泣蟲小僧
2009年 04月 26日
その撮られなかった成瀬作品が、例えばこの豊田作品のような痛切な作品に果たして成り得ていただろうかという素朴な興味です。
1938年から1939年にかけての成瀬巳喜男といえば、通説では「『はたらく一家』をのぞいては、なにひとつ、めぼしい作品がなかった」と評されていた、いわば彼の低迷期でもあったと聴いています。
その低迷を脱したのが1951年の林芙美子原作「めし」との運命的な出会いであり、林芙美子の小説群に、自分の描くべき世界をようやく発見するに至って、やっとこの時期に長いスランプから脱する端緒をつかむことができたことを考えれば(「銀座化粧」を上げるべきかもしれませんが)、とにかくそれまでの間、映画監督・成瀬巳喜男にとっては極めて危機的な期間だったはずで、まさにその1938年は、相当深刻な事態の渦中にあったそういう年だったのだと思います。
だからなおさら、成瀬巳喜男が、もしこの時期1938年に林芙美子 の原作に出会い、取り組んでいたら、それから以降の彼のフィルムグラフィも、どのような展開の仕方を見せたのかと想像するだけで、そうした刺激的な妄想に暫し胸を躍らせたのだと思います。
まあ、そうだったとしたら逆に、僕たちは、それから少し後の戦争直後に、産みの苦しみの懊悩のなかから、成瀬巳喜男が血を吐くようにして撮られた、不本意にしてかつ珍妙な作品「浦島太郎の後裔」や「白い野獣」を見ることができなかったかもしれないという負の可能性に怯えも伴ったわけですが。
遅ればせながら、僕は個人的に、これら愛すべき2作品「浦島太郎の末裔」と「白い野獣」を、心から心服していることを「成瀬巳喜男のスランプ期の作品」に深い愛着を持っているマニアのひとりでもあることを付記しておかなくてはならないかもしれません。
さて、この豊田四郎作品「泣虫小僧」を初めて見たとき、僕は咄嗟に大島渚監督の「少年」と共通し合うものを感じました。
その2作品は、ともに、大人たちから一方的に阻害され、虐待されながら、じっと耐えるしかない無力な存在としての「少年の孤独」を、憤りをもって描いた作品ということができると思います。
たぶんこの2作品に異なるところがあるとすれば、大島渚作品に登場した少年・哲夫は、両親からの虐待に対して、むしろ彼らの暴力に共感するかのような素振りで、自分の体をひたすら傷つけ、痛みつけて見せて、彼らの目の前で自分の存在を否定してみせた逆説的な描き方をしたことくらいでしょうか。
愚劣な親たちが憂さ晴らしみたいに子供に投げつける虐待をそのままの姿で見せ付けるかのように、哲夫は自分の存在をこの世から消滅させてしまうための自虐に腐心し、自己存在の抹殺の意思を明かすことで、理不尽な大人たちの暴力に抵抗しようとしたことかもしれません。
しかし、ここでの「抵抗したか・しなかったか」は、それほど重要なことであるとは思えません。
母親からどんなに邪険にされても、あるいは養育放棄という理不尽な仕打ちを受けても、たらい回しにされた先の叔母から、誰が一番好きかと問われれば、「お母さん」と答えてしまう啓吉の母へ寄せる無償の善良さに、僕たちがしたたかに打ちのめされるという衝撃の大きさは、大島作品「少年」に描かれていた、大人たちへの徹底した拒絶の意思を明らかにした痛ましい哲夫の自傷行為と比較しても、それは「勝るとも劣るものではない」などという優劣を許すような種類のものでないことは明らかです。
啓吉が「お母さん」と口にした瞬間、我が子を見捨て、愛欲に狂って九州の地まで男の後を追おうとするだらしのない女、母親として許しがたい観客が抱く侮蔑の思いは、突如として啓吉によって裏切られ、突き放されます。
どのような虐待にあっても母親を許そうとする啓吉の手放しの善良さには、どんな女であっても、子供にとっては、どこまでも掛け替えのない「母親」であり続けることを示していて、しかし同時に、そこには母と子という関係の逃れがたい宿命のどうしようもない残虐さに、遣り切れない思いを突きつけられることになったのだと思います。
親から見捨てられた少年の孤独を描くために、豊田四郎が見逃さなかった少年の仕草やこの一言が示した輝きを、もし成瀬巳喜男がこの作品を撮るのなら、果たしてこの一言に(あえて言えば「敬吉」の存在に)これほど注目することになったかと言えば、僕には、どうしても「そうだ」とは思えません。
なにしろ「浮雲」を撮った成瀬巳喜男です。野垂れ死に覚悟で南海の孤島まで男を追いかけ、愛人への激しい思いを貫き通そうとした極限の愛の物語を撮った成瀬巳喜男なのです。
どんな仕打ちを受けても母を慕う啓吉が、まぶしそうに「お母さん」と呟く淋しく儚げな少年の表情をカメラで追うことなど、ハナから考えもしなかったと思います。
成瀬巳喜男なら、やはり、子供を見捨て、男を追う愛の物語を肯定的に撮ったであろうと想像することは、この架空の妄想(撮られざる成瀬作品)を締めくくる当然の結論だったかもしれません。
(1938東京発声映画製作所・東宝)製作・重宗和伸、監督・豊田四郎、原作・林芙美子、脚色・八田尚之、撮影・小倉金弥、美術・河野鷹思、音楽・今澤将矩、設計・進藤誠吾、装置・角田五郎、録音・奥津武
出演・藤井貢、林文雄、栗島すみ子、逢初夢子、市川春代、梅園竜子、山口勇、一木禮司、高島敏郎、藤輪欣司、吉川英蘭、品川眞人、横山一雄、若葉喜代子、
1938.03.17 大阪東宝敷島 10巻 2,205m 80分 白黒