刺青 ⑥
2004年 11月 22日
その女体の上に置かれた刺青師の手が、真っ白な肌の刺し所を繊細にまさぐり探しながら、ひと針ひと針純白な柔肌に墨を入れては滲み出る血を拭うという仕草の繰り返しの合間に、薬で強制的に眠らされているお艶(しかし正直言って僕たちはこの時、そこでは架空の町娘の身悶える姿などではなく、女優・若尾文子その人の苦悶の中の恍惚の表情を盗み見る官能に屈服せざるを得ません。)が、その昏睡の中にあって、あまりの苦痛にその身を痙攣させ、官能的な吐息とともに朱のさした顔を苦痛でゆがめるエロティシズムは、これはもう官能描写の極致と言うしか言葉がありません。
この滑り出しだけでこの映画のスケールの大きさが決定づけられてしまっています。
こういう絵を撮れる人は、相当なスケベか、あるいは相当のテダレに違いないと思いながら、スタッフの資料を見て納得しました。
撮影は、宮川一夫、なるほど、相当のテダレにして、また相当のスケベという僕の勘は当たっていたわけですよね。
その生涯に残した仕事・劇場用映画134本、テレビ用映画9本の中に、例えば、「無法松の一生」があり、「羅生門」があり、「お遊さま」があり、「雨月物語」があり、「祇園囃子」があり、「地獄門」があり、「山椒大夫」があり、「噂の女」があり、「近松物語」があり、「新・平家物語」があり、「赤線地帯」があり、「夜の河」があり、「朱雀門」があり、「夜の蝶」があり、「炎上」があり、「鍵」があり、「浮草」があり、「ぼんち」があり、「おとうと」があり、「用心棒」があり、「沓掛時次郎」があり、「悪名」があり、「破戒」があり、「越前竹人形」があり、「座頭市千両首」があり、「刺青」があるのですよね。