども、アナタ、このリストのなかで、もう既に期限が過ぎてしまっている作品てのが何本かあるじゃないですか、そのなかでもまず最初に目についたのが「セデック・バレ」、えっ、なんだよお、これだけは絶対見たかったのにい、アレマ~。

この映画を見る前は、「首狩り族」なんて、とても怖くて薄気味悪く、むかしの現地台湾において生首をいっぱい並べてニッコリなんて写真を見せられると、とてもじゃありませんがおぞましくって、見るのはおろか、ただ聞くのでさえも嫌だったのに、あの映画「セデック・バレ」を見たあとでは、すっかり慣れて平気になっていて、ああ、これがその国の文化を知るってことなのかなあと変な感心をしたのを覚えています、わけ分かりませんが。

まあ、とにかく、GYAOのホームページに載っていたリストを貼っときますね。でも、貼りながらざっと数えてみたら、54本しかないので、このあとまだまだ追加されるということですよね(全70本ということですから)、いまから楽しみですけれども、反面、意識しすぎて「期限切れ」に追いまくられる日々を考えると、見る暇がなくて返却期限がきてしまったレンタルビデオみたいで鬱陶しい強迫観念に待ち伏せされているような気がしないでもありませんが。
以上、こういう経緯があるので、締切日の早いものから見る必要があります、ホームページに載っていたものを、便宜上、締切日の順に組み替えました。ほとんど自分ためだけの必要に迫られた作業にすぎませんが。


≪以下が放映リストです≫

大鹿村騒動記【日本映画/2011年2位】配信期間:2019/1/7~2019/1/13
セデック・バレ【外国映画/2013年4位】配信期間:2018/12/15~2019/1/16
ペコロスの母に会いに行く【日本映画/2013年1位】配信期間:2019/1/8~2019/1/21
岸辺の旅【日本映画/2015年5位】配信期間:2019/1/9~2019/1/22
まほろ駅前多田便利軒【日本映画/2011年4位】配信期間:2019/1/8~2019/1/28
松ヶ根乱射事件【日本映画/2007年7位】配信期間:2019/1/16~2019/1/29
ノー・マンズ・ランド(2001)【外国映画/2002年2位】配信期間:2019/1/1~2019/1/31
灼熱の魂【外国映画/2011年9位】配信期間:2019/1/4~2019/1/31
下妻物語【日本映画/2004年3位】配信期間:2019/1/18~2019/1/31

チェイサー(2008)【外国映画/2009年4位】配信期間:2019/1/3~2019/2/2
川の底からこんにちは【日本映画/2010年5位】配信期間:2019/1/22~2019/2/4
チルソクの夏【日本映画/2004年9位】配信期間:2019/1/11~2019/2/10
キャタピラー【日本映画/2010年6位】配信期間:2019/1/28~2019/2/10
GONINサーガ【日本映画/2015年6位】配信期間:2019/1/12~2019/2/11
さらば、わが愛~覇王別姫~ 【外国映画/1994年2位】配信期間:2019/1/14~2019/2/13
サッド ヴァケイション【日本映画/2007年4位】配信期間:2019/1/31~2019/2/13
ディア・ドクター【日本映画/2009年1位】配信期間:2019/1/25~2019/2/14
0.5ミリ【日本映画/2014年2位】配信期間:2019/1/17~2019/2/16
冷たい雨に撃て、約束の銃弾を【外国映画/2010年6位】配信期間:2019/1/18~2019/2/17
花様年華【外国映画/2001年2位】配信期間:2019/1/21~2019/2/20
苦役列車【日本映画/2012年5位】配信期間:2019/2/1~2019/2/21
黒衣の刺客【外国映画/2015年5位】配信期間:2019/1/23~2019/2/22
御法度【日本映画/2000年3位】配信期間:2019/1/24~2019/2/23
愛のむきだし【日本映画/2009年4位】配信期間:2019/2/11~2019/2/24
JSA【外国映画/2001年5位】配信期間:2019/1/26~2019/2/25
隠し剣 鬼の爪【日本映画/2004年5位】配信期間:2019/2/15~2019/2/28
道(1954)【外国映画/1957年1位】配信期間:2019/1/29~2019/2/28

血と骨【日本映画/2004年2位】配信期間:2019/2/18~2019/3/3
キャロル【外国映画/2016年2位】配信期間:2019/2/5~2019/3/4
ぐるりのこと。【日本映画/2008年2位】配信期間:2019/2/20~2019/3/5
母べえ【日本映画/2008年7位】配信期間:2019/2/21~2019/3/6
嫌われ松子の一生【日本映画/2006年6位】配信期間:2019/2/21~2019/3/6
マッチポイント【外国映画/2006年10位】配信期間:2019/2/8~2019/3/7
私の男【日本映画/2014年7位】配信期間:2019/2/22~2019/3/7
GO【日本映画/2001年1位】配信期間:2019/2/22~2019/3/7
おみおくりの作法【外国映画/2015年10位】配信期間:2019/2/9~終了日未定
桐島、部活やめるってよ【日本映画/2012年2位】配信期間:2019/2/23~2019/3/8
8 1/2【外国映画/1965年1位】配信期間:2019/2/9~2019/3/8
ハート・ロッカー【外国映画/2010年5位】配信期間:2019/2/23~2019/3/8
イル・ポスティーノ【外国映画/1996年1位】配信期間:2019/2/11~2019/3/10
ミリオンダラー・ベイビー【外国映画/2005年1位】2019/2/11~2019/3/10
小さいおうち【日本映画/2014年6位】配信期間:2019/2/25~2019/3/10
凶悪【日本映画/2013年3位】2019/2/12~2019/3/11
フェリーニのアマルコルド【外国映画/1974年1位】配信期間:2019/2/13~2019/3/12
クライマーズ・ハイ【日本映画/2008年8位】配信期間:2019/2/27~2019/3/12
戦場のピアニスト【外国映画/2003年1位】配信期間:2019/2/14~2019/3/13
ピンポン【日本映画/2002年9位】配信期間:2019/2/14~2019/3/13
ミッドナイト・イン・パリ【外国映画/2012年5位】配信期間:2019/2/15~2019/3/14
<39>刑法第三十九条【日本映画/1999年3位】配信期間:2019/3/1~2019/3/14
野火【日本映画/2015年2位】配信期間:2019/2/16~2019/3/15
クラッシュ(2004)【外国映画/2006年9位】配信期間:2019/2/16~2019/3/15
愛、アムール【外国映画/2013年1位】配信期間:2019/2/17~2019/3/16
ブルージャスミン【外国映画/2014年5位】配信期間:2019/2/23~2019/3/22
レスラー【外国映画/2009年5位】配信期間:2019/2/23~2019/3/22


「おいおい、そんなところでガッカリしてないでさ、こっちきて寿司でも一緒に食べようや」などとオヤジが手招きしています、寿司でも食おうやってアナタね、ここで寿司のほかになに食うつもり? えっ。ほかにったって、ほかなんてねえじゃねえかよ、ここは寿司屋だバカとか思いながら、仕方なく隣に座りました。

そうそう、よくいるじゃないですか、回転寿司の席に座るやいなや店のタブレットを独り占めして、自分の好みの握りをひととおり注文しておいて、あとはオモムロにゆっくりと食べ続けるだけみたいな人。何を隠そう、このオヤジというのが、まさにそのタイプなのです。

しかし、自分などは、あえて注文なんかせずに回ってくる寿司のなかから、自分の好みをチョイスするという(たとえ好みでなくたって、とりあえず目の前にあるもので空腹を満たすという現実容認主義の焼け跡闇市派です)堅実なタイプなので、このオヤジとはどうも波長が合いません。

あちらは、注文した握りがこないうちは手持無沙汰なので、コチラの迷惑も考えず、つまり、コチラは集中して食べたいというのに、そんなことは一切無視して、べらべらと一方的に喋りまくるわ、無理やり同意と返答を要求する無茶ぶりをするわで、落ち着いて食べているような状況じゃありませんし、やがて、オヤジの方に注文のブツが届いてコチラがやっと喋れる段になると、やっこさん、食うのに夢中で、最初のうちは気のない生返事をしていますが、そのうちついに「いま食べてるんだから、うるさいよ!」とぶち切れるという身勝手さです、とてもじゃありませんが、やってられません。

食べ疲れ、話し疲れてゲンナリして黙りこくっている自分の横で相手は活力に満ちて黙々と食べつづけているという実に惨憺たる図柄ですが、しかし、そんな状況でも、自分の話は自然にいつもの「黒澤明のデルス・ウザーラ論」になっていました。

やっと食べ終わったオヤジは、ティッシュで口を拭いながら、

「いままで話をきいているとさ、なんだかんだ言っても、結局オタクは黒澤監督のことが大好きだってことだわな」とバッサリ言われてしまいました。「でもさ、『デルス・ウザーラ』を、なんで『七人の侍』みたいに撮ってくれなかったんだと、いまさら嘆いてみても、そりゃ無理な話だよ」

この黒澤明論、自分が何度も蒸し返すので、もういい加減にしてくれよと言わんばかりのウンザリした顔です。

しかし、そのあとでコチラの気持ちをオモンパカッテか、こう付け加えてくれました。「でもね、その気持ち、大いに分かるよ」

それを契機に、それからのひととき≪あの監督にこそ、こういう作品を撮ってもらいたかった≫という無い物ねだりの空想ファンタジー・ゲームに花が咲きました。

そこで、自分は開口一番、「小津監督に『七人の侍』なんての、どうかね」と。

「おい、またかよ。あり得ねえだろ、もういい加減にしろよ」と、あからさまに嫌な顔をされてしまいました。あり得ないことを、あれこれ空想して楽しもうとしているんだから、いいじゃねえかと思ったりするのですが。

ともかく、それから次々と名匠・巨匠監督の名前をあげて、その監督に「こういうのを撮ってもらいたかったな」という小説とかノンフィクションを次々と挙げつらいながら楽しんだわけですが、そうこうしているうちに、今村昌平監督の名前になったとき、いままでテンション・マックスで声高にワアワア騒いでいたオヤジが、大げさにトーン・ダウンして声を潜め、秘密の重大事でも打ち明けるみたいにこう言いました。

「これはずっと考えていたことなんだけどもさ、今村監督にはぜひ撮って貰いたかった作品ってのがあったんだよ」

相手のペースにつられて、つい自分もひそひそ声になってしまいました、「なにそれ、なになに」

「宮本常一の『土佐源氏』」

「な~んだ、やめてよ、そういうの」

オヤジ、むっとして「なにがよ」と、幾分けわしい顔つきでにらんできました。

「だってさ、それって例の『忘れられた日本人』の宮本常一でしょ。しかもオレ読んだことあるし」

「オタクの読んだのは、高尚でご清潔な岩波文庫版。おれの言ってるのは全然ちがうの」

「えっ、なに、なんなの。早く言えよ、言えってば。言わないかこのタコ」

「まあまあ、そう興奮しないで」となだめるオヤジ。「オタク、相対会って知ってるだろ」

「うんまあ、キンゼイ報告みたいな?」

「あんたね、相対会報告に比べたらキンゼイ報告なんて、ごく「最近」の毛唐の無害な健康診断書みたいなママゴトにすぎないよ。こちとらはずっと歴史があって、もっともっと生々しいんだから。なにしろ1910年代の日本の話だからね。それにその社会的な影響を考えれば、いまでもそこらに出回っている地下出版の春本の原型と基盤(事実、「土佐乞食のいろざんげ」は、「地下発禁文庫シリーズ」(昭和57年)の一冊として刊行されたとのこと)になったという意味では格が違うんだ。オレなんかさ、若いときは『赤い帽子の女』や『田原安江』にはずいぶんとお世話になったもんよ」

「はあ」

「『赤い帽子の女』なんかさ、芥川龍之介が裏の名前で書いたんじゃないかって言われるくらいの名文なんだから。いまどきのガキに比べたら豪儀なもんだよ、なにしろこっちゃあ芥川龍之介センセイの名文でシコシコやってたわけだからヨ」

下品で大胆不敵なその大声に、恐怖と羞恥に縮み上がり、全身の毛という毛が総毛立って、思わず周囲に近所の知ってる人がいないかと、とっさに見回してしまったくらいでした。

「うっもう~、そんな大きな声で・・勘弁してくださいよ」ボケて声量の調節までおかしくなってしまったのかよお、まったく。

オヤジは、そんなリアクションなどお構いなしに、興に乗ってつづけます。

「でね、ちょっとさ、そのタブレット、貸してみなっての」

タブレットをひったくり、パッパッパツと、ある画面を出しました。

「これよ」とオヤジが画面を出したタブレットをもどしてきます。「それが宮本常一の土佐源氏の原型ってやつだよ」

「えっ? みやもとって・・・、さっきのあの話、まだ続いてたの」

「あったりまえだろ、アンタ、いままでなに聞いてたのよ。ちょっとこれ、読んでみ」

タブレットの画面に映し出されていたのは、読書感想文を日記風に綴ったある方のブログで、そこに≪名作・土佐源氏、幻のオリジナル?≫との見出しのページがあり、まず岩波文庫版「忘れられた日本人」の「土佐源氏」冒頭頁の複写が掲げられたあとに、「週刊新潮」(平成15年6月12日号)の数頁にわたる記事の切り抜きが貼ってありました。

記事の総見出しにあたる部分は大きく切り取られていて、判読もなにも手掛かりとなりそうなものなどまったくありませんが、最初の文字が「ポルノ」で始まり、最後が「土佐源氏」で終わっているらしいことくらいはどうにか分かりました。

「それが宮本常一の『土佐源氏』の原型といわれる『土佐乞食のいろざんげ』の一部分らしい」と、さっきのはしゃぎぶりをすっかり失ってしまったオヤジは、なんだか厳粛な低い声でそうつぶやきました。自分がやましくなると、逆に厳粛な顔になる人って世の中にはいますから。

「岩波文庫に収載するときに、差しさわりのある猥褻な個所を自主的に割愛したということだろうな」言下にその「いろざんげ」の書き手も宮本常一自身であることは間違いないと言っているのだなと感じました。

オヤジとの回転寿司店での話は、なんだか尻切れトンボの感じがしましたが、しかし、それでその話は終わりました。

自分は帰宅してすぐに、岩波文庫「忘れられた日本人」を開いて、ブログの「土佐乞食のいろざんげ(週刊新潮・平成15年6月12日号)」との逐語的な照合を試みました。

過激に色っぽい場面のほかは、完全に一致することを確認しました。

そういうことを考えれば、岩波文庫に収載するにあたって、直接的な猥褻な表現の個所を学術的な意味において不要だと判断し割愛したことは、そりゃあ確かにあったと思います。

しかし、そのことと表現の自由がどうのこうのというのとは、また別の次元の問題のような気がしました。

この週刊新潮に掲載された部分を読んで感じることは、読者受けする煽情的で淫らがましい箇所はたしかに積極的に採用・掲載されてはいるけれども、民俗的に貴重な学術的部分は、退屈さを理由に、あえて割愛しているようにも読めました、不自然なくらい話が飛んでいる箇所があり、それは双方がそれぞれに意味の通じない不全な個所を抱え持っているというのが、正直な印象につながっています。

これじゃあ、どこまでいっても同じことではないか、という気がします。

矛盾やリスクを分散して、おのおのがその分野にふさわしい部分だけをもっぱら引き受けて、その結果、お互いがお互いのテリトリーを犯さないようにして自己保身をはかっている、それが共棲するための契約とか取引みたいなご都合主義に見えて仕方ありません。

あらゆる戦時下において市民社会の健全な秩序を守るための口実として公営売春施設を考え出すいかがわしさに通じるような印象をどうしても禁じえないのです。

民俗学の本質は、人畜無害な「土佐源氏」のなかなどにはなくて、おそらく、「土佐乞食のいろざんげ」のなかにこそあるのだろうなということくらいは自分にもかろうじて分かります。



# by sentence2307 | 2019-01-20 16:35 | 今村昌平 | Comments(0)

捜索者

全米撮影監督協会(ASC)が、20世紀における優れた撮影の映画作品100本を発表したことを、たまたまネットで知りました。

ただ、そのサイトではベスト10までの発表しかなかったので、あちこち検索して「11位~100位」までの記事を探したのですが、残念ながら、その他の90本については、結局記事を見つけることはできませんでした。

まあ、なければ仕方がないと諦めかけたのですが、反面、どうしても見られないとなると、なおさら見たくなるというのも人情です。

そこで、ASCのホームページにあるリストを引っ張ってきて自分のブログに掲載しました。どこにもアップされてないとなれば仕方ありません、非常手段です。

アップするに際して、英文リストのタイトルを邦題に置き換えなければならないのですが、原題をそのままカタカナ表記にしたものは別にして、イメージを膨らませ創造力を盛ってつけた邦題は、原題を特定するのに少々手間どりました。

製作年度と英語タイトルから邦題の見当をつけるわけですが、だいたいのところは判断できたものの、ほんのいくつかについては、ちょっとした「推理」を必要としたものもありました。

なにしろ邦題命名者が苦労して「意訳」したその分だけ、思考のプロセスを逆にたどる必要があるというやっかいな作業です。

このリストを見て、それにしても日本映画のアップがきわめて少ないじゃないかという非難もあるかもしれませんが、なにせ選んだのが全米撮影監督協会なのですから、そこはホラ仕方ないんじゃないかなと割り切って考えた方がいいと思います。

そして、このリストをざっと見ていくと、

≪捜索者(1956・撮影ウイントン・C・ホック)≫

があるのに気が付きました。

そのときは、意識のどこかでウイントン・C・ホックを「さすがアカデミー賞をとったカメラマンだけのことはある」(「全米撮影監督協会のリスト」→「卓越した『捜索者』の冒頭シーン」→「アカデミー賞受賞の名カメラマン」)と、こんなふうに自分は意識のどこかで考えたかもしれません。

この「捜索者」なら、いまでもyou tubeで断片的なシーンを見ることができますので、ぶつ切りされた一部分のシーンを適当にハシゴして楽しんでいます。そりゃあ、まるごと見るのに越したことはないのでしょうが、「一部分」を見て楽しむのも捨てたものではありません。

ほら、予告編ばかりを見て楽しむっていうのもあるじゃないですか、予告編鑑賞というのも、自分の日常生活のルーティンのひとつになっています。

かねがね思うのですが、本編より予告編の方がよほど魅力的に作られている作品がいかに多いかというのが、自分の偽らざる実感としてあります、考えてみれば、予告編が魅力的に作られていなければ「集客」にはつながらないわけですから、予告編が面白いのはしごく当然な話なのかもしれませんが。

さて、この「捜索者」、まずは冒頭のシーン、暗い室内の扉を開けた瞬間、目の前に西部の荒涼とした風景モニュメント・ヴァレーがまばゆい陽光とともにスクリーンいっぱいに広がって、観客は一気に西部の荒野のただなかに引きずり込まれます。

まばゆい逆光を一身に浴び、黒い影になっている人物の後ろ姿を部屋の内側からとらえたカメラは、ゆっくりと歩み出すその影を追って戸外に出、遥か地平線に目を凝らし、彼方から馬に乗ってやってくるイーサン(ジョン・ウェイン)を遠望し、そして少しずつ近付いてくる彼を家族総出でじっと待つというこのファーストシーンは、何度見ても集中して見入ってしまう静かで抑制のきいた実にすばらしい場面です。

実弟の妻マーサが、まぶしそうに義兄イーサンを見つめ、そして高まる思いを抑えて室内に招き入れる所作の優美と艶めかしさに、このふたりの間に秘めたタダならぬ思いが瞬時にかよい合うのが見て取れますし、義妹へのこの秘めた思いが、この映画のラストにおいて、強烈な人種偏見者イーサンが、一族の血統を守るためにインディアンによって汚された姪への殺意を和らげていく「理由」になっていることを、この映画「捜索者」を何度も見ていくうちに、やっと気が付いたことでもありました。

このわずかなシーンだけで、場所と人間関係の大方を一瞬にして観客に理解させてしまうというジョン・フォードの力量を感じさせずにはおきません。

ジョン・フォードの失われゆくものに対するこの郷愁と抒情性が、小津監督にも、黒澤監督にも多大な影響を与えたということも、なんだかうなずけますよね。

月末にwowowのプログラムが送付されてくると、その放送日に予定があろうとなかろうと、ともかく、一応、「見たい」作品に総チェックを入れるというのが自分の楽しみのひとつになっています。

この1月には、なんとジョン・フォード監督の3本の名作が予定されていて、つまり「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」「荒野の決闘」を放映するそうなのです。

なるほど、なるほど。そりゃ楽しみだわ。

28日~30日は、いまから予定を開けておいて、なんとしてでも絶対に見たい、と思った瞬間、ちょっと待てよと。
自分的にも、いままでジョン・フォードの名作の3作といえば、やはりこの「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」「荒野の決闘」の3作をあげていました。

やっぱり、自分の意識の中でも「捜索者」(この作品に対する最近の高評価を知っていますが)という作品は、まだまだなんだなと思いながら、この作品がどんなふうにいままで扱われてきたのか、ちょっと調べてみたくなりました。

まずは、AFI(アメリカ映画協会)が、1997年に発表した「アメリカ映画100年ベスト100」というランク・リストがあって、その10年後(2007年)には改訂版というのが発表されています。

そのリストの中でジョン・フォード作品の評価がどう動いたか、見てみますね。

怒りの葡萄 1997年・21位→2007年・23位
駅馬車 1997年・63位 →2007年・消去
捜索者 1997年・96位 →2007年・12位 

アメリカ映画史において歴史的な金字塔をうち立てた名作「駅馬車」も、その記念碑的な役割を終えて姿を消し、そのかわりにアメリカ開拓史における特異で深刻なインディアンによる白人の拉致事件を描いた「捜索者」が、近年、評価が高まり、あるいは、歴史的な意味からも注目され始めた象徴的な「交代」ということを反映しているのかもしれません。

しかし、公開当時においては、この緊張感と迫力に満ちた作品も興行的には成功したとは言いがたく、また批評も芳しくなくて、ジョン・ウェイン主演のありきたりな西部劇の1本と認識されて軽く扱われ、ほどなく失敗作という評価が定着して忘れ去られたということでしょうか、もちろん同年のアカデミー賞の候補にも選出されていません。ジョン・フォードのキャリアもこの作品以降ゆるやかな下降線をたどったといわれています。

再評価の契機となったのは、1989年創立のアメリカ国立フィルム登録簿に登録された最初の映画のなかの1本となって、現在ではフォード監督の西部劇「駅馬車」「荒野の決闘」を凌ぐ代表作であり、西部劇映画を代表する傑作として高い評価を得ています。

2008年にはアメリカ映画協会によって「最も偉大な西部劇映画第1位」に選出されています。

自分が、「捜索者」でいい仕事をしてアカデミー賞を受賞したと思い込んでいたウイントン・C・ホックの実績も勘違いだったことに気が付きました。受賞したのは、以下の3本。

1948年 ジャンヌダーク
1949年 黄色いリボン
1952年 静かなる男

そもそも、それまで、インディアンによる白人女性の虜囚と奪還の物語「捜索者」という作品に対して、注意も敬意も払われなかった(単に見たくないものを遠ざけた)というのが、実態だったような気がします。いわば、すべてのアメリカ人の痛みと血の恐怖を描いた作品だったからこそ、あえて無視し「冷遇」したというのが本当のところだったのではないかと。

この作品を論難した代表的な見解というものがあります。

≪(先住アメリカ人の扱いについて)これまでに製作された最も悪意に満ちた反インディアン映画のひとつである。全編を通して、インディアンを殺すことが「インディアン問題」の唯一の解決策という論調に加担している。(ジョン・タスカ)≫
あるいは、
≪この映画は、憎悪と偏見の痛ましい結果を描いており、人間はそうした感情を克服したときにのみ生き続けることが出来ると言っているかのようだ。・・・インディアンはおしなべて残忍で強欲な強姦者か殺人者であるという「真実」と「公正さ」(やられたからやり返す)の追求という点で、この映画は当時の如何なる西部劇よりも先端的だったかもしれないが、もどかしいのは、この映画が本当の意味での公正さのかなり手前で立ち止まっていることだ。≫

たしかに、この物語を最後まで強力に牽引するものは、濃密で根深い「人種的偏見」であり、その思想が端的に描かれているのは、イーサンとマーティンが長い旅のあいまに久しぶりに故郷に戻ると、そこでは、恋人マーティンの帰還を待ちくたびれたローリーが別の男と結婚しようとしている場面、いままさに式がおこなわれようとしているところに行き会い、マーティンは激怒して花婿と殴り合って男を追い払ったあと、恋人ローリーが長い間自分をほったらかしにしていたマーティンの無責任さをなじり怒りをぶつける場面です。

ローリーは彼に、デビー探しなどイーサンにすべて任せてしまえばいいと迫ります。あなたは私のそばにいてと。

「コマンチからデビーを救い出したら、イーサンは異人種の血で汚されたデビーを殺すつもりなのよ。そのためにデビーを探しているの、そんなこと分かり切ったことじゃない。きっと、何度も売り物にされて、高値をつけた男たちにさんざん弄ばれたはずよ。もう、いまごろは野蛮人の子供だっているかもしれない。イーサンがデビーを殺したとしても、それは善いこと、正義にかなうことだと思うわ。天国にいるデビーのお母さんだって、きっとそれを望んでいる。家族の誰もが野蛮人の血で汚された恐ろしい汚点を断ち切って血統を守ることを望んでいるわ」と。

ローリーの美しい顔は、恐ろしい言葉を吐きながら険しくゆがみ、その目は、≪コマンチの頭皮を踏みつけて土中に埋めたときのイーサンの目のように、燃えるような憎悪で輝いていた≫

インディアンを餓死させるために、その食料であるバッファロウを殺しまくり、そして、冷笑を浮かべながらコマンチの死体の目を憎しみを込めて打ち抜いたジョンウェインのその怒りと憎悪に燃える険しい目つきは、まさに鬼気迫る迫真の演技でした。

しかし、マーティンは「自分がいる限り、そんなことはさせない」と激しく否定します、「だから自分も一緒に行かなければならないのだ」と。

実は、このマーティンは白人娘とインディアンの混血で、エドワーズ家に拾われて養育されたという生い立ちをもち、これもまたイーサンの偏見に晒されているひとりとして設定されています。「俺のことを伯父さんなんて呼ぶな、お前のおじさんなんかじゃない」とマーティンに吐き捨てるように言うシーンもありました。

このインディアンと交わりをもった白人(混血児のふくめて)についての強烈な偏見に満ちた所感なら、1961年に撮られた「馬上の二人」のなかでも再度語られています。

ジェームス・スチュアート扮する保安官が、コマンチに拉致されて10年も経った少年について語る場面、

「その子はいま、三つ編みにした髪を肩まで垂らして、髪はバッファロウの脂を塗りたくられ、もの凄い悪臭を放っている。そして、体中のあちこちに傷跡をつけている、自分が勇ましい男であることを証明するためにさ。英語はもうとっくに忘れている。ただコマンチの言葉を唸るように発するだけだ。当然、いままでにも何人もの白人を殺しているだろうさ。そして、頭皮をはぎ取っている、白人の頭皮をね。いわば勇者の誇りってやつだよ。しかも、チャンスさえあれば、相手がきみだろうと白人娘とみればレイプするだろう。それから、切れ味のいいナイフやおんぼろのライフルと交換に、きみを品物みたいに仲間に譲り渡す。そういう若者を、私に連れ戻してほしいと言うのかい?」

もはや、そういう彼を白人社会に同化させることは、いまさら無理なのだと。

しかし、一族の血統を守るためにインディアンへの憎悪と殺意にもえたイーサンが殺すことばかり考えていたインディアンに汚された姪を救出して抱きかかえたとき、気持ちに変化が訪れます。

ジョン・ウェインは、このシーンの演技を正確に理解して、こう語っています。

「最後にイーサンがデビーを抱き上げるとき、その顔を見つめるイーサンの胸中にはどんな思いが浮かんでいたのか、それを自分は考えたんだ。その時イーサンはデビーの瞳の中に彼が愛する女の面影を見ていたのだと思う。それは、イーサンの憎悪を流し去るのに十分だったのさ」

インディアンから姪を奪い返し、安住の家に届けたイーサンは、その家に入ることなく、きびすを返して荒野にむけて立ち去ります。
ファーストシーンで開けられた扉は、このラストシーンでは孤独な男イーサンの後ろ姿を断ち切るように静かに閉じられて物語は終わります。

ジョンフォードは、この映画を、「家族の一員になることの出来なかった一匹狼の悲劇」と述べています。

数日かけてこの小文を書いているあいだに、数本の映画を見たのですが、そのなかにSF西部劇映画「カウボーイ&エイリアン」(2011、ジョン・ファヴロー監督)があって、その解説で、こんな一文に出会いました。

≪スピルバーグがこの映画のエグゼクティヴ・プロデューサーをつとめたとき、監督のジョン・ファヴローや脚本家たちに「捜索者」のニュープリントをみせて、本物の西部劇のなんたるかを理解させた≫と。

この一文を読んだとき、スピルバーグが少年の時にジョン・フォードを訪ねたと、なにかの作品で話していたことを思い出しました、あて推量の「たぶん」という気持ちを手掛かりに、ピーター・ボグダノヴィッチのドキュメンタリーを検索してみました。

なるほど、なるほど。

「ヒッチコック/トリュフォー」 (2015)ってボグダノヴィッチの作品だったんですね。

そして著作としては、

"The Cinema of Orson Welles" (1961)
"The Cinema of Howard Hawks" (1962)
"The Cinema of Alfred Hitchcock" (1963)
"John Ford" (1967; expanded 1978)
"Fritz Lang in America" (1969)

などがありました。すごい、すごい。

これってもう立派な映画史家ですよね。

この分なら、ジョン・フォードのドキュメンタリーだって、あながち「ない」とはいえないのではないかという気持ちになってきました。

そこで、「John Ford」と打って動画検索をかけてみたところ、あるじゃないですか、ボグダノヴィッチが監督した1時間50分のドキュメンタリー映画「映画の巨人 ジョンフォード」(2006、ワーナーと記されています)、これです、これ、自分がむかし見たのと同じものです。

きっと、スピルバーグが少年のときにジョン・フォードを訪ねたというエピソードを語る場面もきっとこのなかに存在しているはずで、最初からとおして見てみることにしました。

イーストウッド、スピルバーグ、スコセッシ、ウォルター・ヒルのフォード賛辞のコメントのあとに映し出されたのは、なんとあの「捜索者」のファーストシーンでした、やっぱね。

そして次には、ボグダノヴィッチが、フォードにインタビューし、ぶっきらぼうな答えしか得ることができず、結局は適当にあしらわれたすえに、業を煮やした偏屈なフォードから「カット!」と叫ばれ突然インタビューが打ち切られてしまうという失笑の場面のすぐあとに、「それ」はありました、スピルバーグの「少年の時にフォードを訪ねた」というエピソードを語るインタビュー、もちろんこの場面のすべてを聞き書きタイプしました。

≪ジョン・フォードに会った、15歳の時分だ。
ある人に会いに行き、将来何になりたいか聞かれたので、監督ですと答えた。その人は、自分はテレビ畑の人間だから、向かいのオフィスの人に逢って話すといいと言われた。誰ですか、と聞くと、ジョン・フォードさと答えた。
そのオフィスに行くと、フォードは昼食に出て留守で、彼の秘書に紹介された。椅子に腰かけて彼女と45分くらい話をした。
突然男が入ってきた。まるで猛獣狩りの格好だ。サファリの服にへなへなの帽子をかぶっていた。アイパッチをしていてハンカチを噛んでいた。手には葉巻を持ち、顔中にニセモノのキスマークがついていた。完全な唇の形をしているやつが、額と頬と鼻にあった。彼はさっさと部屋に入り、秘書がティッシュを持ってあとに続いた。やがて出てきた秘書が1分だけ話せるわよって告げた。
私が部屋に入ると、ジョン・フォードが座っていた。彼の前の机にはブーツが載っていた。
「映画の作り手になりたいんだって?」
「はい、監督志望です」
「映画は、詳しいか?」
「故郷のアリゾナ州で8ミリ映画を撮っています」
「芸術について何を知ってる?」
私はしどろもどろで、なにか答えたと思う。
フォードは、「壁に絵が掛かっているだろう」と言った。
西部の絵だった。「あの絵に何が見えるか言ってみろ」
「馬に乗った先住民がいます」
「そうじゃない、地平線はどこだ。地平線が見えんか」
自分が地平線を指さすと、
「指さすな、どこにあると言ってるんだ。絵全体を見て地平線は?」
「絵の一番下です」
「よし、次の絵だ」次の絵の前に立つと、また「地平線はどこだ」
「絵の一番上にあります」
「こっちにこい」と言われ、彼の机のそばに行った。
フォードは言う。
「つまり地平線の位置を画面の一番下にするか、一番上にする方が、真ん中に置くよりずっといい、そうすれば、いつかいい監督になれるかもな。以上。おわり!」≫

なにしろ、ジョン・フォードとスピルバーグの組み合わせなんですから、とにかく想像力を掻き立てられるものすごい場面ですよね、う~ん、ヒッチコックとトリュフォーの取り合わせというのもすごいには違いありませんが。


捜索者
(1956アメリカ)監督・ジョン・フォード、脚本・フランク・S・ヌージェント、原作・アラン・ルメイ、製作・メリアン・C・クーパー音楽・マックス・スタイナー、撮影・ウィントン・C・ホック、編集・ジャック・ムーレイ、美術・フランク・ホタリング、ジェイムス・べイスヴィ、
出演・ジョン・ウェイン(イーサン・エドワーズ)、ジェフリー・ハンター(マーティン・ポーリー)、ナタリー・ウッド(デビー・エドワーズ)、ワード・ボンド(クレイトン牧師)、ヴェラ・マイルズ(ローリー・ジョージェンセン)、ヘンリー・ブランドン(コマンチ族酋長スカー)、ラナ・ウッド(デビーの少女期)、ハリー・ケリー・ジュニア(ブラッド・ジョーゲンセン)、オリーヴ・ケリー(ジョーゲンセン夫人)、ケン・カーティス(チャーリー・マッコリー)、パトリック・ウェイン(グリーヒル少尉)、メエ・マーシュ(砦の夫人)、ジョンクェイルン、



# by sentence2307 | 2019-01-16 16:08 | ジョン・フォード | Comments(0)
全米撮影監督協会(ASC)は100周年を記念して、20世紀において優れた撮影を誇る映画作品100本を発表した。
トップ10以下は順位づけされていない。


ASC Unveils List of 100 Milestone Films in Cinematography of the 20th Century

1.アラビアのロレンス(1962・撮影フレディ・ヤング)
2.ブレードランナー(1982・撮影ジョーダン・クローネンウェス)
3.地獄の黙示録(1979・撮影ヴィットリオ・ストラーロ)
4.市民ケーン(1941・撮影グレッグ・トーランド)
5.ゴッドファーザー(1972・撮影ゴードン・ウィリス)
6.レイジング・ブル(1980・撮影マイケル・チャップマン)
7.暗殺の森(1970・撮影ヴィットリオ・ストラーロ)
8.天国の日々(1978撮影ネストール・アルメンドロス)
9.2001年宇宙の旅(1968・撮影ジェフリー・アンスワース/ジョン・オルコット)
10.フレンチ・コネクション(1971・撮影オーウェン・ロイズマン)


Titles 11–100 (in order of release):

メトロポリス(1926・撮影カール・フロイント)
ナポレオン(1927・撮影レオン・アンリ・ブュレル、ジュール・クルージェほか)
サンライズ(1927・撮影チャールス・ロシャー)
風と共に去りぬ(1939・撮影アーネスト・ホラー)
オズの魔法使い(1939・撮影ハロルド・ロッソン)
怒りの葡萄(1940・撮影グレッグ・トーランド)
我が谷は緑なりき(1941・撮影アーサー・C・ミラー)
カサブランカ(1942・撮影アーサー・エディスン)
偉大なアンバースン(1942・撮影スタンレイ・コルテズ)
黒水仙(1947・撮影ジャック・カーディフ)
自転車泥棒(1948・撮影カルロ・モンテゥオーリ)
赤い靴(1948・撮影ジャック・カーディフ)
第三の男(1949・撮影ロバート・クラスカー)
羅生門(1950・撮影・宮川一夫)
サンセット大通り(1950・撮影ジョン・サイツ)
波止場(1954・撮影・ボリス・カウフマン)
七人の侍(1954・撮影・中井朝一)
狩人の夜(1955・撮影スタンリー・コルテス)
捜索者(1956・撮影ウイントン・C・ホック)
戦場にかける橋(1957・撮影ジャック・ヒルドヤード)
黒い罠(1958・撮影ラッセル・メティ)
めまい(1958・撮影ロバート・バークス)
北北西に進路をとれ(1959・撮影ロバート・バークス)
勝手にしやがれ(1960・撮影ラウール・クタール)
去年マリエンバードで(1960・撮影サッシャ・ヴィエルニー)
8 ½(1963・撮影ジャンニ・ディ・ヴェナンツィオ)
ハッド(1963・撮影ジェームズ・ウォン・ハウ)
博士の異常な愛情(1964・撮影ギルバート・テイラー)
怒りのキューバ(1964・撮影セルゲイ・ウルセフスキー)
ドクトルジバゴ(1965・撮影フレディ・A・ヤング)
アルジェの戦い(1966・撮影マルチェロ・ガッティ)
バージニアウルフなんて怖くない(1966・撮影ハスケル・ウエクスラー)
暴力脱獄(1967・撮影コンラッド・ホール)
卒業(1967・撮影ロバート・サーティーズ)
冷血(1967・撮影コンラッド・ホール)
ウエスタン(1968・撮影トニーノ・デリ・コリ)
明日に向かって撃て!(1969・撮影コンラッド・ホール)
ワイルドバンチ(1969・撮影ルシアン・バラード)
時計仕掛けのオレンジ(1971・撮影ジョン・オルコット)
コールガール(1971・撮影ゴードン・ウィリス)
ラスト・ショー(1971・撮影ロバート・サーティーズ)
ギャンブラー(1971・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
キャバレー(1972・撮影ジェフリー・アンスワース)
ラストタンゴ・イン・パリ(1972・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
エクソシスト(1973・撮影オーエン・ロイズマン)
チャイナタウン(1974・撮影ジョン・アロンゾ)
ゴッドファーザーPart II(1974・撮影ゴードン・ウィリス)
バリーリンドン(1975・撮影ジョン・オルコット)
カッコーの巣の上で(1975・撮影ハスケル・ウエクスラー)
大統領の陰謀(1976・撮影ゴードン・ウィリス)
タクシードライバー(1976・撮影マイケル・チャップマン)
未知との遭遇(1977・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
デュエリスト/決闘者(1977・撮影フランク・タイディ)
ディアハンター(1978・撮影ヴィルモス・ジグモンド)
エイリアン(1979・撮影デレク・ヴァンリット)
オール・ザット・ジャズ(1979・撮影ジョゼッペ・ロトゥンノ)
チャンス(1979・撮影キャベル・デシャネル)
ワイルド・ブラック/少年の黒い馬(1979・撮影キャベル・デシャネル)
マンハッタン(1979・撮影ゴードン・ウィリス)
シャイニング(1980・撮影ジョン・オルコット)
炎のランナー(1981・撮影デヴィット・ワトキン)
U・ボート(1981・撮影ヨリス・バカーノ)
レッズ(1981・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
ファニーとアレクサンダー(1982・撮影スヴェン・ニクヴィスト)
ライトスタッフ(1983・撮影キャベル・デシャネル)
アマデウス(1984・撮影ミロスラフ・オンドリチェク)
ナチュラル(1984・撮影キャベル・デシャネル)
パリ、テキサス(1984・撮影ロビー・ミューラー)
未来世紀ブラジル(1985・撮影ロジャー・プラット)
ミッション(1986・撮影クリス・メンゲス)
太陽の帝国(1987・撮影アレン・ダビュー)
ラストエンペラー(1987・撮影ヴットリオ・ストラーロ)
ベルリン・天使の詩(1987・撮影アンリ・アルカン)
ミシシッピーバーニング(1988・撮影ピーター・ビジウ)
JFK(1991・撮影ロバート・リチャードソン)
紅夢(1991・撮影チャオ・フェイ)
許されざる者(1992・撮影ジャック・グリーン)
バラカ(1992・撮影ロン・フリック)
シンドラーのリスト(1993・撮影ヤヌス・カミンスキー)
ボビー・フィッシャーを探して(1993・撮影コンラッド・ホール)
トリコロール/青の愛(1993・撮影スラヴォミール・イジャック)
ショーシャンクの空に(1994・撮影ロジャー・ディーキンズ)
セブン(1995・撮影ダリウス・コンジ)
イングリッシユ・ペイシェント(1996・撮影ジョン・シール)
L. A.コンフィデンシャル(1997・撮影ダンテ・スピノッティ)
プライベート・ライアン(1998・撮影ヤヌス・カミンスキー)
シン・レッド・ライン(1998・撮影ジョン・トール)
アメリカンビューティ(1999・撮影コンラッド・ホール)
マトリックス(1999・撮影ビル・ポープ)
花様年華(2000・撮影クリストファー・ドイル)



# by sentence2307 | 2019-01-14 14:36 | 映画 | Comments(0)

人はなんで生きるか

自分は、子どものころに、「ちょっと、おかしな子」と言われていました、どこがどうおかしいのかは、もちろん自分では分かりませんし、大人になったいまでは、お陰様で世間知に長けたごくフツーの常識人として人並な成長をとげ平穏な生活もできていますので、たぶん、あれは、誰もが子ども時代に持ったであろう一般的な特徴としての「おかしさ」の範囲内のものにすぎなかったのだなと思います。

しかし、「おかしな子」と言われていた当時でも、本人としては、これと思い当たることもありませんし、当然、その自覚もありませんでした。

しかし、あるとき、テレビを見ていたら、なにやらの専門家とかいう大学教授の先生が出てきて、この「おかしな子」の特徴として、特定な分野や事象に対して「異常なこだわり」を持つことがあげられ、それが芸術分野だったなら、偉大な芸術家となる素地になるというようなことを話していました。

なるほど、映画「gifted/ギフテッド」2017じゃありませんが、天才数学者だとか、天才物理学者だとかは、もしかするとギリこれだなと、だいたい、ああいう賢さはどこか異常なものがなければ在り得ないことだよな、などと妙に納得しながら、そのテレビを見ていました。

つまり、そのときはまだ、自分とはなんの関係もない、まったくの他人事として聞いていたわけですが、自分は少し前のブログで、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」について、黒澤監督らしからぬ作品であると非難を込めて書いたことがあります。黒澤監督の作品として「あれはないだろう」という感じです。

実は、そのことがずっと気になっていました、いえいえ、非難しすぎて後悔しているとか、疚しいとか罪悪感ということではありません、むしろ、当初これだけは言ってしまおうと考え用意していたものを、書き進む勢いに酔っているうちに、肝心な「これ」の部分をすっかり失念して、コラムを完結させてしまった、その「言い足りなさ」がいまでも気持ちのどこかに引っかかっていて、モヤモヤがずっと晴れなかったのです。

口論をしているうちに、次第に激してしまい、当初考えていた「これだけはどうしても言わなければ」と用意していた重要で決定的なキモの部分を失念し提示できなかったという不完全燃焼のモヤモヤ感です。

そんなふうにウダウダ考えているときに、テレビのあの「おかしな子の異常なこだわり」の解説に遭遇し、そして、かつて自分が「おかしな子」といわれていたことも同時に思い出しました。

しかし、いま自分が囚われているウダウダのこだわりが、もし「それ」なら、それはそれで仕方ないじゃないか、むしろそういうのは優れた資質ではないかという気分になり、なんだかだんだん安らかな気持ちになっていくのが実感できました。「こだわり? あった方がいいでしよう、そりゃあ」という感じでしょうか。

なので、あのとき、失念してしまって「言い足りなかった」ものをストレス解消の意味を込めて書いてみますね。

あのとき、自分は、ロシア文学には、黒澤監督が映画化するのにもっとふさわしい土俗的・土民的な粗野で野蛮で残忍な題材が山ほどあることを具体例(ドイツや満州での暴虐もそのひとつでした)をあげて証明するつもりでした。

横暴な地主は農奴を徹底的に酷使し、彼らが命令に従わなければ足腰が立たなくなるまで殴りつけ、駈りあげ、皮膚が破れ、血が噴き出し、肉が裂けて、骨が見えるまで鞭打ちます。もとより同じ人間などとはハナから考えておらず、2本足で歩く薄汚いただの家畜としか思っていない地主は、強情な家畜のなまけ癖は骨身にしみてぶちのめして分からせなければ示しがつかないと、死ぬほど打擲します、そのためにたとえ死んでも、こんな食い詰めた農奴など代わりならそこらに幾らでもいると嘯きます。

農奴は農奴で、ただ従順に鞭打たれているわけではなく、ひそかに寄り集まっては、自分たちが殺されるよりも先に、横暴で残忍な地主をなぶり殺すことばかりを憎悪と憤怒のなかで謀議しています。

これじゃあ、そのうち革命だって起こるわな、という感じです。

それにこの憎悪の深さは、革命後の反革命勢力にたいする執拗で残忍な徹底弾圧を納得させるものがあるかもしれません、そんな例ならソヴィエトでも中国でもゴマンとあります。

自分が、ロシア文学のなかでこれらの残忍な描写を具体的に意識しだしたのは、実はトルストイ後期の民話集「人はなんで生きるか」(岩波文庫)でした。

トルストイの後期というのは、その特徴として、宗教性・道徳性・社会教化性が顕著になり、宗教家・道徳家の側面が高まり強調されていく時期です、とくにその時期に書かれた「人はなんで生きるか」は、虐げられている下層社会であえぐ民衆の、その救いを描いた作品として夙に知られています。

しかし、その高貴な宗教性にもかかわらず、小説においては、結局最後には否定され、救済されはするものの、核になるその悲惨で無残な「エピソード」というのが、実にリアリティがあるのです。

どういうことかというと、「バカまぬけオタンチン、お前の母さんデベソ、デブ、ブス、インポ、つるっぱげのゲジゲジ野郎」と罵ったあとで、「というのは全部うそ」と否定して澄ましているようもので、つまり、最後には全否定するものの、「全部、言っちゃったじゃん!!」という感じを持ったのです、あとで否定するからといって、そこまで言っちゃっていいのか、という感じです。

とにかく、その「悲惨すぎてむごたらしい」箇所に付箋を付けまくりました。

その前にコラムを書くときに自分がよくやることなのですが、amazonで一般的な「感想文=世評」というのを幾つかチラ見してみることにしています。いわば書く前の「世評」のカンニングというやつですね。

つまり、「世評」に従って添い寝するなり、受けねらいで意表をつくなり、無視するなりと、そこはいろいろ作戦というものがありますから。

ひととおり読んでみて、はは~ん、という気持ちになりました。

やっぱ公式的な「神の愛」とか「隣人愛」とか「心を洗うような作品」ですかね。

こうして大方の感想を読んでみて、なんか予想したままなので、いささか失望してしまいました。

Aと書かれていたら、そのままAとしか読むことも理解することもできないとしたら、そういう人は読書の面白さなんて永遠に味わえないと思いますよ、きっとね。

そりゃあ、「愛」は「愛」でいいですよ、よく分かりましたから。

しかし、トルストイの説く神の愛が、結局は貴族で地主の上から目線の角度で説かれている限界と「姿勢」とを、うまい具合にシンクロさせているだけということも見逃すわけにはいきません、偽善者とまでは言いませんが、農奴の扮装で仮装してひとり悦にいっている貴族地主の変態野郎という思いからどうしても自由になれません、少なくとも本当の農奴ではなかったわけですから。

「人はなんで生きるか」に収録されている作品は5作品、その中で地主・管理人と農奴の確執を描いた「ろうそく」という小説を紹介しますね。

まず、地主に管理人として雇われた男の描写

≪地主がほかの領地で使っていた屋敷つき農奴を抜擢して、その土地の管理人になおした。・・・金もだいぶこしらえていたので、罪なことをしないでも暮らしに心配はなかったのであるが、人を羨む心の強い男だったので、いつでも罪からはなれることが出来なかった。手はじめに、彼はまず百姓たちを、きまりの日数以上の賦役労働に追い立てはじめた。煉瓦工場をはじめて、男女の百姓を酷使し、作った煉瓦を売りに出した。百姓たちは、モスクワにいる地主のところに嘆願に出かけたが、それはなんにもならなかった。地主は百姓たちをただ追い返して、管理人の頭を抑えようとはしなかった。管理人は、百姓たちが嘆願に行ったことを知ると、それを根にもって彼らに仕返しをはじめた。百姓たちの生活はますます悪くなった。百姓たちのなかにも不信なものが出てきて、管理人に自分の仲間を密告したり、互いに告げ口をしたりしはじめた。それで、百姓たちはみんな混乱するし、管理人はいっそう我意をふるうようになった。
こうして進んでいくうちに、管理人はついに人々から、まるで、狂暴な野獣かなんぞのように恐れはばかられるようになった。彼が馬で村を通ると、百姓たちはみな、まるで狼でも来たように彼を避けて、彼に見られないように、ところきらわずどこへでも隠れるのだった。管理人はそれに気がつくと、みんながそんなに自分を恐れることに対して、いっそうひどく腹を立てた。そして打擲と仕事とで、いよいよますます百姓たちを苦しめたので、この男のために百姓たちは、日増しに多くの苦しみを受けなければならなかった。≫

そして、

≪世には、こうした悪者をそっと殺してしまったことがよくあった。そして、この百姓たちのあいだでも、よりよりこんな話が出るようになった。どこかわきのほうでこっそり寄り合うと、その中の血気な者がこう言いだす。「わしらはいつまであの悪党を我慢しなきゃなんねえだ。どうせ破れかぶれじゃねえか。あんな奴はいくらぶち殺したって罪にもなんにもなるもんじゃねえ」
一度、百姓たちが、復活祭の前に森へ集まったことがあった。管理人から主人の森の下生えを刈るように言いつけられたので、昼弁当に集まった時に彼らは相談をはじめた。
「こんなことでわしらはどうして生きていけよう? あいつはわしらの骨までしゃぶっちまうだろう。仕事ばかりむやみに押しつけくさって、昼も夜も、おれたちだって女どもだって、ちっとも休む暇なんてありゃしねえ。ちょっとでもあいつの言い分にさからったが最後、難癖つけてぶちのめしゃがる。セミョーンはあいつにぶん殴られたおかげで死んだし、アニーシムは手枷足枷でへとへとにされちまった。このうえわしらに何を待つことがあるだ。今日だって、夕方ここへやってきて、またひでえことをやりだしたら、かまうこたあねえ、奴を馬から引きずりおろして、斧でたたき切っちまや、それで事はおしまい。そして犬のようにどこかへ埋めて、証拠を水に流してしまうまでのこんだ。ただ申し合わせが大切だ。みんなが心をひとつに合わせて、裏切りなんかしちゃならねえ」≫


激烈な言葉群を一字ずつタイプしているうちに、これって「七人の侍」の利吉のセリフではないかと錯覚してしまうほどでした。

この小説群が書かれたのは1885年ですが、やがて1910年に家庭不和からトルストイが家出を決行して地方の小駅で、野垂れ死に同然で死亡します。

しかし、トルストイの描き夢見た階級融和も神の奇跡も一向に示されることなく、階級対立はますます悪化し、激化し、深刻化して、死の数年後には、ついに同じ民族が凄惨に殺し合うロシア革命が勃発しました。

これらの小説に書かれている「隣人愛」や「神の愛」を多くの善良な読者と同じように額面通り受け取っていいものかどうか、かすかな戸惑いを感じているところです。


# by sentence2307 | 2019-01-05 17:28 | 映画 | Comments(0)
去年の暮れに国立映画アーカイブでスウェーデン映画特集上映があって、そのことをブログに書いて以来、なんだか最近、自分的には北欧映画づいているのかもしれないなと思い始めています。

たまたまかもしれませんが、前回ブログに書いた「365日のシンプルライフ」2013という作品もフィンランド映画でしたし、「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」2017や「女神の見えざる手」2016に主演したジェシカ・チャスティン(どちらの作品も同一人物が演じたとは思えない素晴らしい演技でした)などは明らかに北欧系の美女ですよね。

また、自分が大好きな「gifted/ギフテッド」2017に主演した天才子役マッケナ・グレイスにも北欧系美女の雰囲気を感じましたし。作品自体も自分のタイプとしてこうした「天才もの」映画が大好きなので、この「gifted/ギフテッド」も1週のうちに2度も立て続けに見てしまった映画でした。同じ映画を週に2度見るなんて異例なことで、実に久しぶりの出来事でした。

そうそう、つい一昨日見たばかりのアレキサンダー・ペイン監督の「ダウンサイズ」2017にも、後半に出てくるコロニーのシーンにはノルウェーの美しいフィヨルドの風景が映し出されていて、その美しさには思わず目を見張りました。

「北欧か、実にいいよなあ」って感じです。

でもこれは、夢みたいな憧れにすぎず、たぶん北欧旅行なんか自分には到底実現不可能な話だと思うので、せめて旅行会社の案内チラシを眺めるくらいで気を紛らわしている始末です、その観光チラシには、代表的な5つのフィヨルドとして、ガイランゲルフィヨルド、ノールフィヨルド、ソグネフィヨルド、ハダンゲルフィヨルド、そしてリーセフィヨルドが紹介されています。

さらに解説には、2005年にガイランゲルフィヨルドと、ソグネフィヨルドの支流、ネーロイフィヨルドが世界遺産に登録されたと記されていました。

手元にある「世界遺産事典」の「西ノルウェーのフィヨルド ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルド」の項に、こんな説明がありました。

≪西ノルウェーのフィヨルド、ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルドは、ノルウェーの西部、海岸線が複雑に入り組んだ美しいフィヨルド地帯。フィヨルドとは、陸地の奥深く入り込み、両岸が急傾斜し、横断面が一般にU字形をなす入江で、氷河谷が沈水したものである。ガイランゲルフィヨルドは、オーレスンの東にあるS字形をしたフィヨルドで、ノルウェーの文学者ビョーンスティヤーネ・ビョーンソンが「ガイランゲルに牧師はいらない。フィヨルドが神の言葉を語るから」と言ったことで有名なフィヨルドでノルウェー四大フィヨルド(ソグネフィヨルド、ガイランゲルフィヨルド、リーセフィヨルド、ハダンゲルフィヨルド)のひとつである。ネーロイフィヨルドは、ベルゲンの北にある全長205km、世界最長・最深のフィヨルドであるソグネフィヨルドの最深部アウランフィヨルドとともに枝分かれした細い先端部分にあるヨーロッパでもっとも狭いフィヨルドである≫

なるほどね、このまま読みふけっていると、ますます「北欧行きたい」が募って遣り切れなくなるので、ここでちょっと話を映画「gifted/ギフテッド」に戻しますね。

自分が「天才もの」映画にたまらない魅力を感じるのは、例えば「gifted/ギフテッド」でいえば、こんな場面です。

孫メアリー(マッケナ・グレイス)が数学にずば抜けた能力を持っていることを知った祖母(リンゼイ・ダンカン)は彼女を大学に連れていき、旧知の教授の前でその能力を証明しようという場面、メアリーは黒板に書かれた膨大な数式の問題を前にして、ずっと考えていますが、ついに「解けない」と大人たちに伝えます。

帰り道で、祖母は「いくらなんでも子供にあんな難しい問題を出すなんてね」と、がっかりしているに違いないメアリーを思いやって慰めます。

しかし、メアリーは、こう言います「問題が間違っているんだもの、答えられないよ」と。

その言葉を聞いて驚いた祖母は、取って返して、もう一度、メアリーを黒板の前に立たせます。メアリーは、問題の誤記をひとつひとつ修正してから、その問題をなんなく解いてしまいます。

その天才ぶりを目の当たりにした教授は、メアリーに問います、「なんでさっき、問題に誤記があることを言わなかったのか」と。

メアリーは答えます、「目上の者の誤りを正して不快な思いをさせるな、そんな生意気なことをしたら、世間に受け入れてもらえないぞ、と同居している叔父のフランクからいつも言われている」と。

思えば、映画「アマデウス」も、俗世間のなかでは天才が天才として生きていくことの困難を描いた映画でしたよね。モーツァルトは、天性の無邪気さで俗世のなかで生きていこうとしますが、その「無邪気さ」は徹底的に世間から利用され、その「才能」までも食いつぶされて破滅に追い込まれる。しかも、それは、モーツァルトの天才(努力しないでも、出来てしまえること)を見抜き理解したただひとりの人物、凡庸なる同業者サリエリの嫉妬と怯えによって仕掛けられた罠にはめられたという皮肉な映画でした。

映画「gifted/ギフテッド」においては、「世間知」を欠落させた天才ゆえの不幸(自殺したメアリーの母親)が、このストーリーの前提となっていて、そういうイキサツで姉を失った弟フランクは、姪のメアリーにだけはそんな人生を送らせたくないと考えています。

しかし、この映画を見ていると、俗世に晒して傑出した才能をむざむざ埋もれさせたくないと歯噛みする祖母の気持ちも、なんだか理解できるような気がします、メアリー自身、年相応の幼稚な学校の授業に無理やり押し込められ、うんざりして机に突っ伏している場面だってありましたし。自分にもこの「机に突っ伏す」という記憶なら、あるにはあります、まあ自分の場合は、授業についていけなかったので、なんかこの・・・。

天才が俗世に埋もれてしまう悲惨を描いたのが「アマデウス」だとしたら、「gifted/ギフテッド」は、凡人とした俗世に生きる気楽さを奪われて「特別な人間」として常に結果を求められる極限状態に身を晒すことを強要され、心身ともにボロボロになることが、「それって人間としてどうなのよ」と疑問を投げかけた作品なのだなと理解したのですが、そうそう、「天才もの」映画といえば自分の好きな作品がもう1本ありました。

ガス・ヴァン・サント監督、マット・デイモン主演の「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」です。この作品は、逆に、世俗にまみれ悪環境に埋もれている「天才」をすくい上げるという作品でした、こう考えていくと、天才といってもいろいろだなあと思います。とにかく、いずれにしても自分にとっては、はるか遠い無縁の世界(なにしろ当方は、何十年も机に突っ伏しつづけていて、いまだに顔をあげるタイミングさえつかめていません)のことなので、夢物語を楽しむ以上の実感は湧いてきません(結論って、それだけかい!)。

ここまできて自分が何について書いているのか、だんだん分からなくなってきましたので、最初に立ちかえって読み返してみました、なるほどね、「北欧、実にいいよなあ」あたりから、どんどんズレまくっているじゃないですか、そうだ、そうだ、この小文のタイトルは≪「卵の番人」の謎は「キッチン・ストーリー」で解け!≫なんでしたよね、ちょっと修正させてください。

ベント・ハーメル監督「卵の番人」1995は、年老いた兄弟の物語で、ストーリーはひとことで言えてしまうシンプルなもの(老いた兄弟のもとに兄の隠し子がやってきて平穏な生活が乱され、弟がひっそりと家を出ていく)なのに、いかにも北欧の監督作品らしい、幾分悲し気な、ゆったりとした時間の流れる映像に身を任せ浸り溶け込んで、時間などすっかり忘れてじっくり見入ってしまう魅力的な映画です。

途中から老兄弟の生活に加わる兄の隠し子というのが、ベルイマンの「第七の封印」で悪魔を演じていたあの俳優ではないかと錯覚してしまうくらいの険しい表情のつるっぱげの不気味な巨人、それでなくとも夜中に目をギラギラ見開いて奇声を発するというこの薄気味悪いキャラクターが、この映画の理解を一層困難なものにしていて、さらに加えて、ベント・ハーメル監督の一切説明的な説明をしないという撮り方もあり、映画を見たあとでも、実際には各人の中ではまだ「映画」は完結しておらず、尾を引いていて、その後もあれこれと考えることを強いる奇妙な作品ということができるかもしれません。

その最大の不可解さは、ラストシーンで弟・モーが夜中にひっそりと家を出ていくその理由というのが「なぜなんだ」「分からない」といったネット上での感想の氾濫とさまざまな憶測がアップされていることから見ても分かります。

あえて言えば、兄のファーが隠し子コンラードの入浴の世話をしているスキを狙って、コンラードの部屋に忍び入り、卵の蒐集箱の卵をいじりまわしたり、メモを読み漁ったり(その気配をコンラードもリアルタイムで察知しているかのような微妙な目つきを捉えた不気味な描写もあります)、そのあとで兄ファーから「コンラードの物を触ったろう! コンラードが動揺しているぞ」と弟モーが厳しく非難されるという場面が、あるいはこのラストの謎を解く唯一ヒントなりうるシーンかもしれません。

つまり、弟としてみれば、いままで兄から曲がりなりにも払われていた「敬意」が、この瞬間に崩れ消滅したと感じ、弟は家を出ることになったのだという見解です。家を出ていく弟モーを窓からじっとうかがうコンラードの気配も、その線でドラマに奥行きを持たせたものと解釈することもできます。

などと考えていたとき、引き続いて同じベント・ハーメル監督の「キッチン・ストーリー」2002を見ました。

この作品の解説にはこうありました。

≪1950年代にスウェーデンで実際に行われたという「独身男性の台所での行動パターン調査」をヒントに、調査員と調査対象者となった2人の中年男性の交流をユーモラスに綴ったコメディ≫なのだそうです。

つまり、独身老人の家におのおの調査員が配属され、台所における調査対象者の一日の動線を調査しようという奇妙なものなのですが、部屋の隅に頭が天井に届くくらいの背の高い椅子に腰かけて一日中無言で被験者をじっと見続けるというのも、設定からしてとにかく笑わせます。

最初は、気難しい被検者の老人は心を開かず無視無言の態度をとっていますが、調査員が無断で塩を借りたことから徐々に打ち解けあって親交を深めるというストーリーで、あまりに近づきすぎて、誕生祝の飲酒が規則違反だと上司から咎められ、調査員が失職してしまうというストーリーです。上司に密告したのが、それまで被検者の老人と親交のあった友人グランドで、酒盛りの翌朝早く上司を同乗させ、上司に現場を急襲させています。

このシーンを見ながら、あの設題≪「卵の番人」の謎は「キッチン・ストーリー」で解け!≫の回答もまた、やっぱ「嫉妬だ」という気がしました。

そう思いながらも、しかし、この映画でやはり見逃してはならないのは、ノルウェーにとっての、スウェーデンという国の位置づけなのではないのかな、という思いがありました。

極東の島国でのんきに暮らす日本人には、ノルウェーにとっての、スウェーデンという国の位置づけ(歴史的にも)というのが、いまひとつ分からないのですが、この映画からは、ノルウェーにとってのスウェーデンは、なんだか偉そうにしているような煙たい違和感のある国という印象がありますよね、右側通行とか左側通行とか。もしかしたら、国境を接する近しい国だけにそれなりのイザコザもあったでしょうから、そこには微妙な違和感もあって、その分、鬱陶しく感じる部分もあるのかもしれませんね。そんな気がしました。


★卵の番人
(1995ノルウェー)監督・ベント・ハーメル、脚本・ベント・ハーメル、製作・フィン・イェンドルム、撮影・エリック・ポッペ、美術・ジャック・ヴァン・ドンバーグ、編集・スタッフィ・グドマンソン、衣装デザイン・ライラ・ホルム、
出演・スベレ・ハンセン、ヒエル・ストルモーン、レーフ・アンドレ、トロンド・ホヴィック、レイフ・マルンバーグ、アルフ・コンラッド・オルセン、ウルフ・ベンガール

★キッチン・ストーリー
(2002ノルウェー・スウェーデン)監督・ベント・ハーメル、脚本・ベント・ハーメル、ヨルゲン・ベリマルク、製作・ベント・ハーメル、ヨルゲン・ベリマルク、撮影・フィリップ・オガールド、音楽・ハンス・マティーセン
出演・ヨアキム・カルメイヤー、トーマス・ノールシュトローム、ビョルン・フロベリー、リーネ・ブリュノルフソン、スブレエ・アンケル・オウズダル、レーフ・アンドレ



# by sentence2307 | 2019-01-04 12:15 | ベント・ハーメル | Comments(0)

365日のシンプルライフ

映画の冒頭、素晴らしいファーストシーンに出会いながら、そのあとに続くストーリー展開が、あまりに凡庸で、結局、予想の範囲内で小さくまとまったストーリーにすぎなかったりすると、当初の一瞬煌めいた素晴らしいファーストシーンも、映画全体の凡庸さに引き摺られ、取り込まれて色褪せ、ついに忘れ去ってしまうという、実にもったいない経験を幾度も重ねてきました、そんな経験を最近もしたので、そのことをちょっと書いてみますね。

まあ、忘れたままでいられるのなら、なにもこのように未練がましく書くこともないのでしょうが、こういう稀有な経験にかぎって、なにかの折にふっと、まるで前世の記憶がよみがえるみたいに「覚醒」してしまうというあたりが、始末に悪いところかもしれません。

その「素晴らしいファーストシーン」というのは、最近wowowで見たフィンランド映画「365日のシンプルライフ」(ペトリ・ルーツカイネン監督、2013)という作品です。

プログラムには、こんなふうに紹介されていました。

≪全所有物を倉庫に預け、1日に1個だけものを持ち出し、新品は何も購入しない実験を行った青年の一年を追う。「人生で大切なものは何か」を問うドキュメンタリー。≫

うん、惹句としてもなかなかいいじゃないですかコレ、「具象」から「抽象」へ、一切の猥雑なものをすべて切り落とし、剥ぎ取り、シンプルで純粋な核心を捉えた素晴らしい映画なのではないか(シンプルと抽象性は、名作映画の必須条件です。例えばゴダール作品みたいな)という勘みたいなものが、自分の中で敏感に「反応」しました。あとで、それが単なる「錯覚」に過ぎなかったことが判明します。

でも、この「なにも所有しない」という考え方なら、ずっと以前、滅茶苦茶好景気で生産が追い付かないほど誰もが消費に狂奔し、だからそれにつれて物価もどんどん高騰して、また、それに見合う札びらも狂ったように刷られ放題、給料も毎月どんどん上がったという、社会に物と金とが溢れかえった狂気の循環に身を任せたあの時代に、その反動のように、狂奔の社会に嫌気がさしてドロップアウトしたジェネレーション(あふれかえる物質から自由になるために逃避する世代)というのが、少し前の時代にも、確かにありました。

彼らのことを、あるいは「フラワー・ジェネレーション」などという言い方で呼んだかもしれません。

そういう背景もあって、自分としては大いなる期待をもって、あえて、この作品を見たのだと思います。(いえいえ、自分は、「フラワー・ジェネレーション」に属した世代というわけではありませんし、その辺のことを詳しく承知しているわけでもありませんので、念のため)

そして、前述した映画「365日のシンプルライフ」のその冒頭のシーン、なにもないガランとした部屋の壁にもたれかかっている青年が映し出されて、そこに青年のモノローグがかぶさります。

≪モノとは、なにか。この6か月間、ある実験を試みている。そして、本当に必要なものが、だんだん見えてきた。≫

いや、ここまでは、いいのです。この言葉は、そのあとの映画の展開ともまっすぐに結びついていて、この趣旨で一貫しています。

まあ、自分が思い描いていた「あふれかえる物質から完全に自由になるために逃避する」というのと、この述懐は根本的に考え方としては異なりますし、むしろ、「こちらさん」の方が健全で理にもかなっており、シゴク真っ当な気がします。

なにしろ、かつての「フラワーさん」は、顔中・体中にド派手なペインティングなんかで塗りたくっちゃって所かまわず踊りまくるわ、騒ぎ倒すわ、free sexはするわ、果てはハッシシだのとかでラリッて好き放題やっちゃうわけですから、むしろ彼らこそ常軌を逸した暴走気味の勘違いだったかもしれません。

狂乱の物質消費社会から逃れでた先にあったものも、やはり同じノリの「狂気の自由」に過ぎなかったというわけですよね。

どこまでいっても、あの時代、結局は、金に踊らされるか、クスリに踊らされるか、どちらかにすぎなかったというだけで、結局、なにも変わらなかったんじゃないか、なんともやりきれないパラレルの世界で堂々巡りしていただけなのかもしれませんね。

聞くところによると、酒が厳禁されているイスラムでは、酒の代わりにハッシシが普通に常用されているらしいです、それも恐い話ですが。

人間をそんなに歪めてしまって、いったいなんのための宗教かと。勘違いもいい加減にしろと。バカ

しかし、この映画「365日のシンプルライフ」で描かれているのは、「あらゆる物質は悪だ」などと極端なことを言っているわけではなくて、「自分にとって本当に必要な物とはなんだろうか」と健全に模索しているだけで、いったんすべての家財・洋服をレンタル倉庫に収納してから、1日1個ずつ、生活するために「真に必要な物」をそのつど厳選して倉庫から毎日毎日運びつづけるという原則を貫く、いわば記録映画です。

なにもそこまでしなくともいいだろうという、この映画を貫くルールをふくめた「健全性」が、なんだかこの映画を凡庸で弱々しいものにしてしまっているような気がして仕方ありません。つまり、こんな「健全」をわざわざ映画として描く必要があるのか、という思いです。

う~ん、なんて言えばいいのでしょうか、すぐには適当な言葉が見つかりませんが、いってみれば「ドラマ性」の不在とでもいうことなのかもしれません。

だって、この青年は、
≪モノとは、なにか。この6か月間、ある実験を試みている。そして、本当に必要なものが、だんだん見えてきた。≫
と言ったあとで、こう言っています。

≪何もかもいやだ≫と。

どの時点で彼は、「モノとは、なにか・・・」と言い、さらに、「何もかもいやだ」と付け加えたのか、そういわなければならない必要があったのか、どうしても分かりません。

しかし、厳しい禁欲生活のなかで、質素に暮らす祖母から「物の意味」を教えられ、やがて恋人ができて、物が増えていく、祖母が緊急入院したとき、欲しいものがあったら持っていっていいと言われ、物色し選びながら、それらの物には祖母の「愛着」がしみ込んでいることを実感して、貰うことに気後れを感じて躊躇する、いずれの場面においてもそれぞれ「物」の意味が語られているわけですが、映画の冒頭で、雪の街路を全裸・素足で自宅マンションから倉庫まで走る衝撃的な場面に見合う結論なのかという気がしてきました。

映画のラストで、恋人とともにロッカーのシャッター扉をガラガラと開けるシーンがありました、倉庫のなかにうず高く積まれた家具や洋服の山を目の前にしたときの恋人のなんとも嬉しそうな表情が忘れられません、

物質の山を前にして「何もかもいやだ」ともらした彼が、同じ物を見た恋人の嬉しそうな顔をなんの感慨もメッセージも込めることなく撮る神経の中途半端さ(映画の方向付けの放棄)が分からず、混乱しました。

それくらいなら、物欲を全否定して、
≪顔中・体中にド派手なペインティングなんか塗りたくっちゃって所かまわず踊りまくるわ、騒ぎ倒すわ、free sexはするわ、果てはハッシシだのとかでラリッて好き放題やっちゃう≫
のほうが、まだしもマシちゃうのん、という気がしてきました。

自分としては、当然、アホな「フラワージェネレーション」のストイックさに肩を持つよりほかありません。
こんなことしているうちに、今年もなんだか暮れてしまいそうです、やれやれ。

(2013フィンランド)監督・脚本:ペトリ・ルーッカイネン、製作:アンッシ・ペルッタラ、撮影:イエッセ・ヨキネン、編集:アルッティ・ショーグレーン、音楽:ティモ・ラッシー、音響:キュオスティ・ヴァンタネン、制作:ウニフィルムOy/ヘルシンキ,フィンランド、原題:Tavarataivas 英題:My Stuff 



# by sentence2307 | 2018-12-31 16:18 | ドキュメンタリー映画 | Comments(0)
超弩級の傑作活劇映画「七人の侍」の黒澤明監督が、その後に撮った作品で次第に爽快な荒々しさを失い、以後の作品に色濃くなる湿っぽいヒューマニズムや虚無感など、およそ「七人の侍」を撮った黒澤明には到底似つかわしくないというのが自分の持論なので、酒の席などで友人相手に酔いに任せて、ぐずぐすとオダをあげて嫌がられていました。

そりぁ、そういう作品(ヒューマニズムや虚無感)にだっていい映画はあるには違いないでしょうが、あの黒澤明が、よりにもよって「デルス・ウザーラはないだろう」という思いでいたので、その気持ちをそのままブログにも書きました。

青年期からロシア文学に親しみ傾倒していたといわれる黒澤監督です(ドストエフスキーの超難解な「白痴」を映画化しようなどと思うこと自体、その「傾倒」ぶりは並大抵のことではありません)、読み漁ったであろうロシア文学のなかには、そりゃあ「デルス・ウザーラ」もあったでしょうが、なにもそれだけというわけではなくて、もっと粗野で、もっと荒々しい、獣のような露国の野蛮な土民を描いた(鴎外の翻訳した)「樺太脱出記」や「馬丁」とも出会っていたでしょうから、自分としては、黒澤監督にもっともふさわしいと思えるそれら「粗野で、もっと荒々しく、獣のような露国の野蛮な土民」の小説をあえてしりぞけて、甘々な「友情と郷愁」とを描いた静謐な「デルス・ウザーラ」なんかを選択したその脆弱さを「はなはだ残念」という思いもふくめて、どうにも納得ができず、これは明らかに黒澤監督のミスチョイスだよなという居たたまれない思いから、夜の居酒屋で「オダをあげた」ということに相成るわけです。

そのときの自分の中には、当然、第2次世界大戦時、ナチス劣勢とみるや独ソ不可侵条約を突如破棄してドイツになだれ込みドイツ人女性・市民を手当たり次第にレイプ虐殺したこととか、また、同じく満州国境にも侵攻して日本人開拓民に対して淫らな薄ら笑いを浮かべながら行った悪逆非道な、人の弱みに付け込む鬼畜のような数々のソ連軍の蛮行(空恐ろしいロシア人のケダモノ性)が、もちろん脳裏にはありました。アンブローズ・ビアスは、その著「悪魔の辞典」でロシア人のことを「カフカス人の肉体とモンゴル人の魂を持つ人。吐き気をもよおさせるタタール人」と評していました。名言です。

それにまた、「七人の侍」においては、おのおのの侍の死が、あれほどに精密に痛ましく・重々しく描き分けられていたのに、例えば「乱」における兵士たちのおびただしい死体が累々と広がる荒涼たる戦場を、まるでキャベツ畑を俯瞰でひとまとめに撮ってしまう無神経な素っ気なさによって、実にあっさりと捉えた場面を見たとき、人間をもはや単なる物質、そのカタマリとしか捉えることができなくなってしまった黒澤明の不能と衰弱をはっきりと実感せずにはいられませんでした。

しかし、友人にここまで話したとき、それまでドン引きしていた迷惑顔の友人から、かえってこう言われたことがありました。

「どんな監督だって、柳の下の2匹目のドジョウを狙って同じタイプのものを作り続けていたら、いつかは世間からは飽きられ・呆れられ、その才能さえも疑われ、結局『傑作・七人の侍』も巻き込むかたちで映像作家・黒澤明の価値を自分からおとしめてしまう結果になるんじゃねえのか?」と。

その言葉に二の句を継げなかった自分は、せいぜいのところ「そうだよな、そういうことなんだよな」としか言うことができませんでした。
「だってさ」と友人は続けます。「おれに『黒澤明の100本』を教えてくれたのは、オタクじゃん。『七人の侍』は、たしかに世界におけるナンバーワン映画かもしらんが、必ずしも『これでパーフェクトだ、ついに到達した』とは、黒澤明自身が思っていなかったという何よりの証拠だよ。どんな天才にだって、どこかしら自分にないもの、自分に欠けているものを埋めようとして≪「次の作品」(未来)≫を模索して前進していくしかないんだ。生きている限り、もがきながらね、だから『赤ひげ』も『どですかでん』も『夢』も『八月の狂詩曲』も、それぞれ必死の模索した結果だし、評価もしている、オレは、あんたのようには考えられないわけよ」

「うん、うん」

「それにね、話は少しそれるかもしれないけど、あるサイトに『黒澤明のベスト10』というのが掲載されていてね、それとオタクに教えてもらった『黒澤明の100本』とを照合してみたら、なんか微妙に違っている部分があるのよ。ほら、これこれ」と友人は、タブレットを引っ張り出してその画面を見せてくれました。

それはこんな感じです。


黒澤明の10本
ドクトル・マブゼ(1922) フリッツ・ラング監督
チャップリンの黄金狂時代(1925) チャールズ・チャップリン監督
✔ニーベルンゲン(1925) フリッツ・ラング監督
✔ウィンダミア夫人の扇(1925) エルンスト・ルビッチ監督
三悪人(1926) ジョン・フォード監督
アッシャー家の末裔(1928) ジャン・エプスタン監督
アンダルシアの犬(1928) ルイス・ブニュエル監督
モロッコ(1930) ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督
会議は踊る(1931) エリック・シャレル監督
三文オペラ(1931) G.W.パプスト監督


なるほど、なるほど、チェックの入った「ニーベルンゲン(1925)フリッツ・ラング監督」と「ウィンダミア夫人の扇(1925)エルンスト・ルビッチ監督」の2本が「黒澤明の100本」の中には入ってないというわけね、つまり、彼が言いたいのは、好みはその時々で変化するし、作家たちは現状に満足できないからこそ進歩できるっていうことを言いたいわけで、たとえ、そこで生み出されるものが駄作でしかなかったとしても、過去の栄光にすがりついて遺産の模造品を作り続けるよりも、オタクのいういわゆる駄作(自分的には「そう」は思わないからこそ)の方が、よほど価値があると思うわけよ。

そこで自分が「よく分かりました!」と宣言して平伏して負けを認め、「デルス・ウザーラ懐疑説」を全面撤回して引っ込めてしまえば、それはそれでよかったのかもしれませんが、もともと素直な性格とは程遠い自分です、こんな時にも、ついひとこと余計なことを言いたくなる性分なので、こんなふうに言ってしまいました。

でもこの2本てさあ、小津監督の好きそうな映画じゃね? 特に「ウィンダミア夫人の扇(1925)エルンスト・ルビッチ監督」なんて、もしかして、小津好みの作品の方から誤って紛れ込んでしまったなんて考えられないか。そういえばフリッツ・ラングだって、ドイツ表現主義の線から言えば小津監督とのつながりを否定はできないだろう?

まさに「虚を突く逆襲、一矢を報いる」というやつです、だって言われっぱなしで撤退なんて、あまりにも悔しいじゃないですか。

ここまできて、自分も友人も「小津監督が影響を受けた映画」、例えば、それが10本というカタチで存在するのなら、その「小津安二郎の10本」というものが存在するのかどうかを知りたくなりました、しばし沈黙、すぐにタブレットであれこれ検索してみたのですが、それらしい記事を探し出すことはできませんでした。つまり、その夜の「討論」は、ここにきて打ち切り、情報不足でにっちもさっちもいかないドンヅマリ状態に達したので、これは次回までの「宿題」ということになりました。

そして、帰宅してすぐ、その夜のうちにアレコレ(小津監督が影響を受けた映画など)検索してみたのです。

あっ!! ありました、ありました。

「映画に狂って・・・」というブログに「映画人たちのオールタイム・ベスト」(個別)という記事があり、そのなかに、ついに見つけました、例の「小津安二郎の10本」。

この「すかあふえいすさん」のブログ内のどの記事も精密な調査の行き届いた素晴らしいものばかりです。

その「小津安二郎が影響を受けた映画」の全文をコピペしてみますね(無許可でスミマセン)。

しかし、この記録の緻密さには、ホント、驚かされますよね。自分などは、ただただ読み飛ばして、あとは、おぼろげな記憶をたよりに思いつくままに勘で書いている始末なので到底この緻密さには及ぶものではありません、あらためて、その資料に取り組む几帳面さと精密な記録に徹するお仕事に敬意を表したいと思います、いえいえ、これは無許可で転載するための言い訳なんかじゃ決してありません、念のため。


≪小津安二郎が影響を受けた映画(2016/12/21(水) 午後 11:56 映画人のオールタイムベスト:個別 映画監督・・・脚本家・映画監督等で活躍した小津安二郎が影響を受けた・好きだった映画のまとめ)
●「映画評論家 岸松雄の仕事」より
結婚哲学 エルンスト・ルビッチ…セックス・コメディ。オーヴァラップ(オーバーラップ、ある画面の上に別の画面が二重に重なり、やがて前の画面が消えていく演出)の使い方の巧さについて
私の殺した男 エルンスト・ルビッチ…シリアスな戦争、戦後、罪の意識
南風 キング・ビダー(キング・ヴィダー)…老後、恋愛。小津が心から感動した作品の一つ。ルビッチ以上に夢中になり演出にも影響を与えるほどだったとか
小判しぐれ 山中貞雄…時代劇。山中とは後に交流を深め、弟のように可愛がる関係に。フィルムは現在行方不明
暗黒街の女 ウィリアム・ウェルマン(ウィリアム・A・ウェルマン)…刑務所、復讐、ギャング、強盗。パラマウント時代のウェルマンは好きだったそうです。「民衆の敵」になると少し泥臭くなってしまったとのこと
ウィリアム・ワイラー
ジョン・エム・スタール(ジョン・M・スタール)
レックス・イングラム
ルイス・マイルストン
ロイドの活動狂 クライド・ブラックマン/ハロルド・ロイド…コメディ、バック・ステージ、映画狂。ロイド作品にしてはギャグが行き詰まっていると言いつつ、キャメラの使い方の上手さについて褒めていました
★常磐木ホテル チャールズ・チャップリン…コメディ…らしいのですが、題名と一致するチャップリン作品の情報を得られず。詳細求む
大久保忠素…師の一人
スットン狂 斎藤寅次郎…コメディ。フィルムは現在行方不明。斎藤とは大久保の下で共に学び、小津にとって兄弟子のような存在だったそうです
人生劇場 内田吐夢
オーバー・ゼ・ヒル(あの丘超えて) ハリー・ミラード
キック・イン(文明の破壊) ジョージ・フィッツモーリス…「懺悔の刃」への影響について
レ・ミゼラブル アンリ・フェスクール…「懺悔の刃」への影響について
豪雨の一夜 ジョン・フォード…「懺悔の刃」への影響について
・その他
暗夜行路 志賀直哉…小説
内田岐三雄…映画評論家。小津のことをデビュー作から評価していた人物の一人。親交を深めたそうです
※小津はルビッチが一番大好きな監督だと語っていました。小津本人はオーヴァラップは嫌いだったそうですが、ルビッチのように「偉い監督が有効に使うと素晴らしい効果があります」とのこと
●田中眞澄による編著「小津安二郎「東京物語」ほか」より
・Hearts of the world(世界の心) D.W.グリフィス…戦争、死。徴兵され戦地で過ごした際に手紙に記した映画の一つ
清水宏…交流の深かった映画監督の一人。口伝えで「朗かに歩め」のアイデアを貰ったそうです
溝口健二
内田吐夢
島津保次郎
マダムと女房 五所平之助…日本映画のトーキー時代の訪れについて
西部戦線異状なし ルイス・マイルストン…戦争。蝶の場面について。徴兵され戦地で過ごした際に手紙に記した映画の一つ。「非常線の女」にもポスターが登場
●「小津安二郎文壇交遊録」より
百万円貰ったら エルンスト・ルビッチ…「東京の女」で引用
結婚哲学
シヴィリゼーション トマス・ハーパー・インス(トマス・H・インス)
山中貞雄
●その他
未完成交響楽 ヴィリ・フォルスト…「一人息子」劇中に引用
明日は来らず レオ・マッケリー…老後、家族。「東京物語」のラスト・シーン
第七天国 フランク・ボーゼイジ(ボザージ/ボザーギ)…「学生ロマンス 若き日」にポスター
スピーディー( Speedy) ハロルド・ロイド…「大学は出たけれど」ポスター
ラヴレター ウィリアム・ディターレ…「風の中の牝雞」ポスター
育ちゆく年 ヴィクター・サヴィル…「風の中の牝雞」ポスター
接吻売ります リチャード・ウォーレス…「風の中の牝雞」ポスター
雨 ルイス・マイルストン…「母を恋はずや」ポスター
打撃王 サム・ウッド/ゲーリー・クーパー…「晩春」で言及していたゲーリー・クーパー主演の野球映画はコレ
乱暴ローシー フランク・ストレイヤー/クララ・ボウ…ボクシング。「朗かに歩め」に出てくるポスター
非常線 ジョセフ・フォン・スタンバーグ…ギャング。小津初期の暗黒街もの(ギャング)への影響
チャンプ キング・ヴィダー…「出来ごころ」として翻案
駅馬車 ジョン・フォード…「大人の見る繪本」以降。日本で公開された際、淀川長治に頼まれ溝口健二とともにポスターにコメントを寄せていました
恋人たち ルイ・マル…「お早よう」でポスター
手錠のまゝの脱獄 スタンリー・クレイマー/ネドリック・ヤング…「お早よう」でポスター
切腹 小林正樹…「秋刀魚の味」でポスター
●佐相勉による編集「溝口健二著作集」より
コンドル ハワード・ホークス…脚本を評価していました
●佐藤忠男の著「小津安二郎の芸術」より
チャールズ・チャップリン…サイレントにおける喜劇は最高のものとして評価する一方、トーキーとは融和しないものだと語っていました
市民ケーン オーソン・ウェルズ/ロバート・ワイズ…「大人の見る繪本」以降。かなり高い評価をしていました。従軍関係者向けの上映会で見た作品
小狐 ウィリアム・ワイラー…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
ウエスターナー ウィリアム・ワイラ-…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
嵐が丘 ウィリアム・ワイラー…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
怒りの葡萄 ジョン・フォード…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
タバコ・ロード ジョン・フォード…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
我が谷は緑なりき ジョン・フォード…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
北西への道 キング・ヴィダー…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
レベッカ アルフレッド・ヒッチコック/デヴィッド・O・セルズニック…「大人の見る繪本」以降。上に同じ
ファンタジア ベン・シャープスティーン/ウィルフリッド・ジャクソン/ハミルトン・ラスク/ウォルト・ディズニー他…「大人の見る繪本」以降。上に同じ≫


ねっ、凄いでしょ、よくぞここまで調べたものと感嘆の思いで読みました、まさに完璧、言うことありません。

ただですよ、冒頭の<「映画評論家 岸松雄の仕事」より>の記事のなかに★印を付した項目、あのチャップリン作品について書かれている部分があるじゃないですか。

つまり、

「常磐木ホテル チャールズ・チャップリン…コメディ…らしいのですが、題名と一致するチャップリン作品の情報を得られず。詳細求む」

と書いてありますよね。へえ~、「詳細求む」ですか、なんか求人広告みたいじゃないですか、しかも、もっか求職中の自分などは、この「求む」の二字に相当ナーバスになっているので、すぐに反応してしまいました、でも要するに、結局のところ「常磐木ホテルのタイトル作品の所在が分からない」ということなのですよね、しかし、こんなふうな投げかけられ方をされたら、どうしても気に掛かってしまって捨て置きにできません。

でも、当初は気楽に「常磐木ホテル チャップリン」とでも検索すれば、なにかしらそれっぽい情報がでてくるだろうなぐらいに安直に考えていたのですが、ヒットしたのは、「チャップリン コネチカット州 アメリカ」という、どうもそういうホテルが米国にあるらしく、分かったのはそれくらいでした、しかし、いまはそんなホテルの記事をのんびり読んで感心している場合じゃありません。

映画のタイトルとはなんの関係もないかもしれませんが、一応、戦前、チャップリンが来日したときに泊まったというホテルを確認したところ、それは「箱根の富士屋ホテル」ですし(東京では、とうぜん帝国ホテルでしょうから)、果たして日本国内に「常磐木ホテル」なるものが存在するのかどうか、徒労を承知で検索をかけてみました。

まあ、結果からいえば、「常磐木」という地名とかはあるものの(滋賀県高島市安曇川町常磐木)、そのものズバリのホテルなんかありゃしません。それにまた、あったとしても、もはやチャップリンとは、なんの関係もないでしょうしね。

まあ、どう考えてもこちら方面には、目ぼしい情報があろうとは思えなくなりました。

しかし、自分がなぜここまで「日本名」にこだわっているかというと、ほら、チャップリンの日本人秘書に高野虎市という人がいたじゃないですか(忠勤誠実な彼の影響でチャップリンは大の日本贔屓になったといわれていますし、その訪日も高野秘書の影響と思います)、その関係から、なんとなく「常磐木」ホテルもそんな感じでスンナリ出てくるような気がしたのですが、やはりダメでした。

地名と「ホテル」の接点らしきものでも見つけられれば、あるいは「常磐木」という言葉の解明の端緒になるかもしれないと考えてアプローチを試みたのですが、どこまでいってもこのライン上には答えは見えてこないみたいですね。

しかし、考えてみれば、チャップリンの作品のなかに「ホテル」を舞台にした作品なら、それこそゴマンとありそうな気がします(なんという題名だったかは忘れてしまいましたが、その中の一シーン、貧しい放浪者チャップリンが、酔ったアル中の富豪に気に入られ意気投合して豪華ホテルに連れられていったものの、いざその富豪の酔いが醒めたら虫けらみたいに追い払われるなんていうのもありました、富豪は酔っぱらった時だけ善人に戻るという辛辣な皮肉です)が、それだってわざわざそこに日本名「常磐木」などという言葉を被せる必要なんてあるだろうか、考えれば考えるほど、その取り合わせの不自然さ、疑わしさからは免れません。

でも、折角ここまで調べを進めてきたわけですから、もう少し先に行ってみますか。

ということで、まずは、キネマ旬報から刊行された「世界の映画監督・19 チャールズ・チャップリン」を引っ張り出しました、そこには「チャップリン全作品解説(内田精一)」という実に118ページにわたる長大にして詳細な解説が掲載されています、もうほとんど書籍1冊分のボリュームという力作です。

そのリストの中に「ホテル」とつくタイトルがひとつだけありました。

作品番号13「半日ホテル(caught in the rain)」(1914)という作品です。1巻ものとありますので、10分程度の短編ものでしょうか。そうそう、この作品番号ですが、最後の作品は81「伯爵夫人」1967となっています。

さて、この「半日ホテル」、原題のcaught in the rain「雨の中の逮捕→とんだ災難のごろ合わせ」からすると、直感ですが、この作品はどうも違うような気がします。

ちょっと解説を見てみますね。

〔解説〕チャップリン最初の主演も兼ねた監督昇進第1回作品。ストーリーは、酔っぱらいのチャップリンが公園であった既婚女性を追い回しホテルの部屋までつけていって、ヒゲむじゃらの亭主に追っ払われる。この女は夢遊病、チャップリンは女を誘導しようとして部屋の窓から転落、怒った亭主やキーストン巡査の追っかけとなって、チャップリン逮捕。表現は、事件の発展につれての寄り目の画面によるカット・バックがダイナミック、テンポが好調で見事、カメラはドラマに溶け込んでいて間然するところがない。演出、演技上、感情の表出もきわめて自然でリアル、夢遊病者の人妻がチャップリンのベッド脇に来たところの描写や表現のデリカシーにはチャップリン・タッチが際立って光っている。エッサネイ=チャップリン映画「アルコール夜通し転宅」作品番号37の一部祖型的作品。

ここまで読んできて、これは違うなと感じたのは、「事件の発展につれての寄り目の画面によるカット・バックがダイナミック、テンポが好調で見事」の部分、小津監督が「ダイナミックなカット・バックによるテンポの好調さ」なんかに感心するわけがないという思いからでした。

他の解説も通して読んでみたのですが、どうもピタッとくるものがありません、正直手詰まりというやつです。

これ以上、検索しても、この先目ぼしい収穫があるとは思えませんので、だいぶ夜も更けてきたこともあり、その日はそれで就寝ということにしました。

明けて翌朝、昨夜だいぶ言葉を工夫してあれこれと検索をかけたので枯渇状態、改めてなにから始めようか、しばらく考え込んでしまいました。

そうだ、そのとき自分は、いままで「常磐木」という言葉を丸呑みして、そのまま使っていたわけですが、これが固有名詞にしろ、元々どういう意味だ、という疑問が湧いてきました。

さっそく、yahooで語句検索にかけてみました。そこには、こう書かれていました。


≪常磐木とは、冬になっても枯れず、落葉しない樹木のこと。常緑樹。常磐(ときわ)は本来は時を経ても変わらない岩石を指すが、常緑の意や永久不変の意でも使われる。「常盤」という字が使われることもある。原語のEvergreenは、常緑樹や常緑多年草など、年間を通して枯れない植物を指す。またこちらも永久不変であることの比喩としても使われる。≫


へえ~、これによると、常磐木の原語はEvergreenなんですって。

じゃあ、ちょっと待ってくださいよ、この当時日本に入ってきた欧米の横文字を日本語に直して表示するとしたら(それは大いに考えられます)、この原題は、さしずめ「Evergreen Hotel」ということになるじゃないですか。そうか、そうか。分かったぞ。

そこで、「Chaplin Evergreen Hotel」の3文字を入れ替えながらメクラメッポウ検索した結果、ありました、ありましたよ。

You tubeにチャップリンの短編ばかりを集めた「Best of Charlie Chaplin The Classic Laugh」というサイトのNo.1~42の内のNo.2に「Breakfast at Hotel Evergreen」3:11という作品がありました。

泊り客のために朝食の用意をしているチャップリンが、同時に自分の朝食を作りながら、ちゃっかり自分の方にだけ、おいしいところを盛ってしまうというコメディです。

そうか、そうか、これなら小津監督が感心したと言われれば、なんか納得できるような気がします。

この作品、自分が調べたリストには掲載がありませんでしたが、推測ですが、たぶん長編を作るための試作(ディテール)みたいなもので、コメディの短編集の中の1本として含まれていたのではないかという気がします。



# by sentence2307 | 2018-12-25 15:15 | チャップリン | Comments(4)

樺太脱獄記

書評は、新聞各社にとって看板記事、いわば、その新聞の「顔」ともいい得るものなのではないかと思います。

読売新聞日曜版の朝刊にも、毎週「書評」の特集が掲載されていて、いつの間にかそれを読むのが日曜日の朝の自分の楽しみのひとつになっています、いわば欠かせない日曜日のルーティンと言っても過言ではありません。

でも、つねにのんびりと新聞を読んでいられるようなときばかりではないので、朝から多忙でワサワサしているようなときもあります、そんな忙しさに取り紛れて、新聞などあとでゆっくり読めばいいかと後回しにしたりすると、そのことがいつまでも気に掛かって、気分的になんだか落ち着きません。

というか、言い方としては、ちょっと奇異に聞こえるかもしれませんが、「気持ちが悪い」という感じが、いちばん近いような気がします。

最近でも、大いにインスパイアされた書評があったので、その記事を読み直しながら要所に線を引いていたら、全体のほぼ五分の四を傍線で埋め尽くしてしまいました。

こういうすぐれた書評を、以前なら切り抜いてノートに貼り込んだり保存箱に仕舞っていたりしたのですが、結局、仕舞いっぱなしで、そのまま読み返すこともなくゴミになってしまうことが多いので、それは止めて、そういう記事に出会ったら、即「文字化」することに決めました。

つまり、そのとき受けた感興を、自分の文章にして「消化」してしまうことにしたのです。

そして、それが無理なく実行できるいちばん相応しい場所が、このブログに書き込んでしまうことだと思いつきました。

思い立ったが吉日ということで、最近気になった書評からさっそく実行しようと思います。

書評に紹介されている書籍の書名は、「ヒトラーのモデルはアメリカだった」(みすず書房)という本で、著者は、ジェイムズ・Q・ウィットマン(米国、イェール・ロー・スクール教授)、そしてこの書評の執筆者は藤原辰史准教授(京大)です。

こんな感じです。

≪本書は、こうしたナチスの暴力の根拠となった人種主義のアイディアの最大の源泉がアメリカであると主張する。私たちがいまなお政治、経済、軍事的に強く依存し、その文化を存分に味わっている、好感度の高い国である。ヒトラーは、「数百万人ものインディアンを銃で撃ち殺して数十万人まで減らした」としてアメリカへの賛美を惜しまなかった。ナチスは、人種法を制定するにあたって、アメリカの移民法や異人種間の結婚に重罰を与える法律、黒人の選挙権の制限、移動の自由の制限、職業の選択を制限する制度を学び、それを人種法構築に応用したのだった。

ナチスの著述家たちはアメリカを「移民立法を通じてその血をよみがえらせようとしている」と褒めたり、「自身の至上性を維持」しそれを未来永劫確保するために「外国人種分子の流入を防ぐ」ことに共感を示したりする。アメリカの白人至上主義がなければ、ナチスはこれほどまでにエスカレートしなかったかもしれない、と思ってしまうほどだ。

本書の分析のなかで重要なのは、こうした民主主義国家と独裁国家の法的な親和性だけではない。アメリカとナチスを支える社会心理的基盤の共通性を分析していることだ。階級意識の強いヨーロッパと異なり、「最下層の者でも才能さえあれば」上り詰めることができるアメリカン・ドリームは「白人の平等主義」と表裏一体だったが、実はヒトラーもまたアーリア人であれば貧困から救出することを約束した。民主主義とナチズムの相違点と類似点。現代史の核心を衝く論点である。≫

なるほど、なるほど。

アメリカの白人至上主義と人種差別が、ナチズムの思想的基盤を形作り支えていたとは、実に驚くべき明晰な分析じゃないですか。感心しました。いやいや、これだけの傑出した書評を読めば、もう一冊の本を読了したのとナンラ変わりません。いやいや、たとえ一冊の本を読んだとしても、自分がこれだけ簡潔に理解できるかどうか、どう考えても無理な話です。

とまあ、こんな感じで書評をアレコレいじりまわして楽しんでいるわけですが、本当のところをいえば、そりゃあ新聞に掲載されている書評ですから、いまこの瞬間に世界で起こっている問題を取り上げている最新刊の書籍の紹介や書評もそれなりに貴重で魅力的なのですが、自分としてはむしろ、ある程度時間が経過して評価が定着している明治から昭和初期にかけての名作小説の記事とか、かつての文豪たちの紹介など幾分古びた話題の方がどちらかというと好ましいので、そちらの方の記事を積極的に読んでいます。

思えば、「映画」についても、そういうことが言えるかもしれませんよね。

wowowなどで2016年~2018年あたりの最新作ばかりを毎日毎日追いかけて見ていると、なんだか目まぐるしくって、それなりの「感動」というものは、もちろんあるのですが、そのうちになんだか気持ち的にパサパサに乾いてしまうような飢餓感みたいな強迫観念を抱いてしまい、その切迫感に追い立てられるのに耐えられず、そんなときは少し古い時代の名作映画を見て癒されるというか、充電して気分を一新させています。

例えば、つい最近も、久しぶりに清水宏監督の「信子」1940(神保町シアターで「清水宏と小津安二郎」の特集上映をしていますよね)を見て、「当時にあって、現在にないもの」を実感しました、こういう気分はささくれだった最近の映画からは決して得られるものではありません。

地方出身の若い女性教師(高峰三枝子)が、その方言を都会の洗練された生意気な女生徒(三浦光子)から嘲笑され、いびられて、その悔しさのあまり泣き崩れるのですが、それが意外にも見た目ほどのダメージではないらしく、むしろ継母に心を開けないまま荒んでしまった女生徒の孤独を理解してあげて逆に改心させてしまうという、現在から見るとなんとも無防備で超楽天的な不思議な映画でした(獅子文六の原作で、漱石の「坊ちゃん」の逆バージョンらしいことは分かるのですが、なにせ設定に無理があってホコロビが見えてしまい苦笑するような場面もあちこちにあります)、いまならもっと陰湿で深刻な感情問題とか人権問題が絡んできて、とてもじゃありませんが、こういう軽い結末には到底なりようがないと思う反面、現代のすっかり歪みきってしまった人間関係というものを逆に痛感した次第です。

たぶん、そう感じてしまうのも、自分の考え方とか価値観が、いまの時代の「それ」と少しずつズレ始めているからだと思いますけれども、だからなおさら「信子」みたいな、清水宏監督作品の安心できる映画が必要なのだなと自分的には考えています。

いまさら映画に社会悪をえぐったり、深刻な怒りで絶叫したりするような内容を求めようとも思っていませんし。なんだか最近、小津監督の晩年の境地に近づいているんじゃないかと我ながら思うこともあります。

しかし、このプログラムの冒頭によりにもよって清水監督の最高傑作とはいいがたい「信子」持ってきた神保町シアターの姿勢にはある意味感心するものがありました。

だって、プログラムの最初を飾る作品なのですから、ここは一発ガツンと「有りがたうさん」とか「風の中の子供」とか「按摩と女」とか「みかへりの搭」とか「簪」とか「女医の記録」とかを持ってくるのが普通じゃないですか。それをよりにもよって、フィルム状態だって万全とはいいがたい「信子」を持ってくるなんて、意外性を突いた見上げた見識だと思いました。

ちょっと寄り道をしてしまいました、例の書評の話に戻りますね。

先月末、脇に退けて置いた例の「読めないまま、後回しにした書評欄」というのが、ずっと気に掛かっていたのを遂に引っ張り出して読みはじめました。

なぜ、その新聞を忘れずに覚えていたかというと、≪「夏目漱石と森鴎外」のどちらが好みか≫という見出しがとても気になっていたからです、あとで是非とも読まなければなと思ったからでした。

自分は、漱石も好きですし、鴎外のものも「文学全集」などに掲載されている作品くらいなら、ひととおり読んでいるつもりです。

ということで、楽しみにその記事を読み始めたのですが、その内容というのが、どの図書目録にも掲載されているような、なんとも新鮮味のない代表作の羅列に過ぎないので、少しがっかりしてしまいました。

舞姫、文づかひ、山椒大夫、高瀬舟、最後の一句、寒山拾得、雁、阿部一族

なるほど、なるほど、こうしてラインアップすると、鴎外の作品というのは、ずいぶんと生真面目で堅苦しい小説ばかりなんだなあと、いまさらながら思います。

映画化された作品「山椒大夫」「雁」「阿部一族」は、なんといっても巨匠たちの名作映画ばかりなので、映画の方は繰り返し見ていますが、しかし小説自体は、たぶんその重厚な堅苦しさもあって自分も二度まで読んだ小説は、たぶんないと思います。

しかし、ただ、それだけなら、「夏目漱石と森鴎外」という見出しから、それがどういう内容の記事かとか、あるいはどういう作品が取り上げられているかなど、わざわざ確認する気にもならなかっただろうと思います。

実は、自分は、むかしから鴎外の翻訳ものをとても面白く読んでいて、いまでも折に触れて読んでいるという意味では、愛読書と言ってもいいかもしれません。

手元にある岩波書店刊「鴎外選集」でいえば、第14巻、第15巻の「諸国物語」というのがそれに該当します。

「えっ!! そりゃあダメだわ、翻訳なんか、いわば他人の作品の紹介にすぎないわけでしょう。そういうのはオリジナルとはいわないから。だめだ、だめだめ」

まあ、そりゃあそうかもしれませんが、鴎外が、欧米のもろもろの社会情勢や文学事情を紹介した「椋鳥通信」として書き続けた仕事は、まだまだ海外の事情に疎かった日本の民衆や作家たちに与えた影響は計り知れないものがあって(芥川龍之介なんかにね)、それは同時に、当時の欧米の世紀末的な文学状況を紹介し、日本の社会に多大な影響を与えたことを考えれば、この貴重な仕事の考慮と評価を欠くとすれば、森鴎外という作家の位置と役割と見損なうことにはならないかと危惧しているくらいです。

ちょっと、その内容というのを紹介しますね。


「鴎外選集 第14巻 諸国物語・上」(岩波書店)
尼(グスタアフ・ヰイド)
薔薇(グスタアフ・ヰイド)
クサンチス(アルベエル・サマン)
橋の下(フレデリツク・ブテエ)
田舎(マルセル・プレヲオ)
復讐(アンリ・ド・レニエエ)
不可説(アンリ・ド・レニエエ)
猿(ジユウル・クラルテエ)
一疋の犬が二疋になる話(マルセル・ベルジエエ)
聖ニコラウスの夜(カミイユ・ルモンニエエ)
防火栓(ゲオルヒ・ヒルシユフエルド)
己の葬(ハンス・ハインツ・エヱルス)
刺絡(カルル・ハンス・ストロオブル)
アンドレアス・タアマイエルが遺書(アルツウル・シュニツツレル)
正体(カルル・フオルミヨルレル)
祭日(ライネル・マリア・リルケ)
老人(ライネル・マリア・リルケ)
駆落(ライネル・マリア・リルケ)
破落戸の昇天(フランツ・モルナル)
辻馬車(フランツ・モルナル)
最終の午後(フランツ・モルナル)
襟(オシツプ・デユモツフ)
パアテル・セルギウス(レオ・トルストイ)


「鴎外選集 第15巻 諸国物語・下」(岩波書店)
★樺太脱獄記(コロレンコ)
鰐(ドストエフスキー)
センツァマニ(マクシム・ゴルキイ)
板ばさみ(オイゲン・チリコフ)
笑(アルチバシエツフ)
死(アルチバシエツフ)
フロルスと賊と(クスミン)
★馬丁(アレクセイ・トルストイ)
うずしホ(エドガア・アルラン・ポオ)
病院横町の殺人犯(エドガア・アルラン・ポオ)
十三時(エドガア・アルラン・ポオ)


と、こうあるのですが、読んでいて思わず「黒澤明」を思い描いたロシア小説が2作ありました、「★」印を付けた作品です。

コロレンコの「樺太脱獄記」は、定職も住む家もない貧しい乞食同然の流れ者たちが、ロシア本土で犯罪をおかし、樺太の監獄に囚人として送られてくるのですが、厳寒の地での看守たちの過酷な扱いに堪えられず、ついに集団脱獄を果たして、数々の要所を警戒する官憲の手を辛うじてのがれながら、遂に逃げ延びるという波乱万丈のストーリーです。たとえロシア本土に帰っても、しょせんは無一文の流れ者の身にすぎず、また犯罪を重ねなければ生きていけないことは十分に分かっていても、それでも自由の身になりたいと過酷な脱出をやりとげるその姿には、なにか神聖なものを感じてしまいました。

アレクセイ・トルストイの「馬丁」は、ある日、自分の牧場から自慢の名馬が盗まれ(見張りの男は居眠りをしていたから気づかなかったと証言します)、どうしても諦めきれない牧場主は、ある土地で大きな「馬市」が開かれると聞き込み、その市には各地で盗まれた馬が持ち寄られるという噂話を頼りに、馬を探す旅にでます。そして、その市で牧場主は自分の馬を見つけます。盗んだ男は、その土地でも数々の悪さを重ねていて、タチの悪い盗人として反感をかっていることから、この事件を切っ掛けにして土地の百姓たちになぶり殺しにされてしまいます。牧場主は自分の馬を引いて牧場に戻ってきますが、そこで見張り番をしながら馬を盗まれた男を問い詰めます。問い詰められた男は逆上し、あの馬市で百姓たちになぶり殺されたのは自分の息子で、自分が手引きして馬を盗ませたのだと叫び、憎しみに燃えて牧場主を殺そうと襲い掛かってきます。二人の争う声を聞きつけて牧場の人間が駆けつけ、牧場主はかろうじて助かります。牧場主を殺しそこなった男は、憎悪と殺意にみちた叫び声をあげながら、裸馬に乗って脱兎のごとく走り去っていきました。

どうにか要約してみたのですが、この小説の荒々しさと広大さとが、うまく表現できないので、「解説」の該当箇所をちょっと引用させてもらいますね。

≪コロレンコによる樺太と東シベリアの描写からは極寒の北陬の荒い風土とそこに生きる囚人や半ば流人であるともいふべき寂しい開拓者たちの、あきらめに裏打ちされた深いため息が立ち昇ってくる。また、アレクセイ・トルストイはロシアの大平原に文明の秩序も社会通念も無視し蹂躙して野獣のやうに生きる土民の、恐るべき生活力を容赦のないリアルな筆致で描いている。ともにロシアの途方もない大きさと底知れぬ険しさ荒っぽさを如実に体現し得た作品である。これがロシアなのだ、といふ鴎外の感嘆と、その感嘆をなんとかして日本の読者に伝へてみたいといふ熱情が堅く凝縮したやうな剛直の文体であると評してよいだらう。(小堀桂一郎)≫

この2作品の解説を読みながら、自分は、黒澤監督の「デルス・ウザーラ」のことを考えていました。

「七人の侍」のような豪快な作品を撮っていた黒澤監督が、果たしていつから、撮るべき作品を選び誤ったのか、とその晩年にはつい考えてしまう時期が続きました。

思い返せば「赤ひげ」も「どですかでん」も、明らかに素材の選択を誤ったと感じました。

「ヒューマニズム」も「市井に生きる庶民の哀歓」もその「色彩」でさえも、別に黒澤明が撮らなくたって、もっと器用に上手に撮ることのできる映画監督なら日本にはたくさんいるわけだし、黒澤明は、黒澤明でなければ撮れない映画だけをどうして撮れないのかと考えたものでした。

粗野で荒々しい野獣のような小説、「樺太脱獄記」や「馬丁」を読みながら、黒澤監督は、なんでよりにもよってあまりにも静謐なあの友情物語「デルス・ウザーラ」なんかを選んだのだろうかと、ちょっと疑問を感じてしまいました。



# by sentence2307 | 2018-12-18 23:28 | 映画 | Comments(0)

春の悶え

むかし、といっても小学校の上級年くらいからのことだと思いますが、大人の誰彼に映画館に連れて行ってもらって観た映画の一シーンとか、当時のテレビで放映された映画の断片的なシーンをふいに思い出すことがあり、「あれって、いったいどういうタイトルの映画だったのか」とたまらなく知りたくなることがあるのですが、しかし、多くの場合は、それが前後の脈絡が断たれたぶつ切りのワンシーンにすぎないために、それをたどってタイトルを調べあげるなど(俳優の容貌から国を想定したり、ストーリーからジャンルにあたりをつけても)到底不可能、それこそ雲をつかむような話で、結局のところどうにも調べようがなく、仕方なくあきらめて、そのうちに「知りたい」と思ったこと自体もいつの間にか忘れてしまうなんてことが、いままでもよくありました。

しかし、そんななかでも、記憶に残る強烈な印象のシーンを手掛かりにして、いろいろと調べていくうちに、ついに実体の伴うタイトルに行き当たった映画というものも、ごく稀にですがありました。

そういう作品のひとつにアルネ・マットソンというスウェーデンの監督の「沈黙の歓び」1962という作品があって、その探索のイキサツを、少しむかしになりますが、このブログに書いたことがあります(2008年6月7日付)、そしてここ最近にきて、多くの方からこの「沈黙の歓び」にアクセスをいただいて、当初は「なんでだ?」と訝しく思いながら検索してみたところ、やっと分かりました。

いま、国立映画アーカイブで「スウェーデン映画への招待」というタイトルで11月27日から12月23日までのあいだ、特集上映をやっていたんですね、はじめて知りました。

なるほど、なるほど、それでこの「沈黙の歓び」が、国立映画アーカイブで上映されるのかと早合点し、アーカイブのサイトで上映プログラムを確認してみたところ、当の「沈黙の歓び」は上映予定にないことも知りました、ここでまたまた新たな壁にぶち当たったというわけです。

しかし、この「疑問」に付き添って、さらにまた、ずるずると調べをすすめていったら、なんだか途方もない迷路とか隘路とかの深みに嵌まり込んでしまいそうな不吉な予感がします、きっと、以前の自分なら、まあここらあたりで、とりあえず「まっ、いいか」と早々に切り上げて、この先に踏み込むことなく(面倒くささを敬遠して)、さっさと諦めてしまうところなのですが、しかし、なんといってもこの映画には、以前、記憶の中に埋もれていて、その「身元」さえ不明のまま永遠に失いかけていたものを苦労して発掘したという経緯があります(忘却の中から「掘り返した」という意識が強いので)、それを考えれば、自分にとって特別な意味を持つこの映画「沈黙の歓び」です、ここはまあひと汗かくのもいいかなという気持ちで、プログラムに掲載されてある作品の監督名をひとつひとつ当たり「アルネ・マットソン」という名前があるかどうかを確かめてみることにしました。

それにしても「しんどい仕事」ですが、まあ「コピペして不要部分を削除」という回りくどい作業をするくらいなら(実際、過情報のデジタルというのは、かえってそういう煩雑さってありますよね)、地道にひとつひとつアナログ的に潰して見てしまった方が、逆に能率的にも優れているように思います、いえいえ、皮肉なんかじゃありません。

それに、いざ作業にかかってしまえば、なんていう手間でもありませんし。自分は以前にも、似たような仕事をしていましたから。

そうやって、一作ずつ監督の名前を確認していくうちに、ついに「アルネ・マットソン」の名前に行き当たりました。

「春の悶え」1951という映画を監督したと記載されています、まあ、リストには、アーネ・マットソンという表記になっていましたが。

この「春の悶え」がアルネ・マットソンの作品だと知ったとき、思わず「えっ、え~!!」と驚いてのけぞってしまいました。

「らしくない」という意外さが、まずありました、不意打ちをくらって、まさに衝撃といっていいサプライズだったからでしょうか、だって、あの孤独の青年の破綻を描いた「沈黙の歓び」と、自分の知っている淫らっぽい(正直、そういう印象でした)「春の悶え」では、イメージとして天と地ほどの差があるように思えたからだと思います。

実は、この「春の悶え」が日本で公開された当時の世情(雰囲気みたいなもの)というのを自分はよく覚えています。

いやいや、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したこの秀作を日本の配給会社がどのように煽情的に宣伝し、そして世間がどのように淫らがましく受け止めたか、その淫猥な紐帯で意思統一して身構えた配給者と鑑賞者の日本では、この作品をどのように受け入れたのか、その雰囲気というのを自分はよく覚えていたのです。

この映画を語る時の大人たちは、淫らな薄ら笑いを浮かべながら、人差し指と中指のあいだから親指を淫猥にのぞかせたいやらしい下卑たサインを示し「あの」映画のことを淫猥な興奮に上気して話していたのも知っています。

それに街の隅々、あらゆる電信柱とか掲示板には、まばゆいような半裸の少女のポスターが貼られ、その逆光に輝く美形の少女は、全裸が透けて見えるような薄物の服をハダケルように着て、顔だけは背けながらも、しかし、ふくらみかけた胸を恥ずかし気に両手で隠している、そんな煽情的なポスターだったと記憶しています、そしてそのポスターも貼ればたちまち剥ぎ取られて盗まれてしまうというスキャンダラスな噂話までもがまことしやかに報ぜられたことも記憶しています。

ポスターに象徴されたこのような扱いは、この秀作映画にとっても、また、思春期にあった少年たちにとっても、じつに過酷な受難であり試練だったに違いありません。

しかし、逆に、この映画が、それなら「愛こそすべてだ」と高邁に描いているのかというと、当時にあっても、そうとまでは言えないのではないかという印象を持ちました。

実は、このコラムを書く前に、ネットでこの映画に対する2、3の感想を読みあさりました。いまの若い人たちが、この映画をどういうふうに受け止めているのか、少なからず興味がありました。

しかし、もともと、この作品が超レアな作品(ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作なのにね)ということもあって、感想自体もごく少ないのですが、代表的なものをちょっと引用させてもらいますね。それはこんな感じでした。


≪愛の前では、どんな教義も説教も全て効力を持たない。
愛を交わし語り合う若者に対して世間が持つイメージが淫靡であるように感じることがある。
愛ってそんなものなのでしょうか。
「汝の隣人を愛せよ」とキリスト教の有名な言葉があります。
それなのに、この作品で登場する神父は、若い二人が道を間違えるだろうということで引き離そうとします。
これは「若年者をコントロールしたい」という欲求があるから起こるものなのかな、と感じました。
思い通りに行かない若者を「懲らしめてやろう」ということです。
大人というものは、若者に対する偏見を持ってしまうことが多い。
それは何故か?
若さゆえの心の素直さへの「嫉妬」、はたまた年長者である自己の支持従わないことへの「怒り」、そして若さへの「羨望」。
あげたらきりが無いのかも知れないのだが、この作品にはその滑稽なまでの姿が当然の様に描かれるのだった。
ラストの葬儀のシーンでの神父と若者の顔つきの違いをとくとご覧いただきたい。
両者の表情は単純な老若でも、美醜でもないなにかが違う。
それは魂を、生を生き切る姿の違いから来る輝きなのかも知れない。
邦題が作品のカラーに合っていないので、タイトルで敬遠してしまう方がいるだろうと思うと大変残念です。≫


なるほど、なるほど、そういうことですか。

ここに書かれていることは、おおむね理解できますが、世間では、「若さがすべて、愛がすべて」と素直に妄信している人たちばかりでは、必ずしも「ない」ことは、容易にネットでも知ることは可能です。

以下は、自分が読んだうちのこの作品の解説として一般的なスタイル(ステレオタイプとまではいいませんが)だと思うので、ちょっと紹介しておきますね。


≪逆光の中で湖畔での若い男女の全裸のラブシーンが「セックス王国スウェーデン」の名をスキャンダラスに高めることになり大ヒットしたが、美しい自然描写と性的な自由さという、スウェーデン映画の一般的イメージを確立した作品でもある。この全裸シーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相は不明。日本ではむしろ「処女の泉」の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。しかし、全篇を支配するのは、教会に代表される旧道徳に縛られた農村社会と、都市文化の流入によって、一瞬の青年期を燃焼し尽くすかのように純粋に異性を求めようとする若者たちとの、熾烈な世代間闘争のドラマである。ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。1954年日本公開。≫


ほらほら、あるじゃないですか、これですよ、これ。

「全篇を支配するのは、教会に代表される旧道徳に縛られた農村社会と、都市文化の流入によって、一瞬の青年期を燃焼し尽くすかのように純粋に異性を求めようとする若者たちとの、熾烈な世代間闘争のドラマである。」

ここには「愛こそすべて」ばかりじゃない、さらにハイブローらしきことが書かれているにしろ、しかし、それにしても自分がこのステレオタイプの解説で興味をひかれたのは、むしろその前半部分に書かれてある箇所でした。

「逆光の中で湖畔での若い男女の全裸のラブシーンが「セックス王国スウェーデン」の名をスキャンダラスに高めることになり大ヒットしたが、美しい自然描写と性的な自由さという、スウェーデン映画の一般的イメージを確立した作品でもある。この全裸シーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相は不明。日本ではむしろ『処女の泉』の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。」

この一文、どこかで読んだ記憶があるぞという気がしたので、書棚の本を片っ端から漁っていくと、ありました、ありました、キネマ旬報の「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」の219ページ中段~下段に、このようなマンマの記述がありました。

「アーネ・マットソン(1919~)の「春の悶え」1951は、逆光の中であるとはいえ、若い男女の全裸シーンのおかげで「セックス王国スウェーデン」の虚名を高めることになった。そのシーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相はわからない。日本ではむしろ『処女の泉』の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。」(三木宮彦「北欧映画史」より「復活した北欧映画」)

あるいは、こんな一文も見つけました。

「シェーベルイ監督の『もだえ』1944のシナリオライターとしてデビューし、50年代半ばに『不良少女モニカ』『道化師の夜』ともに1953、『夏の夜は三たび微笑む』1955などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが、スウェーデン映画の神秘主義を一身に背負って今日に至っている。ギリシア神話のダフネスとクロエの物語を純潔な官能美で満たした北欧版アルネ・マットソン監督『春の悶え』1951の大ヒット以来、スウェーデン映画はセックスの氾濫時代を迎えるが(その頂点がビルゴット・シェーマン監督『私は好奇心の強い女』1967)、ベルイマンはそうした流行とはまったくかかわりなく、『沈黙』1963に見られるようなセックスと神,すなわち肉欲と信仰の葛藤をテーマに映画をつくり続け、60年代末には『ベルイマンの神秘主義』に反発してフランスのヌーヴェル・ヴァーグの感覚を意識的に採り入れ、抒情性と社会性をミックスした映画をめざした新鋭監督ボ・ウィデルベルグ(『みじかくも美しく燃え』1967、『ジョー・ヒル』1971)などの登場が注目されたものの、やはり、その豊饒な創作活動と息の長いキャリアで巨匠・ベルイマンの位置は不動のままである。
なお、グレタ・ガルボを筆頭に,『第二のガルボ』といわれたイングリッド・バーグマン、アニタ・ビョルク、ビベカ・リンドフォース、ビビ・アンデルソンといったスウェーデン女優がハリウッドに輸入されたが、なかでもガルボとバーグマンはハリウッドの女優史の中核をなす重要な存在になった。」

こういう一文を前にすると、なんだかベルイマンの方へ持っていかれそうになりますが、ここはこらえてアルネ・マットソンに拘りたいと思います。

とはいえ、「アルネ・マットソン」というキイワードで検索してみても、その結果が惨憺たるものであることは経験済みです。
せいぜいのところ、≪出生地・スウェーデン、生年月日・1919年12月2日 いて座、没年月日・1995年6月28日(享年75歳)≫くらいしか存在しません。

そもそもこの監督、キネマ旬報社の「世界映画人名事典・監督(外国)編」に掲載がありません、ネットが、原本があってのコピーで成り立っている砂上の擬似(偽造)楼閣みたいなものとの認識はありましたが、しかし、ここまでひどいとは。

オリジナルなどなにひとつ存在しない、もう最初からナニオカイワンヤという感じです。国民性を考えると、著作権無視のコピー帝国・中国においてネット社会が大繁栄するということが、なんだか実感をもって深く納得できてしまう事態だと思いました。

そのなかでも、「沈黙の歓び」や「春の悶え」を含んだマットソン監督作品というのが幾本かヒットしましたので(たったのこんだけ!!)、あげておきますね。


★春の悶え
ペロロフ・エクストラームの小説「彼女は一夏しか踊らなかった」からW・セミチョウヴが脚色、新進アルネ・マットソンが監督したスウェデン映画1952年作品。撮影は「令嬢ジュリー」のイエラン・ストリンドベルイ、音楽はスヴェン・シエルドで52年度カンヌ映画祭において音楽賞を獲得した。主演はフォルケ・サンドクィスト、ウラ・ヤコブソンで、以下「愛欲の港」のベルタ・ハルとエリック・ヘル、エドウィン・アドルフソン、イルマ・クリステンソンらが助演する。
中学を終えたイエーラン(フォルケ・サンドクィスト)は夏休みに田舎の伯父の農園に行き、隣家の娘シエルスティン(ウラ・ヤコブソン)と遊び友達になった。処が頑迷な村の老人達はこの健康な若者達の行動に眉をひそめ就中牧師はことごとに彼らを攻撃した。シエルスティンの父母も娘の教育に関しては厳格をきわめ、若い二人はやっと伯父の理解で農園の納屋を解放して貰っていたが、ここで若者達の芝居をやろうという計画も、事故による伯父の重傷や二人のデイトが娘の義母に発見されたことなどからオジャンになった。娘は遠くの農家へ送られ、恋の想いに堪えられなくなったイエーランは彼女を追って森の中で再会、二人はすべてを忘れて恋に酔った。イエーランは町の両親の許に連戻されたものの再び学校を脱出して村へ戻り、納屋が牧師の指金で焼かれたので、他場所で芝居を敢行した。しかし幸福も束の間、その帰途二人をのせたオートバイが転覆して、重傷を負ったシエルスティンの若い命はうばわれた。葬儀の日、参列したイエーランが受けたのは牧師の嘲笑であった。堪えかねた彼はひそかに墓地を脱け、悄然と思い出の森の湖畔に立って、二度と帰らぬ恋に泣いた。
(1951ノーディスク・トーネフィルム)監督・アルネ・マットソン、脚色・ヴォロージャ・セミチョフ、オーレ・ヘルボム、アルネ・マットソン、原作・ペロロフ・エクストラーム『彼女は一夏しか踊らなかった』、製作・レナート・ランドハイム、撮影・イョーラン・ストリンドベルイ、音楽・スヴェン・シエルド、編集・レナルト・ウォーレン、美術・ビビ・リンドストルム/プロダクションデザイン
出演・ウーラ・ヤコブソン(Kerstin)、フォルケ・スンドクヴィスト(Goran)、エドヴィン・アドルフソン(Anders Persson)、イルマ・クリステンソン(Sigrid)、ヨン・エルフストローム(The Priest)、ニルス・ハルベルグ(Nisse)、グンヴォール・ポンテン、ベルタ・ハル(Anna)、ゴスタ・グスタフソン(Berndt Larsson)、エリック・ヘル(Torsten)、ステン・マットソン(Olle)、アルネ・シューレリュード(Viberg)、ステン・リンドグレン、エーリヒ・コンラッド、オラヴ・リエゴ、カルル・グスタフ・リンドステット、クリスティナ・アドルフソン、ジョン・メラン、ジャン・サンドクイスト、John Elfström、Nils Hallberg、Arne Källerud、Axel Högel、Hedvig Lindby、Margaretha Löwler、Ulla-Bella Fridh、Ejnar Haglund、Ingemar Holde、Gustaf 'Stålfarfar' Håkansson、Gunilla Pontén、Birgitta Wetterhall、
(日本公開年1954.3.6  110分・スタンダード(1:1.37)、モノクロ 35mm)


★沈黙の歓び
ラルス・フォルセルの原作をエヴァ・ゼーベルグが脚色し、アルネ・マットソンが監督した。撮影はアーケ・ダルクビスト、音楽はウルリク・ノイマンが担当。出演はこの映画で63年度スウェーデン・フィルム・アカデミーの最高演技賞を獲得したペール・オスカルソン、ジオ・ペトレほか。製作はローレンス・マルムステット。
この若い男(P・オスカルソン)は百貨店の夜警である。彼は毎夜、空虚な店内に投げ出されてあるマネキン人形の群を見ているうちに、いつしかその中のひとつに烈しい恋をした。彼には生身の女性よりもマネキン人形の方がはるかに美しく理想的に見えた。そしてついにある夜、彼はその人形を盗み出し、自分のアパートの部屋へ持ちこんだ。一瞬にして殺風景な男の部屋に花が咲いたようになった。彼はその人形を狂おしく愛撫した。そして沈黙の支配する中で彼は生れて初めて愛する歓びを知った。ある夜、固く動かなかったマネキン人形(G・ペトレ)が彼の愛撫に応えた。アパートの住人たちは彼の不可解な様子をいぶかった。ひとりの荒くれ男は、好奇心をおさえかねて、夜警の部屋におしいった。男がベッドの中に見たのは冷たい石のマネキン人形だった。仕事から帰ってきた夜警は皆から笑われ、その上人形をぶちこわされてしまった。愛人をこわされ、夢を破られた男は怒り狂い拳銃でその男を殺そうとしたが、失敗した。夜警の部屋には、手も足も胴もバラバラになったマネキン人形が散らばっていた。だが暗い片隅にころがっている首だけが、ニコッとほほ笑み、夜警の愛撫を求めていた。
(1963スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚色・エバ・ゼーベルグ、原作・ラルス・フォルセル、製作・ローレンス・マルムステット、撮影・アーケ・ダルクビスト、音楽・ウルリク・ノイマン、
出演・パール・オスカーソン(Nightwatchman)、ジオ・ペトレ(The Doll)、トル・イセダル(Barber)、Elsa (PrawitzLandlady)、ベント・エクルンド(Caretaker)、MalouYoung(Girl)、ミミ・ネルソン(The Mother)、Ric Axberg(Young Son)、Dagmar Olsson(Charwoman)、
配給・NIC、1966年公開


★断罪
ユングベ・リットケンスの同名小説を「愛のレッスン」に出演したエヴァ・ダールベックが脚色し、「沈黙の歓び」のアルネ・マットソンが監督した作品で、犯罪実話の映画化。撮影はラース・ビヨルネ、音楽はゲオルク・リーデル。出演は「沈黙」のグンネル・リンドブロム、「禁断」のクリスティーナ・ショリン、新人エスタ・エクマンほか。製作はローレンス・マルムステット。
スウェーデン南部のある農家。近所づきあいも悪く、意地のきたない女アンナ(G・リンドブロム)は、年頃になった息子のヤン(G・エクマン)に何とか嫁をとらせようと、八方手をつくして探し廻ってみたが、そう簡単には見つからなかった。それというのもアンナとヤンの不倫な関係が噂にのぼっていたからである。だがアンナの念願がかなって、やっと近くに住む地方判事の娘ハンナ(C・ショーリン)を迎えることが出来た。息子を溺愛し、彼と肉体関係まで結んでいたアンナは、結婚後三日とたたないハンナを執念深く、皮肉たっぷりにいじめ始めた。ある日母子の破廉恥な行為を目撃したハンナはあまりの恐ろしさに気も転倒したが、何時かはヤンも自分のところ戻ってくると信じ、虐待にじっと耐えた。だがアンナの仕打ちは日増しに度を越すばかりであった。そしてアンナは息子との関係を続けていくのにどうしてもハンナが邪魔だと知るや、息子と共謀して一八八九年三月も終りに近づいた日の深夜、ひそかにハンナを殺害し、近所の人びとには誤って地下室へ落ちて死んだとふれ歩いた。裁判にのぞんでもアンナとヤンは、根も葉もない嘘をならべたて無実を証明しようとした。だが結局は判事の巧みな誘導尋問が彼らの罪をあばくことになった。かくして実子に相姦を強要し、結婚後に夫婦の関係を禁じていた世にも恐ろしい母親アンナは、スウェーデン最後の女子死刑囚として、無残にもナタで首を断たれた。しかしヤンは村人の協力でかろうじて無罪となった。
(1966スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚色・エバ・ダールベック、原作・ユングベ・リットケンス、製作・ローレンス・マルムステット、撮影・ラース・ビヨルネ、音楽・ゲオルク・リーデル、
出演・グンネル・リンドブロム(Anna)、クリスティナ・ショリン(Hanna)、エスタ・エクマン(Jan)、Elsa Prawitz
配給・松竹映配、1967年公開


★慕情のひと
「春の悶え」のアルネ・マットソンが脚本・監督を担当した純愛ロマン。撮影はラース・ビヨルネ、音楽はモーツァルトの『クラリネット五重奏曲イ長調』と、ヨハン・シュトラウスの『ウィーンの森の物語』を使用。録音はラルス・クレットナーとハンス・アンデルソン。出演はノルウェー出身の歌手グリネット・モルビグ、新人ビヨルン・タンベルト、「春の悶え」のフォルケ・サンドクィストとウラ・ヤコブソンほか。
青年クリステル(B・タンベルト)は、母ベラ、父ベルイと、何不自由なく平穏な生活をしていた。だが、ある日のこと、父が交通事故で不慮の死をとげたときから、彼の日常は一変した。バルブロ(G・モルビク)という女性が現われたからだ。彼女は平凡なOLだが、生前の父と、ひそやかに関係を秘めていた。彼にとっては尊敬する父親だったのにそんな一面があったとは--。傷つきやすい青年の心はバルブロへの憎しみにもえた。だがその憎しみが、バルブロへの深い想いに変わっていくのも遠い日ではなかった。彼は愛した。そして多分、彼女も。一方、母親のベラは、息子との話しあいから、すべてを知り、バルブロに会った。一人を男を同時に愛した二人の女。共通する喜びと悲しみ。だが、その男も今は亡い。二人の女は、クリステルの将来のために、一年ほど外国留学させることにした。別れがせまった頃、バルブロの胎内に新しい生命が宿っていた。ベルイの子である。本当に愛したのはベルイ。彼のほかに自分の愛はない。彼女は、その喜びをかみしめながら、海辺の道をどこまでも歩いていく。
(1968スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚本・アルネ・マットソン、撮影・ラース・ビヨルネ、音楽・ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ヨハン・シュトラウス2世、録音・ラルス・クレットナー、ハンス・アンデルソン、
出演・グリネット・モルビグ(Barbro)、ビヨルン・タンベルト(Christer)、フォルケ・スンドクビスト(Mr. Berg)、ウーラ・ヤコブソン(Vera)、
配給・東和、1969年公開


★牝あわせ
数々の官能作品に出演するスウェーデン女優、マリー・リシュダールが主演を務めたエロティックドラマムービー。それまであまりテーマとして取り上げられることがなかった同性愛をテーマにし、本格的なレズシーンが展開する構成で話題となった衝撃作。
年増の映画評論家アンと結婚を間近に控えたイヴ(M・リシュダール)の旅先でのアヴァンチュールを描いた作品。M・リシュダールのピチピチヌードは拝めるもののエロさはイマイチ。ただ、トラックの荷台でまわされるシーンはそれなり。アン役のG・ペトルの熟女パワー炸裂だが、いかんせん貧乳+タレ乳なので萎える。エロそうな儀式?なんかもあったが、そのとき変な映像処理がされてて最悪。ストーリーは偽善や憎しみなど、複雑な女心を描きつつ、現代女性の恋愛を描いている感じでした。それと、映画評論家に対する痛烈な皮肉なんかも描いていました。
この映画の感想にこんなのもありました。「マリーリシュダールがレズシーンに挑戦したことで、センセーションを巻き起こした話題作? 嘘つけ! レズシーンなんてどこにもないぞ! 買って損した!」なんてね。
(1971スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、製作・レナルト・ベルンズ、脚本・エルネスト・ホッチ、撮影・マックス・ウィレン、音楽・ベンクト=アルネ・ワリン
出演・ジオ・ペトレ、マリー・リシュダール


★仮面の殺意
(1985アメリカ)監督・アルネ・マットソン、製作・トミー・イワーリング、脚本・ヴォロージャ・セミチョフ、撮影・トミスラフ・ピンター、音楽・ビョルン・ヨーソン・リンド
出演・ロッド・テイラー、ヴァレリー・ペリン、クリストファー・リー、フランク・ブレナン


★魔・少・女/ザ・ガール
小悪魔のような14歳の妖艶な少女(クレア・パウニー)に翻弄され、やがて殺人にまで巻き込まれて行く中年弁護士(F・ネロ)を描く。映像は秀逸だが、思わせぶりな冗長な描写が目立つ異常心理サスペンス物としては描き込みが足りない感じだがパウニーに魅了される。
(1986イギリス/スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、製作・アルネ・マットソン、脚本・エルネスト・ホッチ、撮影・ラース・カールソン、ゴーラン・マシェヴァ、トミスラフ・ピンター、音楽・アルフィ・カビリョ、
出演・フランコ・ネロ、クレア・パウニー、バーニス・ステジャース、フランク・ブレナン、クリストファー・リー、マーク・ロビンソン、デレク・ベンフィールド、クリフォード・ローズ


前述の「愛こそすべて」のコメント氏は、「春の悶え」という煽情的なタイトルが、この作品の本来の価値を損なっていると嘆いている一文がありましたが、「牝あわせ」に比べたらアナタ、「春の悶え」なんかまだまだ可愛い方ですって。

しかし、これだけではあまりにさびしすぎます、このコラム、ここで打ち切ってしまうと、悲惨な尻すぼみの「なんだ、これ!」みたいになってしまうので、アルネ・マットソンがこんなもんじゃない(なにせ、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞監督なわけですから!)というところを、失地回復の願いを込めて海外wikiの記事を丸投げしてしのぎたいと思います。

結局、丸投げじゃん!!

訳の方はヨロシク、とはいっても、他の作品は、もともと輸入されていないわけですから、わざわざ和訳したところでどうにもなりませんが。あしからず


Arne Mattsson
From Wikipedia, the free encyclopedia

【Arne Mattsson】
Born 2 December 1919
Uppsala, Sweden

Died 28 June 1995 (aged 75)
Nationality Swedish

Occupation
Director, writer
Years active
1941–1989

Spouse(s)
Elsa Prawitz (m. 1956–1965)

Arne Mattsson (2 December 1919 - 28 June 1995) was a Swedish film director, born in Uppsala.
His early movies were mostly comedies. His biggest success was Hon dansade en sommar (1951, aka. One Summer of Happiness), which earned him the Golden Bear at the Berlin International Film Festival[1] and a nomination for the Grand Prize at the Cannes Film Festival in 1952.[2] It caused some controversy at the time because it contained nudity.
His 1953 film of Peder Sjögren's second novel, Bread of Love (Kärlekens bröd), based on Sjögren's experiences as a volunteer in the Finnish Continuation War of 1941-44 angered the author, was banned in Finland and incurred the wrath of the Soviets at the Cannes Film Festival. In spite of all this, Sjögren grudgingly admitted that as a study of men under severe pressure it was impressive.[3]
In 1958 he directed Damen i svart, the first in the series of five Hillman-thrillers, centred on Folke Mellvig's crime-solving middle-class city couple Kajsa and John Hillman. The second in the series, Mannekäng i rött (1958), is considered by some to be a precursor of the Italian giallo films, notably Mario Bava's Blood and Black Lace.[4][5]
The popularity of his mystery movies declined and in the 1970s and 1980s he made mostly low-budget thrillers - some in collaboration with Mats Helge Olsson - which got mostly bad reviews.

★Filmography[edit]
I brist på bevis (1943, writer)
Räkna de lyckliga stunderna blott (1944, writer and assistant director)
... och alla dessa kvinnor (1944)
I som här inträden (1945)
Maria på Kvarngården (1945)
Rötägg (1946)
Peggy på vift (1946)
Pappa sökes (1947)
Det kom en gäst (1947, also writer)
Rallare (1947)
Kvinna i vitt (1949)
Farlig vår (1949, also writer)
När kärleken kom till byn (1950)
Kyssen på kryssen (1950)
Kastrullresan (1950)
Hon dansade en sommar (1951, known as One Summer of Happiness)
Bärande hav (1951)
För min heta ungdoms skull (1952)
Hård klang (1952)
Det var dans bort i vägen (1953, short film)
Kärlekens bröd (1953, known as Bread of Love)
Salka Valka (1954)
Storm över Tjurö (1954)
Förtrollad vandring (1954)
Hemsöborna (1955)
Nattens väv (1955, also known as Männen i mörker)
Flickan i frack (1956)
Litet bo (1956)
Livets vår (1957)
Ingen morgondag (1957)
Körkarlen (1958, known as The Phantom Carriage)
Damen i svart (1958)
Mannekäng i rött (1958)
Ryttare i blått (1959)
Får jag låna din fru? (1959)
Sommar och syndare (1960)
When Darkness Falls (1960)
Ljuvlig är sommarnatten (1961)
Vaxdockan (1962)
Biljett till paradiset (1962)
Vita frun (1962)
Den gula bilen (1963)
Det är hos mig han har varit (1963)
Blåjackor (1964, also writer)
Brott och straff – men det är svårt (1964, also writer)
Morianerna (1965, also writer)
Nattmara (1965, also writer)
Här kommer bärsärkarna (1965)
Yngsjömordet (1966)
Mördaren - En helt vanlig person (1967, also writer)
Förtrollad resa (1966, also writer)
Den onda cirkeln (1966)
Bamse (1968, also writer)
Ann and Eve (1970)
Smutsiga fingrar (1973)
Mannen i skuggan [sv] (1978, also writer)
Sometime, Somewhere... (1983)
Mask of Murder (1985)
The Girl (1987)
Sleep Well, My Love (1987)
The Mad Bunch (1989, with Mats Helge Olsson)

References
[1] "2nd Berlin International Film Festival: Prize Winners". berlinale.de. Retrieved 2009-12-22.
[2] "Festival de Cannes: One Summer of Happiness". festival-cannes.com. Retrieved 2009-01-17.
[3]Problem while searching in The Literature Collection
[4] Andersson, Pidde (October 2, 2006). Blue Swede Shock! The History of Swedish Horror Films. The TOPPRAFFEL! Library. ISBN 1445243040.
[5]Alanen, Antti. "Mannekäng i rött / Mannequin in Red (SFI 2000 restoration)". Retrieved September 3, 2014.
The director, Arne Mattson is mentioned in chapter 29 of the police procedural novel, The Laughing Policeman, by Major Sjowall and Per Wahloo



# by sentence2307 | 2018-12-12 12:49 | スウェーデン映画 | Comments(0)
デッド・エンド (1937)ウィリアム・ワイラー監督
オズの魔法使 (1939)ビクター・フレミング監督
マルタの鷹 (1941)ジョン・ヒューストン監督
カサブランカ (1942)マイケル・カーティス監督
無防備都市 (1945)ロベルト・ロッセリーニ監督
戦火のかなた (1946)ロベルト・ロッセリーニ監督
自転車泥棒 (1948)ビットリオ・デ・シーカ監督
黄金 (1948)ジョン・ヒューストン監督
赤い靴 (1948)マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー監督
白熱 (1949)ラウール・ウォルシュ監督
勇者の家 (1949)マーク・ロブソン監督
忘れられた人々 (1950)ルイス・ブニュエル監督
羅生門 (1950)黒澤明監督
地獄の英雄 (1951)ビリー・ワイルダー監督
巴里のアメリカ人 (1951)ビンセント・ミネリ監督
ミラノの奇蹟 (1951)ビットリオ・デ・シーカ監督
雨に唄えば (1952)ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督
裏窓 (1954)アルフレッド・ヒッチコック監督
波止場 (1954)エリア・カザン監督
道 (1954)フェデリコ・フェリーニ監督
狩人の夜 (1955)チャールズ・ロートン監督
炎の人ゴッホ (1956)ビンセント・ミネリ監督
突撃 (1957)スタンリー・キューブリック監督
戦場にかける橋 (1957)デビッド・リーン監督
群集の中の一つの顔 (1957)エリア・カザン監督
めまい (1958)アルフレッド・ヒッチコック監督
黒い罠 (1958)オーソン・ウェルズ監督
黒いオルフェ (1959)マルセル・カミュ監督
お熱いのがお好き (1959)ビリー・ワイルダー監督
大人は判ってくれない (1959)フランソワ・トリュフォー監督
北北西に進路を取れ (1959)アルフレッド・ヒッチコック監督
甘い生活 (1960)フェデリコ・フェリーニ監督
勝手にしやがれ (1960)ジャン=リュック・ゴダール監督
スパルタカス (1960)スタンリー・キューブリック監督
ウエスト・サイド物語 (1961)ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス監督
用心棒 (1961)黒澤明監督
アラビアのロレンス (1962)デビッド・リーン監督
アラバマ物語 (1962)ロバート・マリガン監督
8 1/2 (1963)フェデリコ・フェリーニ監督
大列車作戦 (1964)ジョン・フランケンハイマー監督
怒りのキューバ (1964)ミハイル・カラトーゾフ監督
博士の異常な愛情 (1964)スタンリー・キューブリック監督
パリは燃えているか (1966)ルネ・クレマン監督
アルジェの戦い (1966)ジッロ・ポンテコルボ監督
俺たちに明日はない (1967)アーサ・ペン監督
暴力脱獄 (1967)スチュアート・ローゼンバーグ監督
夜の大捜査線 (1967)ノーマン・ジュイソン監督
真夜中のカーボーイ (1969)ジョン・シュレシンジャー監督
M★A★S★H マッシュ (1970)ロバート・アルトマン監督
パットン大戦車軍団 (1970)フランクリン・J・シャフナー監督
暗殺の森 (1970)ベルナルド・ベルトルッチ監督
ラストタンゴ・イン・パリ (1972)ベルナルド・ベルトルッチ監督
ゴッドファーザー (1972)フランシス・フォード・コッポラ監督
チャイナタウン (1972)ロマン・ポランスキー監督
ゴングなき戦い (1972)ジョン・ヒューストン監督
ミーン・ストリート (1973)マーティン・スコセッシ監督
地獄の逃避行 (1973)テレンス・マリック監督
さらば冬のかもめ (1973)ハル・アシュビー監督
映画に愛をこめて アメリカの夜 (1973)フランソワ・トリュフォー監督
ゴッドファーザー PartII (1974)フランシス・フォード・コッポラ監督
カッコーの巣の上で (1975)ミロス・フォアマン監督
狼たちの午後 (1975)シドニー・ルメット監督
Cooley High (1975)マイケル・シュルツ監督
マラソンマン (1976)ジョン・シュレシンジャー監督
未知との遭遇 (1977)スティーブン・スピルバーグ監督
Killer of Sheep (1977)チャールズ・バーネット監督
天国の日々 (1978)テレンス・マリック監督
ブルーカラー/怒りのはみだし労働者ども (1978)ポール・シュレイダー監督
マッドマックス (1979)ジョージ・ミラー監督
レイジング・ブル (1980)マーティン・スコセッシ監督
ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー (1981)マイケル・マン監督
マッドマックス2 (1981)ジョージ・ミラー監督
ストレンジャー・ザン・パラダイス (1984)ジム・ジャームッシュ監督
カメレオンマン (1984)ウッディ・アレン監督
乱 (1985)黒澤明監督
赤ちゃん泥棒 (1987)ジョエル・コーエン監督
太陽の帝国 (1987)スティーブン・スピルバーグ監督
黒い雨 (1989)今村昌平監督
ボーイズ’ン・ザ・フッド (1991)ジョン・シングルトン監督
バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト (1992)アベル・フェラーラ監督
フープ・ドリームス (1994)スティーヴ・ジェームズ監督
堕天使のパスポート (2002)スティーブン・フリアーズ監督
シティ・オブ・ゴッド (2002)フェルナンド・メイレレス監督
カンフーハッスル (2004)チャウ・シンチー監督
アポカリプト (2006)メル・ギブソン監督
第9地区 (2009)ニール・ブロンカンプ監督





★ハリウッド業界人が選ぶお気に入り映画・100本
HOLLYWOOD’S 100 FAVORITE FILMS -

オズの魔法使(1939)ビクター・フレミング監督
風と共に去りぬ(1939)ビクター・フレミング監督
市民ケーン(1941)オーソン・ウェルズ監督
カサブランカ(1943)マイケル・カーティス監督
素晴らしき哉、人生!(1946)フランク・キャプラ監督
イヴの総て(1950)ジョセフ・L・マンキーウィック監督
サンセット大通り(1950)ビリー・ワイルダー監督
雨に唄えば(1952)ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督
波止場(1954)エリア・カザン監督
裏窓(1954)アルフレッド・ヒッチコック監督
七人の侍(1954)黒澤明監督
十二人の怒れる男(1957)シドニー・ルメット監督
戦場にかける橋(1957)デビッド・リーン監督
めまい(1958)アルフレッド・ヒッチコック監督
お熱いのがお好き(1959)ビリー・ワイルダー監督
北北西に進路を取れ(1959)アルフレッド・ヒッチコック監督
サイコ(1960)アルフレッド・ヒッチコック
ウエスト・サイド物語(1961)ロバート・ワイズ監督
アラビアのロレンス(1962)デビッド・リーン監督
アラバマ物語(1962)ロバート・マリガン監督
メリー・ポピンズ(1964)ロバート・スティーヴンソン監督
博士の異常な愛情(1964)スタンリー・キューブリック監督
ドクトル・ジバゴ(1965)デイヴィッド・リーン監督
サウンド・オブ・ミュージック(1965)ロバート・ワイズ監督
俺たちに明日はない(1967)アーサ・ペン監督
卒業(1967)マイク・ニコルズ監督
2001年宇宙の旅(1968)スタンリー・キューブリック監督
明日に向って撃て! (1969)ジョージ・ロイ・ヒル監督
時計じかけのオレンジ(1971)スタンリー・キューブリック監督
ゴッドファーザー(1972)フランシス・フォード・コッポラ監督
チャイナタウン(1974)ロマン・ポランスキー監督
ゴッドファーザー Part II(1974) フランシス・フォード・コッポラ監督
ブレージングサドル(1974)メル・ブルックス監督
JAWS/ジョーズ(1975)スティーブン・スピルバーグ監督
ヤング・フランケンシュタイン(1975)メル・ブルックス監督
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(1975)テリー・ギリアム監督
カッコーの巣の上で(1975)ミロス・フォアマン監督
ロッキー(1976)ジョン・G・アビルドセン監督
タクシードライバー(1976)マーティン・スコセッシ監督
大統領の陰謀(1976)アラン・J.パクラ、ジョン・ブアマン監督
スター・ウォーズ / EP4 新たなる希望(1977)ジョージ・ルーカス監督
アニー・ホール(1977)ウディ・アレン監督
未知との遭遇(1977)スティーブン・スピルバーグ監督
ディア・ハンター(1978)マイケル・チミノ監督
エイリアン(1979)リドリー・スコット監督
地獄の黙示録(1979)フランシス・フォード・コッポラ監督
シャイニング(1980)スタンリー・キューブリック監督
レイジング・ブル(1980)マーティン・スコセッシ監督
フライング・ハイ(1980)ジム・エイブラハムズ監督
スター・ウォーズ/帝国の逆襲(1980)アービン・カーシュナー監督
レイダース/失われた聖櫃(1981)スティーブン・スピルバーグ監督
E.T. (1982)スティーヴン・スピルバーグ監督
ブレードランナー(1982)リドリー・スコット監督
ゴーストバスターズ(1984)アイバン・ライトマン監督
アマデウス(1984)ミロス・フォアマン監督
バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)ロバート・ゼメキス監督
ブレックファスト・クラブ(1985)ジョン・ヒューズ監督
フェリスはある朝突然に(1986)ジョン・ヒューズ監督
プリンセス・ブライド・ストーリー(1987)ロブ・ライナー監督
ダイ・ハード(1988)ジョン・マクティアナン監督
恋人たちの予感(1989)ロブ・ライナー監督
グッドフェローズ(1990) マーティン・スコセッシ監督
羊たちの沈黙(1991)ジョナサン・デミ監督
美女と野獣(1991)ゲーリー・トゥルースデイル、カーク・ワイズ監督
レザボア・ドッグス(1991)クエンティン・タランティーノ監督
テルマ&ルイーズ(1991)リドリー・スコット監督
ジュラシック・パーク(1993)スティーヴン・スピルバーグ監督
恋はデジャ・ブ(1993)ハロルド・レイミス監督
シンドラーのリスト(1993)スティーヴン・スピルバーグ監督
フォレスト・ガンプ / 一期一会(1994)ロバート・ゼメキス監督
ショーシャンクの空に(1994)フランク・ダラボン監督
パルプ・フィクション(1994)クエンティン・タランティーノ監督
ライオン・キング(1994)ロジャー・アラーズ, ロブ・ミンコフ監督
ユージュアル・サスペクツ(1995)ブライアン・シンガー監督
ブレイブハート(1995)メル・ギブソン監督
トイ・ストーリー(1995)ジョン・ラセター監督
セブン(1995) デヴィッド・フィンチャー監督
ファーゴ(1996)ジョエル・コーエン監督
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)ガス・ヴァン・サント監督
タイタニック(1997)ジェームズ・キャメロン監督
プライベート・ライアン(1998)スティーブン・スピルバーグ監督
ビッグ・リボウスキ(1998)ジョエル・コーエン監督
ファイト・クラブ(1999)デイビッド・フィンチャー監督
アメリカンビューティー(1999)サム・メンデス監督
マトリックス(1999)アンディ&ラリー・ウォシャウスキー監督
メメント(2000)クリストファー・ノーラン監督
グラディエーター(2000)リドリー・スコット監督
あの頃ペニー・レインと(2000)キャメロン・クロウ監督
アメリ(2001)ジャン=ピエール・ジュネ監督
ロード・オブ・ザ・リング(2001)ピーター・ジャクソン監督
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還(2003)ピーター・ジャクソン監督
エターナル・サンシャイン(2004)ミシェル・ゴンドリー監督
ブロークバック・マウンテン(2005)アン・リー監督
パンズ・ラビリンス(2007)ギレルモ・デル・トロ監督
ウォーリー(2008)アンドリュー・スタントン監督
スラムドッグ$ミリオネア(2008)ダニー・ボイル監督
ダークナイト(2008)クリストファー・ノーラン監督
カールじいさんの空飛ぶ家(2009)ピート・ドクター監督
アバター(2009)ジェームズ・キャメロン監督
インセプション(2010)クリストファー・ノーラン監督



# by sentence2307 | 2018-12-12 12:42 | 映画 | Comments(0)
チャップリンの移民(1917)チャーリー・チャップリン監督
ロイドの要心無用(1923)フレッド・ニューメイヤー, サム・テイラー監督
戦艦ポチョムキン(1925)セルゲイ・エイゼンシュテイン監督
メトロポリス(1926)フリッツ・ラング監督
キートンの大列車強盗(1927)バスター・キートン監督
民衆の敵(1931)ウィリアム・A・ウェルマン監督
M(1931)フリッツ・ラング監督
或る夜の出来事(1934)フランク・キャプラ監督
モダン・タイムス(1936)チャールズ・チャップリン監督
大いなる幻影(1937)ジャン・ルノアール監督
素晴らしき休日(1938)ジョージ・キューカー監督
赤ちゃん教育(1938)ハワード・ホークス監督
スミス都へ行く(1939)フランク・キャプラ監督
駅馬車(1939)ジョン・フォード監督
風と共に去りぬ(1939)ビクター・フレミング監督
怒りの葡萄(1940)ジョン・フォード監督
ヒズ・ガール・フライデー(1940)ハワード・ホークス監督
フィラデルフィア物語(1940)ジョージ・キューカー監督
市民ケーン(1941)オーソン・ウェルズ監督
サリヴァンの旅(1941)プレストン・スタージェス監督
偽りの花園(1941)ウィリアム・ワイラー監督
偉大なるアンバーソン家の人々(1942)オーソン・ウェルズ監督
カサブランカ(1943)マイケル・カーティス監督
深夜の告白(1944)ビリー・ワイルダー監督
ガス燈(1944)ジョージ・キューカー監督
モーガン・クリークの奇跡(1944)プレストン・スタージェス監督
緑園の天使(1945)クラレンス・ブラウン監督
天井桟敷の人々(1945)マルセル・カルネ監督
逢びき(1945)デヴィッド・リーン監督
ブルックリン横丁(1945)エリア・カザン監督
失われた週末(1945)ビリー・ワイルダー監督
汚名(1946)アルフレッド・ヒッチコック監督
我等が生涯の最良の年(1946)ウィリアム・ワイラー監督
三つ数えろ(1946)ハワード・ホークス監督
素晴らしき哉、人生!(1946)フランク・キャプラ監督
紳士協定(1947)エリア・カザン監督
自転車泥棒(1948)ヴィットリオ・デ・シーカ監督
赤い河(1948)ハワード・ホークス監督
アダム氏とマダム(1949)ジョージ・キューカー監督
第三の男(1949)キャロル・リード監督
女相続人(1949)ウィリアム・ワイラー監督
孤独な場所で(1950)ニコラス・レイ監督
サンセット大通り(1950)ビリー・ワイルダー監督
イヴの総て(1950)ジョセフ・L・マンキーウィック監督
男たち(1950)フレッド・ジンネマン監督
革命児サパタ(1951)エリア・カザン監督
地球の静止する日(1951)ロバート・ワイズ監督
巴里のアメリカ人(1951)ビンセント・ミネリ監督
欲望という名の電車(1951)エイア・カザン監督
静かなる男(1952)ジョン・フォード監督
真昼の決闘(1952)フレッド・ジンネマン監督
雨に唄えば(1952)ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督
愛しのシバよ帰れ(1953)ダニエル・マン監督
地上より永遠に(1953)フレッド・ジンネマン監督
乱暴者(1953)ラズロ・ベネディク監督
私は告白する(1953)アルフレッド・ヒッチコック監督
終着駅(1953)ヴィットリオ・デ・シーカ監督
ジュリアス・シーザー(1953)ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督
裏窓(1954)アルフレッド・ヒッチコック監督
七人の侍(1954)黒澤明監督
波止場(1954)エリア・カザン監督
スタア誕生(1954)ジョージ・キューカー監督
ホワイト・クリスマス(1954)マイケル・カーティス監督
エデンの東(1955)エリア・カザン監督
夏の夜は三たび微笑む(1955)イングマール・ベルイマン監督
マーティ(1955)デルバート・マン監督
理由なき反抗(1955)ニコラス・レイ監督
捜索者(1956)ジョン・フォード監督
第七の封印(1956)イングマール・ベルイマン監督
八月十五夜の茶屋(1956)ダニエル・マン監督
ベビイドール(1956)エリア・カザン監督
ジャイアンツ(1956)ジョージ・スティーヴンス監督
戦場にかける橋(1957)デヴィッド・リーン監督
群集の中の一つの顔(1957)エリア・カザン監督
十二人の怒れる男(1957)シドニー・ルメット監督
愛情の花咲く樹(1957)エドワード・ドミトリク監督
サヨナラ(1957)ジョシュア・ローガン監督
めまい(1958)アルフレッド・ヒッチコック監督
孤独の旅路(1958)ヴィンセント・J・ドナヒュー監督
長く熱い夜(1958)マーティン・リット監督
若き獅子たち(1958)エドワード・ドミトリク監督
勝手にしやがれ(1959)ジャン=リュック・ゴダール監督
大人は判ってくれない(1959)フランソワ・トリュフォー監督
お熱いのがお好き(1959)ビリー・ワイルダー監督
暗黒の大統領カポネ(1959)リチャード・ウィルソン監督
去年の夏 突然に(1959)ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督
北北西に進路を取れ(1959)アルフレッド・ヒッチコック監督
アパートの鍵貸します(1960)ビリー・ワイルダー監督
荒れ狂う河(1960)エリア・カザン監督
蛇皮の服を着た男(1960)シドニー・ルメット監督
荒野の七人(1960)ジョン・スタージェス監督
片目のジャック(1960)マーロン・ブランド監督
サイコ(1960)アルフレッド・ヒッチコック監督
ハスラー(1961)ロバート・ロッセン監督
草原の輝き(1961)エリア・カザン監督
ナバロンの要塞(1961)J・リー・トンプソン監督
ニュールンベルグ裁判(1961)スタンリー・クレイマー監督
ティファニーで朝食を(1961)ブレイク・エドワーズ監督
荒馬と女(1961)ジョン・ヒューストン監督
ウエスト・サイド物語(1961)ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス監督
馬上の二人(1961)ジョン・フォード監督
アラビアのロレンス(1962)デビッド・リーン監督
アラバマ物語(1962)ロバート・マリガン監督
リバティ・バランスを射った男(1962)ジョン・フォード監督
影なき狙撃者(1962)ジョン・フランケンハイマー監督
夜への長い旅路(1962)シドニー・ルメット監督
酒とバラの日々(1962)ブレイク・エドワーズ監督
恐怖の岬(1962)J.リー・トンプソン監督
ロリータ(1962)スタンリー・キューブリック監督
Requiem for a Heavyweight(1962)ラルフ・ネルソン監督
戦艦バウンティ(1962)ルイス・マイルストン監督
渇いた太陽(1962)リチャード・ブルックス監督
ハッド(1963)マーティン・リット監督
大脱走(1963)ジョン・スタージェス監督
シャレード(1963)スタンリー・ドーネン監督
8 1/2(1963)フェデリコ・フェリーニ監督
鳥(1963)アルフレッド・ヒッチコック監督
雨の中の兵隊(1964)ラルフ・ネルソン監督
マイ・フェア・レディ(1964)ジョージ・キューカー監督
サウンド・オブ・ミュージック(1965)ロバート・ワイズ監督
質屋(1965)シドニー・ルメット監督
ドクトル・ジバゴ(1965)デヴィッド・リーン監督
バージニア・ウルフなんかこわくない(1966)マイク・ニコルズ監督
アルフィー (1966)ルイス・ギルバート監督
昼顔(1966)ルイス・ブニュエル監督
逃亡地帯(1966)アーサー・ペン監督
砲艦サンパブロ(1966)ロバート・ワイズ監督
禁じられた情事の森(1967)ジョン・ヒューストン監督
卒業(1967)マイク・ニコルズ監督
招かれざる客(1967)スタンリー・クレイマー監督
夜の大捜査線(1967)ノーマン・ジェーソン監督
裸足で散歩(1967)ジーン・サックス監督
暴力脱獄(1967)スチュアート・ローゼンバーグ監督
暗くなるまで待って(1967)テレンス・ヤング監督
俺たちに明日はない(1967)アーサー・ペン監督
おかしな二人(1968)ジーン・サックス監督
2001年宇宙の旅(1968)スタンリー・キューブリック監督
ブリット(1968)ピーター・イェーツ監督
ローズマリーの赤ちゃん(1968)ロマン・ポランスキー監督
パーティ(1968)ブレイク・エドワーズ監督
殺しの接吻(1969)ジャック・スマイト監督
真夜中のカーボーイ(1969)ジョン・シュレンジャー監督
雨のなかの女(1969)フランシス・フォード・コッポラ監督
明日に向かって撃て!(1969)ジョージ・ロイ・ヒル監督
ある愛の詩(1970)アーサー・ヒラー監督
ファイブ・イージー・ピーセス(1970)ボブ・ラフェルソン監督
パットン大戦車軍団(1970)フランクリン・J・シャフナー監督
ラスト・ショー(1971)ピーター・ボグダノビッチ監督
哀しみの街かど(1971)ジェリー・シャッツバーグ監督
時計じかけのオレンジ(1971)スタンリー・キューブリック監督
フレンチ・コネクション(1971)ウィリアム・フリードキン監督
ラストタンゴ・イン・パリ(1972)ベルナルド・ベルトルッチ監督
ゴッドファーザー(1972)フランシス・フォード・コッポラ監督
バング・ザ・ドラム(1973)ジョン・ハンコック監督
ミーン・ストリート(1973)マーティン・スコセッシ監督
パピヨン(1973)フランクリン・J・シャフナー監督
スケアクロウ(1973)ジェリー・シャッツバーグ監督
さらば冬のかもめ(1973)ハル・アシュビー監督
セルピコ(1973)シドニー・ルメット監督
エクソシスト(1973)ウィリアム・フリードキン監督
カンバセーション…盗聴…(1974)フランシス・F・コッポラ監督
パララックス・ビュー(1974)アラン・J・パクラ監督
チャイナタウン(1974)ロマン・ポランスキー監督
ゴッドファーザー Part II(1974)フランシス・フォード・コッポラ監督
狼たちの午後(1975)シドニー・ルメット監督
フレンチ・コネクション2(1975)ジョン・フランケンハイマー監督
コンドル(1975)シドニー・ポラック監督
ナッシュビル(1975)ロバート・アルトマン監督
カッコーの巣の上で(1975)ミロス・フォアマン監督
タクシードライバー(1976)マーティン・スコセッシ監督
ネットワーク(1976)シドニー・ルメット監督
マラソンマン(1976)ジョン・シュレシンジャー監督
ミズーリ・ブレイク(1976)アーサー・ペン監督
大統領の陰謀(1976)アラン・J.パクラ、ジョン・ブアマン監督
サタデー・ナイト・フィーバー(1977)ジョン・バダム監督
スター・ウォーズ(1977)ジョージ・ルーカス監督
未知との遭遇(1977)スティーブン・スピルバーグ監督
アニー・ホール(1977)ウディ・アレン監督
ディア・ハンター(1978)マイケル・チミノ監督
クレイマー、クレイマー(1979)ロバート・ベントン監督
リアル・ライフ(1979)アルバート・ブルックス監督
パパ(1979)ルイス・ジョン・カルリーノ監督
チャンプ(1979)フランコ・ゼフィレッリ監督
ジャスティス(1979)ノーマン・ジュイソン監督
地獄の黙示録(1979)フランシス・フォード・コッポラ監督
オール・ザット・ジャズ(1979)ボブ・フォッシー監督
ハンター(1980)バズ・キューリック監督
普通の人々(1980)ロバート・レッドフォード監督
レイジング・ブル(1980)マーティン・スコセッシ監督
モダン・ロマンス(1981)アルバート・ブルックス監督
白いドレスの女(1981)ローレンス・カスダン監督
評決(1982)シドニー・ルメット監督
テンダー・マーシー(1982)ブルース・ベレスフォード監督
トッツィー(1982)シドニ・ポラック監督
再会の時(1983)ローレンス・カスダン監督
スカーフェイス(1983)ブライアン・デ・パルマ監督
SIGNAL 7/真夜中の遭難信号(1985)ロブ・ニルソン監督
暴走機関車(1985)アンドレイ・コンチャロフスキー監督
ゴー!ゴー!アメリカ/我ら放浪族(1985)アルバート・ブルックス監督
バウンティフルへの旅(1985)ピーター・マスターソン監督
ザ・フライ(1986)デイヴィッド・クローネンバーグ監督
ミシシッピー・バーニング(1988)アラン・パーカー監督
ゴッドファーザー Part Ⅲ(1990)フランシス・フォード・コッポラ監督
ランブリング・ローズ(1991)マーサ・クーリッジ監督
セント・オブ・ウーマン/夢の香り(1992)マーティン・ブレスト監督
セレブレーション(1998)トマス・ヴィンターベア監督



# by sentence2307 | 2018-11-30 23:41 | スピルバーグ | Comments(0)