ロード・トゥ・バーディション
2004年 12月 11日
映画をたくさん見るということは、映画を見る楽しみを自分自身で少しずつぶち壊しているのではないかと思えてならないのです。
どんなにいい映画を前にしても、かつて見た作品と比較してしまい、なんか素直な感動に浸りきれません。
例えば、この「ロード・トゥ・パーディション」、好きなタイプの作品だし、それなりに丹念作られてもいるいい映画だと思いました。
ただ、ポール・ニューマンが終始どっちつかずの善人に描かれ過ぎていて、マフィアの親分というのなら、いっそ最後に善人面の仮面を脱ぎ捨てて、とことんワルの冷血な地肌を見せるようなスカッとしたラストにしたら、あるいはもっと毛色の違う面白い映画になったかもしれないなと思いました。
不肖の息子を断ち切れず、かといって手塩に掛けて育て上げた子飼いのトム・ハンクスを殺すことも出来ないでいる迷いのあるマフィアのボス、ポール・ニューマンをトム・ハンクスが撃ち殺すという後味の悪さが、この映画の評価の悪さにつながっていますし、トム・ハンクスにしても義理と報復の板挟みに悩むその描写があまりにあっさりし過ぎていて、しかし、かといってハードボイルドに徹しているというわけでもなく、なんか物足りない中途半端な感じが付きまとう煮え切らなさは拭いきれません。
そうして部分部分で少しずつ抱いた不満が積もりに積もり、総体としての僕の印象は、結局「Bマイナス」程度の評価になってしまいました。
でも、自分で言うのも変ですが、この評価は不満だし不思議です。
本当のところ、この映画はもっと評価されていい、と自分自身の低い評価に抗議したい気持の前に立ちはだかっている作品が、かつて見たアンソニー・マン監督の「西部の人」と、カサヴェテスの「グロリア」です。
終始好々爺風な善人面したオヤジが最後にゲーリー・クーパーの恋人を強姦してしまうというショッキングなラストを持った「西部の人」58、そして抑えに抑えてきた踏み躙られた怒りが純粋に結晶したように一途に銃口を男たちに向けた「グロリア」80、これらの作品を「ロード・トゥ・パーディション」が超えているかというなら、それは「否」と答えるしかありません。
しかし、そう答えなければならない哀しみは、人より多くの映画を見てきてしまった者の哀しみです。
これは映画マニアの避けがたい不幸というしかないかもしれませんね。