小津安二郎「その夜の妻」 ①
2004年 12月 07日
遺されている写真の中にも、北鎌倉のご自宅の庭で小津監督が溺愛した姪の亜紀子さんと笑顔のツー・ショットで写っている写真がありましたよね。
亜紀子さんは、当時2歳か3歳というところでしょうか。
姪を膝の上に抱き上げている小津監督は、子供の遊びの相手をして寛いでいる柔らかな表状で写真に納まっています。
昭和26年1月1日の日記は、「一日炬燵、亜紀子と遊ぶ。うららかな元旦」という記述から始まっています。
そして、昭和27年3月の日記には、こんな記述があります。
「朝、顔を洗っていると、野田から電報、希一(甥、当時満1歳)死んだ由。しきりに涙が出る。」
甥の死に対する深い悲しみが、小さな日記帳に記された極く短い文章のなかに溢れています。
そして、小津監督自身にも死が迫っていた晩年に、ご母堂と死別したときの取り乱した動揺ぶりは、本当に目を覆いたくなるものがあります。
肉親に対する深い情愛と、生涯を独身で通したことをつなぎ合わせると、家族に対する憧れと、その崩壊があらかじめ見えてしまうことへの恐れとが、小津監督が描き続けた作品の世界へとオーバーラップしないわけにはいきません。
肉親に対する情愛の深さが、逆に、新たな自分の家族を持つことを躊躇させ、放棄することを決意させるということは、いったい何を意味しているのでしょうか。
姪にそそいだ深い愛情と、甥の死に際して表した深い悲しみは、小津監督にとって家族の絆の脆さを予感せさた象徴的な事柄だったのかもしれませんね。
小津監督は、しばしば、作品のなかに「子供の病気や怪我」を描き込み、登場人物を動揺させ家族を動揺させて物語を進行する重要な核として設定しています。
この「その夜の妻」30は、「子供の病気」が映画の重要な「動機」として据えられた最初の小津作品として記憶されているものです。