ディア・ドクター
2010年 05月 30日
「ひとことで言ってしまえば、この映画って、ニセ医者でなにが悪い、という開き直りを撮った映画なんだろう?」というのです。
「だって、医者の来てがないようなド田舎の僻地には、ニセ医者だって随分と有難いわけだし、それにしても、そもそも医者ってなんなんだよ?っていうテーマだよね。
医者のやることといえば、多かれ少なかれ、どうせ映画で描かれているみたいな、モロ薬品会社とつるんで患者に大量の(時にはアカラサマに見当違いな)薬を与えて、その裏では高額なマージンを薬品会社から売り取っているという醜悪な実態があって、だけどこの映画では、そうした「安易な薬投与」では通用しないマジ重篤な絶対的病気(「癌」だよね)がニセ医者の前に立ちはだかって、ついに「見よう見まねの医療行為」だけではもう手も足も出なくなり、辻褄の合わなくなったニセ医者が、ソソクサと村から失踪せざるを得なかったという「事件」が描かれているわけだけど、シビアな現実つまり「癌」が、ニセ医者の仮面を引き剥がすことになり、結局「彼」は追放されてしまいましたという突き放した映画ではなくて、むしろ、無医村だった切実な過去を持った村が、突然の医者の失踪に村人は困惑し、ふたたび以前の惨憺たる無医村に戻ってしまうのかという不安から、必死に彼を探し、あるいは、たとえニセ医者だって構わない、戻ってきて欲しいとそこまで切実に訴えかけているという部分からも分かるように、やっぱりこの映画は、あきらかに「ニセ医者のどこが悪いという切り口で撮られた告発映画なんだよな」というのです。
そして彼は、僕に最終的で決定的な証拠を突きつけるみたいにして、さらに言い募りました。
刑事が村人たちの供述をとっていく過程で、「そういえば」みたいに、だんだんと、「失踪医」が残していった話の端々に、ちょっとずつおかしなところがあって、そうしたながで、彼がニセ医者かもしれないと、薄々勘付いていたらしい研修医や看護士の供述が語られているわけだけれども、しかし研修医や看護士は、その刑事たちの質問に対して、失踪医がもしニセ医者だったとしても「それでもいいか」というニュアンスの心境を持ったことが、徐々に分かっていく部分に、西川監督の、この映画に込めた意図が語られているのだと友人は言いました。
都会に集中する現代の医療から見捨てられた僻地の、病に苦しむ老人たちに寄り添い、親身になって愁訴に耳を傾ける医者がいたという心温まる日常が丹念に描かれていく一方で、突然の医師の失踪を対比的に描くことで、あるじを失った荒涼とした寂れた診療所と、喘息の発作に苦しむ子供を映し出したラストをみれば、西川監督の製作意図はオノズとあきらかだよね、と。
その話を聞いたあとずっと、彼はその結論を得ただけで、果たして本当にスッキリと満足できたのだろうかという気持ちにとらわれ続けていました。
研修医や看護士の供述にひそんでいた、薄々ニセ医者なのではないかという疑惑と、たとえそうだとしても「それでもいいか」と思ったというニュアンスの部分は、この詐欺事件とニセ医者の失踪のあいだの不可解な隔たりを埋めるにしては、随分と不十分な証言のような気がしました。
もし、西川監督が、「医療行為を為す者は、正規の医者でなければならない」という規制と、無医村の切実な惨状を対比させて告発しようとしたのだったら、「それでもいいか」という言葉の曖昧なニュアンスだけでは、なんの説明にもならないのではないかと感じました。
ニセ医者でも一向に構わないというヌルイ現実がある一方で、見せ掛けの医術の演技だけではどうにもできない重篤な病気もある、それをどう説明するのだろうと思いました。
病むことの不安に動揺する患者を抱きしめて、不安を取り除くことのできる「ニセものの医療」がある一方で、精密な薬によって確実に重篤な病気を治癒させることのできるものの、冷ややかに突き放す貧しい者たちや僻地で病む老人たちを切り捨てる高価な医療が片方にはある。
高価な医療は、どうしても採算に見合う地域を必要としていて、結果、採算のとれない地域は見捨てられ、切り捨てられて無医村になるしかない。
研修医や看護士が、いつのまにか厳格な規制を克服するものとしてニセ医者の存在を「それでもいいか」と認め始めたとき、西川監督は、人間の思いと思いのあいだにある「兆し」を描こうとしたのではないかと感じました。
たぶん刑事たちが、村人から供述を取っていく過程において、ニセ医師・伊野が、自分を「医師」らしく見せようと演じることで、病におびえる村の老人たちの閉ざされた頑なな心の扉を開かせることができることに気がついたのだと思います。
皮肉にも、刑事たちの執拗な尋問によって、刑事たち自身が徐々に分かったように、研修医や看護士もまた、「そのこと」に気がついたのだと思う。
たぶん、逆に言えば、必死にニセ医者を演じる「伊野」に対して、誰もが医者の理想像を見ていたからではないか、そしてそれは、矜持や権威にがんじがらめにされた「真正な医者」には、到底為しえなかったこと(孤独に病んだ老人たちの心のそばに寄り添うこと)でもあったのからだと思います。
(2009エンジンフイルム、アスミック・エース)監督・脚本:西川美和、製作:川城和実、重延浩、島本雄二、久松猛朗、千佐隆智、喜多埜裕明、原作・西川美和「きのうの神さま」(ポプラ社刊)、 プロデューサー:加藤悦弘、撮影:柳島克己、美術:三ツ松けいこ、編集:宮島竜治、音楽:モアリズム、エンディングテーマ曲:モアリズム 「笑う花」
出演・笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、松重豊、岩松了、笹野高史、井川遥、キムラ緑子、森康子、市川千恵子、奥野匡、 高橋昌也、中村勘三郎、香川照之、八千草薫、
第33回山路ふみ子映画賞:映画賞(西川美和)、映画功労賞(八千草薫)、第34回報知映画賞:助演男優賞(瑛太)、助演女優賞(八千草薫)、監督賞、第22回日刊スポーツ映画大賞:作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞(余貴美子)、第52回ブルーリボン賞:主演男優賞、監督賞、第19回東京スポーツ映画大賞:主演男優賞、監督賞、第33回日本アカデミー賞:最優秀脚本賞(西川美和)、最優秀助演女優賞(余貴美子)、
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