朝の波紋
2004年 12月 25日
その嫌悪感が、男の僕にも共感できてしまうのは、きっと高峰秀子が、女性独特の好悪の生理的・感覚的なものを超えたもっと人間的な強い正義感に根ざしている怒りみたいなものを感じるからかもしれません。
ドラマの中で、ライバル会社・富士商事の妨害を跳ね返して、ブラッドフォードとの契約をやっと履行できたあとの港での商品の積み込みの場面で、
「この煌びやかな飾り物が、日本の貧しい女たちの内職で作られているのかと思うと複雑な気がするわ」
という篤子・高峰秀子の言葉に対して答える同僚の梶・岡田英次のいう言葉、
「俺たちが、その彼女たちを食わしてやっているんだ」
という不遜な自負心に満ちた言葉に、一瞬嫌悪の表情をあらわにする高峰秀子の繊細な眼の演技の、そういう積み重ねによって篤子がどのような男に嫌悪し、そして、どのような男に好意を持つかということが次第に観客に明らかにされてきます。
この作品の随所に見られるそのような高峰秀子という女優の繊細な演技の魅力が、「稲妻」や「煙突の見える場所」、または「雁」や「二十四の瞳」や「浮雲」の素晴らしい演技となんら遜色のない、それほど距離感を感じなかったのは、僕の錯覚ではなかったようでした。
当時のある作品評のなかの一文にそれを見つけました。
「つつましく、おさえた味がでており、いままでの彼女とはだいぶ違う。この作品をきっかけに、新しい方向に伸びられるかもしれない。」(双葉十三郎・キネマ旬報)
たしかに、この作品が撮られた同じ1952年に成瀬の「稲妻」と木下恵介の「カルメン純情す」が撮られ、翌年には「煙突の見える場所」と「雁」が撮られ、そして、さらにその翌年1954年に「女の園」、「二十四の瞳」が撮られて、そしてついに次の年の「浮雲」に繋がっていくわけですから、この「朝の波紋」という作品は、高峰秀子が「新しい方向に伸びていく」萌芽を兆した作品といえるものだったと思います。
僕の直感した「朝の波紋」における高峰秀子の繊細な演技が、ほぼ一定の完成に至っていると勝手に考えていた僕の直感が、どうもただの間違いではなかったらしいことが、この一文で分かりました。
この作品は、高峰秀子が半年のフランス旅行から帰国しての復帰第1作で、冒頭から流暢な英語を話すなど、高峰のきびきびした演技が心地よい一作で、回想によれば撮影中の高峰秀子は相手役の池部良よりも、見学に来た原作者・高見順の美男子ぶりに魅了されたと記されています。
スタジオエイトプロは、パージ後五所平之助が51年に設立したプロダクションで、ここで「わかれ雲」51、この「朝の波紋」52、そして名作「煙突の見える場所」53が撮られています。
この作品のキャストが物凄く、ちょい役で上原謙、岡田英次、香川京子、沼田曜一、高田稔、吉川満子、浦邊粂子、田中春男、中村是好、清水将夫、齊藤達雄、信欣三が出ているのでビックリしました。
そして、ほかには、あの懐かしい大川平八郎が、箱根の旅行先で母親に会いに行く「腱ちゃん」に付き添うの先生役で出ていました。
「女人哀愁」37(成瀬巳喜男監督作品)に出演した頃の溌剌とした彼と比べると随分ふけてしまったように感じてしまいました。(当たり前ですが。)
自分が生まれてもいなかった1937年の映画や俳優のことを「懐かしい」なんて、ちょっと奇異な感じをもたれるかもしれませんが、たまたま時間を隔てて「女人哀愁」と「朝の波紋」を、順を追って見たからでしょうか、ともに古い映画なのに、なんだか僕の中では、時間の間隔がそのまま整然と現在にスライドして、15年という時間の間隔だけを「いま」の時点から遡って実体験してしまったような錯覚を持ったのだと思います。
まあ、言ってみれば、それだけ「女人哀愁」における大川平八郎という未知の俳優の演技が、僕にとって強烈な印象を残したからでしょうか。
あの成瀬作品のなかの彼は、決して「溌剌」などといえる役でも、そして演技を示したわけでもありません。
あまりの貧乏に、同棲していた恋人(作品の中では、入江たか子の義妹にあたります)に愛想をつかされて逃げられてしまう不甲斐ない男という、まさに成瀬巳喜男作品にはぴったりの男性像を、それも抑揚に乏しい稚拙で訥々としたセリフ回しで演じていました。
弁解すればするほど、男のその女々しい態度そのものが女に嫌がられているとも解することができずに、なお執拗に彼女を尋ね続けながら、そのたびに居留守をつかわれ、すごすごと帰る駄目男です。
彼は、最後には彼女の気を引くために会社の金を横領するという犯罪まで犯してしまいます。
初期の成瀬作品には常連のように出演しています(乙女ごころ三人姉妹、妻よ薔薇のやうに、サーカス五人組、噂の娘、君と行く路、朝の並木道、女人哀愁、禍福、鶴八鶴次郎、など)が、なんと「浮雲」にも医者の役で出演しているそうなので見直してみようかなと思っています。
戦後はヘンリー・大川と改名して多くの作品に出ていて、資料では「戦場にかける橋」にも出演しているそうです。
ヘンリー・大川とは、これまた奇妙な改名だと思っていろいろな本を調べた結果、大正12年に渡米してパラマウント俳優学校を修了しているということだそうです(同期にゲーリー・クーパーがいたとか)から、きっとそういう捨てきれない過去のプライドとか矜持とかといったものが鬱々としてあったのかもしれませんね。
僕の受けた「抑揚に乏しい稚拙で訥々としたセリフ回しで演じていた」という印象を引き比べながら考えてみると、なんだか痛ましいものを感じざるを得ません。
世間に身をさらして生きる役者という職業の壮絶なところだと思わずにはいられませんよね。
(52スタジオエイトプロ) (製作)平尾郁次(監督)五所平之助(原作)高見順(脚本)館岡謙之助(撮影)三浦光雄(美術)進藤誠吾(音楽)齊藤一郎
(出演)高峰秀子、池部良、上原謙、岡田英次、香川京子、三宅邦子、沼田曜一、澤村契惠子、高田稔、滝花久子、吉川満子、浦邊粂子、岡本克政、田中春男、中村是好、清水将夫、汐見洋、大川平八郎、齊藤達雄、アドリアン・アンベール、信欣三
(103分・10巻、2850m,35mm・白黒)