小津監督の女性観
2004年 12月 12日
僕は男なので、例えば、身近にきれいな人がいて、すごくその人に惹かれてしまい、寝ても醒めてもその人のことばかり考えているうちに、迷って鬱鬱しているくらいなら意思表示して振られた方がまだましだみたいに思い詰めて、勇気をだして映画に誘ったら幸運にもOKしてもらい、だんだん付き合っていくうちに袋小路に迷い込んだような不安に襲われ、お互いの気持ちが噛み合わなくなり、このままだらだら何となく付き合っているくらいならいっそと、別れ話一歩手前まで煮詰まってお互いの気持ちをぶつけ合ったとき、そのクライマックスが見事にSEXに結びついてしまう、その泥沼のような成り行きの「SEX」に流されながら、意識の半分で「こんな積りじゃなかった」みたいに感じるあの一種の後悔のような感覚です。
彼女のことを嫌いじゃないし、だからSEXしたって、別にそのことを後悔しているわけじゃないけど、最初に彼女を見て強く魅かれたときのあの「素敵な人だな」と思った感情は、少なくとも、この成り行きのようなSEXにずるずると溺れ込もうとしている感情とは全然ちがうものだということだけは、はっきりと分ります。
多分、成熟したオトナなら、美しい人を見て、ただ「素敵な人だな」と思うだけでは済まされない「欲望」が、男にも女にもあるからでしょう。
美しさに感動する純粋な気持ちを、人間は、ただ「純粋」なだけでは済ましておけない、つまり「欲望」によって破壊せずにはおられない生き物なのだと思います。
小津監督という人は、人間=女を、ただ美しいだけの存在として見続けたかった人なのではなかったのかなと、なんとなく思っています。
生涯独身というキイワードが、この辺に隠されているのかもしれませんね。
たまたま本屋に立ち寄ったら、文庫本になった松竹編「小津安二郎 新発見」を見かけました。
たしか前の版も講談社から出ていたと思います。
この本、小津監督ゆかりの写真が数多く収載されている本で、版はもう少し大きかったかもしれませんが、以前から気になっていた本です。
いろんな所でたびたび見かける機会があったのに、なぜか実際に中を見たことはありませんでした。
きっと、見るからに写真中心の本なので、既に見たことのある有名な写真も多く、「いまさら」という気がしたのでしょう。
しかし、文庫本とは面白い、小津監督生誕百年のチカラが形になったようなものですよね。
僕の習性で、こういう写真集を手にすると、どうしても女優さんの写真から見てしまいます。
なかでも、まずは原節子からです。
片手で持った本の小口を親指で押さえながら、ページを一枚一枚パラパラと繰っていくあの見方で、見たことのある美しい原節子が次々に現れます。
そして、見ていくに従って、あることに気がつきました。
宣伝用に撮ったスチール写真と、酒席で撮られたスナップ写真の「落差」です。
「晩春」、「麦秋」、「東京物語」の原節子の美しさは、いうまでもなくどれも完璧な一部のスキもないものばかりです。
しかし、「宴会」とタイトルされた何枚かのスナップ写真には、ちょっと衝撃を受けました。
なかでも、143ページ上段に掲載されている「『秋日和』パーティにて。里見弴と原節子」という写真です。
この写真の原節子は今まで見たことのない彼女が写っています。
髪は乱れ、指に挟んだタバコをちょっと顔をしかめて口元に持っていっています。
お酒も好きだし、タバコも好きだったという原節子ですから、「そんなこと、別にどうってことないだろう」と言われてしまえばそれまでですし、ましてや酒宴ですから、多少乱れるのは当たり前です。
お前なんか飲めばもっとひどい姿になるのに、そんな自分を差し置いて何をヨマイゴト言ってるんだと言われてしまうかもしれません。
しかし、「晩春」、「麦秋」、「東京物語」の凛とした彼女のスチール写真を見慣れている目からすると、この「原節子」の一見した印象を、ダラシナイとか品がないとか、という感じを強く抱いてしまうのは致し方ないことだし、やはり、かなりの衝撃でした。
それは、溝口監督の「赤線地帯」にでも見かけるようなタイプのスナップ写真です。
僕にとっての原節子は、「晩春」、「麦秋」、「東京物語」に出演していた、どこまでも小津監督の原節子でなければならないのだなということが、この写真を見て、そして受けたダメージでよく分かりました。
そして、この写真には、「女優」ではない、男・小津監督に求められないまま、緊張と脱力感で疲れ切ったひとりの女が写っていたのだと思います。
ただ、僕なりの理解のために、ちょっと文章を入れ換えさせてもらいましたので、下に貼り付けておきます。ありがとうございました。
「女性が愛されていると感じ、恋する相手に自分をより良く見せたいという瞬間が一番美しいと知っていた冷静で客観的で「禁欲的な」小津監督は、また、それより先の部分、関係していく事で馴れ合う女の、「愛されることに安心してしまう」だらしなさ、図太さ、いじましさ、みたいなものを嫌っていたのかもしれません。
それを強いられたひとりの女・原節子の緊張と脱力感の象徴が、一枚の膏薬だったのかもしれませんね。」