東京画 ②
2004年 12月 06日
しかし、なぜ竹の子族の描写にヴェンダースがあれ程の時間をかけたのか、なぜパチンコ店の描写にあれ程の時間を要さねばならなかったのか、正直最初は理解できずに戸惑いました。
撮るものがなかったことの失意のためかとも思いました。
しかし、その意味するものは「ない」ことを知る凝視=「無」を捉える眼差しだつたかもしれません。
ヴェンダースの眼差しには、優しさもないかわりに批判や侮蔑もありません。
そこには、ただ見つめ続けること、ただ観察し続けることの悲しみだけを感じます。
今村監督がBSの特集番組で小津監督を「観察者でしかなかった人」と言っています。
また、ある人は、小津監督が「生涯独身だったからこそ、様々な家族のカタチを描き分けることができたのだ」とも言いました。
多分、傍観者だからこそ「見えたもの」があったのだと思います。
家族というものを自分が持たなかったから描けた世界だったかもしれないし、当時にあってさえ、最早存在していなかったカタチだったかも知れないのです。
「家族」というものに憧れていたか侮蔑していたかはともかく、小津作品のすべてを覆い尽くす冷徹な孤独の影の理由がなんとなく分りかけてきました。
それを「観察者の悲しみ」と名づけるとすると、小津の聖地に辿り着くことのできなかったヴェンダースが、この作品のすぐ後に撮った「ベルリン天使の詩」につながっていくものの意味が、なんとなく分かるような気がしてきました。
「私は小津の映画に世界中のすべての家族を見る。私の父を、母を、弟を、私自身を見る。映画の本質、映画の意味そのものに、これほど近い映画は後にも先にもないと思う。・・・彼の40年にわたる作品史は、日本の生活の変貌の記録である。描かれるのは日本の家族の緩慢な崩壊とアイデンティティーの衰退だ。20世紀になお聖"が存在するなら、もし映画の聖地があるならば、日本の監督、小津安二郎の作品こそふさわしい。」
(1985)監督・脚本・録音・ナレーション:ヴィム・ヴェンダース、編集:ヴィム・ヴェンダース、ソルヴェイグ・ドマルタン(「ベルリン・天使の詩」の主演女優)、撮影は「デヴィット・バーンのトゥルー・ストーリー」のエド・ラッハマン、音楽は〈ディック・トレイシー〉、キャスト:笠智衆、厚田雄春