ビルマの竪琴
2004年 11月 18日
野に晒された無残な戦友の屍を異国の地にそのまま残して祖国へ帰るに忍びず、それら死者たち同胞を供養するため、僧となって荒廃したビルマの戦場にとどまる水島上等兵の胸を打つこの物語の中には、例えばあの「プーサン」で見せたどこか茶化すような自嘲をあえて噛み殺し、かつ一定の距離を保ちながら視野を狭めることなく対象を冷徹に見据える観察眼はどこにも見られません。
市川監督作品にはめずらしい深い思い入れの込もった一途な作品なだけに僕にとっては違和感も残る作品でもあります。
後年、カマビスシク言われるようになった日本のアジア侵略の意識的欠陥の一事例として(この作品が、ということではなかったと思いますが)、日本人が、自国の戦死者・兵士たちのみを悼むことはあっても、あの戦争に巻き込んだアジアの多くの人々の死を同じように悼んだことがあったか、という非難にかなってしまうような場面が、確かにこの映画のなかにも見られます。
しかし、そもそも戦争に参加した日本人=庶民にとって、あの戦争に赴く観念に祖国の解放とか自由のための闘いという特別の意思や決意が込められていたかどうか、いや大儀すらあったとは思えません。
致し方なく、単に「駆り立てられて」戦争に参加したにすぎない彼らにとって、そこで行われた戦闘行為は、自由を守るためでも、祖国を守るためでも、家族を守るためでもなく、単に「駆り立てられた」という被強制意識のもとでただ命ぜられるままに殺し合いを行い、そして、(おそらくは、たまたま)戦闘的殺人を為したにすぎないからこそ、彼らにとって罪の意識は極めて希薄で、あえてそれを求めようとすること自体に無理があるように思えて仕方ないのです。
山本薩夫「真空地帯」や福田晴一の「二等兵物語」でさえも、その被害者意識を例証していて、だから、兵士たちは、戦争犯罪という意識からは、かなり遠いところにいたのではないか、と思えて仕方ありません。
彼ら「駆られた兵士たち」は、戦場でどんなに残虐な行為をしようと、日常生活に戻れば、なんの不自然さもなく元の生活に戻れる理由が、その辺の免罪符のような根深い被害者意識にあるように思えて仕方がないのです。
ずるくてはあっても、それがごく普通のたくましい庶民の生活意識だったのではないか、あの「戦場のメリー・クリスマス」でタケシが演じたハラ軍曹を重ね合わせながら思いました。
だからむしろ、当時、多くの日本人にとっての「ビルマの竪琴」という物語の、考えもしなかったヒューマニズムに、虚を突かれるような衝撃を受けたのではなかったかと思います。
現在見れば、なんでもないヒューマニズムも、この作品が、戦争直後のあの時代に与えた毒と衝撃度は、僕たちには計り知れないものがあったのかもしれませんね。
そういえば、突然、GHQから戦争犯罪人として告発され、「よりにもよって、なんで、この俺が!」と驚くノン・フィクションを多く呼んだ記憶があります。
原作は、シリアスな一般小説として発表されたものではなく、児童文学のひとつとして発表されたものだそうです。
そのあたりにも市川崑監督の「悪意」を感じてしまうのは、僕だけでしょうか。
製作・高木雅行、原作・竹山道雄(毎日出版文化賞)、脚本・和田夏十、撮影・横山実、照明・藤林甲、美術・松山崇、録音・神谷正和、音楽・伊福部昭、竪琴・阿部よしゑ、振付・横山はるひ、編集・辻井正則、助監督・舛田利雄、特殊撮影・日活特殊技術部、製作主任・中井景、
出演・三国連太郎、安井昌二、浜村純、内藤武敏、西村晃、春日俊二、三橋達也、伊藤雄之助、中原啓七、伊藤寿章、土方弘、青木富夫、花村信輝、峯三平、千代京二、小柴隆、宮原徳平、加藤義朗、成瀬昌彦、森塚敏、天野創治郎、小笠原章二郎、佐野浅夫、中村栄二、北林谷栄、沢村国太郎、長浜陽二、ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジオ賞を受賞。