人気ブログランキング |

世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

牧師の未亡人 ふたたび

10年か15年くらい前になりますが、「世界の映画監督」というプライベート・リスト(50音順です)を、ある映画のサイトの記事を参考にして作成しました、内容といっても、ごくシンプルに「監督名」と「代表作」がただ羅列されているにすぎません。

べつに、わがブログのトレードマークである「作品の優劣にこだわらず手当たり次第に映画を見る」というコンセプトに揺らぎはないのですが、あるとき、ふっと気が付いたのです。「手当たり次第に映画を見る」といっても、ダラダラとただ本数を消化するだけなら、なんの意味もないじゃないか、その前に、少なくとも監督の代表作なり作品の世評なりの予備知識を得ておくくらいのことは必要なのではないか、と。

とにかく、単に「手当たり次第、映画を見る」というだけでは、どうにも疲れて仕方ありません、そんなことでは到底長続きするわけがない、なんだかんだいっても、世評の高い映画はやっぱり感動できますし(国際映画祭でグランプリをとったような作品なら、そりゃあ当然でしょう)見るモチベーションからして最初から違い物凄く気持ちを挙げてくれます、それに、そうした感動を得られれば日常生活にも影響して「張り」だって出てこようというものです、活力も湧いて、やる気も出て、しかも健康にもいいときています。

それに引き換え、どうしようもなくヘタレな映画を無理して見ていて、だんだん意気消沈し、脱力感に襲われ、そのうち悪寒とか熱まで発して、なんだかすべてが面倒くさくなり、なんでこんな駱駝のゲップみたいなつまらないものに付き合わされなければならないのだと、貴重な時間を無駄にされたと苛立ち、その後も尾を引いた嫌悪感で2か月くらいは鬱状態になって生活にも支障をきたすという、もう映画なんかどうでもいいくらいのダメージを受けてしまったこともありました。

なにごとにも無防備はいけません。まあ、このリスト、ざっくり言えば、自分が映画を見るための手がかりというか、プライベートな「手引き書」のようなものだと思ってください。

いままでなら、監督名と作品が、ただの文字の羅列でしかなかったものが、作成した我がリストを機会あるごとに眺めていたら、だんだん、彼の「代表作」とか「評価されたけれども不遇な作品」とか「まったくの失敗作」とか、そのためしばらく干され撮る機会に恵まれずに「やっと撮ることのできた作品」とか、いろいろの作品事情が時系列で識別できて、自分の中に明確な作家像と製作地図とかが出来上がったような気がします、いままでの自分は、ただ当てもなく、荒涼たる砂漠を無我夢中で彷徨っていた見捨てられた迷い子にすぎなかったのではないかとさえ思えたくらいです。

そうそう、このリスト、ただ眺めているばかりでなくて、新しい作品を鑑賞したら、監督名のあとにそのタイトルを書き入れて更新します。そして、その作品がもの凄く感動した作品だったなら、ちょっとした印をつけるくらいはしていますが、べつにそれは絶対的なものとかじゃなくて、少し時間が経って再見し「それほどでもないか」と思えば(心変わりは、よくあります)その記号は消してしまいます、がタイトル自体を消すことはありません、そういう「蓄積」を行っています。

さて、前置きが長くなりましたが、わがリストで、カール・ドライヤーが、どう記されているか、ご紹介しますね、


★カール・T・ドライヤー(1889.2~1968.3)デンマーク「あるじ」1925「裁かるゝジャンヌ」1928「吸血鬼」1931「怒りの日」1943「奇跡」1955


という感じ。「えっ~、そんな簡単なの!? しかも、たった5本?」と、あまりにも素っ気なさすぎて、きっと驚かれると思います、これはネットから拝借したもので、基本「自作」ではないので、言い訳みたいになりますが、これはこれでいいんじゃないかなと思っています。

映画が発明されてから1世紀と少しの間、自他ともに映画監督といわれた人たちは、何百人、何千人といたでしょうから、いかに敬愛するカール・T・ドライヤーといえども、名目上(カタチだけは)あくまでも何百人・何千人分の一人の扱いで十分であって、たとえそれが外見上はたったの「2行」のものにすぎなくとも、表記それ自体で十分に輝いているのですから、なんら問題はありません、大丈夫です。

そうそう、この項目にある≪「奇跡」1955≫ですが、死産し母親も危篤状態、やがて息を引き取って棺の中に収められた女性(妻)が、死から甦るという奇跡を描いた厳粛な名作です、むかし、自分が草月会館で見た当時は、確かこの映画、「ことば」とタイトルされていたように記憶していて、原タイトルの「Ordet」も、デンマーク語で、やはり「言葉」という意味だと聞いたことがあります。

そりゃあ、自分だって、「ことば」なんかよりは、ずばり「奇跡」の方が、よほどスマートで見栄えが良く、分かり易くて絶妙なタイトルに違いないとは思いますが、でも作家の意向のほうは「どうなの」という疑問は、やはり残りますね。

たぶん(これは、間違っていたらごめんなさいね、の「たぶん」です)、「ヨハネ伝」の最初の部分、

≪はじめに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき≫

を指しているのではないのかなと、チラッと考えたことがあります。

でも、すぐに、「なぜ、言葉?」という疑問がわいてきました。

そりゃそうですよ、いよいよこの世界を創造しようかというときにですよ、もっとも必要とするものが「言葉なの?」という疑問です、だって、ほかに必要な物なら幾らでもありそうなものじゃないですか。ある、ある、きっとある。そりゃあ、あって当然でしょう。

その「ヨハネ伝」も、このあと、こう続けています。

≪この言葉は、はじめ神とともにあり、
ヨロズのもの、これによりてなり、なりたるものに、ひとつとしてこれによらでなりたるはなし。
これに生命あり、この生命は人の光なりき。
光は暗黒に照る、しかして暗黒はこれを悟らざりき。≫

これって、むしろ逆なんじゃね、と思ったのです。

まず人間が作られ、命を与えられ、命の光が暗黒を照らす、そして、人は言葉を得る。

この方が、むしろ理屈が通っているし、スッキリもするような気がしたのです。

それがアナタ、よりにもよって「言葉」ですよ、わけが分かりません、まったく世間知らずにもほどがあるってもんじゃないですか、あまりにもロマンチックすぎて「神さま、あんたって詩人か」と突っかかりたくなる思いさえしました。

しかし、まあ、神さまにそんな因縁をつけても仕方ありません、だって、もうできあがっちゃったものを、いまさらどうこう言ったところで、もとの原初に戻るわけもなし。

いやいや、これは言いすぎました。

ワタシはといえば、遥か極東の果てに生息し、背は驚くほど低く、猫背で、頭にはいまだチョンマゲを戴き、眼鏡をかけた出っ歯で、肩からカメラをぶら下げていて、いつも薄気味悪い微笑を絶やさず、自分でもなにを考えているのかさっぱり分からない抜け目のない不気味さと狡猾さとで、優越感でふんぞり返っている間抜けな白人のすきを窺っては、あわよくばひと儲けしてやろうと企んでいる黄色い肌をしたコテコテの東洋人なのであります。
しかし、そうやって得た金ですっかり肥え太ったいまの日本人のほとんどが、自分をすっかり「白人」だと勘違いしている人ばかりで、そういう人たちの中で生きていかなければならない「東洋人」の生きずらさというものは、確かにあります。

そもそも、信仰心とかもきわめて薄く、しかも仏教徒ですらない、ナマステ、「聖書」なんてものはアナタ、教養書のひとつとしか考えていないような、こんなわたしがですよ、「まずは言葉だなんて、すっげおかしだろい」なんて、そんな大それたことを言えた義理なんかあるわけないじゃありませんか。

つまらない愚痴はそれくらいにして、リストの代表作「5本」という選択が、果たして正当な選択だったのかどうか、「牧師の未亡人」が外された意味も含めて、カール・T・ドライヤーの作品群を検索して確かめてみることにしました。(✓が、リストにあがっていた作品です)


1919
裁判長Præsidenten(89分・白黒・16fps)
サタンの書の数ページ Blade af Satans Bog(148分・白黒・18fps)
1920
牧師の未亡人 Prästänkan( )
1921
不運な人々Die Gezeichneten(84分・白黒・20fps)
1922
むかしむかしDer Var Engang(64分・白黒・不完全・20fps)
1924
ミカエルMikaël (89分・白黒・20fps)
✓あるじ Du skal ære din Hustru(118分・白黒・18fps)
1926
グロムダールの花嫁Glomdalsbruden(70分・白黒・不完全・18fps)
✓裁かるるジャンヌ La Passion de Jeanne d’Arc ( 97分)
1931
✓吸血鬼 Vampyr (70分 )
デイヴィットグレイの不思議な冒険
1943
✓怒りの日 Vredens Dag ( 97分 )
1945
二人の人間 Två människor( )
1955
✓奇跡 Ordet ( 126分)
1964
ゲアトルーズ Gertrud ( 117分 )


なるほど、なるほど、こう見ると、ドライヤーの円熟した後期の作品を集中的にアップしたというわけですね、そういうことなら、一応の納得はできます、ただ、自分が今回、書きたいと思っている「牧師の未亡人」は、前期も前期、1920年の作品で、しかも重厚で深刻な作品が多いドライヤーの作品のなかでもとても珍しい喜劇(と一般的には、いわれています)ときているので、その辺の困難はあるかもしれません。

しかし、この作品のどの部分が「喜劇」なのかと、ストーリーをたどりながらチェックしてみました。

・牧師の職に応募にきた神学生・競争相手に悪戯をして失敗させる。
・説教に退屈して居眠りする信者を棒でつついて起こして回る。
・牧師となる条件が、前牧師の老未亡人と結婚すること(4回目の結婚で薬指には指輪をはめる余地がない)だが、生活のために偽って結婚する。
・村人の嘲りを知り、良心の呵責に苛まれ、いっそ未亡人を殺してしまおうと決意し、殺人を計画するが、いざとなると実行できない。
・悲しむ恋人に老未亡人が死ねば一緒になれると慰める。
・悪魔の扮装で未亡人を驚かそうとして見破られて笑われる。
・老未亡人の監視をくぐって愛人に逢いにいくたびに失敗する間抜けさ。
・召使の老女の手を握りにかかったり(これは幻覚のためかも)夜這いをかけてしくじるなどの滑稽。(夜這いを察知してベッドをすり替えた老未亡人は、この段階ですべてを理解したはずです)
・二階にあがった未亡人に怪我させようと梯子を外しておいたら、まるで「天罰」のように恋人に大怪我をさせてしまった。
・事故を契機に未亡人からあつい看病を受けることに。
・未亡人は、自分で自分を傷つけていて、早く死にたかったのだと告白する。
・ふたりは偽りを告白・懺悔して、いままでの所業を詫び、心からの愛と尊敬をもって、その死まで彼女に尽くした。
・やがて老未亡人の寿命が尽きて亡くなり悲嘆にくれる葬儀。(真摯な悲嘆に打ちひしがれた姿が描かれている)
・出棺するときの独特のセレモニー。(厳粛な葬儀の様子が描かれていて、もはやこの部分に「喜劇」はない)牧師の未亡人の永遠の眠りを示す新しい十字架が立てられた。

などですが、本筋にあるのは、聖職者(身勝手で典型的な小悪党)が、自分たちが幸福になるために、他人(牧師の未亡人)の死を熱望して、積極的に「罠」を仕掛けたりするブラックさにあり、チョロチョロと策謀するたびに失敗を繰り返す滑稽さにあります。

たとえ最後の最後には悪企みを反省・後悔・懺悔するとはいえ、考えてみればその過程で行われる罠は、かなり悪辣で、「喜劇」の枠をはるかに超えた、一歩間違えば金目当ての凄惨な殺人事件へと展開しかねない、ほとんど紙一重の陰惨な緊張感が保たれていて、いかにも後年のカール・T・ドライヤーらしい、死の影に覆われた中世独特の土俗的描写と、暗く重厚な風格を有した悪意の物語であることに変わりないという印象を持ちました。

「世界映画人名事典・監督編」には、「牧師の未亡人」について、≪徹底したロケイション主義と土俗味の点てシェストレームやスティルレルの影響が認められる。以後数年間の仕事を通じてドレイエルはデンマーク映画を芸術水準世界一におしあげた≫あるいは≪この作品には、ノルウェーへの長期ロケによって、生きた化石のような農民生活が克明に描かれていて、民俗学の教科書のような趣きさえあった≫と絶賛しています。関係資料によれば、影響を受けた4作品というのは、

・ヴィクトール・シェーストレーム監督「波高き日」1916「生恋死恋」1917「イングマールの息子」1918
・モーリッツ・スティルレル「吹雪の夜」1919

をあげたうえで、カール・T・ドライヤー3作目「牧師の未亡人」が、以後の北欧映画に与えた意義をこんなふうに説明しています。

≪これらの作品が、その頃までスタジオのなかに閉じこもっていたカメラを大自然の中に引き出し、自然風景の新鮮な魅力を始めてスクリーン上に持ち込んだ点で大きな意義を持っていることは映画史に記されている通りであり、これらのスウェーデン映画における自然描写の手法がこの作品の随所に用いられていて新しい特色となっている。
この作品では、セットは一つも使用されず、すべてのショットは、ノルウェーの自然風景、外装とインテリアの両方のショットは、ガルモ・スターヴ教会とリレハンメル市近郊に作られたノルウェーの貴重な建築物を集めたマイハウゲン博物館、そして農家で撮影されたもの。また、この作品にエキストラとして出演している農民たちはグルドブランドの住民で、彼らは、尊敬する詩人ヤンソンの作品の映画化ということで進んで協力したと伝えられている。≫

(1920スウェーデン)監督脚本カール・テオドール・ドライヤー、原作クリストファー・ヤンソン『プレストコネン』1901、撮影ゲオルゲ・シュネーフォイグト(ジョージ・シュネヴォイクト)、製作・スヴェンスク・フィルミンドゥストリ(83分・白黒・18fps)
出演ヒルドゥール・カールベルイ(マルガレーテ・ペダースドッター)、アイナール・レード(ソフレン)、グレタ・アルムロート(マリ)、オラフ・オークラスト(神学生)、クルト・ヴェリン(神学生)、エーミル・ヘルセングレーン(召使スタイナー)、マチルデ・ニールセン(召使女グンヴォル)、ロレンツ・ティホルト(鐘撞き男)、ウィリアム・イヴァルソン(司祭長)



【参考】

・ストーリー
ノルウェーのある山麓の小さな村の教会の老牧師が亡くなって、空席になった牧師の後任を決める選出が行われることとなった。
近くの教区から恋人のマリを連れて応募にやって来たソフレンは、苦学してきた貧乏牧師補で、牧師の職を得て収入が安定しないことには、何年も愛し続けてきたマリとの結婚もおぼつかない状態だった。
この牧師の応募者は、このソフレンのほかに、コペンハーゲンからやってきた神学生が二人いた。
試験は、教会に集まってきた村人を前に、説教壇から説教すること。
最初に説教壇にあがった痩せた神学生の説教には、村人たちは退屈して居眠りを始めた。
次に説教壇に立った太った神学生の後頭部には、ソフレンが密かに付けた鳥の羽毛が話すたびにひらついて、それに気づかない神学生に、村人たちは笑い転げて説教にならなかった。
そのうえ、ここの牧師に選ばれた者は、前牧師の老未亡人マルガレーテと結婚しなければならないと知って、二人の神学生はあわてて逃げ去った。
結局、ひとり残ったソフレンが、ここの牧師になることに決まった。
その夜、老マルガレーテと食事したソフレンは、悲しむマリをよそに、この牧師館に泊まることになった。
翌朝の食事の際、酒を飲みすぎたソフレンは、幻覚に捉われて、目の前にいるマルガレーテの顔にマリの顔をだぶらせた。
そのあとでソフレンは、森の中に行って悲しむマリに逢い、老い先短い老未亡人が死にさえすれば、われわれは一緒になることができると、彼女を慰める。
そこにマルガレーテがやってきたので、慌てたソフレンは、マリを妹だと偽ってマルガレーテに紹介し、そして、女中として牧師館で働かせてほしいと頼み込んだ。
それから数週間後、隣村の牧師の立会いのもとで、ソフレンとマルガレーテの結婚式が地方色豊かな儀式と踊りのなかでとり行われた。
これで4度目の結婚式をあげることになったマルガレーテの薬指には結婚指輪をはめる余地がないので、新しい指輪は、中指に嵌められるのだった。
歳月は過ぎ去るが、老マルガレーテは、依然健康なので、ソフレンはマリとゆっくり会うことができなかった。
ソフレンは、森の中で織物を織る召使の老婆をマリと勘違いして、その手を握ったところをマルガレーテに見つかったり、夜中にマリのベッドにもぐりこもうとしたところをマルガレーテに見つかってしまい、自分の醜態を取り繕うために、にわかに腹痛が起こったと嘘をついたため、苦い薬を飲まされる羽目になったりした。
マルガレーテの死が一日も早からんことを願うソフレンは、魔法の本からヒントを得て、悪魔に扮し、マルガレーテを恐れさせ死期を早めさせようとしたが、彼女に足を見られて見破られて笑われ、失敗した。
その翌日、マルガレーテが納屋の二階に上がるのを見たソフレンは、マルガレーテを墜落させて大けがをさせようと梯子を外しておくが、間違ってマリが落ちてしまい大怪我をさせてしまった。
ソフレンはマリをマルガレーテのベッドに運んだ、脳震盪を起こしたマリは太ももの骨を折っていた、数週間にわたり、手厚い看護をするマルガレーテを見てソフレンはマルガレーテに好意をもつようになる。
ある日、ソフレンとマリがベッドサイドに座っているときに、マルガレーテは告白する。
「私の最初の夫が、この牧師の空席に応募したとき、牧師になる条件として、未亡人と結婚しなければならないことを知りましたが、彼と私は、未亡人の体が弱く、長生きできないことを知りました。それは貧しい私たちにとって願ってもない邪悪な痛い誘惑でした。神よ私たちをどうか許してください、私たちは他者の死を望んで幸せを築きました。」
そのマルガレーテの告白に胸を打たれたソフレンも告白した、「私とマリは兄妹ではありません、彼女は私の婚約者です。私たちは、あなたの死を待っていたのです、マルガレーテ、許してください」
この告白に、最初マルガレーテは驚いたが、やがて表情が柔らぎ「かわいそうな子供たち」とつぶやく。
そのときから、ソフレンとマリは一緒にいられるようになり、マルガレーテも夫の墓参りをして教会の庭で静かで安らかな彼女の時を過ごした。
ある朝、マルガレーテが朝食に降りてこないので、ソフレンとマリが寝室に見に行くと、マルガレーテは眠ったまま安らかに亡くなっているのを見つける。
ソフレンはベッドの横にあるメモを見つける、「私の死すべき遺骨が取り除かれるとき、ドアの上に馬蹄を置き、私があなたに出没しないように私のお墓の周りに亜麻仁を植え付けることを忘れないでください」と。
マルガレーテは夫のそばに埋葬される。
ソフレンとマリは悲しみのうちに彼女の墓の前で祈りをささげる、そしてソフレンが言う、「マルガレーテは私たちに多くのことを教えてくれた。あなたには良い家庭を保つようにと。そして私には名誉ある高潔な人であれと」



・「牧師の未亡人」に影響を与えた映画・4本

★ヴィクトール・シェーストレーム監督
【波高き日 1916】
イプセンの叙事詩。19世紀の初め、ナポレオン戦争時代。イギリスの海上封鎖網をくぐり、飢えた妻子に食料を運ぼうとしたテルイエは捕らえられ、投獄される。5年後に釈放されて帰国したとき、妻子は既に死んでいた。絶望したテルイエの前を漂流する小舟。乗っていたのは、自分を捕らえたイギリス海軍の将官とその家族。テルイエは一度怒りを覚えて復讐しようとするが、彼らの哀願に心が動き、寛大に彼らを救助してやる。
【生恋死恋 1917】
アイスランドの作家シーグルド・ヨンソンの叙事詩。19世紀末のアイスランド。放浪の男ベルイ=エイヴィンドは、ある村の横暴な地主からその妻ハラを奪い去り、山に立てこもる。二人のあいだには子供が生まれる。やがて下界の地主の復讐でその子どもさえ失った二人は、雪に埋もれて死んでいく。
【イングマールの息子たち 1918】
1896年に教区から行われた移民を描いたセルマ・ラガーロフの小説「エルサレム」に基づく。裕福な家の息子、若きイングマール・イングマーソンは、社会階級の下の若い女性ブリタと恋に落ちる。ブリタは家族の状況を改善するためだけにイングマールと結婚することに決めたが、彼女はイングマールと彼の周りすべてに大きな憎しみを持っている。ともに殺人のポイントにかなり劇的な関係を経験します, そのうちの一人が移住したいと思う、シェーストロームは、セルマの最初の2つの章を適応させるためにほぼ2年を費やした。この精巧でファンタジーを帯びたメロドラマは、「天国へのはしご」(パウエルとプレスバーガー)と過去のイングマーズの結論を組み込むことによって、1940年代の幻想的なロマンスを予見した。
★モーリッツ・スティルレル監督
【吹雪の夜 1919】
16世紀後半、陰謀の罪で投獄されたアルシー卿たち三人は、雪に乗じて逃走した。彼らは雪に閉ざされたスウェーデンの片田舎、人里離れた家へ忍び込んでその家の主人アーネを殺し、金を奪って海岸近くの宿屋に隠れる。殺害を免れ孤児となったアーネの姪・哀れな少女エルサリルは、偶然その宿屋で働くことになり、運命のいたずらから親を殺害したアルシーを恋するようになってしまう。アルシーは彼女を人質にしてなおも逃げようとするが、結局捕えられ、やがて共に死ぬ。海氷に閉じ込められて捨て去られた船の黒い影のほとりを長い葬列が黙々と通り過ぎるシーンは、厳粛な絵画美がある。


・カール・テオドール・ドライヤーが選んだ名作10本(1963)

1  『吹雪の夜』(1919 マウリツ・スティルレル)
2  『イングマールの息子たち』(1919  ヴィクトル・シェーストレーム)
3  『イントレランス』(1916 D・W・グリフィス)
4  『クランクビーユ』(922 ジャック・フェデール)
5  『灼熱の情火』(1923 エルンスト・ルービッチュ)
6  『戦艦ポチョムキン』(1925 セルゲイ・エイゼンシュテイン)
7  『母』(1926 フセヴォロド・プドフキン)
8  『イワン雷帝』(1945 セルゲイ・エイゼンシュテイン)
9  『ヘンリー五世』(1944 ローレンス・オリヴィエ。DVD題『ヘンリィ五世』)
10 『地獄門』(1953 衣笠貞之介)



# by sentence2307 | 2021-05-05 14:03 | カール・ドライヤー | Comments(0)

ジュディ 虹の彼方に

今年のアカデミー賞授賞式は、初めから終わりまで、通してゆっくりと見ることができました。

コロナの影響もあってか、例年に比べるとずいぶん抑えた静かな授賞式だなという印象をもったのですが、そのなかでも特に印象に残った場面がありました。

「主演女優賞」の受賞者を名指しする場面、プレゼンターは、前年「ジュディ 虹の彼方に」で主演女優賞を受賞したレニー・ゼルウィガーがつとめていて、ノミネートされた女優たちを次々に紹介したあとで、いよいよ受賞者フランシス・マクドーマンドの名前を読み上げてからのリアクションが、ちょっと気になったのです。

「スリー・ビルボード」で受賞した際にも強く感じたことですが、マクドーマンドは、近年、ますます気難しくなり(のように見えます)、表情に社交性というか、サーピス精神なんかほとんど消失し、「微笑」とか社交儀礼的な表情も意志的に一切排除しようとしているかような印象があります、もっとも、マクドーマンドがもともとそういうクールな人で、分かっている人なら「あんなもんだよ」と一蹴されるレベルの話なのかもしれませんが、パッと見、ほとんど「こんな下らないことで、誰が笑えるもんか」みたいな取りつくしまもない仏頂面で、なにしろ受賞会場にいる映画人のほとんどがきらびやかな正装で身を固めているなかで、まるでそれらを挑発するかのような質素な普段着(それも「よれよれ感」をさらに目立たせるために、懸命にマイナスの努力に励んだのではないかと勘繰りたくなるくらいの「ノマドランド感」で、あえて演出したのではないかという迫真のリアル感がありました)は、まるで華やいだ会場の雰囲気に対して挑戦・抗議しているようにも感じました。

しかし、「マクドーマンド」の方もそれはそうなのですが、マクドーマンドの名前を読み上げたプレゼンターのレニー・ゼルウィガーの方だって負けていませんでした、読み上げるやマクドーマンドの登壇なんか待つことなく、さっさと(プレゼンターたるもの、受賞者を待って祝福するとか挨拶くらいはして楽屋に消えるというのが礼儀なのではないかと思いますが)受賞者の方を見ることもなく、冷ややかな素知らぬ態度で、そそくさと舞台から消え去りました。

「やっぱ、コロナだから『接触』とか『密』なんかを避けたのか」とも思ったのですが、いやいや、そんなことはありません。だって、彼女、楽屋に消えるときに前の方に坐っていた知人の誰かに、わざわざ歩み寄り笑顔で握手と挨拶をしてたくらいですから、マクドーマンドとの微妙な関係や空気感、そして距離感など、やっぱなんかいろいろとあるんじゃないかなと、臨場感あふれるリアルな中継番組を見ながら感じた次第です。

もっとも、マクドーマンドが、あの顔でへらへらと薄笑いを浮かべて愛嬌を振りまかれたりしたら、かえって気持ち悪いかもしれません、そうそう、久しぶりに「ファーゴ」1996を見たのですが、彼女、随所で実に可愛らしい爽やかな笑顔を見せている場面もあったので、まだこの頃は笑っていたんだなと、しばし感慨にふけりました。


さて、そのレニー・ゼルウィガーの「ジュディ 虹の彼方に」ですが、遅ればせながらやっとwowowで見ることが出来て、やはりラストシーンには感動させられ、思わずホロリとしてしまいました。

そのラスト、愛する人に去られ5度目の結婚にも失敗し、ショーの仕事も解雇されたジュディが失意と傷心のなかで、自分の代役をつとめるギタリストのショーを見てからクラブを去ろうと思い立ち、昨日まで出演していた舞台のソデから客席の観客たちの顔を見た瞬間、にわかに歌いたい衝動にかられステージに飛び出し、見事な歌唱力で歌い出すシーン。

その歌が大喝采を受けたあとの次の曲、ジュディを大スターに押し上げた「オーバー・ザ・レインボウ」を歌いだしたとき、彼女の脳裏をよぎったのは、いままで愛した多くの人々に去られたこと、家庭をみずから壊した数々の失敗と、自分のいまある孤独とに胸が詰まって、歌い出した「オーバー・ザ・レインボウ」の曲の途中で、ついに歌えなくなったとき、観客席から沸き起こる「オーバー・ザ・レインボウ」の大合唱が、打ちひしがれたジュディを励ますという感動の場面です。

その観客の歌声が「ジュディ、がんばれ」という励ましの声援であることはもちろんなのでしょうが(そして、この映画の意図もそれ以上はきっと求めていなかったと思います)、むしろ自分には、このときのジュディ・ガーランドは、はじめて自分の歌の歌詞(その意味を含めて)を観客たちの歌声をじっくりと聞くことによって、「歌詞」がはじめて理解できたのではないかという感じを持ちました。

これは単なる想像にすぎませんが、「持ち歌」を日々、繰り返して歌わねばならない「歌手」にとって、そのたびに歌詞を理解し気持ちを入れ髪振り乱して歌っているかというと、それは「疑問」でしょう、まさか日々のステージで毎回そんなオーヴァーアクションを繰り返していたら、それこそ疲れ切り、神経もすり減って、身体がもつわけがありません、明日もまたステージをこなさなければならない彼らにとって、一夜限りで燃え尽きるようなステージなど到底あり得ないことと容易に想像がつきます。彼らとて、日々身体をいとい、末長く仕事を続けるために、肉体的にも精神的にも延命のためになんらかの日常的な工夫をしているに違いありません。

たとえば、外見上あたかも気持ちを入れ歌っているような振りをするとか、自分の歌に感動して思わず涙ぐむ振りをするとか、髪振り乱して懸命に歌っている姿をカタチとして見栄え良く整えるとか、そういう「工夫」です、そしてなによりも、自分がいま歌っている歌詞を隅から隅まで十分に理解しているような振りをするとか、みたいなことだと思います。

若年から繰り返し歌い続けてきて、すっかり慣れきってしまった持ち歌の歌詞は、多分いつの間にか、ただの言葉の羅列(呪文)に過ぎないものになっていて、記号としてなぞっているだけになっていたのではないか、ことにジュディの場合、なにしろ16、17歳あたりからずっと歌い続けてきたわけですから、「Somewhere over the rainbow」は、そういう存在として、ただ惰性で歌っていたと考えることは、むしろ当然かもしれません。そして、このラストシーンにあるように、「観客の大合唱」によって、彼女は改めて、歌詞の意味するものをハタと気づかされたのではないかと感じたのです。

そこで、ちょっと「オーバー・ザ・レインボウ」の意訳を参照しました。


Somewhere over the rainbow
Way up high
あの虹の彼方の
どこか空高くには

There’s a land that I heard of
Once in a lullaby.
特別な場所があるって
小さい頃に子守唄で聞いたことがあるの

Somewhere over the rainbow
Skies are blue
その虹の彼方は
空がとても青く澄みわたっていて

And the dreams that you dare to dream
Really do come true
信じてた夢は
すべて本当に叶うんだって

Someday I’ll wish upon a star
いつか私も星に願うの

And wake up where the clouds are far behind me
その遠いところにある雲の上で目覚めること

Where troubles melt like lemondrops
そこではどんな悩みもレモンドロップみたいに溶けてなくなる

Away above the chimney tops
That's where you'll find me
あの煙突よりもずっと上のほうにあるところで
あなたは私を見つける

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly.
あの虹を超えた彼方には
青い鳥たちが飛んでいる

Birds fly over the rainbow.
Why then, oh why can’t I?
鳥たちはあの虹を超えて行けるのに
どうして私にはできないの?

If happy little bluebirds fly
beyond the rainbow
Why, oh why, can't I?
もし、幸せの小さな青い鳥たちが虹を超えて行けたのなら
どうして私にできないの?(きっと、行けるはずよ)

≪Somewhere over the rainbow≫
1936 作詞/エドガー・イップ・ハーバーグ、作曲/ハロルド・アーレン


ふむふむ、なるほどね。

ざっと歌詞の英文をたどりながら「Where troubles melt like lemondrops」の部分の「troubles」という言葉が、少し強い感じがして、どうも気になりました。だって、「オズの魔法使い」の主人公ドロシーは、まだ12、13歳くらいの設定の少女です、どう考えても「troubles」というほどの悩みを抱えるような年齢とは思えません、ちょっと大袈裟なのではないかなと考えたその瞬間、ハッと思い当たるものがありました。

この映画の少女期の回想部分でも繰り返し描かれていましたが、幼いジュディをマネージメントしていた実の母親の「毒親」ぶりです。

太りやすいジュディが契約によって食事制限を課され、それを始終監視するのが、映画にも描かれていた母親の役割でした。絶えず空腹で飢えていたジュディは、撮影所に缶詰めにされて満足な睡眠もとれないまま働かされ(撮影が遅れると社長かブロデューサーに口汚く恫喝されている場面もありました)、疲労が蓄積すると覚せい剤で眠気を飛ばし、たまのオフには、逆に眠れないので睡眠薬を与えられ、酒にも頼ったとジュディの年譜には書かれています。その悪習慣が、後年、彼女の健康を蝕み死に導いたことが映画にも描かれていました。

当時、その覚せい剤と睡眠薬を管理して交互に与えるのが母親の役割でした、こう書くとこの母親は、撮影所のスケジュールをジュディに守らせる管理者ではあっても、ジュディの健康を守るための管理者なんかではなかったことが、よく分かります。

そのことが「troubles」という言葉に表現されていて、そして「観客の大合唱」に対して、ジュディがその言葉の微妙な「含意」を感じ取って反応したのなら、おおいに納得できるような気がしたのです。

そうそう、「毒親」といえば、日本でもつい先だって、たしか同じような話があったなと、まるで連鎖反応のように起こった人気俳優の自殺のことを思い出しました。

もちろん、この映画のジュディ・ガーランドの方は自殺したわけではありませんが、ここで描かれている最期は、彼女が、それに等しい失意と絶望の淵にまで追い詰められていたであろうことだけは確かだと思います。

日本の「人気俳優の自殺のニュース」は、我が子を幼いうちから俳優養成所の初等科(学習院ではないので、そうは言わないかもしれませんが)で訓練を受けさせ、あわよくば芸能界でひとやま当てて、ゆくゆくは子供の稼ぎでラクして暮らそうという「毒親ステージ・ママ」が付きまとい、寄生していて(ここまでは映画と同じです)、そして、この親から逃れるために自死を選んだらしいという話を、芸能界の事情に詳しい女房から聴きました。

しかし、映画「ジュディ 虹の彼方に」に描かれている母親は、さらにその上をいく強烈さで存在感を示しています。

少女ジュディは、昼夜撮影所に閉じ込められ、休みなく働かされてクタクタに疲れ果て、しかし、訴えても休ませてもらえず、反抗すれば、プロデューサーから、「1日撮影が遅れれば、それだけ経費が嵩み『損害』につながるんだぞ」と威嚇されます、また、「人気子役」としての体型が崩れるのをおそれたプロデューサーから食事制限を命じられていた母親から食事を厳しく監視されていて、ジュディは常に空腹と睡眠不足に悩まされながら(そのたびに母親は睡眠薬と覚せい剤を交互に際限なく与えて「映画」に従事させます)、そんなふうに「撮影所で都合よく作られた人間」が成長し大人になった少女が、はたして自立し、社会の極めて微妙な人間関係を保つことができるだろうか、彼女にとって母親から逃れるための唯一の手段といえば「結婚」しかないとしても、その「家庭」という場所において、「撮影所で作られた」リアルを欠いた無力な人造人間にとっては、何ひとつ成し得なかったことは明らかです。

年譜を見ると、結婚した後でも、母親は娘の家庭に遠慮なくずかずかと入ってきたと記されていて、ジュディにとって「結婚」という場が、必ずしも母親からの逃避の場所ではなかったことそれどころか、むしろ、最初から社会性を欠落させている彼女にとって夫との人間関係を保つためには母親の援助(別に言い方をすれば、「介入」とか「付け込む」という幅のある言い方だってあり得ます)を欲したのではないかと思うとき、その幾たびかの結婚が破綻し、離婚へとつながっていったと想像するのは困難ではないのかもしれませんが、しかし、子供にとって、いくら「毒」を持った鵜匠のような厄介な親とはいえ親は親、それまで盲目的に一切を依存してきた分だけ、不在になればそれなりにダメージを受けるというのは、容易に想像できます。

年譜を見ると母親エセルが亡くなったのは、1953年とあり、その後、果たしてジュディが本当に「解放」されたのか、知りたくなりました。

年譜から、その前後の出来事を拾ってみますね。

・1949年、『Summer Stock』(日本未公開)の撮影時には、20ポンド(約9キロ)も太り、撮影を混乱させた。たびたびの騒ぎを起こしたジュディに業を煮やしたMGMはこの作品を最後にジュディを解雇した。ショックを受けた彼女は再び自殺未遂事件を起こす。
・1950年、ヴィンセント・ミネリと離婚した。
・1952年、シドニー・ラフトと3度目の結婚をした
ハリウッドを離れてロンドンやニューヨークのショーで大成功を収め、トニー賞特別賞を受賞し、ジャズ歌手としてのジュディの歌唱力が人々に認識された。
・1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』で4年ぶりの銀幕復帰を果たし、アカデミー賞主演女優賞にも最有力候補としてノミネートされた。
・『スタア誕生』でゴールデングローブ賞主演女優賞(コメディ・ミュージカル部門)を受賞した。
・ノミネートされたアカデミー主演女優賞だが、ワーナー・ブラザースは、撮影中の遅刻や出勤拒否、撮影が長引いたために制作費が増大し赤字になったことを問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わず、授賞式前には「彼女ではもう二度と映画を撮ることはない」と宣言したため、主演女優賞のオスカーは『喝采』のグレース・ケリーに渡った。得票差6票の僅差は 当時の最小記録で、結局、ジュディの受賞はなかった。
・ワーナー・ブラザーズ社からも見離されて受賞を逸した失意から、再び彼女の私生活は荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こした。


期せずして、「自殺未遂」から「自殺未遂」までの記事を切り取る感じになってしまいましたが、やはり母親の死というのは、多少影響があったのでしょうか、しかし、ジュディが弱々しい犠牲者だったとは思えません。

映画「ジュディ 虹の彼方に」では、死の直前の数か月が要領よくまとめられて描かれていましたが、ジュディ・ガーランドの生涯を知りたくなり、改めて下記に「ジュディ・ガーランド年譜」として、まとめてみました。

ご高覧いただければ幸いです。

(2019英仏米)監督ルパート・グールド、製作デヴィッド・リヴィングストーン、脚本トム・エッジ、撮影オーレ・ブラット・バークランド、音楽ガブリエル・ヤレド
出演レニー・ゼルウィガー(ジュディ・ガーランド)、ジェシー・バックリー(ロザリン・ワイルダー)、フィン・ウィットロック(ミッキー・ディーンズ)、ルーファス・シーウェル(シド・ラフト)、マイケル・ガンボン(バーナード・デルフォント)、




●私家版・ジュディガーランド年譜

1922年6月10日にミネソタ州グランドラピッズで出生。アイルランド、英国、スコットランド、フランスのユグノーの祖先をもつ両親の両方にちなんでフランシス・エセル・ガムFrances Ethel Gummと名付けられ、地元のエピスコパル教会で洗礼を受けた。ガーランドの生家は、現在ジュディガーランド博物館。
両親、エセル・マリオン(ネ・ミルン;1893-1953年)とフランシス・アヴェント「フランク」ガム(1886-1935)は、興行を催す劇場・映画館を運営するヴォードビリアン。ジョディ(彼女は家族からベイビーと呼ばれていた)は、幼いときから歌とダンスで家族のショーに参加した。
彼女が初めて登場したのは2歳のとき、父親の経営する映画館のクリスマスショーの舞台で姉のメアリー・ジェーン「スージー/スザンヌ」ガム(1915-64)とドロシー・バージニア"ジミー"・ガム(1917-77)と一緒に「ジングルベル」のコーラスを歌った。ガム姉妹は、ピアノを弾く母親と一緒に、数年間そこで演奏した。
芸名の「ジュディ」は彼女が好きだった歌のタイトルからつけられた、「ガーランド」はボードビリアン、ジョージ・ジェッセルが彼女たち姉妹を「ガーランド(花輪)のようだ」と言ったことから付けたといわれる。
1926年6月、家族は、父親が同性愛の傾向があるという噂が立ってその土地にいられず、カリフォルニア州ランカスターに移住した。フランクはランカスターで別の劇場を購入して運営した。
1929年、2人の姉と共に7歳の時に、姉妹の所属していた歌劇団のクリスマス・ショーにGumm Sistersとしてデビュー。その時のステージの様子が、『The Big Revue』1929という短編映画として残っている(you tubeで「The Big Revue 1929」と入力すれば動画視聴可能、「Gumm Sisters」の動画も豊富にあり、幼いジュディを見ることができる)。
ジュディは、幼い人気者となったが、姉が結婚したため、しばらく姉妹トリオ「Garland Sisiters」と名称を変更して活動したのちにシスターズは解散、ジュディは一人で歌いつづけ、踊りつづけた。母エセルは娘をマネージメントしながら映画界入りをもくろんでいた。
1935年、バスター・キートン、ゲーリー・クーパー、ロバー ト・テイラー等がカメオ出演したMGM社の短編映画『La Fiesta de Santa Barbara』1935にも出演したが、長女の結婚を機にトリオは解散したが、ジュディは歌唱力を認められ、翌年MGM社と契約した。
1936年、13歳のとき、コロムビアのスクリーンテストを受けたが不合格、母親はさらにMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のテストを受けさせ合格。同年MGMと専属契約した。MGM社の短編映画『Every Sunday』1936、「アメリカーナの少女」1936などで、1歳年上のディアナ・ダービンと共演したが、社長のルイス・B・メイヤーが、同じ年頃の少女スターは2人も必要ないとして、「太った方 (ジュディのこと)をクビにしろ」 と命じた、しかし、ジュディの歌唱力に注目していた部下のプロデューサー、アーサー・フリードは指示を無視してジュディと契約を結んだ。間違ったふりをしてダービンをクビにしたとの説もある。しかし当時13歳だったジュディは育ち盛りで肥満気味だったため、MGMは契約に「スリムでいること」を含め強制的なダイエットを命じた。体質的に太りやすかった彼女は当時のハリウッドのスタジオでダイエット薬として使用されていた覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになり、この悪習慣がジュディの体を蝕んでいく。
1937年、『Thoroughbreds Don't Cry』で2歳年上のミッキー・ルーニーと初共演した。以後、『初恋合戦』1938、『青春一座』1939など、合計10本の映画で共演し、少年少女カップルとして絶大な人気を誇った。ミッキーは後年、ジュディとの関係を、「恋愛関係ではなかったが、兄妹以上の特別な間柄だった 」と語った。また、MGM社の大スター、クラー ク・ゲーブルの36歳の誕生日パーティーで、「You Made Me Love You」(1913)の替歌を披露。これが好評で、映画『踊る不夜城』(1937)のなかでも歌い、「Dear Mr. Gable」として親しまれて、この好印象が「オズの魔法使」の大抜擢につながる。
1939年、ミュージカル・ファンタジー「オズの魔法使」(監督:ヴィクター・フレミング)の主役ドロシーに大抜擢され大ヒット、子役(女優)としての存在を決定づけて人気スターとなった。当初、製作者アーサー・フリードは、ドロシー役をライバル社20世紀FOXの人気子役だったシャーリー・テンプルに演じさせようと考え、その条件としてMGM側がクラーク・ゲーブルとジーン・ハーロウという2大スターを20世紀FOXへ貸し出すという交渉をすすめていたが、1937年にハーロウが急死したため交渉が頓挫した、そこで代役としてジュディが急遽ドロシー役を演じることになったという経緯があった。しかし、結果は、主題歌「オーバー・ザ・レインボウ」の大ヒットに加え、作品も記録的なヒットとなり、16歳のジュディの名を一挙に高めた、さらに、その勢いはやまず、アカデミー特別賞(子役賞)まで受賞した(ミッキー・ルーニーも前年、ディアナ・ダービンと共に特別賞を受賞した)。フリードはのちに「神に感謝する」と語った。『オズの魔法使』は、アメリカでは、1950年代後半以降TVで繰り返し放映され、史上最も鑑賞された映画とも言われている。
1941年、18歳の若さで、バンド・リーダーで作曲家のデヴィッド・ローズ(のちに、TVの人気大河ドラマ「大草原の小さな家」のテーマ曲を作曲)と結婚し、翌年妊娠したが、イメージを損なうとの理由でMGMが許さず中絶を余儀なくされ、当時カリフォルニア州では違法だった堕胎手術を受けた。1943年に離婚。
その間、当時の大スターだったミッキー・ルーニーとコンビを組むミュージカルシリーズにつづく「For Me and Gal」1942で初のトップ・ビリング女優となり、さらに1944年の「若草の頃」も空前の大ヒットとなった、この映画の監督は、はじめフレッドジンネマンの予定だったが、ヴィンセント・ミネリに代わり、やがて二人のあいだにロマンスが芽生えて、翌1945年結婚し、翌1946年3月に、のちに女優となる娘ライザ・ミネリを出産する。ライザは2歳のとき『グッド・オールド・サマータイム(英語版)』(1949日本未公開)で子役として映画デビューしている。
ティーンエイジの頃から撮影が押したときなど過労で疲労している時には、周りの大人たちの勧めで、覚せい剤やドラッグの類いを常用していたために、出番が無い時も眠れなくなり睡眠不足が常態となったためアルコールと睡眠薬への依存を繰り返し、副作用に無知だったために健康に深刻なダメージを受けた。また、しばしば数十万ドルの税金を背負うなど金銭的不安にも悩まされていた。
1945年、ミネリ監督の「The Clock」では、初のシリアスな役を見事にこなし、ジュディのミュージカル女優だけでない新たな一面もみせた。さらに『ハーヴェイ・ガールズ(英語版)』1946、フレッド・アステアと共演する『イースター・パレード』1948といった娯楽超大作で主役をつとめ、国民的な人気俳優としてその地位を不動のものとしたが、極度の緊張のストレスによる神経症と長年の薬物中毒(後遺症と依存症)による体調不良に悩まされ、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返した。1947年に出演した『踊る海賊』(ヴィンセント・ミネリ)の撮影では、130日余の撮影中に36日しか姿を見せなかった。撮影後にはジュディ自身が「私の最初の精神病院入院」と呼ぶサナトリウムへの長期入院を余儀なくされ、不眠症と極度の情緒不安定のために自殺未遂事件を起こし、以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返した。
1948年、長年の薬物中毒がマスコミにすっぱ抜かれた。このとき、まだ26歳、ミネリとの結婚生活も次第にうまくいかなくなっていく。
その後も乱脈な生活と不安定な精神状態はつづいて、1949年の映画『アニーよ銃をとれ』の撮影中に錯乱状態になりアニー役から下ろされる。また、同年に企画されていた『ブロードウェイのバークレー夫妻(英語版)』1949も、撮影を放棄するなどしたために主役を降板させられた。
1950年公開の『Summer Stock』1950(日本未公開)の撮影時には、以前と比較して20ポンド(約9キロ)も太り、撮影を混乱させた。その際、ジュディは結果的にはダイエットを成功させたが、たびたびの騒動に業を煮やしたMGMはこの作品を最後にジュディを解雇した。ショックを受けた彼女は再び自殺未遂事件を起こした。翌1950年にヴィンセント・ミネリと離婚した。
1952年、シドニー・ラフトと3度目の結婚をしたが、彼やビング・クロスビーら友人の勧めに従ってハリウッドを離れ、ロンドンやニューヨークのパレス劇場で行われたショーで記録的な大成功を収め、トニー賞特別賞を受賞し、ジャズ歌手としてのジュディの歌唱力が人々に認識されることとなった。
1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』(シドニー・ラフトのプロデュース、監督ジョージ・キューカー)で4年ぶりの銀幕復帰を果たし、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされ最有力候補と目された。この『スタア誕生』はジュディの才能を余すところなく引き出し新境地を開いたと高く評価されて大ヒットし、ゴールデングローブ賞主演女優賞(コメディ・ミュージカル部門)を受賞した。アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。授賞式前日には長男を出産したばかりの彼女の病室にマスコミも詰めかけたが、ワーナー・ブラザースは、撮影中の遅刻や出勤拒否、撮影が長引いたために制作費が増大し赤字になったことを問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わなかったほかに、授賞式前に「彼女ではもう二度と映画を撮ることはない」と宣言したため、主演女優賞のオスカーは『喝采』のグレース・ケリーに渡った。得票差6票は 当時の最小記録で、結局、ジュディの受賞はなかった。ワーナー・ブラザーズ社からも見離されて受賞を逸した失意から、再び彼女の私生活は荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こした。素晴らしいパフォーマンスを披露したジュディがアカデミー賞で敗れたことに憤った人も多く、グルーチョ・マルクスは授賞式後、「ブリンクス以来の最大の略奪だ」と、ジュディに慰めの電報を送った。また、サミー・デイヴィスJr.は自伝の中で「あの時ジュディがなぜ敗れたのか、どうしてもわからなかった。誰かが彼女を罰しようとしたのだろう」と記している。
シドニー・ラフトとの間に2子(ローナとジョーイ)をもうけた。娘ローナは、後にローナ・ラフトとして女優になった。しかし、子供っぽく、ときにはヒステリックになるジュディの気まぐれな性格は、ますます昂じて、モーテル住まいの酒浸りの日々がつづいた、その後、神経症が悪化し、再び自殺未遂を起こし、自殺癖があるとの噂が流れた。銀幕からは遠ざかり、キャバレーやコンサートでのショーで活動した。
映画には出演できず、ショーが中心の生活がつづいた。
1955年には、CBS初の本格的なカラー番組「Ford Star Jubilee」の第1回放映で、TVに初出演した。
1960年はじめ、「ニュールンベルグ裁判」「愛の奇跡」などの作品でみせたシリアスなジュディの演技が、スクリーンで見せた最後の華やかさだった。
1961年、彼女は7年ぶりに銀幕復帰、大作『ニュールンベルグ裁判』(1961監督:スタンリー・クレイマー)に出演。バート・ランカスターやマレーネ・ディートリヒと共演し、ミュージカルから一転、堅実なシリアスな演技力を見せてアカデミー助演女優賞にノミネートされたが、オスカーには手が届かなかった。その後も薬物中毒と神経症はさらに悪化し、逮捕されることはなかったものの、FBIはジュディを監視していて、膨大なFBIの監視記録が残されている。
1961年に、ニューヨークのカーネギー・ホールで行ったコンサートは「ショービジネス最高の一夜」と称され、収録したライヴ・ アルバム「Judy at Carnegie Hall」 が、ビルボードのアルバム・チャートで13週連続No.1となる大ヒットを記録。8枚のスタジオ・アルバムをリリースした。
翌年のグラミー賞で、最優秀女性歌唱賞、最優秀アルバム賞を受賞して伝説の名盤となった。
1962年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞(映画業界での生涯功績を表彰)受賞。39歳での受賞は 同賞の最年少で初の女性受賞者だった。
1962年2月、TV番組 「ジュディ・ガーランド・ショー」が放映された。フランク・シナトラ、ディーン・マーティンをゲストに迎えた番組は大好評となり、ジュディは同年12月に、CBSと当時のTV史上最高額のギャラでレギュラー番組として契約を締結した。「ジュディ・ガーランド・ショー」 は、1963年9月から翌年の3月まで計26回、毎週日曜日に放映され、エミー賞にノミネートされた。最初の収録時のゲストには、ジュディの要望でミッキー・ルーニーが招かれ、他の回では、ドナルド・オコナー、バーブラ・ストライサンド、娘のライザ・ミネリ、ローナ・ラフトなどがゲスト出演した。
1963年、『愛と歌の日々』英(ロナルド・ニーム監督)が最後の劇場用映画出演作となった。『哀愁の花びら』(1967マーク・ロブスン監督)にもキャストされたが、欠勤を繰り返し降板させられたが、同作に出演したシャロンテートは1969年マンソンの信奉者によって胎児とともに殺害されている。
1965年、シドニー・ラフトと離婚後、マーク・ハーロンと4度目の結婚をしたが、1967年に離婚。この間、ロンドンのパラディアムで、ライザと共演したとき、娘に人気が集まり嫉妬したというエピソードも残されている。マーク・ハーロンとも2年で離婚した。
1969年にディスコティック・マネージャー、ミッキー・ディーンと5度目の結婚。1969年6月、ロンドンのキャバレーでショーに出演した直後の6月22日、滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取のためにバスルームで急死。自殺説もある。享年47歳の若さだった。検死の結果は、バルビツール酸系過量服薬いわゆる睡眠薬の過剰摂取と結論された。
彼女には莫大な収入があったがその大半は浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いた。当時、映画「くちづけ」で母親ジュディをしのぐ芸達者振りが注目されていた長女ライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった、母を殺したのはハリウッドだ」と発言し、ハリウッドではなくニューヨークで葬儀を執り行い、ニューヨーク郊外のファーンクリフ墓地にジュディを埋葬した(1969.6.27)。
ライザ・ミネリは弔辞をミッキー・ルーニーに頼みたかったが、彼は大変なショックを受けていてその役を務めることができず、代わりに『スタア誕生』で共演したジェームズ・メーソンが弔辞を読んだ。
1973年、ライザ・ミネリが 『キャバレー』1972でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。「母が果たせなかった生涯の夢を果たすことができた。このオスカーは母のもの」と涙ながらにスピーチした。
1997年、グラミー賞の特別功労賞(生涯業績賞) を受賞。
1998年、アルバム「Judy at Carnegie Hall 」がグラミーの殿堂入り。
1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」で、女優部門の第8位に選出、偉大なスターとしてランクした。
2017年、遺族の意向により墓所はハリウッド・フォーエバー墓地へ移された。
2020.3.8、映画『オズの魔法使』で有名なジュディ・ガーランドを題材にした伝記映画『ジュディ 虹の彼方に』が日本公開となった。映画では回想シーンのみでしか描かれなかった彼女の幼少期には壮絶な虐待やセクハラなど想像を絶する真実があった。
ジュディの身長は、4フィート11 1⁄2で (151 cm)、髪はブラウン、瞳もブラウン、大柄でもなく美人でもなかったが、目鼻立ちの大きな可愛らしい容貌で、戦中MGMミュージカルを象徴するスターだった。支持政党・民主党
日本で紹介されたジュディ・ガーランドの主な作品として、『オズの魔法使』『若草の頃』『スタア誕生』『ニュールンベルグ裁判』があげられるが、抜群の歌唱力で1940〜50年代のハリウッドを代表する大スターの一人とはいえ、絶頂期が戦時中だったため、残念ながら日本では未公開作品が多く、さらに私生活の乱脈さも伝えられたりして、日本における人気はアメリカほどではなかったかもしれない。
・LGBTQへの影響
1969年6月28日、彼女の死のニュースは、当時の同性愛者のコミュニティに大きな動揺をもたらした。それは、ジュディが1960年代のアメリカで同性愛者に対して理解を示していた数少ない著名人の一人だったからだ。ジュディの父親がホモセクシュアルであり、自身もバイセクシュアルだったといわれる。史上初の同性愛者による暴動、この「ストーンウォールの反乱」は、ジュディの葬儀が行われた教会付近で葬儀翌日に起きており、彼女の死によるコミュニティ内でのショックが影響していたとも言われている。こうした経緯から、ジュディは同性愛者にとって象徴的な存在となった。現在「レインボー・フラッグ」が同性愛解放運動の象徴として用いられるのは、彼女が『オズの魔法使』で歌った「虹の彼方に」から由来している。また「ドロシー(=ジュディ)のお友達」はスラングで「同性愛者」を指す。
【ストーンウォールの反乱】1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」が警察による踏み込み捜査を受けた際、居合わせた「LGBTQ当事者らが初めて警官に真っ向から立ち向かって暴動となった事件」と、これに端を発する一連の「権力によるLGBTQ当事者らの迫害に立ち向かう抵抗運動」を指す。この運動は、後にLGBTQ当事者らの権利獲得運動の転換点となった。ストーンウォールの暴動ともいう。
・事件にまつわる伝説
謎の多い事件であるが故に、事件に関する数々の伝説的な逸話が生まれ、真偽はともかく今日まで伝えられている。
初めに、この夜の客がいつものような忍耐を拒否した理由として、女優ジュディ・ガーランドの死がLGBTQ当事者らの団結心と反抗心を高めたからであるという説明がなされる。ジュディ・ガーランドは同性愛に理解を示していた数少ない著名人の一人であり、LGBTQ当事者らの間で人気が高かった。彼女は6月22日急逝し、その葬儀が6月27日ストーンウォール・イン近くの教会で行われた。踏み込み時の店内は、葬式に参列した者を中心にガーランドの話題で感傷的な雰囲気が形成されていた。そして、そこに踏み込んできた警察官の無神経で侮辱的な言動に、彼らの堪忍袋の緒が切れてしまったという。この逸話は、LGBTQ当事者らの間に広く伝わり信じられている。
次に、暴動の引き金となった行為について、代表的な説の一つによれば、シルビア・リベラ(英語版)という名のトランスジェンダー女性が、警察官に警棒で突かれたことに立腹し、瓶を投げつけた。別の説によれば、パトカーに乗せられようとしたレズビアンが暴れて、店の前にいた群集に同様の行為を唆した。これら二つの逸話は、最初に暴動を仕掛けた人物が外見上女性であったという点、および最初に警察官に投げられた物が瓶であるという点に、共通点が見られる。
加えて、最初に警察官に投げつけられた物がヘアピンであったという神話的な逸話も流布しており、ライチをして「ヘアピンが落ちる音が世界中に響き渡った」と言わしめた。これはストーンウォールの反乱がもたらした社会的影響の大きさを象徴的に表現した名文句として、しばしば引用される。


# by sentence2307 | 2021-04-29 16:51 | ジュディ・ガーランド | Comments(0)

アカデミー賞発表

第93回アカデミー賞 The 93rd Annual Academy Awards
(April 25, 2021 in Los Angeles)


【作品賞】
★ノマドランド
ファーザー
Judas and the Black Messiah
Mank マンク
ミナリ
プロミシング・ヤング・ウーマン
サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
シカゴ7裁判


【監督賞】
★クロエ・ジャオ(ノマドランド)
リー・アイザック・チョン(ミナリ)
エメラルド・フェネル(プロミシング・ヤング・ウーマン)
デヴィッド・フィンチャー(Mank マンク)
トマス・ヴィンターベア(アナザーラウンド)


【主演男優賞】
★アンソニー・ホプキンス(ファーザー)
リズ・アーメド(サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ)
チャドウィック・ボウズマン(マ・レイニーのブラックボトム)
ゲイリー・オールドマン(Mank マンク)
スティーヴン・ユァン(ミナリ)


【主演女優賞】
★フランシス・マクドーマンド(ノマドランド)
ヴィオラ・デイヴィス(マ・レイニーのブラックボトム)
アンドラ・デイ(The United States vs. Billie Holiday)
ヴァネッサ・カービー(私というパズル)
キャリー・マリガン(プロミシング・ヤング・ウーマン)


【助演男優賞】
★ダニエル・カルーヤ(Judas and the Black Messiah)
サシャ・バロン・コーエン(シカゴ7裁判)
レスリー・オドム・ジュニア(あの夜、マイアミで)
ポール・レイシー(サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ)
ラキース・スタンフィールド(Judas and the Black Messiah)


【助演女優賞】
★ユン・ヨジョン(ミナリ)
マリア・バカローヴァ(続・ボラット)
グレン・クローズ(ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌)
オリヴィア・コールマン(ファーザー)
アマンダ・セイフライド(Mank マンク)


【脚本賞】
★プロミシング・ヤング・ウーマン
Judas and the Black Messiah
ミナリ
サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
シカゴ7裁判


【脚色賞】
★ファーザー
続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画
ノマドランド
あの夜、マイアミで
ザ・ホワイトタイガー

【撮影賞】
★Mank マンク
Judas and the Black Messiah
この茫漠たる荒野で
ノマドランド
シカゴ7裁判


【編集賞】
★サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
ファーザー
ノマドランド
プロミシング・ヤング・ウーマン
シカゴ7裁判


【美術賞】
★Mank マンク
ファーザー
マ・レイニーのブラックボトム
この茫漠たる荒野で
TENET テネット


【衣装デザイン賞】
★マ・レイニーのブラックボトム
Emma.
Mank マンク
ムーラン
Pinocchio


【メイキャップ&ヘアスタイリング賞】
★マ・レイニーのブラックボトム
Emma.
ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌
Mank マンク
Pinocchio


【視覚効果賞】
★TENET テネット
ラブ&モンスターズ
ミッドナイト・スカイ
ムーラン
ゴリラのアイヴァン


【録音賞】
★サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
グレイハウンド
Mank マンク
この茫漠たる荒野で
ソウルフル・ワールド


【作曲賞】
★ソウルフル・ワールド
ザ・ファイブ・ブラッズ
Mank マンク
ミナリ
この茫漠たる荒野で


【主題歌賞】
★Judas and the Black Messiah「Fight for You」
ユーロビジョン歌合戦 ファイア・サーガ物語「My Home Town」
これからの人生「Seen」
あの夜、マイアミで「Speak Now」
シカゴ7裁判「Hear My Voice」


【アニメーション映画賞】
★ソウルフル・ワールド
2分の1の魔法
フェイフェイと月の冒険
映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!
ウルフウォーカー


【国際長編映画賞】
★アナザーラウンド(デンマーク)
少年の君(香港)
Collective(ルーマニア)
皮膚を売った男(チュニジア)
アイダよ、何処へ?(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)


【ドキュメンタリー映画賞(長編)】
★オクトパスの神秘:海の賢者は語る
Collective
ハンディキャップ・キャンプ:障がい者運動の夜明け
83歳のやさしいスパイ
タイム


【ドキュメンタリー映画賞(短編)】
★Colette
A Concerto Is a Conversation
Do Not Split
Hunger Ward
ラターシャに捧ぐ 記憶で綴る15年の生涯


【短編映画賞(実写)】
★隔たる世界の2人
Feeling Through
The Letter Room
プレゼント
白い自転車


【短編映画賞(アニメーション)】
★愛してるって言っておくね
夢追いウサギ
Genius Loci
Opera
Yes-People



〖参考〗
第93アカデミー賞授賞式直前の下馬評(主要6部門)

・作品賞は、ノマドランドが、ほぼ確実。大番狂わせなら、『シカゴ7裁判』『ミナリ』が浮上も。
・監督賞は、クロエ・ジャオ(ノマドランド)が、ほぼ確実。
・主演男優賞は、チャドウィック・ボウズマン(マ・レイニーのブラックボトム)が有力視されていたが、ここに来てアンソニー・ホプキンス(ファーザー)が上昇している、もしかして?の予想も。
・主演女優賞は、かつてない大混戦。誰が来てもおかしくない。
ヴィオラ・デイヴィス(マ・レイニーのブラックボトム)
アンドラ・デイ(The United States vs. Billie Holiday)
フランシス・マクドーマンド(ノマドランド)
キャリー・マリガン(プロミシング・ヤング・ウーマン)
・助演男優賞は、ダニエル・カルーヤ(Judas and the Black Messiah)がほぼ確実。
・助演女優賞は、ユン・ヨジョン(ミナリ)が有力。グレン・クローズ(ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌)は、ここにきて、ほぼ消えかかっているといわれている。


# by sentence2307 | 2021-04-26 14:10 | アカデミー賞 | Comments(0)

無言歌

今年のキネマ旬報2月下旬号でベストテンの発表の記事を見たとき、ワン・ビンの「死霊魂」が第5位にランクされたのを知って、すこし驚きました。

なにしろ全編で8時間26分もあろうかという「超」のつく大作です、ベストテンに投票した批評家のセンセイたちが、この「8時間26分」を忠実・誠実に見たうえでの評価だったとしたら、その忍耐力だけでも凄いことだなと感心したのです。

でも、なかにはこの手の長尺にして政治的な映画がすごく苦手で、だけれども、ワン・ビンの集大成というメディアの振れ込みに気圧され、「選考委員なら見なければ」というプレッシャーに動揺をきたして、その前評判の高さを妄信して「見てないけど、知識人だからハイ1票」みたいな丸投げのケースもなくはなかったのではないかと、つい勘ぐってしまいたくなります、これはそれほどの難行苦行を強いる映画といえるでしょう。

あるいは、考え得るもうひとつの立場に、この政治的で極めて挑発的な、そのうえドラマ仕立てでもない映画など選考対象からさっさと外し(生理的にも受け入れられないので)最初から見ることもなく、だから採点もしなかったという選者だって幾らでもいるだろうなと想像しながら、そういうハンディ(と言っていいかどうかは分かりませんが)のなかで、この「第5位」というランクは、やっぱり凄いことなのだなと改めて実感した次第です。

この世の中、どこの世界でも、硬軟取り混ぜてそこら辺はちゃんとバランスのとれた「世間体の市場原理」というものに均され、森羅万象おのずから調和のとれた結果に導かれるものなのだなと、なんとなく納得してしまいました。

海の向こうのアカデミー賞にしても、そして、最近はなんか迷走ぎみのノーベル文学賞にしても、選考というものはオシナベテそんなものかもしれないと諦め半分に思い当たるフシがありました。

そこでちょっと暇にまかせてキネ旬ベストテンの「採点表」を眺めながら、大雑把なデータ分析を試みました。

選考委員は総勢70名(そこには「本誌編集部」というのも含みます、実際に5行ずつ指で押さえながら数えたのであります)、そのうち、ランクはともかく、とにかく「死霊魂」をベストテンの作品に推すべく票を投じた人が15名います、内訳は、以下のとおり。

10点 5名(稲田隆紀、金子遊、上島春彦、四方田犬彦、渡部実)
9点 2名(中山治美、村上匡一郎、)
8点 2名(尾形敏朗、恩田泰子)
7点 2名(古賀重樹、佐藤結)
6点 2名(上野昂志、北川れい子)
5点 1名(塚田泉)
2点 1名(田中千世子)

この15名の選者が、それぞれ他にどういう作品を選んだうえで「死霊魂」をカク評価したのか、「死霊魂」を基点に定点観察的に見るのも、なんか面白そうじゃないですか。

なるほど、なるほど、集計作業をしながら、この作品を評価しなかった他の選者も、最初から無視した選者も、「死霊魂」という作品を「ドラマ作品」として同一に評価していいのか、ドラマ性の欠如に躊躇・葛藤したということも、きっと「あった」に違いありません。

「鳳鳴―中国の記憶」2007において、語る老婦人の前にカメラを据えて、何時間でも思うように話させる、悲憤も激昂も、落胆も絶望も、それらの苦渋をただじっと見つめつづけるというワン・ビンの撮影方法は一貫していますが、こういうドキュメンタリー風作品を「ドラマ作品」と比較できるのかという根本的な躊躇は、確かに正当な迷いのように思えます。

思想矯正のために送られた強制収容所において、尊厳も人権も無視され強制労働を強いられた「痛恨の記憶の述懐」を描いた系列作品をざっくりと整理すると、

「鉄西区」2003→「暴虐工廠」2007→「鳳鳴―中国の記憶」2007→(「名前のない男」2009→)「無言歌」2010→「死霊魂」2018

ということになりますが、「ドラマ性がどうだ」というなら、それこそ、百花斉放運動の迫害と凄惨な死の厄災の事実をもとにワン・ビンみずからドラマ化した「無言歌」2010がいいのではないかと思い至った次第です。

この「鳳鳴―中国の記憶」2007も「名前のない男」2009も「無言歌」2010もyou tubeにアップされているので、どの作品も容易に見ることができます、しかし、国家権力の犯罪を(印象として)告発し挑むような、これだけの刺激的で微妙な作品を、こんなふうにいとも簡単に見ることができるということに、香港とウイグルの民主化運動に権力存亡の危機を感じ徹底的な弾圧に血道をあげている現代の中国の傲慢不遜で挑発的な姿を見せつけられている現実に即して考えると、ワン・ビンだけが特別に優遇されているような印象を受けて、少なからず違和感を覚えてしまい、海外への広告塔としてあえて「泳がせている」のか、それともそこにはなんらかの「からくり」があって「権力との裏取引き」でもあるのではないかと、ちょっと勘繰り深読みしたくなる部分もなくはありません。

なにしろ、彼の国は、少しでも独裁権力を脅かす萌芽でもあれば、徹底的に迫害してきた歴史を僕たちは嫌と言うほど見せつけられてきました。

それは、威圧と圧制の脅迫のもとに国民をまるで奴隷のように自在に操り、選別し、検束し、拘禁し、密かに抹殺してきた歴史です。

しかし、民主化の機運を封じ込めるために躊躇なく何千人もの自国民を虐殺したといわれる「天安門事件」おいて、人道に反したその悪辣な暴虐に世界から非難が集中したとき、唯一、利に走った日本だけが労働力欲しさの下心から中国を庇い援護して(身勝手な国益のために天皇まで動かしました)お墨付きを与えて中国を国際的に立ち直らせたという経緯があります、そういう意味では、日本は、「苦い当事者」という残念な立場にあり、テレサ・テンは、そういう残念な日本に失望して、ついにこの国を見限りました。


そして、それまでして媚びへつらった見返りに日本が得たものは何かというと、数年後に経済的に立ち直り自信を得た中国は増長し、もっとも因縁をつけやすいと見た弱腰・日本の足元を見透かして(窮地を救ってあげたという日本の上から目線に中華のプライドが傷ついたという腹立たしさがあったに違いありません)「歴史観」に難癖をつけ、日本大使館を取り囲んで国旗を焼くというやりたい放題の暴挙を見せつけられることになります。いわば「恩を仇で返す」を文字通り、やられてしまい、また、それを傍観していた韓国にまで付け込むヒントを与え、同じ手を使われて、その禍根を「現在」まで引きずっている始末で、依然として大変な目に遭っているというわけです。

大使館を取り巻いていた「一般人の顔」を装っていたあの連中も、そして今回の卑劣なハッカー関与者も、軍人か公務員であることは、もはや周知の事実です。

内外に、逆らうものでもあれば、やたら刷りまくった粗悪な印刷の赤い札ビラと、狂気の軍事力によって、まさに国家総出で威圧と領土侵略を繰り返している現状(こう書くと、彼らのやっていることは、かつてのナチスと同じです)があるからですが、そもそもあの世界の知識人を札束で買いあさる「千人計画」にしても、もとはといえば、「百花斉放運動」や「文化大革命」や「天安門事件」によって良識と知恵のある知識人を片っ端から殺戮し、あるいは、身勝手で狭視野なあの「大躍進計画」の延長線上にあるような愚かしい「一人っ子政策」が現在に深刻な人材不足を招いている辻褄合わせでしかないことは、世界中の(買収を免れた)誰もが熟知しているところです。

扉も壁もないニイハオ便所で、後ろ向きで大便をひっているキミ、あのねえ、自分だけが見えなきゃ、それでいいってものじゃないんだよ、世界はキミの薄汚い後ろ姿のケツをさんざん見せつけられて、うんざりさせられていることを、もうそろそろ分かってもいい頃なんじゃないかな、うん、いい加減わかりなよ、ねっ!?

人買いと細菌輸出という謀略の黒い貿易収支の均衡と、幼稚で浅墓なだけに、その権力亡者の愚劣な粗暴さにはほとほと手のつられない困難のなかで、秀作「無言歌」が、世界映画史において、これからもずっと邪悪な権力に汚されることなく、名誉ある地位を保ち続け、この暗黒の時代を潜り抜けられるよう、ただただ祈り続けるばかりです。


# by sentence2307 | 2021-04-23 11:26 | ワン・ビン | Comments(0)

一日一文・英知のことば

朝、いつものようにトイレに入ると、壁になにやら幅広の短冊状の印刷物が貼ってありました。何枚もありそうな冊子風のものです。

そこに大きな活字で二行にわたり黒々と

≪毎日が新しく 毎日が門出≫

などと書いてあります

「なんだ、これ?」

と大声で女房に訊くと、昨日、ダイソーに寄ったときに面白そうだから買ってきたというのです。

表紙には「松下幸之助 日々のことば」とありました。

「ほら、いよいよ4月でしょう、心機一転、日めくりにして毎日読むのよ」

トイレでか、と心の中でつぶやきながら、なるほど、全部で31ページあって、「ひめくり」にはちょうどいいカタチにはなっています、まあ、松下先生には申し訳ありませんが、これでうまく通じでもつけば、なにも反対する理由はないかと、その話はそれきりになりました。

その日以来、毎日女房が几帳面に新たなページをめくるので、日々、「有難いお言葉」に接しているというわけです。

そのなかには「雨が降れば傘をさす」なんて、ごく当たり前なものもありますが、しかし、この「当たり前」を侮ったりしてはなりません、さらにじっと活字をにらみつけ、深読みしつつ、ウウッと力めば、下腹部で腸が身じろぎし、うごめきだし、ゆっくりと蠕動がはじまって、たちまちにして「お通じの境地」に至る、お言葉のそこはかとない味わいもジワジワと滲み出てきて、「ああ、ううっ、これは・とても・有難い・お言葉なんだ・な」と、突然視界が開けて悟りに至るという、誠にありがたい毎日を過ごさせていただいております。ナマンダブ

日々、このようにして「お通じの境地」にお参りをしているうちに、自分でもなにやら澄み切った透明の境地になり、いつの間にか、自分から「松下先生のお言葉」を自主的にめくるようになりました。

しかし、よくよく考えてみれば、自分が嵌まってしまったのは、「松下先生」の方ではなくて、むしろ日々の「日めくり」の行為自体なのではないかと薄々感じ始めたとき、同時に、このような簡明な言葉だけではなんだか物足りなくなってきたというのも事実でした、もう少し理解するのに手間のかかる難解なものが欲しくなってきたのだと思います。

さっそく近所の本屋に行って探してみることにしました、アタマでは「一日一善=365日」みたいな教訓的な本でもあればいいかなと思いながら出かけたのです。

しかし、いざ書店に行ってみると気抜けするくらい容易に、わざわざ探すまでもなく、岩波文庫で、そのものズバリの最適な本が目に飛び込んできました、
木田元編「一日一文・英知のことば」(岩波文庫別冊24)2018.12.14.1刷、392頁、1100円、という本です。

松下先生の方は、31日分でしたが、こちらはなにしろ1年12か月の365日分が、それぞれ1頁ずつ記述されているという、このうえなく贅沢な代物で、もし重複して掲載されている人がないとすれば、偉人・賢人・哲人・学者の総勢365人が掲載されているという勘定になります。

定価に対する一人当たりの単価は、ほぼ3円と、これはかなりリーズナブルな本ということになります、まあ、どうしてそういう計算をするのか・それがいったいなんの意味があって、どういう役に立つのかと問われれば、返す応えなどありようはずもありませんが。

試みに【ア行】に掲げられている偉人・賢人・哲人・学者をあげてみますね。

アイスキュロス、会津八一、アインシュタイン、アウグスティヌス、アガサ・クリスティ、芥川龍之介、アダム・スミス、アドルノ、アラン、アリストテレス、アリストパネス、アレン、アーレント、アンデルセン、

なるほど、なるほど、あれ、ちょっと待ってくださいよ、アリストパネスの次に「アレン」とかありますけど、聞いたことのない偉人・賢人・哲人なので索引をチラリと見たら、なんだ、Woody Allenのことですよ、俳優=映画監督の。

へえ、どんなこと言ってるわけ、カレ。

というわけで、そのページを開けてみました、立ち読みといえども、これくらいのことは、許されていいと思いますヨ。なになに

≪この宇宙は、神の頭をかすめていく思いつきのひとつにすぎない。これはかなり不愉快な考えである、もしあなたがマイホームの頭金を払ったばかりなら、なおさらだ。
もし、ディオニュソス、いま生きてありせば! どこで彼は食事をとればいいのだ?≫

これはウディ・アレンの著作「これでおあいこ」河出書房新社1992とかいう本からの引用だそうですが、知識のない自分には、これだけでは、なんのことだか、わけがわかりません。

せっかく引用しようというのですから、もう少し分かり易い簡明な箇所がなかったのか、と考えた瞬間、そうだ、自分が求めていたものとは、「少し理解するのに手間のかかる難解なもの」だったはずじゃないですか、そうだ・そうだ・そうだった、まさにこれは自分のコンセプトにぴったりの本ということになる・ならこれにしよおっと、というわけで瞬買してしまいました。

家に帰ってから、ほかに映画関係者の「お言葉」がないかどうか、じっくりと調べてみました、ありますよ、ありました。

まずは、オーソン・ウェルズ

≪映画は決して人生のレポートではない。
映画はひとつの夢である。
夢であればこそ、卑俗にも滑稽にも平凡にも醜悪にもなり得る。
たぶんそれは悪夢のようなものだ。
だが、夢は決して嘘ではない。≫「従順な芸術はありえない」

ふむふむ、つづいて、エイゼンシュテイン

≪わたしは書物をたいへん大事にしたので、ついには彼らのほうもお返しにわたしを愛するようになった。
書物は熟しきった果実のようにわたしの手のなかではじけ、あるいは、魔法の花のように花びらを広げていく。
そして、創造力をあたえる思想をもたらし、言葉をあたえ、引用を供給し、物事を実証してくれる。≫「自伝のための回想録」

はいはい、次は、ウォルト・ディズニー

≪「ディズニー」というのは、ある抽象的なもの、人々の心の中にあるイメージを指している。
ディズニーという言葉を聞けば、ある種のエンターテイメント、独特のファミリー・イメージが浮かんでくる。
だから、僕自身はもはやディズニーじゃない。昔はディズニーだったけど。≫「ディズニーランドという聖地」

そして、チャップリン

≪もし、ひとりの人間を殺せば、それは人殺しになる。
だが、数百万人の人間を殺せば、英雄としてほめたたえられる。
女や子供たちを虐殺する爆弾を発明したやつは祝福される。
この世界で成功するためには、組織的にやりさえすればいいのだ。≫「チャップリンの殺人狂時代」

これってよく聞くフレーズだわな。

そして、ついに、タルコフスキーですか。

≪こっちはみんなとっても元気。
ママは、ボルガ川のほとりにつるこけももをとりにいくんだ。
僕たちも夏休みになったら村に行くんだよ。
ママはコルホーズで働くし、僕もできたらそこで働くよ。
パパは僕にフランス語を勉強するように言うけど、僕はピアノを練習しているよ。
そして遊んでいるし、マリーナとはもうけんかしていない。
パパ、早く戦争から帰ってきて!
ママとマリーナと僕はモスクワに早く帰りたい。≫「タルコフスキー 若き日、亡命、そして死」

これ、本人が書いたものか、息子が書いたものか、ちょっと判断に苦しみますが、少なくとも父子が離れ離れになっている状況ということだけは分かります。

しかし、ここまできてハタと気づきました、映画の記事が読みたければ、そういう本を探せばいいだけの話なので、なんだか「無い物ねだり」みたいになってしまいました。

このあたりで「映画関連記事」探しはやめにしますが、読み始めのノッケから、気になる言葉に遭遇しました。

ウンベルト・エーコの言葉としてこんなのがありました。

≪書物はしばしば別の書物のことを物語る。
一巻の無害な書物がしばしば一個の種子に似て、危険な書物の花を咲かせてみたり、あるいは逆に、苦い根に甘い実を熟れさせたりする。≫「薔薇の名前」

ここにある「書物」を「映画」と置き換えてみたら、なぜか、2本の映画が思い浮かびました。

テレンス・マリックの「名もなき生涯」2019とワン・ビンの「無言歌」2010です。

論点がどこにあり、どのようなアプローチができるのか、取っ掛かりをどうするか、考えがまとまるまで、いま少し時間を要するかもしれませんが。



# by sentence2307 | 2021-04-04 13:55 | タルコフスキー | Comments(0)