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世界のあらゆる映画を偏執的に見まくる韜晦風断腸亭日乗


by sentence2307
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桑原昂

桑原昂(1891-1966)

高峰三枝子といえば、つい、島津保次郎監督を思い浮かべてしまうのは、僕の先入観かもしれません。

「暖流」は吉村公三郎だし、「今ひとたびの」は五所平之助、「妻」は成瀬巳喜男ですしね。

高峰三枝子の島津作品の出演作は、「婚約三羽烏」37、「浅草の灯」37、「愛より愛へ」38、「日本人」38、とこんなところらしく、いや~残念ながら見てないなあという作品ばかりです。

そういえば、小津監督が松竹に入った頃のこと、母のあさゑが、監督の名前に島津保次郎の名前を見つけ、「安二郎は、映画なんかに入ったことを余程恥ずかしいと思ったらしく、名前まで変えた」と言ったというエピソードを思い出しました。

しかし、それを、どの本で見かけたのか、あちこち探してみたのですが、さっぱり見つけられません。

でも、このエピソードは、小津監督が松竹に入社したときには、すでに島津保次郎がある程度活躍していたことを示しています。

そういえば風貌もどこか似ているし、長老というイメージがあると思い込んでいたのですが、なんと亡くなったのは49歳だったそうです。

驚くべき若死にです。

小津監督も60歳でしたしね、昔の人の(失礼)何かに憑かれたように生き急いで作品を貪欲に生み出すあの活力が、今の人にはすっかり失われてしまったのはなんとも寂しいかぎりですね。

ただただ畏敬の念に囚われます。

さて、この島津保次郎監督と固い絆で結ばれて松竹蒲田で仕事をしたのが桑原昂キャメラマンです。

日本映画データベースで付け合せてみると、数本の例外があるだけで、ほとんど一緒に仕事をされています。

そして、松竹蒲田でのコンビで撮った最後の方の作品が名作「お琴と佐助」だったというわけですね。

桑原昂キャメラマンは、1911年福宝堂に入社して映画撮影の先駆者玉井昇に師事し、やがて日活向島、天活に移ります。

そして、1920年松竹キネマに入社してから、蒲田撮影所では島津保次郎との間に固い絆を結び、今回フィルムセンターで上映される「隣りの八重ちやん」や名作「お琴と佐助」35など島津の代表作に軒並み関わっています。

当時は手作業だったフィルム現像も得意として蒲田調をテクニカルな面からも支えました。
by sentence2307 | 2004-12-18 08:03 | 島津保次郎 | Comments(0)